10
1
2
3
4
6
7
8
9
10
11
13
14
15
16
17
18
20
21
22
23
24
25
27
28
29
30
31
   

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『La croisade de l'ange 2:Laon』 ①

『Laon ‐ランの風は苦く‐』


―13世紀、フランク王国。かつて権力を誇った広大なシャンパーニュ、そこから北に遡る海への玄関口、フランドル。元来の製造業に加え、港や河川を利用した商業の発達にともない経済力をつけるこれらの地方は、カペー王朝からすれば、見過ごすことの出来ない北東部の二大勢力である。
シャルルはシャンパーニュ伯の遠縁にあたるロトロアに雇われ、点在する王領の一つ港町ブリュージュに滞在していた―




港と運河。外国から運ばれる品々はこのブリュージュを経由して内陸へと川沿いに運ばれていく。緩やかな流れは昼下がりの日差しを弾いてきらきらと眩しい。星のように瞬く運河の中を白い帆を張った小さな船が行ったり来たり。
行ったり来たり。

ふと。眺めていた景色が真っ暗になる。
あれ?
頬杖をついていたシャルルは、うっとりと眠くなりかけた目を擦った。
真っ暗?
「シャルル」
「うわ!」
がたん、ガシャン、ばらばら。
分かりやすい音を響かせて、シャルルは椅子をひっくり返し、隣の席の机の上に飛び乗っていた。
しんとした教室内、シャルルが先ほどまでいた席では、司祭が呆れて額を押さえていた。
「なんだ、びっくりした、司祭様の法衣だったんだ。急に真っ暗になるからさ」
しんと静まり返っていた室内は、シャルルの声で時間を取り戻したようだ。
シャルル、バカだと誰かがつぶやき。くすくす、と笑う声。子供たちは、シャルルが「何だよ?」と睨めば大人しくうつむいた。
もともとシャルルは修道院でも一番だった。このブリュージュの教会学校でも、結局は男の子のように振る舞い、喧嘩でも誰もかなわなかった。
南の町から来たシャルルを遠い南国の獅子のようだと誰かが噂し、『リオン・ド・リタ』(リタの獅子)と変なあだ名がついた。
「シャルル、貴女はどうしてそう、普通の反応が出来ないのですか。降りなさい」
野良猫みたいですよ、まったく。ぶつぶつと小言を吐き出しかける司祭をシャルルは遮る。
「だって、先生が驚かすから」
司祭の小言をさっさと切り上げるつもりでシャルルは肩をすくめ、トンと机を蹴って、自分の転がった椅子の上に器用に片足で立つ。
「シャルル、授業の邪魔をするならリシャール様に言いつけますよ!退学ですよ!」
「はーい、いっ」と今度はちゃんと床に着地。そこで。
鐘の音。
昼を告げる、港の鐘の音だ。
「終わった!」
「シャルル!まだ、ご挨拶が」
「ありがとうございました!」

退屈な教会学校の授業をさっさと飛び出して、ロトロアの屋敷へと向かうのだ。今日は午後から大好きな乗馬。もう、退屈な勉強をしている余裕なんか無い。
足元をついて来る白イタチにちらりと視線を落とし、「今日は乗馬だよ、乗馬。お前も好きだよね、早い者勝ちだぞ」と競争を仕掛ける。
イタチは途中まで並んで走っていたが、シャルルが教会の門から飛び出したところで塀に駆けのぼり近道。
ジャンプ。
シャルルの肩にふらりと取り付いて、ずるをする。

「!お前、ずるいっ」
笑いながら、シャルルは運河沿いの道を走っていく。
少し先の橋を渡ればすぐ、ロトロアの別邸。シャルルはここに住んでいた。
背後に広い森を持ち、そこで狩りもする。所領のルジエからの業者を保護し、港での取引を斡旋する。フランドルの綿を仕入れて、ルジエで織物を生産する。そういった商業活動にちょうどいい拠点なのだという。
ブリュージュを治める国の代官(バイイ)が、別邸に招かれた時に言っていた。
「ロトロア伯はなかなかのやり手ですよ。シャンパーニュ伯のおそばに仕えるのもわかりますな」と。


門番が笑って手を振るそこを過ぎると、番犬のカロがいつの間にか競争に加わっている。楽しげな犬の鳴き声と一緒に大きな厩舎に辿り着く。期待に満ちて振り回される犬の尾に急かされながらシャルルは扉を引いた。
「いっちばん!」と。
両手をあげて飛び込んだ先。
シャルルは「あああ…」と満面の笑みを固まらせる。
その肩からするりと飛び出したクウ・クルは大好きな白馬ブロンノを見つけると駆け寄って額に上る。毛色が自分と似ているからか、クウ・クルは白馬が好きだ。
ブロンノの主人がそこにいた。
マントをつけたまま、少し伸びた黒髪を一つに束ね、相変わらず顎髭は年齢を上に見せる。長身の騎士。つまり。
「ロトロア、戻ったんだ」
騎士は大声をあげて飛び込んできたシャルルに唖然としていたが、噴き出す。
「お前……」
ひっひっ、と聞こえる変な笑い方をして、シャルルの主人は腹を押さえている。

くそ~変なとこ見られた。
赤くなる顔をごまかすようにシャルルは口を尖らせた。
「なに、戻るなら戻るってさ。なんだ、がっかり!」
「がっかりはないでしょう?シャルル。ロトロア様がせっかく十字軍遠征から戻ったというのに。命をかける戦場ですよ?待ちわびる美しい乙女がすることはまず熱い抱擁と、無事を喜ぶキスでしょう」

美しい乙女って誰のことだよ。待ちわびるって何を?

呆れる台詞を吐いたのはロトロアの向こうに控える騎士リシャール。ロトロアのセネシャル(側近)で、親友らしい。長いブロンドに通った鼻筋、優しげな美青年だが、華やかな顔から発せられる笑顔とその気持ちの悪い台詞がシャルルは苦手だ。それがシャルルの教育係だとかいうからロトロアも意地悪だ。
「そ。お帰りなさい。相変わらずお元気そうで」聞きたくないと言わんばかりに両手を頭の後ろで組んで、シャルルは自分の馬ロンフォルトに鞍をつけようと二人の脇を抜けようとする。
「待て、こっちに来い」
ロトロアに襟首を掴まれそうになるが、そんなもの。さらりと一歩でかわす。
皮の手袋は空を切り、ロトロアはしばし無言、少年の姿をしたシャルルを上から下まで眺める。それがいやだ、とシャルルは肩をすくめた。
「相変わらず、すばしこいな」
「だよ」
「色気も何もない」
「いらないから」
「もう十三歳だろ?」
「だね」
ロトロアが黙り。
シャルルも無言でにらみ返す。

「まあまあ、シャルル。ロトロア様も。少し早いですが昼食が準備させました、まず腹ごしらえということでいかがです」
リシャールの提案にシャルルもしぶしぶ頷く。まあ、お腹は賛成しているから。
シャルルは厩舎を出て歩き始める二人の後をついて行く。母屋では確かに、庭に据えられた窯から煙が立ち上っていた。庭で肉でも焼くんだろう。
シャルルは無意識に腹に手を当て、足も早まるから二人のすぐ後ろに立つことになる。
「リシャール、あれには手を焼くだろう。すまない」
「お許しがあるならば、シャルルを女性らしくさせる方法はいくらでもありますよ、ロトロア様」
にっこりと笑う青年は女性を口説く手練は人並み外れている。その気になれば子供の一人二人、なんとでもなります、と。そういう笑みだ。
「……好色な顔をするな、リシャール」
シャルルはそこだけはうんうんと頷く。

リシャールはロトロアより二つ年下の十九歳。優しげで綺麗な容姿、羞恥心のない台詞で屋敷中の女たちを夢中にさせる。常に誰かと恋愛しているという。性分だろうが、ことあるごとにシャルルの肩や手に触れようとする。それを避けようとするから、シャルルの素早さにも磨きがかかる。
集まれば騎士たちを値踏みする女たちを思い出す。誰にでも愛情と笑顔を振りまくリシャールが一番で、ロトロアは主人のくせにいつも二番なのだ。多少、憐れみもわくというもの。
「だいたい、そんなの(リシャール)をそばに置いとくから、女をみんな取られちゃうんだよ。だから、ロトロアは二十歳すぎても独身だし」
小声だったのに先を歩く男二人がちらりと振り返る。シャルルは慌てて視線をそらす。
「な、クウ・クル」と。そこにいもしない白イタチに話しかけるふりをする。
イタチは今頃、馬と戯れているに違いなかった。


昼食が終われば、乗馬のはずだった。
なのに、先生のリシャールがロトロアと話し込んでいるから、シャルルは仕方なく食堂の端に置かれているソファーに座る。その内眠くなって、横になる。庭先で真剣な顔をして話し合う二人を眺めている。
シャルルの希望で犬の形に刈り込まれた植木。隣に置かれたイスとテーブル。そこに二人の騎士は腰を据えている。日蔭のそこはさらりとした心地よい風が吹く。夏の終わりを示す虫の声が聞こえてくる。
かすかに声が風に乗る。

「では、戦線離脱、ということですか」
リシャールの問いに、ロトロアは肩をすくめた。
「ティボー四世のご判断だ。しかたあるまい。当然ながら、ルイ八世陛下はご機嫌斜めでな」
「でしょうね。招集した諸侯の中でもっとも力あるシャンパーニュ伯が我先にと帰還してしまったのでは示しがつかない」

この年、フランク王国の十字軍遠征に従軍した諸侯のうち、シャンパーニュ伯ティボー四世だけが早々に兵を切り上げたのだ。ティボー四世と臣従礼を交わしているロトロアも同行し、つまり戦線離脱を果たしてここにいる。
王妃ブランシュ・ド・カスティーユに一方ならぬ想いを抱くティボー四世は、当然ながらルイ八世に対して卑屈な嫉妬心を抱いていた。
気まじめで優秀な主君ではあるが、ティボー四世のその資質は恋愛に対しても同様に発揮される。結果的に感情が抑えきれなくなれば、他者からは理解されにくい衝動的な行動をとることになる。
ロトロアも詳細を知るわけではないが今回もそんな様子だと噂は届いていた。
ティボー四世が思いのたけを綴った詩を王妃ブランシュに送りつけたとか。それを王妃は迷惑がっているとかそうでもないとか。噂は限りない。

「ティボー四世にも困ったもんだぜ。また、例の女さ。あれに惚れこむ理由がわからん」
「ブランシュ様は魅力的ですよ、分かります」
リシャールにとってはどんな女性も魅力的なのだ。ロトロアは肩をすくめワインの杯を口に運んだ。
「ただ。恋愛を政治に持ち込むことが問題でしょう。ティボー四世は曲がりなりにもこの広大なシャンパーニュ地方を統べる方、ロトロア様も含め多くの諸侯の臣従礼(オマージュ)で支えられている。信頼を損ねるような行動は慎まれるべきです」
部下の率直な物言いにロトロアが目を細める。会話がわずかに途切れた。

リシャールはロトロアの視線の先、シャルルを見やった。
「場所を移しましょうか」
「……いや、後にしよう。昼間からする話ではない。お前の色恋沙汰のほうがましなほどだ」
「恋愛話は相変わらず苦手でいらっしゃいますか」
「何しろお前に比べて恋愛の経験は浅いからな。女は女、一皮むけばどれも同じだ」
リシャールは目を細める。この幼馴染の主君は、女の経験は負けず劣らずだが恋愛に疎い。夜の相手としてのみ女を扱うのだから、慕う女性もいつしか離れるが本人は平気なのだ。悪い人間ではないのだが。
貴族の結婚には政略が絡むのが当然。そう育てられたと言えないわけでもないが。
リシャールはちくりと嫌味を放ってみる。
「女は敵のように切って捨てるわけにもいきませんしね」
「お前、俺を何だと思っている」
「戦場では負け知らずの尊敬する我が主君、です」
「戦場では、か」
ロトロアの苦笑いにリシャールは数杯目のワインを主君に注ぐ。リシャールは控え目な優男に見られるが幼馴染のロトロアの前では本音を吐く。鋭い観察眼と冷静な判断、斜に構えた皮肉屋が顔をのぞかせる。それは時にロトロアにとっては苦い、だが苦いからこそ薬は効くのだ。
「良薬口に苦し」
リシャールと話すと、幼いころ乳母に言われた言葉をいつもロトロアは思い出す。
違う考えの臣下を重用できるのは主君の器量が大きい証。乳母の言葉をそう解釈したのは生まれて初めての臣従礼(オマージュ)をこの男から受けた時だ。歳の近い幼馴染がロトロアを「我が主君」と呼ぶことを決めたのと同様、ロトロアがリシャールを受け入れ理解することは当然の義務だ。

「ロトロア様の最大の敗因はあれじゃないですか?」
シャルルだけは切って捨てることができずにいる。ロトロアにとって単なる女ではないのだ。リシャールの期待はそこにある。
「シャルルがフランドルの血を引くとは、噂だけです。はっきりすればどう扱おうと自由です。ご命令があれば調査いたしますが」
「あれはあのままでいい」
「……一応女性ですし。そのために連れてこられたのではありませんか」
「いらん。騎士として扱うという契約だ」
子供相手のそれを律儀に守っている主君にリシャールは面白みを感じ、それはにやにやとした笑いを生む。
「何がおかしい」
「いいえ。シャルル、おいで」


すっかり昼のまどろみに浸っていた少女はピクリと、猫のように顔をあげた。
「なに?……馬?」
「うま?」
二人の騎士が同時に聞き返す。

「違うなら、いい。馬に乗れると思ってさ、学校も半日我慢したのにさ」
伸びをしながら、癖のあるミモザ色の髪をかきむしる姿に、「獅子の子のようだ」とロトロアは笑う。
「学校ではリタの獅子、リオン・ド・リタと呼ばれています。服装も男子のままですし、何度司祭から苦情を寄せられたことか。私はあきらめましたよ」
「僕は騎士になるからね」
リシャールの視線は憐れみを含んでいるが、シャルルが気づくはずもない。
「せいぜい立派な騎士になって俺を護れ」とロトロアが笑えば、「しょうがないな」とシャルルは顔をしかめ。
「余程誰も守ってくれないんだね」とシャルルが笑えば、「ふざけるな」とロトロアが顔をしかめる。
リシャールは二人の掛け合いに一人密かにため息をつく。

さて、第二章の始まりです♪
新しいキャラも登場して、物語は視野を広めていきます♪
歴史を知らなくても分かるようにと工夫していくつもりです…何しろ私自身、苦手だから(笑)
これから毎週月曜日更新です!
どうか、お付き合いを~♪


スポンサーサイト

『La croisade de l'ange 2:Laon』 ②

『Laon ‐ランの風は苦く‐』



その夜。ロトロアの帰還に合わせて湯が沸かされた。
普段、水で体を洗うのだが、ときどき沸かされる風呂がシャルルは大好きだ。修道院ではなかった風習で、どうやら南のローマ帝国では当たり前のものだそうだ。
以前はそうでもなかったらしいが、十字軍の遠征に初めて赴いた折、異国で風呂というものに浸かってからロトロアも家で浴びるようになったという。
「これだけは、ほんと、幸せだなって思うな」
シャルルは手伝ってくれる女中のルワソンに髪を洗われながらぼんやりと天井を眺める。ふわふわと湯気がのぼる様は見ていて飽きない。
「綺麗な髪ですね。お肌も柔らかくて」
そこで言葉が止まる。なに?と顔を上げるとルワソンの視線はしっかりシャルルの体を見ている。
忌々しい、胸元。用もないのにそこだけ見れば女なのだから腹立たしい。
「何?」
返事は大きなため息。
「布で押さえているなんて、苦しそうですよ。もったいない。レースのドレスをまとえばどんな殿方も放っておかないのに。ロトロア様もご存じないでしょう?」
そこを強調するために苦しいコルセットで腰を押さえる貴族女どものほうが理解不能、とはさすがに言わないが。無視しようとシャルルは目の前に登ってきたイタチに手を伸ばす。
ぐ、と。逃げそこなったクウ・クルは強引に湯船に入れられて、派手に暴れる。
「わ、こら、お前も綺麗になれってば!」
「きゃ、シャルル様。やめてください!イタチは熱いのが苦手ですよ!」
「でも」
「死んでしまいますよ!」
うひゃ、と。慌てて、湯船から取り出すと、クウ・クルはくったりとしている。
「おい、おい!?クウ・クル?」
恨めしそうに目を開けてシャルルを見上げるが、動こうとしない。そのうち目を閉じる。
「わ、うそ、しっかりしろ!どうしよう、ねえ!」
「お医者様じゃあ…だめですよねぇ」女中がイタチの額を恐る恐る触る。それでもクウ・クルは鼻をかすかにひくひくさせるだけだ。いつもなら、シャルル以外の人間には触らせないのに。
「そう、そうだよ!リシャール、呼んで、ねえ、あいつそういうのできるって聞いた」
裸のまま、イタチを抱えて飛び出そうとするシャルルを、女中は必死で抑えつける。
「待ってください、お願いです!シャルル様、落ち着いて!」
「クウ・クルが死んじゃう!!」
親友なんだ。
僕が一人じゃなかったのはこいつがいたから。
親がいないのは同じで。僕と仲間だった。


それより少し前。
よく晴れた夜空に明るい月が見えるロトロアの寝室。
広い室内の半分を占める書類や机、棚。そこに置かれたテーブルとソファーにリシャールとロトロアが座っている。
二人の前には一つの羊皮紙。窓からふわりと漂う夜風に揺れる。
丸められた跡を残し、今もランプの光にそりかえった白を光らせる。
湯を浴びてさっぱりしたロトロアは久しぶりに髭をそり、リシャールは「若返りました」とまじめに評した。
「もともと、若いんだぜ?」と答えたとしても相手は自分より二つ年下。ロトロアは目を細めるだけにとどめた。
これから話すものはそういう軽いものではなかった。

「ルイ八世陛下は、三日前に亡くなられた」
その事実はまだ、早馬での伝令が伝える一部の諸侯しか知らない。
前線に残っていたブルゴーニュの伝令が知らせてきたのだ。

「原因は?」
しばらく無言でそれを受け止め、噛みしめるように確かめるリシャールの問いに、ロトロアは首を横に振る。
「詳細は不明。だが。だからこそ、浮上しているのが」
リシャールはロトロアの顔に少し近づく。ロトロアの声が低く小さくなったからだ。

「シャンパーニュ伯ティボー四世が、毒をもったという噂だ」
「まさか」
「我らが戦線を離脱してから帰還するまでの七日の間に亡くなったというからな。可能性を否定することもできんが。まあ、真実などどうでもいい」
乱暴に聞こえるロトロアの言葉、何の考えがあってかとリシャールは黙って聞いている。

「ティボー四世がルイ八世と不仲だったのは真実で、誰もが知っている。その状況で毒殺であるなら。我らシャンパーニュが何を弁護しようとも無駄だ。所詮、噂など手足のない幽霊。存在の有無を論じても無意味。ティボー四世も正式に宮廷から訴えられているわけでもないものを、噂は違いますなどと否定することもできん」
「では。噂に手足が生え、正式な訴えとなったときには」
「十分反論できるよう、備えているところだ。最悪は、一戦交えることになるかもしれん。我らも備えるべきは備えなければならん」
「では」
「この王領でのんびりしているわけにもいかない。叔父上のもと、ランに戻る。少々厄介だが、まあ、仕方ない」
ロトロアの叔父、ラン伯は今年五十歳になる。父親を亡くしたロトロアにいくらかの所領とこのブリュージュの家を与えてくれた。
「子ライオンは連れて行くのですか」
「俺はお前をつれていきたい、となればあいつも連れて行くしかないだろ。ここに残しておけば他のものに迷惑だ、何をしでかすかわからん。それに。あれがどこまで覚えているかは知らんが、王子について余計な情報を漏らしたくはない」
「…そういえば。ルイ八世の王位継承はどなたが?」
「…継承権はルイ王太子にある。ブランシュが可愛がっているからな」
「ルイ九世の誕生、というところですか?まだ、十二歳でしょう?」
「ブランシュ王妃が摂政にでもなるさ。宮廷はわれら諸侯をクリアレギス(王国会議)より追い払い、今や身分の低い家臣たちを重用している。かつて、フィリップ・オーギュスト王に従い、この国を一つにと協力した重臣団は、今や無用の長物さ」
叔父上が聞けば憤慨しそうだがな、と。ロトロアは笑った。


扉をたたく音に二人の笑顔が止まった。
「ロトロア様、ルワソンです」
「どうした」
許しを得て女中が扉を開く。ととと、と裸足で走り込んできた小さい白い人間はランプの点在する室内を駆け抜け、二人の前のテーブルに。タオルに包まれた何かを置いた。
「なんだ?」
「だれだ?」

クウ・クルを!と甲高い声を聞いてやっと二人はそれが少女だと認識する。
真っ白なバスローブを引きずるようにまとい、濡れた髪は無造作に束ねて頭上にある。髪を結った姿を見たことがなかったためにそれと気付くのに時間がかかった。
落ちないようにとの配慮かしっかり結わえた腰紐は、かえって少女の腰を強調した。普段目にしたことのない少女の細い首と肩、形からそれらしいとわかる胸元のふくらみは、二人の男の視線をくぎ付けにするに余りあるほど瑞々しい。
「助けて!」
「あ?」
呆けて役に立ちそうにないロトロアから視線をリシャールに移し、シャルルはその袖を引っ張る。
「クウ・クルが死んじゃう!」
「死ぬ、って、何をしたんですか、シャルル」
「あの、風呂場で」
「湯につけたのですか?」
頷く少女は目に涙を浮かべている。
あまりにも普段と違う殊勝な姿に、ロトロアは凍りついたようにじっと見つめるだけで。リシャールが風呂に生きものをつけるなどという呆れた行為に同意を求めようとしても無駄。
「おぼれたのですか」
「分かんない、気付いたらこうなってた」
仕方なく、リシャールはイタチをごろりと転がして腹に指先をおいた。
「心臓は動いているようですし、呼吸もしていますね。しかし。濡れるとこんなに小さい生き物なんですね」
クウ・クルの毛皮は水を含んで、萎れた海草を巻きつけたようだ。心臓がひどい速さで脈を打ち、壊れてしまうのではないかと心配になる。
「陸の生き物を湯につけるなど、また、ひどいことを」
「…だって」
ぽんと、温かい衝撃を頭に感じてシャルルは顔をあげた。
ロトロアだった。顎髭がなくなっているからちょっと違うように見える。
「ウサギやネズミのような小動物はお前が思う以上に手足の力がないものだ。濡れて重くなった毛皮で身動きが取れないだけだ。暖かくしてゆっくり乾かしてやりなさい」
「…」
「なんだ?」
「…ありがとう」
珍しく素直なシャルルに、これまた珍しくロトロアも照れたような顔をする。
「この部屋なら丁度、暖炉がありますね。ルワソン、火を。では後はロトロア様にお任せします。私は仕事が残っておりますので」
にっこりと華やかな笑顔を残してリシャールは部屋を出る。
一緒に部屋を出た女中に、「シャルルにも温かいミルクを。温まるように少しばかりブランデーをおとして、ね」とウインクする。
意味を理解したようで、女中は急に笑顔を浮かべ、はい、と楽しそうに階下へと走って行った。

「さて、がっかりさせないで下さいよ、ロトロア様」
こういう場合、リシャールが想像するのは一つ。


周囲の勝手な期待など知るはずもなく、ロトロアと二人きりになったシャルルはゆっくりそっと、白イタチの体を拭いていた。
暖炉に火種と薪を入れてくれた女中は火箸をロトロアに持たせると、「私は風呂の始末がありますので、すみません、お願いします」と笑って部屋を出ていった。あまりやったことのない作業だが、仕方なくロトロアは暖炉の灰をかき交ぜて新鮮な空気を入れる。

「クウ・クル、しっかりしろ」
白イタチはタオルに横たわって、暖炉のすぐ前の床に置かれていた。
シャルルは真剣に横たわるイタチを介抱している。かすかにイタチが尻尾を揺らしたが、少女は気付いていない。その姿をしばらく眺め、ロトロアは飲みかけのワインを片手に隣に膝をついた。
「小さいくせに、立派に指があるんだな」
感心したようにロトロアはイタチの細い前足をなでた。
普段は触らせないのだから、珍しいのも仕方ないのかもしれない。二人は生まれたての赤ん坊を眺める夫婦のように、小さい命をじっと見下ろしている。

「俺が拭いてやるから、お前は自分の髪を乾かせ。風邪をひくぞ」
「だけど!」
「何のためにここに運んだのだ。助けを求めてきたんだろう?任せろ」
そう言われ、自分の濡れた髪からの雫がクウ・クルのそばに落ちたことに気づく。
シャルルは仕方なくそばを離れ、示されたタオルを手に取った。テーブルの上には美味しそうなミルクが置かれている。
泣いて叫んだからか、のどが渇いた。
少しぬるくなったミルクを抱え、一気に飲み干す。鼻が詰まっていたから匂いは分からなかったが、何か、違う味がする。
「変な味、これ」
振り返って訴えようとし。シャルルは止まった。ロトロアは普段の様子からは想像もできないくらい穏やかな顔でイタチの体をそっと拭いている。人差し指でこちょこちょと喉元をくすぐっている。武骨な手が小さな生き物を可愛がる様子は何か不思議な感情を沸かせた。
子供を寝かせる父親風。
しばし、見とれる。
「どうした?」
「……別に。かわいいだろ?」
「……まあ、野兎よりは小さいな」
「大きさじゃないだろ?意味が分かんないよ」
「なぜお前はこれを可愛がるのだ」
質問の意味が分かりづらかったのか、シャルルは戸惑いを見せた。
迷った末、話し出す。
「拾ったんだ。聖堂のあるランスの森での狩りは禁止されている。だけど、ある年野兎が増えすぎたんだ。一晩で畑の野菜が半分も食い荒らされたことがあって。村の皆に懇願されて、大司教様が一月だけ兎狩りを許可した。その時、クウ・クルの親は野兎用の罠にかかったんだ。僕が一番最初に見つけたから、僕がもらった。親にクウ、子供にクルって名前をつけたんだけど、怪我をしていた親はすぐに死んじゃった。全然慣れなくて、噛みつかれてばかりだったけど、嫌いじゃなかった。残されたクルはまだ赤ちゃんだったから、馬の乳で育てたんだ。僕と同じで親がいないから……」
「親と供に逃がしてやればよかったんじゃないか」
「!?」
「野生の生き物は捕らえて飼うものじゃないぜ。生きるか死ぬか、食うか食われるかの世界で生きている。神がそのように創造し、森に生かした。お前のしたことは魚を陸にあげるのと同じだ。お前がこれを可愛がろうというのは、親を殺した罪悪感か」
淡々と男は話す。
「う、うるさい!そんなんじゃないよ!僕が親を殺したわけじゃない!クウ・クルは友達だ!僕の親友なんだ」
「では、ただ可愛いからか?身勝手とは思わなかったか」

身勝手って、なんだよ!
まっすぐ、怒りでもなく憐れみでもなく、まじめな顔でシャルルを見つめるロトロアが憎らしくなる。
「僕は、悪い事なんかしていない、クウ・クルは親友だ。大切にしてきたんだ。ひどいよ」
「なぜ泣く?野生に戻れないように育ててしまったなら。お前は最期までしっかり見届けろ。お前が犯した罪の罰はお前が受ける。その覚悟がないなら、生き物を飼うなどするな」

シャルルは静かに息をする白イタチを見つめていた。涙で曇るから、ローブの袖で拭った。
温かい暖炉の光に、触れるクウ・クルはちゃんと温かい。
死んじゃったりしない。
「可愛がったそれが、死を迎えるときは必ず来る。今ここで死んでも泣いたりするなよ」
「死なない!」また、涙を拭う。
「シャルル。この世で約束されるのは死のみだ。後は自らが勝ち取る」
どこかで聞いた。
シャルルはごしごしと目をこすり、顔をあげた。目の前の男は何とも言えない顔をして、見下ろしていた。
この世で、生まれた時に約束されるのは「いつか必ず死ぬ」という事実だけ。死だけは平等に訪れる。
そう、語った。ロイだ。

きゅ、と胸が苦しくなる。
ロイはそんな風に諦めようとしていた。
「ロイみたいなこと言うな。だから、今、一生懸命がんばるし、大切にするんだ。それは間違ってない。死ぬのは誰でも一緒なら、僕は威張れるような生き方をして、死ぬんだ」
ふ、と。
目の前に影が差す。
床においた手の先にからんと、ワインのグラスが落ちた。
「え?」
抱きしめられていた。
「な、なんだよ!」
「お前は馬鹿で面白い。だから王子も動かされたのか。あの子にそんな勇気はないと思っていたのにな」
男の鼓動が耳をふさぐ。
「…放せって!」
「お前、後悔するなよ。騎士になるのも、俺のもとで生きることも。選んだのはお前だぜ」
「違う。だいたい、誘拐も同然なのにさ!僕に選択の余地があったとは思えないだろ。それでも、今、こうなったからには僕は僕のやりたいように生きるだけだ。後悔はしないよ。僕は騎士になる。それでパリに行く。ロイを探しに行くんだ」
ロイの名を口にすればどうしても、切なくなる。あのとき。一緒に逃げようと約束したのに。一人行かせてしまった。無事なのかどうかもわからない。

そういうことか、と低い声の吐息が耳元にかかった。
「やはり子供だな、好きにしろ。俺も好きにする」
「!」
押しのけようとしても。かなうわけはない。
男の手があごにかかる。目の前に迫る。シャルルは猫のように男の胸元をかきむしってみたが、引き寄せられ。目をつぶった。
「いてっ!」
とロトロアが叫んだ。
あれ?
自由を奪っていた力が消えた。
目を開ければ、飛び離れた男の手にはしっかり白いイタチが噛みついていた。
「あ!クウ・クル!」
「こいつ!放せ」
振りほどかれる前に自分からするりと飛び降り、そのまま、クウ・クルはシャルルの肩まで駆け上る。
大きな尻尾で肩をトントンと叩かれれば元気が出る。大丈夫。
「ふん、ろくでもないことするからだ。僕は契約では男なんだから、そういうことしたら契約違反だ。それに。クウ・クルは親友なんだ、飼ってるわけじゃないから」
プンと口を尖らせる仕草が、可愛いさを増すことをシャルルは気付いていない。大きめのローブに華奢な肩がのぞき。収まらない動機と興奮に乗ってロトロアも言い返す。
「ろくでもないのはどっちだ、そんな姿で誘っておいて、二度と俺の前でそういう姿をするな!女の格好も駄目だからな!そんな奴にロイが惚れるとでも思うのか」
ふと黙る少女に、ロトロアはまた大人げなく興奮した自分を顧みる。初めてシャルルに出会ったときと同じ。ため息とともにリシャールの言葉が脳裏をよぎる。
女は剣で切り捨てるわけにもいかない。
「もういい。部屋に戻れ、行けよ」
「ば~か!」
ロトロアはリシャールの言葉を反芻しながら、入ってきたときとは正反対に大威張りで部屋を出ていく少女を見送った。
「バカか、俺は」
小さくため息をつくロトロア。昔からそうだった。
泣いている女の子を慰めようと「泣くな馬鹿」と怒鳴りつけ、余計に泣かせてしまうような子供だった。


「お手柄だぞ、クウ・クル」
だいたいさ、と。肩に乗る親友に世の男の横暴さを愚痴る少女は、本人の希望とは裏腹にどう見ても普通に女性。今更体が熱く、頬が火照る。どうやら酒らしいものが入ったミルクを思い出す。
ずるがしこいな、絶対あれはリシャールだ。
のろのろと自分の部屋にたどりつくと、そのままベッドに寝転んだ。
ひんやりとしたシーツが心地いい。ここに来てからは当然となった綿入りの枕を抱きしめる。
ロイ。
会いたい。
想いがいつの間にか、切ない恋に変わっていることを。心の中では理解していた。

ここに来て間もないころロトロアが言った。ロンダはロイの存在を知ったから殺したんだと。だから、僕が口外することを禁じた。
あんな様子をしていても、殺そうとすればいつでも僕を殺せる。

ロイのことを誰にも話すことはできない。
だからこそ自分に誓う。
僕は、ロイを探し出す。僕しかいないんだ。あのとき助けるって約束した。
僕一人では飛び出す勇気がなかったランスを、ロイがいるなら出て行けると思った。一緒なら大丈夫だって。ロイも同じだったはずなんだ。

今、どこにいるんだろう。生きているのかな。

優しげな薄茶色の髪、薄い蒼い瞳。思い出すのはいつも、月明かりに照らされた静かな表情。静謐という言葉が似合う。
ぎゅっと。思い出を抱きしめてシャルルは目を閉じた。


『La croisade de l'ange 2:Laon』 ③

『Laon ‐ランの風は苦く‐』



シャンパーニュ地方の中核都市、ランへ向かうと聞いてシャルルの反発はほとんどなかった。
ランはシャルルが育ったランスからほど近い、イル・ド・フランスに隣接する都市だ。パリが近いと聞けば、反対する理由もない。
行程を馬車でなく、自分の馬に乗っていくというところも、騎士みたいだと気に入った。そうやってうまく言いくるめるのはさすが、リシャールの得意技だ。
シャルルのご機嫌をとらなくとも、強引に連れて行くことも可能だろうが、「拗ねた子ライオンを連れて歩くのは面倒ですから」とシャルルに新しい皮製のケープも用意してくれた。

あの夜以来、ロトロアの顔を見ると避けるようにするシャルルに、リシャールが「最近ロトロア様とお話をしないのですね」と探りを入れる。
「蹴られるのが怖くて向こうが近づかないだけだよ」とシャルルが笑って見せれば、肩に乗るクウ・クルも同じように威張って鼻をふんふんさせる。
それがどうにも面白いらしく、リシャールは肩を震わせて笑う。


「何がおかしい?」
ロトロアがまっすぐリシャールを見つめた。

パチ、と薪が炎を弾く音と同時に、リシャールは又シャルルの言葉と目の前のロトロアを比べ、あの晩の出来事を想像していた自分に気づく。何度想像しなおしても、シャルルの様子からすればロトロアは失敗したのだ。
ランへの到着を明日に控え、ロトロアは重臣たちと酒を飲んでいた。子どもは寝ろ、とロトロアがいい「言われなくても眠い」とシャルルも一人先に床に付く。
深夜の森の中、どこかで生き物が吠えた。
「リシャールはまた女のことでも考えていたんじゃないか?」
ふさふさした髭を胸まで伸ばした騎士がガラガラと笑った。
四人いるロトロアのセネシャル(※側近)のうち、もっとも古参のリシャールは年上の彼らの中にあっても平然と冗談を言う。
「とびきりの美女ですよ、特にバスローブ姿が愛らしくて」

ウインクにロトロアは眉を寄せ、髭の騎士キ・ギは「そりゃ、俺もあやかりたいもんだ」と大声で笑う。忌々しそうに咳ばらいをしたのは今年五十を過ぎるローレンツだ。白髪に見える金髪を短く清潔にしているローレンツはアイルランド人の血を引く。ロトロアの家令でもあり、会計も任されているだけあって細かい事にもうるさい。
「女に使う時間があるなら、もう少し腕を鍛えたらいかがかなリシャール。先日シャルルにしてやられたと聞きましたぞ」
「ああ、ありゃ強いぜ、リシャールじゃ無理だぜ」キ・ギが笑う。どうやら、髭の騎士は笑い上戸だ。ふほほと腹を抱えて髭を揺らす。
「だとしたらキ・ギもローレンツもかなわんということか?最年少が最強でどうする。リシャール、甘くし過ぎだぜ。あれに荷物も持たせていないだろう?騎士になると豪語するんだ、一人前に扱ってやれ」
ロトロアが笑うでもなく怒るでもなく、眉をひそめて話す。
「気まじめですなぁ、ロトロア様。元気はいいが所詮女。その内リシャールの床にでも通うようになりますよ」
キ・ギは自分の下卑た想像に満足なのか、手にしたワインの杯を一気にあけるとまた笑う。軽く酔っているのだろう、髭に滴った酒に気づきもしない。
肩をすくめたリシャールは「獅子を手名づけるのは命懸けです、遠慮しておきますよ」とロトロアを眺める。
その脇でローレンツは呆れたのか無視して地図を眺めている。
「だいたい、あんな子供をセネシャルになど、ロトロア様のお戯れもほどほどにしていただかねば」
騒がしいキ・ギがワインを口に運んだタイミング、老人がつぶやいたそれは妙に響き二人の家臣は慌ててロトロアの表情を伺った。
「あれは」ロトロアが目を細めた。
風に揺れた炎の陰がゆらりと青年の顔をなめる。なにか普段と違うものを宿しているかのようで、皆しびれたように見つめたまま、静まり返る。
キ・ギが飲み込むタイミングを損ねたワインを、妙にゆっくり飲み下した。

「あれはロイと同じ。王家でも伯爵家でも、王(キング)に化ける可能性がある手駒なら、多いほうがいい。幼いルイ九世を擁立するとなれば後ろ盾を買って出たい諸侯は大勢いるだろう。同じことだ。シャルルに可能性があるならば、フランドルの豊かな領地が我らの手に入る。先を見据えて行動するべきだぜ、ローレンツ。まあ、老い先短いお前では、そう遠い未来は想像できないかもしれんが。愚か者は寿命を縮める。気をつけるのだな」

ちらりと視線だけで老騎士を睨む。有無を言わせぬ低い声にローレンツはかすかに頬をひきつらせた。
ごくりとキ・ギが唾を飲む。
リシャールだけが緊張を解いて笑った。
「では大切に大切に、シャルルを一人前の騎士に仕立てて見せます」
「ああ。俺は寝る」
席を立ったロトロアを三人は身動き一つせず見送った。
お人よしに見える時もある、素直で育ちのいい貴族の若者、そう受け取られることも多い。だが、それだけでない面をロトロアは持っている。
ランスに軍を進めた時もそうだ。こうと決めた行動は苛烈を極める。
両親の死によって所領のほとんどを叔父に奪われた形になった、その経験がロトロアの性格を変えた。将来約束されていたはずの多くを失った男は、生きていくために何かを捨てたのかもしれない。
それゆえ、戦場では鬼神になりうる。
主君の怖さをセネシャルたちは理解している。

「さて、私が見張りますから、お二人はどうぞ、お休みください」
リシャールが小さくなりかけた炎に薪を一つ足して、二人を促す。
「なあ、今だにわからんのだ。リシャール、ローレンツ殿。ロトロア様はあの時、王子を誘拐してどうなさるおつもりだったのか」
「……なんじゃ、キ・ギ、お前はそれもわからんで参加しておったのか」
「ロトロア様に聞くわけにもいかんだろうが」恐ろしい。と、大男が髭をなでた。
「シャンパーニュ伯が、王妃ブランシュと関係があるという噂はご存じでしょう?」
リシャールの言葉にキ・ギは「ああ、まあ」と頷いた。髭をなでる。
「シャンパーニュ伯はあの少年を自分と王妃様との子と信じていらっしゃる。ロイは体の弱い子で宮廷から遠ざけられていた。だから自分の息子を手元で育てようとした。シャンパーニュ伯は噂の通り、ロマンチストで愛情に深すぎる方ですから。それを焚きつけたのは、たぶん、ロトロア様です。王子を擁護することは、王位継承権を大義名分にし王国の支配を狙うことができるからです。ロトロア様がその役を買って出て、密かに捕らえようとしましたが」
「王領の隣のランスに逃げ込まれた」そうか、とキ・ギは頷いた。
リシャールはにっこりと華やかな笑みをこぼし、続ける。
「それで、ランスも巻き込もうとした。そうすれば大司教は王家に口を閉ざす。秘密は守れるし、力ある司教座を味方につけることができる、そう算段したのです。計画は失敗に終わりましたが、結果的にあの件は闇に葬られましたしね、まあ、損も得もなかったわけですが」
「だが、肝心の子の生死が不明となればシャンパーニュ伯ティボー四世の不興を買ったんじゃないか」
「そこはロトロア様のことです、なんとでも」
「……恐ろしい方だ」
「半分は私が考えたのですけどね」リシャールがけろっと笑って見せるから、キ・ギは「あんたらにはかなわん、俺は酔っている、明日には何も覚えていないぜ」と伸びをした。

「どうぞ、お好きなように」リシャールが笑って見送る。
「ローレンツ様、大丈夫ですよ。ロトロア様はあのくらいではお怒りになりません」
先ほどから老人は黙り込み、焚き火をじっと見つめていた。
「分かっておる。幼少のころより見知っておるが、かつては優しい方だったのじゃ。立派になられたと喜ぶべきか……」遠く、ロトロアが休む茂みを眺める。乾燥した風が、冷たい晩秋の夜に吹き抜ける。
「父上の墓碑に誓ったんだそうです。いつか、叔父上からすべてを取り返すと。そのためならば、なんでもするのだと。根は優しい方ですよ、今も。たぶん今頃は、ローレンツ様、貴方に放った言葉を後悔しているでしょう」
「そうじゃな」
苦い表情を消せずにいる老人は、ロトロアの選んだ道を心配しているのだろう。
おやすみ、と声をかけ歩み去る老人。姿が闇に沈めば、リシャールはふと息を吐いた。


貴族に生まれたことが幸せになれる約束ではない。
それをロトロアは身をもって痛感した。両親を失い、当主として泣くこともできず、密かにリシャールのそばで泣いていた。親族に見知らぬ遺言書を突き付けられた。主要都市ランの伯爵家当主のはずが、小さなルジエの領地とその城だけを与えられ、体よく放り出された。幼かったロトロアについてきたのはローレンツとリシャールだけだった。

また呟くように音を立てる炎に、リシャールの美しい横顔が照らされる。
リシャールは十五歳のとき、ロトロアと臣従礼を結んだ。それはまだ若いロトロアを支えることになった。
「なんでもすると、誓われた。だから、私も貴方のためなら何でもすると決めたのです」
ロトロアの両親は、親のいないリシャールにも優しかった。


早朝、朝靄が残る森に「また貴様か!」と怒鳴るキ・ギの声。
ここ数日の朝の風景だ。
お気に入りの白馬ブロンノの脇で目覚めると白イタチは早速朝の狩りに出かけ。追いかけたられたネズミがなぜかいつもキ・ギのそばに逃げ込むのだ。枕もとでネズミとイタチが追いかけっこをすれば誰でも目が覚める。
「あっちへ行け!」と拳を振り上げるころにはイタチの姿はない。
行きどころのない怒りに「くそう」と唸る。その視線は茂みの向こう、馬のそばにたたずむ影を見つける。
「…シャルルか」
靄の中、朝日に照らされシルエットだけの馬たちのそばで、小柄な姿が鞍を乗せようと、背伸びする。
キ・ギはしばらく様子を見ていた。まだ身長が足りないのか、力がないのかシャルルは苦戦していた。馬小屋なら踏み台があるがここにはない。
「仕方ないな」
キ・ギが立ちあがった瞬間。
ふわりと風が吹いた。
靄の白い波が宙をなで、その向こうでシャルルの馬が少女のために膝を折る。
「あれ、座ってくれるんだ」
少女の声が風に乗り届く。
珍しいことだった。
賢い馬は未熟な騎手を乗せたがらない、膝を折ってまで従おうとするなど希。
「ありがとう、ロンフォルト」シャルルは嬉しげに馬にすがる。
「出来たよ、キ・ギ」
シャルルはこちらの視線に気付いていたようだ。
丁度朝日が少女を照らし、こちらを振り返る髪は眩しいくらい輝いて見える。
「できたよ!今日は!五日目にしてやっとだ!よかった。またロトロアに馬鹿にされるとこだった」
にっこりと、少女はキ・ギに笑いかける。
「あ、ああ」
眠そうに眼をこする髭の大男にシャルルは早速、朝の一戦を仕掛ける。
「キ・ギ、相手して!」
いいながら手刀を構えているのだから性質が悪い。
細い手の動きは一歩下がって避けたものの、間髪入れず放たれた素早い蹴りを腹にまともにくらう。うえ、と呻いて男は腹を押さえた。
「あ、ごめん。まともに入っちゃった」
「お前、なぁ!」
赤い顔でにらむと、キ・ギはシャルルに向こうを指差して見せる。
川の流れる方向、木立の向こうにロトロアの姿がある。剣を構え、素振りをしているようだ。かすかにひゅと風を切る音が聞こえる。
「俺じゃお前の相手は務まらん、ロトロア様にしてもらえ」
「えー、だってさぁ」
何となく傍には近づきたくない。
「乙女の恥じらい、というところですか?」
気持ちの悪い言葉を吐くのは決まっている、リシャールだ。
朝食の準備中なのか、木の枝数本と、ハムを切るナイフを持っている。
「可愛いところもあるんですね」

わざとだ、わざとあんなこと言って、僕に違うって言わせたいんだ、その手には乗らないぞ。
シャルルの決意が分かるのかリシャールはくすくすと笑いだす。
「顔が赤いですよ、シャルル」
「赤くない!やめた、お腹すいたからそっち手伝う!ハム切ってあげる」
「またハム相手にへたくそな剣術を仕掛けるつもりですか。駄目です、あんなボロボロにされたら食べ物に見えません」
走り寄るシャルルからハムを遠ざける。
「む、どんな姿でも食べ物は食べ物だよ!贅沢言っちゃいけないんだぞ」
「ロトロア様が食欲をなくされては困ります。お前の満足に付き合う気はありませんよ。ただでさえ」
そこで止める。
「ただでさえ、なんだよ?」
大体、ロトロアは贅沢なんだ。
シャルルは自分の不器用を棚に上げてそんなことを考えている。
「子供には分からないことです。ランに戻るのは、ロトロア様にとって嬉しいものではありませんから。少しは思い遣りなさい」
「…自分の生まれたとこなのに?」
「歓迎してくれる人がいるのなら、違うでしょうけどね」
「あ、嫌われてるんだ。叔父さんがいるんだろ?ロトロア態度大きいし、我がままだし」
言いかけて気付く。
見下ろすリシャールの表情が変わっている。時折見せる。深夜の聖堂にある聖母像みたいな静かな怖さだ。命を落としたイエスを抱きかかえ嘆く姿、腹の中の怒りは想像するに余りある。それでもただ、美しく嘆いている。
「シャルル。二度と言いませんよ。事情も知らない子供のくせに推測でもの言うのはやめなさい。ロトロア様を傷つけるような真似は許しません。お前はロトロア様の慈悲で生きているに過ぎない。ロトロア様の命令だから世話もするし相手もする。そうでなければこの場で打ち捨ててオオカミの餌です」
「そ、そんなに、怒らなくても」大体、事情とやらを説明されてないし。
深夜の聖母にはかなわない。しばしにらみ合ったが折れたのはシャルルだ。
「…ごめんなさい」
「罰です、ロトロア様を呼んできてください」
「はぁ?」
「早く。昨日お前が切ったハムのようにされたいのですか」
残酷なこと言うなー、とぼやきながら、シャルルは仕方なくロトロアのいるほうへと歩く。
ハムだってさ、僕を。ハム。
自分が切ったハムの惨状を思い出すと、ぞっとした。


きらと、朝日に何かが光り、シャルルは目を細めた。
木立の向こう、ロトロアはすらりと払ったサーベルを鞘に戻す。
木の枝にかけてあった緋色のマントを手に取ると肩にかける。
川風だろうふわと風になびき、赤い翼を広げたように見えた。片翼の、鷹を思った。
白い衣装、茶色のブーツ。
そう言えば遠征に行く前より少し痩せたかな、と。そんなことを思っているうちに目の前を通り過ぎる。
「ほら。行くぞ」
頭をぽんと叩かれ、「あ!そう、朝食だ」と。
我に返ったシャルルにロトロアは背を向けたまま笑った。
「早くしろ、食いっぱぐれるのは修道院と同じだぜ」
薄茶に枯れた低木の間を進む緋色のマント、後ろで結った髪が揺れる。
修道院。
ほんの、そう、二年前まで、僕はこんな風になるなんて思っていなかった。
目の前のこの男、ロトロアが現れて全てが始まったんだ。

「ロイに、会いたいか」
聞き違いかと、顔を上げた。

いつの間にか立ち止まっていたロトロアは、こちらを振り返っていた。
「そういう顔をしたぜ、今」
どんな顔だよ、と噛み付きたくなるけれど、それ以上に。
シャルルはよみがえっていた思い出と、この初めての土地の景色、ロトロアの笑顔に泣きたい気分になっていた。
心細い、とでもいうのだろうか。
僕がここにいて、こうして生きていることが、よかったのか悪かったのか。これで、いいんだろうかと。あまり深く考えないようにしてきた想いが、不意に湧き上がった。
「歴代のフランク王国国王の戴冠式は、ランス大聖堂で行われる。近々、ルイ九世が即位するだろう」
「ルイ九世?それ、それって、ロイ?」
ロトロアは肩をすくめた。
「さあな。うまくすれば戴冠式に参列できる。ランスに戻っても、お前は俺と契約している。それは忘れるな」
にやりと。同じ笑顔なのにさっきまでのロトロアと違う。
時折忘れてしまう。
あの日、ランスで。ひどい雨の中だった。
この男はロンダを殺したのだ。

シャルルはそれ以上、ロイのことを聞くことができなかった。

※セネシャル=本来は主膳長(給仕係の長?)という意味だったらしいです。これは、13世紀のフランク王国ではかなり高位の家臣のことです。この「セネシャル」と言いう名がそのままフランク王国南部では「国王の領地を治める地方代官」の代名詞のように使われてもいました。北部では「地方代官」は「バイイ」と呼ばれていました。このランやブリュージュは北部ですので、分かりやすくするために「地方代官=バイイ」「側近=セネシャル」と区別して呼ぶことにしました。言葉の意味って難しいですね。
日本語の「側近」でいいじゃないかって?
だって、かっこいいじゃないですか(笑)


『La croisade de l'ange 2:Laon』 ④

『Laon ‐ランの風は苦く‐』



ラン。丘陵地と小高い丘、そんな言葉で説明できる平坦な街だった。東にはシャンパーニュへの山々、西にはイル・ド・フランスの平野を眺める交易の街。
北部のフランドルからクランク王国内各地へと物資が運ばれる拠点となる。内陸特有の強い風が一年中吹いているが気候は温暖。丘陵地を利用したブドウ畑が今は枯れた赤を見せる。すでに霜の降りたこの季節は新物のワインが出回り始める。商人たちはこの街で宿をとり、夜には果実味の豊富なワインをたしなむのだ。
ブリュージュとは違う、濃い灰色の石積みの建物を眺めながら、シャルルはきょろきょろと落ち着かない。それはクウ・クルも同じで、すぐ後ろのリシャールの馬エリアスに飛び移っては戻ってくることを繰り返し。しまいには「シャルル、イタチが暴れていますよ」と注意されるほどだ。
「だってさ」
旅の疲れも忘れたように、広場の市に目を輝かせる。
「ブリュージュでも市はあったでしょう?」
「だけど、なんか、違うよ。ほら、剣とか槍とかたくさん売ってるし!」
市場といっても食品や生活品とは違い、鍋や馬具、盾や剣など、道具を扱った店が多い。自然客は男性ばかりで、ざわめきも低い雷鳴のようだ。
「このランの近くに鉄鉱山があるんです。製鉄が盛んな村からここに運ばれる。この一帯で最も大きな鍛冶市が開かれます。だから、シャルル。武器を求める物騒な連中も多く集まる。気をつけなさい。馬と剣があれば騎士道をわきまえている、というわけではありません。お前もここでは男として通したほうがいいでしょうね」
ふうん。当然男装のままのつもりだから、シャルルに感慨はない。
ぽつぽつと人ごみの中、目に着く旗がラン伯の旗印なのだろう。青地と白地に分かれ、青地はフランス王家の紋章の金の百合。白地にはアヒルが三羽並んでいる。

「皆、ラン伯の兵隊なのかな」
リシャールはシャルルの横に馬を進め、歩調を合わせた。
「ええ。槍の穂先にある旗、あれで街がわかります。街ごとに二十騎は用意しているようですね」
「あれ?ロトロアのルジエは?僕らだけ?」
前後ろ、つながる騎馬の槍につけられた白地に蒼獅子の旗を数える。
シャルル、リシャール、キ・ギ、ローレンツ。そしてロトロア。
たった、五騎だ。
「ラン伯の命令では、我が町は五騎以内となっていましたから」
下手に増やしても減らしても、難癖をつけられるのが落ちなのだ。嫌な思いをしないためにも、そのあたりは守るしかない。苦い顔をする青年にシャルルは首をかしげる。
「徴兵が少ないのはラッキー?」
「他が二十も五十もいるのにですか?戦場でも活躍は難しいですし、不利なのは明白ですよ。ラン伯はロトロア様を警戒していますから。軍勢をひきつれてこられては脅威なのでしょうね」
「ふうん。他の城主の五倍も十倍も怖がられているんだね。剣を持つとロトロア、怖いからなぁ」
「……そう言われれば、小気味良く聞こえますね」
「そう?」
シャルルは首をかしげる。
叔父だというラン伯に歓迎されず、軍勢をひきつれることを恐れられている。そう言えば先ほどから、すれ違う騎士からあいさつを受けているロトロアはこの場の誰よりも上の立場みたいだ。今も、兜を日に煌めかした老人がロトロアを見上げて膝を折る。
「アンジュー伯の件以来だな、元気なようでなによりだ」と、ロトロアは笑いかける。
取り囲み、声をかける人々の中、また誰かが「今宵はシロンの店でどうですか、ロトロア様」と声をかけ、ロトロアは「ああ、あそこの羊肉は美味いからな」と手を上げる。誘った若者は嬉しそうに顔を赤らめ、仲間もはやし立てる。

「ロンロンは、人気なんだ?」
「ロンロンはやめなさい。ロトロア様は有名な騎士物語『ローランの風』の主人公のようだと言われますよ。ちなみに私はその美形の側近ミンヌのようだと」
「女役?」
「譲ってほしいなら、お前ももう少し綺麗にするんですね」
「いらないし」
自慢するところとは思えない。
「シャルルはそうですね、ローランを慕う少年剣士ラ・ステラというところでしょうか?」
「慕ってないし」
リシャール、綺麗で冷たい顔をしていながら少女趣味か。話し出すと止まらない様子で、主人公ローランがどういう人物なのか、ミンヌと恋に落ちそうで落ちない微妙なところが面白いのだとか。一人悦に入って語っている。
そんなことに夢中になれるなんて、リシャールは僕より断然女らしい。密かにそんな感想を持ち、シャルルの視線は人ごみを抜け出し、空を見上げる。午後の日差し、練りかけのパンを引きのばしたような雲が青を横切る。そう言えば、お腹がすいた。
ロイに会えるかもしれない、その期待に胸は膨らみ胃も騒ぐ。

ロイが元気で新しい王様になるのなら、例え傍にいられなくても僕は嬉しい。
僕があの時救い出そうとした行動は、間違ってなかったと思える。
晴れやかな秋の空が眩しくて、少しだけ涙がにじんだ。


ラン伯の城は、百年以上も経った古いものだった。四角い四つの塔を持つ要塞で、分厚い石の城壁に囲まれていた。城門の鉄格子の下をくぐると中庭には市場以上に多くの騎士や兵隊がいた。水場で馬を洗う騎士、飼葉を運ぶ使用人らしき男たち。女中たちは木枠に布を張ったテントの下でパンを切り分け、配っている。
「今日、ここでラン伯のあいさつがある。それが終われば、出陣の時まで郊外の陣営で待機することになる。まあ、我らはたった五騎。他の隊を預かることもないだろうし、気楽なもんだ」
ロトロアは笑って、娘の差し出すワインを手に取った。
キ・ギは全員の馬を引いて水場に向かい、リシャールはすでに女中たちに取り囲まれている。ロトロアには挨拶にと寄ってきた男たちが群がり、シャルルとローレンツだけが庭の隅でもらったパンを味気なくかじる。血気盛んな騎士たちには、老人と子供は目に入らない。

シャルルはつまらない気分で足をぶらぶらさせながら、少し大きいパンの塊を一気に口に頬張る。
隣に座る老人は目を細め、どうやらロトロアを見ている。
シャルルのパンをもらい損ねたクウ・クルが隣の老人の手元に狙いを定め、パンに向かって飛びかかる。驚いたローレンツは「ぬ!」と唸ってパンを取り落とした。
それはありがたく白イタチの腹に収まる。「貴様卑怯なっ」とクウ・クル相手に顔を赤くして飛びかかろうとする老人は、すり抜けられて転がっている。
シャルルの視線に気づくと、ふん、と鼻を鳴らし尻をさすりながら再びシャルルの隣に立った。
「あのさ、『ローランの風』でローレンツはどんな役なんだ?」
「ローラン…?ああ、あの女子供が読む読み物ですな」
「うん。僕はラ・ステラって役らしいよ」
「ラ・ステラはボクですよ」
え?
振り返れば、黒髪の少年がにこにこと笑っている。
たぶん、シャルルより年下。騎士見習いらしい服装に短いマント、腰には細身の剣が差してある。
僕は短剣一つなのに、と少しばかり癪に障る。
「お久しぶりです、ローレンツ様。隣、いいかな?ボクはジャン。あの物語では主君に忠誠を誓う少年剣士なんですよ」
リシャール様と、ロトロア様がローランならっていつも話しているんですよ。そう言って少年は頬を染めて笑った。ジャンと名乗った少年は自慢げに「ロトロア様は常に三つの剣を使い分けていらっしゃる。そんなところも主人公のローランに似ているんですよ」と。
「でも、一つはナマクラなんだ」シャルルが呟くと、途端に表情を硬くした。
「そんなことないですよ」
「知らないのか?あいつは抜かないための剣を一つ持ってるんだ。家に伝わるサーベルは戦闘用、獅子紋の長剣は常用の剣。あと一つの緋色の剣は抜かない剣だ。自戒だか何だか知らないけど」その剣が何を意味するのかは教えてくれなかった。ただ、抜かないと言った。それでも常に持ち歩いている。三つもあるなら一つよこせと言ったら「百年早い」と笑いながら言われた。
「君は、何者なんです?」少年はシャルルを睨んでふんと鼻息を荒くした。
「なんで、そんな言い方するんです。ロトロア様をあいつ呼ばわりなんて、許されることじゃないですよ」
「いつも注意しておるのだがな」とついでにシャルルの頭を軽く小突いたのはローレンツだ。
「いつも?ローレンツ様、この人は?ロトロア様のなんなのですか?」
ローレンツが「シャルル、シャルル・ド・リタというんじゃ」と勝手に応える。
リタの名をつければ、年齢にそぐわない領地を持つと分かってしまう。それがシャルルは嫌だ。
「リタ?君、まだ小さいのに封を受けているんですか!?」
年下のジャンに小さいのにと言われるのもどうかと思うが、ジャンの反応は予想通り。いぶかしげに睨むからシャルルもにらみ返す。人目を気にする性格ではないけれど、説明が面倒だから知られたくなかった。ローレンツは孫ほどの歳の二人に笑いかけ無邪気な追い打ち。
「シャルルはこれでもロトロア様のセネシャルなんじゃ。ロトロア様と正式な契約を結んでおる。まあ、珍しくお気に入りなんじゃ」
「なんだか、ずるいですね」
「…気に入られているわけじゃないと思うし。契約だってロトロアが勝手にさ」
いいながら少年の「ずるい」が気になる。ずるいってなんだよ、ずるいってさ。
「もしかして君、どこかの侯爵家の方とかですか?フランドルとか、ブルターニュとか?」
それなら納得とでも言いたいのか。ますますシャルルは苛立ちを腹に抱え込む。
「僕は孤児だよ。噂ではフラ……」
ごほん、とローレンツの咳払いが遮って、背中をどんと叩かれた。
いてっけほっ!とむせて、シャルルは舌を噛みそうになる。
フランドルのことは黙っていろと?
むむ、とこちらを涼しい顔で見つめる老人を睨み返す。

「孤児でもセネシャルって、……すごいですよ。ロトロア様、どうしちゃったんでしょう」
ジャンのすごいはシャルルを褒めていない。

こいつ、なんかむかつく。
ローレンツがシャルルを認めていないのは、以前から何となくわかっていたし、それはそれでいい。けれど、無関係なこの少年にとやかく言われる筋合いはない。大体、僕が決めたんじゃない、全部ロンロンが勝手に決めたんだ。

ジャンの神経質そうな大きな瞳は黒目がちで犬のようだ。いかにも自分はきちんとしているんだ、って感じ。イタチだとか獅子だとかに例えられる、野性味あふれる僕とは正反対だ。

そういう比較に意味があるのか分からないが、シャルルはどうにも隣に座るお坊ちゃんが気に入らなくなっていた。
家系を気にし比較しようとする類いは大抵が貴族の子弟。シャルルにとってはどれも同じに見える。教会学校にもそういう子どもが何人かいた。すべて決着は付けてある。このジャンも、シャルルにとって敵だ。敵と認識するからにはいつか決着をつけるわけだし、一応、そうでない場合に備え確認しておく。

「……ジャンはなんなんだよ?マントの紋章はシャンパーニュ伯のだよね」
ジャンは笑った。予想通り誇らしげに胸をそらす。
「僕はシャンパーニュ伯ティボー四世様にお仕えしているんですよ。亡くなった父がセネシャルとしてお世話になっていましたから、僕もいずれ、セネシャルになりますよ」
少年の肩にローレンツは手を置きにこにこと笑った。
「シャルル、ジャン・ド・ジョワンヴィルは賢臣シモンの息子じゃ。代々シャンパーニュ伯のセネシャルを務める家系でな」
僕とは違うってことだ。

シャルルがかすかに目を細め心中では臨戦態勢。不意にポンと誰かに頭を叩かれた。
日差しを背にした黒髪の騎士は笑っている。
「シャルル、何をむくれている。来いよ、叔父上に紹介してやる」
ロトロアだ。
「むくれてなんか……」
「わあ!」
と。シャルルの返事はかき消され、目の前が何かでふさがれる。
濃紺のマント。シャルルと騎士の間にジャンが飛び込んだのだ。
「ロトロア様!お久しぶりです!お会いしたかった」
「お、ジャンか。お前、見るたびにでかくなるな。今日は誰のお伴だ?馬に酔う奴か、いびきのうるさい小男か?」
ジャンはぎゅうとロトロアにしがみつく。見上げる笑顔はさっきまでの利口ぶった犬とは違う。ロトロアも頬を擦り付けんばかりの少年を抱きしめ、髪をぐしゃぐしゃとなでた。
「今日は、ロトロア様!ボクが初めて伝令を任されたんですよ!」
「そうか、よかったな!お父上も自慢だな」
「はいっ!」

そうか。分かった。
犬は主人を一人だけ選ぶ。格上のロトロアには無邪気に尻尾を振って見せるわけだ。で、格下とみた僕を馬鹿にする。
「眉間のしわはなんです?シャルル」
リシャールがいつの間にか隣にいる。
不覚をとった。性癖に近い習慣で女性の体に触れるリシャールは、すかさずシャルルの肩に手をまわしていた。慌てて一歩離れるシャルルに、青年は笑う。
「あの二人。ジャンはお父上を亡くしてからロトロア様を兄のように慕っているんです。ロトロア様も兄弟はいませんし、ご両親を亡くした境遇は同じです。ああして、可愛がっています……嫉妬、ですか?」
「違う」

嫉妬したのはあいつのほうだ。腹立たしいから見るのも嫌だ。
ジャンはリシャールにもにこにこと最上級の笑みであいさつし、例の『ローランの風』の話になる。いつか、決着をつける、シャルルはそう勝手に決め込んで満足すると、無関心な絵空物語の話題など無視し、ぞろぞろと並び始めた周囲の騎士たちを眺めた。

ラン伯のセネシャルらしい髭の細い男が、前に立って何やら読み上げている。
それに応じて、騎士たちがぞろぞろとその場所へと移動し始めた。
「ルジエはどうせ、最後さ」と。キ・ギは酒臭い息を吐きながらシャルルの脇に立った。
貴族だとか、女だとか、そういうことを気にしないキ・ギが傍にいて一番気楽だ。風体もどちらかと言えばクマだし。けだもの同士、気が合うのかも。
シャルルのそれがわかるのか、クウ・クルも時々キ・ギの肩に乗る。
今も隣り合う大小の二人を行ったり来たり。


ラン伯のあいさつは簡単なものだった。
集まってくれた騎士たちにねぎらいの言葉、ランの繁栄をともに分かち合おうと、杯を掲げた。
その後シャンパーニュ伯ティボー四世からの言葉として、少年が壇上に上がった。
先ほどのジャンだ。
堂々とした風情で『フランク王国ルイ八世陛下のお隠れにより、多くの不安がこの地を覆っている。亡き国王の弟君であるブーローニュ伯はこの状況を憂い、諸侯に協力を求めておられる。我が、シャンパーニュも古くからの友人ブーローニュ伯と王国の安寧のためお力を添えることとする。ラン伯及びその所領を治める諸侯にも協力願いたい』と。まだ高い声の少年は書簡を読み上げた。
誰かが「いいぞ、ジャン!」「立派なもんだ」と声をかけ。
ジャンは嬉しそうに頬を染めて一礼すると、段を下りた。
「ジャン坊はいずれ、立派なセネシャルになるだろうよ」と、背後でキ・ギが呟き。シャルルはふんと鼻息を吐き出した。
「あれくらい僕だってできるさ、って顔してるぜ」
ぎくりとロトロアを振り返る。
「お前は何でも顔に出過ぎる。学校でも喧嘩ばかりだそうだな。素直で喜ばれるのは子供のうちだけだ。騎士として大成したければ心に刻んでおけ」
「僕は、別に」背後に居並ぶ男たちを見上げる。ロトロア、キ・ギ、リシャール、ローレンツ。どれも立派な騎士。
「騎士になりたいんだろ?」ロトロアが笑う。
「騎士は、勇敢で真摯で忠義に厚くあるべきだって、それを実践すれば喧嘩になるだけだよ。僕にぴったりだろ!」
「じゃあ、試してみるか?ほら、御前試合が始まるぜ」
「名を売って他の貴族とも契約を結ぶことが可能ですよ。シャルル、我らは個人的な趣味でロトロア様のみに忠誠を誓っていますが、ロトロア様はラン伯ではなく、シャンパーニュ伯と最上位の臣従礼を結んでおられる。より多く、より強い諸侯からのオマージュを受けることは、騎士として名誉あることです」リシャールが長い髪をさらりとかきあげた。
「…じゃあ僕は国王様と契約する!」
ぶ、とキ・ギが噴き出す。
「まだまだ、お目通りもかなわんだろうが」
「身の程知らずにも限度があることを知るべきですね」
「子供とはいえ言っていいことと悪い事がある」
三人に一斉に馬鹿にされる。
「シャルル、俺のセネシャルとして恥じない結果を残せよ」

「へ?」
ロトロアに手を引かれ、人ごみを抜ける。
広場は人垣ができている。
大男たちの脇を抜けた先で、丁度派手な音を立てて背の高い騎士が転げ落ちた。
馬は悲鳴のような声を上げ鼻息を荒くしている。
「ジョスト(馬上槍試合)だ」
勝ち名乗りをあげている大男は、これまた大きな黒馬にまたがり「俺はドーダンのマスルだ!俺にかなう奴はいるか!どうだ、挑戦者はいるか!」と怒鳴った。
「ここだ!」
と。ロトロアが手を上げる。それを見た周囲はどよめいた。
ロトロア様だ、と誰かがささやき。期待に満ちた視線が集まる。「大丈夫かマスル」と誰かが冷やかし、挑戦者を募った大男はかすかに顔をひきつらせた。
「あいつは以前、殺しかけたからな」とロトロアはシャルルに片目をつぶって見せた。
馬上槍試合はそれなりに危険を伴うのだ。
「ロトロア、出るのか?」
「いや。お前だ」
「ぼ、ぼく?」
ロトロア様!と観衆がはやし立てる中、シャルルはキ・ギが引っ張り出した馬、ロンフォルトを見て蒼くなる。競技用の装身具をまとったロンフォルトは迷惑そうにシャルルを見つめた。大丈夫なのかい、と言っているように思える。
槍の訓練はしているけれど、剣術のほうがまだ自信がある。馬にまたがったままの突きあいでは小柄なシャルルは圧倒的に不利なはず。
「リタの獅子の異名を持つ、シャルル・ド・リタだ。子供だがいずれ国王のオマージュを得ると豪語している」
ロトロアの言葉に周囲の騎士たちはおおと声を上げ、盾を鳴らす。
踏みしめる足音、石畳を槍の柄で叩くリズムが早まる。観衆の掛け声は早くやれとシャルルをせかした。
人ごみの中、広場には競技の距離を置いて二本の線が引かれている。線の間が戦場であり、外に出ている間は攻撃できない。だが、潔く、互いに向き合うのがしきたり。背を向けて逃げるような真似はしない。
馬上槍試合はブリュージュでも見たことがあった。騎士の技量を図るトーナメントや叙任式の前の祭典に催しとして行われた。
今回のこれも、出陣に備えた騎士を鼓舞する一種のお祭り。
各町から集まった、諸侯の部下たちが力比べをするのだ。盛り上がるのも当然。敗者は勝者に対し命の代わりに剣や馬、あるいはそれに代わる金品を支払わなければならない。
ロトロアの命令で出るのであれば、負けた時にはロトロアが賠償することになる。
それでロトロアは言ったのだ。俺の名に恥じない働きを、と。

「くそ、やってやるさ!」



プロフィール

らんらら

Author:らんらら
のんびり小説を書いています
日記ブログはこちら♪

ランキング参加中です♪

クリック よろしく~♪

FC2Blog Ranking

最近の記事+コメント

FC2カウンター

リンク♪

小説ブログの皆様

カテゴリー

ブログ内検索

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。