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「音の向こうの空」第二十六話 ⑥

第二十六話:故郷を去る者、還る者



昼下がりの日差しは古城のエントランスに斜めの影を作る。明るい側に一頭の馬。シェビエは黙々と荷を括りつける。
「あの」
影の側からリエンコが声をかける。
「待つ意味なんかないだろ。俺もあんたも騙されたんだ。きっとマルソーさんもだ。ろくでもない奴だぜ。あんたがファリに行きたいってんなら、ついて来てもいいけどさ」
「いいえ、私はしばらくこの街に滞在します。このままでは故郷に帰ることも出来ませんし。貴方はスタルガルトの出身だといっていましたね。私もあそこで葡萄作りをしている夫婦に出会いました。美味しいワインをいただきました」
ふとシェビエは空を眺めた。遠く、ブドウ畑の一面に広がるスタルガルトの景色を見ているのかもしれない。
「……どうせカスから作った奴さ。あんなもの、後生大事に作って何の意味があるんだか」
売れもしない、たくさん作れるわけでもない。とシェビエは肩をすくめる。
リエンコは目を細め、オリビエと同じ歳の青年を見つめた。
「オリビエ様は子どものように喜びました。私もあれが、カスだとは思いません」
オリビエが「美味しい」と呟くたび、緩んだ表情は甘くなる。ただでさえ年齢より若く見える青年が、少年のように目を輝かせた。人を幸せにするものを作り出す、それは素晴らしいことだ。

「うまいさ。日陰の痩せた土地の葡萄は多くの実は生らない。それをさらに摘んで減らす。雨の少ない厳しい環境だからこそじっくり熟すまで木に残された実には凝縮された甘味が残る。それから作られたワインはとても旨みのある、甘いワインになる」
極上、という奴もいるさ。と、シェビエは口の端をゆがめた。
「やはり、ご存知なのですね。貧しい環境でも愛情を注いで育てれば立派に成長してくれる。葡萄農家のご主人はそう言っていました。革命に憧れ旅立った息子さんを心配しています」
リエンコが話し終えた時にはすでに、シェビエは馬にまたがっていた。
「我がライン軍が」そう振り返ったシェビエ。穏やかな秋風がマントを揺らした。少し痩せ過ぎの体が大きく見える。リエンコは仰ぎ見ていた。

「我が軍がスタルガルトを目前にして陣営を構えた時、土地勘のある俺はスタルガルトへ軍を導く役目を覚悟していた。故郷に、外国の軍勢を引き入れることを。でもマルソーさんはさせなかった。このファリ行きの任務はそういう意味だと思っている。親父が尊敬に値する人間なのは分かってる。だけど俺はもっと多くの人に出会って、生き方や違う価値観に触れてみたい。親父が天候や葡萄を相手に戦うみたいに、俺は人間や社会相手にどこまでやれるか試したいんだ。あんたに文句は言わせないぜ」
馬が鼻を鳴らし駆け出す。リエンコが何か言葉を返したがそれは、誰にも聞こえなかった。



オリビエはマリアの肖像画に背を向け、ベッドに横たわっていた。
あの塔の上、ダンテスは丁度いいと笑って閉じ込めた。
「数日のうちに調査委員会が到着する。貴方がどういったご身分なのか、その時には明かしていただきますよ」
結局殴られたり傷つけられたりはしなかった。ただ、脅されただけだ。ダンテスは延々と革命の意義を熱く語り、世界が我が国にひれ伏すとまで言った。
自由であること平等であること、それはいつか素晴らしい世界を作るのだろう。だけど今の僕に限ってはちっとも恩恵を受けられない。
どんなに美辞麗句を並べられても革命に心を動かされることはない。
いつか、ファリでマルソーたちの語っていた思想の話が、どうしても自分とは関わりのない興味の沸かない存在だったことを思い出していた。
ファリ。侯爵様はどうしているだろう。こんな風に柔らかいベッドを与えられているだろうか。胸にあの悲しい旋律が浮かび、指先だけが奏でる。
レクイエムなど、まだ、作らない。


二日後、オリビエが塔の小部屋から連行された時にはまだ昼を過ぎて間もないのに陽が翳り始めていた。朝の快晴が嘘のように天候は崩れていく。しっとりした空気は古城の壁のかすかな匂いを際立たせた。染み付いた時代のにおい。ランプのオイルと交じり合いそれをまとってオリビエは馬車に乗せられた。
想像通り、ちらりと仰ぎ見た空は鈍い色の雲に覆われ、抜ける秋風はひたひたと頬を叩いた。


馬車の向かう先は懐かしい侯爵の館。城門には急ごしらえなのか生々しい肌の木材が組みつけられ、補強されている。
オリビエが目を細め、そちらを眺めていると、隣に座っていた衛兵が話しかけてきた。
「あの。痩せられましたね。大丈夫ですか」
オリビエは衛兵を見つめた。オリビエと同年代くらい。礼拝堂でオリビエの演奏に母親を思い出したといっていた青年だった。
「大丈夫だよ」
オリビエは微笑んだ。
影を作らないほどの弱い日差しの中、少しやつれたオリビエは肖像画のマリアに似て悲しげで。衛兵は視線をそらす。

次へ♪
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「音の向こうの空」第二十六話 ⑦

第二十六話:故郷を去るもの、還るもの



オリビエはこの二日、一人マリアの肖像とだけ向き合い自問自答を繰り返してきた。
このまま侯爵様を救うこともできず、それどころか自分も。噂に聞くギロチンとやらにかけられるのだろうか。答えのないそれをもてあまして抱え込み、ベッドに丸くなっていた。
夜になれば部屋は真の闇に沈む。うとうとし、目覚め。その内自分が眠っているのか目覚めているのかも分からなくなる。夢なのか現実なのか。
僕は捕らえられ、確実に死に向かおうとしている。

かすかな物音に耳を澄ませば、闇になれた目に眩しいくらいの明かりが当てられた。
「オリビエさま」
囁くそれはリエンコだった。

明かりが必要以上に漏れないよう、覆いをした小さなろうそくを掲げ、リエンコはオリビエの脇に座り、のぞきこむ。
「……まだ、この地にいたんだ」
とっくにヴィエンヌに戻ったのかと思っていた。
「オリビエ様、必ず救い出します。ですから、お食事はきちんとなさってください。いざという時に歩けなくなっていては困ります」
「リエンコ、僕より侯爵様を助けて欲しい」
横たわり、顔だけをそちらに向けるオリビエに、リエンコは溜息をつく。
「私の目的は貴方を護ることです」
「……目的?リエンコ、侯爵様を助けるために来てくれたんじゃないのか」
「はい」即答。オリビエは思わず体を起こした。
水分も食事もとっていなかったために、かすかにめまいがする。それでもじっと、リエンコを見上げた。
「なんで?わからない」
「私が侯爵様に命じられた内容は、貴方とお屋敷を護ることです。わしに何があろうとも、お前がすべきことは一つだと、そう言われました。それに。私はリツァルト侯爵が好きではありません」
「は!?」
思わず、声が大きくなりかけ、リエンコが口を塞ぐ。
数回瞬きしたときには脳裏で三回、リエンコの言葉を反芻した。
侯爵様が好きじゃない?
「どういう、こと?」

リエンコは肩をすくめる。
「下男など、私のする仕事ではありません」
「?」
リエンコはオリビエの隣に腰掛け、話しはじめた。
「私の両親は戦争で死にました」

―――私は物心つかないうちに、両親を殺した男に引き取られました。
その男の役に立つように、兵士として育てられました。男は私を子供のように可愛がり、私は男のために戦い勝利しました。
勝利を繰り返すことで私は地位を上げました。
そうなれば妬む者がいます。
男は周囲に嘘を吹き込まれ、私が男を恨み、両親の敵を討とうとするのではないかと恐れ始めました。
私を信じられなくなった男は、私を国から追い払いました―――


どこか、僕の境遇に似ている。
オリビエは時々単語を選ぶようにゆっくり語るリエンコを見上げた。
僕の両親を見殺しにしたと、語った侯爵。真剣で悲しい眼差しをリエンコに重ねた。

視線が合い、「僕に、似てる」と呟けば、リエンコは目を細めた。短い金髪と高い鼻の鋭い容貌に柔和ともいえる表情が生まれる。
「私は貴方と同様、男を父親と慕っていました」

「裏切られ絶望し、ヴィエンヌに流れ着いて目的もなくただ生きていた。侯爵のビール工場でただ身体を動かしつかれて眠り毎日は、何も考えなくてよかった。ただ生きているのにちょうどよかった」

「侯爵は私を下男にと、屋敷に呼んだ。そんな仕事はしたくなかった。でも、貴方がピアノを弾くのを聞いて気が変わりました。初めて音楽を美しいと思った。演奏する貴方は聖なるものに見えた。だから私はあなたの前では緊張し、笑うことも出来なかった。それを侯爵様に尋ねられたのです。なぜオリビエに口を利かないのか、と。仕えるのが不満なのかと」

そう、出会った頃リエンコはオリビエに口を利かなかった。
ヨウ・フラは言葉が分からないからだとからかっていたが。

「私は正直に話しました。かつて軍を率いた私が下男などというくだらない仕事は性に会わない。工場で作業していた方がましだと。ただオリビエ様の音楽は聞いていたい。私の話に侯爵は笑い出し、大切だと思えるものができたのなら、それはいいことだと言った。貴方を護ってほしいと頼まれた」

「私は貴方を護るためにそばにいる。下男としてではない。言葉が拙いために、私を見損なっているのです、あなたは」
「だ、だけど……」
「以前、マクシミリアン公の屋敷で貴方は私に言いました。自分のために誰かが傷つくのは嫌だと。違います。生きる理由など失っていた私は、貴方を護るという理由を見つけた。生きる理由とはすなわち、命を賭けるに足る理由です」
「でも」
「侯爵が私を下男に選んだのは、私が元軍人で貴方を護ることが出来るからです。彼は私を利用し、私は自分の目的のためにここにいます。侯爵のためではありません」
おかしいですか、と。首をかしげるリエンコにオリビエは何も応えられない。

侯爵様を救い出してくれれば、それでいいのに。
「僕より侯爵様……」
「いやです」

「そ、そんなこというなら、僕も嫌だ!」
「……子どもですか」

わけの分からない押し問答になりかけていることに気づき、オリビエはぽてんとベッドに横たわった。
「リエンコに目的があるように、僕にも目的があるんだ。協力してくれる、よね?」

かすかな溜息と静寂。
視線をリエンコに戻せば、珍しく笑っていた。
「とにかく、今は食事をしてください」
リエンコは部屋の隅で冷たくなっている食事の残骸を指差した。

オリビエがろうそくの明かりを頼りに不味いスープを飲み干すと、満足した様子でリエンコは戻っていった。
空腹に冷たいそれは重く感じられ、横になるとすぐに眠気が襲った。久しぶりに深く眠れた気がした。
そうしてオリビエはこの日を迎えたのだ。

次へ♪

「音の向こうの空」第二十七話 ①

第二十七話:革命の表裏


馬車から眺める景色。隣に座る衛兵は、オリビエに同情の視線を送り。
「貴方の演奏はすごかった。もし、できるなら。もう一度聞かせて欲しい」
そう、肩を叩いた。
馬車が停まり、先導する騎士が門兵に何事かと尋ねられている。

「お、オリビエ様!」
覚えのある顔が窓からのぞいていた。毎日オリビエがここを通う姿を見送っていた衛兵だ。
オリビエが少しだけ微笑んで見せると、驚きの表情を強張らせ、「…お帰りなさいまし」と。深く頭を下げた。
それが何を意味するのか。主を失い、新しい街づくりを勧めてきた人々、それを見守ってきた衛兵たち。オリビエは彼らにとって、侯爵と同じ印象をもたらす存在だった。
見知った顔を見つけるたび、彼らがそっと視線をそらすたび、オリビエは不安を掻き立てられた。

「なかなか、人気がありますな。以前はこの町の名士でしたか」
ダンテスがオリビエを導き屋敷内を進む。後ろ手に組んだふくよかな手が、神経質に何度も開いたり握ったりされる。オリビエは後ろから眺めながら、「名士ではないです」と応える。そう、ただの雇われ楽士だった。

「オリビエ様!」
駆け寄りかけた、大柄な黒い姿。
モスが。真っ黒な顔に透明な涙を浮かべていた。
その姿に気おされるのか、振り返るオリビエを衛兵が後ろから小突いた。

「オリビエ様!」
モスの声が大きくなる。手に持っていた箒が音を立てて床に倒れた。
気付けば目の前にモスがいた。しっかりとオリビエの両手を握りしめる。暖かい手はそのままなのに、モスは以前感じていたよりも小さく思えた。オリビエは淋しくなる。モスにも老いが見えていた。

「オリビエ様、お久しぶりです」
「モス、お前も元気そうだね」
「お一人ですか、どうして……」
頼りになる大切な友人にサーベルが突きつけられ、引き離される。オリビエが名を呼んでも、その姿を振り返ることも衛兵が許さなかった。


市庁舎として使われているという屋敷は以前とあまり変わりなく。ただ、壁に無造作に貼られた宣言文や法律の告知の紙がひらひらと目に留まった。
使用人たちの部屋への通路からヘスが姿を見せる。ビクトールと夫人が逃げたことなど知らないだろう。知らない方が、幸せだろう。
オリビエは少しだけ微笑んでヘスたちメイドの前を通り過ぎた。

広間は議場として使われているらしい。
中央の演台を囲むようにテーブルが据えられていた。
大きな窓から中庭が。そして薄暗く曇る向こうに六角形の音楽堂が見えた。
空を描いたチェンバロは残っているだろうか。懐かしいそこはなぜか廃墟のような印象だ。気になってオリビエはずっとそちらを見つめていた。

「ああ、カーテンがないから」
そう気付くと口をついて独り言になっていた。

「必要でない装飾品や調度品はすべて、街のために売り払いましたからね」

反対側の扉から、長身のルグランが姿を現した。かつて、エスファンテの市長を務め、リツァルト侯爵とも親交が深かった。亡命の際にはこの街に残ったのだ。
その背後に、三人の紳士が立っている。さらにその後には、ダンテス中尉が衛兵を従えている。
「お久しぶりですね、オリビエ殿」
ルグランはしわの増えた顔に愛想のいい笑みを浮かべた。
「ルグランさん、今も市長をなさっているのですか」
「市長ではなくてね。議長なんですよ、今は。街の議会を代表しています」
「そうですか」
ルグランが議長というなら、この街では相変わらず、貴族階級のものも力を持っているということだろうか。それとも賢い転身を遂げたのだろうか。ルグラン自身は貴族ではないが、昔から貴族に取り入り財を蓄えていた。革命を最も恐れていた一人だろう。


「こちらは、ファリから派遣された調査委員の方々です。普通なら、オリビエ。亡命貴族は財産を没収され、祖国への裏切りにたいして罰が下される。つまり、死刑ということですな」
ルグランは薄情にそう告げ、オリビエはうつむいた。

「……そうですね」
マルソーが言っていた。故郷はなくなったと思えと。

「ところがオリビエ。君はとんでもないものを隠し持っていた」
オリビエは顔を上げた。
とんでもないもの?

「まあ、かけようではないか」
三人の調査委員のうち最も高齢と思われる男が適当に座った。それに習って、ルグランもダンテスも、他の委員も座る。
オリビエも衛兵にサーベルの柄でつつかれ、示された椅子に座った。

次へ♪

「音の向こうの空」第二十七話 ②

第二十七話:革命の表裏



ルグランが懐から丸めた紙を取り出した。
それは、覚えがあった。
「オリビエ、君が侯爵様の養子になっていたとは知らなかったよ」

荷物を没収されたのだ。公爵に会えたら、報告したいと持ってきていた。
オリビエがサインしたそれは古い用紙。オリビエのサイン以外は十年近く経っている。それが、とんでもないものなのだろうか。
オリビエが黙っていると、ダンテスが口を開いた。

「つまり。貴方の本名はオリビエンヌ・フォン・オルファス・シュスター。ファリにいるリツァルト侯爵が亡くなり爵位を継げば、侯爵。というわけだな」
「侯爵様は。あの、ご存命なのですか。ファリにいらっしゃるのですか」
ダンテスはにやりと首をかしげた。
「さあ。人のことを心配している余裕などないのではないかな」
ごほん、と。咳払いがダンテスを黙らせた。

「すまないが、中尉。我らに仕事をさせてくださらんか」
調査委員の一人がダンテスを睨んでいた。
調査委員は神妙な顔つきでオリビエを正面から見つめていた。眼鏡をかけた細い顔の顎の長い男。黒髪の四角い印象の男、白髪の混じった髭を蓄えた男。三人は皆、きちんと上着を羽織り襟元には小さな徽章が光っている。

「我らは国民公会より任命された調査委員だ。貴方が亡命した貴族であると聞いてファリから駆けつけたわけだ」
正面の男がそう話している間、眼鏡をかけた男が丸めた書状を開いてオリビエに掲げて見せた。遠くて書いてある内容など読めるわけはないが、「ここに、国民公会で決議された法律がある。亡命貴族は1791年のうちに帰国するべし。さもなくば資産は没収し、反逆の罪に問われる」と、どうやら簡略化して読み聞かせたらしい。
「まずは、君がどういった家柄のもので、どこに亡命しいつ戻ってきたのか。どんな資産をもっているのかを聞かせてもらいたいね」

オリビエが押し黙っていると、脇に立っていたダンテスがオリビエの肩をぐんとつかんだ。
「黙っていても、同じことだ。調査委員会は簡易裁判の権限もある。ここで反抗したならそのまま罰することも許されているのだ」
初対面の時からダンテスはオリビエを嫌っている様子だったが、今も執拗にオリビエの頬を剣の柄で押さえつける。
「ダンテス中尉、それでは話したくとも話せまい。離れてくださらんか」
委員の一人がたしなめた。
渋面を作りながらダンテスが離れる。
オリビエは痛む頬を手の甲でぬぐった。
汚らわしいとでも言わんばかりの行動にダンテスが顔を高潮させたが、オリビエにその意識はなかった。

「僕は市内の音楽家ラストン・ファンテルの子として生まれました。十三歳で両親をなくし、リツァルト侯爵様に引き取られ、養子縁組をしました」

引き取られてから養子縁組までの期間についてはわざと言及しない。養子縁組が何かしら処遇に影響のある事柄ならば様子を見てからのほうがいい。

オリビエは委員の一人と視線が合い、ふとそらす。委員のうち最も年配の男性は蓄えた髭のせいか表情は柔和に思えた。侯爵様と同年代の男はきりりと胸を張り腕を組んでオリビエを見つめている。
「ふむ。なるほど」そう、男は呟いた。

オリビエは「僕たちは、1989年の秋、この街を去ってアウスタリアへ移り住みました」と続ける。
「街の資産も土地も衛兵も、市民に譲り僕らは帝国でひっそりと生活していました」

三人はなにやら互いにひそひそと言葉を交わす。市民に譲り、が彼らの興味の対象だろう。オリビエは委員の反応を観察していた。そのうち、業を煮やしたダンテスが、
「真にリツァルト侯爵の後継者であるなら好都合でしょう。このエスファンテの資産を国へ譲り渡したという書面を取ればこの混乱も解決するというものです」
三人は一斉にダンテスを見つめ、真ん中の男が眉を寄せた。
「黙っていればよいものを」

オリビエは彼らを見比べた。ダンテスは意味が分からないようで憮然とし髭をなでている。
ダンテスは余計なことを言ったのだ。
ルグランは委員とダンテスと双方に視線を泳がせている。

ああ、そうか。
オリビエは目を覚まされた。街を取り巻く状況がはじめて理解できた。
つまり。

「先ほどの法律でいう没収される財産にエスファンテの土地は含まれないのですね。わざわざ譲渡の書面を取らなければならないというのはそういうことでしょう。確かに我らが亡命した年にはそんな法律はなかった。侯爵様はこの土地を市民の代表に委ねた。国が没収を決めた時にはこの街は侯爵様の資産ではなかった」

侯爵の資産でないものを、国が没収するなどできはしないのだ。
まして国有財産として市民に売りつけるなど。

次へ♪

「音の向こうの空」第二十七話 ③

第二十七話:革命の表裏



静まり返った男たちは、時を止めたように青年を見つめていた。
激しい雨が窓を叩く。黒い雨雲に覆われ、いつの間にか室内は暗がりに沈んでいる。
雷鳴が空を駆け、窓を揺らした。

「つまり。この街でダンテス中尉が推し進めている国有財産の売買は、根本から間違っている。それを知っていて、あなた方は市民に土地を売りつけようとしているんだ」
調査委員の一人がずり落ちかけていた眼鏡を直しながら、応えた。
「知っているわけではない。中尉が何を思い込んでいるのかは別として。いいかね、オリビエ。若い君には分からないだろうが、この新しい世の中は法と契約とで秩序が保たれている。君の言うような、リツァルト侯爵が資産を市民に譲った事実を裏付ける証拠もない。だとすれば、君も市民もただ思い込んでいるだけで、真実は違うかもしれない。証明出来ないものは真実であるとは言えないのだよ。そうだろう。ルグラン議長」
ルグランはびくりと背を叩かれた兎のように震えた。

「ルグランさん、そうなのですか」
オリビエの視線に、元市長は小さく頷いた。
「どうしようもないのだよ。何の証拠もない。こんな辺境の町、国境に面し外国からの脅威と戦いながら市民を護るには国の援助が必要なのだ」
援助。そのために市民から土地を取り上げ、売りつけるというのか。
キシュが中庭で怒鳴っていた、あれを思い出す。市民は知っている。この街は侯爵が市民のために残して行ったことを。
「市民は納得しないでしょう?」
ルグランは肩をすくめ「議会では多数が私の味方だ」と。口の端だけで笑った。
「それが、本当に大勢のためになるんですか。土地が再分配されれば結局、資産を持つ階級だけが土地を買い取ることになる。それでは、領主が変わっただけの……」
冷たい感触がオリビエの頬に当てられた。

ダンテスは熊のような髭面の下で、残忍な笑みを浮かべていた。
「革命を侮辱するのは許さん。神聖なる公会で定められた法律だ。それが国を救うのだ」
頬に痛みが走り、オリビエは目を閉じた。
委員の誰かがダンテスをなだめ、他の一人がメイドを呼ばせた。様子を伺おうと近くにいたのだろう、すぐにヘスが駆け込んできた。
「オリビエ様」
頬の傷を清潔な布で抑えてくれた。
「皆、公爵様のご無事を願っております」そっとささやかれ、オリビエは胸が詰まる。
「ありがとう」
それだけ小さく呟いて、オリビエはヘスの手を握る。
ヘスはかすかに頷き、何度も瞬きする。

「ダンテス殿。すぐに剣を抜くのはどうかと思うぞ」
年配の委員が立ち上がり、「このことは将軍の耳にも入れておく」と話し。それにつられるように他の委員も立ち上がった。
「調査は場所を変える。オリビエ、我らは君をファリへ連れて行く。そこで君が何を選択するか。それは君の自由だ」

このエスファンテでは、僕の存在が市民に影響を与えるというのだろう。
市民は侯爵様に貰った土地を護ろうとしているんだ。
市民の知らない所でことを決しようとしている。だから、侯爵様もファリに連行されたんだ。
自由、平等、理性。そんなきれいごとばかりではすまない現実がここにある。ヨウ・フラがいつか言っていた。革命家の中には、金を使ってロシア軍と取引し、追い払おうとしたものもいる。その金で飢えた市民がどれだけパンをもらえただろう。
ふと、スープに沈んだパンを思い出した。
あの時、侯爵様は僕に笑いかけた。

やりきれない切なさを振り切るようにオリビエは歩き出す。
背後に立つダンテスが、時折突き飛ばすように肩を押した。続いて三人がひそひそ話しながらついて来る。
回廊に差し掛かると風が窓を打った。
不意の雷鳴にダンテスが変な声を上げたとき、衛兵がびしょぬれで駆けつけた。
「何をしておる」
「申し訳ありません、叛徒どもが逃げ出しました」
叛徒。
それを聞いてオリビエの脇に立った三人の委員は眉をひそめた。
「叛徒、とはなんだ。逃げ出した?捕らえていたのか?」
そう問われ、ダンテスは慌てて三人の前に膝をついた。
「いえ、昨日市役所を囲んで騒ぎ立てる市民がおりましたので、間違いがあってはいけないと城に保護していたのです」

ダンテスは幾重にも間違いを犯しているらしい。
法律を建前にするくせに、キシュたちを捕らえる口実は曖昧。

「この街の土地が正式に誰のものなのか裁判で決まっていないのだから、彼らの主張は正しい」
それをオリビエが言ったのだと気づき、ダンテスは睨みつけた。
「そのとおりだね。ダンテス中尉、不用意に市民を傷つけるのは国民公会の意図するところではありませんよ」
そうオリビエの肩に手を置いたのは、先ほどの年配の委員だった。
「見た目よりは、頭のいい子だね」

いい子。子ども扱いされる年齢ではないのに。
見上げると、隣に立つ男は目を細め、鼻の下に蓄えた髭をなでながら笑った。
「わしからすれば、子ども。リツァルトが君を養子にした理由が未だ分からなくてね。楽しみにしているよ」

この人は。侯爵様を知っているんだ。
「あの、お名前を」
口をついて出た質問に、男はただ黙って微笑んだ。
ダンテスのような、ただがむしゃらに革命と自由を信じる若い革命家たちとは違う。この男の穏やかな視線にオリビエは安堵した。

国有財産として没収した土地を農民や市民に売りつける。その収益はダンテスの地位を高める可能性があるのだろう。だから、強引に政策を押し付けようとしているのだ。
決して、革命政府が市民や農民の権利を一方的に奪おうとしているわけではない。でなければ。そこに命をかける若い志願兵たちが救われない。
オリビエはマルソーのことを思い出す。
マルソーならきっと、何を護るべきか分かっている。
オリビエは胸の前で拳を握った。
「この雨では、折角の麦も傷んでしまいます。誰の土地かは分からなくとも、今実る麦を撒き育てたのは市民です。一方的に収穫を禁止するのはおかしいでしょう。前線の兵士を支えるダンテスさんにとっても、得策ではないと思います。ただでさえ食糧が不足しているのに」
オリビエのあてずっぽうなそれは効果があった。


雨の上がった翌朝。オリビエは乗り込んだ馬車から、雨に浸った麦畑で衛兵と農民が一緒になって穂を刈る姿を見ることが出来た。
隣に座る衛兵は、いつか礼拝堂でオリビエの演奏に感動したひとり。「貴方を護送するために同行します。ファリまでご一緒します」と、にこやかに笑った。
ファリで、生まれた子どもと妻に会えるのだろう。

「何をしているのですか」
オリビエの膝の上で踊る指先を怪訝に眺める衛兵に、返事もせずオリビエは故郷の景色を目に焼き付ける。衛兵もその視線の先を追った。
「綺麗な街でしょう。僕の生まれた街です。侯爵様が護ってきた、これから市民が守っていく街です」
「……」衛兵はただ、景色を眺める。
「もしかして、二度と見られないかもしれないから」
朝の空にシルエットだけ見える礼拝堂の鐘楼。あの下にキシュの生まれた町がある。今頃は帰っているだろうか。
馬車の脇に白馬に乗るリエンコが併走していた。ちらりと目が会う。
リエンコが小さく頷いた気がした。
ダンテスは市役所に兵力を裂いていたから、あの古城は手薄になっていたはずだった。リエンコがキシュを助け出してくれたのかもしれない。

マルソーが言っていた。リエンコは名を明かさないけれどロシアで勇名を轟かせた若き将軍ではないかと。皇位を巡る陰謀の影で国を追われたらしいと。そんなすごい人なのかは、僕には分からない。だけど頼れる存在なのは変わらない。

オリビエは見ていられる限り、道端の木々や草原、民家、麦畑を見つめ続けた。
以前と変わらないはずの故郷の風も、今のオリビエには思い切り胸に吸い込むこともできない。
1792年、秋。旅は形を変え、目的地へと近づいていく。
ファリへ。


次へ♪

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