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「宙の発明家」第三章九.天才は永遠に②

●天才は永遠に2

あの、宙に迎えに来たときのオクトの口調だ。
あの時の、迎えに来てくれたのが自分の父親だったと分かったときの切なさが甦った。
とくとくと、心臓が脈打つ。

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「宙の発明家」第三章九.天才は永遠に③

●天才は永遠に 3

「…イフ、クライフ!」
腕の痛みを思い出して、クラフは声を上げた。
そして、咳き込む。




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「宙の発明家」第三章 九.天才は永遠に~エピローグ

●4 天才は永遠に 

何かが窓から飛び込んできた。
それは破裂すると、真っ白な粉末を撒き散らした。
クラフはデアマンを庇うように伏せた。
黒い人影が窓から飛び込んできた。

続きを読む

「想うものの欠片」第一章プロローグ 2


この小さな港町ポオトは海岸線の北半分が遠浅の海と美しい砂浜、岬を境に南は切り立った石灰岩の崖になっている。
そこを切り出した港は、航路の利便性が重宝され、この国有数の港とされている。西に海を臨み、東はサティモ山脈を背負っている。遠い昔には小さな国家の首都であった時期もあったという。古来から海とともに生活してきたポオト人は素朴で情に厚く誇り高い気質を持っている。現在ティエンザ王国に統一されて三百年以上が過ぎているが、未だに選民意識は強い。

海と自然を尊ぶ彼らは観光客を嫌っていた。この街に生まれた船乗りや漁師は観光客に対してぞんざいな態度を隠さない。彼らの仕事は観光客を呼んで街にお金を落とすことではないのだ。ゆえに移民の商人たちを嫌った。商人の組合である商業会と漁師の団体である漁業会とは常に対立していた。

しかし、街を代表するボール競技のチーム、「ポオト・ルクス」を応援する時だけは違う。

昔から盛んだったこのボールを足で蹴る競技は、ティエンザ王国で正式に国技とされ、王国認定のチームが全国で五十を超える。その頂点を決める大会ではポオトは常に五本の指に入る。

この街に住むポオト人たちにとって、その競技を応援することは、何よりも重要なことだ。他に楽しみがないといってもいい。東の高台にある競技場で試合が行われるときには、港には船がひしめき、沖に出る船は一艘もないという。
街を代々治める領主ロゼルヌ一族はポオト・ルクスのオーナーでもあり、積極的に盛り上げることで商人たちと漁師たちを一つにまとめあげてきた。
その十八代領主、アラン・ロゼルヌが今回の依頼主だった。


ぶるぶるとエンジンを響かせる車の後部座席で、革張りのシートに背を任せ、シーガは不機嫌だった。木枠に革を打ちつけただけの車輪は石畳の振動を直に伝える。ぎしぎしときしむようなその機械の乗り物を、シーガは嫌っていた。

「シーガさま、車ってすごく揺れますのね」
「お嬢さん、揺れますがね、これでも最新式なんですよ。これからは自動車の時代ですよ。王都では自動車のために、道路の石畳に砂をまいて平らにしているくらいですから。この街で今、自動車を持っているのはロゼルヌ卿と商業会会長のスタリングさんくらいのものですが、これから増えるでしょうね」
「嫌いなものは嫌いです。もう少し、揺れないように丁寧に運転しなさい」

運転手は困り果てる。
「そんな無茶言わないでくださいよ」
「じゃ、ミキーがしてみたいです!」
「お、お嬢さん、冗談言わないで下さい」
ミキーはまんざら冗談ではないらしい。面白そうに座席越しに運転手の手元を覗き込むと、ハンドルに手を伸ばそうとする。
「あ、危ないですよ!」
「あん」

運転手に手を払われるとつまらなそうに座席に戻り、落ち着きなく見回す。今度は窓に張り付いて街を眺める。普段は馬車しか使わない。初めての乗り物に興奮している。
その姿は運転手の笑みを誘ったが、青年は苛立ったようでため息の後に一言つぶやいた。

「嫌いです」
「見てください、シーガさま!速いですー!すごいです!お馬さんも追い越しましたの!」
「自動車は気分が悪くなります。だから、馬車がいいと言ったのに」
「はやーい!目が回りますのー!」
かみ合わない会話はいつものことだ。

「運転手!後どれくらいですか」
夜だというのに黒い眼鏡をかけた青年を面白そうにミラー越しに見つめて、運転手は口元のひげを揺らした。
「旦那さま、あと少しの辛抱でございますよ。ほら、競技場が見えてきました」
蒼い顔の口元を手で塞いで、シーガは運転手のさす正面の景色を見つめた。

それは、改装中だという、この街の競技場だ。円形の石造りのそれは、城壁より立派な石壁を半分ほど崩した不気味な様子で、暗がりの中にたたずんでいた。
工事用のテントの小さなランプの明かりだけが、あたりを照らしている。
落日の名残を残す夕闇の空に黒々とそびえる。古い建物の放つ瘴気に、シーガは眉をひそめた。車のライトがテントの前で出迎える人影を映し出す頃には、シーガはますます気分を悪くしていた。

「う、最悪ですね」
「シーガさま、ミキーは何だかドキドキしますの!分かりますの!」
喜んでいるのかなんなのか、少女は青ざめる青年の手を両手で握り締める。

ミキーの耳にも、何かが聞こえていた。それは、これまでの経験からユルギアに違いなかった。
シーガと同じものが聞こえることに、彼女は喜びを感じている。そのあどけない表情を見るとシーガは余計に疲れを感じた。
それは、聞けるものと聞けないものがいる。気付かぬものと気付くもの、と置き換えてもいい。少女はただ、気付くだけだ。
シーガはそれを感じ取ると同時に吐き気に襲われる。それが慣れない車のせいでないことは経験で分かっている。シーガは理解できるもの、ミキーは理解できないもの。そこが二人の違いである。

「…」
「シーガさま?お手手が冷たいのです。嫌なユルギアですの?」
「…うるさいと言っています。ミキー、お前は何の役にも立たないのだから、せめて黙っていなさい」

瘴気を放つその古い建物をシーガは見ないよう、見ないようにと顔を背けていた。
「旦那様、さ、降りてください。私はこちらでお待ちしております」
運転手が後部座席の扉を開けた。
引っ張られるようにして、青年と少女は車から降りた。
「まったく、こんな仕事請けるものではありませんね」
「でも、シーガさま、石を感じるってそうおっしゃったですの」
「…自動車に乗るくらいなら、石などどうでもよかったのです」
ミキーは首をかしげた。

依頼の封書が届いた時には、とても嬉しそうだったのだ。
探している大切な石が関係するのだと話していたのに。
「シーガさま、うそつきですの?石と自動車とどちらが大事ですの?」
「…うるさい。人は矛盾するイキモノだ。お前とは違う」
悪戯を見つけられた少年のように一瞬表情を歪めると、すぐにまたいつもの冷静な顔をする。ミキーは垣間見える青年の表情を楽しむかのように、その顔を真似して見せた。
もちろん、シーガは無視している。
次へ 
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「想うものの欠片」第一話プロローグ 3



出迎えた男は工事責任者のダーレフといった。日に焼けた腕を差し出して半ば強引にシーガと握手を交わした。
「しかし、なんですな、予想していたよりずっとお若い」

ひげの下で笑う男に、シーガは黒い眼鏡の奥から睨んでいた。
「こんな、生っちろい腕で、本当に大丈夫なんですかねぇ」
「あなたのその言い分は私を選んだロゼルヌ卿をも批判しているように感じられますが」
シーガの一言にダーレフは肩をすくめて、人の悪い笑みを浮かべた。
「こりゃ旦那、お気を悪くなさったのでしたらすみません。ま、見てください、この有様で」


男が歩く後を、シーガとミキーがついていく。
競技場の敷地は、鋼鉄のフェンスで囲まれている。大理石の彫像を左右にあしらった門から入っていくと、石畳の歩道に沿って小さな石の灯篭が心もとなくろうそくの炎を揺らしていた。炎につれて揺られるシーガの影をまたいでみたり、踏んでみたり。ミキーは楽しそうについてくる。

「経費削減って言う奴ですかね、きっかり、日付が変わる頃に燃え尽きるようにされているんでさ。テントだけは、何とかランプを許していただけましたがね。なんですな、このポオトの街は豊かだって聞きましたが、領主がこれほどけちだとは思いませんでしたよ。これじゃ、街の業者が請けないわけですな。私の町はここよりもっと小さいですがね、領主さんが発電機を造らせましてね。町の仕事を請けるときには、そいつのおかげで夜も明るくてね。助かりますよ。仕事柄あちこちの町に行きますがね、今じゃ都会と田舎じゃまったく違う。いや、私の町が都会だなんて言っている訳ではないですがね」

男は外壁の石材を積み上げた山の脇を抜けて、テントの脇を通り過ぎる。そこから先は灯篭がないために、ダーレフの持つ小さなランプ一つになった。

「工期が決まってるんでね、こっちも慌ててるんです。そんで、宿の親父に到着次第知らせてほしいと伝えてあったんですよ。ロゼルヌ卿は商工会の連中と会合とかでしてね。まあ、何を話し合っているやら、怪しいもんです。知ってますか、旦那、この街で商売やるには商工会にかなり払わなきゃなんないそうですよ。ま、おかげで娼婦はそれなりの玉が揃っていますがね」

「うっとうしい限りですね」

「ですよねぇ、商工会がこんなに力を持ってる街は珍しいですよ。俺の街なんか、茶飲み会に毛が生えたようなもんでして、いえね、従兄弟がそれに参加してましてね」

「…少し黙ってもらえますか」

どうやら青年がうっとうしいといったのは、男に対してだったらしい。男は袖を引き、口に人差し指を当てている少女に今やっと気付いた。
「あ、こりゃ、すみません」
少女がにっこりと見上げる。

その大きな瞳は闇の中でランプの光を受けて艶やかに見えた。赤い唇が妖艶ですらある。男はごくりと生唾を飲み込んだ。
袖を掴んでいた少女の手を取ろうとした。
するりとかわして、少女はちょこちょこと青年の脇に駆け寄る。
ダーレフは胸を押さえた。鼓動が高まっているのだ。心臓でもおかしくしたのかもしれない。

月明かりもない夜。
どんよりと湿った空気にシーガは辟易していた。
その風には、海のものでも人のものでもない何かが含まれている。
ダーレフは簡単に作られた木の柵をぎしぎしと動かし、その隙間を通り抜けて壊れかけた競技場の正面入り口に二人を案内した。

そこにも大理石の彫像が二つ黒い影となって立ち、数段の階段を上ると立派なアーチが出迎える。彫刻は美麗で、ところどころ古びてはいるものの荘厳なそれは壊すには惜しいものだ。神殿にも似たつくりだ。切り出した石だけで組まれたそれは、自重でアーチを支えている。内部はさらに暗く、足元も見えないシーガとミキーは、知らず知らずに手を握り合って歩いていた。

「立派でしょう、この石は遠いゴーランの街から切り出して運ばれたそうです。今じゃ同じものを手に入れることは出来ないんでね、できるだけ再利用するって話ですよ。しかし、旦那、そのけったいな眼鏡はなんです?そんな黒いんじゃ、何も見えないんじゃないですか」
男は、足元を確認し、二人にも見えるよう、出来るだけランプを持ち上げながら振り返った。

「すべてが見えたからといってどうなるものでもありません」
青年の言葉に、ダーレフはまた肩をすくめた。
「ほら、コレですよ」
男がランプを左右にゆっくり振って見せた。

入り口のゲートを抜けるかどうかというあたりだろう。向こうには開けた芝の原が月明かりに夜露を光らせていた。その手前、建物の石組みを覆うように黒々とした植物の根のようなものがはびこっていた。床の石材を浮き上がらせ、壁を突き抜けている。それは、太いところでは大人の胴ほどの太さがあり、細く伸びた先は火箸ほどだ。幾重にも分岐し、崩しかけた城壁の石を抱え込んでいる。

「これですよ。見たことない木でしてね、コレに斧を入れた職人は皆何かしら怪我をするんで。もう、わしのとこじゃ怖がって誰も手を付けたがりません。一週間手を付けられずにいる間に、ずんずん伸びましてね。今じゃ、この競技場の建物内側を覆いつくしているんです。本当の根っこが何処にあるのかもわからない次第で」

ダーレフは天井に這う植物を見上げた。ぎしり、と木の根が動いたように感じた。軽口を叩いていた男も一瞬表情を引きつらせ、木の根が抱え込んだ石がボロボロと小さな欠片を落とす場所を大きく迂回した。
それに習うように少女も見上げた。

シーガだけは、天井には視線を向けず足元の木の根をじっと見つめ、深いため息をついた。
「どうです、旦那。どうにかなりますかね」
「…ロゼルヌ卿に、話さなくてならないな」
「へえ!コレが何だかお分かりですか!」

感心したようにダーレフが大きな声を出した。
その声は反響して、奇妙な山彦のような声を返す。
「静かにしなさい。とにかく、今日は帰ります。ロゼルヌ卿に明日馬車で、いいですか、馬車ですよ。迎えに来るように伝えてください」
「へ、へえ!」
シーガがダーレフのランプを奪い取ってきびすを返したので、男はおびえたように高い声を出して青年の後を小走りに追いかける。
同様に、慌てて走り出した少女が転びそうになるのを助けながら。
いつのまにか少女は怯えて無口になっていた。何度も、振りかえっては競技場を見つめた。

次へ 




「想うものの欠片」第一話プロローグ 4


翌朝ミキーが自分のベッドから起き出した時には、すでに青年の姿はなかった。
慌ててブーツを履くと、真っ白な膝までの夜着の上にブラウンのニットコートを羽織ると部屋を飛び出した。
「どちらに?シーガさま?」
二階にある部屋のすぐ前は吹き抜けを囲むように回廊があり、少女は木製の手すりに寄りかかると、階下の宿の主人に声をかけた。
「あの、おはようございます!」

主人は声の主が分からなかったようで、きょろきょろと禿げかかっている頭をかきながら見渡す。
「ええと、今行きますの」
少女が階段を降り始めて気付いたのか、主人がカウンターから出てくると階段の途中のミキーに挨拶した。
「おはようございます。どうなさいました、慌てて」

丁度主人と同じ目の高さのところでミキーは留まると、結っていない髪を思い出したのか慌てて前髪を手でなでる。
その仕草がかわいらしく、主人は表情をほころばせた。
「あの、あの、シーガさまがいらしゃらなくて!」
少女は大きな瞳に涙を浮かべていた。
「シーガ様よりご伝言をいただいておりますよ」
「あ、あの、シーガさまはどちらにいらっしゃいますの?」
少女の手が主人の手を両手で包んだ。羽織っただけのコートの胸元で白い夜着がちらちらとのぞく。
「大丈夫ですよ。シーガ様はお出かけです。ロゼルヌ卿からのお迎えがいらして」
「お、お帰りは?何時ですの?どうしてミキーを置いていかれたのですか」
少女は泣き出しかけていた。

「落ち着いてください。お手紙を預っておりますよ。こんな可愛らしいお嬢さんを置いていかれるはずはないでしょう?すぐにお戻りになりますよ」
「…」
「本当に、心配をかけて、悪い方ですねシーガ様も」
主人は心からそう思った。この少女が青年の従者なのか二人の関係は不明だが、見知らぬ宿に一人残されて不安がることは十分承知のはず。それを黙っておいていくのだから、無愛想な青年の性格を疑いたくもなる。
ぶつぶつ言いながら主人はカウンターに戻って、その奥から紙を丸めた筒を取り出した。細い白絹のリボンで結んである。
ミキーはそれを両手で受け取る。

服の袖が長いためか、指が三本しか見えない。いじらしく感じて、主人は目を細める。少女はぺこりと礼儀正しくお辞儀して、部屋で読むつもりなのか階段に向かう。
その後姿に、主人は朝食を運ぶと声をかけた。
少女は一旦、階段の途中で止まり、下から手を振る主人に、小さな手を振って応えた。

無愛想な青年のお供にしては、少し変わっていると主人は思う。青年の様子から裕福な家庭であることは確かだ。普通、貴族の子息は同年代の従者を伴うものだ。護衛でもあるし話し相手でもある。女性を伴う場合は恋人だったり伴侶だったり。それでも身分の高い人々は男女二人では旅をしない。必ず従者が付く。

自動車で移動するにしろ、馬車で移動するにしろ、大衆の利用する乗り合い馬車を使うはずのない彼らは、運転手あるいは御者が必要になるからだ。二人が黒い小さな馬車で到着したことは知っていたが、御者の姿はなかった。

御者だけ安宿に泊まらせることもあるが。
それにしても、様子から兄弟ではない。親子ほど離れているわけではなさそうだが、恋人には幼いだろう。お供にしては頼りない。
少女の鈴の音のような声を思い出す。今年十五になる自分の娘とは随分違う。
「何、にやにやしてんだい?」
キッチンの奥から、おかみさんがエプロンで手を拭きながら出てきた。
「あ、いやなんでもない」
「おかしな人だよ、熱でもあるのかい?顔が赤いよ」
言われて初めて、主人は自分の頬が火照っていることに気付いた。
本当に不思議だ、熱でもあるのだろうか。
「あれ、本当に熱があるよ」
女将さんが額に手を置いて驚くと、主人は急にけだるくなる。二階の客に食事を運ぶよう頼むと自分はカウンターの奥のイスに座りこんだ。何度も自ら額に手を置いて不思議そうにため息をついた。


ミキーは、部屋の端に置かれたテーブルを、明るい窓際に引きずってくる。よいしょと小さく声を出しながら、イスをそこに添える。テーブルの上をハンカチで綺麗にふき取る。

イスに座ると、先ほどの筒になった書簡をそっと置いた。
嬉しげにリボンをそっと引く。
つるりと解ける瞬間を楽しむように目を細める。
「うーん、シーガさまの香りがするの」

くんくんと深く鼻で息を吸って、それからにっこりと笑う。ニットコートのお尻のあたりがむくむくと動いた。ふわふわした髪の中から、たれた大きな耳がピクリと姿を現していた。
小さな物音も彼女の大きな耳には届く。白いウサギの耳のようなそれが、ぴくんと立ち上がった。
階段を誰かが上ってくる。
部屋の前に立った。

慌ててイスからおりると、髪からはみ出した真っ白な耳を慌てて隠した。コートのすそからちらりと見える白い尾も数回なでるように押さえつけると、少女は戸口の前に立った。
ちょうど、ノックの音が響いた。
「お嬢さん、お食事をお持ちしましたよ」
「はあい」
開くとすぐに目の前に少女がいることに驚いたおかみさんが、トレーをひっくり返しそうになってミキーは慌てて支えた。
「ありゃ、すみません」
「いいんですの」
トレーを受け取ると、ミキーはにっこり微笑んだ。
女将さんは一瞬、目を見張って少女の手を見た。少女はありがとう、と笑って扉を閉めた。
トレーをテーブルではなく床に置くと、ミキーは再び嬉しげに書簡の乗ったテーブルに向かう。

「わかっちゃったかなぁ」

そうつぶやいて、自分の手を見つめた。小さな白い手。そこには、少し長い関節のない柔らかな指が三本だけ。表面は艶やかな絹、中は真っ白な綿。三本指の手のひらを握ったり開いたりしながら、少女は再び開きかけた手紙に向かう。

「シーガさまがおそばにいれば、ばれないのになぁ」
もう一度手紙に移った青年の香を楽しんで、それから開く。
中身を読んで。何度も大きな目を瞬きした。

次へ 

「想うものの欠片」第一話プロローグ 5




「ごちそうさまでしたの」

少女がカウンターにトレーをことんと置いても、誰も出てこない。きょろきょろと見回し、人影もないので、ミキーはくるりと身を翻して飛び跳ねるように宿の玄関に向かった。楽しそうに宿の玄関の泥落としにブーツを二回こすり付ける。朱に塗られたかわいらしい木枠の扉を押し開くと、高い位置に付けられた小さな鐘がちりりんと鳴る。


正午過ぎの街は、暖かい日差しの下、穏やかに静まり返っていた。
少女は白いレースの縁取りのついた絹の帽子を目深にかぶり、白いブラウスに黒いワンピース。その下に黒い半ズボンという昨日と同じいでたちで宿の前の通りに立った。高い場所にあるこの宿からは、緩やかに下る入り組んだ細い路地や家々の屋根、広場や公園で子供たちの遊ぶ姿が手に取るように分かった。


街の繁華街は港から程近い辺りに湾を囲むように広がっている。ここからは小さく屋根が見えるだけだ。東の山に向かって街並みはだんだん古く、くたびれてくる。周辺の家々には漁の後だろう、網を長く伸ばして繕う漁師の姿が見えた。魚のにおい、昨日シーガが嫌がっていたものはこれかしら、とミキーは遠くからそれを眺めた。
少女はこてこてと歩き出し、石畳の白い石を選んで踏みながら広場を目指していく。


街の繁華街に近づくたびに街は新しく小奇麗になっていった。石造りの白い壁、オレンジ色の屋根。窓の木枠はどれも赤い色で窓枠には決まって白と黄色と紫の小さなビオラが植木鉢ごとつるされていた。何軒も連なっていると、とても綺麗だ。
花の香りに、くんくんと嬉しそうにしながら、少女は程なく目指す広場までたどり着いた。


それは教会の隣にあった。
教会の礼拝堂の脇の細い道から回りこんで、石段で五段数えて降りると、針金で作られたフェンスで囲まれた四角い広場があった。柔らかい土の感触にミキーは二度、足を踏みしめる。
四角いそこは、ボール競技の小さな練習場のようになっていた。
十数名の少年たちがボールを蹴って追いかけている。


「お前、なんだ?」
ミキーの後から石段を降りてきた少年が、丸い鼻をこすって立っていた。


「あのね、お願いがあるんですの」
十五歳くらいだろうか、黒髪の日に焼けた少年はミキーの顔を見るなり、真っ赤になって、数歩、後ろに下がった。
「テデ!何してんだ、遅いぞ!うちのチーム五人しかいないんだ、負けてるよ」


丁度、転がったボールを取りにきた別の少年がミキーの隣で立ちすくんでいる少年に声をかける。
テデと呼ばれた彼は、まるで魅入られたようにミキーから目が離せない。
「何してるんだ、誰だこいつ。よそ者と話してると親父に怒られるぞ」
日に焼けた漁師の子だろう、赤毛の少年は駆け寄るとテデの腕を引いた。怪訝な顔をしてテデが見つめる少女を睨んだ。が、それも長く続かなかった。

少年の青く澄んだ瞳に、ミキーはくん、と首をかしげて微笑む。白い頬、艶やかな唇、そして吸い込まれるような瞳、亜麻色の巻髪がゆらと揺れて、日差しの反射なのかまぶしくて仕方ない。赤毛の少年は凛々しい眉をだらしなく下げて、何度も瞬きした。


分かりやすく言えば。恋に落ちていた。


「お、…お前、どっから来たんだ、誰なんだ?」
たどたどしく言葉をつなげて、そこまで言うと、少年はやっと息を吸った。
「何だよ、ルーファ。誰だよそいつ」
「おい、試合途中だぞ」
「なに、どうしたんだ?」
口々に好き勝手なことを言って少年たちが駆け寄ってきた。
あっという間に、ミキーは八歳くらいから十六歳くらいまでの少年の輪の中心にいた。
みんな、ぽかんと、口を開けて少女を見ていた。


「ミキーといいますの。昨日、この街に着いたの」
にっこりと少女が微笑むと、ルーファと呼ばれた少年が、赤毛をかきむしりながら笑った。
「あ、あのさ、もしかしてこの街に住むの?」
「すげー、可愛い!」
少年たちは互いに押し合って前に出ようとしていた。
「見えないよ」
「おい、前に出るなよ!」
「押すなって!」
「ルーファ、お前父ちゃんに知らせないとさ、新しい住民は登録が必要なんだ」
テデが赤毛の少年の長袖のシャツを引っ張る。
「何処に住むの?」
「海区だよな!挨拶に来たんだろ?」
「まじかよ、お前の父ちゃん、漁師なのか?」


いっせいに皆に声をかけられて、ミキーは困惑した。
「まあ、待て!いっぺんに話したら困っちゃうだろ!俺が代表で話す!」
ルーファがミキーの正面に廻ろうとする少年たちを背中で押さえると、少年より頭一つ小さいミキーを覗き込むように見つめた。


「お前、ずるいぞ!」
背後からの年上の少年に、ルーファはきっと睨み返した。
「文句あるのか?」
ルーファは年上の少年と同じくらいの身長がある。少年にしてはがっしりした腕を胸の前で構えて見せた。喧嘩したいならするぞ、という意思表示だ。少年たちの中で中心的な存在なのだろう、年上の少年も口を尖らせつつ一歩下がった。


「俺、ルーファっていうんだ。親父が漁業会の会長なんだ。この街で分からないことがあったら俺に聞いてくれよ、何でも教えてやるぜ」


ミキーが帽子を少しずらして、少年を見上げると白い頬が日にさらされて眩しい。いっせいにおおーと、少年たちのため息がもれた。
少女は真っ白な柔らかそうな頬を薄桃色に染めて、くるりとまつげの長い大きな瞳で少年たちを見つめた。柔らかな亜麻色の巻き髪が頬と胸元に揺れる。少女が瞬きするたびに、少年たちは吸い込まれるように見入った。
幾人かは、初恋とはこれだとばかりに胸を躍らせたに違いなかった。

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「想うものの欠片」第一話プロローグ 6




「あのね、私、競技場の工事のお手伝いに来ているの」
「え?」
少年たちの笑顔が曇った。


ルーファが少女の肩に手を置いた。
「あのな、俺たち漁業会の仲間は競技場の改修に反対なんだ。建物自体は何にも問題ないんだ。なのに、商業会の奴らが、客を呼ぶためにもっとたくさん人が入れるようにするって言う話だ。結局奴らは金儲けだけなんだ。伝統ある競技場を壊すなんてさ。お前の父ちゃん、工事業者なのか」
ミキーはこくんと頷いた。
「確か、隣町から呼んだって聞いた。この街じゃ、引き受けるとこがないからな」
ルーファが淋しげに手を離して、一歩下がった。


「じゃ、お前は何の用でここに来たんだ?」


「あの、お願いがありますの。工事は今止まっていますの。もうずっとお手入れしていないのに競技場の芝がとっても綺麗だから、遊びたい子に来てもらいなさいって言われたの」
シーガさまに、とその一言は小さくなる。

「入れるのか?」ルーファが目を丸くする。
競技場は街の代表チーム専用だ。漁業会の会長である父が大会の前の花束を持つ役を一度だけやらせてくれた。それ以来、足を踏み入れていなかった。
ボール競技を楽しむ少年たちにとって、その競技場は憧れだ。


「本当なのか?本当にあのきれいな芝生の上でボールを蹴ってもいいのか?」
「はい。壁は壊れかけているけれど、芝生はとっても綺麗なの。まるで誰かがそこでボールを蹴ってくれるのを待っているみたいだって言って。誰でも使っていいって言ったの」
なるべくたくさんの人に、そう手紙にはあった。
だから、目に付いたボールを蹴っている人すべてに声をかけるつもりだ。

ルーファの表情が明るくなった。
普段は見ることしか出来ない芝生の生えた球技場。そこでボール競技が出来る。少年たちは互いに見合わせると、ルーファが頷いたのをきっかけに歓声を上げた。
階段を駆け上って、まるで競争のように礼拝堂の前に置かれた自分の自転車にまたがる。自転車のないものは誰かの後ろにしがみついた。


「俺の自転車に乗せてやるよ」
ルーファはミキーの手を引いた。
少女の手が真綿のように柔らかだったので、思わず手を離す。
「うふふ」
笑うミキーと目が合って、真っ赤になるとついて来いとつぶやくように言って先に階段を上る。ミキーはチョコチョコとその後に付いていった。


自転車は心地よい午後の風を切って走る。
「うわー、気持ちいいですの!」
「お前、軽いな!誰も乗せてないみたいだ」
少女がそっとルーファの腹に手を回すので、少年はドキドキしていた。
甘い香りがする。


競技場は繁華街を通り抜けた先、南の丘にある。
もともと高台にあったルーファたちのテリトリーから競技場まで、ずっと緩やかな下り坂だ。
石畳で時折自転車はごとごとと揺れたが、そのたびにミキーはキャと笑った。通り沿いの建物は、広い通りに出ると急に大きくなった。どれも三階建てくらいで、尖った屋根、やはり赤い窓枠に白い壁。隙間もないくらいびっしりと並んで、パン屋さんだったり花屋さんだったりする。軒先に風見鶏が付けられたカワイイ磁器のお店にミキーは目を吸いつけられる。
「素敵」
「ん、まあ、な。俺たちとは、人種が違うんだ」
「ジンシュ?」
「ここいらは商業区。俺たち海区の住民とは生活が違うんだ」
「と、止めて!!」
ミキーが急に大きな声を出した。


「何だ!?」
ルーファは慌ててブレーキをかける。バランスを崩しそうになって手にじわりと汗をかきながら、何とか通りに立つ街灯の柱にぶつからずにすんだ。
「びっくりするな、危ないだろ」
ルーファが後ろを振り向くと、少女はちょうど、ぴょこんと飛び降りたところだ。


「ルーファ、惜しかったよ!みっともないとこ見損ねた」
声のしたほうは、公園だった。奥には教会の蒼い尖塔と十字の御印がある。公園はそのまま、墓地と隣り合わせになっている。


美しい花壇に囲まれて、死した者への楽園を約束するかのようだ。白い腰高のフェンスに囲まれた敷地には並木が風に揺れ、その木陰では犬を散歩させているご婦人が、日差しを避けるための小さな傘を肩に乗せていた。
優雅な休日の昼下がり。ミキーの泊まっている宿のあたりとは印象が随分違う。


声の主はルーファと同じくらいの歳の少年で、金色の髪をさらりと流して、腰に手を当てて笑っていた。
「シド、うるさい!」
ルーファがにらみつけた。
「あの、シドさんもボール蹴りするんですの?」
ミキーがちょこちょことそちらに向かおうとするので、慌ててルーファはミキーの手を取った。柔らかな白い手は長いブラウスの袖に隠れている。力を込めれば折れてしまいそうなくらい、はかなげだ。


「誰だよそいつ、ルーファの女か?」
シドが腰の高さの木の柵に上半身を預け、ゆさゆさ揺らしながら笑う。
「なんだよ、シド、誰と話しているんだ」
シドの後ろから、シドと同じ海の色のシャツを着た少年たちが集まってきた。

皆同じ服装だ。足元は膝下までの綿の靴下に高級な革の運動靴。ルーファはきゅと唇をかむ。海区の少年で靴下を持っている子は一人か二人。ほとんどが裸足に兄弟のお下がりの靴をはいていた。
裕福な商業区の子供たちは、自分たちとは違う。けれど、生粋のポオト人である俺たちは、どんなやつらより強い。そう言い聞かせられて育っていた。


バラの生垣に囲まれた緑の芝生の広場で優雅にボールを蹴るやつらとは友達になんかなれない、それが海区の少年たちの掟だ。
商業区の少年たちを睨むと、ルーファはミキーを引っ張って、その場から放そうとした。


「うわ、すげ、カワイイ」
「誰だよ!その子」
「ルーファ、お前乱暴するなよ!」
「そうだよ、放せよ!」
「嫌がってるだろ」
わいわいと騒ぐ少年たちに、今度は大人たちも集まってきた。
少年たちのボール蹴りを見に来た親たちだろう。今日は、商業区の休日だ。
「何を騒いでいるんだ、シド。あ、やあ、ルーファ。こんなところで珍しいね。おや、その子は見かけないが…」
シドの父親が隣に立つと、被っていた帽子を取って、まじまじとミキーを見つめた。


「こんにちは、スタリングさん」
ルーファは憮然としたまま挨拶を交わす。一応父親の面子もある。苦手な商業会の会長でも、下手な態度で父親の格まで下げるわけには行かない。
「ミキー、この人が商業会の会長さんで、ランカ・スタリングさんだ。シドのお父さん。スタリングさん、この子、競技場の工事関係者の方の娘さんなんだ。ミキー、ええと」
「ただのミキーですの」
にっこりと微笑まれると、スタリングさんも少し頬を赤くした。
「あの、皆さんボール蹴りをしますの?」
「あ、ああ、そこの赤毛のチームみたいなへぼじゃないぜ」
シドが言って周りが笑った。これ、と父親はたしなめてはいるものの、表情は笑っていた。


ルーファは悔しげに拳を握り締める。つないだ手にそれを感じて、ミキーは隣のルーファを見あげた。次に、大人たちを見た。
「競技場で、一緒に遊びましょう」
ミキーの言葉に、静まり返った。
「芝生がとってもきれいだから。今なら誰でも遊べますの」
「競技場は…、よくないよ」
それは、ルーファたちが見せた反応とは少し違った。
シドは顔を青ざめさせていた。


「ミキー、こいつらまで呼ぶことないさ。行こうよ、俺たちだけでやろうぜ」
「ま、待てよ!ルーファ、あそこは、その」
シドは柵を乗り越えて歩道に止められたルーファの自転車を押さえた。
「なんだよ、邪魔すんなよ」
眉を険しくする赤毛の少年に、シドは何度も瞬きして、真剣に見つめた。
「シド、放っておけよ、自業自得さ」
少年の一人が言う言葉に、シドはきっと睨み返した。
「バカいうなよ!死んだ人もいるんだ!あんな危ないところ、子供だけで行っていいわけないだろ!」


言い返すシドに、一番驚いたのはルーファだ。自転車にまたがったまま、蒼い目をまん丸にしていた。
「なんだ、それ」
「ルーファ、お前の仲間だけで行ったのか?止めたほうがいいぞ!あそこ、ユルギアが出るんだ!もう、何人もけが人が出ていて、だから、工事も街の業者は請けないんだ!」

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「想うものの欠片」第一話プロローグ 7




ユルギア。
それは不可思議な現象や物事の根底には必ず関っているといわれている。伝説の存在。
人間が恨みなど強い思念を持つと生まれるのだ。地域によっては神に逆らった人間が命を落とすとユルギアに生まれ変わるなどとも伝えられる。何かよくないことが続くと、悪いユルギアに付きまとわれているなどとうわさされるのだ。
実態はあまり知られていない。


ルーファはにやりと笑った。勝ち誇った表情だ。
少し大胆になって、荷台に横向きに座ったミキーの手を自分の腹に回させると、少年たちに余裕の笑みを向けた。


「ユルギア?何言ってんだよ、信じてるのか?そんなの。弱虫だな!俺は行くぜ。もう皆先に行っているんだ」
「ルーファ!」
「ミキー、行くぞ」
少女は慌ててルーファにぎゅっと捕まる。
「みなさんも来てほしいですの」


ミキーの言葉にシドは思わず数歩下がる。表情は怖いものを見た顔だ。
ミキーはにっこり笑った。
「大丈夫ですの」
自転車がぐんと進みだして、ミキーの澄んだ声と長い亜麻色の髪がゆらりと流れていく。見送る少年たち。


ルーファは三区画ほど離れた競技場の大きな影をまっすぐ見つめていた。
「な、ミキー、お前はユルギアを信じるのか?」
「ユルギア?はい、信じますの」
「本当に、いると思うか?目に見えない力とか、死んだ人間の怨念とか、普通じゃないイキモノとか」
「はい。神話にもたくさん出てきますの。ルーファは怖くないですの?」
自転車のスピードが上がった。


「ユルギアの物語はさ、人々に対する戒めのための空想上の生き物だって言うぜ。悪いことをしてはいけないっていう。神に逆らうものは人間ではいられないんだ。でもさ、神様だって、いるかどうか怪しいんだ。本当は神様って礼拝堂や聖堂にはいなくて、みんなの心の中に正しい神様はいてさ、それを信じて祈るんだ。あ、コレは親父の受け売りだけどな」
「心の中にもユルギアはいるんですの?」


「神とユルギアは違うさ。俺の親父は海の男なんだ。海に出るとさ、本当に、人間なんかちっぽけだって思い知らされるって言っていた。危ない目にあったり、嵐に出会ったりすると神に祈る余裕なんてないんだって。生きることのほうが大切に思える時だってあるんだ。それで精一杯働いて無事に戻れた時に、心から神に感謝するんだ。だから親父は礼拝堂には行かないけど、いつも心の中でお祈りしているんだってさ。商業会の連中はバカにするけど、親父は牧師さんより神に近いところで生きているんだと思う」


少年が話す父親の姿を想像して、ミキーはうっとりと目を閉じる。心地よいお話を聞いている気分だ。
「お父さんのこと大好きなんですね、素敵ですの」
「へへ、なんか、照れるな」


競技場の前は丸い模様を大理石で彩った広場で、その真ん中を曲線を描く水路が横切っている。ぐるりと競技場を囲むように作られた、馬二頭分くらいの幅の水路だ。
昨日見た灯篭は、それを渡る橋の欄干にある魚の姿を模したかわいらしい彫像だった。競技場の正面に向かう橋の下では、山から海への水だろう、心地よい音を立てて流れている。海に向かって傾斜しているこの街では、雨水を逃がすための水路があちこちにある。


橋を渡ったところにダーレフが立っていた。
橋の真ん中に立つ少年たちと睨み合っている。
少年たちはルーファの姿を見つけると、口々に早く来いよと騒ぎ立てた。


「このおっさん、通してくれないんだ」
「どうなってんだよ、入れるんじゃないのか?」
ルーファが自転車を止めて後ろを振り返ったときには、すでにミキーは橋に向かって走り出していた。いつ自転車から降りたのか、ちっとも分からなかった。
「おじさま、シーガさまのご命令なのです」
道を開けた少年たちの真ん中をミキーが駆けつけると、ダーレフは眉をしかめた。
「俺は感心しないぜ、お嬢さん」
「大丈夫ですの。シーガさまの言う通りにしないととっても怖いですの」
少女が男の手を取って、大きな瞳で見上げる。その真剣な表情に、ダーレフは再び鼓動の高まりを感じて、思わず手を引いた。


「入っていいですの?」
男がしぶしぶ頷くと、ミキーは後ろを振り返ってルーファに笑いかけ、自らも男の脇を抜ける。
「ありがとうございます!」


にこやかに少年たちに挨拶されて、男は黙ってその姿を見送っていた。
それから、自分の手を額にあてた。
くらりとめまいまで感じる。少女に感じる動悸もおかしい。微熱があるのだが、それももしかしてあの黒い植物のせいなのかもしれない。そう感じたダーレフは、この際、仕方がないとシーガの方針に従うことにした。


あの植物に絡み取られた通路を抜けて、暗がりから日差しのある競技場へと少年たちは駆け込む。
昨夜感じた恐ろしさも今は微塵も感じられない。ミキーは不思議そうにそれを見上げた。気にせずに通り抜ける少年たちの瞳は、まっすぐ緑の芝生に向いている。心がまっすぐだからかしら、と少女は首をかしげた。

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「想うものの欠片」第一話プロローグ 8


「うわー!すげー!広い」
眩しさに、ルーファは立ち止まった。
「綺麗だなぁ!」
ぐるりと取り囲む観客席、一層式ではあるが、傾斜の急な観客席はまるで城壁のように芝生のグラウンドを囲んでいた。何度か観戦に来たときは、あちらから見下ろしていた。あのときよりずっと、広く感じた。

「ルーファ、早く!」
「ああ!」
先を行く少年たちにそう叫ぶと、ルーファは通路を抜けたところで立ち止まっているミキーを振り返った。
「な、日の当る、俺たちから見えるとこにいてくれよ。もし、なんかあったら嫌だからさ」
信じないといいつつも心配する少年に、ミキーは目を細めて飛び切りの笑顔で答えた。
優しい父親を想像できる。
少年を見送ると、ミキーは直ぐ前に広がる芝を踏みしめた。向こうから少年たちの楽しいそうな歓声が聞こえた。さっそくボール競技の試合を始めたらしい。白いボールを追いかけてルーファも元気に走っていた。
ミキーは足元をじっと見つめながらとことこと芝の上を歩いた。石畳とも土とも違う。柔らかい感触に嬉しくなって、ぴょんぴょんと二度、そこで飛び跳ねてみた。
「うーん、靴脱ぎたい!靴脱ぎたい!」
「芝の上ははじめてかい?」
気付くと隣に青年が一人立っていた。
金色の短い髪、がっしりした体格。濃い茶色の目で、少女を見ていた。
落ち着いた穏やかな声に、ミキーは胸に手を置いて一つ息を吐いてからこたえた。
「はい、芝生の上は気持ちいいですの」
「はは、そうだね。ここに夜露が降りるとね、早朝はとても美しいんだよ」
さわと、風が吹く。青年の視線に釣られて、ミキーも一面芝生のグラウンドを眺めた。今は眩しいくらい昼の日差しが差し込んでいる。
とくりとくりと、心臓が高鳴る。
傍に立つ青年。
静かで、穏やかなユルギア。
それでも、ミキーはどうしていいのか分からない。
シーガさまのお手紙には、そのことは書いてなかった。青年の手が、ミキーの小さな肩に乗る。じわりと、重苦しい気分が伝わる。
「いい試合だね、もう少し傍に行こう」
青年はニコニコ笑っている。嬉しそうだ。
「はい」
緊張しながらもミキーは逆らえない。
「不思議だね、君はとっても小さいのに、すごく魅力的に見える」
「そ、そうですの……」
「可愛らしいのに、どうして隠すの?その大きな耳」
青年のユルギアが耳元をくすぐる。
ミキーはぎゅと目をつぶった。
シーガさま、シーガさま!怖いですの…


「あ、あいつら!」
ふいに背後で声がして、ミキーの傍らをシドが駆け抜けていった。追いかけてきたのだろう、大人たちも一緒だ。きょろきょろと見渡しながら、それでも日の当る芝生に出ると誰もが足元を確かめる。
だれも、少女と青年には気付かないようだ。


晴天の下の球技場はまるで彼らを歓迎しているかのように心地よい空気が漂っていた。
「ルーファ、止めろよ!」
シドがルーファの腕をつかむ。
「平気だって、シド!やっぱり全然違うんだな、芝生の上ってさ!なあ、シド!一緒にやろうぜ。今日こそ決着をつけようぜ!」
赤毛の少年は頬を上気させ、満面の笑みを浮かべていた。
ルーファがそんなふうにシドを誘うのは珍しいことだった。それが嬉しい気がして、シドは仲間を振り返る。皆も、芝生に触ったり、足の感触を確かめたり。そう、ボールを蹴りたいのだ。
「よし、分かった!」


そうなると話は早い。少年たちは海色のシャツ一色のチームといろいろ混じったルーファたちのチームとに分かれて四角いフィールドのそれぞれの持ち場に広がっていく。そこに、一つのボールが投げられた。試合が始まったようだ。
走り回ってボールを蹴る子供たちを、シドの父親スタリングも一緒についてきた大人たちも穏やかに笑いながら見つめていた。
ルーファが先頭をきってボールを蹴りながらゴールに向かう。ゴールの四角い枠の前では、大きな体の少年が腰を低くして待ち構えている。
威張るだけあって、ルーファは上手かった。後ろから追いすがるシドをかわすと、ルーファはくるりとターンして、仲間にパスを出した。受け取った少年はゴールに向かってボールを勢いよく蹴りこむ。
惜しくもゴールの枠から少しだけ外れた。
「おー!」
見ていた大人や子供たちが歓声とどよめきとで彼らのプレーに応えていた。
漁師の子供たちは痩せてはいるものの、すばしこくて、シドのチームの子供たちより明らかに身体的に優れているようだ。ボールを取って走り出せば一直線にゴールの近くまで攻め込む。それに比べてシドのチームはボールの扱いが上手い。商業区の学校には専属の指導者がいるのだろう。皆、同じくらい上手だ。シドはテデがまっすぐ突っ込んでくるところを上手く奪うと、きれいなパスを仲間に繰り出す。そうして自分もゴールに向かって走り出した。
「シド!走れ!負けるな」
ランカ・スタリングは思わず大きな声を出す。
それにつられるように、一緒に来ていた大人たちも、口々に海色のシャツを着た少年たちを応援し始めた。
その次にシドに向かって蹴られたパスをルーファが奪い取る。まるでたくさんのルーファがいるかのようにどこにいても目立つ。
再びゴールに迫ったルーファは、シドを正面に一旦止まる。足元にはボール。
「そんな奴、突き飛ばしちゃえ!」
テデが怒鳴った。
「よっし!!」
ルーファは一旦左に抜けようと見せて、逆に体を切り返した。
「っと!」
慌ててシドが止めようと足を出すと、それは出遅れてルーファの足元をさらった。
「ファール!ファールだぞ!」
転んだルーファに駆け寄って、少年たちが口々に怒鳴った。
この位置では、ゴールに直接シュートできる。
ファールをもらえば、ルーファたちには大きなチャンスだ。
「違うよ!今のはファールじゃないよ」
今度はシドのチームが騒ぎ出す。
「レット、審判してやれ!」
スタリングがレストランを経営する太った男に声をかけ、じゃあ、と審判員の資格を持つレットが腰を上げた。
「ようし!仕切りなおしだ!」
レットが厨房の見習いを怒鳴りつけるような大声で告げると、どこから引っ張り出してきたのか、正式に試合時間を計るための大きな砂時計ががらんと返された。
笛が鳴る。

見に来た大人たちも、その音に興奮するのか表情を輝かせた。
少年たちはポオト・ルクスの応援歌を合唱し始め、大人たちもそれに合わせて歌いだした。お互いそれぞれのチームを応援しているのだが、彼らの知っている応援歌は同じだ。
同じ歌を歌いながらも、自分の子供たちがチャンスとなればそれは歓声に変わり、危なくなれば再び同じ歌を歌う。
漁師たち、商人たち。交互に歌う応援歌は競技場に響き渡る。

本物のポオト・ルクスは遠征中だ。この街に帰って来るのは数ヶ月先のこと。その間、寂しい思いをしていたのだろうか、応援歌を聞きつけて、街の人々が集まりだした。
歌声と声援は風に乗り、街を流れる。まるで人々を競技場に誘い込むように。
いつしか競技場は、在りし日の雰囲気をまとっていた。
「おや、久しぶりにポオト・ルクスの応援歌が聞こえると思ったら」
そういいながら、年老いた老人が、杖をつきながら入ってきた。ミキーの立つフィールドの端をよたよたと通っていく。
「おじいちゃんったら、母さんの声は聞こえないのに、応援歌だけは聞こえるのね」
呆れて笑いながら、老人の世話をしているのだろう孫らしい女性が後についてくる。
「ほれ見なさい。未来のポオタスたちじゃ。血が騒ぐのう!」
ポオト・ルクスの選手のことを町の人間は敬愛を込めてポオタスと呼ぶ。
まさしく、ポオト・ルクスに憧れる少年たちの幾人かは、いずれこの芝を違った形で踏みしめることになるだろう。

おじいさんや街の人は皆、憑かれたように少年たちの競技に見入っていた。誰も、ミキーが小さく震えていることに気付いてくれない。
青年のユルギアはミキーの髪をなで、帽子の下の隠れた耳を引っ張り出そうとしていた。
「いやですの…」
震えているミキーに青年は悪びれもせずニコニコしている。
「本当に可愛いね」
「君はやらないのかい?」
ミキーに、声をかけた人が居た。


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「想うものの欠片」第一話プロローグ 9




ミキーは呪縛に解かれたように、慌ててそちらに駆け寄った。
シドの父親、ランカ・スタリングがミキーのほうを見ていた。
「はい、見ているだけでいいですの」
半分しがみ付くようにする少女に驚いて、スタリングは笑った。
「あ、ああ、君じゃなくて」
シドのお父さんが、ミキーを通り越して先ほどの青年に声をかけたのだと気付いて、少女は恥ずかしそうに笑った。この人には、見えている。ユルギアが。ミキーは首を傾げつつも、ほっとしていた。


「僕ですか?」
青年はむしろ嬉しそうに、声をかけてきた四十代後半の男性の傍に歩いてきた。
「ああ。その服装は昔のポオト・ルクスのユニフォームだね。懐かしい。どうだい、一緒にやったら?楽しいぞ」
「僕はいいんですよ、子供たちの試合を邪魔しちゃいけませんから」
「ふん、遠慮深いなぁ。私が君くらいの年のころには、ボールさえ蹴られればどこでも誰とでもやったもんだ。子供相手ならなおさら、負ける心配がないからね」
ランカ・スタリングは青年に悪戯っぽくウインクして見せた。スタリングには青年がユルギアだと分かるはずもない。
「そうですか。友人にそういう奴がいますよ。ボールを見ると子供みたいになってしまう。あなた、彼にどこかにていますね」


青年が笑って答えた。すっかり、ミキーのことは忘れてしまったかのようだ。
「よかったですの……」
ポツリとこぼすと、帽子を直す。馴れ馴れしい青年のユルギアに、帽子を取られるところだった。悪意はないのだろうが、思うままに行動する彼らは獣に近い。
ほう、と甘い綿菓子のようなため息をついて、少女はそっと青年のユルギアを見つめた。


本来、普通の人にユルギアが見えることはない。稀に姿を見せる時には、何かしら理由がある。青年はまるで実体を持っているかのようにはっきりとした姿で、スタリングの言葉に答えた。
二人は楽しそうに会話している。まるで、旧知の友人のように。


「私はこれでも昔は選手だったんだよ。そこそこ活躍したんだ。当時は私からボールを奪えるのは神くらいだと、そう、信じていた。あの頃はね。それにしても、久しぶりに来たな。もう、そうだね、二十年になるか。私の走ったフィールドで、今息子がボールを蹴っている。なかなかいいもんだね。そうだな、壊される前に、最後に見ておくのもいいのかもしれないな」
感慨深くつぶやくスタリングに、青年が悲しそうにつぶやいた。
「壊される、ですか……」
おおー!歓声が上がる。
ちょうどシュートを決めて、ルーファは高々と手を上げてミキーに笑いかけた。
ミキーはルーファの笑みに両手を振った。
それを見て仲間が自陣に戻りながら、冷やかし半分でルーファの肩にタックルをかける。
シドと目が合うとルーファはにやっと笑って見せた。



その頃。
アラン・ロゼルヌ卿は、ただならぬ面持ちで馬車の座席に身を沈めていた。
隣に座る青年は無表情なままだ。
「大体、シーガ、君を雇ったのはファドナ様の推薦があったからだ。昨夜、ユルギアを見たのならどうしてその場で退治してくれないのかね!わざわざ昼間、しかも子供を使っておびき寄せようなどと。どういう考えなのか理解できん」
「退治ではなく、調査依頼でしたが?それに、あのユルギアは条件が整わなくては出て来ません。子供たちは必要です。何か問題でも?」


シーガは表情一つ変えずにロゼルヌ卿を見ていた。その、黒い眼鏡の向こうの瞳にはどんな表情が浮かんでいるのか分からない。
それもまた、卿を苛立たせる一つだった。
「例えば、だ。私は信じていないが、万が一にも君の意見が正しくて、競技場にユルギアがいたとしてだぞ。わざわざ子供たちを使うことはあるまい!子供たちに危険が及んだらどうするつもりだ」
「さあ?私はユルギアも好きではありませんが同じくらい子供も嫌いです」
ロゼルヌは天を仰いだ。
「いいかね、シーガ。私は、ユルギアなど信じてはおらん。競技場は、取り壊さなくてはならん。老朽化が進んでいる上、先日落石で人が一人死んだ」
シーガが目を細めた。


「いつのことです?なぜ、それを早く私に教えてくださらなかったのですか」
「先月のことだ。死んだのは管理人の老人だ。早朝の見回りの最中に落石に運悪く当ったらしい。発見されたときには死んでいたのだ」
ロゼルヌ卿が視線をそらす。
シーガはまた、小さくため息をついた。
「競技場でおかしなイキモノが工事の邪魔をする、ユルギアかもしれないから調査してほしい。そういう依頼だと、聖女ファドナから聞いています。なのに、その件を話してくださらなかったのはなぜですか?」
「私は、ユルギアなど信じてはおらん。管理人の事故とは関係ないと思っている。工事業者が気にしているだけだ」
青年が、黒い眼鏡を外した。


矛盾だらけの男の背後には、様々なものが見えていた。影だけのようなもの、時折きらりと光って男の首の周りから腕までを流れる水のように走るユルギア。意思を感じさせないくらい小さなものもある。多くの人、物事に関わって生きる者ほど、多くを引き連れている。だからといって、生活に支障が出るほどのものは見当たらなかった。
本人の強い意志にも関係があるのだろう。
ユルギアは大まかに言えば人間の残留思念。
すぐに消えるものあれば、長く残るものもある。
影響されやすい人間は、自らの思念の力が弱い場合が多い。


シーガは先ほどから、近寄ろうとして近寄らない老人らしき影に気付いていた。波のように、押し寄せては去っていく、彼の思念はロゼルヌ卿に悪意を持っていた。
だからこそ、ロゼルヌはこの場を嫌がり、近寄ろうとしない。
心当たりがあるのだろう。感じるのかもしれない。
老人は死んだという、管理人のように感じられた。
シーガは目を細めた。
「そうですか。なるほどね、それで納得できましたよ。あなたの傍にいる白髪の老人の意味が」
「!?」


領主は目をむいて青年を睨む。銀色の髪、翡翠色の瞳、典型的なシデイラの民であるシーガにも、初めて会う異民族であろうが、なんら態度を変えずに接してきた豪胆な男だ。


しかし、今は違った。
シーガの言葉は、背筋を寒くさせた。ロゼルヌ卿は口を閉じ、しばしシーガを見つめた。
シデイラは異教徒。ユルギアを見るという彼らを、通常は忌み嫌う。


この競技場の怪しげな植物を工事業者がユルギアだと騒ぎ立てた。そのため、ロゼルヌは教会を頼ったものの、異教徒排斥を訴えるロロテス派の司祭は相手にしてくれなかった。ユルギアなどいない、それが彼らの言い分だ。仕方なく、隣国の同じ教会に連なるミーア派の大司祭、聖女ファドナに手紙を書いたのだ。
そうでなければ、こんな得体の知れない男を雇うなどしなかった。

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