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9・11平和を書こう 「あさひ」 1

らんららです♪

「野いちご」で知り合った方の呼びかけで、平和をテーマに小説を描くことになりました。
そちらでは、9月11日一斉公開なのですが。

らんらら、ちょうど今週末は小旅行ですし、連載も切れ目なので。
少し早いけれど、こちらでは公開してしまいます♪

平和…難しいテーマで、結局。ちょっと、違う風になったかも?

珍しく、現代小説(純文学?)です。

短編ですので、6話連続でお送りします。よろしければお立ち寄りください♪

本文は続きからどうぞ!


続きを読む

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9・11平和を書こう 「あさひ」 2



第一印象では大人嫌いに見えた旭も、私のマンションに向かう車で二人きりになると多少子供らしい顔もして見せた。

「ね、ね、おじさんはお父さんの何?従兄弟とか?」
「あ、ああ。彼の叔父さんの従兄弟の子供」

大人は嘘つきだな。旭。
しかも不思議と罪悪感も薄い。

「ややこしいな。でも、僕のお父さんのこと知ってるんだろ?」
嬉しそうに笑うから、私もくすぐったい気分になる。

「お父さん、ニューヨークで死んだんだ。でも、ニュースでやってたんだ。彼らの尊い犠牲をこれからの平和につなげることが残された私たちの果たすべきことだって」

丸暗記しているんだろう。何度も何度も口にした言葉だと、その口調から感じ取れた。
「……カッコイイ、言い回しだね」
「うん!オレ、それを聞いたとき、まだ小さかったけど、すごく感動したんだ。ぼくの、あ、オレのお父さんは世界の平和のために死んだんだって」

世界平和のため、か。だから、ヒーローなのか。
死んでないといったら、やっぱり、がっかりするんだろう。
それもまた、淋しい気もする。

「おじさんは」
「おじさんは止めよう、……じゃあ、聡さん、でどうかな」
「あ、うん。聡さんは何のお仕事してるの?ぼく、あ、オレ」

「オレより、僕のほうが使い慣れてるんだろう?無理しなくていいよ」
「え、ええと」
「ぼく、という響きの方が私は好きだな」
そこで照れたようにシートベルトを伸ばしたり縮めたりする仕草が、やけに可愛い。

「ええと。僕、お父さんを知らないから、あの、どうしていいかよく分からないけど」
「いいんだよ。私も、子供がいないから君とどう接していいか迷ってる。お互い様だね」
「迷惑かな?僕がいるの。聡さん一人暮らしなの?」
私が頷くと旭はほっとしたような顔をした。
「最近ね、ニューヨークから戻ってきたんだ。借りたマンションが少し広すぎるし、丁度よかったんだ。一人は飽きたから、君が来てくれるのは嬉しいよ」

「ニューヨーク!?」
「ああ。遠慮しなくてもいいから。欲しい物があったら言ってね」
「うん、ニューヨークの話、聞かせて!」

お父さん、ニューヨーク。そして、テロリストと世界平和。
彼の喜ぶキーワードだ。




旭が施設に入ったのは夏休みの始め。八月も終わろうとしている今、旭は私のマンションに来た。
小学校は少し遠いが、今までと同じ所に通わせることができる距離だ。
一時保護所から運んできた彼の荷物があまりにも少ないので、私たちは翌日の日曜には買い物に出た。

何を買っていいのかもよく分からないが、デパートの中を二人で歩くのは楽しかった。
人の服を見立てることがこれほど面白いことだとは知らなかった。
一人では決して入らないコーヒーショップで、旭が甘いものをほお張るのを眺める。
悪くない。
由香里もこんな気分でいたのだろうか。

ふと、彼女のことを思い出す。

コーヒーをテーブルに置いた私の気持ちを見透かしたように、旭はフルーツパフェに乗っている赤いサクランボを手に取った。

「お母さん、これ好きなんだ。いつも僕のを取るんだ」
「へえ、知らなかった」
「でもね。僕知ってるんだ。お母さん、本当はサクランボじゃなくて、こっちを食べたいんだ。でも、二つ買うお金がないから。もっと安いアイスクリームにすれば二つ買えるのに」

そう言って旭はパフェに浮かぶアイスクリームに深くスプーンを突き立てる。
丸いそれがゆったりとグラスの中のチョコレート色を揺らした。

「それでも、彼女は君に食べてほしかったんだろう?」

旭は黙って頷いた。
そうして、旭は黙って由香里の愛情を受け取っていたのだろう。


苦労させてしまったのだ。
別れた時、由香里は旭の養育を条件に、一切の金銭を要求しなかった。
当時二十七歳だった私も初めての海外赴任と、予想もしなかった離婚という事態に混乱していた。家族を失い、海外で一人生きていく不安が私を頑なにさせた。
二度と会わないと決めたのだ。

そのくせ、この六年間、再婚などしなかった。結局一人で淋しい思いをするなら離婚する羽目になるほど頑なに主張することもなかった。本末転倒だった。
ただ、あの義母と一緒に旭や由香里が暮らすこと自体に、私は嫌悪感を抱いていた。それも一因だった。実際、こうなってしまっている。
児童相談センターから連絡を受けたとき、私は心のどこかで義母に悪態をついていた。

いや、すべて結果論に過ぎない。
もう終わったことだ。
結局、罪のない旭がつらい思いをした。


「すまなかったね」

ポツリと出た言葉に、旭は笑った。
「なにが?」

ああ、そうだ。
私は彼にとって父親ではない。
彼の父親は、世界平和のために命を落とした英雄。子供の前で自らを明かすこともできない、小心者の父親ではないのだ。

「聡さん、元気ないな」
心配そうに私を覗き込む。

「いや、私みたいなおじさんは、こういうところは普段来ないからね、少し緊張しているんだよ」
店内には若いカップルや家族連れが大半だった。

「ふうん。僕も初めてだよ。いつもはファミレスだから」
「そうか、そっちにすればよかったね。私も仕事中はファミレスでランチすることがあるよ」
「なんだ、同じだ」
それから旭は、誕生日に行ったファミレスの話をしてくれた。

旭が気に入っていたハンバーグがメニューからなくなっていて、店員に交渉したが作ってもらえずに由香里が怒り出したこと。困って、旭がハンバーグは最近嫌いになったんだと説得しようとしたら今度は自分が由香里に怒られた。泣きながら食べた代わりのグラタンが美味しかったのにそれも素直に言えずにいた。
散々な誕生日じゃないか、というと旭は笑った。

それでもデザートのアイスクリームをあげると提案したら、由香里の機嫌も直ったから。グラタンは美味しかったし、お店の人がサービスでジュースもくれたから、と。
どちらが親なのか分からないなと私が笑うと、旭もまた笑った。
「お母さんも最後に同じこと言ったよ、聡さんと同じこと」

そうやって、旭は、私が何か聞こうとしなくても、積極的にいろいろなことを話してくれた。それに相槌を打ったり、笑ったりする私に満足しているようだった。


相変わらず、私の仕事は忙しかったが、帰りの遅い私に、旭は文句一つ言わず、時に夕食を準備してくれていることもあった。
九月は決算月。私の仕事は忙しくなる一方だった。

朝だけは彼と話をし、持たせた携帯からのメールで夕食の相談をする。オヤスミの挨拶をメールで受けることもしばしばだ。
申し訳ない気分と、忙しさと疲労。
感じれば感じるほど、由香里の苦労を思った。



⇒3へ続く

9.11平和を書こう「あさひ」3



九月に入り、旭との生活にも慣れ始めた頃。
その日は接待のために十二時前には帰れないから、先に寝ていなさいと伝えた。
焼いたパンに噛み付きながら、旭はうんとも言えない小さな返事をした。
牛乳で飲み下す彼を見て、私もコーヒーのカップを置いた。

「なんだ、どこか痛いのか?」
元気がないように思える。

「ううん、平気。学校は休まないんだ。だってさ、僕、将来ニューヨークに行くんだ。だから、勉強はちゃんとしなきゃいけないんだ」

あの作文を思い出す。
「そうか。英語くらいなら教えてやれるぞ」

「でも、聡さん忙しくて帰ってこないし」
こんな物言いをされたのは初めてだった。だんだんと、慣れて来たという証拠なのだろうか。
「あ、ああ、そうだな…ごめんな」

「いいけど。僕に、聡さんの部屋のパソコン、使わせて」

「どうしてだい?」

「英語の勉強する」

「うーん。仕事のデータもあるからね、パソコンはまずいな。英語、本当にやる気なら、どこか塾にでも入るかい?」

ゆで卵の黄身が頬についているので、とってやる。少し不機嫌そうだったのに、くすぐったいのか旭は笑った。
「うん!いきたい!塾って行ったことないから!」

私は職場の大橋さんを思い出していた。確か、同じ年頃の子供がいる。
きっと何か、教育についてアドバイスが受けられるだろう。



昼休みが半分過ぎるころ、大橋さんは必ずコーヒーを入れて午後に備える。
私はそのタイミングで給湯室をのぞいた。
狭いそこには、給湯の設備と、冷蔵庫、自動販売機などが置かれている。
「大橋さん」
丁度よく、二人きりだ。
少し横に張ったタイトスカートの後姿が驚いたように私を見る。

「あら、角田くん、珍しい。どう?どうせ三杯分できるから」

ありがたくコーヒーをもらう。
「あの、大橋さん、相談があるんです」


三つ年上の大橋さんは、豪快に笑った。
きりっとした化粧と少々派手な口元。自動販売機の脇のベンチに二人でいると目立って仕方ないのに大声で笑う。同僚たちが飲み物を買いに来るたびに、なんでもないんだと愛想笑いでごまかす始末だ。

「面白いわ!切れ者の角田くんが子育てに奮闘しているなんて知ったら、がっかりする女の子も多いわよ」

「からかわないで下さい。なかなか、時間を割いてあげられなくて困っているんです」

「あらまぁ。それでも文句も言わずに待ってるの?出来た子ねぇ」

「え、まあ。一応私の息子ですし」

そこでまた、噴出す。
「やだやだ、父親の顔してるわよ」

「大橋さん!」
子供の相談をすることがこんなに照れくさいものだとは思わなかった。

「ま、いいわ。うちの子が行ってる塾を紹介してあげるわ。でも入塾にはテストがあるわよ」

「え?」

「一応、進学塾ですからね。将来海外で活躍したいなら、出来るだけ上を目指した方がいいわよ。上手く行って一緒に通えたらまとめて面倒見てあげるわ。うちは母が迎えに行ってくれるから。塾は送り迎えが大変なのよ」

「助かります。しかし、テストですか。旭の学力、知らないんですよね」

「一度小学校の担任と話してみたら?ほら、今日にでも」

「あ、いや今日は部長と」

「代わりに行ってあげる」

今日の部長との接待は、今後私の役に立つ重要なものだった。
客先といいつながりを持てば契約に結びつく。それは、大橋さんも同じことだ。
取られる、という感覚が腹のそこに湧き出す。

「あ、いえ、ありがたいですが、今日は私が行くことを先方にも約束してありますので。また、明日にでも小学校に行ってみますよ」

大橋さんがちらりと残念そうな目をしたのが印象に残る。

「塾の資料はまた、持って来るわね」

その後のやり取りが、そっけないものに感じられたのは私の邪推なのかもしれない。
大人は嫌だな、旭。
ふとそう思っている自分に笑えた。


帰りのタクシーで部長を送った後、私は得た手ごたえに満足する腹を抱えて、ほろ酔いで揺られていた。
契約の話は明日にでも挨拶に行けば進みそうな勢いだった。

ふと、ポケットの携帯を思い出した。
そういえば、今日は朝のうちに先に寝ているようにと伝えたために、いつもの旭からのメールも確認するのを後回しにしていた。
みると、何の着信もなかった。
もう、寝たのだろうか。


子供の寝顔は、きらいじゃなかった。正直、可愛いと思う。元々由香里に似ているから、将来の男前ぶりを今から想像したりもする。大橋さんに笑われそうだが。

ベッドに慣れないせいか寝ている間に布団を蹴り落とすから、帰宅してすぐにかけなおすのが日課になっている。
九歳で夕食も入浴もキチンと一人で済ませる旭が、普通なのか立派なのか。
私には比較できないが、とにかく予想以上に手のかからない子だった。


「ただいま」
玄関先でこう言うようになったのも旭がいるからだ。
彼が来る前は挨拶する相手などいなかった。


いつものように、まず、彼の部屋をのぞく。

既に部屋は照明が消されて暗くなっていた。
起こさないようにそっと小さな明かりだけをつける。
子供らしくないシンプルな無垢板の机にはランドセルが置かれ、書取帳がブルーのチェック模様の毛布に乗っている。
勉強しながら寝てしまったのか。

ダブルベッド用の大きな枕の影をのぞく。いつもそれに抱きつくように寝ているからだ。

姿がなかった。

慌てて照明を明るくする。
いない。

私は家中をぐるぐると回り、トイレにも、風呂場にもいないことを確認した。
誘拐なのか?
今度は自分が玄関の鍵を開けて入ってきたのか、最初から開いていたのかを思い出そうとリビングを歩き回る。

思い出して携帯を取り出したとき、着信があった。

一時保護所だった。



⇒4へ続く

9.11平和を書こう「あさひ」4



タクシーで駆けつけた私を、日下部さんが出迎えた。
所内は既に消灯時刻を過ぎたのだろう、非常用の緑のマークだけが廊下を照らす。
事務室は煌々と明るい。
日下部さんは先日と同じ事務服姿で、仕事の途中だったのか、灰色の机の上には書類が散らかっていた。

あの隅におかれた机に、旭はじっとしていた。学校に出かけたときのままの服装で、制服の小さなネクタイが外されて旭の前にある。どうやら止めるためのホックが取れてしまったようだ。それを睨みつける横顔の口元には、赤い傷が見えた。
握り締める拳も、擦り傷なのか赤くなっている。
私を見ると目をそらした。

「!旭!どうしたんだ?顔、怪我してるじゃないか!」

日下部さんの話もそこそこに、私は彼の肩を揺らす。

「……」

黙ったまま顔を背け、旭は由香里に似た横顔しか見せようとしない。

「な、怒らないから、こっち見てくれ」

ついにはうつむいてしまった。

「あの、角田さん。旭くんは」
「言うなよ!」
ふいに旭が大きな声を出した。

驚いた私と比べて、日下部さんは慣れているのか、腰に手を当てて彼を睨んだ。

「二度としないって言うから、黙っていたの。約束を破ったから仕方ないでしょ」

日下部さんの言葉に、旭は机に体を投げ出して、臥してしまった。

「あの、二度とって、初めてじゃないんですか?」

私が立ち上がって日下部さんに問いかけると、ため息を派手について彼女は自分の席に座った。手振りで私に旭の正面に座るよう示す。
私が腰掛けると、ちょうどイスごと振り向いている日下部さんと並んでいるようになる。

「始めは、二週間くらい前でした。夜十一時くらいに警察から電話があって。小学生が補導されて、連絡先はここだからというんです。迎えに行ってみれば旭くんでした」
「……黙れよ」
小さくうなるように旭が言うので、私は腕にうずめたままの頭をなでた。

「とにかく、ここにつれて帰って、角田さんにご連絡差し上げようとしたんです。そうしたら、絶対に知られたくないって。角田さんはお仕事で遅いから知らないんだと言い張るので、二度としないように言い含めて帰したんです」

気付けなかった。
日下部さんの話では、これが三回目なのだという。

「今回は、喧嘩したらしくて、こんな顔で歩いていたのを補導されまして。もう、隠せないからと説得したんです」
「申し訳ありません」
私が立ち上がって深く頭を下げると、日下部さんも立ち上がった。

「いいえ、あの、決してあなたのことが嫌いと言うわけではないんです。あなたの前ではいい子でいたいと」

いい子で。
私の前でだけ?
それは、本心を偽ってそばにいるということなんだろうか。

「ご迷惑をおかけしました。旭、さ、帰ろう」

私が手を引くと、旭は素直についてきた。
うつむいたままで表情は見えない。
それがまた、胃の辺りを締め付けた。
私は、ずっと放っておいたのだ。
旭が大人しいのをいい事に、ないがしろにして、いい父親のつもりでいた。
握った手の平が弱く小さく感じられた。

そこに隠している本当の気持ちなど、到底私には分からないのかも知れない。
理解したつもりで高をくくっていた自分に苛立った。

「痛い」
握る手に力が入っていたことに気付いて、慌てて手を放した。

「あ、ああ、ごめん」

手に残る旭の手の湿気にもう一度空になった拳を握り締めた。


タクシーを降りて、マンションに入ると、旭は何も言わずに自分の部屋に入っていった。

「旭」

部屋で、彼はベッドに座ってぼんやりしていた。

「まず、風呂に入って来いよ。それから、薬つけてやるから」
「うん」

返事はするものの、一向に動こうとしない。

「な、おい、旭?聞いてるのか?」

顔を覗き込むと、膝に雫が一つ落ちた。

「泣くことないだろ。私は怒ってないよ」
「本当に?追い出さない?」

涙声に私の肩の力は抜けた。確かに、私の口調に棘が混じっていたのかもしれない。
繊細なのだ、しっかりと旭は感じ取っている。
私の苛立ちは彼に対してではない。
迂闊だった自分に対してだ。
何にしろ、私に責任がある。やはり私は彼の父親なのだ。

「な、旭。びっくりしたけど、怒ってないんだ。お前を放っておいた私も悪かったんだし、考えてみれば、学校と家だけの往復なんてつまらないもんな。大人だって皆やってることだ。ま、少し、時間が遅くなりすぎたのと、喧嘩はよくなかったけどな」

頭をなでてやる。
まだまだ、この子のことは分かっていない。

私に対して気を使っているのだろう。彼の性格なのか、私がそうさせてしまっているのか。
分かりはしないが。
もう少し、そう、近づくべきだと私は考えた。

「風呂、入るか?一緒に」

その一言は、旭の表情を変えた。

「え?」

「ほら、いいから。一緒に入ろう!男同士だからな、背中流し合うくらいしたっていいだろ」
半ば強引に風呂場に連れて行く。

それは後悔することになった。
いや、返ってよかったのかもしれない。知るべきだったのだ。

旭の背やわき腹、腿には、いくつもの傷があった。
古いものだったが、一瞬目のやり場に困った私に、申し訳なさそうに旭が話した。

「くそババアが、やったんだ。お母さんが仕事で出かけている間に、こっそりやるんだ」

「そうか」
それしか言えなかった。

虐待があったとは聞いていた。それが原因で、悩んだ由香里が心を壊したことも。
義母には思うところがあったが、それをまざまざと見せ付けられて胃に熱いものが落ちたように感じた。

「僕は我慢できるし、ババアにはそのうち力で勝てるようになるから、平気だって言ったんだけど。お母さんは心配しちゃってさ。ババアがいなくなればいいんだ」
吐き捨てるように言った後、浴槽に半分顔を隠すようにして、体を洗う私の顔をじっと見上げた。
様子を伺っているようだ。
私が指先についた泡のボールをふわりと顔に向かって弾いてやると、避けようとして慌てて潜る。潜るという選択肢が子供らしくて笑えた。
そうやっていつも、風呂で遊んでいるのだろう。

「ぷは、聡さん、ひどい!」
「あははは。そんな顔しているからだ」
面白い。

「怒らないの?」
「ん?お祖母さんのことか。お前がそう思ったんだ、仕方ないだろ。そう思われるだけのことをお祖母さんはして来たんだ」
大人気ないのかもしれないが、私自身、怒りを覚えていた。

「皆、言うんだ。誰かを憎んじゃダメだって。痛い思いしたら、相手の痛みが分かるはずだって」

浴槽の白い縁に乗せた指先が、何度も落ち着きなくかじる。その指先をじっと見つめる瞳には何も映っていないかのようで、私は背に寒いものを感じた。
旭が心に傷を追っているのは確かだ。

「でもね。嘘ばっかりなんだ。テレビで言ってたんだ。ババアは自分が小さい頃に殴られたから今も小さい子供を殴るんだって。そういう病気なんだってさ。そういう人も被害者なんだって」

「病気だろうが、なんだろうが。殴られる方はたまったもんじゃないだろ?」

私はこの時ほど、不用意なテレビ報道に怒りを感じたことはなかった。旭の言うそれは確かによく言われることだ。だがそれは同時に、嫌な思いをした旭がいずれ同じ過ちを犯す因子を抱えていると認めることになる。
そんなことは、認めない。

過去に被虐の経験があったからといって、これからのこの子の人生を決め付けるような陳腐な説は私が一掃してやる。

「聡さんはお父さんみたいだ。僕、お父さんが生きていたら、きっと僕の味方だと思ってた」
思わず抱きしめそうになった。

嬉しそうな遠慮がちな笑み。
由香里に似ている。
由香里は優しすぎたのだ。だから、心を病んでしまった。


風呂から上がって二人で冷たいものを飲んだ。
ベランダの夜風は生ぬるかったが、それでも星空に向かって旭は楽しそうに手を伸ばした。
既に午前二時。近隣は既に寝静まっている。

これほど、この街で星が見えることは気付けなかった。
考えてみれば夜空を眺めるなど、ここしばらくしていない。うつむいていたのかもしれないな。

飲み干したジュースのグラスを、両手でトンと手すりに置く旭。
その硬く静かな音に傍らを見る。
見上げる顔がある。
部屋から漏れる明かりに旭が笑っているのが分かった。

私を見上げたまま視線を移して、同じ高さに星を観ている。
子供はそうやって上を見ていく。大人になるとこうやって見下ろしてばかりいるのかもしれない。下ばかり見ている。

裸足の足が揺れる。
旭が手すりによじ昇ろうと、グラスを持った手をかけ身を乗り出していた。

地に足の付いた大人、空を見上げて高みを目指す子供。
ふと、そんなことが脳裏をよぎる。

「ほら、危ないぞ」
そういいつつも、私は旭を抱き上げて、手すりに座らせてやった。
けたけた笑いながら足をぶらぶらさせる。腰に当てた手を私が離そうとすると「やだよ」と、冷たい手のひらで握り締めた。

支えが、必要なのだ。
この子には。


二人で約束した。

私は出来るだけ、一緒にこういう時間を過ごしたい、そのための努力をすると。
旭は、黙って出かけない、喧嘩はしない。夜八時までにはちゃんと家に帰る、と。

どうして八時なのかと聞いたら、母親の病院に午後七時まではいられるから、その後帰って来るとその時間なのだという。
旭は私の知らない間に、週に二、三回由香里に会いに行っていた。今日も、病院に行き、その帰りに少し商店街を歩いていたのだと言う。
今の由香里に旭の顔を理解できるかどうかも怪しいのに。

由香里はいい子を育てた。

気に病んで、心を痛めることなどなかったのに。いや、彼女はだからこそ、満足いく環境においてやれない自分を責めたのだろうか。それなら、罪は私のほうが重い。

いずれ、旭と二人で由香里に会いに行こう。



⇒5へ続く

9.11平和を書こう「あさひ」5



翌日、私は久しぶりに早めに帰ることにした。旭のことが心配でもあったし、旭が珍しく今日は早く帰れとせがんだから。理由を尋ねてもヒミツだと笑う。
寝不足なのか少し青白い顔で、それでも旭は楽しそうにしていた。


約束どおり、午後六時過ぎには家に戻った。
旭は既に帰っていて、自室から出てきたときには白いシャツに黒い半ズボン。自分で整えたのか髪もいつもより大人しく頭に納まっていた。

「なんだ、どうしたんだい?」

「お帰りなさい!あのさ、聡さん。僕、行ってほしいところがあるんだ」

「レストランにでも行くのかい?まるで礼装だね」

私の背を押して部屋に連れて行く旭。

「うん、聡さんも礼装して。今日はお父さんの命日だ」

ああ、そうだった。

九月十一日。

私は、旭に言われるまま着替えると車に乗り込む。

旭が目指したのは、霊園でも由香里の病院でもなかった。
丘の上の公園。
以前、旭が由香里たちと住んでいたアパートの近くだ。さほど大きくもないが、遠く、海が見えた。
毎年、一人で来ていたのだと笑った。

私は知らなかった。
離婚直前に旭を連れてきたことがあったが、海が見えることは気付かなかった。あのときが、三歳の旭と会った最後の瞬間だった。
今は、こんなに大きくなっている。

既にうす闇に包まれる青い街明かりの向こう、うっすらと煙るような水平線。
旭はここで、ニューヨークの私のことを想ってくれていたのだ。

夜風に髪がなびく。
一つくしゃみをした旭は、私がかけようとした上着を手で制した。
一人、高台の端のフェンスまで歩いていく。

黙ったまま、彼はじっと海を。
遠いニューヨークの方向を見つめていた。

「旭、お父さんのこと好きかい?」

何も言わない。
私としては、勇気のいる言葉だったのだが。

「な、もし今お父さんに会えたらなんて言うんだ?やっぱり、お母さんのこと置いていってしまったから怒るのかな」

「お父さんは、死んじゃったんだ。僕や、お母さんのためじゃなくて、世界平和のために。だから、会えないんだ」

旭の声は、泣いていた。

「ごめん、な」

一人にして置いてあげるべきなのか、そばに行ってやるべきなのか。
小さい背中に、私はなんて声をかけていいのか分からなかった。
ここに、私はいるのに。
旭が想うような、立派な父親だとは言えずにいる。

ふいに、振り向いて駆け寄った旭が、私に抱きついた。
「……旭」
「今日は、今日だけは僕、お父さんのために泣くんだ、お母さんはお父さんは尊い教訓を残して亡くなったんだから泣いちゃダメだっていうけど、でも」

喉まで、出かかる。
死んでないんだよ。今、目の前にいるんだ。

汗で湿った頭をなでてやる。
子供は体温が高いという。秋の気配が感じられるこの時期でも、こうして抱きしめていると私まで汗がにじむように感じられた。
小さい背中にどんな思いを背負っていたのだろう。
まだこの世に生まれて十年も生きていないのに。
しばらく、胸をぬらす旭を抱きしめていた。


傍からみたら、こんなバカな親子もいないのかもしれない。
けれど、旭の中の父親は死んでいて、彼に未来の夢を残した。

「将来、ニューヨークで消防士になるんだよね?」
旭は頷いた。私のハンカチで不器用に涙を拭く。

「そうか。カッコイイな」

「うん。映画とかあっただろ、観たかったけどお母さんがダメだって。仕方ないから図書館で何度も見たんだ。昨日も、病院に行く前に観たんだ」

「そうか。な、お母さんの容態が安定したら、一緒に会いに行こう。私も会いたいんだ」
私の面会は、今はまだ医師に止められていた。

「うん」

「それからね、先になるかもしれないけど。来年には、ニューヨーク、行こうか。九月は仕事が忙しいから難しいけど、休みの取れる時期なら行けるよ」

「本当に!?」
あまりにも嬉しそうに旭が笑うから、私は嘘を固めていく自分への嫌悪感を押さえ込む。

「ああ。グランドゼロ、行きたいだろう?」

「うん!」

「消防士の仕事も見学できると聞いたことがあるよ、手配しておくから」

「すごい!聡さん、すごいな!」
旭の笑顔が嬉しかった。

私は、一生、父親になれなくてもいいかもしれない。

「ね、聡さんがお母さんと再婚したらいいのに!そうしたら、お母さんもさびしくないよ」

いつか。由香里の心の病気が落ち着いて、本当にやり直せるならそれもいい。
子はかすがい、よく言ったものだ。



帰り道にレストランで夕食を取り、二人で旭の亡き父親、つまり私自身のために献杯した。

「けんぱい?」
「そうだよ。亡くなったお父さんへの挨拶のようなものだね。乾杯では、祝いの杯になってしまうからね」
「ふうん」
出されたハンバーグを不器用に切り分けながら、旭は笑う。
昨日の喧嘩の跡が、まだ頬に赤いかすり傷を残していた。


家に戻った九時ごろ。
来客があった。


こんな時間に珍しかったので、私はアンダーシャツ一枚の上に、慌ててカーディガンを羽織った。

「こんばんは。警察です」

男たち二人が、そう言った。

「え?」

「角田聡さんですね。少々、お話を聞かせていただきたい」

遠慮がちな言葉とは裏腹に彼らは既に私を押しのけるように玄関に入ってきた。
この暑いのに黒っぽい色のスーツが嫌な印象を与えた。誰しもが自宅で無防備になる時間帯に乗り込んでくる傲慢さに苛立った。こちらの精神的な動揺を狙った行動なのかもしれない。


リビングに通し、私は心ならずも冷えた麦茶を出す。
二人は話し出した。

「城戸あや子さん、ご存知ですか」

旭の祖母だ。
私は頷いた。

「昨夜、何者かに襲われましてね。重体なんですよ」

「襲われた?」

「はい、娘さんの病院の近くで倒れているのが発見されましてね。頭部を殴打されたようで、意識不明なんです」

「……それで、なぜ、うちに?」

喉が、渇いていた。
目の前の水滴の伝うグラスを見つめる。


病院、昨夜。
旭は病院に行ったと、言っていた。
喧嘩の相手は知らない人だと答えた。

まさか。

グラスを伝う水滴が布製の白いコースターをぬらした。
刑事の一人が、かすかに肩を上下させる。

「なぜって、無関係ではないでしょう?別れた奥さんの母親だ。奥さんは今入院中ですよね、仲のいいご夫婦だったそうで、今も治療費を負担されているくらいだ。
離婚の原因は奥さんの母親にあったと。皆がみな口をそろえて言うものですから。
あや子さんはアルコール依存症で手に負えなかった。……あなた、昨夜どちらにいました?」

ふいに刑事の口調が鋭くなる。

それより私は、自分の中の想像に恐怖を感じていた。
あの子は、そんなことをする子じゃない。

「角田さん?」

肩を叩かれ我に返ると、私は目の前の麦茶を飲み干した。

「それ、僕」

振り返ると戸口に枕を抱えたままの旭が立っていた。
青白い顔で頬だけがやけに赤く火照っていた。熱っぽい目を見開いて私たちを見ていた。



⇒6へ続く

9.11平和を書こう「あさひ」6



私は駆け寄った。

「旭!お前はいいんだ、お前は何も悪くない!」
私は抱きしめる。

「違うよ、聡さん、僕、ざまあみろって思った!僕のこと追いかけて、ここに押しかけようとしたんだ!くそババアはお母さんを不幸にしたんだ!僕の事殴るんだ。
悪いことしたら、悪いことされる!当然なんだ!テロリストと同じ、あいつだって悪者だから!」

「旭!」

すぐ横に、刑事が立っている。
「君が旭くんかい?お父さんを庇わなくていいんだよ?」

旭の、動きが止まった。

「違います!刑事さん、子供を巻き込まないで……」
こいつら、何を!

「お父さんは、悪い人じゃない、分かってるよ、ただね……」
「お父さん……?」
腕の中で、旭がつぶやく。

私は彼の瞳をまっすぐ見ることが出来ない。
そのまま寝室に連れて行こうとするのに、男たちは私の肩を押しとどめる。

「ちょっと、待ってください!旭……」

「そう、旭くん、私たちはね、君のお父さんと話があるんだ」

「お父さん……?」
旭の顔は紅潮し、頬に涙がこぼれていく。

だめだ、もう、だめだ。
そう思ったのと同時に、旭は私を突き放そうとした。

「嘘だ!違うよ、お父さんは死んだんだ!お父さんは、違うよ、……嘘だぁ!」


旭の声は、悲鳴に似ていた。


腕の中で崩れるのを感じた。
彼の体も、心も。


私は、旭をひどく傷つけた。






病院の庭に、忘れられた向日葵が黒くすすけてうつむいていた。
日が傾くと風は急に涼しくなる。

私は病院の庭で、旭と一緒に座っていた。三人がけの白いベンチの端と端。二人の間には子供なら二人は座れそうだった。いや、由香里が間にいれば家族のようになれたのかもしれない。

義母は意識を取り戻した。結局、彼女は転んで花壇の角にぶつかったのだと証言した。それを聞いた旭は何も言わなかった。真実だったのかもしれないし、義母なりの精一杯の愛情なのかもしれなかった。
由香里の病院で偶然旭を見かけた彼女は、私に金を要求しようと旭に近づいたのだという。喧嘩になりいつものように旭を殴った。旭も、やり返した。
その結果がこの事件の真相となった。
義母が事故だと証言し、血縁関係でもあったために警察はつまらなそうに調書を破った。


もちろん、私の疑いも晴れた。
しかし、あの日。

私の正体を知った旭は、そのまま倒れてしまった。
風邪で発熱していたこともあり、二日間、病院にいた。その間私は警察に出頭したり、義母と六年ぶりに顔をあわせたりと、旭の様子は病院の担当医師に聞くだけだった。

医師の話では、私に会うことを拒否する様子もないし大丈夫だろうということで、退院する旭を迎えに来たのだった。



小さくたたんだ服を傍らに置き、旭はベッドに座っていた。
私を認めると、視線をそらしてうつむいた。

必要なこと以外口にしない私に、旭はただ黙っていた。
病院の玄関を出て、なぜか私はこの場所を選んだ。
他人のいる病院の中ではなく、運転しなければならない車の中ではなく。
この静かな場所で二人きりで話したかった。

言い訳がましいかもしれない。
それでも、話さなければ。


医師の言葉が思い出された。
「あなたしか溝は埋められません。よく話し合ってください」
彼はまた面白そうに悪戯っぽい目をした。
「しかし、子供のためとはいえ、自分を死んだことにするなんて、そうそう、出来ないことだと思いますよ。……旭くんにも、同じことを伝えておきました」


ベンチの隅で、旭は膝の上に置いた手を、もじもじとさせていた。
やはり、横顔は由香里に似ていた。

「旭。ごめんな」

黙っている。

「もう、知ってると思うけど。私はお前のお父さんなんだ。離婚した後お母さんは、お前にあの事件で死んだのだと教えた。お母さんもそうやって忘れたかったのかもしれない」

「……」

「ごめんな。お前を迎えに行った時、言い出せなかったんだ。私は、その。父親とは言えない状態だったし、ましてや英雄でもない」

視線を感じて旭の方を見ると、今度は彼がうつむき足元を見る。

「嘘をついたお母さんと、テロリストとどっちが悪いの」

うつむいたまま、旭が吐いた言葉は私の息を詰まらせた。
何も答えられなかった。


「僕はお父さんを殺したテロリストを憎んだ。悪い奴は憎まれて当然なんだ。テレビでもそう言ってた。だからババアも憎んだ。なのに。お父さんが殺されてないなら、僕はどうすればいいの?」

なんて、言ってあげればいいのか。
旭は顔を上げて私を見た。

「死んだお父さんのために、僕はテロリストを許さない、消防士になるんだって、そう言ってきたの、それ、僕は嘘をついたことになるの?」

私は首を横に振った。

「僕、悪いやつだ」

旭は膝に顔をうずめていた。

「お前は何も悪くないだろう?」
そう言ってもまた、首を横に振るだけだ。

「旭、ごめんな。悪いのはお前じゃないよ、全部私が悪いんだよ」
「違う、違う!」

抱えた膝を握り締める小さな手。伏せた横顔がうずもれている。
涙声の旭が続けた。

「お母さんが悪くなくて、テロリストも悪くないなら、僕が悪いんだ!」

「旭、違うよ、悪いのは私だ!」

「聡さんは悪くないんだ、悪くない!」

「どうして!?私が、お前にきちんと話さなかった、それが一番悪いんだ」

「違う、違うもん……聡さんは、悪くない、僕の味方だから、僕の……お父さんだから」

「じゃあ、旭。お前は私の子供だから。悪くなんかないよ」


大きな目を目一杯広げて、旭は私を見上げた。
お父さんだから悪くない、それが、無性に嬉しかった。だから笑ってしまった。
旭がどれほど混乱したのか知れないのに、私は嬉しかった。

「ええと」
旭は言葉に詰まった。

「旭。誰も、悪くない」
小さな頭の柔らかい髪を何度もなでた。

「でも、……僕。あの事件で、たくさんの人が死んじゃって。
残された人の悲しい気持ちすごく分かる。僕も同じだと思ってたのに。
僕だけお父さんがいたんだ、生きてたんだ。

それ、嬉しいんだ。

他の、本当に大切な人が死んじゃった人たちに悪いって思うのに……嬉しいんだ。僕は悪い奴だ」



秋風が吹いた。
うつむいた向日葵が揺れて、足元の影も揺れる。

悪者がいないと正義が成り立たないかのように思うんだろう。

旭は憎む対象を持つことで自分を保ってきた。それは理想論で言えば正しい在り方ではない。けれど、否定することは出来ない。旭には生きていくために必要だった。

今、彼が幼いころから培ってきた正義ってものが崩壊した。

それはもしかしたら、大人になることに似ているのかもしれない。


私は迷わず我が子の肩を抱いた。


「いいかい、旭。家族でもお金でも、なんでも。誰かにあって、自分にはない。そうやって比べたり、羨ましいと感じたりすることから争いが起こるんだよ。お前だってつらいことがたくさん会ったろう?だから、嬉しいことがあったって何にも悪くない。すぐじゃなくてもいいから。お父さんが生きていたことを誇りに思ってほしいなぁ。胸張って、堂々と嬉しいと言ってほしい」


「私はお前がいてくれて、こんなに嬉しいんだから」





あとがきは続きから↓

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「ホンキは本当の勇気、ホンキは本当に好き、そういうこと」**バレンタイン短編



デパ地下。
目が回るくらい赤い色とピンクの色が交じり合って、たくさんの女の人がひしめいている。甘い匂いに僕はちょっとめまいがした。
明日は二月一四日。バレンタインデーなんだ。
だから、この場所は今、このデパートで一番暑苦しい。お婆さんも高校生くらいの女の人も小学生も。とにかく。女だらけ。そこに、僕が一人でいるのもちょっと場違いかもしれない。

僕は念入りに選んだ有名なブランドのチョコレートを一個一個指定して、小さい四角で仕切られた可愛い箱に詰めてもらっていた。少しパールっぽく光る白い箱は、清楚な感じでぴったりだと思った。
「真ん中のとこに、このピンクのハートのが入るようにしてください」
可愛く髪を二つに縛った店員さんがカウンターから身を乗り出して聞いている。
「センスいいわね。素敵。ふふ、本命チョコ?」
小学生だと思って、気軽に声をかけてくる。
プライバシーってヤツだと思うんだけど。でも、センスいいって褒められちゃったからなぁ。
「うん。そう」
「あれ?男の子?」

カウンターにぎりぎり目まで出る僕はうなずいた。
とたんに店員さんが笑い出しそうな顔をした。
「リボンはね、白いのとピンクのと二重で。シールのとこのお花はその白いスズランだよ」
聞いていないみたい。僕のこと目を丸くして見ていた。
仕方なく、僕はもう一度同じことを言わなきゃならなかった。付け足すことも忘れない。
「それと。僕、男だけど、チョコをあげたい人がいるんだ」



外はいい天気で、体育の先生の吹く笛がここまで聞こえた。校庭でマラソンをしている上級生がちいさな列になって流れていくのを、目で追っていた。
オイルヒーターの静かな温かさで、僕の顔は火照っている。
緊張しすぎてさっきまで痛かった胃も、渡してしまった今は少し治まってきていた。

目の前で、白とピンクのリボンが揺れる。
「睦(むつみ)くん、これ先生に?」
茉莉乃先生のふっくらした白いほっぺたが少し赤く見えた。
白い手でいつも僕の熱を測ってくれるように、僕の頭を撫でてくれた。
「うん。僕、先生にお世話になっているし」
「ふふ、バレンタインデーは女の子から渡すものなのに」
「好きだったら、逆でもいいでしょ?」
精一杯の殺し文句のつもり。先生は目を丸くした。ピンクに光る口元が僕の目を奪って離さない。
白状すると、心臓はがんばりすぎて、今にも止まっちゃうんじゃないかってくらいだ。椅子を持つ手も、それを離せば震えている。また、視線を校庭にそらして。

「僕、先生のこと本気なんだ」
言った!

恐る恐る、先生を見あげた。
ふと先生の目が優しく細くなった。可愛い。
「ありがとう。嬉しいなぁ。睦君とは一番の仲良しだものね」
仲良し!
その言葉と茉莉乃先生の笑顔で、僕はとりあえず満足だ。
あせっちゃいけないんだ。最初から結果を求めるのはダメなんだって、何かの本にあった。まずは、チョコでインパクトなんだ。

先生はいつものお薬を棚から出してくれた。その棚には、しっかり僕の名前がついていた。
卯月 睦(うづき むつみ)
何かの空き箱に白い紙を貼って、そこに綺麗な字で書かれている。僕の専用の薬が入っていた。
「はい。睦君はいろいろと考えすぎちゃうのね、だから、いつも胃が痛くなっちゃうのよ」
「僕、繊細だから」
いつもの口調に戻れて、僕はホッとしていた。先生もいつもみたいだ。
「ふふふ、自分で言うか」
「本当だもん」
「さ、教室に戻りなさい。沖山先生が心配するわ」
僕は口を尖らせた。
沖山は僕の担任。不細工、ガサツ。絵に描いたような体育教師。僕は嫌い。
「もう少し、ここにいる」
「だめよ。先生はこれから研修があるから。そばに居てあげられないし。一人じゃ寂しいでしょ」
なんだ。

仕方なく僕は冷やりとした廊下に出た。
扉を閉めて、振り返る。
学校で僕が一番長い時間を過ごす場所。保健室。
恋に目覚めてから五年目の、僕としては本気の恋だ。
今までのは間違いだった。
幼稚園の先生に憧れたときは僕がまだ、子供だった。小学校に入ってからのクラスの子は、ぜんぜんガキで相手にならない。見かけ可愛いだけじゃだめ。
やっぱり、大人で優しくて。茉莉乃先生みたいじゃなきゃ。僕は小学校に入って四年目にして、やっと大切な人を見つけたんだ。


教室に戻ると、もう五時間目の終わりごろで、担任の沖山先生が僕を見てにかっとでかい口で下品に笑った。
「睦、もういいのか」
「はい。すみませんでした」
返事をしながら僕は自分の席に戻る。机の上にバカとかなんか、クレヨンで書いてあった。いつものことだし犯人も分かるから僕はそっちを睨んでやった。
ちらちらこっちを振り向いていた「クラス一、無駄にデカイ竹中」が、目が合ったとたんにニヤって笑った。口の周りに給食に出たカレーがついてるぞ、恥ずかしいな。

思った通り。竹中は帰り道、校門で僕を待ち伏せしていて僕が無視して通り抜けると後を追いかけてきた。
竹中のバカなとこは、苛めるなら大勢でやればいいのに何故かいつも一人だってこと。バカだから友達少ないし。そう言うことだ。
「むつみ~、今日いいことあった?」
「ないよ、べつに。いつも通り」
「オレさぁ、桃花ちゃんにチョコもらったんだ」
それはちょっと意外。僕が立ち止まったせいで、ニヤニヤ顔の竹中が隣に並んだ。
走るのも逃げ出すみたいだからかっこ悪いし、仕方なく、僕は竹中と並んで歩く。
「お前は?」
「もらってないよ」
「一個も?誰からも?」
「チョコの数自慢するなんて、ガキだよ」
「へ、強がり言ってる!」
自分が優勢と思ったんだろう、竹中はほれほれと上着のポケットから赤いリボンをちらつかせて満足げだ。
でも長くは続かなかった。

僕の家の前まで来たら、竹中の顔色が変わった。
幼なじみの桃花が立っていた。隣の家に住んでいて、同じクラスなんだ。
竹中はもうずっと片思いしている。皆、知ってる。そのくせ、僕みたいに勇気が出せないんだ。だから、無駄にデカイって呼ばれるんだよ。

「おい、桃花、なんでここにいるんだよ」
竹中が桃花を睨みつける。
好きなくせに、どうして竹中はそう言う態度取るんだよ。だからバカだって。

桃花は長い茶色の髪を冷たい風に揺らして、真っ白い帽子の下のほっぺが少し赤い。
人気はある。
「うるさい!あたしの家は睦くんの隣、ここなんだから。いて悪いの?」
桃花も見掛けは悪くないのにどうして、そういう言葉遣いに育ったのかな。おばさんが僕の母さんと立ち話しながらため息混じりに嘆いているんだ。僕は知ってる。
桃花は僕の前まで来るとむっとした顔でそれを突き出した。
「はい!これ。睦くんの分」
僕の分、って言われると、大勢のうちの一人ってことだよね。
義理チョコにしては、ちょっと大きい気がするけど。

差し出した桃花の手は、冷たくなっていて。僕はぎゅっと握った。
ずっと僕を待ってたのかな。
「ありがと」
「あ、お前なにしてるんだよ!」
竹中が変に意識して僕の手を引き剥がした。
手をつなぐなんて毎日してるのに。登校する時だって一年生と手をつないで集団で歩く。
竹中は告白できないくせに、そんなところばかり意識しているんだ。
変なの。

でも、変なのは竹中だけじゃなかった。
桃花は泣きそうな顔していて。顔が真っ赤になっていた。
「え?」
僕が、悪かったのかな!
「ごめん」
手の中で、もらったチョコがカサと鳴る。
竹中が僕のこと怖い顔で睨んでいた。
でもそんなことより僕は、生まれて初めて桃花を泣かせたかもしれない自分に驚いていた。すごいぞ、僕。
理由は分からないけど。

「桃花、お前、睦になんかあげる必要ないだろ!」
「竹中君には関係ないんだから!」
桃花はますます泣きそうな顔で睨んだ。
その迫力に竹中も黙った。

「ねぇ、睦くん!他にチョコ、もらった?」
今度は桃花がチョコを持つ僕の手を、箱ごとギュって握り締めた。
強くて痛い。
「え、ううん」
あげた。

僕が首を横に振ると桃花は急にニコニコして機嫌を直した。
よかった、殴られるかと思った。
でも、手の中のチョコの箱はちょっとへこんでいた。
「じゃあ、明日朝一緒に学校に行こうね」
「うん。いいよ」
集団登校なんだ。いつも。わざわざ一緒にって、変。
桃花、分けわかんないこと言うんだな。


その夜、僕は枕を茉莉乃先生に見立てて、ぎゅっとして眠った。
初めてバレンタインデーってものを体感したんだ。
思い出してドキドキしていた。
枕の真っ白いカバーが、先生の白衣みたいだ。僕は気持ちよくてほっぺたをすりすりした。洗剤の匂いがちょっとして、花の香りに僕は嬉しくなる。
明日も茉莉乃先生の所に行くんだ。




二時間目が終わって、僕は黒板を拭き終わると沖山先生に言った。
「先生、お腹が痛いので保健室に行っていいですか」
冬なのに日に焼けた先生は無精ひげの残る顔を僕の顔に近づけた。
「睦、お前、オレの体育のときにいつも保健室だな」
「ええと。狙っているわけじゃないです」
運動嫌いなだけ。

「……茉莉乃先生に会いたいんだろ?昨日チョコあげたんだって?」
心臓が跳ね上がった!
何で知ってるんだ、こいつが。
「お前、あれ、告白だったんだろ」
顔が熱くなってくる。
告白だからって、なんていえば言い?
ハイなんて言えないし!
ちょうど先生のまん前の席の竹中が、バカなことを叫んだ。
「なに、睦って茉莉乃先生が好きなのか!」
クラス中がいっせいに僕のほうを見た。

「本当?ねえ!」
桃花が駆け寄って、まるでそれを合図にするように、みんなが席を立って僕と先生の周りに集まった。
「おいおい、お前ら、授業でもそんなに早く集まらないくせに」
「本当なの?睦くん」
僕は後ろから頭を触られたり背中を押されたり。
うるさいな!
「僕が誰を好きだっていいだろ!僕はホンキなんだ!」
振り向いて桃花の手を振り解いた。
「茉莉乃先生、可愛いし!大人なんだ」
言ってやった。スッキリした。

僕はお前らと違うんだ、大人とホンキの恋愛するんだ。
シンと静まった教室で、一番最初に笑い出したのは沖山先生だった。
「ぶははは!お前にチャンスがあるなら、オレにだってあるだろ」
「先生じゃ無理だよ」
絶対無理。地球がひっくり返っても、マンモスが生きて発見されたとしても。
「無理かどうか……俺と勝負してみるか?」
「そんなのバカのやることだ」
騒ぎ立てる周りの奴らがうるさくて、声が通らない。
本当にみんな子供なんだから。
「弱虫だなぁ」
沖山は太い眉毛をハの字にして、いかにも可哀相って顔で僕を見た。
先生の一言は広がって竹中も言った。
「ほんと、睦は弱虫だな!そんなよわっちいの、茉莉乃先生は嫌いだぜ」
「仕方ないでしょ、睦くんはちっちゃいんだから」
桃花、それ、ひどいかも。

にらみつけた僕に先生がまた言った。
「ほら、睦、お前は体育休め、茉莉乃先生のとこ行って来い」
追い払うみたいに手をひらひらさせた。
言われなくても行くつもりだから。


一階の端っこ。白い扉を開けると、茉莉乃先生の可愛い顔が笑ってくれる。
やっぱりここが一番好き。

「はい、いいわよ」
そう言って、茉莉乃先生は体温計を受け取った。
「うん、七度五分ね。少し寝ていなさい」
「ねえ、茉莉乃先生。チョコの話、沖山先生にしたの?」
硬いけど白いシーツが先生と同じ香りのベッドに横になる。
「あら、どうして?」
先生は薬と水を持って寝ている僕の横に立った。テーブルに置かれるそれを横目で見ながら、僕は先生の白い手に手を伸ばす。
綺麗な桃色の爪。
でも、やっぱり恥ずかしくて薬をつかんだ。

先生は二十七歳だって聞いた。こんなに可愛くて綺麗なのに、結婚していないのは僕のために運命が悪戯したんだ。
「沖山先生がね、僕と勝負するなんて言ったんだ」
バカだ。
「勝負?なあにそれ?」
「茉莉乃先生をかけて」
額に冷たい先生の手が乗せられた。白衣の袖で先生の顔は見えなかった。
「勝負するの?」
「え?あ、ええと。僕はそんなことしないんだ」
弱虫、竹中の声がよみがえった。
弱虫じゃない。
茉莉乃先生は、弱虫嫌いかな。
「そうよね、睦くんは、ね」

睦君はね、って何?

「なんだかドキドキしちゃうわね。嬉しいなぁそれ」
え?嬉しい?
僕は飛び起きた。
先生は少し頬を赤くして、ドラマのヒロインみたいね、って言って照れくさそうに笑っていた。
胸の前で合わせる白い手。その仕草が可愛い。

僕が勝負したら、茉莉乃先生は喜んでくれるかな。
チョコの次は、先生のために勝つ、それ、かっこいいかな。


その日の夕方、早引きした僕に桃花がプリントと連絡帳を持ってきてくれた。
母さんが仕事に出かけていたから、僕は玄関でそれを受け取った。
「あのね、ホンキなの?」
そう言った桃花は手を後ろに回してもじもじしていた。
「何が?」
「茉莉乃先生のこと」
「悪い?」
桃花は玄関に立つ僕のつま先を見ているみたいだ。珍しく、弱気な感じ。
いつも、僕のことばしばし叩いて、がはがは男みたいに笑うくせに。
「だって、相手は大人だよ?おかしい」
「僕、子供に興味ないから」
「睦くんも子供じゃない」
「僕は皆と違う。子供みたいに遊ばないんだ。大人なんだ」
「一緒じゃないのは、一緒に遊べないのは、睦くんが病気だからでしょ?大人だからじゃないもん」

一瞬、僕は。
返事ができなかった。

桃花が視線をそらした。
「違うよ!帰って!」
知らない。おかしいのは桃花だ。恋愛はホンキでやるんだ。それ、普通だもん。
僕は茉莉乃先生が好きなんだ。
「帰ってよ!桃花なんか嫌い」
僕がそう言うと桃花は目を吊り上げた。紺色の制服の袖が僕を叩こうと、上に上がる。
僕は一歩後ろに下がった。

くすん。
あげた手はそのまま桃花の顔を覆った。
泣き出して、桃花は帰って行った。

ホンキの何がいけないんだ。
僕のためにも、茉莉乃先生のためにも。僕は負けないぞ。勝負して桃花にも認めさせる。沖山にも竹中にも笑わせないんだ。
僕はもう一度、真っ白な枕を抱きしめた。
でもなぜか、今日のそれは湿っていた。
桃花の言葉を思い出して。真っ白なそれに、しみができていた。




次の日。四時間目の体育。
僕は、久しぶりに体操着に着替えた。竹中がからかったけど、僕はホンキなんだ。
桃花は朝から僕のことを無視している。

運動場は風が強かった。半そでの体操着、半ズボン。でも震えてる場合じゃない。
今日は寒いからドッジボールだ、と沖山先生が言った。
「睦、お前つらかったら、見学していていいんだぞ」
「平気です」
負けないんだ。
「先生こそ、歳なんだから、見学していてもいいですよ」
僕の言葉に竹中が笑った。
「睦、お前どうしちゃったんだ?何やる気だよ」
「先生、僕、先生なんかに負けない」

ボールを持って、先生にまっすぐ人差し指を向けた。
変な顔していた先生も、意味が分かったみたいでにやっと笑った。
「ようし、睦、負けたらこれから毎回、体育だけは出てこいよ」
「じゃあ、僕が勝ったら茉莉乃先生に近づくな」
クラス中が笑った。
バカにすればいい。みんな、ホンキの意味わかんないんだ。
子供なんだから。

「じゃあ、ドッジボールだからな、皆は外野に出ていろ。外野は狙うのはなし。先生と睦、一対一だ」
僕は頷いた。
「先に、当てられた方が負け」
皆が騒ぎ立てる中、それは始まった。

四角い中に、センターラインを挟んで。
僕と沖山先生。
僕の投げたボールを、先生が難なく受け止めた。

先生の体からするとオレンジ色のボールは小さく見えた。
片手で掴んで。
威嚇するように、にやっと笑いながら僕に向かって投げる。

僕は一番後ろのほうに下がって、それを避けた。
後ろの外野は竹中だ。後ろから当てられることはないけど、先生へのパスを横取りしないと僕にチャンスはない。
また、沖山が投げてくる。
僕は右に避ける。

コートを三往復して、僕はもう、息が切れてきた。
「お前、勝てるわけないじゃん」
転がったボールを拾って戻ってきた竹中が後ろで怒鳴った。怒ったように僕のこと睨む。
「チビで病弱のくせに」
「無駄にでかい竹中とは違うよ」
僕は竹中が手に持っているボールを、奪い取った。
「うわ、お前卑怯だ」
「ルール違反じゃないよ。線から出てないし」
僕はボールをしっかり握り締めて、沖山の方に走る。
「何してるの!」

透き通った声に僕は止まった。
茉莉乃先生だった。桃花が連れて来たんだろう、白衣の隣で口をぎゅっと閉じて僕のことを睨んでいた。
「沖山先生も止めてください」
茉莉乃先生に可愛い顔で言われて、沖山は顔を赤くした。
「茉莉乃先生、僕、沖山先生と勝負するんだ!ホンキなんだ」

そうだよ、誰にもバカになんかさせない。
僕が茉莉乃先生を思う気持ちはホンモノなんだ。
ホンモノを守るためなら、僕はがんばれるんだ。
「茉莉乃先生、見ていて!」
茉莉乃先生に見とれているバカ教師に僕は思いっきりボールを投げた。でも、それは、変な風になって届かない。
「沖山先生!」茉莉乃先生が怒鳴った。
運は僕に味方している。
バウンドしたボールを沖山は取り損ねた。

沖山先生はボールを股間に当てちゃって、うって、変な声を出した。
キャー、と女子が笑いながら騒いで、男子も腹を抱えた。
沖山は地面についていた膝を払って、真っ赤な顔をして立ち上がった。
でも、まだ、ちょっと腰をかがめた変な体勢だ。

転がったボールが向こうの外野に届いた。
男子が僕にボールをパスしてくれた。
でも、それは。
途中でジャンプした沖山に取られてしまった。

「睦…ホンキでいいんだよな」
そう言って、赤い顔をしたままの沖山は僕に向かって突進してきた。
桃花が悲鳴を上げた。
「睦くん、危ない!」
逃げる暇がなかった。
僕はパスを受けようとコートの真ん中にいた。間近で沖山の剛速球を腹に受けた。
ぐんと胃が押されて、息ができなくなった。でも、でも落としちゃダメだ。
後ろにしりもちをついた。そのまま転がって埃まみれになったけど、僕はしっかりボールを抱えていた。
起き上がると、桃花が叫んだ。
「がんばれ!」
あいつ、今日僕のことを無視していたのに。
「睦くん、負けるな」
茉莉乃先生だ。
そっちを見て僕はにやっと笑った。余裕を見せなきゃ。

ぱんぱんと背中を軽く叩かれた。
振り向くと竹中だった。背中の埃をはらってくれた。
「負けるな」
竹中の一言はちゃんと、僕に聞こえた。

もう一度先生を狙う。
今度は届いたけど受け止められた。
沖山先生は片手でボールを持って、投げる振りをしてフェイントだ。
僕はそれを避けようとしてまた、転んだ。
ボールが強すぎた。
竹中が受け取り損ねて弾いたボールは、僕の横に転がってきた。
すぐに起き上がって、それを取るとまた走る。

風に砂埃が舞った。
僕がボールを投げた瞬間、それは沖山の視界を奪った。
慌ててボールを避けようとして、すべるようにして転んだ。向こうの外野が大急ぎで僕にボールを投げる。
「睦、チャンスだ!」
「行けー!」
「睦くん!」

オレンジのボールを。
僕は振りかぶった。

そのまま。
膝をついた。

「睦くん」
目の前に白い、あれ?

持っていたはずのボール。
白衣越しにオレンジ色が目の前の地面に転がっていた。砂埃かな、僕はうまく見えなくて何度も瞬きした。
「よくがんばったわよ、ね、もう終わり」
そう、僕を抱きしめている茉莉乃先生が言った。気付くと僕は皆に囲まれていた。
「お前、やるじゃん」
竹中だ。
「かっこよかったよ」
桃花がまた、泣いてる。



僕は保健室で目が覚めた。
いつもの白いシーツ。枕。
夢だったのかな。あんなに、がんばったのに、夢だったら損した気分だ。

「睦くんの病気は無理させちゃいけないんですよ?聞いてるんですか、沖山先生」
白いカーテンの向こうで、茉莉乃先生の声がした。
うーとか何とかつぶやくだけで沖山はやけに気弱な感じだ。
「軽い運動は必要だけど、あれはやりすぎよ」
「それは分かっているさ。だが病気だからって特別扱いしていたら、アイツが可哀想だ。アイツはホンキで君のために勝負しようとしたんだ。ホンキで応えてやらなきゃ男じゃない」
「もう、すぐそれなんだから。私には男の世界は分かりません」

僕は枕を抱きしめていた。
「茉莉乃先生」
沖山が立ち上がる音がした。
あれ?
「この間の返事、聞かせてほしい」
なんだ、何が起こってる?
僕はそっとベッドから降りた。
カーテンの隙間から沖山の背中が見えた。茉莉乃先生はその正面で少しうつむいて。
それから顔を上げた。
「今日の勝負、俺だってホンキだった」
そう言った沖山に、茉莉乃先生はくすっと笑った。
「あのままじゃ、負けてましたね」
「負けてない」
「負けても勝っても同じですよ。お受けします。本当に子供みたいなんだから」
笑った茉莉乃先生は、今まで僕が見た中で一番可愛かった。
沖山が、茉莉の先生を抱きしめた!

「先生!」
僕はカーテンに半分隠れながら、それでも黙っていられなくなって叫んだ。

振り向いた沖山はハズカシそうに、でも顔をくしゃくしゃにして笑った。
「俺たちな、結婚するんだ」
「ごめんね、睦くん」
「僕、ホンキだったのに!」
「本気なのは、分かってるよ。今日、かっこよかったよ」
慰める茉莉乃先生の白い手が、僕の頭をなでた。
「でも、もう無茶なことはやらないでね。心配したんだから」
反則だ。
そんな、可愛い顔で慰められたら。
「泣かないの。先生と一番の仲良しでしょ?」
そんな、大きな目に溢れそうなキラキラを見つけちゃったら。

僕は涙を止められない。

無理やり何かを詰め込んだみたいに胸が痛い。
先生の白衣が柔らかくて。昨日の枕カバーみたいに僕の涙で冷たくなった。


その夜。
病院から帰って、寝ている僕に竹中と桃花が会いに来た。

「お前、大丈夫か?」
竹中がやけに神妙な顔をしていた。
「平気だよ」
「あの、あのね」
桃花が僕の手を取った。
「ちびとか、言ってごめんね」
桃花の励ましはちょっとずれていて、変。
でも泣きはらした後の僕は、桃花の目が赤いのが眩しくて何度も瞬きした。
またちょっと胸が痛い。

「お前、泣くなよ!オレ今日、お前のこと見直した。本当にかっこよかったぜ。明日からドッジボール特訓してやるよ」
竹中がお節介なことを言い出した。
「明日の朝、一緒に登校しようよ」
桃花もまた変なことを言う。だから、集団登校だよ?
「ね、約束」
僕が頷くと桃花の顔は優しくなった。
変なの。
それとも、知ってるのかな。
いつか、病気がひどくなったら。一緒に登校できなくなるのを。

人生最初の僕のホンキの恋愛は終わった。
でもまた。いつか、本当の運命の相手と恋するんだ。

桃花が僕の手を握った。
「あのね、私ね……」


テーマ小説「恐竜赤ちゃん」

とうとう、この日がやってきました…
企画を始めたのが6月半ば…それから約1ヶ月。
参加してくださった皆さんの作品が、本当に素晴らしくて!
ものすご~くプレッシャーを感じまして…
これほど、何回も推敲した作品はない、というくらい。
何度も何度も考えました。

とにかく。
読んでみてください。

ちょっと。
長めです…(そこが一番不安…^^;)
続きからどうぞ♪

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最後のプレゼント:前編

「なんと、らんららが童話を書きました…
子どもの頃、読んでもらった物語。
毎晩、楽しみにしていました。

そんなわくわくがお届けできたら♪

短編ですが、記事としては長いので前編と後編に分けてみました。
さらっと読めると思います♪  by らんらら」


『最後のプレゼント』



大好きだって、告白するの。
マトリンはそう心に決めてちらりと相手を見つめます。

窓からの昼下がりの光の中、金色の髪がきらきらして。
その横顔。優しい口もと、長いまつげ。
胸がとくとくして。
息苦しくて。

手に持つ本で、顔を隠します。


マトリンはトマトの嫌いな女の子。今年、十歳になります。
トマトは嫌いだけれど12月は大好きです。大好きなクリス兄さんがクリスマス休暇で帰って来るからです。
隣に住んでいた従兄弟のクリス兄さんは大学生になって遠い街に行ってしまいました。小さい頃から遊んでくれた優しいお兄さんが遠くに行ってしまった日には、マトリンはこっそりたくさん泣きました。

久しぶりに会ったマトリンの大好きなクリス兄さんは、随分大人っぽくなっていました。自分で買ったという赤い小さな車から降りたとき、マトリンに手を振ってくれました。着ていた白いコートが風にふわりと揺れました。
マトリンが密かにその大きな背中や、逞しい手に胸をときめかせたことをクリス兄さんは知りません。かけよって抱きしめたかったのに、恥ずかしくて出来なかったことも。


「マトリン、マトリン」
ママの呼ぶ声。
「ママが呼んでいるよ?いいのかい?」
「どうせお手伝いしなさいって言うの。だからいいの」

マトリンはクリス兄さんのお部屋の大きなベッドにごろんと横になって、たくさんあるクリス兄さんの本からお気に入りの物語を引っ張り出して読んでいました。
階下ではマトリンのママと、そのお姉さんのクリスのママが、クリスマスの準備のためにジンジャークッキーを焼いています。香ばしいバターの焼ける匂いにマトリンは長い金色の髪をシーツに泳がせて何度も寝返りを打っています。
そろそろ、三時のお茶の時間。

マトリンはイスに座って本を読んでいるクリスに、ふと思い出したように言いました。
いえ、本当はずっと言いたかったのだけれど、どきどきしてしまうので、なるべくそれを顔に出さないようにとタイミングを計っていました。
ゴロゴロしたのもクッキーの香りのせいじゃなくて、早く言わなくちゃとあせっていたのです。だって、クリスマスの夜はどんどん近づいてきます。

けれど、静かな横顔のクリスは気付かない様子で、真剣に何かを読んでいました。
「あのね。クリス兄さん」
クリスが本から顔を上げました。

その緑の瞳に見つめられてドキドキするのは何もマトリンだけではありません。だって、ママでさえステキな青年になったわねと頬を染めていたくらいなのです。
「クリスマスの夜、一緒に踊ってね」
言いました、ついにマトリンは言いました。いえ、目標はもう少し高かったのだけど、今はまだそれが精一杯。
例年、クリスマスはマトリンの家に伯母さんや伯父さん、少し離れた町に住むお祖母ちゃんとたくさんの従兄弟が集るのです。リビングのソファーやクッションは取り払われて中央にクリスマスツリー。すでに準備は整っています。毎年必ず誰かがダンスを始めて、マトリンも小さな頃から伯父さんのリードでくるくる回って喝采を受けたものです。親戚の中で一番年下のマトリンは家族のお姫さま。
ここ数年は少し恥ずかしくて踊っていなかったけれど、今年はクリスがいるのです。
新しく作ってもらったフワフワしたワンピースを着ると心に決めています。
そして。
一緒に踊って、マトリンの手を引いてくれるのはもちろんクリス兄さん。他には考えられません。

けれど。次にクリスが言った言葉にマトリンはひどく落胆しました。
「ごめんね。マトリン。僕はクリスマスの三日前からバイトで忙しくてね。二十六日に帰ってくるんだ。だから、今年はパーティーにも出られないんだよ」
優しく笑って立ち上がると、ベッドに起き上がっていたマトリンの頭をなでてくれました。
マトリンがよほど悲しい顔をしていたのでしょう、大きな手で抱きしめてくれました。

「よしよし」
「やだ!私子供じゃないわ!」

マトリンは熱くなった頬を押さえて、クリスを見上げました。
「アルバイトなんて必要ないのに」
八つ当たりのマトリンに、やっぱり子供だとくすりと笑って、青年はクローゼットから何かを引っ張り出しました。
それは、真っ白いフワフワした毛皮のついた、真っ赤な。そう。
この季節にあちこちで見る。サンタクロースの衣装でした。

「ほら、これを着てお仕事なんだよ。マトリンは兄妹や従兄弟の中で一番末っ子だから、サンタクロースのこと好きだろう?だから打ち明けたんだよ」
「ケーキ屋さんの呼び込みなの?それとも、デパートのビラ配り?」

マトリンは口を尖らせたまま両腕を組んで胸をそらせます。マトリンが喜んでくれると思ったのでしょう、クリスは少し残念そうな顔をしました。

マトリンはそれどころではありません。
せっかく勇気を振り絞って、ダンスの申し込みをしたのに。

「私、クリス兄さんがそんな格好になるのは嫌だわ」
「大切な仕事なんだよ。子供たちにプレゼントを配るんだ」
「分かった!教会のボランティアね!?優しいクリス兄さんらしいけれど、家族を犠牲にしてまですることじゃないと思うの!せっかく、久しぶりに帰ってきたのに!会えなくてとっても寂しかったのに」
「寂しかった?」
そこでマトリンは慌てて口を押さえました。

くくく、とクリスは響く声で笑います。
「マトリン、僕はお仕事でサンタクロースになるんだよ」

そんなの分かってるわよと頬を膨らめるマトリンに、クリスは笑いながら続けます。
「ほら、サンタクロースは世界に一人きりって言うわけじゃないだろ?僕はこのあたりを任されたんだ。三年間ずっと、サンタクロースになりたいって申請してやっとなれたんだよ」
「そんなにステキなお仕事なの?クリスマスパーティーを諦めて?皆、来るのよ?クリスにだってたくさんのプレゼントが届くのに」
「大切なお仕事だからね。ほら、似合うだろ?」
そういってクリスは髭を顔に当てて見せました。優しい瞳とすんなりした顎にそれはなぜか似合っていました。

ひげの下の笑顔にマトリンはまたドキドキして、じっと見詰めていられなくなってしまいました。
「じゃあ、サンタさん、マトリンにもプレゼントくれるの?」
「そうだよ、マトリンの寝ている隙にそっと入ってきて」
マトリンはドキドキがひどくなって胸を両手で押さえました。
大好きなクリス兄さんがたとえサンタのお仕事のためだといっても、そんな風に会いに来てくれるのはとても嬉しい。

「わかったわ!私、イヴの日は、絶対に寝ないで待ってる」

あははは。

クリスは笑いました。
「それじゃ、サンタクロースが困るじゃないか」
クリスがいたずらに白い髭をマトリンのほっぺたに当てました。
それはくすぐったくて、少し甘い蜜の香りがしました。


クリスマスの二十四日。本当にクリスはお出かけしたままで。
そのためにマトリンは誰に誘われても踊ろうとしませんでした。せっかくステキなワンピースなのに。今日はお気に入りのブルーのリボンで決めたのに。
壁際においた自分のイスに腰掛けて、みんなの様子を眺めていました。
でも夜中には。
きっと、クリス兄さんが来てくれる。

そうだ、せっかくおめかししたんだから、このまま待っていようかな。

「マトリン、可愛いドレスだね、一緒に踊ろうよ」
マトリンの三つ上の従兄弟のトーマスがマトリンの手を取って引っ張ります。
「いいの、私、今日は踊らないの。階段で足をひねって少し痛いから」
「なんだ、そうか。じゃあ、チキンを取ってきてあげるね」
優しいトーマスを見送って、マトリンは次に近寄ってきた伯父さんに笑いかけます。
「おや、マトリン。今日はやけに大人しいじゃないか。そうしているとお母さんにそっくりだね」
「やめてよ、伯父さん、ママには似たくないの」
ははは。おじさんは赤くなった顔いっぱいに笑顔になって笑いました。
「ほら、そういう言い方も、そっくりなんだ」
マトリンは大いに気分が悪くなって、ぷくっと頬を膨らめました。
おじさんはそれを見て余計に楽しそうで、手に持っていたシャンパンのグラスが空になると五杯目を飲もうとテーブルに戻っていきました。

ママは大嫌い。
マトリンはイスの上で膝を抱えました。

だって、パパを連れて来てくれない。

マトリンのママとパパは離婚して、今は離れ離れで暮らしています。
パパに会いたいのに、ママの許可がないと会いに来られないのです。

私は会いたいのに。パパも私に会いたがっているのに。
それをママが決めるのはおかしいわ。

マトリンにはそれが納得できないのでした。


その夜。
階下ではまだ大人たちが楽しそうに笑っているけれど、マトリンは一番小さいこともあって、二階の自分のお部屋へと上がっていきました。
いつものクリスマスなら、一人先に寝るのはつまらないといって駄々をこねるマトリンですが、今日は違います。
「あらあら、珍しくいい子なのね。いい子にはきっと、サンタさんが素敵なものをプレゼントしてくれるわよ」
ママのこの言葉はマトリンを満足させました。そう、クリスのサンタクロースが来てくれるのです。プレゼントよりそれが嬉しいのです。

そうよ、そのために。クリスに会うために早くベッドに入るんだから。


そうして、マトリンはいつクリスが来てもいいように、ふわふわのワンピースのまま、ベッドにもぐりこんで部屋の明かりを消しました。空はお月様が出ていて、窓からさす灯りは、青く白く、床を照らし出しています。
マトリンはじっと目をつぶっていました。
トーマスが母親鳥のようにたくさんの食べ物を運んでくれたので、マトリンはお腹がいっぱいで、気をつけないと本当に眠ってしまいそうです。
ふっと頭が真っ白になりかかるたびに、だめだめ、と小さく頭を振りました。

何度目か、そんな風にしたときです。
カタンと音がしました。

クリスかな。
マトリンはそっと布団の中の手を握り締めました。
ドキドキして、この音がクリスに聞こえちゃうんじゃないかと本気で心配していました。

がたん、がさがさ。
誰かが。窓から入ってきました。

暖炉がないから、窓なんだな。危ないお仕事だな。

そんな風に思ったとき、ふわりと夜の風と一緒に甘い香り、そう、あの白い髭の香りがしたのです。

クリスだわ!

そこで、マトリンは目を開けました。


後編へ続く…

最後のプレゼント:後編

=クリス兄さんのサンタクロースを待っていたマトリン。さあ、誰かがお部屋に入ってきました=

「わ!」
驚きました。

すぐ目の前に覗き込むサンタクロース。
月明かりの中でも、ぼんやり白く光っていて、優しい緑の瞳が笑っています。
「クリス兄さん!」
ぎゅっと抱きついてしまいました。
だって、だって。
ずっと待っていたんだから!

「マトリン、いい子にしていたかい?」
マトリンは大きく頷きました。
「じゃあ、プレゼント、何がいいかな」
「プレゼントはいいの、クリス兄さんとダンスがしたいの」
サンタクロースはおやおや、と笑って、マトリンの手を引くと床に立たせました。
不思議と手をつないでいるとマトリンも同じように光っているみたいです。窓が開いているのに全然寒くない。
床もひんやりしないのです。

「ね、踊りましょ」

けれどクリス兄さんは困ったように首を傾げました。
「今夜は忙しいんだよ。困ったな」
「じゃあ、一緒に行くわ」
「お仕事だから、小さなマトリンには難しいよ」
「大丈夫!だって、プレゼントを配るだけでしょう?それに、私もときどき窓から出て、屋根を伝って隣のお部屋へ入ったりするの。得意なのよ」
「大変だよ?」
「平気だもの!」
クリス兄さんは笑って、じゃあ、お手伝いしてもらおうかなと言ってマトリンに着ていた赤いマントを付けてくれました。

それは温かくて、優しい甘い香りがして。
それから、ちょうどマトリンが着ていた真っ白なワンピースにとっても似合って可愛らしかったのです。嬉しくなってマトリンはクリス兄さんの後について、窓の外に足を踏み出しました。

「おっと、忘れちゃいけないね、ほら、これをはいて」
裸足だったので、クリス兄さんが担いでいた白い袋から、赤茶色の上質なブーツを出してくれました。
誰かへのプレゼントなの、と尋ねるとクリス兄さんは小さくウインクしました。


屋根の上にはうっすら白い雪が積もっています。いつの間にか降っていたのです。マトリンは気付かなかったので、真っ白に見える街並みを嬉しそうに眺めます。
「さ、マトリン、急がないとね。まずはほら、隣の窓からトーマスに届けるんだよ」
「そうね、あのね、今日トーマスはとっても優しかったの。親切にしてくれたのよ」
「そうだね、じゃあ、マトリンが届けてみるかい?」
マトリンは少し緊張しながら頷くと、クリス兄さんが開いてくれた窓から、とんと降り立ちました。

部屋の中は薄暗くて。マトリンは床に自分の影が映るのを不思議な気分で見ていました。

ぐっすり眠っているトーマスの枕元に、マトリンはクリスが渡してくれたプレゼントの箱をそっとおきました。それはトーマスが前からほしがっていた飛行機みたいでした。
「メリークリスマス、今日はありがとう」
そう小さく挨拶して、マトリンは頬に軽く口付けをしました。
「むにゃ」
トーマスは眠ったまま嬉しそうに微笑みました。
そのまま寝返りを打って、お布団を抱きかかえるようにして背を向けてしまいました。

窓から外に出ると、クリス兄さんが待っていました。
「さて、降りなきゃいけないね。おいで」
そう言ってマトリンの手をとります。

足元はもう屋根の一番端。雪も積もっているし、なれないブーツでマトリンは怖くなりました。月明かりで雪は青く光っています。
いつの間にかクリス兄さんの手をぎゅっと握り締めています。

小さく見える庭には、飾ってあるスノーマンのお人形が見えます。人形に雪が積もって本物のスノーマンだわ、それをクリス兄さんに報告しようとした時です。

お兄さんは小さな口笛を吹きました。
音もなくふわりと。
影がマトリンを覆います。何かが月明かりをさえぎったのです。足元ばかり見ていたマトリンは怖いのも忘れて空を見上げます。

それは、大きなトナカイでした。
マトリンは本物の馬を見たことがありましたがそれに似ていると思いました。もっと細くて小さなものを想像していたのに、それはとっても大きいのです。見上げないと視線が合いません。馬よりは細い口が二カッと開いたかと思うと白い息が風に広がります。

「今、ねえ、今笑った!」
「気のいい奴だからね」
クリス兄さんの言葉に応えるようにトナカイはツヤツヤした枝のような角を傾けて、クリス兄さんの肩に擦り付けています。

「よしよし、甘えているんだよ」
「すごい!」
「驚いた?」
「うん、素敵、素敵!」

マトリンもそっとトナカイの頬に手を伸ばします。マトリンが触るまでじっと待っていてくれたようです。さらりと温かい。
マトリンが嬉しくなって笑うと、トナカイもまたにかっと口を広げます。
そこでマトリンは気付きました。
トナカイは宙に浮いていました。小さな金色のそりを後ろにつけて、そこにはまだたくさんの白い袋が乗っています。
これは夢かもしれない。
マトリンは思い出しました。

サンタクロースなんていないのに、こんな夢を見ていて、私ったら。寝ているんだわ。
どうしよう、今クリス兄さんが来たら会えない。

「どうしたの?」
サンタクロース、夢の中のクリス兄さんはにっこり笑ってマトリンの手を引きます。
「大丈夫だよ、ほら、おいで」
「あのね、今は夢の中なの?」
マトリンはふわりと抱き上げられて、気が付けばトナカイの背にクリス兄さんのサンタクロースと一緒に乗っています。
「そう思うのかい?」
穏やかに笑うクリス兄さんは金色の前髪をゆらりと夜風に揺らします。綺麗な緑の瞳。見つめられるとドキドキしちゃう、それは夢でも同じだわ。
マトリンは迷いました。

夢でも、クリス兄さんに会えるなら、ううん。

夢なら、何を言っても、何をしても大丈夫なのかもしれない。
それにこうしてサンタクロースになり切って二人きりでクリスマスの夜をトナカイでデートするのも素敵。
本当じゃなくてもすごく素敵な夢だわ!

マトリンは首を大きく振って、後ろから支えてくれるクリス兄さんにそっと背中を預けます。温かい、とくとくした鼓動が聞こえるような気がします。


ピピー!!
ちょうど、トナカイが二人を乗せて静かに地面に降り立った時でした。
何処からか甲高い笛の音がしました。

「こらー!」
背後から怒鳴る声。
見ると黒い人影がマトリンの家の前の通りを走ってきます。どうやら警官のようです。

「いけない」
クリス兄さんはトナカイの手綱をぎゅと引きます。
トナカイはクンと小さく鳴いて走り出しました。
「なあに?どうして追いかけてくるの?」
「この頃は物騒だからね、泥棒と間違えられるんだ」
「大丈夫よ、ちゃんとサンタクロースだって分かれば許してくれるわ」
けれどもトナカイは止まらずに走り続けます。

そのうち、サイレンが鳴り出しました。パトカーです。
それはだんだんと近づいてくるみたいで、マトリンは後ろを振り向きましたが、背中をぴったりと支えてくれるクリス兄さんの大きな肩で見えません。
「掴まったらダメなんだよ、マトリン。僕には時間がないんだ。プレゼントを配ってしまわなきゃいけないから」
「なんだか、盗賊とお姫様みたい」
くくく、と背中でクリス兄さんが笑ったのを感じました。

まだサイレンは追いかけてきます。
二人を乗せたトナカイは少し重たそうで、一生懸命走っています。遅い時間だからもう通りに人はほとんどいません。

「そこの怪しい奴、止まりなさい!」
ついに、警官の叫ぶスピーカーの声が聞こえるほどになりました。

クリスは、ますますトナカイを速く走らせます。蹄が雪を蹴り上げ、後ろのそりは右に左にとゆらゆらして。トナカイは少し疲れたように白い息をたくさん吐き出しています。

「頑張って!」

マトリンがその頭をなでてあげると、大きな真っ黒な瞳がくるりと動きます。長いまつげには霜が凍り付いてキラキラ光る。瞬きと同時にきらりんと星のような氷の欠片が風に流れていきました。

ビルやアパートの立ち並ぶ駅の近くまで来ると、ぐんと曲がって、狭い路地に入りました。ここなら車は追ってこられません。
「待てー!」
パトカーから降りた警官が、走ってきたようですが、そんな速さでは追いつきません。
「えへへ、やったね!」
マトリンがぎゅっとトナカイの首に抱きつきました。
そのときふわりとマトリンの被っていたフードが風に飛んで、金色の長い髪が広がります。ちょうど、パトカーのサイレンの音や警官の声で家々の窓から人が顔を覗かせます。

「サンタクロースだ!」
頭上のどこかで小さな男の子の声がしました。

「困ったな」
クリスは狭い路地でトナカイを歩かせながら、後ろを振り向きます。
「子供に見られるとサンタクロース失格なんだ。せっかく採用してもらったのに」
「サンタクロースでいられなくなるの?」
「そうだよ」
「空を飛んだら?」
「もっと目立ってしまうだろう?」
「じゃあ公園で」
人のいないところと考えて言いかけて、マトリンはいい事を思いつきました。
「ね、お家に帰りましょう?温かいし、誰にも見つからないわ。だって、クリスのおうちだもの、サンタクロースのクリスがいたっておかしくないでしょ?きっと皆喜ぶわ!」

クリスはそこでトナカイを止めました。
街の路地裏。薄暗いビルの影に、小さな青白い街灯の下。ささ、と猫らしい陰がどこかに隠れました。
ひらりと飛び降りると、マトリンに手を差し伸べます。
嫌な予感。
「私だけ置いて行っちゃうんでしょ?いやよ、一緒に行くんだから」
トナカイの首にしがみつくマトリンの背を、クリスは優しくなでました。
「違うんだよ、マトリン。トナカイは目立つからね、ここからは歩いていくよ。また必要になったらいつでも呼べるからね」
温かいトナカイの背中から見つめると、丁度同じ高さにあるクリス兄さんの瞳が優しく笑いました。
「ね、お家に帰りましょ」
こんな風に誰かに追いかけられるし隠れなきゃならないし、高いところにも登らなきゃいけないし。それに、パーティーにも出られない。
「サンタクロースは大変だわ。危ないわ」

クリス兄さんはマトリンの髪をそっとなでました。
「さ、降りて」
仕方なくマトリンは引きずられるように硬い地面に降り立ちます。
「クリス兄さん、もう帰りましょうよ」
マトリンは拗ねたように足元を見つめます。クリス兄さんの足元にはたくさんの白い袋が置かれています。振り向けば、いつの間にかトナカイは姿を消していました。

「ね、マトリン。わかってほしいんだ。僕はサンタクロースの仕事が大好きなんだよ。みんなが待っているだろう?マトリンのように、ベッドの中で今か今かと待っている子供たちが大勢いるんだ」
「なんだか、嫌だわ。クリス兄さんはマトリンだけのサンタクロースでいてほしいもの」
わがままだと分かっています。
それでも、これは夢なんだから。言いたいこと言っていいんだとマトリンは思いました。
だから、クリスの真っ赤な服をしっかり抱きしめています。
「マトリン、いい子でないとそばにいられないんだ」
「え?」
ふわりと風が吹いて、その冷たさにマトリンは驚きました。
さっきまで寒さなんて感じなかったのに。

「待って!」
目の前のクリス兄さんが薄くなってしまったようなのです。
赤い色は向こうの雪が透けて見えています。

消えちゃう?私が悪い子だと消えちゃうの!?
まだまだ、この素敵な夢を見ていたい。

「やだ!ごめんなさい!私もお手伝いするわ!だから、ね!消えないで。まだ夢から覚めたくないの!」
「じゃあ、手伝ってくれるかい?僕はいつもの優しいマトリンが好きなんだよ」

その言葉はマトリンを真っ赤なトマトみたいにしました。
どきどきして、ふわふわして。
何とかうなずいたマトリンに、クリス兄さんは飛び切りの笑顔をくれました。

「さあ、行こう。夜明けまでに配ってしまわないとね」
袋の一つをマトリンも拾い上げて、そうしてクリスと目が合うと笑いました。
「うん、私もがんばるわ」


それから二人は、アパートのらせん階段を上って、途中から二階のベランダへと飛び移ります。
「怖かっただろう?よくがんばったね」
そう褒められるとマトリンはもっともっとがんばりたくなります。

子供部屋の窓だけは不思議とどこも開いていました。
まるで、そう。
みんながサンタクロースを待っているかのように。
みんながマトリンを待っていてくれるみたいに。

赤い大きな靴下を下げた窓辺を抜けるたびに、マトリンも嬉しくなってきました。幸せそうに眠る子供たちの顔を見ていたら、自然とマトリンも笑顔になりました。
きっと、朝起きてすごく喜ぶんだろうな、そんなことを考えていました。

そうして、何軒も何軒も少し危ない目に合いながら、背の高いサンタクロースと小さな赤いマントのサンタクロースはプレゼントを配ってまわりました。


小さな街だと思っていたのに、こんなにたくさんの人がいるのね、とマトリンは感心していました。そうして、クリス兄さんがこのお仕事をしたいといっていた理由が分かった気がしました。

駅の裏手の小さな借家の赤ちゃんに、真っ赤な小箱を置いて外に出ると。
クリス兄さんがぐんと伸びをしました。
ごちゃごちゃした通りも、今は真っ白に塗りたくられて、絵本の中のようです。こちらを見て笑うクリス兄さんが言いました。
「楽しかった?」
マトリンは大きく頷きました。
「来年もサンタクロースを一緒にしたいわ、私、クリス兄さんとお仕事するの」

ふと、淋しそうにクリスは微笑みました。
「さっき、ほら。見られてしまっただろう?小さな男の子に。だからね、僕も今年で最後だ。サンタクロースにはもう、なれない」
「え…?」
「でも最後だから、ちゃんと全部プレゼントを渡したかったんだ。あんなふうに誰かに見つかってしまったりするから、サンタクロースも仕事が出来なくなって全員にプレゼントを届けられないことがあるんだ」

クリスは歩きながら話してくれました。

「ほら、普通はおじいさんだろう?けれど、今では建物は何階もあって登らなきゃいけなかったり、警察に追いかけられたりするからね。それに、子供が眠る時間が遅くなっているから、配れる時間が短くなっているんだ。大変になってしまったから、僕みたいな若いサンタクロースが増えているんだよ」
「ふうん」

なんだか、夢のくせにずいぶん現実的だわ。

マトリンはそれでもクリス兄さんの話を感心して聞いていました。
「毎年大勢のサンタクロースが採用されて、でも、僕みたいに子供に見つかってすぐに続けられなくなってしまう。解雇されるとね、サンタクロースだった時の思い出は消されてしまうんだ」
そこで、マトリンは気が付きました。

「ねえ!ねえ、クリス兄さん?もしかして、最初にクリス兄さんのサンタクロースを見つけてしまったのは、私?」

それには何も応えずに、クリスはニコニコ笑っていました。

私が眠らないで起きていたから。
だからあの時からもう、クリス兄さんはサンタクロースでいられなくなってしまったの?

サンタクロースのクリス兄さんはとても素敵でした。楽しそうでした。

なのに、私のせいで続けられない。
悲しくなって、マトリンは何も言い出せません。
もう、取り返しがつかないのです。

なのに、クリス兄さんはとても優しく笑ってくれます。

「さあ、そんな顔してないで。後一つだよ、マトリン。お待たせしました」
「え?」
「君へのプレゼント、まだだったね」

そうしてクリス兄さんはマトリンの背中を押して、一緒に歩き始めました。
雪の中を、ぎゅ、ぎゅと小さな音を軋ませて。

二人がたどり着いたのは、狭い路地の先にある小さな一軒の家でした。
窓辺には小さなツリーとメリークリスマスの文字が吊られています。
そう、まだその部屋には灯りが点っていました。

「ほら、ここだよ」
「誰の家?」
「会いたかっただろう?」

そっと窓からのぞいてみました。

温かそうな小さなお部屋。リビングのようです。窓のすぐ近くには小さな、本当に小さなベッドが置いてあります。
フワフワした白い毛布の中には誰もいません。
ふらりと影が横切りました。

パジャマ姿の綺麗な女の人がまだ小さな赤ん坊を抱っこしていました。泣いている様で、高く上げたり、背中をとんとんしたり。その赤ちゃんを覗き込んであやしている、男の人。大きな背中。
見たことがあります。
あれは。

「パパ!」
マトリンは思わず声が出てしまって、すぐに口を手で塞ぎました。

すごく幸せそうに、女の人と顔を見合わせて笑っている。

きゅん、と。
マトリンは唇をかみました。
「私は、会いたかったのに。クリスマスに会いたかったのに」
うつむいたマトリン肩をふわりとクリス兄さんが包みます。
「パパは、私には会いたくなかったの?」
「そんなことないと思うよ。ただね、たくさんの家を見てきただろう?いろんな家があって、いろんな家族がいて。君のパパもここでこうして新しい家族を作ってる」
「クリス兄さん、ひどいわ。これ、こんなの。こんなプレゼントなんかいらない!」
マトリンは悲しくなって、叫びました。

「マトリンはいい子だった?」
「え?」
背後のクリスを見上げると、やっぱりクリスは透明になりかかっていました。悲しそうに笑っています。
「マトリンは、この一年、いい子だったかな?」
クリスの瞳はじっと、マトリンを見つめました。それから、目をそらします。

「ううん。違うわ」
マトリンは足元の雪を、ブーツのつま先でツンツンとつつきました。
「私、悪い子だった。ママのこと、いつも苛めてた」
視線を落としてうつむくマトリンに、クリスは小さく頷いていました。
「パパに会えなくてママも淋しいのに、それでもママのせいだって、いつもママを困らせていたわ」
「ママに会いたい?」
マトリンの足元には小さな涙の粒が落ちて、赤茶色のブーツにうっすら積もった粉雪を溶かして流れていきました。

「じゃあ、今度こそ、最後のプレゼントだね」

静かな夜明け。明るくなりかかる透明な空を、トナカイが横切ります。

小さな星が朝の風に消えそうになりながら、それでも光っています。
マトリンはクリスに支えられながらトナカイに乗っていました。横向きに座って、ぎゅっと背後のクリス兄さんにしがみつきます。クリス兄さんの手がしっかり腰に回っているので怖くありません。

「ねえ、空を飛んだら見つかっちゃうって」
はたはたと風に舞うマントを押さえながら、マトリンは一生懸命クリス兄さんの首に抱きつきました。少し、まだ少し涙が出る顔を見られたくないのです。

「もういいんだよ」

これが最後の仕事だから?
マトリンは切なくなって、また少し涙が出ました。

そうして、二人を乗せたトナカイはマトリンの家の前に降り立ちました。
とたんに朝日が金色に照らし、巻き上がった雪煙が風にふわりと立ち昇ると、トナカイとクリス兄さんを包みました。
「あ」


何もかも。
トナカイも、そしてクリス兄さんのサンタクロースも消えていました。

マトリンは一人雪の中に座り込んでいました。

「マトリン?」
二階のマトリンのお部屋の窓に、ママの顔が見えました。
それはすぐに消えて。
マトリンが立ち上がって膝の雪を払う時には、玄関の扉が開きました。
「マトリン!もう!どこに行っていたの!?心配したのよ」

ママが駆け寄って抱きしめてくれました。
赤いマントがなくなったマトリンは冷たい風に震えていたけれど、ママの胸は温かくて、クリスのひげと同じ少し甘い香りがしました。
「ママ、ごめんね」
マトリンは心からそう思いました。

心配したトーマスが駆け出してきて、キッチンでは伯父さんが温かいミルクを用意してくれました。泊まって行った従姉妹たちも叔母さんたちもお祖母ちゃんも、みんな起きていて、マトリンを囲んでテーブルに着きました。
そうして、マトリンが話すサンタクロースのお話を、じっと聞いてくれました。
「素敵な夢を見たのね?」
ママが笑います。
こうなるとマトリンには夢だったのかどうか分かりませんが、説明しても夢にしかならないからそうしておきました。

夢だったんだろうって?
いいえ、きっと違います。
本当にクリス兄さんのサンタクロースはいたのです。

だって玄関には、マトリンがはいていた新しいブーツがキチンと並んで置かれています。

「ね、クリスが最後にプレゼントしてくれたのはなんだったの?」
トーマスが聞きました。
「それは、秘密」
マトリンはパパに会ったことは話さないでおきました。
それは、クリス兄さんがくれたプレゼントを大切にしたいと思ったから。
みんなの笑顔を大切にしたいから。



それは、去年のクリスマスの出来事でした。
少しだけ大人になったマトリンは、今、ママと一緒にクッキーを形作りながら、クリス兄さんの帰りを待っています。

あれから二日後に帰ってきたクリス兄さんは、マトリンの話を聞いて不思議な夢を見たんだねと笑っていました。サンタクロースのバイトの話をしても、ちっともわかっていないようでしたし、あの時言っていたように、お仕事を辞めたから忘れてしまったのかもしれません。
けれど。
マトリンは覚えているのです。


だから、クリスが帰ってきたらお部屋に入れてもらって、真っ赤な衣装があるかどうか。
確かめてみようと思うのです。

もちろん。大好きなクリス兄さんとおしゃべりするのが一番の目的ですが。




続きにあとがき~

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帰り道

<<らんららです!キリ番踏んでくれたドッペルさんに、一つショートを捧ぐ!なんて、こんなでいいのかしら……らんらら、ショートは苦手です!>>


『道』

まれに見る寒波の襲来とかで、珍しくこの街にも雪が降った。
おかげでオレは、身動き取れないバスをあきらめ、片道三キロを歩く羽目になった。
ついていない時ってのは、もう、とことんだ。
ああ、それは、大体の人間には当てはまらないかもしれないが、オレって奴は大抵そういう道を選んで進んでいるようだ。
昨夜の妻との喧嘩で、帰りたくもない家路。結婚五年目になる妻匡子(きょうこ)とは、もう、何度も離婚しかけていた。そうだ、帰りたくない、バスもない、適当に時間をつぶせ。
第一、喧嘩して腹が立っているって言うのに、まともにいつもどおりの時間に帰るって、オレはおかしいだろう。
小さい駅だが、確か反対の改札口から出た辺りに居酒屋が一軒あった。
赤いちょうちんを思い出しながら、オレはもと来た道を五百メートル、引き返す。
なれない雪の積もる道に、幾分怪しい足取り。

店は平日だと言うのに混んでいた。
初めて入る。
だからコレがいつものことなのか、それとも皆この雪に悩まされて立ち寄っているのか、はたまた、今日は世の男供はすべて受難の一日で、とてもすんなり家に帰りたい気分にならないのか。皆目見当もつかないくせに、意味のない想像をしながら、オレは一番隅のカウンターに腰を下ろす。冷えた手に、太った女将さんがあったかいお絞りを握らせてくれる。ついでに少し手を握ったのはオレのせいじゃない。
女将さんは、ふっくらした白い頬を、炭火で火照らせ、決して美人じゃないが何だか落ち着く顔をしている。
ああ、母さんって感じかね。
いいね、そういうのも。
オレはちょいと、二年前になくした母親を思い出し、ついでに母親の得意だった芋煮を頼んだ。染み入るだしとしょうゆの濃い味。
人参の赤が目にまぶしい。
「おたくさんも、雪にふられた口かい?」
隣の初老のサラリーマン風の男が、オレに声をかけてきた。
「ええ、そんなところです」
あいまいに笑ってオレは、男に合わせて、酒の入ったグラスをちょいと持ち上げ、乾杯の挨拶。
ざっと見渡せば、オレが一番年下に見える。
狭い店内にはエルの字のカウンターに7人。オレの背後のテーブルに四人。
それでいっぱいだ。
窓は曇り、入り口に焚かれたストーブが、ぬくぬくと心地よい雰囲気をかもし出す。
「珍しいねえ、この時期に雪なんてさ。こういう日はねぇ、じたばたしちゃあいけないんだ。いつもと同じ。何にも変らんようにと神さんにお願いしなきゃあいかんなぁ」
隣の男が誰にともなく話し出す。
「あれ、また、神さんの話かい?スズキさんは神さん、あっちのユウジさんは仏さん。ありがたいねぇ」女将さんがにこにことスズキさんの前に焼いたししゃもを出した。
「なあに、ここには女将さんって神さんがいらっしゃいますからねえ」
駄洒落、だろうか。
「女将さん見ていると母ちゃんを思い出すんだよなぁ」スズキさんは少し遠い目をした。
ふと、視線が合ってオレは目を背けた。スズキさんの何かを見た気がする。
「ねえ、お兄さん、神さんを信じるかい?」
スズキさんは、オレに笑い顔を向けてきた。
「オレは信じてないですよ、それは」
そういいながら、サトイモをぐさりと箸で刺す。
「おい、物騒なこというな」
スズキさんは俺のサトイモに目を奪われながら言った。まるでオレの箸使いが乱暴と言わんばかりの表情だ。
「物騒って、それは自由でしょう。大体、神さんがいるんなら、オレの今日のろくでもない出来事は神さんの仕業ってわけで。そしたら、ありがたいとも思えない」
「なんだ、なんかあったんだ」
「昨夜、女房と喧嘩しました」
「はあん、よくあるこった。私もよくやった」
スズキさんは笑った。
「今朝、定期もろとも財布を忘れて、会社に遅刻しました」
「ふうん」
「会社の女の子にお茶をこぼされて」ワイシャツのしみに手を当てる。
「やけどしたかと心配すればセクハラ扱い」
「へへへ」
「客先への契約書には二十万の収入印紙がお茶まみれ」
「ほほう」
「雪のせいで電車は遅れ、月末だってのにオレの売り上げは一向に増えず」
「電車ではチカンに間違われて、職質は受けるし、恥ずかしいし」
「本当かい?」
そんな感じで、スズキさんも、女将さんも、うんうんと頷きながらオレの話を聞いてくれた。オレが話すのに夢中になって、ずいぶん時間をかけてやっと一杯目の酒を空けたところで、スズキさんが言った。
「いいかい、こういうよくない日はね、やっぱりできるだけいつもどおりを貫くべきだ。いつもと同じことしてりゃ、予想できるうちのどれかに過ぎないんだ。考えてみな。財布を忘れたんならいつもどおり、女房に頭下げて持ってきてもらえばよかっただろ。それが出来なかったから、時間を食った。そっから、全部がおかしくなるんだ」
「はあ」
オレは体が温まって、どうやら少し酔ってきていた。
「さあ。二度と道を踏み外さないように、もう帰りなよ」
女将さんはそういいながら、手に小さいみかんを一つ握らせてくれた。
「いいかい、家で待ってる女房は、きっといつもどおりあんたを迎えようとするよ。きっと心配しているよ」
「ありがとう」
みかんを手に持ったまま、オレは駅で買った傘を傘立てから取り出すと、店の引き戸を開けた。
立て付けの悪いそれがミシリとなきながら、オレを送り出す。
雪は止んでいた。
「いつも、どおりねぇ」
そう思っても既に十一時、バスはない。
タクシーも駅には見当たらなかった。
「ああ、そうだ、迎えに来てもらおう」
気付いた。
ああ、携帯に着信とかあるかもしれない。電源、入れてあったかな。
見ると何もなかった。着信も、メールすら届いていない。
忌々しい気分で、ポケットにしまう。
まあ、あいつも怒っているんだろう。
オレは立ち止まり、遠くさっきの店を見つめた。
ちょうちんがちらりと赤く揺れる。
「は、いつもどおり、なんて、もう、だめかもな」
オレが悪いわけでもない。あいつが悪いわけでもない。
あいつはあいつなりに、やっているつもりなんだ。オレは俺なりに、あいつに合わせようとしてきた。それも、限界なのかもしれない。
お互いが我慢して、ごまかして苦しんで、そんな生活したいわけじゃないだろう。
そこまでして、一緒にいる理由なんか、あるんだろうか。幸い子供もいない。
子供がいれば、また、違っただろうに。
あいつがほしがって、オレは嫌がった。子供は苦手だ。
なんだ、オレが悪いのか?世の中の流れじゃ、子供は産めよ増やせよ、だけどなぁ…。
オレは家への三キロの道を、再び歩き始めていた。
駅からの道をこうして歩くのは、久しぶりだ。学生の頃は自転車で近道したもんだ。車の通れない細い道を選んで通いながら、この店の裏は穴場だとか、ここだと女子高の校庭が見えるだとか、そんな些細なことで一喜一憂していたな。
雪に埋もれた白い道を、オレは歩き続ける。
道は細くなって、オレの家まで後一キロくらいってあたり。そこは未だに田んぼに囲まれて、真っ暗だ。さすがに、男のオレでも薄気味悪い。
いつの間にかまた、降り出した雪に、髪が濡れていることに気付いて、俺は安いビニール傘を開く。透明なそれの下からも、ちまちました白い雪が、ぽつぽつと積もるのが見える。
小さい穴を見つけ、俺は小さく舌打ちした。買ったばかりのくせに。
見れば、骨の部分もさびている。
おいおい、これは。
握り締めるもち手には、消えかかったマジックの文字。
すずきとかろうじて読めた。下の名前は消えかかっている。
「間違えたか」
苦笑する。まあ、新品を置いてきた。スズキさんにはいい交換だろう。
ふと、風が吹いた。
前方に、白い影。
それはまあ、男なら誰でも一瞬期待するソレで、そして期待通りだった。暗がりのなか、切れ掛かって点滅する街灯に照らされる。長い黒髪。白い手足。小柄で、女。
この寒空にスカートだ。
赤い傘。
一人っきりで、怖くないのか?
オレは足を止めかけて、いや、でも余計に変な奴と思われてもいけないと、何も気にしない風を装うことにした。内心、可愛い高校生とかがいいなんて、考えつつも。
近づく。
風はますます強くなってきた。
街灯が切れた。
オレはさすがに、足を止めた。
近くに家はない。遠く民家の灯りがあるが、それだけじゃ、この暗がりはどうしようもない。いや、あの女はどうしたんだ。大丈夫なのか?
オレは意を決して、携帯を灯り代わりに歩き出し、女のいた辺りに向かう。ぼんやりと白く見える。声をかけてみよう。
意気込んで、少し緊張しながら、そばまで来た。田んぼの真ん中だ。遮るものは何もない。なのにオレは、女を見失った。
代わりに俺が気付いたのは、古ぼけたバス停。
はあ、ため息が出た。
「ったく、オレはバカか」
それは、古いバス停だった。上が丸い板でできているそれ。木でできた細身に、時刻表がついていただろう、プラスチックの板。コレを、女と見間違えるとはオレも酔っているのか、アホなのか。
一つ蹴りをくわえて、俺は歩き出した。
雪はまたひどくなってきた。
ギュ、足元は降り積もったばかりの雪だ。
ズボンのすそは見事にびしょぬれ。
畜生。
しばらく歩いた。向こうの街灯はちゃんと点いているじゃないか。
あそこまでいけば。
オレは足を速めた。白い雪と暗闇、風の音にオレは頭を振った。
よっているのか、酔っていないのか?
また、あの女が見える。そばまで行くと、やっぱりバス停だ。
おかしい。
ふいに街灯が消える。
「うわ」
弾みで声が出た。
落ち着け。気のせいだ。バス停はあるとして、コレはほら、だから、いいんだ!
とにかく、オレはここで、立ち止まっていても仕方ない。向こうの、遠くに見える街灯のところまで行くんだ。

歩き出しながら、オレはふと、スズキさんのことばを思い出していた。
「二度と道を踏み外さないように……」
道を、オレは踏み外したのか?
スズキさんの傘をまた見上げながら、そこに乗っかる白い雪を雲みたいに眺めながら、オレはつぶやいた。
次の街灯の下にも、女のバス停はいた。
おい、いい加減にしろ。
オレは、酔っているのか何なのか自信もないが、とにかく苛立った。
バス停野郎、いや、バス停女の首根っこを掴んだ。
その木で出来た四角い首を、ぎゅぎゅっと握り締めて。
丸いそこには、『かえせ』の文字。
ぞくっとして、オレは走り出した。
返さなきゃならないものなんか、……あ、これか!
「ほしけりゃやるよ!こんな傘!」
俺は叫んだ。
放り出した傘が、こつんとバス停に当たる音を聞いた。
ごめんスズキさん、オレは想った。
夢中で走った。街灯だろうか、民家だろうか、とにかく明るいところだ。

見た感じの家が見える。
二軒向こうがオレのうちだ。
家の前にぼやけた街灯。
その下に赤い傘、女。
オレは一瞬立ち止まった。
女は今度は声を出した。
「お帰りなさい」

匡子が赤い傘だなんて知らなかった。
いつも束ねていた髪が、こんなに黒く長いのだって気付かなかった。

「どうしたの?びしょ濡れじゃない」
暖かいタオルで、頬を包まれ、立ち尽くしていたオレは、その場に座り込んだ。
「やだ、酔っ払っているの?昨日の喧嘩、まだ誤ってもらってないんだから、早く入って」
「ああ、ごめん」
ポロリと口からこぼれた。
「あれ?やけに素直ね」
「お前がいてよかった」
オレは匡子の細い足に抱きついた。
それは温かくて、すこし石鹸の香りがした。


翌日、オレは匡子に頼んで、駅まで送ってもらった。もちろん、あの近道を通ってみた。
白い雪が、半分凍って、朝日にきらきらと眩しい。
冬の田んぼは枯れた草が淡い黄色を残し、解けた雪が早朝また凍ったのだろう、一面鈴なりの氷の稲穂をつけて煌く。
「綺麗ね」
「ああ」
「こんな道、通ろうなんて珍しいわね。でも、知らなかった。五年もここに住んでいたのに。この景色すごく綺麗じゃない」
「ああ、そうだな」
オレはバス停を探していた。
いくら目を凝らしても、バス停はなかった。傘も見当たらない。
たった三キロの道のりは、あっという間に終わった。
匡子はしきりとオレが学生の時に通った道だと言うことに感心していて、嬉しそうなその横顔はやけに綺麗に見えた。
オレはふに落ちない気分だったが、とにかく、駅にたどり着く。
駅の北口にある送迎用のロータリーに車は入っていく。そうだ、このあたりに、あの店。
そこには、赤いちょうちんはなかった。
黒く焼け焦げたような、小さな、本当に小さな店。
「匡子、ちょっと、止めてくれ」
オレはクルマから駆け出し、店の前まで来た。
まだ、焦げ臭い匂いが漂う。
店の入り口に置かれた、陶器の傘立て。横倒しになって、中の傘が半分飛び出ている。いくつかある傘の中に、オレが買った新品のビニール傘が残っていた。
そして、隣に、あのスズキさんの傘?もち手が少しとけかかって黒ずんでいる。
まさか、何でここに……
オレは拾ってみた。もち手には確かにひらがなですずきと読める。回してみると名前の右横に、いちねんにくみと書いてある。
スズキさんが女将さんを見ると、母さんを思い出す、そう言っていたのを思い出した。
呆然と立ち尽くすオレに、駅舎の裏口でタバコをふかしていた駅員が、声をかけた。
「そこ、昨晩焼けたんだ。知ってる店かい?」
「あ、ああ、昨晩、寄ったんだ。女将さんは?あの、ふっくらした色白の」
「ああ、そういう人だったねぇ。女将さんも、そこにいた常連も、みんな死んじまったらしいよ。店は満員でさぁ、十二人も死者が出たって話だ。あんた、昨日寄ったなんて、運がいいねえ!何時ごろだい?消防さんの話じゃ、十一時ごろだってさ。入り口にあったストーブが、倒れたんじゃないかってね」
オレは、改めて、店を見つめた。
引き戸が半分倒れて、中が見える。
黒く、暗く。
オレはふと、戸口に立てかけられた、赤い傘に目が行った。
あったかい、女将さんの声を思い出した。
スズキさんの傘は、ここに戻っていた。
スズキさんの嗜めるような神さんの話を思い出した。かえせの文字を思い出した。
オレはふと、コートのポケットに入れたままの、みかんを取り出した。
赤い傘の前に、そっと置いた。
トンと、肩を叩かれ、振り向くと、匡子が不思議そうに笑っていた。


なんの断りもなくチャンネルを変える

なんの断りもなくチャンネルを変える。
映ったのは格闘技。
「今のドラマ、観てたたのに!」
そういうと、彼は笑いもせずに言う。
「作り物の恋愛ドラマなんか面白くない」
「なんでよ!面白いよ!今日はね、最終回なんだから!きっとね、プロポーズされるんだよ!ねえ、もどしてよ!」
本物のプロポーズが聞けないから、せめてドラマの中でってこの女心、ちっとも分かってないんだから。
「大体、『俺は君を幸せにする』って、ばかじゃないか?できるわけないぜ」
「勇気がないだけでしょ?」言ってほしいよ、私は。
あなたに。
「ばか、人が誰かを幸せになんかできない。人は自分で幸せになるんだぜ」
「自信たっぷりだね。でも、上手く行かない時とか、不幸なこととかあるよ、自分ではどうしようもないよ」
むかつく。
「ばか、本人がなんともできない不幸なこと、どこの誰なら何とかなるんだよ」
ばかばか、言うな。
「誰でも幸せになれる方法があるんだ」
彼は急に、真剣な、でも優しい顔になった。
あれ?
こんな顔、見たこと無い。
「…何よ、それ」
「今、自分が幸せだってこと、思い出せばいいんだよ」
「…」意味わかんない。
「今、幸せじゃないか?」
「…幸せ」だけどさ。
「だろ?」
ごまかされたような、感じ。
でも、確かに、幸せだよ。今、ここに、いてくれるからね。
だからこそ、その幸せに、期限をつけたいんだよ、いつまでかって。
一生、死ぬまで、それが理想。なんて、言えないけど。
「でーも、ね。理屈じゃなくて、誰かに幸せにしてやるって、言ってもらいたいものなの」
「言ってほしいのか?」
抱きしめられた。

約束の7時はとうに過ぎた

<<らんららです。ショート、書いてみました。こういう話しか、かけないんだなぁ(^^)>>


約束の7時はとうに過ぎた。

さっきのメールは四回目だ。
あと少しなんだ、ごめん、待ってて。
俺のメールはそんな返事ばかり。

仕方ないよ、営業課長、今日になって契約急ぐから、とか何とか。
見積もり出し直しなら、事前に言っておけよ!
設計やり直す苦労をぜんぜん分かってないんだ、
だから営業ばっかりやってる奴は!

ふう。俺は、またパソコンに向かう。
今日は、彼女の誕生日だったんだぞ、付き合って三回目のバースデイだ。
決めようと思って、かばんに潜ませてるあれ、どうやって渡そうか、
朝まではうきうきだったんだ、なのに。
これでダメになったら課長のせいだ、俺は一生独身だ!バカヤロウ!

ふう。

落ち着こう、とにかく、終わらせないと帰れないぞ。
その時だ。
ブー
お?
ブーブーブー
豚じゃない。パソコンだ。
ブブブ、ブーブ
うなっている。

どうした、お前も残業に怒りを覚えているのか、よしよし、分かるよその気持ち。
俺は、何となく、なでてやる。四角いそいつは、黙った。
おう、そうそう、我慢してやろうぜ。
あと少しだ。

五回目のメール。
『一人っきりで、レストランで一時間も待つって、どういう気持ちか分かる?』
だってさ。俺だって一人きりオフィスで、がんばってるさ。
ブーブブ。
また、パソコンがうなりだす。
そうだよな、お前もそう思うだろう?
またなでてやる。
黙った。

少し、面白い。
いや、そんなこと考えてる場合じゃないな。

ブブブ
お?
ブイーンブィーン
おい、ちょっと待てよ、大丈夫か?
その時携帯がなった。着信だ。
「あ、美紀、ごめん」
『ごめんて何よ!まだ、会社なの?
メールも返事しないし、いい加減にしてよ!
今日が何の日か分かってるんでしょ?』
「分かってるよ!分かってるから、俺だってさ。けど、まだ、…」
『もういいよ』
小さいため息とともに、電話は切られた。

おい、どうすんだよ、どうしてくれるんだよ課長!
俺の結婚、俺の人生!
ブブブブッィー
うるさい、黙れ!
ペシ!
俺はたたいてやった。
黙った。
終わっちまったよ。
美紀、可愛くてさ、同期の中で一番人気あってさ、やっと落として。付き合ってみたらもっと可愛くてさ。
泣けてくるよな、こういうタイミングの悪さ。俺、いつもそうだよ。
ブブブ、ブーブー

黙れっての!
バシッ!!
黙った。まったく…お?
パソコンが、煙を吐いた。

お、おい、まさか。
画面は真っ黒。
俺は頭を抱えた。
ああ、俺の人生!
俺のボーナス…

俺は書類に突っ伏した。お前と一緒だ、目の前真っ暗だ!
もう、パソコンは答えない。


「何だか、変なにおいするよ」
ギク。
振り返ると、美紀だった。
片手にコンビニの袋持ってる。
可愛いワンピースだ。髪もきちっと巻かれていて、彼女も気合、入ってたんだ。
不意に彼女は笑った。
「なあに、情けない顔してる。
もう、レストラン断ってきたからね。
二度といけないよ、恥ずかしくて。
予約取るの大変だったでしょ?あのお店。
なんか申し訳なかったから、ケーキだけ買って来たよ。
ア、守衛さんに口止め料に一個あげちゃったから、
一つを二人で半分こだけどね」
怒っていない…可愛い。今まで見た中で、一番可愛い。
「お疲れさま、大変ね」
俺は、たまらなくなって、抱きしめた。
壊れたと思ってた。終わったと思った。

「どうしたの?いつももっと、冷静なのに」
腕の中で、美紀が少し緊張した顔してた。
「あ、あのさ。結婚、してほしいんだ」
もう、壊すわけにはいかない。
ムードも何もないけど、いいんだ、これで。
美紀が、ぎゅっと抱きしめ返すのを、感じた。
「うん」
美紀の肩越しで、細く白い煙を吐いてる奴が、小さくうなった気がした。
入社してからずっと、俺の仕事の相棒だった。
俺の人生の代わりに、壊れてくれた気がした。
サンキュー。
俺は、感謝した。

END

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theme : ショートショート
genre : 小説・文学

佐々君のキモチ =後編=

<<『佐々くんのキモチ』後編です!前編は、二個下の記事をご覧下さい>>

仲石のことだ、自慢げにメールでも送ってくるだろう。
そう思うと、俺は余計にいらいらして、弟に八つ当たりしてやった。
母さんが「熱でもあるの?」って、人の顔が赤いのをじろじろ見るから、俺はさっさと寝ることにした。でも、寝付けなかった。

携帯に、目が行く。

けど、俺、仲石が祐木のこと好きだったなんて、全然気付かなかった。俺が先輩にからかわれて、わざとボールそっちに転がされてたときだって、仲石は黙って見てたよな。

むかついてなかったのかな。俺ならいやだな。
あいつも、それで、いらいらして、俺に「早く告れ」って言ってたのかな。
そうかもな。
あいつ、あんまり感情的になる奴じゃないし、要領よくて頭もいいけど。
俺に毒はいてたのも、嫌がるの知っててしつこく告れって繰り返したのも、それでかもしれない。最近、なんか態度変だったもんな。
俺、全然知らなかったからな、なんか、悪いことしたかな。

俺は眠れずに、寝返りを打った。
携帯がなる夢を見て、何度も夜中に目が覚めた。
最悪だ。


そんなんで、俺は翌朝、寝坊した。
ああ、もういいや。朝練さぼり。
部活で腕立て100だろうと、外周10周だろうと。いいんだ。
今日もじりじり暑い。
重いまぶたを、無理やりぱちぱちしてみる。

いつもと違う顔ぶれのやつらが登校して行く。
こんなに俺の学校、生徒多かったか?
「珍しいな、佐々」
クラスの奴が横で自転車を止めた。
「おー」
「お前、風邪でも引いたのか?顔変だ」
「うるせー」
少し目がはれてるの、ばれてる。最悪。
そいつは笑いながら、自転車を走らせて行ってしまった。
もうすぐ校門ってとこ。
丁度、昨日、仲石が声かけてきたあたり。
なんか、帰りたくなってきた。

「おはよ。珍しいね、佐々」
俺は顔が赤くなるのを恐れて、片手で口を覆った。
心臓がまた、暴れる。
「なに?」
「え、別に」
祐木も、何だか、元気がないようだった。
そういえば、女子バスケも朝練あんじゃねえのかな。

おかしいな。
仲石、あいつもてるし、器用だからな。
てっきり、上手くいったんじゃないかと思ってた。違うのか?
俺はなんとなく一緒に歩いてる祐木を見る。
「あのさ」
二人、言い出したのが同時だった。
「なに?」
「お前こそ、なんだよ」
また沈黙。

「昨日の、話って、何?」
う、今更それはきついよなぁ。頭の中、真っ白になった。
こんなとこで言えるわけない。
俺は普通の顔を決め込んで、でも、視線を合わせられなくて、言った。
「…別になんでもねえ。もう、忘れた」
ちぇ、なんか、あんまやさしく話せない。俺、人間できてないな。
祐木は、少し首をかしげて俺を見ているみたいだ。俺は相変わらず、前を見たまま、平然を顔に貼り付ける。
気まずい。

「じゃあ、いいや。仲石に言っといて。分かったから、いいよって」
「はあ?」
じゃあ、ってどういう意味だよ。

「はあじゃないよ、佐々」
祐木はニコニコ笑った。
急に元気になったみたいな。あれ?なんだ?
「あたし、あいつと付き合うことにしたの」
「…」
俺は、胃とか心臓とか、脳みそとか、全部止まった気がした。
祐木は、立ち止まった俺を、振り向きもせずに、行ってしまった。
後姿の髪が、綺麗に揺れてた。


昼休み、俺は教室で昼寝していた。タオル顔にかけて。
いつもどおりだ。
いつもどおりだと周りも思っている。たぶん。
けど、俺はぜんぜん、眠れてなかった。
あれだけ寝不足でまぶた重かったのに、英語も数学も、全然眠れない。
二つ前の祐木の後姿を見るたびに、朝の言葉が思い出されて。

一番後ろの席の俺は椅子を目いっぱい後ろに倒して、誰のロッカーだか知らないけどそれを支えにして机に足を伸ばす。
「佐々、じゃま!」
女子の声も無視。
そう、いつものことだ。
眠れない以外は。

「佐々!」
急にタオルを取り上げられて、俺は落ちそうになった。
「んだよ、仲石」
こいつは何で隣のクラスなのに、気付けばいつもここにいるんだ。

あ、そうか祐木がいるからな。
また、気分が落ちた。
もう、落ちるとこまでってやつだ。
は、そういえば俺、祐木に伝言頼まれたぞ、何だっけ。
ああ、朝のことなんか、思い出したくもない。

「寝ぼけんなよ。お前、祐木に言ったのか?」
「何をだよ」
「ま、いいか。それよりさ、ちょっとつきあえよ」

俺は、何だかむっとしたまま、仲石に引っ張られて、コンビニにいた。
仲石に、素直におめでとうと言えないでいた。
やな、奴だな俺。

店の外に座り込んで、昼飯が少なかったとか何とか言いながら、仲石はパンをかじっている。
俺はコーラ飲みながら、あくびをした。
誰から見ても、俺はきっと、いつもどおりだ。
けど、中身は寝不足だ。キモチも最高に落ちてる。
足元に落ちてる煙草の吸殻にすら腹が立った。
俺が吸ったみたいに見えるじゃないか。
仲石は、パンにむせて、ジュースを飲んでる。
どうせ引導渡すなら、さっさと言ってくれ。そうすれば、俺だって、「よかったな」の一言くらいはひねり出せる。

「俺、祐木やめる」
そう言ったのは、仲石だった。
「!?おい、なんで」
混乱した。
「あいつ、ひでえよ。お前の気持ち確認してからにするってんだぜ。ふざけんなっての」
「・・俺の?」
あ、俺、祐木に伝言頼まれてたぞ。

「だから、もうお前に聞いたのかと思った」
「あ、そうか」
心臓がぱくついていた。

朝の、あれがそうだったんだ。
多分。
けど、俺に、「じゃあいいよ」って。「分かったから、いいよ。って伝えて」って。そういう意味か?
佐々が言わないんならいいよ、佐々の気持ち分かったから、もういいよ、仲石にするよってことだ。
それを、俺から仲石に言えって?

痛いよな、なんか。
あいつが、何考えてたのか、わかんないけど。

俺はちらりと仲石の横顔を見た。
実はジャニーズ系で、面白いし、女子にもてる。
俺は知ってる。
でも、今は、なんだか。
ちょっと、傷ついてる感じ。

今更、俺が伝言したって、なんになるんだ。
仲石が、いやな思いするだけじゃないか。
目が合った。
「哀れんでんのか?」
「…俺、俺もいいや」

「は?何言ってんだよ。お前、選ばれたんだぜ?」
「…なんか、違う気がする」
俺は、結局振られたんじゃないのか。あの朝の、ほんの数分の間に。
そういうことだ。

仲石が、一番ちゃんと気持ち言ったんじゃないか。
一番勇気あったんだ。
なのに、祐木は俺が駄目だったらみたいなこといって、しかも、それを、俺から言わせようとしたんだ。祐木が俺に気があったとしたってさ。ずるいよ。
俺も、結局、はっきりしてねえし。同類だけど。
なんだか。
俺は仲石を見た。
目が合った。
「…違うってなんだよ。佐々」
俺はまた、足元の吸殻を見る。
「俺もやめる。なんか違うんだ」
「おい、佐々」

いつもいつも、仲石と俺は比べられるけど、こいつは要領いいって言われているけど。
一番自分の気持ちに素直なんだ。
がんばってるんだよな。部活だってさ。レギュラーになるのだって、当然なんだ。

俺、やなやつだ。本当はレギュラーになって試合に出たいし、仲石みたいに、もてたい。
なのに、俺は素直にそう言えない。
比べられるのがいやで、負けるのが悔しくて。
平和主義なんて、ごまかしてる。何にも、ちゃんとしてない。

「俺、自分の気持ち、自信なくなった」
あんなに、気になってたのに。
何だか、すっきりした気がした。

「なんだお前、お前もひでえな。俺だけ、バカみたいじゃないか」
仲石が軽く俺の腕を殴った。
「まあまあ、俺、振られたんだ」

そういうことだ。伝言はなし。

そうさ、祐木だって俺だって、自分の気持ちきちんと話してない。
話さなかったら、伝えなかったら、それはさ、誰にも分からない。
人の心なんて、誰にもわかんないんだ。

あいつがどうしても、仲石と付き合いたきゃそうするだろうし、俺がまたもし、祐木のことずっと好きだったら、俺はそのときは、覚悟して行動する。けど。今は違う。

「…じゃあ、今日は帰り、ラーメンでも食ってくか」
仲石が少し笑って、立ち上がった。
「だな」俺も続く。

その日の部活は、やけに楽しかった。

End

あとがき…

「さえっち、歯医者お疲れ!」
「歯医者も疲れたケド、それよりビックリよ、ヒロピン!
こないだ言ってた、男バレのゲームのうわさ。あれ、マジかも!
佐々がね、放課後、なんか言いたそうにしてたんだ、ケド、さえはマジ急ぎだったから。
明日ねって。そしたら、すぐ後に、なんと、アノ仲石くんに告られちゃった!!
でもでも、ゲームだよね、さえ、迷って!
仲石くんマジいけてるから!でも、遊びはヤだもん」
「断ったってこと?それ、ゲームでも遊びでも受けとけって感じ!!」
「さえは佐々がそんなのに乗ってるってのがイヤ」
「さえ、佐々派だもんね(T0T)」
「けど、佐々はちゃんと言ってないし!ゲームかもしれないし、迷うよ!!さえはマジなんだから!でね、仲石くんに、佐々のキモチ聞いてからにしたいって、言っちゃったよ!!やばいかな。どう思う?ヒロピン!」
「…さえ、最悪それ(>_<;)」
「ごめんー!!」
「佐々くんのキモチ、明日聞きなよっ!それからだ、うん。さえっち聞けないならヒロが聞くよ?」
「…くじけたら頼む!m(>_<)m」
「任せて(^^)b」

佐々が眠れなかったアノ夜の、紗枝ちゃんでした。

<<いかがでしたでしょうか(^^;)あまり普段書かない、現代ものなので、表現しきれたかな?少し不安。どうかコメントくださいな(*^^*)>>

theme : 自作小説
genre : 小説・文学

佐々くんのキモチ =前編=

<<お題小説「人の心」をテーマにしてみました!舞台は高校。さて、主人公佐々くんのキモチとは…>>

祐木紗枝(ゆうき さえ)は、いつも右側の髪がちょっとだけ跳ねている。
はねた髪を気にして、撫で付けるのが癖だ。
一学期は隣の席で、俺は丁度彼女の右隣だった。あの日、昼の後の英語で、俺は眠くなって、ボーっとしていた。
きっと教室中が、全部眠かったはずだ。期末テスト前だって言ったって、飯食った後で変に蒸し蒸し暑くてさ。きっと、みんな寝ぼけてた。俺だけじゃなかった。
誰かが指されて、しどろもどろに音読しだした。棒読みはお経と同じだ。
俺は左手で教科書持って団扇代わりに、扇いだ。
その風が当たったのか、祐木がこっちをチラッと見た。俺はにやっと笑った。
で、祐木は前を向いて、いつものはねた髪を直す。
そん時にさ、見えちゃったんだな、袖からブラが。
俺が扇いでいた教科書がすっ飛んで。
「佐々!お前、何遊んでる!」
怒鳴られた。
あの時からか。
俺は、なんとなく祐木が気になっていた。

祐木は、バスケ部で、いつも俺たちの横で練習している。
たまに、コート取り合ったりする。
うちのバスケ部、県で五本の指に入るとかで、部費も多いし、優遇されてんだ。弱小男子バレー部の俺たちとは、人数も予算も、ボール数もぜんぜん違う。たまに、日曜とか練習で顔合わせると、男だからって力仕事させられることもある。
そういうときの女子って、意味もなく可愛い声出すんだよな。ゲーム中の怒鳴り声とは別人。
でも祐木は、試合中でも可愛い声だ。
なんかで読んだけど、声の高さって、身長に比例するんだ。だから、小柄な祐木は可愛い声なんだ。ああ、俺も、バスケやってりゃよかった。
なんたって、バスケなら、肩とか腕とかさ、当たるじゃん。
たまに、胸とか。
俺たち男バレ一年の予想じゃ、女バス一年で二番目くらいに大きいはずだ。
いや、勝手な妄想だけどさ。でも、俺は見たんだ。たぶん、予想通りだ。

「佐々、何朝からボケはいってんだよ!」
後ろから両肩をぽんとやられて、俺は一瞬縮み上がった。
振り向く前に誰かは分かっていたけど、一応見てやった。
「まぁた、やらしいこと想像してただろ」
「うるさい、仲石」
こいつは同じバレー部。隣のクラスだ。
同じ中学からのくされ縁で、部活も同じだから、なんとなく、いつもそばにいる。
夏休み明けから、すっかり髪形変えて、クラスの女子が騒いでいた。もてるんだ。
親父さんが居なくて、きれいなお母さんと二人暮らしだ。マンションも、二つの部屋使っていて、三人兄弟の狭い環境に生活する俺とはちょっと違う。
なんていうか、目立つ奴で。なんで、こんな部活馬鹿の俺と仲いいのかよくわかんないけど。まあ、気楽な奴だ。気に入っている。
けど、その日の朝、あいつが言い出した一言は、気楽な奴っての、撤回させるつもりだと思えた。割と、誰にでも少し気を遣って話す頭のいい奴だけど、どうも、俺に対しては最近違うんだ。俺にだけ、遠慮がない。毒吐きまくられてる。
「お前、早く祐木に告っちまえよ。約束だぜ、先輩の命令だぜ」
「バカ言え、そんなのまともにやるわけないだろ!」

そう、あれは夏休みの合宿だった。夜、一年の部屋に乗り込んできた先輩たちの企みで、暴露大会になった。彼女のいない一年生の俺たちに先輩が命令したんだ。
秋の大会までに好きな子ものにして、応援に来させろ、ってさ。
そんなの、間に受けるかよ普通さ。

俺は、あんまり先輩に受けよくないけど、どうも先輩から絡まれる。からかうのが面白いらしい。その時だって、俺、絶対、言わないってがんばった。大体、言ったら最後、からかわれて遊ばれて邪魔されるのが落ちだ。それに、いつ祐木にメイワクかかっちまうか。
最後まで抵抗したけど、襲われそうになってさすがに観念した。
本気で先輩殴るわけにも行かないしな。
その時だって俺は、ちゃんと言ったぞ。「告るかどうかは自分で決めます」って。

なんで、競争みたいになっているのか、全然わからない。
いやに、仲石が乗り気なのも、なんとなく面白くない。こいつ、俺のことよく分かってるくせに、なんで、俺の嫌がることするんだよ。
ちょっと睨んだ。
「俺は、佐々の次ってことになってるからな。そう先輩に言ってある」
涼しい顔で、笑う。
「おい、ずるいだろ。何勝手に決めてんだよ!お前、やりたきゃ、先にすればいいだろ」
「やだね」
むしろ楽しそうにしている。俺が、そういうの、苦手なの知ってて、楽しんでるな、こいつ。

肘で小突く俺をさらっとかわして、仲石は走り出す。
「お先!」
「なか…」
見ると、校門に部活の先輩が入っていく。
やば、朝練先輩より遅いと腕立て50回だ。

俺も慌てて走り出した。
そういう決まりもうざいって、思うけど、まあ、バレーボールは好きだ。それが、ルールなら仕方ないよな。それにしても、暑い。もう9月も半分過ぎたのに、暑すぎる。

「おはようございます!」何とか先輩に追いついて、簡単に挨拶。
「おう、待てよ佐々、お前約束忘れんなよ!」
うへ、先輩、覚えてるよ。しつこいな。
一個上の先輩が、日に焼けた顔を満面笑みにして、俺に組み付く。暑苦しいぞ!
朝っぱらから、でかい男二人がくっついてたら、周りにもメイワク!
「上手く行ったら俺たちのおかげだからな、なんかおごれよ!」
ふざけるなっつうの。睨みつける俺に、先輩はますます面白そうに笑った。

「どうせだめっすよ。」
「すねるなよ、佐々。お前そんなだからレギュラー仲石に先こされるんだろうが。」
関係ないね。確かに俺まだ、違うけどさ。別に、レギュラーになりたくてバレーボールやってるわけじゃない。俺は平和主義(?)なんだ。先輩だって蹴落とされたらいやだろう。
「…」
黙ってる俺の頭を軽く殴る。
「いてっ」
「お前、見所あるんだからちゃんとやれよ、女も、部活もな!」
「はあ」
バレーボールは好きだ。けど、仲間けり落としてまでなんて、考えないだけだ。
祐木のことだって、俺が決めることだ。誰かに指図されることじゃない。それに、祐木とは、よくしゃべるけどさ。今ひとつ、こう、気持ちがわからない。なんか、もっとさ、ピピッと通じ合うもんが、欲しいよな。それ、感じられたら俺だって、自信もって何でもやるさ。
また、少し祐木のブラがちらついた。

「佐々ぁ!お前、腕立てな」
もうすっかり準備して、体育館のとびらを開けた仲石が、大声で怒鳴った。
「うへ、まじかよ!」
走り出す俺を、先輩は笑ってみている。


放課後。
いつものように、教科書しまって、祐木は部活へ向かうはずだ。
朝のこともあって、俺はなんとなく、祐木と話せなかった。つまらない一日だった。
部活もなんか、行きたくねえ。また、からかわれる。
だいたい、体育館の隣に祐木がいるんだ。
この間だって、俺、全然離れたとこにいたのに、女子バスのほうに転がったボール、取りに行かされたんだ。
そのうち、ばれるんじゃないかと、俺は気が気じゃない。
誰かの口から、祐木に伝わるなんて、最悪だ。
「早く告っちまえよ」そういった、仲石の言葉を思い出す。

「さえ、ファイトね!」
祐木と同じバスケ部の女子が、小さいガッツポーズを胸のとこで作って、笑って出て行く。いつも祐木と一緒にいる子だ。
「ごめんねー。」
祐木も同じく返して笑う。
「あれ、お前今日、部活行かねえの?」
「歯医者。」
俺に、にこっと笑って、返事を返した。
やっぱ、可愛い。

珍しいよな、祐木が部活休むなんて。祐木はいつも言ってるんだ。私は小さいから、がんばらないと試合に出してもらえないのって。俺は、祐木のすばしこいドリブルとか好きだな。
俺は気付いた。
今、俺と祐木、二人だけだ。
こんなチャンス、めったにない。
いつも部活の子と一緒だもんな。
いや、チャンスって、俺何考えてんだ。
いや。でも。
緊張してきた。けど、まだ、ピピッと通じ合ってない気もする。でもな。ばれるより先に、告るのも手だ。どうする。
迷ったまま、俺は立ち上がった。

「あ、あのさ」
「何?」
祐木はかばん持って、一旦立ち上がって、机の中のなんかを出そうとして身をかがめた。そのまま、俺を見ている。
「どしたの、佐々?」
ちょっと、胸元に目が行く。
急に心臓バクバクしやがる。
落ち着け、俺。
変にうすら笑うのもおかしいぞ、ちゃんとしろ。
かえって、むっとした顔になってた。たぶん。もう、よくわからない。
ええい、言っちまえ!
「話しあんだけど」
「ごめん、今急ぎだよー」
大きな目でにっこり笑って、祐木は背を向ける。
「またね」
「お、おう」

俺は、座り込んだ。
・・・俺、顔、真っ赤なんじゃないだろうか。
ため息。疲れた。だめだ、まだ、自信がないぞ。
「情けないねえ」
ぎょ。
仲石だった。すっかり、俺の前の席にもたれかかって、足組んで机に座ってる。いつの間にいたんだ、こいつ。ニヤニヤ笑ってた。
「仲石!お前、見てたのかよ!」
「お前、俺の見てる前でって約束だろ、抜け駆けすんな」
そんな約束知らない。俺は、部活のゲームで告ったわけじゃないぞ。
「関係ないだろ!面白がってさ」
立ち上がる俺に、軽く膝蹴りしてきやがる。
ああ、こいつ、全然俺の気持ちわかってねえな!
「いてーな」にらみつけた。本気で、だ。

「おう、今度いつ言うんだよ。早く決めろよ」
「うるさいって!もういいよ、俺、やめるよ。どうせ、駄目なんだ」
大体、ゲーム感覚で告る方がどうかしてる。
「ふーん。なんで?あいつの気持ち、今ので分かったのか?」
「ふつー気付くだろ!俺、顔に出るし。駄目なんだよ」
ちくしょー。お前みたいに、もてる奴にはわかんないんだ!俺の気持ちなんて!
「決め付けるねぇ。もったいないね」
揶揄するように笑う仲石。
俺は緊張が解けたことと、がっかりした気持ちと、苛立ちが集まって、怒鳴った。
「お前、うざいんだよ!ほっとけよ!」

一瞬、間があった。俺、平和主義だったけど、怒鳴る時だってあるんだ。分かったか!
それでも仲石は、にやっと笑って、言った。
「じゃ、次俺の番ね。俺、今から行ってくる。祐木が部活休むなんて滅多にないからな」
「え?」ちょっと待て。なんだ、それ。
「なんだよ、お前、今更待ったは無しだぜ」
「え?」
「お前、合宿の時言われなかったか?俺も、祐木好きなんだ」
「し、知らねえよ、そんなの!」
俺はグーにした両手で、頭を抱えていた。
「ま、お前先輩にくすぐられて服脱がされるまで、吐かなかったからな。その間に俺は素直に話してたってわけ。バカだな。要領悪いって言うか。とろいって言うか」
「…」
「ま、お前に先譲ったのに、もういいんだろ。俺、今から行ってくる。お前、先輩に休むって言っといてくれよ。じゃあな」
俺は、呆然と、仲石を見送った。

その日の練習は、ぜんぜん集中できなかった。
先輩に何回かバカ呼ばわりされた。

<<後編は明日、公開します!(^^)/いかがでした?
コメントなど、いただけると嬉しいデス!>>

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genre : 小説・文学

靴下

俺は大学二年。一人暮らしも二年目。家事もかなり手馴れたものだ。
得意な料理は、ペペロンチーノ。これだけは彼女に褒められる。
でも、洗濯だけは好きになれない。
何しろ、洗う、干す、たたむ。
スイッチ入れるだけだって?違うよ、それは。
まず、洗う前に種類ごとに分け、ネットに入れたり、下洗いしたり。
干すときだって気を使う。
タオルはキッチリ二つ折りだ。色物は裏返して干す!靴下どもも。
だから、とても面倒くさいのだ。乾いたら乾いたで、キッチリたたまないと気がすまない。
そんなに細かくやらねえって、斉藤は言ったが、俺はそれじゃあ我慢できない。
じゃあ彼女に、って、喧嘩したんだ、昨日。
ああいやだ。
だから、三日はたまる。たまると、作業が増えてもっといやになる。
ああ、嫌いだ、嫌い。

今日も、梅雨に入ったせいにして、部屋の隅に洗濯物が小さな山を形成しつつあった。
彼女の捨て台詞が思い出されて、むかついてそいつを蹴る。
ふにゃけたそいつに空振りして、転びそうになって余計むかつく。

さらに、昨日の喧嘩のせいで、予定していたレポートはできてない。
どうすんだよ、あいつ、手伝ってくれるって言ってたくせにさ。

明日の昼までに、提出しなくてはならないそれのために、今もパソコンに向かっている。
ちらりと、山が崩れた気配を感じた。

知るか。

また崩れた。

いやみな奴らだ。

再び、レポートに集中し始めたときだ。
なにやら、騒がしい。
日曜の昼間。
屋外で子供でも騒いでいるのかな。
珍しい。

そのざわめきは、大きく、いや、近づいてきていた。
(われわれは、完全制覇まで、一足を残すのみとなった!)
なんだ?
奴らは歌いだした。
(くろく、きたなく、くさく、)
くろく?
(しろい、くつした、くろく、くろく)
・・靴下?

我慢できなくなって、あの山を見た。
靴下が、足先を上に起き上がり、列をなして行進を始めていた。
俺、やばいぞ、こんなもの見るなんて!
目をこすったけど、消えねえ!
それはどんどん、俺のほうに向かって歩いて来る!
うわ!
臭いぞ!臭い!

「ほんとに、少しは洗ったら?自分で。」
え?聞きなれた声。
「眠ってて、大丈夫なの?レポート。」
彼女だった。
振り返ると、俺の靴下を一つ、人差し指と親指で汚いものを持つように、(汚いか)ささげ
持っている。なんだ、夢だ。
「君のためじゃないんだからね。レポートと、この靴下くんのために、来たんだから。」
ちょっと照れてる顔がかわいい。
一つ年上でも、かわいいもんは可愛い。
靴下ごと抱きしめる。
「やん。レポートいいの?」
「ちょっとだけ。」
「だめ!レポート出来たら、してあげる。」
軽くキスでかわされた。
「たくさんだぞ!約束だぞ!」
俺が言うと、笑って、彼女は洗濯を始めた。
靴下軍団も、彼女にはかなわない。
しっかり白くなるだろう。
ざまあみろ!何が後一足だ、完全制覇だ。お前らクロ靴下はこの世から消えるんだ。
ふふん。

ぼんやりしながら、なんとなくニヤニヤして、そんなことを考えた。
さて、レポートだ。
(・・くろく)
あれ?
(我々は、全滅を逃れた!)
え?
(例え毎日洗濯されようと!)
(くろく、くさく、くつしたくろく)
俺は声のする、机の下を見た。
そこには俺の足。
まだ、二つの汚れた靴下が。

End

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