05
2
4
6
8
10
12
14
16
18
22
24
26
28
30
   

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「想うものの欠片」最終話 ②



タースは、不思議な感覚に戸惑っていた。
ぼんやりしているのもそうだが、どうも、感覚全体が鈍っていた。
先ほどの肩の打撲も、重い気はするものの痛みはない。寝ていたせいかむくんだ足も、自分の足ではないような感覚だ。頭をふり、目をこすり。自分の足をさすってみる。
随分、白っぽく見えた。
冷えた足を何度もこすってみた。なかなか温まらない。
それでも、服を着替えると、少しはましな気分になった。

そうだよな、海に落ちたんだもんな。命があっただけましだよ。
ふとそう思い。

そして。
脳裏にユナが浮かんだ。

「陛下!!」
思わず声に出していることに気付かず、タースは慌てて駆け出した。
陛下を助けなきゃ!どうなっただろう!まだ、あのジファルがそばにいるんだ。それも伝えなきゃ!
そうだよね、ユナ。
そばにもやもやとみえた白い影は頷いたように思えた。

「シーガ!首都へ行こう!皇帝陛下に会いに行くんだ!」
扉を開くと、眩しい景色にタースは目を細めた。
遠く青い海。青い空。タースが空から見た爆発に似た白い煙が海上から吹き上がり、風景の半分がすすでも塗ったかのように薄汚れている。空を見あげ、眩しい太陽とぎらり熱い空気にふと風景がゆがむ。

「危ない!」
数段の階段だが、崩れるように転ぶ少年をそばにいた女たちが支えた。

褐色の肌の人たち。
熱い腕。白い歯と笑顔。
「すみません。タース、しっかりしなさい」
「タース!」

目が回る。
ミキーの声に顔を上げる。その柔らかな色の髪を目の前に感じながらまた、ぞくりと走る寒気に目を閉じる。
「あの、医者はいませんか、この村に」
少年を支えるシーガの言葉に反応するものは少ない。

そばに座り込みながら、もう一度タースは頭を振った。
「大丈夫。ちょっと眩しくて」
その様子を見ていた女たちが、顔を見合わせた。
「あんた、もう少し休んでいったらどうだい」
「あの、医者はいませんか」
シーガの問いに女たちだけでない、集りかけていた子供たちも、首をひねる。
「いしゃって、何?」一人の子供がタースを見ながら聞き返す。
「え…」さすがにシーガも目を見張った。
「あ!」
タースは思い出した。そういえば皇帝の専用船にも、医者はいなかった。

「病気を治したり、怪我を治療する人は、いないのですか」
シーガは立ち上がり見回した。人々は不思議そうに異国の青年を眺める。

「そんなのは、いないんだよ。はい、ボウヤの分」
先ほどの女性がタースのそばに歩いてくると、水の入った袋を差し出す。

「ティエンザの船長さんも言ってたよ。そういうことが異国では出来るんだってね。足が曲がって動かなくなったのも、元に戻るってさ。けど、そういうのは、この国にはないんだよ。病のものも、けが人も。皆、礼拝堂で静かに祈りを捧げるのさ。生きるのか死ぬのか。それは神様が決めるんだ」
そういった女性は、タースの頭をなでると、あんたに神のご加護がありますように、と。優しく祈った。

「そうですね…この村では、新鮮な水も手に入りませんし、衛生上よくない。手当するにも何もない。タース、移動しますが、大丈夫ですか」
「うん、僕、首都に行かないといけない…」

タースの気持ちをどう受け止めたのか、シーガは黙って頷いた。女性たちと交渉し、物資を運ぶ荷馬車にのせてもらうことになった。荷馬車は村から半日ほどかかる街から物資を運んできているという。
ちょうど、先ほど到着した分が空になったところだった。

御者台に乗る二人は、嬉しそうにシーガを向かえたが、青年は無愛想なまま荷台に横たわるタースの傍らに膝を抱えて座っていた。
同じ姿勢の少女も、体を丸めて横たわり寒そうに震えるタースをじっと見つめる。
「お薬、効かないですの?」
小さくつぶやいても、シーガは応えない。
ミキーが額に触れると、タースは目を開け大丈夫と笑った。
「ちょっと、変なだけ」
「お前はまだ、何があったのか話していませんよ」

「…あの。僕、皇帝の飛行船に、紛れ込んだんだ」
タースは馬車の揺れに体を任せ、眼をつぶった。
そして一つ一つ、思い出しながら話した。

次へ
スポンサーサイト

「想うものの欠片」最終話 ③



皇帝陛下の世話をすることになった。

変わった人たちだったけれど、親切にしてもらった。【逆月】という反政府組織があること。ティエンザの飛行船に追われていたこと。

そして、皇帝陛下が毒殺されかけたこと。犯人として追われ、飛行船から飛び出した。
最後に海原に立ち昇った水柱を見た、あの光景まで。

「…それは、海底火山の噴火です。私たちも船の上で見ました。お前は、ちょうどあの時、落ちたのですね」
そんなことに巻き込まれたのですか、とシーガはため息をつく。

「海底火山。そんなの、あるんだ」
「噴火と同時に地震も起こったのでしょう。この村も津波の被害がひどい」
馬車の幌の背後を見つめた。シーガが眺める山道でも、崩れた丘が生々しい赤土を日にさらしていた。

「…多いね。なんだか、世界中で地面が怒ってるみたいだ。誰か、怒らせるような悪さをしたんだ」
タースは自分の発想に面白みを感じたのか、少し笑う。
「笑えませんよ、タース。レスカリアでも異常気象で食糧難が続いているようです。ティエンザも、地震災害で疲弊していました。戦争が始まりますし、ここでもクーデターをたくらむような不穏な状態です。世界中が。どこかおかしい」

…タースは思い出した。

「五百年前と、同じなのかも」
「お前の言っていた古代文明ですか?皇帝の話を信じるなら世界は滅びるわけですね」
「滅びるとか、そんなの分かんないけど。僕さ、陛下にいろいろと教えてもらったんだ。シデイラの意味。ユルギアの意味。知ってる?」
シーガは眉をひそめた。

「いえ。私はミーア派の教えを受けましたから」
タースはシーガの表情を淋しげだと感じた。本来あるべきシデイラとしての生き方を学ばずに大人になったんだ。
タースは話し出した。


シデイラの敬う神はこの世界の生きるものすべてなんだ。

風や太陽、海、山の木々、動物たち。僕は聞き取れないけど、シデイラはそれらの想いを感じ取れる。ユルギアとしてね。人間だけじゃない、かすかな想いを全てが持っている。シデイラはこの世の生き物の想いを知ることができる。

つまり、シデイラの民が神とするのはユルギアのことなんだ。ユルギアもいろいろといるけど。

人間だけがね、それを聞き取れないし見ることも感じることも出来ない。だから、自然を破壊したりするんだ。

神、つまり世界にある生き物のユルギアから力をもらって神王となったシデイラは、人にユルギアの存在を知らしめて、生き物の想いを壊さないように導く役割を持つんだ。

生き物の生きようとする想い、強い想いが世界を支えている。だけど、人間が生き物を殺しすぎたり、山を開いて自然を壊したりすることで、生きる想いは薄れていく。だから異常気象になったり、災害が起こる。

それは結局人間に返って、たくさんの人が死んでしまう。
それが、文明の滅びとなって現れる。

僕は、それは人の自業自得だと思う。
だけど神王さまは、陛下は自分が神から受けた力、永遠といわれる命の力を返すことで世界を救えると想っている。
でも、そうすると陛下は死んでしまう。

そんなことまでして人間を救う必要はないと僕が言ったんだ。
でも、陛下は、話してくれた。

人間は、ユルギアを見ることは出来ない。けれど人間の持つ想いは、どの生き物より強い。通常僕らが「ユルギアは人間の残留思念だ」と感じてしまうくらい、ユルギアの大半は人間のものだ。それだけ強い想いを持つ人間だから、その力で世界が救われる可能性があるって言うんだ。

生きようとする力、愛情だったり、幸せだったり、優しさだったり。そういう想いを人間が世界に広げることで、人間だけが世界を変える事が出来るんだって。

だから、人間を信じたいから、人間を滅ぼすようなことはできない。

このまま、ティエンザやライトールがおかしな研究や自然破壊、生き物の乱獲を続けるなら、陛下は自らの命を捨ててまで、人間の可能性を残すつもりなんだ。
そういう人なんだ。
だからこそ、人間に陛下を殺させるなんてしちゃいけないんだ。僕、助けたいんだ。

ため息をついて、タースは、起き上がろうとする。
「寝ていなさい」
「でも」
馬車の横揺れに自重を支えきれず、タースはまた寝転んだ。薄い麻布を敷いただけの荷台に、ごん、と痛い音を立てた。
思うようにならない。力が出ないのだ。
仕方なくタースはそのままの姿勢でじっとしていた。

支えようと手を出したものの、自分自身も揺れによろめいて役に立てなかったミキーはタースの腕をさすった。
少女は珍しく随分無口だ。
シーガもじっと何かを考え込んでいる。

次へ

「想うものの欠片」最終話 ④



陛下を助けたい。

両親を死なせてしまった。
その哀しさと後悔がずっと心に残すわだかまりを。

あの人は分かってくれる。

そばにいるのがすごく安心できた。
役に立ちたいと思った。

その気持ちをシーガにもわかってほしい。

「あのさ、僕、話してなかったけど。自分の、その。両親を」
言いかけて、タースは声になっていないことに気付く。
心配そうに見つめるミキーと目が合った。

それを口に出せば同情を買うのかもしれない。
まるで許しを請うような、哀れんで欲しいかのような。
その行為は嫌だった。

話してしまうことで、少しは気が楽になるのかもしれない、そう分かっている自分自身が嫌だった。

「…ううん、やっぱり止めた」
「なんですか」

「皇帝陛下は、その。…僕は、陛下のことが好きだ」

迷った挙句、その言葉に尽きた。
シーガは黙って見つめている。感情を表さない、いつもの青年の顔。

タースは何か悪いことを言っただろうかと考えるが。いや、今までもこんな顔をしていたと思いなおす。

そう、何を考えているのか、全然分からなくて。それが僕は嫌だった。
今、その表情をする青年になぜか淋しい気持ちになる。

「ミキーのことは?」
小さくつぶやいた少女は白い指先をタースの唇に這わせる。拗ねているように見える。
「ミキーの好きと、陛下への好きは違うよ。ごめん、心配させて」
タースが手を伸ばし柔らかな髪に触れる。ちらりと真っ白な耳がのぞく。
「くすぐったいですの」
「ほら、笑ってる方が可愛い」

ふいにミキーはタースにしがみついた。ふわりと甘い香りが漂う。タースは重さを感じさせない少女をそっと抱きしめる。

柔らかくて、温かいわけではないがそれがいっそうはかなさを感じさせる。
守りたいと思う。そばにいたいと心から感じる。

少年のシャツの胸に頬を押し当て、ミキーはじっとしていた。
「ミキー?どうしたの?元気ないよ」
ふいに起き上がると、ミキーはシーガを見上げた。
「シーガ様!タースを助けてほしいですの!」
「…」
黙って、シーガはタースの額に手を当てる。
いつもの、熱を測る仕草だ。
その手は暖かく、タースは目を閉じた。

ああ、陛下もこんなふうにしてくれた。
母さんみたいだ。
あったかいんだ。

安心する。

とくとくと鼓動を感じる。

次へ

「想うものの欠片」最終話 ⑤



次にタースが目覚めた時、静かな小さな部屋で寝かされていた。

やはり衰弱していたのだろう、あの後からまったく記憶がない。窓から見える景色は真っ暗で、室内は小さなランプで照らされていた。荷馬車に乗ったときはまだ陽が高かった。この時間まで正体もなく眠っていたのだと実感する。

腕を頭上に伸ばし、一つ息を吐いてみる。
何か、どこかが以前と違う気もしたが、まだまだ体のあちこちが傷んでいるのだろうと結論付ける。
傍らにユナを感じていた。

「うん、大丈夫だよ」
白いもやもやした彼はゆらりと薄くなったり濃くなったりした。はかない煙のようだ。
タースは何か夢を見たような気がしたけれど、思い出せなかった。
「陛下を、助けなきゃ」
知らずつぶやいて、タースは起き上がった。

質素な木の皮を張ったような壁。天井も同じ素材で編みこんだような模様。はじめてみる建物の様式だった。
こういうものもあるんだと、タースは室内をじっくり見つめた。
タースが横たわっていたのは木で組んだベッドで、布団の代わりに何か乾燥した植物を編んだものが敷かれていた。かすかに植物の乾燥した匂いがする。それは不思議と心地いい。

立ち上がってみる。
体が軽い。
コンコン、と。ノックの音。
少し小さめの扉が開いた。黒衣の青年が立っていた。

「目覚めましたか」
「うん、すごくいい気分だ。もう大丈夫だよ!あの、ここどこ?」
駆け寄るタースに、シーガは壁にかけてあった上着を手に取り、かけてくれた。
「帝都まで半日、というあたりです。ジスタという街だそうです」
「ふうん、あの、皇帝陛下は無事だったのかな。そういう情報とかないのかな」
そのまま部屋を出ようとするタースはシーガに押しとどめられた。

「もう少し休んでいなさい」
「平気だって、治ったよ。ほら、ぜんぜん、前と一緒だ」
そういってタースは胸を張ってみせる。そのままぎゅっと握った拳をシーガの前につきだした。
確かにタースの顔色は随分よくなっていた。
「早く帝都に行くんだ。だってさ、あの時、皇帝陛下の船をティエンザの軍の飛行船が追っていたんだ。クッキーに入れられた毒のことも気になるし。僕にも責任があるんだ」
「…タース、いいからそこに座りなさい」
タースはつまらなそうに口を尖らせた。

「お前は丸二日眠っていたのです。あれだけ心配させておいて、まだ無茶をするつもりですか?許しませんよ、そんなことは。折角休める宿が見つかったのです、感謝して今は体を休めなさい」
「…わかった」
タースは仕方なく、ベッドに戻ると腰をかける。
シーガが、隣に座った。
珍しいことだった。

正面に席を取って食事を取ることは多々あったが、隣に座ったのは初めてではないだろうか。正面より、近い気がした。
しっかりシーガの横顔を眺めた。

まだ、少し身長が違う。ちょうど、タースの眼の高さがシーガの肩だった。以前と同じ漆黒の衣装に変わっていた。

シンプルなものを好むようで上質な黒い長袖の上着は、この蒸し暑い土地の気候を完全に無視していた。暑苦しいかといえばそうではない。

シーガの透き通るような白い肌と涼しげな瞳。無表情で絶対に汗などかかないように見える。だから、周囲の空気が冷たく感じるのかもしれない。

美しい容貌は瞬きをするのが不思議なくらい人間離れしていた。黙って立っていれば人形に見える。もしかして、髭も生えないのかもしれない。

そんなことを考えながら、タースはシーガを見上げていた。
自分より十歳年上。
あまり年齢は意識しなかった。考えてみればトモキさんより年上なんだ。けれど、不思議とトモキに感じたような、頼りたいといった感覚は生まれない。どうしても、シーガとは対等な気分になってしまう。

案外、シーガも子供っぽいところがあるからだよね。

ちらりと睨まれた気がして、タースは肩をすくめた。
そう、最初から、タースはシーガに尊敬は抱かなかった。

それが出会った当初の青年の冷淡な態度に起因することも十分考えられた。
「もう、夢にうなされることはないのですね」
不意にシーガが言った。

「あ、ええと」
夢?

「ユルサナイ」

「!?」

シーガの一言にタースは腰を浮かしかけた。

「隠す必要はありません。私を誰だと思っているんですか」
「…知ってた、の」
「お前ほど、強い思念を持つ人間に出会ったことはありません。あの、ナトレオスの街で、お前がツクスさんのユルギアに同調し、うなされていたあの晩。強く悲しい思念に目が覚めました。ですから、お前の異変に気付いたのです。もともと感情が表に出やすい性格でしょう?自覚はないのですか」
「え…」
宿で倒れた時、幼い頃の記憶をもう一度たどった。

あの晩、シーガはすべて知ったんだ。僕の過去も。あの事件も。
頬が熱くなる。
知られていないと思っていた。

シーガは静かに続けた。


「タース。お前は誰にでも優しい人間でいなさい」

次へ

音の向こうの空 インデックス

       ◆「音の向こうの空」◆

青年オリビエは18歳の音楽家。勤め先は町を治める侯爵家。
18世紀フランス。パリでは革命の足音が聞こえ始めていた。
革命期、歴史の片隅で音楽を奏で続けた青年の物語…

◆第一話:音、空、恋
          
◆第二話:少女、歌、奏で
       
◆第三話:春を待つ鳥
       
◆第四話:思想の騎士、ファリの街
        
◆第五話:切り取られた空
       
◆第六話:エスファンテの青年衛兵
         
◆第七話:教会、疑惑、オルガンの音 
         
◆第八話:葦のように真っ直ぐ
        
◆第九話:女優、そして下心 
       
◆第十話:革命、夜明けのエスファンテ 
       
◆第十一話:飼い犬、つながれた鎖の先
     
◆第十二話:マリアの虚像
     
◆第十三話:夜に浸る空
      
◆第十四話:亡命
      
◆第十五話:夢と希望と、約束
     
◆第十六話:聖なる夜、羊たちの告解
       
◆第十七話:飛びたてるのか
        
◆第十八話:スープに沈む静かなる愛
      
◆第十九話:約束、契約、罠
     
◆第二十話:オリビエの戦い
      
◆第二十一話:ヴィエンヌ・オペラコンクール
       
◆第二十二話:そこから見つめる未来
     
◆第二十三話:強く、強く。
     
◆第二十四話:待ち、願う。
     
◆第二十五話:祖国へ
      
◆第二十六話:故郷を去る者、還る者
       
◆第二十七話:革命の表裏 
       
◆第二十八話:牢獄の天使
       
◆第二十九話:空に羽ばたく
       

執筆に当たって、いろいろなことを勉強しています。一緒に勉強してみる?
◆18世紀フランスはこんな世の中♪その1
◆18世紀フランスはこんな世の中♪その2
◆18世紀フランスはこんな世の中♪その3
◆18世紀フランスはこんな世の中♪資料紹介?
◆18世紀フランスはこんな世の中♪その4
フランス革命のことを知りたい方はこちらへ♪素敵サイト様へのリンクです
new◆フランス革命大解剖

「想うものの欠片」最終話 ⑥



立ち上がっていた。

その、言葉を。
その台詞を。

なんども、心に刻んだそれを。


他人に言って欲しくなかった。



シーガは穏やかに。
笑った。


「そうなりたいと、思ったのでしょう?だから、お前はそこまで真っ直ぐな心をしている」
頬を、いつの間にか涙が伝っていた。

胸のうちの渦巻く感情を言葉にできずにいるタースに、シーガは追い討ちをかけるように立ち上がった。今は薄暗い室内で銀の髪が緩やかに流れ、存在そのものが輝くような青年は黒衣を揺らした。
不自然なそれは、彼の周りに集うユルギアのせいなのか。
それとも、彼自身の力が形となって見えているのか。

「な、にを。…いいたいんだ」
タースの中で、再びあの記憶がよみがえっていた。
血にまみれた地下室。冷たい床に、むせるような匂い。赤い石を宿したノク様の鋭い視線と牙。母さんの、冷たくなった瞳。
真っ白な一面の雪。染みる、赤。
許さない。
ユルサナイ。


「開放される、べきでしょう?」
手を差し出したシーガの表情は、見たこともないくらい優しげに笑っていた。
翡翠の瞳に太陽が降りたように、それは輝いて見える。

温かく、優しい。その手をとれば、心が癒されるのかもしれない。
悲しい記憶も、消してくれるのかもしれない。
あのツクスさんのように。
幸せな笑顔を取り戻すのかもしれない。


けれど。
タースは、首を横に振った。

「僕は。許されてはいけないんだ。僕は、自由になんかなる資格はないんだ。母さんが、いったんだ。だれにでも優しい素敵な男の子に、って。二度と、大切な人を死なせることなんかしちゃいけないんだ。ノク様が言ってる。許さないって。ずっと、ずっと。僕は、許されてはいけないんだ」
シーガは一歩、タースに近づいた。

「もう、十分でしょう?お前は何も悪いことなどしていません。緋石に毒された恨みのユルギアの残像を耳に聞いているだけなのですよ」

「ちがう!ちがうよ!僕は、僕は父さんも、母さんも…殺しちゃったんだ。僕が、自分を許さないんだ。僕の中に、僕を憎む気持ちがあるんだ。それは、ずっと消えない!僕が、僕である限り、許されることはないんだ」

手を伸ばしかけて、シーガは留まった。
小さくため息をつくと視線をそらした。

「仕方ないですね。世話が焼ける。お前は皇帝陛下を助けたい、そうなのですね」
「!そう、そうだよ。僕だけが犯人を知っているし、心配なんだ!死なないって、陛下は言っていた。でも、わかんないよ。すごく苦しんでいたんだ!」

たった一人の理解してくれた人。同じ気持ちを抱えている人だ。

ぽんと。シーガの手がタースの肩をたたいた。
「ほら、座りなさい。状況を説明します」

ふと、肩の力が抜けて。
タースは半分、崩れるように座った。
みしりと適度な弾力の寝台が揺れた。
そっと、涙を手でぬぐった。

「いいですか。この国には新聞もなければ、電報もありません。たとえ帝都で戦争が始まってもこの場所では何も知ることはできません」
タースは頷いた。
「行商のものに聞いた話しか、できませんが」


「数日前、皇帝陛下を乗せた飛行船が帝都の外れに降り立ったとき、皇帝はそれまで通りの元気な姿だったといいます。暗殺未遂の噂はないようです。毒を盛られたものの、何がしかの理由で、大丈夫だったのでしょう。しかし、それからまもなく、ティエンザ軍の飛行船が三機。同じ飛行場に降り立ちました。乗っていた兵士たちは、銃剣を持ち宮廷の周囲を固めています。降り立った中に尊大な様子の白髪の老人がいたといいますから、多分、ガネルでしょう。ティエンザの大司祭ガネルは、自らが神王になろうと画策しているようですし、レスカリアの内情を知っていますからね」
「って、つまり」
「クーデターも何も、今やこの国はティエンザに制圧されたも同様、ということです」
両手の拳を握り締め、タースはガネルを思い出していた。
「助けなきゃ」
「タース、この国には、軍隊はありません。人々はみな、それぞれが信仰という形で神王とつながっていた。領海を守る警備兵はいましたが彼らももとは聖職者でしょう。戦争が出来るような組織はないでしょう」
「それなら、余計に!」
「助けた後、どうしますか」
「どうって…」
「助けに行って、宮廷から連れ出す。その後どうするつもりですか」
シーガの問いはもっともだった。
助けてもらいたいと皇帝が考えるかどうか。それすら怪しい。
シーガも同じ事を思っていた。
「そもそも。タース。現状を皇帝がどう考えているか、わかってもいない。それでもお前は助けに行くというのですか」
タースは唇を噛んだ。
確かに。
ティエンザの飛行船の存在も、陛下はどうしようともしなかった。

「あの人は、穏やかに笑っていた。飛行船が背後から打ち落とされるんじゃないかって言う時だって、平然としていた。もともと、戦争なんかする人じゃない。大公を失って戦争を起こすライトール。ライトール公国に宣戦布告されて国境を封鎖し、軍隊をシモエ教区に送るティエンザ。教会の頂点に立とうとする大司祭ガネル。そんな奴らと同等じゃない」
シーガはじっとタースを見詰めていた。
「陛下は、知ってるんだ。この国の歴史も、世界の歴史をも見てきて。国が滅んでも皇帝がいなくなっても。人々は変わらず生きていく。皇帝がいなくなってもこの国の民は自分で生きていけるんだ。国という枠がなくても。軍隊がなくても」

シーガも頷いた。
「この国の仕組みでも、それは分かります。権利や義務などない。民に強制しない代わりに、皇帝も民に依存されない。緩やかな信頼関係で互いを尊重しているのです。文明として豊かなのかは分かりませんが。人々の心は強く豊かでしょう」

タースは国境の橋。キョウ・カレズに残る話を思い出していた。
国なんてものが、国境なんてものがあるから。
人は縛られている。
あの橋梁に刻まれた言葉は、人は自由であると訴えていたんだ。自分で生き、自分で死んでいく。どちらの国にも属さない橋の上で生涯を終えた男は、それでも幸せだったのだと。訴えているんだ。
あのときに見たタンポポの色を思い出した。

「…陛下のしたいように出来るように。手助けしたい。たとえば、それが、僕の行動を無駄にするようなことでも。僕は、あの人のことが好きだ。とても大切にしてもらったんだ」
は、と。シーガはため息をついた。
「お前は…まったく。それは助けに行くのではありません。素直に会いたいといえばいいでしょう」
「!…そうかも。そうだ、会いたい。うん。あの後どうなったか気になるし。ユナのことも分かったから教えてあげたいし。シーガ。僕、もう一度陛下にお会いしたい。そのために帝都に行くんだ」
そう思うと温かいものが胸にあふれる気がした。
なにをしたいのか。いても立ってもいられないようなこの気持ちをやっと自分で理解できた気がした。
心配だから。世話になったから。
会いたいんだ。

ふとシーガを見る。

シーガを、巻き込むかもしれない。
シデイラは追われるって言っていた。
そんな危険なところで、さらに帝都まで付き合ってもらうのはまずいかもしれない。
会いたいのは僕の勝手な気持ちだ。それに巻き込む必要なんかないし。危ない目にあわせたくない。ミキーにも。


「…」
シーガは黙って見つめていた。
「あ、…あのさ。シーガ、あんたがこの国に来た理由。教えてもらってないよね?」
ぽんと。
額を叩かれた。
「て、なんだよ」

「明朝、帝都に向けて発ちます。寝ておきなさい」
シーガは、以前と同じ無表情のままで。タースがなんだよ、と声をかけても。
何も言わずに部屋を出て行った。
シーガの性格とか、考えていることがわかったような気がしたのに。
この国で再会してから、シーガの態度はよく分からない。

一応、寝台に横になったものの、ざわめく感覚に眠れない。
シーガが自分の過去を知っていたこと。
母さんの言葉を護りたいと考えていたことも、すっかり見抜かれている。

むく。と起き上がると、そっと戸口に近づいた。
シーガたちを巻き込まないためには、一人で行くべきだ。

が。
黒い薄い板だけの扉を押し開こうとすると、がん、と何かに引っかかった。
「…やっぱり」
外から鍵がかけられていた。
見抜かれていた。タースがシーガたちを巻き込みたくないと考えることも、そう考えて一人で出かけようとすることも。だから、閉じ込めている。

「ちぇ」
それは巻き込んでも、いいということだろうか。
明日帝都に向かうといっていた。
シーガたちも一緒に行ってくれるんだ。
嬉しいような。心配なような。複雑な気分だった。
再び寝台に寝転ぶ。
やはりなかなか寝付けなかった。

次へ

18世紀のフランスってこんな世の中①

まだまだ、仕事の忙しさは続いていますが。

そろそろ、新しい作品の準備に取り掛かっていて、資料を読んでいます。

18世紀フランスに似た世界(笑)が舞台。その頃はどんなものを食べ、どんな服を着ていたのかとか。
どんな建物に人々は住んでいたのか。
知りたいことは山ほどあるのに、まだまだ分からないことだらけ。

でも、新しいことを一つ知ると、妄想が膨らんでどきどきしちゃいます♪

世界史に詳しい方には今更、という知識でも、らんららは高校で「世界史」を選択しなかったので、一切勉強したことがないのです。
それこそ中学生レベル。一番苦手だった歴史の授業。それでも、物語を書くためにはがんばれたりするから不思議です。

世の親御さん、お子さんには物語を書かせる、どうです?様々な知識が欲しいと感じれば、自然と勉強するようになるのでは~?

フランスで「学校」、誰にでも等しく学ぶための初等教育が始まったのがどうやら18世紀。
フランス革命より少し前のようです。
宗教改革でプロテスタントが派生したために、カトリックとプロテスタントの双方は信者争奪戦になった。
信者になってもらうにはまず、聖書が読めなくてはいけない。当時の聖書はラテン語。日々はフランス語ともいえないような方言ばかり。生活に関係ない言葉を学ぼうなんて、余裕のある貴族やブルジョアしかいなかった時代です。
貧しい子どもたちに聖書を読ませるため、それが学校の始まりでした。

「子ども」を「大人と違う扱いの必要な存在」として認識されはじめたのもこの時代。親が子どもを学ばせる、学校にやる、という習慣が出来たのもこの時代。
それまでは単なる大人予備軍で、成長し働けさえすればよかったわけです。

それを思うと、現代社会は子どもたちに多くを与え、多くを望む。

それが幸せかどうかは、ま、分かりませんが♪

「想うものの欠片」最終話 ⑦



スレイドが斥候の男と陣営を後にしたのは日が高く昇った時刻だった。
雪こそないものの、日向は溶けた霜柱でぬかるみ足をとられる。日陰は日陰で凍りついたままの岩は氷上を歩くように不安定だ。

まばらに立つ木々と枯れ果てたうす黄色い低木を縫うように二人は登り続けた。

「なんていうか、不思議なお人ですねぇ」
斥候の男がスレイドに対する感想を述べた。この男は土地のもので、このために臨時で雇われたのだといった。

「こんなのにくっついてきても、何の得もないでしょうに」
耳まで隠せる毛皮の帽子を被る男は五十歳くらい、薄い茶色の瞳で面白そうにスレイドを見ている。足元を固め、背後のスレイドに手を差し出した。
「軍隊なんて、性に合わないんでね。あんたと山歩きのほうがましってもんですよ」
くふふ、と斥候は笑う。
「本当に変わったお人だ。じゃあ、特別に、眺めのいい場所を案内しますよ」
「眺めなんて興味はないね、だいたい周囲を見下ろす場所にいることに固執する奴にろくな人間はいないさ」
スレイドの皮肉な言葉は男を楽しませたようだ。

「くふふ、まあそうでしょうね。けど、高い場所に立って、見下ろして。それだけでちょっと自分が偉くなった気がする。それで満足するんですから、人ってのは単純です。昨日もムハジク候は振り返っては嬉しそうでしたよ、ここまで来たのか、登ったのかってね」
スレイドも目を細めた。
山に住み、そこに生きるこの男にとって下界の人間が遊びで登っては感動する姿がこっけいに思えるのだろう。
「あいにく、私には山登りの趣味はわからんし、後ろを振り返って自尊心を満足させる趣味もない。登ったら降りなきゃならないしね」

「なるほど!スレイドさん、あんた気に入りました。ええ、降りなきゃならない。どんな山に登ってもね。私はドニといいます。ふもとの村で普段は教師をしています」
初老の男性は歩くうちに隠された帽子の下の表情を見せた。雪に焼けたのだろうか褐色の肌にしみこんだシワは男の年齢以上の人生を思わせる。

「教師ねぇ、ってことは、教会の司祭もかねているんでしょう。それがまた、何でガイドなんか?」
「軍は安く雇おうと子供を捜すんですよ、それじゃ、子供らが可哀想でね。この時期はわずかですが作物が取れる時期です。暖かいんですよ、一年を通じてみれば。だから、今手伝いを失うのはどの家も困る。私はそういう家庭ではないんでね。ま、ボランティアです」

二人は見晴らしのいい尾根で岩場の影に腰を下ろした。
ドニが腰の水袋を外し、スレイドに渡した。一口水をもらう。

時折、木々の枝に積もった雪が日差しに溶け落ちる。ざざ、と下草を揺らすその音だけが響く。それは枯れた草を揺らし、砕けた雪がはじかれ小さな破片を空中に振りまく。風にあおられ少しばかり頬にかかる。
体の中はすっかり温まっているから、それは心地いい。
スレイドは思い出したように、たずねてみた。
「あんたは、シモエ教区に務めたことがありますか」
男は、水の入った皮袋を受け取ると苦い表情をした。
「ええ、まあ。けど十年前に辞めましたよ」

ポツリと男の肩に溶けた雫が落ちる。革の上着にしみこんで印をつけた。
男はじっと眼下を見下ろす。
シモエ教区のレンガの建物が、遠く雪に埋もれていた。つららがきらりと光っている。
建物を囲むように鉄条網が張られ、今はその中に見慣れないテントが並んでいた。
「以前はただの雪原だった」
ポツリとスレイドがもらす。
「来たことがあるんですか?」
ドニは驚いてスレイド方に体を向けた。
「野暮用でね。十年前までいたんでしょう?混血児の噂は、聞いたことがないですかね」

十年前までの記録は探ってみたものの、タースの出生の事実は残されていなかった。それをふと思い出したのだ。
記録に残らずとも、本当に混血児が生まれたなら、人の記憶には残っているはずだ。たとえ噂話でも、印象に残るだろう。

ドニは肩を落とした。
「…さあ、聞いたことはないですよ」
「どうして十年前に辞めたんだ、村の教会より手当てはよかっただろう?」
「…十年前の事件、ですよ」
「ケモノが保護施設内で暴れて大勢が亡くなった、それのために辞したのか?不自然だな」
ドニは黙り込んだ。
「ま、いいんですがね。知り合いに混血児がいるんで」
わざと軽い口調にしたスレイドのそれに、見事にドニは反応した。

「あいつ、生きているんですか!」

「…タースという」
スレイドにじろりと睨まれ、男は観念したように視線をそらした。

「今更、何の責を問うでもない。ただ、興味でね、知りたいのさ」
「…私が、招集されたのは、ある夜のことです」
ドニは、足元の雪に枝切れで円を描きながら話し出した。

次へ

「想うものの欠片」最終話 ⑧



その日は非番で、昼間は地元の村にいて、夕方になってから施設に戻った。
珍しく風のない静かな夕方だった。
宿舎に戻ろうとしたところ、慌てた様子の仲間に呼び止められ、急遽そのままの服装で狩りに参加させられた。

狩りの標的は、大きな化け物狐だという。化け物狐はシデイラの連中が何か狐に細工して化け物にしたんだと。数十名のシデイラと、ライトール人が五名ほど犠牲になったという。
ライフルを手に、狐を追った。
仲間の銃に撃たれ、狐はシモエ教区の雪原を走り回っていた。もともと鉄条網で囲まれた地区。ドニたちは三人で雪に残る狐の足跡から追い詰めた。

狐は、通りがかった子供をくわえて、それと共に柵の外に飛び出した。
化け物狐が外に出れば、ふもとの村々に被害が出る。
ドニたちは懸命に狐を撃った。
狐は鉄条網の外で息絶え、そばにいた子供は、わけも分からず泣き叫んでいた。
その子どもは、黒い髪をした、シデイラ。両親の遺体は施設内で発見された。二人とも混血が生まれた年に、すでに記録では病死したことにされていた。

混血の子供はシデイラたちからも『黒のシデイラ』と蔑まれ、施設から追放されていた。

「で、その子供は、鉄条網の外に置き去りにされて、一人山を降りたわけですか」
スレイドは帽子を取り、ぐしゃぐしゃになった前髪を整え、もう一度被りなおした。
事件と関わっていたとは知らなかったが、予想の範囲内。タースはやはりここシモエ教区で生まれ、疎まれ、追い出された。
それだけのことだ。
それにしても。黒のシデイラ、嫌な呼称だ。

ドニは、考え込んでいる様子のスレイドに、さらに話した。
「それだけでは、ないんですよ」
「え?」
「私はここから一番近い村に住んでいます。その村に、その子供が現れた」
「…まあ、幼い子供にしては、出来すぎているが。そうでなければ生き残れない」
スレイドは現実にタースが生きていることを思えば、自力で下山したのだと納得せざるを得ない。


「…あの後、怪我をして彷徨っていたその子を村の女が見つけて、保護したんですよ。見てくれは普通の子供。混血の存在は隠されていたので、私が事件の後始末を終えて村に帰ったときにはすっかり村人に可愛がられていたんです」
「…」

「驚きましたよ。しかし、正体を明かすわけにも行かなかった。いい子でね、見かけも可愛らしかった。子のない夫婦が引き取ると言い出して、そこの養子にするというんです。
ちょうど、私には彼と同じ年の息子がいましてね、なぜが二人は馬が合うのか、仲良しになった。私が聖職者ということもあり妻も可哀想な身の上の少年に同情していた。
しかし、私は息子にも妻にも、タースの正体を話すことが出来なかった。本当に、いい子だった。優しくて、どちらかといえば一人っ子のために我侭に育った息子をたしなめたり、本気で喧嘩したり。息子はタースを親友と呼び始め、私は恐ろしくなった。いずれ、タースはきっと正体を現す。普通でないことをする」

そこでドニは小さく息を吐いた。
「私は、待っていたのかもしれない、あの子が普通でないことを見せるのを。追い出そうと、そう、常に追い出そうと考えていた。一年、たとうとしていました。その年はやけに春が遅くて、山の生き物も冬眠から起き出して餌を求めて村にまで下りてくるほどでした。あるとき、熊が一頭迷い込みましてね。それが、ちょうど、タースが息子と雪遊びをしている牧場のほうに向かっているという話を聞いたんです。私は、先回りし、息子だけを呼び戻しました」

スレイドは眉をしかめた。

「私は、タースにそこで待つようにと命じて、息子だけ家に帰したんです」
「…あんたの、告白を聞きたいわけじゃない」
スレイドはつまらなそうに立ち上がった。
タースが善良なのは知っている。その生まれのために複雑な人生を生きてきたのは想像できる。だからなんだという。それがあの少年の運命でありもって生まれたものだ。誰にも変える事はできない。疎まれて生まれた、その結果はスレイド自身も経験のあることだ。同情などしない。

タースが巻き込んできた多くの物事、人々、結果的に世界は悪いほうへと進んだ。タースが意図したことではない。だが。混血が存在することが間違っている。スレイドはそう考えている。黒のシデイラ。その言葉が男の脳裏に焼きついていた。
ドニの告白になど興味はない。


「何があったかは知らないが、結局タースは生き延び、あんたは良心の呵責を抱え。今、私に打ち明けて楽になろうなんて考えている。その義理は、ないですね」
「そうだ。私は、殺すつもりだった!あんないい子を、殺そうとしたんだ。だが、あの子は、熊が襲いかかろうと立ち上がると同時に、何か別のものになった」
「…別のもの?」
先に歩き出そうとしていたスレイドは立ち止まる。

タースがどんなものなのか。まだ、何か計り知れないものを持っている気がしていたのだ。
第一、五歳に満たない子供が怪我を負い、一人きりで下山できただけでも奇跡だ。だとすれば、タースの生い立ちで今まで無事だったことも、シーガと同じくらい不自然な神の加護を感じるのだ。

「別のものとはなんだ」
「あの子は、熊を見て、逃げ出そうとした。だが、新雪の積もる牧場。すぐに足をとられて転んだ。熊が走り寄る、私は熊が噛み付くのを見届けてから助けに行こうと、そう決めていた。だが、熊は飛び掛る寸前で躊躇した。立ち止まると後ろ足で立ち上がった。そのときにはタースも立ち上がっていた。あの子の表情は人形のようで、瞳は赤く、気味の悪いくらい赤く輝いていたんだ。なぜか熊はおびえた。熊が威嚇をとき、四足に戻って逃げようとしたとき、タースは小さい手で、そう、まるで熊のようにぶんと手を振り下ろした。

熊は、ぎゃうと叫んで、その瞬間に走り出したが、その背からは派手に血を流していた。子供の手だ、とても熊に届く距離ではなかった。それなのに、熊は深手を負って山に逃げ帰った。タースは、呆然としている私を振り返り、それから一人で山のほうへと歩き出した。

私は、呼び止められなかった。
あれは、何が人間でないものだった。

普段のタースとは違った。何か、そう、悪いユルギアに取り付かれたみたいに、恐ろしい生き物になっていた」

「…何かに、護られていたということか」
「…たぶん、あの時の狐だ。化け物狐も赤い目をしていた。鉄条網の外で止めを刺した時、あの狐はタースに擦り寄っていた。タースは狐の血の涙を額に受け、血まみれになったまま泣いていた」
スレイドは顎に手を当て考え込んでいた。

タースの涙、化け物狐のユルギア。タースの涙がルリアイに変わっていたのなら、ユルギアがとり憑くことも考えられる。

それがあったから、タースは生き延びている。普段の優しい物腰や生真面目すぎる素直さからは想像もつかないほど、すばやい動きを見せたことがあった。ポケットからカギをすられた時もそうだった。
その二面性が、化け物狐に関連しているのかもしれない。

タースの中に化け物がいる。
スレイドは、男の肩に手を置いた。

「…私は、その化け物が、我らを恨むシデイラの思念の塊だと聞いています」
ドニは改めてスレイドを見つめていた。
「あなたは、一体?」
「もとは、聖女にお仕えした身だ。今は故あって軍人だがね」
ドニはスレイドの表情に何を想ったのか、深く礼をした。
身分が上のものにする、礼儀だ。

「いらんね。なるほどな、凝り固まった恨みを身のうちに抱え、タースは自覚もなく生き続けているわけだ。…なんだあの黒い雲は」
もう一度シモエ教区を見ようと見渡したスレイドの視界に、否応なくその雲は目立った。
晴天の空のはるか南に灰色の波が押し寄せるかのような雲の一群。
気付けば、風向きが変わっている。湿り気を帯びた、薄気味悪い風。
「あ、こりゃ、天気が崩れます。おかしいな、こんな方角から生ぬるい風が吹くなんて」
ドニが眉をひそめスレイドと同じ雲を見る。
ふとドニが首をかしげた。

「ありゃ、…飛行船じゃないですか」


黒い雲の波から逃れるように、白い楕円のものが飛び出す。
楕円の腹には赤いティエンザの紋章。
「ティエンザの軍機だな…ここに来るのか…」
スレイドは眼下の鉄条網のはずれにある採掘場を眺めた。

自動車を通す余裕がないと思ったのか。飛行船で、石を運ぶのか。急がなくてはならない事情があったか。ライトールの進攻のために早まったのか。

「…まずいな。私は採掘場に近づいてみる。あんたは、状況だけ報告しにもどれ。もともと、ボランティアなんだ、危険なことをする必要などない」
ドニはすでに足を速めるスレイドに怒鳴った。
「待ってください!私も行きますよ!」
走り出しかけ、ドニは歩を止めた。五メートル先の黒尽くめの男は、こちらに銃を向けていた。
「!?何を!」
「来なくていい、あんたは気になっていたんだろ。シモエ教区が。タースは無事だったし、今も元気だ。あんたは何にも悪いことなんかしてない。いや、一つだけ」
スレイドは銃を懐にしまいコートの襟を寄せた。
「タースは、その時殺しておくべきだった。それだけがあんたの失敗さ」
ふわりと身軽に降り始めるスレイドに、ドニは言葉を返せなかった。

次へ

「想うものの欠片」最終話 ⑨



その日は、レスカリア帝国を揺るがした海底火山の噴火から数日が経過していた。

相変わらず、帝国の北西沖には白い煙を吐き続ける火山があり、水蒸気と思われるその煙が川のように流れる。空は二つに分けられたかのようだ。
水温は上昇し、津波とあわせ沿岸の被害は相当なものだった。
それに対して、帝国政府は教会を通じて各地から物資を送る。それらの仕事は家を失った村の女たちが担当していた。男たちは船や家、畑の復興に励む。

そんな物資を輸送する荷馬車が、日に何度も町の中央の通りを横切る。公園の噴水で馬が水を飲み、操る女たちも休憩していた。


タースたちは荷物の積み下ろしを手伝うことを条件に、その一つが帰りにこの町に寄ったとき、帝都まで乗せてもらうことになった。宿を提供してくれた家の主人が、知り合いの女性に頼んでくれたのだ。

宿を提供してくれたマイリー家は、その街の外れにある農家だった。庭にヤギとウサギ、鶏が飼われている。タースが寝ていた部屋は、離れに作られた作業小屋の一画だった。麦畑の収穫の時期に手伝いの人を頼む。そのための宿泊場所だった。
農家の朝は早い。

鶏が鳴く声で目覚めたミキーが、様子を見にタースの部屋に入ろうとし、鍵が開かないですのと騒いで。タースはそれで目覚めた。

謝礼代わりにタースが薪割りと炊事を手伝い、器用な手先で馬車の車輪の不具合を調整した。ついでに、壊れかけた玄翁やさび付いたナイフを研いだり直したりしたので随分重宝された。
そうなると、ミキーやシーガはただ、見ているだけだ。

水くらいは運べるとシーガが申し出たものの、紅茶色に日焼けした奥さんは彼の腕を見て、笑った。
「あんたみたいな細っこい異国人は初めてだよ。それより、あのお嬢ちゃんの面倒を見てくれればいいよ。あの子がふらふらすると男どもは仕事が手につかなくてねぇ」
そう言って背を何度も叩く。なれなれしい様子は国民性なのか。
普段、人に冗談でも触れられることのないシーガはその度に妙な顔をしていた。

ミキーはその家で飼われているヤギの世話を買って出たが、可愛らしい少女の手が汚れるとか、危ないとか、見ていた家の主人マイリーとその息子が何かと先回りして手伝う。

結局、ミキーがやることは何一つない。それでも少女が面白そうにヤギを眺めるので、今や、マイリー親子はそこに張り付きっぱなしだった。

「申し訳ないです、役に立つか分かりませんが、受け取っていただきたいのですが」
シーガが取り出す銀貨に、奥さんは嬉しそうに受け取った。
「きれいだねぇ、これ、穴を開けて首にかけようかね」
ライトール公国で一月分のパンが買える銀貨は、彼女にとってその程度の価値しかないようだった。

昼前に荷馬車が到着したので、マイリーさんたちに別れを告げ、三人は再び狭い荷台に身を寄せる。
質素なレンガ造りの家々が遠ざかると、はるか向こうまで見通せる丘陵地を荷馬車はゆっくり進んでいく。

昼の日差しに幌の影も透ける。赤土の道路をガラガラと進み、過ぎ去っていく景色をタースはミキーと供に眺めた。
土の赤、木々の暑苦しいほどの緑。空の青は強烈で、日差しがじりじりと三人を蒸す。
極彩色のこってりした油絵のような風景。
タースは膝を抱えて眺めていた。
眠れなかったためか、また、うとうとし。



気づいた時には、景色は違うものになっていた。
馬車が止まる。

「はい、ここが、我が国の中心。帝都、タシキモーニですよ」
声をかけられ、顔を上げる。
シーガはあの変な黒いガラスの眼鏡をかけ、帽子を目深にかぶった。
ミキーも日差しを避けるためなのか、ただ単に、新しい帽子をかぶりたいのか、荷物から引っ張り出した白いレースの帽子をかぶると、はみ出した髪を整える。
「んー、よし!!」
伸びをして。
タースは一番にその街、タシキモーニに降り立った。

この都市はこの国のもっとも高い位置にある。
立つだけで日差しの鋭さに石畳に押し付けられるような圧迫感を受ける。それでいて、気温は低いのだろうか。港の街とは比べ物にならないほど、澄んだ空気。風は強いが、乾燥していて心地よい。
そして何より、タースの降り立った広場から、遠く海までが一望できた。
広場は、都市を囲う城壁の上に設けられている。城壁は街を囲むようにぐるりと渡され、そこは人々が生活に使う通路だ。馬や牛、人や馬車が行き交っていた。城壁の外側に張り出した広場は、石造りの手すりがめぐり、タースはそこにもたれて眺める。
この国を。

想像以上に小さい島国だった。ぐるりと見回せば、海の中の島なのだとわかる。人々は空と海の青に囲まれそれを実感して生きている。
遠く、火山の煙が見える。この風景が絵画なら、片隅のシミのようなそれが、あの港だ。
港町の記憶はタースにはほとんどないが。シーガはそれをじっと、感慨深そうに眺めていた。ミキーもじっと見て、やっぱりないですの、とつぶやいた。
「なにが?」
「のせてくださった船です。大きくて、荷物をたくさん積んでいました」
「ふうん。そうか。船、だよね。そうだ。なんだ、僕、そんなことも気付かなかった。シーガたち、船で着たんだね。いつ来たの?それに、…どうして、来たの」
タースの質問はシーガにむけられている。
青年はふいと向きをかえ、歩き出す。
「ちょっと、あのさ、何で教えてくれないんだよ!」
追いかけるが、ミキーが待ってと引っ張るので、すぐに追いつけない。
「ね、ミキー、知ってる?どうして、レスカリアに来たの?何かあったのか?」
ミキーはタースの腕にしっかりしがみついて、甘えるようにすり寄る。
「タースに会いたかったですの」
「あ、うん」
タースが知りたいのはシーガの理由だったが。
ミキーの言葉も嬉しいから、柔らかい手を握り締めた。

次へ

「想うものの欠片」最終話 ⑩

10

城壁はそのまま、皇帝の宮殿へと続いている。上から街の人々を眺めながら、タースはシーガから数歩後ろを歩く。
前を歩く青年は、無表情。黙ったまま、とにかく宮殿へとまっすぐ向かっていく。
何故教えてくれないのか。
はあと苛立たしげにため息を吐き出して、タースは首をぽりぽりとかいた。
「そういう性格だけどさ。わかってるけど」
つぶやく声もシーガには聞こえているはずなのだ。

宮殿前の広場は、閑散としていた。
都市の何処を見ても、大勢の人がいたのにそこだけは忘れられたかのようだとタースは思う。
もちろん、宮殿への入り口に当たる正面は巨大な石の門と鋳物の柵がある。オトナの身長の二倍以上ある柱ごとに、ぐるりと軍兵が立っていた。
ちょうど、小さい子供が興味深そうに近寄り、その母親ともども、追い払われたところだった。

人がいない理由が、そこで分かった。
タースと目が合うと、軍兵の一人が肩に背負った銃剣を鳴らしながら近づいてきた。
ティエンザ人だ。この国の人ではない。
「おい、お前ら、何処から来た?ライトール人か?」
「あの、僕…」
「!?あああああ~!!お前はっ!」
言い終わらないうちに軍兵が皮の手甲をした腕を突き出すので、タースは反射的にかがんでよけた。
むと睨まれ、さらに数歩、下がる。

「なんだよ、ってあれ?」
この軍兵、どこかで見たことがある。


「お尋ね者!」
軍兵が叫んだ時には、タースはすでにシーガとミキーの手を引いて、走っていた。
「なんです!?タースっ!」
「きゃはは!タース早いですの♪」
タースにしがみついて振り落とされないように肩にぶら下がるミキーは楽しそうに笑った。
「あれ、あの兵たち。ティエンザの博物館で僕を追いかけた奴らだ!」



息を切らして、三人は城壁から人ごみの市場へと駆け込む。
並んだテントと、ひしめく人並みで三人は何とか逃げ切った。

「は、まいった」
「ガネルが来ていることが確実になりましたね」
「タース、これ、もらったですの」
人ごみを歩いている間に、ミキーは呼び止められいつの間にか果物を手にして戻ってきた。
赤い熟れたパパイヤだ。
ふわりと甘い香りがした。
傾きだした陽に、狭い路地の市場はランプが灯され始めている。
「とにかく、宿を探しましょう」
「うん」
「あ、そうです、ミキー、それを」
少女からパパイヤを受け取ると、シーガは二人をそこに待たせ人ごみに消える。
青年の後姿、市場のテント、ランプに照らされる町並み、並ぶ窓辺。順に見回す。

街には市場の露店以外、常設の商店らしきものは見当たらなかった。
広場を囲むこの界隈もほとんどが共同住宅のようで、この時間、窓から向かいの窓に渡したロープから取り込まれる洗濯物の影がちらほら揺れる。じっと暗がりに目を凝らすと、たくさんのロープが渡されていて、まるで横断幕を掲げたライトール公国の首都のようだった。建国記念日のパレードを思い出した。

タースとミキーは人ごみから離れ、露店の裏側のアパルトメントの壁際に立った。
薄い黄色いレンガを積んだ建物は、昔ながらの建築技術だとタースは話す。
「空気が乾燥しているんだ、だから、この石でも強度が保てるんだな」
「きょうど?」
ミキーがタースの真似をして、脇の家の壁面をついと人差し指でなでてみる。
「あ!」
指先がうす黄色く汚れた。
「なにやってるんだよ、ミキー。ほら。貸して」
タースがぽんぽんと軽くミキーの指先をはたく。絹の白にそれは小さいしみになった。
「きょうどってなんですの」
「建物を支えられる力のことだよ。ほら、ミキーが触ったくらいで石の粉がついただろう?これ、きっと風と雨とで、風化が始まっているんだ。でも、乾燥しているから、石の中の微細な空洞に水分が入り込まない。中からカビが生えたりひび割れたりはしないんだ」
「もろい石で出来ているというのですか」
シーガだった。手に深紅の薄い羅紗をかけている。
シーガが口を挟むことは珍しかった。
いつもタースが建物の歴史や構造を語っても、一切興味を示さなかった。
なんとなく嬉しくなって、タースはにっこり笑う。
「そうだよ、このレンガは低温で焼き固めてあるだけだから、もろいんだ。ティエンザやライトールにある建物のレンガは、もっと高温で焼き締めてあるんだ。そうだね、この間の地震みたいなのが起こったら、かなり崩れると思うよ」
そういいながら、タースは見上げた。
が、視界が赤い。
「なに?」
シーガが、手に持っていた深紅の生地を頭からかぶせていた。
それはすごく長い生地で、そのまま肩から、腰、すっぽりと全身を覆った。
まるで、そう。
道行くレスカリアの女性たちのようだ。
「お前はこれを着ていなさい。黙って大人しくしているのです」
「なんだよ、これ!平気だよ、自分だって追われる身の癖に!」
「タース、お化粧しますの?」
ミキーは嬉しそうだ。
「しない、しないよそんなの」
「え~」ミキーは布を取ろうとするタースの手にしがみつく。
「ほら、行きましょう。タース、この国に宿はないのです」

次へ

「想うものの欠片」最終話⑪

11

「え?」
そんなこと、初めて聞いた。
「だって、じゃ、旅の人はどうするんだよ」
「教会が無料で寝所を提供するのだそうです。無料、というか。そういう概念もありませんが。タース、気付きませんか。この市場の取引はすべて物々交換です。あとは、マイリーさんがお前にくれた木の札。あれが通貨の変わりに物と交換できるのだそうですよ」
タースは、手に持っていた麻の袋をからりと揺らした。
馬車の車輪を直した時に、マイリーさんがお礼だといって渡してくれた。何の意味があるものか分からなかったけれど、いらないともいえず、とりあえずもらっておいたのだ。
「あ、なるほど。宗教の国らしいね、そういうところ。ラッキーだね、ただなんだ」
「そうともいえないのですよ」
「なんで?」
「この街の教会とは、宮殿のことです。だから。お前は、変装が必要なんですよ」

タースはがっくりとうなだれた。

ふいに、シーガが立ち止まる。
肩にぶつかりそうになって、タースは視界を遮る深紅の羅紗をかき上げた。
「なに突っ立ってるの?」
シーガはどこか遠くを見て、そして不意に二人を振り返る。
「!?」
「来なさい!」叫ぶと同時にミキーを抱き上げた。
「え?」
タースの手を引き、市場の真ん中の噴水に向かって駆け出した。
「シーガ、なに!?」

ぐらりと。地面が揺れる。
「地震!?」
びりびりと空気がゆれ、ピシっと何かが聞こえる。
人々の悲鳴。
シーガに押さえられ、池の縁に寄り添うように身をかがめたタースの目の前で、足元の石畳がひび割れる。
「わ!」
立ち上がりかけてまた頭を押さえつけられた。
「動いてはいけません!」
がしゃん、と陶器の割れる音、みしみしとテントを支える木柱がゆれ、傾いたランプは炎をまとって落ちる。悲鳴。
ドンと。地響きと共に崩れた建物が人々の上に覆いかぶさった。
一瞬にして目の前は黄色い砂煙。
あのレンガが衝撃で粉々になったのだ。
そこにランプの炎が埋もれ、ボスン、と小さな爆発が起こる。


タースは抱えた膝の間から、そっと。

顔を上げた。

うめき声。助けを求め、叫び、すすり泣く。
うわーと火がついたような子供の泣き声。

靄がかかったような中、向こうでテントの屋根に燃え移った炎がぼんやり辺りを照らしていた。

見回すと、シーガが頭を振った脇で、座り込んでいるミキーが恐る恐る顔を覆っていた手を離したところだ。
「大丈夫?」
「ええ、お前こそ、平気ですか」
「うん。ミキー、ほら、おいで」
タースが手を伸ばすと、少女はふわりとしがみつく。
「怖かったの?」
タースの腕の中で大人しく頷く少女に、シーガは目を細めた。
いつの間にか、本当に人間に似てきている。
「よく分かったね、シーガ。シーガのおかげだよ、でなきゃ、僕らはあの下にいた」
タースはミキーを抱きしめたまま立ち上がり、崩れた瓦礫を見つめた。
「海が震源でしょう。また噴火かもしれません。魚たちの悲鳴が、聞こえたのです」
「ふうん。すごいな。シーガも陛下みたいだ。たくさんの生き物の想いが聞こえるんだ。羨ましいな」
シーガは目を丸くしていた。
「あ、なんだよ。変な事言ったかな。だってさ、人の思念だけじゃなくて、すべての生き物の声を聞くんだろ?それ、ものすごいことだよね。一つ一つ想いがこもっているものだからさ、それを受け止めるのは大変だけど、逆にたくさんの想いを救えるって事だよね」
「…ばかですね」
「は?」
「さ、手伝いましょう。お前も応急処置くらい出来るでしょう?ミキー、タースを手伝ってあげなさい」
シーガは、気を失った子供を介抱する母親に近づいていった。
首をかしげながら、タースも見回して、瓦礫に足を挟まれた老人を見つけた。
「ミキー、誰にも触っちゃだめだよ」
「はい」



タースも、シーガも。出来るだけ多くの人を助けようと奔走した。
レスカリアの民は折れた足を棒切れで固定するタースを、目を丸くしてみていた。
深紅の羅紗はちょうどいい包帯に変わった。
あちらで切り傷に酒を吹き、固く布で巻くシーガ。
大半が、骨折や打撲などの怪我だ。大勢が怪我をしたものの、津波に飲まれた街の教会ほど惨憺たる状況ではなかった。
建物も二割程度が崩れただけで、他は問題がないように見えた。
「はい、これでじっとしてるしかないよ」
タースが折れた足を固定して、呆然と見ている父親に笑いかけた。
「外傷はないから、ほら、こうして固定しておけば歩けるようになるよ。お父さんでしょ?教会へ避難させてあげたら?」
「あ、ああ?あんたたち」
「以前勤めていた工場でね、習ったんだ。機械を扱う工場だったから、こういう怪我をする人が多いんだよ」
痛みにぐったりしている小さな男の子を抱き上げて、父親に渡してやる。
「あ、待って、その人、運ぶ前に止血するよ」
タースは次のけが人に駆け寄る。
運ぼうとしていた男は、驚いていたが、タースが処置を始めると感心したように見つめていた。

周囲にいるけが人の大半を手当てし、手当てを終えたものから歩ける男たちが背負って教会へ運ぶ。
「あんたたち、すごいな」
一人の若者がタースに話しかけた。タースより少しだけ年上のようだ。
先ほど若者の妹の骨折にあて木をしたのだった。
「ううん、自己流の応急手当だからね。この子のほうがすごいよ」
タースは横に立つミキーの頭をなでた。
ミキーは一通りの処置を心得ていて、タースが迷うようなけが人も、的確な指示を出してくれたのだ。
「シーガさまのためにお勉強したですの」
「うん、偉いよミキー。ますます大好き」
ぎゅっと抱き寄せられて少女はきゃと小さく声を上げた。
「え?」
「びっくりしたですの」
照れたような表情をするミキー。タースは少女の変化に気付いた。
「あれ?何、恥かしいの?」
「よく、わからないですの!」
つんと顔を背けて、肩に乗るタースの腕をはがそうとする。
柔らかい手でそれは無駄なのに、うんうんとがんばるのがどうにも可愛い。
ひょいと抱き上げると、ミキーはぱたぱたと脚を振って暴れた。
「タース、意地悪ですの!」
「なんで、なんで?いつもしてたのに。いつもそんなに恥かしがらなかっただろ?」
「タースぅ!」
いちゃつく二人に呆然とする若者に、シーガはため息混じりに話しかける。
「あれは放っておいてください。みっともない。私たちがしたことは簡単なことです。君も見て、大抵意味がわかったでしょう?」
「あ、はい」
暗がりでも、青年の肌が白いこと、その髪が銀色に輝き、美しい瞳が優しいことが若者の胸を打っていた。

「君が覚えたことを、他の人にも教えてあげなさい。私たち二人で出来ることは少ないですが、君が大勢に教えれば、その分たくさんの人が助かりますよ」
「は、はい!すごい、あなた、神様みたいだ!」
びくりと、シーガは肩を震わせた。
若者の声に、数人の人々が顔を上げた。
瓦礫の中、あちこちに座り込んでいた人々も、けが人を背負って教会へと運ぶ男たちも。広場の瓦礫の野に立つ黒衣の青年を見つめた。

「銀の髪、それに翡翠の瞳!神王様の血筋のかたなんですね!本当に、神様だ」
若者がその場に片膝をついて、礼をする。
「な、なにを…」
ふわりと風が吹く。
いつの間にか帽子は失っていて、銀の髪がなびいた。
「ありがとうございます」
嬉しそうに満面の笑みの若者。その向こうでも、一人、動けず座り込んでいる女性が頭を垂れた。
「ありがとうございます」
背後の声に振り向くと。
その場にいた大勢が、シーガに向かって祈りを捧げていた。
「ち、違います!私は神ではありません」
「シデイラの民は、神の民。遠い過去、そう呼ばれてきたのですよ。あなたもご存知でしょう」

聞き覚えのある声だった。

「シーガ!」
タースが駆け寄ろうとして、両脇から軍兵に押さえ込まれた。
数人の黒衣の兵に護られるようにして、ティエンザの大司祭、ガネルが立っていた。
「皆のもの!この方は神にも等しきお方!感謝するがよい」
老人の声は、よく通り、人々は再び深く頭を下げる。

「放せってば!」
タースはもがいて暴れるが、両脇を軍兵に抱えられては身動きが取れない。
「やっと捕まえたぜ、賞金首。お前のせいで俺たちは酒を弁償したんだ」
「それは勝手にやったんだろ?知らないよ!」
ごつっと小突かれ、タースは軽く舌をかんで、黙った。
「さ、シーガさま、陛下がお待ちです」
にやりと。白髪の老人は目を細める。
ミキーはいつの間にか軍兵をすり抜け、シーガの脇にしがみついていた。
向こうへと連れられていくタース。
シーガは小さくため息をつき、歩き出した。

次へ

18世紀フランスってこんな世の中②

ただ今がんばって執筆中です♪

今日はらんららの参考図書のお話。

『フランス革命史』ジュール・ミシュレ著

ミシュレさんは実際にフランス革命期に生まれた方です。パリの印刷工の息子として。貧しい中、一族の期待を背負って学校に入り、二十一で文学博士となった人物。
もともとが貧しい家庭で育っていたからこそ、そこに生きていた普通の人々にとって、フランス革命の時代とはどんなものだったのか、が生き生きと語られるのです。

らんららの知りたいのもそこにありますからね。

「パレ=ロワイヤルで、市役所でおこったことは知られている。しかし、人民の家の炉辺でおこったこと、それこそを知らねばならぬ」とミシュレさんは語ります。

「炉辺で、めいめいの人民が心の中で過去に対して最後の審判を下したのだ。…中略…強い男たち、我慢強い男たち、いままであんなにおとなしかったきみたちは、この日、神の怒りの一撃を打ちおろそうとしている。きみたち以外にたよる者もない家族の姿を見ても、君たちの心はくじけはしなかった。それどころか、眠れる子どもたちをもう一度眺めると、この日こそこの子どもたちの運命を決する日だと君たちの思いは高まり、この揺り篭から巣立つべき自由な世代の子どもたちを抱きしめた。」(『フランス革命史上巻』より抜粋)

そうして、パリの男たちはバスチーユへと向かった。
たいした武器など持たず、ただひたすら。

その市民に銃を向け、殺戮を続けることをフランスの衛兵は拒んだ。結果、バスチーユは陥落する。

人間味に満ちた物語が歴史の中には内包されていて。
知れば知るほどドキドキするし、逆にね、安易な気持ちで描けなくなる。

らんららが書こうとしている物語には、革命は世の中の動きとして主人公に影響してきます。でも、描きたい主題が違うので、実際の地名も、人名もぼかして描く予定です。
パリ⇒ファリとか。
オーストリア⇒アウスタリアとか。(笑
人物も、あ、これはもしやこの人?と気付いてくれてもいいし、気付かなくても楽しめるようにするつもり。
どちらにしろ、あんまり有名な人は描かないです。
それは、歴史家とその時代に実際に生きた人たちへの敬意です。

「想うものの欠片」最終話⑫

12
宮殿内の一画にシーガは連れてこられた。
部屋では侍従らしい女性が二人、シーガを恭しく迎えた。

大理石の浴槽に、沸かした湯を何度も運びいれ、女たちが準備を整えるとシーガは体を洗う。用意された服を身につけた。
絹のシャツ、刺繍で飾られた上着は丈が長く、腿の半分まで隠す。大仰な袖は折り返され、カフスには宝石のボタン。
ひざ下までの柔らかい革のブーツに、ズボン。
白と金、海の青と夕日の黄色が肩と裾を飾る。
それが自分の容姿に随分似合うことに鏡を見て気付く。
「この衣装は?」
見とれていた侍従は、慌てて視線を床に落とした。
「フィメイア陛下のものとしてお造り申し上げたものです。まだ、袖を通されていないものでございます」
「…皇帝陛下は、どうされている?私に、何故このようなものを着せるのですか」
侍従は困ったように、黙り込んだ。
「知らないですね、そう。仕方ない」



がちがちだ。
そこまで、固く縛らなくても、というくらいタースはきっちり手首を縛られていた。そのつながれた先を引くティエンザの軍兵は、まだ酒がどうのと愚痴をこぼし、タースに八つ当たりする。
宮殿の地下へと進んでいる。
どうせ、地下牢とかってのだろう。タースは建物を値踏みしながらその造りがライト公領にあった旧聖堂と同じだと気付いた。同じ時代に、同じ建築家の元設計されたのだろうか。とすれば。
連れて行かれる先は、ちょうどタースがスレイドに連れて行かれたあの地下の部屋。あんな感じだろう。けれど、この建物のほうが綺麗に磨かれているのは、使途が違うから。現役皇帝陛下の宮殿ともなれば手入れも行き届くというものだ。旧聖堂は、もっと汚れていた。
と。
そんなことに気をとられ、前を行く軍兵が立ち止まったことに気付かない。
ドン、とぶつかった。
「いて!なんだよ。止まるなよ」
ぶつかった鼻を押さえようと手を上げたところでまた、ぐんと引っ張られた。
「な、…!!」
目の前の、灰色の作業服。
大きな体。
見上げないと目線が合わない。
「ウィスロさん!!」
飛行船の機関長は無言で眼を見開いている。
「邪魔をするな」
軍兵が忌々しそうに押しのけようとするが、ウィスロのほうが大きい。巨大な褐色の手のひらで押し返されて、軍兵は数歩よろめいて壁で止まった。
「貴様!」
もう一人の軍兵が銃剣を突きつける。
それでもウィスロはタースから目を離さない。
「あの…」
タースが口を開こうとすると、太い眉がぐんとしかめられる。
しゃべるな、ということか。
タースはいきり立ってウィスロに殴りかかる軍兵の様子から、ティエンザの軍とウィスロが必ずしも友好的な関係でないことを直感した。
殴らせておいて、じろりと軍兵を睨むと、ウィスロは壁際に離れる。
「ったく。脅かしやがって、お前らに協力してやったんだろうが、大人しくしてろよ」
「ほら、お前は来い!賞金首が。何でお前が金貨一万なんだ、納得いかないぜ」
意味もない八つ当たりをしてタースの頬を殴ると、また、ぐんぐんと引っ張る。
よろめきながら、タースは振り返る。

ウィスロがじっと見送っていた。


なにがあったんだろう。
陛下は無事なんだろうか。
ティエンザ軍に征圧されている様子だけれど、街ではそんな感じはなかった。
今はただ、宮殿内がティエンザのものになっているということか。ウィスロや、他のレスカリアの人たちが反抗しない理由は。
理由は。
陛下が、…人質!?

「さあ、入れ!」
重い鉄の扉を開いて、暗がりに突き飛ばそうとする。その瞬間を狙って、タースはかがみこむと背後の軍兵の股間をかかとで蹴り上げた。
「うぎゃあ!!!」
なんとも無様な悲鳴を上げて、そいつが座り込んだ。
「貴様!」
すぐに、もう一人が銃剣で背中を叩いた。
振り向いて応戦しようとするタースの腹を蹴る。

ぐ、と。こらえる。
が、次に銃剣の切っ先が腕を薙いだときには、よけようとして、転んだ。
背後にあった寝台に腰を打って、タースは動けなくなった。
「へ、このやろう!」
散々殴られ、数発目の蹴りで意識が遠くなりかかる。

「いて~」
まだうめいているもう一人を思い出したのか、殴っていた男は攻撃の手を休めた。
「は、バカだな、抵抗なんかしやがって」
「こんな、ことして。ただじゃ済まさないんだからな」
タースが、睨みつける。
「はあ?」
勝ち誇った顔で男がタースの喉元をつかむ。
ぐ、と息が詰まる。
「僕は、皇帝陛下と仲がいいんだ、こんな、こと…」
言葉が途切れる。
「なんだって?聞こえねえ」
「おい、俺にやらせろよ」
股間を押さえてうずくまっていた男が立ち上がってきた。
「は、バカだな。皇帝陛下様は俺たちの言いなりだぜ?さっきの大男だってそうだろうが。この国はな、我がティエンザ王国の属国になるのさ」
やはり、陛下が人質に。
タースは唇を噛んだ。
どうやって救い出そう。
どうやって陛下を助けよう。
陛下、助けなきゃ。

喉元から男の手が離れた。
つぶっていた目を開くと、目の前に血走った男の目があった。

「覚悟しろよ、ガキが!」
男が振り上げた銃剣が、キラリと暗がりに光った。

次へ

「想うものの欠片」最終話⑬

13

「!」
目を閉じて、じっとしていた青年が、不意に顔を上げた。
「きゃ!」
髪を乾かしていた侍従がびくりと頬を染めた。
「あの、引っ張りすぎました?」恐る恐るたずねる侍従を完全に無視して、シーガは立ち上がった。
裾が揺れるたび衣装の重さを感じる。
つかつかと扉に向かう。
「あ、だめです、あの!シーガさま!」
慌てた侍従が駆け寄った。
と、同時に外側から、扉が引かれた。

目の前にガネルが立っていた。
シーガはその驕った表情の胸元を勢いのまま掴みあげた。
「な、なにを」
「タースに、何をしたのです!二人に手を出すなら、許しませんよ」
シーガに押し出され、もがくようによろめくガネルを、背後にいた軍兵が支える。
「大司祭さまを放せ!」怒鳴りつけるが、ガネルが手を上げて制した。
「まあ、待て。シーガさま、落ち着いてください。我らは何もしていませんよ、あんな子供二人に、何をする意味があるんですかな?」
シーガはじろりと睨みつけた。
怒鳴りつけた兵士は背筋に寒いものを感じて身を縮めた。
「シーガさま、皇帝陛下に、会いたくないですかな?」
ガネルの表情は変わらない。
シーガは手を緩めた。
「さ、どうぞ中へ。お話があるんですよ。まさかここであなたに会えるとは、私もついている」
再び先ほどの部屋に戻された。侍従たちが茶の用意をし、シーガとガネルはテーブルを挟んで座る。
「シーガさま、あなたが我らに協力してくだされば、あの二人はお返ししますよ。別に我らにとってなんら価値のない二人ですからな」
「タースを、追っていたのではないですか」
茶の湯気の向こうでガネルが低く笑う。
「ああ、混血の。もういいんですよ、戦争は始まった。ティエンザの王はライトールを征圧するでしょう。そして、我らは」
「レスカリア、ということですか」
「ええ。この国は、疲弊しきっているんですよ。民は飢え、貧しい。蒸気機関もなければ電気もない。未だに物々交換です。しかし、民は知っているんですよ。もっと豊かな国があることを。ですから、私はレスカリアの国民に協力した」
「…どういう、ことですか」
「民は何も知らされずにいる。新しい技術も、素晴らしい富も。美味しいものも知らず、病を治す方法もない。この宮殿に務めるものたち、正式には聖職者でしょうが。彼らは民に豊かさを与えたいと願っていた。しかし、皇帝陛下は認めない。だから、起こるべくして起こった」
「…反政府活動」
タースが巻き込まれたあの事件だ。

「さすが、お耳が早いですな。そうです、クーデターですよ。今や、皇帝陛下は自らの家臣に捕らえられ、幽閉の身。それでもこの国の民は気付きもしない。情けない、存在感のない皇帝だ」
シーガはカップを手に取った。
ゆるりと一口含むと、目の前の老人を見つめる。
どんな職人が手を尽くしても作り出せないほどの、美しすぎる造形の青年。神の民の名称に相応しい。
その表情に何の感情が含まれるのか、ガネルも測りかねた。
「皇帝の家臣が何故新しい技術のことを知ったのか。まあ、そこは問いません。大司祭、あなたはレスカリアの民のために今ここにいると。そうおっしゃりたいのですね」
ガネルは片側の頬をピクリと震わせたが、笑みを浮かべる。
「ええ、我らはレスカリアの民に協力しているのですよ」

目の前に置かれた砂糖菓子に太った手を伸ばし、ガネルはむしゃむしゃと頬張った。
「私に、協力して欲しいこととは、なんですか」
「シーガ殿。ご存知ですかな?神に選ばれたものの運命を」

白い太い眉の下、ガネルはにやりと目を細めた。嘗め回すように見つめられ、シーガは眉をひそめた。
「もちろん、伝説かもしれぬが。神王は神に選ばれたもの。力を得て世界を支配してきた」
「…それが、皇帝陛下だと」
ガネルは頷いた。
「しかし御覧なさい。今やこの世界は災害だらけ、異常気象に我ら人々は悩まされている。多くが命を失い、職を失い路頭に迷っている。明らかに、神王は失敗なされた」
大胆なガネルの言葉に、二杯目の茶を入れようとしていた侍従の手が一瞬震えた。
「失敗した神王は、新たなものにその座を譲るべきです。お分かりかな」
「…神王が変われば、世界は救われるとでも言うのですか」
ガネルは肩をすくめた。
「シーガ殿、ご存知でしょう?我らが神王を神として崇めるのは護ってくれるからじゃ。それが人のためにならねば交代していただく。おかしなことではない」
「異常を作り出すのが、人間だとしてもですか」
「おかしいのは世界のほうじゃ。地震や嵐、冷害。人はそのために多大な被害を被っておる」
シーガはため息をついた。
タースが語っていた、神王のあり方。
自然の想いを人に伝え、世界を護る。それは、人を護るためではない。

人という生き物の可能性にかけるかどうかは、神王が決めるのだろう。このまま何もせずじっとしていれば人は自ら滅びていく。救うなら、何かしら働きかけるか、あるいは自ら死を選ぶか。

働きかけても、神王の思惑など人は理解できないのかもしれない。
ユルギアの存在を悪しきものとし、シデイラ民族を否定している今では。
前皇帝の二百年。シデイラを虐げたあの暗黒の時代の余波は、今もこんな形で世界を蝕んでいる。

このままでは、人は世界を道連れに滅ぶ。
伝説どおりなら。それを止めるためには、神王を亡き者にしなければならない。
シーガにとって、まだ見ぬ父親だ。

目の前のこんなくだらない男のために、それをする必要があるのか。人の文明とは守らなければならないのか。
シーガはこれまで訪れた多くの街を思い出す。
どの街の、どんな人間たちも。
かつて、シーガは嫌いだった。

雑多な思念が渦巻く、人々の騒々しい世界。新しいものを追い求めようとするあまり、人を人とも思わないような領主。自らの利益のためなら人を殺めることも厭わない下町のいかがわしい連中。
ユルギアなど、人の思念など、消えてしまえばいいのにと。何度願ったことか。

「シーガさま、あなたにはぜひ、次の神王となっていただき、我ら人間に多大なる恩恵を賜りたい。ああ、あなたは何もなさらずともいいんですよ。ただ、皇帝陛下を殺してくだされば。後は我らにお任せください。私がこの国をもっと素晴らしい国にして見せます」

「人間など…」
シーガのつぶやきに、何か力がこもるのかガネルは手元の紅茶の水面が奇妙に乱れるのを感じた。
「あの二人を助けたくないのですか?ご協力いただけないのなら、残念ですが」

また、遠く。少年の悲鳴に似た痛みが悪寒となって背を這った。あのナトレオスでタースが泣いていた、あれと似ている。眉をしかめ、シーガは目をつぶった。
人間などどうでもいい。
この世界で、護りたいと願ったものなど。
多くはない。


次へ

「想うものの欠片」最終話 ⑭

14
遠く離れたシモエ教区。

飛行船の後部にある貨物ハッチが開かれていた。

採掘の際に出た土くれが、丸太で組まれた四角い囲いにあふれんばかりに盛られている。それがいくつも並んでいた。
その影に身を隠しながら、スレイドは観察していた。
雪原を大急ぎでならしたのだろう、雪の小山も点在し、ちょうどいい隠れ場所がいくつもある。
シートで囲われた採掘場への入り口には、兵士が立つ。

危険な場所だと認知されているからだろう、採掘場の周辺にはティエンザ軍はいない。
シモエ教区の保護施設に軍は駐留しているようだ。積まれた土嚢が建物周辺の鉄条網を支えるように小山を作っている。
飛行船が降り立つときの騒動に紛れ、スレイドは採掘場の近くに忍び寄っていた。


採掘口へはレールが敷かれ、トロッコが一台、ちょうど出てきた。鉄製の筏状のそれには黒い布で覆われた何かが乗っている。付き添って乗っているのはシデイラだ。やせ細り、ますます白く見える彼らはティエンザ兵の銃に脅されながら、荷物を木製の樽に移し変えた。オトナ四人がかりで持ち上げた荷物。大きさで言えば馬の頭程度だろうが、それは見た目よりずっと重量があるらしい。シデイラの男たちは何度もよろめきながらそれを樽に入れた。男たちが離れると、今度は別のシデイラが樽の中に土を入れ始めた。
どうやら鉛を混ぜたものらしく、黒ずんだそれを樽に詰め終わると厳重にふたをした。

「やだねぇ、あんなに持ってどこに行くつもりなんですかね」
ぼそりと独り言。声になっている意識はスレイドにはない。

グカ。
覚えのある鳴き声と共に、黒い塊が落ちるようにスレイドに突進してきた。
「うわ」
一緒になって地面に倒れこんだ。

「おい、今何か、そこに落ちなかったか?」
見張りの兵が気付く。
「なんだ、ほら、カラスじゃないか」
もう一人が指し示した時には、土くれの山をカラスが尻を振りながら歩いていた。
「なんだ、カラスか」
タンラが山の上で兵士たちにダンスを披露している間に、スレイドはやけに大きな書類を開いていた。
そこには、赤い石をティエンザが何に使おうとしているのか、が書かれていた。
数枚をめくる内にスレイドの口元には緩やかな笑みが乗る。
「ふん。大公。あなたを死に追いやった同じ男が、国を救うのですから……世の中ってのは皮肉に出来ている」
つぶやいてスレイドは書類をしっかりと服の下に巻きつけた。
タンラが兵士に近寄ってはからかう隙を突いて、スレイドはさらに飛行船に近づく。
次にトロッコに運ばれてきた黒い布の包みはずっと小さい。
先ほどの樽詰めの場所にそれをもってくると、シデイラの男たちは何かを待つように立ち尽くした。
「それは一粒ずつ、火薬と一緒に詰めるんじゃ」
そう指示した男は、飛行船の貨物室から怒鳴っていた。自分は安全な位置にいたいのだろう。白衣の上に分厚い毛皮を着込んだ、あのサンルーの大学にいたレクマイヤー教授だ。その後ろにリックの姿もある。
シデイラの男たちは言われるがまま、包みを開いて中から赤い石を取り出した。用意された小さな樽に、そっと一つずつ入れていく。
その後に黒い粉、火薬と思われるものを詰め、導火線をつけると、ふたをする。
「あんな、ものを!」
明らかに武器だ。ダルクの記事はすべて読めていないが、熱を加えて燃焼させると恐ろしい力を広範囲に振りまくとあった。
アレがもし、ライトール公国に落とされでもしたら。
触れるだけで人を殺す石。それが火薬で爆破され、塵のように降り注いだら。街も、都市も全滅するだろう。

タンラに口笛で合図する。
タンラはからかっていた兵士の一人に、襲い掛かった。
「うわ!?」
「なんだそいつ!」
慌てて駆け寄る兵士たちの背後を突いて、銃を三発。
タンラはすでに次の標的にと飛び掛る。
銃の音に向こうからも警備兵が駆けつけるが、スレイドはその前に飛行船の貨物室に飛び込みレクマイヤー教授を人質にとった。
「あ、あんた!」
リックが目を丸くした。

近寄る兵に囲まれながら、スレイドは教授の首に銃を当てる。
「近寄るな!いいか、近寄ったらこいつは殺す」
ざっと見たところ兵士は十五人程度。立ち尽くすのが三人、十二人は駆けつけたところで雪の山の向こうに半分隠れている。
「ほら、シデイラのおっさんたち、兵士から銃を奪ってもって来るんだ。こんな危険な作業をさせられて、うんざりだろう?」
顔を見合わせたシデイラの男たちは、頷きあってそれぞれ近い場所にいた兵士から銃剣を奪い取ると、構えた。
「貴様、こんなことをしてただで済むと思うな」
取ってつけたような台詞のレクマイヤー教授を、スレイドは拳銃で殴りつけた。
「あ、教授!」
リックは一歩近づきかける。
「あんたは、何をしているのか分かっているのかい?シデイラのあんたたちは知っているんだろう?この石のことを」
スレイドの視線にシデイラたちは、黙って頷いた。
「相変わらず、辛気臭いねぇ。つまり、この小さい樽の中身が、一つでも街に落とされれば、ライトールも、ティエンザだってただじゃすまないってことだな。国が壊滅的な被害を被る。大勢が死ぬことになるんだ!」
レクマイヤー教授がごくりとつばを飲み込んだ。
「そうだろ?リックさんよ」
リックはスレイドに睨まれ、びくりと震えた。
シデイラの男たちが、いつの間にかティエンザの兵士を縛り上げていた。
「いいぞ。あんたたち」
気付いてスレイドが笑った時、シデイラたちが持つ銃が、一斉にスレイドを狙った。

「!?ちょっと待て」
視界にいるティエンザ軍は縛られ、今動けるのはシデイラの民七名ほど。彼らが、スレイドに銃を向けたのだ。数名が、先ほどの樽詰め作業を続けた。
「何してるんだ、おい、そいつは危険な代物だって言ってるだろ!そいつを作って、…まさか」
「お前は降りろ」
シデイラの一人が進み出て、スレイドを人質ごと引っ張る。
「な…?」
教授を脅していた銃をもぎ取られ、雪原に転がされる。
素手で反撃できないこともないが、銃剣はあと九つ、スレイドを狙っていた。
「ぐ、はあ。なんじゃ、話が分かるじゃないか、ぐへっ」
レクマイヤー教授が自由になって首を振ったところを、先ほどの男が殴りつけた。
「さっさと乗れ、いいか、どこでもいいが、これを積んで飛び立つんだ。いいな」
シデイラの男がそう教授とリックを脅しつけている間にも、残ったシデイラの男たちがせっせと樽を貨物室に運び込む。
最後に縛り上げた兵士たちを歩かせ、彼らも飛行船に詰め込まれた。
「いいか、飛び立つんだ。どこへでもいい。言うことを聞かなければ、この風船を撃つ」
リックは縮み上がった。
飛行船のバルーンの中身は水素。そんなことをされたら大爆発だ。
「わ、わかった」
「おい、待て!!リック、あんたは本当にそれでいいのか!!ライトールには両親がいるんだろう!?」
スレイドの叫びも空しく飛行船の貨物ハッチが閉じられる。
飛行船を地につなぎとめていたロープを、シデイラたちが解く。動き始めた蒸気エンジンに排気口からは真っ白な煙のような熱された空気が吐き出され始める。
バルーンの浮力に船体はゆらりとかしぐ。
ゆっくりと、船体の左右についていたプロペラが回り始める。
スレイドはシデイラたち二人から銃を突きつけられたまま、雪原に膝をついていた。
ぶん、と排気の空気が視界を塞ぐ。
それに乗じてスレイドは見張っていた左右のシデイラたちを倒していた。
パン!

蒸気エンジンの轟音の中、かすかに銃の音が響いた。
ソチラを見やるが、スレイドは巻き上がる雪と蒸気に邪魔されて何度も頭を振った。
と。
ボン!

上空が一瞬光る。
黒い雲に覆われた薄暗い中、ゆらりと船体を持ち上げていた飛行船のバランスを取る水平翼の一つが、すぐ脇のエンジンと共に吹き飛んだ。

「な…」
生暖かい風がごおとスレイドの体を通り抜け、後には元の雪原が広がる。
視界が一気に冴え渡る。
傍らに、一人のシデイラの男が、立っていた。
彼は構えていた銃をおろす。
「…あんた、何をしたのか分かってるのか!?」

飛行船は煙を巻き上げながら、舵が取れないのか右に旋回し始め、そのまま急速に高度を上げていく。
「アレが、上空で爆発したらどんなことになるか!」
シデイラの男は、座り込んでいる黒尽くめのスレイドを見下ろした。
冷たい翡翠の瞳。
「滅びるなら滅びればよいのだ。そうではないか?ライトール人。我らは、よいか、我らシデイラは今ここにいる数名のみ。残るものはすべて殺された。ティエンザだろうと、ライトールだろうと、人間など滅びればよい。我らが神の民と呼ばれる由縁は、太古から神の石と恐れられた緋石、ラニウムを護る民だからだ。強大な力のある石をなだめ押さえられるのは我らだけ。その我らを迫害し、絶滅させるお前たちが、神の石に滅ぼされるのは必然だろう。我らは黙ってきた。ずっと、この石の存在を隠し通し護ってきた。それを掘り起こしたのはお前たちだ。滅びる。すべてな」

立ち去る男たちの後姿を、スレイドは見ていられなかった。
あれが、あの飛行船が落ちれば、爆発すれば、ライトールは。
足元の雪を握り締め、拳を打ちつけた。
凍りついた地面に、かすかなくぼみが出来た。

グカ。
肩に、タンラが乗る。うなだれる主人の頬に、かさかさと冷え切った頭をすり寄せた。

次へ

「想うものの欠片」最終話 ⑮

15

「どうなっているんだ!」
機関室からの応答はなく、先ほどからゆっくりと回転し続ける船体に、よろめきながらレクマイヤー教授は通信装置に向かって叫ぶ。
押しのけられて転んでいた船長が、何とか上半身を起こす。
リックは、必死に戸口にしがみついていた。
「このままでは、バルーンが爆発する!いや、それだけじゃない!積荷が」
レクマイヤー教授は狂ったように頭を振り続け、次にぐらりと傾いたところで転んだ。
「教授!」
何とか助けお起こした時には、額を切ったのだろう、血がふた筋こめかみを流れた。
「ええい、リック!積荷を落とすんじゃ、アレが爆発したら大変なことになる!」
「おと、落とすって、教授、この下は町が…」
「なに、石はまた掘り出せばいいのだ!心配するな!それとも、わしが死んでもいいというのか?」
リックは、分かりました、と低く答え、貨物室へと通路に向かう。
回転にあわせ右に、左にと傾くそこをまるで酔っ払ったようによろよろと進む。

街がある。
途中の窓から、雲の切れ間から。
かすかに蒼白くかすんで見える。
街がある。
見覚えのある地形。
海と、トラムの鉄道。

ライト公領だ。

「…父さん」

不意に、強風にあおられたように揺れた。
どん、と壁に背を打ちつけ、リックはそのまま座り込んだ。
「お父さんが、親方が喜ぶと思うの…」そんなことを、言っていた少年を思い出した。

父親とは、しばらく絶縁していた。
久しぶりに戻ってみれば、ライラは成長し、母親は温かく迎えてくれた。
父も、態度は硬いままだったが、受け入れてくれた。
いくつか酒盃を交わすうちに、つい本音が出た。
「後を継ぐつもりは、ないんだ」
その後の沈黙に、やはり言ってはいけない言葉だったと苦い酒の泡をかんだ。
だが、しばらく黙ってグラスを空にしていた父親は、ふとため息をついて言った。
「いいさ。実はな、有望な跡継ぎがいるんだ、…今はここにいないが」
その視線が、妹のライラに向く。ライラは何度も瞬きし、その目は涙で潤んでいた。
「いつか、なぁ。いつか呼び戻したいんだ、あいつには他に帰る場所なんかないさ」
「あなた、飲みすぎですよ」
母親がたしなめ、珍しく父親は素直に頷いた。頷いたその眉に白いものが混じっていた。父親も歳をとったと、感じた。
父親の思うとおりになんか生きてやらない、そう決心して飛び出してから、何年が過ぎたのだろう。
今も、その跡継ぎとやらを待っているんだろうか。
あれは、もしかして自分のことを言っていたのではないだろうか。
リックは、頭を振った。

耳に響く、機関室の音。
立ち上がりかけて、すがった手すりから、また眼下に広がる街が見える。

そこに、彼らがいる。自分を、もしかしたら待っている。


リックは口を結んだ。
貨物室を振り返り、そして、操縦室へと駆けもどる。
「レクマイヤー教授、海へ向かいましょう!」
揺れのひどさに酔ったのか、教授は座り込んで青い顔をしていた。
「ああ?なにを言っているんだ?」
「あの石を採掘したのは私たちです。抱えて、最後まで責任を取るのが筋というものです」
「お前、おかしくなったのか?」
眉を寄せ睨みつけるが、立ち上がる様子はなかった。
船長が傍らに立ち、リックの肩を叩いた。
「海、ですね」
「ええ、船長、あなた方は今のうちにパラシュートで逃げてください!私が、残ります」
四十代前半の船長は、太い眉をひそめた。
「リックさん、でも、それではあなたが」
「…いいんです、運があれば、海に不時着でもしますよ」
不可能に近い。
「お前、お前はどうしたんだ!研究のためには犠牲はつき物だぞ!」
「教授、確かにとても大切な研究です。ですが、帰る場所を失っては、研究も意味はない」
「リックさん、私と機関士を一人残します。それだけいれば最低限、操作できます」
船長はそう笑って、通信装置から乗組員に避難を命じる。
レクマイヤー教授はゆらりと立ち上がった。
「ふん、ばかものが。わしは避難するぞ、お前などどうにでもなれ」
リックの肩を突き飛ばすように通り抜けると、よたよたしながら後部ハッチへと向かう。その後姿を見ながら、リックは深く礼をした。
「お世話になりました」


程なく、ライトール公国の上空をゆらゆらと流されるように飛んでいた飛行船から、小さなパラシュートの傘がいくつも降りた。


「トエリュ様、今何か、空を横切りました」
気付いたミネアの言葉にも、公太子は視線を動かさない。先ほどから握りしめたミネアの手と同じくらいしっかりと見つめている。
小さく首をかしげミネアが困った表情をしても、トエリュには今丁度、煩いジンジャーが席を外しているのだから、逃す理由はない。
この機会を。

「欲しいものはすべて手に入るのだぞ」
「…トエリュ様」
「このように手を荒らさずともよいのだ。私のそばにいるだけでよい」
真っ直ぐなトエリュの言葉に、ミネアは何度も瞬きする。
そして、ふうと派手に息を吐いた。

「トエリュ様。今、この時も、スレイド様は遠い北の地で戦っていらっしゃいます。この国とご自身の信念のために。あなたは、ご自分がどなたでいらっしゃるかご存知ですか。私は知っております。前大公のご子息。その後を継ぎ、このライトール公国を守り平和をもたらす責任がお在りの大事なお方です。国民も、政府の人間も皆、知っております。あなた様が何をなさってくださるのかを今もじっと待ち構えているのです」
青年の頬に朱が走った。勢いのまま窓辺にミネアを追い詰めた。
「それがなんだという!どうせ、奴らは私を名ばかりの大公に仕立て上げるつもりだ。そうだろう!スレイドも同じこと!その真意など、計り知れぬ」
ミネアは微笑んだ。白い頬にかすかに浮かぶえくぼ。脳裏に浮かぶマシュマロの香りにまかせ、トエリュは抱きすくめようとする。
が、数瞬早くミネアが両腕を突っ張った。その手には丸い銀盆。そこにうつる自身の歪んだ像にトエリュは嫌なものを見た気分になる。
「でしたら。ご自分で、指揮をお取りになるしかないのではないですか。私は、スレイド様を尊敬申し上げております。私は、地位も名誉もありません。自分自身の力で誰かを救ったり、護ったりは出来ません。ですが、だからこそ。一つだけ決めたことは、たとえトエリュ様に刃を向けられようとも、曲げることは出来ないのです。私には、それしかないのです」
「……それ、は」
聞かずとも。
「心よりスレイド様をお慕い申し上げております」

トエリュは憮然としたまま、黙り込んだ。
「どうか、周囲をご覧ください。多くのものが貴方様を慕い、御護り申し上げております。彼らにどうかご慈悲を。それこそ、大公である証。一領主では勤まらないことでございます」
窓からの明かりで輝くミネアの髪に、トエリュは目を細める。

「ふ、まあよい。いずれ。いずれお前の気持ちを変えてみせる」
「エルさま!」
慌てた様子でジンジャーが室内に飛び込んでくる。その背後には、この街に残る公国軍の指揮官。トエリュは表情を引き締めた。

「エルさま、空から人が降ってきました!ティエンザの、飛行船から人が」
窓辺を振り返る。
町並みの向こうに見える小さな船影は煙を吐きながら宙に揺れる。

「!ティエンザの兵士か!ここライト公領に攻めてきたというのか!?」

次へ

「想うものの欠片」最終話⑯

16

タースは肩をゆすられた。
鈍い感覚の腕が、自然にぴくりと震えた。
「随分、やられたな」
目の前に脚があった。
見上げようと首を動かすが、上手く動かない。
体中がひどく重かった。
「ウィ…スロさん」
ふん、と小さい息遣いの後、背に温かい手が当てられた。抱き起こされたようだ。
触れる背中が熱くて、火傷しそうな痛みのようなものを感じた。
「おい、タース、しっかりしろ」
目の前の作業服の胸ポケットが口調に合わせて少し揺れた。タースはそれを見たまま、うん、とつぶやいた。
「あ、陛下は?」
ぼんやりしていたかと思うと急にタースははっきり目を開け、ウィスロを見上げた。
今度は男が視線をそらした。
「陛下は、無事なの?あの時の毒は?ねえ、大丈夫だったのか?」
「あ、ああ。口に含んだのが少なかったらしい、しばらくして、回復なされた」
「今は、今はどうしてるの。どうして、ティエンザの奴らにいいようにされているんだよ」
タースがつかんだウィスロの腕。ぐっと筋肉に力がこもるのを感じる。強く拳を握り締め、ウィスロは悔しそうに口をへの字にした。
「なあ、陛下を護るのが、みんなの役目じゃないのか?みんな、陛下の側近なんだろ?」
「違うんだ」
「なにが?」
「我らは、陛下を裏切った」
息をするのを忘れた。
裏切った?
我らって。
「どういう、こと?逆月は?だって、そういう組織があるって」
「それは、噂だ。陛下の目をそらすための、架空の組織。本当はな、タース。レスカリアの国民、全てが。もう、陛下に交代して欲しいと、そう願っているんだ」
タースは、男の手を振りほどいた。
突き飛ばし、その反動で再び床に転がる。
「って、裏切ったの!?国民が、ううん、陛下の側近が、全員?陛下をティエンザに売ったの!?だって、あの料理長のパルも?タガとカガも?船長さんも?みんな?」
ウィスロは苦い笑みを浮かべていた。
「みんな、そう、皆、ジファルの仲間だったんだ!ユナを殺したんだ!」
ウィスロの顔色が変わった。薄暗いランプの明かりの下、半分陰になるそれは恐ろしかった。見開いた目。
怒りに震えるのか、拳は難く握り締められる。気付いていながらタースは続けた。言わずにはいられなかった。
「そうなんだ!ユナだけが、ホンキで陛下を守ろうとしたんだ!ユナと、そう、皇妃さまだけが!」
「うるさい、お前にはわからん!この国の惨状が!見たか?あの港の町を。崩れた建物の下敷きになったものたちを!我らは、民に生かされている。なのに、こんな大変な時期に何もしてやれないのだ!これほど無力な政府があっていいのか!」
「放せ!あっちへ行け!」
上手く起き上がれずにいるタースを引き起こそうとするウィスロをはねつけた。
「わかってないよ!わかってない!国なんて、無力なんだ!ただ、新しいものが、珍しいものが、輝いて見えるだけなんだ!本物じゃない、ぼくは、この国で神に、ううん。神王様に祈る人たちを見て、本物だと思った!本当に、自分で生きて、自分で死んでいく、本当の自由な国だと思った!彼らが陛下に寄せる気持ちは本物だった!だれも、災害や貧しさを誰かのせいになんかしてなかった!陛下のせいにして、自分たちのこと棚に上げてるの、あんたたちじゃないか!」
陛下は、ただ穏やかに見守っていたんだ。
歴史を話してくれた。戦争や、滅びた文明。どれだけ豊かになっても、便利になっても。結局は、幸せかどうかはそれぞれが決めることなんだ。
国が民を幸せにするんじゃないんだ。
誰かを幸せにしてやろうなんて驕った考えを持つような、そんな政府が嫌だったんだ。だから、陛下は他の国からこの国を護っていたんだ。
なのに。
側にいた彼らの誰もが理解していなかったって言うのか!
陛下がどんな思いで、みんなの裏切りを知ったのか…。
あの優しい、陛下が。

涙が、こぼれていた。
気付けば仰向けで、動かない腕をウィスロが押さえつけていた。
その大きな手が首に、伸びていた。
「お前を、殺したくない。だから、黙れ」
搾り出すように男がつぶやく。
「陛下に、会いたい」
ウィスロの目が大きく開かれた。
首から手が離れる。
「お願いだ、陛下に。会わせてほしい…会いたいんだ」
伝う涙が、転がった。
それは青い小さな石。
ほろほろと。いくつもいくつもこぼれる。
硬いレンガの床にかすかな音を立てながら、丸いそれが転がる。
「お前、いったい…」
「いいから、もう、いいからさ。国なんて、あんたたちに、ティエンザにあげちゃえばいいんだ。陛下は、そんなものに責任を負う必要なんかないんだ。陛下は一度だって、民も国も自分のものだ何て考えたことないんだ。大切にしていたのに、ひどいよ、ウィスロ、裏切って、陛下を悲しませて、ひどい」
涙が止まらなかった。

自分の父親を殺してまで、民を護ろうとした。その呵責に苦しみながら、それでも三百年も見守り続けて、平和を保ってきた。
なのに。
自分たちが豊かじゃないことを、陛下の責任にして。
まるで、勝ち誇ったみたいに。


次へ

「想うものの欠片」最終話⑰

17
ウィスロは泣き続けるタースを、抱きしめていた。
「タース、俺たちだってな、陛下を憎んでいるわけじゃないんだ。ユナのことだって、皆どれほど悔やんだか。陛下の一番近くにいるあいつに、だれもクーデターのことを言い出せずにいた。あいつが、陛下を慕っているのは皆知っていたし、あいつはまだ子供だった。我らの思想を理解できるか怪しかった。ジファルが説明しようとしたんだ。だが、あいつは混乱して陛下に訴えようとした。だから、…仕方なかったんだ。ユナがいなくなったことで、陛下は感づき始めた、だから、お前を犯人に仕立てようとした」
「ひどい、よ。…ねえ、ユナ」
タースは傍らのユナが白く揺らぐのを感じていた。
ずっと近くにいる。
「ジファルだって、苦しいんだぞ!あいつは、家族を病で亡くした。ガネル司祭に相談した時、たいした病気ではないといわれた。だが、この国には治す薬がない。医者もいない。外国から呼び寄せることも禁じられている。お前たちが、街でしたような技術の一つもない。求めて当然だろうが!生きる権利はだれにでもあるんだ!」
「ユナにも、あったよ」
ウィスロは黙り込んだ。
「…僕を、陛下に会わせて欲しい。僕があったからって、何か出来るわけじゃない。でも、僕は陛下に会いたいんだ」
大きなため息を、男が吐き出した。
肩を落とし、タースの体にかかっていた力も抜けた。
そっと、タースは起き上がる。
「なあタース、お前、なんでそこまで陛下を慕うんだ。俺たちとだって、仲良かったよな」
立ち上がって、男を見下ろした。
床に膝をついたウィスロは小さく見えた。

「僕、シデイラの混血なんだ。知ってる?僕みたいな子供は、生まれてはいけないんだ。ずっと疎まれて育った。愛してくれた母さんも、父さんも。僕がいたから、住んでいた場所を追われた。苦労して。最後には僕のせいで死んじゃった。僕は母さんの言いつけどおり、誰にでも優しい、いい人間であろうと思う。でも、だから。僕に優しくしてくれる、本当に僕を大切にしてくれる人には、僕が母さんや父さんにしてあげられなかったことをしたいと思って」

また、タースの頬を小さな蒼が転がる。かすかに音を響かせ、ルリアイはウィスロの足元で止まった。目の前に光る美しい蒼を、男はじっと睨んでいた。
「だから。陛下を助けたいんだ。陛下が、どんなに皆に憎まれたって、平気だ。僕だって憎まれてきた」

大きな男は涙を流していた。褐色の頬に、いく筋も光る。もともとウィスロはそういう話に弱い。
「お前は、なんて…」肩を震わせて、タースのために泣いてくれた。
言葉にならず、何度も涙をぬぐう。

タースは手を差し出して笑った。
「ほら、ねえ、ウィスロさん。僕を陛下に会わせて欲しい。何かするわけじゃないよ。ただ、僕は陛下の役に立ちたいんだ」



時折よろめくタースを、支えながら、ウィスロは狭い階段を上った。
所々開いている窓から、異様にどんよりとした空が見えた。

遠い大陸で、恐ろしいことが起ころうとしていたことを、タースたちは知ることもない。ラニウムと火薬を積んだ飛行船は今この時も空を漂っていた。

ひどく冷え始めた空気に、ウィスロは眉をしかめていた。
この季節、この国にこんな気温はありえなかった。
なにもかもが、変わっていくようだ。
タースは寒いのか、体を震わせた。

「タース、俺は、初めて見た」
「え?」
「お前の、ほら。涙が固まっただろうが」
「…ああ、ルリアイ?」
「そう、それだ。この国には昔から言い伝えがあってな。まあ、おまじないみたいなもんだが。大切な人にそいつを贈るんだ。ペンダントにしてな。それをもらった人は自分が可愛がっているペットにかける。そうするとな、その人が死んでしまっても、そのペットの中に宿って、生き続けるっていうんだ」
「…ジファルに、贈ったら?」
ウィスロが、こぼれたルリアイを拾っていた理由がわかった。

「何で俺が、ジファルに贈るんだよ」
「他に贈りたい人いるのか?」
男は、黙った。
人のことには同情して大声で泣いたりわめいたり出来るのに、自分のことはどうにも不器用なんだな。タースは面白くなって、男の背を数回叩いた。

「僕。いろんな、いい人に出会った。嫌なこともあったけど。ウィスロさん、会えてよかったと思ってる」
「何、お別れの挨拶みたいなこと言ってんだよ」
「あ、そうだね。変だった」

陛下に会う。
タースは不思議と、心が落ち着いていた。



大きなドアの前に立つ。
両側にいたレスカリアの側近たちはウィスロの顔を知っていた。大司祭の命令だというと、慌てて扉の前からはなれ、二人を通してくれた。

ウィスロが、ノックする。
「陛下。私です。ウィスロです」
中から開かれた扉。
その目の前に。
銀の髪の青年が立っていた。その隣には、すがりつくミキー。
二人ともタースを見つけると目を大きく開いた。

「シーガ!」

駆け寄ろうとして。
シーガの横にガネルが。そして、彼らの正面のソファーに皇帝と皇妃が並んで座っている事に気付いた。

次へ

プロフィール

らんらら

Author:らんらら
のんびり小説を書いています
日記ブログはこちら♪

ランキング参加中です♪

クリック よろしく~♪

FC2Blog Ranking

最近の記事+コメント

FC2カウンター

リンク♪

小説ブログの皆様

カテゴリー

ブログ内検索

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。