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『La croisade de l'ange 2:Laon』 22

『Laon ‐ランの風は苦く‐』

22


パパーン。パパーン。
遠くラッパの音がした。
木立の向こうにあるはずの施療院はまだ見えない。歓声のようなものが聞こえる。どうやらルイ九世が到着したらしい。

シャルルはジャンの側に近寄り、ささやき声と身振り手振りで示した。
「ジャン、お前森を抜けて表にいるベルトランシェに知らせてこい。僕はこいつらを」
「無茶言わないでください!シャルル一人で何ができるんですか!」
ジャンの手ぶりは更に大きい。
「じゃあ、分かった。僕は見張ってるから、こっちに援軍をよこしてもらって挟み打ちだ」
「だめです。まだ動くべきじゃないですよ。シャルルが伝令役をやってください。僕が見張ります」
「危険だよ」
「君がやっても同じです!大体、君はじっとしていられないでしょう。早く!」
むう、とわずかに口を尖らせたが。行動する性分なのは確か。シャルルはクウ・クルを胸元に突っ込むと、ロンフォルトに拍車をかける。
ざ、と下草を踏みしめ、馬は木立の間を器用に抜けて行く。
葉の茂った木陰からジャンがそれを見送った。

「おい、あれは」と、声が聞こえ。シャルルの後を追って数頭の騎馬が走り出した。
気付かれた。
賊の一人が馬上から弓を構えた。
「シャルル、危ない!」
思わず叫んだジャンに、遠くシャルルは振り返る。
「ばか!お前も逃げろ!」
叫んでも、すでに背後に迫る敵にシャルルも引き返せない。ジャンに気付いた別の数人が、剣を手にジャンに迫るのが見えた。

ジャンは馬に拍車をかけ、もときた道を駆け戻る。
振り返れば二人の男が追いかけてくる。
迫る二頭の馬。
「待て、坊主!」
低い声がすぐ後ろで聞こえる気がして、ジャンは剣を抜いた。ジャンも実戦経験はない。ひゅ、と槍らしいものが空を切る音を聞き。
足元に落ちたそれも確認する間もなく駆け抜ける。激しく揺れる視界の中、木立の間の獣道をたどるのが精一杯。
少しでも右に左にと、弓をよけるように夢中で馬を操る。

「何者だ、貴様ら!」
正面からの怒鳴り声にジャンは顔を上げた。
そうだ。後ろからヘンリー三世がついてきていた。
その従者は頼もしい騎士たち。ジャンとすれ違う頃には前に槍を構えた騎士が横一列に展開し、その背後にクロスボウを持つ三人ほどの弓兵が構える。よく鍛えられているのだ、瞬時に応戦の構えを見せる。
イングランドのクロスボウ兵は強弓で知られている。
数の不利と悟ったのか、黒づくめの賊は慌てて引き返し始めた。
「ジャン、あれはなんだ!」
「陛下!シャルル、いえ、リオネットが追われています!施療院の裏手に軍勢が隠れていたんです!それをベルトランシェ様に知らせようと向かっていますが」
ジャンの説明が終わる前に、すでにヘンリー三世は隊列を整えた騎士たちを従えていた。
「行くぞ。ここで、ルイに恩を売っておくのも悪くない!」


シャルルは木立を上手く右に左によけながら馬を走らせていた。背後を振り返れば、十数騎の追手。一人が弓を構えたように見え。
ひゅと耳元をかすめた矢にぞくりと震える。
「飛び道具なんて、卑怯だぞっ!」
こうなったら。
このまま引き連れて建物の表、多分大勢の衛兵がいる方へ。
木漏れ日が時折目をくらませる中、ロンフォルトに鞭を入れる。日向では眩しいほど光るシャルルの髪は、日差しに当たるたびに光り相手の狙いを狂わせる。
張りつめるシャルルの気持ちが分かるのか、クウ・クルは外衣の下、革の胸当ての中で胸の谷間にしがみついてじっとしている。くすぐったいけど我慢だ。
額が汗ばむ。それを意識した時、木立の向こうに石積みの壁が見えた。
建物の裏側の城壁。かつて城であった施療院は厚い城壁に囲まれていた。裏からは入れない。となれば表に回るしかない。

シャルルは城壁と林の間を進む。見通しのいいそこを真っ直ぐ逃げれば背後からの矢をよけようもない。盾の一つでもあれば違うのに。
シャルルは荷物袋を背にかける。その直後、すんっと。矢の衝撃が背に走る。痛みはないからあのドレスがクッション代わりになったのだ。
そう理解してもぞっと総毛立つ。皮製の胴衣と胸当てだけで、甲冑も鎖帷子もない状態では命に関わる。いつの間にかわー、と声をあげている。
力のこもる手綱さばきに、ロンフォルトも必死に走り続けた。
城壁が途切れ建物の横に出る。角を目いっぱいぎりぎりの早さで曲がる。追いすがる賊の槍が背後をすり抜けた。
「がんばれ、ロンフォルト!」
シャルルは必死に走った。
四角い建物の城壁の先。表の街道が見え、人、馬。衛兵!
騎馬の掲げる旗は王家の紋章。百合紋が天を向き、日差しに力強くはためいた。
「ベル!!ベール!!」
シャルルは叫んでいた。
気付いた衛兵がこちらに槍を向ける。
「ちが、ちがう!裏の林に、助けて!」
裏側に賊がいるから、助けてと。シャルルの背後にかける黒づくめを見つければ、それでも意味が通じたらしい。
衛兵たちの背後にベルトランシェの銀の兜が見え、彼が何かを命じると周囲の衛兵が一斉に迫る賊に向かっていく。
「うひゃー」
ばたばたとものすごい速さですれ違い。衛兵の波を抜けると目の前に庭が開けた。

「リオン、何事です!あれは!」
「分かんないけどっ!ジャンがまだ裏に。二十騎以上いたんだ、武装した騎兵が!」
「無地の黒。賊に違いはありませんね」言いながら、ベルトランシェが手をあげ、一際派手な白い羽飾りの近衛騎士たちに国王の馬車を囲ませた。
「第一隊!」
ベルトランシェの号令に、槍を構えた歩兵が走りより、盾を並べて敵の侵入を防ごうとする。隙間なく並べられた盾から突き出された長い槍に、敵の一団は数メートル前で留まった。

「命に代えても陛下をお守りするのです!第二隊は反対側を防御。リオン、お前はこちらに、第三隊と共に諸侯の方々をお守りしなさい!隙を見て、施療院に!ここはかつて堅牢な城だった場所です」
言いながら鞭を放つベルトランシェ。ぱんっ!と唸る鞭に弓を仕掛けていた敵兵の馬がびくりと前足を浮かせた。
鞭は一撃目で相手の弓を折り、二発目で騎馬の首元を激しく打った。
鳴いて倒れる馬から、賊は慌てて飛び降りる。すぐに歩兵が駆け付け、楯で突き飛ばし、斬り合いとなる。

すでにあちこちで戦いが始まっていた。

シャルルは指示された諸侯の馬車の方へとロンフォルトを走らせた。
駆けながらざっと周囲を見回す。
戦場の状況を把握することが大切だと、いつもリシャールに言われていた。
周囲を森に囲まれた、施療院。土塁の名残が森の手前に敷地を囲むようにぼこぼこと小山を作る。それはどこかに敵が潜んでいても見えないくらい下草に覆われている。

黒い騎士たちは建物の裏から二隊に分かれリンゴを両手で包むように取り囲もうとしていた。
反対側に向かった第二隊も戦闘を始めていた。
シャルルは真ん中で馬車を集結させていた貴族たちに合流した。
彼らの前、建物の正面で近衛騎兵に囲まれた国王の馬車は施療院へと向かっている。出迎えようとしていたのだろう、馬車の間で修道女たちがまごまごしている。先導するベルトランシェが声をかけた。
「危ないから、貴方達は中に!」
近くにいた修道女がベルトランシェの前に進み出た。
「どうぞ、陛下の馬車を中へ!中庭は馬車三台なら入れます」
その声は怒号の響くこの地にあって、高く鈴のように響いた。
返り血で頬を濡らすベルトランシェは、美しい笑みでそれに応えた。


ひゅと、きな臭いにおいと共に影が降る。
火矢だ。
シャルルは我に返って、周囲にいる貴族たちを見回した。国王の後について避難しようと、御者が慌てて馬車を駆る。
ぶつかり合う馬車が、車輪をきしませ鈍い音を立てた。

とん。
丁度シャルルの脇の馬車に火矢が立つ。
「火だ!」
誰かの叫びと呼応するように次々と林の方から火矢が射込まれた。そちらにも敵が潜んでいたのだ。
次々と飛来する炎は非現実的な情景に半ば茫然となっていた諸侯に、文字通り火をつけた。
焦って騒ぎ出す者、自ら剣を取り応戦しようとする貴族。それに従おうとする従者や護衛。馬のいななきと人の叫び声が上がる。大半の貴族は大した武装も許されていないために非難の道を選んだ。馬車のまま、怯えた羊たちの群れは施療院の入り口に殺到する。
ただ、一番に犠牲になった馬車だけは暴れる馬を残して御者が飛び降りた。火が車輪の油に燃え移ったのだ。シャルルはその馬車の紋章を知っていた。
二頭の獅子が立ち上がる姿。フランドル伯だ。
まだ、中にいるはずの人は気付いていないのかもしれない。
「ジャンヌ様!危ない!馬車から離れて!」
シャルルは炎が上がり始める馬車の扉を開いた。
転がり落ちるように人が飛び出し、シャルルはそれを受け止め損ね、押し出されるように地に転がった。
ふわりと、甘い香り。

冷たい土を背に、目の前に横たわる女性は見覚えのある長い金髪。
それはすぐに美しい顔をあげ、
「驚いたわ。貴方、大丈夫ですか?」
と起き上った。シャルルは相手の名を口にするまで三回瞬きした。
「ジャンヌ様!!」
黙ってにこっと笑われ、シャルルは慌てて髪を整えた。
今ここでする必要もないのに、
「あ、あの。僕はシャルル、騎士見習いで、あの」と名乗り。しかもそれはもつれた毛糸のようにうまく紡げない。もよもよと胸の中で動き回るクウ・クルを押さえて、「あ、違う。ええと、ロトロアのセネシャルで、見習いで」と繰り返すが順番がバラバラ。
呆気にとられていたジャンヌは、シャルルの襟元から白い小さい顔がのぞいて「きゃ」と一歩下がった。
「わ、すみません。こいつ、友達で」引っ張り出そうとしたけれど白イタチは再びもぐりこみシャルルの腹にしがみついた。ジャンヌは、くすりと笑い少女のように首を傾けてシャルルを覗き込んだ。
周囲は戦乱ともいえるのに、そこ二人は何か別の世界を作る。ジャンヌも落ち着いた様子で、シャルルに話しかけた。
「貴方はロトロアの従者なのですか?あの人は来ているのかしら」
あの人。そう呼び、その視線がシャルルの持つ剣に向いているから、ジャンヌはロトロアを知っているのだ。いや、そんなことより。「お母さん」の澄んだ声は、否応なくシャルルの心臓を躍らせる。
「ロトロアは来てなくて。僕は戴冠式には、無断で、あ、ええと代理で」
「まあそうなの。残念ですわ。貴方、ほら、土がついているわ」
白い手で頬をなでられシャルルは思わずひゃぁ、と声をあげた。真っ赤になる。

「ジャンヌ様!早く、こちらへ」
ジャンヌの従者が駆け付け、地に座り込んで戯れる二人を引き起こす。シャルルも顔をあげれば、狭い入口に詰めかけた馬車で行く手がふさがり、貴族たちは馬車を諦め徒歩で施療院へと駆けこんでいた。
「あのっ、僕らも早く中に避難しましょう!」
従者と共にジャンヌの背を押し、手を引く。
柔らかな女性の感触。

いいんだ、騎士は貴婦人を御守するのが、お仕事、お仕事。
留まらない動悸も今はシャルルを勇気づける。
傍に立つその女性を護らなきゃ。
お母さん。密かに心の中で呼べば、知らず頬が赤くなっている。


主のいない馬車の脇、暗がりの城壁の中へと進む。残され興奮した馬が時折足をがつがつと鳴らした。
背後では黒装束の騎馬たちと、国王の軍。騎士団員が長槍を手に貴族たちを護るように歩兵を展開させる。兵たちは皆、白い長そでのキルトの衣装に鎖帷子。その上に着る赤い袖なしの外衣には紋章の金刺繍が血に汚れている。
敵の黒尽くめの騎馬に槍を差し向け、蹴飛ばされる。今また、鈍い音と供に一人が馬に引きずられている。その馬もすぐに弓に射抜かれ血の泡を吹いた。
横たわる馬の息は寒さに白く濁り、どす黒い染みを地に描く。その脇に今また、歩兵が兜を殴りつけられ、よろめいて崩れる。
すでに、まともに馬上に残る騎士は数名。

ぞく、と。
舞い上がる気持ちとは違う高揚感でシャルルは身が引き締まる。
「早く、ジャンヌ様、中に避難して下さい。僕はここで……」
離れようとしたシャルルの手は、白く冷たい手にぐいと掴まれた。
「お待ちなさい、貴方はまだ見習いですわね?見習いは参戦せずともよいはずですわ。危険です、一緒にいらっしゃいな。お話したいこともありますから」
お話、お話?
思考がぐるぐるとなってくる。ジャンヌの声の甘さと馬車の燃える煙の臭い。
目にしみて、こすりながらシャルルも手を引かれたまま、施療院の門をくぐった。

城門の奥は厚い壁が続き、洞窟のように暗い。
「暗いのね」
声はが妙に響く。大丈夫ですよ、と従者に励まされるジャンヌ。シャルルはその息遣いすら逃さないくらい、張り詰めた心をもてあましていた。しっかりと握られて連れて行かれる自分はまるで子供のようだ。
少し背の高いジャンヌの横顔、日陰で青白く神々しくさえある。
お母さん。今にも飛び出しそうな言葉。
言ったらどんな顔をするだろう、どんな、言葉を口にするのだろう。
無意識にぎゅと握り締める手に力が入る。
ふと振り返るから、「わ」とシャルルは胸を押さえた。
落ち着け、落ち着けと自分を励ます。
「大丈夫ですわよ、実戦は初めてなのかしら?」
「あ、えええと。はい……」
「ロトロアも人が悪いですわ、こんな小さな子を一人でよこすなんて」
「あ、ええと」
「次に会ったらしっかり怒っておいてあげますわ。あの人は私には頭が上がりませんもの」
え、そうなの。
思わずそれが口を突いて出た。
ジャンヌはにっこりと。暗がりでも白いと分かる歯を見せて笑った。
「ええ、ロトロアは小さい頃から私をお姉さまと呼んで、付いて回っていたものよ。たくさん遊んであげましたもの。今も私の頼みは断れませんわ」
ジャンヌの印象は徐々に変わる。
あのロンロンを、子供扱い。
ふ、複雑。
いつの間にか極度の緊張が解け、シャルルはジャンヌとロンロンの子供時代に思いをはせる。
想像しようとして、うまくできなかったのは言うまでもない。
足元に倒れる男をまたいで避け、日差しを投げかける施療院の中庭にむけ顔をあげた。
城門の内扉の先、明るいそこから騒ぎ声が響いていた。悲鳴、興奮した馬の鳴き声。怒号。
シャルルは足を止めた。
「え?待ってください、施療院の中は安全なはずなのに!」
「あら、どうしたのかしら」

シャルルはジャンヌを庇うように回り込み、城門の中を覗き込む。立ち止り入れずにいる諸侯の間から、わずかに様子がうかがえた。

施療院の狭い中庭では、ルイの馬車を守りながらベルトランシェが賊と戦っていた。
中庭には十数名の黒づくめの男が手に手に剣や槍を構え、国王の馬車を取り囲もうとしていた。狭い門は馬車でつまり、降りた貴族たちが外に出ようとしてシャルルにどんとぶつかっていく。
「わ、危ない」
「どけ、どけっ」
悲鳴や怒鳴り声が嵐の日の風のように大きなうねりとなり、通路の中に響いていた。

「ジャンヌ様はここにいてください!ここなら安全です。僕、様子を見てきます!」
「危ないわ!」
「いいえ。騎士たるもの、敵に背を向けるわけにはいきません。貴方はどうか、ここに隠れていてください!」
ルイと供にきっとブランシュ様もいる。大切な、ロイのお母さんだ。あの温もりはシャルルにとって忘れがたい。
「駄目です」
ギュッと抱きしめるジャンヌに、胸がクウと一緒にきゅんと鳴いた。
「大丈夫、見ていてください!」
シャルルは止めようとする手を今度はしっかり振りきって、駆け出した。
目の前に群れる人々を身軽にすり抜ける。

空を切り走るうちに、獅子の子らしさを取り戻す。
澄んでくる思考。
冷たい朝の井戸水で顔を洗う瞬間を思い出す。そうしていつも、昨日までの迷いに決着をつけるのだ。泣いていた夜も、夜が明けてしまえば笑うしかない。いつも通り、シャルルらしく。
お母さんを護るんだ。



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『La croisade de l'ange 2:Laon』 23

『Laon ‐ランの風は苦く‐』

23

施療院の城壁と庭を仕切ろうとする鉄柵の内門は、閉じて中庭の賊から身を守ろうとする貴族と、開いて国王を逃がそうとする衛兵とで動かず。シャルルはその隙間をするりと駆け抜け、ベルトランシェの護る馬車の脇へと駆け付けた。今丁度、馬車の中からランス大司教が降りてきた。
ふと目が合う。相手は目をそらした。
ひと睨みして見送り、その奥のルイとブランシュに「出ないほうがいい!」と、怒鳴った。
ベルトランシェが気づき、「リオン、外の様子は」と敵の剣を受けながら叫んだ。
「外もひどい!このままじゃ、油壺に詰め込まれて火を放たれるのと同じ……」
ふと、目の前に一人の修道女が駆け寄る。背の高い、黒衣に顔を隠した、それ。
ルイの乗る馬車に近づき、
「陛下、どうぞ、建物の中へ。私がご案内します」
と叫んだ。ふわりと鼻をくすぐる、その香水には憶えがある。
「お、お前!!」
シャルルはその女に掴みかかった。

「何をするんじゃ、シャルル」大司教が止めようとするのを、シャルルは一蹴りで突き放す。
掴んだ修道女は衣装をはがされまいと掴みなおす。修道女にしては力強い。
「ベル!偽物だ。こいつ、ランにいた!」
叫びかかるシャルルに、女はふいに抱きついた。
「わぅ」
目の前を黒衣でふさがれ、シャルルは負けまいとぐんと踏ん張り、相手の腹辺りに衣装ごと頭突き。
手ごたえと呻く高い声。かすかに堅いものが頬に当たったのは、やはり武器を携えているからだ。
そう確か、ランの市場にいた偽修道女、腰に剣があった。
尻もちをつく女ごとごろんと転がり、そのまま一回転してシャルルは猫の子のようにすたりと立ち上がる。
低く構える手にはすでに獅子紋の剣。

「あら、坊や」と。立ち上がった今、女は赤毛を風に晒していた。
すらりと伸びた細い首に長く伸びた巻き毛。厚めの唇にはぬらぬらと紅が光る。
ひゅ、と空を切る音と共にベルトランシェの鞭が女に飛びかかる。女はすらりと剣でそれを受け止めた。鞭は剣に巻きついた。
鞭の主は「リオン、お前は陛下をお守りしなさい!」と叫ぶ。
振り返れば、修道女たちは衣を脱ぎ去り、近衛騎士と剣を交えている。国王の御者が賊に倒され、大司教が変な悲鳴をあげた。賊は御者の代わりに馬車にとりつき、ルイを引っ張り出そうとする。
「陛下!」
ベルの声。
シャルルは賊の首に剣を当てる。
「離れないと、殺すぞ」と怒鳴ると、振り返った。
「は、なんだと、ガキが。人を殺したことなどないだろう!」
男は獅子紋の刀身を手でぐんと掴み、押し返す。慌ててシャルルは飛び離れた。
ずんぐりと太った男は、身体をぐんとたわめ馬車の外に飛び降りた。
ちらりと隙間から、ブランシュの顔が見えた。
無事だ。

掴みかかる男の手をかわして、背後に回り込み。馬車と男の間に入る。
背にした二人を護るため。

敵は大柄な男一人。顔の上半分を布で覆っているから見えないが、大袈裟な構えから振りかざす剣の勢いはどこかで感じたことがある。
二度、斬り結んで突き放す。
「お前、市場の焼き鳥泥棒!」
びくりと相手が一瞬動きを止めるから、シャルルはするりと背後に回る。
そう、隙だらけの背中を思い切り蹴りつける。
結局、剣より素手の方が動きやすいのだ。まともに相手に合わせて剣を使う理由はない。シャルルは獅子紋の剣を鞘に戻し、腰を縛っていた紐をぐるぐると両手の拳に巻き付けた。これで、剣も素手で受け止められる。
「何の真似だ、小僧。あの時は手加減してやったんだぜ、付けあがるな」
振り上げる男の剣は大きく重い。上から振り下ろすのをよければ、次は必ず横に薙ぐし、その切り返しは遅い。
そのタイミングでシャルルは懐に入り、男の手首を蹴りつけた。
うが、と叫ぶのと剣が吹き飛ぶのと同時。
がらんと派手な音を立てて、男の剣が地に転がる時にはシャルルが続けざまに放った回し蹴りが男の首を打った。
ずしんと音がしそうな勢いで、男は倒れた。
ちょうど、馬車につながれた馬の足元に転がり、馬はしっかりシャルルの代わりに一蹴りで片をつけた。
「焼き鳥の恨みはまだ残ってるからな!」
動かない男に一言吐き出し、シャルルは次、と振り返る。

名を呼ばれた気がして顔をあげれば、施療院の門に待つジャンヌがまず視界に入る。そのすぐ隣に、ヘンリー三世。ジャンもいる。
「シャルル、大丈夫ですか!外はもう、安全です!」
ジャンが両手をぶんぶんと振り笑っている。隣で余裕の笑みを浮かべるヘンリー三世。そうだ、あいつがいたんだ。
イングランド王の騎士は精鋭ぞろい。
ルイとヘンリー三世。二国の王を敵に回せば賊も不利だろう。どうやら外の軍勢は制圧した様子だ。今もイングランドの衛兵たちが不利になりかけたルイの軍勢に加勢していた。

こちらは、と振り返ると赤毛の女と二人の賊を相手に、ベルトランシェが苦戦していた。
ええい、とシャルルは一番手前の男に向かう。
狙った男はシャルルの存在に気づかず、タイミング良くベルに斬りつける。無視されたシャルルの目の前に立ったのは、赤毛の女。
結っていた髪は解け、血のように流れ肩に首に絡みつく。青い瞳はどこか獣じみて、ひどく恐ろしげに見える。
「坊や、邪魔しないでほしいわねぇ」
笑みすら浮かべるそれは、余裕なのか、怒りなのか。

でも負けない。
シャルルは剣を抜き、ぎゅ、と獅子を握り締める。
シャルルはまだ人を斬ったことはない。どこか重く感じる剣はそのためだ。
ただその自覚はない。

しびれるような足元の感覚を追い払うようにぐんと重心を落とし、いつも通り剣を構える。心臓は信じられないくらい高鳴っているのに、思考は冷静でどこか非現実的。
戦いこそが騎士の本分。やるしかない。
「今度こそ、串刺しだからな」
「あら、ぞくぞくしちゃう」
意味の分からない女の台詞はぱんとはじける鞭の音でかき消される。
女の構えたサーベルはベルトランシェの鞭に巻きつかれていた。王の騎士は何人倒したのか、すでに美しい頬にどす黒い血を貼りつかせている。
「赤毛の女傑リノーラ、お前はブルターニュの手のものですね」
「あら、お見知りおき光栄ですわ」
ぎり、と。女が鞭を引き、そこは力比べだ。その隙にシャルルは女に剣を突きつけようと一歩踏み出す。

生け捕りにできるかも。

それがかすかな隙を生むことを、シャルルはまだ理解できない。
女の脇に近寄った瞬間。
ぶつ、と鞭がちぎれた。反動でよろけた女の剣は、間合いを詰めていたシャルルの目の前に薙ぎ下ろされる。
うわ、とかわす目の前を今度は違う白刃がかすめる。

女は右にサーベル、左に短剣を構えていた。
両刀使い。偽修道女は相当の使い手なのだ。
剣一つ扱いきれないシャルルは自らの不利を悟りつつ、短剣と長剣、両方を刀身に受けた。片手では支えきれず自然両手がそれにふさがり一歩下がる。

狭くなる視界の端、ふ、と女の唇に笑みが描かれるのが見える。
不意に圧力がなくなって、突き出される短剣。
続けてサーベル。
間なしの攻撃を何とか刀身で受け、持ちこたえたものの。
「くっ!」
つと踵がもつれ、シャルルはそのままころんと尻をついた。
隙を突こうとした女の視界からシャルルが消えた。シャルルは転がる勢いのまま地を背に、女を蹴りあげる。下から手元を蹴りつけられ、女は長剣を取り落とした。それがシャルルの顔の横をかすめ地面に突き立った。
「ぎゃ」
自分でしたことなのに、髪を串刺しにされた気分だが、くるりと持ち前の素早さで起き上がる。

「なかなか、やるわね。坊や」
僅かに息を切らせる女。
ベルはと見れば、なぜか腕を組んで立っている。その足元に倒れているのは、先ほどの賊二人。
見回せば、残る敵はシャルルの目の前、ただ一人だ。

あれ?
背後ではジャンがこっちを見つめ、その肩を押さえるように手を置くヘンリー三世。心配そうに口元をハンカチで覆うジャンヌ。
あれ?
「な、なんだよ!見物かよ!?」
「シャルル!」
飛び出しかけるジャンを、なぜかヘンリー三世が止める。

「駄目だよ。誰も手助けしたら許さない。いいかい。ここで手柄をあげたら、シャルル、お前を認めてあげる。私に仕えるにはそれ相応の力が必要だよね、ベル」

やけに落ち着き払った声は、ベルトランシェの向こうに見える馬車から。ゆっくりと降り立った少年王は、腕を組み口元に笑みさえ浮かべシャルルを見つめていた。その奥に座るブランシュは、白い顔をして人形のように見える。
「騎士として、聖なる王に剣を向ける異端者を殺すのだよ。シャルル。君はまだ幼くて、人を斬り血に濡れれば、可愛らしく震えてしまうかもしれないけれど」
自分の発想に何が楽しいのか、ルイはにやにやとする。

「こ、この!変……」
「シャルルっ!?それだけはだめですっ」
ジャンが危うく止めた言葉は、誰にも聞かれずにすんだらしい。
倒れている賊以外は、シャルルと女を囲んで円を作り見物している。まるで闘技場だ。

「ローマ帝国には獅子と奴隷を戦わせる見世物があるという。ねえ、シャルル。リオン・ド・リタには、ふさわしい会場だね」
穏やかに笑うルイ。

「くそ」
再び見つめた正面の敵は、青ざめた顔でシャルルを見ていた。
赤毛の女はわずかにひきつった笑いを浮かべ、不意に大声をあげた。
「陛下!私がこれを倒したなら。我が実力を認め、お仕えさせていただけますか!」

「はあっ!?」
シャルルは思わず力が抜ける。
「だって、あんた、敵じゃないか!」
「おバカさん。私は力ある方にお仕えする騎士になりたいのよ。このままでは私には死しかない。例えお前に勝っても、ね。こうなれば契約した主君など見捨て、目前の可能性にすがるのよ。雇ってくれるのなら、私の命はつながる」

女は、死を覚悟している。
こんな状況でも、生き延びたいと願い、その方法にすがりつく。
ごくりと、シャルルは唾を飲み込んだ。
その同じ場所に、自分もいる。他人事じゃない、命がかかっているのだ。
ちらりと視界に入るジャンは、今は衛兵に抑えられ、食い入るようにこちらを見ている。

「嫌だよ。いらない」

無情な少年王の声に、その場は再び静まり返った。
見物と決め込んだ貴族たちも厳しい表情をしていた。
「ブルターニュに捨てられた貴方を私が引き取る理由はない。リノーラ・パダム。ブルターニュ伯モークレールはそういう人だと聞いたけれど、陪臣を大切にしないのだね。この無謀な作戦を引き受けた時点で、貴方は判断を誤った。ねえ、そうだろう?ベル」
穏やかな口調が告げるのは、女にとって死刑宣告。
シャルルは、剣を握る女の手がかすかに震えるのを見つめていた。

「ええ。捨て駒にされるような女は不要ですし。もともと、女の部下はいりません」
ちらりと目が合う。シャルルのことも言っているのだ。
「でも、主君の命令を断れば騎士は職を失うじゃないか、引き受けるしかないのに……」
女を庇う気持ちはないが、雇われるものの弱さはシャルルにも分かる。第一、女だからいらないって。それは。
「リオン、物事を見極めなさい。リノーラはここで死を待つくらいならば、初めから違う道を選ぶべきだったのです。あわよくば陛下の御命をなどと考えての行動、許されるはずがないでしょう」
ぐ、と。シャルルは黙る。
「そうかも、しれない。でも。馬鹿でも強ければ、僕は生き残れるんだろ!」
なんで自分がこうなっているのか、とか。その理不尽さまでシャルルは気が回らない。それを言ったところで状況が変わるはずもない。
僕だって、死ぬわけには行かない。

ふわと香りが動いた。
開始のラッパも、何もない。
女の香水だと気付いた時には、目の前に白刃。わ、とかろうじて飛び退くと剣を地に刺し、クルリと身を翻す。
とん、と軸足をついた時点で、シャルルは女の脇にいる。
勢いのまま剣を抜き、薙ぎ払う。
僅かに手ごたえ。
く、と身を沈めたリノーラが息を詰め、間を置き、シャルルも再び二人を隔てる宙をにらむ。

「ごめん、僕は、負けられない」
たとえ、女の運命は絶望的だとしても。
同情なんか、しない。
シャルル、小さく呟いたジャンの応援が耳に届いた。


『La croisade de l'ange 2:Laon』 24

『Laon ‐ランの風は苦く‐』

24

何度目だろう。
切り結ぶこと、数回。女はシャルルの素早い動きに三回ほど傷を負う。
シャルルもすでにいくつかの傷を負っているが、張りつめた心のせいか痛みはない。

「素晴らしいね、リオネットも、女も」
ヘンリー三世がため息交じりに声を出す。
隣で衛兵に肩を押さえられているジャンは、見上げた。「強いですよ、シャルルは。だけど、どう見ても体格が不利じゃないですか」
ふん、と一瞥され、ジャンは口を閉じた。
「ジャン、シャルルの身のこなしは幼いころからの訓練のたまものだね。早々身につくものではない。あの動きは小柄なほうが活きる。普段から、大人を相手にしているのでしょう、なかなかいいですよ。ほら、あれだけ間合いが不利なのに今もシャルルの斬撃が勝る。柔軟で、相手の力の逃がし方が上手いのです」

ジャンは改めて二人を見つめた。
確かに今も、シャルルは剣の柄で相手のみぞおちをしっかり殴りつけた。よろめいた女にとどめか、と思えばすらりとそこはよけられた。
「ただし、体力と持久力は女が上ですね。ほら、シャルルの息は随分上がっています。あれだけの動きを続けるには、まだ、幼い。十三、四ですか」
「あ、はい。十三歳だと聞きました。たぶん、普段相手にしているリシャール様と違って女は身のこなしが柔軟で、だから、シャルルは的を得られないのだと思います」
「ふん、そう。リシャール、聞いたことがあるね。どこだったかな」
「ルジエのロトロア様のセネシャルです」
「ああ、ロトロア伯か。あれとは一度、手合わせしてみたいな」
「え、あ、はぁ」
優しげなほっそりしたヘンリー三世を見上げる。結局一度も自分は剣を手にしなかったのだ。手合わせしてみたい、というほど好戦的には見えないし、一国の王がそれをするのは、なかなか難しいのではないかとジャンには思える。
シャルルが変な王様と言ったのが分かる。

「足元が、怪しくなってきたな」
王の声に、ジャンは我に返る。

シャルルはひりひりする喉に苛立ちながら、今ぴょんと飛びのいたところ。
地についた足がずるりと滑る。
支えようとした足首に嫌な感触が走った。ひねったか。

張り詰めた空気に、揺れるのは女の髪と肩で息をするそれ。女も疲れてきている。シャルルは低く、小柄を活かして構える。
自分より大きな相手には慣れている。狙うのは腹や腰。人の動きの軸にあるそれは、手足に惑わされずに狙えば、確実な的となる。
数回斬りつけた女の腰から、ぬるりと赤い流れが滴る。
嫌になるほどお互い見つめ続けてきた目線。次の動きを読もうと張りつめたシャルルの表情。女はふと、目を細めた。

「リオン・ド・リタ」女の口がそう形作った。
「お前は、封を受けているのか」
明確な問いも、シャルルは無視する。
今は関係ない。ただ、疲労を少しでも回復するのに女の問いかけはありがたかった。
睨みあう間にも、荒い息は徐々に落ち着き始める。

「セネシャルだそうですよ、ロトロアの」
余計な話を伝えるのは女の背後に腕を組んで見つめる、王の騎士。その隣に立つ若い王は、あのいやらしげな笑みを浮かべたまま見つめている。じれったいのか、足がわずかに落ち着かない様子でひたひたと地を踏む。
「セネシャル?」
聞き返す女の表情は変わっていた。
絶望を抱え、闇雲に突っ込んできていた女に変化が見えた。
瞳に、怒りが浮かぶ。
「お前みたいな、子供が?セネシャルですって?」
「だからなんだよ」
「血筋?貴族様?恵まれたことね。あの人には申し訳ないけど、生かしておけない」
「……僕は特別な血を引いている。お前とは違う」
シャルルは弾む息をふと一つため込んで、腹に力を入れる。疲労は頂点。それでもシャルルの菫色の瞳は輝きを増している。
幼い頃から、叩き込まれた動き。
貴族の子ではと噂されたそれは、同じ孤児に嫉妬された。年長の子には苛められ、生意気な少年ぶりは修道院でも仲間外れ。いつも孤独。だから、喧嘩には常に勝ってきた。勝たなければならなかった。あの頃の、ひりひりした想いが甦る。

「僕は特別なんだから。羨ましがればいい、自分にないものを妬み憎めばいい。卑屈な人間に下げる頭はない。僕は自分を誇らしく思ってる」
例え親が分からずとも。当たり前の愛情がなくとも。
そうして生きてきた僕は、自分が嫌いじゃない。
堂々と風に金のタテガミを揺らし、ゆっくりシャルルは目を細める。

「生意気ね!」
言いながら構える女は、すでに一歩踏み出し。
シャルルは備えていたそれに下から剣を振り上げる。
ガツ、と耳に痛いほど刃が音を立てぶつかり合う。
瞬間、白い何かがシャルルの視界を遮った。
「わ!?」
あっという間にそれはぐるりと駆け巡り、シャルルの腕を伝って女の肩へ。
「クウ!」
叫ぶシャルルに混乱した白イタチは一度振り返った。
そのしなやかな体が無造作に掴み取られ、女は乱暴に腹を握ると投げつけてきた。

親友、なのだ。
小さな柔らかい体の獣なのだ。
シャルルは思わず剣を投げ捨て、白イタチを抱きとめていた。
そっと、抱えるそれは苦しげにぐったりとしている。
「シャルル!」
ジャンの呼び声に顔を上げれば、目の前に女の剣。

額の寸前で腕を掲げ、ずん、と革の篭手に痛みが走る。

「このーっ!!」
弱い者に、何を!

そのまま女の手首を掴むと、剣ごとひねり、上から押さえた。
怒りは力に変わる。
「許さない!」
女の左手の短剣が振り下ろされる寸前、シャルルは右手を引き付けながら、後ろ回し蹴りを首に。
がつと鈍い音を響かせるほど、思い切り蹴りつけた。

はあ、と。息を吐いた時には、女は地に倒れていた。
気絶している様子、シャルルは奪いとった女の剣を、構えた。
横たわる首は白く細い。顎をさらし、無防備なそれはただの弱々しい女だった。

これに、突き立てれば、それは髪と同じ赤に染まる。想像しても、それには何の恐れも沸かなかった。恐れてはいなかった。
はあ、はあ、はあ。自分の息を耳元に聞きながら、シャルルはしばし、想像と供に女を睨みつけた。
そのとき、片腕に抱える親友が、ひくと動いた。

「クウ・クル!」
剣を捨て、それをそっと両手で抱きかかえる。
座り込んで膝に乗せる。
いやだ、「クウ・クル!」
白い身体は、小さい。わずかに首を動かし。耳がシャルルの声を聞きつけた。
もう一度、ピクリとして。今度は鼻がひくひくと。
それでも、足は力ないままだ。
「足を、折っているかも知れません、シャルル。そっと、こちらへ」
顔を上げればジャンだった。
にじむ視界に、少年は困ったような笑みを浮かべ、座り込んでいるシャルルを抱きしめた。その感触になぜかくらりと視界が揺れる。
「もう、十分ですよ、シャルル。多分、女はもう」
ジャンの声が遠く感じる。
「…、死んだの?」
「すごい蹴りだったから」
「僕が」
「君も、怪我をしています。すみません。僕は見ているだけで。……君を、助けられなかった」
シャルルは首を横に振った。
「クウを、助けて」
ほろ、と。こぼれた涙が、うつむいた頬をパタパタと急ぎ足で転がっていった。
ふわりと肩に何かがかかり。暖かい手が添えられた。
「立てるかい?リオネット」
ヘンリー三世だった。
そう、自分が地に座り込んでいるのだと今気付く。
ジャンがくったりした白イタチを抱き上げ、立ち上がったから。自分もと、シャルルは立ち上がろうとした。
つ、と痺れたように背中が震え。崩れそうになるのを、ヘンリー三世が支えた。
シャルル、と。ジャンが呼び。リオネットと、ヘンリー三世が呼んだ。
空が半分を占める視界に、ベルトランシェが加わった。

ああ、リオンって、きっと、呼ぶ。
僕の、名前をなんだと、思ってるんだ。
まったく。



ぴり、と。冷たい何かが頬に当たる。
「わっ!?」と。
シャルルは飛び起きた。
眼に何か入って慌てて袖でこする。
「よかった、気がついたんですね」
ジャンの声だ。
「ジャン、あの、僕」
肩を誰かが抱いて支えてくれた。
「これを、リオン。水です。なかなか、いい戦いでした」
リオンと呼ぶ、これはベルトランシェだ。
「あの、僕…ああ!?クウ・クルは?」
水を両手で抱え、飲み下すとシャルルは周囲を見回した。
ジャンは額を冷やしてくれていたらしい布を抱えて目の前に立ち、ベルトランシェはすぐ横に座っている。
施療院の一室だろう。そこは薄暗い小部屋で、育った修道院を思い出す。何の装飾もない高い天井は寒々とし、壁に掛けられたランプ。窓の外は暗い。もう夜なのだ。
僕は随分、長く眠っていたんだ。
ベルトランシェが立ち上がると、シャルルは自分がベッドに座っていたことに気づく。ちょうど、騎士の腰の剣が、目の前にある。
それはかすかに血の匂いをさせていた。
「なあ、クウ・クルは?」
ジャンがシャルルの肩に手を置き、申し訳なさそうに視線をそらした。
「それが、あの」
「死んじゃったのか!?」
「あ、その」
「ジャン!」
「逃げてしまって」
「え?」
「シャルルが気絶してしまってから、先にクウ・クルが目を覚ましたんですけど、ショックだったみたいで、おびえて逃げ出してしまったんです。この建物のどこかにいるんだと思うんですけど、見つからなくて」
ぺたんと、シャルルはベッドに座りなおした。
「元気そうだった?」
「あ、多分。走っていたから、大丈夫だと思います」
「そうか、よかった!」
思わず顔を手で覆うシャルル。その頭を、大きな手が優しくなでた。
「先ほど、厨房で見かけました。もう、時間も遅い、探すのは明日にしなさい」
顔を上げれば、ベルトランシェがきらきらとした顔で見つめていた。美貌の騎士。シャルルはつい、頷く代わりに多めに瞬きすることになる。
「リオン、ジャン。森に潜んでいた敵を知らずに施療院に入っていたら、それこそ大惨事でした。お前たちに今回は救われました。礼を言います。今夜はゆっくり休みなさい。明日はランに戻るのでしょう」
「はい」二人同時に頷いた。
褒められれば悪い気はしない。国王陛下を護ったのだ。
役に立たないとセジュールに言われたけれど、こうして礼なんか言われてしまえばわくわくと心が浮き立つ。
「陛下には今回のように多くの敵がいます。我ら近衛騎士団では表立って行動できないことも多い。ロイの捜索も同じです。リオン、ジャン。お前たちにはそう言った仕事をお願いします。いいですか。例えティボー四世でも、ロトロア・ド・ルジエでも。他言は無用ですよ」
「それ、無理だよ」
ふとシャルルはジャンの気持ちを代弁した。いや、自分の気持でもある。
「従騎士なのにさ、黙って出かけられないよ」
ベルトランシェは大きな目を丸くし。それからふと笑った。それは初めて見た時より温かい笑みに感じられた。彫刻のように美しい顔は、親しくなればなるほど心をくすぐる。ジャンが言うとおり、近づいて見れば温かい人柄も見えるのかもしれない。
「ふん。馬鹿ですねぇ。私の立場としては一応そう言っておかなくては。どう受け取りどう行動するかはお前たちが自分で決めるのですね」
「なんだそれ?」
「大人になりなさい。約束できますね、ジャン」
「はい。自分で決めて行動したことに、自分で責任を取る。僕は誰にも言いません」と。ジャンはお利口さんの態度でウインク。
いつか。ロトロアに言われた。そう言えば。
騎士として大成するには、素直ではだめだと。正直に顔に出していては何もできないと。
そういうものなのか。
「悪いことをしたら鞭打ちですよ」と。ベルトランシェは意味ありげにジャンに片目をつぶって見せる。
「ジャン。気をつけろよ。笑いながら鞭を打つ奴だぞ」
「大丈夫ですよ」
ホントかな。釈然としないシャルルを残し、ベルトランシェは上機嫌で部屋を出て行った。
見送って二人きりになれば、何となくほっとする。
「なあ、この部屋、病人がいたんじゃないのかな」
「え、ああ、はい」ジャンが着替えながら答えた。
「いましたけど、他の部屋に。あの修道女になり済ましていた賊たちは、今朝この施療院に押し入ったらしいです。病人と修道女たちを一部屋に押し込んでいたんです。この戦乱でけが人も大勢出ましたし、国王陛下もここで一泊することになったんです。だから、部屋を開けてくれたんですよ」
「ふうん」
「予定では明日が治癒秘蹟の日だったから、今日のうちに僕らが見つけた敵軍と合流する予定だったんです。そうしたら、明日には院内はあの黒い騎兵でいっぱいになっていたはずです。気付かずに入り込めばいくらベルトランシェ様でも陛下を護りきれなかったと思います。僕らが林で賊を見つけなかったら、ひどいことになっていたと思いますよ。シャルル、ほんとに僕ら、役に立ったんです」
「ふうん」
「ヘンリー三世陛下とも、いろいろお話できましたし。シャルル、君の戦いはすごく緊張して恐ろしかったけど、感激しました。改めて尊敬しますよ」

ジャンは興奮が残るのだろう、ああ、これロトロア様にお話ししたいなぁ、と呟きながら横になる。
シャルルは眠っていたせいで目がさえている。
「あ、そうだ。ジャン、ごめん。戴冠式のお前の任務」
「ああ」
ジャンは毛布の下から欠伸まじりで返事をした。
「いいんです。僕も行きましたから。やっぱりシャルル一人じゃ、心配です。僕の予想通りシャルルはろくなことしないんですから」
多分、笑っている。
「なんだよ!もしかして朝のは仮病か?!」
「君は会うべきだと思ったから。ジャンヌ様に」
シャルルはジャンのベッドに駆け寄ると、毛布をめくる。
「!?」ジャンの目がランプの明かりをきらりと弾いた。きらきらした涙は溢れそうになっていて。少年は笑いながら眼をこすった。
「せっかく、会えるんです。お母さんに。生きて会えるなら、それはどんな理由をつけてでも会うべきだと僕は思います。僕ももし会えるなら、お父さんに会いたい。もう、絶対に会えないんですけどね」
ちぇ。
もらい泣きしそうになってジャンの顔を見られなくなり、シャルルは毛布を強引にかぶせた。
「ジャンヌ様も、馬車があんなことになったのでここに留まっておられます。明日、また会えるといいですね」
「分かったよ、もう寝ろよ。お前、戴冠式も無理して出たんだろ。風邪をこじらせて死なれてもいけないしさ」
僕も寝る、とランプを消し。再びベッドに横たわったものの。窓からの月明かりが妙に眩しくて、目に沁みる。何度も目をこすりながら。シャルルはジャンヌの顔を思い出していた。
また、会えるかもしれないんだ。


修道院と同じで、施療院もカランカランと小さな鐘の音から一日が始まる。
懐かしい。
起きだして、僕はまず身支度と水汲み。早朝の井戸は冷たくて、重くて。大変だったんだ。
そんなことを思いながら、シャルルは起きだすと、まだ眠っているジャンを残して部屋を出た。そう言えばお腹がすいている。
自然と足がかまどと食べ物の匂いに吸い寄せられて行く。クウ・クルも探さなきゃ。
すれ違う修道女におはようございますと挨拶しながら。たどりついた厨房をのぞく。
そう、いつもお腹がすくとこうして、厨房にアンを探した。
アンなら何とかしてくれた。
「あの」
忙しそうに働く女中の背を見つめ、シャルルは声をかける。
「この辺に白いイタチ、いませんでしたか」
「シャルル?」
へ?
振り返ったその姿は。
懐かしい、修道院の女中だったアン。ふくよかな体はそのまま、わずかに白いものの増えた髪をきちんと結ってこちらを見つめていた。
その肩にしっかりしがみついて、クウ・クルが顔を見せた。
「アン!」
「シャルル!!」
駆けよればあの温かい胸。優しい手のひらが頭をなでる。
「ああ、背が伸びたのね、綺麗になって」
「会えないかと思った。修道院にいるのかと」
想いが詰まって胸が苦しい。
「あそこにいるのはなんだかつらくてね。こちらに移ったのよ」
しっかりと抱きしめられながら、シャルルは「会いたかった」と。子供のように泣きだしていた。やっと。
今やっと、故郷に帰えることができた。
アンの涙もシャルルの頬を暖めた。

厨房の作業テーブルにジャンと並んで座りながら、シャルルは温かいスープをもらっていた。足元では分けてもらった肉をクウ・クルがしっかりくわえて、嬉しげに尻尾を振る。
鼻声を残し、涙はすでに乾いている。感動は嬉しさに変わり、シャルルの表情は輝いている。それにつられるのかジャンも嬉しそうに二人の話に聞き入った。
「ホントに、あの晩はひどいことだらけでね。シャルルはあの乱暴な騎士に連れ去られたというのに、院長様は修道院の誰にも助けに行かせないのよ。皆、ずっと、いつでも追いかけられるようにとね、ずっと院長様のお許しを待っていたのに」
「うん。大司教様はさ、あの事件をなかったことにしたかったんだ。だから、あの騎士の顔を知っていた僕は邪魔だったんだよ」
アンは小さい子供にするようにシャルルの頭をなでた。
「大聖堂で衛兵も殺されたっていうじゃないか。よかったよ、シャルル。あんたが無事で。今どうしているんだい?国王様にお仕えしているのかい?」
「あ、ええと。そんな感じ。まだまだ、見習いなんだけど」
「そうかい。ニルセンさんがものすごい勢いで修道院に訪ねてくるから、院長様も苦し紛れにあんたがまずいことをしたみたいに言ってさ。それが、そのまま噂になって。あんたは何にも悪くないのに。あんたのことをね、本当は皆、可哀想だと思ってるんだよ。小さいあんたに何の罪があるって。でもそう思うから余計にね、大司教様や院長様の言葉をそのまま受け入れたんだ。あんたのことと一緒に罪悪感も忘れたいんだね」
あたしはそれがどうも腹が立ってね、それでこっちにね。
そんな話をしながら、アンは美味しいジャガイモのミルク煮を作ってくれた。
「美味しい!初めて食べました」ジャンがホクホクした甘いジャガイモの上で、こんがりとろけるチーズに感動し。
シャルルも久しぶりに味わうそれを、口いっぱいに頬張った。
美味しいだろ、自慢するシャルルにジャンもうんうんと頷く。シャルルが感謝して食べるのもこれならよく分かると、ピクルスを思い出しているようだった。

「次に来る時はランスじゃなくて。ここに、帰ってきていい?」
食後の甘いお茶のカップで照れをごまかしながらシャルルが言ったそれに、アンはにこやかに頷いてくれた。


延期になった治癒秘蹟は、結局元の予定通り、四日目の午前中となった。ランスに留まっていたセジュールや残りの衛兵たちも合流して狭い施療院は本来の住人の数十倍の人出で埋まっていた。
馬車の転倒事故も、どうやら賊の仕業だったらしいとか、黒づくめの騎士たちがブルターニュ伯の手のものだったらしいとか。
治癒秘蹟が始まる頃には、噂話があちこちでささやかれていた。

「なんだ」
クウ・クルをしっかり抱いて、人垣の後ろから覗いていたシャルルは、つま先立ちを辞めて座り込んだ。がっかりだ。
「治癒秘蹟っていっても、ただ触れるだけじゃないか」
しー。と、隣で同じように背伸びしていたジャンが、慌てて口を押さえる。
幸い、シャルルの声はざわめく人声に遮られ、衛兵やベルトランシェには届かなかった。ちょうど、「ありがとうございます」と病人の老人が大げさにルイ九世を仰ぎ見たところだった。
施療院の礼拝堂には、見物の貴族と病人、その世話をしている修道女たちが周囲に立っている。
聖壇の前にはルイ九世が立ち、その前に膝をついた病人の額に塗油するように触れていく。何がしかの言葉、司祭の説教のような文句を呟いているようだが、シャルルには聞こえない。
「それでも皆、聖なる存在の王様に親しく触れてもらうってだけで嬉しいんですから。シャルルは陛下のこと、馬鹿にしすぎです」
「ルイに親しく触れられてたら、大変だろ。ばか」
ほんとに、怖いもの知らずなんだから。僕らも早く帰り支度しますよ。と相手もせずにさっさと礼拝堂を出て行く。ジャンも結局、つまらなかったのだろう。
「なんだよ、そんなに慌てなくてもさ」
シャルルは一人呟いた。もっと、ここにいたいのに。

ざわざわとシャルルたちの前をふさいでいた人垣が崩れ出す。
留まるシャルルを避けながら、国王陛下を見送ろうとする病人や修道女がゆっくりと扉に向かう。ルイもそのままパリに戻るらしい。
狭い施療院に泊まることができずに、大半の貴族は昨夜のうちにランスに戻るか、所領へと帰って言ったという。ヘンリー三世の姿もないから、イングランド王も帰ったのだろう。
そう考えれば、本来はもっと盛大な式だったのかもしれない。
治癒秘蹟、楽しみにしていただけにシャルルは物足りなかった。
満たすためと言うわけではない。期待していたわけでもない。
ただ、少しでも会えるかと。視線は歩いて行く人々の中を探る。
人混みの中すらりと姿勢のいい女性が目に止まる。金色の長い髪は真っ直ぐで、その人の性格をも現すようだ。

ジャンヌ様。
シャルルの想いが声になったのか、こちらを振り向いた。
シャルルは慌てて口を両手で塞いだ。
緊張する間もない。目の前に、ジャンヌが立っていた。
「シャルル、一人?怪我は大丈夫ですの?」
金色の長い髪が、美しい蒼い瞳が。
もしや、ジャン、気を利かせて一人にしてくれたのかな。感謝と共にシャルルは頬を火照らせて、目の前のジャンヌを見上げた。
「はい、大丈夫です」
ベルの鞭の傷の方がよほど痛んだ。
「立派でしたわ。ロトロアのセネシャルだと聞きました」
「あ、はい。僕はランスで拾われた孤児です、あの、それで、ロトロアに拾われて」
ジャンヌの笑顔はそのまま。
「そうですの。貴方の才能を見込んだのですね。ロトロアは昔から人を見る目があるのです。貴方なら、任せられるわ。貴方にお話があると言いましたでしょ?これを、ロトロア様に届けていただきたいのです。大切なお手紙ですの。お願いしますわ」
差し出されたそれを、ぼんやりと見つめたまま受け取った。
「貴方ならきっと立派な騎士になりますわ。私にも貴方のような子供があればよかったのに」
子供。
ぎゅ、と胸が鳴いた。
ふわりと抱きしめられ、またいつか、と手を振り去っていくジャンヌを。シャルルは見送っていた。
手に残る手紙を見つめる。
僕みたいな子供がいれば、って。
そんなこと言われたら、確かめられないじゃないか。
名乗っても、顔を見せても。ジャンヌ様が気付かないとすれば。
僕にはなにも、あの人の子供だと主張するものはない。


シャルルはクウ・クルを肩に乗せ、ゆっくりと礼拝堂を後にした。中庭の日差しに目を細め、何度も擦った。
手にした手紙の匂いを嗅いでみたり。日に透かして覗いてみたり。
「なんかいい匂いがするよ、クウ・クル!これ、ジャンヌ様のなんだ、この字も。思ったよりずっと若くて綺麗だったよね。だってさ、今年二十七歳なんだ、十四の時に僕を産んだんだ」
独り言はいつもどおりイタチに無視される。けれど、他にこの気持ちを共有できる友はいない。シャルルは話し続ける。
「綺麗で、優しそうだった。ブランシュ様みたいに抱きしめてもらったらいい匂いがしたんだ」
優しそうなのに。綺麗なのに。
どうして僕は側にいられないんだろう。
手紙が気になるのか、クウ・クルが鼻をひくひくさせて前足を伸ばす。
「ああ、だめだ。これはまだお預けだよ」
手紙をクウ・クルから離し空に掲げる。そう、お預けなんだ。
きっといつか。
ふわりと風が吹き、空が青く高く。シャルルは視界一杯に空を見て、大きく息を吸った。


『La croisade de l'ange 2:Laon』 25

『Laon ‐ランの風は苦く‐』

25

ランの郊外。丘陵地の郊外に採石場がある。
そこは切り取られた岩肌が寒々とした灰色を空に向け、冬場独特のうす黄色い夕日にわずかに染まる。松明が焚かれ、ラン伯に召集された兵たちはそれぞれの町ごとに群れを成すようにテントを張っていた。
何度目かの呼び出しに、愛馬の頭も低くうなだれ主人の気持ちを察しているようだ。
リシャールはラン伯が構える一際大きなテントを目指して、馬を進めていた。馬上からはあちこちで炊き出しを始める香ばしい香りが白い煙となって見える。その流れを横切り、遮りながら日暮れ前の冷気を胸に吸い込んだ。
きりりと痛むのは冷たいからだけではない。

「何が、戴冠式見物ですか」小さい溜息は傍らにいたはずの騎士見習いへの恨み言だ。
一人ランに残らなければならなかった青年は、ラン伯の斥候が周辺の情報をもたらすたびに報告だと呼び出され。ラン伯の「あの獅子の子はどうした」という質問をかわしてきた。
三度も、嘘は通じない。
一度目は市場で食べた焼き鳥にあたった。
二度目は子供のこと、市場に浮かれ遊び出たまま戻らない。
三度目。次こそ連れて来るのだろうな、と言われているのだ。何をどう、説明するのか。

思えば腹立たしいことだらけだった。
世話の焼ける少女をブリュージュに置くのもリシャールにとっては迷惑な話だったし、シャルルがいるがため今回もロトロアに同行できなかった。自分がロトロアのためでなくシャルルのために働いているような気分にさえなる。
シャルルがいずれロトロアの側に居つき、女気のない主君に少しは華やかな話がと思えばこそ、努力もしていた。それも、あの置手紙で諦めた。
言ったはず。ロトロア様を裏切るなと。ロイの存在を知り浮かれ出て行くようでは困ると、言ったはずだ。それを我慢できずに一人ランスへ向かうとは。
あそこに行けば、ロイがルイ九世でないことを知る。そうなった時。あの娘は、再びここに戻るだろうか。
もしや裏切り、ランスに居ついてしまうのではないか。あの時のことを、明らかにしてしまうのではないか。

ラン伯への言い訳はともかく。
ロトロアが任せるといい、任せられたからには。シャルルを失うことは最もリシャールの恐れる事。
身動きの取れない状況で、リシャールはただワインの量だけが増えていく。
今もわずかに残る酔いが頭痛となり、美しい青年の眉間に鋭さをくわえていた。

ラン伯は三度とも同じ様子でリシャールを迎えた。
テントの中、衛兵の間をすり抜け幕をくぐれば眉と同じ色の熊の毛皮をまとい胡坐を組んで巻いた敷物に寄りかかる。脇に置かれたランプの明かりに、顔の影がしわを刻んだ。

「ほお。またもや一人か」
静かに息を吐き出し、リシャールは覚悟する。
膝をつき、ラン伯の前に頭を垂れた。
「申し訳ございません。私の過ちでございます」
「お前の?」
「はい、シャルルは浮かれ、このように。ランスへと戴冠式見物に飛び出してしまいました。子供とは言えあまりにお恥かしいこと。明かすことが出来ず、偽っておりました」
リシャールはシャルルの残した手紙を、ラン伯の前に置いた。
ちょっとランスへ行ってくる。戴冠式を遠くから見物するだけだから、すぐ戻る。ワインばっかり飲んでたらだめだよ。
などと書かれた走り書き。
ふ、とラン伯が面白そうに笑った。
「余計に酒量は増えた様子だが」
その通り、目の前の美青年はわずかに青白い顔をし、ワインの香りをさせている。
「しかし、子供の失敗はお前の責任。そして、お前の過ちは、ロトロアの責任だな」
「い、いいえ!これは、私が悪いのです。ロトロア様には決して、このことは」
弱みを見せてはいけない相手。それは、リシャールも心得ている。しかし。
「子供一人、面倒を見られない等お恥ずかしいこと。私の責任でございます」
話せば、バカだなとロトロアなら笑うだろう。俺のせいにすればいいと、笑って許すだろう。それがリシャールにはつらい。
「ロトロア様にご迷惑をおかけすることは出来ません」
頭を下げている青年には見えなかっただろう。
ラン伯は険しくした表情をふと笑みに変えた。
「ではリシャール。お前がこの失態の責任を取るというのだな」
「…はい、偽り誤魔化そうとしたのは私です」
敷物に映るラン伯の影が動いた。目の前にそれが近づくのを感じながら、リシャールはひたすら地を見つめ続ける。
ふ、と顎に手が伸び。
つかまれるまま顔を上げる。
目の前のラン伯は、背にしたランプの影で表情が見えない。臭い息に耐えられず数回瞬きする。
「では、リシャール。私と臣従礼を結ぶのだ。それも。ロトロアには内密に」
「!?」
「お前ほどの男が、ルジエのセネシャルなどという地位で満足するものではあるまい?お前が優秀であることは十分知れ渡っている。見栄えもよく、腕もたつ。これまでも幾度か話を持ちかけたが、ことごとく断ってきたな」
リシャールは息を止めた。まずいことになる、にやりと笑うラン伯はよからぬことを思いついたに違いないのだ。
「なぁ、リシャール。今回のこと、ロトロアは兵を二人残せと命じたわしに逆らったのだ。そうだろう?ロトロアからルジエを取り上げることも出来るのだぞ。あれが何を勘違いしているかは知らんが、あれの主君はわしだ。たとえ親族だろうと主君の命は絶対。逆らうなら契約は破棄。領地ルジエは返上してもらう。それが筋と言うものだ」
強引にそれをしたなら、ラン伯所領の多くの領主が反発するだろう。だが、理屈は通る。


「リシャール、お前がわしのオマージュを受けると言うなら、今回のこと見逃してやっても良い。どうだ」
「そのような契約、聞いたことも……」
ぱん、と。
頬が鳴った。
よろめいただけで、リシャールは再びラン伯を見上げていた。
「受けるのか、受けないのか。受けぬなら、ロトロアからルジエを取り上げる。ルジエはもとより我が所領」
「貴方様に私がお仕えする対価として、ロトロア様にルジエを残すと、そういうことでございますか」
「そういうことだ」
「……もし私が契約に反した場合には、どうか私の命を」
しばし沈黙。
意味が取れなかったのか、ラン伯はリシャールの顎から手を放し、自分の髭をなでつけた。
「私が貴方様との契約に反したときには、ロトロア様からルジエを取り上げるのではなく、私の命を代償にしていただきたい」
言いなおすリシャールに、ラン伯は苦々しく笑った。
「そこまで、ロトロアに尽くすのか」
長い金髪をぐいとつかまれ、それでもリシャールは真っ直ぐ、ラン伯を見つめた。
「ではわしが選ぶ。その時にな。お前の死か、ロトロアの領地没収か」
伯の手は首を絞めるかのように金髪の束をぎりぎりと握ってみせる。
「いいでしょう。ですが、一つ条件があります。ルジエとロトロア様に不利益な命令はお受けできません」
「なに?」
「もともと。私が貴方のオマージュを受けるのは、ロトロア様のため。その意味を成さないなら、契約する必要などありません。ロトロア様に害を与えるようなご下命はなさらないこと。これが、最低の条件です。私も命を懸けるのです、そのくらい当然でしょう」
にっこりと。
青年の顔を美しい笑みが彩る。
結局、リシャールの最上位のオマージュはロトロアに捧げられている。
「ふん。いいだろう」
ラン伯は吐き捨てるように言った。ロトロアの喉元に突きつけるつもりのナイフは切れ味を失っている。それでも武器であることに変わりはないと、ラン伯は判断した。


その夜、遅く。リシャールが重い足取りで宿に戻ると、シロンの店の部屋にはすでに明かりが灯っていた。
ベッドが六つ並んだ部屋はリシャール一人では広すぎる。静かな環境は、淋しさも伴うが今夜の青年にとってはありがたいもののはずだった。何とか理屈でごまかし最低限の条件を保ったものの、リシャール自身、自らの判断に自信が持てずにいた。
一人でじっくりと考えるつもりが。
扉を開ければまず、派手な金色の髪、小柄な姿がこちらを振り返る。「リシャール様!」と叫ぶのはジャン。

「ええ、っと。ただ今戻りましたっ!リシャール、ごめん!」
シャルルは青年が何か怒鳴る前にとでも思ったのか、リシャールの前に立ち深く頭を下げた。下げたまま、リシャールの言葉を待つ。
静寂。
シャルルはちらりと。青年を見上げる。
と、目の前の長い金髪が揺れ、青年の容赦ない手が挙がる。
反射的に逃げ出しかけ。シャルルは踏みとどまる。
「っ!」
踏みとどまったのは、リシャールも同じだった。
頬を殴る寸前で、青年の手は止まっていた。
「……ごめんなさい」
シャルルの言葉が合図だったかのように。リシャールは少女に抱きついた。
「わ!?」
「私としたことが、女性に手を挙げるなど騎士道に悖ります」
身長差で壁のような胸にシャルルは慌てる。けれど、ワインの香り。
続いて、よかった、と小さく呟いた青年の声に思わず胸がぎゅっと鳴いた。
心配させたんだ。
「ごめんなさい。僕」
「帰らないかと。お前を逃せば、ロトロア様に何と言っていいか。ジャンと一緒だったのですね」
逃がせば?
「何もなかったでしょうね?ジャン、シャルルはロトロア様のものです、男勝りでもそれなりに麗しき乙女。私の失態で傷など付けては……」
「気色悪いってば!放せよ!」
「無事でしょうね?これは、…これは?」
シャルルの腕を掴んで包帯をなでる。
「やめろってば!ちょっと鞭で打たれただけだって!」
「鞭!?」
青年に睨まれたジャンは、「あの、王の騎士にそういう人がいるんです。ベルトランシェ様、ご存じでしょう」と、形容しがたい様子のリシャールに尻込みしながら、小声で告げる。ベッドに座るシャルルの前に膝をつく姿は、貴婦人に対する騎士のそれだが、目の前でそれをされるのはジャンも初めて。すでにリシャールは包帯をほどき、まだ残る傷跡を食いつかんばかりに睨んでいた。
「あの、僕が平気なんだから、いいだろ別に。ベルは仲良しになった、と思うし」
ぶふ、とジャンが仲良し発言に噴き出して反応する。
「あれと仲良し?ブランシュ様の近衛騎士団ですよ?」
「そう、ブランシュ様とね、契約をしたんだ!ロイを探すの手伝ってくれるってさ」
にっこりと無邪気な笑顔、壊したい衝動なのかリシャールは腕に力を込める。
「ぎゃっ!」
掴まれた腕がきしんで、シャルルは悲鳴を上げた。
「放せ!!痛いってば」
「どういう経緯ですか、何故そういうことになったのです!シャルル!言いましたよね?ロトロア様を裏切れば殺すと」
すでにリシャールの左手がシャルルの細い首を絞めようとしているから、ジャンが飛びかかって引きはがそうとする。
「落ち着いてください!!リシャール様ぁ!」
「くる、しーっ」
「シャルル!!言いなさい!何があったのですか」



死ぬかと、思った。
シャルルはベッドに寝転んで喉をさすり、その間ジャンがこれこれと説明する。
黙って、とにかく黙って聞いているリシャールの恐ろしいこと。
シャルルは顔を見ないようにしながら、枕もとにじゃれつくクウ・クルをなでる。
話を聞き終わり自分のベッドに腰掛けるリシャールは、ゆっくり足を組みなおした。腕を組んで二人の子供とその間にじゃれつく白イタチをじっと見ている。
「で、お前はロトロア様に内緒でブランシュ様と契約した、と。そういうわけですか」
低く静かな声。
怒りはまだ収まりきれない様子だ。
「そ、そう。ロイのこと、探すのに情報もらえるし、協力してもらえるんだ。ジャンはシャンパーニュ伯とブランシュ様との間を取り持つ。だよね」
「取り持つと言うよりも、調整役になれたらと考えています。リシャール様、ルイ九世陛下はまだお人なりが分かりませんが、ブランシュ様と懇意にしておくのはシャンパーニュにとって悪いことではありませんよね」
ランスに向かう前は敵対していたジャンとシャルル。いつの間にか兄弟のように仲好くなったらしい。ジャンの様子の変化にリシャールは溜息を吐き出し、組んでいた手を解いた。
「ジャンは現在の情勢を知っていますから、それを見据えた行動として評価しましょう。ただ、シャルル。貴女は何も知らずにいますね。シャンパーニュ伯は場合によっては宮廷に反旗を翻す可能性がある。ロトロア様も然り。最悪の場合は戦争になります。お前とブランシュ様の契約をロトロア様ならば利用なされるでしょう」
「戦争?そんなの困るよ!ブランシュ様を裏切るなんてできないから」
「ではロトロア様を裏切りますか?」
立ちあがるから、シャルルはまた縮こまる。
いつの間にかジャンの袖を掴んでいたシャルルの手に、少年の手が重なった。頼もく感じてシャルルは握り返す。
「リシャール様、私たちは秘密の契約を結んだのです。双方に利用されるのも承知のことです。シャルルも分かっています、目的はシャンパーニュの繁栄。間違ったりしません」
ね、シャルル。戦争なんかにならないように、僕らが頑張るんだよ、と。そう励まされれば、シャルルも頷くしかない。

ジャンはそんなことまで考えて決めたのか。
僕はただ、ロイのためにと思っただけなんだ。

「シャルル。ロトロア様を裏切るのは許しませんよ」
「分かってるってば!大体、僕はロンロンと契約したんだ、リシャールに命令されることない……」
ふわりと、額に置かれた手にシャルルは視界をふさがれ、見上げるリシャールの顔が隠れる。
「こんな娘に」
そう聞こえた。

「娘って呼ぶな、気持ち悪いな!」
「知っているんですよ、ロトロア様は。お前がフランドル伯の血を引くなど、嘘だと」

え?

「それでもお前をそのように扱い、そばに置かれる。そのお気持ちを理解しているのですか。ロトロア様は、自覚されていませんがお前を心より大切に思っておられる。お前は知るべきです。価値などないお前が、どれほどロトロア様に大切にされているのか」

嘘?価値などない?

「僕、違うの?ジャンヌ様の、子供じゃないの?」
「とぼけないでください。先日、ランを発つ前にロトロア様が言われました。元々、ロトロア様とジャンヌ様は旧知の中。お友達です。お前が、ジャンヌ様の子でないことはすでに調べてあるそうです。お前はただの孤児。どこの、誰とも知らない女の子供です」

ただの孤児……?
シャルルは息が詰まる心地で胸を押さえていた。

「それなのにロトロア様はお前に伏せておくようにとおっしゃった。偉そうに修道院で育ったからと感謝を口にするお前が最も感謝すべき相手を間違えている。大切にすべき相手を分かっていない。ロイが何をしてくれたのですか。そろそろ、理解すべきでしょう」

「リ、リシャール様!」
ジャンがなぜかシャルルの前に飛び出した。
その姿が滲むから、シャルルは何度も目を擦る。

擦っても、擦っても。パタパタと溢れる涙が、止まらない。

僕の、お母さん、じゃない。
それを、ロンロンも知ってる。

シャルルは枕を抱え込んだまま、泣き出していた。

「……本当に、信じ込んでいたのですか。馬鹿ですね」
「リシャール様!!」
「いいですか。私が話したこと、ロトロア様に言ってはいけません」
リシャールは静かに、ただ泣きじゃくるシャルルに冷たい追い打ちをかける。
ジャンは枕ごとシャルルを抱きしめ、リシャールを睨みつけた。
「いくら、何でも。リシャール様、今そんなことを明かすなんて、ひどいです」
「私が何か間違ったことを言っていますか?ジャン」
「ま、間違ってないです、ですけど」
「シャルルが我がままいっぱいロトロア様に甘えているのを、私がどれほど我慢しているか!」
「ですけど!!ロトロア様が話してはいけないと言ったのなら、話すべきじゃないと僕は思いますっ!」
リシャールは口を閉ざし。ふいと少年から視線をそらすとそのまま、靴を脱ぎ横になる。こちらに背を向け、毛布を被った。

「シャルル」
「ごめん、ごめん。僕、その、こんな、泣くつもり」
背中をさするジャンの手に、シャルルは乱れた息を何とか整える。
それでもまだ、涙はこぼれ続ける。
記憶の端に上っては消えるジャンヌの姿を振り払おうと、シャルルは枕に突っ伏した。


ただの孤児。
僕の、お母さんじゃ、ない。
貴方のような子供がいたら、ジャンヌの言葉が思い出される。
顔を見て、名を聞いて。それでもそんな風に言えるのは。
僕があの人の子供じゃないから。
怖くて、本当は薄々感づいていたのに怖くて聞けなかった。


ジャンは、泣き続けるシャルルの手を握り締めているものの、なんと声をかけていいのか分からない。
ブランシュの胸で泣いていた、あの時シャルルにも抱えている悲しみがあると理解した。戴冠式でフランドル伯に会える、ジャンもそう願い、それは叶ったようにも思えたのに。

「なんで、ロトロア様が黙っていたのか。僕には分かる気がします」
誰に言うでもなくジャンは呟く。



『La croisade de l'ange 2:Laon』 26

『Laon ‐ランの風は苦く‐』

さて、第二章の最終話です♪少し長いけれど。
一気に行きます!!


26

翌朝。
重い瞼を何度もこすりながら、シャルルは味のしない朝食を口に運び続ける。いつも通りリシャールとの食事は気まずいものだが、さすがに互いに一言も口を利かないのは、周囲にも心配をかける。
気を使ったシロンの店主が、「今朝のベーコン、いい出来でしょう?この間の市で手に入れたんですよ、帝国の南部で作られるものでね。半年も熟成したんだって話ですよ」と、声をかけ。その気遣いにリシャールは「ええ、美味しいですね」と愛想笑いをする。
ジャンは「はい、すごく美味しいです。ね、シャルル」とシャルルにも声をかける。

美味しいですね、と言われても。シャルルは泣き続けたせいで鼻が詰まり、ねとねとした硬い食感以外、味わえるものがない。
「半年もたつと、肉じゃないみたいになるんだね」と。褒めたのか何なのか分からない返事は、完璧な鼻声で。泣きすぎた腫れた眼もそれと知れる。シロンは気の毒そうな顔をして黙り込んだ。

「お前は、価値が分からないのですね」
リシャールの嫌味にジャンが
「シャルルは疲れていて、ほら、体調が悪いと食べ物の味なんか分からなくなるから」と、とりなそうとする。
「ジャン、お前はこれから発つのでしょう。早く準備したほうがいいですよ。天気が悪くなりそうです」
「ですけど、シャルル……」の様子が気になる。
最後まで言い終わる前に、くしゃみをしたシャルルにナプキンを手渡す。

「シャルル、僕の風邪がうつったんじゃないですか。気分が悪いなら……」
「平気です。私が面倒を見ます。お前はお前の責務を果たしなさい」
ジャンはちらりとシリャールを睨みあげる。睨まれてもリシャールは言葉通り平気だ。
「シャルルはロトロア様が戻られれば元気になります」
「なにそれ」さすがにシャルルも口を開いた。
眠れなかったのと鼻が詰まるのと。確かに喉も痛い気がする。
「自らを省みることも学ぶべきです。この際、思い知るのもいいですね」

思い知る、つまり思い知らせてやるってこと。ロトロアが戻って風邪が治るという理屈も意味が分からない。リシャールの台詞がいちいち棘以上の痛みを突き刺すから、シャルルは聞くのも嫌になって席を立った。
背後で何やら食事の途中だとかという声がするが無視。
シャルルは階段をたどりながら部屋へと向かう。途中から追いついたジャンが肩を貸してくれた。
「やっぱり風邪かな」
「休んだ方がいいですよ。あの、シャルル」
年下のジャンはクルリとした瞳をシャルルに向けた。
「いいよ。お前も仕事しなきゃいけないだろ。大丈夫。リシャールと仲が悪いのはいつものことだよ」
「シャルル。ブランシュ様との約束のこと、僕もシャンパーニュ伯にお知らせします。シャンパーニュ伯が承認してくだされば、ロトロア様も認めるしかないはずですし。大丈夫、僕らは悪い事なんかしてないです」
励ますジャンに、なぜかシャルルはまた涙が浮かぶ。
案外、僕も涙もろいな、と。シャルルは初めて自覚する。
「ジャン、お前いい奴だな。ありがとう。ランスに行くの、僕一人じゃろくなことになってなかった」
言われた少年は目をぱちぱちとさせ、それから二度シャルルの背中をたたいた。
「ほら、ベッドへ。僕も面白かったです。シャルル、僕は今までシャンパーニュ伯やロトロア様、たくさんの大人に憧れてきました。同年代の子供なんか相手にしてなかった。君が初めてです。友達になりたいと思います。なってくれますか」

シャルルは靴を脱ぐ手を止めた。
まっすぐ育った奴はこういう言葉もすんなり口にできる。
座ったベッドがギシと返事をし。ジャンは照れくさそうに頭をかいた。
「あの、だめですか」
「ジャン」シャルルは立ってこちらを覗き込むジャンに手招きする。
「なんです?」
顔を寄せたジャンの手をぐんと引き。少年をギュッと抱きしめる。
「お前、頼りになるからさ。友達にしてやる」
「な、なんですか!!その、その」
「だめかな。何を赤くなってるんだよ」
「シャルルっ!」
真っ赤になるジャンにシャルルは笑い転げる。
またいつか会える。きっと。
離れてもこいつは友達だ。からかって寂しさをごまかし、シャルルはジャンを送り出した。ジャン・ド・ジョワンヴィル。シャルルにとって、初めて人間の親友ができた。


ジャンを見送った後は宿のベッドにもぐりこんだまま、シャルルはじっとしていた。
熱っぽい身体はますます重く、いつもより深く沈む。強張った石のように自分を感じる。
泣きすぎたからか熱のせいか、痛む頭を枕に預け傍らにごろりと寝転がる白イタチにも無反応。

遅れて部屋に戻ってきたリシャールの気配にも無視を決め込む。
そっとしておいてほしい、構わないでほしい。
その願いは空しく裏切られる。

「シャルル、起きなさい。ラン伯のもとに行きますよ。お前が戻ったことをご報告しなければなりません。お前がランスに行っていたのなら、戴冠式の様子をお教えすることで多少なりとも我らの面目も保たれます。セネシャルという大役の意味を理解しておくことは大切です。ロトロア様のおっしゃる通り、少し甘くしすぎました」

「うー」と唸ってみるが、この世でもっとも短い抗議の言葉は無視され、乱暴に肩をゆすられる。
「風邪くらいなんです。戦場では足を折っても、腕を射抜かれても、主君のために戦うのです。ほら、立ちなさい。騎士になるのでしょう?」
意地がある、シャルルにも。
「分かった」
そうつぶやくと顔をあげた。あちこちが痛む身体を勢いで起こし、シャルルは靴をはく。


騎士になる。その目的は、今はもうロイのためだけでしかない。フランドルへ行く必要はなくなってしまった。そんなことをふつふつと胸に湧きあがらせながら、シャルルは馬に揺られてランの郊外にある陣営へと向かった。
馬上の姿勢を保つのに精いっぱい、悲しいとかいう感情すら上手く実感できない。
ただ、「ラン伯に報告、報告」
それだけを脳裏に繰り返す。
傍らを進むリシャールに、「負けない、意地でも負けない」



ラン伯は「戻ったのか」と、面白そうにシャルルを見つめ、リシャールの言った言葉に何か返事をした。
あまり聞き取れなかったが、シャルルは何とか膝をついた姿勢を保っていた。
「具合が悪そうだな、こちらでランスの様子を聞かせてもらおう」
ラン伯の言うこちらってどこ?
そう顔をあげた時には、いつの間にかリシャールは別の部屋へ下がったのか見当たらない。
とにかく立ち上がり、ラン伯の示すテーブルの向いに座った。

「さて、戴冠式は見られたのかな?子供単身では聖堂内に入ることはできまい?」
「あの、ジャンが一緒でしたので、シャンパーニュ伯の使いとして見てきました」
「ああそうか。戴冠式はどんな様子だった。どの貴族が集まった?話すことができるかな」
どの貴族……。視界がやけに暗く、シャルルは懸命に瞼をこすった。
「あの、フランドル伯が、……」
杖を、渡して。
金の髪が、綺麗で。
ああ手紙。渡さなきゃ、ロンロンに。



誰かが何か言った。
驚いたような、声。
人が出たり入ったりする気配。

額に何か当てられて、シャルルは目を開いた。

「気がついたのか。薬湯を作らせた。飲みなさい」
ラン伯だ。
白い髪、眉だけが黒くて、その下のぐるりとした目が、見下ろしている。
肩を支えられ、ゆっくり体を起こす。
耳鳴りのようなものが邪魔をして、音も視界も、何もかもが遠い。
渡されたカップを両手で持ち、そこで初めて自分の服がさっきまでのものと違うことに気づく。白い寝間着。厚地の毛織物のそれ一枚だけでは寒い。シャルルは震え、すぐに「これを」と見知らぬ女中が上着をかけてくれた。
「ありがとう」
「女だったとはな」
ラン伯を見上げる。

「隠していたわけではありません。もともとシャルルは普段から男性の服装をしていましたし、このランにはさまざまな人が集まります。ロトロア様のセネシャルとして少女を雇ったことを知らせるのは、問題を起こす可能性があったのであえて語らなかったのです」
そう説明するリシャールもラン伯の背後に控えていた。まるで、ラン伯の側近のように。
シャルルが視線を合わせても、リシャールは無表情。

本当にロトロアが僕の相手をしなくなったら、ハムみたいに斬られそうだ。萎縮する気持ちがうつむく視線に現れ、視線の先の薬湯を口に含むと、シャルルはせき込む。
今の状況がいいのか悪いのか。よく分からない。
ただリシャールの口調がいつもよりずっと低い声で、感情を押さえ込んでいるように思える。何か警戒しているに違いないのだ。黙っているのが一番。気だるさも手伝ってシャルルは半分ほど飲んだカップを女中に渡すと、また横になった。
ここはあの陣営ではないように思える。多分、ラン伯の城。柔らかな敷布のある、立派なベッドだ。そのひやりとした感触に火照った頬を擦り付けると、シャルルは目を閉じた。
寒い、だるい、痛い。
そこに誰がいようと、何が語られようと。今のシャルルの耳には届かない。
小さく縮こまって、自分にこもる。もう、悲しいことも難しいことも、嫌だ。
嫌だよ。



静まり返っていた。
薄く眼を開くと、窓から重く灰色の空が見えた。
ああ、窓なんかあったんだ。
改めて眼をこすり、寝返りを打つ。
「目覚めたか」
びく、として、シャルルは薄暗い室内に座る男を見つめた。
ラン伯だ。
一人きり椅子に座りじっとシャルルを見つめている。
「あの……」
「そのままでいい。ロトロアは女を抱くことはあっても可愛がりはしない。珍しいことだ。お前の何がそうさせるのか、考えていた」
なんと答えていいのか分からず、シャルルは手元にあった枕をぎゅ、と握り締めた。

「似ているのかもしれん」
似ている?
「あの、誰にですか」
「いや、違うかもしれん。リシャールはお前について、多くを語らなかった。ランスで拾った孤児だという以外は。シャルル、お前はロトロアとはどういう関係なのだ」
リシャールが説明したとおり、僕はランスで拾われた孤児でただそれだけなんだ。
「臣従礼の契約をしました」
「そうではない。男と女として深い関係にあるのかと聞いているのだ」
普段のシャルルなら笑い出しただろう。いつも通りいかない今は、はぁ、と気の抜けた返事になる。
「僕は、騎士を目指しています。ロトロアに仕える代わりに、僕は騎士になれる。それだけです」
「ふん。色気のないことだ。お前にとってはそうかも知れんが、あれがどう思うかは別だな。試してみるのもいいかもしれん」
ラン伯が立ち上がる。
近寄ってくる男にシャルルは瞬きを三回しただけで、じっとしていた。

「あの?」
ラン伯の手が伸びる。

そう気付いた瞬間、シャルルはぐるりと反対側に転がった。
ラン伯はもちろん眼を丸くしたが。小さく叫んで飛びあがったのは、どこにいたのかクウ・クルだった。
非難がましく何か喚いて、枕の上に飛び移っていた。
「あ、ごめん」
挑みかかるように白イタチはシャルルの胸元に飛びついて、ぶら下がる。爪を立てているのは怒っているのだ。
「怒るなってば」
シャルルの気がイタチにそれている間に、ラン伯はすぐそばに。
「シャルル、お前は」
ラン伯が伸ばした手は、興奮状態の獣の餌食。
「こいつ!?」
ラン伯がイタチに飛びつかれ、噛みつかれ、慌てて立ち上がったところで背後の扉が開いた。

「シャルル!」

黒髪の。
そう認識したところで、すでに目の前にそれがいる。
シャルルに背中を向け、ラン伯に「叔父上、只今戻りました」と膝をつく。後ろ姿。

シャルルは慌てて眼をこすった。
枕にしがみつくようにして、ロトロアの背中を見つめた。

旅の服装のまま。緋色のマント、外の風を感じさせる冷気。髪に乗るわずかな雪の粒。外は冷たい冬の天気なのだと知る。
走ってきたのが、口調とは裏腹に上下する肩で分かる。

「取り急ぎ、お知らせすることがございます」
「ふん」真剣なロトロアをわざとはぐらかすように、ラン伯は肩をすくめて笑った。
「わしはシャルルと話しておる。邪魔をするのか」
「はい。叔父上。女などからかっている場合ではありません。シャンパーニュ伯は、ブルターニュに力を貸すことを決意されました」
ラン伯は黙った。
しばらくロトロアを睨んだ末、「戦争か?」と。呟く。
「はい。シャンパーニュ伯からの伝令がございます。あちらで詳しく」
ロトロアの言葉を受け、ラン伯は椅子の背にかけてあったマントを手に取った。
「すぐに各領主を集めるのだ。会議だ」
二人はシャルルの方を振り返りもせず、部屋を出て行く。
「しかし、ロトロア。女とする契約は臣従礼ではない、婚礼だぞ」と。
そうラン伯が話しかけるのが、扉の外からわずかに届いた。


シャルルはしばらく、じっとしていた。
息苦しかった熱も、痛んだ節々も、気づけば回復の兆し。枕もとに登ってきて、毛布にもぐりこもうとするクウ・クルを迎え入れると、シャルルは天井を向く。
「久しぶりに帰ってきたのに、顔も見せずに行っちゃったよ」
独り言に、応えるものはいない。


日が暮れ、ランプと食事を持ってきた女中が来ただけで、それ以外シャルルは放っておかれていた。放っておかれている、と自覚していた。

何やら切迫した報告を持ち帰ったロトロア。会議とか、そういうのになっているはずで。
寝込んだ子供なんか、朝食のハム以上に意味のない存在になり下がっている。
それならそれで、と。シャルルは食後取り戻した元気を頼りに、立ち上がり、部屋を出てみる。
出歩くなとは言われていないし、実際手洗いにも行きたい。

途中であった衛兵にトイレの場所を聞き、もっとも切実だった用事を済ませるとシャルルは改めて、ラン伯の城を探検する気になった。
ひどく冷え込む廊下をとぼとぼと歩きながら、肩に乗るクウ・クルに「広いね、大聖堂みたいだね」と話しかける。
目的は気になることを言っていたロトロア。
一応、僕は側近なわけだし、治りました元気になりましたって、報告してもおかしくないよね。ロトロアのそばにいるべきなんだからさ。

白いイタチを肩に乗せた少女が、寝間着のままする行動ではない。
セネシャルたちの控室にたどりついたときには、さすがに部屋の前に立つ衛兵に止められた。
「だから、僕はロトロア・ド・ルジエのセネシャルだってば!」
声を大きくすると、衛兵のうち一人が、「そういえば、馬上槍試合で子供が活躍したと聞いたぞ」と思い出し。
やっと扉を開けてくれた。
「そうだよ、僕だよ」
つくづく勝ってよかったと自分に感謝しながらシャルルはセネシャルたちの控室に足を踏み入れる。

一歩で、後悔した。
全員の刺すような視線。
「あの」僕は罪人じゃないんだけど。
慌てて見知った顔を探す。
古びた城の一室は、テーブルの上は白い布、食事の乗った皿で華やかなものの、灰褐色の壁や多少でこぼこした床のタイルが妙にくすんで重苦しい。天井が低いせいか。
長い髪をぼさぼさにした痩せた騎士がすぐ傍の椅子にぐんともたれかかりワインを飲む。その向こうでは二人の小柄な男が盛んに何やら語り合っている。
背を向ける大柄の男がうるさそうに頭をかいた。
二十人くらいいる、諸侯のセネシャルたちは、皆場違いな少女を無視し、これまでそうだったように語らい、食事をし、そして考え込んでいる。
さまざまな人間が並ぶ海は障害物だらけ。
ランプの心もとない明かりの下、シャルルはきょろきょろと見て回る。
長いテーブルが数列並ぶ中を進むと、見たことのある後ろ姿を見つけた。
長い金髪が視線を奪う美青年。
いるじゃないか、ローレンツもリシャールも。キ・ギだってその隣に。
目が合い、シャルルが笑って手を挙げると、ゆっくりとリシャールが立ちあがった。
キ・ギも、ローレンツも。一度こちらを見たけれどすぐに元に戻る。無視しようとしいているみたいに見える。同じセネシャル、とはいえ。やはり壁は厚い。見習いは見習い。子供で、しかも女。
ごくりと唾を飲み込んでから「そんなこと」と勇気を奮い立たせ、シャルルは三人の傍に立った。

「その格好はなんです。ここは正式な場ですよ、はしたない。わきまえられないなら、帰りなさい」
リシャールの攻撃に、う、と一瞬心が泣くが。シャルルはふんと鼻息一つで勇気を取り戻す。
「元の服はどこかに行っちゃったんだ。仕方ないだろ。勝手に着替えさせたのはラン伯なんだから、文句言われる筋合いもないし。ラン伯もこの格好が好きみたいだし。ロンロンが」言いかけた所で、額をごつんと叩かれる。
「いて」
いつもなら、殴られる前によけて見せるのに。体調が万全でないことを改めて悔やむ。
「呼び方!」
「まあ、そう怒るなリシャール。シャルル、こっちに座りな。お前、それじゃ寒いだろう。ここで大人しくしていな。今は皆、お前に優しくしてやる余裕がないからな」
そう言いながらもキ・ギはやっぱり優しい。シャルルは示された暖炉のそば、キ・ギの隣に座り、少し高いテーブルにキ・ギの真似をして肘を乗せた。キ・ギとローレンツに挟まれれば温かい気がした。
「会議中なの?」
「ああ」
「戦争って、言ってた。そうなの?」
「……多分。詳しいことはまだ」

その時、奥の会議室の扉が開いた。
両開きの立派なそれの向こうからは、暖炉で暖められた空気と一緒にラン伯を先頭にした諸侯の姿。
立派な髭を生やした男、金の冠をつける男。緋色のマント、ロトロアもそこに並ぶ。
一斉に立ちあがったセネシャルたちは、一様に膝を床についた。
シャルルも慌ててそれに倣う。

彼らは特別な迫力を見せつけていた。
「待たせたな」
口を開いたのは中心に立つラン伯。その太く低い声はランプの炎すら揺らすように思えた。
「我ら、ランは。シャンパーニュ伯の任命により、ブルターニュ伯の援助に参集することとなった。ブルターニュ伯はルイ八世亡き後、幼いルイ九世を擁立することに反対なされている。フランク王国を治めるのには、ブーローニュ公が相応しいとな」
誰かが、ごくりと息を飲み。
シャルルの前に立つ大男は腰の剣に触れた手を震わせた。
「シャンパーニュとブルターニュの盟約により、五騎、つまりこのランを含めた五つの主要都市が招集される。そして、我がランからも五つの街に派兵の任を命じる。シノワール、シュレス、タブノフ、シーリーン、そして、このラン。他の都市には、その後の戦況により招集をかける。よいな」
セネシャルたちは黙ってうなずいた。
「指名された都市はここ、ランに残る。他は伝令を残し、それぞれの所領に戻る。この七日間、御苦労であった」
「我が主君に幸あれ。我がランに勝利あれ」
その場の全員の声がそろえば、シャルルはぞくぞくと震えた。

戦争。
かろうじて、ルジエは兵役から逃れた。だけどシャンパーニュは、ルイ九世に対して蜂起するんだ。刃を向け、王座から引きずり降ろそうというのだ。
ジャンが語るシャンパーニュ伯ティボー四世からは、想像がつかない。
だって、ブランシュ様と仲良しじゃないのか。ジャンは言っていた。ティボー四世さまは王家に協力したいんだって。
戦争を止める、ジャン、そんなことできるのか?
シャルルは知らず知らずのうちに、胸元にかけたネックレスを握り締めていた。
カペー家の象徴の百合が、小さい手にごつごつとした痛みを刻む。


不意にふわりと温かい何かが身体を覆った。
「シャルル、帰るぞ」
見上げれば、ロトロアが笑っていた。
緋色のマントは重く、温かく。憎らしいはずの笑顔は、なんで、優しい?
シャルルはなぜか泣きたい気持ちになる。

どこの誰とも分からない僕を、それと知っていて傍に置く。感謝しろとリシャールは語った。

ロトロアが肩を抱き共に歩き出すと、先ほどまでシャルルを無視していた多くのセネシャルたちが振り返る。ロトロアが笑いかければ、皆が笑い返したりお辞儀したり。

自分には何もないのだと思い知らされる。

「やけに大人しいな。叔父上に処女を奪われたか」
「ば、馬鹿っ!そんなはずないだろ!」
「そうか。それは良かった」
ぎゅ、と肩を抱かれ。
いつもなら殴ったりけったりの反撃のはずが、何もできない。すぐそばについてきているリシャールの視線は、じっと自分を見ている気がした。

「風邪引きなんだ、大事に扱えよ」
「じゃあ、こうするか?」
ふわりと、視界が回る。
目の前にロトロアの髭がある。抱き上げられ、慌ててバタバタしてみるが力強い腕が緩むはずもなく。
「病気の時くらい、大人しくしていろ。また熱が出るぜ」
笑いもせず言う。
その真剣な目に、シャルルは「ちぇ」と小さく呟いたものの、ロトロアの胸に火照った頬を預けた。
視界のいいその場所が、案外心地よいこともある。
たまには女扱いさせてやってもいい、とも思う。


城の中庭に出れば、夜闇に積もった雪が青白く光る。月が音もなく空にいる。
吐き出した息はふわふわと風に押されて頬に戻る。
「寒いか」
「平気。あのさ、ジャンが言ってたんだ。シャンパーニュ伯はブランシュ様の味方だって。なのに戦争するのか」
「味方だからこそ、と言っても分からんか。俺は反対した。だが、決断はテオバルドがする。我らルジエは戦時下に入った場合、シャンパーニュ伯領の産業の維持に努める。シャルル、戦争が始まれば港や運河、主要な街道を持つ都市は狙われる。伯は戦争より所領の繁栄、庶民の安全な生活を願っている。騎士としての武勲は敵を殺さなければ挙げることはできないが、我らの仕事の価値をシャンパーニュ伯はよくご存じだ。まあ、どちらにしろすぐにことは動かん。丁度近いこともある、お前を我が街ルジエに招待するぜ。いい街だ」

戦争。
経験のないそれは見上げる星空を隠そうとする雲に似ている気がする。
だけど。
都市の流通や庶民の生活を守ると言うロトロアの言葉は、雲の向こうにも星は瞬き続けるのだと、そう教えてくれるような気がした。

ブランシュやルイ、ジャン。久しぶりに会えたアン。さまざまな経験をしたランスへの旅。ロトロアに話したら、なんていうのだろう。
馬鹿にして笑うんだ、きっと。
笑ってくれる。
そう思えることが、シャルルを安心させる。
服越しに、ロトロアのあごひげを眺める。精悍な頬の向こう意外なほど長い睫に彩られた瞳が先を見据える。
何を、この男は何を見るんだろう。

ふと、目が会う。
面白そうに男の目が笑う。
ロイを、こいつはもしかしたらロイを救おうとしていたかもしれないんだ。この世に悪い人なんかいないと、そう言ったジャンを思い出す。

「あの、さ。僕、ランスに行ったんだ」


『La croisade de l'ange 2:Laon』~ランの風は苦く~ 了

続きにあとがきです~♪



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