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『La croisade de l'ange 2:Laon』 ⑤

『Laon ‐ランの風は苦く‐』




にんまり笑うロトロアを睨みあげてシャルルは兜をつける。
キ・ギは馬にまたがるシャルルを手助けし、「いいか、間合いはお前のほうが不利、だが小柄なお前に比べて相手は大男だ。標的はでかいほうが当てやすいし、喉元より脇腹が効く。とにかく打ち合って馬上に残っていたほうが勝ちなんだぜ、よく考えろよ」とささやいてくれた。
夕方の日差しにシャルルの白銀の兜がきらりと輝く。鎖帷子はずしりと体を締め付けた。体格に合わせて甲冑は金属製でなく、シャルルのそれは革製に鉄鋲を打ったものだ。籠手と槍、左手にはロトロアの紋章、獅子が立ち上がる模様の入った盾。
立派に騎士らしいそれを付けても小柄なのは隠せない。
「坊主、気をつけろよ」
「マスル、手加減してやれよ」と周囲の揶揄が飛ぶ。

大男マスルと対面し、槍を軽く合わせてから、互いに距離をとった。
大男は余裕で「吹っ飛ばしてやるぜ」と笑った。


槍を持つ手がしびれているような気がする。
練習ではリシャール相手に好き放題飛び込んでいける。リシャールは強いし、狙っていいところ悪いところをわきまえてる。でも、この相手は違う。あいつに力いっぱい喉を突かれたら、いくら競技用で先端を丸めてあったとしても命の保証はない。落馬するだけでも、足の一つくらいは折れるだろう。
確かにキ・ギの言うとおり、大男の兜で覆われた喉元を突いて落とすのは難しそうだった。シャルルがどう努力しても腕力はかなわない。
僕のほうが身軽、小さい。
一撃目をかわして懐に入るか。

それしか、ないか。

喉がひりつく。
二つの騎馬が十分な距離をとったときには、シャルルの耳に周囲の声は聞こえていない。
集中し、じっと菫色の瞳で敵を見据える。

ふん、と。相手の息遣いが聞こえた気がする。その瞬間。
「はっ!」
同時だった。
馬はシャルルの動きに見事に反応し駆けだす。
ロンフォルトの歩調が呼吸と合う。シャルルはまっすぐ槍を構えた。
ぎらと陽光が男の兜を右から照らす。互いに右利き。無意識に槍をもつ右側で相対する。

大男の長い腕、太い槍が先にシャルルを狙い定め。
切っ先は喉を狙う。
当たった、と思っただろう。それほどに男は軽々と槍を操り、慣れた槍さばきで敵を突いて来た。
その一瞬の表情の緩みは、すぐに緊張を取り戻す。
小柄な挑戦者は馬の右肩に体を傾け、その左に持つ盾がぎらりと陽光を反射した。
「うぬ」
男が瞬きしたと同時にばりっと衝撃が走った。
何だったのか。観衆のどよめきが男の背中に届いた。馬はすれ違ったのち、戦場の端まで来ると反転した。周囲を囲む人垣は口を開けて男を見上げていた。
ぶる、と首を振る黒馬。
大男は気付いた。
男の持つ槍が中ほどで折れていた。

「何?」
小柄なシャルルも今、馬を反転させた。その拍子にがらん、と。盾と左の籠手の間から、挟まっていた槍の先端が転がり落ちた。
シャルルは自分が馬から身を乗り出す勢いと、男が繰り出す力を利用して左手の盾と籠手の間にはさみひねった。
長槍のもっとももろい部分。木製の柄の中ほどで先を失っていた。
だがシャルルも無事ではない。勢いで革の留め具がちぎれ、足元に獅子の盾が転がった。
ふん、と大男は笑う。
「こざかしい事をするから盾を失う」

シャルルは笑った。
「敵に武器がないのに盾はいらない」
襟元からはみ出し、風になびく髪は金色。兜で目元は暗がりに沈むが、口元は緩やかに笑っていた。
これで距離の不利はなくなった。男の懐に飛び込めるのだ。
「盾も柄も、手にしたものすべてが武器だぞ、小僧!」
怒鳴るなり、マスルは黒馬の腹を蹴った。

シャルルは長槍を構え。男は盾を使うために左合わせで突き進む。シャルルの突きを予想し男は残った槍の柄を真横に持った。近づいて横からシャルルを突き倒そうというのだ。長槍は至近距離に弱い。一回の突きをよけて懐に入ればそれは有効。マスルが狙ったのはそこだ。
しかし。同じ瞬間をシャルルも待っていた。
男が盾でシャルルを殴りつけようと寄せた瞬間、シャルルはくるりと槍を持ち替えた。
とん、とシャルルの槍が地を突き。少年の気配が消える。

がくん、と派手な衝撃を背後に受け、すでに左に身を寄せていた男は前のめりに崩れかける。重い盾で片腕がふさがり、槍の柄を持つ右手だけで持ち応えようとするが。馬が頭をもたげ右足が地を蹴る振動、それはわずかな可能性を消し。男はずるりと手綱を手放した。
どしん、と全身を打つ衝撃は周囲のどよめきと同時だった。

砂ぼこりの中、大男が肩を押さえ身を起こす。

シャルルは足踏みするロンフォルトにまたがり、地に差した長槍を抜いたところだ。
「なにが、あったんだ!?」
頭を振りながら兜を脱いだ男を、背後にいた騎士が助け起こした。
「猫みたいな奴だ、地に差した長槍を軸に馬から飛び出してぐるりとな。回転しながらあんたの背中にひざ蹴りを入れたんだ」
「いや、あれは軽業師のような」
「見たことがないぜ」
「単純なようでいて、身軽さを生かすために、あの盾はわざと捨てたんだ。マスル、お前との間合いを有利に持っていくことも含め、全部計算ずくだ」
物知りげに語る男があごに手を当てて分析すると、周囲はおお、と改めてシャルルを見つめた。
「末恐ろしいぞ、さすがはロトロア様の従者だ」
歓声の中、槍を持つ手を掲げ応えると、シャルルは兜を脱いだ。
ふわりと金髪が広がる。
汗に乱れた髪は獅子のように印象的な顔を縁取り、「獅子の子だ」と誰かが叫ぶ。
「リオン・ド・リタ!」
リオン、リオン。
ロンフォルトとともにぐるりと巡って、歓声に応えると、キ・ギがロンフォルトを押さえた。シャルルは槍と手綱を渡し、馬から降りた。

地に足をつけると、シャルルはよろめく。
「おいおい、しっかりしろよ」支え、笑いながら。ロトロアはシャルルを立たせる。右腕をとり、高く掲げた。
おおー。
「我がセネシャルにして、幼き獅子、シャルルだ」ロトロアが宣言する。
歓声に包まれ、シャルルは目を輝かせた。
怖かった、だけど。
僕は、勝ったんだ。
「騎士の誉れを、この子供に与えてよいか」
ロトロアの言葉におお、と叫ぶ騎士たち。その間をぬけ、白髪、黒い鋼を身に付けた騎士が姿を現した。周囲が道を譲り、ラン伯はロトロアとシャルルの前に立った。
「我が名のもとに認めよう。ロトロア、勇敢な獅子を育てたな」
シャルルは胸を張って、笑った。認めるってつまり、騎士の叙任をしてもらえるっていうことだ!
「わしに仕えるか」
風が止んだように取り巻いていたざわめきが消える。
ラン伯だった。
ロトロアとラン伯の確執を知らないものはない。
たった今、ロトロアが我がセネシャルだと宣言し、幼いながらもその実力を認めさせたばかり。それを奪い取るように周囲には感じられた。シャルルの肩に置かれたロトロアの手に、わずかに力がこもった。
「僕は」
シャルルはにっこりと笑って見せる。
「僕はいずれ、国王陛下のオマージュを受けます!」
く、と。
笑ったのはロトロア。
ラン伯は苦い表情を白いひげの下にかろうじて隠し、「まだ子供じゃな」と苛立った息を吐いた。



シロンの店、とは酒場のことだった。香ばしい肉の焼ける匂いと、ワインの甘い香り。シャルルは初めて入る酒場でテーブルを前に座っていた。周りの大人たちは酒が入り、大声で歌ったり怒鳴ったり。煩いことこの上ないが、シャルルも「お前、すごかったな」とか、「立派な騎士だな」とほめられるから悪い気はしない。出された羊肉のローストも美味しい。ここしばらく馬での旅で、ろくなものを食べていなかったから余計に美味しい。自分のナイフ使いの問題はさておいてシャルルは夢中で肉にかぶりつく。
隣に座るリシャールは、カウンターの前に立ち店主や他の客たちと話をしているロトロアを遠目に眺めつつ、またワインの杯を空ける。

「ロトロアって、人気者だね」
「ええ、皆知っています。ランの街の基礎を築いたロトロア様のお父上は皆に慕われていました。いち早く商工業者での組合を作り、ともに街の発展を担ってきた方です。気さくな方でこのシロンの店にも幼いロトロア様を連れて遊びに来られていました。現在のラン伯は商売に疎い方で先代を懐かしむ人も多い。ですからラン伯はロトロア様を警戒し、ことあるごとにけん制するのです」
「ふうん。……じゃあ、あの。僕がラン伯のオマージュを断ったの、まずかった?」
シャルルはフォークに刺した肉で皿のソースをぐりぐりとなでていた。話しながら食べるときの癖のようなものだ。リシャールはそれが嫌いで今もぐるぐる回るシャルルの手をひたと押さえ。
「おや、多少は気にしていたんですね」
「それはさ、わかるよ。あれだけ周りがピリピリしてたら。でも、あれ以外に僕はやり様がないと思ってさ」と置かれた青年の手をぺちぺちと叩いて肉を口に運ぶ。
二人がともに食事をするというのはテーブルが戦場に変わるということなのだ。
「そうですね。頷けばロトロア様を裏切ることになりますし、はっきり断れば角が立つ。子供らしくごまかしたのは正解でした。単純なばかりと思えば、あの槍試合もなかなか巧妙でしたし。少し見直しましたよ」やはり指導者がいいんですね、とシャルルのマナーを気にするのを諦めたのか、結局自分をほめているリシャールは色には出なくとも酔っているのだろう。
「だが、あれは無理があっただろう」
ぐんと頭を押さえられ、見上げればロトロアが少し赤くなった顔で笑っている。シャルルを挟んでリシャールの反対側に座った。
「身軽なお前だからできたが、ロンフォルトが機転を利かせとどまらなければ落馬していたし、そのつもりではなかっただろうが、手綱を放してしまっていた。まあ、震えるほど怖かっただろうに、頑張ったのは認めてやる」
「なんだ、シャルル、怖かったのか?」キ・ギがすかさずからかう。
「う、うるさいな!」
「いやいや、ロトロア様。シャルルにはやはりまだ早かったと思いますぞ」
黙って食べていたローレンツも、そこは同情してくれた。怖くないわけがない、相手は大男だったし。いきなりの実戦だったんだから。
「そうだよ、強引なんだ」ロンロンは、とシャルルは最後の肉を口に突っ込んだ。
「そうか?だれも、断ってはいけないと言っていないが?」
ええ?
目を向いたシャルルを見て、リシャールが噴き出した。
「シャルル、戦場ならば命がけです。不名誉を覚悟で退くことも重要ですよ。受けて立つなら自らに責があり、今更文句を言うくらいなら受けなければよかったのです」
「なんだよ、それ!」
「騎士として戦いを受けたのなら、愚痴はこぼすべきじゃない。まあ、震えているお前も可愛くていいが」けらけらとロトロアに笑われ。
シャルルは我慢できずに「このー!」とフォークを握ったまま殴りかかる。
「お前、危ないだろ、馬鹿だな」
「うるさいっ」
じゃれあう二人を眺めながら、キ・ギがぽつりとつぶやいた。その髭にはやっぱりワインがこぼれている。
「なんだかんだ言っても、ロトロア様はシャルルを可愛がっておられるな」
「ふん。ああでもしなければ、あの年でセネシャルなど誰も認めはせん。しかも女。特にこの領内では人気の高いロトロア様のこと、周囲の嫉妬を避けようとのお考えじゃ」とローレンツは眉を寄せ。
「不器用なんですよ、面白いからいいじゃないですか。あれでいてシャルルはなかなか、女性としても魅力的ですよ」と笑うのはリシャール。実は先日…と。不器用なまま終わったあの晩の不名誉な話は、こっそりとセネシャルたちの酒の肴にされている。
そんなことも知らず、シャルルはワインを飲ませようとするロトロアに蹴りを入れた。


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『La croisade de l'ange 2:Laon』 ⑥

『Laon ‐ランの風は苦く‐』




翌日。
シャルルとキ・ギを残してロトロアたち三人はラン伯の城へ向かった。
わざわざジャンがシロンの店までロトロアを迎えに来たのを、シャルルは「むかつく」と睨んでいたが、ロトロアに「戻るまで自由に市街を見物していい」といわれると機嫌を直した。雨雲を抱える寒い朝だったが、ぶつぶついうキ・ギを引っ張り、シャルルは昨日気になっていた市場へ繰り出す。

「僕はさ、まだ自分の剣がないんだ。買ってもらうんだ。だから、好きなのを選んでおこうと思ってさ」
「ロトロア様がそうしろとおっしゃったのか?」
「違うけどー、そうさせる」
「お前、ローレンツがいたら怒鳴られてるぞ」
呆れる大男に「そんなの気にしないからさ」とにっこり笑うリタの獅子はどこまでも不遜だ。剣や槍、盾をずらりと並べた店先で、指をくわえんばかりにあっちこっちと見とれている。
「まあ、血が騒ぐのもわかるがな」とキ・ギはずらりと並ぶ剣を眺めた。
木製の彫り物を柄にした方刃の短剣を一つ一つ、抜いては陽にかざす姿を目にとめて、商人が声をかける。
「若旦那、そりゃあ、いい手の作だよ。鍛冶も磨ぎも柄も、全部一人でやる職人でね。刀身と柄の重心をきっちり計算してある。フランドルでもなかなか手に入らない品物だ。安くしておくよ、どうだい」
うーむ。と一人前に顎に手を当て、声に出して唸ると、シャルルはふいとそれを振り下ろす。
「わ」と商人が一歩下がる。
「あ、ごめん。もう少し細身のがいいな。こういうのはもうあるから、もう少し、長くて細くて。ロトロアの獅子紋の剣みたいなのがいい」
「おいおい、シャルル、ありゃお前には無理だぜ」キ・ギが笑い。
商人はキ・ギとシャルルを見比べ、頭をかいた。
「ロトロア様の従者の方ですか。キ・ギさんの言う通りで。ロトロア様の品は、全部注文で鍛えられたもんです。鉄鉱石の産地まで指定されたものですよ」
「じゃあ、僕もそれがいい!」
「だから、お前。これから背が伸びるだろう?力も体力も変わる。今はまだ、成長の途中だろうが。良い剣というのは使う人間の力を補うものだぜ。そのためにはまず、己の力量や癖を知り、鍛冶の知識も持ち、それで初めて何をどうしたいのか注文をつけられる」
商人がうんうんと頷く。
「そうですよ、騎士見習いの方。鍛冶師も認めた人間の言うことしか聞きませんや。有名な職人になればなるほど、注文で鍛えてくれるのは稀でさ」
「そうだぜ、シャルル。重さ、長さ、重心、柄の形状、鋼の硬度や粘度。鍛冶師と対等にそう言った話ができなきゃ、相手にされない。諦めて、適当なのにしておけ。ロトロア様と同等など、土台無理な話だぜ」
「…じゃあ、今度にする。僕もいずれ、作ってもらう!」
「あのな」
「そのための見習いだからさ。いつかロトロアみたいになる」
ふうん、と見下ろしたキ・ギはにやにやと笑っていた。
「なんだよ?」
「いや、お前も可愛いところあるよな。ロトロア様に憧れてるんだろう」
「は!?違うよ!ロトロアみたいに剣を作るって話!」
「いい、いい。それは皆同じだ。いいか、シャルル」
キ・ギのロトロア自慢が始まる。それは、毎度のことだからシャルルは聞きあきたよと言いながら、先に歩きだす。
リシャールも、キ・ギも。お年寄りのローレンツはもちろん、みんなロトロアのことを褒めるんだ。
溜息を吐き、面倒だからキ・ギを置いて行こうかと足を速める。
昼はまだ先だが、屋台に並ぶ焼き鳥の匂いにシャルルの体は欲望のままそちらに向かう。網の舞台の上、炙られた肉は美味しそうな魔法の一滴を滴らせ。赤い炭は「じゅうっ」と歓声をあげて。だから鶏は美味しくなる。うん。
「おじさん、それ、三本ちょうだい!」
「へい、どうぞ、焼きたてが二本、あと一つはちょいと待てくれよ」
「うん」言いながら、硬貨を渡すとシャルルは置かれていた二本を両手で一つずつ持ち、交互に炭の恩恵に預かる。歓声を上げる。
「美味しい!」
「ああブリュージュから荷揚げされたもんだ。カレスの街も運河はあるが、やっぱり北のほうが羊にしろ鶏にしろいいものが入る」
「ブリュージュは入港料も安いしね」
「おや、詳しいね」
「住んでるんだ。フランドルの港町であそこが一番賑わってるんだよ。バイイ(地方代官)があちこちの商工業組合を誘致しているから、取引所がたくさんあってさ。ロトロアもルジエの商工業組合のために運河に近い一等地に一区画買い取ったんだってさ。それで、組合に貸して、代わりに保護してる。裁判沙汰とかになったら、バイイと交渉したり、いろいろやるんだ」
男は目を丸くし、それから顔をしわくちゃにして笑った。
「なんだ、おめえさん、ロトロア様の知り合いかい?」
「シャルル、ってんだろ。昨日、槍試合みてたぜ」と、大柄の騎士が硬貨を置きながら声をかけた。丁度焼きあがった五本を片手でがっしりと掴みとった。
「あ、それ、僕のだよ!」
「おお?小さい事は気にしないもんだろ、セネシャル様なんだろ?」
にやりと笑う。
「セネシャル?この子がかい?」店主も目を丸くし、シャルルはそんなことどうでもいいから僕にあと一本くれと手を差し出す。
「どうせ貴族様のおぼっちゃまだろ。槍試合は見事だったけどなぁ」酒臭い息をして酔っている様子の男は、赤ら顔をさらに赤くして大声で笑う。
その口に五串全部、突っ込んだ。
「ああ!」
「こんな可愛い顔してるんだ、そりゃあロトロア様も血迷うぜ。女なら俺だってあやかりたいってもんだ」
へらへらと笑う突き出た腹を睨み、シャルルは手にした串を握り締める。
「おい、シャルル、お前迷子になったかと…」追いついたキ・ギが丁度駆け寄り。
「騎士の旦那、あの、それはまずいんじゃ……」店主がまあまあ、とシャルルをなだめようとする。
駆け付けたキ・ギの姿を見ると騎士は口をもごもごさせたまま、慌てて一歩下がる。手は剣を探してもぞもぞと。その直後、男はひっくり返った。

「お?」
キ・ギが口を開くまでもなく。
男を投げ倒したシャルルは手にした串を男の喉元にあてていた。
「僕の鳥、かえせ!」
「うぐぐ」串をくわえたままだった男は、目を白黒させている。何が起こったのか分かっていない。ぐうと何か唸ってシャルルを振り払うと、起き上りざまに抜いた剣を振り回す。
それはしっかり空を切り。ごん、と鈍い音とともに男の剣が蹴り飛ばされた。すっ飛んだそれはグルンと回って地面に突き刺さる。
「うぉ、お前」
唸る男に、キ・ギは呆れた顔で肩をすくめ、屋台の店主に「俺に五本、くれ」と注文する。
「あ、あの。旦那、あの坊やは大丈夫で?」
「男の方が心配だが。まあいい。ロトロア様を侮辱したんだ。それ相応の報復は覚悟してもらうさ」
ふ、と笑いだし。なんだかんだいって、あいつは懐いているんだよなぁと独り言。
背後でシャルルが「なんか言えよ!串刺しにされたいのか!」と怒鳴るのを聞き、さらに噴き出す。苦しそうに腹を抱えて笑いだす。
見物人に囲まれた男とシャルルの喧嘩は、一方的だった。男が立ち上がったところをシャルルは腕を掴み投げつける。「畜生」と唸りながらシャルルの足に掴みかかるそれも、身軽なシャルルはふわりと飛び。ついでに男の肩を足場代わりにする。
飛びあがり宙で振り向きざまに放つ蹴り。踵が男の顎に入り。
決着はあっという間だ。


「まだ、というか。シャルル。お前に剣はいらんだろう」
鳥が焼きあがる頃には、何事もなかったかのようにシャルルはキ・ギの隣に座る。ちゃっかりキ・ギが頼んだ焼き鳥を半分もらい、上機嫌だ。
「何かすっきりした」
「腹が減っていただけだろ」
「かもね」
店主がサービスだと麦酒を出すからキ・ギも上機嫌。
シャルルは葡萄のジュースをもらい、少し早い昼食と決め込んだ。

「槍試合も素晴らしかったけれど。獅子の子の意味が分かるわね」
ふわりと。甘い香りが周囲を取り巻き、シャルルはむ、と飲み込み損ねた鶏肉にむせた。
二人が振り返れば、修道女が一人。
槍試合を褒める辺り、聖職者とは思えないと、シャルルは座ったまま睨みつける。
聖職者は騎士が行う試合や決闘を忌み嫌っていた。シャルルが育ったラエルの修道院でも、剣や槍等の武器は侮蔑の対象だった。だから、シャルルは武器を使わない拳法を身につけていた。
「あんた、誰?どこの修道院だよ?」
シャルルが無遠慮に問いかければ、修道女は「あはは、坊や可愛いわねぇ」とかぶっていたフードを背に回す。その手先にはきらきらと石をつなげた飾り物が揺れる。白い細い指先を追って視線を下ろせば、ふわと広がった赤毛がくるくると胸まで落ちる。高い位置で一つに結ったそれは細く白い首と綺麗な耳をむき出しにして、彩る。にっこりと、笑いかけた女は二十歳前後の。
「あ、あ」とキ・ギが言葉を詰まらせるほど、美人だった。
赤毛はこの地方では珍しく、シャルルはじっとそれを見ていた。目が会えば、女はにっこりと笑い、「ロトロア様のセネシャルって、ほんと?」と首を傾げてみせる。ぱちぱちと瞬きしてみせる重そうな睫、その上目遣いが小悪魔的に美しく、多分男なら呆然となるんだろう。大体、コートは修道女のものだけど、下に着ている服は溢れそうな胸を強調して、とても聖職者とは思えない。腰に短剣もあるじゃないか!
シャルルは肩をすくめて見せた。
「騎士見習いだけどセネシャル。子供だけどセネシャル。何が悪い」
ジャンといい、槍試合での反響といい、いい加減面倒になっていた。
「あら、拗ねちゃったの?」
「子ども扱いするな!串刺しにするぞ!」丁度、肉は胃の中で。手には裸の串が一本。それを女に向けてみる。
「あはは!可愛いっ!君になら串刺しにされたいなぁ、シャルルくん」
どういう意味だ、それ。
いつの間にかキ・ギとの間に座り込み、女はシャルルの肩に手を廻している。
「ねえ、まだ経験ないんでしょ?串刺し」
「はぁ?」
ごほん、ごほん、と派手な咳払いでキ・ギが女の注意を引いた。顔が真っ赤だ。
今のうち、とばかりにシャルルは立ち上がる。
女が伸ばした手をさらりと避けて、「キ・ギ、僕先に帰ってる!」と。キ・ギに女性を押し付けて、いや、女性にキ・ギを押し付けて。シャルルは市場の散策を決め込んだ。


『La croisade de l'ange 2:Laon』 ⑦

『Laon ‐ランの風は苦く‐』




その頃。
ロトロアはラン伯のセネシャルたちと参集した諸侯、ジャンも並ぶ円卓に席を連ねていた。
「ロトロア様、昨日は面白いものを見せていただきました」セネシャルの一人が笑う。
「あれは、ランスの修道院で育ちましてね。東方の格闘技術を会得しているんですよ。それで獣の子のように身軽なんです。リタを与え、騎士見習いとして傍に置いています」
「見栄えもいい、宮廷はそういうことも気にするというから、国王陛下にお仕えするというのも遠い話ではないかもしれんな」諸侯の一人が笑った。
数人が頷き、それに揺らされた熱い茶の湯気が円卓の陽だまりを横切る。
とん、と音を立てて杯が置かれた。手につけた多くの宝石、指輪がギラリと光る。ラン伯だ。
「今の宮廷が、そのままであれば、の話だろうが」
物騒な自分の台詞に悦に入ったのかにやにやと笑い。
「そうだろう?ジャン」と返事に窮するのを期待して少年に話を振った。
ジャンは問いかけたラン伯ではなく、ロトロアをまっすぐ見つめた。
「シャンパーニュ伯はあくまでもブーローニュ伯にご協力差し上げる約束をなさったに過ぎません。ブーローニュ伯は戴冠式の時期に合わせて、ブルターニュ公、マルシェ伯、サン=ポール伯等の諸侯をコルベイユに呼ぶおつもりです」
「では、シャンパーニュ伯もそこにおいでか」
ロトロアの問いに、ジャンは頷いた。
「ですから、ここには僕が使わされました。ブーローニュ伯の目的がどの程度のものなのか、見極めてから改めて、ラン伯様をはじめとした皆さまにご下命があります」
「例のルイ八世の死因について、追及はなされるのか」
「追及はありませんでしたが、ティボー四世・シャンパーニュ伯は戴冠式への出席を宮廷に拒絶されました。遠慮するように、とのご下命でした」
ざわ、と。
総勢11名の騎士たちは互いに見合わせた。
ロトロアは手元のワインを一口。その酸味にかすかに眉を寄せてから、改めて一気に飲み干した。
「ジャン。もしや」
「はい。ロトロア様。シャンパーニュ伯はこの戴冠式の時期にコルベイユへ向かうに当たり、貴方様のご同行を願っておられます」
ふん、と。息を吐き出したのはラン伯。
「我らは不要か、ジャン?」
今度こそ言葉に窮してジャンは何度も瞬きをしてうつむいた。伝令のジャンに当たっても仕方ないのは分かっているだろうに。ロトロアが引き受ける。
「叔父上。コルベイユでの会議がどのようになるにしろ、貴方にはランスに近いこの街にとどまっていただくのが最も有効とのことでしょう。戴冠式はランスで行われますし、ラン領内の諸侯を束ねておけるのは貴方だけですから。シャンパーニュ伯の護衛は私が行ってまいります」
「五騎もいらんだろう。二騎はランに残せ。わしが面倒を見てやる」
ラン伯の攻撃はここぞとばかりに甥のロトロアに向かう。ごくりと誰かが無理やり茶を飲み込み、諸侯は二人を見守る。
静まり返った席上、ロトロアはしばし間を置く。沈黙を破ったのは少年の高い声だ。
「シャンパーニュ伯の求めは、ロトロア様お一人でも構わないとのことです。役に立たない見習い騎士は不要ですよ」
ジャンがにっこりと笑う。
「そうだな、獅子の子は預かろう」と同調し、ラン伯も満足そうにあごひげをなでた。
人質かと。
ロトロアはラン伯を睨む。
「いいでしょう。リシャールとシャルルを残します。ジャン、お前はここに残るのだろう、よろしく頼むな」
「私も途中までご一緒に……」
ジャンは言いかけ、言葉を飲み込んだ。ロトロアの目は決して笑っていなかった。
「お前には伝令の使命があるはずだ。ランスの様子も確認するんだろう?」
「……はい」

会議後の昼食は味気ないもので、ロトロアはさっさと食べるだけ食べると出立の準備があると席を立った。
諸侯は残念がったが、「二人をお願いします」とロトロアに頭を下げられ、ラン伯の同席するなか数人の諸侯が強くうなずいた。彼らはその意味するところを十分理解していた。
ただでさえ少人数しか伴えず、たった五人の従者。それを人質のように二人残せと命じられれば、不安もある。
気懸りを残したまま、さらに困難な場所への旅は、ロトロアから持ち前の笑顔を奪っている。ラン伯の嫌味など笑顔で流せるが、この状況は厳しい。
親しい諸侯の数人が、ロトロアを扉まで見送り「有事の際にはお守りする覚悟です。どうぞ、ロトロア様は心置きなくコルベイユへ」と勇気づけた。


主人を待つセネシャルたちの集まるサロンにロトロアが顔を出すと、リシャールが駆け寄る。
「お早いですね」
リシャールは口調とは裏腹に、いつロトロアが戻ってもいいようにと、食事も酒もとっていなかった様子。この親友は、ロトロアにとってラン伯と同席することが何を意味するのか分かっているのだ。ロトロアの表情が和らいだ。

「何かあったのですかな」
ローレンツも口に運びかけた肉を戻し、席を立ち出迎える。
「俺はシャンパーニュ伯と共にコルベイユへ向かうことになった。ローレンツ、キ・ギと来てもらう」
「…私は」
「リシャール。ラン伯が、この地に二人残せとおおせだ。悪いがシャルルを頼む」
「……ええ」
リシャールはほほ笑む。その落ち着いた表情に苛立っていたロトロアも安堵する。リシャールならば、シャルルを任せても大丈夫だろう。
「何事ですか!コルベイユはパリより南、ここからさらに五日はかかりますぞ」
しわがれた声を恥かしいくらい張り上げるローレンツ。そのタイミングはロトロアを冷静にさせる。青年は笑顔を浮かべた。
「大きな声を出すな。ローレンツ。話は後だ。とにかく宿に戻り準備だ」



宿の部屋は、なぜか甘い香りでいっぱいになっていた。
「シャルル、なんだこれは!」鼻を押さえるロトロア、リシャールは「いい香りですね」とくんくんと息を吸いこんでいる。
シャルルは着替えたのか軽装で、室内のいすに座っていた。束ねた髪が肩にかかるのも気にならない様子で、テーブルに伸ばした自分の手に顎を乗せてぐったりしている。
「どうした?キ・ギは?」
「臭い女のとこ」
「は?」
「市場に行ったんだけどさ、変な修道女と一緒にいたいみたいで置いてきた。絶対あれ、惚れちゃったんだ。顔が真っ赤だったし。それがさぁ、派手な女で香水臭くて、しかもなれなれしくべたべたと触るもんだから」
「それが、この匂いですか」
「そう、臭いだろ?もう、ぐったりだよ。着替えたのに臭くてさ、何食べても同じに思えるし、最悪」
「で、キ・ギは?」
「市場だよ。その修道女と一緒じゃないかな。僕もホントは市場にいたかったんだけどさ」
この匂いが染みついて、とてもじゃないけど外歩けないよ、ものすごく注目されるんだからさ、とシャルルは口を尖らせる。注目される理由が香りだけとはロトロアには思えないが。

「クウ・クルも嫌がって近づかないんだ」
「はあ」と。ロトロアはため息をつく。
「私がキ・ギを連れてきます。ロトロア様、どうぞ、ご準備を」
「ああ。リシャール、間違ってもキ・ギの女に手を出すなよ」
「さて、それは相手次第です。ロトロア様のご帰還を待つ間、丁度よい余興になります」
こういうときほど美青年騎士の笑顔が輝くときはない。リシャールが銀の髪をなびかせるのを、そこにいた全員がため息混じりに見送った。
「シャルル、あきらめろ。ここには我が家のような湯はない。ローレンツは馬を頼む」


シャルルが「水浴びたい~」「臭いよ~」と一人ベッドで唸っている間、ロトロアは荷物をまとめ始める。
「お腹すいたのに食べたくないし!クウ・クルに嫌われたし」
「鼻をつまんで食べればいいだろう」
「味しなくなっちゃうだろ!」
「…好きにしろ」
ロトロアはひらひらした絹の上着を脱いだ。
旅用の軽装に着替える。逞しく鍛えられた背中に、シャルルはつい視線を奪われる。
「……ロトロア、何してるんだ?」
「見てわかるだろう」
「どっかいくの?」
「ああ」
「ふうん。行ってらっしゃい」
「…ああ」

シャルルのほうを振り返りもせず、ロトロアはマントを手にとり、剣の皮紐を結びなおす。
通常のものより少し細身で刀身の長い剣を好む。ロトロアは剣の名手だと聞いたが、その実践はあのランスで見た以外はない。もっぱらシャルルに指導するのはリシャールだ。
剣の一突きで人を死に至らせる。簡単に聞こえるが、余程の技量がなければできないことだ。シャルルの力では、まだ、藁人形を突き通すのがせいぜい。
ロトロアくらい鍛えていれば、あっという間に人を殺す。
そう、ランスでも。
思い出せば、恐ろしい気持ちだけが胃を重くさせる。ただ、今その手にする剣は複雑な獅子の彫り物の施された立派なもので、窓の向こうの街並みを背景にきらきらと美しい。獅子紋の剣と呼んでいるものだ。
やっぱりキ・ギが言うとおり、見て回った市場のどの店のものより立派だ。普段それを見慣れているから、市場の武器はどれも物足りなく思えた。
剣に見とれ。
その手さばきに見とれ。
シャルルは枕を抱きかかえ、それに頬を預ける。

「剣が欲しいか」
シャルルは慌てて起き上った。
「うん、ほしい!」
「ならば、これを預ける」
それは。
青年の掲げたそれは金色の牙をこちらに向ける獅子。大切な剣。
「あの、だって、これ。ロトロアの」
「俺は他にもある。預けるから、きっちり返せ」
「なんだ、くれるわけじゃないんだ。ケチ」
顔をしかめる少女に、ロトロアは笑いもせず見つめ返す。
「しばらく会えん。このランで何が始まるかは、まだわからん。リシャールを残すから、言うことをよく聞けよ」
「……じゃあ、じゃあさ!僕が活躍したら、これもらっていい?」
何の活躍だ、と。いつもなら馬鹿にしたように言う、はず。
「ああ」
そう言うなり、ロトロアは視線をそらし、立ち上がると荷物をまとめる。
「…もう、すぐ、行くの?」
「ああ」
「…ふうん」

「必ず、帰る」
「うん」
「待ってろ」
「うん」
シャルルは枕と一緒に剣をギュッと抱きしめた。


『La croisade de l'ange 2:Laon』 ⑧

『Laon ‐ランの風は苦く‐』




その晩のシロンでの夕食はリシャールと二人きり。機嫌を直したクウ・クルも入れてやっと三人。リシャールは酔っても酔わなくても大騒ぎしたりする方じゃない。昨夜の賑やかさに比べ、随分さびしいとシャルルは感じていた。
結局、ロトロアにどこに何をしに行くのか、いつ帰るのか、聞けなかった。
聞いてもよかったんじゃないか、と今は思うけれど。
ふん、と羊肉にナイフを突き刺し、何となく腹立たしい気分を紛らわす。
「シャルル、敵じゃないんですよ?ハムと言い、肉と言い。剣さばきも下手ならナイフも下手ですか」
リシャールの口調が嫌味に受け取れるのは、気のせいかもしれない。
「いいんだよ、どうせ食べるんだ」
「同席する人の気分が悪いでしょう?マナーが問われますよ」
「同席って言ってもリシャールだけじゃん」
「…」
無言に青年の怒りを感じ、シャルルは言い過ぎたかと顔をあげた。
噛み切れていない肉をもごもごさせているのだから、申し訳も何もないが。
「ロトロア様がいないとさびしいですか」

ぐさ、と。罪のないジャガイモはナイフの餌食。
「意味分かんない」
「八つ当たりは御免ですよ。私もお前なんかより、ロトロア様と同行したかった」
「行けばいいだろ」
「思慮の足りない子供とは違いますよ。主君の命は絶対です」
「足りない子供ってなんだよ」
「お前のことです。他に誰かいますか」
「八つ当たりしてるの、そっちだろ!僕がここにいてほしいって言ったわけじゃないし、ここに残されたかったわけでもないよ!」
「…ほら、やっぱりロトロア様と一緒にいたかったんでしょう」
「違うよ!」
「恋する乙女は我を見失うものです」
「ふざけるな!」
「お前こそ、いい加減にしなさい」

冷たい怒りを放つ青年に、シャルルはついに立ち上がる。
手にはナイフ。フォークはジャガイモを今振り落とし臨戦態勢。クウ・クルも察したのか、シャルルの肩に乗って威嚇する。

「恋する乙女って誰のことですか?」
戦士は二人、同時に振り返る。そこにちゃっかり座っているジャンを見つけた。
テーブルの戦場に一人、肘をついて二人を眺める。仲裁になるか、野次馬を決め込むのか。
「ジャン、貴方は……」
「僕も今夜はここに泊まろうかと思います」
と、にっこり完璧な笑顔。
「え?」

そんなはずはないのだと二人には分かるが、少年は「はい。ロトロア様にお願いされたんですよ」と。ぺろりと嘘をつく。
否定する材料を頭の中でこねているシャルルに、「これ、可愛いですね」とジャンはクウ・クルに手を伸ばす。
ふん、とすり抜け白イタチはシャルルの肩の反対側へと移動する。
「白イタチだよ。僕の友達」
そこでぷ、とジャンが噴き出した。

今の笑いはなんだ。
「僕以外にはなつかないから、下手に手を出すと噛まれるぞ」
「ふうん。リシャール様、いいでしょう?僕は一人ですし、ラン伯のお城よりこっちのが楽しそうですよ」
尋ねておいてシャルルの台詞のほとんどを無視する。ジャンはリシャールの隣にすり寄った。
「ええ、いいですよ。盛りの猫みたいな誰かとは違いますから。落ち着いて食事ができそうです」
「へえ、なるほど、テーブルはひどい有様ですよね。さすが孤児」
シャルルはむっとしたまま、立ちあがるが。リシャールの手ががっしりと手首を捕まえていた。
「落ち着きのない子供は嫌いです。今食べなければ、食事はなしです」
「…」くそ~。
『ローランの風』マニア同士。気が合う二人。
長い銀の髪をさらりと揺らす美青年と、黒髪の小生意気な瞳をくるくるさせるジャン。
どうぞ、二人で宮廷風気障な騎士の恋愛物語でも大いに語り合ってくれ。リシャールも香水臭くてちょうどいい。
シャルルは話すこともなく、二人を無視してどんどん食べる。
アヒルの肉と豆を一緒に煮込んだ料理も、クレープに卵とハムを乗せて焼いたものも。パンも、ニンジンのスープも。どんどん食べる。
そして、食べ過ぎる。


「苦しい…」
部屋に戻ると、一人先にベッドにごろんと横になった。
「卑しく何でもかんでも食べようとするからです」
リシャールの嫌味も聞き流す。
確かに少し食べすぎなのだ。
眼を閉じ、静かにじっとして腹が落ち着くのを待った。

「シャルル?」
無視だよ、リシャールなんか。女剣士ミンヌはローランに夢中だ。
「もう寝ちゃったんですか?すごいですね」
なにがすごいんだよ、ジャン坊や。ラ・ステラの座はめでたくお前のものだ。
僕には『ローランの風』なんか分からなくて結構。
ロトロアがどこに何のために行ったのか、聞いたらきっと知らないのかって馬鹿にされるだろうし。でも聞きたいし。
くそー。
枕に顔を押し付けぐるぐると思考をめぐらせているうちに、本当にうとうとしてきた。
クウ・クルが顔のそばでごろごろと体を転がす。
くすぐったいな。

「……シャンパーニュ伯のお心はお決まりですか」
リシャールの響く声が夜の静けさに沁みた。
お心?
うっすら片目だけ明ければ、目の前は白い山。かすかに揺れるから、クウ・クルの腹だと気づく。山の向こうにリシャールが背を向けている。向かいにはベッドに腰掛けたジャンが変に大人ぶった様子で肩をすくめた。
子どもの癖に。
「もし、ブーローニュ伯のご提案が、ルイ九世を亡き者にし、王位を奪うなどという強引なものでしたら、迷われると思いますよ。ブーローニュ伯は、幼いルイ九世が継承するより、前王の弟である自分が継ぐのが正当だというお考えです。摂政になるブランシュ王妃を外国女呼ばわりするんですよ、シャンパーニュ伯ティボー四世様はいい気分ではありません」
シャルルはぼんやりとジャンが並べた名前を思い浮かべる。
ブーローニュ伯。ルイ八世の義弟だった。
ルイ九世。今度戴冠式をする新しい王様。ロイかもしれない。
ブランシュ王妃はカスティーリャ王の娘でロイのお母さん。フランク王国に嫁いできた。だから「外国女」なのか。
シャンパーニュ伯ティボー四世にとって愛しの王妃ブランシュ。思いを寄せるあまり、前王ルイ八世とは不仲だった。だから同じ立場のブーローニュ伯と親しくなった。だけど、ブランシュ王妃を巻き込むのは嫌なんだろうな。
会ったことはないけれど、シャンパーニュ伯がなんだか身近に感じる。
会えない誰かを、想いを伝えられない誰かを想い続けるのはつらい。
気持ちはよく分かる。

「ブーローニュ伯はルイ八世の異母兄弟。同時にコルベイユに呼ばれたブルターニュ公も同じ立場。双方とも外腹の子には代わりはありませんし、どちらが正当、というのも難しいところですね」
リシャールが飲み物をテーブルに置く音がする。
「継承権で言うなら、やはり多くの諸侯がルイ九世を支持しているようですよ。ブランシュ様は外国人ですが、これまでルイ八世の王妃として諸侯の信頼を得ています。このままブーローニュ伯に従うのは、実はシャンパーニュにとって良いことではないと、僕は思っています」
「そうですね。そのあたり、ロトロア様も十分ご承知でしょう。大丈夫です、ティボー四世様がロトロア様を必要とする限り、そのご判断は正しい結果を呼ぶはずです」
「はい。感謝しています」

「ルイ九世ってさ」
びく、と。シャルルが予想した以上に二人は驚き振り向いた。
「起きていたのですか」
「ルイ九世って、誰?」
二人とも口を開けて、うだうだとベッドに転がるシャルルを見ている。注目を浴びつつ獅子の子は腹を晒して一回転する。リシャールの視線はみっともない、と言わんばかりで、枕を抱えるシャルルを睨む。
「なんだよ?誰って聞いているのにさ」
ジャンは憐れみの笑みを浮かべた気がする。
リシャールが立ち上がった。
「シャルル、その件はお前が知らなくていい事です。ロトロア様との約束ではありませんか」
ロイに関して知ろうとするな。知れば殺す、話せば殺す。
ルイ九世の正体を知ろうとすることでリシャールがそう言うなら、ルイ九世とロイはやっぱり関係がある。

「誰って、変な質問だね」
ジャンが二人を見比べながら首をかしげた。
「ルイ九世はルイ九世、他の誰でもないと思うけど…」
「ジャン」
「リシャール様、そんなに神経質になるところではないですよ。いずれ、戴冠式を済ませれば各地に伝令がきますし、誰もが知るところでしょう?ルイ九世、故ルイ八世陛下の次男に当たり今年十二歳になられる」
リシャールが止める間もなく少年は自慢げに語る。遮られる前にと、シャルルは飛び起き、ジャンの隣に座った。急いだので枕は抱えたままだ。
「あのさ!ええと」
ロイって、呼ばれていた?と。喉まで出かかるが、あの約束が脳裏をよぎる。
ロイという名を声にするのは、ロトロアの前以外なかった。
「……お前のそれは、ルイ九世のことです」
呟いたのはリシャール。
その言葉を、待っていたのだ。
ルイ九世はロイ。
感激でシャルルは言葉にならず、上目遣いでリシャールを見上げる。

「なんですか、気持ち悪い。シャルル、私が言ったことはロトロア様には内緒ですよ。お前にそれを知らせれば、契約など無視してパリに向かうでしょう。だから、ロトロア様は黙っておられた」
シャルルはリシャールの言葉を聞いているのかいないのか、抱きしめた枕を相手にダンスでもするかのようにぐるぐると回り、自分のベッドにぽんと身を投げ出した。
驚いた白イタチが飛びはねて、部屋を駆け巡ったのでジャンまで思わず悲鳴を上げる。
「シャルル!」
「わかった!ありがとう!生きてたんだ!生きてたんだ!!!やったーっ!!」
良かった。
そう思うとこみ上げる何かが熱く目を潤ませる。
慌てて枕に顔を押し付ける。

金色の髪を振り乱したシャルルがベッドに突っ伏し、理解できないシャルルの行動を二人が見守ること、数分。
動かなくなった子ライオンに、リシャールが声をかける。
「シャルル?」
怪訝な顔でリシャールがのぞきこもうとすると、伏せたままの少女の足がばたばたと毛布を打った。
「わ、お前は!」
「あははは!よかった!リシャール、嬉しい」
満面の笑顔で飛びつく子ライオンから逃れられるはずもなく、青年はしっかり抱きつかれる。いや、元来リシャールは女性の抱擁を嫌がったりしない。
肩までの身長のそれをしっかり抱きしめ返す。
「嬉しいよ!教えてくれてありがとう!」
その心地がやはり女性、と変に納得している青年の内心は知るはずもなく、シャルルはもう一度ぎゅと力を込める。
同じことをジャンにしようとしたら止めようとリシャールがその肩に手を置く。

「あの、話が分からないのですが」
一人ジャンが首をかしげる。
「いずれ、私から話しますよ。シャルル、ロトロア様には秘密ですよ。お前が恩をあだで返すようなことがあれば、遠慮なく殺します」
「へ?」
あまりに普通に話すから、嬉しさが顔に張り付いたシャルルには青年の言葉は乾いたパンみたいに呑み込めない。
「お前はロトロア様のセネシャル。裏切るなら殺します」
リシャールの銀の髪が見上げた目の前にある。さらさらとまっすぐなそれの先にブルーの瞳。それは笑っていない。
本気だ。
「分かりましたか?」
シャルルは壊れた人形のように首をぶんぶんと振った。
「わ、わかった、わかったよ!教えてくれてありがと!」
慌てて飛び離れると、シャルルは足元に転がっていた枕を拾う。


白い綿の入った枕。
ロイと一緒に眠ったあの晩。大きな枕は半分こした。一緒に寝てくれる人がいるのを、羨ましいと言っていた。
あの夜以来、僕も一人きりで寝てるよ。
ロイも、今も一人かな。
ロイ。
生きて帰って、王様になるんだ。
良かった。

大切そうに枕をささげ持ったまま、そろそろとベッドに向かうと、もう一度抱きしめてシャルルは横になった。
僕がしたことでロイを救えたのなら。あの思い出も全部、幸せなものに変わる。
これで、僕は大人になったらパリへ行って、国王陛下に仕えるような立派な騎士になればいいんだ。
そうしたら、ロイに会える。


シャルルが無気味な様子でベッドにもぐりこみ、静かになったのを見届けてジャンがささやく。
「リシャール様、どういうことですか」
「いずれ話します。私が黙っているのには理由がありました。知らせたくないと願うのに、お前は強引にシャルルに知らせました。理由はどうであれ傲慢な行動でしたね」
「…す、すみません」
「ここに来たのもロトロア様の指示ではないはず。傍にいたいのなら、大人になりなさい」
はい、という少年の声は小さくなる。
「分かればいいのです。私は素直な子には優しいつもりです」
リシャールの笑みは変わらず。
だからこそ、ジャンはますます縮こまり大人しく床に着いた。
二人の子が寝静まっても、リシャールは一人、ワインを飲み続けていた。


『La croisade de l'ange 2:Laon』 ⑨

『Laon ‐ランの風は苦く‐』



際限のない欲は身を滅ぼすものだと、教会の教えで幼い頃から聞かされてきた。実感はなくともそれは身に染み付いている。同様に教え諭された様々なことも無意識に守ろうとするし、侵す事になれば罪悪感が沸く。
けれど。
ロイのことを知りたい、会いたい。その気持ちだけは違う。生きている、そう分かっただけでは満足できない。悪いことじゃない。会いたいだけ。ただ、そう、遠くから見るだけでいいんだ。
声なんかかけられるはずもないし、相手は国王様。あの、一緒に眠った少年とは違う。だけど。このままじゃ、足りない。

「空の皿を眺めてどれだけ時間を過ごすつもりですか。それとも、本当にあれだけ食べてまだ、足りないとでも?」
リシャールの嫌味は今のシャルルには草原の風。
たまにうっとうしく髪を乱れさせるけれど、気にするほどではない。
にっこりとそよ風さんに最上の笑みを投げかけ、シャルルは席を立つ。
宿の一階にある酒屋の片隅で、朝日を浴びるシャルルの髪は眩しくリシャールは何度も瞬きをする。
「……シャルル、昨日から気持ち悪いですね」ジャンが言うのも頷ける。
「恋する乙女は強いのかもしれませんね」
ふわふわした足取りで一人階段を昇っていくシャルル。忌々しげに視線をそらすと、リシャールは再び目の前のワインに手を伸ばした。
青年は青年で、どうも様子がおかしい。朝からワインを飲みすぎているようにジャンには見える。さりげなくワインのボトルを青年から離れた位置に移動して、ジャンはリシャールの顔を覗き込んだ。
「あの。リシャール様。恋する乙女、って昨夜もおっしゃっていましたけど。誰のことです?シャルルがどこかの子に夢中なんですか?」
ああ、とリシャールの動揺がかすかに目に現れ、それから青年はごまかすように笑った。
シャルルはここでは少年。少女だと知っているのはロトロアのセネシャルたちだけだ。
「そうでした。お前は知らないのでしたね」
「教えてください!乙女の正体!シャルルが夢中になっている子って」
すかさず食いつく少年に、リシャールはかすかに意地悪な笑みを浮かべる。それはニヤニヤしたものから、クスクスといった風に代わる。
ジャンは自分が笑われているのだというくらいは分かる。
「あの、リシャール様、もったいぶらなくても!」
肩を震わせる青年は意地悪にも、何も語らずジャンをもう一度見つめては笑い出す。
「人が悪いですよ!そこまで言っておいて」
「教えてあげませんよ。昨夜のでしゃばりの罰です」
「!そんな」
「たいしたことではありません、ありませんが……」またそこで。こらえきれずに笑い出す。どうやら酔いも影響している。
「もう、いいです。僕は午後にはランスに向かいます。戻りましたらまた、伺います。コルベイユよりずっと近いから、ランスで五日間の戴冠式を終えても、まだロトロア様が戻るまでには間に合うはずです。ロトロア様に教えてもらいますから」
年齢にそぐわない大人びた溜息も深く、少年が立ち上がっても、リシャールは面白そうに口元をゆがめていた。
「では、ごきげんよう、リシャール様」
一礼して、ジャンはマントを片手に背を向ける。

「あ、そうそう。ジャン」
リシャールの声に少年がぴたりと立ち止まる。振り返った表情は期待に満ちている。
「シャルルは可愛らしいと思いませんか」
「はぁ!?」
ジャンの表情に追い討ちをかけるようにまた、リシャールは笑い出した。
人が悪いにも程がある。
ジャンは足早にシロンの店を後にした。


街を囲む城門まで来ると、ジャンは預けてあった馬を受け取る。馬番の男は自分の腹くらいの身長の少年に、かがみこむようにして手綱を渡した。
「ジャン様、もうトロワにお戻りですかい」
「いや、ランスに向かうんだ。ティボー四世さまの言いつけでね」
「そりゃ、ご立派なことですだ」
鼻の大きな男は、日に焼けた顔をさらに煤で黒くしたまま、にかにかと笑った。ジャンの馬シルグレットの脇に踏み台を置き、少年が馬に乗るのを手助けする。
「ありがとう」
「お小さくてもご立派だけんど、お一人じゃ何かと大変だ」
「一人じゃないよ」

二人そちらを振り返る。
「へぇ、珍しいこともあるもんだ」男が呟く。
視線の先では栗毛の馬が膝を折って、地面に座り込んでいる。
「ありがとう、ロンフォルト」そう、騎士見習いは姿勢を低くしてくれた馬の背に、鞍を乗せた。派手な金色の髪。中途半端だから束ねもせず、風に揺れて獅子のように顔を縁取る。ふわりと馬にまたがると、馬はゆっくりと立ち上がった。
「シャルル!」
「ランスに行くんだろ、よろしく!ジャン」
「よろしく!?」
「ほら、行くぞ。日暮れまでに着かなきゃいけないだろ」

シャルルは欲に勝てなかった。
「ロトロアに頼まれているんだ。ほら、剣も貸してくれたし」
シャルルが放った嘘は、昨夜ジャンがけろりと言ってのけたのと同じ類。真似されたのだと気付かずに、ジャンは眉を寄せた。
「どうして君一人なんですか?」
「僕は、ランスには詳しいからね。役に立つよ。リシャールは忙しくなるから」
もっともだ。シャルルがいなくなったと知れば、探し回ることだろう。
「……いいですけど。君に頼らなくても僕は仕事を果たせますよ。邪魔はしないでくださいよ」
「分かってるよ」
可愛げのないジャンの言葉も、今は平気だ。
シャルルはどこか現実味のないふわふわとした気持ちで胸が一杯になっていた。
ロイに会えるかもしれないのだ。
世話になったリシャールに迷惑をかけ、ロトロアがいればきっと怒るだろう事を、しようとしている。裏切るわけじゃない。ちょっと戴冠式を見に行くだけ。どこに行くとも言わずに出かけたロトロアだって同じじゃないか。僕はちゃんと宿のテーブルに置き手紙をしてきたし。大体いつまでも食堂のテーブルにしがみついてワインを飲んでいるリシャールが悪い。だから僕が出かけたのにも気づかないんだ。
ロトロアは言った。
「お前は俺と契約している、忘れるな」と。封を受け、セネシャルとして側においてもらっている。押し付けられたものだとしても、恩は恩だろう。だから、遠くから見るだけだ。ランスに戻っても、誰にも僕のことを知られないようにする。
裏切るわけじゃない。
アンは、元気だろうか。
ロイは。

思いにふけるシャルルを後ろに従え、時々振り返りながら、ジャンは街道を進む。
ふと、馬の歩みを緩め、シャルルの隣に並んだ。
「あの、君」
「なんだ?」
「リシャール様がおっしゃっていた、恋する乙女って」
そこで。シャルルはジャンの想像を超える顔をした。
「リシャールはそういうことしか言わないんだ!」
口を尖らせながらも顔は照れて真っ赤。分かりやすいシャルルの反応に、ジャンは慣れない恋の話を続けようとさらに近づく。
ジャンはこの十一月に十一歳になったばかり。『ローランの風』で宮廷風恋愛物語の様子は知っているものの、本気で誰かと恋愛の話をしたことなどない。同年代のシャルルも同じなのだと値踏みした。下手な小細工より真っ向勝負とでも思ったのか。
「シャルルには好きな子がいるのですか?」と。尋ねられたシャルルは慌てて胸元を押さえた。好きな子、という表現がロイにそぐわない気もするし、でも違うとも言えない。いや、話せないのは同じことか。
「そ、そんなの!そういうんじゃないよ!」
ジャンの賭けは当たった。密かに勝利に酔った。
「どこの子ですか?ルジエの貴族の娘とか、可愛い子なのですか?」
シャルルは表情を強張らせた。
「君でも詩を贈ったりするのですか?騎士は好きな女性には尽くさなきゃいけないんです。詩も楽器もできないともてないんですよ。もちろん、常に身綺麗にして紳士的な態度で」
「あ?……ああ、っと」それは、実践すれば色恋無敵のリシャールの出来上がりだろう。
シャルルはジャンの誤解に気づいた。

そうだ。僕は男ってことになってる。
シャルルは返事ともなんともつかない言葉を口にしながら、どうしようか、教えてやろうかと真剣なジャンを眺めた。
「貴族なら許婚がいますが、君なら自分で選べるわけですし。あの、可愛い子ですか?身持ちのいい女性がいいって言いますよ」
身持ち!?
シャルルは我慢できなくなって笑い出した。
「な!?なんですか!シャルルまで!」
シャルルの反応がリシャールとまったく同じだったことにジャンは目を丸くし。
もちろんシャルルはそんなことは知らない。
「何で、笑うんですか?笑うとこじゃないですよ、僕は真剣に君の恋の話を」
ひとしきり笑い、シャルルは痛む腹をさすりながら傍らのかわいそうな少年を眺める。
ジャンは、泣いていた。

「え!?」
「もういいですよ。二人で僕を馬鹿にして。やっぱり、ロトロア様と一緒に行けばよかったんです!こんなことなら!」
「泣くことないだろ」
ロトロアが聞いたってきっと大笑いする、そう思うと真剣な顔を保つのが難しい。どうしてもにやにやと。結局馬鹿にしたような顔になる。
「うるさいですよ!君なんかには分からないんです!」
「わかんないけどさ、ガキの気持ちなんか」
ジャンは何度も顔をごしごしと擦ると、馬を軽く走らせる。それでもまだ、鼻をすするのに合わせて肩がぴょこと上がるから、シャルルは仕方なく後を追う。
「おい、怒るなよ、って言うか、泣くなって」

考えてみれば、ジャンは生意気だけど僕より二つ年下。十一歳だ。
ちょうど、僕がロイに会った、あの頃と同じ。僕もちょっとしたことで腹を立てたり、悔しくて泣けたりしていた。
偉そうなこと言っていても。父親代わりにロトロアを慕っているわけだし、まだ子どもだ。
そんな風に思う自分が少し大人な気がして、シャルルはジャンに憐れみの声をかける。
「あのさ。教えてあげるから、拗ねるなって」

ジャンは振り向いた。
先ほどまでのしょんぼりした後姿が急に、立派な騎士みたいに反り返るから余計にシャルルには面白い。
シャルルは周囲を見回した。
麦畑と林と、遠く小さい民家。誰もいないな。
確かめてから、シャルルは告白する。
「僕、女なんだ」
「!!!!」ジャンの髪が逆立ったように見えた。
それは「嘘をつくな!」から始まって、考え付く限りの悪口雑言を振りまいて、しまいに震える手で腰の剣を抜き。
「本気で馬鹿にしてるな!僕は由緒ある家系なんだぞ!ジョワンヴィルを背負ってるんだ、これ以上馬鹿にするなら、決闘だ!」とジャンに剣を振り回させる羽目になった。
「無茶言うな!何で決闘だよ!」
「うるさいー!」
小さな騎士たちの追いかけっこは街道を脱線し、草原をまたぐ。剣を振り回しているから聞こえ程可愛いものでもない。羊が迷惑がる脇を走り抜け、森の中に入り、日差しが届かない奥深くまで続き。疲れた馬が走らなくなってやっと止まった。
「止まるなぁ、シルグレット!」
「もう、いい加減休もう。ほら、泉がある。喉も渇いたよ」先に馬を降りたシャルルは、ロンフォルトをいたわりながら清んだ水辺に膝をつく。
両手にすくった水は冷やりとして美味しい。
二杯目、とかがみこんだ背後に、ジャンの影。
「!?」
とん、と押され。
「わ、ばか…」
ころんとあっけなくシャルルは水の中。
十二月になろうという季節、それでなくとも山の水は冷たい。
ジャンに文句を言う余裕もなくシャルルは身を締め付ける水から逃れようとがむしゃらに這いあがる。一気に冷えた身体は強張り、痺れた手を握っては開いてみる。
「ば、ばか、いくらなんで、も」
「ホントに、女なんですか?」
膝をついたシャルルの前に、ジャンが立ちふさがる。見上げれば、勝ち誇ったように腕を組んで見下ろしている。
「お、お前」
「僕の上着を貸してやります。脱いでください」
はぁ?
「……嫌だ」
「やっぱり男なんですよ。証拠を見せないなら」
ああ、もう!
シャルルは怒りに任せてジャンの腹にそのまま頭突き。
不意を突かれてしりもちをついた少年に馬乗りになった。
「シャルル……」
何か言いかけるそれを思い切り叩いてやる。
「大体、僕のこと、信じない、から。悪いんだ、お前、ひどいこと、してるのに」
シャルルの拳は二発目を避ければ、勢いをなくし。シャルルはくしゃみを一つ。
ジャンの上に乗った冷たい濡れネズミは可哀想な鼻声になっている。
「ロイは、気付いたぞ、僕が女だって、大体、突き落とすとか、決闘だとか、おまえ、バカだ」
冷え切った身体はかすかな森の風にも震える。
と、不意に足元の少年がぐるりと体を回転させ地面に膝を突くと、えいっとばかりに背中のシャルルを振り落とした。
「わ!」
「決闘だ!」
殴りかかるから、シャルルも蹴りあげて応戦する。泣きながら掴みかかってくるそれは、子供の喧嘩の域を超えない。
修道院でも教会学校でも。子供の頃から鍛えられた体術と柔軟で素早い動きを得意とするシャルルに、同年代の子供がかなうはずはなかった。

ジャンの拳を手のひらで掴み、片方の手で相手の肘を固めると、ぐんと押し。次の瞬間には足をかけ、ぐるんと草むらに投げつける。
ジャンは受身が取れないようで、腰から落ちてどすんと痛そうな音がする。
それでも畜生と怒鳴りながら掴みかかってくるジャンを、今度は一発しっかり殴って、よろめいたところで締め技を決める。
「参ったって言え!」
「う、だまれ……」鼻声で唸るジャンは、そこで初めて自分が鼻血を出していることに気づく。
「う!?」血のついた自分の手を目を丸くして眺め。
「鼻、折れたかなー」とシャルルが笑えば、悲鳴を上げた。
「ひゃぁあ!?」
解放とともにうずくまって泣き出した。
それでも容赦なく髪を掴むと、シャルルは押さえつけた。
「僕の勝ちだ。馬を取られたくなかったら言うこと聞け」随分ないい草である。
ジャンは泣きじゃくっている。
「お前も騎士見習いなんだろ!騎士同士の戦いは、負けたほうが捕虜になって身代金を払うか、馬や剣を差し出すかだ。しょうがないから言うこと聞くだけで許してやるんだぞ」
寛大だ、とシャルルは笑った。
この辺りがリオン・ド・リタと呼ばれる所以。
教会学校でこれをやった時には、大騒ぎになって司祭にひどく怒られたけれど。聖職者の言う「命を大切に」とか「隣人を愛せよ」とか、それは軍人である騎士には「聞き流すべきこと」でしかない。自らの生死をかけて戦うのだから。

生きていくには、強くなきゃいけないんだ。

ふ、とシャルルは泣きじゃくっている少年に視線を落とした。
「本物の騎士は楽じゃない。そんなのさ、あいつら見てれば分かる。名誉のための決闘なんか、下らない。生きるため、糧を得るために戦う、生活に困ったことのないおぼっちゃまには分からないかもね」
自らの興奮をなだめながら、シャルルは泉の水でぬらした布で少年の鼻血を押さえてやる。
「こうしてしばらく冷やせば止まる。折れてなんかないよ、僕にそんな力はないし」
ジャンは恨めしそうに眼だけでシャルルを睨みつけた。
それでも痛みが多少和らぐのか、「自分でやれます」と布を受け取ると、汚れた衣服を情けなさそうに見つめながら、木の下に座り込んだ。
「お前も着替えが必要だな。荷物にあるだろ、よこせよ」
「……盗賊みたいです、君」
シャルルはジャンの荷物を勝手に漁り、服を引っ張りだした。

「ちょうどいいや、これ、借りる」言いながら、濡れた服をあっさり脱ぎ捨てると、ジャンは慌てて眼をそらした。
シャルルの胸元は布を巻いているが、白いすべすべした背中に粗い布。それも濡れて張り付いて柔らかなそこを無理に押さえつけている。
緊張しつつもこちらが気になる少年を見つめ、シャルルは意地悪な笑みを浮かべる。
注目を集める布をぺろりと取り去ると、「ジャンはセネシャルが目標なんだろ」と声をかける。
「わぁ」と真っ赤になって目をそらすジャンは、せっかく止まった鼻血がまた、つぅと滴るから、慌てて布を当てた。
「なんで、男になんかに、なり済ましてるんですか」
「何でって、男のほうがいいから。騎士になるにも、喧嘩するにも、なんだって男のほうが有利じゃないか」
「そんなことないと思います」
「じゃあ、女になっていいって言われて、ジャン、女になるか?」
ジャンは不満そうだが首を横に振った。
「だろ?僕は騎士としてロトロアに仕える、そういう契約だ。あいつは女の僕に興味があるらしいけど、無駄だ」
「えええええ!?」
聞いたことのないくらい大きな声でジャンが叫んだ。
「…なんだよ、そんなの分かるだろ」
分かっている、もともとそのために僕を捕まえたわけだし、この間のクウ・クルが死にかけたときだって。
シャルルはぎゅと腰に剣を括りなおす。
「あの、…シャルルは、その。ロトロア様のこと……」
「別に。あいつ、怖いんだぞ」
「そんなことないですよ!ロトロア様は優しくて、誠実で、立派な、それこそシャンパーニュ伯に匹敵するくらい、ううん、もっとすごい人ですよ!僕が君と代わりたいくらいだ」
「代わってどうするんだよ。あれに迫られて嬉しいのかジャンは。結局、女にもてるのはリシャールのほうだぞ」
ジャンは黙った。
「じゃあ、リシャール様が好きなんですか?」
「単純だな。違うよ、僕が好きなのはもっと違う」
ジャンは座り込んだまま、シャルルを見上げていた。草色の瞳が大きく見上げ、それはいつか感じた従順な犬の輝く瞳。なぜか隣にクウ・クルも立ち上がり見上げ。
同じ顔をしているように見える。
こほん、と咳払い。
「僕が好きなのはもっと尊い方だ。ランスで、会えるかもしれない」
「!?それって!」
シャルルは笑った。そんな笑みを見せたのは、もしかしたらジャンが初めてだったかもしれない。胡坐をかいたままはにかんで、くしゃくしゃと頭をかく。
でもシャルルの上目遣いの瞳は目をそらせないくらい綺麗に澄んでいる。
「ルイ九世さま、新しい王様だよ」
会えるんだ!


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