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『La croisade de l'ange 2:Laon』 ⑩

『Laon ‐ランの風は苦く‐』

10

パチ、と薪が乾いた音を立てる。暖炉の火を脇に置いて、小さな部屋はぬくぬくと温まっている。シャルルとジャンは近くの村の宿に泊まっていた。
決闘騒ぎのおかげで時間をとり、森を抜けたところで日が暮れてしまったのだ。ひと山越えた先はランスだが、夜中に出歩く場所ではない。
お小さい騎士様と呼んで、宿の主人は二人を喜んで迎えてくれた。
かまどに置かれた鍋が何かコトコトと美味しそうな音を立てる。夜になり冷え込んだこの山間の宿は、主人と女将さん、シャルルたち二人だけの静かな夕餉時を迎えていた。
「お二人も戴冠式を見物に来たんですかい?この辺はまだ少ないけんど、山向こうの村じゃ見物の貴族様や司祭様が大勢きているんでさ。その人たちにいろいろ売りつけようってのか、ランからの商人も来ているくらいでさ」
鼻の赤い主人はウズラの羽をむしりながら、カウンター向こうの厨房から声をかける。
「はい、そうです。僕らもランから来たんですよ」
「もしかしたら、新しい王様のお顔を見られるかもしれないから、ね」
ジャンとシャルルが夢中になってかぶりついている鶏肉から顔を上げる。子供らしく派手な勢いで腹を満たす二人を、主人は面白そうに眺めていた。
「おや、ピクルスが残っていますよ、ちょっと育ち過ぎてるけど、柔らかくてね、美味しいんだよ。肉と一緒に食べればどうです」
女将さんがそう言いながら、二人にオレンジのジュースを注いでくれた。
「あ、ありがとう」言いながら、ジャンは密かに苦手な野菜をさらに遠くへ。ちらと見れば、シャルルは早速肉と一緒に、を実践している。
「うん、美味しい。ジャン、食べ物を残すのは悪いことだぞ」
シャルルは修道院育ちだ。
「う。でも、苦手ですから」
「お前、お父さんを亡くしてるだろ。お父さんだって女将さんと同じこと言ったと思うぞ。僕は両親の顔を知らないけど、いつもそう思って食べてる。どんなものも、お母さんが作ってくれたんだと思えば残すなんてできない。僕らが食べるもの着るものは全部、誰かがお母さんやお父さんの代わりに僕らに与えてくださってるんだ」
感謝の気持ちは修道院で学んでいる。

ジャンが床に届かずにふらふらと揺らしていた足を止めた。しばらく無言でシャルルを見つめ、それからおそるおそるピクルスを口に含んだ。
結果は芳しくなかったらしいが、柔らかいパンと肉を詰め込んで、何とか飲み込む。
その姿が可愛らしかったのか、女将さんがジャンの頭をなでた。
「後で美味しいはちみつ煮を出してあげるよ。今年のいちじくはいい出来でね、とろっとね、甘いんだよ」
それにはシャルルもごくりと唾を飲み込んだ。


「着替えるなら向こうでお願いしますよ」と。ベッドで寝転んだジャンがシャルルを睨んだ。
「いい、このまま寝る。はちみつの匂いがしていい感じだ」シャルルが服をつまんでクンクンとにおいをかぐ。嬉しそうにそれにまとわりつくクウ・クルも同感らしい。
「美味しかった。なんだか、その」ジャンもどう形容しようかと、寝転んだまま空にあげた手をもよもよさせる。
「感謝しろよ、ジャン。はちみつなんて高価なもの、きっと、ものすごく大切に取っておいたんだと思う。修道院では一年に一回の、大聖堂の降誕祭の時しか食べられないんだ。しかも一人一口ずつ、子供らと分ける。貴族様と僕らは、それこそ天と地くらい違う」
「……僕じゃないですよ、シャルル。女将さんはきっと、シャルルに食べてほしいと思ったんですよ。さっき、聞いたんです。ここの息子さんはシャルルと同じくらいの歳で、ロトロア様のルジエへ、徴兵に応じるために旅立ったそうです。ときどき、手紙が届くって」
「ふうん」
「案外、いい人なんですね」
「その息子が?」
「違う、君が」
「……悪い奴じゃないと思う」
他人事のように呟いて、シャルルは照れる。
「偶然知り合ったのが、王子さまだったなんて騎士物語になりそうな出来事です。すごいなぁ。それでロトロア様がセネシャルにするんでしょうし。どうして君みたいな出身の子がって、ちょっと嫉妬しましたけど。分かりました。シャルルが前に馬上槍試合の後に言っていましたよね。王様のオマージュを受けるって。あれ、本気なんですね」
ジャンは横になり枕を抱いたまま、シャルルをしっかりと見据えている。
差し障りのない略し方をしたシャルルの説明に納得している様子だ。ロイと出会って、別れた。だから会いたい。それは、言葉が足りないとしても真実に違いない。
シャルルは自分のベッドに腰掛け、足をふらふらと揺らした。
ランプの明かりにその影は長く伸び、床でシャルルの靴に噛み付いて遊んでいた白イタチは驚いてシャルルの背中によじ登った。
「うん。本気だ。ラン伯をごまかすためじゃなく、子供じみた夢でもない。僕は、ロイの役に立てるセネシャルになる」
「シャルルなら、できるかもしれません。その、セネシャルじゃなくても」
印象に残る容貌、大きな瞳。それなりに女性らしい、いやどちらかと言えば綺麗な部類に入るだろう、目の前のシャルルをジャンはじっと見つめていた。大人になって着飾れば、どこの貴婦人にも負けないかもしれない。
「シャルルなら、王様に愛されるかもしれない」
あははと。笑ってシャルルはごろんと横になる。
「無茶言うな。身分が違う。僕はロイを護る、それでいいんだ」
「……ロイって呼ばれていたんですか」
「うん。王様の子供って意味らしいよ。本当の名は明かさなかったんだ。そりゃそうだよね、今考えればさ。王子様なんだ、正体が知られれば影響する人も大勢いるし」
知ってしまうことで、命を落とす人もいる。
「よし!そう考えれば、明日は早朝から出るぞ!御到着を見なきゃならない!寝るぞ!ジャンも早く寝ろ」
シャルルは慌てて自分のベッドにとびつき、あっというまに毛布の下。
姿が見えなくなる。
ジャンは「ふうん」と少し笑うとはみ出したミモザ色の髪を見つめた。


早朝の風はひやりとし、晩秋の匂いをさせていた。
二人は宿を出るときに女将さんにもらった焼き栗を腰につけ、ときどきつまみながら馬を歩かせる。街道はぼつぼつした田舎道から、村の境を抜けるたび整えられていった。
ランスの石畳と同じ道になった時には、山を越えた二人の目の前に麦畑と牧草地、緩やかな緑の海が広がった。
「ああ、懐かしい!こんなに、綺麗だったんだな」
シャルルがつぶやく。
「ここがランスですか?」
ジャンが首をかしげるから、シャルルは笑った。
「違うよ。ここは手前のコルベニーの村。すごい昔はね、ここに王宮があったんだってさ。ノルマンが責めてきた時に当時の王都は移動したから、残ったこの土地は聖マルクールの修道院に譲られたって話。聖マルクールって病気治療をした聖人で、だから、今は病気の人を治療する施療院に変わってる。丘の上にそれ、見えるだろ。その向こうの森と山。あの森を抜けた先に修道院があって、そこを抜けるとランスの街。山の断崖が街を護っているんだ。僕の育ったラエル修道院はその門番みたいなものなんだ。ああ、すごいな、森の手前まで人が列を作ってる。僕らも…」言いかけたところで、シャルルは遠く街道から右にそれた川岸の。あの水車小屋を見つけた。小さい丸は流れに合わせて回っている。
ぎゅ、と唇をかんだ。
「行きましょう、シャルル。早く並ばないといい場所が取れない」
「ああ」
進み出した二人の後ろから、大仰な馬車の一団が走ってきた。黒い馬を二頭付けたそれはいかにも貴族の乗り物らしく、シャルルたちは道の端によけた。
「だんだん集まってきますね」
「すごい勢いだな、式典に出る立場の貴族かな。皆よけるし、あの馬車の最後尾にくっついて行こうか」
「悪賢いですねぇ、シャルル」
「悪が余分だよ」
シャルルはロンフォルトを馬車の隊列の最後尾に寄せた。ジャンもそれに続く。
一番後ろを走る衛兵がじろりと振り返った。
シャルルはにっこりと笑って、「ごきげんよう」と声をかける。
「離れろ、貴様ら!」
怒鳴られた。
「なんだよケチ」
「シャルル、まあまあ」
ジャンになだめられ、シャルルは衛兵を睨みつけながらロンフォルトを少し遅らせる。
あっという間に馬車と騎士の一団は人ごみを掻き分け小さくなっていく。

「なんか、北の訛りだったな」
「ノルマンディー辺りからでしょうか。国王の戴冠式ですから、あちこちから大貴族が集まりますし」
「偉そうだな、ちょっとくらい、いいのにさ…?」
かりり。
腹の辺りがカリカリ言っている。
焼き栗の匂い。香ばしい。
「!?あ、クウ・クル!」
白イタチはしっかり栗の袋をベッドのようにして、腹はぷっくりと膨らんでいる。シャルルの膝や鞍には栗の殻がぼろぼろとこぼれていた。
「お前!全部食べちゃったのか!」
怒鳴れば、イタチはピクリと抜けだし、ぴょんと隣のジャンの馬に飛び乗った。
「わ!来るな、僕のはあげませんよ!」
ジャンが慌てて追い払おうとする。クウ・クルはシルベルトの頭まで駆け上り、ゆらゆらと踊るように身体を揺らしていたが、ふと顔を背けるとたてがみにぶら下がった。そのままずるずると馬の足元へ向かい。
「クウ・クル!」とシャルルが叫んだときには地面に降りていた。
そのまま、走り出す。
「ああ!イタチが」
向かう先があの水車小屋だと感づいて、シャルルは追うのをやめた。
「ごめん、逃げ出しちゃった」ジャンが申し訳なさそうに焼き栗をひと掴み、シャルルに差しだした。
「ありがと。いいよ、あいつにとっても故郷なんだ」
あの晩。ロトロアが言った。野生の生き物を飼うのは、身勝手だと。
もしこのまま会えなくても。クウ・クルならちゃんと生きて行ける。もう立派な大人なんだ。
「探さなくていいんですか?親友だって言ってたのに」
言いながら、ジャンは栗で口をいっぱいにしているから、緊張感はない。
「いいんだ。あの水車小屋、あそこで遊ぶのが日課だったから。たぶんそこに行ったんだよ」
「ふうん」
ジャンも水車小屋を少し眺め、栗で汚れた手をパンパンとはたくと再び手綱を握る。

このあたりに来ると、街道は人が増えて、シャルルたちも思うように馬を進められなかった。歩く人、馬車、馬。結局人の歩みに合わせた速さで行列は森へと吸い込まれていく。列の先を眺めて、シャルルはため息をついた。
「長いなー」
のんびりしたロンフォルトの振動は、温かくなりつつある日差しの下、眠気を誘う。ふあ、と伸びをした。畑の麦は、半分くらいは刈り取られている。まだ濃い茶色を波打たせている畑もある。一軒では大変だから麦刈りは共同で行う。懐かしい、麦を積んだ馬車。今農夫が麦の入った麻袋をドンと積んだところだ。駆り終わった畑を牛が犂を引いて、ゆっくりと耕していく。
がっしりした農民が同じ歩調で進んでいく。
ふ、と。ロンダを思い出す。
仔牛を見せてくれたことがあった。
黒い牛は目も真っ黒でつやつやしていた。額に白い星印があったから、シャルルが「こいつはエトワール(星)だ」と決め付け。結局それがそいつの名前になった。
それに、今見つめる牛は似ている。
あれ?
ふと、牛に付き添う男と目が会った。
何気なく視線を大勢の行列に流して、男は再び牛を見やり。止まる。
改めてシャルルを見上げた。
ロンダの、お父さんだ!
シャルルは目がそらせない。
「どうしました?シャルル」
ジャンの声を聞きつけ、「シャルル?」と男の口元が動いたように見える。
「シャルルじゃないか?」
男の声が届いたときには、無意識に離れようとシャルルは馬を急がせる。トンと脇を叩かれた馬はシャルルを乗せたまま、列の先へ奥へと足を速めた。
「ちょっと、シャルル!」
驚くジャンの声。振り切ろうと心は急くのにまた三人連れの騎士がのんびりと前を並んで進む。それは横に広がり道を塞ぐ。
「シャルル!」
ジャンは今呼んだのが自分だけでないことに気付いた。
目の前を横切る男に慌てて手綱を引く。見知らぬ男がシャルルの馬にすがり付いていた。
「シャルル、シャルルじゃないか!?」
手綱をつかまれ、仕方なくシャルルは馬をとめた。
人と馬が川のように流れる中。二頭の馬と男を挟み、周囲の人々は迷惑そうにそこを避けて進む。その中で何とか降り立ち、ジャンは「とにかく、こっちへ」と馬を引いて街道の脇へ抜け出た。
シャルルは凍りついたような表情で馬に乗ったまま。男はその手綱を横から握り締め、シャルルだろう?と繰り返す。
馬から降りれば男はジャンよりずっと背が高い。
「貴方は誰ですか?騎士の手綱を掴むなんて失礼でしょう」
ジャンの言葉に振り返り、男はしぶしぶ手綱を放した。
「シャルル、君も降りた方が」ジャンの言葉を聴かないうちに、シャルルはとん、と降り立った。
「シャルル、やっぱりそうだ!お前はあのシャルルだろう!ロンダを覚えているか!俺はニルセン、お前の許婚だったロンダの父親だ」
ジャンが顔をこわばらせたのも無理はない。シャルルに許婚がいたなど初めて聞いた。



「じゃあ、シャルルは二年前から行方不明だったんですか」
言いながら、ジャンは手元の茶を眺めた。隣に座るシャルルは黙り込んで、今にも消えてなくなりたい様子をしている。
ごく普通の農民の家。木を組み上げた梁に、漆喰の壁。足元は土がむき出しになっている。それでもこのあたりの農民の中では豊かな方なのだろう。部屋の奥には家人が住むための部屋がいくつかあるように見える。窓辺にはハムやニンニク、家畜の餌になるトウモロコシが干されている。
二人の前にも、干した杏が置かれていた。
ロンダの父だというニルセンはそれに客より先に手を伸ばし、がつがつと二つほど口に入れ、一気にワインを飲み干した。
「そうだ。あの夜はひどい雨だった。そんな夜に、息子は修道院を飛び出したというシャルルを探しに出かけたんだ。お前はいつも水車小屋にいた。だから、きっと、水車小屋にいると思ったんだ、ロンダはそこに向かった。ランスでは大聖堂に賊が入り込み衛兵が殺されたり、聖堂参事会役員の馬が盗まれたりした。シャルルはその賊に誘拐されたと後になって修道院の人に聞いた。ロンダはお前を助けようとしたんだろう。それで、賊に歯向かった」
賊。
ジャンがそれは、と疑問の視線を投げかける。シャルルは、じっと膝の上で握り締める拳を見つめていた。

「シャルル、お前さんが生きていてくれて、俺は本当に嬉しい。ロンダが、あの時どうして殺されなきゃならなかったのか。教えてくれ。何があったんだ」

ニルセンの、冬の空のような瞳を見返すことが出来なかった。
あの時ロンダは。僕を助けようとした。確かに、そうだ。
僕は。じゃあ、僕は。
ロイを、助けようとしてた。
ロイがあの水車小屋にいるはずだった。なのに違った。どうしてそこに、ロンダがいるのか。分からなかった。
ロイと約束したのに、どうして、ロンダなんかがいるんだ、って。
僕は。
あの時のロンダに、感謝出来なかった。

ふと、手が握り締められていることに気付いた。
ニルセンが冬の空色に涙を浮かべて、見ている。それはたった一人の息子を失った、悲しみに溺れそうになっている、だから救ってくれと訴えている。
ぽつ、と男の涙がシャルルの手に乗り。

シャルルは、唇を噛んだ。
「ロンダは」
「ああ、あいつは優しい子だった。いつもお前のことを気にしていた。仲良くしていたんじゃないか?お似合いだった。お前のためにと、無理してあんな高いドレスまで買って、あいつ、俺に何年かかっても返すから、きっちり働いて返すからと」
あれを。
僕は。
シャルルはゆっくり、力強く握り締める手を引き離した。
追いすがろうとする男の手はザラリとした感触で、シャルルの罪悪感を掴み取る。
「あの、ロンダは僕を助けようとして。殺されました」
結局。それしか、言えなかった。
そんなことは、ニルセンも承知のこと。けれど。
「誰が、殺したんだ!剣で一突き、あれは、あれは誰の仕業なんだ!お前は知っているんだろう!?」
「し、知らない。知らない、でも。ロンダは僕を助けようとしたんだ。それで、騎士に」
「お前は今、どうしているんだ。こんな立派ななりをして、騎士見習い、か?孤児のお前が、どうしてだ?あの時の騎士は、誰なんだ」
「あの、待ってください、ニルセンさん。シャルルにも、その。準備が」
ジャンが掴みかかりそうなニルセンを抑えた。
シャルルはもう。涙を抑えられなかった。
泣き出したシャルルに、ニルセンは「あの子を殺した奴を、教えてくれ」と。お願いだと頭を下げた。
「シャルル、修道院じゃお前さんが賊をランスに導きいれたと、そういってる。子供のことだ、騙されたり利用されたりしたんだろうと、そう言われている。そうなのか。お前がそいつらを修道院の検問を通し、大聖堂に導きいれたのか?」
そんなふうに、なってるのか。
シャルルは目を擦った。
あの時、ロトロアの行動を大聖堂も修道院も見過ごした。それを問われ、僕の過ちに仕立てて誤魔化したのか。
ひた、と。胸の奥に冷たい泉を感じる。暗い心の底には覗き込みたくもない淀んだ水。痛みなのか懺悔なのか。
ロンダの真っ直ぐな思いも、僕がロイを助けようとしたことも。
そんな風に、嘘で塗り固められているんだ。
ランスを守るため、ロイの存在を隠すため。僕が悪者に、なっているんだ。

シャルルは置かれていた茶の入ったカップを握り締めた。
一気に飲み干すと、音を立ててテーブルに置いた。

「僕は。今は、その時の賊に雇われている。騎士見習いにしてくれたんだ。僕は、小さい頃から騎士になりたかった。だから、ちょうどよかったんだ。ロンダと、結婚するつもりなんかなかった」
ずし、と。衝撃にシャルルは床に転がっていた。殴られたと認識すれば痛みが頬を焦がす。
反射的に体を起こすと鼻血が胸元に落ちた。影がさし。
「やめてください!」と叫ぶジャンの背中。その向こうには。
生まれて初めて受ける憎悪の視線。男は叫んでいた。
「お前は、あの子のことを!なんだと思っていたんだ!小娘が!お前が賊を引きいれたんだ、お前のせいだ!生意気なガキが、お前なんかのために、あの子は、あの子は!」
制止しようとするジャンを押しのけ、男が殴りかかった。シャルルはそれを冷ややかに見上げている。
そう、余裕を持って避けた。
大きく振りかぶった男は反動で地に膝をつく。
「本当のことだから。僕は結婚なんか考えてなかった。ロンダは嫌いじゃなかったけど、僕はこの家を継ぐような人間じゃない」
ロンダを幸せに出来るような、人間じゃない。
優しいロンダには、もっと大人しい可愛らしい子が似合うんだ。
僕は。
あの時、自分の無力に泣いた。ロンダを救うことも、ロイを助けることも出来なかった。
「力が必要なんだ。生きるために。だから僕は騎士になる。例えそれが、憎い相手に従うことになっても」
立ち上がるシャルルの足元、ニルセンは拳を地に打ち付けた。
「出て行け。お前など、ロンダの代わりに死ねばよかったんだ!」



「あの」
街道を人混みに紛れ進み始めると、ジャンが口を開いた。
シャルルは黙って前を見据える。
「賊って、……ロトロア様、ですか」
返事をするつもりはない。
溜息を横に聞きながら、シャルルはただロイに会えることだけを。ロイが無事であることだけを祈っていた。

人の列が先ほどよりずっと長くなっていた。陽が中空に昇る。昼前には国王の一団が到着する。
「急ぎましょう、シャルル」
ジャンの言葉に、シャルルはちらりと視線を合わせる。その目が赤いから、ジャンは何も言わずに馬を急がせた。


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『La croisade de l'ange 2:Laon』 ⑪

『Laon ‐ランの風は苦く‐』

11

街道にはランスの衛兵らしい姿が立ち、ぞくぞくと集まってくる人々を誘導し始めていた。
途中、通りかかった水車小屋。
ジャンはじっとそちらを見つめた。
シャルルが、目を背けたいのは分かる。
小屋の扉は開かれていて、通りを進む群集を小さな子供が口をあけて見つめていた。二年前のシャルルを見るようで、ジャンも目をそらした。
シルベルトの耳がぴくりと普段と違う動きをした。
「?」
つるりと白い何かが昇ってきた。
「わ!?クウ・クルか!びっくりした」
白イタチは悪戯そうな目をぱちくりさせ、ジャンの目の前で気持ちよさそうに寝転んだ。
「お前…いい身分ですね」
ピクリと顔だけ上げてこちらを見る。思い出したようにイタチはシャルルの方を見つめた。
飛び移るには少し距離がある。ジャンは抱き取ると馬を寄せ、シャルルの目の前にトンと親友をプレゼントする。
「クル…」
それは首をかしげ、それからいつものようにシャルルにすがり昇ってくる。
抱きしめ、シャルルはすん、と小さく鼻をすすった。


森の中は色を変えた葉を黒く湿った土に積もらせ、枯れた木立の間を抜ける日差しがそれを温める。街道沿いは落葉しない木々が並び、それが作り出す日陰で冷やりとする空気も、何か厳かな雰囲気をかもし出す。自然と人々も口を閉ざし、静かに進んでいく。時折、子供が甲高くしゃべる声、馬が鼻を鳴らすのが聞こえるくらいだ。
木漏れ日を浴びながら、ジャンはゆっくりと山道を登っていった。
「ここが、君の故郷なんですね、シャルル」と。言いながらジャンは手を伸ばしシャルルのケープについたフードをすっと被せた。
「かぶっていた方が、いいでしょう?」
「……ありがとう」
「リシャール様から聞きましたよ。リオン・ド・リタって、呼ばれていると。僕もそう呼んでいいですか」
「うん。僕も、そう名乗る」
獅子、そんな強い名前が、今はわずかでも勇気をくれる気がした。

森の中きょろきょろ見回すジャンと対照的にシャルルはひたすら目の前の地面を見つめていた。
見覚えのある建物、石造りの門。どれも今は見たくない。
道に歩く人々も、もしや知っている人だとしたら。
シャルルは人々の顔見ないようにうつむいていた。

「かなり、登るんですね。紅葉が綺麗だな」
シャルルが今、ただ一人信頼する人間。ジャンがのんきに空を見上げた。
「そうだよ、自然の要塞なんだからさ」
「要塞?修道院が門番がわりなんですか?」
「そう、だから僕は小さいころから体術を習っているんだ。今度から喧嘩するなら覚悟してからにしろよな」
シャルルの声も少しだけ元気が現れる。

それも修道院の前で馬を降りたときにはまた姿を消した。
うつむいて進むシャルル。少年の服を着、フードを目深に被っていれば誰も気付かないのかもしれない。
修道院の門を左右から見守る修道女たちは、じっとしたまま人々を穏やかに送り出す。その中にシャルルがいることなど、気付かないようだ。
気を使ってくれるのか、二頭の馬をジャンが曳き、ときどき後ろを歩くシャルルを振り返る。大勢の人に紛れ、二人は街への小道をゆっくり進む。
建物の角を過ぎれば一気に広場が目の前に広がった。
「わ、広い」ジャンが思わず呟いた。
ざわざわとした人声と屋台の店が並び、香ばしい食べ物の匂いが漂ってくる。
ランスに入った者は皆、そこで一度立ち止まる。閉ざされた感のある森を抜け、荘厳な修道院を抜けた先に広がる明るい広場は別世界を思わせる。シャルルは日差しが眩しいふりをしながら何度もごしごしと目を擦り、湿ってしまった目と心を奮い立たせた。
「うん、広いな」
背が伸び視界が変わったことで、見えるものも増えたのか、感じることも増えたのか。ランスの街は賑やかで、記憶にあるよりずっと色鮮やかだ。
何も持たない孤児には無関係だった宿屋や酒場、野菜売りや市場の屋台。今は心をくすぐり煌いて見えた。連なる家々の屋根、三角に尖りレンガ色の層をなして向こうまで広がっている。こんなに広い街だっただろうか。
広場の先にまっすぐ伸びる街道沿いには、聖堂の衛兵たちが並んでいる。誤って道の真ん中に出てくる子供をなだめ、道の端にと促す。
それでも時折、ふざけた子供たちがきゃあきゃあ笑いながら通りをわざと横切って渡る。
そこに貴族の馬車が走り、慌てて衛兵は子供たちを引き寄せた。
振り返ればまた新たな馬車がまた到着し、街道を大聖堂めがけて進む。カラカラと車輪の音を石畳に響かせる。
「まずは馬を預けてきましょう。何とか国王陛下の御到着には間に合ったみたいですよ。宿はどこがいいんですか」
ジャンの問いに応えられる経験はないが。顔を覚えられていると困るから、通りの奥にある知らない店を指差した。
「部屋が空いていればいいですけど。…大丈夫ですか」
「ああ、平気。僕がここを出たのは二年前なんだ。事件があって、ロトロアと一緒にここを出た。一連の事件の後で、僕は」
シャルルは鼻を鳴らす馬に手を当てた。ロンフォルトは優しい馬だ。主人の気持ちを良く分かっている。すり寄るように顔を向けるのは、慰めてくれているから。
「僕は、自分がランスでどう扱われているのか分からなかった。罪を背負って追い出された罪人かもしれないし、誘拐された可哀想な子供なのかもしれない。僕は、あの時僕の身に起った現実しか知らない。だから。ほら、ニルセンさんの言ったように。僕は帰らないほうがよかったんだと思った」
「……その、ひどく抽象的な説明で、僕は我慢しなくちゃならないのですね」
ジャンの言葉にシャルルは顔をあげた。
年下の生意気な騎士見習い。鼻もちならない、でも頑張っている奴だ。
まっすぐシャルルを見ていた。いずれ応えるべきなんだろうと思える。
「いつか、話すよ」
「子供だと思っていますか?僕は今、二年前のシャルルと同じ年齢ですよ。君が耐えられたなら僕だって大丈夫です。受け入れられる」
ぶ、と。シャルルは噴き出した。
「馬鹿だな。僕が今はっきり口にしないのは巻き込みたくないからだよ。あのとき僕は、ロンダを巻き込んで死なせてしまった。後悔しているんだよ、ずっと。リシャールも、多分ロトロアも、すべてを明かさないには理由があるんだ。自分のための場合もあるし、相手のための場合もある。そこを信じて聞かずに待てるのが、大人ってもんだよ」
口にしながら違和感は随分ある。それをジャンが言い当てた。
「君に大人なんて言葉聞かされるとは思いませんでした」
「ほんと、僕も今初めて使ってみた。いい響きだな。ブリュージュでは僕が最年少だったからなぁ」
「何を悦に入っているんですか、いいです。待ちますよ。僕も大人だから」
聞かなくていい事がある。知らなくていい事がある。
知ってしまったら、忘れることはできない。
そう、あの時ロイが忠告していた。
今ならその意味が分かる。だけど。ロイのことを忘れたいなどと考えたことはない。
「じゃあ、君は当分リオンのままなんですね」
「そうだな。僕はあの時やり残したことを、心残りになっている一つを解決できると思ったから。ここに来たんだ」
ロイが、生きていてくれたら。
たとえば今更。僕が巻き込んだロンダが帰ってくるわけじゃない。僕が修道院に帰ることもできない。だけど、ロイが生きていてくれたら、少しだけ救われる。


宿に疲れた馬を預け、二人は早速大聖堂へ歩いて向かった。
すでに人があふれ、大人も子供も商人も農民も、見たことのない王様を待ちわびている。
戴冠式第一日目はランス大聖堂への入城の儀式。
今夜は大聖堂でにぎやかな祝宴が開かれる。
先ぶれの一団が到着し、道を清めるためなのか可愛らしい少女が二人先頭に立ち、白い花をはらはらと撒きながら踊るように進んでいく。それを見ると、通りにはみ出していた子供たちも慌てて道を空けた。無邪気に振りまかれた花を拾って、大切にしまいこむ少女、もう一度行列に向かって「えいっ」と投げ返す少年。
白い羽飾りをつけた馬が列を作り、赤や黄色の衣装の衛兵が大きな王国の旗を掲げて行進する。ユリの紋章が並ぶ旗は昼前の日差しに揺れ、槍の穂先が眩しく輝いた。
「国王陛下!」
「国王様」
「ルイ様ぁ!」
口々に声援が飛び、いよいよ馬車が見えてくる。歓声は高まり、この田舎のランスにこれほど人がいたのだろうかと思えるくらい、人が街道にひしめいていた。
立派な白馬を二頭立て、周囲には衛兵が青いマントをなびかせ、護るように並走する。
近衛騎士団。「王の騎士」たちだ。ロイを護るならああいう役もカッコいいなと。美しい騎士たちに自分の将来像を重ね、シャルルは一瞬我を忘れた。
「国王陛下!」
すぐ隣でジャンが叫び。
その声にびくりと目的を思い出す。
「ルイ様!」
シャルルも声をあげる。隣の男に肩を押され、よろめきかけるが、ジャンが支えてくれた。
おお、と。馬車の目の前の集団からどよめきと拍手。ますます高まる歓声。
ルイ様が姿を見せたのだろうか!
シャルルは精一杯背伸びし、まだ目の前までたどり着かないそれを懸命に見つめる。
馬車の窓、振動と風に合わせて揺れるカーテンが白いベールを脱ぎ。その奥の姿を垣間見せる。
少年、だ。馬車の中の暗がり、髪の色や服装は判らない。にこりと微笑み、手を振る。それは、ロイなのか。記憶にある顔はもっと幼かった。
「ロイ!?」
思わず叫ぶ。もっと、前に、もっと近くに。ちゃんと、顔を見せてほしい!
こちらを見て、僕はここに。


風に舞う花が白い影となって視界を遮った。
人々の歓声は森のざわめきのように風に溶け意識から遠ざかり。シャルルはただじっと、馬車の中の姿に目を凝らす。
煌いた馬車はゆっくりと目の前に差し掛かる。風にフワフワとレースのカーテンが揺れ。ああ、もっと、ちゃんと見せてほしい!
シャルルはじりじりと前に進み。気付けば一番前。
「ルイ様!」叫んだ。風がゆらぎ、少年の一瞬の顔。前触れもなく目の前を衛兵がふさいだ。
今のは?
「ロイ!?」
その背後に座る王妃ブランシュの振っていた手が止まった。
王太子はしばらくシャルルと見つめあっていた。
「ルー……」
長いようで、それは一瞬。ルーはカーテンの後ろに隠れた。慌てたように見えた。
僕を覚えているんだ。あの日、水車小屋であったことを覚えてる!
「ロイは!?」
シャルルは叫んだ。どこかでジャンがやめろとわめいている。
「ロイはどこ!?なあ!ロイは」
ロイじゃなかった、違った!
押さえる衛兵の腕をすり抜け、シャルルは過ぎ去ろうとする馬車の背後に飛び出した。
「何をする、貴様!」怒鳴り声とともに振りかざされた槍。
無意識にひらりとかわし、シャルルは馬車を追いすがる。からからと石畳を蹴る車輪、あと少しで、手が車体に届く。
と、両側から突き出され交差された槍が行く手を阻んだ。
「ルー!ロイはっ!」

槍が腹でぎし、と軋む。押しのけようとし跳ね返され、再び前を見ればすでに馬車は小さくなっている。
どんと背中をひどく小突かれて、シャルルは石畳に転がり込んだ。気づけば衛兵に囲まれ、腕を、肩を取り押さえられている。花を踏みつぶしている兵たちの足元から顔をあげると、人ごみの中にジャンが見えた。
怒った顔をしていた。殴られたのか衝撃に視界がぶれ、次に顔をあげた時には人々の陰に見失う。

「祝いの式典です、ここで死者を出すのは縁起が悪い。放してやりなさい」
ロイと同じ、綺麗な発音で命令が下され、シャルルは解き放たれた。
わけのわからないまま、石畳に身体を丸めていた。手を引かれ、起き上る。帽子はいつの間にか取れていた。風がふわと髪をなびかせる。
「お前は何者です?」
シャルルは騎士をじっと見上げた。身分の高い騎士らしい、立派なマント、肩の徽章は金で飾られている。蒼い衣装は近衛騎士団なのだろう。兜の下からは口元だけが見えた。端正な、少し紅すぎる唇が笑った。
「どこかの騎士見習いですか。ふうん、優美な獣のようですねぇ。お前、名前は?」
そういう表現をするのは大抵リシャールみたいな人間。
気持ち悪いな、シャルルは睨み返した。
「リオン。リオン・ド・リタだ」
どう聞いても偽名と分かる名だが。「獅子ですか、ぴったりですねぇ」と青年は笑った。
「ところで、リオン。私は地理には詳しいほうです。リタと言うのはシャンパーニュ地方の山村でしたねぇ」
青年の笑みの理由が、間延びする語尾に響き。
「シャンパーニュ伯の命令ですか?」
「違う。見物に来たんだ、ただ王様に会いたくて」
「会わせてあげますよ、着いて来なさい。大人しくしてくださいね。会いたくて、来たんでしょう?」
背後から槍で急かされ。
シャルルは仕方なく、騎士の隣を歩き始めた。並んでみると、騎士はそれほど背が高いわけではなかった。
「あの、貴方は?」
「私はベルトランシェ。国王陛下付き近衛騎士団『王の騎士』を率いています。ブランシュ様は凛々しく美しいものがお好きです。私のようにね」
何が凛々しいのか、その辺りを追求するつもりはない。シャルルはただ、ベルトランシェが言った「会わせてあげる」それをひたすら反芻していた。



『La croisade de l'ange 2:Laon』 ⑫

『Laon ‐ランの風は苦く‐』

12

後続の馬車の一つにベルトランシェに連れられ乗り込むと、シャルルはじっとしていた。
その馬車には男が一人乗っていた。ベルトランシェが「ちょっと面白そうな子でしょう?リオンというんだそうですよ」と笑いかけるが、男は少々うんざりした表情で黙ってシャルルを眺め回した。
その視線を真っ直ぐ受け、シャルルもそいつを観察する。失礼なのかもしれないが、十分まずいことをしたのだから、今更気にすることもなかった。
役人風の青年だ。短くした茶色の髪、少しくぼんだ目がぎょろりとし、美男と言えないこともないけれど高すぎるように見える鼻と印象が強すぎる目つきには女性の好みが分かれるだろう。リシャールとは比べ物にならないし、キ・ギの熊みたいな顔の方がまだカッコイイ。と、評したのはシャルルの勝手な了見だ。

「セジュール、気持ちは分かりますが少しは落ち着いたらどうです?」
そう青年に笑いかけながら、ベルトランシェは兜を脱いだ。
ふわりと長く伸ばした銀の髪を一振り、肩に解き放つ。シャルルは男だよね?ともう一度じっくりと隣に座る騎士を観察する。
リシャールほど綺麗な顔の青年はいない、と思っていた。世の中は広いな。
それが、ベルトランシェを見た感想だ。
ちらりとシャルルにウインクして見せるのは、どういう意味なのか知らないが、ぞわ、と変な気分になった。思わず肩をすくめ。咳払いした目の前に座るセジュールという青年と目が会った。こちらもどうやら、あのウインクに非難じみた視線を送っていた。
「リオン・ド・リタ。リタ村を持っている。この子供がですよ?あそこは確かシャンパーニュ地方ルジエの一部、このランスにも程近い。となれば、どこかの貴族の系譜かと。シャンパーニュ伯は貴族の子弟を幼いころから宮廷に登用し、教育を施していると聞いたことがあります」
「この忙しいのに、余計なものを拾われても困るが」役人が呟く。
「どうなさるかはブランシュ様にお任せします。ご報告のみで解放するかもしれませんし、場合によっては式の後でパリに連れて行き、調査してもいいでしょうしねぇ」
「パリ?!それは困るよ!僕はただ、式典を見たかったんだ、新しい王様に会いたかっただけで……」
「お前が会いたいのは陛下ではなく。ロイ、でしょう?」
ベルトランシェの言葉にセジュールがびくと身体を強張らせた。
ロイという名に対する彼らの緊張が伝わってシャルルは自然と口を閉ざした。何か、ロイの名が問題なんだ。
ごくりと、シャルルは唾を飲み込んだ。
「入城の式典の後なら、ブランシュ様のお時間をいただける。それまで私の部屋を提供しよう」そう言ったのは役人男。ベルトランシェが強く頷いた。彼らはもの問いたげにシャルルを見つめ、シャルルも聞きたいことは山ほどあるが口に出せずにいる。


シャルルは大聖堂の裏口へ連れて行かれた。敷地内は見たこともないくらいたくさんの馬や馬車が置かれ、綺麗に着飾った貴族たちがうろうろと歩き回っていた。
ベルトランシェが背後にぴったりと着いて先を急がせる。
聖堂の脇を進み、厩のある界隈を抜けた先に裏口がある。つい、白馬に目が止まった。ロトロアの馬のはずはないのに。自分に呆れる。
ふと、先ほどの黒馬の馬車が目に付いた。他の馬車よりずっと強い鋼で作られた車体。車輪も一回り大きいように見える。それが三台行列で並ぶのだから、村を疾走したときには迫力があった。
「ヘンリー三世公も、お見えか。遠いところ、ご苦労なことですねぇ」
隣を歩くベルトランシェが呟いた。
「ヘンリー三世、公って、イングランドの?それで北の訛りで、見たことのない馬車なんだ」
シャルルは修道院の手前で見た、衛兵の視線を思い出した。
「そうです。先の戦争でノルマンディー界隈は我が所領となったというのに未だにノルマンディー公を恥かしげもなく名乗る。ノルマンめ、いずれ、この王国から追い払って見せます」
ベルトランシェの口調が低くなる。ヘンリー三世はカペー王朝の遠い親戚に当たるはず。追い払う、か。そういえば、ここに呼ばれているはずの大貴族たちは皆、多少なりともルイ九世と血の繋がりがある。
親戚同士、平気で領地を奪い合った時代があったというから、戦争が耐えないのも仕方ないのかもしれない。誰が誰を恨むとかではない、邪魔者は排除する、それが諸侯にとって当たり前なのだ。だから貴族は大半が領地に城を建て、騎士となって戦う。
カペー家がフランク国王を宣言し、諸侯に知らしめ優先的なオマージュを結んだ。こうして、国王は戴冠を大聖堂で行い、聖なる神に近い存在だと皆に知らしめる。
諸侯とは違う特別な存在、聖職者より強い権力を持ち、どの貴族より聖なる存在となる。
あれがロイだったら、どれだけ嬉しかったか。
シャルルは溜息をうつむいてごまかした。


大聖堂の中、客間らしいところにつれてこられた。あの時、ロイを閉じ込めていた部屋に少し似ている。
「私は務めがある、大人しくしてくださいね。縛って欲しければ喜んで縛ってあげますが」
ベルトランシェは花がこぼれるような笑みを浮かべ、腰につけていた鞭をするりと取り出す。あまり、見たことのないくらい、長い鞭。
シャルルは一歩下がる。
「誰も、逃げるなんていってないし。逃げるならもう、とっくに逃げてる」
ぱん、と。
何のことか分からないまま、シャルルはよろめいて尻餅をついた。痺れるような痛みを感じ左腕を見れば、袖が裂けていた。二の腕はぬるりと生暖かいものが滴り、それが赤く服を染めるのを呆然と見ていた。
「今日の無礼の罰です。私としてはしたくないのですが、部下の手前もありますしねぇ」
にやりと。楽しそうに笑う。
「意味が、分からないよ」部下の手前?そんなの誰もいないじゃないか。
「部下の前では鞭はめったに使いません。怖がらせるのは、人徳を失いますからね」
「…」
「自由に出られるようにしてあります、楽しみですねぇ」
「だから!逃げないって言ってるだろ!」
ベルトランシェは肩をすくめ、長い髪をはらりと翻すと背を向けた。
「つまらないですねぇ」と、小さく呟いたのが聞こえる。

扉の向こうに青年が消え、その足音が聞こえなくなるまでシャルルはじっとしていた。
外の日差しが窓から室内を照らす。かすかに楽曲の音が聞こえてくる。式典が始まったんだろう。
左手はじりじりと熱く痛んだ。
左でよかった、右じゃ、剣も使えない。
シャルルは腰の剣に触れてみる。獅子紋の剣。ロトロアが預けると、言った。

ふと。それを取り上げられなかったことに気付いた。
もし僕が剣を抜いたら。ベルトランシェは喜んで襲い掛かっただろう。
そのために、その口実のために剣を取り上げないのだ。縛りもせず、扉に鍵も閉めない。
侮られている、が。それが現実。相手は『王の騎士』。
ぞくりと寒気を感じシャルルは震えた。
まだ昼過ぎなのに気温が下がってきていた。


「リーオンっ」
緊張感のない呼び声に、シャルルは顔を上げた。
扉から黒髪の少年が顔を覗かせていた。
「!?ジャン!どうして!?」
きょろきょろと周囲を見回し、それからジャンはのんきな様子で部屋に入った。
「誰かさんが無謀にも、飛び出して捕まっちゃうから。貴族の小姓になり済まして入り込んだんです」
「お前も正体がばれたら危ないぞ!バカ、早く逃げろよ!」
ジャンは王の騎士の怖さを知らないんだ。
「ほら、ベルトランシェって怖い王の騎士がいて、鞭で痛めつけるんだぞ!捕まったらお前なんかまた、ひーひー泣くことになるんだ」
「鞭…」ジャンは口元を押さえシャルルの傷をじっと眺める。上目遣いでシャルルを見上げた。
「痛そう。泣いてもいいですよ」
「馬鹿か?」
「…だって血が出ているし、鞭は痕が残ると聞きました。女の子なのに」
「剣を振り回す人間が血を恐れてどうするんだよ。いいから、あっちに行けよ」
「何言っているんですか、怖い騎士がいるんでしょう?早く、行きましょう」
シャルルはむと口を尖らせた。
首をかしげるジャンは不思議そうに眼を大きくしている。睨み切れずにシャルルは座り込んだ自分の足元を見つめる。
ルイ九世はロイじゃなかった。ロイがどこにいるのか、ロイが本当は誰なのか。今調べなきゃチャンスはない。ルーは僕のことを覚えてる、絶対に。王様に会えるなんて、もう二度とないかもしれないんだ。
「……行かない。夜にはルイ九世陛下かブランシュ様に会える」
「ロイに会えるんだとしても、この扱いは納得できません。本当に、シャルル、貴方の言っているロイがルイ九世陛下なんですか?」
ジャンに返す言葉はない。
ふう、と溜息を耳にしてシャルルは少年を見上げた。
「やっぱり違ったんですね。あの時、ロイはどこだって飛び出して行ったくらいですから。ルイ九世がロイなら、戴冠式を終えるまでじっと待っていることだってできたはずですよね」
「お、お前には分からないよ!」
そこでジャンが、急に表情を硬くした。握っていたシャルルの手を放し、一歩下がる。
「ええ。僕は事情を知らないし。でもだから、冷静に判断できる。シャルルが本気でこのままでいたいなら僕は仕事に戻ります。僕も遊びに来ているわけじゃないから」
かすかにジャンの口調に力がこもる。
「シャルル、今決めないなら、僕は君を置き去りにしてでも仕事を果たして一人でランに帰ります」
「言っただろ。お前を巻き込むつもりはない」
「分かりました。シャルル、これ以上だれも、君の身勝手に巻き込まないようにお願いしますよ」
ふいと背を向け。あっけないほど素早くジャンは姿を消した。
どうやって忍び込んだのか、見つかればただではすまない。それでも単身で派遣されるだけのことはあるのか。喧嘩した時にはたいして強くもなかったのに。十一歳で伝令を任されている。シャルルがバカにできるほど、子供でもなかったのかもしれない。

シャルルはふと、部屋の隅のベッドに気付き、ずるずると身体を引き寄せて寄りかかった。ベッドを血で汚したら、あの役人男は顔を青くして怒りそうだから体の右側を預け、目をつぶる。
そうしてひんやりとした毛布に頬を押し付けていると、ひどく気だるくなってくる。
昨日までの幸せな気分がうそのようだ。ロイじゃなかった。
僕は、ロイを失ったままだ。
ルーが、そうだよ。あいつがいたんだ。弟のロイが王様のはずないじゃないか。代々長男が王を継承するんだ。バカだな、思い出して冷静に考えてみれば。
冷静じゃない、と。そういったジャンの言葉を思い出す。
冷静でなんか、いられない。
昨夜、嬉しさに興奮して眠れなかったことが皮肉にも今、気持ちとは裏腹に睡魔を誘う。
シャルルは耳に心地よいベッドの感触に、何度かすりすりと頭を擦り付けた。


雨が降っている。
暗い空に冷たい雨粒の洗礼。ぎっ、ぎっと規則正しい音は水車。懐かしい、あの水車小屋。僕は一人でのんびりできるそこが好きだった。僕だけの領地みたいなものだ。自分の家、自分のもの。今思えば、修道院では何もかもが共同だった。自分のものなど、ないに等しかった。あの頃、水車小屋の管理ができることは僕にとって特別なことだったんだ。
初めてブリュージュで、自分の部屋、自分の衣装棚、自分の食器。そんなものをもらって、ひどく感激した。ロトロアはそんな僕を面白がって、ついでだと馬をくれた。

あの当時、雨の夜は怖かった。一人で眠るのが怖くなって女中の部屋に行って一緒に寝ようとしたら、またあいつに馬鹿にされて。それ以来僕は一人。
それもいつの間にか平気になっていた。
自分の部屋も、自分だけが使うベッドも。当たり前になった。
ロトロアが僕に笑いかけたりからかったりするのも、いつの間にか慣れた。

だから、僕は今。ロイの身に起ったことを隠しているんだろうか。ここでもし、僕が「ロイを誘拐したのはシャンパーニュで、ロトロアがそれを実行したんだ」と。ロンダを殺した犯人は彼なんだと、訴えたら。
どうなるんだろう。


いつの間にか、涙がこぼれていた。
僕は卑怯者だ。
自分のために、手にしたものを失いたくないから、ロンダのこともロイのことも裏切っている。ううん、ずっと裏切ってきたんだ。ロトロアに脅されたからじゃない、僕はロイのことを追求することで、今僕が手にしたものが無くなってしまうことが、怖かったんだ。もしかしたら、もっと真剣にロイのことを知ろうとしていれば違ったかもしれないのに。僕はずっと、あの日のことはしまいこんで、誰にも話さずにいる。「ロトロアが脅すから」と理由をつけて。
ニルセンの表情を思い出した。

ロトロアのそばにいれば騎士になれる。そうしたら、成人して自由になって。
僕が、そんな卑怯な僕がロイに会って。僕はどんな顔をしたらいいんだろう。ロイはどんな顔をするんだろう。ロイは、それでも笑ってくれるだろうか。

かすかな振動が空気を揺らした。
それを頬で感じ、シャルルは目を開いた。闇の中の雨音は昼の日差しの中人々のざわめきに変わり、明るい室内に何度も目をこする。

「ベルトランシェが、ここにいろって?」
声に顔をあげた。
金色の髪がふわりと耳の横に伸びて揺れる。一つに縛ったそれが重そうな衣装をまとった肩に乗り、金の刺繍と重なればきらきらと瞬いている星のようだ。
ランの香水売りが売っていたあのにおいとは違う、柔らかな花とはちみつの匂いみたいなものが鼻をくすぐり、シャルルはすんっと鼻をすする。
背が伸びたルーは大人びた顔で笑っていた。


『La croisade de l'ange 2:Laon』 ⑬

『Laon ‐ランの風は苦く‐』

13

「あ、あの」
声を出して、やっと自分の状態と、そこにいる人間の意味を思い出した。
「ルー!?」
ぴょんと立ち上がるシャルルに驚いたのか一歩下がり、それからルーは笑った。
「あの時を思い出すね。水車小屋で。シャルル、だよね?」
立ちあがって向かい合えば、シャルルより拳一つ背が高い。ほっそりとしているものの、かすかにロイに似た面影もある。
黙ってうなずいて、シャルルは思い出して目をこすった。
「怪我をさせてしまったのだね、すまない。ベルは時々、無茶なことをするのだよ」
シャルルの腕の傷にそっと触れ、ルーは一緒にシャルルの髪をなでた。出会ったときと同じ、穏やかでにこやかに笑う。繊細な造りの目元に儚さすら感じさせるのはロイとも似ている。あの時と違い、とても綺麗な言葉を使うところが、なぜかシャルルを緊張させた。

「あの、式典は?」最上の敬語とやらがとっさに口に出来るわけでもない。しどろもどろになる手前でシャルルは言葉を区切った。
「大丈夫だよ。夕方の祝宴まではまだ時間がある。君をベルが捕らえるのを見ていたんだよ。だから、早く助けてあげようと思ってね」
ルーはシャルルの肩に手を置いた。案外、力強く。その重みにシャルルは動けない気分になる。
「何も心配しなくていいんだよ。君とであったことを誰にも話していなかったから、彼らも驚いたんだよ。でもシャルル、どうしてロイが王家の人間だって、知ったんだろう?」
少し、意味を飲み込むのに時間がかかった。
「もしかして、シャルル。君はあの後、ロイに会ったのではないかな?」
声は耳元に響く。あの後、ロイに遭った、そう、ランスで。
それは知られていいこと?
「あの、……その」
「賊に追われランスに逃げたらしい。その後がね、消息不明。ランス大司教は知らないと言い張るし」
「え!?」

誘拐のこと、知ってる!?
シャルルは緊張の中、精一杯回転させていた思考がどきどきと音を立てて崩壊するのを感じた。頭を軽く横に振る。落ち着け、当然だよ。だって行方不明になったわけだし、ロイの世話をしていた大人たちもいたはずだし。落ち着け。

「どうしたのかな?シャルル。顔色が悪いよ。君が私を呼び止めようとしたんだよ。私に何か言いたいことがあったのだろう?」
「僕は、ロイが。ルイ九世なのかと思った。だって、ほら、王様の子供って意味だって……」
「どうしてロイの名前の意味を知ったのかな。彼が自分から話す筈はないんだ」
穏やかな若い王の前でシャルルは胸を押さえ、口を押さえと忙しい。
「君は素直だね。ロイは私の兄弟だけれど公にされていない。存在を知っている人は限られている。分かるかな」
「…公にされてないって?でも継承権はあるって、あれ?」
ふとルーの手が緩んだ。眼を見開いてシャルルを見下ろしていた。
それから、ため息を吐き出すと。
「それも、知っているのだね。君は何を知っている?どうして修道院の孤児がたった二年の間に騎士見習いになり、獅子紋の立派な剣を持ち、知るはずのない知識を得ているのかな?君は、何者なのかな」
再び口を押さえようとする手は、しっかり温かい手に掴まれる。
ルイ九世は笑みすら浮かべてシャルルを見下ろした。
動けなくなって初めて、シャルルはルーの顔をまじまじと見つめた。
その目は、笑っていないのに浮かべた笑みは完璧。十二歳という年齢にそれは、どうにも気持ち悪い。そう思うとシャルルは落ち着いてきた。
こいつ、気持ち悪い。

ロイが公にされてないって。どういう意味だ!?
それはロイにとっていいことでない響きをしているし、それを当たり前のように笑いながら話すこいつって、どういう奴だ。
ロイのこと大切に思ってるなら、本当に兄弟として大切なら、違うと思う。
獅子は勘を取り戻す。その嗅覚が警戒を解いてはいけないと、警鐘を鳴らす。そうなればシャルルの思考はすっきりと答えに向かって歩み出す。先ほどの緊張とは違う鼓動が強く胸を打った。
「公にされてないって、どういうこと?ロイは兄弟なんだろ?ルーの弟なんだろ?」

シャルルはルーを睨み返した。そんな顔を誰かにされることはめったにないだろう。若き王は何度も瞬きした。それはすぐに、穏やかな笑みに戻る。
「初めて出会ったあの後、ロイは珍しく饒舌で、君の事を悪く言いながらも楽しそうだった。ロイが、君のことを気に入ったんだなと、すぐに分かったよ」


―――諦めるなんて、言うなよ。僕が助けるんだ。誰がどう思ったって、僕はロイに生きていてほしい。
「案外泣き虫だな、シャルルは。泣かないでって言ったじゃないか」
「泣いてないって!僕はお前を助けるって言ってるんだ。同じ死んじゃうかもしれないなら、僕の言うこと聞いてからにしろよ。いい?」
「ごめん。泣かせたいんじゃないんだ」
ロイの声が少し鼻にかかる。あの時。泣きたいのはロイのほうだったはずなのに。
僕らは、二人でランスを逃げ出す覚悟を決めたんだ―――

思い出せば胸が詰まる。
「ロイは思慮深くて、優しくて……」
ぎゅ、と。不意に抱きしめられた。
「いてっ!?何するんだ!馬鹿!?痛いって、言ってるだろ!放せ、同じ兄弟でも全然違う!ロイはもっと」
ますますルイの腕に力がこもるからシャルルは黙った。
蹴ったり殴ったりしていいものならとっくに蹴り飛ばしてる。王様って言うだけで、躊躇する。何で僕は。それが余計に腹立たしい。
「ロイのこと、好きなんだ?優しくしてもらったんだ?」
可笑しくて仕方ないとルイの震える肩が知らせる。
「へえ、妬けちゃうな」
「放せ!お前もっと、大人しい奴かと思ったのに!」
「…大人しいよ。穏やかで、思慮深く。でも。優しくはない」

そういう断言の仕方って、ないよ。

「優しさなど、王には不用。教えてあげようか。ロイは、弟ではないよ。兄、それも王位継承権のある第一男子、フィリップ」
ぞくりと、背を何かが這う。
兄…ロイの方が、お兄さん?
「ロイは病弱だったし、体も小さかったからね。間違えるのも無理はないけど。君は何を知っている?ランスに逃げ込んだ彼が頼れる人間は君くらいしかいない。ねえ、シャルル。知りたいのは私のほうだよ。……シャルル、なんでここ、布なんか巻いている?」
「は?」
いつのまにか上着の裾はまくられ、ルーの手が背中に触れる。胸を押さえている布をたどろうとする。
「ぎゃっ!?」
シャルルの声だったか、ルーの声だったか。
シャルルは反射的に飛び離れ、「ばか!触るな!」と怒鳴った。股間を蹴られたルーは床に膝をついて座り込んでいた。
「ひ、どいね」
「そんなことするからだ!王様だと思って我慢してれば、何するんだ!!大体、公じゃないってどういう意味だよ!」
シャルルが詰め寄ろうと踏み出した瞬間、扉が派手に開かれた。
衛兵らしき人やあの役人男、手に手に槍や剣を持ち駆け込んできた。一団の先頭にはあのベルトランシェ。
「陛下!こちらにおいでとは」
あの鞭がすでに手にある。
騎士の銀の髪が揺れるのと同時にそれは稲妻のように宙を走る。
数瞬前、シャルルは体を低くしルーの陰に隠れる。風のような鞭が唸ってシャルルのいた空間を切った。
生き物のような鞭はぐんとしなってまたシャルルを別の角度から襲う。ふわりと飛び上がり、テーブルの上に飛び乗れば、その足元に飛びついてくる。バシンと派手な音を立て書類が何枚か派手に飛び散った。
シャルルはすでに椅子の背もたれに片足立ち。
バランスを保ってじっとしている。

「こ、この、ちょこまかとっ!陛下、早くこちらへ!」
「いい、ベル。止めなさい。私は大丈夫」
「し、しかし!」
ゆっくりと立ち上がり、ルーは凛と佇む若い王に戻る。駆け付けた男たちは立ちすくんだ。
黙って彼らを見つめているだけなのに。聖像が生身に変わるのを目にしたように家臣たちは息をのんで見つめ返す。
シャルルだけは口をへの字に結んだまま、双方を睨みつけていた。
「面白そうだったからのぞいたまで。この子に部屋を用意しなさい。ベルトランシェ、職務とは言え女性の体に鞭をふるうなどしてはいけない。痕が残ってしまう。シャルルは私の幼馴染です、丁重に扱いなさい。傷をつけた理由については後で説明してもらいます」
「女性?」一斉に三人くらいが声を上げた。
「見れば分かります。ベル、いくら美しいお前でもかなわない。本物の女性には、ね」

好奇と、ベルトランシェにはある意味嫉妬の視線を浴び、シャルルはもじもじと後ろに下がる。実際のところ、シャルルはもう、どうしていいのか分からない。
ルーはあの時と印象が違う。ロイにとって、ルーは味方なのか。それすら分からない。
聞きたいことはたくさんある、だけど。

「来なさい、リオン」
ベルトランシェが手を伸ばした。
聞きなれない仇名がシャルルを現実に引き戻す。シャルルはそれをすり抜け、扉を目ざした。
「シャルル!理由を知りたければ来なさい!いつでも、教えてあげる」
そう、ルーの声が後を追いかける。
どうしたら、いいんだ。
僕は何を知って、何を知らなくて、どうしたらいいんだ!?
分からない!分からない!

聖堂の建物を夢中で走り、途中何人かの衛兵に不審者がられたけれど、振り向きはしない。
シャルルはとにかく、走った。

夢中で大聖堂の外に飛び出せば、通りはお祭り騒ぎだった。だれもとぼとぼと歩く騎士見習いの少年に眼を止める者はいない。
酒屋の軒先では何度も「ルイ陛下万歳」と杯が掲げられ、花売りも花をかごに抱えたまま踊っている。
冷たい冬の風も、彼らの熱気と温かい日差しに和らぎ。シャルルはまるで違う場所に来たように感じ、立ち止る。
大聖堂を振り返る。再び前を向いて宿へと歩き出した。
ジャンと合流できるかもしれない。
ジャンに相談してみよう。僕が冷静でないなら、ジャンならきっと。


先ほどまでの出来事とルーの言葉を反芻すれば、心は急く。いつの間にか走り出し、宿に入ると主人へのあいさつもそこそこに部屋へと向かった。階段がギシギシと鳴る。
ぐるぐると思考を繰り返していたが、ふと。それを年下のジャンに相談するというのは早計だろうかと。足が止まる。

「昼食、今なら間に合いますよ」
顔をあげれば階上からジャンが顔をのぞかせていた。木製の手すりから見下ろす顔はかすかに笑っている。先ほどのやり取りから考えれば腹を立てていてもおかしくないのに。
今更か。
戻りかけた一歩を再び踏み出し。シャルルは「よかった、もうお腹すいてさ」と笑って見せた。


無造作に包帯を巻くだけで済まそうとするシャルルに、「後できちんと治療しますよ」とジャンは念を押し、まずは腹ごしらえ。二人はテーブルについた。
香ばしい匂いをさせるパンとハム、果物と屋台で売られていた串刺し肉を焼いたものを眺めながら、シャルルは早速話し始めた。
「王様に、会った」
「ふうん」ジャンは興味なさそうな顔をしてオレンジのジュースを飲み干す。
「あの、聞きたくないなら、…話さない。巻き込むし、その」
「まずは食事ではないですか?大体、聞いてほしいから話し始めてるんでしょう?泣きそうな顔して。それを僕が聞きたいかなんて、ずるい言い方はやめてください。素直に、聞いてほしい、と言えないんですか」
ぐ、と。そのタイミングでフォークに刺してあった果物がつるりと落ちる。
「ああ、きれいに食べてくださいね、シャルル。手が痛くて持てないなら、僕が」
左手は確かに痛む。じっと手を見た。
手に余って、今の自分では何をどうしたらいいのか分からないのだと。悔しいけれど認めるしかない。
目の前のジャンは二つも年下で、まだ十一歳の子供。血を見るのが嫌な、騎士見習い。いつか、セネシャルになるんだと。勉強中だ。両親を亡くして大人に囲まれながら、頑張っている。
シャルルはガクリと肩を落とした。僕ってだめだな。
「あの、ごめん。僕には、もう。正直、何をどう考えたらいいのか分からなくて。もともと、勘はいいけど勉強は嫌いで」
目の前に差し出されていた果物に、あぐりと噛みついた。ジャンは生き物にえさを与える感覚で、次の肉を準備する。
「それは知っています。見れば分かるし。君の話を聞いて、君を手助けするかどうかは僕が決める。決めたら僕は自己責任でそうします。それでいいんじゃないですか」
ああ、なんか。敵わないところがある、こいつには。
シャルルはフォークを右手に持ち替え、ジャンが切ってくれた肉をぐさりとやっつけながら話し出した。

「始まりは、二年前なんだ」
ランスでロイに出会ったこと。そのロイを、ロトロアに目の前で誘拐されたこと。
シャルルは事情も分からずロイを助けようと逃がしたこと。
そして、自分がロトロアに捕まり。ロイは行方不明。

「その。ロイがここに逃げ込んだことをルーは知っていたんだ。だけど、ロイは公にされていない、って言うんだ。ルーはロイの弟で。ロイが、第一王子フィリップだって言うんだ。その意味がよく分からなくて」
空になったスープ皿のそこを、スプーンでサラサラとなで続けながら、シャルルは話し終えた。ふと手を止め、少年を見上げればジャンは口元を引き締め怖い顔をしていた。

「シャルル。第一王子のフィリップ様は病気がちで、五年前、九歳で亡くなったと聞いています」
「え?」
「公にされていないって、そういうことなんじゃないですか。ルイ九世は今年十二歳。だとすれば、二年前に存在したロイは少なくとも十歳以上。彼がフィリップ様なら当時十二歳だったはずです。つまり、死んだことにされている。だから、誘拐事件も表沙汰にならないし、派手に捜索もできない」
「そ、んな」
「そう考えれば、辻褄が合います」
「何で、そんなことするんだ!?」
「僕に聞かれてもそこは、分かりません」
「理由を教えてくれるって言ってた。いつでも来いって!やっぱり、大聖堂に戻る!」
「シャルル!!ちょっと!君は向こうが何を知りたいのか、分かっていますか?!」
「え?…ええと」
そうだ、結局ルイは何を知りたいって言ってたんだっけ?胸の布のこと、じゃないよな。
「うー、よく分からない」なんかいろいろと聞かれた様な。
「誰もが理由があるから行動する。君にいつでも来ていいと言ったのは決して、親切心ではないでしょう。向こうには向こうの思惑がある。これはある種の取引なんですよ。よく考えてください」
「……僕がどうしてロイの正体を知ったかを気にしてた。そのくらいだよ。大したことじゃない」
シャルルは肉を見つめるふりをする。
「軽率ですね。慎重さに欠ける」
む、とするが。確かにそうかも。
「相手が知りたいことが大したことではないのなら。君を誘うのは君自身が目的だからでしょう。ロイを知っている人間がふらふらしていたらまずい。この場合君は捕らわれ、最悪は」と首を親指で切るまねをする。

「…それもあるかも」
「分かったでしょう。ロイは結局いなかった。以前と何も状況は変わっていません。もう、ここで得るものはないはず。式典が終わるまで、シャルルは宿でじっとしているべきです。言っていた通り、君はランスに戻るべきじゃなかった」
シャルルが黙って顔を上げた。ジャンは眉をしかめた。
何を迷っている、とでも言わんばかり。
それでもシャルルには納得がいかない。ルーを見て、ロイの思い出はますます色彩を濃くした。
「僕は、ロイを助けたかった」
「出来なかっただけです。大体、その様子じゃあ、宮廷も本当の意味でロイの味方だったか怪しいじゃないですか。兄弟同士で王位を争う時代ですよ。逆にロトロア様とシャンパーニュへ来た方が大切にされていましたよ、きっと。しかもロイはブランシュ様とシャンパーニュ伯との子だと噂された長男、フィリップ王子なんですから」
「えええっ!?」
「知らないんですか?噂ですが。噂ってのは、案外、当てになる。その噂だけだって王家にとっては十分不名誉。真実ならばなおさら、ロイは。宮廷にとって不要です」
ごくり、とシャルルは肉を飲み込んだ。

「ティボー四世様ならきっと、自分の子供みたいに大切にしてくださいます」
ジャンは自慢げに、シャンパーニュ伯がかつて戦争の捕虜を大切にもてなしたため、捕虜は自国に帰ることを拒んだという逸話を語って見せた。
「……あの、もしかして。シャンパーニュ伯はロイの味方、なのかな」
ジャンは目を丸くし。それからしばらく考えた。
「敵か味方かって、本当のところは難しいですけど。ロイがどう思うかだから。ただ、ロトロア様がロイを連れて行こうとしたのは、別にロイをひどい目にあわせるためじゃないと思いますよ…あれ、シャルル?」
誇らしげにジャンが胸を張る目の前で少女はテーブルに顔を伏せていた。ぐったりと、組んだ両手に頭を預けている。
「大丈夫ですか!?」
「二年前のあの時さ、ロイはロトロアと何か話してたんだ。ロイは「お父様はそんなことはなさらない」とか庇ってたけど。あの時ロイは知ったのかな。自分が、死んだことにされているって。そうだ、ロンロンもそうやって説得してシャンパーニュに連れて行こうとしたんだ。大司教様だって、ロイに同情するからこそ聖堂参事会にかけた。ただの誘拐なら、参事会が協力する理由なんかなかったんだ」
ロイはあの時、自分が存在を消されてしまったことを、知ったんだ。
自分を要らない人間だと言っていた。死んでもいいようなことさえ。
病気のことだと僕は思ってた。違うんだ。
あの時ロイは迷ってた、生きるか死ぬかとかじゃなくて、事実を知らされてどうしたらいいのかを。
大丈夫、助けるって。
僕は、ロイの本当の気持ちなんか、何も知らずに。それでもロイは、優しかった。

「ロトロアは。シャンパーニュに来て欲しいって、言ってた。そうすれば、ロイは今頃元気で、大切にされてた」
「シャルル…」
「僕のせいだ。ロイにとってシャンパーニュに行ったほうがよかったなら、それを邪魔したのは僕だ。そのせいで、ロンダが死んで、ロイは行方不明で」
テーブルとの隙間から漏れてくるシャルルの声はかなりの鼻声。
ジャンはどう慰めようか思案する。
「その、シャルル。君は知らなかったから、仕方ないです」
どんっと派手な音が遮る。
シャルルがテーブルを殴りつけ立ち上がっていた。
「分かった!僕、もう一度ルーのところに行ってくる。それで理由を聞いてくる。大体、難しくしてるのはそこなんだ。僕はロイを助けたかった。ロイだってどうすればいいのか分からなかったんだ!自分が死んだことにされてるって聞かされてショックだったはずだし、あの時のロトロアはどう見ても悪役だったし!本人の気持ちを無視してさ、周りがロイにひどいことするからいけないんだよ!もう、腹が立った!ルーに問い詰めてくる」
ジャンが止める間もなく、シャルルは素早く上着を羽織ると、飛び出していく。
ジャンは慌てて後を追った。

「シャルル、それじゃ何のために僕に相談に来たんですか!」
走りながらシャルルは振り返った。
人混みは午後になって酒が入ったのか、熱気とむっとするような匂いに満ちている。気だるい日差しは人とざわめきをすべて影にして揺らしている。
シャルルの髪がふわりと風に逆立った。獅子の子。そんな例えを誰が始めたのか。
かすかに涙を残す瞳は強い意思に満ちていた。
「僕は。あの時の償いをしなきゃいけない。危険なんか、冒すしかないだろ」
笑い、ジャンに手を伸ばす。
「僕、一人じゃ混乱する。ジャン、来て欲しい。僕は理由を知りたい。そうして、どうするのがロイにとって一番いいのか、考えたいんだ!」
「危険かもしれませんよ!」
「大丈夫!ジャンは僕が守ってやるからさ」

言い放つ自信に根拠はなさそうなのに、どうしてそんなに真っ直ぐ、言えるのか。
シャルルが笑うと、なぜかそうなるようにジャンには思える。
「分かってないんですから。危険なのはシャルルだけで、僕は平気です」
ジャンは目の前を遮ろうとした酔っ払いを押しのけ、手を伸ばした。
シャルルが言っていることが随分無謀で。権力の怖さをまったく理解していない、子供っぽい行動なのだと分かる。それでもジャンはその手を掴まずにはいられなかった。

つないだ手は暖かく、冷えてきた午後の風にも負けないほど力強い。
二人は走り出す。大聖堂へ、ルイ九世が待つそこへ。

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