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「想うものの欠片」第九話 ⑭

14
教会には物資を待つ長い行列が出来ていた。
年老いたもの、子供、家族。皆、灰にむせながらじっと耐えるようにその場所にたたずんでいた。シーガは一つ頭を振り、積もった灰が音もなく視界を流れるのを見送る。
ミキーは礼拝堂のほうへと駆けて行く。その軽い足取りは時が止まったかのようなこの場所にあって一筋の光のようでもあった。

港からここまでずっと上り坂が続き、シーガも少々息を切らしていた。
島全体が一つの山のようになっている。そのために、どこに行くにも上るか下るか、なのだ。教会は古い様式の建物で、正面にそびえる鐘楼が三角の屋根を天に突き出している。薔薇窓には空の模様のステンドグラス。ちょうど、鐘が鳴り響き、鳩が飛び立った。
それを目で追って背後を振り向けば、灰色の空気の中、かすかに海が見えた。
小さな船影。
そこに身代わりでいてくれる青年、世話をしてくれた船長を想いシーガは目を細めた。
風が吹いてまた、灰がもやりと宙に揺れた。
カラン、カラン、と小さな鐘の音が響く。
この街より上に位置する場所から来たのか、馬の引く荷馬車がにぎやかに石畳を走ってくる。それは行列の先頭の辺りに止まると、配給を担当している数人が荷の積み下ろしにと駆けつける。
列に並んでいた人々はいっせいに祈りを捧げる。その姿はシーガたちの教会と少し違っていた。両手を額の位置であわせ、深く、深くお辞儀する。
感謝、ということなのだろう。
「ほら、あんたも、神王さまからのお恵みじゃ」
いつの間にか列に加わる形になっていたシーガは背後の老人に諭される。
「いえ、私はライトール人で」
「どこの国でも同じじゃ。与えられることに感謝するのは当然。お若いの、人が生きていけるのはすべてこの自然界の理の賜物じゃぞ」
「…ええ、そうですね」
不思議な感覚だと、シーガは想う。
食料を配給しているのは帝国政府。それを神からの恵みとして受け取る国民。通常、税を納めているのなら、政府からの保護は当たり前だ。権利と義務の関係であれば。
もしや、と思い老人に確認してみた。
「あの、ご老人。もしや、この国には税金は存在しないのでは」
「なんじゃそれは」
「政府に納めるお金のことです」
「…知らんの。なにを納めるって?」
「お金、貨幣です」
老人は眉をしかめた。
「ああ、船から来る連中が持ってくる、金属の塊のことじゃな。あれはなんなんじゃ。食えもしないし、意味が分からんでな。それこそ、教会に引き取ってもらうんじゃ」
「貨幣が、ないんですか…物の流通はどうしているんですか。物々交換ですか」
「ぶつぶつ?りゅうつう?何のことだか分からん」
「では、あの。普段食べ物はどうやって手に入れますか」
「食料は海から魚を取る。森から果物を採る。それ以外はここで市が開かれ、互いに納得のいくもので交換するんじゃ」
「教会にはなにか納めるんですか?」
「教会には毎月、祈りを捧げる時に何かしら持っていくよ。その月に収穫した野菜や果物じゃ。それを司祭様に食べていただくんじゃ。こうして生きていけるのもすべて、神のおかげじゃ。ほれ、あんたも祈らんか!」
若い頃は大柄だったのだろう、老人は七十代に見える深いしわを顔に乗せていたが、シーガとさして違わない身長で、シーガの頭に手を置くとぐいと押さえる。
骨ばった細い腕のどこにそんな力があるのか、弾みで礼をすることになり、まだ不満げに鼻を鳴らしているものの老人は手を離した。


レスカリア帝国の治世とは、そういう仕組みなのかとシーガは納得した。神王を崇める人々から、神への供物として物を受け、逆に政府からの物資は神の恵み。税の形を成していないために、権利だの義務だのという概念も薄い。確かな信仰心の上に成り立つ、信頼関係とゆるい束縛。
こういう国なら、自由という言葉自体を必要としないのかもしれない。
もちろん、貧しいだろう。
食料をティエンザやライトールから購入するのに、何かしら金策をしているとは思うが少なくとも、そうと国民に知られることもないのだろう。
そして、貨幣を知らない人々。
入港する船はすべて国の管理下にある。実際沖に停泊するだけだ。港町の人々にとって、それは現実としての開国を感じさせないだろう。
「まったく、異国の人間は礼がなっとらん。同じ神を敬うと聞くが信じられんな。ほれ、あんたの番じゃぞ」
老人はぶつぶつ不平を唱えながらも、当然のように異国の若者に恩恵を分け与えようとする。
ライトールやティエンザでは考えられない。
ここに、タースが渡ったのなら。あれの性格なら随分馴染みやすいのではないだろうか。シーガはふと表情を緩めた。

誘われるように、荷の積み下ろしに係っていた女たちが集ってきた。
教会の正面に置かれた荷馬車とその荷を配る女性たち。ふくよかな褐色の体を麻の布を巻きつけただけのような衣装で、淡い金色の髪は綺麗に結われている。日よけのためか長い薄い羅紗を頭から被っていた。その影からもふっくらした唇に赤い紅が塗られているのが分かった。
女たちは順に並んでいる人々に一つずつ、水の入った皮袋のようなものとパン、果物を手渡していたが、先ほどからシーガの姿を気にしていたのだ。
「こんにちは、旅の方?」
「大変だったねえ、ちょうどこんな時でさ」
「ねえ、あんた、顔を見せておくれよ」
シーガは次々と配給の物資を差し出す女たちに囲まれた。
「なんじゃ、騒がしいの。お前たち」
シーガのもてように少々苛立ちを見せる先ほどの老人が腕を組んで女性たちを睨みつける。
「ね、あんた一人なの?旅の人でしょ?」
配給を配る若い女性が青年を覗き込んだ。レスカリアの男たちは皆、褐色の肌をしている。ポンスの行ったとおりほとんど全員が上半身には何もまとっていなかった。背後の老人すら、赤銅色の少しやせた筋肉質の腹をさらしていた。マルリエの丈の長い白衣、その下に襟付きの黒いシャツを着ているシーガはどうしても目立つ。
「ええ、ライトールから来ました」
顔の半分がタオルで隠されているにもかかわらず、覗き込んだ女は鋭い嗅覚で相手の美醜を見分けた。
「んま、いい男だよ」
「何?」
「どれ」
シーガはさらに帽子を深く被った。女性の手が伸び、慌てて帽子を押さえる。
「だめよ、それ、もう埃だらけよ。ほら、もう霧も晴れてきているしね」
「取った方がいいわよ。その変なものも。汚れてるよ」
あっさり口元を覆っていたタオルを引き剥がすと、パタパタと振って見せた。灰褐色の細かい粉が風に流れる。取り返そうとする隙に別の女性に眼鏡を取り上げられる。
「あ…」
その場にいた女たちが固唾を呑んだ。
「なんじゃい、お前たち。色気づきよって。異国の男と見れば寄り付く。いい迷惑じゃな。ほれほれ、次はわしの番じゃ、皆待っているんじゃぞ」
目の前の白衣の青年を押しのけようとして老人もシーガの顔を見つめた。
帽子の下に隠れているものの、襟元まででざっくり切られた短い髪。涼しげな翡翠色の瞳。磨けば光りそうな肌に柔らかな弧を描く口元。
「なんじゃ、お前女か」

違いますよ、とむっとした青年は女からタオルを取り返す。
「返してください。それがなくては息が詰まります」
「あ、あの、中で顔を洗ってきたら?」
「そうよ、ほら、埃まみれだし。綺麗ねぇ、神王様みたいだわ」
「こんな奴と、一緒にするんじゃない。まったく。お前たちはお前たちの仕事するんじゃ。ほれ、アンア、ジェンのとこ、水を届けてやるんじゃ、二つおくれ」
後ろの老人が両手を差し出す。
アンアと呼ばれた女性は華やかに笑うと「あいよ、よろしく」と水の袋を二つ手渡した。ふと、シーガも思い出す。
「あ、そうです。そこの通りの途中、青い扉の家の方も水を欲しがっていました。いただければ届けますよ」

一瞬、女たちの動きが止まった。
「あの?」
背後から肩を叩かれる。
老人はもう、顔をしかめてはいなかった。
「あんた、それがジェンだよ。わしの友達じゃ。足が不自由でな。ありがとうよ、気にしてくれたのか。わしが届けるから、あんたは顔でも洗ってきたらどうだい。女たちも喜ぶさ」
老人が笑うと白い歯が褐色の肌に広がる。しわくちゃで、どこか人懐こい笑顔だ。
ふわりと、風が吹いた。
ふいに足元に影が沸く。陽がさしたのだ。
「ほれ、風にも歓迎されておる」
日差しを肩に感じてシーガは振り返る。
思った以上に遠く見える海岸線に、灰色の霧からいく筋もの陽光が差し込んでいた。その下だけ海がキラリと光る。
吹き抜けた温かい風と共に、視界はどんどん澄んで行く。
美しい島なのだと、今初めて気付いた。

「シーガさま!!」
その場の全員の視線を引き連れたまま、真っ白なレインコートの少女は礼拝堂の扉を抜け、真っ直ぐ階段を駆け下りてきた。
「シーガさま」
勢いのまま青年に抱きつくと、そのまま足をばたばたさせる。
「ミキー!?」
「タースですの!!タースが、タースがいますの」

第九話 了

続きに第九話あとがき~♪

第十話(4/3公開予定)
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「想うものの欠片」第十話 ①

らんららです。
前話までのお話。
逃げ場を失って、レスカリアへ向かったタース君は途中、飛行船から飛び降りました。
レスカリアの皇帝が自分の父親であると知ったシーガさまは、ミキーちゃんを伴って、レスカリアへと向かいます。

彼らとはまた違う方向を目指す一人。
国境を封鎖されたライトールへと向かう、スレイド。

今回はスレイドさん、がんばります…?

20070611075841.png

↑参考に、地図です♪


第十話『世を継ぐ男』



のどかな昼間だった。
蒼い海、蒼い空。

男は寝転んで帽子の下の日陰で心地よくうとうとしている。
ゆったりと子守唄のリズムで揺れる小船はそのまま揺りかごだ。
不意にぐらりと揺れる。

「!なんだ、何かあったのか!」

ムクリと起き上がった男をあきれたように見つめ、白髪の老人は肩をすくめた。
「国境を違法に越えるってのに、旦那ほど気持ちよさそうに昼寝してた客は初めてですぜ」
「なんだ、お前の悪戯か」
黒髪の三十代前半の男は帽子を被りなおした。腹の上にかけていた黒い上着をさらりとはおる。
「あっしじゃありませんぜ、旦那。小さな津波でさ。南で何かあったんですよ」
「南?」
「ええ、あっちの、ほら、レスカリアの方角で」
ふん、とかすかに眉をひそめ、男は顎に伸びた不精髭をさすった。
「またまた、爺さん、私をからかおうなんていけませんぜ。さっきのあんなのだけで分かるはずがない」
「グカ!」
男の脇で丸くなっていたカラスが鳴いた。薄気味悪そうにその風変わりなペットを眺めて老人はこいでいた櫓の手を止めた。

「旦那、あっしだって元は外洋船の船乗りだったんですぜ、分かりますよ。あれは南からの波です。ここまで届いたってことは何か、そうですね、地震みたいなもんが起こったんですよ。最近多いでしょう?嫌でも経験しますからね」
「ふ~ん。成る程、爺さんもなかなかの腕だってことだ」
「ま、今じゃ年老いてこんな内海の、しかもこんな怪しげな人を乗せて国境を越えてますがね」
「ま、それも経験だろ?」

スレイドはまぶしそうに目を凝らし、近づいてくるライトール公国の南端の港町を眺めた。波止場にライトール軍籍の中型の蒸気船が二艘停泊している。
戦争を始めたからにはそれなりの布陣はしているって事だな、ムハジクらしい、と心の中でつぶやく。

「おい爺さん、もう少しあの崖に近づいてくれ。あんた、あれにとっ捕まるのは歓迎しないだろ」
「へい。旦那が泳ぐんですか」
「お前が。泳いでくれるか?」にやりと上着の内ポケットに手を入れる男のさまは、嫌に迫力がある。老人は慌てた。
「旦那、冗談は止めてくださいよ。行きますよ、サービスします」
「おお、優しいね。じゃあ、追加の代金だ。受け取っておけ」
スレイドはポケットから細長い紙切れを取り出した。
「ありがたいお札だ。普通なら銀貨五百なんだぜ」
「へい、そりゃ、どうも」
スレイドの名前も目的も聞かず、ただ言われたとおりに国境を越えた老人は、それなりの商売を心得ているのだろう。
下手に怒らせて海に突き落とされてはたまらない。男が懐から引っ張り出した細長い紙を受け取るとポケットにねじ込んだ。

「なあ、爺さん。爺さんは海のこと詳しいんだよな」
「へい」
「ティエンザとシモエ教区の境、なんていったかな、あの辺」
「ああ、北部のラザナリという地域ですよ。何にもない岩山です。あの辺はちょうどシデイラ山地から吹き降ろす風で乾燥してましてね。気温は低いわ、水はないわ、最悪な場所です。海岸線はなだらかですが砂浜はないですよ」
「ライトールから北回りでどのくらいかかるんだい」
「ああ、そりゃ、大型の蒸気船なら二日でしょうけどね、この船なら凍りついて終わりですよ」
「なんだ、プロの割には情けないねぇ」
「無茶はよしてくださいよ、だんな。海流は早いんで乗っちまえばシモエ教区をぐるっとまわってティエンザの北に出るのは海図もいらないくらい簡単ですよ。けど、寒いんで、それだけですよ。大体、何にもないんですからね、そんな航路使う奴はいませんや」
そういって肩をすくめると老人はまるで氷の中にいるように震えて見せた。

次へ

「想うものの欠片」第十話②



「何か召し上がらないと」
ミネアの声に聖女は臥せっていた枕から顔を上げた。
ここ、ライト公領の大公の別邸に保護されてから半月が経っていた。
保護というより、幽閉だとファドナ本人も分かっていた。

もともと、大公リュエル三世の血筋とは馬が合わない。あの一族の誰もに感じる、どこか浮ついた心根をファドナは好きなれないのだ。リュエル三世にはそれとなく援助をされ、そばにいるようにと言われていたが。大公と男女の関係になるつもりは毛頭なかった。
大公と教会の大司祭。それはこの国の権力を掌握する二人でもある。故に教会全体に及ぼす影響を考えれば不用意な火遊びで泥濘に沈むようなまねはできない。

しかし、大公が死んでしまってからというもの、どうにも気分が臥せっているのは自分自身説明が難しかった。
大公が亡くなってから後を継いだトエリュは、ファドナが大公を失って心神喪失であると決め付け、こうして閉じ込めている。それに対抗するためにはしっかりしていなくてはならないのに。
どうにも、夕闇に心も沈むのだ。
行方の知れないシーガのことも気になっていた。

「さ、ファドナ様。お食事は進まなくても、甘いものならどうです?お好きでしたでしょ?メイジ亭のチョコレートケーキですよ」
ワゴンに体を向け、ポットから注ぐ熱いコーヒーの香ばしい香りが漂う。カチャと心地よく磁器を響かせ、ミネアが振り向いた。
亜麻色の髪を綺麗に結った女性は、芯の強そうなしっかりした鼻筋と大きな緑の瞳をもつ。スレイドの婚約者でもある。

はあ、とため息をついてファドナは体を起こした。
肩からずり落ちた絹のカーディガンを調えると、テーブルの脇の華奢な白い椅子に腰掛けた。
すぐさま目の前に美しい白磁の皿とカップが供される。こっくりとしたチョコレートの色と添えた赤い果物。コーヒーにはあわ立てたクリームが添えられていた。
「ミネア、お前にも悪いことをしましたね」
「ファドナ様?」
「この時期にスレイドをティエンザに送るなど、なんと間の悪いこと」
「大丈夫ですよ、ファドナ様。あの方はどんな状況でもご立派に勤めてくださいます。きっとシーガさまをお守りして、今頃はもうこのライトールの地を踏んでいらっしゃるかもしれません」
「それならよいのですが」
ため息交じりの聖女がとりあえずカップを口元に運んだ時だった。
コン、と硬い音が響く。

「あら、どなたかしら」
ミネアが慌てて扉の前に駆け寄った。
開く前に、それは向こう側から開かれる。
「!ミネア」
目の前の黒衣の男は目を丸くして、不可思議な表情をして見せた。
「スレイド様!」

どちらかというとやせ気味のスレイドに、ふくよかなミネアが抱きつくと、不意を突かれた男は二歩よろけて下がる。
「お会いしとうございました」
甘い焼き菓子のような香りをさせるミネアにスレイドは帽子が落ちたことも気付かず目を白黒させている。肩から飛び離れたカラスは、そのままファドナの冷たい視線に気付いてソチラへと羽ばたいていく。
「み、ミネア、お前がここにいるとは」
「大公様がなくなってから、こちらでお仕えすることになったのでございます。スレイド様、ご無事で何よりです。お疲れでしょう?私の部屋で旅の疲れを落としてくださいませ。すぐに湯を沸かしますので」

柔らかな体を男に摺り寄せ、ミネアはスレイドの短い髭をさわとなでる。最後に会ったのはタースに出会う直前だった。小柄な婚約者は常に影の存在である男に唯一明るい陽の光を当てる。こうしているとごくごく普通の恋人同士。
その普通さがスレイドには不可思議でならない。
闇色に自らを包み隠す男には、ミネアは眩しい。

「おいおい、ミネア」
「お痩せになりましたね、それに潮の香りですか、少し服がべたべたしています。そのまま聖女様の御前にお出になるおつもりですか?さ、どうぞご一緒に」
「ミネア、君は仕事中では」
眩しさに目がくらむ間にスレイドは廊下に押し出されている。
「ファドナ様、少し失礼しまして。またすぐ、お伺いいたします。お急ぎのことは何なりとお申し付けくださいませ」
華やかな笑みを浮かべてミネアは深々と頭を垂れると、すぐさま黒尽くめの男と扉の向こうに姿を消した。慌ててタンラが扉に飛びつくが、それはすでにぴったりと閉められていた。

「グカ~」
悲しげに扉の前で首をかしげる。
「お前も、置き去りですね。チョコレートケーキ、食べますか」
やっと、我に返った聖女は情けない様子で扉をつつくカラスに声をかけた。
タンラはちらりと片目で聖女を見つめ、無視して再び扉を睨んでいる。

「あら、可愛くないこと。あなたのご主人のほうがよほど可愛げがありますよ。あれほどの男が、ミネアにはいいようにあしらわれる」
なんとなく面白くなくなって、ファドナはケーキを頬張る。むせかけてコーヒーを飲み干した。
「まったく。まるでスレイドが自分のものと言わんばかりの行動よね、悪気がないところが腹立たしい。スレイドもスレイドよ。報告もせず、婚約者といちゃつくなんて。どういう教育を受けたのかしら、…あ、私だったかしら…」
腹立ち紛れに目の前の甘いものを一気に片付け、いつの間にか聖女は普段の自分を取り戻していた。

それにしても、不思議なものだった。
常にどこか世をすね、皮肉っているスレイドが、なぜかあのミネアには弱いらしい。いつもの軽口も影を潜め、ミネアのペースにはまるのだ。どこか憎めないところのあるミネアは、的外れな感覚と同時にひどくたおやかな繊細さを見せる。強引に自分のペースに巻き込む魅力を持っていた。
自覚はないだろうが得な性格。
何の地位もなく、ただ日々を誠実に生きる。女性として、愛する男を大切にし尽くす。子をもうけ、育てる。それが幸せなのだと悪気もなく見せ付ける。
彼女にかかればスレイドもただの男。家庭のために働き、妻の食事を楽しみに帰途に着く。そんな男に成り下がるように思えた。これでスレイドがごくごく普通の父親になるようであれば、とてもつまらないとファドナは身勝手な感想を持つ。

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「想うものの欠片」第十話③



将来をつまらない男と決め付けられたスレイドは、熱を帯びた体をぬるま湯でなだめていた。綺麗に整えられたバスルームと寝室をと仕切る薄い絹のカーテンの隙間から、ベッドでくったりと裸体を横たわらせ、枕を抱きしめるミネアを眺める。乱れた亜麻色の髪が美しく白い背にかかる。
なんとも嵐のような女。
スレイドは会うたびそんな感想を持っていた。

彼女を評するものは大概大人しく従順、というだろう。
だが、気付けばミネアのペース。人を振り回す才能があるのだ。自覚がない分、スレイドの理解を超えている。これが高級娼婦なら屈折した駆け引きを楽しむことも出来るが。ミネアは常に自分を下とし、スレイドを陰で支えようとする。その態度とは裏腹に心は見下しているのではと思うときもあるが、腕の中に捕らえれば従順で可愛らしい生き物に姿をかえる。

先程までのミネアの甘い声を思い出しかけ、振り払うように数回、湯を頭から被る。
ふと深い息をつく。
これから始まることを思えば、今はひと時の休息なのかもしれない。



「お見苦しいところをお見せしました。ファドナ様」
スレイドが再びファドナの前に現れたときはすでに聖女は、夕食を済ましていた。
「あの子はどうしたの」
「申し訳ありません」

肩をすくめて、ファドナはデザートを頬張る。
その肩に乗るカラスは、ちらちらとご主人と眼前の果物を見比べていた。
「まあ、いいわ。早く結婚して、家にでも閉じ込めておくのね。悪い子じゃないけど、仕事をするのは向いていないわ。召使には役に立たない」
「申し訳ありません」
「それより!シーガはどうしたの!一緒じゃないの?」

不機嫌を隠さないファドナは、ミネアの前とはまったく違う態度だ。
役に立たないという召使には優しい顔をし、誠実な部下には悪口雑言。それだけ、気を許しているということだろうと長年の付き合いのスレイドは聞き流す。

「シーガさまはレスカリアへと渡られました」
「な、もしや。お前は」
スレイドは予想通りの聖女の反応に、用意していた表情と返事を返す。
「話しましたよ。黙っている状況ではありません。ティエンザでは大司祭ガネルがシーガさまを利用しようとしていました。このライトールでも安全ではないでしょう」
「お前は、約束一つ守れないというのですか!?話したんですね?両親のことを」
聖女は話を半分も聞いていないようだ。
黙って床に膝をつくスレイドの足元に、スプーンが飛んできた。絨毯にぱつと跳ねると、茶色のシミを残した。

「おお、可哀想に!ショックだったでしょうね、どんな様子でした?あの子は、悲しんでいたでしょう?なのに、お前は一人逃げてきたのですね?まったく、共に育てたのにどうしてシーガに優しくできないのか。あんなに可愛い子なのにお前はいつも苛めてばかり」
その聖女の猫っ可愛がりが他の子供たちの嫉妬を買ったと、未だに気づいていない。
本人が知りたいことを隠し続けることが愛情だと勘違いしている。

育ててもらった、そんな恩を感じるシーガに、スレイドは同情すら感じる。
どこかに、いいところもあるのだろう。
だが、スレイドにとってこの女は何の価値もなかった。
その視線に含む蔑みを感じ取るのか、聖女はますますスレイドを嫌った。

「…悲しんで、おります」
「そうでしょう!あの子があんな無表情になったのも、幼い頃の悲しい記憶のせいよ」
「シーガさまではありません」
静かに、スレイドは瞳を上げた。
スプーンに映る歪んだ自分が脳裏に残っていた。
ふわりと黒い影が横切った。

肩に、くく、と喉を鳴らすタンラを感じた。
立ち上がってこちらを睨んでいる聖女に、スレイドは笑って見せた。

「間に合いませんでした。ですから、お聞きしたかった。あの方は、苦しまれたのですか」
ファドナが息を呑む音が聞こえるようだった。
静まる。

ただ、タンラだけが主人の首に慰めるように擦り寄る。

「教えてください。聖女ファドナ。大公リュエル三世はどんな最期を迎えられたのですか」

男の瞳に見据えられ、ファドナは蒼い顔をしていた。
喉元にナイフを突きつけられたように感じていた。
「私は、私は存じません」
「…」
あきれつつも、父の無邪気さを感じていた。ファドナへのリュエル三世の想い。それが届いていなかったことは、悲しいほど明らかだった。

「そうですか」
深く湿ったため息を、悪びれもせず吐き出した。それから、目を閉じた。


スレイドが次に聖女を見たとき、男はいつもの皮肉な笑みを口元に浮かべていた。
「ファドナ様、長い間、ありがとうございました。ご恩は忘れません」
「なに、スレイド、お前は」

「私をご解任ください。あなたにお仕えする身とあっては何かと身動きが取れませんので。ご心配なく、後任のものは手配しておきます。十分な警護の者もお付けしましょう。あなたは護りますよ。それはシーガさまとの約束ですからね。ですが。私は、あなたよりこの国の将来を案じています。大公が心を砕いたこの国の」

立ち上がったスレイドはその視線から聖女を見下ろした。
「私の出自は、どうかお忘れください」

鋭い視線、皮肉な笑みの下に隠していた迫力に、ファドナは返事が出来ずにいる。
スレイドはまさしく、生前の大公が議会で見せたあの力強い目をしていた。

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「想うものの欠片」第十話④



教会からの束縛を離れて二日。スレイドはライト公領の政府庁舎の一画に来ていた。

三時の教会の鐘。戦争をしているのが嘘のように穏やかな午後だ。
今だ戦地は遠く、宣戦布告はしたものの本格的な開戦にはいたっていないのだろう。ティエンザ軍の飛行船がこの街の上空を飛ぶようになれば、鐘の音を耳にする余裕などなくなる。

庁舎内には忌章の黒い三角の旗が所々で揺れていた。
大きな窓をもつ、六角形の独特の形をした議場。かつて、二十四都市の領主とリュエル三世がこの国のために意見を戦わせた場所だ。
今は灯りもなく、厚いカーテンで閉ざされた室内はこもった空気とかすかな男の息遣いだけがある。
大公の席の背後に槍を交差させたタペストリーがある。それを前にして、スレイドは帽子を取った。小さく、祈りの言葉をつぶやいている。
がたん、と扉が開いた。

「お待ちしておりました」
スレイドは相手の顔を見ないように、膝をつき頭を垂れた。
「ああ、お前か。噂には聞いていた。大公閣下が重用していたという」
「恐れ多いお言葉でございます」
屈強な体躯。昔ながらの裾の長い衣装に身を包む、男。
ムハジク候だ。二十四都市の一つカヌイエの領主であり、現在はリュエル三世の息子トエリュの後見人としてこの国のほぼ全てを掌握している。
ムハジク候は軽く顎の髭をなでると、にやりと口元をゆがめた。
「スレイド、何故ミーア派を離れるのか」
「将来を考えますれば、当然のことです。今や、あなた様がこの国を制しておられる」

「ふん。まあ、いいだろう。お前は教会に顔が利く、その上大公に可愛がられていたのだ、何かしら役に立ってくれるのだろうな」
「はい、なんなりと」
「うむ。わしはこの後、国軍を指揮するために前線へと向かう。ついて来い」
「ありがとうございます」
スレイドはちらりと眉を動かした。
前線、つまり現在ライトール軍が戦線を敷く、北部。シモエ教区との境。ライトールに戻ったばかりのスレイドには戦況はつかめていない。

「これは、トエリュ様とも検討した結果だ。トエリュ様もお前のことを気にかけておられた。よく尽くせば領地を与えることも考えておられる」
ムハジクは穏やかな笑みすら浮かべながらスレイドの肩を叩く。
その真意はともかく。トエリュの中でスレイドは特別視される存在だった。それが功を奏したといえる。

「謹んでお受けいたしましょう。ムハジク候、トエリュ様にぜひ面会を。前線へ向かう前にご挨拶申し上げたい」
「ふん。いいだろう」
ムハジク候は以前大公が使っていた部屋。かつて、供に茶を飲んだあの部屋へと向かっていた。

いずれ。殺す。
スレイドは前を歩く男の背に、堅く誓っていた。

次へ

「想うものの欠片」第十話⑤



黒いカーテンを引かれた室内は、ランプの灯りだけで照らされていた。
最後に見たときより、トエリュは随分やつれたように見える。
自分より七つ年下の。血を分けた兄弟。

スレイドは深々と頭を下げながら、よどんだ空気の執務室にいいようのない緊張を感じていた。公太子トエリュはスレイドが挨拶を終えても、まだ目前のマシュマロをつまんでいた。一定の速度で食べ続けている。それでいて、張り詰めた彼の神経はか細く悲鳴を上げている。その全てをむき出しにし、包み隠すことも出来ないほど青年は緊迫していた。
彼も父親を亡くしたのだ。

父親に似ている凛々しい眉、母親に似たくるりとした長い睫を持つ瞳。愛される条件を満たす見本のような存在の彼。それを、今やスレイドは憐れに思っていた。正式な子であるからこその重責。そのために若い公太子は心身に深い重荷を背負っている。

いや、本来なら、それに耐えられるよう生きてこなくてはならなかった。そうなれずにいるのは父親を亡くしたばかりだからなのか、本人の性質なのか、周囲の責任か。
いずれにしろ、このままではまずいことはだれの目にも明らか、それでいて後見人のムハジクは知らぬ顔をしている。公太子が自滅するのを待っているのだ。

「ムハジク候、下がれ」

トエリュが言った。なにを急ぐ必要があるのか、せわしない様子でトエリュは傍らに立つ初老の召使から飲み物を受け取ると、一気に飲み干した。
ムハジク候がじろりと睨む。その表情は是としていないが、トエリュにそれを汲み取れるだけの視野はない。数瞬の間をおいて小さなため息を残し、彼の後見人は足音を立てて出て行った。

「スレイド・ル・ザルト卿」
スレイドは顔を上げた。
揺れるランプの灯りでトエリュの整った顔には深い影が差す。

「貴殿は父上の一大事に、どこに行っておったのだ」
責められるいわれはないが。スレイドはじっと青年を見つめる。
「ティエンザ王国へ、渡っておりました」
目を見開いて、トエリュはがたりと立ち上がる。

「お前は、お前は何か、知っているのか」
歩き出そうとする。しかし、おぼつかない足元。ふらついた青年をスレイドは慌てて支えた。
「エルさま!」
ジンジャーという大公付きの召使も駆け寄る。

「どうぞ、お休みください」女性の声音は悲しげに震える。
「大丈夫だ、私は、やらなければ」
うなされるように呟くものの、公太子トエリュの体に力は入らない。
スレイドは肩を貸し、歩かせる。
「トエリュ様、とにかくソファーへ。お座りください。ジンジャー、温かい飲み物を。酒は入れるな」すでに、青年は酒の匂いをさせていた。
「はい」慌てて女性は部屋を出て行く。

扉が締まる瞬間、ジンジャーが声を上げたのがちらりと聞こえた。
ムハジク候、そう聞き取れた。
ぐったりとするトエリュの額に手を当て、襟元のネクタイを緩める。

スレイドは音もなくふわりと立ち上がり、いったん扉の脇に体を寄せ外の様子を測る。人の気配がないことを確認すると、再び公太子の脇に膝をついた。

「トエリュ様、あなたはお父上の最期をご存知か」
低く静かに語るスレイド。トエリュは宙に視線を泳がせた。
「…ご覧になったのですね」

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「想うものの欠片」第十話⑥



「父上は、あの石に、魅入られたのだ。あのようなもの、あんなものに」

語りかけ途絶えると、苦しげな青年の言葉の続きはいくら待っても紡がれない。血走った眼とその視線の先に彼がその時の光景を映し出しているのは理解できた。

「…赤い石、ですね。あなたは触れていないでしょうね?あれは危険な石。贈り主のムハジク候はなんとおっしゃっているのですか」

かっ!と、トエリュは瞳を大きく開いた。血走ったそれは異常な様子に見える。
スレイドの胸元をつかみ、しがみつくように震えていた。

「あれは、あれは知らぬと。だが、諸侯が」
「トエリュ様。私はティエンザで石の研究をしているという大学を訪れました。危険な石です。それを承知で贈られたのです。よいですか。殿下。これまでどおり、彼に従うふりをなさってください。ムハジク候は利用できる間はあなたに手を出しますまい。殿下、私がおそばにお仕えします。かつてリュエル三世にはお世話になりました。ですから」
不意に青年は黒尽くめの男を突きとばした。

押しのける手がスレイドの頬をかする。小さな傷から赤い血がにじんだ。

「貴様は!父上とどんな関係がある!父上は、私より貴様を、認めていた…貴様は」
「大公にはお目をかけていただきました」
「何故だ、私はことごとく貴様と、なぜか貴様と比べられた!父上はいつも濁しておられたが、私には分かった。お前が新しい機械の知識を父上に与えれば、父上は私にそれを知っているかとお尋ねになる。貴様が婚約すれば、私に誰かいないのかと問われる。貴様と父上が人払いをし、二人だけで過ごした後には、父上はいつも上機嫌だ」

「トエリュ様。大公は厳格な方ゆえ、身内には厳しくあられた。常々おっしゃられておりました。トエリュ様は自分に似ていると。だからこそ可愛くもある。だからこそ、歯がゆくもあると。とても、大切に想われておりました。血のつながったご子息のあなたを、大切に思わないはずはありません。他者がどのように評価しようとも、大公はあなたを認めていらっしゃいましたよ」

「…私は、私はなにも、父上に何もでき、なかった…戦争など、そんな真似したくない、父上が喜ぶはずはないのだ!しかし…」

その思いは、スレイドにも分かる。いい人間であったかどうか、いい父親であったかどうかはともかく。よい大公ではあった。

「今は。とにかくお休みください。私は亡き大公より、事あるときは殿下をお守りするようにと。命じられております」

嘘だった。
そんなことを口にする男ではなかったし、まして相手がスレイド。誰に知られていなくとも、リュエル三世にとっては紛れもない実子。世が世ならトエリュと同じ立場でありえたスレイドに、そんなことを命じるはずもなかった。

「さ、殿下」
青年は小さく震えたまま、泣いていた。
だれの前でも、泣けなかったのかもしれない。
常に平然とし、気まぐれでわがまま。尊大なトエリュには、胸のうちを明かすことのできる友達はいなかったのだろう。まして周囲は政敵ばかり。誰かに取り入るような真似のできる性格ではない。
兄妹は歳の離れた妹が一人。その存在は責任を感じこそすれ、支えにはならない。
母親に死に別れている辺りもスレイドに似ていた。


コンコン、と扉が叩かれる。
「エルさま」
ジンジャーが盆にカップを乗せ入ってきた。

人差し指を口元に当て、静かにするようスレイドが見上げる。トエリュは静かに寝息を立てていた。それを見て涙ぐみながら、ジンジャーはスレイドに寄りかかるように目を閉じている青年に愛情をこめて「エルさま、どうぞごゆっくり…」とため息混じりにささやく。
二人がかりでそっとソファーに横たわらせる。
「国葬が終わってから五日。ずっと、お休みになっていないのでございます」
ジンジャーは、持ってきた二つのカップのうち一つをスレイドに渡した。
「ムハジク候は」
「殿下のご気分が優れないということでお引取りいただきました。スレイド様には後日お屋敷を訪ねるようにとのご伝言をいただきました」
応えるジンジャーの表情は硬い。怒りをかみ殺しているように思える。この大公のおそばに仕える女性が、事情に詳しく真実を知っているのだとスレイドは確信した。
「ありがとう」
スレイドは目を細める。

「あなたには、これからも殿下のお世話をお願いしたい」
「はい。あなた様は、あの」
「大公の亡き後は殿下にお仕えするよう、大公に命じられている。とりあえず、前線の様子を見てくる。あのムハジク候の足元をすくわなきゃならんからね、ことは慎重に」
砕けた口調にいつもの笑みを浮かべる男を、ジンジャーはいぶかしげに見つめた。
「で。お前に聞きたいんだが。あの赤い石。あれは今、どこにあるのだ」

ジンジャーの顔が青ざめた。
小さく震える。
「どうした、なにがあった?」

「あれは、恐ろしいものです」ジンジャーはふっくらした手を握り締め語りだした。

―――大公が倒れられた時にちょうど、私とトエリュ殿下は隣室にて茶を飲んでおりました。

物音で駆けつけたときには、すでに事切れていて。本当に突然でした。大公がお手にされていた赤い石は、床に転がっていました。

医師を呼び、側近の者たちが集り。亡骸を寝室に臥せ。その後、です。あの衿止めを手に取ったものがいました。側近の一人ウトレ様でした。

落ちて汚れたと想ったのでしょう、自らの袖で石の表面を拭かれました。そのすぐ後。綺麗になったそれをウトレ様は私にしまうようにと差し出されました。

不意にウトレさまの手が震え、衿止めは床に落ちました。ウトレ様は呻き声を上げられて。

右手首を押さえて座り込んでしまわれました。それはもう、ひどい苦しみようで。

身震いした。

――― 医師が袖をまくった時には、すでに手首から先が青黒く変色していて…あの後、切り落とされたと聞きます。まだ、容態も思わしくない様子で。

あの時、気付いた医師が衿止めに、特にその赤い石に触れぬよう命じられまして。

実は、それはまだ、あの部屋にあるのです。だれも触れることが出来ず。

恐ろしいことです。大公の死を知った幾人かの領主が、ムハジク候に詰め寄りました。

しかし、ムハジク候は知らないと言い張りました。
「私の贈った衿止めが原因だとするなら、それはティエンザから贈られたもの、私はそんなことは知らなかった」と。

そうして、怒りの矛先をティエンザへと向けたのでございます。

もちろん、怪しむものも大勢いました。ですが、だれも石に触れられませんし、その仕組みもわかりません。

そして何より、ロロテス派の領主は皆、ムハジク候に加担したのです。議会でトエリュ様の後見人と承認されると、議会の開催を無期限で停止し、軍隊の総指揮権を自らに移管しました。トエリュ様が経験のないことと、若年であるとの理由で。



大公の側近たちは何をしていたのか。すでに、ムハジクの根回しがあったのかもしれない。スレイドは幾人かを思い浮かべ、信頼のもろさに肩を落とした。

「そうなるともう、ミーア派や、大公に忠実だった領主たちも、軍隊を恐れて自らの領地にこもりました。華やかだったここライト公領も、軍の統制令が敷かれ、民も昼間の許された時間だけ外出を許可されるような状態です。トエリュ様は、何とか戦争は止めたかったのですが…」
搾り出すようにそこまで語ると、ジンジャーは深くため息をついた。

スレイドはその背をさすると、まだ温かいミルク入りの茶を差し出した。
「スレイド様」
「かつての側近たちはいずれ取り戻せるでしょう。ムハジク候の戦争好きは国を疲弊させますからね。それを領主たちは知っている。今は様子を見ようということです。まずは、石を何とかしましょう。あなたは、なるべくトエリュ様にムハジクを近づけないようにお願いします。とにかく、殿下の体調の回復を。ミネアにも協力させます。私はそれまでに出来る限り状況を改善して見せますよ」
スレイドはにやりと笑うと、懐から不可思議な機械を取り出した。
格子状に金属がつながっている、そう。マジックハンドだ。

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「想うものの欠片」第十話⑦



甘い香りがしていた。あまりにも悲しい想いに、腹のそこが冷え切っているようだ。
トエリュは温かい毛布を再び頬に引き寄せ、目を閉じようとする。もっと深く眠れば、その寒さから逃れられるかのように。
毛布が取り去られた。
まぶしい陽光に眉を寄せた。体中がけだるい。

「エルさま」
耳に心地よい声だった。
聞き覚えのある。
は、と目を開き、公太子が起き上がると目の前に美しい女性、ミネアが微笑んでいた。
「ジンジャー様、エルさまがお目覚めでございます」

立ち上がろうとするミネアの手を、青年はつかんでいた。
「!?エルさま」

「エルさま、どうぞ、お静まりください」
半分あきれたような声を出すジンジャーに、ミネアに抱きついている青年は我に返る。
「あ、ああ、すまない」
「驚きましたわ、トエリュ様」

トエリュより五歳年上のミネアは恥らうというより面白がっているように笑う。確かに甘えるような抱きつき方だった。
子ども扱いされ、相手にされていないのだと、青年はチクリと想う。
目の前に出される食事に久しぶりの空腹感を覚え、青年はまず大きく伸びをした。
「ジンジャー、私は、あれから?たしかスレイドが来ていたな」
言いながら、ミネアの顔色を観察している。

「エルさま、あれから三日間、ずっと眠り続けていらっしゃいましたよ。お疲れだったのでしょうね。スレイド様は、ムハジク候と共に、北方へ。シモエ教区に赴いておられます」
「!?そうなのか?戦線に?戦場に送ったのか!」
青年は複雑な表情をする。

「大丈夫でございます。トエリュ殿下。あの方はご立派にお勤めを果たされます」
にこやかに笑うスレイドの婚約者は、グラスに飲み物を注ぐとマシュマロのような香りをさせて一礼すると部屋を出て行く。

そこは、トエリュの寝室ではなかった。彼の父、大公がつかっていた部屋だ。
それに気付くと、びくりと立ち上がりかける。
「大丈夫でございます、エルさま。あの石は、スレイド様が安全なところにしまわれました」
「!?だが!あれは触れられないのだぞ?」
「スレイド様がお知り合いの方に保管の方法をお尋ねになって。なにやら、ティエンザではあれを扱うための機械があるとかで。それから、陶器に鉛を混ぜた泥をいれ、そこに入れておくのが一番安全とかで」

トエリュには何のことか分からなかったが、ジンジャーは何かを持つ仕草をし両手を近づけたり離したりして見せる。それは、マジックハンドを操作する時の動きだった。
「ティエンザから、電報を受けたのか?今は、電報局は閉鎖されているのでは」
「いいえ、それが」

くすくすと笑い出す。
ジンジャーは面白そうに、部屋の隅を見やる。
そこにある、上着をかけるためのポールに、一羽のカラスが停まっていた。
「なんだ、あれは」
「あの、カラスが手紙を運んでくるのですよ。賢い鳥で。ティエンザからの連絡も、そして戦場におられるスレイド様から、ミネアさまにお手紙が。なぜかあの鳥はミネアさまがどこにいるのかを探し当てて。そのように躾けられているのですねぇ」
「…手紙?」
恋文か、と苦々しい気分になる。ロマンチックには程遠い配達人だが。
スレイドだから、奪いたいのではない。ただ純粋にミネアのマシュマロのような香りに惚れ込んでいた。この感情はどうしようもないものだとトエリュは考えていた。

「ミネア様も嘆いておられましたよ。手紙ではあなた様のご様子をお尋ねになるものばかりだと」
ぐらりと。
「揺れた!?」
「地震で…」
ジンジャーが、あわてて、手に持っていたトレーをテーブルに置く、が、上に乗っていたグラスも皿も、一気にすべるように傾いて落ちる。いや、それを支えようとしたジンジャーも、もはや立っていられなかった。
「きゃあ!」
ガラスや陶器の割れるけたたましい音が重なる。
不気味な地響きとともに、激しい揺れが視界を妨げた。

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「想うものの欠片」第十話⑧



「今、揺れましたね」
スレイドの言葉に、煙草をふかしていたムハジク候は眉をひそめる。
「そうか?」
「ええ。この程度なら地すべりは起こらないと思いますが。赤い石を採掘しているというティエンザの坑道は何かしら被害を被ったかもしれません」
そういいながらテーブルの上に広げられた地図を指してみせる。
そこは、シモエ教区の中だ。住居のある位置ではない、少し外れた、このシデイラ山地の頂点をなす山の中腹を示している。
今、彼らはライトール側から、北上し、シモエ教区との境まで数キロという峰に前線基地を張っていた。
ほとんどが騎馬隊。山々の中に広がるなだらかな草原地帯に土嚢を積み、壕を掘っている。馬の引く荷車と軍馬。総勢は五千人程度の、ライトール軍全体の十分の一がここに集っている。
規律正しく設置された三角のテント。それらの中心に物資のテント。銃剣を持った軍兵が歩きまわる。それを見下ろせる少し高い位置に彼らのいるテントはあった。

空は気味が悪いほど晴天。テントの中にも、透かした日差しが差し込みランプの灯りが意味を成さない。
防寒用の皮のコートを着込み、毛皮の帽子を目深に被ったスレイドは、腕を組んだまま、体重を椅子にかけ、ぎしぎしと揺らした。
「ムハジク候。どうでしょう」
先ほど自らが示して見せた作戦に対するムハジク候の判断を確認しているのだ。
「ふむ。面白いかも知れぬ」
「では。よろしいですな。候の率いる本軍はここより国境を目指す。私は二十の騎兵隊を率い、蒸気船で北方を迂回、ティエンザ王国軍の補給の要である道路を塞ぐ。我らはそのままシモエ教区に入り、背後から敵を襲う。そのタイミングで本軍は一気に国境を征する」
「しかし、お前の言う、補給用の道路など、そんなもの作っているのか?この山岳地帯に」
く、とスレイドは笑う。

そこに、老人の侍従が温かいコーヒーを持って現れた。
今、このテントの中はムハジク候とスレイドだけだった。
「ティエンザの王は、幼い頃落馬の経験がありましてね。以来、恐ろしくて馬に乗れない。そのために、自動車が実用化された時点で軍はすべての馬を排したのです。市民にも自動車を推奨しています。これは、実際に私も見てきました。国内なら道路も整備し、鉄道も走り、かの国は自動車でどこでもいけるでしょう。ですが。この未開の山地。凍てつくシモエ教区に派兵するとなれば、道路を作らざるを得ないのです。この程度の草原ですら、自動車での走行は困難。しかも、ムハジク候の判断がすばやく、ティエンザが兵を配し始めてから間がない。まだ、道路は完成していませんね」
自分の判断を褒められるのは悪くないのだろう、ムハジクは大柄な体を揺らして笑った。

「なるほど。貴殿は策略家だ。前大公に重用された理由も分かろうというもの」
「いえいえ、ティエンザがシモエ教区を手中に収めた時点で行動なさったあなたの先見の明というところでしょう。それに。我らには自然の味方がついています」
「自然?」
スレイドは温かいコーヒーを口に含むと香りを味わい、湯気の向こうで笑って見せた。

「ティエンザでは、山を崩し、川をせき止め道路や橋を建設しています。トラムのための鉄道も数十箇所が工事中です。そうやって木々を切ることで、ティエンザは水害や山崩れに弱い土地になっています。実際、ここ数年の地震や冷害、干ばつで農作物はかなり被害を受けているようです。山間部の村民は都市に移住し、今や、抜け殻のような山村も多い。我がライトールのほうがよほど豊かな土地、逞しい民を持っています。それが何よりの国力の差というものですよ」
スレイドの言葉は、どれもこれも、説得力があった。
時折見せる笑みは皮肉げなものの、実際に各地を渡り歩いた男の説明は的を得ていた。
遠からず真実である、と。ムハジクは感心したように頷いている。
不意に、スレイドはテントの入り口を見つめた。
人の気配。
誰かが互いに挨拶のようなものを交わしている。談笑している。
ムハジク候の側近と謳われる八名の将校だ。午後の会合のために次々と集ってくる声が入り口から聞こえてくる。
「では、私はこれで失礼します。作戦遂行の際にはぜひ、お呼びください」
ふらりと立ち上がると、音もなくスレイドは出て行った。
黒尽くめの後ろ姿をムハジク候は見送った。


二人の飲み終わったカップを片付ける侍従に、ムハジク候は視線を移す。
「どう見る」
ムハジク候より十歳は年上と見える老人の侍従は、細い目をさらに細めた。
「お気に召されたようですね」
ふん、とムハジク候は笑った。付き合いの長い侍従はムハジク候の心中を察し、自分が口を挟む必要もないと理解しているのだ。
「噂ではな、あの男、大公の血を引くと言われる。あれが公太子であるなら、我が国も安泰であろうにな」
「候のご養子としてお迎えされたらいかがです、そろそろ跡目をめぐって下々のものも動き始めておるようですし」
侍従の言葉にムハジク候は表情も崩さず、黙って顎の白い髭をなでた。
スレイドが大公の血筋としても公に出来ないのは明白。それを形式上でも身内に取り込むのは悪くない。いずれ役に立つ。

ちょうど、午後の作戦会議のために側近八名が入ってきた。侍従は、何事もなかったかのようにテーブルを片付け、その場を去っていく。

はるか南の土地、レスカリア帝国近海で、海底火山が噴火した日から、五日。大気に紛れた灰は偏西風に乗りティエンザの沿岸にうっとうしい雨を降らし始めていた。

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「想うものの欠片」第十話⑨


スレイドの提案は、簡単に言えば挟撃作戦だ。
別働隊がティエンザ軍の背後を狙い、慌てたところを正面の本軍が攻め込むという古典的なものだ。古典的であり基本であり、効果的である。

ライトール軍とは、公国の正規軍とそこに徴兵の義務で駆けつけた二十四都市の警備隊からなる。良い兵を出し惜しみした都市の警備隊は当てにならず、正規軍は警備兵を蔑視し、警備兵も正規軍とは馴れ合わない。二重の指揮系統を持つためにただでさえ脆弱。
そんな中、スレイドは自ら部隊を持つわけでなく、正式なムハジク候の将校でもない。
スレイドの立場は微妙だ。だからこそ、別働隊を指揮することを申し出たのだった。
別働隊を組織し、作戦を説明した後。ムハジク候は、この別働隊を指揮する人物を紹介するはずだった。

柔らかな山土が今は早朝の霜で凍てつく中、従事する二十名が整然と並ぶ。呼び出され、ここに居並んで始めてそれが隠密の作戦なのだと悟り二十名の表情はさらに固く締まる。ムハジク候はいつもの古典的な革の防具を身につけ、白い髭に息を凍りつかせていたが、堂々たる態度は寒さを感じさせない。その背後に黒い革のコートを着た、軍人らしからぬ雰囲気の男が立っている。
二十名はちらりとスレイドを盗み見ていた。
「よいか。危険な任務だが、功績は大きいぞ。褒章は約束されている。お前たちを指揮するのはケドニア将軍だ」

眉をひそめるスレイドの脇を、涼しい顔で大柄な男が進み出た。
この男はムハジク候が自らの領地を守るために組織していた国境警備隊の指揮をしていた男だ。候からの信頼も厚い。まあ、それならそれでいいとスレイドはちらりと動かした表情を元に戻す。
皮肉な笑みが浮かぶのは仕方ないことだろう。

日が昇る直前まで別働隊を見送り、朝日とともに中央のテントに戻ってきたムハジク候は、本部テントにスレイドの姿を見つけるなりにやりと笑った。スレイドは一人地形図を前に、先日の椅子に体を預けていた。
「なんじゃ、見送りもしなかったのか」
「ええ、不要かと」
「ふん、まあそう拗ねるな」
笑みすら浮かべるムハジク候にスレイドは冷ややかに目を細める。
この男が奥底に暗い憤りを飼い、牙をむこうとするそれを必死でなだめていることは誰も気付かない。ムハジク候の「拗ねるな」に面白そうに笑った傍らの側近たちもだ。
彼らからすれば、やはりスレイドは若い。
六十歳を過ぎているムハジク候は前大公、リュエル三世ですら幼少の頃を見てきている。そのムハジク候にとって三十代のスレイドは若造と呼べる。
「お前を評価するからこそだ。わざわざ危険な作戦に参加させる必要もない。それにな、お前の腕がどの程度のものか、見て見たいのだ。この目でな」
ムハジク候の目配せで、側近の一人が剣を地形図の上に置いた。目の前のそれをスレイドは眺める。精巧な地形図は重要なものだ。それに汚れた剣を乗せるなど。やだねえ、軍人は。という内心の声は別として。
とりあえず皮肉な笑みもわずかな視線の動きのみで収めて隠し切る。

「お前は参謀としては使えるだろう。それは認めよう。だが、軍人として実践に耐えられるのかどうか。その細い体で」
肩をすくめて見せるムハジク候にあわせるかのように周囲も笑みを漏らす。
スレイドはためらいもなく目の前の剣を手に取った。
「で。どなたと?」

「ムハジク候、私の息子でどうでしょう」
側近の一人が進み出た。スレイドは苦い笑みを浮かべた。
「貴殿のご子息は三十そこそこと伺いましたよ。お若い方と力比べをして、それで勝ったからと言って私の力を証明したことにはなりませんよ」
ご子息にとってはどっちに転んでも損はないでしょうがね、とまでは言わずにいる。
ため息交じりのスレイドに、申し出た男は目をむいた。
「くっく、まあ、それはそうだ。お前が相手をしてやれ、コトノ」
コトノと呼ばれた先ほどの側近は、癖のある髭をぬぐって口をへの字に結んだ。
「恐れながら、ムハジク候、我が息子は若輩者ながら剣の腕においては私に引けをとりません」
「コトノ殿。私は何しろ剣術は初心者ですからねぇ、誤ってお怪我をさせてもいけませんしね、加減できませんので」
スレイドの挑発にコトノは立ち上がり、周囲は複雑な表情を作る。
「さて、見せてもらうかな」
一人面白そうに声を上げて笑い、ムハジク候はテントを出て行く。
すぐ後をスレイドが続き、そのひょろりとした黒い後姿を見送っていたコトノは周囲の仲間の視線に気付くと忌々しげに鼻を鳴らし剣に手を伸ばした。


朝の炊き出しが始まり、兵たちは皆それぞれの作業をしている。
陣営の片隅に集る数人の将校たちを遠目に眺めはするものの、何をしているとのぞくわけにも行かない。なんだろうな、と互いに目配せしつつ、各々の作業を続ける。

そこは低木に囲まれた、小さなくぼ地。
まだ日が当たらない場所で、地面にはがさがさした霜柱が隠れている。
五十代半ばのコトノと向き合い、スレイドは剣を片手に立っていた。

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「想うものの欠片」第十話⑩

10
コトノはがっしりと実の詰まった筋肉を持つ男だが、身長はスレイドより拳二つほど低い。短い腕は見かけ以上に力がある。
数回、刃を切り結び、その感想はコトノも抱く。

スレイドというこの男。やせた腕からしなやかに繰り出される剣戟は想像以上に重く、コトノの剣を握る手のひらに痺れを感じさせる。
冷たい音を数回響かせた後、互いに押し合い、互いに一歩間をおく。
にらみ合う。

と、不意にスレイドは持っていた剣を地面に突き立てた。
「貴様、何を!?」
肩をすくめ、にやりと笑う男にコトノは顔を赤くした。
「バカにしおって!剣なしでもよいと、そう申すか」
コトノは鋭く間合いを詰め剣を振りかぶる。
同時に懐に駆け込んだスレイドはコトノの振り下ろす剣をかわすとそのまま手首をつかむ。逆手にひねり男の脚を払う。そのときにはすでに、コトノの体勢は修復不可能なほど崩されている。
当然、支えきれず地に膝をつく。その体勢のまま剣を振り上げようとする男の肘をスレイドは容赦なく蹴りつけた。
ガランと転がる剣は刃で霜を削る。
「さて、この勝負は、参ったといえばつくんですかね」
コトノの首を押さえつけるスレイドは、静かに笑っていた。
「ぐ、貴様…」
地面に額はつくまいと踏ん張りながらも、コトノは両膝をつき、利き腕は後ろにひねり上げられている。目の前に、スレイドの剣が突き立っていた。
「卑怯だぞ、剣で勝負ではないのか」
うなるコトノに我慢できず、スレイドは笑い出した。
「いや、戦場で剣にしがみつく理由はないですよねぇ、どちらかといえばこいつのほうが便利でしょうし。さらに言うなら、武器は最後の手段でしょう」
開放された手首を押さえながらコトノが振り返ると、スレイドはコトノの額に銃を構えていた。
「卑怯だぞ、貴様!」
見守っていた側近の一人がたまらず声を出した。
「卑怯?戦場において何で始末をつけるかは自由でしょう」
その男に視線を向けたスレイドのスキをぬって、コトノは突き立っていたスレイドの剣に手を伸ばす。
引き抜く。
が、それは凍り付いて立ち上がって構えるまでに数瞬を要した。
びしっ!!
派手な音と共に何かがコトノの視界にキラリと輝く。それが、折れた剣の切っ先だと気づいた時には、額につめたい銃口があった。
至近距離でスレイドは剣の最も折れやすい部分を打ち抜いたのだった。
ぼとりと、コトノの痺れた掌から剣であったものが滑り落ちた。
「ですから。剣に頼らず素手で間合いを詰めれば、私の隙をつくことが出来たかもしれませんがねぇ」


「もうよい」
ムハジク候がため息混じりに声をかけるまで、誰も動けなかった。
コトノも、見守っていた側近たち七名も声を出せず、ただかすかに吐き出す息が白く凍っては流れる。

ムハジク候は気難しい表情だったが、朝食の席にスレイドを呼んだ。
候のテントを訪ねると、侍従がうやうやしく奥へと通す。
個人的なテントを持つのはムハジク候だけだ。

用意されたテーブルの朝食を見て、食事はすでにいただきましたよ、とスレイドは笑って見せた。まさか会食とは思わなかったのだ。そうしたいとも思っていなかった。
「まあよい、座れ」
温かいスープを運んできた侍従が下がると、その部屋は二人きりになる。
スレイドが座って脚を組んだときにはかすかに眉をひそめたが、ムハジク候はすぐに気を取り直したのかパンをスープに浸した。
「やりすぎだと、思わんか」
「ご期待に添えませんでしたか」
温かいコーヒーだけ手に取るスレイドは揺れるカップの中身を見ている。
「いや、面白かった。お前なら剣だけでも勝負はついただろうに。兵法の初歩を語るもいいが。アレではお前を起用しようにもやりにくくてかなわん。ことごとく側近の反対を受けよう」
すでにスレイドがこの場に呼ばれたことを知った側近たちは鋭い視線と妬みの冷やかしを投げかけていた。バカらしい、と内心スレイドは舌を出している。
「私はもともと影に生きるものです。側近の方々のように武勲で財をなす気もありません、名誉などなおさら不用です」
「では、何ゆえ我が軍に協力しようとするのだ」
「…戦争を終わらせたいからです」
スレイドの言葉にムハジク候は目を見開いた。


確実に戦争を楽しんでいるムハジク候にとって、当たり前すぎるスレイドの考えは思いもよらなかったことだったらしい。
「ふ、ふん、そう簡単には終わらん」
「簡単な方法もありますよ、ありますが。私はシモエ教区でティエンザがやろうとしていることにも興味がありましてね。あれを止めさせなくては我が国は、いや、大陸全体が危険にさらされます」
「簡単な方法?」
ムハジクは小さなグラスにいれられた蒸留酒を飲み干すと息をついた。
「ムハジク候はご存知でしょう?シモエ教区で発掘されている赤い石。あれがどれほど危険なものか」
簡単な方法に気をとられていたムハジク候は否定することも忘れ、ふむと頷く。
「危険を承知でリュエル三世にお贈りになった」
「!?」
頷きかけてその意図に気付くと、ムハジクはがたりと椅子を鳴らして立ち上がった。
「違うぞ、大公が亡くなったために危険だと知ったのだ」
「…そうでしたか。あれほど恐ろしい力がある石ですからね、運んだもの、加工したもの、すべてのものに影響があったかと思ったのですが」
「そうだ、後に知ったのだ、運んだ部下も、触れた兵士もみな、命を落とした」
そして真実を知るものはことごとく口を塞がれたというわけか。スレイドは足を組みなおす。
後に知った、を強調しつつ悔しそうな顔をしてみせるムハジク候が演技なら、それに同情して見せるスレイドも演技だ。
「ご心痛、お察ししますよ。あの石は恐ろしい。それを大量に採掘しているんですよ、ティエンザは。そんなもの、石のままでも空からばら撒かれたりしたら我が国民の半数は死んでしまうでしょう」
事の重大さに今更気付いたようで、ムハジクの表情が変わった。
「そうだ、危険だ」
「私は斥候と共に採掘場の様子を見てきますよ。別働隊が到着するまでは、進軍できませんし、それまでに赤い石に対抗する手段を練っておかなくてはなりません」
「うむ、そうじゃ。お前は役に立つ。どうだ、わしに個人的に仕えんか。わしには子どもがおらん。いずれ後を継ぐものが必要だ」
ムハジク候はスレイドの手を両手で握り締めたのだ。
「わしはいずれ、この国を手にする。トエリュ公太子の後見でもある、将来を約束するぞ」
スレイドは心に描いた最も簡単な方法を実行したい衝動に駆られていたが、手をこわばらせるだけで押さえ込んだ。
戦争を終わらせるもっとも簡単な方法。
それは目の前のムハジク候をこの場で始末してしまうこと。

「ムハジク候、トエリュ様からも同じ申し出をいただいております」
スレイドの笑みが皮肉にゆがむのは仕方のないことかもしれない。

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「想うものの欠片」第十話⑪

11
ティエンザ王国。サンルー。

地震のために停止した機関車が、先ほどから何度も蒸気を吐き出し、その音は混乱の続く病院内でもかすかに聞こえていた。

青白い顔の青年が横たわる病室。
ばたばたと医者や看護師が走り回る廊下の喧騒も気にならないようで、一人の男が小さなテーブルに背を丸め、盛んにペンを走らせていた。茶色いハンチング帽の上から頭を数回かき、少しうなるとまた夢中で何かを書き綴る。
再び小さな揺れが始まるが、ダルクは何も気にしていなかった。

先ほどまで、静かに語っていたトモキの言葉、そして自分が調べたことをまとめていた。疲れたのだろう、トモキは静かに寝息を立てている。
ダルクは書き終えると、紙の周囲に散らばった硝子片を無造作に払う。
ガシャンと破片が床に落ちた。

テーブルに乗っていたはずの薬のビンは床に落ち、ダルクの足元をごろりとつつく。先ほどトモキを庇った時に降りかかった破片が未だに肩に乗っている。
それでも、男は夢中だった。紙を持ち上げ、声に出して読み上げる。
周囲の喧騒のなか、誰も彼らに注意を払うものはいない。

「よし、出来たぜ」
そう、つぶやくとダルクはもう一度、眠っているトモキのそばに座り込んだ。

青年の顔は土気色だ。恋人の死を知ってから急速にその生命力は奪われていくようだった。
石の力で内臓のほとんどが損傷を負っていた。今では何の薬も効かない。とりあえずの痛み止めとやらが出されるが、飲み込むことすら困難だった。
死期が近づいていた。

「なあ、トモキ、出来たぜ。赤い石、あれの持つ力、人体への影響。あいつらがやろうとしていることを暴いてやる。兵器を作るだと?なにが新しいエネルギーだ。何が科学の発達だ。なあ、トモキ。お前の記事は世界を救うんだぜ。皆がお前に感謝する。あちこちおかしなことになっているが、お前の功績は俺が世に広めてやる。お前の名前を歴史に残すんだぜ。だからそれまでは、なあ。頼むから、見届けてくれ」

ダルクはその記事をティエンザ、そしてライトール両方の国の新聞社に持ち込むつもりだった。
ティエンザ王国内の人々は、国境を閉ざされたことは知っているものの、まだ戦争という事態を把握できていない。遠い国外のことより、今は災害が相次ぐ現状に翻弄されている。報道規制もされているだろう。だが、どんな新聞社にも気骨のある編集者がいる。ダルクにもいくつか伝手がある。

国が軍隊や恐ろしい研究に国力を注ぎ、人々がそのあおりを受けている。
人々が災害の影響で救いの手を求めているのに、国は恐ろしい研究に夢中なのだ。シモエ教区に軍隊を送り、そのために災害復興は遅々として進まないのだ。

そして。ライトールにも同様の内容を送ってやる。
何ゆえ、赤い石がライトールの大公を襲ったのか。全てを白日の下にさらし、公太子の復権を図る。
ぞくりと腹のそこから震えた。
「は、武者震いって奴だぜ…」

ダルクがもう一度トモキの冷えた手を握りしめた。ふと、動く影がそこを横切った。

グカ!!
「よお、タンラ。いいタイミングだ」
割れた窓枠にいったん停まり、首をかしげて室内を見回したカラスは、ダルクの方にばさばさと不器用に飛び乗る。

「なあ、頼むぜ。今回の手紙はちいと、重たいが」

「ググ?」

ダルクが差し出した足ではなく、腹と首に皮製の袋を巻きつけたので、タンラは迷惑そうに手をつつこうとした。
だが、ダルクの手がその程度でひるむはずもなかった。


タンラは北を目指し飛び立った。
重い荷物を背負い、ひたすら主人のいる場所へ羽ばたく。

怪しい黒い雲に視界を奪われながらも。
背負うものの価値はカラスには分からないものだが、彼の向かう先は常に一つ。

愛しい主人の待つところだ。


第十話 了

第十一話は4/29公開予定♪お楽しみに♪

続きに第十話あとがき♪

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「想うものの欠片」最終話 ①

第十一話 『想うもの』



「シーガさま!タースが、タースがいるですの!」


そうミキーに告げられ、シーガは教会に駆け込んだ。
蒸された空気、怪我人の呻き声と血と腐肉の匂い。雑多な思念が渦巻いて暗がりに翳のように染み付いている。
肌を粟立たせる重い静寂。
それすら感じないほどに、シーガは少女の後を急いだ。
祈りのための机は寄せて並べられ、臨時のベッドにされていた。片隅の床には、たくさんの白い布を被った遺体の山。腐敗を防ぐためか、真っ白い塩が振りかけられていた。

割れた天窓からの明かりの中。
多くの人々が横たわる一角に。
見覚えのある少年の姿があった。
目を閉じ、天窓に向くまつげはピクリともしない。
それはちょうど斜めに差し込む陽に白く光る。透き通るような肌は青白く、神々しくさえあった。

手を伸ばそうとし、シーガは躊躇する。ミキーは既にすがり付いていて、絹の柔らかな手で少年の額をなでている。
色のない唇。濡れ乱れた黒髪。海に落ちたのか、津波に飲まれたのか。
…生きて、いるのか。

「タース!」
ミキーの声に我に返り、シーガはタースの肩に手を置く。濡れた服は冷たい。
シーガが抱き起こそうとした瞬間、ふ、と。
少年が息を吸った。
それにあわせて胸が上下する。

「!?タース?」
ピクリとまぶたが揺れる。
「タース!タース!起きてください」
少女の声に、少年は小さく眉を寄せた。
シーガが、そっと額に手を当てる。
冷えた体はこの蒸し暑さにありながら、氷のようだ。
「タース」
青年の呼びかけに、小さく頭を振る。
不意に、目を開けた。

「あ…」
見回す。
タースはぞくりと身震いし、肩をすくめた。
「寒い!」
「お着替えしましょ、濡れてるです」
ミキーは戸口に駆け戻り、荷物からごそごそと服を引っ張り出した。

「あ、あれ?ミキー…シーガ?あれ?なんで?」
震えながら、タースは二人を見つめる。
シーガたちとはティエンザ王国の首都で別れたはずだった。いや、その前に、ここは何処なんだろう。
タースは暗い中まだ状況が分からずにいる。何度もけだるそうに頭を振った。
「ね、タース。お着替えちゃんと持ってきましたの。タースにも欲しいと思って」
衣装で膨らんだ荷物。そこには、タースの分がしっかりと収まっていた。
「ミキー、お前は」
あきれたように、小さく笑うとシーガはミキーからタオルを受け取る。先ほどもらった配給の水で濡らしてしぼると少年の顔を拭いた。

海水でべたべたしていた。
潮の臭いを放つ服を引き剥がすように脱ぐと、左の肩から背にかけて派手に痣ができていた。赤紫に腫れるそれは、海に落ちたときの衝撃を物語っていた。
「お前は、一体なにをしたんですか」
「え?ええと…僕、飛行船から、飛び降りて」
体が冷え切っているせいか痛みも感じられない。シーガの示す場所を見ようと首をひねる。

体を拭くシーガの手が止まる。
そのタオルを掴み取ると今度はミキーがタースの喉元を拭こうとする。
と恥かしそうにタースはとどめて、自分で拭けるよと笑った。
「飛行船、からですか?」
「あ、うん。あのさ、ええと。いろいろあって」
タースは上手く言葉が出てこない。どれから説明したらいいんだろう。どうにも頭のとこかがぼんやりしている。
「あ、ミキー、ごめんそれ。ポケットに」
ミキーが丸めかけた上着に手を突っ込むと、タースは何か取り出した。

「あ!」
それがルリアイだと気付いて、ミキーが手を伸ばす。
「だめ、コレは僕のだから」
大切そうに握り締め、タースは祈るように胸元に寄せた。
その様子を見て、シーガはもう一度、タースの手からタオルを奪った。
「まったく、臭いですよ、髪もほら、べたべたです」
「え、ああ」
シーガはそのまま、タースの頭を下げさせると、水をかける。
黒い髪に紛れた埃や砂を丁寧に洗い流した。

「シーガが白い服なんて、珍しいね。眼鏡も変わってる…ああ!?」
タースは傍らに立って髪を拭いてくれる青年を見上げた。その、帽子の下。
「髪がなくなってる!!」
シーガは、目を細めた。
襟元でざっくりと切られた髪。
今頃はまだ、船の中だろう。マルリエが成りすましてくれている。

「タース、静かに。このレスカリアでは、シデイラは牢獄行きだそうですからね」
「タース、タース」

ミキーに靴下を脱がされながら、タースはまだシーガをじっと見ていた。
何か、そう。青年の表情が違って見えた。髪形のためだろうか。短くなった髪はコレまで女性らしく見えていた青年を、凛々しく、逞しく見せた。
日に焼けたのか。なにがあったのか。
シーガは以前よりずっと、笑顔が様になっていた。

「何かあったんだ?大丈夫なの?」
「ええ。上陸するための代償…いえ。もう、必要ないのです。もともと、自分の姿をさらすことで両親を探そうと考えていました。ですからわざと髪色が目立つよう伸ばしていました」
「え?両親を探すの諦めたの?って、ミキーちょっと」
「いいえ。それは、後ほど話しますよ」

タースは下着まで脱がそうと無邪気に挑むミキーを追い払うのに必死だ。シーガの話どころではない。
「ほら、ミキー、来なさい。タース、外で待っていますから、着替えが終わったら来なさい」
「あ、うん」
寝台代わりのテーブルから、そっと降り立とうとして、一瞬よろめく。
「タース?」
「あ、ううん。大丈夫」

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