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『La croisade de l'ange 2:Laon』 ⑭

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フェレットの可愛い画像や楽しい日記を提供してくださるこまるもかさんのブログフェレット日めくりカレンダー
写真は、ブログ内で提供される壁紙です♪♪密かにクウ・クルのモデルなのです♪

『Laon ‐ランの風は苦く‐』

14

「また、変なのをつれてきたな」
あの黒髪の役人男セジュールは頬を引きつらせた。
二人を案内した衛兵も睨まれ、身をすくめるとさっさとその部屋を出て行った。

シャルルが連れてこられたあの部屋のそば、側近たちの控室らしきところに連れてこられたのだ。
司祭たちの部屋と同じで飾りもなく、むき出しの切り出した石が独特の波打った姿を見せる壁。ガラスのはまっていない窓からの日差しが差し込んでいる。使いこまれた木のテーブルで何か書類を見ていた男は、迷惑そうにそれを巻き取ると改めて二人の前に立った。
「ルイ陛下に会いに来たんだ!いつでも来いって言われたし」大声で言い放ち、息を弾ませるシャルルに男はさらに目を吊り上げた。
「違うよ、シャルル、お会いしに来たとか、お目どおりとか、そんなじゃないと」
ジャンの訂正も空しい。
「で、お前はなんだ、子供」
子供、というかなり大まかな分類をされてもジャンは真っ直ぐ顔を上げ、男を見上げた。
「私はシャンパーニュ伯ティボー四世様から、ご命令を受け参りました」
その一言が男もシャルルをも凍りつかせた。

ジャンはにっこりと屈託なく笑い。すぐ隣で脇をつつくシャルルなど無視している。
正体が知られたら、まずいんじゃないのか?
シャルルは適当にごまかそうと思っていたのにあてが外れ、そわそわと周囲の大人たちを見つめた。扉の外に立つ衛兵が二人、こちらを眺めている。
役人男は黒い前髪をかきむしるようにかきあげ、それから「ええい、面倒ばかり!今日からの式典がどれだけ大切なものか、分かっているのかお前たちは!私は子守のためにランスを訪れたわけではないぞ!陛下もブランシュ様もお前たちの相手をしているヒマはない!…式典が終わってから出直せ!」
「子供の戯れとお思いですか、セジュール様。国王陛下のセネシャル、セジュール様でしょう?私はジャン・ド・ジョワンヴィル。今日、この場に我が主君が参じる事が出来ず、せめて祝いの言葉をと命を受けて参っております。我がシャンパーニュに何かしらの疑義があり、この戴冠式に陛下のお姿を拝見することがかなわず、主君はひどく落胆しております」
ジャンの声変わりの始まった響く声は、かすれ具合が妙に柔らかく感じる。口調と見上げる姿とも重なって、ひどく立派で健気な少年になりきっている。
「このシャルルは、私の従者です。言葉が拙いためお恥かしい限りです」
はぁ?と、一瞬シャルルが睨みつけるが、「ホントに、お前はガサツなんですから」と、額をぺんと軽く叩かれた。
くそー。
納得がいかないけれど、セジュールとか言う男のジャンを見る目は確かに変わった。それに、シャンパーニュ伯の使いと知れば、不用意に殺したりできない。
頭いいな、ジャン。
「私の判断では決められないことだ。ジャン、ジョワンヴィルといえば、シモン殿のご子息か」
「はい。父が生前お世話になりました。今は私が父に代わって家督を継いでおります。まだまだ、若輩ですが」
「そうか、私も何度かお会いしているよ。ジャン。君が立派に務めを果たせるよう、協力しよう。来なさい、祝宴が始まったばかりなのだ。ベルトランシェたち近衛兵は配置についているし、大司教はもちろん席上におられる」
二人は並んで話をしながら歩き出した。シャルルもそれについて歩き出す。

十一歳は子供だよ。普通は。
シャルルは自分の十一歳を思い出す。毎日、決められた仕事をこなし、水車小屋でみんなの世間話を聞いて過ごしていた。美味しいものを食べたいとか、水汲みがつらいとか。棒切れを剣の代わりに振り回しては、院長様に怒られた。何も考えてなかったあの頃。
女であることが嫌で。ロンダに剣を頼んだり、からかったり。
思い出して自分と比較すれば、ますます自己嫌悪に陥る。シャルルは黙って二人についていくことにした。
さっき、守ってやるって言った僕の面子はどうなるんだ。目が会えばジャンはにっこりと笑って見せた。


「セジュール様はこの式典をすべて取り仕切っておられるのですか、すごいです」
「いや、まあ、ランスの定式書によって進めるだけだ。大したことじゃない」
「そんなことないです。これだけの来賓と従者の皆さんを迎えて、その上陛下やブランシュ様にも常に気を配られる、大変なお仕事です」
ジャンの視線は尊敬を訴える。あの主人を見つめる犬の目。くるりと黒い瞳は瞬き。
ああ、それ。それだ。
ロトロアにもする、いい子のサイン。
うまいな、こいつ。ジャン、侮れない。
最初から、こうすればよかった。ジャンがさっさと言わないからだ。勝手に飛び出したくせに、シャルルは身勝手な不満を腹に抱えていた。
聖堂の衛兵たちがちらちらとこちらを見つめ。ふと、書物を運ぶ司祭と目があった。すれ違ってから、「シャルル!?」と。
名を叫ばれて縮み上がる。
見知った顔の、あの門番の司祭。
「シャルルではないですか!?」
背後から、そう、すぐ後ろから声をかけられれば、振り返らないわけには行かない。

ああ。

覚悟を決めて、振り返る。まだ司祭の方が背が高く。
見上げたつもりが、自分より下に相手の顔。司祭は膝を落としシャルルをのぞき込んでいた。
「よかった、無事だったのですね!あの日、街に押しかけた騎士たちにさらわれたのだと聞きましたよ。ロンダは、可哀想に無残な姿で見つかって」
司祭は足元に書物がぼたぼたと落ちるのもかまわず、シャルルの額をなでた。
肩に置かれた手が、暖かく。見つめる瞳に涙を見つけるとシャルルも視線をそらした。
「僕は、大丈夫だよ」と。応えた時にはなぜか視界が滲む。
こんな風に覚えていてくれる人がいた。
「修道院には行ったのですか、皆心配していますよ」
「あ、あの、でも」
「早く顔を見せて差し上げなさい、院長様にも」
シャルルは首を横に振った。
「今は、今はね。シャンパーニュで拾われて、その。あの人に仕えているんだ。僕、騎士見習いになったんだ」
「そう、そうですか。……会ってしまったら、離れがたくなりますか」
シャルルは黙って頷いた。
「立派になって。どうか、この子をお願いします。おてんばですが、いい子なんですよ」
立ち止まっていたジャンが司祭に笑いかける。
「はい。いつか立派な貴婦人に」そこで噴出しかける。
「きっと、なりますよ」
深く頭を下げる司祭を後に、シャルルはジャンに詰め寄った。
「きっ、貴婦人ってなんだよ!」
「本当のことです。神が与えた運命をどうあがいても変えることは出来ません」
く、くくく。と。三人の様子を見ていたセジュールが苦しそうに背を丸める。忍び笑いと震える背中に気付いて、シャルルはセジュールのすぐ後ろで怒鳴ろうかどうしてやろうかと拳を握り締める。
「いや、ジャン。その子が女性だというのは先ほど私もベルに聞いたが。貴婦人とはまた、思い切った表現だったね」
笑い続ける男に、シャルルは蹴りを入れかけ。さすがにジャンが背後から押さえ込む。
「シャルル。貴婦人というのは、あの方のような女性を言うのだ」
いつの間にか、両側を衛兵が守る大きな扉の前に立っていた。
セジュールが手を軽くあげると、衛兵は慌てて扉を開いた。

ざわめきと酒の匂い。
聖堂の奥にある広間は、貴族たちで一杯だった。
セジュールが示す方向は一段高くなった上座。距離にすると八メートルほどはあるか。金の椅子に座り、杯を持っているルイ九世と、その隣。白いふわりとした生き物がくるりと巻いた髪を揺らした。
「ブランシュ・ド・カスティーユ様。我らが聖女。聡明で美しく、何より気品高い」
黄金色と思うくらい華やかな髪に、透き通った白い肌。薄紅のドレスは開いた胸元の怪しさとそこを守る宝石の首飾りが際立ち、どうしてもそこに視線が行く。
想像したよりはずっと華奢な女性だった。
笑う口元も上品な弧を描き、それはもしかして食べ物など入れないのではと思えるほど、完璧で美しい。
ジャンも初めてのようで、口をあけて見とれていた。それに気付いてシャルルも慌てて自分の口を確認する。
同時にルイと視線が合った。
ぴくり、と。かすかに表情を曇らせ、ルイ九世は母親に耳打ちする。ブランシュはこちらを見つめ。そのとたんセジュールもジャンもぴしゃりと姿勢を正した。
ふと目を細め、ブランシュは傍らの従者に何か命じる。
ざわめきや笑い声、その内祝宴を盛り上げる楽器の演奏が始まると、それに負けないくらい話し声も高くなる。
ブランシュから何か命令を受けた従者が人の間をするすると抜けて、シャルルたちのいる戸口に辿り着く。小柄な女中だ。
「セジュール様。ブランシュ様より、シャンパーニュの使者は別室にてお待ちいただくようにと」
「はい」
パタンと頭を下げ、セジュールは二人の方に向き直る。
「お会いしてくださるだろう。さすがはブランシュ様、ジャンのこともご存知のようだ」
はい、光栄ですとジャンが頬を高潮させる。

ああ、宮廷を敵みたいに言っていた奴が何だ、これは。
ふ、とシャルルは思い出した。
シャンパーニュ伯はブランシュ様に恋をしている。ああ、そうか。だから、表向きはどうであれ、王妃様とシャンパーニュは親しいわけだ。
「複雑…」

仲のいい振りをしたり、腹を探り合ったり。親戚同士で戦争をしたかと思えば、盟約を結んでみたり。諸侯はくるくると態度を変える。宮廷もにっこり作り笑いしながら権力を見せ付けているんだ。いつ誰が裏切るか分からない、特にこんな王様が変わるようなときには。
それぞれに利益があるなら、それは寄り添い、そうでなくなれば離れていくのだろう。
汚い世界。策略を胸に秘めたまま貴族たちは親しげに嘘を語りあい、美味しそうに食事をする。シャルルには場末の酒場と同じに見える。女たちがしどけない姿で男を誘い、男たちは酒を片手にほら話を語る。
そんな広間に群がる貴族たちの中に、ロトロアの姿がないことがなぜかシャルルを安堵させた。


二人が案内された部屋は、立派な客間だった。
こんな部屋が大聖堂にあるなんて、シャルルは知らなかった。
「それはそうだよ、普通の身分のものが入れる場所じゃないよな、これは」
天井を口をあけたまま見上げ、聖母のフレスコ画に独り言をこぼす。

「シャルル、ここに座って。さっきの傷、今のうちに手当てしますよ」
ソファーを示され、シャルルは大人しくジャンの隣に座った。
左の腕は、肘の裏側から手首にかけて火傷したような傷が這っていた。血は止まっていたが、そのままでは手綱も握れないくらい痛んだ。
「鞭は速いから、焼けたようになるんです。骨に響くことはありませんが、筋肉や腱を傷める」
ジャンはシャルルの腕を曲げたり伸ばしたりしながら、見つめた。
「平気だよ」
それは無視して、指を伸ばしてみたり手首を曲げてみたり。
どれをやっても痛いが、動かせないことはない。
「平気だってば」
「僕が、この場を何とかします。シャルル。僕だって一応、騎士見習いですよ。喧嘩は弱いけど」
「……うん」
「あれ?やけに素直ですね」
「結局、巻き込んでるから。反省してる」
セジュールへの取り入り方や堂々とした態度は、残念ながらシャルルにはできない芸当。それを見透かして言うのか、「今のシャルルは役立たずですからね」とジャンは笑う。
ぽんと傷を叩かれてシャルルは思わず「ぎゃ」と声を上げた。
「ほら、痛い」
「ばか!平気って言ったけど痛くないとは言ってないだろ!」
「そのくらい、元気な方がシャルルらしいです。無茶なことして走り回っているのが。立ち止まって反省しているようなのは似合わないですよ。償いが必要なことなんか一つもありません。誰もが自分の考えで行動している。死んでしまったという、幼馴染だって」
ぎゅ、と。掴まれた心地がする。怪我なんかより、ずっと痛い。
「だ、けど。だけど!」
「むしろ、シャルル。巻き込んだのは自分だと、ロイなら考えると思いますし。簡単に言えば、ロトロア様が原因ですよ。ロンダを殺したの、あの人なんでしょう?あの人のことは、少しなら恨んでもいいですよ」
「いいですよって、許可制か?」
「不思議ですよ、シャルル。自分を責めるばかりで。どうしてロトロア様のことを責めないのですか」

言葉に詰まった。
ジャンはじっと、見ているから、何か応えなきゃと思う。
「……その、恨んでるよ、多分」
肩をすくめるだけで、ジャンは荷物から取り出した柔らかい布に、何かビンに入った薬らしきものをしみこませる。それを傷にあて、上から包帯を巻きつけた。
「…準備いいな」
「旅をする機会が多いんです。このくらいは当然、もっていますし。知識もないとね。喧嘩ばかりでは命がいくつあっても足りません」
「ごめん。お前、案外いい奴だな」
「この世に、本当に悪い人間なんかいません。僕は、そう思いますよ」
「ふうん」
「でも。それをロトロア様に言ったら、幸せものだと笑われました」
「僕は笑わないよ。神は言ってる、隣人を愛せよとね。ジャンのそれは正解だよ」
「君も案外いい人でした。僕はいつもいい人たちに出会っています。これから会う王妃様や、ルイ様も、きっといい人たちですよ」
「ロイのこと、ひどい扱いしてるのに?」
「事情を知りません、僕らはね。だから、相手を悪い人間だと決め付けるのは間違いです。それに僕はシャンパーニュ伯の伝令としてきています。公の仕事をするのだから、僕個人は敵も味方も作ってはいけない」
立派だな、ジャンは。
シャルルは足元を見つめた。ふかふかした絨毯。つま先で何度も感触を確かめる。こういうのを当たり前に踏みしめることのできる人間は少ない。貴族だけ。ジャンを見つめた。
恵まれて育った優しい奴。頭がよくて、大人ぶってがんばっている。
こういう奴はきっと皆に愛される。

僕みたいに捨てられたりはしないんだろう。

濁った苛立ちが湧き上がるのをシャルルは首を振って押さえ込んだ。
最初からジャンがむかついたのは、きっとそれだ。いい子、幸せで真っ直ぐで、皆に愛される。そんなの羨ましくて。つらい。
僕は、女だった僕は要らない奴だった。だから捨てられた。
僕はロイの気持ちが分かる。淋しい気持ちが、すごく分かる。
きっと、大切に育ててもらったら、本当の両親に可愛がってもらったら、ジャンみたいな人間になるんだろう。僕だって、そうなれたかもしれないけど。

「シャルル?薬が沁みますか?」
覗き込む少年に、シャルルは笑って見せた。
「結構ね」目が赤いのはそれでごまかす。
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『La croisade de l'ange 2:Laon』 ⑮

『Laon ‐ランの風は苦く‐』

15


天窓からの景色は、すっかり夜になっていた。
それでも二人はずっと、その豪華な部屋でじっとしていた。
ジャンは子供の頃の話をした。
五歳から乗馬と剣を習い、六歳で母親と離れ所領の騎士の訓練所に入所。父親を失った年にシャンパーニュ伯の従騎士となった。裕福な貴族の子弟には騎士となるための道筋が用意されているのだと、改めてシャルルは羨ましく思う。シャルルも修道院での仕事や日々のお務め、水車小屋のことやロンダのこと。クウ・クルを拾ったことなどを話した。
戦争で受けた傷がもとでジャンの父親は早くに亡くなっていたが、僕は妹や弟を養わなきゃならないから。がんばりますよ、と屈託なく笑う少年にシャルルはふうん、と言うしかできなかった。

ジャンの話を聞けば聞くほど、同じ親のない身でありながら自分とは違う境遇に卑屈な気分になってくる。応援してくれる家族も、受け継ぐ名声も財産も何もない、いや、自分のルーツすら知らない、と鬱屈した思考にはまっていく。
シャルルが「お腹すいたなー」と話をそらそうとしても、ジャンは母親の作ってくれる郷土料理がおいしいと自慢するし、「クウ・クル、どうしてるかなー」と呟けば、妹が可愛がっている犬の話をする。
シャルルはいつしか黙り込み。ジャンはそれに気づかず、とりとめのない話を続ける。

僕には、家族もなく。
自分が誰かも知らない。
リシャールが言うんだ。
ロトロアが可愛がるから傍に置くだけ、そうでなければハムと同じ目に合わせるって。さ。
そんな、存在でしかない。


「シャルル、眠っちゃったのかい?」
いつの間にか、妹に話すような言葉遣いに変わっていたジャンは、抱えた膝に額を擦り付けるシャルルを覗き込んだ。
そのまま、眠ったふりを決め込んだシャルルに、ふわりと温かい上着をかける。
優しくていい奴なだけに、シャルルは礼も言えない。
ただ、持てあます自分を抱え込んでじっとしていた。


扉をたたく音。ベルトランシェの「リオン」と呼ぶ声で、いつの間にか自分が本当に眠り込んでいたことに気づく。
顔をあげると、腰に手を当て覗き込み呆れた顔をしている美しい騎士、その脇にジャンが立っている。部屋の中央につるされたシャンデリアに蝋燭がいくつも灯され、ゆらゆらした明かりの向こう。
ふわふわした白い美しい生き物、ブランシュが佇んでいた。すぐ隣にルー。若い国王は並んで見ればブランシュに似ている。派手さはない。それなのに印象に強いのは、きりりとした眉か張りつめた頬の白さか。聖像のようだと思った王家の二人は同時にふ、とほほ笑んだ。
その笑みが、ベルトランシェに引き起こされた自分に向けられていることに、今やっと気付く。

「疲れて眠くなったんだね。子供だから、仕方ないよ。ベル」
と、十二歳のルイに言われてもなんと言っていいのか。
周囲はそのおかしさに気づかないのか、気付かない振りなのか。
「ルイ。貴方も眠い時にはそうすればいいのよ」と、ブランシュだけがただ一人、国王を子供扱いする。
「お母様、私は平気です。その子と同じにしないでください」少々不満げに語るルー。
すでにあいさつを済ませたようで、ジャンはじっと二人を見ている。
「いいえ、ルイ。貴方は明日、一日中聖堂で祈らなければなりません。今日はもうお休みなさい。ベル、お願いします」
そんなやりとり、ここに来る前にすればいいのに、と。眠気も手伝い苛立ちながら、シャルルは遠い世界の物語みたいな王様たちのやり取りを眺めていた。
お母様に対するルイの抗議は甘えた感じになりつつある、王様もやっぱり眠い。そうだよな、長旅で今日ランスに到着したばかり。疲れていて当たり前だ。
「では、シャルル、明日の夜は私に付き合え。約束だからね」
「へ?」
突然名を呼ばれ、その意味が分からないのに、ルイは踵を返す。
「あ?ええ?」
「陛下、おそばに置くようなものではありません」と反対したらしいベルトランシェ。シャルルもよく分からないが、「そうだよ、嫌だよ。なに勝手に決めてるんだよ」と言ってみる。
「お前は……」何か言いかけたセジュール、「シャルル!?」と注意するのはジャン。
ベルトランシェが睨みつけすでに手が剣を握り締めているし、ブランシュは目を丸くしていた。
ただ。ルイだけは「だめだよ、決めたから。ロイのことを聞かせてもらう。誰にも邪魔させない。ベル、明日の夜、私の部屋に置いておけ」そう、真顔で話し。返事も待たずに部屋を出て行った。慌ててベルトランシェが後を追う。

誰もが黙り込む中、シャルルはふん、と鼻息を吐き出した。
「まず、ロイのこと、聞かせてもらうのは僕のほうだぞ。人をものみたいにさ」
「お前は、なんていう口のきき方なんだ!」
呆れて顔を覆い、叫んだのはセジュール。ジャンもさすがに顔を青くし、「シャルル、頼むから、わきまえてください。恥をかくのはシャンパーニュ伯なんですから!」と頭を抱える。
「だってさ、あいつ、人のこと」
脱がそうとするし…。
「あの、さぁ」
「黙れ。リオン。お前はもう口を開くな」セジュールが遮る。
いい加減リオンでなくとも、と思ったが。それを口にしたら今度こそ殴られそうな勢いでセジュールの手の分厚い本が震えているから、シャルルは大人しくなる。
「ブランシュ様、申し訳ございません。教育が行き渡らず」とジャンが頭を下げる。

ブランシュは硬直したようにシャルルを見つめていたが、ほっと息を吐きほほ笑んだ。
同時にセジュールとジャンの二人も息を吹き返したようにほっとしてるのが分かるから、シャルルは余計にわがままな気分だ。
「あの、王妃様」
「今は、王妃ではありませんよ。シャルル。明日にはルイが新たな王になります。私はあの子の摂政として傍に仕える身。気が進まないのは分かりますが、陛下の御所望ですから、明日の夜は傍にいて差し上げてくださいね」
姿が美しければ声も綺麗なのか、と。シャルルはブランシュを見上げた。わずかに、シャルルのほうが小柄。
「はい」
「可愛らしい騎士見習いだこと」と甘い香りと一緒に、ブランシュの白い手がシャルルの頬をなでる。
思わず、ひゃ、と声をあげ、シャルルは顔が熱くなる。
「シャルル、陛下は父君を亡くしたばかり。ああして意地を張っていますが、本来は大人しく優しい子です。淋しいのに王らしく振舞おうと必死なのです。どうか、優しくして差し上げてね」

本人は優しくないって断言してたぞ、すごく威張って。

反論したいけれど、目の前のブランシュは綺麗過ぎる。
ジャンに助けを求めても見とれていて役立たずだし、セジュールもうんうん、なんて頷いてばかりで。シャルルは腹に力を入れなおし、口を開いた。

「あの、ブランシュ様。僕はロイのことを聞きに来ました。ルーが、ルイ陛下が教えてくれるっていうから」
「そうね。セジュール、扉を」
ブランシュの一言でセジュールは風のように素早く、扉の外に出て行った。何やら見張りの兵を追い払った様子。
室内は、ブランシュとシャルル、そしてジャンだけになった。


ぎゅー。

ブランシュが口を開こうとした瞬間にシャルルの腹が耐えかねた声をあげた。
「シャルルっ!?」ジャンがシャルルの代わりに少女の腹を押さえるから、ブランシュが噴き出した。鈴みたいな声で笑い出した。
「大体、遅いからさ、お腹すいちゃったんだ」
「そうね、仕方ないわね。ジャン、外にいるセジュールに食事を頼んできてくれるかしら。貴方もお腹がすいているでしょう?シャルル。さ、座ってお話しましょう」
お話しましょうって穏やかな茶話でもないが、シャルルはブランシュが示したソファーに座った。正面にいる貴婦人をまっすぐ見つめた。

「ロイのこと、ご存じなんですってね」
「はい。僕は、ロイがどうして死んだことにされているのか知りたい。友達になったんです。自分は病気だからとか、死んでしまうのは仕方ないみたいなこと言うから。放っておけなかった」
そこでブランシェは涙を拭った。
「あの、病気のせいでパリに住めないとか、両親に会えないとか、そういうのは仕方ないとしても。死んでしまったことにするなんて、ひどいと思う。そんな風に、泣くくらいなら、どうして大切にしてやらないんですか」

ブランシェは手にしたハンカチを目にあてる。本当に泣いているのか、疑わしい。
ジャンが戻ってこないうちに、とシャルルは言いたいことを全部、言葉にすることにした。

「ロイは二年前初めてそのことを知らされたんだ。どれだけ悲しかったか!それじゃまるで、子供を捨てるのと同じじゃないか!ううん、もっとひどいよ」
うっう、と。目の前の綺麗な貴婦人は弱弱しく泣いている。
「泣いてばかりじゃなくて!理由を教えてほしい!僕は、ロイの味方だ。ロイのためになる方法を考えたいから、ここに来たんだ!行方不明になってるあいつのために。僕ができることを、見つけたい」
そこまで吐き出すと、シャルルも自分の目も温かく湿っているのに気付く。うつむいた拍子にぽたりと。涙が落ちた。
「ありがとう」
ブランシュの口から出た言葉に、シャルルは顔をあげた。
ありがとう?
白い頬を涙でぬらし、ブランシュはシャルルに微笑みかけ。目の前のそれはふわりと音も立てずにシャルルを抱きしめた。
甘い、何か果物のような香り。ふわふわした、とろんとした心地。お母さんって、こうかも。ふと脳裏によぎるからシャルルはそのまま額を預けた。

「ありがとう。あの子のこと、大切に思ってくれているのね」
「ほんとは、本当は。ロイが、ロイがこんな風にされるべきなのに。貴方に抱きしめてもらいたいのは、あいつなのに」
「そうね、私も、そうしたいのです」
「じゃあ、じゃあなんで!」

ことと扉の閉まる音で、ジャンが入ってきたことに気づく。
「聞いてください。シャルル。ジャン、あなたも」
そう言って、ブランシュはシャルルの隣に座った。離れようとするシャルルの手をぐいと引きよせ、結局抱きしめられた格好のまま、シャルルは柔らかな胸元に頬を寄せていた。抗うのも、なんだかおかしい気がしてじっとする。
ジャンもとなりに。と声をかけられ、シャルルの向こう、ブランシュを挟んで座る気配がする。

「このフランク王国は、王国とは名ばかりで。亡くなったルイ八世の時代もそうでしたが、周囲の他民族とともに、内なる多くの敵を抱えています。ブルターニュ、ブーローニュ、フランドル、そしてシャンパーニュ。そのどれも、元をたどれば同じ血を分けた親戚ですが、だからこそ彼らはこの国を手にする可能性を持っています。やっとまとまりつつあるこの国で、今、国王が力を失うことは再び多くの戦乱を招きます。このまま、我が王家が王国を維持するには強い王が必要なのです」

ジャンは、こくりと頷いた。

「ロイは、生まれた時から病弱でした。何かと騒がしいパリにいるより、穏やかで空気のきれいな田舎にいるのが、彼にとって良い事でした。医師は七歳まで生きられないと宣告しました。ですが、田舎に住まわせたために少しずつ丈夫になっていったように思います」
ブランシュは続けた。

それでも、体が弱いために他の子のように騎士としての訓練もできない。このままあの子が成人しても、王国を背負う強い王にはなれない。もし、弱い王が継承すれば、周囲の諸侯に侮られ、つらい思いをするのはロイです。
聖職者にするにもあの子は長男です。伝統的に家督を継ぐ身。
私も、あの子の父ルイ八世も悩みました。
私たちの子供は、ロイだけではありません。王を継いだものが守らなければならない兄弟は大勢いました。ロイにはそのための力が足りなかった。
だから死んでしまったことにして、このままひっそりと何不自由なく静かな街で生活させるのが、あの子にとってもっともよいのだと判断したのです。

「だって!それじゃ、それじゃ、ロイが」可哀想だ!
ブランシュの抱きしめる手に力がこもる。かすかに、震えていた。
「ごめんなさい。シャルル。私も、私だって、あの子は可愛い。里心がつかないようにと、会わずに遠くから見ていたこともあります。乳母からは今日は難しい歴史の本を読み終えたのだとか、従者が止めるのもかまわず馬に乗ろうとしたのだとか。幼い妹の誕生を知るとお祝いにと刺繍をしようとして指を怪我したとか。些細なこともすべて聞かせてもらいました。私は、何度。何度、あの子のために祈り、懺悔し」
それでも、国のため、ですね。
そうつぶやいたのはジャンだった。

「シャルル、仕方ないんですよ。王様も王妃様も、自分より国を優先させなきゃならないんです。責任があるから。だから、皆が敬うし、誰よりも贅沢できる。王家の方々は、いえ、領地や家臣をもつ諸侯も同じです。責任のある地位にある人は皆、護るもののために犠牲を払うんです」
「犠牲を払ったのは、ロイだ。苦しんだのも悲しんだのも、僕やジャンや、王妃様でもない。なのに!!」
「僕は家族を守りたい。家を絶やすことは出来ない。だから、分かります。シャルル、君も護りたいものができたら、きっと分かります」
「ジャンは!ジャンは愛されて育ったからそんなこと言えるんだ!身分とか家とか、そんなんじゃなくて。王様になれなくたっていいんだ、ただ、普通に。普通にお父さんとお母さんが側にいてくれるだけでいいのに!なのにっ……」
それ以上、言葉が続かない。ぬぐってもぬぐっても、涙は流れ続ける。再びぎゅ、とブランシュが抱きしめた。
「貴女も、シャルル。一人きりなのですね」
くぐもって聞こえる優しい声は、かすかに泣き声に近く。とくとくとした鼓動がますますシャルルを混乱させた。
「ありがとう、シャルル。ロイのために泣いてくれる子がいるなんて、あの子にお友達が出来るなんて、私は思ってもみなくて。ありがとう」
いつの間にか傍らにジャンが立っていた。抱きしめ頭をなでるブランシュの手とは違う、小さな手が、肩をそっとなでていた。
僕一人。悔しくて悲しくて、子供みたいだ。

そんな風に思うのに、痛む胸は涙を作り続ける。
どうして。
どうして、どうして。

何のために、ロイは生まれたんだ。どうして僕は捨てられたんだ。
どうして、僕らは当たり前の愛情をもらえなかったんだ。
誰も言ってくれなかった。生まれてきてくれてよかったなんて、誰も。

シャルルの悲しみはこれまで口にしたことのない想いを目覚めさせる。心にわだかまるすべてを吐き出しては涙を流す。
あの時、僕がロイにしたこと。ロンダを巻き込んだ、僕の罪がどうすれば消えるのか。どうしたなら、僕があの時したことを、これまで生きてきたことを良かったと思えるのか。
「お前が死ねばよかったんだ」と、ニルセンの声が耳によみがえる。
幾度も濡れたまぶたを柔らかい女性にすりつけ、シャルルはあふれ出る想いに泣き続ける。
黙ってシャルルを見守っているブランシュ。
優しいお母さんなんだ。
いつか、この優しい女性に、ロイが再会できたら。そうして、今こうしている僕の変わりに、ロイが。当たり前の抱擁を受けられたら。

僕の、罪は。消えるだろうか。

「泣かないで、ください。シャルル」
ジャンが待ちきれなくなって、とんとんと背中を叩いた。
「うん、分かった。分かったよ」
そう顔を上げ。シャルルは鼻をすする。
「ああ、ブランシュ様のお召し物が」
「いいのよ、シャルル、これでお拭きなさい」
ふわりと柔らかいガーゼのハンカチが差し出された。端に手縫いの白い刺繍がされた優美なもの。受け取って、シャルルは顔と涙をぬぐった。

「あの。ありがとうございます。僕、ロイに貴女を合わせたい。ロイを見つけて、つれてきます。その時には、会ってくれますか。僕にしてくれたように、ロイにも優しくしてくれますか」

シャルルの言葉に、ブランシュは微笑んだ。
「ええ、もちろんよ」
「僕、ロイが行方不明になったことに、責任があります。だから、ロイを探し出したい」
「ありがとう。それは、私たちも同じよ、シャルル。そうね、ベルトランシェに密かに捜索させていますが、まだ見つからないの。協力してくれるかしら」

シャルルの表情が明るくなる。
もちろん、応えは「はい!」だ。
「ジャンも、協力してくれるの?」
ブランシュがぱたぱたと長い睫で瞬きすると、ジャンは頬を染めた。
「あの、私はティボー四世様に仕えております。その、いつかセネシャルにと、見習い中です」
「いいわ、じゃあ、秘密の契約でどうかしら」
「秘密?」
二人が口をそろえた。
それが面白かったのか、ブランシュはにこにこと笑った。

「ええ。私とティボー四世様が親しいお友達でいるように、あなたたちとも親しいお友達だわ。表にはできないけれど。これを。我がカペー家の紋章が入っているわ。ロイもこれと同じものを身につけているはずなの。シャルル、あなたに預けるわ。これを持っていれば、いつでも私に会えるように手配します。それから、そうね。なんだかわくわくするわね」
ブランシュが首に下げていたペンダントをそっと外し、シャルルの手に握らせた。ずしりと重いそれは、金と銀の細工で美しい百合の紋が刻まれている。
二人がそれに見とれている間に、ブランシュは扉の外に控えていたセジュールを呼び入れた。

「セジュール。この子達にロイの捜索に協力してもらうわ」
楽しげに、まるで悪戯を思いついた子供のようにブランシュは頬を染めて笑っていた。
「お言葉ですが、ブランシュ様、このような子供に何が出来ますか」
「あら、セジュール。ジャンはこの歳でシャンパーニュの伝令を務める利発な子ですし、シャルルはロイのことを良く知っているわ。ベルトランシェに探させていますが、彼を含め近衛騎士団にはロイに会ったことのあるものはいないわ。二人と契約を結ぶことにします」

はい、と。セジュールは素直に膝をついた。

「セジュール、貴方にお世話をお願いするわ。二人にはどんなご褒美を上げたらいいかしら。ああ、こういうことを考えるのが大好きなのよ、私。シャルル、ジャン。戴冠式を見に来たんでしょう?ゆっくりしていって。その間に、私がいろいろ考えてみるわ」

もう一度、シャルルをギュッと抱きしめて、ブランシュは部屋を出て行った。
「まったく、何をお考えか」とこぼすセジュールの背中を、しっかり叩いてシャルルは笑った。
「セジュールさん、お腹すいた!」



『La croisade de l'ange 2:Laon』 ⑯

『Laon ‐ランの風は苦く‐』

16


シャルルより先にランを発ったロトロアたちは、シャンパーニュ伯と合流する予定の街トロワに到着していた。


干されたイチジクの甘い香りと目に鮮やかな紅葉。平らに広がる農地はすでに冬の支度を終え、陽だまりのような枯れ草色は白い漆喰の建物を美しく際立たせた。建物の木組みは鈍い炭色をし、家々の梁や窓を縁取る。この時間ならばどの家もかまどからの煙がゆらと冷えた空気に立ち昇りそれは白い溜息のように消える。庭の木立をすり抜けて子供を起す母親の声がする。

シャンパーニュ地方の有数な商業の街トロワでも、人々の営みに合わせ静かな夜明けを迎えている。石畳の路地を抜けた先に視界に開けるその広場では、昨日までの大市の後始末だろう、外国の商人や雇われた異国の奴隷がテントをたたんだり、荷馬車に荷物を積み込んだりしている。広場のあちこちにトロワの衛兵らしい姿が、腰のサーベルに手を当てて周囲を見回している。どこかで怒鳴りあう声が聞こえ、ロトロアたちも馬を止めた。
馬上から、遠くテントの前で荷を真ん中に怒鳴りあう男たちの姿。
「大方、売り上げの分け前で。もめたんだろうぜ」

白馬ブロンノの前を慌てた様子で衛兵が駆け抜け、喧嘩する男たちを怒鳴りつける。野次馬の人垣に衛兵が吸い込まれれば、人々はつまらなそうにそれぞれの場所に散っていく。

キ・ギは「惜しかったですね、あと一日早ければ有名なシャンパーニュの大市を見物できたのに」と残念がった。
「ここにも美人の香水売りがいるかもしれないぜ」と、ロトロアが笑ったので、キ・ギは珍しく顔を赤くした。髭の下の口元はへの字。
「なんだ、シャルルに聞いたぞ。派手な修道女に熱を上げたと」熊のようなキ・ギが女や子供に意外に優しいのをロトロアは知っている。修道女ならばお似合いとも思えた。

「この街でシャンパーニュ伯と合流なさるのでしたな」
まったく関係のない話題に持っていくのは、ローレンツ。女や賭け事の話題には決まってこの老騎士が、目の前でシチューのフタをぱたりと閉じるのだ。お預けを喰らった感じのロトロアは肩をすくめ。
「あ、ああ。まずは我が屋敷で馬を休め、今夜のうちにシャンパーニュ伯とお会いする。明日にはコルベイユに向かうことになる、で……」と一言で話題を元に戻そうとするのだが。

「随分あわただしいですな」
「ああ……。戴冠式を終えてしまえば、相手は仮にも国王陛下。ブルターニュ伯としてはパリに戻る前に行動したいところだろう。強行軍にもなるさ」
「ブルターニュ伯が、今回の発起人で?」
キ・ギは顎の髭を手のひらでザラリとなでた。つまらなそうにロトロアも自分の顎をざらと触れてみる。皮の手袋に剃ったばかりの髭はまだ当たらない。
「ああ、そうだ。ブルターニュは元々公国があった。イングランド王家の血を引く伯は、ルイ八世時代に国王とのオマージュを受け入れなかった一人だ。ピエール・ド・ドリュ。別名モークレールは未だにブルターニュ公国を名乗り、隣り合うノルマンディーを制圧したカペー家に敵対心を燃やしているのさ」
「ピエール・ド・ドリュ。あまりよい噂は聞きませんな」話をローレンツが続けた。
ピエール・モークレール(悪党ピエール)。伯は、自分の家臣にまで金を貸すそうです。所領の周囲にある曖昧な田舎の村落を強引に買い取ったり、時には村落を治めていた豪農や騎士身分のものを力づくで従わせたり。まさにモークレール(悪党)に相応しい人物です。
はあ、と。珍しいキ・ギの溜息が二人の騎士を振り向かせた。

「市場であった、女ですが」
「ああ、いい女だったんだろ?」話がまたシチューになってロトロアは顔をほころばせた。モークレールの話題など心地よくはない。どれほど悪名高く嫌われていようとも、無視できない権力を持つからにはシャンパーニュ伯も一目置かねばならない。王国の北西部ノルマンディーよりさらに西に位置するそことはかなり離れていることが、わずかに救いだった。
「市場の女は、リノーラでした。ロトロア様もご存知でしょう。ブルターニュのモークレールの女従騎士、リノーラ・パダム。あれだったんです」
残念ながらシチューは空腹を満たす内容ではなかった。

「なんだ、珍しいな。ランまで足を伸ばすとは」
「はい、理由を聞こうとしたんですがはぐらかされまして。私はどうも苦手で」
キ・ギの難しげな顔にローレンツが同情する。
「勝てる気がしない女ですな。確かに、お前さんではいいように遊ばれるだけ」
「そうか?セネシャルを目指す貪欲な女だ。俺は時には面白いが。あれでいてベッドでは従順だぜ?」と、ロトロアは首をかしげた。キ・ギはうむむ、とうなり。
「私は苦手です。いつもなら避けて通るんですが、何しろ、シャルルを少年と思い込んで例の色仕掛けで喰らわんばかりに迫るんで、仕方なく……」
ぶ、とロトロアは笑い出した。
「あれは、どうした?見てみたかったな、それは」
「シャルルは鈍いんで」
「なんだ、つまらんな。あの女がこちらにいるなら、屋敷に呼んでみてもいいな。リシャールとシャルル、どちらを並べてみても面白いものがみられるぜ、初対面だろ?」
「リシャールは嫌な顔してました」
そういえば、リシャールがキ・ギを迎えに行ったのだった。
「ああ、そうか。リシャールはあの手の女はゲテモノだというな。宮廷風恋愛を語るあいつにはリノーラは品格に欠けるんだろ。女などどれも同じなのに」
宮廷風恋愛と呼ばれるそれは、貴婦人に至純の愛を奉げるとかいう最近流行りの風潮だ。騎士道を語るには欠かせない要素らしい。

「どれも、同じ……。そう言いきる貴方様が羨ましいですな」
キ・ギは感心したように頭をかいた。
「褒めることではないぞ、キ・ギ」と辛口はやはりローレンツ。
「ロトロア様もそろそろ決めていただかなければ。縁談はあちこちから来るというのに」
「どれも味見してから決める」
「それでは困りますぞ!」
「じゃあ、嫌だぜ」

位が高くなればなるほど、花嫁候補は守りが堅く。強引に落とすほど結婚したいわけでもない。だとしたら、気の向くまま、付き合いのいい女が楽だとロトロアは思う。
リシャールのいう至純の愛など、歯痒くてやっていられない。一々、好みの女にそれを捧げていたら、身が持たないだろうに。
ドレスをひらひらさせて本や詩を読み、刺繍をして一日を過ごしている貴族の女。それの存在価値がどこにあるのか、今ひとつロトロアにはぴんと来ない。気位は高いし、脱がしにくいあのドレスは何とかしてほしいものだ。まだ、パン屋の女将の方が価値あるように思える。その基準の延長線上にリノーラがいる。あれはあれで、悪くはない。

「リノーラか。俺と同じ歳でな、初めてであったときは互いに騎士見習いだった。俺がシャンパーニュ伯、あれはブルターニュ伯。どちらが先に出世するか競争しようと持ちかけられた。平民出身、女の身で騎士の世話をする騎士見習い。まあ、清純ではやっていられないだろう。あれは逞しく女を武器にもする」
「シャルルも、ああなるんですか」
郊外へと馬を進めながら遠い目をするロトロアに、キ・ギは思い切り顔をしかめていた。
「あ?あれがか?」
いいながらロトロアは、なぜか笑えてくる。シャルルが胸を露出して迫る、想像しようとしてもできなかった。
「おいおい。シャルルは騎士の前にまず、男になりたいんだぜ?同じにはならんし、同じにされたくもないだろうぜ」
「よかったです」
本気でキ・ギは安心した様子。ロトロアは目を細めた。子ども扱いするセネシャルたちの中でキ・ギだけはシャルルを対等に見てくれている。

「キ・ギ、お前はシャルルが好きか」
「は、ああ、まあ。あいつは面白いですよ。単純ですけど、気持ちが真っ直ぐで」
「からかい甲斐があるな」
クウ・クルの溺死未遂を思い出す。
「案外あれで、気が弱いところもありますし」
「泣きながら怒るんだよな」
「ロトロア様に懐いておりますし」
「ああ、そうだな……」
しばし、沈黙。二人は顔を見合わせ。
キ・ギがばつが悪そうに笑った。
「ロトロア様もお気に召して……」
「ほら、屋敷が見えたぜ、急ぐぞ」
ロトロアはキ・ギを無視して前を向き、ブロンノは不意の拍車に迷惑そうに鼻を鳴らすと駆け出した。
「あの、ロトロア様…」
「遅れるな、キ・ギ」とローレンツが先に行き。
キ・ギは一人、主君の後姿を見つめた。




トロワにあるロトロアの別邸は、ブリュージュと同様、森を背後に持つ。馬の訓練にも狩猟の楽しみにも、森は欠かせなかった。紅葉の美しい森はまだ横からの陽光を木漏れ日に変える。地に伸びる木漏れ日の縞模様を馬と供に駆け抜け、ロトロアは一番にその庭に降り立った。
急な帰還は管理人のペルに伝わっていないはず。なのに門が開かれている。
「あ?」
首をかしげ、厩のほうへと進むと、ロトロアは納得した。
「遠路、お疲れ様です」と、シャンパーニュの紋章をつけた従騎士が膝をおって挨拶した。先客があったのだ。
青年はまるで我が家のようにロトロアを迎え、手綱を受け取ると「ティボー四世様は中でお待ちです。ペルさんは食糧を買出しに、市に向かわれました」とにこやかに笑った。


ティボー四世。本名テオバルドは屋敷の一番広い居間に一人足を延ばしてソファーに横たわっていた。締め切られたカーテン。暖炉の炭がほこほこと室内を暖め、そのむっとした空気にロトロアは眉をしかめた。
「ティボー四世様、少しは窓を開けなければ息が詰まりますよ」
ロトロアが声をかけると、奥の小部屋に控えていたのか、数名の従者が顔をのぞかせた。
ごほ、ごほ、と。ティボー四世のあいさつは咳から始まった。

「テオバルドと呼んでほしいね。勝手に入らせてもらったが文句はないよね。私が君に与えた家だ」
「はい、それは構いませんが。呼び捨てはできませんよ、テオバルド様」
気だるそうに腕を伸ばし、クッションを枕に向き直るとティボー四世はロトロアを見上げた。ローレンツが気を利かせ窓を開けると新鮮な朝の空気がカーテンを揺らした。寒いじゃないかと眉をひそめるティボー四世のすぐわきに膝をつき、ロトロアはマントを横たわる主君にかけてやる。

ロトロアより四つ年上の二十五歳。シャンパーニュ伯ティボー四世は似合いもしない髭を伸ばし、ふんと目の前の騎士の額を手の平でぺたんと軽く叩いた。
「…」
黙ってロトロアが伯の額に手を乗せると、今度はその手を上から両手で押さえる。
甘えたいのか何なのか、この青年はよく分からない。

生まれた時からティボー四世を継承し、そのことについて否応なく周囲から批判を買った。生まれた時にはすでに父が他界していたことも、周囲の心証を悪くした。成人するまで母親が摂政をし、この甘えん坊を作りあげた。誰の責任でもないが、迷子の子供のように常に頼れる誰かを探しているのだ。

「熱がおありですね、テオバルド様」
「ブルターニュは待ってくれないのだ、モークレールめ。ブーローニュを奉りあげて自分はうまい汁を吸おうとしている」
「ブーローニュ公には、恩義があります。モークレールが気に入らなくとも、仕方ありません。ただ、少しばかり出立を遅らせる必要はありそうですね」
「行きたくないね」
「それでもここまで、こんな早朝にお見えです。少しは眠られましたか?寝室を使えばよかったのに」
「病人じゃないね」
「どう見ても、お風邪を召してますよ」
「うるさい!大体おまえ、その口調何とかしろ!堅苦しい、昔のように話せ。命令だぞ」
は、と笑いながら溜息を吐き。ロトロアは額に押さえつけている手を引きはがした。
ぴん、と額を指ではじく。いて、と小さくティボー四世は呟いた。
「じゃあ、さっさとベッドで寝ろ。キ・ギ、俺の寝室の暖炉に火を。ローレンツ、食堂で薬草を煎じてくれ。リゼンルーベ、屋敷中の窓を開けるようにさせろ。指示されなきゃ動けないようじゃ、セネシャルにはほど遠いぜ。ダンベルドはどうした」

ティボー四世の従者のうち、名を呼ばれたリゼンルーベは「あ、はい。ダンベルド様はこちらにはよらず、直接コルベイユへ向かわれました」と慌てて姿勢をただし、部下を引き連れ部屋を出て行った。
「だから、自分が動いてどうする。役立たずだぜ、あいつ」と、呆れるロトロアはすでにティボー四世伯を抱き起こし背負っていた。
「お前も自分で背負ってる」
「主君のお身体に触れていいものは限られる。当然だぜ、テオ」
幼いころからの呼び名、口調。それがティボー四世を安心させるのか、しっかりとロトロアの背にしがみついた。

「大体、俺の方が年下なんだぜ、甘えるなよ」
「関係ないね。私のセネシャルになってくれないお前が悪い。お前のせいだ」
「はいはい。じゃあ俺の言うことを聞いて、薬を飲んでペルの美味いスープを食べて、寝ろ。どうせ戴冠式に出られなかったんで落ち込んで眠れなかったんだろ」
ぎゅ、としがみつく手に力が入った。
「お前なら分かってくれると思った」
「同情はしないが、テオが何を考えるかぐらいは分かるぜ」

ブランシュに振られて泣き通しだった昔を思い出す。大体、親の決めた夫人がいるにもかかわらず、十以上も歳の離れた女に憧れてまとわりついてもブランシュも迷惑だろうに。あの女もどこか抜けているのか、思慮に欠けるのか。少女のようにふわふわと関係を楽しむ傾向がある。おかげで俺たちは振り回されっぱなしなのだ。

こいつのような不安定な若者には、あの女は毒だ。どうせならルイ八世じゃなく、ブランシュに毒を盛ってやればよかったのだ。毒には毒を持って制す。
いい言葉じゃないか。
密かに不穏なことを考えながら、ロトロアはこれから主君が語る愚痴とも意思ともつかない話を聞くための、心の準備をしていた。温情派の甘ったれに現実の厳しさと取るべき道を理解させるのは、それなりの手間がかかる。


ベッドに横たわると、ほっとティボー四世は息をつく。
暖炉で作業をしていたキ・ギが「ペルの奴、最初にここを整えたみたいです」と、果物と水差しが置かれたテーブルを指差した。ペルは気がきく管理人だ。
「ああ、到着がこの時間と分かれば、仮眠するわけだし。そのつもりだったが」
ロトロアの話に、ティボー四世が自分の隣をぽんぽんと叩いて「ここで寝るか?」と嬉しげだ。

「寝室は十分足りている。淋しいなら、女でも見繕うぞ?」
シャンパーニュ伯に対してその口調。キ・ギは思わずロトロアに目を見張り「嫌だ、お前の方がいいね」とロトロアの袖を引く青年に、今度は口をあんぐりと開けた。
「ここにいてやるから、寝てろ。キ・ギ、従者の皆に適当に部屋を割り当ててくれ。ペルが戻ったらお前も休んでいいぞ」
「はい」
「それから、外にいたリンにも、馬の世話が終わったら休むように伝えろ。ひと眠りしてから食事だ」
「はい」
キ・ギが出て行くと、室内は静まり返る。
すでにティボー四世は目を閉じている。

面倒な主君が未だに自分の袖を掴んでいることに気づき、ロトロアはそのままその場に座り込んだ。ベッドにもたれると、わずかにラベンダーが薫る。ペルが気を利かせたのだ。
ベッドわきの小さいテーブルに、ポプリを入れたつぼを見つけ、それを眺めているうちに瞼が重くなる。
ティボー四世は熱で上気した頬に髪をたらし、無意識に手で拭う。

今回のコルベイユ行きは、このトロワの領主にも秘密なのか。それゆえ、城ではなくここに来た。相変わらず信頼できる人間を増やそうとしないのだな。俺を呼び出すために三日は余計に時間がかかっただろうに。
厄介な会議より、不器用なテオバルドに思考が及び、ロトロアも目を閉じる。




『La croisade de l'ange 2:Laon』 ⑰

『Laon ‐ランの風は苦く‐』

17

到着から丸一日を経て、ロトロアを伴ったシャンパーニュ伯はトロワを後にした。
コルベイユまでは馬で二日はかかる。病み上がりのシャンパーニュ伯を考慮し、馬車を手配するとゆったりとした行程を選択した。
その間、夜昼となく、ティボー四世と検討できる範囲の選択肢を話しあっていた。
ブーローニュ公が諸侯を密かに集める。それらの諸侯が一斉に蜂起しパリを囲むつもりかもしれない。だが、北東のフランドルはルイ八世の時代からカペー王朝に支配されていて会議には出席しないだろうし、北のシャンパーニュも和解を進めたい意向だ。パリから南西の地域は法王権力に支配されているために、ブーローニュ公への協力は望めない。
北西のブルターニュのモークレールも、表面は支持するだろうがいつ寝返るか分からない。
不安定な集まりだ。

「で、テオ、お前はどうしたいんだ」
そう切り出すのは何度目か。
うう、ん。と若い主君は額に手を当てうつむいてしまう。それもまた、ロトロアの質問と同じ回数だけ繰り返されてきた。
すでに周囲を守る衛兵の半数は眠りに付き、交代で馬車のそばに立つ数人の気配が窓に額を押し付けるティボー四世に伝わるだけだ。
背後に幼馴染の溜息を聞き、シャンパーニュ伯ティボー四世は視線を落とす。
「どうした。ブランシュが気になるならば、いっそのこと今回のコルベイユは辞めてカペー王朝に膝を折るか?」
「だが。私は疑われている。ルイ八世の死の件で。まったく何の関係もないのに」
「まあ、それはそうだとしても。丁度お前がへそを曲げて、いさかいを起した後だった。疑われても仕方のないタイミングだったんだぜ。今更、私ではありません、なんて頭を下げるつもりか?」
うむむ。また、若いシャンパーニュ伯は頭を抱えた。
「そうできるなら、したいな」
「そうしたいなら、すればいい」ロトロアはただ、肩をすくめる。
「テオ、お前がこれまでもそうしてきたように、大切だと思う人間を守ればいい。俺はお前のそういうところは嫌いじゃないぜ」
「だけど、それは。ブーローニュ伯を裏切ることになる。父上がお世話になっているのだ」
「世話になったのは父上で、お前じゃないだろ」しかもテオバルドにとっては会ったこともない父親。
「だけど」
「俺はどちらでもいい」
「冷たいことを言うな!大体、なんで今回リシャールがいないのだ。彼の説明はお前よりずっと説得力がある」
「俺のせいか?リシャールはランに残してきた」
「珍しい、いつも一緒なのに。そういえば、獅子紋の剣もないな」
「ああ、それも預けてきた」
「リシャールに?」
「いや、シャルル、俺のセネシャルだ。まだガキだが面白い奴でな」
シャンパーニュ伯はもう、眼前の問題から逃れようとしているのだ。ロトロアがもたらす新しい話題に飛びついた。
「子供なのか?セネシャルなのに?」
「あ、ああ。まあ、そういう契約だからな」
「変だね。そんなの。子供に入れ込むなどお前らしくない。ジャンが妬くぞ」
「もう妬かれたが。ここだけの話し、シャルルは女でな。騎士見習いだが見所がある」

ティボー四世は深く背もたれに身を沈め、返事をしない。組んだ腕を睨むようにしている。
「それに、剣を預けたというのか」
「あ、ああ。まだ自分の剣を持っていないからな。ランまで連れて来ておきながら、叔父上のもとに置き去りだ。多少は気にしてやらねばならんだろ」
「あの剣をか?私には触らせもしないくせに」
「お前はそういう人間じゃないだろうが。剣は必要な人間の手元に残るものだ。不必要な人間にはろくなことを起さないぜ」
「ふん、失礼だな。私より女を取るのか」
「とるって言うのか、これは」
「いいや、そうだ。お前が今回やけに遅かったのも、私に対してのあの言葉遣いも。距離を置こうとするのもその女のせいだ。そうだね。きっとそうだ」
そう言って隣に座るロトロアにすがるようにしがみつく。
「あのな、テオ、お前どうかしているだろう」
「どうもしていないぞ。お前のことはブランシュ様の次に好きだ」
「一緒にするな」
「お前はもちろん、私が一番なんだろうな!私に最優先のオマージュを捧げたはずだな?」
本来オマージュは対等。恋愛やら友情やら、そういったものとは無縁の契約のはずだが。そう、何度も説明してきたが、この青年には政治も契約も取引も、すべてにおいて人間感情が勝るのだ。
「だからお前は私が一番大切なのだろうな!」
「ええ、ですから。ここにこうして、いるのでしょう?」
「そういう、言葉を使うな!」
ロトロアのわずかな反発はティボー四世の怒りを掻きたてた。
しがみつく手が胸元を締め付け、痛いほどだ。
「テオ、いい加減にしないと」
「うるさい!お前は私に口答えなどするな!お前は私を一番大切に扱うのだ!何より私を最優先する、そう誓ったのだ。その女など、首にしてしまえ!契約など破棄だ。お前の側に女など置かせないね。私が許可しない。勝手に結婚などしたら、許さないからね!」
「……俺は、俺だ。お前に口出しなどさせない」
低く。そう、猛獣の低い唸り声のようなそれに、ティボー四世はひるんだ。ロトロアが本気で怒ったら恐ろしいことくらい、青年も承知。子供の頃の喧嘩では一度も勝てた試しがなかった。
それでもその夜は。旅の疲れか、眠れるようにと飲んだワインの勢いか。ティボー四世は縮まってしまいそうな勇気を無謀にも奮い立たせた。
「その女、私が貰う」
「テオ!」
「文句はないよね?お前のものは私のものだ」
いつ、そう決まったのだ。
ロトロアは苦々しい溜息をかみ殺し、胸元にすがる主君を睨んでいた。
「たかが女一人のために、お前はお前の目的と、私と言う主君を失うなどという、ばかげたマネはしないよね。私がよく知っているロトロアは、何をすべきかを心得た男だ」
「何をしてはいけないかを、心得ているだけだ。お前とは違う」
ぱん、と。頬を打たれ、ロトロアはまた溜息を吐いた。今度はあからさまに。あきれているのだと、主人に示す。それがまた青年の興奮を高めるだけで。
「お前は、私の側にいるのだ!口答えは許さない!黙って私を守っていればいい!セネシャルでもない、ただの従騎士の分際で生意気な口を利くな!」
吐き出した怒号の後は、ティボー四世の納まりきらない息遣いが狭い空間に影を落とす。
ロトロアは、ふと息を吐いた。
「では、自ら分をわきまえ、おそばにお仕えいたします」
静かに吐いたロトロアの台詞。そうだ、それでいいんだ、と言いながら。ティボー四世はロトロアの手を持ち上げ強引に自らの肩に廻す。畑のカカシのように力なくそれは離れ、もう一度と掴めば冷ややかなロトロアの視線に気付く。悔しそうに目を赤くし、ティボー四世はロトロアの胸に額を擦り付けた。
二度と、その額にロトロアの手が当てられることはない。


何の目算もないままのティボー四世は、傍らにただ突っ立っているだけのロトロアを恨めしそうに一瞥し。会合の会場へと歩き出した。
パリから南に下った、小さな村。コルベイユ。
村の集落を見下ろす位置にある、嘗ては礼拝堂であった場所が、今はこの地の領主の別邸となっていた。別邸という響きは宜しくとも田舎の小さな村の領主。こじんまりした石積みの礼拝堂は、正面から入ってすぐに少し広めの広間があるだけのものだった。
一応、周囲をステンドグラスで囲んでいるものの、側廊もない。四角い一つの空間にランプの弱々しい光にやけに白々しくみえる長いテーブルが据えられているだけだった。

入り口は衛兵で固められ、木の扉をくぐるとすでに席は大方埋まっていて、そこに陣取る諸侯がじろりと若年のシャンパーニュ伯を見つめた。右側にマルシェ伯、その向こうにブーローニュ伯。向かいにアンジュー伯。正面には綺麗に伸ばした髭をやんわりとなでるブルターニュ伯。マントを脱ぐ間もなく、「随分のんびりしたご到着だな、テオバルド」と。ブーローニュ伯の嫌味が届く。
いつもなら、ここで。ロトロアが説明し庇う。自然と視線が傍らの騎士に向かっているシャンパーニュ伯に、「返事も出来ないか?」と揶揄が投げかけられた。
慌てて「すみません、途中風邪などで時間をとりました」ともごもごと説明し、ティボー四世は席に着く。

すでにテーブルには空いた皿や果物の皮が散らかり、彼らがティボー四世の到着を待ちつつ一通りの会合を済ませたことを物語っていた。
ロトロアはさらっと全員の様子を立ったまま見つめる。すぐ目の前に座るティボー四世はいつの間にかロトロアの手をテーブルの下で握り締めていた。
ここで手を離しセネシャルでもないロトロアが席を外すのはごく自然なこと。しかしそれをしたのならティボー四世との関係は破綻するだろう。感情で動く青年は母についてまわるひな鳥に似ている。
ティボー四世の真のセネシャル、すでに髪も髭も真っ白なダンデルトが申し訳なさそうな顔つきで見ている。男にわずかに頷いてみせ、ロトロアは切り出した。
「お急ぎの皆様方には申し訳もないが、我がシャンパーニュはとある疑義のために派手な動きが取れません。ティボー四世様と知られず移動するためには、馬車を使うしかなかったのです。機を逸してしまったのでしたら、今回我らシャンパーニュの出番はなかったと言うことで、皆様のご決断を拝聴したいが」
ふん、と。一番近い席のマルシェ伯がにやりとする。
「相変わらず、口がうまいことだな、ロトロア。お前が大人しく我らの話を聞くと言うなら、今回シャンパーニュは動くつもりはないということかな」
「おや、そのようにお受け取りとは。姿勢を明らかにしない我がシャンパーニュには、明かせないような決議がなされたのですか」
父親ほど歳の離れたマルシェ伯リューグはにやにやと笑った。
得がなければ動かない。それはマルシェ伯も同じ立場。前王の義弟として立つつもりのブーローニュやブルターニュより、マルシェ伯はシャンパーニュに近い。ロトロアの本心を隠した語りようを楽しんでいるようでもある。
「決議はまだじゃ。テオバルド、お前はルイ九世を王と認めるか」
一番はなれた位置から大声を上げるのはモークレール。随分と率直な物言いにテオバルドはびくりと肩を震わせた。
ティボー四世、テオバルドにとってルイ九世はこれと言って恨みのない相手。ブランシュの子であれば支援したいとこれまでならば。だが。
「なあ、テオ。お前はブランシュにルイ八世の暗殺者だと烙印を押されたのだぞ。それゆえ戴冠式にも呼ぼうとしない。ここにいる皆は、お前と同様、カペー王朝に敵とみなされた諸侯ばかりだ。今このときにここにいるということは、誰一人としてルイ九世の戴冠を祝っておらんと言うことだ」
随分、大雑把な判断だ。
ロトロアは目を細め、ブルターニュ公を見つめた。
「ですが、私は無実ですし」言いかけるテオバルドの言葉を遮り、モークレールはさらに続けた。
「良いのか?女などにこの国を支配されるのだぞ?お前がブランシュを慕っているのは知っておる。慕った結果、どうなったかもな。由緒あるシャンパーニュが、国王会議(クリア・レギス)より追い払われ、我らと同席しているじゃないか」
先手を打たれた。こういう場では、いかに情に厚いテオバルドとはいえ露骨にブランシュに味方することも出来ないだろう。
ロトロアは目を細めた。
シャンパーニュも抱きこみ、何を始めるつもりだ。モークレールめ。
自然睨みつけ、相手もそれと気付きつつも平然と見つめ返してみせる。
ピエール・モークレール。一時は聖職者となったものの、清貧に耐え切れず神を捨てた男。
欲と名のつくものにはすべて手を染めると聞く。あのリノーラが何ゆえセネシャルとしてこれに仕えたいのかまったく理解できん。いや、色で迫ればそれなりに応えるのかもしれない。この男なら。
ふと、何ゆえリノーラがあのタイミングでランにいたのかと。想いがそちらへと向かう。

「あの。私はブランシュ様に微塵の疑いも、恨みもありません。ただ、ブーローニュ伯には父がお世話になっておりますし、今回のことで我がシャンパーニュにも何かお手伝いが出来ればと、考えたのです。お手伝い以上のことは、残念ながらできかねます。私は今、所領を豊かにすることに心血を注いでいます。王権には興味がありません」

ある意味、真っ当な答えだったのだ。
ティボー四世の言葉に、その場の全員が。ロトロアすら目を丸くした。
「私は、皆様に比べ若輩者ですが、シャンパーニュを治め、そこに住まう民を守るのは同じ。今、盛んになりつつある産業を争いなどで壊したくありません」
この会議自体の意義を問うそれは宣戦布告に似る。甘えん坊だが臆病者ではないのだ。
く、と。小さく笑ったのはロトロアだった。
同時にマルシェ伯もあきれた様子ではあるが「テオバルド、おぬしは憎みきれん性格をしているな」とティボー四世の前のグラスにワインを注いだ。
義理のために召集された席上の諸侯は一様に、言いたくてもいえなかった言葉をティボー四世に代弁してもらったことになる。
「そうですな。すでに戴冠式は始まっている、今急いて事を起す必要もないのではないかな」
そう、マルシェ伯に想いを吐かせる事になった。
「ふむ。生意気ではあるが、ブランシュがこれだけ素早くルイ九世を戴冠させられたのも、彼らの技量。同時にそれだけカペー王家に組する勢力も多いと言うことですな」
「フランドルがついているのも大きい。ノルマンディー公も戴冠式に参列したと言う噂だ」
幾人かが頷き、口々にこの会合に不利益な敵情を話し始めた。

ブーローニュ伯も「何、ヘンリー三世がか。うむ、プランタジネット家とは、盟約がある」と渋い顔で顎をなでた。
どうやら、この会議はこれでお開きになりそうな勢いだ。
ロトロアはふと、自分を見上げるテオバルドの視線に気付いた。
どう、と言わんばかりににこりとするから、肩を軽く叩いて褒めてやる。元々、腹黒いことは苦手な人間なのだ、この青年は。想うことを述べ、それでことが済むのなら。それ以上望むことなどない。

「遅いな」

解散となるかと緊張感の薄れた席上、一人男が立ち上がる。ブルターニュ伯だ。
「すでに、ことは動いている。戴冠式が無事に終わったかどうか、諸君が決め付けるのは時期尚早というものだ」

全員が動きを止めた。視線までも、長いテーブルの端に立つモークレールに繋がれた。
「そ、れは。どういうことですかな」
ブーローニュ伯は青ざめた。
本来この場を作り、召集するきっかけとなったブーローニュ伯。「ことが動いた」と言うそれを、知らないのであれば慌てもする。パーティーの主役はいつの間にか別の男が演じている。
「勝手に何をしたのだ、ピエール」
さすがに義兄弟だけはある。モークレールとは呼ばないらしい。

ふと。ロトロアの口をついて、名が出た。
「リノーラ、か」
小さい声でも静まり返ったその場の全員に届いていた。皆の視線を受け、ロトロアが顔を上げれば、モークレールはわずかに片目を細めた。それは笑みだ。
「リノーラがランにいたのは、ランスを目指すためか!」
「リノーラ。誰だそれは」と首をかしげたマルシェ伯にロトロアが説明した。
ブルターニュ伯ピエールの従騎士で腕の立つ女だと。
「その女がランにいた。それは、戴冠式に何かことを起すため」
「その通りだ、ロトロア。お前もよく知るあれは役に立つ。ことを成さずとも、起すだけでも良い。戴冠式でルイ九世が襲われた。同じ時期にここコルベイユに集まっている我らは。宮廷から見てどう見えるのかな」
マルシェ伯は唸った。
「ピエール、モークレールよ。お前は戴冠式でルイを殺し、この場で自分が新たな王と名乗りを上げるとでも言うのか」
「は、それも面白いな。ではここが新たなクリア・レギスだな」
「冗談ではないぞ!我らはそんなつもりはない!」アンジュー伯が立ち上がった。
「さて。宮廷にどう勘違いされるかは、私も知らない。だが。マルシェ伯、ブーローニュ伯、アンジュー伯、サン=ポール伯。そして、臆病者のシャンパーニュ伯。我らは同じ席におり、同じワインを飲んだ。そこで同じ企てをしていないなどと、誰が分かる」

諮られた。
ロトロアはテオバルドの手がぎゅ、と袖にしがみつくのを感じながら、目の前のモークレールを睨みつけていた。




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