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「想うものの欠片」第三話 ⑥



「シーガ様がお傍に居るとちゃんと人間に見えますの」
「え?」

恥ずかしそうに笑う少女。
ミルクティー色の髪が馬車の振動に合わせて、硝子に触れる。
タースはまた、柔らかな手を見た。

人間じゃない、のか?
先ほど飲み干した薬とやらが、胸の奥で凍りついたかのような気がした。

「シデイラなら見ただけで分かります。ミキーは兎の人形に宿らせたユルギアです。お前の言う、ルリアイ、あれを使うと物に宿って実体を持つことが出来ます。図書館でも見たでしょう?」
「ゆ!」
ユルギア?そんな、バカな!

タースはじっとミキーの顔を見つめた。可愛らしく見つめ返してくる。ミキーは首に下げた青い石のペンダントを見せた。
どきどきと確かに心臓が高鳴るのに、これは恋だと思っていたのに、相手がユルギアだなんて?

「ミキー、離れなさい。タース、それは人が好きです。だから、隙さえあれば触ろうとする。誰にでも尾を振る犬のようなもので、恋愛感情などありません。情けない顔ででれでれしているから面白かったのですが、あまりに無防備なので、倒れられても困りますから。ミキーが触れたものは皆熱を出します。それは、心の純粋な子供ほどひどくなる。まあ、お前のように鈍感なら、先日から熱があったことにも気付いていないでしょうが」
「……うそ」

シーガの言葉の後半はほとんど耳に入っていなかった。

ミキーが、ユルギア?
なんで?
どうして?

「タース、飲まないですの?」
また腕に触れるミキーの白い指。
爪がなくても、三本しかなくても。
ミキーが触れているというだけで、特別な気がするのに。
好きだったのに、いや、今でも好きなのに。

「……バカですね」
シーガが呆れてつぶやく。
青年をきっと睨んで、でもその表情は長くは続かず、少年はがっくりとうなだれた。
小窓に背を向けると、正面を向いた。こういうとき、隔たりがあるのはありがたい。


受け取った小瓶を、膝の上で揺らす。
小さな水面の丸が揺れてまた直ぐ、元に戻る。

言われて見れば、だるい気分だ。そんなゲンキンな自分が嫌になる。
熱があると聞かされると急に病気になった気分になる、あれだ。
さっきまで元気だった。
気持ちの問題なんだ。

ミキーだって、さっきまですごく好きで。
ユルギアだって聞かされて、僕は違う目で彼女を見ている。
それがひどく悲しい気分にさせた。

好きだって思っていたのは嘘だったのか。

でも、ユルギアを好きになってどうする…相手は歳もとらない、お人形。
だけど、じゃあ、どうしたらいいんだ。

自問自答を繰り返す少年の後姿に、シーガは首をかしげていた。
硝子の扉に近づいた。
「ほら、もういいから、その一つだけ飲みなさい。眠くなりますから、きちんと留め紐を腰につけておきなさい。落ちてリロイに迷惑をかけてはいけません」
「……シーガ、母さんみたい」
慰めてくれている気がした。
「!?」
タースの一言に青年は黙り込んだ。

白い頬を珍しく赤らめたシーガに、ミキーは嬉しそうにすりよった。顔を真似てみる。
今はそれを寂しそうに見つめ、タースは微笑んだ。


「僕、それでもミキーのこと好きだ。ありがとう、シーガ」
あきれるシーガの視線に、タースも何となく照れくさくなって再び背を向けた。

おかしいのは分かってるけれど。本気で好きなんだ。
嘘は付けない。


手に持った飲み物を一口含む。少し香る果物の香り。美味しく感じて、また、一気に残りを飲み干した。
馬車の揺れが、心地よい。
優しい気持ちになる。

ぽろりとこぼれた涙が、コツンと小瓶の硝子を鳴らし、ちょうど手のひらに乗った。

自分に呆れて、口元が緩んだ。
不思議だな、ルリアイ。
そっとそれをポケットにしまった。
大切な自分の気持ちのような気がした。


それでいいのか!?タース?(笑)次回に続く♪次へ
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「想うものの欠片」第三話 ⑦

raitoormap.jpg

地図は…だんだん直します~(><)へたくそだなぁ!




小さな町でその夜は宿を取ることになった。


そこは旧聖堂のあったライト公領北部から、西にある田舎町。ナトレオスといった。

目指す場所も目的も知らされていないタースは、持たされた地図を見ながら、予想してみる。
ティエンザ王国に向かうと言っていた。

ライトール公国と、アバスカレズ川を隔てて西に隣接するティエンザまでは、鉄道を利用すれば丸一日で国境線までたどり着く。
しかし、ライト公領北部を西に向かって細い森の道を抜ける今のルートはどう考えても遠回りに思えた。

旧聖堂のある村からまっすぐ南下して、タースのいたライト公領中枢の駅からまっすぐ西に向かうトラム・ミスに沿って馬車を走らせるのが早いはずだ。

ライト公領からティエンザ王国に向かうには、結局、国境となっているアバスカレズ川にかかる唯一の橋、キョウ・カレズを渡る必要がある。

その大きな橋は、トラム・ミスの西端の駅モテノから、さらに少し南下したところにある。川の真ん中に国境を守る検問所があり、厳しい審査を経ないと通れない。

不法入国するには、上流の険しい崖の下の川を渡り、渓谷沿いに長い時間河原を進まなくてはならない。あるいは危険を承知で崖を登るかだ。

かつて、挑戦しようとして、タースはあきらめたことがあった。崖から降りることは出来たが、川の流れが速く、下流に押し流されながら渡りきろうとしたときには、向こう岸に点々と立つティエンザの国境警備兵が銃を構えて立っていた。

嫌な、思い出が浮かぶ。
結局、このライトール公国を出たことは一度もなかった。


「どこか、行きたいところでもあるのですか」
珍しく、シーガが声をかけてきた。

宿の受付で部屋を取る間、少年は狭いロビーの脇の椅子で座って待っていた。
受付のカウンターに背を向けるように置かれている二人掛けの木製のベンチにタースは座っていた。地図を眺めながら難しい顔をしている。
青年の声に顔を上げると、いつの間にか隣にミキーが隣に座り寄り添っているのに気付いた。

「ううん、あの、どこに行くんだ?いずれ、橋を渡るんだよね?随分遠回りな気がする。このまま西に行って川沿いに南に下るの?途中のウルルカの街やカヌイエの街を経由したほうが道も広いし、店も多いし、そっちのほうがいいんじゃないの?」

向かいのベンチに足を組んで座るシーガをまっすぐ見つめて、タースは地図を示した。
ライト公領から西に向かう経路だ。その先に橋がある。

彼らはそれよりずっと北よりに西へ進んでいた。一見短く見える道も、実際は山岳地帯に阻まれて、かなり険しい山道になる。

傍らのミキーがタースの腕にそっと手を添える。
少女の白い指が温かくも冷たくもなく感じられた。目を細めて、タースは右腕でミキーの肩に手を回した。

「!」

一瞬、眉をしかめたシーガと対照的に、少女は嬉しそうにタースの胸に頭を預けた。甘えている。嬉しそうに笑った。

タースはミキーを見つめた。
人間でない、と聞いてから、逆にタースは気持ちが固まった。おかしなことだが。

そんなことで気持ちは変わらないという、無謀とも言える勢いが彼の行動を支えている。恋愛感情がない、誰にでも甘える。それは分かっている。
だったら、自分の傍から離さなければいいんだ。熱が出たって平気だ。ミキーが、もし、嫌なら別だけれど。


「では。お前の希望通り、都会を進みましょう」
「なんだ?随分簡単だね」

こちらを通る意味があったのではと思っていたので、タースは拍子抜けした。道を選ぶ理由を知れば、旅の目的やシーガの考えていることが少しでも分かる、そう思ったのにそれも、当てが外れた。
あくまでも、説明不要、という態度だ。

自分が、くっついているだけの荷物であることは承知している。承知はしているが、気分のいいものじゃない。

「別に、深い意味はありません」
「あの、何処に向かってるんだ?あの、目的とかさ」
「お前には関係ありません」
「……知ってれば協力できることだって、あるかもしれないし」
「不要ですから。さ、部屋に行きましょう。ミキー」
シーガは無表情のまま、ミキーの手を引いた。

二人に引っ張られるような形になって、ミキーは左にいるタース、右に立つシーガを見比べた。

「あの……」
「タース、お前は一人で、ほらそこの部屋です」
シーガは視線だけで一階の廊下の先を示して見せた。
「……あ、そう」
タースはそれでもミキーの肩に置いた手を放そうとしない。
にらみ合う。

ミキーが三回左右に首をかしげる間、二人の表情は徐々に厳しくなっていく。
タースが、口を開く。

「夕食まで、ミキーと話をしたいんだ、いいかな」
「お人形遊びですか?」
「!」
シーガの言葉にタースは掴みかかる。

「キャ!」
ミキーは両手で顔を覆った。



暴風警報発令中!!次回を待て!(笑)
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「想うものの欠片」第三話 ⑧



「い、てて」
「雑種は、雑種らしく、していなくてはね」
シーガの動きは素早かった。次の瞬間には左腕をひねり上げられていた。

痛む肩にタースは目をつぶった。シーガの細い腕の何処にそんな力があるのかと思うくらい、身動き取れない。つかまれた手首は痺れていた。

「放せよ!」
そのまま引きずられるように壁際に連れて行かれ、突き飛ばされた。
「さ、お前の部屋はそっちです。われらは二階。屋根があるだけましだと思いなさい」
見下ろした翡翠の瞳に、タースは左肘を押さえ床に膝をついたまま睨み返した。
「わん、とでも吼えますか?」

唇をかみ締めて、タースはうつむいた。
ミキーを人形とあざ笑ったり、自分を雑種の犬扱いしたり。腹立たしいことばかりだ。
はあ!とやけくそ気味なため息を吐き出して、タースは立ち上がった。

「わかったよ」
スーツケースの一つを受け取って、示された小さな扉に向かった。
扉の前で振り返ると、階段を昇る二人の姿が見えた。何となく見送ってから、受付に立つ中年の女将と目が合った。女将は慌てたように視線をそらした。

扉を開くと、そこは小さな部屋だった。
入って直ぐ左手に、薄い生地のカーテンが引かれている。
あけてみるとタイル張りの浴室だった。たっぷりと水を張った桶に、小さなランプの明かりが揺れる。ポンプ式の蛇口、その横にタオルがかかっていた。

体を洗うことくらいはできそうな設備。その奥にトイレ。
狭い部屋には小さなベッドが一つ。それで部屋の半分が埋まっていて、残った場所にスーツケースをおけばそれでいっぱいに見える。
タースはブーツを脱いでベッドにのぼり、その向こうにある小さな木の窓を押し開いた。

目の前は隣の店だろう、細い人一人やっと通れる路地を挟んだすぐ向こうに、クリーム色の壁があった。
「いい眺めだよな…」

それでも、ライト公領で自分が住んでいた部屋に比べてましだとタースはベッドに仰向けに横たわる。天井にはくもの巣が白い埃と一緒になって揺れている。

横向きになって、腕を枕に上質な大きなスーツケースを眺める。自分のために用意されたそれ。
今着ている服。
一人分増える旅費がどれほど負担になるか。感謝はしている。

けれど、ミキーのこととなれば、別だ。好きで何が悪い。例え、それが人形であろうと、ユルギアだろうと。
ただ一人、タースを人間扱いしてくれる。

傍に居たい。

さらりとしたシーツに頬を滑らせ、耳のすれるくすぐったい心地よさに目を閉じた。壁を背にして、体を守るように小さく丸くなる。くせのようなものだった。
そうして、一人で夜を過ごしてきた。

僕には何もない。家族も、友人も、仕事も。それでもやりたいことはあった。

いつか、建築家になる。そして、それを果たした時に、そばに彼女がいてくれたら。笑ってくれていたら。他に何もいらない気がする。

もう、ここまで来れば、一人で抜け出すことだって出来る。今だってこの窓の外は直ぐに路地だ。けれど、ミキーが必要だ。

「案外、あいつも好きなのかも…そうだよ、あんな性格の奴、他に相手してくれる女の子なんていない」
しかも、シデイラ。同じ境遇、ともいえる。

タースは先ほどの珍しく感情的なシーガを思い出した。予想外に強かった。
まだ少し痛む左肘をさすった。

コンコン。

誰かが扉を叩いた。
「あ、はい?」
起き上がって、ベッドからスーツケースの脇に降りたつと、同時に扉が開いた。

「タース、あのね」
ミキーだった。


先ほどまで着ていたフード付きの薄いコートを脱いで、少女はほっそりとした体を際立たせるようなシンプルなワンピースを着ていた。足元はひざ下までの黒いブーツ。真っ白なワンピースに黒のレースが縁取る短めのカーディガン。それは些細な風にも舞い上がりそうなくらい薄く軽そうだ。
そして、黒い帽子。
亜麻色の髪が、桃色の頬がシンプルな色合いに映える。

「ミキー、どうしたの?」
出迎えると、タースは少女を抱きしめた。
もう、ごまかすつもりもない。

「ん、あのね」
腕の中の少女はくすぐったそうに頬をタースの胸に擦り付ける。
二つに束ねた巻き髪から真っ白なものが見える。

「!?あ、これ?」
タースに耳をつつかれて、ミキーはやん、と可愛らしい声を出した。
一気に心臓がやかましくなって、タースはぎゅっと抱きしめた。


お人形、なんだろう。
だから、柔らかくて優しくて、決して嫌がらない。

見上げる瞳が何度も瞬いて、ミキーは恥ずかしそうに笑う。
「くすぐったいですの。あのね、タース、シーガ様がお夕食をご一緒にって、お外に行きましょ?」
「あの、ミキー?君は、ユルギアなんだろ?」
「はい?」
少女は首をかしげた。

ああ、そうだ。ユルギアは自覚がない。思念の内容を聞かなくては。
「ええと、ミキーは何のためにいるの?何をしたい?」

ミキーの頬が赤く染まった。
「ミキーは皆さんに大好きでいてほしいですの。ミキーも皆さんのことが大好きですの」
皆さん、大好き、その意図が測りづらい。


「ええと、皆さんっていうのは?僕も入ってる?」
「はい!」それは嬉しいことだけれど。
「大好き、って?」
「ミキーは寂しいの嫌いですの。だから……」
白い大きな耳がぴくと動いた。
「シーガ様がおいでですの」
「え?」

タースが顔を上げたときには、扉が開いていた。

銀髪の青年は、じろりと睨むと、つかつかと歩み寄る。




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「想うものの欠片」第三話 ⑨


ミキーを抱きしめたまま、後ろに下がろうとした。しかし、部屋は狭い。
直ぐにスーツケースに突き当たって、転ぶ。

「きゃ!」
「わ!」

後ろ向きに転んだタースは、ベッドとスーツケースの間に転がった。弾みで大きなスーツケースは向こうに倒れ、硬い音を立てた。肩を押さえて青年を見上げた。


シーガは寸前のところでミキーを抱え上げたらしい。ミキーは抱きかかえられるお人形よろしく大人しくされるままになっている。


中身が綿、大きさの割りに軽いので、シーガは片手で軽々抱えていた。


「やめました。お前は夕食抜きです。さ、ミキー行きましょう」
「待てよ!言いたいことがあるなら言えばいいだろ!」


去りかけたシーガがぴたりと止まった。
振り向く。
おろされたミキーは、そっと、シーガの背後に隠れるようにする。
喧嘩が苦手なのだろう。耳を塞ぐように両手で帽子を押さえつけている。


「シーガ、あんたもミキーのこと好きなんだろ?だから、そんなに怒るんだろ!」
「お前の人形ごっこに付き合いきれないだけです」
「うそだ、怒ってるだろ?」
「いいえ、呆れています」
「じゃ、夕食一緒でもいいだろ」
「……どういう、理屈ですか?」
「お腹、すいたから……」


半身を起こして、タースはため息をついた。


ミキーに触れられることが嫌ならそういえばいい、シーガが彼女のことを大切に思うならそれはそれでもいい。
シーガにもそういう感情があるって思える。
けれど、ただ、不機嫌になるだけではどうしようもない。
まるで拗ねている子供のようだ。


シーガはじっと少年を見つめていた。
「お前は、勘違いしていますよ」
ボソッと言った青年の言葉に、タースは勢いよく立ち上がった。
「何を?」
立ち上がるとちょうど、シーガの肩の高さがタースの目線。不意にシーガが伸ばした手はタースの額に当てられた。


「!…熱はないって!」
「私は、ユルギアに恋愛感情を抱くなど愚かなことはしませんし、お前のために何か行動するつもりもありません。お前のようにいちいち心を動かされていてはユルギアにいいように振り回されますしね、もともと、こういう性格です」
「冷血!」
「ほお」
シーガはむしろ嬉しそうに目を細める。


それを見てタースは言葉にしてみた。感じるままのことだ。


「あの、本当は違うんじゃないのか?究極の恥ずかしがり屋で、気持ちが反対の表情に出るとか」
「……」
シーガは黙り込んだ。


「だって、いちいちあんたの感情を想像しなきゃならなくて疲れるんだ!分けわかんなくて。気になるだろ!」
「お前、馬鹿ですか」
「もう、いい!行こう!夕食だ夕食!もう、腹が立って余計にお腹すいた!」


タースは翡翠色の視線から目をそらすと、脇をすり抜けて、部屋の外に出ようとした。
が、何かにひっかかって、見事に転んだ。
腕で顔を庇ったものの、したたか肘を打った。
ミキーの目の前で転んだのだ、恥ずかしさに頬が火照る。


「な、何だよ!」
自分の足元、シーガの靴を座り込んだまま蹴る。
シーガはさっとよけると、そのまま少年の腿を蹴った。
「痛いって!」
情け容赦ない。鈍い痛みに、タースは体を起こすと、手でさすった。


「お前は留守番です。ミキーに触れていたでしょう?外で倒れられては困ります。お前を運ぶほど私に力はありません」
「だから、熱はないって!」
「…あるから言っていますが」
シーガの表情は真面目になっている。半分、そう、呆れている。
「!?うそだ、僕は平気だぞ!」
本当に自覚はない。以前倒れたときのようなだるさもないし、火照ってもいない。寒気もしないし、ふらつきもない。


絶対にシーガの勘違いだ。


「は、本当に自覚がないのですね。いいでしょう、その代わり、倒れても捨てていきますから。死に物狂いで付いてくるんですね。ああ、そうですね。それも楽しそうです。僕はシデイラの混血ですって張り紙でも貼り付けてあげますよ」
「本当に趣味悪いな」
タースは起き上がって尻を軽くはたいた。
「あの、ミキーもご一緒していいですの?」
「当然だよ」
タースが笑う。


嬉しそうにミキーはタースの左手にしがみ付くように近づいて、腕に頭を摺り寄せた。
黙ってそれを眺めながら、シーガは乱れた髪をかき上げて歩き出す。



次へ(8/9公開予定♪)
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「想うものの欠片」第三話 ⑩

10


三人は宿屋からかなり歩いた小さなレストランに入った。


「さっきのとこでもよかったじゃないか」
すっかり鳴き疲れた腹の虫をなだめながら、タースは青年に文句を言う。


三軒目にやっとシーガがうんと頷いた店は、さほど大きくない小さな料理屋だ。先ほど嫌がった二軒と何も変わらない。このあたりの森で取れるきのこ料理と、ジャガイモと玉ねぎ、卵を使った、よくある料理。田舎の街ではそこで取れるものしか食べられない。


都会では流通が発達しつつあるから、新鮮な魚や、珍しい果物などが手に入るが、ここはまだ、何もない。


馬車ですら珍しいために、どこを歩いても三人は目立ったし、気のいい人にはさっき馬車で到着したお人だよね、と、声をかけられたりもした。


シーガの容姿はどう見てもシデイラなのに、誰も差別的な目を向けなかった。
それは、タースにとっては新鮮な驚きだった。
もっと、差別されるのだと思っていた。


実際、自分が経験した中では、シデイラの血を引いていると知られるとあからさまに態度が変わった。なのに、最初から、どう見てもシデイラのシーガはどうして平気なんだろう?


料理屋の小さな丸い木のテーブルに肘を当てて、頬を預けるとタースはじっと青年を睨んだ。
なんで、平気なんだろう?


ぶしつけにじろじろ見られているのに、シーガはそ知らぬ顔で、優雅な仕草で着ていた薄いコートを脱ぐと店主を呼びつけ預けた。肩にかかった髪をさらりと直す。


キレイな、銀色だよな。
黒い服に似合う。


ふと、シーガと視線が合った。
「!」
自分が見とれていたことに気付いて、思わず目をそらした。


「どうしました?気分でも悪くなりましたか」
「違う。心配そうな口調のくせに、目が笑ってるよ」
「そうですか?」


普通の顔できないのかと文句を言いながら、タースはあごに手を当てたまま店を見回した。
視線を、感じた。


見回すと、店にいたほぼ全員と目が合った。
夕食時。近所の家族連れや仕事帰りの男たち、年寄り夫婦と孫。狭いながらもニ、三十人はいるだろうか。
その、ほぼ全員と目が合ったのだ。


相手もぎょっとしたようだったが、タースも驚いて思わずきょろきょろしてしまう。慌ててぶらぶらさせていた足を揃えて床につき、両手を膝の上に置いた。


「なんか、みんなに見られてる!」
小声でシーガに訴える。
「そうですか」


何の興味もなさそうに、メニューを眺めている青年はテーブルの上の呼び鈴を鳴らした。
「はいはい、いかがいたしましょう?」


直ぐ脇にいたのかと思うくらい素早く返事をした給仕の若い男性に、まん丸な目を向けてタースは見上げた。


「これと、これ、コショウは苦手だから抜いてください」
「はい、かしこまりました」
給仕はにこにこ、頬を染めて、シーガとミキーを見ている。


「!そうか」
唐突に気付いた。


ミキーはものすごく、人目を引く。
それはもう、傍に居るシーガの容姿なんか関係ないくらい、まず彼女に目が行く。だいたい男はそこで思考回路が壊れているから、シーガがシデイラでも関係ないんだ。
例え気付いたって、シーガ自身も女性の視線を釘付けにするくらいの魅力はある。実際、見れば見るほど、きれいな顔しているって僕だって思う。見とれかかったくらいだ。


その上、金持ちの服装。実際金持ちだろうし、馬車で移動しているんだから、どこかの貴族って感じだ。差別も何も、ないわけだ。


「世の中、不公平だな……」
頼んだ料理より先に、先ほどの給仕が店主からお嬢さんへのサービスだと差し出した甘いデザートを見て、タースはつぶやいた。


「タース、食べますの?」
どう思ったのか、ミキーがデザートの入った皿を差し出す。
「え、いいよ、ミキーにくれたんだよ」
そんなの食べたら店主に睨まれるだろう。


「タース、食べなさい」
シーガに言われて、眉をひそめる。
「じゃあ、一口だけ…」
もう、空腹は我慢できないくらいになっている。甘い誘惑だ。
「いえ、全部。ミキーは食事を必要としません」
「!!あ、そうか」


お人形だ。だから、一緒に食事しなかったんだ。改めて、旧聖堂でのことを思い出す。あの時シーガはタースの食べ方が悪いからだと、言っていたが。


「でも、そうしたら、怪しまれるだろ?ここでだって、注目されてるし」
「はい!あーん」


澄んだミキーの声に、タースは思わず顔を赤くした。
少女は一口分にしたデザートをフォークに乗せて、タースの前に差し出していた。
「ね、タース、あーん、して」
「ば、ばか、恥ずかしいよ」
「こうしてあげるのが好きですの!」
真っ赤になる少年を楽しむかのように、可愛らしい顔が飛び切りの笑みを浮かべる。


「そ、そう?じゃあ」
と。


生まれて初めて、いや、母親以来、初めてだ。

なぜにただそれだけのことなのに、それほど緊張し、ドキドキするのか。自分自身もわけが分からないが、空腹に染み入る甘さに少年は頬が緩む。


「はい、シーガさま!」
「タースにあげなさい」
「はい、タース」
繰り返される羨ましいシーンに、注目していた街の人々は、恥ずかしそうに、悔しそうに目をそむけ出す。
結局、すべて、タースの胃に納まる。なるほど、これなら、ミキーにと料理を出した店主も文句はない。


ちょうど料理を運んできた給仕にまで、ミキーが「はい、あーん」をしたので、今度は若い彼が店内の羨望のまなざしを一手に引き受けることになった。

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「想うものの欠片」第三話 ⑪

11


たっぷり食べて、満足して、タースは余裕が出来たのか歩きの帰り道には街の様々な建物に興味を示した。

「この街、山越えの中継地なんだね」
古くからあっただろう石畳の通り、古い商店の軒の看板を仰ぎ見ながら感慨深げに話し出す少年に、ミキーが擦り寄る。

短いスカートの下の白い尻尾が時折ちらりと顔をのぞかせる。今は人影もまばらで、夜の闇に紛れるのでシーガも注意しない。

通りは明かりのついた商店の前だけ明るくなっていた。見通せば通りには石畳に伸びるランプの光と影が重なり、美しい模様を描いていた。

「ほら、水売り、道案内、それから、保存食のお店が多い。鍛冶屋の看板は蹄鉄だし。この先の山を越えるために、旅人がここで宿をとって最後の補給をしたんだ。ここから山を越えて向こう側の村まで、馬で一日以上かかるから」

「タース、詳しいですの」
「うん、僕、街の建物とか歴史とか、成り立ちとか。すごく興味があるんだ。ほら、図書館もそのために通っていたんだ。この街の建物は、山の土と同じ色のレンガで出来ているだろ?山際の街や村では水が貴重だから、石造りは珍しいんだ。流通が発達してなかった時代は石材を運ぶのは一苦労だ。たいていその場で調達する。石は切り出すのも削るのも、水がないと出来ないから。水の少ない地域では土をこねて作る煉瓦が多いんだ」
「ふうん。すごいですの!タース、素敵ですの」

二人が仲良く手をつないで歩くのを、一歩後ろからシーガは眺める。
「でも、今はね、国が管理して鉱山や石切り場を持っている。あちこちで山が削られているんだ。ポンプで川から水も引いてこられるし、石を削るのも機械で出来るんだ。だから、こういう歴史を感じさせる町並みは少なくなっているんだ」
タースは夢中で話した。
こういう話をする相手はいなかった。

それを喜んで聞いてくれる少女が、本当に可愛い。意味が分かっていなくても、耳を傾けて聞いてくれる。それだけで、幸せな気分になれる。

「雑種、静かにしなさい」
む、とタースが顔をしかめて振り向いた。

ちょうど、自分たちの宿の看板が確認できるくらいに近づいたときだ。
カタン、三人の直ぐ傍の料理店の看板が鳴った。
風が、出てきていた。

その店は、宿から一番近いからここにしようとタースが言った店だ。すでに明かりは消えていた。振り返ってみると、そういう時間なのか、通りにこぼれていた店の明かりは、今は何も見えない。
暗い。

タースは、つないでいるミキーの手が小さく震えたのを感じた。
顔を覗き込むと、少女はじっとシーガのほうを見ていた。
シーガの銀の髪が暗がりの中月明かりに光る。


白い顔は一層白く、美しいがゆえ不気味なほどだ。
ゆら、とその背後に白いものが見えた。
「!?ユルギア?」
タースの言葉に、ミキーが小さく頷いた。


「みたいですの。ミキーも、よく分からないですが、へんな声だけは聞こえますの」
少女がしがみ付くので、タースはその肩に手を回して抱き寄せた。
「怖いの?」
「はい、ミキーはユルギアさんたちは怖いです。なにを言っているのかわからないことが多いですの。トントみたいな姿をしているといいけれど。タースは怖くないですの?」
「ん、僕はよく分からない。シーガみたいにいつも見えるわけじゃないし、聞こえもしない。見えても怖いと感じるのは少ない。危険な奴って判るけど、怖くはないよ」
「だから、タースは強いですの」
少年は微笑んだ。


根拠はかなりあいまいだけれど、頼られるのは嬉しい。
「でもさ、怖くなくても退治とか消すとかできないから」
「シーガさまはときどき、消しますの」
「あいつはシデイラだからなぁ。その上、冷酷」
「聞こえていますよ、タース」


ひそひそ話に数メートル後ろから声をかけられ、タースはぎょっとして顔を上げた。
ちょうど、シーガの銀の髪が、ふわりと風に巻き上がった。
ユルギアらしきものに囲まれているようだけれど、本人は平然としている。
「消すのではないですよ、眠らせるのです」
「変わんないよ」
その時、何かがタースの背筋を這った。
ぞく、と体が自然とすくむ。
気持ちの悪いユルギアだ。

ミキーをぎゅっと抱きしめた。
「どうやら、そちらに気があるようですよ、そのユルギアは。ミキーはユルギアにも好かれますからね、引き付ける役にちょうどいいのですよ。後は任せました、タース」
「ま、任せた!?」


シーガはそういったきり、腕を組んで動こうとしない。
タースは見回すが、何も見えない。
「おい、ちょっと!どうしろっていうんだよ!」


「さあ。この料理店に住み着くユルギアです。お前がこの店に入ろうと言い出したときから思っていましたが、お前とそのユルギアは波長が合うのではないですか。普通、人は本能的に嫌なユルギアのいる場所には近づこうとしないものです。…まあ、お前の愚鈍さは特別ですが」
「愚鈍!!」


タースは、一つ息を吐いて。
シーガを睨みつけると、そのままくるりと向きを変えた。
「タース?逃げるのですか」
「帰る。宿に。いこう、ミキー。どうせ僕には何も見えないし聞こえない。つまり、いないのと同じ」

強引に歩き始める少年にミキーもつられて歩き出す。
シーガは、あっけに取られて見ていた。


タースはしばらく進んで。ぴたりと止まった。
振り向いた少年は、シーガに向かって顔をしかめて見せた。


「僕は、平気だからな!!ユルギアと遊びたければ遊んでいればいいんだ、一人で!」
そう怒鳴ると、つかつかとまた歩き出す。
本当に平気なようだ。
シーガを先ほどまで取り巻いたそれは、確かにタースにまとわり憑いたはずなのに、そいつはそこで、ふわりと消えた。
何もせずにユルギアが消えるさまを初めて見たのだ。


「愚鈍も役立つ、か。それとも、それ自体が偽りか」
そうつぶやきつつ、青年も歩き出した。ちらりと、明かりの消えている料理店に視線を移す。看板に付けられた白い旗のような布が、風に揺れた。

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「想うものの欠片」第三話 ⑫

12


宿に戻ると、ロビーの明かりも消され、かろうじて受付のカウンターの上でランプが一つ揺らめいているだけだった。

ぎしぎしときしむ扉を閉めてシーガが入ると、ちょうど、宿の女将さんが片づけを終えたところだろう、カウンターの奥にあるキッチンから手を拭きながら顔を出したところだった。


「あれ、お客さん、遅かったねぇ。外は、もう真っ暗でしょう?」
丸い顔の少し太った女将は笑った。
「あの、水を一杯いただけませんか」
タースだった。

「喉が渇いたですの?」
「あ、うん、少しね」
「はいはい、ちょっと、待ってくださいよ。先に、これだけ」
女将さんはそういいながら、シーガの背後に回って、扉の鍵を閉めた。錠前が三つ。

「やけに、厳重ですね、女将さん」

青年の言葉に少し慌てた様子で、女将さんは愛想笑いを浮かべた。
「いえいえ、この辺は特に物騒なこともないですがね、念のためなんですよ。ほら、都会のお客さんの中には、このくらいしないと安心できないって方もいらっしゃいますし」


「ユルギアが出るのですか?」


チャリン、と。女将さんは三つ目の錠前の鍵を取り落とした。
慌てて拾う。
シーガはカウンター脇のベンチに座ると髪をかき上げた。隣に座ったミキーが足をゆらゆらと面白そうに揺らした。


「ま、まさか。ユルギアなんて、いるわけないですよ、びっくりさせないでくださいな」
「見ましたよ。三つ向こうのお店ですね。白い布が看板に結ばれていた、あれは何かの印ですか」


シーガの言葉に女将はびくりと肩を上げた。
「え、でも」
あれは何にも害がなかった。
言いかけたタースに、シーガは黙っていなさいとにらみつけた。
それから胸のポケットから、白いリボンをつけた小さな銀貨を取り出す。それを女将さんに見えるように掲げてみせた。


「私は、ご覧のとおりシデイラです。何かお困りでしたら、協力しますよ。これでも大聖堂の聖女ファドナ様にお仕えする身です」
「あ、あなたが……」
それが、何か身分を表すものなのだろう、女将さんは驚いて、まるで礼拝堂で神に祈るように頭をたれた。肩と額で聖三角をかたどる。


「お困りですか」
「は、はい」
シーガは言った。
「お話をお伺いしましょう。お役に立てるかもしれませんから」
女将さんは宿のロビーに三人を座らせると、温かい飲み物を持ってきてくれた。


悪戯にそれに口を近づけようとするミキーに、シーガがじろりと視線を送る。
女将さんはちらちらと、落ち着きなく視線を床に落として、話し出した。


「あの料理店には、ツクスって男が住んでいるんですよ。ツクスはね、あたしと同じ年でね、二月前に子供を亡くしたんですよ。ちょうど、ボウヤ、あんたくらいの男の子をね。ツクスは奥さんも亡くしていたからねぇ、一人きりになっちまって、塞ぎこんでしまって。最初はね、まだ、よかったんです。店は休みになったものの、人が来れば顔を出して、挨拶くらいはしてね。みんな励ましたんだけどね。日に日にやつれていったんです。あたしが最後にツクスを見たのは、そうねぇ、一月前くらいですかね」


「生きてるの?」
タースが首をかしげた。
「ああ、街の皆が交代で食事を届けているんですよ。届けたものは空になって戻っているからね」


「誰も、無理やり中に入ろうとしなかったの?」
「そこなんですよ、出てこなくなって三日目にね、みんな心配して集まりましてね。ツクスの店まで入ってね、その先の寝室に入ろうとすると、コレがまた扉が硬くてね。
木の普通の扉なんですよ、なのに、カタともしない。鍛冶屋の旦那と息子が二人がかりで蹴破ろうとしたんだけど、ダメでした。猟師の鉄の斧でも刃がこぼれる始末。それで、ユルギアが取り憑いたんじゃないかって話になったんです。ま、見てみりゃ分かると思いますよ」


「ふうん。そういうユルギアもいるんだ」
「本当に、退治できるんですかい?あんたたち」
タースの言葉に、女将さんは眉をひそめた。


「ああ、彼はただの御者ですから。ユルギアに詳しいわけではありません」
シーガがじろりとタースを睨んだ。商売の邪魔をするな、ということなのか。
「え、うん、そう。僕はよく分からないから」
タースはミキーの分と二つ、温かい紅茶の入ったカップを抱える。ミキーが飲めないので交互に飲んでいた。飲んでいない方にミキーがそっと、たっぷり甘い蜜を落とす。透明なミツがとろりと紅茶に溶け込むのが楽しいのか、何度も落とす。


「ふうん。そちらは詳しいんでしょう?シデイラの旦那さん。どうでしょうね?あれはユルギアじゃないかって皆はいうんですよ。
ツクスは奥さんが亡くなってからいいことがなくてね。奥さんは病気だったんだけど、なんだかねぇ。息子のノルドが励まして、がんばっていたんですけどね。ほら、ユルギアがつくと、嫌なことばかり起こるっていうじゃないですか。あの家の息子が亡くなったのもそのせいじゃないかってね」


女将さんは、宿の玄関に付けられた三つの錠前をこわごわ見つめた。


その時、遠く、悲鳴のような声が聞こえた。
甲高く、けれど細い声ではない。窓の木枠をすり抜ける突風のように近づいて遠ざかる。何故かタースは紅茶のカップを持つ自分の腕を握り締めていた。


目をつぶって祈りを小さくつぶやいている女将さん。
ミキーがタース袖にしがみついているのが分かる。
「!?何、今の!」
タースが女将さんと同じ、戸口を見つめた。


「ツクスなんですよ。ああして、時々ね、叫んでいて。だから、生きているってのは分かる、けど、誰も入れないもんだから」
腕を組んだままのシーガは無表情だ。


落ち着こうと、タースは紅茶を口に運んで、ぶ、っと噴出す。


「タース!」
「けほ、だって、すごい、甘い」
シーガがごつんと頭を叩くのでさらに紅茶をこぼした。
その様子にこわばった表情が解け、女将さんは笑いながら布巾をキッチンに取りに行った。


「あの、本当に退治してもらえるんですか?」
女将さんは、タースの手を拭いてやると、そのままテーブルもきれいにした。
「ええ、私たちはそれを生業としています」
シーガはけろりと言ってのけた。
「あ、ありがとうございます!」
「代金は結構ですが、このお札を買っていただくということでどうでしょう」
「!」
タースはさらに蜜を入れようとするミキーと、カップと蜜ツボとで戦いながら、二人のやり取りを聞いていた。
あの、赤い文字が書かれた細長い紙。


「銀貨五百枚ですが」
女将さんの表情が曇った。そうだろう、紙切れ一枚にそれは高い。
銀貨五枚でこの宿代二人分が出る。この宿で二百人の客を取るには何年かかるか知れたものではない。


「もちろん、成功したら、のお話で結構」
「……それで、ツクスは元に戻るんですかね」
「ええ。あの叫び声も、皆さん困っているのでしょう?」
無表情な青年の言葉は、異様な説得力がある。


「ちょっと、考えさせてくださいな」
女将さんは何度も瞬きをして、緊張を隠せない様子で席を立った。


「ええ、どうぞ。ただし、われ等は予定通り、明後日の朝には発ちますから」
女将さんはおやすみなさい、といって奥の自室に入っていった。



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以下、あとがきみたいなもの~♪

「想うものの欠片」第三話 ⑬

13


「高いよ。むちゃくちゃだよ、スレイドが言ってたけど本当にそれ、売りつけてるんだ」
まるで詐欺だ。

タースは再び間違えて甘い紅茶を口に運びかけて、気付いて止まる。
ミキーはそれを期待するかのように首をかしげて少年を見上げていた。


「タース、お前にあのユルギアを任せました」
「は?!」
思わず立ち上がる。


ミキーも一緒に立ち上がる。意味はないのだろうが少年の服をぎゅっと握り締めている。


「ちょっと、待てよ、僕はユルギア退治なんか出来ないよ!」
「ミキー、部屋に戻ります、来なさい。明日、あの料理屋に行きます。タースも早く寝るのですね」
「タース、お休みですの!」
ミキーのお休みのキスを頬に受けて、一瞬ひるんだ。
「お休み、って、ちょっと、シーガ!」


すでに二人はロビーから二階への階段を昇りかけている。駆け寄って、シーガの腕を掴んだ。
「触らないでください、雑種が」


ぞくりとした。


何か、シーガの腕に触れただけなのに、何かぞっとするような力を感じた。
動けなくなる。ユルギアではない、けれど。


「お前があのユルギア相手にどの程度できるのか、見せてもらいます」
「あんた、何?本当に人間?」
「さあ、それは私も知りたいところです。お前の知っているルリアイのこと、教えてもらえれば少しは分かるかもしれませんよ」
「…それ、は。だめ」
すっかり、忘れていた。


それを知りたいために、シーガは少年をそばに置いている。タースがルリアイを作れることに興味を持っている。もし、それが、単なる偶然で、タースの知っていることなど、ほんの一言で済んでしまうくらいのものだと知れたら。
「本当に、知っているのですか」
「…言わない」
「ふうん」
シーガが知りたがっている、捨てられたときに持っていたというルリアイ。あの手紙の文面からすれば、それが、彼の母親の愛情のこもった「慈愛のルリアイ」であることは間違いない。けれど、そんなこと知ったからといって、シーガの親の所在が分かるわけではない。あの時、手紙の下半分はどこかにいってしまった。
青年を睨むと、シーガは冷たい視線で返す。


「まあ、いいでしょう。もし嘘だったら、お前を苛めて泣かせて石をたくさん作らせます。なぜ出来上がるのか、実験しましょう。その上で、逃げた雑種として政府に突き出しましょう。ああ、ティエンザの教会に預けるのもいいですね。彼らが異教徒をどのように扱うのか、それも興味のあるところです」
「……」
「おや、顔色が悪いですよ?」
「本当、ニンゲンとは思えない…」
「ふん、遠い昔、神の民と目されたシデイラは、もともと人間ではないのかもしれませんよ。さ、ミキー、行きましょう」
「あ、ちょっと、あの!」
二人は軋む足音とともに階上に消えた。
僕にユルギア退治?って、おかしいだろ、出来ないし…。



タースは自分の部屋に戻ると、ベッドに座り靴を脱いだ。

慣れない長いブーツ。窮屈な服。
脱ぎ散らかして、下着一つになると、スッキリした。
「ああ、もう!」

枕に少し八つ当たりして、そのままミキーの代わりに抱きしめると、ごろっと横になる。
ルリアイのこと、絶対に言わない。
ユルギア退治?冗談じゃない。


ため息をついて。
起き上がると、足もとに落とした服が気になる。なんだかんだいって、几帳面なのだ。

タースは一つ一つキレイにたたむと、床に開いたスーツケースに、しまう。代わりに夜着を取り出した。白い膝下までのボタンのないシャツ。被ってきるようになっている。ズボンはないかと探したが、見当たらない。そういうものなのか。
「…ま、いいか」


軽く水を浴び、顔を洗ってそのシャツを着た。
部屋とカーテンで仕切っただけの小さいそこは、薄暗い。部屋のランプの明かりを頼りに半分手探りでタオルを手に取ると、顔を拭く。
ふわ、と風を感じて顔を上げると、鏡の闇に白く自分が映っていた。


「あーあ、ユルギア退治、か」
先ほどの料理店の前で見たものを思い出す。
確かにシーガの周りにいたのを見た。白い影みたいな。


心臓が違う動きをした。

押さえつけるような重さが腹にかかる。
何かが体から吸い出されるような寒さが背に走る。
ひどく胃が痛み、吐き気に襲われた。
あわ立つ肌に、肩が震える。

「!?」
直ぐ脇にあったトイレで吐いた。

震えが止まらなかった。
「なんで、なんだよ、これ?」
つぶやきながらも、こみ上げる重苦しさにまた、吐く。目の前が赤くなって、額が割れるように痛む。

苦しくて、何度も吐いた。


ユルサナイ。


唐突に声が脳裏をよぎる。
小さい頃から何度も聞いている、あの声。

シモエ教区の、白い雪原を思い出した。冷たい、凍てつく土地だった。決して、不幸では、なかった。
あの時まで。

許さない、ユルサナイ。

分かってる、分かってるから、黙っててくれ。
忘れてない、忘れてないから。
何度も、涙をぬぐいながら、タースは床に座り込んでいた。


気分が悪い、苦しい、苦しい。


あのユルギアなのか?白いあれ?あれが近づいたからなのか。
だから、思い出したのか?


あれがいるのか?見えないだけで、傍に居るのか?
だから、思い出すのか……。



ダン、と。音が聞こえた。壁に付いた耳に振動が伝わる。
扉が開いた。
壁に寄り添い、洗面所の床に座り込んで膝を抱えていたタースは、身じろぎ一つしなかった。苦しかった。
胸が焼け付くように痛い。


すべてを吐き出して、それでもまだ、何か吐き出せと要求されているかのように胃が軋んだ。


「タース」
穏やかな、優しい声だった。


「何を泣く」
目の前に銀色の髪があった。

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「想うものの欠片」第三話 ⑭

14

「……」
シーガに、肩を抱かれていた。


何か言おうとしたけれど、言葉にならない。


「馬鹿ですね、気分が悪いならそう言いなさい。ほら、薬です」
昼間、飲ませてくれたビンをタースに渡す。少年の手は震えていて、上手く持てない。


「仕方ないですね」
小さくため息をついた。


タースは、止まらない涙をぬぐうことも忘れて、何度も苦しそうに瞳を閉じる。
シーガは懐から、白い紙の包みに入った薬を取り出し、そっと開くと二つに折った。
その三角を片手で持ち、そっと少年のあごを持ち上げて、上を向かせた。
口を開かせ、さらっと白い粉を滑り込ませる。


「ぐ」


一瞬、喉を詰まらせかかった少年に、今度はあの小瓶の飲み物を含ませた。
覚えのある味に、タースはざらつく粉と一緒に喉を鳴らして、飲み干した。


けふ、と息をついて、再び壁に寄りかかった。


「自覚はないのかもしれませんがずっと熱があるのですよ、ミキーに触れるなと何度も言っているでしょう?」
「……」
壁に額を擦り付けたまま、タースは小さくクビを横に振る。


違う、タースには分かっていた。
ミキーのせいではない。


「……それとも、タース。何か別の思念を、抱えているのですか」
再びタースは体を振るわせた。


ユルサナイ。


再び聞こえる声に、少年は目を閉じた。
幼い頃の記憶。恐ろしく悲しい。しばらく見なかった夢を、見てしまいそうな予感があった。





シモエ教区。世界の北果てにあるその土地は、一年中氷が解けることがない。
冷たい土地。


朝焼けの澄んだ空気に、白く吐く息は瞬時に凍え、喉を焼く。
雪と氷の入り混じった大地に、まばらに暗い緑の影が散る。背の低い針葉樹の一種だ。冷たい風を避けるように、それは地上から三十センチほどの高さに伸びると、風に押されて東に倒れる。
そこに積もった雪がいつしか凍りつき、小さな黒い小山になる。
さらに雪が乗る。


風が吹き、風の形に凍りついたそれは、小山から斜めに生えている角のように、あるいは牙のように、白い平原に突き出している。そこにも、あそこにも。


タースの思い出すシモエ教区は、そんな場所だった。


物心ついたとき、平原に張られた鉄条網の一番端に、小さな小屋を置き、そこに母親と父親とで住んでいた。小屋の周りには誰も住んでいなかった。


母さんは、優しい目をした、美しいシデイラの女性。そして、父さんは司祭見習いとしてこの地に赴任したライトールの南部の青年だった。
母さんと父さんはいつも楽しそうだった。
貧しかったけれど、幸せだった。


父さんは、猟の名手で、外に狩に出かけては小さな野鼠や野ウサギ、オコジョを獲ってきた。


ぱぁんと、猟銃の音が響くと、僕は心が躍った。


母さんは、幼いタースをつれて、雪の中に不似合いな大きなレンガ造りの建物に、仕事に行った。働いた代わりに、水と野菜を分けてもらう。そこはシデイラの保護施設だ。ここに、たくさんのシデイラの民と、彼らの見張り役である、ライトール公国の司祭たちがいた。


建物の中はとても温かくて、タースはいつもそこに行くのが大好きだった。仕事のない日も、タースはお仕事に行こうと母にせがんだ。


ある日、いつものように、家の周りに顔を出すオコジョの姿を追いかけて遊ぶうちに、タースはイイコトを思いついた。母親は、今日は朝から寝ていた。


「タース、いい子だから一人で遊んでいてくれる?母さん、ちょっと休みたいの」
そういった母親は、白い細い手でタースの頬をなでた。


「うん、分かった!病気は寝ていなきゃ治らないぞ!」と、父親の口真似をする。母親は少年の黒い前髪をなでた。


タースは目的があった。いつもは、遠いところに一人で行ってはいけないと、母さんが怒るからダメだけど。今日は母さんは一人で遊んでいいって言った!だから、僕はあのキツネに会いに行くんだ!


少年は、一人でふかふかした毛皮の帽子を被り、ブーツの下にもう一枚、靴下をはいて、それからお母さんの赤いマフラーを借りた。いつも仕事に行くときに母さんがつけるものだ。ときどき、それをタースの首に巻いてくれた。
今日は、お母さんは使わないから、僕が使う。


「キツネ、キツネ~♪」
小さい声で鼻歌を歌いながら、四歳の少年は凍てつく白い土地に踏み出した。


いい天気だ。風もない。


そういう日はすべてがきらきら輝いて、タースは大好きだった。


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「想うものの欠片」第三話 ⑮

15


キツネは、お父さんが教えてくれた。


お母さんとお仕事に行く途中の道から、少し奥に入ったところに、巣があるんだって。

いつか、怪我をしていたのを助けてあげたんだ。お父さんは、キツネは父さんの仕事仲間だ、だから、例え動物でも大切な友達なんだよ。
そういって笑った。


お父さんとキツネは、同じことをするんだって言った。
同じ獲物を追って、同じところに立っているイキモノなんだって。
意味はよく分からなかったけれど、お父さんの話すキツネの姿に僕はわくわくした。
まだ、見たことがない。
金色の毛皮で、ふわふわした大きな尻尾。
ぴんとした耳。

その耳は、どんなに鋭いシデイラの民よりも、小さな音が聞こえるんだ。


もう、それだけで、タースにとってキツネは英雄だ。
父親の指差した、細い道の奥。少し丘を登るようにして続くそこに、タースはとても興味があった。


「キツネさんは、すごいんだ、きっと僕が会いに行くのも聞こえているんだ!」


タースの視界をさえぎる小さな雪の丘を、ぐるりと回るようにつながる細い道。道とそうでないところの違いは、平らにならされているかどうか、その程度だった。それでも、小さな子供にとって、その違いは大きく感じられた。平らでないところに乗ろうものなら、とたんにつるりとバランスを崩す。
今も、少しそれて、タースはぺたんと転んだ。


「痛い、冷たい、もう、キツネさん、早く出てきて!」


ブツブツ言いながら、少年は起き上がって、また進む。
いつしか、道はぐるりと弧を描き、見覚えのあるレンガの大きな建物の脇に出た。
それは、母親が働きに来るところだ。


温かい、仕事場。


道を間違えたことなど気にもせず、タースは、冷たくなった手を温めたいと思い、建物の入り口に向かった。
休日でもその入り口は開いていていた。分厚い木で出来た扉を、うんしょと押して、中に入る。
シンとしていた。
広いエントランスも、一面赤黒いレンガ。
それでも、外より温かい。


「ふう、温かい!」
タースはマフラーと帽子についた雪を振り落として、もう一度きちんと被りなおすと、辺りを見回した。
タースの身長から見えるのは正面にある大きな扉。右と左と両方の扉がいっぺんに開くんだ。家にはそんな大きな扉はない。だから、それが開くのを見るのが好きだ。
扉の向こうにはまだ、入ったことはない。母親と同じ作業服の人が、出たり入ったりするのは見るが、近づくと追い払われる。だから、ヒミツの扉だとタースは信じていた。
今日は、誰もいないように静かだ。
そっと、秘密の扉に近づいた。
左の扉を押してみた。


ぎっ。


動く。
開く!


少年は嬉しくなってぐぐっと力を入れた。
もっともっと温かい風が吹いて。タースは扉の中に入った。
思わず帽子を手に取っていた。


急に温かい場所に来て、頬が赤くほてっているのが分かる。
広いそこには、タースの身長くらいの大きなテーブルが見えた。見上げるだけなので、大きさや形はよく分からない。


それがたくさん並んでいた。覚えたばかりの数を一つ一つ口にしながらきれいに並ぶそこを、タースは順々に見て回る。テーブルとテーブルの間を抜けて。


しばらく行くと壁に突き当たった。部屋の端まで来たのだ。
左右を見回せば、左の手奥に地下への階段があった。
薄暗いけれど、どうにも見てみなくては気がすまない。


タースはそちらに向かった。
階段は上の明かりが届かなくなると暗くて、タースは何度も立ち止まった。壁に手を着いて。そろそろと、一歩一歩、足を踏み出す。
コゥーン。
澄んだ遠吠えが聞こえた。
「キツネさんだ!」
直感だった。
理由などない。
ただ、そういう気がした。


嬉しくなって、タースは階段が終わったのを足で感じると、そっと、それでも一生懸命早く歩く。壁に手を着いたままだと、どうしても遅くなる。暗い廊下をついには手探りで歩き出した。


コゥー。


寂しげに響くそれは、タースを呼んでいるような気がした。
耳を澄まして進んでいくうちに、明かりの漏れている扉があった。
隙間からそっと、中をのぞく。石造りの小さな部屋。敷物もない。けれど、とても温かい。
タースは、そっと扉を開く。
そこは、ランプの明かりで黄色く照らされていた。何もない、小さな部屋。壁に一箇所、ランプが揺れていた。窓もない。


そして、その隅に、金色の獣がいた。
横たわって、細い足を投げ出し、苦しそうだ。
それでも、タースが近づくと、大きな丸い目をクリリと光らせて、こちらを伺う。


「うふ、ぴんとしたお耳だ。本当にキツネさんだ」
タースは嬉しくて、近寄った。
大きなキツネだった。タースが傍にしゃがみこむと、それはむくっと起き上がった。細い四つの足で立つと、頭を低くして少年のほうを見つめる。くんくんと匂いをかいでいるようだ。
「ふふ、こんにちは、キツネさん」
手を出した。


ぐぐ、と。
その音はキツネの方から聞こえた。


「?キツネさん?今日は、お仕事お休みなの?お父さんはお出かけしたよ」
タースは首をぐんとかしげる。ちょうど、立ち上がったキツネと同じ頭の高さだ。
その時、タースは何かを見た。
キツネのふわふわした金色のお腹のしたで、何かが動いた。
「あれ?」


手を出そうとした瞬間だった。
どん!
呆然としていた。頭の上に、何かが乗っていた。冷たいかび臭い床が、ほっぺたの片方を冷やしていて、動こうとしたけれど、動けない。


「あれ?」


目の前にキツネの足。そして、その向こうに、小さなキツネがいた。
その仔は大きな目を開いて、タースを見ている。
「キツネさんの子供だ。重いな、僕と一緒。父さんの子の僕と、同じお仕事仲間のキツネさんの…」


何かがごつ、と鳴った。
それが自分の東部に受けた衝撃だと気付くのには時間がかかった。
視界がぼやけた。


その時、頭のどこかに、誰かが言った。
「許さない…許さない」
低い声のような、でも透き通ったような。
タースは目を閉じた。

大きなキツネさんが、こっちを見ている。

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「想うものの欠片」第三話 ⑯

16

「どうして!そんな、キケンなことを!」
母親の声だった。
泣いている、怒鳴っている。

「子供から目を離したのが悪い。第一お前たちは追放された身、文句があるなら二度とここに来るでない!」
しわがれた、嫌な感じの声だ。

あ、どこかで。
母さんの仕事場で一番偉い人だ。

目を開くと母親の向こうに、銀色の髪を頭の上で一つにまとめた小柄な老婆が見えた。
タースは、起き上がった。
起き上がってから、自分が仕事場の木の長いすに寝ていたこと、そして、ひどく頭が痛いことに気付いた。
「い、痛い」
「!タース!」
母さんが抱きしめてくれた。
「よかった、気がついたのね。よかった」
「ふん、だいたい、その子供がいるからお前たちは追放されたんだ、いっそノクさまに食われればよかったんだ」
「!なんてこと!」


ノクさま?


「穢れた混血児など!ルニ、お前もハレクも殺されずにいるだけありがたいと思え!さあ、さあ、出てお行き!お前たちがこの保護施設にいる資格はない!さあ!!」


タースを抱きしめる母親の背が、どんどんと揺れた。そいつが、母親を叩いている、そう気付いてタースは怒鳴った。


「止めろ!ばか!母さんに何するんだ!許さない!!」
許さない…
そう言ったとたん、どくりとタースの心臓が鳴った。


コゥーン。
キツネが、鳴いた。
「お、おおお!ノクさま!!」
老婆はそう叫んで、頭を押さえてうずくまった。
その震えるしわだらけのいやらしい手が、ちょうど少年の目の前に見えた。
「タース、だめよ、今、あなた!」
母親がタースの顔を見ようと、肩を起こした。


僕は、木の長いすに座ったまま、上半身を起こして母さんを見ていた。
キレイだった。


優しい翡翠色の瞳。銀色の髪。
世界で一番キレイなんだ。
母さんは僕の頬を冷たい手で包んだ。
気持ちいい。


「タース…あなた、強いのね」
「うん、僕、強いんだ!母さんを苛めるやつは許さない!」
許さない…許さない…。
ふわりと、何かがタースの背中を包んだ。
金色。
キツネの大きな目。


「だ、だめよ、ユルギアに同調してはダメ!!さ、行きましょう!」
タースは母さんの大好きな背中に背負われて、その首にしっかりしがみ付いた。
嬉しくなって、足をぶらぶらさせる。


「僕、強い?」
「ええ、ええ、そうね。とっても強い思念を持っているわね。でも、怖くなかったの?」
歩きながら、母親は何度もタースのほうを振り返った。
母親の柔らかい髪にほっぺたを擦り付けながら、タースは甘える。


「怖くないよ、キツネさんにね、小さいキツネさんがいたんだ。きっと僕と同じ、キツネさんの子供だよ」
「そう、見たの?」
「うん。その仔、可愛かったよ」


「そうなの。きっとね、タース、あのキツネさんはその仔を護ろうとしたのよ。護ろうとする怒りと憎しみでいっぱいになっているの。あのキツネさんはねノクさまと言ってね、少し特別なの。赤い怖い石と青い石とでたくさんのユルギアを宿しているの。お父さんが言った優しいキツネさんじゃないのよ」


「ふうん?怖くないよ?」
「怪我させられたのに?母さん心配したのよ」
「ごめんなさいを言わなきゃいけない?」


母親はふと笑った。かすかなそれをどう取ったのか、タースは小さな手で母親にしがみ付く。
今日はお母さんはお休みの日だった。病気で寝ていたのに、迎えに来てくれた。


「お母さん、ごめんなさい」
「優しい子ね。タース。仔ギツネのユルギアに好かれたのかもしれないわね。無垢な動物の思念とお前の思念が似ていたのかもしれない。それで殺されずに済んだのかもしれないわ」


「ゆるぎあって、ときどき、天井にちょろってなってるヤツ?」
少年は人差し指で母親のほっぺたをにゅっと押しながら笑った。


「ええ、そう。他にもいろいろいるんだけど。お前にはすべては見えないわね。ノクさまには、わたしたちシデイラの民を守ってくれるユルギアが入っているの。とても大きな力を持ったユルギアなのよ。怖いキツネさんだから近寄っちゃダメよ」


「許さないって言っていたよ」
「…聞こえたの?」
「うん。今もね、そう言うとどきどきする」
ぎゅっと、母親の手に力が入った。


「ね、タース。お前はその言葉を使ってはダメよ。お前は、誰にでも優しい、素敵な男の子になってほしいの」
「ふうん。そしたら、僕、母さんに優しくする!」
「ええ、そうね」
「母さん、肩こってる?」
そういって、目の前のお母さんの肩をとんとんと、小さな拳で叩いた。


「ふふ、いい気持ち♪」
「ほんと?」
「ええ」
「じゃあ、じゃあ、今日、お母さんとお風呂入っていい?」
母親はくすくす笑った。


「あら、お父さんとは?」
「お父さんは僕の頭をガシガシ洗うからいや」
「あ、そうね、タース。今日はお風呂だめよ。ほら、頭に包帯を巻いているでしょ。怪我が治ったら一緒に入ってあげる」


「うん!約束だよ!ねえ、かあさん僕のケガっていつ治るの?」
「たくさんたくさん眠ったら治るの。せっかく綺麗なのに、痕が残らないといいわね」
母親はそう言って優しく背中の少年を揺らした。


それは、心地よくて。温かくて。
タースはいつの間にか眠りに落ちていた。



+



『―許さない』


『―許さない』


僕はぎゅと、目を硬くつぶった。
背中の向こうに何かがいるみたいで、怖くて震えた。
あの日から、眠るとその声が聞こえた。


『―ユルサナイ』


それは、僕のこと?僕を許さないの?
なんども、夢の中で問いかける。
けれど、金色のキツネは答えない。ただ、許さないとつぶやき続けている。


ノクさま、僕が悪いことをしたの?
お願いだから、仲直りして。
ノクさま?


息苦しくて、目が覚める。
また同じ夢だ。


すーと、隣で母親の寝息が聞こえた。
気持ちよさそうだ。タースはそっと起き上がった。
反対側に、父親が腕をドンと伸ばして眠っていた。
時折ごごっと、変な声を出す。


タースと同じ黒い髪、凛々しい太い眉毛。抱き上げられるといつも、その眉毛をタースの頬に擦り付ける。タースはぐっすり眠る二人を見て安心すると、そっとベッドから降りた。
床に薪を積んで毛布を重ねただけのベッドだ。弾みでからんと薪が音を立てたけれど、母親も父親も起きなかった。



外に出た。
暗い空。
小さく星がきらきらした。ひゅと冷たい風が吹いた。


『―許さない…』
また、聞こえた。


風に乗って届くのかもしれない。タースはそう思った。白い雪原が今は蒼く見えた。
どこまでも、すべてが蒼い世界。


「きれいー」
いつの間にか背後に、人が立っていた。
タースは後ろから抱き上げられた。
大きな男はそのまま歩き出した。


「だ、だれ?!放せ、母さん!」
タースの声に、母親が家から飛び出した。そして父親も。


「待って!タースに何するの!」
母親が叫ぶ。


父親は追いすがって、その大男につかみかかった。


ぶん、と男の腕が鳴った。
逆さまに見えるタースの視界の中、父親は雪の中に倒れ、母親が悲鳴を上げた。
タースは男の腕の中で暴れたけれど役に立たなかった。


母親の泣き顔。呼ぶ声。
タースも泣いた。


こんな、ひどいことするやつら!!許さない!!


『―ユルサナイ』


耳鳴りがした。


静まり返った大地。
揺られて進む、雪の景色が、斜めになる。


暴れ疲れてタースはぐったりしていた。




タースは見覚えのある建物の地下室にいた。
そこにはノクさまがいる。
この間の老婆がタースを見るなり、にと笑った。


「タース、ノクさまはお前をお気に入りのようだ。おいで。さあ。混血の穢れた血をノク様のために!」
タースは男の腕に捕まえられて、床に下ろされた。部屋の隅にキツネはいた。じっと大きな瞳で少年を見ていた。
その、奥。小さなキツネがむくと動く。


「ささ、ノクさま。この子は思念の力が強い。ユルギアを見る力は大してないけれど、とても強い思念を持っている。この子の恐怖や悲しみ、怒りの思念をくわえれば、ノクさまはもっと強くなる。もっとも強いユルギア。わが、シデイラを守ってくださる、金色の獣」


どん、と不意に背中を押されて、タースはキツネの目の前に転がった。
大きなキツネだ。
太い前足はタースの足と同じ位しっかりしている。
裂けた様な口。赤い口。そこから、不似合いに牙が出ている。


先日は気付かなかったそれに、タースは首を傾げる。キツネの様子は明らかに変わっていた。瞳は赤く燃えているようで、牙からは涎がたれている。


うつぶせのまま見上げるタースの肩を前足で押さえつける。重い。


『―許さない!!ユルサナイ!!』


怒りと憎しみの混じった重苦しい声に、タースは目をつぶった。
ノクさまが怒っている。
仲直りできないの?
床に横たわったまま小さく膝を丸めて、うずくまった。


クー。


小さな鳴き声が聞こえた。
小さなキツネがタースの頬をぺろりと舐めたようだ。


「…」
いつの間にか、頭の上に乗っていたノクさまの前足がなくなっていた。


タースが起き上がると、子供のキツネが少年の膝の上に乗ってきた。
「ふふ、可愛い」
触ろうとしたら、それはするりと通り抜けた。


「あ!」
ユルギアの小さいキツネ。その仔はタースの膝の上を浮いているように登ってくる。触れられないけれど、そこにいる。


お前、死んじゃったの?



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「想うものの欠片」第三話 ⑰

17

「こ、これ、ノクさま、この子供を食らうのではないのですか?」


老婆は驚いて、一歩踏み出す。
キツネの足元で少年は床に座って独り言をつぶやいていた。それを護るかのようにキツネはぐぐう、と唸った。


「ひっ!」


老婆のほうにキツネは一歩踏み出す。牙からは透明なよだれが滴る。


サリリ、と石の床を鎖がすべる。
キツネはつながれていた。
「!?キツネさん、縛られてるの?」


タースは膝立ちでキツネに近寄る。首輪からつながっている鎖の先に手を伸ばそうとする。


「だ、だめだ!」


タースをつれて来た大男が手を伸ばし、少年の襟首を捕まえた。
引きずってキツネから引き離そうとした。


ぐわん、と何かが動いた。
金色の塊。
次の瞬間、男は少年と一緒に壁にぶつかって転がった。


―許さない、ユルサナイ。


タースの耳に、その声が響く。
男はひどく頭を打ったようで、うめきはするものの動けずにいる。タースもまた、目を閉じたまま無意識だろう、伸ばした手を丸めた体に引き寄せた。


老婆は近づけず、威嚇したままキツネは少年だけ、匂いをかいだ。
そして、襟首に噛み付くと引きずって近くに寄せた。
「の、ノクさま、そ、そのものは穢れた血です!どうか、そのまま生贄に」


震えながら、老婆はまた一歩下がった。
鎖があればこれ以上近づくはずもない。けれど、彼女はノクさまの放つ恐ろしい怒りと憎しみを感じていた。


狂気に赤く染まった目、口角を押し広げるように伸びる牙。キツネではなくなったときにその牙は生えた。


タースは仔キツネの声を感じて、また、体を起こした。
仔キツネはタースの見ている前で、ノクさまをつないでいる鎖を前足でつついて見せた。


「とって、ほしいの?」


タースは向こうでおびえている老婆をじっと睨んだ。
「キツネさんに悪いことしたんだ!だから、怒ってるんだ」
少年はブツブツ言いながら、鎖の結び付けてある太い金具に手を伸ばした。


そこには頑丈に鎖が幾重にも巻きつけられている。
小さな手でちょっと引いただけではびくともしない。
「だ、だめじゃ!止めるんじゃ」


老婆の叫び声に、何かの声が重なった。
足音。
「タース」
「タース!」
開かれた扉の向こうに、母親と父親が見えた。


「母さん!父さん」


ノクさまを見て二人とも止まった。
父親はキツネを見て目を丸くした。
「なんだ!これは!?」


父親は傍らに座りこんでいる老婆の肩をゆすった。
「は、放せ!ハレク!汚らわしいライトール人が!」
振り払って老婆はもう一歩下がった。


「ルニ、お前は知っているのか?コレはなんなんだ!?キツネに何をした?化け物じゃないか!」
父親は、シデイラの妻に詰め寄った。
「あなた、落ち着いて、今はタースを」
母親は父親に問われて目をそらした。


タースはずっと、鎖を取ろうと苦心していた。
「父さん、キツネさんのこれ、取れないよ!助けて!」
振り向いてハレクに助けを求めた。


「あ、ああ!タース、じっとして」
近寄ろうとするハレクを、ルニが止めた。
「待って!だめ!タース、ダメよ!ノクさまを放したらダメ!」


「んー!」


顔を真っ赤にして引っ張ると、絡まっていた鎖の一つが、やっと外れた。
「タース、だめよ!危ないわ!」
「どういうことだルニ!」


「あなた、タースを止めて!ノクさまは大きなユルギアを宿しているの!あれは、ユルギアの乗り移ったイキモノ!もう、キツネじゃない!この地で取れる緋石(ひせき)で凶暴化しているの!涙愛(ルリアイ)で、死んでいった仲間が残した恨みの思念を、すべて吸い込んでいるの!解放したら何をするか!」


父親は、止める母親の手を振り払った。
老婆と、そして、起き上がった大男をにらみつけた。


「なんで、そんなもの隠している?化け物を作ったのか?何のためだ?聞いたこともないぞ、緋石、だと?ルリアイとは何だ?」


くくく、老婆が笑った。
「ノクさまは我らシデイラの守りとなるユルギア。我らの代わりに、恨みを晴らしてくださる!我らシデイラの民を追い払い虐殺した、この世界のすべてに復讐してくださる。ノクさまはあの牙ですべてを食い荒らす。そう、強い思念の子供の無垢なる恐怖、それをくわえれば完璧なのじゃ!いま少し、力が足りん。ハレク、お前もルニとのことで追放された。彼らが憎くないのか?」


「そ、それは!!しかし、こんな化け物じゃ、あんたたちだって…」
チャリン。
石壁に鎖の音が響いた。


「父さん、取れた!キツネさん、自由だ!」
ユルサナイ。
満面の笑みを浮かべた少年に、キツネはピクリと鼻を動かした。とつ、と音もなく飛び上がる。小さなキツネはそれを見てキュと、鳴いた。

「わ?」
金色の獣が目の前の少年に襲いかかった。庇おうと小さい狐はタースの前に立ちはだかった。
が。
仔ギツネのユルギアをすり抜けてノクさまの牙が襲い掛かる。


「きゃ!」
タースは小さな腕で顔を庇ったものの、そのまま突き飛ばされて転んだ。横倒しになる。
腕には獣の鋭い牙が食い込んでいる。


悲鳴。
タースには自分のものかすら、分からない。


「やめろ!」
父親が飛び出した。


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「想うものの欠片」第三話 ⑱

18


悲鳴が、聞こえた。
母さんの声みたい。
でも、僕の目の前は真っ暗な床で。目を閉じているのかもしれなかった。

動けなかった。
とっても、重たい。苦しい。


コゥーン!
キツネさんが、ノクさまが鳴いていた。
それは遠ざかっていった。



どれだけ時間がたったのだろう。
遠く、悲鳴と怒号が聞こえていた。

小さなキツネのユルギアが、そばにいるような気がしていた。触れることが出来ないのにタースを慰めようとしているように感じた。
「お、重い、痛い」
声が出た。

いくつも足音がした。


「ここもだ!おい、ライトール人だ!同胞がやられたぞ!」
「こ、こいつ、ハレクだ」
「生きてるか?」

重いものがどかされた。
「おい、子供が!ハレクはだめだがこの子は息があるぞ!」


タースは抱き上げられた。
父親と同じ、黒い髪の髭の生えた男の人だった。
「ぼうや、大丈夫か?あの化け物にやられたのか?」
「父さん?父さんは?母さんは?」
見回した。


「おい、その子供は例の子だ。まずいぞ、医療施設に連れて行けば混血だとばれる。ここの管理を任されている我々の面子に関る。ハレクもとっくに病死で片付けられているんだ。そいつは外に放り出せよ!その辺で勝手に死んでくれるだろう」


「おい、随分な…」
「何言ってる、見ただろう?あの化け物がどれだけ殺したか。首輪がしてあった。きっとこいつらが飼っていたんだ。こいつらは大人しいフリをして、心の中では我らライトール人を恨んでいるんだ。我々だけじゃない、全世界を憎んでいる。保護など最初から無理なんだ。二百年も殺戮を繰り返して、今更理解しあうなど無理な話だ!」


「そうだな。許せよ、ぼうや」
髭の人は目を合わせずに言った。

僕は、再び床に下ろされた。
足元がぬるりとして、転んだ。
「母さん…」


目の前に、母さんのきれいな髪が、黒くどろどろしたものに乗っていた。
「母さん?」
白い顔は、凍ったようになっていた。見開いた目。そこに流れる、血。


「母さん、あのね、母さん?」


「ぼうや、もう死んでいるよ」


「死んで……?」



少年は悲鳴をあげた。







僕のせいなんだ。


ノクさまを放した。
ノクさまはみんなを殺した。


たくさんの人が死んだと髭の人が言った。
僕がみんなを殺した。


父さんと母さんを殺した。



遺体を片付けると、男たちはタースを建物から追い出した。
硬く閉ざされた煉瓦の建物に、二度と入ることは出来なかった。



許さない…ユルサナイ。


小さく聞こえてくるノクさまの声。
まるで父さんと母さんが、僕に向かって言っているように聞こえた。


目をつぶるとそれが聞こえた。
ノクさまの声を聞きながら、僕は一人で小屋にいた。
ずっと泣いていた。


パン!


僕は顔を上げた。


父さんの猟銃の音だ。
「父さん、お父さん」


夢中で小屋の外に飛び出した。


真っ白な雪の中、金色の大きな獣が飛び跳ねるように近づいてきた。右に左に。何かから逃れるように。
キツネは背後から三人の人間に追われているようだった。彼らは猟銃を手にしている。
「子供が!」
「かまわん、撃て」


タースは近づいてくるキツネから目が離せなかった。
「ノクさま、どうして!」
精一杯、鼻声のままタースは怒鳴った。


飛び掛るほど近づいたキツネは、タースの目の前で飛び上がる。
パン!
空中でキツネが跳ねた。


見上げていたタースの顔に、温かいものがかかる。
パン!
次の音と同時に熱いものが腕を掠める。


タースの背後に降り立ったキツネ。


振り向いてそちらを向こうとした。
ずぷり。
雪に足が埋もれる。
動けなくなったタースの背を、キツネがくわえた。
声も出ないくらい、鋭い痛みが走る。


「逃げるぞ!」
「殺せ!」
タースをくわえたまま、キツネは走り出していた。


目の前に流れていく雪の白に、深い赤が混じる。
タースなのか、キツネ自身の血なのか。
ぐん、とキツネさんは高く跳んだ。
シモエ教区を囲う鉄条網を、飛び越えたのだ。


着地と同時にタースは投げ出された。
雪に半分埋もれて。
動けない。
背中が痛い。


「コゥー」


タースが雪の中から顔を上げると、キツネの顔が見えた。


「あそこだ!」
大人の声。
「よし、化け物は動けないぞ」


鉄条網の向こう。
大人たちは網越しに猟銃を構えた。


タースの鼻に頭をもたげたキツネの黒い鼻がぴと、と当てられた。
キツネの目が細くなった。


キツネの後ろ足は赤い雪に囲まれていて。
もう、立ち上がれない。


パン!


大きな金色の耳、尖った口。
何かに引かれるように僕の視界から消えた。ぽた、と涙みたいに僕の額に温かいしずくが散った。
パン、パン。
何度も、何度も男たちはキツネに向かって撃ちつづける。


タースはただ、呆然と座り込んでいた。
一人の弾がなくなり、男たちはやっと銃を下ろした。


「おい、子供はどうする。生きているぞ」
「どうせ、助からん、放っておけ」
男たちは鉄条網の向こうに戻って行った。


タースは、這うようにしてキツネさんのそばに行った。
「キツネさん?」


ひっそりと、キツネさんが横たわっていた。
口からはみ出していたあの牙はなくなっていた。濡れたような金色の大きな目が空を見ていた。凍った髭がきらりと日差しに輝いて揺れた。

あたりは赤く染まった雪で覆われていた。
怖かった。
怖かったけれど、目が離せなかった。
「キツネさん…死んじゃったの?」
僕は、膝をついた。
そばに、あの小さな仔キツネのユルギア。
可愛く僕に向かって首をかしげた。


「お前も、一人ぼっち?」
小さいキツネは体の雪を振り払うように全身をぶるぶるさせると、タースのほうを見た。
それから、横たわったノクさまの体の上に乗った。
そのままふわりと、消えてしまった。


目の前のノクさまは、空を見たまま冷たくなってる。
今は、仔ギツネと一緒のところにいるのかな。
僕だけが一人ぼっちだ。


涙をぬぐって立ち上がり小屋に戻ろうとした。

「あ、あれ…」
住み慣れた小屋は、鉄条網の向こう側になっていた。
冷たく凍りつく鉄にしがみ付いて、揺らしてみたけどびくともしなかった。
「帰れない、よ」


「ねえ!帰れないよ!」


叫んでも、誰も答えなかった。


許さない、ユルサナイ。
また、声が聞こえた。


僕は帰る小屋を、両親の思い出の家を失った。
僕のせいだ。


ユルサナイ。
僕は自分自身にそう、つぶやいていた。



僕はあの時、自分を許さないと心に誓った。
その想いは今も、僕の中に生きている。


――-ね、タース。お前はその言葉を使ってはダメよ。お前は、誰にでも優しい、素敵な男の子になってほしいの。


―――ふうん。そしたら僕、母さんに優しくする!


―――ええ、そうね。


優しく、するから……。



ジジ、と。ランプの芯が燃え尽きる音がした。


ああ、消える。
ふとそんなことを思って、タースは目を覚ました。


足元は冷たいレンガの床。暗い。
多分、洗面所の床に座り込んでいるんだ。
体を預けた壁が動いた。


「!」


静かに上下するそれに気付いて、タースはそっと体を起こした。シーガだった。
青年は静かに眠っている。


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「想うものの欠片」第三話 ⑲

19


頭のどこかがぼんやりして、まだ少し胃が痛んだが、深呼吸すると体中に酸素がいきわたる気がした。
じわりと、安堵感が背に下りた。肩の力が抜けた。


いつの間にか流れていた涙をぬぐった。
タースは浴室の壁を背に座り込んだまま、眠ってしまったようだった。
すぐ隣に同じように寝込んでいるシーガの肩にもたれかかっていた。


部屋と浴室を仕切っているカーテンは開かれたままで、その向こうに揺れるランプの最後の明かりが、すぐそばで寝息を立てているシーガの銀の髪を照らしていた。
そして、その隣に、ミキー。
彼女もシーガの脇に寄り添うように眠っていた。


二人で、そばにいてくれたんだ。
素直にありがとうと心がつぶやく。


久しぶりに見たあのときの夢だった。


あの事件が当時どのように扱われたのかは、半年前にライト公領の図書館で新聞記事を読んで知った。三流のゴシップ記事の扱いで、シデイラの化け物と、ノクさまを面白おかしく書いていた。それを読んだ人たちはまるでおとぎ話の怖いお話のように感じただろう。


保護施設で暮らしながら、シデイラたちは世界に復讐するために、化け物を作ろうとした。それは、失敗だった。
キツネの本能的な思念を強めるために仔ギツネを殺したのだろう。憎しみの思念はそのまま同胞の恨みと同調しノクさまが生まれた。けれど、その憎しみはシデイラたちにも牙をむいた。


そういえば、あの時母さんが言っていた、青い石、あれはルリアイのことだったんだ。
そして、赤い怖い石、緋石と言っていた。
忘れてはいけないと想いながら、思い出すのが怖くて気付かなかった。


緋石。それはシーガに関係するのかな。
新聞記事にはどちらもなかった。
涙愛と緋石、シデイラたちの秘密になっているのだろうか。



シーガはぐっすり眠っているようだ。
タースをベッドに運べなかったのだろう。青年の力ない腕は予想以上に細く見えた。そして、その腕に乗せられた小さなミキーの手。そっと触れると、柔らかくて。
「…ですの」
なにか寝言を言った。









翌朝。
タースは一人、部屋を出た。
何かしてあげたい、その想いが少年を動かしていた。
まだ少しけだるいけれど、それ以上にシーガの意外な優しさとミキーの可愛い寝顔に感謝していた。


宿の女将さんは、タースの申し出にニコニコと笑って応えた。
「大丈夫かい?三人分も。結構重いんだよ?」
朝食の乗ったトレーを受け取りながら、タースはにっこり笑った。


「大丈夫だよ、僕、こう見えても元機械工なんだ。毎日機関車の修理や整備をしていたんだ。力には自信あるんだ」
「あれ、丁度よかった、ボウヤ、今ね、オーブンのふたが壊れて困ってるんだ、何とかなるかい」


女将さんが、太った体を動かして自分の背後に見えるキッチンを指差した。
薪を使うオーブンだが、扉の蝶番が壊れているのか、傾いたまま中から香ばしい煙が出ている。


「多分、大丈夫。後で見るよ」
「そうかいそうかい、助かるよ」


部屋に戻ると、二人はタースが眠るはずだったベッドで、まだ眠っていた。


陽が登って、軒下で巣を作っている鳥たちもとっくに餌を求めて畑に飛び立っていった。
宿屋の前の通りは馬や牛車のにぎやかな音が響く。


耳がいいはずなのに、よく平気で眠れるな、そんなことを思うほど、人々の生活の音が聞こえてくる。ここしばらく旧聖堂で静かな生活をしていたせいか、うきうきしてくる。


もう少し、そっと寝かしておいてやろう。


目覚めれば、きっと、シーガはいつもの毒舌を吐くだろうし、せっかく温かい気持ちでいるのに壊される気がした。目覚めたときに、傍に誰かがいる、その嬉しさにもう少し浸っていたかった。


テーブルがないので、食事の乗ったトレーをスーツケースの上に置いた。二人をベッドに運ぶと、自分の分のサンドウィッチを片手に、タースはそっと部屋を出た。
扉が閉まったのと、ミキーの鼻がくんくんと動いたのと同時だった。







「本当に助かるよ」
「ううん、これが外れていただけなんだ。蝶番のボルトを締めなおしておいたから。今度、本体のほうも修理したほうがいいよ。煉瓦と漆喰が傷んできているんだよ。これは僕じゃ直せないし大事だからね。当分はこれで大丈夫だよ。ついでに、中もきれいにしておくよ。すすが詰まって煙がうまく外に出ないんじゃないかな。ちょっと、あのハムは苦かった」
「あれ、そうかい?」
「うん、でも美味しかった。燻製みたいで」


少年はまっすぐオーブンの扉を見つめている。直したばかりのその場所をボロ布で丁寧に拭う。ふたの金具に詰まったすすの塊を小さなのみで丁寧に剥がして、綺麗にする。その丁寧な手さばきは少年の性格を良くあらわしていた。


女将さんは血色のいい丸いほっぺたでニコニコしながら少年を見つめている。
タースは朝ごはんにもらったハムを挟んだパンを思い出していた。香ばしいハムと酢漬けのオリーブ、手作りのオイルとパンがとても美味しかった。


「女将さんの料理は、親方の奥さんを思い出すよ」
「なんだい、てっきりお母さんかと思ったよ」
「そんな子供じゃないよ、僕」
「いくつになっても、母親の味ってのはいいもんさ。ボウヤ、いくつだい?」


カン、カンと釜の中に腕を突っ込んで作業をしながら、タースは応えた。
「え?十二?」
女将さんが聞き返す。
覗き込んでいた顔を上げて、少年は笑った。
「違うよ、十五」


「ふうん、まだまだ、家が恋しい頃だろうに。お貴族様相手じゃ、いろいろ大変だろ?昨日もひどくされていたしねぇ」
「え?」
「ほら、昨日」
女将さんが自分の手首をもう片方の手でひねる真似をして見せた。


「あ、ああ。いいんだ、あの人そういう人だから」
この宿に到着したときのことを言っているのだと気づいて、タースは笑った。
手に持った道具を、布キレで綺麗にふき取る。
「終わったのかい」
「うん」
「ろくなもんはないけど、ほら、山桃を採って来たんだ。ここいらじゃ、都会じゃ食べれないものが採れるから」
女将さんが先ほどから座っている膝の上に乗せていた籠を持ち上げて見せた。赤紫によく熟れた丸い実が見える。
タースは鼻にすすをつけたまま笑った。


「すごい、大きいね!ありがとう。もう少し、ここ片付けてからね」
「いいんだよ、いいんだよ、それはあたしがやるさ」


「だめだよ。使った道具は使った人が、感謝して大切にしまうんだ。親方が教えてくれた。人にも道具にも、そういう気持ちで接しなきゃ、いい機械工にはなれないってね」
タースは道具を元の道具入れに戻すと、キチンとふたをした。
顔を上げると、目の前に女将さんが白い布巾を差し出していた。


「いい子だねぇ」
鼻の頭をぎゅっと拭かれて、タースは目をぱちぱちさせた。
照れくさそうに、女将さんを見上げる。
「あたしゃ、あんたが一番好きだ」
「え?」


「お連れの二人もそりゃ、可愛らしいしきれいだしねぇ、めったにお目にかかれないお人たちだと思うさ。けど。あんたに会えて良かった」
「僕も、女将さんの料理、好きだよ」
「料理かい?」
「ははは、冗談だよ」
二人で見合わせて笑った。


女将さんが座るイスの隣に座る。二人で宿屋のカウンターに並んで、山桃の実をかじった。
「今日はあたしの番でね」
女将さんはそう言って、カウンターの上においてある籠を見つめた。中に果物とパン、ハムが入っているようだ。


「山桃、ツクスが好きだったんだ」
「仲良しだったの?」
「そうさ、この小さい街だからね、皆、仲間みたいなもんさ。あたしが連れ合いをなくしたときには随分慰めてくれたもんさ。ツクスにも、ノルドにもねえ。本当に、いい子だったんだ」


女将さんは戻ることのない思い出を寂しげに見つめている。


「さて、先に置いて来ちまおうかね。ツクスがお腹をすかせてもかわいそうだ」


「僕も行くよ」


どうして、そう思ったかは分からない。ただ、友達を心配しながらも、怖がっている表情が、気の毒に思えた。作業している間ずっと話していた女将さんの話は、タースを楽しい気持ちにしてくれた。ほんのお礼のつもりだ。
あれだけ苦しかったのに、今は少しけだるいだけだ。シーガの薬が効いたのだろう。


大丈夫、籠を置いてくるだけだ。


退治だなんて、とんでもない。


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「想うものの欠片」第三話 ⑳

20


二階の窓から、丁度二人が通りを歩くのが見える。どんよりと曇った空の下、石畳がやけに白けて見える。

いつの間に自分たちの部屋に戻ったのか、ミキーは亜麻色の髪をもてあそびながら、通りを眺める。

「シーガさま、タースがお出かけですの」
「あの店に行くんでしょう。放っておきなさい」
「でも、あのお店、ユルギアがいますの」
「大丈夫ですよ、タースは力持ちなんでしょう?」
いらついた様子で着替えいている青年の言葉は、かなり的が外れている。


「そうですの!すごいですの!ミキーもシーガさまもベッドに運んでくれたですの」
先ほどから、ミキーはそこに関心があるようだ。
自分はともかく、シーガが目覚めた時、ベッドにいた。それがすごく不思議なのだとミキーは喜んだ。そして、結局、タースが力持ちですごい、と彼女は結論付けた。


確かにそう考えるしかないのだが、シーガは不機嫌だ。徹夜で看病してやったのに、目覚めれば狭い部屋のベッドに寝かされているし、冷めた食事はスーツケースに乗っている。何より、心配させておいて本人がそこにいない。腹立たしいこと、この上なかった。


楽しそうに女将とくだらない話をしているのが、彼らには聞こえていた。
「…私だってそのくらいは」
不機嫌を隠さない青年に、ミキーは擦り寄る。
「じゃあ、抱っこですの!」
「いやです」
「じゃあ、タースにしてもらうです!」
「待ちなさい、ミキー!お前はお留守番です」
少女は扉から、引き剥がされるようにベッドに戻される。


「あん」
「あんじゃありません、ほら、雨が降り出します。びしょぬれになったお前を運ぶのは嫌です。丸ごと洗濯機に突っ込みますよ」
「いやですの……」
「では、大人しく待っていなさい」

コートを羽織って、部屋を出て行くシーガを見送って、少女は枕を抱っこした。
「結局、シーガさまも行くんですの……ミキーも行きたいですの」

++

小さな二階建てのツクスの料理屋は、看板の白い布をはらはらと風に揺らしていた。三角のオレンジの屋根。正面の真ん中に扉、左右は硝子の窓で、店内のテーブルが見える。


「こんにちは!」
女将さんが扉をぎっと開いた。


中は、よどんだ空気がたまっている。気温が下がりだして雨が降り出した外とは、随分違う。


「ちょうど振り出したねぇ」
女将さんが頭に被っていた布をとった。
「あの白い布はね、おまじないさ。ツクスが自分で付けたんだ。触らないほうがいいよ、あれは、死んだ息子の血がついてる。落石にあったときに着ていた服なんだ」
「服…」
窓から外の看板を見上げた。風に揺れ、雨に打たれる布。外の寒さに曇りだした窓から、それは悲しげに見えた。


「帰って来るって、信じているの?」
「さあ、ねぇ」
女将さんは寂しげに笑って、持っていた籠を両手に掲げて店のカウンターの奥に入っていく。キッチンは案外片付いていた。


使われていないなべ、かまど。水の手動ポンプの下には水が小さな手桶に入っていた。
キッチンの奥にある木の扉、それが、女将さんの話していた扉のようだ。
黒く着色された極普通の扉。何も見えないし、感じられない。


本当にいるのかな、ユルギア。
いや、どうせ見えないし、感じない。
ユルギアだとすれば、誰かの思念がが固まってできている。死んでしまったノルドのものだろうか。何か、思いを残しているのだろうか。


そんなことを考えながら、桶の横にあった空の籠をタースが持ち上げると、そこに女将さんが食べ物の入った籠を置いた。
「ツクス、今日はね、山桃があるんだよ。あんた、好きだったろう?」
女将さんが大きな声を出す。扉の向こうは静かだ。


「こんにちは、ツクスさん」
タースが声をかけたときだった。


不意に扉が開いた。


「うわ!?」


開かないものと思っていたそこが開いただけで、心臓が止まりそうになる。
次の瞬間何かに引っ張られて、タースは転びそうになった。


「タース!」
「え?な、なに?」


女将さんの声が後ろに聞こえる。


真っ暗な中、誰かが、いや、ツクスさんだろうけれど、少年の腕を掴んで引っ張っていく。
足元に落とした空の籠を蹴ってしまって、転んだ。
煉瓦の床のようだ。
背中に何かが当って、膝もすりむいた。


「ってきた」
「え?」
ぎゅっと、抱きしめられた。


ツクスさんだ、タースは思った。
息子と間違えているんだ。


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「想うものの欠片」第三話 21

21

「ちが、違います!ツクスさん!」
「ああー、帰って、来た」

ひどく汗臭い、そしてゴツゴツと痩せた胸に顔を押し付けられて、思わずタースは突き飛ばす。

「っ、あの、ツクスさん?でしょ?僕は違います!タースって言います!あの、…あの?」

ひっ、ひっ…。

タースは、黙った。
床に座り込んだまま、じっと、相手を見つめた。

「ひっ、ひっ、帰って、来た」
少しはなれたところに尻をついて座り込んだまま、ツクスは変な声を出していた。

泣いているのか、笑っているのか。それは、ちょうど昨夜、タースが通りで感じた気持ち悪さに似ていた。やせ細った体、落ち窪んだ目だけが、ぎょろぎょろと薄暗い室内に光る。

確かにツクスさんは、悲しすぎておかしくなってる。

また、ツクスがむくと起き上がった。
膝をついて、こちらに這ってくる。
「う、うわ」
タースは、逃げ出そうと背後に向かって駆け出した。
直ぐに、扉がある。
手探りで、取っ手を探す。

「おいで、父さんが悪かった、父さんが……」
押しても引いても、扉はびくともしなかった。
「何で!?女将さん!女将さん!開けて、開けて!!」

怒鳴っても、何も聞こえてこない。
扉を数回叩いたところで、再び背後から抱きしめられた。

「わ!嫌だ!こ、この、放せって!放せ!」

ひどく痩せた腕だった。
震えながらも異様な力強さで、つかんで放さない。

ユルギアよりたちが悪いぞ!
タースはぎゅっと目をつぶった。


「お帰り、お帰り、ノルド、お帰り」
タースが抵抗をやめると、ツクスの腕の力もなくなった。そっと、タースの頭を撫でる。まるで小さな子にするように、男は何度も何度も少年の頭を撫でた。
泣きながら、喜んでいる。

タースはため息を一つついた。
どうして扉が開かないのか、どうしてユルギアが作る異空間に閉じ込められたみたいになっているのか。どう見ても、このヒトは普通のヒトだ。石を持っていたレンドルさんやトントとは違った。
最初から、ユルギアの気配はタースには感じられなかった。

「会いたかった、会いたかった。許してくれ、許して、くれ」

嗚咽でたどたどしい謝罪を、うわごとのように繰り返していた。

許して……。
ぞくりと背を這う。

「父さんを許してくれ、許してくれ」
「ツクスさん…」

「ノルド、ノルド、許してくれ」

その言葉を聞く度にタースは泣きたい気持ちになる。
似ていた。

その思いは痛いほど分かる。家族を失った痛みは、昨日のことのように思い出せる。

ツクスさんの想いが、この想いがユルギアになったんだ。家族を想うあまり、謝罪の念がこの人を閉じ込めたんだ。


「…だめだろ、父さん、ちゃんと食べなきゃ。すごく痩せているよ」

タースの言葉に、ツクスさんはまた、ぎゅっと抱きしめた。
それが、いいことなのか分からないけれど、今はこうするしかないとタースは思っていた。

「泣かないで、僕は、父さんのこともうとっくに許してるよ」
「ノルド、ノルド…」
何があったのかは分からない。女将さんの話ではノルドは事故で死んだという。ツクスさんがこんな風になる必要なんかない。こんな風に自分を責める理由なんかない。

タースはじっとしていた。
締め切られた据えた匂いの室内は暗い。

相手の細かい表情まで見えないが、骨ばった手で必死に抱きしめるツクスが静かに泣いているのは肩に落ちる涙の感触で分かった。

「許すとか許さないとか、ないから。父さんには元気でいて欲しいよ」
「おお、ノルド、どうした、何を泣く」
撫でられる手の感触にふと父親の面影が浮かぶ。髪を洗うときの荒っぽい撫で方に似ていた。

「……泣いてないよ。ほら、キッチンに食べ物が届いているから、食べようよ」
「ノルド、ノルド、いいんだ、お前が食べなさい、お前が」
「泣いてちゃいやだよ、父さん。山桃、好きだったよね」

急にツクスが立ち上がった。薄暗くて顔は見えない。座り込んだままのタースを引っ張り起こした。

「だめだ!来なさい!山桃なんて!まだ早いのに、採りに行くなんてだめだ!許さんぞ!許さん!」
腕をつかまれて、さらに奥に連れて行こうとする。

「ちょっと、待って、あの、採りに行かないから、だから、落ち着いて」
「お前が、お前が私のために桃を、山桃を採りに行くなど許さん!山は危険だ、お前は落石で……」
言葉が途切れた。

思い出したのか、ツクスの瞳に光がさしたように見えた。


現実を受け入れられるだろうか。

「ツクスさん。そう、ノルドさんは落石で亡くなった。ツクスさんのせいなんかじゃない」
「ノルド!おお、死んだなど、なにを言ってる!?」
「だから、目の前の僕はノルドさんじゃないんだ!」
「ノルド?じゃあ、お前は偽者か?」
男の足が階段を昇りかけて止まった。

引いていた手を放すと今度はタースを突き飛ばした。
「お前偽者か?ノルド?ノルドはどこだ!」

階段の脇の窓に背を打ち付けて、タースは息が詰まる。


だめだ、混乱してる。

「んぐ…!」
首を締め付ける骨ばった手。異常な力強さに頭の奥が熱く重くしびれてくる。
タースは必死で背後を探った。窓の鎧戸の隙間から、かすかに外の光が漏れている。

男の腹に膝蹴りを入れると、うめいたツクスは数歩後ろによろめいた。


その隙に窓を開けようとした。
自分の荒い息を耳鳴りとともに感じながら、錆付きかかった留め金を外す。
硝子のはまった木枠の窓を手前に開いて、その向こうの鎧戸を押し開いた。

真っ白。

一瞬、外の明るさに視界がなくなる。
冷たい雨と眩しい光に腕をかざして顔を覆う。

「ノルド!」
肩をつかまれた。

振り向くとツクスは日の光に姿を晒していた。やせ細った男。瞳は黄色くぎらぎらとして振り乱した髪が涙で頬に張り付いている。髪も髭も白くなって老人のように見えた。

ひどく惨めな、醜い姿。

「うわ!」
思わず声を上げて、タースは掴みかかる手を振り払おうとする。
「だめだ!行ってはいかん!」
「ちが、行かない、行かないって、放して!」


次の瞬間。
バランスを崩して、二人一緒に、窓の外に落ちた。


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