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『La croisade de l'ange 1:Reims』 ①

らんららです。
新しい物語。初めて、女の子が主人公!!
恋に冒険に、シャルルは大奮闘ですよ~!!


『Reimsランス』①


―13世紀フランク王国。かろうじて王国の形をとっているものの、まだ、多くの力ある都市に別れていた。諸侯が支配する都市、聖職者が支配する都市、それらとつながるたくさんの村落。それらは農業技術や流通の発達とともに成長し、まるで胎児のように多くの血液を必要としているようだった―



丘に駆け抜ける風が白馬のたてがみをかすかに揺らす。
吐く息が白いのは季節のせいではない。この土地は山々を見上げ、村落を見下ろす場所にある。昼前から林道に馬を走らせすでに日は高く頭上から照らす。
右に広がる牧草地で今、ぬくりと羊が一頭、首をかしげる。

無言の主人がなすがまま白馬は規則正しく歩を進め、かすかに霧の残る森に入っていく。しっとりとしたそこは背筋を寒くさせるが、震えたのは馬だけ。馬上の男は行く先に目的の修道院を見つけ手綱にも安堵が伝わる。

緑濃いこの土地は、森の修道院を門番のように置き、その背後に続く高地に街を構える。低地ならば城壁をめぐらすのが通常だ。だが、この街には切り立った断崖という天然の城壁がある。北にフランドル地方、南にシャンパーニュ、西にイル・ド・フランスを望むこのランスは国内で最大の権力をもつ大司教座がある。
ランス大司教の治めるこの街は、大司教座を支える参事会員が住まう小さな町だが、その配下の司教区は広く、貴族の所領や国王の王領をまたぐ形で広がっている。諸侯の支配とは別に宗教による支配がどの街も及んでいるのだ。男がそこに向かうのも、侮れないこのランス大司教座を味方にしておくための重要な目的があるからだ。羊たちの見上げる森の向こう、山間には巨大な大聖堂の二つの塔がのぞく。

男は修道院の門前で馬を降りる。それを待っていたかのように、修道院の中庭から子どもらが飛び出してきた。小さいものはまだ走る姿ももどかしい幼児、上は十歳は数えるだろう子どもらだ。騎士が珍しいのか、男の脇に駆け寄るとしがみついたり手を伸ばしたりする。
「こんにちは!あんた誰?」
「お菓子持ってる?」
「これ、本物の剣なの?」
「あっちへ行け、私は司教様に会いに来たのだ」
すがりつく子どもらを振り払うように足を速め、馬だけは迷惑そうに長い足の踏み場を選びながら男に引かれて進む。
回廊に囲まれた小さな中庭の真ん中に井戸。白い石を積み上げたそこに、子供が一人座っていた。ミモザ色の髪がふわふわと額にかかり、すみれ色に見える瞳がはっとするほど際立っていた。
「チビども、じゃまだってさ!」
通る声に子どもらが一斉に反応し鬼ごっこが始まったかのように散り散りに走り去っていった。ちびども、と呼ぶほどに井戸の子供が年上というわけでもない。
「お客様だよね。待ってて、今院長さまに」
子どもに何の権限があるのか。男はかまわず歩みを続ける。
「シャンパーニュ伯よりの使いだ。通らせてもらう」
サーベルの鞘がチカと鳴る。
子どもが立ちふさがった。
「待てって、言ってるだろ!この時間は聖堂でお祈りなんだ、強引だな!」
両手を広げ、精一杯大きく見せても男の腰ほどまでしかない。十一、二歳というところだ。
男はかまわず進もうとした。大人を邪魔する子供が悪いのだ。無造作に男の膝が子どもの腹に蹴り出される。
物陰から覗いていた子どもらが思わず顔を覆い、小さな悲鳴を上げた。

男は当然予想していた感触がないことに次の一歩で気付く。
目の前に、ぎらりと刃が輝くことも。
「な?お前…」
木漏れ日を弾く刃が自らの首にぴたりと当てられていることに男は我を忘れた。
相手は指で弾けばよろめくような子ども。短いズボンに少し大きすぎる半袖のシャツ。孤児にしては妙に身奇麗な少年。長い睫の瞳をそれと認めた瞬間、凶暴な怒りが男の身の内に湧き上がる。騎士の武器に手を出しそれを無礼にも大人の首に当てようなど。血を吸った剣に触れる子供の手は禁忌を侵すに似て見える。
「無礼な!」
男は怒りに任せ子供を突き飛ばした。大人の力に数メートル飛んだ。
が。
くるりと、手にしたサーベルの重さを反動に猫のように身を翻す。
つ、と後ろに引いた裸足の踵が地に落ち着くと、次の瞬間大きな一歩で間合いを詰め、サーベルを薙ぎ払う。
「わ!」
慌てて男が飛び上がらなければ、脛あてをしているとはいえ、片足を引きずることになっただろう。
「貴様!危ないだろう!」
「危ないのはどっちだよ!言葉が通じないなら、帰れ!僕は少し待って欲しいって言ってるんだ」
「シャルル!やめなさい!」
子どもの甲高い声は手を叩く音で遮られた。
興奮気味だった馬が鼻息を荒くしたのが耳に入り、男は大人らしからぬ行動だったと今更気付く。
ゴホンと一つ咳払いし、声の主、今正面のエントランスから姿を現した院長に目をやった。
白髪を綺麗に結った女性は白い衣装に身を包み、音がしないのではないかというほど優雅な動きで男の前に立った。子供は不満げに院長を見上げた。
柔和な女性はちらりとそちらに視線を落とす。僕は言いつけを守ったのですと言いたげな子供の表情、それから手に持つサーベルへと院長の視線が流れ。
ぱん!
あれ程機敏な子供に、身じろぎの隙すら与えず院長の手は白い頬を打った。
「シャルル!そのようなものを振り回すとは何事ですか!武器は俗人の持つ恐ろしい道具ですよ!」
ちぇ、と小さく肩をすくめた子供が差し出した「恐ろしい道具」を受け取ると、院長は男の前に差し出した。
「ご無礼をお許しください」
と丁寧に腰を折った。男は内心「あんたが一番無礼だ」と呟いたかもしれない。受け取りながら憮然とした表情は隠さずに本来の台詞を口にする。
「シャンパーニュ伯より、火急の報せです。大司教様にお会いしたい」
男の言葉に院長はかすかに眉をひそめたものの、背後に控えていた修道女に案内を命じた。

そっと。院長が振り返る前に姿を消そうと、シャルルは猫のようにふわりと駆け出す。
「シャルル!これ!水汲みは終わったのですか!」
こだます声は完全に無視して、シャルルは見送る子供らをすり抜けて走る。
「院長様、これ」と小さな少女が指差した手桶には摘み取ったばかりなのか白い小花が水の中に揺れていた。
「院長様のお部屋用だって、シャルルが言ってたよ」
この一個は私のなの、と少女は髪にさした一つを院長に見せる。
その可愛らしい仕草に院長は頬をゆるめた。


「お客さん、って柄じゃないよね」
シャルルが吐き出すそれに応えるのは足元を駆けるイタチ。長い尾を振り応えているように見える。
森を駆け、牧草地に出ると羊たちの間をからかうように走り抜ける。イタチは羊の背から背に、地に降りたかと思えば次にはシャルルの肩にいる。
牧草地を走り抜けた先は川が流れている。山地からの清流を集めたそれはたっぷりと深く、小さいくせに侮れない川なんだよ、とシャルルはイタチに語ったことがある。今日も深いよどみは緑色をしている。
お日様も照らせないくらい深いんだから。
川沿いを歩きながらシャルルはそんな事を思う。
視線を奪う川の流れは小さな木の葉で早さを見せつけ、その先へとシャルルは顔を上げる。
水車小屋、そこの番人がシャルルの午後の仕事だ。黒ずんだ木製の水車からとろとろと流れる水はきらきらと輝き、眩しくてシャルルは菫色の瞳を細める。
イタチも午後の仕事を承知しているのか、するりと先を走り水車小屋の扉の隙間から入り込んだ。そこに住みつく小虫や小ネズミが彼の主食。当然意気揚々と向かう。

錠前を首に下げた鍵で開くと、シャルルは重い引き戸に手をかけた。
水車小屋の中は外の水車の様子を見るための小さな窓が一つあるだけで薄暗い。鼻をつく穀物の匂い。これは好きだ。不思議と懐かしく気持ちが落ち着いた。生まれてすぐはこんな藁の上に寝かされるのだと誰かが言っていたから、そのためかもしれない。
梯子の上、中二階になっている梁の上をイタチが走り抜けた。
「いいなー、クウ・クルはご馳走食べてさ!」
言いながらシャルルは窓の近くに伸びる木製のレバーをぐんと引きあげた。がこ、と機械が音を立て、水車からの動力を石臼に伝える歯車を起こす。噛み合ったそれによってゆっくりと石臼が回り始めた。シャルルは脇に積まれた小麦の袋から小さなスコップで麦を掬う。ざざっと臼へとつながる桶に流し込めば、そのうち石臼から白い小麦粉がこぼれだす。
出来上がった小麦粉はきれいに集めて、別の袋に詰め込む。
そんな作業を半日繰り返すのだ。シャルルは束ねた髪を結いなおすと、また麦を掬う。

単調な作業だけれど嫌いではない。麦がつぶされて粉になるのはなんだか面白いし、これがあるからみんながパンを食べられる。
もう少しすれば今日の収穫を運ぶ人々がここに訪れ、シャルルに最近あった話を聞かせてくれるだろう。昨日は村はずれのシリィさんが、子羊が生まれた話をしてくれた。今度見においでと言ってくれた。今日は誰が来るだろう。
「シャルル」
ほら来た。

「ロンダ!」
シャルルは声を上げると戸口のかんぬきを取り除き、引き開けた。
「シャルル、いるか」
がっしりした青年が日に焼けた頬を赤くして立っている。脇のロバの引く荷台には麦の入った袋が積まれていた。
「約束のもの、持ってきてくれた?」シャルルがすがりつけば、青年はぐりぐりと子どもの頭をなでる。
「おう、苦労したんだぜ?途中でシャンパーニュ兵が検問みたいなことしていてさ。「騎士でもないのに何のために持って行くんだ」とかうるさくてよ。俺が枝切りに使うんだと言ったら似合わねえとぬかしやがった」
ほら、お前に似合う青にしたぜ、と青年が取り出したのは飾りのついた短剣。きれいな模様が色とりどりの絹糸で織り込まれている。柄には小さな房をつけた青い紐。
見るなりシャルルは顔をしかめた。
「なに、これじゃ女子供が持つようなもんだろ!僕がほしいのはもっとカッコイイ感じの、海賊とかが使うー」
青年はぎゅう、とシャルルを抱きしめると笑う。
「ばか、お前にはぴったりだろうが。貴族のお嬢様がいざという時のために飾りに持つもんだぜ」
「違うよ!もう!放せ、ばか!」
ぎゃ、と。大きな悲鳴を上げて青年は股間を抑えて座り込んだ。
「いってーな、シャルル。お前、本気で小生意気だな!女ってのはこうあるもんだって俺が教えてやろうか?ええ?」
「これが本物かどうか、僕が試してみるってのもいいかも」
青年が見上げれば目の前にシャルルは短剣を抜いて見せる。白銀の刃にゆがんだ風景が映る。
「おいおい、子供がおもちゃにするにはちょっと」
「ほんとだ、本物っぽいな、切れるのかな」
にっこりと。笑うシャルルの表情は可愛らしいだけに青年をぞっとさせる。時に無謀とも思われることもするのだ、この子供は。しかもあの院長に育てられ妙に素早い。
手にした剣を十分使いこなしそうだから、ぬっと突き出すそれに青年は思わず目を閉じた。

「ほら」
シャルルはそっと青年の頬にキスを。
「?」
「ありがとう。ロンダ。大切にするよ」
ロンダがそろりと目を開けば、眼前にシャルルの笑顔。膝を地に着いた青年の頭を抱えるように抱きしめるとくるりと身を翻す。
抜いたままの剣を掲げ、青空に光るそれを眺めた。
「かっこいいー、本物だ」
無邪気なシャルルに座り込んだロンダは呆れて頬づえをつく。
「女らしくしてりゃ可愛いもんを、なんでそういう風になったかね」
聞こえないふりをして、「代金はいいよね、だってさ、街で女に無駄金払うことを思えばましだし。大体、可哀想な孤児の僕から金を取ろうなんてひどすぎるし」シャルルはそんなことを一人空に向かって語っている。眺める短剣に満足した様子で、ふと思いつき荷車の麻袋を振り返る。
「ロンダ、運んでよ。早く」
好奇心いっぱいの子供にはかなわない。ロンダはぶつぶつ文句を言いながらも本来の仕事、麦の袋を肩に担ぐと水車小屋に運んだ。シャルルが麻袋の綴じ紐を真新しい短剣で切ってみたことは言うまでもない。
ロンダの持ってきた乾燥チーズを二人でかじりながら、持ち込まれた麦を三袋、全部粉にするまでシャルルはフランドルの都市アラスの話を聞いた。

交易が盛んなフランドル地方はこの大陸の一、二を争う大都市に発展しつつあった。低地を流れる河川を利用した交易が盛んだ。シャルルはイギリス王国からの積み荷や綿織物の値段の話など、なんでも聞きたがった。
都市の船一艘あたりの入港料にまで興味があり「カレスではその半分だって聞いたのに」とぶつぶつ話す。まだ小さい子供のくせにシャルルは都市の事情に詳しかった。
「シャルル。フランドルは今や商人の聖地だぜ?多少割高でもここで売ったほうが儲かる。行けば何でもそろう。お前にアラスの市場を見せてやりたいな」
「いいよ。どうせ、院長様が許さないからさ」
「ちょうどフランドル伯ジャンヌさまが市場に視察にいらしていたぜ、そりゃお前なんか屁とも思わないくらいお綺麗だったな」
珍しくシャルルが頬を赤くした。
「比べてどうすんのさ、院長様のほうがずっとお綺麗だよ」
「年が違うだろ」
「僕とジャンヌ様だって違うだろ」
まあな、とロンダは困った顔をして横を向いたシャルルの髪をなでた。
この男勝りの幼い少女は、フランドル地方一帯を治める伯爵家の当主フランドル伯ジャンヌの嫡子だという噂がある。噂だが誰も口にしない。つまり表にできないが真実なのだと街の皆は思っていた。
噂は本人も知っている。それを確かめるすべがないことも。
シャルルが事あるごとにフランドルの様子を聞きたがるのも、心のどこかで故郷を求めるのだろうと青年は思う。哀れだ、と。
赤子のシャルルが名を失い、この街の修道院に来た当時にはロンダもまだ子供だった。どこか高貴な生まれを思わせるシャルルの華やかな寝顔を、今も思い出す。

「さて、俺は帰るぜ。きっちり鍵閉めとけよ。なんだか知らないがシャンパーニュ兵がうろついていたからな」
「うん、わかってる。大事な麦と水車小屋だもんね」

青年を送り出し、シャルルは戸口で立ち尽くしたまま荷馬車を見送った。
傾きかけた日差し。牧草地と麦畑がきれいな四角を作って並んでいた。冷たい風の匂いを鼻で受け、くすんと一つ鼻をすするとシャルルは小屋に戻った。

フランドルに行くこと、いや、この街から出ることを院長は禁じた。
世界は広いのに。
生まれた所がどこだろうと、関係ない。行きたいところに行きたいだけ。隔離されているこの街はとてもせまく感じた。

次回7月13日公開です♪毎回このくらいの長さで、毎週月曜日、公開予定です~♪第二話こちら♪


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『La croisade de l'ange 1:Reims』 ②

『Reims ‐ランス‐』



夕闇が迫る前には小屋の中を掃除して、石臼を止める。ずっとにぎやかな音を立てていたそれが止まれば急にうら寂しくなる。
イタチが寝ころんでいた体を起こし、ふらりとシャルルに近づく。
「お前が何か話せばいいのに。そうしたら、お前と二人で僕は街を出るよ」
何か小さく声を上げ、イタチのクウ・クルは走り寄るとシャルルの背中を駆けのぼる。
ぴた、と背を打つ尾がいつもと違う様子だ。警戒している様子でシャルルの肩越しに遠くを見ている。
「なんだよ?」
がた、と。扉を開こうとする音。
「!?」
シャルルはそっと扉に駆け寄り、小さく開いた丸いのぞき窓の十字の格子を見上げる。シャルルの身長ではのぞきこめないが、相手がのぞけば影になるからわかる。
じっと見つめる。
窓をふさぐ影はない。
がた、と。またもや扉を開こうとする。
「だれだ!」
「あ、誰かいる」
問いかけの返事は子供の声だった。

シャルルは閂を外すと、少しだけ扉を開く。
立てつけの悪い重いそれは、コツがわからなければすぐに開けることができない。腰に短剣もある。シャルルはできるだけ威張った口調で声を張り上げた。
「誰だ!ここは用事のないものは入っちゃいけないんだ!」
「重要な用事があるんだ、開けてほしい」
向こうに見える影はやはり子供のようだ。
隙間からのぞくと真っ暗で。

お互いの顔の近さに気付くのに数瞬かかる。
「あ」
シャルルが飛び退くと、扉が開かれた。
駆け込んできたのは二人の少年。
一人は背が高く、もう一人はシャルルと同じくらい。
年齢も同じくらいに見えた。

「ごめんね、ちょっと追われているんだ」と背の低いほうが少しかすれた声で笑った。夕陽の残照で見る顔は小さく、涼しげな青い瞳が印象に残った。
「お、追われてる?」
なぜか多少、言葉が詰まる。少年二人の発音が柔らかくきれいなのに比べ自分がこの地方の方言でおかしいのだと瞬時に理解する。
よく見れば、二人とも絹のブラウスにひらひらとしたレースがついて、どう見ても貴族の子供だ。シャルルは貴族が追われている、つまり何か事件だと決めつけた。
それに拍車をかけるタイミングで少年が力強くうなずき「僕はロイ。こっちがルー。かくまってくれないか」とシャルルの肩に両手を置いた。
「わかった!いいから、その隅に。ここは鍵がかけられるから大丈夫だよ」
あわてて扉を閉め、閂をかける。
振り返ると、少年二人は物珍しそうにクウ・クルの前にしゃがんでいる。

「これ、何?かわいいな」
「クウ・クルっていうんだ。赤ん坊の時に拾って育てた。僕の手下で、白イタチさ。言葉が話せないのが残念なところなんだ」
いいながら、シャルルは二人をじっと見つめる。
ロイ、と名乗った方は寒がりなのか厚いコートの下にさらにマフラーを巻きつけていた。柔らかそうな薄茶色の髪、大きな蒼い瞳をしている。兄弟だとすれば兄に当たるだろうルーはロイより拳ひとつ分くらい背が高い。桃色の頬をして金色の髪に蒼い瞳。穏やかそうな垂れた目が笑うと小さくなる。ルーはクウ・クルにそっと手を伸ばし、首をかしげ見つめるイタチを抱き上げようとする。

育ちのいい貴族のお坊ちゃまたちだ。年に一度の司教座の大祭では大勢の貴族が詰め掛ける、だから貴族という人種を見たことがあった。それ以外に他から貴族が来るって言えば。

「聖別式があるのか?」
それにしては聖堂の掃除とか宿舎の手配とかそんな仕事が来てない。でもあれは奉納金がたくさん入るからお菓子とか果物とか、いつもよりおいしいものが食べられる。
「嬉しいな、この時期なら甘く煮詰めたリンゴのパイとかさ、食べれるかも」
涎をたらしそうなシャルルの笑みに少年二人はきょとんとしている。

「聖別式ってなに?」
甘い夢から覚まされ、シャルルはあわてて口元を拭った。
「あ、ええとさ。司祭様とか司教様とかの階級の高い聖職者が就任するときにする儀式のことだよ。神にお仕えする人は聖なる人になる。フランク王国のルイ八世陛下もここで聖別式をしたんだ。王様は普通の人じゃないから戴冠式の前に必ずこの式をするんだ。この辺りなら皆このランスの大聖堂に来る」
「ルイ八世の聖別式、見たの?」
ルーが頬を高潮させてシャルルに問いかける。
「無理言うなよ、僕が赤ん坊の頃のことだ。王様が変わるって話も聞かないし。……聖別式じゃないのか」
「多分ね」と。あっさりロイが手を振った。
「なんだ。がっかり。お前ら貴族だろ?」
シャルルが指差せばルーはあんぐり口を開けたまま。ロイがイタチをなでながら笑った。

「失礼な奴だな。オマエ呼ばわりされたことがないからな、ほら、しっかりしな、ルー。世の中にはこういうのもいるんだから。僕らは乳母の親戚のいるここに遊びに来ているんだ」
「乳母!」
異世界の響きにシャルルは声を高くする。
「し、声が大きいよ、見つかっちゃうだろ」
「そういえば追われてるって」
何にだろう。
ロイ、と袖を引くルーを無視して少年はイタチを抱き上げて腹を見上げている。
シャルルは扉の前に木箱を引きずってくると、踏み台にして覗き窓から外をうかがった。
斜めからめいっぱい顔を擦り付けてみても丸い世界には人らしき姿はない。

「あ、こいつオスだ」
「えー、でもここにおっぱいがあるよ」
シャルルの心配をよそに二人の貴族は珍しいのかイタチに夢中だ。ルーの肩にくるりと昇ったイタチを見て、ロイも手を伸ばす。が、気まぐれなイタチはつるりと落ちたのかと思えば次にはルーの頭の上に小さな顔を覗かせた。
「すばしこいな」
ロイがイタチを抱きとろうとしたが、飛び移ったクウ・クルはととと、とロイの腕から肩、背中を通じて石臼の上に飛び移った。
「ああ」と残念そうに声を上げると諦め、ロイは外を覗き込んでいる少年の方へと寄ってくる。

水車小屋の若い番人は似合わない短剣を腰に差していた。
何気なくそれに触れようと手を伸ばす。
「!」
次の瞬間、シャルルは木箱の上から飛びのいて、詰まれた麻袋に取り付いていた。
「君……」
何か言いかけ、ロイは急に笑い出した。
「!?なんだよ、ビックリさせるな」
「いや、あの、ぷ、ふふふ!イタチそっくり…」
「はぁ?」
ロイは面白そうに笑い続け、止まらない笑いはその内違うものに代わる。咳き込んで苦しげに丸めた背中を震わせている。呆れてシャルルがロイの背中をさすってやった。
「あ、ああ。ありがとう。あれ?君」
「何?」
シャルルの間近で見上げる顔は夕暮れと室内の暗さでよく分からない。けれど、貴族の少年はかすかにいい匂いがする。それはシャルルには経験の無いもので、触れている手も急に緊張する。
「君、女の子だ」
放った言葉と同時にロイの手はシャルルの頬を包む。小窓からの夕日で、シャルルの顔だけは相手にしっかり見えているのだ。
声にならない声を発して、シャルルの平手は思いっきりロイを殴り倒した。

「わあ!ロイ!」
駆け寄ったルーはしっかり頭にクウ・クルを乗せている。
それもまた、シャルルには癪に障る。
「も、出ていけ!バカ!追っ手なんかいないじゃないか!」
「ひどいな、これだから田舎娘は」
座り込んで頬を押さえるロイの一言は、この一幕に結論をつける。
つまり。
「出て行け!」

なのである。
シャルルに押し出され、頬を押さえたままのロイは「言われなくてもさ」とぶつくさこぼし、間に入ったルーは「まあまあ、いい加減戻ってあげようよ。皆もきっと慌てているし、あんまり怒らせると夜のデザートに響くよ」とロイの背中を押して出て行った。

「シャルル、ごめんね、僕らもちょっと冒険してみたくて。水車小屋とかイタチとか、初めてだったし面白かったよ」
拗ねて顔をそむけるロイとは全然違う。ルーは大人な顔をしてじゃあね、と手を振る。
すぐに人の気配がして、大柄な騎士と老婦人が二人に駆け寄る。
大切なおぼっちゃまたちを見つけてひと安心らしい。乳母らしき人に抱きしめられる二人を見てシャルルは目を細めた。

心配してくれる人が大勢いるんだ、あいつらには。

扉をしっかり閉める。
はあ、と。大きなため息をついたシャルルの足元に、クウ・クルが立ち上がり覗き込む。
「何?」
言いたげでも言えない動物なのだ。
「なんか文句あるのか?追われてるってあいつら、従者の目を盗んで抜け出してきただけなんだよ。だいたい、貴族なんだから護身術の一つも習ってるだろ、僕なんかよりずっと、そうだよ、剣術とかさぁ。男の子なんだから」
台詞をぶつけられてもクウ・クルは首をかしげるのが精一杯だ。

騎士は憧れでもある。だけど、資金がなければ馬すら手に入らない。騎士になれる貴族の男子について、うらやましい限りを並べ立て、シャルルが息を切らせる頃には夕闇が街を包み始めていた。
陽が翳っていることを思い出し、シャルルは慌てて小屋を出た。

夕食の時間に戻らなければ食べ損なう。それは修道院では当然のことで、だからクウ・クルを肩に乗せ修道院目指して丘を登る。急ぐ足に意地悪なほど森はすでに真っ暗だが、幼い頃から遊び場にしていたシャルルにとってそこは庭。月が昇り始めた空と、星とを時折眺めながら、目指す我が家に走っていく。
今日は変な人たちに出会った。
最初は威張ったシャンパーニュの伝令兵。次には貴族の生意気な少年二人。
あ、そう、ロンダが持ってきてくれた、あの蒼い剣は素敵だった。
もう一度それに触れようと、腰に手を。
「!?」
無かった。

「なんで!?どうして!」
確か、ロイが剣に手を伸ばした時には、気付いて飛びのいた。だから、あのときまではちゃんと、ここに。でも。他にいなかった。
「貴族のくせに泥棒?!」叫びは森に木霊する。


眠れなかった。
第一に食べ損ねた夕食。空腹に厨房を覗いたら料理頭のアンがちぎった食べかけのパンを差し出してくれた。それでも食べなきゃと思ったのに、どうやらそれが例のシャンパーニュからの伝令兵が残したものだと言われてしまえば食べる気も失せる。
「言わないで欲しかった……」
そうだよ、修道院にいるものが食べ物を残すなんて無作法をするはずもない。

第二に。
「あの、盗賊貴族!!いや、違う、あれきっと偽者貴族だ。きっとそうだ。本当は小麦を盗みに来たんだ。でも僕がいたから腹いせに短剣を盗んだんだ。絶対そうだ」
そんなはずはないだろうに、怒りは自分勝手な妄想を生んで、考えれば考えるほど腹の虫が呻き出す。

第三に。その夜は満月だった。
明るい夜は苦手だ。不吉な少し赤い月も嫌いだ。丸い顔して、僕を笑う。毎晩毎晩、僕を見ている。
そんな考えにいたって大きく溜息をつくとふと、腹が痛いのに気付く。
いや、空腹のせいだと思っていたから盗賊貴族を呪うことで紛らわしていたがいよいよどうにもきりきりしてくる。それもあんまり、体験したことのない痛み。

アンなら。優しいから、水の一杯くらいくれるかもしれない。

シャルルは子どもらがごろごろと転がっている寝所から一人抜け出した。
「よく眠れるな、こんな明るい月夜に」
八つ当たりの小さな呟きに誰かが「うんん」と寝言を返すから、シャルルは慌てて部屋を出た。

アンたち大人は回廊の北口から出た二階建ての建物に住んでいた。修道院に暮らし手伝いをする孤児たちと、雇われて働く彼女らは違う存在なのだ。
まだ明かりが灯っていることにほっとして、シャルルは回廊を急ぐ。
冷たい石の床は裸足の足をひどく痛くした。余計に腹が痛くなるようでシャルルは両手で抱えるように腹を押さえていた。
ふと、庭につながれたままの白馬に目が行く。馬は四頭いた。他にも仲間がいたんだな。
あの伝令兵。大司教様に用事なのだろうがこの修道院に寝泊りさせるということはあまり歓待されていないという証拠。いい気味だとも思うが、修道院としては迷惑、だと思う。修道院は基本的に俗世との交わりを嫌う。
シャンパーニュからの伝令。
気にならないわけじゃなかった。火急の用事だと。
シャルルは腹を抑えたまま、そっと馬に近づいた。正確には、馬の鞍にちょこんと座り込んでいる生き物に。

「何してるんだよ、クウ・クル。おいで」
白イタチは狭い鞍の上でくるりと一周回るともう一度シャルルの方を見つめ立ち上がる。
「分かったよ、馬が気に入ったんだ、それはいいけどさ」
手を伸ばすとぴょんと飛び移ってくる。
馬が鼻面をシャルルの方に向けると、クウ・クルは嬉しそうにもう一度馬の顔に飛び乗りまた鞍まで駆け上るとシャルルの方に飛び移る。ぐるぐると三回それを繰り返したところでシャルルが捕まえた。
「ほら、もういいから。おいで」

森で拾ったクウ・クルは馬の乳で育てた。だからか、馬が大好きだ。馬の方では彼のことをどう思っているのかわからないけれど。
ふと馬と目が会う。馬に罪はないが主人の伝令兵が気に入らない。
「なんだよ、何にもしないし。大人しくしてなよ、人の家なんだからさ」
自分の家でもないが。
シャルルは腹を両手で抱え、そろそろとアンの元へと向かう。


シャルルが扉を叩くと、眠そうな顔をしたアンが顔を出した。年は五十を数えているがどんな小さなことも嫌な顔をしないでやってくれる。だから頼りになる。
「あら、シャルル、どうしたの」
「あの」
もじもじと腹を押さえるシャルルに目を細め、裸足に気づくと自分がかけていたストールをシャルルの小さな背にかけてくれた。温かくてシャルルにはマントのようだけれどそれが嬉しかった。
「お腹がすいたのね?遅くまで遊んでいるからいけないんだよ。ほら、こっちにおいで。修道院の厨房じゃあげられるものは無いけどね。あたしの部屋なら少しばかりの蓄えがね」
ウインクする丸い頬にシャルルは思わず抱きしめたくなる。
と、引きずっていたストールを踏みつけた。
つんのめって、転びそうになるのをアンが支えた。

「あれ、ま。どうしたの。すばしこいあんたらしくないね」
「ええと、あの。お腹が」
「お腹?」
「ええと、この辺が」
ああ、と。アンは難しい問題を今やっと解いたという顔をして、シャルルを抱きしめた。
「え?」
「いらっしゃい、シャルル。あんたも女の子だったんだねぇ、よかったね」
よかった?
空腹でふらふらするし、お腹は痛いし。いいことなんかじゃないよ、そう言いたかったけれど、おぼつかない足元でシャルルはアンに引かれるまま、彼女の部屋へと連れて行かれた。


納得が、いかない。
アンが「これであんたも子供を産めるようになったのさ、男の子みたいだったし、やせっぽちだし、心配してたんだけどね」なんて説明してくれたけれど、シャルルの不機嫌は治らない。
「いやだ、スカートなんかはかない」
「だめだめ。赤ん坊みたいに裸でいるつもりかい?ほら、似合う」
喜ばれても嫌なだけ。ワンピースのトンネルをくぐって頭と腕を出すと、シャルルは口を尖らせた。
「男の子がよかった」
「女でよかったって思う日も来るさ」
「来ない」
アンはシャルルの小さい手に綿を詰めたふかふかの枕を持たせた。
「わあ、綿入りだ!」
「それ使っていいから。月のものが終わるまではあたしと一緒に寝ようね」

そんなんじゃ買収されないと頑張るものの、緩む頬と尖った口とで変な顔になる。めったに触れることのない綿入り枕を抱きしめて、シャルルはアンのベッドにもぐりこむ。
「いつ終わるの。明日?」
「たっぷり七日はかかるかね」
「ええええ!?そんなに血が出たら死んじゃう!」
大笑いされ、抱きしめられ、ふんわりした枕に顔を押し付ける。
「ねえ、アン。僕が、男の子だったら。よかったのに」
「そうねぇ、さぞかし、立派なだんなさまになったかもねぇ」
「違うよ。男の子だったら捨て子なんかにならなかった」

捨てられなかった。親がいた、きっとフランドルに住んでた。今日会ったあの貴族の子どもたちみたいだった。こんな、情けない気分でいることも無かった。

「シャルル……」
「捨てられなかった。男の子だったら、きっと」

違うといってもそれは嘘にしかならない。真実はアンも知らない。アンはただ黙って、悔しげに涙を流すシャルルをなだめてやる。

シャルルは女に生まれたことを呪いながらその夜は温かいアンの隣で眠った。嫌いだった満月も、空腹も。腹立たしいことも不思議と忘れていた。それ以上に自分に起こった変化の方が衝撃が大きかったのだから仕方ない。
今はただ、眠ることしか出来なかった。

続きは7月20日公開予定です♪


『La croisade de l'ange 1:Reims』 ③

『Reims ‐ランス‐』



いつものように走り回ることもできず、アンの手伝いをするように言い渡されて四日目。シャルルは早朝から厨房の隅でジャガイモの皮をむいていた。いくつもいくつも。数えるのも面倒なくらいになったころ、院長の部屋へと呼ばれた。
アンが戻ったらジャガイモのミルク煮を作ってくれると約束したので、シャルルは少々機嫌を直しスカートを手で押さえながら階段を上る。
「やだな、やっぱり。スースーする」
肩にこっそり乗ってきたクウ・クルは尻尾でバランスを取りながらなだめるようにシャルルの耳元にすり寄った。
黒っぽく塗られた両開きの立派な扉の前に立つと、クウ・クルをそっと両手で床に下ろす。
「待ってなよ。お前が入ると院長様怖いから」
開かれる扉の向こうを興味深そうに眺め、白イタチはシャルルを見送った。
「院長様、シャルルです」
あらあら、と。甲高い院長の声にクウ・クルはびくりとし、廊下をぐるぐると走り回った。


そんな声を、院長様が出すこと自体理解できない。シャルルは駆け寄った院長に思い切り眉間にしわを寄せて見せていた。
「似合うじゃない。やはり女の子ね」引き寄せようとする手を避けて、するりとシャルルは二歩下がる。
それがかすかに院長の機嫌を刺激したが、それくらいで怒鳴る人ではない。喧嘩したら街一番の剛腕だという噂だが、とりあえず修道女の鑑たる女性のはずだ。
「シャルル、お前はいくつになったかしら」
「…たぶん、十一です」知ってるくせに。
やけににこやかなのが気に入らない。何か企んでいるのかそれとも、仕方なくスカートをはくシャルルを面白がっているのか。人の災難を喜ぶなんて、それでも聖職者か。
「お前も晴れて立派な女性。実はね、お前を娶りたいという話はいくつか来ているのよ」
めと?
「はぁ!?」
院長の胸の前で組んだ手がうれしそうにわくわくしている、それは!
「お前は確かに見てくれがいいわ。でもそれだけじゃない。我が修道院で、私が育てたのですからね。信用が違うのですよ。感謝なさい。貴族様とはいかなくてもフランドルで広く商業を営むベーテールさんのご子息、街の中では一番広い農地を持つ豪農のルミルエさん。どちらも十分な結納を約束してくれていますしね、これからも我が修道院のためになる、よい縁談です」
十二を過ぎれば結婚する者も多い、だけど!
「ふざけるな!僕は結婚なんかしない!」
言い終わる前に気配が横切る。
鋭い院長の蹴りを飛びあがってよけると、シャルルは扉に向かって一目散。
「逃げても無駄よ。お前の帰る場所はここしかないのですからね」
くそ院長!と怒鳴った声が届いたかどうか。とにかくシャルルは煮えくりかえる腹をどうしてやろうかと叫びながら階段を駆け降りる。
通りかかったアンにぶつかりそうになって、踊り場におかれた花瓶をひっくり返した。ぶつかりはしなかったのにアンは弾みで持っていた織物を取り落とす。その上に派手な音を立てて花瓶が欠片と水とを振りまいた。
座り込んだアンの足元には花と水と花瓶の破片とでドロドロになった真新しい生地。
「な、何の騒ぎ!シャルル!」
やさしいアンも、せっかく作った織物が花まみれになったのには我慢が出来ない。

「だって!」僕は避けたのに!
「女らしくなさいって言っているでしょう!ミルク煮はお預けだからね!」
「!」
この世にいいことなんか一つもない!

シャルルは泣きながら駆けだす。どこがどうなのか分からない。とにかく走った。
お前の帰る場所は。そう、わかっているけど分かっているけど。


森を駆け抜けると、遠く水車小屋が見える。そこに行けば一人になれる。
シャルルはそこに向かって走った。

「待て!」
またない!
誰だか知らないけど僕はそれどころじゃないんだ。

思いっきり走っているのにその声は次に前から聞こえる。
目の前に馬、と気づくとどんと馬の白い足にぶつかった。その腹の向こうには見たことのある、皮の袋。嫌な予感が的中し、馬上からぐんと髪をつかまれた。
「ほお?お前、女だったのか」

あのシャンパーニュからの伝令兵だった。

パンを残す贅沢な嫌な奴。シャルルはそいつの黒いあごひげをじろっと睨んだ。高すぎてそのぐらいしか見えないのだけど。
「なんだ、そいつは」
「街の子か?」
しかも、男の背後には三頭の馬、つまり三人の騎士。面白そうに小さな獲物を眺めている。
「放せ!」
「ふん、可愛げがない。誉れ高いラエルの修道院も恥ずかしくて表に出せないわけだ」
「恥ずかしくなんかないよ!僕はフランドル伯の血を引くんだぞ!汚い手で触るな、馬鹿!」
手が緩むと同時にシャルルは駆け出す。
逃げても馬で追われればかなうわけもない。
「何を言っている、小娘が!」
背後で笑い声が小さくなる。

しばらく走って振り返れば、他に何か目的があるようで騎士たち四人は遠く麦畑の向こうへと向かっていった。
「畜生!!あいつら~むかつく」

シャルルは唯一の自分だけの場所、水車小屋に駆け込むと、扉を閉めようとした。
「待って!」

二度目だ。だから待たないってば!と、焦って閉めようとすれば重い木の扉は言うことを聞かない。
ぬと白い小さな手がそれを遮り、驚くシャルルを抱えるように押しのけて、ロイが飛び込んできた。
「ロイ!」
偽物貴族、そうだ短剣を盗んだんだこいつ。とシャルルが怒りを改めている間に、少年は扉をぴったりと閉め、閂をかけた。
今日は一人の様子。

ロイが振り返ると同時にシャルルはその肩につかみかかった。真っ白な絹のブラウスが慣れない手ざわりだったが、かまうことはない。
「おい、ロイ!僕の短剣を盗んだだろ!」
ロイは勢いに目を丸くして、それから改めてシャルルを上から下まで。
そう、眺めた。
「!!!!今、僕のこと舐めるように見ただろ」
若草色のスカートは緋色の糸で刺しゅうされて、上着には大きな襟が付いている。ああ、自分の姿を水に映したあの時の気持ちがよみがえる。
「最悪だ、気持ち悪いな!」
自分の姿が急に恥ずかしくなるとロイを突き飛ばし、シャルルは小屋の奥のほうへと進む。気になるスカートの裾を両手で押さえた変な恰好のまま。
女の格好をしているのを見られる、それがどうにも心地悪く、シャルルは小屋に来たことを後悔し始めていた。

窓の外をふと眺める。川の流れを水車の向こうに見つけ、深いそれを見つめていると少しだけ気持ちが落ち着いた。昼の光にきらきらときれいだ。
何やってるんだ、僕。
結婚なんか嫌だ。帰ることもできない、でも、ほかに行くところはない。
こんな、女の格好で。
情けなくなってきてシャルルは窓に身を乗り出し両手をだらりと下ろした。冷たい風が手に当たる。
「今日さぁ」
ロイに話しかけたつもりだった。
「おい、あそこだ!」
窓の外。河の向こうに先ほどの騎士たち。こちらを見て何か怒鳴っていた。
「何だ、あいつら!」
「捕まえろ!」と聞こえる。
捕まえる?
「おい、なんか変なのが来る」
シャルルは変なのに絡まれる前にここを出ようと振り返る。
少年は戸口に座り込んでいた。
「何してるんだよ、ロイ?」
そういえば何も口を利いていない。
少年は座り込んだまま、顔を上げた。窓からの日にさらされ、白い顔は彫像のように美しく、シャルルは思わず声を失う。
昨日は暗くて気付かなかった。
「あの、どっか痛いの?怪我した?ごめん、僕力が強いからさ」
動こうとしない少年に近づく。

「ごめ、ん。追われてる」
「…この前もそう言ってたよね」あれは嘘だった。
ロイは両手で顔を覆った。ひどく落胆した様子だ。
「この間のは従者、今日のは敵」
敵?
同時に何の音かと思うほど、扉が叩かれた。
古いそれは軋んでがたがたと隙間から外の明かりを漏らす。
「出てこい!大人しく出てこないと蹴破るぞ!」
あの伝令兵だ。
初めて修道院に来た時と違う、低く脅す声。
「出てこい!」
怒号に驚き、シャルルは反射的にロイにしがみついていた。
伏せていた顔を上げ、少年の驚いた顔はすぐに柔らかい笑みに変わった。
「ふふ、やっぱり女の子だ」
「ち、違う!」
何がどう違うのか説明は出来ない。
そんなことより。
シャルルは思いっきり顔をしかめていた。
「あんた、熱があるよ?すごい熱いよ!」
掴んだ少年の手は細く頼りない。儚く感じて、シャルルはひどく心配になった。
「敵って、追われてるって?」
「いいから。惻隠の心は仁の端なり、君を巻き込むわけにはいかない」
そくいんのこころ?
一瞬、外国語を聞いた気分になる。
「何難しいこと言ってるんだよ!出たらひどい目にあうよ!?」
殺されちゃう、かも。この土地は大司教が治める大司教座だから戦乱はない。だけど、一歩離れれば諸侯が領地を取り合って戦闘が繰り返されているという。傷ついた騎士や兵が村に紛れ込むこともまれにあった。

「あけろ!開けないと小屋ごと火を放つぞ!」
どかどかと殴りつけるように扉は叩かれ、それにあわせて埃がはらはらと落ちてくる。

「シャンパーニュ兵が大司教座の水車小屋に火を放つなど。できはしないくせに」と小声で呟き、ロイはふらりと立ち上がる。これ、と。蒼い短剣をシャルルに渡すと、戸口の前に立った。

「大丈夫だよ、私は。何の武器も持っていない子供を殺すとは思えない」そう微笑むと顔を上げる。
子供とは思えない静まった表情、まっすぐ扉を見据える瞳はきれいに澄んでいた。
丸いのぞき窓の向こうには、たぶん男たちの姿。ロイはそこに向かって声を張り上げた。

「大声を出さなくてもいい。今、そちらに行く。私を利用したければすればいい。ただし、ここにいる子は無関係だ。少しでも手を出せば、私は自ら命を絶つ」

た、絶つって。
シャルルは座り込んだまま、震えていた。手をロイに伸ばし立ち上がる。シャルルを背後にかばうように立ったまま、ロイはゆっくりと閂を外した。

扉が開く。
明るい外光に視界を奪われ、同時にシャルルは悲鳴を上げていた。
誰かにつかまれ、必死でしがみついていたロイの手も引き離される。
「ロイ!」
少年は軽々と男たちに担ぎあげられ、視界から遠ざかる。
ロイに乱暴なことするな、騎士の背中に怒鳴ってわめいた。


「やっと、静かになったか」
そう伝令兵が笑い。その背後に乗せられているシャルルは男の背中を叩いた。馬の背は想像以上に高さがある、飛び降りてやろうにも少し勇気が足りない。
「怒るな、お前、俺たちを蛮人か何かだと思ってるだろう」
「……そうとしか見えない」
肩をすくめて、男は前を行く騎馬を眺める。
そこには縛りあげられたロイが乗せられていた。ぐったりとして、一緒に騎乗している騎士に抱えられている。
「熱があるんだよ、乱暴なことしたら死んじゃうよ」
「死なれては困るな」
「じゃあ、もっと優しく」
「逃げられても困る」
シャルルはしっかりと抱えていた蒼い剣を手のひらに感じる。今、ここで、これを。
「フランドル伯ジャンヌ様もお前と同じ髪、同じ瞳の色をしておられる。まあ、年齢からみてもお前がその娘だと頷けないこともない」
ぽつりと、伝令兵がつぶやく。

この男、フランドル伯を知っている。シャルルはひそかにこぶしを握り締めた。

「状況を見ろ。お前は何も知らないんだ」
「お、教えてくれないだろ!?子供扱いしてさ!都合のいい時ばかり大人扱いで結婚とかも勝手に決めるんだ!」
くく、と。男が笑うのが伝わる。
「面白くない!笑うな」
「お前が本当にジャンヌ様の血を引くなら、俺がもらってやる」
!!!
思わず短剣を抜きかかる。
と、動けなくなった。
「短気なところも、女伯にそっくりか」

手ごと短剣を押さえ込まれ。騎馬を操りながら片手で押えられただけなのに、シャルルはもう身動きが取れない。悔しくて足をバタバタとさせた。

続きは7月27日公開予定です♪

『La croisade de l'ange 1:Reims』 ④

『Reims ‐ランス‐』




はあ!
シャルルの溜め息は諦めというより八つ当たりの感が強い。目の前の伝令兵の背中は動じないから余計に腹立たしく、ごつ、と背中に額をぶつけてよりかかる。傾きかけた日差しに、騎士のマントは暖かくなっている。
甘えたいわけじゃないが、なんだか急に疲れを感じ、そのまましばらく休憩。
ふと鳥の声に顔を上げ、晴れた空を見上げる。
騎士の背中越し、森の入り口が見える。昼間だというのに誰も見かけない。誰かいたら助けてもらうのに。
きょろきょろと見回すシャルルに気付いたのか、目の前の背中から声がした。
「気付かなかったのか?この収穫期に畑に一人も人がいないだろう?戒厳令が敷かれたのさ。郊外に展開する我らシャンパーニュの軍を恐れてな」

戒厳令?

く、と男が笑ったのが分かる。
「別に脅しているわけじゃないが、勝手に大司教様が警戒なさっているだけだ。……そうだ、お前。取引しないか」
言い出したのは伝令兵だ。
「俺たちはラエル修道院を通らずにランスに入りたい。道を知らないか」

誰が応えるもんか。そんなのないし。
シャルルはぷんと顎をあげた。

「おい、なんとか言え」
隣を進んでいた髭の騎士が、シャルルの脇を剣の鞘でつついた。
「伝令兵のくせに偉そう」
「お前のほうが偉そうだ、ガキが!」髭の騎士は怒りのままシャルルに手を振り上げた。
バンッ!!!
「いっ!?」
シャルルは知らん顔で伝令兵の腰のサーベルを抜き、盾にしていた。
思い切り素手でサーベルをぶったたいたのだ、痛いだろう、それは。
「よかったね、手がちょん切れなくてさ」
「こ、このガキ…」

伝令兵が背後を振り返った。
「おいおい、そいつは妙に素早いから気をつけろ」
シャルルも笑って髭の男に舌を出す。
「気をつけろー」
ぶっ!
急にバランスを崩してシャルルは男の背に鼻をぶつけた。
「いた~」
左手を掴まれて、右手だけでかろうじて男にしがみつく。

「何すんだよ、放せよ!落ちるだろ、手を放せ」
「騎士の剣に不用意に触れるな。それにな。俺は伝令兵ではない、言葉に気をつけろ」
「知らないよ、そんなの。名乗らなかっただろ、初めて来たとき」

「名乗らないときには理由があるものだぜ。ランス大司教に単身会いに行くのに身分の低いものでは無礼だろうが。そのくらい推測しろ。お前は何も知らないし、知らないままでいることだ」
無事でいたいなら、な。そう付け加える。

「そうやって、思わせぶりなこと言ってさ、でもわかってるんだ!修道院を通りたくないってことは後ろめたいからだろ、悪いことしてるからだ!でも無理だね、このランスは街を護るために修道院を置いたんだ。大人しい顔してたって、皆すごい強いんだから。院長なんか、鬼みたいなんだから!」
ぶ、と。伝令兵ではない名無し男は笑ったようだ。

「笑うな!由緒正しいランス司教座を外敵から守ってきたんだ、だから僕らも体術を習ってるんだ。東の国の、よくわかんないけど、すごいんだ」
ますます笑われ。
「修道院を敵に回すと、生きて帰れないんだから!」
興奮して怒鳴るシャルルに髭の騎士も、ロイをつれている大柄な騎士も笑った。ぐったりと目を閉じていたロイもうっすらを目を開けた。
「ロイ!」
ふ、と笑われた気がした。
「な、なんだよ!お前が笑うなよ!」

「シャルル、とか言ったな。俺たちは修道院の敵じゃない。ランス大司教からも通行許可をいただいている。ただ、お前がいるから通りたくないだけだ。お前が何も見なかったことにできるなら、今ここで解放してやる」

だけど!!
ロイはどうなるんだ?
「いたっ!?」
ぎり、と男が掴んだ手に力を込める。
シャルルの反論は止まった。
「約束できるのか否か?」
「痛いよ!!放せっ!はなせーぇ」
男の背中を左手で叩いても、掴まれた腕はひどく締め付けられるばかり。シャルルは痛みと悔しさに唇をかむ。

「シャルル、私は大丈夫。君は何も気にしなくていい。落ち着いて」
ロイの声に顔を上げると、我慢していた涙がほろとこぼれた。妙に大人びたロイの口調は綺麗な発音で耳に残る。騎士たちもなぜか黙り込んだ。

ロイはやっぱり何か特別なのだ。シャルルに威張って見せた名無し男に、
「手を放しなさい、仮にも騎士として叙任されたのだろう。私は子供を巻き込むなど不名誉なことは望まない」と。まるで、そう、まるでこの場で一番偉い人みたいだ。

しばらく無言で少年を見つめていた男は、肩の力を抜いた。
「ご自分では子供ではないとお思いですか」
「…解放してやってほしい、…お願いです」
噛みしめるようにそれだけ言うと、少年は目を閉じじっとしている。

青白い顔に木々の影がかかり、一層顔色を悪く見せる。いつの間にか森に入っていた。シャルルは慣れ親しんだ景色も馬上からでは随分違うのだと気づく。

「ま、貴方がそうおっしゃるなら」
寛大だねぇ、俺は。と騎士は呟きシャルルの腕を放した。
シャルルはこぼれかけた涙をごしごしとぬぐって、解放された手をそっと見る。細い手首は赤い跡が残り、じりじりと鈍い痛みを伝えていた。



温かいアンの隣、綿入り枕に頬をうずめる。眠れずにシャルルは顔を枕に擦り付けた。

結局、僕は森の中で解放された。
一人残され、とぼとぼと戻った。
散々院長に怒られて、外出禁止だとか言い渡された。

「他言無用だ」と念を押した名無し男と、連れ去られたロイが気になる。
名無し男は言った。僕はランスの人間なのだと。

シャルルは院長に叩かれた尻を無意識にさすりながら寝がえりを打つ。

僕はここで育った。ここの住人。あの伝令兵と同じ側、つまり、ロイの敵側の人間なんだ。
だけど。

だけど。

シャルルはそっとアンの隣を抜け出した。寝静まるのを待っていた。
「シャルル?」
「!……ちょっと。お尻が痛くて。井戸の水で冷やしてくる」
「大人しくしてなさいよ、子供は大人の言うことを聞いているのが一番幸せだよ」
半分眠っているアンは目を閉じたままそんなことをつぶやいた。すでに姿のないシャルルがそれを聞いているわけはない。

シャルルは使用人の館を抜け出すと、修道院の脇を抜け街へと歩き出した。
ロイは騎士のマントに隠されて、修道院を通り抜け市街のほうへと連れて行かれた。助け出せるとも思わないけれど、気になって眠れない、だから。

自分に言い訳をしながら、シャルルは目立たないように修道女の黒い衣装を頭からかぶり、暗い道をよたよたと進んだ。雨が降るのか、湿り気を含んだ重い夜風に大人の服は足かせのようだ。
遠く月明かりに大聖堂が見える。
市街の小さな二階建ての家々は、夜の闇に沈んで誰もいないかのように思える。大聖堂の薔薇窓だけが曇天の月のようにぼんやりと夜を照らした。
ローマの法皇様の次に偉い大司教様がこの地を治めている。大勢の司教や司祭がこの街の大聖堂に住まい、神に祈りを捧げている。時には争いごとを裁き、時には農民に施しもする。

大きな儀式や例祭があるときには修道院の子供たちも呼び出され、聖像を磨いたり古くなった蝋燭を取り替えて回ったりする。その時に一度だけ、大聖堂の奥、普段は聖職者しか出入りできない神の間と呼ばれるところに入ったことがある。神々しい高い窓のステンドグラスは縦に細長く、日を透かした「神の光」を天から注ぎ、祭壇が華やかに輝いた。あまりの美しさに、シャルルも思い出せば身震いがした。
「大丈夫、悪いことするんじゃないんだ、大丈夫」

巨大な二つの塔を抱える聖堂のファサードが見えてくると歩みは少し遅くなる。
どこから入ったらいいんだろう。
どこにロイはいるんだろう。

雲に届くくらい高い建物を見上げ、それからまたフードの下に顔を隠すとシャルルは聖堂の正面扉に向かう。
迷った末、結局いつものところから堂々と入って行った。祈るもののためにそこはいつも開かれている。
ひっそりと静まり返った礼拝堂は蝋燭の炎すら揺れないほど。じっとりと重い夜の空気に何もかもが寝静まっている。ふと。暗がりの視界に何かが横切る。
「!?」思わず声をあげかけ、小さい白いそれが自分の前に回り込んで、立ち上がる。
「なんだ、クウ・クルか。いないと思ったら、こんなとこに。お前、また、あいつらの馬にくっついていたんだろ」だとしたら、やはりここに彼らはいる。
警戒しつつもそれがシャルルだとわかったのか、白イタチはつるりと背中を上った。
「静かに」
クウ・クルは首をかしげる。
一人と一匹はずるずるとした衣擦れの音とともに聖壇の脇から聖堂内部へと入っていく。
きらびやかに塗られた礼拝堂が生きるもののための場所ならば、その裏側は死者のための墓地。安らかに眠るための道筋。死出への旅を思わせる暗い廊下を、少女は黒い衣装を引きずりながら進んでいく。見る者がいれば恐怖に声を失っただろう。


進むうちに鼻がむずむずしてきた。慌てて鼻をつまんでみる。
「んむむ」
立ち止り、修道女の衣装で顔を覆う。小さなクシャミがくぐもって漏れ、少し鼻をすすりながら少女は歩みを再開する。
確か、大祭のとき奥にある大司教様の寝所の近くまで行ったことがある。

階段をそっと上る。引きずる衣装がおもしろいのか、クウ・クルは裾に取り付いて、ゆらゆらと揺られていた。
階段の踊り場には上階からの明かりがもれている。誰かがいるのだ。
また、鼻がむずむずし鼻と口を押さえた。この古い服、何かついているのかな。かすかにカビ臭い。
「何か、音がしなかったか」と、男の声がする。
「気味悪いこと言うな、だいたい大司教様のご命令とは言え、夜通し見張るなんてさぁ。こういう場所は苦手なんだ、おい、置いていくなよ」
「ばか、お前がついてきたら二人いる意味がないだろうが」
「うるさい。一人でこんなとこ、いられねえよ」

二人分の足音と長く伸びた影が階段に近づくから、シャルルは慌てて一歩下がる。踊り場の暗がりに逃れようとし。ずる、と。
裾を踏んで階段を踏み外した。
「わぁ!」
少女の甲高い声と下敷きになりかけたイタチの鳴き声、ずるずると落ちる音。階段に反響し、なんともいえない不気味な音になった。

「なんだ!」と「うわ」と二人分の男の声が重なる。すぐに動き出す気配がないのは男たちも怯えているからだ。

いったぁ……。
数段分滑り落ちた尻をなでながら、シャルルは衣装を脱ぎ棄て駆け降りる。
裸足の足なら響く音はない。


シャルルはじっと、廊下の柱の陰に張り付くように隠れていた。
寒いのに、変な汗をかいて。じっと息を詰めているうちにぞくぞくと震えてくる。もじもじと裸足の足で足踏みを始めた。それでも気になって階段の方角から目が離せない。大聖堂の衛兵たちが見張っているってことは、そこにロイがいるのかもしれない。
自分の呼吸が太鼓の音のように耳に響いた。
クウ・クルがいる肩だけが温かい。


上階では衛兵の男二人が恐ろしげにランプを掲げてやっと階段を下りてきた。
「おい、こりゃ、なんだ?」
一人がくしゃみをしながら、衣装を気味悪そうにつまみあげた。修道女の衣装じゃないか?とこわごわもう一人が。また、くしゃみ。
と、衣装の中から小さな真っ白い生き物が飛び出してきた。
手に這い上るそれが怖がりの男に飛び移り、思わず悲鳴を上げた男は振り払おうと手を振りまわす。「なんだ、何がいた?」もう一人が掲げる明かりにも何も映らない。


シャルルは階段のほうをじっと見つめていると、上の階からくしゃみ、続いて衛兵の叫び声が聞こえた。
「なんだ、何がいた?」
目の前を階段を駆け下りてきた白イタチが走り抜ける。
あれ?
じゃあ、肩のこれは?
「お前こんなところで何をしている」
低い男の声に、今度はシャルルが悲鳴をあげた。




大司教との面識は一方的なものだった。
シャルルはこれまで何度も大祭や儀式で見かけたことがあった。しわくちゃなおじいちゃんだと思っていたし、重そうな衣装は金の刺繍がたくさんで、それが気になっていた。小さい頃から一度触ってみたかったのだ。
それが、いま。自分の目の前をするすると進む。
触る勇気も無いが。
「随分大人しいじゃないか」
背後であの名無し伝令兵が笑った。

こいつに捕まって、大司教様のお部屋に連れてこられたのだ。

三度目、シャルルの前でいったん大司教様の足が止まる。
金色の衣装が、また右から左に向きを変える。
踵のある綺麗な靴。それがうっすらとくぼみを残す厚い絨毯の模様をじとっと見詰めたまま。シャルルは顔を上げられなかった。遠くから見ているのは平気なのに、目の前にその人がいるかと思うと異様な緊張感に声も出せずにいた。

「この子が、かの方の存在を知っている、ということなのですね」
ゆっくりと少し古い言葉で語り、大司教は右に左に歩いていた足を丁度シャルルの前で止める。目の前の衣装を見つめたまま、シャルルはごくりと唾を飲む。
かの方って?
「ええ、大司教様。昼間、あの子と一緒にいました」
「シャルルと申したな。このことを修道院長のアデレッタには話したのですか」
シャルルが首を横に振ると、静かな声が降りてくる。
「このことは誰にも話してはいけません。そしてこれ以上知ろうとしてもいけません。それが出来るなら、お前にあの方の世話を頼みます」
あの方って、ロイのこと?
つい顔を上げ、シャルルはしわの中の小さな蒼い瞳と目があった。
それはかすかに笑った気がした。
「知らぬほうがよいこともある。できますか?」
黙ってうなずいた。
シャルルには反抗する理由は無い。

「いいでしょう。シャルル、あの方の身の回りの世話をしてもらいます。よいですね」
最後のよいですね、はどうやらシャンパーニュの名無し男に向けた確認らしい。
男は肩をすくめ、「どうせなら、私の世話をさせたいところですが」とにやりとする。
その視線がシャルルの全身を眺めまわしたようで、ぞっとした。思わず頸を横に振る。
大司教は少女と騎士を見比べ、
「ロトロア殿、昨夜は修道院にお泊めしたが院長より訴えが届いています。今夜はこちらでお願いしたいと。騎士らしからぬ振る舞いはお控えなさい」とたしなめる。
伝令兵が修道院でなにか悪さをしたのだとシャルルは勘を働かせる。あの院長が追い出そうというのだから余程のことだ。
「しかたありません。まだ、例のお話もお返事をいただいておりませんし、こうなったからには早々に心を決めていただかなくてはなりませんが」
「まだ、返答はできません。聖堂参事会が明日開かれます。そこでの協議の次第」と。大司教は目を閉じた。あげた片手が戸口の方向を差し、控えていた司祭が扉を開き、退室を促す。きらびやかな大司祭の部屋を伝令兵に引かれ、シャルルも立ち上がった。

連れてこられた時は引きずられていたし、どうしていいのか分からずうつむいてばかりだったが、今閉じようとする扉の向こうは見たことのないようなきれいな部屋だったのだと気づき、名残惜しそうに振り返る。
「ほら、早く来い。愛しの王子様に合わせてやるぜ」
伝令兵に腕を掴まれかけるが。
「別にそんなんじゃないよ」
ふ、とシャルルが身をそらし回り込むと、男は見失ったのか慌ててぐるりと後ろを向いた。騎士のくせに鈍い。
すでにシャルルは男が向かおうとしていた廊下の先を歩いていた。
「お、おまえ、いつの間に」
「遅いな、甲冑が重すぎるんだよ」
「ふん、急に元気になりやがって。イタチみたいな奴だ」
そういえば、ロイにも同じことを言われた。面白そうに笑った。
体調が悪いといっていた。大丈夫かな。
「ほら、早く。ロンロン」
「誰がロンロンだ!」
ロンダン?ロスロス?いくつも並べれば男はますます顔を赤くした。
「シャルル、調子に乗ると本気で痛い目を見るぞ」
「聖堂内だからね、悪いことしたら神様の目はごまかせないんだ」
「は、お子様だな!俺がどうして修道院に泊まれないか教えてやろうか?」
二人はいつの間にかかけっこのようになっている。
「尋ねてはいけません、がお約束だからさ」と耳をふさぎ舌を出す。どうせ、ろくでもないことだ。
「待て、ばか」
「こっちだ、ほら、衛兵が立ってる」
先刻は恐々昇った階段も、今は一段おきに駆け上がる。

ロイに会える。

続きは8月3日公開予定です♪

プロフィール

らんらら

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