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「想うものの欠片」第八話 ⑯

16
飛び立ってから三日がたっていた。
「おめ、なんだか楽しそうだべ」
タガがニコニコ笑う。
隣でカガも同じ顔だ。
「うん、僕、学校って行った事がなかったから、いろいろな知識を教えてもらえるのがすごく楽しいんだ」
「優等生面になったなぁ~」
ウィスロがタースの頼んだ朝食をつつきながら笑う。
「あ、それ」
「おまえ、食べないのか?手をつけてないじゃないか。コリャなんだ?うめえな。こんなもん、あったかな」
「ジャガイモのグラタンだよ、ジャガイモをミルクで煮て、チーズをかけて焼いてあるんだ。熱いから冷めるの待ってるんだ」
「お前は美味いもんをいろいろ知ってるな」
タースが頼む食事は、いちいちパルを唸らせ、ウィスロたちはタースが頼む食事を手本に注文のレパートリーを増やしていた。
「ええと。そうかな?ライトールだと、このくらいは普通にどこでもあるし、誰でも知っている料理だよ?」
「ふん~。ライトールは、行った事ないな。この間のティエンザが初めてだ」
「あ、そうか。鎖国していたって聞いたからね」
タースが全部食べられてしまわないうちに皿を自分に寄せ、抱え込んだ。
「んだ。ティエンザにしても、ライトールにしても夢の都だ」
「夢の都?」
タースはまだ熱いグラタンを冷まそうとふうふうと息を吹きかけていた。
「ライトールが?逆に、僕らからしたら、レスカリア帝国って言ったら神秘の国って感じだよ!特に信仰の深いライトール人には聖地だからね」
「なに言ってやがんだよ、レスカリアは、時の止まった国さ」
ウィスロは低い声で小さくつぶやいた。
「つまんねぇ、国だ」

それを聞き取ってタガもカガも神妙な顔つきになる。
タースは三人の様子に首をかしげた。
皇帝に仕える仕事の彼らが、国を批判する?だから、低い声になるんだろう。
先日、船長のデシルが言っていたことを思い出した。
「…でも、僕は皇帝陛下は好きだな…」
そう、文明や科学が進むことで人が幸せになれるとは限らない。皇帝陛下は五百年前のことを知っているから、だから、レスカリアを鎖国したんだ。
「陛下は悪くない。だが」
ウィスロはそこで言いよどむ。
視線を上げてタガとカガとを見て、それからまた、ポツリとつぶやいた。
「タース、お前もレスカリアに着けばわかる。あんまりな、期待するな。多分お前さんが思うような国じゃねえ」
ウィスロは残ったパンを口に押し込んで、コーヒーを飲み込むと無言で立ち上がった。タガもカガも後に続く。
「あ、ねえ!ウィスロ、後何日で到着するの!?」
タースの質問にカガが振り向いた。
「あと少しだ」
そしてタガ。
「今日の昼にはつくだ」

気になりながらも、タースはまず、空腹を訴える腹に応えてやることにした。
グラタンはもう、すっかり食べごろでタースを待っているから。
一口目をすくいかけて、船の揺れに手を止めた。
高度を下げたために気流の強い場所ではこれまで以上に揺れる。レスカリアへの到着が近いことを想う。見知らぬ国、レスカリア。
「おい、タース、ほれ、そろそろ陛下のお目覚めだぜ」
よだれの垂れそうな一口目の運搬途中で、パルの声が邪魔をした。

「う」
うらめしそうに白髭の料理人を見つめると、パルは噴出した。
「とっといてやるさ、な、行ってこい、お目覚めのお茶を置いたら時間をくれるだろ?」
タースは大切そうにグラタンの乗ったトレーをカウンターのパルに渡すと、代わりに茶のセットが準備されたトレーを受け取る。
添えられているクッキーにすら、お腹が鳴った。
「絶対に、とっておいて!」
真剣なタースにパルは悪戯な笑みで応えた。
気になるなぁ、あの笑い。
タースの頭の中はホクホクのジャガイモでいっぱいだ。甘いんだよね、チーズの塩分が聞いていて、焼けた焦げ目が香ばしくて。
想像するとさらによだれが出てくる。
皇帝の部屋の前まで来たときに、また、ジファルの姿を見つけて、タースはなんともいえない深いため息を吐き出した。

「おい」
「あ、おはようございます」
ジファルが睨むので一応の挨拶はする。いつものようにさらっと通り過ぎる予定だったが、目の前にジファルが立ちふさがった。
「あの、なんですか?」
不意にジファルの手が顔の前に伸びた。
「うわ!?」
両手がトレーでふさがれているタースはよけようとして後ろに下がる。
ガチャと皿が傾く。
「なんだよ!」
目の前に伸ばされた手を危うくよけると、タースは睨んだ。
「こぼれちゃうじゃないか!」
「ばかもの」
もう一度、女の手が自分の顔に伸ばされるので、もう一歩下がろうとした。腕をつかまれた。
「動くな、ばかもの」
殴られるのか、と思わず目をつぶった。
と、女の手がタースの口元をぬぐった。
「?」
目を開けると、ジファルは親指の腹をぺろりと舐めたところだった。
「朝食を食べたのか?みっともない、顔につけたまま陛下にご挨拶か?鏡くらい見ろ」
グラタンがついていたんだ。
タースは顔が熱くなるのを感じながら、それでも口を尖らせた。
「口で言えばいいのにさ、ビックリするだろ」
「言ったところでお前は自分でぬぐえるのか?」
憮然と返されて、タースはあ、と気付いてまた顔を赤くした。
両手はふさがれている。
「あ、ありがとう」
「言葉遣い」
「…ございます」
ジファルはフンと睨むと、いつもどおりタースの変わりにノックしてくれた。


「今日のお茶、少しチーズの香りがするわ」
皇妃の鋭い一言に、タースは密かにぎくりとする。
「あ、ええと厨房でチーズを焼いていましたから、それで」
「ふうん」
ちらりと眺めるとミレニアはソファーに背を持たれかけて足を組み替えた。
思わず視線をそらす。
「チーズをね、早朝からそんなものを誰が食べるんだろうなぁ」
皇帝は穏やかに笑いながら小皿のクッキーに手を伸ばす。
「うん、これもチーズの味なのか?」
タースは首をかしげた。
クッキーはいつもと同じはず。

皇帝の足元に、クッキーが落ちた。

「え?」
「やだ、陛下、こぼして…」
タースが目を丸くし、ミレニアが落ちたクッキーに手を伸ばそうとした時だった。

「うぐぅ」
胸を押さえ、皇帝は苦しげに震えていた。
「陛下!?」
見る見るうちに顔が青くなっていく。
そのまま、そう、硬直したまま。
朽ちた木のように皇帝は大きな体を横たえた。

「きゃあ!!」
何が、起こっているのか。
タースは目を丸くしていた。
「誰か!」
ミレニアの声に我に返るとタースはきびすを返す。
「お医者さんを!呼んで来ます」
と、タースが扉を開ける前に、ジファルが飛び込んできた。
押しのけられて、タースは床にしりもちをついた。
「陛下!」
皇帝に駆け寄るジファル。

と。
次の瞬間、ジファルは銃を構えた。

タースに向かって。

「!?」
「貴様!陛下に毒を盛ったな!?陛下に反意を抱く【逆月】(そげつ)の一味だな!?」

「ち、違う!」
弁解しようとしても、味方はいない。
皇帝は意識がないし、皇妃は半狂乱で叫んでいる。
何かが腕をかすめ、それが銃弾だと気づいた時にはタースは走り出していた。

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「想うものの欠片」第八話 ⑰

17
違う!
僕じゃない!
なんだよ、そげつって!?

狭い飛行船の中。
タースは、背後に迫るジファルから必死に逃げていた。
僕じゃない、僕は、陛下を殺そうとなんかしない!
僕はそんなこと!
「待て!逃げ場はないぞ!そいつを捕らえろ!」
すれ違う従者の脇をタースがすり抜ける。
追って来るジファルの声に、タースは機関室に逃げ込んだ。
そこなら、銃は使えないはずだからだ。
そして。

「なんだ?タース、血相かえて」
「ウィスロ、助けて!僕何も、何もしてない!」
「なんだ?」
大きな体のウィスロの回りをぐるりと回って、さらに奥に走る。
「通用口はどっち!?」
「あっちだが…?」
がん!と。派手に機関室の扉が開かれて、ジファルが飛び込んできた。
「ウィスロ!そいつは【逆月】だ。陛下を毒殺しようとしたのだ!捕まえろ!」
ジファルの言葉にウィスロの顔色が変わった。

タースはとにかく走った。

なんで、どうしてなんだ?
どうして?

狭い通路を進んで、機械ばかりの中にはしごが見えた。
それを上りだすと、ウィスロの怒鳴り声がした。
「タース!待て、おい!」

上りきるとその先は半円形のドームのような空間がある。それは船体の端を思わせた。鉄骨の簡単な柵と、板を渡してあるだけの通路を走ると、すぐに細長い扉があった。危険という文字が黄色で塗られている。
ハンドル式の扉を開いて、中に入るとすぐに閉めた。
通路を渡ってくる足音が響く。
すでに外が近いのだろう。蒸気機関の音ではなく、ぶん、という機械音が耳を占領する。
壁にかけられた袋のようなものを開いて、中から白い布がくしゃくしゃとたたまれている塊を引っ張り出した。
これが、ウィスロの行っていた、パラシュートって奴だ。
この薄い布が風を受けるんだな、タースがそれを背負おうとした時だった。

ガン!
派手な音と同時に機関室からの扉が開いた。

「動くな!」
ジファルだった。
暗がりに、冷たい目が少年を睨む。
ジファルは銃を突きつけたまま、背後で扉を閉めた。
狭い風除室に二人きり。ジファルは立ち上がると頭が天井に当たってしまうために、低い姿勢のままだ。
「…僕は、僕は何もしてない!そげつなんかなじゃない」
タースは壁際に追い詰められる。

鉄骨を組んだ上に鉄のすのこが敷かれているだけの足元。下は大きなビスでとめられている船体の隔壁だ。接合部分に足をとられそうになりながら、タースはパラシュートの一つを持ったまま、下がる。
外に出るための扉は、右手奥に赤いハンドルを光らせていた。
「僕じゃないんだ!」
ふと、ジファルが笑った。

「!?」
(なんで?)
ゆらりと、何かがタースの脇をかすめた。

「お前が犯人だ。そう、最初から決めていた。【逆月】として大人しく死んでもらう」
ジファルの笑みは暗がりに薄気味悪くゆがんだ。

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「想うものの欠片」第八話 ⑱

18
タースは思い出していた。
あの時、皇帝は…僕が運んだ、クッキーで…
あれは、あの時。

ジファルが僕の口もとを拭こうとして止めた、あの時…。
そうだ。僕はグラタンを食べてない。一口も。
口の周りにソースがつくなんて、ありえない…。

「あんた、が?」
機械音に飲まれそうになるタースの声に、ジファルは壮絶な笑みを浮かべた。
「!そうか!あの時、機関室に細工したのもあんただ!僕を捕まえた時、どうして機関室に入ってきたんだ?!細工したのに停まらないから、だから様子を見に来たんだろ!」
「ふ、その通り。もう一日、この船には空に留まって欲しくてね」
「なんでだよ!あんた、陛下の親衛隊だって!」
がん、と殴られた。
背中を派手にぶつけて、タースはその場に座り込んだ。
「っつ…」
「この船の到着が遅れれば、ティエンザの軍艇が先にレスカリアに到着する。そうすれば、我らのクーデターは成功するのだ。我ら【逆月】のな。だが、お前のために失敗に終わった。光栄に想え。お前は【逆月】として死ぬんだ」
冷たい銃口がこめかみに当てられた。
「ティエンザと、共謀している、のか?」
「ああ、あの国の進んだ科学、豊かな食糧。レスカリアを新しい世界に変えるのだ!」

ふわりと、何かがよぎった。
それは白いもやもやしたもので、タースの足元から湧き上がると意思を持った風のようにくるりとタースの周りを回ってジファルの目の前に広がった。
「!?」
見えるのか、ジファルが一瞬たじろぐ。
タースはその瞬間を見逃さなかった。
『逃げて』
ユルギアの囁きと同時にジファルの銃を持つ手首をつかみ、ひねる。
バランスを崩した女の腹に、思い切り蹴りを放った。

「んぐ!」とうなると、ジファルは膝をついた。
タースはすばやく立ち上がると、奪った銃でジファルの頭を殴った。

冷たい鉄板に意識を失って伏せるジファルを見下ろして、タースは荒い息で肩を震わせていた。
(この人が、陛下を殺そうとしたんだ。陛下、大丈夫なのかな)
鉤を外し、機関室への扉を開いた。
目の前にいたウィスロが飛び込んできた。
「タース!お前、何をした!」
「ウィスロ、僕は何も!」
ジファルを助け起こそうとするウィスロから数歩後ろに離れる。
大きな男はぎろりと少年をにらみつけた。
「お前、俺をだましたのか!」
「違うよ!」
「俺がお人好しなのをいいことに!利用したんだな!」

タースは首を横に振りながら、もう一歩下がった。
カタリと、腰に扉の赤い取っ手が当たる。
「俺は人を利用するような奴が許せないんだ!」

逃げられない。

「違うよ!僕じゃない!ジファルが」
言いかけて気付いた。
ウィスロは、ジファルを抱きかかえていた。
とても、大切なものを護るように。
「ふざけるな!」
ウィスロが落ちていた銃を手に取る。
銃口が向けられた。

逃げられない。
そっと、足元にあるパラシュートを確認する。

つかむと同時にタースは背後の扉を開いた。
外への扉。
重いハンドルを一気に回す。
「待て!タース!!」
扉は勢いよく開いた。吹き飛んだのではないかと思う派手な音と、同時にタースも体が持って行かれる。
一気に冷たい風が巻きつき、視界は真っ白。
ものすごい風圧に、吹き流されていく。

ぐわんっ。

と。耳鳴りにうっすら目を開いた。
一面の蒼。
首をひねって背後を見ると、飛行船の姿が小さく見えた。ぐんぐん、離れていく。

いや、自分が。
落ちている。

タースは、パラシュートを束ねていた紐を、解いた。
ぶわんと一気に広がった。持っている手にものすごい加重がかかる。
「く…」
顔に受けていた風圧が弱まり、落下が遅くなったのを感じていた。
息がしやすくなる。
下には、港。船。海。
不意に蒼い海面に真っ白な何かが沸き立った。
どん、と大地が震えた。
何?
水柱が立ったと思うと、次の瞬間真っ白な蒸気の雲がものすごい勢いで大気に広がった。
あおられてタースはタンポポの綿毛のように流される。

海から、水蒸気?
ぐるぐると回る視界。意識が遠ざかる。

僕は、どうして。こんなことになってるんだ?


冷たい空気につんと頭の奥が白くなる。
何かがそばにいた。

『陛下、陛下…』
それは儚いユルギアの想い。
タースの脳裏に、ジファルの顔が浮かんだ。
ジファルが銃を構えている。
笑っている。
逃げる、僕は逃げた。けれど、追い詰められ。
突き落とされた。

陛下が、心配で。
心配で。

自分の意識なのか、ユルギアの想いなのか。
混乱する意識の中、タースは穏やかに笑う少年を見た気がした。

ユナ…。

陛下を、助けたかったんだ。
なのにジファルに落とされた…。
皇帝陛下…。

タースの想いとユナの想いが重なる。

僕を混血と知っても、変わらずに可愛がってくれた。
同じ痛みを抱えた人だ。

許さない。
うん、僕はもう、誰も死なせちゃいけないんだ。

だから、助けなきゃ。
陛下を。


第八話 了

続きに第八話あとがき的なもの…

第九話へ(3/7公開予定~♪)
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「想うものの欠片」第九話 ①

これまでのお話~。
シーガたちと離れ、一人レスカリアへ向かう飛行船に乗り込んだタース。
そこで、皇帝陛下に出会います。
皇帝陛下はタースに優しくしてくれました。
しかし、レスカリア帝国でクーデターをもくろむ【逆月】という反政府組織にはめられて、タースは皇帝暗殺犯として追われます。

一方。自分がレスカリア帝国の皇太子だとスレイドに聞かされたシーガ。
彼もまた、タースと同じレスカリア帝国を目指します…。



第九話『海』


「タース、タース」
かすかに歌うように、声援のような抑揚で少年の名が繰り返される。
少女は馬車の座席で足をゆらゆらさせながら、窓辺に張り付いたままだ。景色が変わり、海が見えても、さして感動を口にすることもなくただ呟きを繰り返す。かすかな声で繰り返されるタースの名は、まるで呪文のようだ。
それに呪われている気分になるシーガは何度もミキーに声をかけたが、少女は会いたいですの、と訴えるだけだ。
「ミキー、そろそろ、メノスの街です」
「ですの」
少女の視線は窓の外。
「…お前は、嫌がらせですかそれは」
ため息交じりのシーガの声にミキーは振り向く。
「会いたいですの!レスカリアへ行きたいです」
「ですから、メノスに向かっています」何度も口にした言葉をもう一度繰り返し、シーガはため息を吐く。
スレイドと別れた晩、シーガは何事もなかったかのように宿に戻った。
その時からミキーはタースのことを言い続けている。

シーガにも迷いはある。
自分がレスカリアの皇太子だといわれ、ではレスカリアにと。そう単純に行動できるはずもない。現皇帝の脅威となる、その理由で捨てられた自分が戻れば何が起こるのか。考えれば考えるほど決意は鈍る。
ダルクにレスカリアへ逃げろといわれ、そばにいたいと言ったタースを思い出した。あの時のタースも同じ気持ちだっただろうか。
逃げ場を失ったタースにレスカリアへ行けと言っておいて、自分は躊躇している。これまで生きてきた基盤、身分も社会的立場もすべて失い、人目を避けて他国へと渡る。それがどれほど心もとないことなのか。

私は安全な場所に生きていた。
それを自由ではないと感じていた。
両親の存在を探しながら、これまでレスカリア帝国にまで気持ちが及ばなかったのも無意識に恐れていたのかもしれない。何もかもを捨ててまで探し出したいのかと問われれば首を横に振っただろう。
自分自身への甘さを突きつけられる。

「ねえねえ、シーガさま。飛行船がよかったです」
少女の通る声がシーガを現実に引き戻す。
「…嫌です」
「どうしてですの?」
「あんな怪しげな乗り物。自動車ならまだましです。走る理由が分かりますから。飛行船は理解を超えます」
「でも、飛んでますの」
「タースが飛行船に乗り込めたとは思えませんよ。飛行場はティエンザの軍の管理下にありました。危険ですからね…まあ、あの性格では無茶もしそうですが。どちらにしろ、ミキー。私は飛行船には乗りません。レスカリアへ渡るなら船が安全です」
「…海臭くてもいいですの?」
ふと少女の顔を覗き込む。
「ほら、シーガさま、港町はお嫌いでいつもこーんな感じで眉にしわがよりますの。お魚と海と猟師さんたち。ポオトを思い出しますの」
「…それは、我慢します」
「シーガさま、オトナになりましたの」
「は!?」
ミキーは嬉しそうに腕にすがりつく。
「タースがいいましたの。お髭が生えた時に。オトナになるんだって。オトナになるっていうのはカンヨウになることだって。カンヨウって何、って聞いたら嫌いなものも好きになるように努力できることだって」
少女の表情にシーガはふと真顔になる。溜めた息を静かに吐き出した。
「…お前も変わりましたね。博愛主義者の人形でしたが。それが、なぜ怒ったり泣いたりするようになったのですか」
ミキーはきょとんとした。大きく見開いた夕日色の瞳は戸惑いを見せ、そしてふいに笑った。咲くかのように。
「ミキーだって悲しい時があります!腹立たしい時もあります」
「…ですから、以前は違いましたよ」
「タースがくれたですの!タースのルリアイは優しくて、強くて、悲しいです」
シーガは思い出して、荷物から小さな革の袋を取り出した。
これまで、あちこちで集めてきたルリアイだ。それを見るとミキーは両手を差し出す。
「…お前はタースのこぼした涙を吸い取ったことがありますね」
中から一粒受け取ると、ミキーは白いレースのブラウスの胸元にそっと当てる。
次に手を離したときには、すでに何も握られていなかった。
「ルリアイはユルギアに実態をもたらす。キドラの例にあるようにそれだけではないのですね。ルリアイ自体に思念が宿っている」
シーガが最初に持っていたルリアイにどんな思念が宿っていたのかは分からないが、タースがこぼした涙はあの時のタースの想いがこもっていただろう。シデイラの純粋で強い思念が結晶となる。それを取り込むことでミキーは豊かな感情を持つようになったのだ。

「…お前は私が幼い頃から持っていたルリアイとタースのこぼしたものと。そして今、私が与えたもの。いくつものルリアイを体の中に持っている、そういうことですね」
ミキーはこくんと頷いた。
「何か、変化を感じますか」
ミキーは両手を重ねて胸に当てた。そっと目を閉じる。


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「想うものの欠片」第九話 ②


「あったかいですの。ルリアイが増えると、ここがとくとくします。シーガさまに触れたときみたいに、胸がとくとくします。タースもとくとくしていますの。ミキーはいっぱいルリアイをもらって、人間になるですの!」
びしっとシーガの目の前に両手を差し出した。
「…人間、になりたいのですか?」
「ですの!もっと下さい!ルリアイ!」
ふとシーガは目を細めた。
「無理ですよ。ミキー。ルリアイの宿す想い、それはユルギアに似ているのでしょうね。シデイラの強い想いのこもった涙はルリアイとなり、それ以外の人間の想いはユルギアになる。両方が集っても、それは思念のカタマリに過ぎません」
「ひどいですの」
皮の袋を再びしまう青年に、ミキーはがっくりと肩を落とした。
「期待するだけ無駄です。まあ、複雑な感情表現も出来るようですし。その意味では人間に近づいているとは思いますが。いくら形が似ていても人間には生命があります。ユルギアは生命を宿す生き物にはなりません」
「生命…タースはミキーのこと、怒りましたの。キドラが死んでしまったからですの。タースは生命を大切にして欲しいって怒りましたの。タースは、いろいろなことをたくさん教えてくれましたの」
少女はクリーム色の髪を胸の前でもてあそびながら、再び足をぶらぶらとさせる。長い睫の横顔は思いつめたように真剣だ。
「ミキー?」
「ねえ、シーガさま。ミキーは考えましたの。タースがどうして怒ったのか。ずっとずっと考えていましたの。ミキーは人間ではないですし、なくして困る命もないです。生き物でいることの意味が分からないの。だから、タースみたいになりたいですの。人間になりたいです。タースは優しくて面白くて、あったかいですの。タースのそばにいると、ミキーは人間になった心地になりますの。生命があるように思える」
「…あれは、お前を人間扱いしていますからね」
「それは嬉しいですの」

シーガは黙ってミキーを見つめていた。

「シーガさま?」
「…いいえ。なんでもありません。誰かに愛されるというのは、そういうことなのですよ」

ミキーは初めて愛されることを知ったのかもしれない。だから、タースはミキーに影響を与えるのだろう。そして、ミキーにとってもタースは特別なのだ。
「ミキーは愛されてる…」
そう、小さくつぶやいた少女の頬は桜色に染まっていた。窓から差し込む柔らかい日差しに乳白色の額が透けるようだ。潤んだ瞳、そこに揺れるきらめきは涙にも見える。
シーガは目を細めた。初めて、少女を美しいと感じたのだ。
今ならタースの気持ちが、わずかに理解できるような気がした。

「実態は偽者でも。ユルギアの抱える思念は本物、ということでしょうか」
自分自身に問いかけるようにシーガは視線を正面に戻した。足を組みなおし、深く座席にもたれる。

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「想うものの欠片」第九話 ③



ティエンザ一の港町は、昔からの石造りの町並みを残していた。大陸で最も多くの航路を持つ主要港でありながら、その姿は昔のままだった。
海の灰色と空の蒼、そこに馴染む暗褐色の街は所々にオレンジ色の旗をつけた漁船が並ぶ。時折、新しい蒸気船が穏やかな海面にうねりを振りまきながら走り抜けていく。蒸気を利用した汽笛が数回、船がすれ違うたびに交わされる。

船着場のそばにある料理屋に馬車を止めると、シーガたちは昼食のために立ち寄った。
立ち居振る舞いの優雅な、黒尽くめの青年と、クリーム色の長い髪を真っ白なレースのワンピースと一緒にくるくるとなびかせる美少女は否応なく目立つ。
店内に数人いた客がいっせいにシーガたちを眺め回した。
いつものことで、シーガは無表情を貫く。ミキーやタースの前で時折見せる笑みも、今だ他人の前では披露することもない。
「いらっしゃい、お客さん、シデイラだね?」
正面切って問われたのは初めてだった。大抵は触らず、近寄らず。遠巻きにあれはシデイラだと噂する。シーガは、眼鏡をとった。
「ええ」
それ以外に応えようがない。
「気を悪くしないで下さいよ、いや、初めて見たんでね。綺麗なもんだな」
「…」
無言で返す青年に、店主は太い眉を下げて笑う。四十代前半、表情が豊かなのは顔に刻まれた笑い皺でわかる。丈夫そうな白い歯は日に焼けた肌に映えた。
「いやぁ、この街で商売してるといろんなものを見るけど、さすがに違うなぁ」
忌み嫌うという様子はない。シーガは少し不思議に想う。
「二人してお人形みたいだな、なんだい?お嬢さん」
ミキーの視線に店主はさらに嬉しそうに頬を赤くした。
「シデイラのこと、嫌いじゃないですの?」
「ああ、なんだ、そんなことかい?」
男はその場にしゃがむと、イスに座る少女と視線を合わせた。
「この街はティエンザの玄関口なんだよ。新しいものはまず、ここから入ってくるんだ。最近は飛行船なんてものも開発されたが、結局はまだ船が主流さ。いうなればここが時代の最先端。今時、民族がどうのって柄じゃないね。第一ユルギアなんてもんは迷信だ。そんな古臭いものに振り回されてるようじゃ、この街じゃやっていけないさ」
元は船乗りだったのか、日に焼けた逞しい店主は頭に被った真っ赤なバンダナをぎゅっと締めなおし、ちょっと待ってな、と少女に片目をつぶって見せるとカウンターの奥に入って何やら皿を持ってきた。
「これは、生の魚ですか?」
シーガが問う。テーブルに置かれたそれをミキーが興味深そうに触ろうとする。シーガに睨まれて少女は小さく舌を出した。
「レスカリアから入ってきた料理ですよ。あっちでは魚を生で食べるんだそうです。そいつをメノス風にアレンジしたんですよ。美味いですよ。こいつを食べずしてこの店に寄ったなんて言えません。サービスしますから、どうぞ、召し上がってみてください。この白身魚の薄切りはね、ほら、こうして新鮮なオイルとレモン。これだけで最高に美味いですよ。ここに海の塩と胡椒」
鼻歌でも歌いだしそうな様子でミルを回す。
「っと、待ってください、コショウは苦手です」
思わずシーガは手で口元を覆った。鼻につんとする、アレが苦手なのだ。
透き通る白い魚の身は真っ青な皿の上に綺麗に円を書いて並ぶ。オリーブのオイルがキラリと宝石のようにその上に光る。絞られたレモンの香り、鮮やかな黄色。飾られた新緑のリーフはみずみずしく揺れた。
シーガはその美しい料理の中に、かすかに見える無粋な黒いコショウの粒を睨んでいた。
「子供みたいだな、美味いぜそれ!」
向こうのカウンターに座る男が声をかけた。
「この店は俺たちメノスの住人の自慢なのさ」
「食べてみなよ、僕も好きだよ」
隣のテーブルの親子連れも、そろって口を出す。
「…」
「シーガさまはオトナですの」

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「想うものの欠片」第九話 ④


冷静な青年と満面の笑みの美少女、二人のやりとりに店主は目を細めている。
正面でミキーは上目遣いだ。生の魚と聞いて、興味津々なのだ。タースであれば大いに喜んで気持ちよく食べて感想を言ってくれる。期待に満ちたミキーをちらりと見て、シーガはため息。目をつぶって魚を口に運んだ。
スライスした玉葱の辛味とオイルの風味、レモンの酸味に引き立つ魚の甘み。適度な歯ごたえと塩加減、コショウはほとんど感じられなかった。
「……美味しい」
驚いたようにまじまじと料理を見つめる青年に店主は嬉しそうに笑った。
「だろ?」
カウンターの男が親指を突き出して片目をつぶった。隣のテーブルの子供もイスの背に乗り出して笑う。
「ほらね!」
「ええ、美味しいです」
シーガは少年と目が会うと相槌を打った。
「いやぁ、そういっていただけると嬉しいですな!だんな、笑うと若く見えるね、いくつです?」
派手に肩を叩かれて、飲みかけた水をこぼしそうになる。いつの間にか笑っていたのだ。気付かなかった。そんな風に言われたのも、自然と笑みをこぼしていたことも、初めてだった。思わぬ指摘に内心の動揺を隠そうと慌て、照れて頬が赤くなっていることにも青年は気付いていない。いつもの冷静な表情に戻れずにいる。
「……二十五です」
「なんだ、まだまだ、若いじゃねえか。仏頂面してるからもっと老けてるかと思った。美味いもんを食べる時は自然と笑顔になるもんだ。お客さんのそういう顔を見るのが楽しくてこの商売をやってるんだ」
「…ありがとうございます。とても美味しい」
何とかいつもの顔に戻ったと感じつつも、頬に当てた手はやはり青年の気持ちを表現していた。
「シーガさま、嬉しそうですの」
「ミキー!」
少女の屈託のない感想にシーガはまた顔を赤くした。


タースにも食べさせたかったとミキーが何度も言うように、その店の料理は抜群だった。新しい物好きの店主はシーガにイロイロと話しかけ、シーガも珍しくそれに応えた。ミキーは嬉しいのか始終ニコニコと笑顔を振りまいて、周囲の人間を喜ばせる。
こんな温かい食事は初めてだった。
店主に船着場を教えてもらい、店を後にした時にはすでに陽が傾いていた。元々遅い昼食だった。夜間は風向きが変わり湾内も荒れるために、船は出航しないという。

「急ぎますよ」
「はい!」

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「想うものの欠片」第九話 ⑤


ティエンザでも南に位置するメノスは、首都とは違い温かい。海からの風が心地よく頬をなでた。港のあちこちに残されたユルギアたちの様々な思念が耳につく。それも、なぜか今はシーガの気分を害さない。
シーガは昔から酒場や商店、競技場。人が集る場所が嫌いだった。雑多な人間の思念が押し寄せ、頭が痛くなる気がした。
しかし、今はそれが波のざわめきのように心地よい。
「雑種の匂いに…慣れたのでしょうか」
「シーガさま、タースはお魚臭くないですの」
「…」

馬車を海沿いの通りに止めると、シーガたちは船着場に沿って歩く。夕刻、ほとんどの船はすでに無人で、無機質なおもちゃのように波間に揺れる。太いロープが静かに波に揺れる。
船の影を落とす海は深く濃い。ミキーは恐る恐る覗き込んで、何も見えないと知るとつまらなそうにシーガの脇に戻る。
ぎぎ、と船の軋む音。ちゃぷ、とどこかで波がつぶやく。

「お嬢ちゃん、どこまで行くんだ?レスカリアまでなら俺の船が最終だぜ。明日からは渡航禁止令が発令されるって噂だ」
目指す船の上から男が声をかけてきた。男がまず眼にするのはどうしても、少女のほうだ。
「ポンスさんですか?」
日に焼けた腕をむき出しにした男は、くわえていた煙草を手に取ると笑った。
「ああ」
「トット亭の亭主に伺いました。レスカリアへ渡る最も安全で安くて早い船だと」
「あのくそ親父。まあいいや、今度あったらたっぷり美味いもん食わせてもらうか。あんた、レスカリアへ行きたいのか?銀貨十枚でどうだい」
シーガは男の乗る船、そしてその姿を上から下まで観察する。
「ええ、馬車は積めますか」
ポンスと呼ばれた小さな貨物船の船長は眉をこりこりと指先でかいた。同時に人懐こい笑みが八重歯からのぞく。
「悪いが、あちらさんの要望でね。そういった類は持ち込み禁止ですぜ。乗るなら身の回りの荷物だけにしてくださいよ。せっかく到着しても、上陸許可が下りなきゃ意味がねえ」
「そうですか。仕方ありませんね。売ってきますから、少し待ってもらえますか」
眼鏡の下の顔を見せた青年にポンスは見とれた。落ちた煙草の灰を膝で受け、あちっと叫んで飛び跳ねた。
「いいさ、美人は大歓迎ですぜ」


ポンスの船は中型の蒸気船だ。
船首から船尾まで、ミキーのちょこちょこした歩き方で約五分。
甲板の上をものめずらしそうに散歩して帰ってきたミキーは、船首に近い辺りで海を見つめるシーガにすがりついた。
「シーガさま!あっちに行くと夕日が見えますの!綺麗ですの」
ミキーは青年の手を引く。
「ポオトの景色はとっても綺麗でした、でも。この海ばかりの景色も素敵ですの!」
「一人で見てきなさい」
「シーガさまも一緒ですの」
強引に腕ごと担ぐようにしてミキーは渾身の力で引っ張る。
んー、とうなる少女にシーガは目を細め、歩き出した。
「ミキー、耳が見えていますよ、しまいなさい」
「シーガさま、リロイはまた会えるですの」
「ばかですね」
「リロイはシーガさまのことが好きですの」
「その台詞、以前も聞きましたよ」
「ですの?」
船尾に到着するとミキーはシーガの前に立ち、大きく見える夕日を縁取るように手をかざした。白い三本指は長い袖に隠れ、いじらしく見える。透ける髪は黄金に輝く。
少女の行動は、馬車と馬を売った青年の気持ちを思いやってのことだろう。それが分かるからシーガも黙ってそばにたたずむ。
日が沈む西はティエンザ。遠く、アバズカレズ川の河口とそこにかかる国境の橋が見える。その右手に見える陸地はライトールだろう。小さな街明かりは群青に沈み始めた夕闇に、こぼれた砂糖のようにちらちらと儚い。
波間に今にも溶けて消えてしまいそうだ。

メノスの港から約二時間。
それだけなのに随分と遠くはなれたものだと、シーガは想う。

親しんだ大陸から離れていく。次はいつ戻れるとも分からない。
今は黒い影だけになっているそれを、じっと見つめた。

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「想うものの欠片」第九話 ⑥


「シーガさん、夕食、いつでも食べられますぜ、下へどうぞ」
ポンスがオレンジの勝った金髪を押さえながら顔をのぞかせた。船を操る操舵室が甲板の真ん中にあり、その背後にある階段から船室へと降りられる。もともとは商業船で、下はほとんどが船倉となっている。船乗りはポンスを合わせて七人。これだけで動かせるものなのだろうかとシーガは心配になる。

船室の中で最も広い場所が食堂に当てられていた。
他にはくつろげる場所がないのだろう、船乗りたちは思い思いに椅子やテーブルに背や足を伸ばす。気のいい船乗りの一人がミキーの姿を認めるとすぐに二人の場所を確保してくれた。船医兼料理人だという青年が、二人の前に温かいスープと魚を焼いたもの、トマトソースを乗せて焼いたパンを出してくれた。

「だんなはレスカリアへ何しに行くんです?」
遠慮のない口ぶりは海の男の特徴なのかもしれない。
「観光です」
言葉も表情も少ない青年に拒絶の意思を感じ取れないのか、ポンスはしっかりシーガの隣に座る。
「はい、あーんですの」
ミキーの誘惑もある。
ミキーの分の食事を片付けるまでは仕方ないと、シーガもまわりに集う男たちに我慢していた。
「観光ね、あそこは何にもないですぜ」
「何も?」
ポンスは苦笑いする。
「あんた、何にも知らずに渡るんですかい?レスカリアはお堅い宗教の国ですぜ。さっきも言ったように馬車ですら持ち込むのを嫌がります」
ポンスの言葉を料理人の青年も引き継いだ。
「そうそう、僕らの船だって港には停泊できないんです」
「港に停泊できない?」
シーガが問うと、ポンスは麦酒のコップを置いた。
「ま、停泊できないのは仕方ないんです。あの国は島国でね。周囲は遠浅の海。その上古代遺跡だかなんだか知らないが、いろんなものが海に沈んでいて危なくて近寄れません。だから、沖で船を止めて、そこからボートで上陸する。荷物を運ぶのはもう、そりゃ、大変ですぜ。しかもボートはあちらさんの警備船でなきゃならない。自分たちで勝手に上陸することは出来ない仕組みになっています」
「それは船長、病気とかそんなのもあるらしいですよ」
「病気?」
今度は船医の青年にポンスが眉をひそめる。
「ほら、あっちと大陸は気候が違うじゃないですか。違う病原菌とかあるわけですよ。だから、病人がいる船は上陸許可がおりないって言う話です。この間、レトの船が風邪引き一人のためにえらい目にあったって言ってました。レトのことですからね、喧嘩寸前だったらしいですけど。ま、病気を隠して乗船した客を海に突き落とさなかっただけましだった」
「…怖い話ですね」
シーガは男たちを見回した。いつの間にか、室内の全員がその話に聞き入っていた。
「ま、一番怖いのは、本当に恐ろしい病気を持っている奴がいて、船全体がそれに感染することです。でね、シーガさんって言いましたか?後で診察させてくださいね。軽い風邪くらいなら到着までに治して見せますよ」
船医の青年は穏やかに笑った。

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「想うものの欠片」第九話 ⑦


医務室は船とは思えないほど綺麗に整頓されていた。壁にしっかり付けられた棚に、一つ一つ転倒防止の箱に入った薬が並んでいる。
マルリエと名乗る船医の青年は、シーガの診察を終えると破顔した。
「いや、シデイラは初めてですけど、変わらないんですね」
「そうですか」
無表情なシーガにマルリエは服を着るように促す。
「ま、そう警戒しないで下さい。別にシデイラだからどうってものでもないんで。実を言うとね、僕はどうもレスカリア人が苦手なんですよ。あれに比べたらあんたたちは綺麗ですからね、ほっとします」
「レスカリア人、とは、どんな人たちですか?」
「まずね、肌がこんな、ほら、紅茶くらいの色をしていましてね。温かい気候だからか常に上半身は裸なんです。髪は薄い金色、目は茶色。大抵はこう、しっかりした骨格をしていましてね。教会にある戦いの神の像、あんな感じなんですよ。どう見ても我々のほうが進んだ文明を持っているのに、あちらさんのほうがずっと態度が大きくてね。ま、こっちは商売させてもらってるんで、文句も言えませんが。初めて渡った時に銃の携帯を禁じられてほんと、生きた心地がしませんでしたよ」
「銃も?何を禁じられているのですか?」
「武器の類はほとんどすべてです。ナイフくらいは許してくれるみたいですけどね。医療器具すらだめですから。何を恐れているのか知りませんが、あのままじゃレスカリアはちっとも進歩しないですよ」
青年は記録をノートに書き込みながら、肩をすくめた。
医療に携わるものとして、その研究や成果には少なからず誇りを持っている。だからこそ、受け入れようとしないレスカリアが理解できないのだろう。
「じゃ、次はあの子を」
シーガは立ち上がると、カーテンの向こうで大人しくソファーに座っていたミキーを呼んだ。
「あの、シーガさま」
少女は不安そうに二人を見比べる。
シーガはミキーを診察用のイスに座らせると、肩に手を置く。緊張した面持ちの少女は長めの袖から出た指先をいじいじと膝の上で動かす。
「マルリエさん、彼女は少し変わっています」
「え?」


翌日、熱を出したマルリエの代わりに料理をしながらポンスはぼやいていた。
「あのバカ。うわごとで女神がどうの、神秘がどうのって笑ってやがる。自分こそおかしな熱病に感染したんじゃねえか?」
「船長、このスープ食わせればマルリエの目も覚めるぜ」
船員の一人が顔をしかめながらスープから顔を上げた。
「なんだ?文句ある奴は食うなよ」
じろりと睨まれ、濃すぎるスープに我も我もと水を注ぎかけていた男たちは縮み上がった。
シーガは船長の忠告に従って食べるのを諦めたらしい。果物だけ頬張りながら男たちが苦戦してでも食べようとする姿を眺めていた。

船員たちの切なる願いが叶い、マルリエが起きられるようになったのは次の日の午後だった。甲斐甲斐しく世話をしていたミキーが真っ白いエプロンをつけてそのことを船員に告げたときには歓声が上がった。
幾人かがミキーに抱きつこうとし、シーガはすばやくそれを阻止した。
これ以上、病人を増やすつもりはないのだ。上陸できなくなっては意味がない。


マルリエはミキーの正体を知り、それでも信じられずに診察した。脈もない、絹の皮膚、綿の入った柔らかな手足。魅力的な容貌と神秘的な存在にひどく感動し、そして倒れたのだ。
目を覚ましたとき再びミキーの頬に触れようとし、シーガに冷たくあしらわれた。このことは秘密ですよと念を押され、マルリエは嬉しそうに頷いたのだ。
「しかし、不思議です。ユルギアの存在は噂くらいで迷信だと思っていました。教会も否定していますよね」
ミキーの入れた温かいミルクを飲みながらマルリエは少女の動きを視線で追っている。
「否定しているのはロロテス派だけです。本来の教え、ミーア派の教えではユルギアは通常どこにでも存在しているもので、悪しきものでも怖いものでもない。雑草と同じだといいます。ただ、シデイラを迫害した二百年間に、シデイラと同様ユルギアも悪しきものの代表にされてしまった。すべてのユルギアが人々の目に触れるのなら信じてもらえるのでしょうが。実態を持つユルギアはそう多くありません。レスカリアにもミキーと同じ、実体を持ったユルギアがいるようです」
「ああ、それでレスカリアに?」
「……ええ、それもありますが」
ユルギアや教会の話は饒舌な青年が、いいにくそうに言葉を濁した。マルリエはじっと見つめる。シーガは視線をそらし小さく息をついた。
「ああ~、しかし、そう思うとすごい国ですね!僕も見てみたいな、ユルギアが見えるなんてね。医学では分からない、不可思議なもの」
どうやらマルリエの中でレスカリアの地位は上昇したらしい。
何に価値を見出すのか、そこがレスカリア帝国とティエンザ王国とは違うのだろう。

時を止めた永遠の国、以前ファドナ聖女が語っていた。
ファドナはレスカリアに赴くたび、何かしら感銘を受けて帰ってきているようだった。古きよきものを残そうとするミーア派の聖女らしい感想でもある。
ティエンザのガネル辺りでは、違う思いを抱いていただろう。

文明を嫌う、レスカリア帝国。それが何故、鎖国を解き、定期航路まで結ぶに至ったのか。シーガはそこが解せない。

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「想うものの欠片」第九話 ⑧


「後二日でつきますぜ、だんな」
甲板で船首が波を切るさまを眺めていたシーガにポンスが話しかけた。
「早いのですね。もっとかかるのかと思いました」
風に髪を押さえる青年。銀色が潮とは違う甘やかな香りを運ぶようにすら見える。思わず大きく息を吸ったポンスは人懐こい笑みを浮かべて青年の隣に立った。
かすかに煙草の匂いを振りまく船長にシーガは気付かれないくらい小さく眉をよせた。
「この航路はね、定期船のとは違いますぜ。ちょいと、遠回りに見えるんですがね、ハヤと呼ばれる潮流に乗るんです。定期航路より潮の流れが速いんですよ。もちろん、季節や気候によって潮の流れも影響を受けますからね、ハヤを捕らえきれないと逆にもう倍の日数がかかりますぜ」
ポンスは自分の航海術の凄さを胸を張って強調しているものの、目の前の美青年にはピンと来ていないようだ。
「海も様々なのですね」
「まあね、ここ最近の潮流は随分変動が激しいんです。今回のこの潮も随分速い。ちょっとおかしいくらいですぜ」
再び視線を深い青の海面に戻す男にシーガは尋ねてみた。
「ポンスさん、この船がレスカリアに運ぶのはなんですか?機械類は持ち込めないのですよね?」
「ああ、小麦、砂糖、干し肉です」
「食料ですか」
「俺たちにはよく分かりませんがね、あっちも異常気象でね。作物が取れないらしい。食糧難ってやつですぜ」
「…それで、他国から輸入するしかないのですか」
「まあ、そういうことです。帝国政府が買ってくれるから、俺たちにはかなり旨い商売ですぜ。ティエンザの市場価格より数段高い値で引き取ってくれる」
「…そういえば、ティエンザも物価が上がっていましたね」
「ああ、そのうち、レスカリアにまで売ってやる物はなくなるかも知れませんぜ。実際俺たちもこの後ティエンザに戻れば次はいつ渡航できるか分かりません」

戦争が始まれば、食料は軍隊のために国に買い取られ、ますます市民に届かなくなる。
ライトールではどうなのだろうか。
ティエンザほど貧窮している様子はなかったが。いや、だからこそ、ティエンザは豊かなライトールの国土を欲しているのかもしれない。
それぞれ、理由はあるのだろうが。

「ポンスさん、レスカリア帝国の皇帝に会ったことはありますか」
「へ?」
「あ、いえ、なんでもありません」
「ありますぜ。どんな船も、登録して入港許可書をもらうためにね。一度、帝都まで行って謁見する。あの人は、うん。あの人もシデイラでしたね」
「どんな、人でしたか」
「いい男ですぜ」
「はあ…」
「隣にいい女をはべらしていて。皇妃さまだろうが、もう、この世のものとは思えないほど綺麗なんです。皇帝どころじゃないですぜ、そっちが気になって」
「はあ」
「あれがまた、色っぽい格好してるんです。この辺まで見えていて、こう、もうちょっとって感じでさ。ま、あっちは男が上半身裸なんです、女だってそりゃ薄着になりますぜ」
ポンスは無精ひげをざらざらとなで、ニヤニヤと笑う。
「…」
「なんです?だんな」
「いえ」
「女の話でそこまで不景気な顔されたのは初めてですぜ、もしかしてあんた…」
「いいえ、もう結構です」
立ち去るシーガの背を眺めながら、ポンスはニヤニヤと笑う。無表情な青年をからかういいネタを思いついた、そんな顔だ。

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「想うものの欠片」第九話 ⑨


「皆、聞いてくれ」
テーブルの牡蠣の燻製と魚のグリル、豆と肉のトマトスープ。ジャガイモのサラダにチーズトースト。芳しい料理が並べられた中、船長のポンスがかしこまった挨拶を始めようとしている。
が、それに集中しているものは少ない。男たちは自分の杯にワインだ、麦酒だ、と夢中になっている。
「聞け!」
ポンスが椅子を蹴った音で一応視線を集めた。
「明日の午後にはレスアリアだ。今夜が最後の晩餐って奴だな。今回の航海は綺麗な客を迎えて楽しかった、だろう?お前ら」
おー、と歓声が沸く。誰かがミキーを船長の隣に引っ張ろうとし、シーガは寸前で少女の腕を引いて、立ち上がる。
「ここで会ったのも何かの縁だ。だんなたちに海の女神の加護がありますよう!」
おー、と。男たちは手にした杯を持ち上げた。
シーガがありがとう、とポンスに礼を言ったときには皆はすでに目の前のご馳走に向かっている。
「ほら、シーガさん、飲んでくださいよ。俺たちは荷を降ろしたら国に帰るんです。その後はしばらく渡航禁止ですぜ」
「そうでしたね」
シーガは注がれるワインを見つめる。当分は戻れないのだ。
「ポンスさん、ティエンザでは戦争が始まるという話です。お気をつけて」
「あんたこそな。レスカリアの港町は何にもないが、女の一人二人は紹介できますぜ」
「え?」
ポンスはさらにシーガのグラスにワインを注ぐと肩を寄せるように近づいてにやりと笑った。
「あんた、経験ないんだろ?」
「は!?」
「隠さなくたっていいぜ。ほら、飲めよ」
隠すも何も、なぜポンスがそんなことを思い込んでいるのかが分からない。酔っているのか口調まで変わっている。
「あんたなら女どもも無料で喜んでしてくれるだろうよ。レスカリア人はな、肌は濃い色だが乳はでかくてね」
言いながら自分の胸の前で形作ってみせる。
「ポンスさん」
「遠慮することはないさ、手続きが終わったら案内してやるぜ。細身とぽっちゃりとどっちがいい?」
「ですから、必要ありません」
「何言ってんだよ、海の男には女神が必要さ」
「いえ、海の男ではありませんし」
どうやら、先ほどからシーガに注ぐのと同じタイミングで自分のグラスも空けていたポンスは酔ってきているようだ。
シーガがまったく酔っていないことにも気付いていない。
「ああ?男じゃない?」
「え、いえ海の男ではないと」
「じゃあ、女か」
「いえ、ですから」
「おい!マルリエ!てめえ、ちゃんと診察したんだろうな」
どうやらあまりいい酔い方ではない。シーガはさっさと離れようと身を翻すが、目の前に別の船員が首をかしげ顎に手を当ててじっと見つめていた。
「あの…」
「船長!シーガさんは綺麗です!」
とマルリエも酔っている。ミキーをそばに置いて上機嫌だ。ミキーの存在のためか男たちのほとんどがソチラに集っている。
「どれ」
ポンスが背後からシーガに抱きつこうとする。が、振り向きざまの肘打ちで次の瞬間には床の固さを確かめることになった。
派手な音に、室内は静まる。
「いて~」
「酔っ払いは嫌いです」
乱れた前髪をかき上げ涼しげなシーガ。隣に立っていた男がポンスを助け起こそうとしながら睨んだ。
「あんた、ここまでしなくてもよお」
「ぷ、ぷははは」
笑い出したのはポンスだった。床に座り込んだまま、腹を抱え、足をばたばたする。そのうち自分を助け起こそうとした男に寄りかかってしがみつく。その間もずっと笑い続けていた。
「おいおい、船長」
「また始まったぜ」
誰かが言うと、皆が寄ってきて、笑い続けるポンスを引っ張り起こす。数人で肩を貸して歩かせる。
「ああなると止まらないんでさ。笑い続けて、そのうち寝ちまうんだ。ここで寝られても困るんでね、笑っている間にああして部屋まで運ぶんです」
船員の中で一番の年長者と思われる男がシーガに言った。
「明日到着ですよね、大丈夫なんですか」
「あれだけ酔ってもね、次の日には憎らしいくらいケロリとしているもんさ。皆そうだ、俺たちは汗をかく仕事だ。酒なんざ、朝の甲板掃除で全部流れちまうのさ」

「ミキーも綺麗ですの?」
「ああ、とっても素敵だ」
不意に耳に入る会話。マルリエとミキーは椅子を並べて楽しそうに話している。
シーガは初老の男に挨拶し、ミキーのほうに向かった。
「シーガさま」
ミキーが嬉しそうに立ち上がるとシーガの手を取ってその周りをくるりと回る。
「さ、どうぞどうぞ」マルリエはミキーの座っていた横にもう一つ椅子を置いた。
シーガに座れというのだろう。
「どうぞ、まだ、食べてないんじゃないですか?ほら、せっかく作ったんです、食べてください」
「マルリエ、体は大丈夫ですか」
「ええ、あなたの忠告どおり熱が出たときには本当に感動しました。あまり詳しくないので、船内にあった書物をあちこち引っ張り出しましてね。寝ている間退屈だったので、いろいろと勉強しました」
青年は医師の免許を取るために働きながら学校に通っていたという。その時に料理屋で働いていたために、この船にはちょうどいい、料理人兼船医が出来上がったというわけだ。
シーガが隣に座ると、ミキーが目の前にワインのグラスを置いた。
「あなた、銀聖、と呼ばれる方なんですね」
酔っていると思ったマルリエは、案外素面で悪戯っぽく笑って囁いた。
室内は片隅に一人眠り込んでいるのと向こうのテーブルでカードに興じている三人だけで、後は船長の世話に席を立っている。
「隠さなくてもいいでしょう?」
「ええ、そうですね。私は教会からどの街にも国境にも、自由に出入りできる権利をいただいています」言いながら、それがなんともちっぽけな肩書きであると感じていた。
もともと「銀聖シーガ」などという二つ名も呼びたいように呼べばいいという程度のものだったが、その特権も今や彼の助けになるものではない。
「やっぱり、そうなんですね。なんだか憧れるな。いろいろな街を旅したんでしょうね。僕は、金のために医師の免許を取ったんですけど、本当はいろんな世界を旅したくてね。理想はさすらいの凄腕医師なんですけど」
「さすらいですの?」
ミキーが目を輝かせる。
「そう。カッコイイだろう?」
タースが聞いたら怒りそうなものだが、それについての感想をシーガは口にするつもりもない。一見軽薄な若者らしい様子だが、船の中で食と医療に携わるのは簡単なものではないだろう。現実の困難を知るからこその軽口なのかもしれない。
ミキーがいつもの調子でかっこいいですの、と相槌を打つのでマリエルは嬉しそうだ。
「あ、そうそう。シーガさん。ポンスさんね、ちょっと変わった趣味で。男好きなんで、気をつけてくださいね」
「え?」
「特に綺麗なのが好きだから。あんなに浮かれて酔っ払うのもあなたがいるからです。嬉しいんでしょうね」
「…私は嬉しくありませんよ」
シーガが眉を寄せるので、マルリエは肩をすくめてまた目の前のサラダを口に運んだ。
「ま、明日にはレスカリアです。珍しいものでも見たと思ってください。…はぁ、でも。なんだか、淋しいですね」
マルリエは先ほどからミキーをじっと見つめていた。
「ね、ミキー。僕のこと、忘れないでね」
「はい」
「ん~!!可愛い!!」
やはり酔っているのかもしれない。
マルリエが両手を広げて立ち上がったところで、シーガはさっとミキーの手を取って引き寄せた。
危うく、上陸許可を逃すことになるところだったのだ。

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「想うものの欠片」第九話 ⑩

10
ゆらり、と船の軋む音にシーガは目を覚ました。
翡翠の瞳が目の前の少女を認めると、少女はにっこりと微笑む。
「どきなさい。どうして私の上に乗っているんです」
「トクトクして温かいです」
ミキーは体を預けていた青年の上からふわりと降り立つと、部屋の丸い小さな窓のカーテンを開けた。
すでに日は高い。
「いいお天気ですの。なんだか温かいです」
「レスカリアは南に位置しています。ライトールよりずっと温かいんでしょう」
ぐらり。
また、少し違う揺れを感じた。
誰かが船室の前を走りぬけた。
「何でしょう」
いくらなんでも、まだ、到着には早いだろう。
かすかに甲板での大声のやり取りが聞こえる。
「シーガさん、揺れますよ、大波だ!手すりに掴まってください!」
ドアの外、声しか聞こえないがマルリエだろう。
「マルリエさん」
ミキーが、ドアを開けようと近づきかけた。

ぐおん、と。
一気に床が傾く。
「きゃ」
扉に伸ばしたては届かず、ミキーはそのまま反対側へと落ちてくる。
シーガはベッドに付けられた手すりをつかんで、ミキーを背後から抱きとめた。
と思うと、次の瞬間には逆に扉側が下になる。
「くっ」
ベッドの脇に置いてあった大きなトランクは派手な音を立てて扉にぶち当たった。次の揺り返しでこちらに転がってくる、シーガは揺れる勢いのまま、ベッドに乗りトランクの攻撃を避けた。
次には、トランクは扉まで届かず、ずるりと部屋の中ほどで止まった。
まだ少し揺れているものの、先ほどのような大きな揺れは来ないようだ。

「シーガ、さま」
「ええ、大丈夫です。何があったんでしょう」

船内を貫く廊下。今は誰もいない。ランプが揺れのために壁に新たな傷を作っていた。生々しい白い木肌。幸い炎は灯されていなかったのだろう、こぼれた油も割れた破片も燃えた様子はなかった。
甲板に一番近いマルリエの医務室をのぞく。中で青年は倒れていた。
「マルリエ!」
シーガが助け起こすと小さくうなって頭を振る。
「あ、ああ、無事ですかシーガさん」
「ええ、あなたは」
「大丈夫です、あいた」
頭を押さえこぶでも発見したのか顔をしかめる。
「冷やさなくていいですか?」
シーガが言うのと同時にすでにミキーが濡らしたタオルを準備していた。
「ありがとう、ミキー。君は不思議だね、薬の知識や応急処置の訓練を受けたのかい?」
「シーガさまにお仕えするようになって、教会で教えられたですの。ファドナさまが、そうしないと一緒にいちゃだめって言うから」
ふとマルリエは淋しげに笑った。
「君はシーガのことが好きなんだね」
少女は満面の笑みで頷く。
「マルリエ、そんなことより。何があったんです?」
無理矢理話の方向を変え、シーガは横倒しになっていた椅子を元の位置に戻した。
「あ、そうです。レスカリアの方角ですね、原因は分かりません。僕は潮を読むことは出来ませんが船長が引き波に気付いて、津波が来るって叫んだんです。船乗りたちはさすがですね、すぐに準備に行ってしまって。私はとにかく、あなた方に知らせようと思ったんです」
「甲板に、出てみましょう」
「ええ」


甲板は、波に洗われ水浸しになっていた。
それでも、すでにこれといった混乱はなさそうで、男たちはと見ると船首に集って遠くを眺めている。
透き通る青空が不思議なほど穏やかだ。日差しは強く、シーガは手で日陰を作った。
「何を見ているんです」
ポンスが三人に気付いて手招きした。
「ほら、分かるかい?まだ距離はある、レスカリアの方角だが、白い煙みたいなのが上がってるだろう」
ポンスが肩にまわす手が気になりつつも、シーガは示された方角を見つめる。
「燃えてるですの?」
「なんでしょう、あれは」
「さあなぁ、レスカリアで大火事でもあったか、いや、あの波、海で何かあったな」
「船長!」
誰かが海面を指差す。

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「想うものの欠片」第九話 ⑪

11
深い青の波間に、ちらりと白いものが見える。スープに沈んだジャガイモのように、ぼんやりとするそれらは海の中でかき混ぜられたように浮こうとしたり沈んだり。いくつもいくつも流れていく。
「お魚ですの!?」
ミキーが口を両手で押さえた。
船員も、シーガたちも厳しい表情でそれを見ている。
「…一つ、拾い上げてみますか」
年長の船員がポンスに訪ねる。
「…ああ、網ですくうだけだぞ、触るなよ。何があるか分からん」
すぐに数名が船尾のほうに向かい、興味深げにミキーもそれにくっついていく。
見送りながらシーガは空を見上げる。
何か大きな力がゆがめたような雲の切れ目。そして、海上に立ち上る煙。派手な津波。手すりに寄りかかって目を閉じ、かすかな音を聞こうと耳を澄ませる。

海の生き物の小さな声、悲鳴のような甲高い音。あちこちで危機感を訴える。それはシーガは聞いたことのあるものだった。陸上であれば、森に住む生き物や村の家畜が生命の危険を感じて発する音。
声であったりうなり声であったり。
「地震、に似ています」
何か、海底で起こったのだ。地震のように大地を揺るがす何かが。

「きゃ」
ミキーの声に目を開いて、シーガはふと傍らのポンスに気付く。
「あの?」
じっと見られていることに眉をひそめると、ポンスがニヤと笑って肩に置いていた手を離す。
「いや、すごいね、海の声が聞こえてるんじゃないかって思ったぜ」
「…海ではなく、海に生きるもののユルギアです」
ポンスは目を丸くした。
「ユルギアってのはそんなとこにもいるのか。そしたら、あんたたちシデイラは海や山、この世の生き物全部と話しが出来るわけか」
感心したように顎の髭をざしざしとなでる。
「ああ、そういや聞いたことがあるぜ、シデイラの神様はこの世のすべてとか何とか。そのときは意味が分からなかったが、海やら山、ケモノとか魚とか、そういうもんの声が聞こえるんなら分からんでもないな」
シーガはじっとポンスを見つめた。
シデイラの教え、シーガ自身も直接教えられた覚えはない。タースのほうがよほど詳しいだろう。シーガはあくまでも、教会のミーア派の教えを受けてきた。
「わかるのですか」
「ああ、俺たちはさ、海に暮らすだろ。波や風、潮の流れ、そして天候。運任せのことも多い。なんていうかね、嵐から無事戻ることが出来れば、神さんじゃない、海に感謝している。総じて、俺たち海の男はそれを海の女神様って呼んでいるがね」
海に祈る。風に願う。
自然と共に生きるものは自ずとそうなるのだろうか。
シデイラが、通常シーガほどの感覚を持っているのかは、シーガには分からない。だが、少しでも植物や魚、生き物の想いを感じ取れるなら、それが信仰の対象となることも頷けた。
ふわりと風が頬をなぶる。
海には近づかないようにしていた。港が嫌いだったからだ。雑多な人間の思念が煩いと感じていた。けれど、それが気にならなければ海からの生き物の静かな思念は心地よいものだ。これまで、気付かずにいた。
常に人の思念に惑わされていたからなのか。聞こえることが、普通でないことが嫌だったから、感じ取ることを拒絶していたのかもしれない。
受け入れてしまえば、自然界に満ちている生き物の想いは生きる力にあふれ、シーガの心を癒してくれる気がした。
夕日を見て美しいと思うのは、それらに癒されるからなのかもしれない。
ふと、かつて港町ポオトで夕景に見入った時の、不思議な苛立ちを思い出した。あれは、美しいと感じ、自然のユルギアに癒されることを恐れたからかもしれない。
あの頃に比べ多くを受け入れられるようになっていることに、シーガは気付いた。
「オトナですの」ミキーの言葉が思い出された。

ポンスは何か自分には見えないものに心を奪われている様子のシーガを眺めにやりと笑う。肩に手を回す。
「海の女神さんがあんただって言われても俺は信じるぜ」
受け入れられないものもある。
シーガはポンスの手をしっかりつねると、ミキーの方へと向かった。白い薄手の夜着がはたと風をはらみ、湿り気を帯びた風が耳元をくすぐる。
「いたいなぁ、女神さんは」
結局、背後に船長を従えた状態で、シーガは引き上げた魚を囲む男たちの輪に加わる。
「どうなっているんです?」
「こりゃ、ひでえよ」
網の中の魚の屍骸は片側が白く変色しえぐれている。それでもまだ、それは生きているかのようにピクリと体を震わせた。
「これ、熱傷、つまり焼けたんですね」マルリエが冷静な口調で説明した。
「焼けるって、海の中でか?」
「海底で、火山が噴火したのではないですか?」
シーガの言葉に半数は成る程と頷き、半数はなんじゃそりゃという顔をする。
「そうだな、俺も聴いたことがあるぜ」ポンスが船員に説明した。
「いいか、海の中も陸と同じ、山や川みたいな地形がある。で、海の中で火山が噴火するだろう?そうすると、溶岩にあたった海水が一気に蒸発して、爆発したようになるんだ。それが、さっきの派手な突風と、津波になったんだな。で、その巻き添えを食った魚がこうして潮に乗って流れてきている。小さい規模のものは以前見たことがある。そのときは津波にはならなかったがでかい水柱が立ったんだ」
へえ、と感心して皆が腕を組む。
「あの煙だ、まだ噴火は続いているんだ。潮の流れも風向きも変わるぞ、後半日なんだ、お前ら気を抜くなよ!」
双眼鏡を片手に、ポンスは船員たちに指示を始める。

「可哀想ですの」
ミキーが海に返される魚を見つめていた。
「一瞬にして、多くの魚が死んでしまったのです、ミキー。可哀想だと、思いますか」
「はい。タースならきっと涙をこぼすですの」
シーガはふと、目を細める。ミキーの感覚の基準がタースになっている辺りが面白い。ただ、いくら感情の起伏の激しいタースでも、魚を見て泣きはしないだろうと思えた。タースならきっと少女の肩に手を回し、海を眺めて慰める。海の中で繰り返される生き物の一生を語りでもするのかもしれない。

「タースに会いたいですの」
ここしばらく言わなかった口ぐせのようなそれを思い出したのか、ミキーはシーガにすがりつく。
「タースは、レスカリアに到着できたのでしょうか」
遠く、立ち昇る噴煙を眺め、シーガはかすかに風に混じる灰の匂いに鼻を覆った。


目指す島国の姿が、町並みが分かるほどに近づいたのは昼を少し過ぎた辺りだった。先ほどの噴火の煙は空の雲と一体と化し、空全体が霧のような灰色のベールをかけたように濁っている。
レスカリアは島全体がすんなりした山の形を成している。海から突き出した三角形のそれは優美な曲線をもつ。山の頂上はかなりの高さのようで、煙った空の中ではかすかに見えるだけだ。島に近づくにつれ、海底は近づいて、時折不可思議な四角いカタマリが海から突き出ていた。女性の形をした石造のようなものもあり、巨大なそれの被るとがった冠の柱の間を魚が悠然と泳ぐ。
海中は透き通った美しい青に濁った流れが帯状に絡まり、紅茶に落としたミルクのようだ。
濁った中を進むのは危険と判断し、ポンスは船を停めた。まだ、島まで随分距離があったが、この船で近づくのも限界なのだろう。碇が下ろされ、船は潮の流れに逆らってぐんとその位置に留まった。
「あれが、先ほどの火山ですね」
シーガが指差す先。
彼らから見て、もう少し南の沖。島との距離は、船と差して違わない。随分近いところだ。今は冷えて固まった溶岩が小さな岩山のように盛り上がり、そこから黒い煙を巻き上げる。巻き上がった煙からは黒い霧のように灰が降り注ぎ、風に流されたそれが船の周囲の視界を奪っている。濁った霧の中、船員たちは皆口元に布を巻きつけて、頭からタオルを被り保護している。吸い込むと苦く、胸が痛むからだ。
「シーガさん、船室で待っていたほうがいいですよ、ここでは灰だらけになりますよ」
目だけ出しているマルリエが、黒いシャツに白い灰を被った青年を引っ張って船室に連れて行く。
服が汚れるのを嫌がったミキーはすでに食堂で飲み物を飲みながらくつろいでいた。
シーガも着替えて顔を洗うと、いつもどおり涼しげな美青年に戻る。
マルリエが入れてくれた温かいココアを受け取ると、ミキーと並んでカップを両手で抱えた。二人が同じポーズだとマルリエにからかわれた。
「マルリエ、来たぜ」
船員の一人が顔をのぞかせて、灰を振りまきながら顎で上に来いと合図した。
片手を上げて、青年医師は椅子から立ち上がった。
「どうやら、レスカリアの警備艇が来たみたいです。シーガさん、下船の準備は?」
「ええ、出来ています」
「じゃ、最初のボートで行ったほうがいいでしょう。荷物を運搬するのにはあと五、六隻は待たなきゃならないんです。荷の点検と人員の点検が済めば、乗せてもらえますよ」
「ありがとう」
「さ、甲板へ。帽子とタオル、忘れないで下さいね」
「またあの埃の中ですの?」ミキーが口を尖らせる。
「ミキー、タースに会いたいのでしょう?」
「…ですの」
ミキーはお気に入りなのにとぶつぶつ言いながら、真っ白なレインコートを羽織った。フードつきのそれは、少女の体を灰からしっかり護ってくれそうだ。どの船員より重装備だろう。

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「想うものの欠片」第九話 ⑫

12
甲板では、薄暗い中、全員が並んでいた。そこに加わるとすぐに、背の高い褐色の肌の男が来て、船員名簿片手に名前を確認する。レスカリアの検査官なのだろう。
「あんた、は…」淡い金色の短い髪の先に灰が雪のように積もっているのが目に付いた。
「乗客です」
「シデイラ、なのか!?」
不意に検査官の声が大きくなる。
「え、はい」
少し憮然としてシーガが応えると男は不意に腕をつかんだ。背後の部下に怒鳴る。
「おい、ちょっとこい、こいつを捕まえるんだ」
シーガは振り払って、一歩下がった。
「なんですか、いきなり!」
「そうだぜ、あんたら、何でそんなことするんだ」
船員が怒鳴る。
駆けつけた二人の検査官がシーガにつかみかかろうとするので、船員がそれを止めようと飛び掛り、シーガも一人の腕をひねって、投げ飛ばした。
「止めろ!お前ら!」
ポンスの怒鳴り声に、船員二人は他の船員に抑えられてその場から引き離された。
「あんたもだ!シーガ、上陸できなくなるぜ!」
ポンスの言葉に、シーガは蹴ろうとしていた足を止める。
投げられた男が忌々しげに頭を振りながら起き上がると、シーガの目の前に立った。頭一つ大きい。がっしりした体躯。
太い鼻、くぼんだ眼窩の目がぎろりと睨む。
がつっ!!
仕返しとばかりに殴られ、腹にも膝蹴りを受けた。
よろけるシーガをマルリエが支えた。
ミキーが派手に悲鳴を上げていたが、それは船員の一人が押さえていた。

青年の白い頬に傷がつき、切れた唇から滴った血を手でぬぐう。
「理由くらい教えていただかないと!」
マルリエが、シーガを庇った。
「ふん、いいか。我が国は、シデイラを排除している。シデイラはノワールトの大陸にあるシモエ教区に送られるべきなのだ。この国に入ることは禁じられている。もし、上陸すれば、牢獄行きだ。このまま船に留まって大人しくしているか、あるいは上陸して牢獄に住むか。どちらかだ」
「…どういう、ことですか」
「そういう決まりなのだ」
「ですが!皇帝もシデイラでしょう!?」
「陛下と一緒にするな!」
また殴ろうとする検査官の拳は、ポンスが受け止めた。

「シーガさん、ここは」
下がるしかないです、とマルリエもシーガを船室のほうへと引っ張る。
不満げに睨みつける検査官との間にポンスが入り込んだ。
「まあまあ、暴力は止めてくださいよ、だんな。俺たちは交易のために来ているんだ。ここでこれ以上事を荒立てたら、俺たちだってこんな危ない国は願い下げですよ、いいんですか?開港以来、もう随分入港する船が減っているんじゃないですかね?」
ポンスが大きめの口でにやりと笑う。白い歯が目立った。
検査官はじろりとポンスを睨むと、ふんと身を翻す。
「いいだろう、そいつが下船しないように船室に閉じ込めておけ。おいお前、荷の積み下ろしが終わるまで見張っているんだ」
検査官は部下らしい一人に命じ、それに追われるようにシーガとそれを支えるマルリエ、ミキーが階段を降りる。
「手当てします、こちらへ」
マルリエが二人を医務室に連れて行くと、見張り役の男は扉の外に立つ。
時折扉から丸い窓で中をのぞく。


「…困りましたね、シーガさん」
黙ったままのシーガに、耐えかねたようにマルリエが口を開いた。
「まさか、シデイラの扱いがそんな風になっているとは。知りませんでした」
「…シーガさま」
シーガは考え込んでいた。
このまま上陸できなければここまで来た意味もない。
「どうします?諦めますか」
マルリエがアルコールに浸した綿をシーガの口元に当てて消毒する。
しみるはずなのに顔色一つ変えない。伏せた銀のまつげは翡翠の瞳に影を落とす。
「口をゆすぎますか」
マルリエが立ち上がって、部屋の隅に置かれていた大きな水がめのコルク栓を抜いた。
コップに水を注ぐ。
「シーガさま、タースに会いたいです」
「…」
「ねえ、シーガさま、タースに」
「黙りなさい!」

シーガの怒鳴り声にマルリエも思わず水をこぼした。
振り向いて、二人の様子を見つめる。
タース、という共通の知り合いがいるのだということは伺えるが。ことあるごとにタースの名を出すミキーに、シーガは時折苛立った様子を見せていた。
シーガも上陸したいのだろうに、状況が許さない。
ミキーの願いとはいえ、今のシーガには酷だろう。
ミキーをなだめてあげようとマルリエが立ち上がる。
「タースは!タースは、自分を犠牲にして助けてくれましたの!大変なことも、つらいこともたくさんあって、それでも護ってくれましたの!」
「そんなこと、分かっています!あのバカは迷惑にならないよう離れたり、囮になって逃がしてくれたり。ええ、あのお人よしはいつもそうです!自分の想いを押さえ込んで人のために尽くす、あれほど真っ直ぐな優しい人間は見たことがありません!分かっていますよ!私だって、会いたいのです!あれがいなければ危険を犯してレスカリアに来たりしません!」
「そしたら!そしたら、船を降りるですの!タースを迎えに行くです!」
二人の言い争いに唖然としたマルリエは、扉の前に突っ立っていた。シーガがこんな風に感情的になるところを初めて見た。シーガが以前言わなかった、レスカリアにわたる理由は、そのタースという人に会うためなのだ。
じろっとシーガが振り向くのでマルリエは顔を引きつらせた。
「マルリエ、協力してくださいますか」
その迫力に嫌と言えるはずもなかった。
「こちらへ。ミキー、お前は私がいいと言うまで、扉から外の見張りの相手をしていなさい」

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「想うものの欠片」第九話 ⑬

13
警備の男は吸い込んだ灰にむずむずする鼻をしきりに気にしていた。くしゃみを二回だすと、畜生とつぶやきながらちらりと背後の扉を観察した。
扉についた丸い窓に少女がぺたりと顔を貼り付けていた。
目があうとそれはにっこりと笑う。
こんな美しい生き物を見たことがない、と彼は思った。
まん丸な大きな瞳。うっすら桜色の頬は透けるような肌を引き立てる。ガラスに手を置いて悪戯するように指で丸を書いた。何を描いているのかと兵が近づく。
ミキーがガラスに向かってキスの真似をし、年甲斐もなく頬を染めた男は一歩下がる。
悪戯を続ける少女に注意してやろうと、また近づいた。
と、不意に少女の姿は向こうに離れた。
扉が開かれ、白衣の青年医師が出てきた。深く帽子をかぶり、黒い日よけの小さな眼鏡。顔半分はタオルを巻きつけている。外に出ようというのだろう。
「外に出るのか?」
「ええ、治療は終わりました。さ、おいで」
くぐもった声の青年は、背後から先ほどの少女を連れている。少女もまた、フードの下に顔を隠し、口元もピンク色のタオルで覆っていた。
「おい、そいつは」
「この子はシデイラではないですよ。せっかく来たので、荷の積み下ろしの間街を観てみたいというのでね、ちょっと行ってきます。ああ、あのシーガというシデイラはここに残していきますので。見張っていてください」
まるで自分が用事を言い渡された気になって検査官はむっとしたが、反論する理由も見当たらない。
甲板へと向かう二人を見送って、再び室内を窓から眺めた。
シデイラの青年は黒い服に銀の髪を垂らし、こちらに背を向けて医療用のベッドに横たわっていた。時折、ふてくされたように頭に乗せた帽子を直す。昼寝するつもりか、と検査官は忌々しげに睨んでいた。
帽子の下で、マルリエが小さく舌を出したことにも気付いていない。


少女を連れた白衣の青年は荷物の積み下ろしを監督していたポンスの肩に手を置いた。
「この子を観光に連れて行きます。後はよろしくお願いします」
「!?あ、ああ」
一瞬、眼鏡の隙間からのぞく翡翠色の瞳を見つめ、慌てて目をそらしてポンスは大きな声を出した。
「マルリエ、欲しけりゃ女を紹介するぜ」
「結構ですよ」
タオルの下からでも青年の声が笑っている。
「つまんねえな、気をつけて行って来いよ」
船長の言葉に手を上げて応えると、青年とミキーは荷を降ろすためのクレーンのロープの先、鉄鉤に足をかける。ミキーを抱き寄せて持ち上げられると荷物のように、海面に停泊しているボートに降ろされた。
灰の混じる霧に隠れて、消えていくボートを眺めながら、気をつけて、とポンスはつぶやく。


港に降り立つと、二人は呆然と波止場に立ち尽くした。
打ち寄せる波は穏やかだが、そこには木切れや何かの袋、塩のビン。くらげのように漂う服。雑多なものが打ち寄せられて吹き溜まりのようになっている。荷を降ろすボートには、大勢の荷役の男たちが取り囲み、人力で馬車の荷台に積まれていく。活気があるのはそこだけで、他には人影もない。波止場の先には横転し乗り上げた船がフジツボをつけた腹を見せ、その周囲も死んだ魚の屍骸で埋もれるようになっている。折れた木の桟橋の残骸だろう、木材が押し流された形のままあちこちに積もっている。
「津波、でしたね」
「なんだか、本当に臭いですの」
「急ぎましょう、水に濡れてこの気温です。魚も人も、たくさんの命が失われました。衛生状態もよくない。内陸の帝都、タシキモーニへ向かいますよ」

波止場から街の中へと進むと、惨状は薄暗い霧の中でも明らかだった。
濁った空気、蒸し暑い気候。風は生ぬるく、鼻を突く異臭。敏感な二人は口を利くのもつらいようで無言で足を速めた。
「水を」
通りかかった家の暗がりから、搾り出したようなしゃがれた声。
しかし二人とも水は携帯していなかった。荷物は最低限にしてきていた。シーガが背負う革のバッグ一つだ。中身のほとんどはミキーの着替えだ。
眉をひそめ、ただ通り過ぎるしかない。
「シーガさま…」
同情の視線を向けているミキーを引っ張って、シーガは歩き続ける。
「タースなら、とでも言いますか?タースならこういう状況で誰か一人でも救おうとするのでしょうね。ですが。私はタースではありませんよ」
む、と口を尖らせるミキー。
それもタオルの下だから誰も見ていないが。
「水の一つもないのは、われらも同じです。ミキー、誰の荷物が場所をとっていると思っているのですか」
「…ごめんなさい」
「教会まで行けば、多少の配給をしているでしょう。この分では、大勢の病人も集っている」
「…」
「お前は治療を手伝ってあげなさい。喜ばれますよ」
少女が顔を上げた。
「こんなに多くの悲しみが漂っているのです。少しでも、気分を明るくしなくては、こちらまで滅入ってしまいます。ただし、けっして触れてはいけませんよ」
「はい!」

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