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『La croisade de l'ange 2:Laon』 �

『Laon ‐ランの風は苦く‐』

18
ランスでの国王の戴冠式。
初日は入城の儀式と王の告解で始まり、二日目は大規模なミサと平行し、王は食を断ち一日祈りを捧げる。三日目に、ランス大司教の手により聖別。剣の祝別、塗油、権標の授与。最終日の四日目にはランス郊外のコルベニー施療院に治癒秘蹟。
大体そんな内容なのだと、シャルルも知っている。
王妃と話した翌日、聖歌が流れるのを遠く聞きながら、シャルルはジャンに説明してやった。大聖堂内を自由に出歩いていいというのを朝食のときにベルトランシュに告げられ、ジャンに求められるまま、シャルルは聖堂内を案内していた。
ジャンが見上げる天井は目がくらむほど高く、「これじゃ、ステンドグラスの内容が分かりませんね」とあきれる。
「昔、戦争で焼けたらしくてさ、まだ計画した全部は出来上がってないっていう話だよ。僕にはよく分からないけど、いろいろな街から建設奉仕に人が集まって来るんだよ。だから、この街はいつも賑わってるんだ。でもさすがに、この戴冠式の人出は僕も経験がないな」
「普通の大祭とは違いますから、ね。剣の祝別や塗油は騎士の叙任に似てるから分かりますけど、最終日の治癒秘蹟ってなんですか?」
僕も見た事がないから、と断りを入れながらシャルルは説明する。
秘蹟、神の業により奇跡を起す儀式というものだけど、神がかつて病の人を治したように、聖なる王も同じことをする。コルベニーにある施療院で病気の人を治すらしいよ、と。肩をすくめた。
「本当に?」ジャンが目を見張るのも分かる。
シャルルも初めてその説明を受けたときに、すごいというより、そんなことできるのか、と思った方だ。修道院でそれを尋ねたら、大人は皆「信じる者のみが癒えるのだ」とか、よく分からない説明をした。
「知らないけど、そういう話。行ってみる?」
シャルルの言葉にジャンは大きく頷いた。
「最終日ですし、その前に僕の務めは果たせそうですしね」
「あのさ」
前から思っていた、ジャンの勤め。
「それって何?シャンパーニュ伯に命令されて来ているんだよね?何しに来たんだ?」
にっこりと。屈託なく笑うジャンの肩に裏庭の木々を透かす日差しが揺れた。
「ブランシュ様に会えないことを嘆いている、という意味のお手紙を渡しました」
「それだけ!?」
「後は明日の戴冠の儀の時に、剣や長杖。そういう王としての権標を誰が手渡すかで今後ルイ九世の周囲で力を持つ貴族が分かります。それを確認して報告します。もしブランシュ様からお返事をもらえればそれを持ち帰るのも大切な仕事ですけどね。シャンパーニュ伯は出来れば王家を、ブランシュ様を敵に回したくないとお考えですから、僕らが今回ブランシュ様のお友達扱いになったのは、幸いですよ」
「お友達、か。でも、シャンパーニュがロイを誘拐しようとしたのは秘密なんだろ」
ブランシュはシャルルに何も尋ねなかった。だから、黙っていた。ロイが誘拐されたあの事件も、シャルルがなぜロイと友達になったのかも。
そう考えれば、ブランシュの態度は少し変な気もする。

「複雑ですよね。もしかしたら、ブランシュ様は知っているかもしれない。知っていて、知らない振りをしていたかもしれない。大体、いないことになった方が幸せだと思うなら、友達のティボー四世に保護された方が安心ですよね」

ふわと冷たい風が頬をなで、シャルルは鼻をこすった。
回廊に囲まれた井戸のある中庭に二人は腰を下ろす。日差しに温まったレンガで他よりそこは暖かい。
「よく分からないな、その辺りがさ。じゃあ、宮廷はわざとロイを誘拐させたってこと?」
「シャルル。あの頃はまだ前国王のルイ八世陛下がご存命でした。ブランシュ様がロイをティボー四世に預けたいと願っても、そんなこと、誰にも言えないんじゃないですか?」
ただでさえ、浮気だのと噂されるのに。
「そうか。ブランシュ様ってさ、なんでルイ八世と結婚したんだろ、浮気するくらいならさ」
「ブランシュ様はカスティーリャ王の娘なんですよ、結婚は自分で決められるものじゃないです。母親としてのブランシュ様は愛情深い優しい方です。信用できる相手です」
「そんなの、分かんないよ」
「あれ?シャルル、あんなに抱きついて甘えてたじゃないですか」
「ち、違う!あれは!」
「王妃様が君に優しくしてくれるなんて、僕も想像できなかった」
「ま、まあね」
ブランシュの抱きしめるあのふわりとした感触、シャルルは知らず知らず自分を抱きしめて思い出していた。
お母さんって、ああなんだ。
「ブランシュ様は秘密とおっしゃいましたけど、僕はティボー四世様にはお話しするつもりです。ティボー四世様も、ロイの消息はきっと知りたいでしょうし。シャンパーニュとカペー王朝はロイを楔に裏の世界で手を取り合うことになる。きっと、ティボー四世様もルイ九世陛下の影の協力者になるはずですし、王国は平和になりますよ、きっと」
ああ、わくわくする、ジャンは両手を合わせ天を仰いだ。
「なんだよ、純粋にロイを助けたいわけじゃないんだ」
「助けたいとは思いますけど。僕には二つの勢力を影でつなぐ役割の方がドキドキしますよ。すごいことです」
「あ、そう」
「シャルルはロトロア様に話すんですよね?」
え。
不意を突かれて、返事に困る。
「あれ?黙ってるのは、まずいでしょう?」
「……考えてなかった」
ジャンがあきれた、というカタチに口をあけているからシャルルは逆に尖らせる。
「別に、平気だよ」
「ロトロア様に黙って、ブリュージュを出たりするのはまずいでしょう?」
「……それは今も、同じだよ」
「へ?」

ああ、ジャンは知らないんだよ。
シャルルもそのことは忘れかけていた。自分がリシャールに無断でランを飛び出してきていたことを。
今、ランス大聖堂の庭にいて、出会ったブランシュについてジャンと話している。ロイを探すという目的に少し方向が見えた。これから、どんな冒険があるのかと、多少浮き立った気分だったシャルルは一気に憂鬱になる。ランでの出来事は遠い世界のように現実味がなかった。
「どういう意味ですか、シャルル?」
隣で目を丸くしているジャンだってわくわくするとか言って、舞い上がってるじゃないか。
「リシャールには手紙に残したけどさ。今ここにいるのは、誰の許可も得てない。ロトロアは言ったんだ。ランスに戻ろうと、お前は俺のセネシャルだ、忘れるなってさ。人を所有物みたいにさ。それに、そうだよ!ロイのこと、ロトロアは黙ってたんだ。僕らがここにきて知ったことなんか、もうとっくに知ってたんだ。それなのに僕に黙ってた」
「シャルル」
「だから、僕も黙ってるさ。知らない振りしてやるんだ」
「シャルル!あれだけ大切にされてて、身勝手ですよ!それに契約に違反すればその時点でオマージュはなかったことになるんです。リシャール様がこれは違反だと報告したら、君はロトロア様の元から、追い出されますよ!?」
それは。ニルセンの顔が浮かんだ。もしかしたら、イイコトなのかもしれなかった。
シャルルは契約から解放され、心置きなくロイの捜索ができるのだ。
知らずにシャルルは腰掛けて抱える自分の膝を見つめていた。そこに、あの黒髪の主君が見えるわけでもない。
「シャルル、すぐにランに戻るべきですよ!あ、ああ!どうしよう、僕が一緒に行ってあげます!君一人じゃ、きっとリシャール様と喧嘩になる!」自分のことのように青くなり、ジャンは頬を両手で覆った。
「そんなに困ることじゃ、ないよ。リシャールだって、追ってこなかったし」
「何言ってるんですか!そんな泣きそうな顔して!リシャール様はロトロア様の代わりとしてランに残らなきゃならないんです!リシャール様までランから去ったら、ラン伯に対するロトロア様の面子が立たないでしょう!?それにロトロア様の元を追い出されたら、君に何が残るんですか?今はただの騎士見習いですよ?ロトロア様から受けたもの全てを失うんですよ?馬も、剣も、友達も住むところも、僕だって会えなくなる!あれ程可愛がられていて、それを全部なくすんですか?」
シャルルは泣きそうな顔なんかしてない、と顔をしかめるが畳み掛けるジャンの勢いに黙り、それから膝に顔をうずめる。

僕が、ロイを選ぶのは、ロトロアだって知ってる。

「あ、すみません、言い過ぎました。でも、ほら。とにかく、うーん。ロトロア様に今回のをどう弁明するか、考えましょう!ね?」
膝を抱えるシャルルは小さく見える。普段の少女にしては子供のようで、ジャンは大きく溜息を吐いた。案外泣き虫で、弱いのだと、ジャンには思える。
「シャルル」
シャルルの溜息もまた、大きい。一つ吐き出すと、
「分かった。平気だ。僕が話す。ジャン、お前は口を挟むな」
「はぁ?!」シャルルの言った四つの言葉はどれもジャンを納得させない。
シャルルは言い直した。
「お前が言ったんだ、すこしならロトロアを恨んでもいいってさ。僕に真実を隠していたあいつが悪い。僕がロイに会いたがるのも承知で、戴冠式のことも教えたんだ。リシャールも関係ない、これは僕とロトロアとの問題だ。それに。僕は絶対に、ロトロアを裏切ったりしてないんだ」
そう口にするシャルルは、思いつめた視線を宙に放つ。
確かに。ニルセンにもブランシュにも、ロトロアの名は伏せていた。
「そう。じゃあ、なるべく早く帰りましょう。明日の儀式を見終えたら、僕の仕事は終わるし、そうしたらすぐに発ちましょう」



その夜、昨夜のルイとの約束で、シャルルは王と対面することになっている。
不安がるシャルルを大聖堂に残しジャンは宿に戻った。翌日の戴冠式に立ち会うためには、正装しなければならないからだ。
シャルルは一人連れてこられた部屋で、セジュールが持ってきた二人に対するブランシュの契約書を眺めていた。
「契約、契約ってさ。よく分かんないけど臣従礼の一種?」
「リオネット、と。呼ぶそうだ」
「は?」
ゴホンと、セジュールが咳払いし「ブランシュ様に、お前がリオン・ド・リタと呼ばれるとお話ししたところ、獅子などという恐ろしい生き物ではおかしいから、子ライオンと呼びます、と。そう、お決めになられた。お前もここではそう名乗るように」とぶつぶつ唸るように説明した。
「何それ?」
「いや、だからブランシュ様が。そう決められたのです」
「何で?」
「秘密の友達だとかでしょう。本名を名乗らせるのもおかしいからと」
「仇名みたいな感じ?ブランシュ様ってそういうの好きだな。ロイとかルーとか」
「秘密がお好きなんです。ベルトランシェから仕事の依頼をさせます。お前の名と住んでいる町、両親の名と職業。生まれた日をこれに書きなさい。そこにサインして。謝礼は一日につき七エキュ」
ええと。
とシャルルはセジュールを見上げた。
「文字がかけないのですか?」馬鹿にした薄笑い。
シャルルはむ、っとして、「ブリュージュのリーア通り在住。ランスの修道院出身、フランドル伯ジャンヌが母親という噂。現在はリタ村の封を受けロトロア伯の最年少セネシャル。生年月日は不明」と書きなぐった。
「お?」
「正直に書いてやったんだ。文句言うな。サインは?どの名前で書けばいいの?リオネット?リオン・ド・リタ?」
シャルルだって、仇名みたいなものだと。ふとそんな風に思った。
「孤児、か」
小さく呟き、羊皮紙をそっと丸めるとセジュールは改めて背筋を伸ばした。くぼんだ瞳からきらりと見つめられ、シャルルも何となく立ち上がる。
「もうじき、陛下がいらっしゃる。くれぐれも、失礼のないように」
ごくり、と。なぜか唾を飲み込んだ。

そこはルイの部屋。煌びやかな装飾がついた天井とランプの炎が数え切れないほど輪になって揺れるシャンデリア。いつか、大司教様の部屋に入ったことがある。ふかふかした絨毯は同じような気がする。
あの時は自分も小さかったし、大司教様に顔もあげられなかったからあまり覚えていなかった。ランス大司教様。僕のこと、憶えているんだろうな。でも、今は会えない。会わないほうがいい。たぶん。
シャルルはルイが言っていた、「大司教は知らないと言っている」という話を思い出していた。ランスではあの事件を隠している。もちろん、シャンパーニュも。
僕も、ここは黙っているしかない。

壁際のテーブルには金の蝋燭立てに炎が三つ揺れている。分厚いカーテンの向こうは大きな窓だろう。
重そうな大理石のテーブルに、毛皮のソファー。柱ごとに彫られた天使の像は花台になっていて、今は果物の入った大皿が置かれている。飾り物と化した葡萄がガラス細工のようにつやつやとしていた。
何となく、それの近くまでよると、少し背伸びして葡萄のひと粒に手を伸ばす。

「そんなもの、食べないほうがいい」
びく、として振り返れば、ルイが背後にベルトランシェと二人の衛兵を付けて立っていた。
「え、あ、そういうつもりじゃないけど」

何でいつも、こいつは僕の隙を突くような登場のし方なんだろう、そんなことに妙に苛立ちながら、シャルルはルイの前に立った。お前座れ、膝をつけ、と言わんばかりにベルトランシェが睨みつける。その手が剣に触れたままだから、シャルルはふん、と一つ息を吐いて膝をついた。
僕だって、一応騎士見習い。身分が高い人に対する礼節くらい、学んでいる。
「似合わないね」
顔をあげれば、ルイが真顔で呟いた。
せっかく人が最敬礼しているのにか?
むすっとすると、ルイは目を細めて「獅子の子には少し、可愛すぎるね」と笑った。似合わないって、仇名のことか。大体、この少年王はいつも笑っているな、とシャルルは思い出す。
「ベル、二人きりにしてほしい」
「かしこまりました。リオン」
なぜか、この騎士だけはリオンと呼ぶつもりだ。差し出されたベルトランシェの手を睨んでみた。
「何をしているのですか、お前の剣を。陛下と二人きりで帯刀を許すはずはないでしょう?」
「あ、そういうこと」
だったら、最初からそう言えばいい。そんな尖り気味の気分でシャルルは獅子紋の剣をベルトランシェに渡した。
「ちゃんと返せよ、大事なものなんだからさ」
「お、まえは……」
ルイが睨みつけるベルトランシュを部屋から追い払い、代わりに女中が一人入ってきた。
どうしていいのか分からず、シャルルはただ、女中に服を着替えさせてもらうルイをつったって眺める。
王様ってのは、自分で靴一つ脱がないんだな、そんな感想を持ちながら。

女中がルイの脱いだ服を持って出ると、また別の女中が入ってくる。その手には、青いドレスらしき塊。
嫌なことを思い出す。
あの修道院で院長が嬉しそうに。どう見ても、この場の誰がそれをって、シャルル以外に着る人がいるはずもない。
「…着替えないから」
「陛下よりのお心遣いです。まさか、そのような服のまま陛下のおそばにいるおつもりですか」と、きりりと美しい女中が睨みつけた。シャルルの勘は当たったらしい。

「嫌だよ、そんなの。騎士はドレスなんか着ない」
肩越しにルイを見つめれば、「君にはちょっと可愛すぎるけどね」と笑うだけだ。
「嫌だって!だいたい、こんなとこで着替えるなんて」
くく、と。ルイの笑い声は女中の向こうから。目の前に迫る女中の胸元をドレスごと押し返し、シャルルは抵抗を試みる。
「陛下のご命令ですよっ」
「嫌だってば!」するりと脇を抜け、シャルルはルイの背後に回る。
「んま!陛下を盾にするなど、なんという無礼!」
「うるさい!」
「いいよ、リサリ、そこに置いておきなさい。気が向けば自分で着るだろうし。私からのプレゼントだから」
「はい、陛下」
ルイには媚びるような高い声で返事をし、美しく礼をすると女中は部屋を出て行った。
「僕はドレスなんかいらないから」
「戴冠式に、出たくないのかな?正式な服装でないと許さないよ」
「遠くから見るからいい」
「戴冠式で国王に長杖を渡す役は代々フランドル伯が担う。今回はジャンヌが来ている。会いたくはないかな」
フランドル伯ジャンヌ。
もしかしたら、お母さん。

「君のことをね、この大聖堂で尋ねれば、皆いろいろと教えてくれる。ジャンヌの子だと、噂されていたことも。それを着なければ、戴冠式には列席させない。近寄ることもさせない」
「…性格、悪いって、言われないか?」
「思っても口に出す者などいないからね」
気持ち悪い奴、という第一印象はまさしくその通り。
シャルルは、ため息をついた。
「じゃ、明日着るから」
「今ここで、着てみなければ似合うか分からないだろう」
「女性の着替えを見る趣味あるのか」
「君が女性?」と肩をすくめる。
いちいち人の気持ちを逆なでしているのに、それを楽しんでる、こいつ。
「あ、そう!そうだよ、僕は男だからね」
と声を荒くし、シャルルは椅子に掛けられたドレスを掴んだ。
ルイがテーブルの呼び鈴を鳴らし、先ほどのリサリという女中が入ってきたときには、シャルルは派手な勢いで上着を脱いでいた。
「んま!こちらへ!」

女中は慌ててカーテンの向こうへとシャルルを連れて行った。
「なんだ、別室があるならそう言えよ、ばか」
シャルルは小さくつぶやいた。



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『La croisade de l'ange 2:Laon』 ⑲

『Laon ‐ランの風は苦く‐』

19

青いドレスはあの時、ロンダにもらった以来の女の服。
ろくなことが起こらないんだ。心地悪さを思い出し、ますますシャルルは憂鬱だ。
「あら、こうすればみられるじゃない」
と、偉そうに女中に笑われ、シャルルは口元に紅を塗ろうとするその手を叩いた。
「いらないってば!」
「んまぁ!それが淑女のなさることですか!?」と逆上され、いつの間にか増えた女中三人に押さえつけられて、なすがまま。
はあ、と。誰だよこれ、とシャルルが鏡の前でため息をつくころには、満足そうにリサリがルイに声をかけた。
「陛下、何とかなりました」

何とかなったっていい草も失礼だろうとむかつきながら、背中を押されるまま、先ほどの部屋へと戻る。
一人の女中がシャルルの服を持ったまま退室しようとするから、「ちょっと、それ、かえせ!」と、とにかくしがみついた。上目遣いで見つめるシャルルを、同年代の女中はどう思ったのか、手を緩め渡してくれた。いつもの自分に戻るための退路をやっと死守した気分だ。

はあ。と。溜め息をはき。
なんだか、ここに来た理由ってなんだっけ、と情けない気分に浸る。その肩にぽんと手が置かれた。
振り返れば、ルイがにっこりと笑っている。
「こっち」
「なんだよ?」
白い手がしっかりつながれて、シャルルは引かれるまま歩く。
ついて行けば先ほど着替えたカーテンの向こう、そこはそう。寝室。
「!?あの、何のために僕をここに呼んだんだよ?」
「ああ、聞きたいことがあるから」
「じゃ、こっちの部屋でいいだろ」
「せっかくきれいになったのに、無粋だよ」
「何がどう、無粋なのかというか、その。意味が分かんないだろ!」
手を振り払う。
「あれ?そうか、君、男の子のふりをしているから、まだなんだ」
まだってなんだ、まだって!
また手を伸ばそうとするから、ひらりと飛び退く、つもりが。着地と同時に裾を踏みつけた。
「わ!?」
どたんと尻もちをつき。「いて、だいたい長すぎるよ!こんなずるずるした」
だから嫌いなんだ、ドレスなんか。
と。目の前に手。
「て?」
トンと肩を押されれば、不安定な体勢も手伝ってあっさり背中に絨毯が当たる。
目の前に迫るルイに、ぎょっとして思い切り頬を叩いてやる。
「!!!」
声にならない何かを発して、ルイは顔を押さえて座り込んだ。
「お前、十二歳だろ!?なんだよ、その変態ぶりは!」
「関係ない、私の言うことを聞かない女などいない」
可愛げのない台詞を吐いて、ルイは床に膝をついたまま、立ち上がるシャルルの裾を掴もうとする。
「このっ」蹴りはドレスに阻まれて幾分和らぐ。それでもしっかり当たった感触、何か唸ってルイは腹を押さえて座り込んだ。

「言ったろ、僕は男なんだ。お前の言う事なんか聞かない」
「……ランス」
「え?」
「ランスであったこと。ロイを誘拐した犯人。君は知っているね」
ゆっくり立ち上がったルイは、またあのいつもの笑み。殴られても蹴られても懲りないのは忍耐力を褒めるべきか。いや、やっぱり気持ち悪いだけ。
「知らないよ」
「嘘をついては困るな。ロイを探していたのはなぜだい?君は誘拐の事実を知っていた。ロイが王子だということもね。平和なランスで事件があったのは十一月の臨時聖堂参事会が開かれた夜。君が誘拐されたのだと司祭は言っていた」

ごくりと、シャルルは警戒し口も心も堅く閉じ、身構えは美しいドレス姿に似合わない勇姿。
ルイはふ、と首をふり、顔にかかる前髪を払った。
「王領のリスリア村で、ロイはいつもどおりの生活をしていた。護衛の騎士は二名。屋敷には乳母と女中が一人。その日、馬の蹄鉄の修理のために鍛冶屋が呼ばれ、騎士は屋敷内の馬屋にいた。女中は食材の買出しで市に。屋敷内に三人の騎士が入り込み、一人は馬屋を見張る。一人は裏口。もう一人は正面から。そして、首謀者は離れた場所に身をおく」
なにを、言ってるんだ、こいつは。
シャルルはルイの話に立ち尽くす。今また、一歩。ルイが近づいたことにも気付かない。

「合図は教会の鐘の音。一斉に襲撃した彼らは、ロイを捉えようとした。顔の半分を兜で隠した彼らは乳母を殴り倒した。驚いたロイは窓から庭に飛び出す。騎士の名を呼んでも、賊は騎士を厩に閉じ込め剣を構えている。ロイは庭を走り出したけれど、正面にもう一人の賊を見つけた。ロイは慌てて庭の石垣が崩れている場所、そこに向かった。白馬の騎士が追ったときにはロイはひび割れた石垣の隙間から走り出していた。子供を馬で追うのだから、余裕だと思ったのだろう。騎士はのんびりと白馬を駆った。予想外だったのは。丁度市場で仕入れた食材を積んだ女中が、荷馬車で通りかかったことだ。ロイはそこに駆け込み、女中は慌ててロイを乗せ走り出す」

それは、あまりにリアル。ルイは見ていたのかと思うくらい、克明に話した。
「女中も馬を操れないわけじゃない、だけど荷を積んだ馬車では逃げ切れない。ロイを馬の背に乗せ、馬車から外すと、その尻を叩いた。馬はロイを乗せたまま、走り出す。そう、そして辿り着いたのが、ランス」

「なんだよ、それ。なんで、そんなこと知ってるんだ」
ルイはシャルルの肩に手を乗せた。
「女中や乳母、騎士たちから報告を受けたすべてだ。シャルル、白馬の騎士は名の知れた男だった。シャンパーニュでは知らぬもののない、男。見たのは女中だけだが、あいにく年頃の女性の方が、諸侯の、特に若い当主については詳しい。獅子紋の剣、丁度君が持っていたのと同じものを、騎士は腰にさしていた」
ロトロア。にやけた黒髪の男を思い出し、シャルルはごくりと唾を飲んだ。
知られて、いるじゃないか。

「シャンパーニュ。シャンパーニュ」
ルイは吐き出すように呟いた。
「うるさい、本当にうるさい。あの当時もそうだった。そして父上が亡くなったときにも。シャンパーニュはいつも我がカペー家に嫌な思いをさせる」

ルイの手に力がこもる。暗い何かを灯した視線はシャルルをぞっとさせた。
子供らしさの欠片もない、王。
「シャルル、君のご主人はロトロア伯だそうだね。あの事件の日。ロイと供に行方をくらました君が、なぜ今シャンパーニュにいるのかな。ロトロア伯は」そこでくすと笑った。
「子供趣味なのかな」
思わず眼を閉じた。ロンロン、まずいんじゃないのか、これ。

ふと頬に当たる手に気付いて目を開けた。
すぐ目の前に、ルイ。
「ね、シャルル。ロイを誘拐したロトロア伯も、父上を暗殺したティボー四世も。罰しようとすればいつでもできる。兵を差し向け、村を焼き、城を落とす。簡単なことだ。だけどね。敵は殺すより利用する方が賢いのだと私は思う」

耳元にルイが口を寄せた。
「君や、あの坊やを使ってね」
ぞく、と。
震える。
つ、とルイの手が、シャルルの頬から首、鎖骨をなぞる。そのまま、胸元へ。
「ぎゃ!!?」

やっぱり殴り倒されて、ルイは床に座り込んでいた。
「触るなってば!」
「言うことを聞かないなら、シャンパーニュを狩る」
「そ、それ!?」なんだ、それ!?
「ねえ、シャルル。私にはその力がある。お母様が何をお考えなのか知らないけれど。ロイを探すのはもちろん、他にも、私のために役立ってもらうよ。とりあえず、ベッドに行こう」
バチン、と派手な音がルイの言葉を遮る。
「だから!それは嫌だって言ってるだろ!」
頬を押さえ、幼い王は苛立ちを眉にあらわした。ずっと笑っていた、あの気持ち悪い顔もさすがに怒りで歪み始める。
「シャルル、私に手を上げるなど、何度も」
ルイが伸ばしかけた手は空を切る。
シャルルはドレスの裾を膝上までかかえた格好で扉の側に避難している。
「そういう目的しかないなら、僕は部屋に戻る!シャンパーニュのことはシャンパーニュの人間が何とかする。僕には関係ない。僕はロイのためにここにいるんだ!シャンパーニュのためでもないし、ランスのためでもない!お前のためでもね!」
かっこよく言い放ったのだからさっと姿をくらますのが正解だが。手を伸ばした背後の扉はしっかり外から鍵がかかっている。
くそっ。
振り向いてふと、ルイの視線がむき出しの自分の足に向いていることに気づく。
「ホントに、変態少年王だな!」
「変なあだ名をつけるな!」
飛び掛るルイなどさらりと交わす。邪魔な裾がなければシャルルが不覚を取ることはない。
「この、待て!」
追いすがるルイをシャルルは片手に服、片手に裾を握り締め、身軽に駆け回った。
どれだけルイが追いかけても、ソファーに乗っていたクッションを投げてきても。ただ逃げるだけ、一対一なら負けるはずもない。
「ええい!」
ルイが業を煮やし、ベル!と声を上げるから。シャルルはそそっと扉の側に駆け寄る。
ベルトランシェが扉を開けた瞬間。それにあわせてぐんと扉を引っ張った。騎士がバランスを崩すその隙に、さらりと飛び出していく。
ベルトランシェが持っていた獅子紋の剣もいつの間にかシャルルの手にある。
「な!?お前!」
不意をつかれたベルトランシェが王に怒鳴られている間に、シャルルは大聖堂を駆け抜けた。そのまま、ジャンのいる宿に向かったのは言うまでもない。


見たことのない生き物を見つけた顔をしていた。
「シャルル、ですか?」とジャンが。
「お嬢さん、どちらさまで?」と宿屋の主人は目が悪いのか、指で瞼を押し上げた。
遅い時間にドンドンと扉を叩いて迷惑顔だった主人も、その背後にいたジャンも。ドレス姿のシャルルに言葉がない。
しかも裾をはしたなく捲り上げて足をさらしているのだから。ジャンが頬を赤くしながら、「シャルル、その格好は」と視界を手で塞ぐ。
「あ?ああ、これさ、あ、いいから部屋で」
言葉を口にすればいつも通りのシャルル。
ジャンはそれで少しは落ち着いたのか、シャルルが着ていた少年の服を受け取ると、二階へと連れて行く。
「おやすみなさい」と手を振る宿の主人がニヤニヤしていた意味は、二人には分からないだろう。

ドレスの贈り主について、シャルルが熱く怒りをかみ締めながら語り、ジャンは抱えた枕を縦にしたり横にしたりしながらそれを聞く。クウ・クルはシャルルのいつもと違う服、匂いが気に入らないのか、近寄ろうとせずジャンの脇に寝転んでいた。

「知ってるんだよ、あいつ。ロトロアのこと。それでいて、わざと知らん振りしてる」
はあ、と。ジャンは溜息を枕の柔らかなくぼみに落とした。
「僕より一つ年上ですよね、ルイ様。そんな方なんですね」
「そう、変態少年王!」
「それは、言いすぎですけど。やり方に問題はありますけど、男たるもの女性に対して当然そういう気持ちはあるものです。騎士物語では、お仕えする貴婦人に求められたら断ってはいけないって言うくらいで」
「お前もそういう感情あるのか!?」僕に、といわんばかりに自分を指差す。
「あの、いや、その。僕は、まだ。そういうのあんまり分からないです、けど。きっと王様ともなると違うんですよ。女性は早い人ならシャルルの年齢で結婚しているでしょう?シャルルだって、十一歳で許婚がいたくらいじゃないですか」
「でもさぁ、結婚してないのにそれ教会の教えに反するし、罰当たり……」
そこでふとジャンの視線に気付く。眠りかけていたのか、眠いのか。とろりとした大きな目はいつもよりもっと垂れ気味で、幼く見せる。
「ジャン?」
「似合いますね、綺麗です。僕が思ったとおりだ」
「何が?」
「君が。言ったでしょう、ロイが王様だとしても君なら御寵愛を受けられるって。それ、ロトロア様に見せたらきっと」
「殺される」
「へ?」
「前に言われたんだ。二度と俺の前でそういう格好、つまり、こう胸元とか出てる奴ね、そういうのはするなって言われてる。僕の男装はある意味命令だし、ロンロンの趣味なんだ」
シャルルは威張って言い放つ。多少、意味合いが違うのだが、反論する本人はここにはいない。
「は?趣味…?」
ジャンは憧れの兄貴分、ロトロアの肖像がシャルルと話すたびに崩れていく気がして、それ以上シャルルの言葉の意味を追求する気も失せていた。
「とにかく、国王陛下の話では、ブランシュ様との契約を利用してシャンパーニュを罠にかける場合もあるわけですから。僕はやっぱりティボー四世様と相談しながら約束を果たします」
「ジャンは、なんて呼ばれるんだ?」
「ジャンです」
むむぅ。「なんだ、そのままじゃないか」とつまらない気分を顔全面に出しながら、シャルルはドレスを脱ごうと四苦八苦。
「どこか他で着替えてくださいよ、シャルル!」
「じゃあ外で着替えろっていうのか」
結局、脱ぐのを手伝わされたジャンは、最終的には鼻血を出し、頭が痛いとベッドにもぐりこんだ。風邪を引いたのかジャンは熱があるようだ。
心配するシャルルに「たまにありますから、平気です。寝ていれば治ります。いいから早く服をちゃんと着てください」と、ジャンは毛布で顔を覆った。

「明日、さぁ。フランドル伯ジャンヌ様が、来られる」
シャルルの呟きに、ジャンは毛布からちらりと顔をのぞかせた。
「だから、僕。戴冠式には行かない」
「ええ?」
フランドル伯がお母さんじゃないかと思うと、昨日シャルルが話したばかりだ。
「なんでですか!?チャンスじゃないですか!そのために陛下の前でドレス着たんでしょう?」
「あれは悔しかったし勢いだし。だってさ、だって」
「威張っている割に意気地がないんですね」
シャルルは黙った。
「いいですよ、好きにしてください」
ジャンは再び毛布の闇に隠れた。

聞いてくれないのか。
だってさ。
僕はいなかったことにされている、要らない奴なんだ。
それはロイみたいに病気だったからじゃないんだ。
僕が、僕だったからだ。

ふわりとした枕はシャルルの頬も溜息も受け止める。もぐりこんできたクウ・クルはシャルルを笑わせようと喉もとで何度も寝転んでは体勢を変える。
「くすぐったいよ、ばか」
だから。シャルルは眠れなかった。


『La croisade de l'ange 2:Laon』 ⑳

『Laon ‐ランの風は苦く‐』

20

大聖堂の鐘の音が朝を知らせる。まだ霜の消えきらないその時間にも、人々は大半が起きている。すでに通りには市へ向かう女性や子供、物売りの声がこだましている。
それが宿の窓からも聞こえるのに、ジャンはぐったりと眠ったまま。
「なぁ、ジャン。仕事だろ?戴冠式見に行くってさ。僕はどうでもいいけどお前は行かなきゃまずいんじゃないか?」
毛布を覗き込んでも、丸くなったジャンはううーと唸るだけ。
やっぱり風邪でも引いたんだよお前、馬鹿だな、と言ってみても状況が変わるわけでもない。くたりと横たわる少年にもう一度しっかり毛布をかぶせ、シャルルはジャンの荷物をあさる。
何か、薬があるのかもしれない。
そう思っても、布袋には見知らぬ乾燥した草や種みたいなものがあるだけで、どれが薬なのか分からない。とりあえず袋ごと枕もとに持っていくと、ジャンはうっすら目を開けて、一つ薬草の入った瓶を指差した。
「宿の主人に煎じてもらいます。あの、シャルル、僕の代わりに戴冠式、出てもらえますか」
「お前の代わり!?」
「戴冠式の様子、誰が来ているかとか。それだけでいいですから…」
「分かった、じゃあお前の衣装を貸してくれ」
「…ドレス、着ないんですか」
「だってさ、一人じゃ着られない」
「うじうじと、言い訳しては行かないつもりですね。男らしくないな。じゃあ、いいです。僕が行きます。風邪をこじらせて死んだとしても本望、命をかけて僕が」
「分かったよ!分かった!行けばいいんだろ!」
脱いだのだから、着られるのだ。たぶん。


くしゃくしゃの髪はともかく、宿の女将さんに手伝ってもらいながら、何とか形を整えて、シャルルは部屋を出ようとし。ふと振り返る。
「なあ、ジャン。剣はどうやって持ってくんだ?」
「騎士でもないのに帯刀が許されるわけないじゃないですか。僕だってそのつもりでしたよ」
呆れるジャンの声を背に、いざ。戴冠式へ。
腰に差す剣がないのは何とも心細い。肩のクウ・クルだけは意気揚々と尻尾をぶんぶん振り回していた。どうせ、厩で遊ぶのが目的だ、こいつは。

「僕はお前を運ぶ役じゃないんだぞ、クウ・クル」ぶつくさ言っても、大聖堂の門をくぐれば白イタチは馬の匂いにぴょんぴょんと跳ねる。地面に降り立つと一気に馬小屋の方へと走って行った。
「故郷を楽しんでるの、お前だけだな」
恨めしそうなシャルル。イタチに罪はない。


聖堂の入り口に立つ衛兵は、昨日シャルルとジャンを案内した同じ男。
「なんだ、お前女だったか」と呆れたように笑い、「セジュール様に聞いている。こっちだ」と案内してくれた。
すでに礼拝堂の内陣は人でいっぱいだ。離れた位置から見るしかなさそうだ。さすがに戴冠式の山場である式典は見物の人出も多い。
貴婦人たちの香水の匂いにむせてくしゃみを三回。これじゃ、クウ・クルは絶対近寄らないな、と鼻をすする。
衛兵が案内したのは礼拝堂のベンチが並ぶ一番後ろの列でしかも端。目の前の背の高い男のために、あまり見えない。
「なんだ、見えないじゃないか」一人こぼしながらつま先立ち。それもその内疲れてしまい、山場になった時だけでいいかと大人しくベンチに沈む。
ジャンが仕事だと言っていた、誰が来たかなんてことはシャルルには分からない。第一、誰が誰って名を聞いたってさっぱりだ。後でセジュールに聞けばいいやと、見物を決め込む。何しろこんなに大勢の貴族をいっぺんに見る機会などない。
ステンドグラスの華やかな絵柄が地上に舞い降りたみたいな光景に、シャルルは自然と心が浮き立った。

パパーン。
と、どこかでラッパが吹き鳴らされた。それが合図なのか、皆静まりかえった。
会場の全員が背後にある礼拝堂入り口を振り返っている。
なんだ?
慌ててシャルルも背後を見つめた。
背の高い大人たちのために右に左に、何度も身体をよじってみる。
隙間から見えた扉は開かれている。ラッパを見つけ、これがさっきのだ、ともっとよく見ようと背伸びする。
静まり返っていた。

扉から厳かに、ルイが姿を現した。両脇をベルトランシェと、近衛兵らしいのが警備している。その後にブランシュ、柔らかな髪が窓からの日差しにフワフワとして、シャルルは目を細めた。自然、口元に笑みが浮かぶ。
続いて偉そうな貴族らしき人々が何人も続く。
行列はゆっくりと中央の通路を真っ直ぐ進む。同時に観衆の視線をも引き連れていく。ルイが真っ直ぐ見つめる正面の聖壇。今や全員が、一つの場所を見つめていた。

きらびやかな聖像を前に、一人壇上まで進んだルイは片膝をついた。正面に立つランス大司教を見つめる。ルイの華奢な肩には重そうなマントが、床に流れている。ランス大司教が長い説教をはじめた。その間ずっと微動だにしないルイはやはり忍耐力があるのだ。昨夜のルイを思い出す。
変態少年王のくせに。とシャルルの呟きは声にはならない。

聖歌が歌われ、ランス大司教がルイの前に立った。厳かに聖油の青い瓶を持ちあげると、それが合図なのか両脇に立つ司祭が王の周囲に近寄り、そのマントをゆっくりと脱がせる。まだ華奢な肩があらわになった。
大司教は瓶から金色の細いものを取り、それの先でルイの足に一滴。腕に一滴、胸に一滴。最後に額に一滴と、聖なる滴をつけて行く。

「聖標を」静かな大司教の言葉に、背後に控えていた大貴族たちが立ち上がる。
ぞろぞろと列をなし、順にルイの前に来てはその手に足に、拍車や籠手、冠などをつけて行く。
その中に一人だけ女性の姿を認めた。
シャルルは腰を浮かしかける。
ルイが言っていた、長杖を渡す役だと。

フランドル女伯、ジャンヌ。
広大で豊かなフランドル、かつてはひとつの公国であった。ジャンヌは公国の継承者でもある。シャルルはできるだけ首を伸ばし、その姿を見ようと右に左に、居並ぶ後頭部の隙間を探す。

金の髪。つややかなそれは白く華奢な襟元に流れる。まっすぐ長く、二つに分けられたそれが女性の胸元に沿って揺れた。白い衣装は首元まできっちりと締められ、それが女性の美しい身体を余計に想像させた。ブランシュとは違う、澄み切った朝の空のようなさわやかな身だしなみ。
「綺麗だ」ふとシャルルが漏らした一言に、隣の青年が表情を緩めた。
手を口に添えて、そっと教えてくれた。
「ジャンヌは今年二十七歳になるという。五歳でフランドル伯を継いでいるから名は知られているが、まだ十分若く美しい。諸侯のあこがれの未亡人だよ。高い身分の女性と婚姻することは家の繁栄をもたらすとあって、この美貌の女性が夫を失ったことは諸侯の政略結婚地図に新しい宝の在処を記すことになった。ほら、若い貴族の男性は皆、熱心にジャンヌを見つめているだろう。噂では、ルイ九世陛下が最初になさるお仕事は、ジャンヌに新たな結婚の相手を用意することと言われている」
シャルルの視線はジャンヌを見つめたまま。話しかけた男に尋ねてみる。
「前の、あの亡くなったっていう…」
「ああ、ジャンヌの元の花婿リチャードのことか。前国王ルイ八世が王太子の頃、フランドル伯とカペー家は争っていた。リチャードは捕虜となり、そのまま亡くなったよ。当時まだ、十代前半、今の君と変わらないくらいだったジャンヌはしばらく臥せっていた。私が王位に就く少し前だったから、もう十年以上も前になるな」
「十三年前、だよ」その臥せっていたときに僕が生まれたとされるなら。
青年は改めてシャルルの方を見つめた。少し乱れた派手な金色の髪を獅子のように振り乱し、視線はまっすぐ、壇上のジャンヌに向ける少女。青年はほとんど無視されている。こんな風に女性に扱われたことのない身分の人間だと、シャルルは気付いていないのだ。

「君は変わった言葉使いをするね。どちらのお嬢さんかな?伴も連れずお一人とは」
そこで初めてシャルルは隣にいる男の顔を見た。青年は淡い金色の髪を短くし、目じりの下がった青い瞳が高い鼻の両脇に鎮座する。よくよく見ればまだそばかすもある。
痩せた色白の青年は見た目の割に老成した口調で、いや、貴族ってやつは皆そうなのかもしれないけれど。どうもその緩やかな発音が耳についた。そう、外国人、みたいな。
「リオネット、と呼ばれているよ。リタの田舎育ちだから。そちらは?イングランド、あるいは北の訛りのように思うけど」
「……訛りではない。我らの言葉が正統。君は認識を改めるべきだな。我が国の言葉ほど美しいものはない」
青年は遠い目をし、その視線を追うとそれはルイを見ていた。
「ルイ、幼くして王位を継ぐことがどういうことなのか。これからが試練だろうな。あるいは、あのルイ八世の息子であれば、大人しい様子の下に好戦的な策略家の血を宿しているのかもしれない」
ルイ八世のことをよく知っているような、口ぶり。
この人、いったい?そこで初めてシャルルは疑問を持った。よく見ると周りは従者らしい騎士がたくさんいるし、この人、冠かぶってる。
もしや身分の高い人?気付いたところで、それの隣にいる状態はすでに手遅れ。大体、そういうのの隣に案内したあいつが悪いよ。
衛兵は外でくしゃみをしているかもしれない。
「あのー、貴方は、どなた?」一応、少し敬語。
青年はふと笑い。
青年の背後、つまりシャルルのすぐ後ろに控えていた男が唸るように告げた。
「イングランド王ヘンリー三世陛下です。紋章や冠を見て分からないのですか。子供とは言え、わきまえなさい」
イングランド、王…。
「何でこんなとこに座っているんですか」と呆れてシャルルが見上げると、青年の手がシャルルの頭をなでた。
「この招かれざる客をどう扱うか。セジュールが苦心惨憺した結果だろうな。諸侯の手前もある。我のようなものですら、このような末席に据えられる。カペー家とプランタジネット家は相互に敵であり、血を分けた親族でもある。この複雑な王家同士のつながりは、臓腑をえぐるような憎しみすら耐えて笑わねばならない。君のように、無邪気ではいられないのだ。あのルイも同様。幼いうちから冠を戴くものは、子供でなどいられない」
陛下、と背後の男がまた、困ったように囁く。
「よい。これが大貴族の血を引くとは思えまい。たまたま居合わせた小娘、面白いではないか。リオネット、と申したか。我が国に来てみるか?私はノルマンディーで生まれたのでな、フランス人を何人か側においている」
「陛下」慌てたように男が唸り。ヘンリー三世はくすくすと笑った。
「フランス人は好きだ。我がままで素直、心根が暖かい。イングランドの宰相たちのように気難しい輩ばかりでは肩が凝ってならん」
「あの…僕は。カペー王朝にお仕えする、つもりだから」
「なんだ、ふられたな。気が向いたなら訪ねるがいい。私は美しいものは拒まない」
ふと、甘い香り。
シャルルは頬にふにゃと。そう。キスを感じて「わ!?」と立ち上がった。
しん、と。

それまでは確かに、皆。周囲の貴族たちもこそこそとおしゃべりしていたくせに。一斉に静まり。立ち上がったシャルルだけが視線を集める。
「あ」
ランス大司教は目を丸くし。しっかりとこちらを振り返る金髪のジャンヌ。その瞳は、シャルルとは色が違うようだが。視線が合うと瞬間に息がとまったような感覚。
この人は。この人は。
お母さん?
「この馬鹿」と。不意に背後から引っ張られ、振り返ればセジュールがあの冷たい顔を真っ赤にして睨みつける。「あ、のちょっと」と、言い訳も何もなく、兵に囲まれその場から引きずられる。
セジュールが視界の隅で、ヘンリー三世に頭を下げていた。

もっと、見ていたい、フランドル伯ジャンヌ。
お母さんかもしれない、女性。
もう一度と振り返れば、ふとルイの表情が目に入る。
冷たい視線だった。あの薄笑いもなく、微塵も変化しない顔。
シャルルは力が抜け、ずるずるとされるがまま引きずられていった。


散々怒鳴りつけられても、シャルルはじっと黙ってうつむいていた。
「お前は、似合いもしないそんな恰好で」
これは仕方なく着ているのだとか、そんなことをいちいち話す気分ではない。薄い青色のドレスの膝には手触りのいいレースがついて、ひらひらとシャルルの指に玩ばれている。華奢な肩が半分ほど出たそれは、この季節には少し寒そうに見える。
いつもと違い反論も何もしないシャルルにセジュールはため息と共に上着をかけた。

「陛下も酷なことを」小さくつぶやいた青年のそれは、シャルルに届いたかどうか。
青年ははっきりと言いなおした。
「ブランシュ様がどうお考えかは知らないが、我らはお前のような子供に何も期待していないし、簡単に言えば迷惑だ。お前が逃げ出したことにして、ブランシュ様に契約は破棄されたと報告してもいい」
「ちょ、っと!待てよ!僕はちゃんと契約したんだ!セジュールさんだって見てただろ!」
はあ、と。青年はまた暗い顔をしてため息をついた。どうもこのセジュールはいつもそんな顔つきだ。生まれつきかな。ふと、ヘンリー三世が気難しい輩、といった言葉を思い出し。シャルルは首をかしげて見上げた。

「まあまあセジュール、その子は目立つ性分なんでしょうね。式典の最中にイングランド王は誘惑するわ、大声を上げて台無しにするわ。前代未聞です」
これまた難物が入ってくる。
長い髪を揺らした美しい騎士。ベルトランシェだ。
「しかし!この私が苦労して練り上げた式典を台無しにしたんですよ!こんな子供の世話まで言いつけられて」
「ブランシュ様のお遊びなのです、いいではないですか。陛下もなぜか気に入っておられる。ただし、リオン。身分をわきまえ、節度を持って行動する。騎士となるなら当然のこと。今回のような無礼な真似は二度と許しません。リオン、顔をあげなさい」
目の前に立つ騎士の剣が目に入り、手に持つ鞭。それは部下を罰するにも使うのだろうか。
見上げたベルトランシェは、シャルルの顔を見るとふと眼を丸くし。それから視線をそらした。
「今後、お前たちに指示をするのは私です。余程のことがない限りブランシュ様や陛下にお目通りできることなどありません。分かりますね」
シャルルは頷いた。ブランシュには会いたいが、ルイは遠慮したい。望むところだ。
「お前の住む街のバイイ(地方代官)を通じて連絡させます。住居はどこですか」
「王領のブリュージュだそうだ」そう応えたのはセジュールだ。
「では、ブリュージュのバイイ、グレーヴに連絡役を頼みます。お前からロイについて何か分かった時はきちんと報告しなさい」
「分かった」ロイを探し出す、これは大切な仕事だ。僕にとって。
「そう、いい子ですね」
ひやりと頬をなでられ、シャルルは眉を寄せた。ベルトランシェは鞭を伸ばしたりたわめたりを繰り返し、シャルルを見つめる。
「お前が男なら、私の従騎士にして鍛えてあげてもいいのですが。残念ですねぇ」
ベルトランシェが束ねた鞭の先でシャルルの頬をぐりぐりとなでつける。
「ベルトランシェ、その行動はどうにも人格を疑いたくなるぞ。お前は鞭を持つのを止めた方がいい」
セジュールの言葉にシャルルもうんうんと頷いた。人を鞭で痛めつけるのが、きっと好きなんだ、こいつは。
「大丈夫、手は出しませんよ。リオンは女性でしたし、女性に鞭を振るうのは私も趣味ではありません」
「男ならいいのか」
「嫉妬ですか?セジュール」
肩に手を回され、セジュールは「触るな、気色悪い」と逃げようとする。ふとロトロアとリシャールを思い出した。
ああ、こいつらもこいつらで、仲間なんだな。
そんな変なことを浮かぶまま考え、シャルルはじゃれあう青年二人をぼんやりと眺めていた。いつもの元気が出ないのは、ジャンヌを見たためか、ジャンの風邪がうつったのか。あるいはここ数日に起った目まぐるしい出来事に、さすがのシャルルも疲れているのかもしれない。
自覚はないが、今のシャルルはセジュールと同じくらい気難しい顔をし、はあと溜息をついていた。

「忘れるところでした。リオン。ランス大司教がお前に会いたいとおっしゃっているが。どうします?」
セジュールがうるさがって退室すると、つまらなそうな様子でベルトランシェが傍に来た。
「タヌキ爺はお前が我らのそばにあることが、恐ろしくて仕方ないのでしょうね」
人の悪い、綺麗な笑みだった。
「会うよ。平気」
そう、このランスに来たからには。付けなければならない決着もある。
明日にはここを発つのだ。


シャルルが案内された部屋は、先日のルイの部屋に似ていた。ふかふかの絨毯を足で確かめながら、大司教が部屋に戻るのを待つ。
今回、こういうの多いな。ふと思う。ブランシュや、ルイ九世のカペー王朝。大司教座、シャンパーニュ。それと、そう、今日知り合ったイングランド王。複雑な、ちょっと変わった権力者たち。
ジャンなら、皆いい人だなんていうのかもしれないな。
僕にはそうは見えないけど。
そう、この人も。
丁度、白髪の老人、ランス大司教が金の衣装を引きずりながら現れた。
二年前のあの時、無関係を貫こうとした偽善者だ。

「シャルル、お前がまさか、生きているとは」
そんな台詞で老人は話し始めた。
「今、どうしているのですか。シャルル、ロトロア様のもとに?」
黙ってうなずいた。
「あの時のことは、宮廷の者に言ったのではないでしょうね?」
「言ってないよ」というか、彼らは知っていた。
ほっとしたような顔を隠しもしないからシャルルは納得した。ああ、この人は自分が悪いことしたなんて思ってないんだ。自分を疑ったり後悔したりしないんだ。このランスで絶対的な力を持つ、それは神が後ろ盾なんだから、そうなるのも無理はないのかもしれないけど。
幼いころ思っていた畏怖の念は、あの事件から無くなった。
僕を追い出し、ロイを見捨てて。それでも、悪びれることもないんだな。
「シャルル、お前はなぜ、ここに戻ってきたのですか」
その上、お説教か。
「ここはお前の帰る場所ではありません」
「生まれた場所でもないしね」
「……二度と」
「貴方の顔など見たくない」
大司教は目を丸くした。
「僕の無事を喜んでくれる優しい人もいた。だから、そういう人のために、僕はあの時のことは黙っているし、二度とここには来ない。決して貴方のためじゃない。ランスのためでもない」
はっきりと、今シャルルは立ったまま大司教を正面から見据えていた。
この街に来て、多くの後悔と悲しみを思い出した。それはいずれしなければならなかったことだと思う。
今もまだ、思うようにならないことばかりだけど、一つ一つ片付けて行かなきゃ、前に進めない。
「明日には発ちます」
シャルルは身を翻した。

宿に戻るとジャンはすでに出かける準備をしていた。
「あれ、もう出発!?明日の治癒秘蹟、見ないのか?見たいよ、どうせならさ。な、もう一日いいだろ?」
「今日ですよ」
ジャンはまだ少し青い顔で、丸めた書類を書簡筒に入れ、荷物に詰め込む。
「えー。どうせ、リシャールは怒ってるだろうし、ロンロンはまだ帰ってないはずだしさぁ!治癒秘蹟、見ようよ」
もしかしたら、またジャンヌを見ることができるかもしれないのだ。
「だから。シャルル。治癒秘蹟が今日の午後になったそうです。早まったって大聖堂の入り口に貼り出してあったでしょう。丁度いいから、治癒秘蹟を見たらそのままランへ向かいましょう。大体、何で知らないんですか。フランドル伯に夢中でしたか?話くらいできたんでしょう?」
体調が万全ではないのだろう。答えを期待していない質問を矢継ぎ早に並べ、ジャンは荷物整理に集中する。帰りには大聖堂の前など通らなかったから、シャルルは全然気付かなかった。それに結局、ジャンヌを見られたのはほんの一瞬。
自然、口も口調も尖ってくる。
「なんだよ。話しかけるなんて、そんなことできるわけないだろ」
「ふーん」
「あ」そういえば。
「どうかしましたか」
「なんでもないよ!」
ジャンの任務とやらを、すっかり忘れていたことを思い出す。
まずいな。
戴冠式の話題を続けるのを避け、シャルルも黙って身支度を始める。
ジャンはシャルルの様子をしばらく見つめ。それから自分の作業に戻った。
シャルルは治癒秘蹟のコルベニー施療院でセジュールに会って、何とかジャンの知りたい情報をもらおうと知恵を巡らせる。戴冠式での自分の行動はお世辞にも成功とはいえない。


「ごめんな」
シャルルはいつもの自分の姿に戻り、ドレスの分だけ重くなった荷物をロンフォルトにそう謝りながら括りつける。
クウ・クルもすっかり馬の頭で準備万端。
行きと同じく目深にかぶったフードの下、シャルルは頭上に日差しの暖かさを感じながら馬に揺られる。修道院は狭い視界からちらちらと見つめたものの、アンの姿は見つからなかった。二度と来られないかもしれない。
ごめんねとまた、心の中でさよならを告げる。



『La croisade de l'ange 2:Laon』 21

『Laon ‐ランの風は苦く‐』

21

修道院の門から森の中の細い道を下っていく。来た時と同じで馬と馬車がひしめいていた。それは、ちっとも進んでいかない。
「遅いですね。進んでいないみたいです。これでは間に合わないかもしれませんね」
ジャンの言葉に、シャルルは馬上から遠く前方の人馬を眺める。
「道を知ってるよ。急ごう、ジャン」とシャルルが列の脇を抜けようと進ませるから、自然二人は前後に並ぶ。
「こっち、もう少し先に抜け道があるよ」
「我が馬車を脇から抜こうなど、許さないよ」
横から抜き去ろうとした馬車から声がした。
「へ?」
聞いたことのある声。振り返れば、黒い馬車からのぞく男の顔。式典で隣になった、ヘンリー三世だ。
「あ」
「おお?君はリオネットではないか?男だったのか!」
「ええと。女だけど、騎士見習いなんです、陛下」
面倒だから適当に説明し。シャルルはさっさとその場をすり抜けようとする。
「何を急いでいる?我が馬車を抜くなど許さないよ」
「でも、その。急がないと、治癒秘蹟が見れないし」
「急いでいるのは我らも同じだよ。どうやら、この先で馬車の転倒事故があったらしいのだ。ルイや諸侯は先に通ったらしいが、我らのように後回しにされたものはこの森において行かれた。まったく何のために衛兵を配置しているのか、セジュールに文句を言ってやらねば。君は道を知っているのか?」
シャルルは視線を宙に泳がせ、それからはい、と頷いた。
でも、馬車は通れませんよ、と釘を刺す。
「案内しなさい。私も行く。馬を引け」
「陛下、お止めください」
と馬車の脇を警護していた、尖ったあごに髭を蓄えた騎士が馬を寄せた。そんな表現しか出来ないのは、兜で顔の上半分を隠しているから。ヘンリー三世の衛兵たちは皆同じ兜で顔を隠しているから、口元とあごとでしか区別がつかない。
それは少し物々しい感じだけれど、国王なのだからそれなりの武装は許されるのだろう。
馬車の中、同乗していた側近らしい声が「私も、ご一緒いたします」とヘンリー三世にすがった。
声はひどくかすれている。
「ノルフェノ、お前はダメだよ、ただでさえ風邪を引いたのに施療院など。ここまでつれてきてやったのだから、満足しなさい」
「しかし、陛下。私は」
「ノルフェノ。従者のお前が役に立たないと不便で仕方ない。馬車でゆっくり来なさい。命令だよ」
ジャンとシャルルが顔を見合わせている間に、ヘンリー三世は馬車から降りると、先ほどの騎士が連れていた馬にまたがった。

「従者の人、風邪を引いているの?」
シャルルが問いかけ、後ろではジャンが気を利かせて荷物から煎じ薬を引っ張り出していた。自分用に煎じたものを小瓶に入れて持っていたのだ。
「これを。よく効きます」
差し出されたそれをヘンリー三世はちらりと見つめ、顎で示すとあご髭の騎士が馬を寄せて受け取った。そのまま、馬車の中の人に渡す。

「お目にかかれて光栄です、陛下。私はジャン・ド・ジョワンヴィル。亡き父より、陛下のお話は伺っております」
ふん、とヘンリー三世はジャンを眺め、それからシャルルのほうに向き直った。
「リオネット、お前には私の前を行くことを許す。さあ、行こう」
ジャンとの間に二人が入る形になった。ジャンのさらに後ろに、五騎くらいの騎士が隊列を組み始め、ついてくるつもりなのだ。
シャルルは心配そうに眉をひそめる。
まったく無視されたジャンは顔を真っ赤にして唇を噛んでいた。
きちんと名乗り、挨拶をした少年の何が気に入らないのか、青年は相手にしない。
ジャンにとってそういう扱いは耐え難いのではないか。からかって、泣かせたことを思い出した。精一杯大人ぶって頑張っているジャンが、大人に相手にされないことほど、つらいことはない。
シャルルが心配したとおり、ジャンはひどく悔しそうに、顔をうつむかせていた。
「あのぅ」
「お前はさっさと案内しろ」
あごの騎士は、聖堂でもシャルルに注意した男だ。威嚇するように低い声で命令する。
「陛下ならともかく、あんたに命令される覚えはないぞ」
睨み返せば、隣でヘンリー三世が笑う。
「君は面白いね。媚びへつらう輩は信用できないから」
それがジャンのことを言っているように思えて、シャルルはまたそっと後ろを振り返った。

幸いジャンは少し離れていた。丁度、ヘンリー三世が乗っていた馬車の脇で馬を止め、馬車から顔を出す従者と何か話していた。
先ほど、ジャンが風邪薬をあげた相手だろう。
灰色のフードを被り顔は見えない。わずかに首元からはみ出した薄茶色の髪は、素直にさらさらと風に揺れた。
礼でも言われたのかジャンが笑顔に戻っているから、シャルルはホッとして再び前を向いた。


森の街道の途中、わき道がある。その先には修道院の薪置き場がある。
作った薪を干しておく場所だ。わき道はそのまま村の川の向こう側に出る。森の道から少し外れるが、この渋滞ならそちらを抜けたほうが早い。わき道と言っても獣道のようなものだから、地理に疎いよそ者は通らない。
そんな説明をしながら、シャルルは背後に二人の騎士、その後ろにジャン、さらにヘンリー三世の衛兵たちをつれて進んでいた。

思わぬ道連れは迷惑だけど。それでも前を見ればただ続く林間の小道。木漏れ日を浴び、深呼吸すれば心地よい。
伸びをして、「気持ちいいなっ、クウ・クル」と声をかける。目の前の親友は、返事はしないが嬉しそうにロンフォルトの頭に乗る。きっとこいつも気分がいいのだろうとシャルルは決め付ける。

「この道、というか。道って呼んでいいのか怪しいですけど。大丈夫ですか?」

少し後ろからジャンが声をかけた。並んで話したいのに不便だと思っていたから、シャルルはロンフォルトを止めジャンを待つことにした。
「リオネット、どうしたのだ」
なぜかヘンリー三世まで止まるから、従者も止まって結局四頭の馬が狭い獣道に並ぶ。
「ジャンと並んで話をしたいんです。大体、陛下は勝手について来るんだから、先でも後でも好きにしてください」
「シャルル、そんなこと!!」
咎めるのはジャン。貴様、と怒鳴りつける衛兵の隣、ヘンリー三世は口をあけてシャルルを見ていた。
「いいんだよ、僕にとってはお前の方が大事だしさ。行こう、ジャン。このまま行くと、コルベニー施療院の裏の林まで抜けられるよ。街道の方が真っ直ぐだけどさ、この状態ならこっちのが断然早いから」
「シャルル、……あの」
ドンドン進み始めるシャルルにジャンは慌ててついていくものの。
黙って睨んでいるヘンリー三世が気になって、何度も振り返る。
いい加減離れても、まだ動き出そうとしない様子だ。

「いいんですか?怒ってますよ!?」
「いいよ。好かれる必要もないしさ。面白いけど変な王様だよな。大聖堂で知り合ったんだ。隣にいてさ」
「ヘンリー三世。イングランド王ですよね。連れていた人たちは、フランス人みたいでしたね。先ほどの、ノルフェノさんもフランス人でした」
「ああ、馬車にいた?ヘンリー三世は、フランス人が気に入ってるとか言ってた」
「そうですか。ノルフェノさんはいい人でしたよ。ヘンリー三世が僕のことを無視したのも、父親を尊敬しそれを堂々と表現する僕が気に入らなかったのだろうって。謝られちゃいました。確か、ヘンリー三世の父親は諸侯の反乱に遭って亡くなったんですよ。ヘンリー三世は周囲に裏切られたのですから、イングランド人が信用できなかったんですね」

「ああ、なんか、そういう感じのこと言ってたな。ルイのことも若くして王になるのはどうのって。ま、僕にはよく分からないけどさ。ロイもそうだけど、王家に生まれたって、皆が幸せじゃないってことだな」
「そうですよ。少しは分かってくれましたか」

想像はできても、シャルルはやっぱり貴族ではない。

「分からないよ。違う立場や考えがあるのは当然だ。だけど、貴族や王族は忘れちゃいけないだろ?どんなに大変な状態でもさ。それでも自分たちが他の人よりずっと楽に生きているってこと」

ふわりと金の髪が風に揺れた。しっかりとジャンを見つめるシャルルの菫色の瞳は、木陰の中しっとりとぬれて光った。
「パンを一つ作るための麦を、ちゃんと育てるのがどれだけ大変なことなのか。半年かけて収穫した小麦がパンになる。パンにしたら十数える間に食べきれちゃう。あっけなくね。僕らはそういうものを食べて生きてる。自分ひとりじゃ、絶対に作れないものを」
「感謝、ですか」
だよ、と。シャルルは頷く。
「なんだか、シャルル、すっかり修道女みたいです」

「修道院育ちは関係ないよ。昔、水車小屋で毎日みんなの話を聞いていたんだ。麦を粉にしながらね。大切に育てた麦だから、大切に扱えって教わった。麦を育てる農民とか、水車小屋の仕組みを作る大工さんとか。何かを作り出す人を尊敬しなきゃいけない。皆、すごいんだ」
「じゃあ、騎士もすごいです。王様も」
何でだよ、と反論するシャルルに、ジャンは暑くなったのかマントを脱いで肩にかけた。

「騎士はその職人や農民の命を守るためにいます。王様は、その騎士も農民も平民も、皆が平和に暮らせるように国を作ります。この世で一番大きなものを作り出せる人、それが国王です」
話しながらマントをぶんぶん振り回すから、当たった枝がぱらぱらと色づいた葉を落とした。
「なんか、違う気がするぞ」
「そんなことないです。シャルル、頭が固いんですよ」
「じゃあ、分かった!一番すごいのは、お母さんだ!命を作る!」
「それはお父さんも同じじゃないですか?」
「何でだよ!お母さんのがすごいよ。子供を産めるんだ」
「……ブランシュ様に会ってから、すっかりお母さんびいきですね。それとも、ジャンヌ様に会えたからですか?」
きゅ、と。不意に切なくなる。
会えた、というほどのものではない。
「なんか、ジャン。お前、やけに嫌味だぞ。一々口答えしてさ」
「別に」
「…お前だって、お母さん好きだろ?」
ぶ、と。噴出して、ジャンは手にしたマントで顔を覆って笑い出した。
「シャルル、君って、可愛い」
「なんだそれ!もう、急ぐぞ!」

結局。十三歳と十二歳。視界に大人がいなくなれば、気が緩むのか。二頭の馬を駆って無邪気に追いかけっこに興じる。森を抜け、川沿いの小路をきらきらとした水面を眺めながら風を切る。心地よい昼下がりの日差し。
小さくても侮れない、とシャルルの語る河を下り、途中の橋を渡ればコルベニーの村。街道から外れているためか人影もなく、のどかな秋の畑の脇を進む。だんだん民家の見えない山際に近づき、その道は林の中へと続いていった。

「あ、日陰は少し寒いですね」そういってジャンはマントをつける。
「あと少しだ。ほら、右、左その先にもう一回右で、施療院の裏庭に出る」
「あれ、先客がいるみたいですね」
ジャンが言うとおり、シャルルのさした道の先、今わずかに通り過ぎる馬の姿。
それはすぐに木々の向こうに消えた。
「え、でも。こんな道、知ってても普通使わないのに」
「案外、皆考えるのは同じなんですよ」
そういうものかな。
シャルルは首をぐんと伸ばして、先を行く騎馬の姿を見つけようとする。
「ほら、騎士が三人、あ、違う。まだいる」
ジャンが数えようとし。シャルルは黙った。

葉が散りかけた木立の向こう。黒い衣装の騎士が、三人や五人じゃない。数十人はいる。クロスボウを背にした馬上弓兵も見える。
それは歩兵こそいないが、軍隊に見える。

「……ジャン」
シャルルは、馬を止めた。
ジャンも察してとめる。
「あれ、武装してる」
「おかしいですね、こんなところにあんなにたくさんの騎兵。見物でも、国王の護衛でもないとしたら」
「……物騒なことが始まるのかも」
「どうしましょう」
どうしようって、言われても。
シャルルもジャンも一応剣は持っているがそれだけ。槍も盾もない。その上子供二人、見習いの身だ。勝算なんかない。

今、わずかに有利であるとすれば彼らはシャルルたちの存在を知らず、シャルルたちは相手の存在を知った。
ただそれだけだ。



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