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『La croisade de l'ange 3:Le havre』 ⑥

La croisade de l'ange Chapter 3 『Le havre:ル・アーブル、港に詩う』



衛兵に連れられ城の地下へと進んでいく。
ぐるぐるとらせん状になった階段を下りて行くのだ。塔の中なんだろう。確か、外から城を眺めれば、城壁の四隅を立派な塔が護っていた。上が見張り台、だとすればふつうは中段が武器庫や衛兵の詰め所。そして、地下が貯蔵庫だったり、そう。今扉が嫌な音を立てて開かれた先、牢獄だったりする。
低い通路の入り口は岩がアーチを描き、シャルルの前後を固める衛兵は頭をかがめて潜り抜けた。湿気で所々から滴が垂れ、足元は勾配をつけられて排水路のようになっている。どこから集まるのか、嫌な匂いをさせる液体が流れて行く。
縛られているために鼻をつまむことができず、しっかり口元を手で覆っている衛兵たちに「僕も臭い、手を貸してくれ」と訴えてみるが一人が馬鹿にしたように眼だけで笑い。もう一人に背中をどんと蹴られて危うく転びかけた。

他には誰もいなかった。鉄の柵で仕切られた狭い場所は、下はドロドロとした土がむき出しで、ぞっとするほど不潔だった。シャルルがそこに足を踏み入れれば数匹のネズミが場所を譲って駆け出した。

衛兵たちはそれを煩そうに追い払いながら、シャルルを残し去って行った。

はあ、と。溜め息をついた。剣も荷物も、その中にいるはずの親友も取り上げられると寒々しい気分になり、自分自身を抱きしめた。
僅かに地上よりは温かい地下だが、空気の悪さに加え真っ暗な暗闇。どうなるのか心細いが我慢するしかない。
そうだよ、大体、ロンロンが来なければ逃げ切れたんだ。あいつに助けてもらわなきゃ納得できないぞ。いつの間にか独り言を呟いていた。
大人しくしろとささやいて捕らえたんだ、あの男にもなにか考えがあるはず。きっと、何か。
それが自分にとって不利になることでないと自然思いこんでいることに気づき、シャルルは何度も首を振っては歩きまわる。違うかもしれない、じゃないか。もしこのまま放っておかれたら、僕は。

泥の床に座ることもできず、立ち尽くしたままぐるぐると狭い中をめぐっている。囚われた獅子の子のごとく。
どうしていいのか、どうしたらいいのか。
自分の対応が悪かったのか、あのむかつくヌーヴェルに逆らわず、へらへらして「じゃあ、帰ります」とか引き下がればよかったのか。それでは何の解決もなく、進歩もない。
捕らえられてしまってはもっと意味がないのだけれど。
自問自答しながら歩き回るうちにいつの間にか広さの感覚が無くなったらしく、鉄柵に肩をぶつけた振動で水滴を額に受け、「ぎゃっ!」と声をあげた。
くそう。
情けない気分。
そうなると、もう歩く気力もなくなった。
暗闇の中、自分のいる位置すら分からない。足元をネズミらしいのが走った。
「ひゃっ!」
その声に驚いたのか更に何かたくさんの生き物が動く気配。
ぞくぞくと悪寒が背を走り、縮こまった。
くそぅ。
シャルルは身動きができなくなり、自分自身を抱きしめたままじっと、ただひたすらじっとしていた。

自分の動悸が治まると、今度はかすかな、本当にかすかな物音が気になりだす。ネズミだろうか、滴る水滴だろうか。
耳を澄ましだせば自分の息遣いすら気になって、いつの間にか息を止め。苦しくなって深く息をつく。
耳をふさぐと腹のあたりが寒々しく感じ、またもとの姿勢に戻る。

僕はどうなるんだろう。
抱きしめた自分の腕に、ぽたりと温かい粒が落ちる。
くそう、くそう!
こんなはずじゃなかったのに。
声に出さず泣きながら、シャルルは闇の中に一人。



気が狂いそうだった。
あれからどれだけ時間がたっているのかも、分からない。いつの間にか泣くのも疲れて、まだ彫像のようにじっとしたまま。
まだ数分なのかもしれないし、そのはずはないが何時間も経っているのかも知れないとシャルルはひとり暗がりで首を振った。

売られる。
売られたら。
女だから、そう、そう扱われる。
くそ、これだから女なんか嫌いなんだ。

また悲しくなりかけ、泣くもんかと思えば涙があふれてきてシャルルは何度も目をこすった。
案外泣き虫だとジャンの声を思い出す。
ジャン、一緒に来ればよかった。
今更一人飛び出したのを後悔しても仕方ない。ジャン、来てくれたらいいのに。
なんでロンロンなんか来たんだ、あいつのせいなんだ。

怒りが沸けば涙はいつの間にか乾き。その時になって初めて誰かの足音がするのに気づいた。慌てて眼をこすり、頬を数回軽くたたいた。


足音が二人分くらいだと気づき、松明の明かりらしいゆらゆらする光をじっと睨みつけた。
自然と牢の扉付近に陣取っている。


「なんだ」
口にしたのはシャルル。
降りてきたのは先ほどの衛兵だった。代り映えのない状態に何を期待していたのか自分でも分からないががっかりした。
「ほら、出ろ」
シャルルが扉を抜ければ、脇にいた衛兵が尻を触った。
「触るな、ばか」
「は、やっぱり女だ」男はにやりとし、さらに手を伸ばそうとするからシャルルはするりと避ける。
「おい行くぜ」松明を持つ一人はつまらなそうに先を行く。
追いすがる男をするりするりとよけながら、シャルルは先を行く衛兵の腰の剣に視線がとどまる。
いや、でも。ここで暴れたらどうなる。塔の出口は通常一か所。両側を兵が守っているかもしれない。想像の結果は暗い塔の中、衛兵を避けて逃げ回り、追いつめられて。塔から身投げ、ってのじゃ困る。それにこのまま逃げるだけじゃ、あんな牢に押し込められた意味も、理不尽な扱いの甲斐もなく、ここに来る前の状態に戻るだけ。
待っているはずのサールに、何て話せばいい。

少したれ目の優しげな青年を思い出せば、シャルルは気分が引き締まった。
そうだよ。サールが言っていた「元締めに会うために身売りする」という案は実行すれば現状と何の違いもない。そう思えば、ロイの行方に近づいたかもしれないんだ。
いつでも、そう。縛られさえしなければ何とかなる。
とりあえずは子供らしく、大人しく。
衛兵にからかわれながら、ついて行くことにした。


塔の外に出るとすぐ馬車が待っていた。
すでに日が暮れ、遠く西の空に僅かに赤い太陽の名残が残る。高台の城は、港も海を眺めることができた。
「いい眺めだろう。海からの敵に備えるためにある城だからなぁ」と、衛兵が笑った。
「ふうん。で、どこに行くの。馬車なんかでさ」
いいから、乗れと背を押されるから、仕方なくシャルルは馬車に足を踏み入れる。
中にはすでにヌーヴェルが乗っていた。
それと認め、う、と躊躇すると背中をどんと押された。
くそう。
嫌いな人間と狭い空間にいること程、息苦しいことはない。小さく縮こまってシャルルはできるだけヌーヴェルと距離を置いた。ブルージュにあったロトロアの馬車の方がよい生地を使った柔らかな椅子が付いていた。こんなギシギシした音もしなかった。


馬車は腰を打つ振動と共にガラガラと石畳を抜け、港の方へと向かっている。箱形の馬車には窓のようなものがある。入ってくる風に潮の香りを感じシャルルは身を乗り出す。
夜の海はやっぱり少し怖い。
どどど、と波の音がどこかからして、目を凝らす。その暗がりにゆらゆらとする船がある。
波止場らしい。ちょうど、シャルルが老婆とサールと酒盛りをした小屋の近くだ。憶えのある風景に少しだけほっとする。
サールがこの辺にいるはずだ。きょろきょろと見回しているうちに、荷を下ろす船を見つけた。
「こんな夜に」ふと呟く。
「夜だからこそ、だ」
期待もしていない返事を隣の男から聞かされ、シャルルは飛び上がるようにして身構えた。
「昼と夜があるように、表と裏がある。この世のすべてにはな」
「そうやって、何でもかんでも自分の考えにあてはめるんだな」
「は、お前の三倍は生きているからな。お前の十倍は物事を見聞きし、お前の百倍は思慮を重ねてきた」
「あ、そう。そんなにいろいろ経験してきたくせに、子供を売るような領主にしかならなかったんだ」
と毒づいていたものの、車内の隅で怯えた子犬のように身構える少女にヌーヴェルは余裕なのか「は」と笑った。
「だから思慮が足りんと言うのだ。売られると同時に子供は仕事を得る。異国に彷徨い野たれ死ぬことを思えば、どちらがましか分かるだろう。農民に土地を貸し与えるのと同じ、子供に仕事と生きる糧を与えているだけのこと。住む所もない子供を放置すれば、盗人や物乞いになるだけのこと。街には害あって利は一つもない。だとすれば、身寄りのない子供に仕事を世話する、立派に領主の仕事だろう」
うーとシャルルは唸った。都合のいいように言い換えている気がする。ロトロアやリシャールみたいな大人は、こういうものの考え方をするんだろう。でもシャルルには納得がいかない。
こいつにとって正しいことが、僕にとって全部正しいはずもない。
「そういう考えも、あるかもしれないけど、でも。じゃあ、ロイは。あいつは身体が弱かったし、働くなんて無理だ。もし売られたなら、今頃生きていないかもしれないじゃないか!それが良いことのはずがないだろ!」
口にしてから改めて、その恐ろしさに胸が締め付けられた。

「あれは」
ヌーヴェルが口を開いた。
やっぱり知っているんだ。興奮を抑え、シャルルは食い入るように男を見つめた。
「……特別な子供だった。分かるか。お前の探す少年は、価値のある子供だった。価値の分だけ支払のできる人間しか買うことはできない。それだけの金を払った人間は、その価値を認め、それこそ腫れものを扱うようにするだろう。奴隷船に行くこともない、農場の下働きにも機織りにもならん。お前のように女ならまだ、違う扱いもあるだろうが。特別な子供を売るのには特別な手間がかかる。お前の言うとおり、憶えているさ。二年前だろうと、たとえ十年前だろうとな」
男は遠い目をして腕を組んだ。

ロイ!!
やっぱりここに来たんだ!そうか、確かに騎士だって戦場で敵につかまれば捕虜となり、対価と交換に解放される。
同じようなことがロイの周囲に起こったんだ。奴隷を売るのとわけが違うんだ。
ヌーヴェルは、ロイが本当は誰なのかを知っている。
「誰に売ったんだ?ロイを買うなら、それこそどこかの王族とか有力貴族だよね」
「ふん。通常人質を売りつけるのはその家族や親族だな。だが、本人がカペー家に売られるのは嫌だと言ったのだ。本人の希望通り、手間はかかったが遠い親戚に売りつけることにした。あの子は礼儀正しく賢い子だった。自分の価値と意味を理解していた。お前のように多少のことで喚き暴れる軽率な子供とは違う。だからわしはあの子の願いを聞き入れた。お前やベルトランシェの問いに応えなかった。お前があの子を探す理由が何であれ、あの子は王家から離れたがっていたからな」

む、と。シャルルは口を尖らせた。尖らせていたが言われる通りだと分かるから視線は足元に落ちて行く。
「そうだよ、あいつは大人しいけど頭のいい奴だった。友達なんだ、ロイは。ずっと探してるんだ。僕は別に、ロイに何か悪いことしようとしてるんじゃないよ。教えてほしい、あいつをどこに売ったんだ」
「人にものを頼む時には、どういう態度で臨まなければならないか。少しは理解したのかな」
あごに伸びた男の手にぎゅと奥歯を噛みしめて、シャルルは耐える。
「……分かったよ。あんたの言うことを聞くからさ、だから教えてほしい」
「では大人しくてしておくことだ」


馬車はいつの間にか止まっていた。
市場の取引の声がざわざわと波の音に混じる。
ヌーヴェルに従って降り立つと、すぐ目の前には大きめのテントがあった。
太い柱に帆布が渡され、風にさらされている。中に入ると香油の匂いが鼻をついた。
円形のテントの半分から向こうは柱と垂れ幕で仕切られている。こちら側は観客席のようになっていて、大勢の大人たちがひしめいていた。
雑踏を通り抜けその先にある幕内へと向かう。ヌーヴェルの姿を認めた数人が挨拶をした。
商人たちはテントの中心の柱を囲むように半円を描いて席を陣取り、立ったまま腕組みしているもの、座り込んで荷物から金を出しているもの、仲間と世間話しているもの、さまざまだった。
カラン、カラン、と鐘が鳴り。真ん中を仕切っていた幕が引かれた。
シャルルの腰くらいの高さの舞台に大男が子供を数人引き連れ登場した。中心に立つと、「男、十二歳、言葉は少々。三人まとめてだ」と。片言のような言葉を話した。最初はフランス語、次に同じ感じでイタリア語らしい。もう一つ、シャルルの知らない言葉を口にすると、男は中央の柱につけられていた鐘を鳴らした。どうやら、この男が競り人だ。
集まった仲買人たちに値をつけろというのだろう。
競りにかけられたのは少年三人。
すぐさま一人の商人が指を宙に掲げた。「四」と競り人が同じ形に指を示せば、大勢の手が一斉に上がり。そのどれをどう読み取るのか、競り人の読み上げる声が続いて行く。
無言の仲買人たちと、舞台上で数字を読み上げる競り人の低い声。その内、決まったのだろう。
他にないか。と、男が見回し。
その首が元の位置に戻った時には、再び鐘をガランと鳴らした。
競り落としたらしい男が進み出て、少年たちをつないでいるロープの端を受け取った。
人を、売る。
買い取られていく少年たちは罪人のように引かれていく。よろけた一人が転びかけると、買い取った男がその背中をバンと叩いた。勢いで子供は残り二人を道連れに地に転がった。「早く立て」怒鳴る男に、子供たちは精一杯の素早さで立ちあがる。それでも疲れきった表情は虚ろで、怒りも悲しみもないように見えた。ぞくりと身震いし、シャルルは視線をヌーヴェルに戻し、歩調を速めた。
「怖いかね」
ヌーヴェルの目が笑うようで「そんなことないけど。騎士同士なら負けた奴が悪いんだから理にかなっているけど、無力な子供が売買されるのはやっぱり嫌な気分だ」と睨み返す。
「お前自身の行く末でもあるな」
やっぱり僕も売るつもりか。
どうしたら。シャルルは先ほどのヌーヴェルの言葉を信じていいのか迷っていた。
本当に、ロイの行方を教えてもらえるんだろうか。

それでも、ヌーヴェルに指示された女がシャルルの着替えを持ってきたときには「またか」と呟き、「縛られてるんじゃ、着替えれない」と睨みつけた。
「じゃあ、おれが手伝ってやろうか?」
ヌーヴェルを出迎えた痩せこけた男が肩を掴んできたから、脛を蹴り付けた。
「商品に手を出すな、ばか!」
シャルルは自分で言いながら、縛られた両手を差し出した。
「言うこと聞くって約束したんだ、逃げはしない。解けよ」
ヌーヴェルはしばらく口をあけてシャルルの様子を見ていたが、急にくくと苦笑いし、「取ってやれ」と男に命じた。

これでいざという時には、なんとかなる。

シャルルは受け取った服を手に帆布で仕切られた物置に入り込むと、素早く着替えた。
見回したものの、そこには樽に入った酒らしきもの、籠に入った見たこともない大きなトカゲ、塩の入った麻袋が一つ、転がっているだけだった。
襟元が広く開いた、少し大きめの上着に藍色に染まったワンピース。袖はふわふわした形で手首まで隠した。その上から毛皮のチョッキのようなものをはおった。髪と瞳の色のせいか、シャルルに服を選ぶ男は皆青い色を選ぶ。
ブランシュからのペンダントは目立って取り上げられないようにと、手首にぐるぐると巻き付け袖の下に隠した。


奥の部屋からシャルルが着替えて出てきたときには、ヌーヴェルはさっきの痩せた男ともっと恰幅のいい大柄な男二人と話をしていた。
そこでふと、シャルルは気付いた。
「ああ、ヌーヴェル、あんたが元締めだ!」
呆けた顔をしたヌーヴェルに「わかった、そうか」と一人頷き。
サールの言葉を思い出していた。
「人を売買する元締がいるって聞いた。それが、あんただったんだ。そうだよな、取引、取引って金儲けが好きそうだし。こういう市場での出店料や税金はいい収入になるんだ」
「ふん、よく分かってるじゃないか」
「そりゃ、ブリュージュでいろいろな話を聞くし、昔からフランドルの交易やシャンパーニュの大市に興味あったから」
「ほう。お前は、フランドルの出身か」
そうだと言わんばかりに胸を反らす。そうありたいと願う気持ちもやっぱりある。

「フラマンの女は人気がある。色が白く手足が細い。値が上がりそうだな。お前、処女だろうな?」
「なっ!?」
シャルルが真っ赤になるのを見届け、ヌーヴェルは笑った。
「まあ、あんな少年のなりをしているようではなぁ、相手をする男もいまいが」
ヌーヴェルの隣にいた、痩せた鷲鼻の男がへらへらとそれに合わせて笑い、シャルルの手をつかんだ。
「そろそろ出番だぜ、せいぜい可愛く歩け」
「ちょっと待てよ!約束は!ロイの行く先を教えてくれるって言っただろ!」
ヌーヴェルに駆け寄ろうとし、傍にいた大男に肩を押さえられた。
先ほど舞台で見た競り人の男だ。

「ふん。リオン。あの坊やはイングランドにな。遠い親せきだとかいう、ヘンリー三世が買い取った。あれはいい商売だった。あれをきっかけに、この港にはイングランドからの船が寄港するようになった。もちろん、夜だけだがな」

ヘンリー三世!?
シャルルの脳裏には、ランスで会った変な王様が浮かび。
その周囲にロイが?ロイが?と記憶を手繰っている間に、仲買人のひしめく舞台へと引っ張り出された。

少女が押し出されるまま、よろよろとテントの柱の前に立つ。暗がりのランプの下でも、その金色の髪は煌めき、白い顔にある菫色の瞳ははっきりとそれと分かるほど大きい。
息をのむ、というより唾を飲み込んだ感のある男たちを見下すようにシャルルは睨みつけた。

「フラマン人、十三歳、女」と大男が宣言する。
背後の幕内から見守る痩せた男は手をもみながら、さぞ高値でと見守っている。

「いやぁ、ヌーヴェル様、さすがによい目をお持ちです」などと媚を売りながら。
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『La croisade de l'ange 3:Le havre』 �

La croisade de l'ange Chapter 3 『Le havre:ル・アーブル、港に詩う』



ところが。会場は静まったまま、誰も手を上げない。
「どうした、誰もいらんのか!美しい生娘だぞ」さらに男が声をかけるが、商人たちは顔を見合わせ困惑した様子で見守るだけだ。
「1ドール」
柔らかな男性の声が通り。振り返る人ごみの中からサールが姿を現した。

「サール!」
シャルルが叫び。同時に「落札!」と、金貨一枚と言う高い値に焦れた男が鐘を鳴らす。サールはひらりと煌めく一枚の金貨を男に投げつけ、シャルルの腕を引っ張った。
鐘の音と同時に商人たちが夢から目覚めたかのように一斉にざわざわとどよめき、「あれは嘘か」「いや分からん」とじっとシャルルを引っ張っていくサールを見送る。
「待て!お前、なぜここにいる!」
幕内からヌーヴェルが飛び出し、捕らえろ!その取引はやり直しだ!と叫んだ。
競り人の男はヌーヴェルを引きとめた。
「取引が成立したら誰も取り消しは出来ません。いくらヌーヴェル様でも、だめですよ。競売の信用に関わります」


人ごみの中、サールはヌーヴェルを無視してどんどん歩く。
「サール、サール!あの、どうして?」
「ああ、噂がねぇ。フランドル伯ジャンヌ様の娘が出品されるってねぇ。それで慌ててもぐりこんだんだよ。そういう噂には皆敏感だ。だから、皆、見当のつかない値段と、買ったら何か困ったことになるんじゃないかと怖がってね。手をあげなかった。ついてるねぇ、金貨一枚で済めば安いもんだよね」

噂?フランドル伯の娘かもしれないなんて、僕はサールに言ってないはず。
なんでそんな噂が?
先を行く痩せた青年を、シャルルは訝しく見つめた。
本当に、ただの旅の吟遊詩人、なのか?
そう言えば僕と同行するって決めたのも、今思えばやけに簡単だったし、あの橋で声をかけてきたのもサールだ。
「困っている子供を助ける」そう言ったのは本当に同情からかな。

引かれるままテントを抜けると、ふわりと潮風がサールの髪を揺らした。夜闇にも明るい色の長い髪が市場のランプに煌めいて、喧騒の中どこか異世界めいた様相をしている。テントの前にある木箱をテーブルに見立てた酒場からは酒が匂い、その隣は武器商人が剣を並べる物々しい店。行き交う言葉も、ブルトン語やフラマン語、フランク語に後よく分からない言葉。
「サール、これ、この市場」
「ああ、これ。言ってなかったかなぁ?夜の間だけ寄港する海賊船や異国船が荷揚げしたものを売り買いする市場なんだよ」
海賊!?
異国船!?

闇、市って、名前を聞いたことがある。
「闇市なの?」
ふと、サールが振り返った。
「まぁ、夜の市場ってことなら、そういうことだねぇ。ただね、こういう市場は異国の情報や珍しいものを手に入れるには便利だよ。私もたまに立ち寄るんだよ。しかもこの港を半ば公然と解放し、好き勝手に取引させている、これもこの街の領主の商売の一つさ」
「サール!詳しいんだね」
「お前さんが知らなすぎるんだよ。この界隈に海賊船が出るのは知っているだろう?海賊だってお宝をかじって生きていけるわけじゃないんだ、こういう場所で、戦利品を金や食糧、水に変えるのさ。互いに必要なものを持っているんだ、取引はいくらやめさせようったって無くなりはしない。だったら堂々と領主お墨付きの市を開き、商人を集めて取引させれば街では管理しやすいってことさぁ。一種の智恵だねぇ、そうだろ、ロトロア様」
サールの視線を追って人ごみの先を見つめた。
「ああ、この街の船はおかげで海賊の被害にあうことがない」

腕を組んで立つ黒髪の男。その向こうにロンフォルトと荷物!!そこからクウが顔を出す。
「あんた!」
「よう。似合うじゃないか、シャルル」
「なんだよ!なんで、邪魔しに来たんだよ!ばか!」
「なんだ、売られてみたかったのか?それならば今からでも遅くないぜ?」
眉を下げて笑うから、シャルルは思いきり頬を膨らめた。
「そうじゃないよ、もっと前のことだよ!」
ロトロアがにやにやするから、余計に腹立たしくなって掴みかかる。
あの地下牢で鬱々としていた自分を思い出せば、やっぱりこいつが全部悪いんだと悔しくなる。拳の一つ二つは受けてもらわねば、納得がいかない。
ところがシャルルは相変わらずスカートが苦手。尾を踏むように裾を踏みつけ、つんのめって支えられる。
「ほら、しっかりしろ。また、抱き上げてほしいか?」
「そんなはずないだろ!」
腰に手を回そうとするそれを、ペンと叩いた。
「お二人さん、じゃれていないで急ごうよ。ヌーヴェルがくるよぅ」と、内容とは裏腹にのんびりとサールが笑った。
振り返れば、衛兵らしき男たちが鋭い視線を雑踏に投げかけている。
小柄なシャルルにはロトロアのケープがかけられ、人ごみに紛れ市場を抜けだした。


昨夜雨宿りした小屋に逃げ込むとシャルルは息をついた。
「おや、よかったねぇ」と。あの晩の老婆がにこにこと迎えてくれた。
「あんたが人買いに捕まったって聞いて、心配していたんだよ」
ケープから顔を覗かせたシャルルに痩せた手が伸び。されるまま、大人しく頭をなでられてみる。小さな老婆の目には、シャルルは息子と重なって見えるのだろう。

「実はまだね、追われているんですよ。だから、ここにしばらく隠れていたいんだけど」
「ああ、いいよいいよ。あたしはもう帰るからね、好きにしておくれ」
「ありがとうございます」
にこにこと笑うサールは、すっかり老婆と仲良しになっているようだった。片や吟遊詩人だと蔑み、片や蔑まれることを卑屈に受け入れていた、あの様子が今はない。それが、なぜかシャルルには嬉しかった。

三人に席を譲るように、老婆は家に帰っていった。
漁師小屋の中は、焚かれた薪でぬくぬくと温かい。
シャルルは自分の荷物とロンフォルト、そしてもちろんそこに隠れていたクウ・クルを見つけ喜んだ。
クウ・クルはシャルルの服が嫌いなのか抱き上げられても身を捩って逃げ出そうとする。
「なんだよ、感動の再会なのにさ」
「お前が匂うからだぜ、地下牢のいやな匂いがする」
「ば、ばか!仕方ないだろ、大体誰のせいで僕が地下牢に行く羽目になったんだよ!」
訴えてみても、ロトロアは鼻をつまんだまま笑う。
「お前が悪いんだろうが。俺やリシャールだから許すが、普通ならただの伝令が貴族である領主にあの態度じゃ、殺されても文句言えないんだぜ。俺が行ったときにはお前、領主の前で剣を抜いていただろう?俺が間に入らなければ殺されていたぜ。感謝してほしい位だな」
自分のせい、というのも分かっているだけにシャルルはむっとする。
「違うよ、僕が可愛かったからだ。だから売ろうとしたんだ」
「自分で言うな、価値がさらに下がるぜ」
「価値、そう、金貨(ドール)一枚ってどうなんだよ!安くないか?」
「まあ、まあ。お二人とも。まずは座ってくださいよ」
サールはいつの間にかワインを開け、干した魚を火であぶっていた。
いい匂いにシャルルは腹が鳴った。
笑いをこらえて、サールは「出会った時を思い出すねぇ」と歌うようにいった。
そこで、ふと、シャルルは大事なことを思い出した。

「そうだ!なんで、サールと一緒なんだ!偶然?」
ロトロアはにやりとし。サールはごほんと咳払い。
「ロトロア様は以前から存じておりますよ。シャルル。君を街道で待っていてねぇ、ジャンの言うとおりだったからホント、面白くて」
シャルルは目を丸くした。
「ジャン!?」
「そう、私はシャンパーニュ伯にお仕えしているんだよ。まあ、ほとんど一年中旅をしながら、シャンパーニュに立ち寄っては情報を届ける。その程度だけどね。だから吟遊詩人であるのも間違いないんだよ」
サールはシャルルが喰ってかかるのを予想するように、切っ先を制した。
「お前と同様手紙を受け取ったが、ジャンはシャンパーニュ伯の元を離れられないらしい。まあ、そうだろうな。それで、サールがこの街に派遣されたんだ」
ロトロアが言葉を補う。
「なんだ、ふうん。ジャン、会いたかったのにさ」
魚を一つ受け取りながら、シャルルはつまらなそうに呟いた。
「会えるよ、すぐに。シャンパーニュ伯ティボー四世様にはお前さんをシャンパーニュに連れてくるようにってね、命令されているしねぇ」
「なんで、僕をシャンパーニュに?」魚を飲み込みながら、シャルルは首をかしげる。
同時にロトロアがワインの杯を持つ手を止める。
扉からの隙間風が三人の中心にある炎を揺らした。

フランドル伯の娘、それならば人質として傍に置く。シャンパーニュ伯ティボー四世が決めたそれは当然シャルルの知らないことだ。それのためにロトロアがこの地に赴いたことも。

サールは穏やかに笑いながら続けた。
「いいですよ、シャンパーニュは。特にこんな魚と飲むなら、あそこの白ワインがいい。フランドル伯ジャンヌ様の御子と聞けばなるほど、面影があるような気がするねぇ」
シャルルは両手で頬を押さえた。隠した、と言ってもいいが、それを照れと受けたのかサールはにこにこと笑いかける。
深いため息で二人の視線を引き付け、ロトロアが口を開いた。
「目的はそれだけかな、サール。テオバルドはお前にシャルルを連れて来いとだけ命じたはずだ。ロイの捜索に手を貸すなど、命じられていないはずだぜ」
低くなるロトロアの口調に、シャルルは二人を見比べた。
穏やかなサールの目がわずかに細くなって、笑みを浮かべたままの口元は張り付いているかのように動かない。笑顔のまま睨み合う二人に、シャルルは。
「サールは、僕を助けてくれようとしたんだよ」
多分。

シャルルの声を完全に無視し、ロトロアは続けた。
「サール、興味をそそられたんだろう?シャルルが捜す少年に。情報屋だからな、テオに売りつけようって魂胆だろう」
昨夜ここにいた老婆以上に冷たい口調。ロトロアの怖い顔を久しぶりに見て、シャルルは自然緊張する。
「知らないほうがいいこともある、それもよく分かっているはずだぜ」
その台詞。かつて自分に向けられたそれを思い出した。そうだ。ロイのことを知ることは、時に不幸を招く。ロンダのように。
喉元まで出かかっていたロイの消息を慌てて飲み込んだ。押さえる手と共に胸に封じる。
その様子をちらちらと横目で眺めていたサールは幾分声を低くし、それでも、ロトロアの警告を無視し平然と笑いかけた。
「お友達、見つかったのかい?」
シャルルは助けを求めるように、ロトロアに視線を泳がせた。
「馬鹿正直だな、お前は。黙ってろ」
ロトロアに睨まれ。やっぱり言っちゃだめだとシャルルは慌てて手元の器を口に運んだ。
それがワインだと気づいても、口に運んだ勢いでそのまま飲み込む。
結果むせかえるその間、「教えてくださってもいいでしょう?ロトロア様」とサールが喰い下がり、「死にたいならな」とささやき返すロトロアの応酬がされる。
口を挟もうにも、シャルルは赤く熱る頬と口の中の酸っぱく苦いそれに声を出せずにいた。


「貴方にも知りたいことがあるのではないですか、ロトロア様。たとえば、この港に夜間寄港したブルターニュの船の話とか」
ロトロアが黙り、やっとワインの余韻から抜け出したシャルルが「ちょっと、二人ともさぁ」と口をはさんだ。
「お前は黙っていろ」声だけじゃなく、ロトロアが腕を肩に回して押さえるから、なんだよとぶつぶつ呟きながらシャルルは口を尖らせた。力強いロトロアの手は、雨に打たれ身を寄せ合っていたサールとは少し違った。何とは具体的に言えないけれど、その感触に何の違和感もない自分に気付いた。ロトロアがからかう腕や手、その感覚に自分が慣れている、その事実に気付いたのだ。
そう、僕はロトロアのセネシャルで、雇われ人だ。
「言わないよ、分かってる」
シャルルは一人、二人の男の間に小さくなって溜め息をついた。
ロトロアは改めて足を組みかえると、サールに問いかける。
「サール、お前が言いたいのは、ここノルマンディーが国王を裏切りブルターニュと通じていると。そう言う話だろう?」
ふんと鼻息を吐き出しそうなにやけたロトロアの笑顔、サールは目を細めてこれまた歌うように笑った。
「さすがですねぇ。ブルターニュ公は我らシャンパーニュを巻き込んでおきながら、多くを隠しているに違いない。シャンパーニュ伯はもちろん、側近の皆さまもそう疑っておられる。伯からの命令がなくとも、ブルターニュ軍と国王軍、二つの情勢は常に目を光らせておくに限る」
「そこまで分かるなら、取引と行こうか」
不意にロトロアがワインの瓶を差し出し、まるでそれは、取引を受けるか受けないかを迫るような様子だ。じっとロトロアを見つめていたサールは、しばらく躊躇していたが磁器の器を差し出した。
「取引と言うからには、双方に得があると、そういうことですよねぇ?」
サールは少々不安があるのだろう、念を押した。
「ああ、もちろんだ。お前はシャルルが捜す少年のことを知りたいのだろう?確かにこれは慎重に扱えば有用な情報だろうぜ。教えてやる。代わりにシャルルは俺が預かる。シャンパーニュにはやらん」

サールは眉をひそめた。
「それはまた。確かに私は情報を土産にシャンパーニュに戻る。連れて帰る予定の少女はロトロア様に預けたと、それで済みますが。ロトロア様。シャルルをよこさないならば貴方のセネシャルであるリシャール様を呼び寄せると、そんな話を聞いています。よいのですか。如何に貴方様がティボー四世様の信頼を得ているとしても」
「信頼は裏切るためにある」
静かな一言にサールは黙る。
シャルルも、間近にあるロトロアの顔を見つめた。
「とは言いすぎかもしれんが。シャルルもリシャールもやらん。テオに言っておけ。友情の器をひっくり返すのなら、信頼と言う美酒は二度と戻らないのだと。甘えるのもいい加減にしろ、とな」
「い、言えませんよ!そんなこと」
慌てたサールに、ロトロアは面白そうに声をあげて笑った。

『La croisade de l'ange 3:Le havre』 ⑧

La croisade de l'ange Chapter 3 『Le havre:ル・アーブル、港に詩う』



やけに高い笑い声に、シャルルは口を自然に尖らせていた。ロトロアの真意など分からない。だけど、なにか変な方向になっている。ロトロアはシャンパーニュ伯を裏切ろうとしている。冗談めかしているものの、シャルルを残すということはそういうことらしいと分かる。

なんでだろう。
僕は、ただの孤児だったのに。

不意に悲しい気分がせり上がるから、もう一度ワインを口に運んだ。
結果的にまたむせているものの、それでも今度はちゃんと飲み込み。それが胃の中でくすぶるように熱くなるから、ついでににじんだ涙にも、うるさい黙れと更にもう一口。
シャルルは苦い顔をして自分自身と戦っていた。ただの、つまらない存在の自分と。

肩をとんと叩かれ、顔をあげればロトロアが笑っていた。
「お前は俺の側に置く。そう決めたのだ。シャルル、ロイのことを話せ。どうせベルトランシェに報告するんだろう」
それがやけに優しげで、余計に顔が熱くなる。
シャルルは慌ててサールに視線を逃し、話し始めた。

ロイが現国王のルイ九世の兄であること。死んでしまったことになっているフィリップだということ。彼はランスで行方不明になったが、この街の領主ヌーヴェルの手によって、イングランド王ヘンリー三世へと身柄を移されたこと。
ロトロアもそれには、ほう、あのタヌキ爺め、と呟いた。
「同じ売買でも、王子様ともなると違うんだね。僕、てっきりどこかの奴隷船で働かされるとか、農場の下働きとかになっちゃったら、ロイじゃあ耐えられないなんて心配していたんだ」
「お前は短絡的だな。売り手が商品の価値を知れば、おのずとそれに見合った買い手を探す。お前をジャンヌの子だと噂しただけで、この市場に集まる下賎な仲買人が躊躇したのと同じさ」
「やっぱり、あんたが噂を広めたんだ」
「ああ、悪いか?お前が先にそれをヌーヴェルに言っていたら、あの場所には出品されなかっただろう。賭けだったんだが幸運だった」

シャルルは黙った。言うわけがない。それが真実じゃなかったことくらい知っているんだ。僕は、知ってるんだ。ただの孤児だって。
シャルルはやりきれない気分で手元に残っていたワインをぐんと飲み干した。

「さてと」
立ち上がったのはサール。
「まさか、ここで泊まるおつもりじゃないでしょう?」
「ああ、宿を取ってある。サール、お前は」
サールは肩をすくめた。
「吟遊詩人ですからねぇ」
「詩をやめればいい。旅人に扮するのに吟遊詩人である必要はないだろう。商人でも流れの騎士でもいい」
ロトロアも立ちあがる。並ぶと丁度同じくらいの身長だった。年齢もほぼ同じくらい。サールはふふふと笑った。
「詩が好きなんですよ。それにねぇ、こういう商売は相手の態度で人柄がよく分かる。シャルルはジャンが言うとおり、情の深い優しい子でした」
んあ!?と、半分酔いかかっているシャルルは立ち上がると同時によろけた。
「確かに、ロトロア様。シャンパーニュ伯に届ければ、何に利用されるか分かったものではありませんね。ジャンヌ様のお子様では」
「そうだな、では、サール。気をつけて。テオによろしく伝えておけ。俺が何をしようとも、いずれお前の役に立つはずだとな」
「ええ?」
先ほどと言っている内容が随分違う。サールは困ったように頭をかいた。
「両方伝えておけ。俺の行動を裏切りと取り、オマージュを解消するのならそうすればいい。判断はあいつに任せる。ただ。俺の方から忠誠の誓いを取り消すことはない」
はぁ、と笑いながら溜息をつきサールは「結局、ロトロア様。突き放すようでいて背後で支える、だからティボー四世様も信頼するのでしょうねぇ」と笑った。


そんな様子を半分閉じかけた目で見つめ、ロトロアに促されるまま馬に乗り宿についたシャルルは、心地よいベッドに身体を預けてやっと「はぁ」と心から安堵の息をついた。
「ああ~いいなぁ。やっぱり。これでお湯に入れたらもっといいのになぁ」
「パリに着けば、何とかなるだろう。お前の臭さには俺もまいるが、我慢してやる」
「なんだ、その理屈。偉そうだな。それに、いつパリに行くって言ったんだよ!僕はイングランドにいるはずのロイを探すんだ」
酔いの勢いか、シャルルは仰向けになったまま天に手を伸ばす。まるでその先に、ロイの姿が見えているかのように。

脇に人影を感じ、横を向けばロトロアがベッドに腰掛けていた。
マントを取り、上着を脱いで今は絹の服。実際はかなり逞しいはずなのに、それを着ていると華奢に見えるから不思議だ。その下に憎らしい位しっかりした筋肉を持っているのにさ。睨むついでにシャルルは憎らしいそれをツンツンとつついて見る。
「なんだ?」
「なんでもない」
言いつつ、つつく指は止まらない。
「くすぐったいだろ」
「あ、そう」
そう言ってごろんと背を向ける。拗ねた様子のシャルルに、ロトロアは眉を下げ笑った。
「お前、酔っ払いか。靴は脱げよ」
「脱がして」
「威張るな」
言いながら、酔って舌っ足らずなシャルルが面白いのか、ロトロアはシャルルの足首を捕まえる。
紐をとき、靴を脱がした。ベッドに落ちた泥も払い落す。
大した品ではないが、せっかくのドレス姿、泥に汚すのはもったいない。
ロトロアはふと、無邪気に伸びをするシャルルを見つめる。そのねじった腰のあたり、尻の丸み。転じて華奢な肩から首、胸元に視線が流れる。
獅子の子は睡魔に任せて髪を無造作にかきむしると、枕を敵のように乱暴に抱き寄せる。傍にいた白イタチは迷惑そうに飛び退いて、荷物の袋に身体を丸めた。
尻尾をふらふらさせる生き物をしばらく眺めたロトロアは、「なんでさ、嘘つくんだ」と。小さく呟いたシャルルの声に振り返る。
「なんだ?俺に言っているのか?嘘?」
「知ってるんだ。僕は、ジャンヌ様の子供じゃないんだ。ただの、価値なんかない子供なんだ。生まれた時に誰も祝福しなかった。誰も喜んでくれなかった。だから、捨てられた。そういう子供なんだ」
鼻声になっているのは、シャルルにも分かっていた。
酔っているのも確かだが、どこかでちゃんと考えているのも確か。だからこそ、いつもよりずっと素直に言葉を並べる。
「リシャールに聞いたんだ。僕がただの孤児だってのは、あんたも知っているんだって。知っていて、どうして傍に置くんだ」

放った言葉は自分の立場を確かめるため。返事によっては足元にあった基盤すべてを失いかねない攻撃。相手をも傷つけるかもしれない、同時に自分が傷つくのも覚悟の上。
だからだ。だから涙が出る。
別にロトロアに「お前など要らない」と言われたって平気なんだ。もともと強引に連れて来られたんじゃないか。敵だったんだ。憎んだことだってある。なのに、これを言い出すのに時間がかかり、言ったら言ったで涙なんか出ちゃうのは、分からないけど僕が弱いからだ。ロトロアがいなくたって、ロイを探すんだ。それは変わらないんだ。

分かっていた。ブリュージュに帰ってからふてくされていたのも。自分の迷いが何故なのか分からず、それに苛立ってリシャールに八つ当たりしたんだ。
ロトロアがいなくても平気、そう信じ込もうとするのに、リシャールはいつも逆のことを言うんだ。会いたいんだろうとか、恋しいんだろうとか。
ぎゅ、とまた涙が溢れそうになる。

返事がまだなのに気付き、シャルルはごろりと身体をロトロアの方へと向けた。
泣いているのに気付いたのか、ロトロアは目を細めた。

『La croisade de l'ange 3:Le havre』 ⑨

La croisade de l'ange Chapter 3 『Le havre:ル・アーブル、港に詩う』



「どうしてだよ。ただの孤児なのに。どうして側に置くんだ?」
その鼻声が憐れみを誘う。
ロトロアの笑みが消えた。
いつもどこかにやけた顔がそうでなくなると、真っ直ぐ見つめられると。どうしていいかわからず、シャルルはむくりと転がり枕に顔を押しつけた。
「僕に利用価値があるから、捕まえたんだろ。連れて来て契約まで結んで。だけどもう価値がないって分かったんだろ」
「手放して欲しいのか」
低い声に顔を上げる。
振り返ればロトロアの手が頬に触れていた。
温かいそれが涙を拭ってくれているのだと思い目を閉じた。
「ちが、そうじゃなくて。その、理由を知りたい」
「側にいたいのか?」
だから!
「そういうんじゃなくてさ!僕はあんたの気持ちを知りたいんだ!シャンパーニュ伯まで裏切って、僕をそばに置くってどういうことだよ」
「知ってどうする。俺がそばに置きたいといえばずっといるのか?いらんといえば去るのか?お前はそんなことに左右される人間か」
「に、人間って、あの。そうじゃなくてさ。僕は騎士になりたいし、そばにいればロイのこと探せるし。正直、修道院の孤児じゃ絶対に出来ない生活をさせてもらってるし」
「だったら、聞くな」
「へ?」
「俺の考えで左右されるようなお前でないなら、俺の気持ちなど気にするな。俺はしたいようにしているだけだ。それが矛盾して見えようが、間違っていようが。すべての結果を俺は受け入れる。だから俺は好きにさせてもらう」
「わかんないよ!僕はあんたの気持ちを知りたいって言ってるんだぞ!相手の気持ちは分かった方がいいだろ。そうでなくちゃ、友情とか恋愛とかそういうのできないぞ?」
「お前と恋愛したいとは思わない」
恋愛!?
静かな黒い瞳が、そばに。
動こうとし、ロトロアの手はシャルルの顎を捕らえている。
「な!?」
キスで言葉をふさがれる。
突き放そうとした右手は男の手の中。うう、と呻けば侵入する舌に返って後悔する。押しのけようと思うのに、信じられないくらい重い。
好きなように、するって、これか。
怒りとも悲しみともつかない、荒々しい感情が腹に生まれる。納得できない。
恋愛ではない、というくせに。
好きだからそばに置くなら、愛しいから抱きたいと言うなら分かる。
好きなようにしたいからこうする、それは身勝手って言うものじゃないのか!?
「っん、ばかっ!放せ、ばか」
膝蹴りもただもがくだけに終わる。温かい手のひらが頬に触れていて。見上げればロトロアはどこか焦点が定まらないような、陶酔した眼差しをしていた。そう、獣、のような。
嫌な予感にシャルルはギュッと目を閉じた。見たくない、こんなロンロンを、こんな現実を。
「いやだ!馬鹿、やめろ!」
すっかり馬乗りのロトロアに抗議を繰り返す。身をよじっても、足をばたばたさせても腹の上にしっかりと脚を据える男はびくともしない。
両手は束ねる枝のように押さえつけられ、哀れな獅子の子は得物と化していた。
「今日は、イタチはいないんだな」
余裕とも思えるロトロアの台詞に、悔しくなって「ばかばかばかっ!助けて、誰か、リシャール、ジャン、ロイ……」
「暴れるな」
耳元、囁くそれにぞくりと。体のどこかが震えた。
「やだ」
気付けばそれしか呟けない。情けない鳴き声。
哀れなそれはロトロアを増長させるだけなのかもしれない。じっと、押さえつける大きな体が拍動を伝え。それが自分なのか、ロトロアなのか分からなくなる。

「誰の子供かなど、どうでもいい。いずれ誰もが一人で生きて行く。そうだろ?そこに拠り所を求めるのはお前の弱さだぜ」
さらけ出される肩、そして胸元。小さく抗議するが。返ってロトロアは嬉しげにシャルルのまぶたに口付けた。
「悔しければ強くなれよ。俺のものにしたいと思うから、そばに置く。お前がどう思ったとしても、周囲が何を反対しようとも。俺はお前を」
そこまで言って、ロトロアは黙る。
「なに?」
尋ねてどうするとも、考えがあるわけではない。
わけの分からないロトロアの思考が少しでも理解できるかと、その試み。
「いや。ロイに会いたいなら、探せ。見つかったなら、そのとき真にお前をあいつから奪ってやる」
「じゃ、じゃあっ!その時まで、こんなのしないでさ…っ」
びくりと。体が反応し。
「だめだ。目の前の得物を逃すほど、お人よしではないな、俺は」
触れられるたび、小さく抗議するシャルルに「初めてだろう。こんな風にされるのは」と楽しそうに笑いかける。
悔しいのも腹立たしいのも、すべて温かい涙と吐息に変わる。それを唇で吸い取られれば、もうシャルルにできることなどない。
哀れな獅子は、小さな爪を突き立て鳴いた。



許さないんだから。
絶対にさ。
呪いの言葉をぶつぶつと呟きながら、シャルルは目覚めても毛布から出ようとしない。
一晩で人生の半分を経験してしまったような疲労感と、不思議ながら達成感に似たものもある。女である自分をこれほど呪ったこともないが、それがそういうものだと知ると僅かに諦めに似た心地にもなる。
何をどう頑張ってもロトロアに敵うことがなかった。
それは自分の髪の色を憎んで変えたいと願っても、変えることなど出来ないのに似ていた。目の前にあるチーズとパンが果物でないことを呪うのに似ていた。
呪われたとしても、チーズに罪はないのだ。

僕が女であることは、罪じゃない。

変な発想になったものの、なぜか涙がこぼれた。
これまで自分が女であることがいやだった、そのために捨てられたのだと信じていた。それがそうでなかったのだとしても、中々その感覚は捨てることができなかった。
なのに女扱いされ、男との違いを見せつけられれば納得せざるを得ない。
僕は女だ。
悔しいけど女だ。
でも、だからなんだ。それの何が悪い。
どこの誰とも分からない人間だ、しかも女。それを認める強さが欲しいのだと、ロトロアの言葉がなぜか理解できた。
そう、何が悪い。僕が僕で、悪いことなんかない。
反発にも似て、自然とシャルルは現実を受け入れようとしていた。

「ほら、起きて食べろよ。すぐに街を出るぞ。ヌーヴェルがそこまでするかは分からんが、街道を封鎖しようとするかもしれない。戦いになるぜ」
うーと唸るだけの少女に、ロトロアは顔を覗き込む。
「どこか痛いか?」
そう気遣う顔が神妙で、シャルルは顔をしかめた。
「許さないんだからな!」
「痛いなら言えよ。それとも、もう一度確かめたいか?」
「何をだよ!ばか!」
ロトロアが毛布を取り去ろうとするから、慌ててそれにしがみつき、シャルルは柔らかな蓑虫のまま起き上った。
窓からさす日差しと風が、ふわと髪を揺らした。
テーブルでチーズに手を伸ばす白イタチがこちらを振り返り、早くおいでと首をかしげる。
「……お腹すいた」
そう吐き捨てて、シャルルは立ち上がることにした。

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