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「想うものの欠片」第三話 22

22

一階の腰高の窓。大して高さはなかったけれど、石畳に男を乗せたまま背を打ち付けて、タースは一瞬息が止まる。
男の体重がかかった左ひざは変にしびれていた。

「く、い、って」

「おい、こっちにいるぞ!」
「こっちだ!」
口々に叫ぶ声がした。

「タース!ツクス!?ツクスなのかい?」
女将さんの声。

目をあけると、そこは料理店の脇の路地だった。狭いそこに、二人は落ちていた。向こうから、女将さんの赤いスカートが走ってくる。背後から、街の人たちだろう、大勢集まってきた。

上に乗っかっていた髭もじゃの男は、数人の街の人に抑えられた。
「ノルド!ノルド!」

男はそれでも、タースのほうに骨ばかりになった腕を伸ばす。
ぞくぞくしながらも、切ない気分になった。

「く、はぁ」

仰向けに寝転んだまま、タースは大きく息を吐いた。
濡れた石畳の熱と雨の匂いを背中に感じる。
本格的に振り出したばかりのそれは、空の灰色を絞っているようだ。
額に落ちる雨粒をぬぐった。

「退治、できたのですか?」

ひどく落ち着いた声の主に、恐怖の反動か一気に腹立たしさが沸いてきた。
自分から巻き込まれたのは承知だが、シーガの表情は明らかに楽しんでいる。
飛び起きて、自分を見下ろすシーガに食って掛かる。

「なんだよ!いたなら助けてくれてもいいだろ!」
「お前に任せるといったはずですが」
立ったままの青年の脇をすり抜けて、女将さんがタースの傍に駆け寄った。

「タース、無事だったかい!よかった、本当によかった」
助け起こされて、引かれるまま街の人たちがツクスを囲む輪に加わった。
「みんな。この子がツクスを外に出してくれたんだ、恩人だよ!」
「そうか、ボウズ、お前が!」
鍛冶屋の主人だろう、上半身裸の大柄な男がガはガは笑いながらタースの背を叩いた。

「いて、あの、偶然です、その」
「何言っているんだい、こうして、まあ、ツクスは無事とはいえないけどね、それでも外に出られたんだ」

ツクスは路地に座り込んだまま、視線を地面に落としている。何かつぶやき続けている。

「かわいそうにねぇ、すっかり、ユルギアに心を壊されちまって」
「違いますよ」
染みとおるような声に、皆が振り向いた。

シーガは、コートの襟を寄せながら、馬鹿にしたように皆を眺めていた。
「何だい、もう、ユルギアはいないんだ」
女将さんは眉を寄せた。
シーガを見て、改めて街の人たちはこそこそとお互い顔を見合わせた。
「シディだ…」そんな声が、タースにも聞こえた。

少年は拳を握り締める。

「その男の狂った思念がユルギアを生み出すのです。いずれまた、自分自身の思念に取り込まれて、同じことを繰り返します」
「け、けど!医者にかかれば」
女将さんの言葉にシーガは冷たく言った。

「治りません。お分かりでしょう?私なら、その男の思念を消すことが出来ます。元の明るい男になりますよ。困っていたのでしょう?夜中の叫び声は街の評判を悪くしますから」
集まった十数名の人々は互いを見詰め合う。

「…わかったよ!」
言葉を発したのは、宿の女将さんだった。

「銀貨五百、きっちり払う。ボウヤのお陰でツクスは外に出してやれた。代金を払う価値はあるよ。もうコレで十分だとは思うけど、でも、もっとよくしてくれるって言うなら。あんたを信用しようじゃないか」
「五百?」
「おいおい、女将、大丈夫かい」
痩せた男が女将さんの丸い肩を叩く。

「いいんだよ、あたしゃ、このシデイラの旦那じゃない、この子に礼がしたいんだ」
女将さんはそう言って笑うと、タースの手を握った。
「ボウヤ?」

タースは、考えていた。
じっと、座り込んでいるツクスを見下ろして。
不意に、背後のシーガに向くと口を開いた。

「シーガ、もしかして。思念を消すって、それって、息子さんの記憶を消すってこと?」

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「想うものの欠片」第三話 23

23

シーガはふと目を細めた。

「そうなの?だって、そうだろ?ツクスさんは、ずっと、息子さんが死んでしまったことを自分のせいだと思い込んでいて!多分奥さんのときも同じように悩んでいて。だから心が壊れて、ユルギアが生まれたんだ。その想いをなくすってことは、記憶を、息子さんの思い出を消しちゃうってことだろ?」

タースの言葉に、街の人々は再び視線をツクスに向けた。

着流しの汚れた服、痩せた肩。ひたすら何かをつぶやく男の姿。
それは、雨に打たれながら背負う重みに耐え続けている。

誰もがノルドのことを覚えている。笑いながら料理を運ぶ姿。父親に怒鳴られて舌を出す、子供らしい笑顔。市場に二人で出かける姿。

「そりゃ…」
言いかけた鍛冶屋も、言葉が見つからないのだろう、黙って額に流れる雨をぬぐう。
女将さんは何度も瞬きしている。

「今のままでも、彼は息子の思い出など覚えていないのですよ」
シーガの言葉は真実だ。

「今はただ、自分を責め続け、闇に入り込んで嘆いている。幸せだと思いますか?忘れてしまったほうがいいことも、あるのではないですか」

シーガのその言葉は、タースに問いかけたあのときに似ていた。
人生をあきらめていないのかと、そう、言った。
楽なことと、幸せなことは違う。

「だ、だけど!大切な想い出だろ!ノルドさんと一番長く過ごしたのに、たくさん幸せな記憶だってあるはずなのに!欠片しかなくたって、大切なんだ!二度ともう、作れないのに!」
両親をなくした少年にとって、想い出は大切なものなのだろう。涙のように頬を雨が伝う。

「どうしますか?ツクスさんに決められることではありません。あなた方が、決めてください」
女将さんがすでに濡れているだろうエプロンで、顔を覆った。

「だめだよ!ツクスさん!」
タースが男に駆け寄った。
その肩をゆする。何度も。

男はぼんやりと少年を見ていた。

「忘れちゃ、だめだよ!ノルドさんが生まれたとき、喜んだんだろ?大切に育てたんだ!奥さんだって一緒だったんだろ!いっぱい、笑いかけてくれたの、忘れちゃうの?思い出せよ!幸せだったときのこと思い出せよ!」
「すまない…」
ツクスが何かつぶやいた。

「すまない、ノルド、…父さんのために…」
「ツクスさん!」
男の視点は、どこか遠くを見ていた。

「ボウヤ」

肩を引かれた。

鍛冶屋だ。
タースを立たせると、頬に伝うしずくをぬぐってくれた。

「忘れさせてやってくれ。俺たちが、覚えてる、だから。これ以上、ツクスが謝る姿を、見たくねえんだ」
そう言うと、鍛冶屋は皆を見回した。
「金は、皆で払う、女将、皆、いいだろう?」
街の人々も、黙って頷いた。
女将さんは顔を上げると、真っ赤な目をしてタースを抱きしめた。

雨が激しくなってきた。
「…シーガ」
少年の視線を受けて、シーガは無表情のまま進み出た。無言で人々は輪を開く。
黒尽くめの青年が、石畳に膝をつく男の前に立つ。

ただ、立ったまま、青年は言った。
その笑みは穏やかで、美しかった。

「もう、忘れてもいいのです。疲れたでしょう」

同時にツクスの頭がぐらりと揺れた。その瞬間だけ、まるで彼の周りを陽炎が囲んだように空気が揺れた。乱れた雨粒が、ツクスを避けるようにはじかれる。

一瞬のことだった。
目を閉じたツクスが、かく、と頭を揺らし、次の瞬間には顔を上げた。まるで、居眠りから目覚めるように。

その瞳には、銀色の髪の青年が映っている。

「あ、なんだ?」
青年を見て、それから、周りの皆を見上げて。
自分の濡れた手を見た。
「なんだ、おい。何で俺は、こんなにずぶ濡れなんだい?」
「…ツクス…」

「雨が急に降ったからさ、さ、皆うちにおいで、温かいスープをご馳走するよ!」
女将さんが、目をこすりながら笑った。
「おお、そうだ、行こうぜ」
街の人に引かれて、ツクスも立ち上がった。
痩せて足元はおぼつかないものの、表情は生き生きしていた。
「おいおい、なんだか、ひどく腹が減ってるよ」
「そりゃそうだ、女将ソーセージもつけてくれよ」
「ぜいたくだねぇ、そりゃ、自分で払いなよ」
笑って皆の先頭に立ち、女将さんは宿に向かった。
「タース、あんたも気が済んだらおいで」
そう、少年の肩を叩いて。

タースは、ぼんやりとシーガを見ていた。
青年は、濡れた前髪をうるさそうにかき上げると歩き出した。

「タース、ほら、行きますよ」
「…笑いながら、消すことない」
八つ当たりだ。
分かっているけれど、勝手に口が言葉をつむぐ。
シーガの無表情な視線に耐えられずに、うつむいた。額から雨粒が散った。

「ユルギアが消える瞬間は、好きですから」
「!ほんとに、性格悪いな!」

「救いたければ力をつけなさい。まあ、無理でしょう。ああいったユルギアは厄介です。私にもあれ以外できることはありません」
「!じゃあ、なんで僕にやらせようとしたんだよ!」
「…期待、ですか?」
「僕が聞いてるんだよ!…え?」
「何でもありません。さ、行きますよ」
少年の肩に手を伸ばしかけて、シーガは固まった。

「なんだよ?」
「お前、臭いですね」
「え?」
ツクスさんの臭いだろうか。

「近寄らないでください」
シーガは鼻を手の甲で押さえるようにしてずんずん先を歩き出した。

「なんだよ!」
「ああ、ミキーが喜びますね、タース、近寄るなって言っているでしょう!」
「なんで?」
タースはシーガのコートに後ろからしがみ付いた。

シーガが言いかけた、期待、の意味は分からないが。もしかしたら違う助け方が出来たかもしれないと「期待」したのだ。
決して、この方法が一番であったとはシーガも考えていないということだ。
自分と同じ感覚を青年も持っている。
それが、不思議とタースを嬉しくさせた。

なんだかんだ言って、気になって来てくれたんだ。
助けてくれた。
ツクスさんを救おうとしてくれた。
顔には出さないけれど、きっと僕が感じたのと同じくらい、悲しかったはずだ。
シーガには相手の思念がよく分かる。
きっと、ツクスさんの悲しみもよく分かっていた。
それが嬉しかった。

うるさそうにタースを追い払おうとするので、余計にじゃれる猫のように少年はシーガの背に抱きついた。
「触るなといっているでしょう!」
「!ぐ」
思いっきり肘うちをくらって、鼻を押さえる。
「いで…」

「臭いのは嫌いです。ほら、鼻血も!服を汚すとミキーが喜びます!」
ジンジンと痛む鼻梁に、涙目になりながらタースは青年の後姿に首をかしげる。
優しいのかなんなのか。
「なんえ、ミキーふぁよよおぶの?(何でミキーが喜ぶの?)」

答えもせず、シーガは宿の扉を開く。

二人が宿の扉をくぐると、楽しそうな街の人たちをすり抜けて、チョコチョコと少女が駆け寄ってきた。満面に、可愛らしい笑みを浮かべて。

鼻を押さえた少年を見て、胸の前で手を合わせた。
「まあ!大変ですの!タースお着替えですの!」
駆け寄ってタースの手を引く。

「さ、お部屋でお着替えです!今度は、もっと可愛いのにしますの!」

嬉しそうなミキーに引かれながら、タースは見送るシーガを振り返る。

いつもの無表情なキレイな顔。
たくさんのユルギアを見てきている。その想いを聞いてきている。
何を思って、ユルギア退治なんかしているのか。思念を読み取るのは決して楽しいばかりではないはず。

あんな態度でもいい奴なのかもしれない。
究極の恥ずかしがりや、という説は当っている。
タースはそんなことを思っていた。

第三話 了



あとがき的なもの…
かなり長い第三話。ここまで読んでくださって、本当に感謝です♪
第四話から少々話が広がり出します♪久しぶりにスレイドさんも登場♪
シーガ、タースそしてミキーちゃん♪彼らの旅は始まったばかり。のんびり展開ですが、お付き合いくださいね♪


「想うものの欠片」第四話へ
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「想うものの欠片」第四話①



ライトール公国。ライト公領。

公国の中心に位置し、国の東西を横切る横断列車トラム・ミスの中間地点でもある。
首都としてこのライトール公国でもっとも栄えている街とされている。
教会の鐘の音と駅舎から響くトラムの汽笛。
風に乗り、ここ公国政府議事堂にもかすかに届く。


ちょうど、昼から一時間過ぎた。
男は背後でくつろぐ年下の男にため息混じりにつぶやいて見せた。

「珍しく立ち寄ったと思えば、この時刻とは。毎月のこの日、この時間に定例議会があることはお前も承知だろう」

不機嫌とも受け取れる声音に、ソファーでくつろぐ男、スレイドは目元だけで笑って見せた。

スレイドは上質な皮のソファーに体を預け、目の前で忙しそうに書類を繰りつつ服を調える男を見上げる。男は黒檀の巨大な机の前に立ち、背後のステンドグラスのためにその表情は陰になって見えない。それでもスレイドは興味深げに眺めている。

「時間は取れんぞ」

脇で首もとのネクタイを締め終えた従者が恭しく下がる。
それを視界の隅に置きながら、男はスレイドに背を向けた。

窓際に立ち庭を眺める。芝を生垣と花壇とで仕切り、モザイク模様の花々を敷き詰めた庭に夏の訪れを感じている。

それが、彼、ライトール公国大公リュエル三世の儀式でもある。四季折々の風情ある庭を、その向こうに見えるライト公領の街並みを静かに眺めて気持ちを整える。これから行われる議会は、彼にとって最も政治的手腕を問われる場である。
このタイミングで来客を迎える余裕はない。必然的に口調はきついものになる。

「終わるまでお待ちしていますよ」
スレイドの言葉に大公は振り向いた。

珍しいことだった。この男が大公のそばに長居することはない。自ら尋ねてくることすら稀なのだ。避けられているように、大公は思っていた。

「そんなに驚くことではないでしょう?今日の議会、私も興味がありましてね」
「……混血の少年のことか」

スレイドの口元が弧を描くことでリュエル三世は目を細める。
言葉少ない二人には、共通の理解があるようだ。

「案ずることはない」
扉が二度、叩かれた。

「時間だ」

ライトール公国。
ノワールトの大国の一つであるこの国は、約五百年前に二十四の都市国家をライト公領主が統一したものだ。
現在、公国を治めるのはリュエル三世。
ライト公領を見下ろすソーゼンヌの丘に居を構える。

ライトールの大公は代々モロゾワ家が受け継ぎ、二十二代目となるリュエル三世はすでに二十年、その地位を守っていた。
御歳五十を数える大公は、金色に白の混じった髭を撫でる。
引き締まったあご、整えられた眉。猛禽類を思わせる深くくぼみながらも鋭い眼光。温厚な性格を強調される彼では有るが、そのうちに侵しがたい叡智を内包していることは疑う余地もない。

「大公閣下」
開かれた扉の向こうで、従者が頭をたれる。
「ん」
「議場に皆様おそろいでございます」

深海の蒼を思わせるマントを翻し、リュエル三世は両開きの大扉の脇にたたずみ、深く頭を下げている従者の前をささと通り過ぎる。すでに、スレイドの存在は忘れられたかのようだ。スレイドも見送ることはせず、ソファーに深く体を預けなおすと伸びをした。居座る猫に似ている。
従者はその存在に気付いているはずだが、あえて触れようとはしない。

「まいれ」
大公の一言に従者はもう一度頭を下げ、まっすぐ大公を見据えつつその後につく。
扉を守る近衛兵は二人を見送ると、再び槍を縦に構える。
まるで、閉じられた室内に、まだ誰かしら守るべき人がいるかのようだ。



淡い橙と緑の模様をおりなす敷物を、大公と従者は光と影のようにゆるりと進む。
長い廊下を音もなく進む二人。
ランプの灯される柱の両脇に近衛兵が槍を持って人形のように立っている。


「すべて、集まったのか」
リュエル三世の低い声に、従者は小さく応える。

「はい。定例の会議ゆえ、無礼を働く領主はおりません」
「うむ」

背後の従者に、視線すら動かさずに、大公は正面に見えた扉を潜り抜ける。
緋色のカーテンが、左右から緩やかなドレープを描いて揺れる。

潜り抜けた。

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「想うものの欠片」第四話②



室内は、屋外であるかのように明るい。
六角形をしている代わった部屋に、六つの大きな天窓。
そこから差し込む昼下がりの日差し。壁の高いところで淡い黄色を放つランプたち。
壁の絵画はほとんどが肖像画で、それが代々の大公であることは、その服装と顔立ちが似ていることで直ぐ分かる。

六角形の室内には六角形の巨大なテーブル。すでに、二十四人の領主は席を占めていて、大公は用意された肘掛のついた赤い革張りの大きな椅子に腰掛けた。
彼の背後の壁には、神話を描いたタペストリーが飾られ、左右からクロスして配置された槍が、ランプの光にぎらぎらと権力を象徴した。

大公が座り終わるのを待って、二十四人の領主たちは静かに座った。

大公の脇に控えていた、白髪、白髭の老人が、声を張り上げる。
「これより、第二四六回公国議会を開催いたします。本日の出席議員は二十四名の全員にお越しいただき、定数に達しています。故に、この議会の決議はライトール公国憲章において有効であることをここに宣言します」
二十五の拍手がまばらに花を添えた。

この公国議会は、月に一度、ライトール公国の二十四の領主が集い、この国の政策を決する場である。
あくまでも承認と諮問の機関であり、原案を大公の責任のもとで政府が作成し、大公を含めた二十五人でその可否を諮るのである。
いくつかの新しい技術の許可申請について、専門の技術官による説明を受けた後、承認された。

懸案であったアバスカレズ川の治水、先日の地震による被害の復旧状況などが各領主からもたらされ、和やかな様子のまま議会は進行していく。
国境の街、カヌイエの領主、ムハジクが、黙って挙手し、議長に申し出た。

「ムハジクどの。ご意見を」
「一つ、この議会に諮るべき内容が落ちているように思いますが。大公閣下にお伺いします。シデイラとの混血児が存在するという情報をさる筋から確認しましたが。その真相を」


既に六十を超える老獪な領主は語った。
国境に位置する都市カヌイエはかつて国境警備を任された、武勇に優れた忠実な一族が治めていた。
ムハジクはその直系の子孫に当る。飾らない物言いも一族の血を濃く引いていると思わせる。
武勲を賞されて盛隆を極めた一族だけに、現在の大公の平和主義に思うところがあるだろう。何事にも対話と協調をモットーとするリュエル三世より五つは年上であり、遠慮のない物言いをするためリュエル三世にとっては少々煙たい存在である。

「先日ライト公領において、一人の少年が国立病院に運ばれましたな。黒髪碧眼、十代前半と見られる少年は自らをシデイラとの混血であると明かしたという。担当した医師によるとその後公国政府に報告したというが。大公閣下、我ら領主にはその知らせは届いておりません」
大公はあごに少し伸びた髭をさする。
口を開いた。
「そう目される少年は存在したが、真に混血であるかの確証は得られず、シモエ教区への保護の途中に所在不明となった。故に今は密かに指名手配し、各都市駐留の公軍によって捜索を続けているところだ」
議場は、ざわついた。二十四人それぞれが隣と視線を交わし、懇意にしている領主へと目配せする。
「われ等になんの話もなく、議題にも上がらず、それでよろしいのですかな?シデイラとの混血など許されん。この問題は国全体の問題でありましょう」
そう言ったのはシモエ教区に隣接する領地の主だ。
「うむ。私も同感です。シデイラを管理している教会では何をしているのか。その責任を問わずしてどうしますか」
「シモエ教区で生まれたのならば、許されることではない。早急なシモエ教区におけるシデイラの管理状況の調査が必要ですな」

ムハジクの根回しなのか、彼の意見と同時に多数の領主が擁護する意見を主張する。
リュエル三世はかすかに口の端を歪めた。
手元に置かれた金の敷布に乗る、透き通ったグラスから、水を飲み干す。

ざわめきのような収拾のつかない意見の応酬が、一瞬途切れたときを見計らって、痩せて長身のカドニカ候が口を開く。
「どちらにしろ、ミーア派では甘すぎたということです。ティエンザのロロテス派に知られては国の恥、直ぐにもミーア派の責任者を召喚し、真実を明らかにすることを要求するべきでしょう」

この大陸ノワールトには、二つの国と一つの教区がある。
一つはライトール公国、そしてもう一つがティエンザ王国。教区とはシモエ教区のことに他ならず、そこだけは教会の自治区となっており、どの国にも属さない。
教会と呼ばれる場合、通常はこの大陸すべてを網羅する一つの宗教団体を指す。本来であれば教会の最も上位とされるのは神王とも呼ばれるレスカリア帝国皇帝であるが、昨今は二国の大司祭とその下部組織で作られる国境を越えた団体のことを指すようになっていた。遠い海を隔てたレスカリア帝国は実質的な権力を教会に持ちえず、故に『教会』は常に二国を代表し二つに割れ、常に勢力争いをしている。最も長い歴史と力を有したミーア派は、新興勢力のロロテス派に押されている。これまでミーア派が拠点とするライト公領旧聖堂のあるライトール公国がミーア派に協力してきた。教会組織に固有の兵力を持たせないため、公国の軍がミーア派の剣となり盾となってきたのだ。
故に、大公はミーア派を擁護する立場にある。


大公が、黙って手を上げると、議場は静まり返った。
議長が、咳払いを一つする。
「どうぞ、大公閣下」
「第一に。少年の移送を担当したのは我が公軍である。移送中の不手際は教会ではなく国軍に責任があると思われる。第二に。皆は忘れておいでか。レスカリア帝国の神王による教えを。帝国暦二百二年より、我らはシデイラを人と認め同じ権利を与えると。そのために絶滅を防ごうと保護しているのだ。確かに混血は禁じられている。だが、それはシデイラの血が薄まり、純粋なシデイラが減少することを防ぐためである。方針に反したからといって、まるで罪人のように混血児を扱うことは根本にあるシデイラ保護の理念を損ねていると思うが」

く、とムハジクが皮肉に笑みを浮かべた。
「大公閣下、奇麗事では済まされないのです。一を許せば百と成る、法律には一つの例外も許されない。これが、ティエンザのロロテス派に知られ、追求されればミーア派の信用、ひいてはミーア派に大司祭を任じているわが国の信頼をも損ねられるのです。これが、現実なのです。シデイラ保護の理念など持ち出しても、彼らは効かないでしょう」

もっともな意見だった。
シデイラ保護は大義名分ではあるが、それを軽視する傾向であるのも否めない。
まして隣国ティエンザはロロテス派が主流。
彼らはシデイラを汚らわしい獣扱いするという。
彼らにしてみれば血を交えることを禁じるというその一点により、ライトール公国を攻め立てるに違いないのだった。
理由はどうであれ禁を犯した事実がそこにある。

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続きは日記的なもの♪

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「想うものの欠片」第四話③

らんららです~!
先週末の旅行のツケで本日、たまった家事をこなしてます(><)明日は天気が怪しいから、土曜日の今日がんばります!!
日記にコメントいただいて、嬉しくなって掃除の途中でちょっと休憩♪あと少し、お掃除とワードローブの整理が終って、クリーニングを出しに行って、本屋さん寄ったら…ブログ徘徊だぁ~…遠い(TT)
読みに来てくださる方のために、とりあえず準備してある記事だけアップデス。




リュエル三世の隣に座っていた、ライトール公国でもっとも東に位置する領土を持つシスル候は深く考え込んだ様子から顔を挙げ、言った。

「現在、ティエンザの工業技術を輸入する例が後を絶たない。ティエンザは大規模な工場を作り、多くの人々がそこで働く。人も、金も、わが国の資産はことごとくティエンザに流れ、それをもとにティエンザは潤い、その工業技術はさらに進んだものとなる。これでは、わが国は内側から干からびていく」

大公は頷いた。
それは、既に数値として現れている。優秀な若者が新しい技術を求めて隣国へ渡る。多くの工場を林立させるティエンザでは、常に人材不足。
豊富な資金で新しい技術を次々と開発している。
この悪循環をどこかで断ち切らなくては、ライトール公国に未来はない。

シスル候は、話を続けた。

「なんとしても、ティエンザ王国に付け入る隙を与えてはいけません。ロロテス派は、残念ながら、わが国の主要都市に次々と新しい聖堂を建て、勢力を伸ばしています。ティエンザからの資金を利用しているとしか思えない。これ以上、ミーア派の評判が落ちるようでは困ります」

ムハジク候がそれに答えた。

「すでに、ティエンザからは何かしら、圧力があるのではありませんかな。国境に位置する我が領地では、そう言った噂を耳にする機会も多い」

議場内は再びざわめいた。
窓のステンドグラスの赤を透かして、まっすぐな光が大公の体を斜めに染める。額に受ける日の光が強く光る。
昼下がりの日差しなど気にしているものは一人もいない。
背にする者、正面から受ける者。
皆、大公閣下の言葉を待っている。

「……書簡は受け取っている。教会内では既に動きがある。大司祭任命の件はあくまでもわが国の問題だが、シモエ教区においてはそうも行くまい。ロロテス派がミーア派に代わって管理するという方向で動き出している。あくまで教会内で決まったことだ。それに伴って、同じくシモエ教区に国境を隣接するティエンザも保護施設への援助を教会に申し出ている」

「お受けになるのか」

大公は顎をなでた。
「ティエンザはあくまでわが国ではなく、教会に申し出たのだ。シモエ教区はどの国にも属さない教会固有の土地。わが国が反対したところで翻るものでもない。ティエンザよりの書簡は、結果を通達するものだ。もとより、わが国の意向を伺う構えなどない」

ざわめきはひそひそと、六角形の机をめぐる。

「ロロテス派台頭の要因に、例の混血児の存在があるのかは不明。よって、我が国がそれに関して口を挟む余地はない。しかし、混血児の存在を公表することはやはり我が国にとって不利であることはもちろんだ。故に、密かに指名手配している。諸侯もそこは内密にご協力願いたい」


大公は、手元の資料を数枚、めくる。

「名は、タース。自称十五歳だが、それも見た目はもう少し幼い。身体的特徴などは後ほど、資料をお渡ししよう。捕らえた場合速やかに公軍に引き渡すよう、お願いする」

二十四人は視線を交わすものの、それ以上、口を開くものもなかった。

ごほん。
白髪の議長が、咳払いした。
「では、お諮りします」
静まる。

「件の混血児については、その出生について調査を続けるとともに、指名手配によって捕縛する」
脇に控える書記の記述を読み上げた。
「これを承認することにご異議ございませんか」
「異議なし」
頷くもの、低くうなるようにそう言葉を発するもの、それぞれだが、反対するものはいない。

「では、この件については承認されました。続いてミーア派の処分についてですが」
そこでまた一つ咳払い。

「大司祭の解任については見送り、また混血児逃走の失態については罪を問わない、これでよろしいでしょうかな」
ため息交じりとも取れる口調が、二十四、そろう。
「異議なし」
「以上ですべての審議を尽くしました。これにて閉会を宣言します」

次へ(9/17公開予定♪)
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「想うものの欠片」第四話④



日は既に傾きかけ、大公が自室に戻り、椅子に深々と腰を落ち着けたときには、三時の茶が運ばれた。

侍従が冷やした甘茶をグラスに注ぐ。
二つ、置かれたグラスには、琥珀色の静かな波が揺れた。


ラム酒とジャムを混ぜたものが小さな器に盛られ、傍らの白い皿には焼きたてのマフィンにクリームが乗る。熱に解け、ゆるりと流れた。


「本当に待っているとは思わなかったぞ」

リュエル三世は、二つ並べられたグラスの一つを手に取ると、髭の縁取る口元に運ぶ。
一口、唇を湿らせると、深く息を吐く。

スレイドは黙って軽く肩をすくめると、黒い帽子を取る。この部屋に来て初めて帽子を取る。
一国の主を前にそれは無礼極まりない行動ではあるが、この黒尽くめの男にその常識は通用しないかのようだ。リュエル三世も別段気にする様子もない。

「議会が長引いたようですねぇ」
細身の黒いズボンに包まれた膝を、するりと組みかえる。

「カドニカと、ムハジクはミーア派の責任を問えとうるさい。公国議会としては今はまだ大司祭の解任はしない方針だ。だが両名ともロロテス派の息がかかっていること、間違いないな」

大公は議会でミーア派の大司祭、つまり聖女ファドナを更迭するべきだと主張した二人を思い出す。巧妙に同じ意見でありながら合い通じていることを隠していた。

「でしょうね。カドニカは自身、熱心なロロテス派信者です。ムハジクは最近ティエンザに広大な土地を購入したと聞きます。どちらも、ティエンザに隣接する領地。なにかと影響も受けていることでしょう」

スレイドの言葉に大公は再び甘茶を口に運ぶ。
それは既に、赤いジャムによって濃い暗赤色に染まっている。

「うむ。国境の橋、キョウカレズを持つムハジクが、ティエンザに組するとなると、気をつけねばならんな。駐留している国境警備隊も、ムハジクが私兵を興せばそれこそ背水の陣だ」

「戦争が起こると?」

「まだわからん。だが、ティエンザが意図してわが国から金も人も吸い上げているのは明らか。その結果、わが国を思うままに出来る力をつけようというのか、それとも具体的に兵を向けるかは今はまだわからん」

「どちらにしろ。不利ですな」


「聖女はどうなされている」

「相変わらずです。別邸を貸与していただき、感謝していると言付けを賜っています。既にロロテス派によりシモエ教区には調査の手が伸びています。旧聖堂にも調査の旨連絡がありました」

「あの方を、巻き込みたくはないのだが」

大公の眉間に小さくしわが寄るのをスレイドは見落とさない。
いや、確認せずとも、それは想像できる表情であった。

「案ずるなとは、それですか」

予想はしていたものの、スレイドはやはり落胆する気持ちを抑える事はできない。ミーア派でもタースでもなく、大公はただ聖女ファドナ、たった一人を案じているのだ。

元来、政教分離の理念が強いこの国では、政治の中心である大公は教会との関わりを最小限に保つ。どの宗派が何をしようと、政治に影響がなければ無関心だ。同様にシデイラのこともシモエ教区についても、単なる政治的な道具に過ぎない。不要になれば切り捨てるだろう。

その男がただ一人、あの聖女ファドナだけを気に懸ける。

理由は単純だった。
大公も人間。

大公リュエル三世は、公妃亡き後、ミーア派の聖女ファドナに想いを寄せているのだ。

「ふ、父上。ファドナ聖女は仮にも我が国最高の司祭、その権限を持つのですから。ついて回るものを避けて通ることも出来ません。相変わらず美女には弱いということですかな」
「スレイド」
皮肉な言葉に、大公は眉を寄せた。

「巻き込みたくないのでしたら、いっそのこと大司祭の地位を剥奪したらいかがです。それによって議会が納得し、ファドナさまも安全になる。あなたがミーア派にしがみ付くほど、ミーア派の代表であるファドナさまは矢面に立たされるわけです。
わが国は、父上。ティエンザとは違います。どの宗派になろうとも、国政を教会に左右されることはありません。ティエンザのロロテス派が勢力を伸ばす前に、国内のロロテス派を味方につけて備えることも一計でしょう」
「お前まで、ムハジクと同じことを申すのか」

甘ったるいスコーンをすべて口に押し込んで、スレイドは面白そうに笑った。

スレイドの母親はすでに亡くなっていた。
大公に寵愛を受けたものの、スレイドを産み落とし正式な婚姻の前に亡くなった。身寄りのなかった母親はこの世にスレイドだけを残した。

誰もその存在を知らない。亡き公妃の嫡子、本来なら異母兄弟であるが、彼らすらスレイドを単なる大司祭の従者と考えている。

大公は二人でいる間は父と呼ぶことを許し、こうした会話も交わすが、他人が交われば一変する。スレイドも庇護を望むつもりはないが、無関係でいようとするほど子供でもない。

付かず離れずを保っていた。

その大公が、聖女ファドナに対する想いを隠そうともせず、スレイドにその守護を任せる。

スレイドの少し歪んだ笑みは、そうしたところから来るのかもしれない。
素直に父、リュエル三世に賛同することはしない。

「同じではありません。ムハジクが敵だとしても、敵の要求を受容することが必ずしも我が国に損をもたらすものではないということです。逆に利用することで、我が国の底力を見せ付けることが出来る。ティエンザの出方も変わって来るでしょう。変わらねば、変えられないのです」

男の言葉には、意味があるようにも取れる。
しかし、大公は聞き流した。

どちらにしろスレイドの意見ではなく、議会と教会の意向により今後の方針は決定することになる。その時にファドナに問題が起こらねばよい。

いざとなれば、あからさまに保護することも、大公は選択肢の一つとしていた。

「ふん。ところで、スレイド。例の混血児はどうした?お前らしくもない、取り逃がすとは」
「申し訳ありません」
スレイドの闇色の瞳がかすかに揺れる。
大公がそれに気付いたかどうか。

他ならぬ聖女ファドナがタースを庇い隠していることに、気付いているかどうか。

そこはスレイドにも分からない。息子の嘘を見破れるほど、日々親しくしているわけでもない。それは、逆にスレイドにとっても同じことだ。読み切れない男の視線に一度置きかけたグラスをまた口に運ぶ。

大公は不自然なタイミングでグラスに手を伸ばす息子に気付いていた。
だが何も言わず、再び自分のグラスを口元に運んだ。


「まあ、よい。出生の状況は確認できたのかな」
「十年前に保護施設の担当者は例の事件ですべて亡くなりましたので。シデイラの民たちは口を閉ざしたままですし、資料も残っていません。こちらの図書館に移された資料にも、そういったものは見当たりませんでした」

「山岳地帯に隠れ住むシデイラは今や皆無といわれている。やはり、シモエ教区で生まれたとするのが正しいのだろうな」
「父上」

憶測であろうと不用意な発言は命取りになる。
「うむ。分かっておる。ミーア派の落ち度とされてはますます情勢が悪化する。今のところ不明である、今後もそれのみが事実だ」
「ええ」

空になったグラスがテーブルに置かれる。
硝子に透けて見える大公の表情とスレイドの瞳が写り込み、不可思議な親子の肖像が一瞬の間だけ並んだ。

スレイドは立ち上がった。

「タースが見つかったらどうなさるおつもりですか」
「利用できれば生かす。出来なければ、処分する。分かりきったことを聞くな」

黒い帽子を被りながら、男はかすかに表情を変えた。
大公は気付かない。

「ふん、いなかったことに出来れば、一番いいのでしょうねぇ」
「そうだ」

立ち上がり、スレイドは小さくつぶやく。

「私と同じ、で」

黒い髪の後姿を見送って、大公はスレイドの残した呟きを苦くかみ締める。

この世になければよかった命など、存在しないこと。
もちろん、大公は知っていた。


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「想うものの欠片」第四話⑤



深く帽子をかぶり、スレイドは静かに廊下に出た。

扉の外の兵士と、目が合った。こちらを見ている。
スレイドはにかっと笑ってみせる。

「お疲れさんですねぇ!どうです?これ、神のご加護のあるお札。大公閣下御用達ってやつですよ」
赤い文字が書かれた細長い紙切れを、兵士の前でひらりとさせる。

スレイドより五歳は若いだろう兵士は視線をそらして、咳払いをした。

「おや、いらない?」

大げさに肩をすくめて見せると、ふふんと笑った。

「そりゃ、残念です」
ふわりときびすを返す。

顔の前に透かした赤い文字。それを眺めながら、スレイドはまた目を細めた。
回廊の天窓から指す日差し。

遠く、教会の鐘が三時を知らせる。

「さあて。次はウルルカ、か。まったく、人使いが荒いことで」

赤い文字を眺めてから、細長い紙をくるりと丸める。小さな筒にしたそれを、胸のポケットに差し込んだ。



公国議会の開かれた翌日。

タースたちはナトレオスの街から南下し、半日かけてウルルカの街に到着した。ライト公領の西隣となるこの街は、赤銅色の煉瓦で出来た古い聖堂を中心に広がった街だ。

過去には、現在のライトール公国の各都市がそれぞれ独立した一つの国家だった。公国の首都であるライト公領は当時から大陸最大の都市国家であった。その名残で、ライト公領には領地を囲むようにめぐらされた城壁が今も遺跡として残っている。

このウルルカはその城壁の直ぐ外側に位置した。

かつて城門では入国を許されるのは日に二百人までと制限されていたという。
旅人は早朝の長い列に並ぶために、手前の街このウルルカで必ず宿を取った。
それが、この街の始まりだった。都市国家が戦争をしていた時代には、前線基地として使われたため、この街の聖堂、ドシャル・ド・カレスの赤銅色の壁には銃弾の跡が今も残る。


「どれも、遠い昔のことだよ。ライトール公国になる前、何百年も前の話だから」
そういってタースは、首をかしげるミキーに笑いかけた。

今では聖堂周辺ではなく、トラム・ミスの駅、ウルルカ駅の周辺が一番にぎわっている。彼らが今、馬車を走らせている大通りも、いずれウルルカ駅に突き当たる。

車のために、路上の石畳には隙間を埋める砂がまかれている。食料を売る商店は、店の前の砂埃を防ぐためだろう、盛んに水をまく。
土と水の匂いがかすかに鼻をくすぐる。

昼下がりの強い日差しが、石畳を白く照らす。通りには陽炎とも砂埃とも取れる濁った空気が自動車の通るたびにちらちらと揺れた。自動車がけたたましく警笛を鳴らすと、その音に驚いた馬車馬がいななく。カツと前足が宙をかき、御者が慌てて手綱を引き締めた。

「危ないだろう!」
御者の声も、走り去る自動車には届かない。
黒い車体に幌をつけた自動車の赤い大きな車輪がからからと回り、肉屋の前で店先をのぞいていた子供数人が指をさす。

車の脇まで駆けつけるとニコニコと笑って運転手に手を振った。
まだ自動車は珍しかった。

蒸気機関を使った自動車は実用化されず、今は新しく発明された電池を積んだ自動車が主流らしい。
蒸気自動車は重量が重くなり、必然的に大きくなる鉄製の車輪が石畳を砕くのだ。
そのため、製作が禁止され、今では軍が使う重装備の車のみ導入を許されていた。
排気のない電気自動車は子供たちに人気だ。

きゃあきゃあとはしゃぐ子供たちの顔が、いっせいに通りの向こうを見た。
走り抜ける馬車と馬、人の群れの喧騒の中、軽快なラッパが吹き鳴らされる。
ドンドン、と太鼓の音に、子供たちは手を叩いた。

「シーガ様!見てください!サーカスですの!移動遊園地が来てますの!ほらほら、ラッパが鳴っていますの!」

通りの向こうを赤と白の衣装を着た青い鼻のピエロが大きな白い手をふっていた。片手でもったラッパを吹き鳴らす。

「サーカスかぁ」

タースもビラを配りながら歩くピエロたちを眺めた。すでにピエロたちの後ろには子供たちの行列が張り付いていた。

タースも聞いたことはあった。
年に数回、大きな街では移動遊園地が来る。

広い公園や広場でテントを張り、サーカスやメリーゴーランドがある。露店や大道芸、花火、人形劇。それこそ子供たちの喜びそうなものがすべて詰まっているのだ。

「うわー!ピエロだ!」
数人の子供たちが歓声をあげ、無理やり馬車の前を横切ったので、タースは思わず声を上げた。
「危ない」
御者のユルギアは慣れたもので、見えない手綱を引き寄せて、リロイは鼻息を吐き出しつつ停まった。
「危なかった、偉いなリロイ」
タースが馬に声をかけると白い馬はふりんとタテガミを揺らしてこちらを見たようだ。
嬉しそうに大きな目が瞬いた。
御者のユルギアもにっこり笑った。
彼の視線の先、右側をタースも見つめた。

うきうきさせるリズムを刻んで、太鼓とラッパの音が通り過ぎていく。みれば、他にも興味を引かれた馬車や馬が停まっていた。皆、ビラ配りのピエロたちが向かう先を見つめていた。タースたちのいる通りを少し戻った十字路を右に進むと広場がある。この位置からでも大きなテントの赤い旗が見えた。

時折、花火が上がる。白い煙が小さな雲となって、青い空に残った。
それは風に流れ、また新しく出来た煙の雲に場所を譲る。
コンコン、と背後の硝子がなって、タースはつい見とれていたことに気付く。

「タース、お前はここでミキーと降りなさい。私はこの先の郵便局に用事があります。宿は直ぐそこに見える夕暮れ亭です。日が落ちる前に戻ってきなさい」
「え?」
ミキーがシーガの顔に頬を貼り付けるように顔をのぞかせ、笑った。

「タース、一緒にサーカスを観に行きますの!ね!きっとメリーゴーランドもありますの!」
目をまん丸に開いて、ミキーがこれほど嬉しそうに笑うのは初めてだった。白い頬も興奮のためか薄桃に染まっている。

タースはサーカスなど行った事はなかった。

「よし!行こう!」

ぴょんと御者台から飛び降りると、馬車の扉を開いた。
同時にミキーに飛びつかれて、思わずよろけて数歩下がる。柔らかな髪が頬をくすぐった。
「遊園地ですの、カーニバルですの!ミキー、大好きですの」
少年にしがみ付いたまま、ミキーはぱたぱたと足を泳がせた。

「ミキー、耳をしまいなさい!」
シーガの鋭い声に、きゃんと肩をすくめて頭を押さえた。

「あはは、ミキー、ほら、降りて。行こう。僕初めてなんだ」
「はい、嬉しいですの!」
二人は手をつないで、通りを横切り、公園に向かって駆けて行った。

柔らかなピンク色のレースを重ねたワンピースの少女はミルクティー色の髪を二つに縛り、白いレースの帽子を被る。タースも絹の白いシャツに黒いレースを効かせたグレーのベスト、襟元には例の黒い蝶ネクタイ。黒のハーフパンツに黒のブーツ。
通りを歩く労働者階級の子供たちとはまったく違う。

目立つ二人がどう見えるのか、小さな子供たちが楽しげに後を追いかける。

シーガは馬車の中からそれを眺め、ふと息を吐いた。

「行きましょう、リロイ。四番街北です」

御者のユルギアが帽子のつばをちょんと持ち上げて挨拶し、リロイは走り出す。


「嫌な、空気ですね」
シーガのつぶやきに、御者は小さく首をかしげた。


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「想うものの欠片」第四話⑥



パン!

「うわ!」

花火の音に首をすくめるタースに、ミキーは面白そうに笑った。

二人手をつないで公園に向かう通りを歩く。
公園は煉瓦の門を持ち、今は開かれているその鋳物の扉に、たくさんの風船がくくられている。風船を配るピエロが色とりどりの丸の中で、不思議なイキモノのようにこっけいな動きを見せる。

「うわ、なんか、別世界だ」
門を通り過ぎる二人に、ぬいぐるみの大きな白い耳をつけた小さな男の子が、ピンク色のビラを手渡す。

「珍しいレスカリアの白い虎だよ!見たことない大きな猛獣だ!」
子供の声にタースはビラを眺める。

珍獣!と、大きな文字が躍る。
「すごいですの!見てみたいです」
「ほんと、面白そうだね」

また、パンと花火が鳴る。
思わずタースの手に力が入る。気付いてミキーが両手でタースの手を握り締めた。

「怖いですの?」
「あ、ううん、そうじゃなくて。ちょっとびっくりするんだ」
心配そうに見上げる少女に、タースは微笑み返す。
思い出す音がある。


猟銃の音。
幼い頃は、その音が父親の存在の証のようで、心躍らせたことすらあった。
今は、その音の結末を、身をもって知っている。
だから、どうしても身がすくんでしまう。

ふと、レンドルさんを思い出した。老兵の彼はきっと同じ気持ちを、感じたのかもしれない。平和だからこそ、火薬の音も楽しく感じられるんだ。

公園は、入って正面に大きなテントが見えた。馬車からも見えた赤い旗を風にはためかせている。
そこまでの通り沿いに、小さな見世物小屋や、食べ物の露店。道化師が三つも四つもボールを投げ上げている。
子供たちが楽しげに脇を走り抜ける。

「タース!向こうにメリーゴーランドがあるですの!」
そう叫んで、ミキーはぱっと手を離すと、走り出した。身軽に人ごみをすり抜けていく。

「ミキー!」
少女の薄桃の服を目印に、タースも走り出す。
と、誰かにぶつかる。

「いて」
地面に投げ出されたタースの手元に、ごろんとりんごが転がる。
赤いそれは、一つだけではない。二つ、三つ。
足元にも、三つ。
「いったいなぁ!」
年上の女性だ。
派手な赤毛をポニーテールにきゅっと縛って、大きな青い瞳、きっちり化粧をした顔。

睨まれてタースはちょっと肩をすくめた。
「ごめんなさい」
「危ないでしょ!もう。ああ、大変、キドラのごはんが」
二十歳くらいの女性が、地面に膝をついて、持っていた籠にりんごを戻す。
タースも手伝った。

「キドラってなに?」
タースが尋ねると、女性は顔をしかめた。
「え、なんか悪いこと聞いた?」
「関係ないでしょ!気をつけて歩きなさいよ!ボーっと子供みたいに浮かれられてちゃメイワクなんだから」

ぽんぽんと早い口調でそれだけ話すと、ポニーテールの女性は籠を抱えて走っていく。慌てているようで、また、帽子を被った紳士とぶつかりそうになっていた。

「なんだ、自分が走ってるからぶつかるんじゃないか」
キドラってなんだろ。
「あ!」
気付いて、見回す。
ミキーの姿は、どこにも見えない。

パン!

また、嫌な音が響いた。
一瞬目をつぶって、それから一つ息を吐いた。
タースはミキーが叫んでいたメリーゴーランドのほうへと歩き出す。
メリーゴーランド。

丸いテントの下、梁につながれた馬の形の乗り物が、円を描いてくるくる回る。子供たちが楽しそうに乗っている。
中心の支柱には新しいベアリングの技術が使われているんだ。支柱の下では電気を使ったモーターが動いている。

少し離れた場所で一台の蒸気自動車がエンジンを回していた。大人一人くらいの大きさの黒塗りの煙突からシュシュッと白い蒸気を吐き出す。運転席の脇に積まれている大きな輪と小さな輪が太いベルトでつながれ、それが回転することで発電しているのだ。その電力でメリーゴーランドは回る。

蒸気機関車に似た姿。違うのはアーチを描く可愛らしい屋根が前後の支柱に支えられてついている。綺麗にペイントされた車軸と動力部。機関車に比べれば小型だから、間近で機関車を見てきたタースにとってはおもちゃのように可愛らしく感じた。

視線をそちらに奪われながらも、タースは回ってくる馬一つ一つに目を凝らす。
どれかにミキーが乗っているかもしれない。

先ほど見た白い馬に乗った、赤いスカートの女の子が回ってきた。
一周回った。
ミキーの姿はなかった。

「はぐれた、ってこと?」
天を仰ぎながらタースはため息をついた。


公園の敷地は広い。
ボールで的を当てて商品をもらうゲームやカップルの群がる占いのテント、男の子たちは空気銃で風船割りを楽しんでいる。

人ごみをすり抜けながら、ほとんどすべての店の前を探してみたが見当たらない。露店でないとすれば、サーカスの会場の大きなテント。後は、その周辺の仮の小さなテントとサーカス団が使うための四角いコンテナ。それらはサーカス会場の大テントの奥に、連なるように続いている。しかし、関係者以外を入れないように鉄の柵が並べられていて入れない。

タースはサーカスの大テントに入ってみることにした。
さっきの白い虎のショーがもう直ぐ始まる。

呼び込みの男が、髭を揺らしながら大きな声を出していた。
脇ではピエロが鍵盤のついた楽器で楽しげな音楽を奏でる。

人の列につながって仮設の階段を昇り、タースもテントの入口の黄色い幕をめくって入った。
外の日差しに慣れた目には中は真っ暗に見える。
一瞬立ち止まるが、後ろから人の気配を感じて進む。
前を行く親子連れが黒い幕を開いた。
歓声が聞こえてきた。

潜り抜けるとそこはステージを下に見た、中段くらいの観覧席の脇だった。
それでも広いテントの中心からはかなりの高さで、一瞬目がくらむ。
半円形の観客席はタースより下の段はほとんど一杯のようだ。通路を歩いて、適当に階段を昇り、空いた席を見つけると一旦そこに座った。客席を見回していたけれど、ミキーの姿はなかった。

高い天井。がっちり組まれた鉄骨の大きなテントに圧倒された。
梁と梁の配置の妙、幾何学模様を放射状に並べるそれをタースは感心してみていた。
梁と梁の間につながれたテントの布。天井部分は明るい色で、外の明かりが透けている。だからなのか、場内は想像したよりずっと明るい。舞台の脇には松明が焚かれていて、それはそれで明るいのだが、天井のほうが今は明るく感じた。

太陽がいかに明るいものであるか、その光を生かした建築が多いのも頷ける。タースは寺院建築のステンドグラスを思い出していた。

「みて、本当に白いよ!」
隣に座る子供が傍らの父親に叫んで、タースははっと我に帰る。
舞台では、ドラムが鳴り響き、正面のピンクのカーテンの奥から白い獣が出てきたところだった。

離れた場所からだがタースにはそれが、レスカリアの白い虎であることが分かった。
同時に、それが。

少し普通の虎でないことも。


虎は、尖った耳をぴんと張って、場内の音すべてをもらさず聞いている様子だ。白い尻尾の先はオレンジに近いふさふさした毛がついている。体はうわさどおり真っ白。
特有の縞模様は茶褐色で、背に近づくにつれオレンジの色が強くなる。瞳は黄色。

鋭く場内を見据えている。首に巻かれた重そうな黒い鎖も、虎がぐんと首をふれば、鈴のようにチャリチャリと音の立てて揺れた。

虎は、調教師の女性のムチに、大人しく従うように、まずは舞台を一周した。
調教師の女性は、赤毛を一つに縛って、目だけに小さな仮面をつけている。白い羽の形を模したそれの下には、見覚えのある顔が浮かんだ。
さっきの、りんごの女性だ。

キドラは、あの虎のことか。
女性の隣で猫のように座って客に向かって頭を下げる白い虎を見る。
虎は、タースを見つけた。
鼻をピクリとさせた。
その様子に、女性は気付き、にこやかな表情のままちらりと観客席を見上げた。かすかな仕草。客は誰も気づいていないだろう。
タースだけが、それに気付いていた。

しゃん、鳴らされる女性の手元の鈴。
虎はそれを合図に、用意された台の上に飛び乗った。
拍手が起こる。
次の合図で、二メートル先のもう一つの台に飛び移った。
どよめきのような声とともにうるさいほど拍手が響く。
と、そのときだった。

テントの入口、先ほどタースが入ってきた黒い幕の向こうから、ピンクの何かが出てきた。

それが姿を現すかどうかというときに、虎はすでに舞台の端を蹴っていた。
腰くらいの高さのフェンスを軽く跳び越す。

悲鳴。

大人二人分はあろうかという大きな虎は音もさせずに観客席の通路を駆け上った。
目指す先には。
なぜか、大量の風船を持った少女。ミキーだ。

タースはすでにミキーに向かって走っていた。

ミキーは大きな目をぱちくりとさせ、首をかしげた。
視界に虎は映っているはず。
それでも首を一つかしげて、にっこり笑った。

「ミキー!」
タースが叫ぶのと同時に、白い虎がミキーに飛び掛った。
キャー!

逃げようとする人の波が、通路を中心に広がって、水滴を落とした池のように人の波紋が場内を揺らした。

「ミキー!」

タースは席を立った婦人とぶつかりそうになって、何とかよける。
その向こう。入口の幕の前で、ミキーは立っていた。

虎は、ミキーの周りをぐるぐると回っていた。


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「想うものの欠片」第四話⑦



「ミキー!」

タースの姿を見てミキーはにっこり笑う。

その愛らしい表情に思わずタースは足を止めた。
あどけない、といってもいい笑顔には虎に対する恐怖などない。

「タース!見てみて、可愛いですの!」

その言葉に合わせるかのように、虎は大きな頭をミキーの腹に擦り付けた。甘える猫のような仕草だ。

虎の頭は少女のふわふわした髪を含めた頭部すべてよりずっと大きい。華奢な腹部はひと噛みでぽきりと折れてしまいそうに見える。

息を整えなおしてタースが近づこうとするのを、脇から眼鏡をかけた男性客が引きとめた。
何故か小声でささやく。ささやきだろうと、虎には聞こえる。

「危ないよ!君!」
「でも!」

今や遠巻きに眺める観衆の輪の中、ミキーと白い虎だけが楽しそうに戯れていた。

人懐こい虎なのか、それとも今はただ餌を目の前にじゃれているだけなのか。誰もが測りかねていた。下手な悲鳴など上げれば、虎がどんな行動に出るか分からない。

空気が張り詰める。
タースにもそれは伝わる。下手に虎を刺激して他の客に飛び掛ってはいけない。
入口のカーテンを背景にまるでそこがステージになってしまったかのように注目を集める少女に、そっと声をかける。

「ミキー!」
「タース、キドラが遊んでくれますの」
気持ちが伝わらない。

「キドラ!」
タースの脇に、先ほどの女性調教師が立った。
赤毛のポニーテールがゆらりと揺れる。
虎がミキーから視線を女性に移した。

女性は手にムチを持つ。ひゅん、と唸るそれが、小さな乾いた音を立てて女性の足元を打った。

「キドラ、いらっしゃい!」
虎はうぐと低くうめいた。歪んだ口元にあわせて長い髭がゆらりと揺れる。
その声に、観客はまた一歩遠ざかる。やはり、危険な虎なのか。

「あ?」
タースの見ている前で、ミキーは楽しそうにキドラの首に抱きついた。
それから、その背に手をかけて。

乗った。

スカートなのに、と一瞬タースの思考におかしなものも混じる。
ちらりと見えたような見えないような一瞬をもう一度脳裏に描いている自分に気付いて、タースはそれを打ち消す。

「あんた!何するの!危ないわよ」
叫ぶ調教師に、ミキーは笑顔を返す。

「お散歩するですの!」
ミキーの声に、キドラが白い前足を持ち上げたときだった。

一度奥歯をギュとかみ締めて、タースは飛び出した。

「君!」
先ほどの男性客が止めるのも振り切って駆け寄ると、タースはミキーを抱きしめた。
「きゃ?」
ミキーは手に持っていた色とりどりの風船を放してしまった。
風船がゆらりと昇る。

ぐう、唸り声がタースの耳元に聞こえた。

夢中でタースはミキーを抱きかかえると、虎から引き摺り下ろす。虎は不機嫌に振り返り、前足で少年を追った。

それはかすかにタースの腕を薙いで、その勢いにタースは抱きかかえたミキーごと座り込んだ。

観客の押し殺したような悲鳴があちこちから聞こえる。

「タース!」

再び近づいて前足を振り上げる虎に、観客は身動きできずにいる。獣を刺激すれば、目の前の少年に今にも飛び掛りそうだからだ。

虎に背を向けて、ミキーを庇うようにタースは膝をついていた。立ち上がって離れようとするが、虎がミキーの服の裾を爪に絡める。
支えのないタースは、また、引きずられるように膝をつく。

「タース、キドラは怖くないですの!」
分からない様子のミキーをさらにぎゅっと抱きしめて、タースはつぶやいた。

「怖いとかそう言う問題じゃないよ!?」
ミキーは少し不機嫌に眉を寄せた。
「キドラはお外で遊びたがっていますの!きっと楽しいですの。メリーゴーランドより速いですの!」

パン!
と、花火の音が響いた。

右から、左から、行ったり来たりしながらタースを睨みつけて威嚇していた虎が動きを止めた。


見上げたタースの目と目があう。
虎は、また、ピクリと鼻を動かした。

タースはそのまま、背後に距離を保つ調教師に口を開いた。
「早く、鎖を取れよ。大丈夫だから。そうだろ」

睨んだタースに、キドラは一瞬耳を立てたが、次に小さくうなだれた。

調教師が鎖の先を取ると大人しくその後について降りていった。
人々の視線の中、白い虎が、駆けつけていたサーカス団の男性たちに取り押さえられると、
「おおー」と安堵のため息と、歓声が沸いた。

そして、次にはタースに声がかかる。
「君!大丈夫かい!」
先ほどの男性客が笑ってタースの肩を叩いた。
歓声は今度はタースに向けられていた。何故か口笛まで吹かれタースはそっと立ち上がった。

「いや、びっくりしたよ、勇気があるね!よく、あの虎が噛み付かなかったもんだ」
「よかったわね」
口々に褒めはやされながら、タースは慌ててミキーをつれてテントを出た。

ミキーは抱きしめられたまま、口を尖らせていた。


テントの外の日差しに目を細めた。手をかざそうと片手を額に持っていった瞬間、ミキーが腕の中からすり抜けて、入口の階段を駆け下りて行く。

「ミキー!」
「メリーゴーランドに一緒に行くですの!」

不機嫌かと思えばそうでもなく、にこやかな少女は踊り場で振り向くと、おいでおいでと手をふる。

タースは虎にかかれた腕を押さえ、そちらに向かって歩き出した。
見ると服は破れていた。
腕には三本のキズ。
深くはないが、引っかかれたそれは赤く血がにじむ。

どん、と正面からミキーが抱きついてきた。
胸の前で見上げる。
柔らかな髪が腕に当った。
「ね!タースはお馬さん、どれがいいですの?ミキーはピンクのが好き!」


ミキーに引かれるままに、メリーゴーランドの前に立つ。
無邪気な少女は、お気に入りなのだろうピンクの馬にちょこんと横を向いて座る。
タースはその脇に立って、馬にあわせて歩いた。
「タースは乗らないですの?」
「うん、ここでいいよ」
目を離したらどこに行ってしまうか分からない。

馬を釣る棒に手を置く。その手にミキーの手が重なった。
やわらかく、温かくも冷たくもない感触。
ユルギアなんだ、と感じないではいられない。
腕の痛みもあって、タースはぎゅっと目をつぶった。

ミキーはユルギアに好かれると、シーガは言っていた。だから、今も、ミキーが座れといったブルーの馬には少年のユルギアが楽しそうにすわり、こちらに手をふっているのだ。

あの白い虎。

あれもユルギアが入っていた。
あれ自体は山猫だ。なぜ、そうなったかは知らないがユルギアの気配を感じた。
だからこそミキーに擦り寄った。

けれど、ミキーがあんなふうに、遊びたがるのは初めてだった。シーガがいたのなら、きっと一言でミキーは従ったのだろう。

僕では、手に負えない?

ミキーについては知らないことが多すぎる。


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「想うものの欠片」第四話⑧



「ね、ミキーさっきの虎。ユルギアだって分かった?」

ミキーは先ほどから、座ったままタースの髪に手を触れようとうんうんと伸びをしていた。

ミキーのほうを覗き込んだ加減で前髪に手が触れる。

「うふ」
「ミキー?」

おいでおいでをする。
手を口の前にかざして、耳を貸せというようだ。ユルギアのことを話すのだろうか。

「何?」
タースが腰をかがめて耳を近づけると。
ふわ、と。柔らかい感触が耳元をくすぐった。

思わずぞくっとして肩をすくめた。振り向くと。
今度は頬に。

ミキーが、キスしていた。

「み、……な、何するんだ!」
「いたずらですの」
「な……」
真っ赤になっているタースに、今度は首をかしげて笑った。
「お熱ですの?」

白い手を伸ばして熱を測ろうとする。
「大丈夫だよ!」
体をそらして交わすと、タースは胸を押さえながら歩いた。

だれがユルギアにこんなこと教えたんだ!

シーガではないだろう。
だとすれば。

一人、頭に浮かんだ。
黒い帽子、黒い髭。皮肉に笑うお調子者。
スレイドだ。

こんど会ったら絶対に蹴ってやる!
本当に、熱が出そうだ。

「タースは怒らないから楽しいですの」
ああ、シーガなら黙って殴るか、突き飛ばすか。
顔色も変わらないだろう。




「ヒ、ヒックシュン!」

ちょうどその頃。

黒い帽子を取り落としそうになりながら、男は鼻をすすった。
「なんだ?風邪か?」

独り言を言って、肘をついていたカウンターから体を起こすと、隣に座っていた青年が避けるようにすっと一つ向こうの席に動いた。

「なんだそりゃ!」
「近寄らないでください」
ひらひらと手をふるシーガに、スレイドは顔をしかめた。

「大体、人使いが荒いんですよ、まったく。徹夜で馬を走らせたってのに、それですかい」
「トラム・ミスを使えばすぐではないですか」
「いやですね、あんな、騒々しい鉄の塊。真っ黒い煙に顔まで真っ黒になる」

「はい、どうぞ」
バーテンダーが二人を見比べながら、スレイドの前に白い色の飲み物を置いた。赤いチェリーが氷と一緒に白々しく揺れる。

ふん、と息を吐いて、スレイドは再び帽子を整えた。
L字になったカウンターの角を挟んだ向こうに座る、若い女性と目が合った。
正確には女性はスレイドを通り越したシーガを見つめていたが、スレイドは勝手に視線を感じていた。
わざとらしく足を組み替えて、格好をつけて飲み物を口に運ぶ。


場末の古びたバーに、今二人はいた。
昼下がり、まだ早い時間だ。店内には、窓からの明るい日差しが差し込み、カウンターには座る彼らの影がかかる。かろうじて手元に置かれた小さなランプで、バーらしい雰囲気だけは保っている。
煙草の煙が日差しに白く揺れていた。
店内には女とバーテンダー、そして黒尽くめの二人。

バーテンダーが奥に引くと、シーガは前を向いたまま話し出した。

「で、スレイド。お前はファドナ様から離れてここに来たというのですか」

「ふん、ご命令なのでね。ご心配なさらずに。ライト公領へ到着してからファドナ様はずっと大公の別邸におられます」

シーガはしなやかな指で、こんこんとカウンターを軽く叩いた。
その指の下には、新聞が置かれていた。
それを手に取るように伸ばしたスレイドの指先、中指と薬指には細く丸めた小さな筒が挟まれている。さりげなくそれを受け取るシーガ。

小さなそれをするりと手のひらに隠し持つ。

そ知らぬ顔で新聞を広げるスレイドに、青年はつまらなそうにつぶやく。
「お前よりはまともな護衛がつくでしょうが」
「おっしゃる通り……あ?」
じろりと新聞から顔を上げ、スレイドは隣でしれっとしているシーガを睨む。

「シモエ教区、近寄れなくなりましたね」
表の記事には、こう書かれている。
『ティエンザ王国、協力を快諾』

ミーア派がシモエ教区から手を引いたことで、国内のロロテス派がその任を受けた。その後、両国のロロテス派が協議し二つの国の大公と国王に働きかけ、シモエ教区の運営を共同で行うことになったという、ほほえましい記事である。

事実、まだ少しインキの匂いをさせる写真では、大公がにこやかに微笑み、ティエンザ王、ノトンドールニ世と握手している。

実際は、シモエ教区はロロテス派の司祭たちとティエンザの王国軍が支配していた。

ミーア派の『平等な救いとすべてに平和を』という教えとは正反対に、ロロテス派は『神代復興』を掲げている。ミーア派が、ロロテス派によって追いやられるという形になったのである。ロロテス派に流れる資金が隣国からのものであることを考えれば、ライトール公国の主要宗派が隣国の圧力によって貶められたといえる。

国力の差を露呈する事件である。

それが、ほほえましい記事のように取り上げられている時点で、すでに公国の将来が危ぶまれた。
つまり、ライトール公国内の報道機関もロロテス派に操られているということだからだ。

ミーア派は、拠点としていたラミアキン・カレスを事実上追われ、現在は公領内の大公の所有する別邸にひっそりと匿われていた。

「ファドナ様はボウヤの存在を危惧されていますよ」
からんとスレイドの飲み物が鳴った。

「そうでしょうね。禁忌とされる混血が存在することはミーア派にとって責任問題です。それがシモエ教区保護施設内で生まれたのならなおさら。この時期に移動させたのは正解でしたね。今、存在を知られれば、ミーア派は異端の宗派として槍玉に挙げられるでしょう」

「そうじゃないんですがね、シーガさま。ファドナ様が気にされているのは」
スレイドはちらりとシーガが指先で弄ぶ、小さな紙の筒を見つめた。

そこにはスレイドが調べた住所と店の名がある。
シーガは知らん顔で飲み物を口に運ぶ。この場で紅茶というのも不思議なことだが、優雅な青年の仕草は絵になる。

熱い茶の湯気に湿り気を帯びる長いまつげに、スレイドはつい視線を奪われている。

「ごほん、あの。調べはしましたが、本当に実行するおつもりですか?」
「お前が気にする必要はない」
スレイドは肩をすくめた。

シーガは、タースのために身分証を偽造しようとしていた。
その店がこの街、ウルルカにある。
その情報をスレイドに調べさせていた。
裏通りの闇取引の行われる店。安全なはずはない。
そこに目立つシーガが向かうことはファドナでなくとも心配になる。

同時にそこまでして、国境を越えさせようとするシーガの考えもスレイドには理解できなかった。
シーガが次に依頼されている調査はティエンザ王国の首都だ。

そこにタースを連れて行ってどうしようというのか。存在を望まれないもの同士、同情はあるだろうが。
スレイドにも、少なからずその感情はある。

「店には私が行きましょうか?」
シーガは黙って黒尽くめの男を眺めた。

無言の拒絶にスレイドはつまらなそうにまた、飲み物を口に運ぶ。

分かっていた。スレイドの任務は一足先にティエンザに入らなければならない。この情勢を不安に思った聖女ファドナは、先回りしてシーガの安全を確保するようにと命じていた。時間はあまりない。

スレイドの逡巡を見透かしたようにシーガは話題を変えた。
「それより、図書館での調べ物は終ったのですか」

「はいはい。今のところ。ボウヤがあの地で生まれたという史料は見当たりませんでしたよ。ボウヤが嘘をついているか、史料を故意に残さなかったのか、ま、どちらかでしょうねぇ」
「今となっては、シモエ教区は調べようもありませんね」

「十年前の事件ですべての史料が図書館に移されていたはずです。ボウヤがバカなことを言いふらしたりしなければ、問題はないでしょう。そこはほら、シーガ様、あなたがついていますからねぇ」
「子守を続けるしかないようですね」

「いっそのこと……」
スレイドが赤いチェリーをぱくりと口に含む。

シーガはうんざりした表情で、口から赤い茎をのぞかせている男から視線を外した。
「お前には出来そうもありませんが」
「ふん、シーガ様こそ。お気に召している理由を、聞かせていただけますかな?」

シーガが立ち上がった。

「かっわいい、シーガ様」
ひどく小さく、つぶやくように言ったスレイドの背中に、青年の肘が入った。口にくわえていたチェリーが飛び出しかける。

むせるスレイドに、シーガは冷たい視線を送った。
「理由などありません」
新聞を掴んで、青年は振り向きもせずに店を出る。
日差しに銀の髪がきらめいた。
見送るスレイドはふん、と口の端をゆがめ、あごの髭を撫でた。

「気に入っているってのは、否定しないんですねぇ。ま、見てりゃ分かりますが」
細めた漆黒の瞳。一瞬だけ、冷酷な光を宿す。
やたら素直な混血の少年を、スレイドは思い出しているのかもしれない。

グラスの氷がまた、涼しげな音を立てて崩れた。
「さて」

瞳は再び面白そうに笑って、男は帽子を取ると、カウンターの女性に向かってウインクを放つ。
が。

すでに女性は席を立って、扉を開けたところだった。

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「想うものの欠片」第四話⑨


クシュン!
タースは飲みかけたオレンジのジュースをこぼしかけた。ミキーがきゃ、と驚いた。

「あ、ごめん、大丈夫だった?服にかからなかった?」
タースはまだ不快なのか、鼻をこする。

「はい。汚れたらお着替えしますの」
服と着替えが大好きなミキーはニコニコ笑う。
タースはそっと、先ほど虎に裂かれた袖を隠す。
クシュン!
二回目を手で塞いで、タースは二人の座るベンチに近づいてくる影をじっと見つめた。
赤い髪を一つにまとめた女性。キドラにりんごを運んでいた、あの調教師の女性だ。

タースたちが座っている広場の隅のベンチに、さりげない風を装いながら、それでもこちらに気を配りながら歩いてくる。
「ね、君」
声をかけてきた女性にタースはにっこりと笑いかけた。

「キドラは落ち着いた?」
「ええ。ありがとうね、さっきは」
そういいながら、女性はタースが左手で押さえていた腕をぐいと引いた。

「いて!」
「あ、ほら、やっぱり」
女性は、呆れたように少年を見つめ、それから早口で言った。

「私はニスカーニャ、ニーって呼ばれてる。いらっしゃい、手当てしてあげる。お腹すいてない?お詫びに何かご馳走するわ」
顔を見合わせる二人におかまいなしで、タースの腕を掴んで立たせる。

「さ、いらっしゃい。サーカスの舞台裏。見たくない?」
「見たいですのー!!」
女性に飛びつきそうになるミキーを、何とかタースがとどめた。
このサーカスで流感よろしく熱病を発生させるわけには行かない。


エスカーニャは、大きなテントの裏側、コンテナや小さな真っ白いテントが並ぶところに二人を案内した。
手前の小さなテントから、動物の鳴き声。
「きゃ、おサルさんですの?」
「ええそうよ」
笑いながらニーは長い前髪をかき上げた。そのたびに後ろで揺れる赤いポニーテールがなぜかタースの視線を奪う。

「さ、入って」
並ぶテントの一番端に、何の模様もない白いコンテナが置かれている。入口の足元には簡単なブロックが一つ階段代わりに置かれている。
扉の金属のバーをスライドさせて、音をさせながら開くと、中は想像もつかないくらいきちんとしていた。

床には毛足の長い絨毯、一応窓もあって、カーテンが風に薄紅の草を模した模様を膨らませている。その下に化粧品を並べたちいさなチェスト。その向こうにちいさな椅子と、立てかけた姿見。反対の脇には衣装らしい服が、ずらりと並んでかけられている。

「ごめんね、狭いけど」
「そんなことないよ、すごいな。ちゃんと、寝室も兼ねてるんだね」
きょろきょろと見回す少年の興味は、派手な衣装でも可愛らしいぬいぐるみでもない。鉄道で輸送用に使うこのコンテナという箱だった。街から街へ、鉄道で移動するためにこの形をとっているのだ。

改造されている天井や、照明の配線、換気の設備。そんなものに目が行く。

「かっわいいですの!」
ミキーはすでに床に座り込んで、クッションを抱きしめながら衣装の数々を点検している。
「ミキー、勝手に触っちゃダメだよ」
「あはは!いいのよ、気に入ったのがあったら一枚くらいあげるわよ。中には私にはもう着れない物もあるからね。さ、傷を見せて」
ニーはそう笑うと、タースを座らせた。

袖をまくろうとするタースに、ニーはにやっと笑った。
「二の腕だから、脱いだほうが早いわよ」
「え、嫌だ」
きっぱり断るタース。

青い瞳を見開いて、ニーは笑った。
「なあに?恥ずかしがることないでしょ?男の子が」
シャツのボタンに手をかけようとする。
「だから、いやだって!」

タースの声と鋭い視線に、ニーは手を止めた。蒼い双眸が何度も瞬く。

「あ、ごめん、でも、僕、あの」
見せたくないものが、背中にある。
幼い頃の傷跡。見れば動物による怪我だと分かってしまうだろう。理由を聞かれるのは面倒くさい。
視線をそらしたタースには見えなかったが、ニーは逆に興味深げに目を細めた。

「往生際が悪い!ね、ちょっと手伝って!」
「お着替えですの!」
「え!!」
ニーに両手をつかまれて、ミキーは嬉しそうにタースの服を脱がし始める。
「わ、ちょっと、ミキー!いいよ、自分で脱ぐから!くすぐったいよ!放せって」


背中には、経験した様々なちいさな傷跡を目立たせないくらい、赤紫に変色した爪あとがあった。左肩甲骨から右脇にかけて、それは鋭い爪で押さえつけられ、引きずられた痕だ。
ミキーは気にせず、ニーの衣装箱から楽しげに何か引っ張り出している。

「あ、そうか……ごめんね。これのことね」
「ちょっと、目立つから、嫌だったんだ」

あまりにも落ち込んだ様子のニーを、タースは逆に慰める。
「気にしなくていいよ、女の子じゃないんだから。昔ちょっと、悪さしたときに、野犬に噛み付かれたんだ」

エスカーニャは少し笑って、薬箱から傷薬を取り出していた。
茶色い消毒液のビンを振って、白いガーゼを取り出す。
なれた手さばきに、タースは黙ってじっとしていた。

「よほど大きな犬だったのね。私にもあるのよ、似たようなのが」
ニーが口を開いたのは、タースの腕に包帯を巻き終える直前だった。

「……仕事、で?」
「ええ。昔はね、これでも空中ブランコに乗っていたのよ。このサーカスでは花形よ。衣装も一番手が込んでいて、自分で言うのもなんだけど、一番上手くて可愛い子だけがなれたの」

「へえ!すごいな!」
「でもね、サーカスで飼っている虎に傷を負わされたの。仲良しだったんだけど。虎は目の前で撃ち殺された。ショックだった。そのうえ痕が残ったから、背中を見せる衣装が着られなくなってしまって。調教師にね、転向したの。皮肉よね。自分を傷つけた動物たちの世話をしなきゃならないんだから」

「ふうん」
「可愛いとは思うのだけど。でも、あの時の恐怖が残っているのね、今日みたいに一度鎖から離れてしまうと怖くて。ごめんなさいね、私の責任だわ」

ミキーが差し出した服を身に付けながらタースはニーの顔をじっと見つめた。

同じ気持ちを味わった人なんだ。

二十歳くらいのニーは痩せていて、青い双眸は堀の深い顔立ちにうずもれるように輝いている。
サーカスに幼い頃からいたのだろう。
空中ブランコなどの技を習得するために年数を要しているだろうし、苦労もあったのだと想像できた。
華奢な指先に動物たちの世話は荷が重いように思えた。


あれが、普通のイキモノじゃないことを、この人は知っているのだろうか。

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「想うものの欠片」第四話⑩

10

「あの、ニー、キドラって本当に珍しい白い虎なの?」

「あ、ふふ。そうよ。あの子はここにきて間がないのだけど、何でもレスカリアにわたったライトール人の探検家が、向こうの森林の奥地で見つけたって言ううわさ。それを聞きつけたうちの団長が向こうに渡って、探検家には会えなかったけれど、噂どおりの虎を見つけたっていうの。しかも従順で頭がよくて。本当に今日が初公開だったの」

「ふうん。レスカリアにはああいう、珍しいイキモノがたくさんいるんだ?」

「そう噂されているわ。変わってるのよね、虎なのに、果物しか食べないの」
タースには、山猫に見えた。

どこかに青い石を持っているのだ。レスカリア帝国には、キドラのようにユルギアの宿るイキモノがたくさんいるのかもしれない。聖地と呼ばれ、以前は聖職者しか行くことが許されなかった地。かの地の文明レベルはこの二つの国とは違うと聞いた。

工業技術で言えば遅れているらしい。けれど、閉鎖された自国内の限られた資源、限られた労働力で五百年以上も国を維持している。その上他の国々にも影響力を持つという。宗教の頂点にある、国。神のいる国。

不思議なものがたくさんあるんだろう。

少しわくわくする。いつか、行ってみたい。


「ね、タース」
気付くと、ニーは顔を赤くして、苦しそうに笑っていた。

「なに?」
「その、衣装、似合ってるけど…」

「え!!」
ミキーがうながすままタースは服の袖を通していた。

自分のではなく、ニーの衣装だった。

上着は真っ白なシャツだが。
膨らんだ袖は短いのか手首まで届かず七部丈のようになり、胸元にはまるで発情した鳩のようにむくむくとレースが渦巻いている。壁に立てかけた姿見に、まるで道化師のような自分が映っている。

「ミキー!!」
「かっわいいですのー♪」
ぎゅっと抱きつく。

「あげるわよ、どうぞ。私はそれ、もう着ないから。ぴったりなのね。華奢ねぇタース」
お腹を押さえて笑い転げるニー。

「ミキー!」
またもやイタズラされそうになって、タースは慌てて引き剥がそうとする。
「可愛いですの、タース♪」
「もう!しょうがないな!ほら、帰るよ、そろそろシーガと約束の時間だよ」

恥ずかしいくせに、惚れた弱みなのか少年はそのままでいようとする。
ニーはますます目を細くした。

「可愛いわね!あんたたち!」
「からかわないで下さい」
「嫌ですの!帰らないですの」
必至にしがみ付くミキーにタースは呆れながら、強引に引きずってコンテナを出る。

出掛けに、ニーがりんごを一つ持たせてくれた。
「ご馳走しようと思ったのに、いいの?」
「うん、時間がないから。ありがとう!僕たち帰ります」

「じゃあね。ミキーちゃんもバイバイ!」
ミキーは珍しくタースにしがみ付いたまま、顔を上げない。
タースが代わりに手をふって、歩き出す。


涼しい風が流れる。公園の木々がざわりと揺れた。

「あ、もう、すっかり日が暮れちゃってるよ、まずいな」
シーガの冷たい視線を思い出した。
絶対嫌味を言われる。夕食抜きになっちゃうかもしれない。

しがみ付いたままのミキーを片腕に抱くようにして、タースは先を急いだ。

ちいさなテントがひしめき合って、その隙間を抜けようとしたら正面はコンテナに塞がれている。

コンテナとテントの隙間を右に入って、コンテナの向こうに抜けようとしたら、そこは鉄の柵が紐で固く結ばれて並んでいた。動物が逃げないようにだろう、タースの身長ほどの高さで、つなぎ目もがっちりと堅い。

仕方なく、柵沿いにすすむと、別のコンテナにつながっている。そこも、出られる隙間がない。

振り返って、また、テントとコンテナの間に入る。


入り組んだテントの間を、足元のロープを避けながら歩いて、右に、左に進む。
やっと抜けた、と思ったら、そこは公園の塀が立ちふさがっている。


「あれ?」

迷ったかな。

改めて、テントの群れのほうを見渡した。

すでに薄暗い公園内は静まり返って、テントには人がいるのだろう、ぼんやりとランプの明かりが灯されている。複雑に入り組んだ白いテントは闇に浮かび、幻想的ですらある。

歩き回ったせいなのか、やけに火照る。


「もっと遊ぶですの!帰るのいやです」
しがみ付いていたミキーが、タースの首に腕を回してきた。
「あ、ええ、と。ミキー、帰らないといけないだろ?シーガが心配するよ」
「平気ですの!」
まあ、心配する姿は想像しがたいが。

タースは額ににじんだ汗をぬぐった。いつの間にか、あの手当てされた腕がだるくて重い。ずっと、ミキーを抱えていたからか。

少女の柔らかい髪が喉元をくすぐるのを感じながら、タースは塀にもたれかかった。
背にした煉瓦の塀には昼間の熱がこもっている。

一つ息を吐いた。

「帰らないですの、ね、タース!楽しいのはこれからですの!」


パン!


びくり、とタースが震える。

「ね、ほら、花火もきれいですの!」

空に開いた金色の花を眺め、タースは自嘲を口に浮かべる。
あんなにキレイな花火の音に、想い出を重ねておびえる自分が、情けなく感じた。

「ミキーは人が集まるのが大好きですの!みんな大好き!みんなも大好き」
「なにそれ、ミキー」

くすくす笑って、タースは目の前の少女の顔を覗き込んだ。
ミキーの大きな瞳がじっと見つめ返す。

そこにきらりと花火が写った。

小ぶりの鼻、白い肌。少しふっくらした唇。

お人形だとはとても、思えない。


「…僕のことも、好き?」
「大好きですの!」


気付いたときには、唇を重ねていた。


ふわりとした感触。

温かくも冷たくもない。柔らかく押し返す絹の弾力。

「!」

我に返って、少女を見つめた。
ミキーは首をかしげ、にっこりと笑っている。

「タースもいたずらですの」

たまらなくなって、再び抱きしめた。
夢中だった。

抱きしめても、キスしても、まるで夢の中で枕を抱きしめるようなはかない感触。
実態はあっても、それはニンゲンではない。

切なくなってまた、キスをする。

「ん、やん」

ミキーのつぶやきと、花火の音でまた、現実に戻された。


熱があるのかもしれない。
頭の奥深くがしびれたようにぼんやりしていた。

「タース、ね、呼んでるですの!」

「あ、待って」

呼んでいる?
シーガが迎えに来たんだろうか。


ため息とともに頭を一振りして、タースは抱きしめていた少女を放した。

額に手を置く。
手も火照っているのか、よく分からない。

もう一度、目をこすって、タースは出口を見つけようとテントの群れを見上げた。
空は曇り始めていて急激に夜を迎えようとしている。

湿気を含んだ風にため息を混じらせる。


「あ、あれ?」


ミキーの姿がなかった。

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