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『La croisade de l'ange 3:Le havre』 ⑭

La croisade de l'ange Chapter 3 『Le havre:ル・アーブル、港に詩う』

14

うっすらと白む空の元、まだ不機嫌な様子のロンフォルトと性格なのか大人しく従うブロンノに乗り、二人は街道を進み始めた。
次の橋までは速足で五分ほどの距離だ。街道の左に広がる農地と民家、細い川とそれを渡る小さな橋。山手から平野へ、セーヌ川に近づいていることが分かる。
向かう正面が東。空は白から黄色へと変化を始めていた。
夜明けの風が冷とシャルルの肩をすくませ、ケープの胸元に忍び込んでいる白イタチが眠そうに身じろぎした。
街道の脇の草地や農作業小屋の脇で、橋を渡れなかった人々が休んでいる。さっきまでは黒い影だったそれらも、ぐんぐん明るくなる東の空に照らされて、今は何なのかはっきりと分かる。
最初の橋を供に渡ったあの商人の馬車が、民家の脇にとめられているのを見た。
ああ、この家の人だったんだ。無事に魚を子供に食べさせられたんだろうな。
シャルルは幸せに眠る親子を想像し、自然と口元を緩めていた。
「橋だ。あいつらは見当たらんな。通ったか」
橋に向かって右は小高い丘のように見え、その先には星が消え行く空しか見えない。向かって左には河の流れが横切るのが見え、それは北方に向かってずっと続くように見える。林や民家、遠い地平にわずかな光の筋となって朝日を反射して輝く。
街道の先にはのろのろと動き出した人馬の列、その中にあの騎兵らしき一団は見えなかった。近くにいた男に一段のことを尋ねると、あちらの街道へ向かったと北を示された。
「ルーアン?」
左方、つまりシャルルたちよりずっと北の方角に、ルーアンの町がある。シャルルはル・アーブルへの途中立ち寄ったルーアンを思い出していた。
「早起きして損したね。ルーアンへ行ったってさ」とシャルルが欠伸をかみ殺す。振り返ればロトロアもシャルルと同じ、ルーアンの方角をぐるりと眺めていた。
「ヌーヴェルの手のものか。橋を固める増援かも知れんな」
「え、じゃあ、ますます大変になっちゃったってこと?」
「ああ、そういうことだな。誰かがいびきをかいて寝ている間にな」
「ほんと、煩くて眠れなかったよ」
「お前だろ」
「違うよ、あんただろ」
「寝顔は可愛いがいびきは獅子並みだ」
「嘘つくなってば!」
がーっとロトロアが真似をして見せるから、シャルルは届くはずもないが片足をぶんとそちらに蹴り出してみる。
丁度、ロトロアがブロンノを止めた。
空振りのつもりが予想以上にがんとロトロアの腿に当たり。「あ、ごめん」と思わず謝ってから、男の様子を見上げた。
ロトロアは正面をじっと見据え、動かない。
その視線の先は、橋の手前に並ぶ旅人や商人の列へと向いていた。先ほどの集団に寝ているところを起され、慌てて橋に詰めかけたものの、やっぱり通してもらえずに立ち往生していた。
橋は丸太で組んだ柵で封鎖されていた。検問のように兵が立ち、一人ひとり、止めては何か話しかけている。今通された農民らしい男が荷車を引く牛に鞭を入れた。柵は再び閉じられ、次の旅人を武装した衛兵が囲む。いかにも物々しいそれに人々は牧場の羊のようにわずかな困惑と恐れを見せながら大人しく並んでいる。
柵の両側には騎兵が並び、槍を構えていた。
「まずいな」
「蹴散らす?」
「馬鹿か。相手の数を数えてみろ。奥に騎兵の姿もある。シャルル、無謀な策も時には必要だが、安全な道を選べるならそちらを選ぶべきだぜ。少し遠回りだが、ルーアンに紛れ込んでみるか」
「そっちなら安全?」
「さて、行ってみなくては分からん。だが、ここから南は険しい山、パリに向かうならルーアンを経由しても良いだろう。お前も通ってきただろう」
シャルルは頷いた。「でも僕はルーアンには北から入ったよ」と、自分の記憶をたどりなおす。あっちの、とぐるりと視線をめぐらせたとき。
シャルルは覚えのある姿を見かけた。
「サール!」
それは橋の手前、検問で兵に何か言われている。あの穏やかな声が想像できる笑顔で何か答えた。不意に、兵が青年に拳を振り上げた。
「!」
シャルルの声にならない悲鳴は、周囲の人々がどよめきとして代弁した。旅の吟遊詩人を痛めつけようというのか、抵抗しない青年に数人の衛兵が蹴りつける。
「あいつらっ!」
「シャルル!」
引きとめようとするロトロアの手が届くはずもなく。シャルルはするりとロンフォルトから飛び降りると、かけていく。手にはそう、イタチの剣を構えて、だ。
「やめろー!」
怒鳴りながら飛び込んできたシャルルに、あっけに取られ、衛兵たちは動きを止めた。全部で六人ほど。その足元に、サールが半身を起こした。
日差しを受けた頬には傷と血の赤が見えた。
「だめだよ」
青年の瞳には来るなと真剣な思いがある。だけど。
シャルルは怒鳴った。
「無抵抗の人に乱暴するなんて、領主の命を受け剣を預かる兵がすることか!?お前らの行動はお前らの主君の名を汚すことになるぞ」
一人の兵がつばを吐き捨てた。
「騎士見習いの小僧か。騎士道、って奴か?笑わせるな。お前ら騎士のほうが余程貪欲だろうが。弱いものが悪いんだぜ、死にたくなきゃ強くなれ、だろう?」
そいつに合わせて数人が笑った。
サールが膝で立ち、「お待ちを」と手を広げかかる。それを側にいた兵が槍の柄で叩いた。
次の瞬間、シャルルはその兵の懐に飛び込んでいた。
槍の柄を掴むと走りこんだ勢いのまま、ぐんと引く。不意をつかれた男は槍を放し、次の瞬間にはそれで腹を突かれ苦しげに膝をつくことになる。
「貴様!」
何も考えていないのか。残り五人が一斉に飛び掛る。シャルルがするりとかわせば、額をぶつけ合ったものが三人、他の兵が突き出した槍の先に危うく串刺しにされかかって転がるものが二人。シャルルが地に突き刺さった槍を足場に飛び上がり。放った蹴りで一人が転がった。
口々に悪態を吐きながら起き上がった衛兵たちが腰の剣に手をやる。シャルルも、イタチ剣を抜き放った。
相手は四人。勝てる。
シャルルはそう感じた。
と、一歩踏み出そうとする足元を、誰かが引きとめた。
「サール?!」
「無茶はやめなよ、危ないよ」
危ないとか、今言われてもさ。
一瞬の混乱が、シャルルの判断を狂わせた。
衛兵の背後から、騎兵が駆け寄ってきていたのだ。
「逃げなさい」サールが言うそれは、正しい。馬から降りている状態では、騎馬にかなうわけはない。
だけど!今はまだ四人に囲まれている。
斬りつけてきた衛兵を一人、するりと避けて肘うちでしとめ。シャルルは状態を見極めようと身構え見渡す。
と、目の前に馬の姿、馬上の騎士、構える槍。刃が朝日に光る。騎兵は権威を見せ付けるようにシャルルに襲い掛かった。
悲鳴は、見守っていた旅人からか、自分自身か。
刃はかろうじて避けたものの、馬の脚は。
栗毛、蹄。
その瞬間、視界が真っ暗になった。
どん、と。地に打ち付けられ、気が遠くなる。
いや、だめ、だめだ。
陸に打ち上げられた魚宜しく、シャルルはびんと背に力をこめた。
起き上がらなきゃ、やられる!

意識があるってことは大した怪我じゃない、大丈夫。

重い身体を右腕でぐぐっと支え、半身を起こす。
目の前で何か、動いたように感じた。
ロトロア。
それは、一瞬シャルルを見つめ、そのまま眼を閉じた。

そう理解した時。すぐ体の脇で馬が足踏みをし、横たわるロトロアに庇われたのだと。
自分の代わりにロトロアが蹴られたのだと、思うより早く理解した。
そして今、倒れたロトロアに衛兵たちの槍が突きつけられ。
もう、どうしようもないことも。

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『La croisade de l'ange 3:Le havre』 ⑮

La croisade de l'ange Chapter 3 『Le havre:ル・アーブル、港に詩う』

15

「触るな!」
もう何度怒鳴ったことだろう。
荷馬車に積まれたロトロアに、誰かが手を伸ばそうとするたびに、シャルルは全身の毛を逆立てた獅子のように殺気を放って怒鳴った。
眼を閉じたままの男は、シャルルがあまり見たことのない顔で横たわっていた。別人のようだった。気を失っているのだから当たり前だが、その生気のなさにシャルルは悔しくて目を真っ赤にしていた。
何度声をかけても目を開かず。死んでいるのかと恐る恐る首に手を当てれば、温かい。

荷馬車には剣を携えた衛兵が二人。シャルルたちを見張って乗り込んでいた。縛られてはいないものの、シャルルとロトロア、そしてサールは荷台の隅に座り込み揺られている。
「そのまま、ひっぱたいてみたらどうかなぁ」
のんきな口調のサールに、シャルルはきっと睨みかえし「何言ってるんだよ、馬鹿」と。言ったところでぐらと馬車が揺れた。
弾みでシャルルの手のひらがぺんとロトロアの頬を打った。
「あ」
う、と。男は呻いて身じろぎする。
「ほらね、起してみなよ。案外、お前さんを心配させようとの演技かもしれないよ?ロトロア様は戦略に長けたお方だと聞いているからねぇ。ああ、そうだ!シャルル、お前さんがここにほら、ちゅっとね、キスなんかしたらきっと嬉しくて昇天しちゃうね」
「サール、陽気な吟遊詩人を苛めたい衛兵の気持ちが分かった気がする」
「え?まあ、まあ、シャルル。落ち着いて、ほら、ロトロア様、起きてくださいよ、シャルルを苛めちゃいますよ」

「「サール!」」

シャルルが怒鳴ったのと、ロトロアが呟いたのと同時だった。
「え!起きた!」
シャルルの膝の上で、ロトロアは頭を押さえ顔をしかめた。
「いて、お前か。このがりがりの脚は。材木でもまだましだぜ」
ぶ、っと。噴出したサール。
「これが膝枕だとは、信じられんな」
「はあ?!」
言いながらロトロアはシャルルの腰にそのまま手を回し抱きついた。
「放せ、ばか!」

反射的に殴った拳は、どうやら馬に蹴られた衝撃よりひどかったらしい。
その後もしばらくロトロアは呻きながら荷台の隅でサールの陰に隠れていた。
「くそっ!心配させてさぁ!!近寄るな変態!」
ロトロアはサールの向こう座り、笑いながらわき腹を押さえた。
わずかに男の息が乱れているのをサールは黙って見つめていた。


ルーアン、ル・アーブルとパリを結ぶ中継都市。ランスと同じような大司教座がおかれているから、大聖堂がある。物々しく兵が守る橋を渡るとシャルルたちを乗せた馬車を大きな塔が出迎えた。ランスが森に隠された聖堂ならば、この街の聖堂は街を守る城壁のようにセーヌ川を渡る人々にその威厳を見せ付ける。
シャルルは菫色の瞳を不満げに聖堂に向けていた。
聖堂に至る道筋にはランスと同様に市が開かれ、川を利用する近隣の村からの品々が並び、その隣には明らかにル・アーブルの港からと思われる外国の茶葉や塩、工芸品などが売られている。
それらは当然、ル・アーブルの港で買うより数倍の値段がつけられ、物知らぬ近隣の農民や豪商がありがたがって見てまわる。
そんな中を家畜のように荷馬車に詰まれたシャルルたちは、屋台の肉や酒の匂いを髪に絡ませながら風を切る。
大聖堂の門をくぐるとそこには、はちきれんばかりに大勢の兵が詰め掛けていた。
「なに、これ」
シャルルがきょろきょろと見回し、サールが寝返りをうちながら肩をぽりぽりとかいた。
「戦争だもんねぇ。ルーアンの持つ聖堂騎士団は早々動かないだろうからね、近隣の街や村から借り出された人々だろうね。お前さんは見たことないだろうけど、戦争の時にはこんな風に一杯集まるんだよ。それで、敵と互いにぶつかり合って、殺しあう。なんていうか、美しくはないねぇ」
肩をすくめるサールに、ロトロアはふん、と苦々しい溜息を吐いた。
「どっちの味方なんだよ、ここの兵は」
シャルルは二人の顔色を見比べながら、疑問を口にした。
国王の領地ではあるが、ロトロアの話ではどうやらブルターニュ側。だとしたら、シャンパーニュとも盟約を結んでいるはずで、ロトロアやサールを捕まえるのはおかしいことになる。逆に国王ルイに味方すると言うならば、シャルルは国王の伝令なわけだから、シャルルが捕まるのがおかしいことになる。
複雑、と首をひねりながら二人の回答を待った。
ロトロアは口を利かない。
サールが「どっちって、多分ブルターニュ伯だろうねぇ」と頭をかいた。
「じゃあ、シャンパーニュの味方なんだろ?捕まるのはおかしいよ」
「シャルル、私はただの吟遊詩人だしね、ロトロア様はシャンパーニュ伯を裏切るとかおっしゃるし。お前さんはルイの手下ってことだしねぇ。こんな、怪しげな人間、自由にさせておくのは嫌なんだろうさ」
「ロンロンがシャンパーニュを裏切るなんて、ここの人が知るはずないだろ、僕だってこの間知ったばかりだし」
シャルルの一言は何か触れていけない部分をついたらしい。サールがふと真顔になった。
「え?」
「シャルル。それ以上追求するなよ。サールにはサールの事情ってもんがあるんだぜ」
「なんだよ、それ」
「サールが、俺たちを売ったんだろ」
丁度、馬車が停まった。

サールは照りつける陽光の下、長い睫に彩られた瞳をシャルルに向けていた。口元はいつもどおり、笑って。
「ほんと、お前さんは素直でいい子だよねぇ。シャルル。ロトロア様が悪いんですよぅ、シャンパーニュを裏切るなんてなさるから。驚いちゃいましたよ」

え?

ロトロアはサールに支えられて身体を起した。
「これで何を得るのか知らんが、吟遊詩人。よくものを考えて行動しろよ。これが本当にテオのためになるのかどうか。俺はともかく、テオを裏切るならいずれ殺す」
「またまた、そういう怖いことを。私はあくまでもティボー四世様のためを思っているんですよ。貴方こそ、女で身を滅ぼすことはないでしょう」
そりゃ、シャルルは可愛いけどねぇ、と。笑いながら、サールはロトロアに肩を貸す。見た目だけは仲良さそうに二人の男は荷台をそろそろと下りていく。
「え?あのさ、ちょっと!」

シャルルも慌てて二人の後について、トンと飛び降りた。
「シャルル、サールの演技に騙されたんだぜ、お前」
ロトロアが振り返り、言った。
「騙したってほどじゃないですよぅ、ひどいなぁ。私だって橋を渡れないんじゃ困るんですよね、急ぎシャンパーニュに戻らなきゃならないのに。言っときますけどねぇ、ロトロア様、私がティボー四世様を裏切るはずがないですよ。裏切られているのはもしかして、ロトロア様、あなたかもしれませんよ。もし気が変わったなら、いつでもシャルルちゃん
を連れて来てください。どうもシャルルちゃんも貴方の側を離れたくない様子ですし、暴れる獅子を連れて旅する勇気は私にはありませんしねぇ」
あはははと明るい笑い声といたずらな視線がロトロアの横顔を眺めまわした。
「ちょっと待てってば!サール、ホントは何なんだよ!!」
シャルルが掴みかかったところで、三人を連れてきていた衛兵たちが周囲を囲んだ。同時にサールは肩を貸していたロトロアをどんと突き飛ばした。
「わ!?」
倒れこむロトロアを慌てて支え、シャルルは座り込んだ。
サールはひらりとケープを肩にかけ直す。その笑みに日差しがさし、吟遊詩人に相応しく自由の風をすと吸い込んで詩うように語った。
「じゃあ、私は一足先にシャンパーニュに戻りますよ。お元気で、ロトロア様。あ、そうそう。シャルルちゃん、これだけは覚えておきなよね。あんたに声をかける男のほとんどが悪いことを考えてるってね」
サールは衛兵の間をするりと通り抜け、向こうへと消えた。
「なんだよ!サール!ちょっと、ロンロン!ちゃんとしろよ、ばか」
ロトロアとシャルルは地に座り込んでいた。両ひざをついた姿勢のまま、ロトロアは左手で右脇腹を押さえていた。シャルルがその腕を叩いても、動こうとしない。乱れた前髪が額にかかる。
「お前は……それが、主君に語る言葉、か?」
「……怪我してるんだろ」
シャルルは立ち上がろうとするロトロアの手を握り締めた。
「痛いならじっとしてればいいだろ、いつもはぐらかしてさ!」
座り込んだままシャルルを見つめ、ロトロアはふと笑った。
そのまま目を閉じると、静かに息を吐き出しじっとしている。こめかみを伝った汗が、ロトロアの痛みを訴えるようでシャルルは唇をかんだ。
シャルルは周囲を囲む兵たちを睨みつけた。


衛兵の向こうから、見覚えのある姿、ル・アーブルの領主ヌーヴェルが現れた。
隣に立つのは聖職者の服装、ルーアンの大司教だろう。

シャルルは二人を見上げ、腹に力を込める。
「この人はシャンパーニュ伯領ルジエの領主、ロトロアだ。僕は前王妃ブランシュ様の伝令でシャルル・ド・リタ。このルーアンが敵なのか味方なのか分からないけど、仮にも大司教座。身分を明かし、助けを求める我らを丁重に扱わないと大陸中に不名誉な話が流れるぞ」
ペンダントを巻いた腕を掲げて見せる。その美しい百合の紋章がきらきらと揺れた。
真っ直ぐ大司教たちを睨みつけながら、シャルルは自分の手を握り締めるロトロアを思った。
その大きな手は、今シャルルの助けを必要としているように思えた。


ルーアン大司教は「自由は約束できないが十分な手当てと休養を差し上げましょう」と聖職者らしい丁重さでもって、二人を聖堂内へと連れてこさせた。
言いたいことがある様子のヌーヴェルも、大司教には逆らえないらしかった。
傾き始めた日差しが聖堂内の回廊を蒸し、どこか土の匂いをさせる建物はランスを思い出させた。
与えられた部屋で衛兵に支えられベッドに横たわったロトロアは、いつもの軽口も軽薄な笑みも潜めて大人しくしていた。治療に当たる司祭に腹を見せると、シャルルも覗き込んだ。
ロトロアはちらりと少女の方を見つめ、それから視線をまた天井に向ける。
「脇腹を傷めておられるな。冷やして様子を見るしかないでしょうね」
髭の司教が従者に水の入った桶と布を持ってこさせる。
シャルルはそれを受け取ると慣れた手つきで濡らして絞った。

「あの、当分動けないのかな」
シャルルの問いに司教は目を細め、「腫れと痛みが引けば大丈夫だろうね。熱が出たり食欲がなかったりしたなら、内臓に傷を追っている可能性もありますよ。そうだとしても、様子を見るしかないのは同じ。大事にしてあげなさい」
そう笑った。
司祭たちが部屋を出て、衛兵が外から扉に鍵を閉めるとシャルルは「はあ」と大きなため息をついた。
布をまた水でぬらし当て直すと、シャルルはふらりと立ち上がり室内をぐるりと一周した。窓は格子がはまり、覗いてみると小さくなった中庭が見える。井戸が黒い丸をこちらに向けていた。
二つ目の窓からは大聖堂の鐘楼がよく見えた。
鐘楼の背景は青く暮れ始めた森。赤い夕日を溶かして流すセーヌ川が輝いて見えた。しばし、その景色に見とれ、それからまたため息をつく。

「シャルル」
ロトロアの声は、心なしか弱々しく感じた。
それがどうにも、シャルルには腹立たしかった。
「何?」
振り向いてなんか、やらない。
「こっちに来い」
「なんで?」

返事が途切れた。
口を尖らせ、窓枠に置いた手を見つめていたシャルルは、ふん、とまた息を一つ吐いて振り返る。
ロトロアは体を起こして、こちらを見ていた。
「な、んだよ!寝てなきゃダメだろ!」
駆け寄れば男の手が髪に触れようとするから、シャルルは慌てて飛びのいた。
「ばか、何すんだよ!」
「お前、なぜ泣きそうな顔してる?似合わないぜ」
「な、泣いてなんかない!」
シャルルは慌てて目を擦った。
その手が暖かい手に握られた。顔を上げたときには引き寄せられ抱きしめられている。
「放せ、ばか!」
「暴れるな、痛む」
「何が痛むだよ!馬の前に飛び出すなんて、無茶してさ、僕も大概無謀だって言われるけど、あんたほどじゃないぞ!死んじゃったかもしれないんだ、分かってるのか!?」
「ああ」
熱っぽいロトロアの胸元は汗でひんやりと湿っていた。突放してやりたいと思うのに、怪我人にそれは出来ない。頬を男の肩に押し付けたまま、シャルルはじっとしていた。
変な体勢で、支える手が痺れてくる。それでも何となく、動いてはいけない気がして息を潜める。
「俺も馬鹿だと思うぜ。こんなところに、足止め喰らってる場合じゃないんだ。いいか、シャルル。俺は急いでパリに向かう。お前とは違う思惑があるが、今は話すつもりはない。決してお前の邪魔をするわけじゃない、お前、俺をパリまで連れて行けるか」
「それ、どういう、こと」
ロトロアの声が低いからか、近すぎるからか、シャルルも自然ひそひそ声になる。
「明日にはここを抜けだす。司祭が言ってただろ。こんな怪我は腫れが引けば治る類だ、多分な。俺は馬に乗るくらいはできるだろうが、剣を握ることは出来ない。お前に、俺の護衛を頼む。それこそ騎士の役目だぜ。たまには従者らしい働きを、して見せろよ」
「僕に、あんたを護れってこと?」
「ああ」
ああ、は溜息交じり。痛みに耐えている気がして、シャルルはぎゅっと目をつぶった。
抜け出すって、どうやってだろう。そんなことして、大丈夫なんだろうか。
それでも耳に届くロトロアの鼓動は落ち着いている。自信があるのかもしれない。シャルルは頷いた。
「分かった。でも。今夜だけはちゃんと休まなきゃダメだよ。いくら僕でも動けないあんたを背負うことはできないんだからな」
「ああ、お前、いい子だな」
「いい子っていうなってば!」
顔を上げた反動でロトロアはトンと押され、そのまま、脇を抑えてぎこちなく横になった。
ちょうど扉が開かれ、顔を覗かせた司祭の従者が「お二人にお食事が出来ましたよ。取りに来てください」と無表情な顔で淡々と告げた。
「はい、今行きます」
シャルルは一度、ロトロアを振り返り、それから従者の後について部屋を出て行った。


物音にロトロアは閉じていた目を開ける。
「なんだ、早かったな」
いつの間にか日が暮れ、暗がりとなっていた室内に、ランプの明かりが差し込まれた。
そこに立っているのは、小柄な少女ではなかった。
金髪を短くし、面白そうな笑みを浮かべて立っている、男。面白そうにきらきらとした瞳が強い光を放ち、存在を際立たせている。
ロトロアは、似顔絵で見たことがあった。
「こんばんは、ロトロア・ド・ルジエ。初めて会うな。そうしているとあの子が言うほど凶悪には見えないね」
凶悪。
ロトロアは自分について語られる様々な噂の断片を思い出し、仮面を被るように心の表に凶悪な自分を張り巡らせた。それは獣が静かに毛を逆立てて、敵を警戒する様子に似ていた。
表情はいつもの不敵な笑みに戻っている。
「これは、ヘンリー三世陛下。このような場所で、お会いできるとは思いませんでした。何故、この時期に、この場所におられるのか、不思議でなりませんが」
流暢なイングランドの言葉に、ヘンリー三世はふんと顎に手を当てた。

「……交易のためと言って信じてもらえるのかな」
ロトロアは腹を押さえながら、身体を起こした。
「何を売買なされているか、想像はつきます。時には、少年を買い受けることもあるらしいですね」
ふと僅かな間。二人はにっこりとほほ笑みあう。
「ああ、そういうこともあるね。貿易は様々な面白いものが手に入るよ。だからお前もブリュージュに拠点を持っているだろう?私はお前が嫌いじゃない。フランク人には珍しく思慮深く、大胆だ。見聞も広い。私は今回の戦乱は見物のつもりでいるが、お前のシャンパーニュには桟敷席ではなく競技場があてがわれた様子だね」
「我がルジエは棄権しました」ロトロアが笑った。
「ロトロア、お前がシャンパーニュを裏切ろうとしているというのは、あの吟遊詩人に聞いたよ」
小さく肩をすくめるロトロアに、ヘンリー三世は続けた。
「ヌーヴェルはノルマンディーとブルターニュとの中継を果たしている。お前を引きとめておいた方がいいという吟遊詩人に従って捕らえることにしたようだよ」
そんなところだろう。予想していた内容を確かめ、ロトロアは息を静かに吐き出した。
ヘンリー三世。嘗て、このノルマディー界隈をも治めていたイングランド王。
何を目的にしているのか、問いかけて答える輩ではない。見物というからには、どちら側につくつもりもないということだ。
ロトロアは賭けてみることにした。
「吟遊詩人はティボー四世の斥候です。ノルマンディー・ブルターニュ連合軍に気を取られ、ルイがオルレアンに進軍したなら、パリの守りは薄くなる。そのタイミングでシャンパーニュは無防備なパリを目指す。吟遊詩人が戻れば、シャンパーニュは動き出すでしょう」
「それをお前は国王に知らせ、妨害しようというのだろう?シャンパーニュにとっては裏切りと映るだろうね」
「そうでしょうね。ご存知ですか。フランク人の軍隊は我先にと戦利品を強奪する諸侯の集まり。自らの所領ですら平気で荒らす。戦場となった町や村は荒廃し、多くの人や物が失われます。せっかく交易を盛り立ててきた所領が荒れるのです。ノルマンディーの裏切りをパリに知らせ、シャンパーニュの土地が戦禍にさらされる前に戦乱を収めたい。ここでのんびり静養しているわけにはいきません。陛下、見物ついでに一興、ご協力願いたい」
は、と。ヘンリー三世は額を押さえ笑った。
「それを裏切りというかどうか、難しいところだね。しかしその身体でよくそんなことを考えるね。死ぬよ?」
「さて、どうでしょうね」
「お前の噂からは身を呈してシャンパーニュを守るような男ではないと思ったが?そこまでして、何故あの甘ったれに尽くすのかな」
「尽くす、ですか。なるほど。それならばそれで結構です」
ヘンリー三世の言葉に面白みを感じたのか、ロトロアはくくくと笑った。
震えるたび痛むのに、湧き上がる笑いをこらえられない様子だった。
「食えないね、お前は。何を目的に行動するのか知らないが、協力を頼むのなら私の頼みも一つ、聞いてもらいたいものだな」

交換条件だよ、ヘンリー三世の言葉にロトロアは顔をあげた。
「リオネットをね、私の友人に与えたいと思っている」
空気が張り詰め、ただ窓からの風にランプの炎だけが揺れた。
「友人、とは」
「お前も知っているだろう?フィリップがあの子を気に入っているんだよ。リオネットは真っ直ぐで生意気で面白い」
「あの方が。今、ここに来ているのですか」
「もちろん。リオネットもフィリップを探しているという話ではないか、丁度いい。二人とも我がイングランドに連れ帰って側に置く。代わりにお前を自由にしてやろう。どうだい?いやならここの地下牢で戦争が終わるまでじっとしていてもらってもいいね。私は見物したいんだから」
ロトロアはしばし、うつむき、額に落ちた髪を拭った。
試すように見下ろしているヘンリー三世の視線を感じながら、痛む脇腹を押える。
「嫌なのかな?これまで女の影のないお前が、もしやそれはリオネットのためなのか?」
「そんな甘ったれに育った覚えはありません。ただ、シャルルは私の従者。パリまでは随行させるつもりです。何しろこの体ですしね。……それ以降であれば、どこへ連れ去ってもかまいません」
風向きが変わったのか、窓からの冷気が二人の間に流れる。中庭に集い陣を張る兵たちのざわめきが風に乗って届いた。
ロトロアは返事のないヘンリー三世を見上げた。
ランプの光がちょうど大きく揺れ、イングランド王の顔が改めて照らされる。
「なんだ、案外素直だね。それほど重要な何かを、企んでいるのかな」
「私の考えを理解できるのは、私だけ。それでいいのではありませんか、陛下。お約束通り、私がここを出られるよう協力していただきますよ。とにかく、明日の朝にはパリに向かわなくてはならない。サールが私をここに足止めしたのは、私より先にシャンパーニュへ戻ろうというのでしょう。急がなくては間に合いません」
ふうん、ヘンリー三世は分かったと言った様子で片手をあげた。
「まあ、今夜はゆっくり休むことだね。ほら、ねえ、リオネット。立ってないで入っておいで」

シャルルは食事の入ったトレーを抱えたまま、立ちつくしていた。
「会いたいだろう?お前の探していた、ロイに」

『La croisade de l'ange 3:Le havre』 ⑯

La croisade de l'ange Chapter 3 『Le havre:ル・アーブル、港に詩う』

16

かた、とトレーの上の皿が傾いた。
シャルルは慌ててそれを支え直し、テーブルまで運ぶと振り返る。
「そ、それは、あのっ」

何やら約束事を交わした様子の二人、ロトロアは僕を。いやでも。シャルルは首を横に数回振る。今、ヘンリー三世は言ったよね、ロイに会わせてくれるって。

「あれ、その様子ではイングランド行きのことも聞いたんだね。リオネット。お前はこの私がもらいうけ、ロイと共にイングランドに連れ帰る。いい話だろう?そんな男のような格好をする必要もないよ。あの戴冠式の時のように美しい姿でいればいいのだ」
ロトロアは、と見ればもぞもぞと無造作にベッドに横になった。
まるで無視して、こちらを見もしない。

いいよ、それならさ。
シャルルはヘンリー三世のいい話とやらはさておき、
「陛下。あの、ロイに会いたいです!ずっと探していたんです。僕、ずっと。会えたら一緒にパリに行くんだ」
ヘンリー三世が首をかしげた。
「あの子はパリになど行かないよ」
「そんなことないよ、あの。その、僕はロイをブランシュ様に会わせたいんだ。お母さんに」
室内の温度が下がった気がした。ヘンリー三世は口を閉じ、何を考えているのか分からない顔に変わった。それでもシャルルは続けた。

「約束したんだ、ロイを連れ帰ったら、ちゃんと母親らしく大切にしてくれるって!ロイもそのほうが嬉しいはずなんだ、だって、本当のお母さんなんだから。きっと会いたいよ。僕ロイに会って、その話をしたいんだ」
「お前、そんな目的か」
薄暗い室内の片隅で小さく呟く怪我人は無視して、シャルルはヘンリー三世の前に膝をついた。
金の髪がゆらゆらと明かりを弾いて揺れた。それが影を落とす肩、襟元。視線を流し、ヘンリー三世は目を細めた。傅かれるのは、嫌いではない。

「お願いです、ロイがここにいるなら一緒にパリに行かせて下さい!お願いです。僕、ロイを助けるって約束して、それ以来ずっと探していたんです。ずっと、僕の」
…僕のせいで、ロイは行方不明になって。シャンパーニュにも、パリにも戻らなかったロイ。それは僕のせいだ。
別れた雨の夜を思い出せば胸が苦しかった。あの日、なすすべもなく馬に揺られて濡れそぼった自分、視界は雨と涙で溺れそうになっていた。
シャルルが瞳を擦ると、ふと目の前に大きな手があった。
見上げればヘンリー三世が笑っていた。

「乙女を泣かせるのは趣味ではないよ。あの子が自分で行きたいというなら、ロトロアに護衛をさせてパリまで送ろう」
「俺が?」遠く、ベッドの中からロトロアが顔だけをこちらに向けた。迷惑そうに眉をしかめている。
「ノルフェノを連れて行くならば馬車を出す。我が馬車を貸そうというのだぞ、その身体ならば馬車の価値は絶大かと思うが」
シャルルの手を引いて立ち上がらせながら、ヘンリー三世は高らかに笑った。
「シャルル、お前にあの子を託そう。その代わり、命を賭けて守って欲しい。縁あって出あった子だ。あの子が自分の意志でそのままパリに残るのならそれも仕方のないことだろう。シャルル。私はどうもあの子を救いたくてね。親に会うというのも、一つの手かもしれない」

救う?

シャルルは穏やかな聖母のように笑うヘンリー三世を見上げていた。
大きな手がいつの間にかシャルルの頭をなでていた。
「救うって、あの。体が悪いんですか」
「十分養生するようにはしているんだよ。ただね、いつも悲しそうでね。そんな境遇に育ってしまったあの子が不憫なのだ。君なら、分かってくれるかな」
シャルルは頷いた。ロイは淋しそうだった。一緒に眠ったあの晩、とても嬉しそうだった。
「ただ。シャルル。あの子がパリに行きたがらないなら、この話はなかったことになるよ。いいね」
「はい。僕を、ロイに会わせてください」
シャルルはそそくさと、ロトロアの横たわるベッドの脇に食事のトレーを置き換えると、水差しからコップに並々と水を注いだ。

「はい、ちゃんと食べて大人しくしてなよ。僕、ロイに会ってくるから」
ふわりと立ち上がったシャルル。
ロトロアはコップの揺れる水を睨んだまま、黙ってシャルルを送り出した。


ヘンリー三世の後について、聖堂の中を小走りで駆けていく。
途中の渡り廊下で、暗がりを横切る白い影を呼び止めた。
「クウ・クル!」
抱き上げ、「ロイに会えるんだぞ、一緒に行こう!」と頬ずりする。くすぐったそうに身をよじるイタチを、ヘンリー三世はモノ欲しそうに見つめながら再び歩き出した。
部屋を出たときからついて来る衛兵二人を従え、シャルルたちは最も風通しの良い広い客間へと辿り着いた。
ヘンリー三世は無造作に扉を開けさせた。
シャルルは心の準備も何もないまま、扉の向こうの暖かい空気を額に感じ、はあ、と息を吸い込んだ。

広い室内は暖炉に火が入り、小走りでついてきていたシャルルには少し汗ばむくらい温かい。室内には誰もいなかった。
石壁には幾枚もの壁掛けが垂れ下がり、獅子と槍、百合と魚、薔薇と十字。様々な装飾の刺繍が静かにそこに収まっている。室内三箇所に置かれたランプ、一つはベッドの脇に、一つはふみ机の脇に。後一つは隣の部屋に続く扉の脇に。

「え、こっち?普通は手前が従者の部屋じゃ?」
「フィリップは従者ではないよ。リオネット。遠い血縁に当たる、今は私に協力してくれる同胞なのだよ。兄弟、と言ってもいいかもしれないね」

シャルルは、つと立ち止まり。改めて深々とヘンリー三世に頭を下げた。
「なんだい、リオネット」
「ありがとうございます。僕、ロイをずっと心配していて。一人ぼっちでひどい目に遭ってないかとか、また熱を出したりしてないかとか。その、……もしかして、生きていないかもしれないとか」
最後の言葉には自分で言ったのに胸が詰まって、ついでに鼻まで詰まって変な声だ。
シャルルはすん、と鼻をすすってもう一度、ヘンリー三世を真っ直ぐ見上げた。
「嬉しいんです!こんなふうにロイが大切にされていて。僕、僕」
「いいから」声が大きくなるシャルルを手で制して、ヘンリー三世は隣の部屋に続く扉を叩いた。
「入るよ、ノルフェノ」

中から、何か返事があったらしい。
シャルルからは聞こえなかったが、ヘンリー三世は扉を開いた。
乾燥させたラベンダーの香りがふわりとシャルルの前に届いた。
いい匂い、そう。初めてロイに会ったときに嗅いだいい匂いだ。それが、ラベンダーであることは最近知った。
教えてくれたのがロトロアだというところが、なんとも似合わないが。
一瞬、脳裏に甦った青年が、なぜかシャルルを落ち着かせた。

ロイに、会う。改めて腹に力を込め、シャルルは手招きするヘンリー三世の側に駆けつけた。
そこは先ほどの部屋とはまた違う色合いだった。

白い清潔そうな綿のシーツがかかったベッド。天蓋は手縫いのレースで、ランプの明かりに怪しいほど美しく揺れていた。
その向こうのベッドに、起き上がっている、姿。
よく見えなくてシャルルは目を擦った。

「ノルフェノ、話し相手を連れてきたよ。懐かしいだろう。私は大司教に話があるからね、先に休むならそうしなさい」

「はい、陛下」

その声は、シャルルの記憶とは違っていた。
違和感と同時に心細くなる。
その時にはもう、背後の扉は締められていた。

二人きり。
シャルルは、レース越しのロイと向かい合ったまま、息を潜める獣のようにじっとしていた。
「どうして、ここに。もし陛下に無理矢理連れてこられたなら、帰って良いんだよ」
きゅ、と。唇を噛んで、シャルルは突進する。
白いそんな、綺麗な繭に包まれて、なんだか高貴な人みたいな口調で突放そうとする。
あの時のロイとやっぱり同じ。あの時も、なんで来たんだと突き放した。

「わぁ!?」
驚くロイは無視。シャルルはレースをまくったその先、ベッドの上に飛び乗るとすとんと座り込んだ。
正面には、枕をなぜか盾のように抱えた少年。

淡い茶色の髪は柔らかそうに額に落ち、唇の辺りでさらりと揺れる。淡いブルーの瞳、透き通るような白い肌。優しげな顔立ち。少し会わなかっただけなのに、随分身長が伸びていた。

「あ、会いたかった!」
シャルルはそのまま、ロイの膝にかかる毛布に抱きついた。
ロイ自身に抱きつけないのは、わずかな恥じらい。目の前にあるロイの足も邪魔だった。
それでも抑えきれない涙を何かで抑えなくてはと、シャルルは不器用に毛布を抱きしめていた。
「あの、シャルル」
「声が違う」
そういうシャルルの声もすっかり涙声なのだ。
ふと、ロイは口元を緩めた。

「こっちに」
顔を上げれば、ロイが両手を伸ばしている。
足元の毛布ごとずるずると近づけば、そっと抱きしめられた。
甘い香り。
「あのさ、ずっと、会いたかったよ僕、あの。あの夜から。約束、守れなくて」
「それは私も同じだからね」
「行方不明で、どうしちゃったかってずっと」
「うん、そうだね」
そうだね、だけで済まそうというのか。ロイに何があったのか、シャルルは少し待っても続きがないから顔を上げた。
「僕はね、僕は。聖堂でロトロアに捕まってさ。それで、今、ロトロアの従者になってるんだ」だからロイには、なにがあったの。
そう問いたいのに。

「知ってるよ。ランスで見かけたよ。ジャンと一緒だったね。幸せそうだった」
幸せそう、に胸が詰まる。
あのランスで。久しぶりに訪れたあの地で。僕は、自分の罪に向き合って。
いや、そんなことをロイに言っても意味はない。
シャルルは涙と一緒に記憶を拭い去る。

「ランスにいたなら言ってくれればよかったのに。僕、ずっと探していたんだ」
「それは、ヌーヴェルに聞いたよ。リオン、とか。リオネットとかいうんだね。あだ名がたくさんあって」
「それは、そうリオネットはね。ブランシュ様がつけてくれたんだ!」
シャルルはロイに語るべきことを思い出して、過去を胸に押し込んだ。そう、これまでのことより、これからのことだ。

「あの、フィリップさまが、その……。いないことになっているって、聞いた」
肩に置かれたロイの手に力がこもった。
ロイが聞きたくないことを、口にしている。
だけど。
「ほら。これ見て。ロイもあるだろ。ブランシュ様に頼まれたんだ。ロイを探して欲しいって。それで、僕は約束してもらったんだ。探してきたら、ロイをちゃんと、子供として迎えてくれるって。お母さんとしてちゃんと抱きしめてくれるって」
シャルルは胸元のペンダントを引っ張り出した。

「だから、一緒にパリに行こう!ヘンリー三世陛下も賛成してくれたんだ。ロイ、言ってたじゃないか。両親にも、兄弟にも会えないって。でも、もうそんなことないんだ。死んだことにされた理由だって、ちゃんと説明してもらえる」
わずかにロイの声が低くなった。
「本当に?」

「うん、そうだよ。パリでブランシュ様にも会えるし、ルイ九世にも合えるよ。ルーとは仲良しだったんだしさ、でもあいつ、なんか変態少年王になってたけどさ」
笑ってくれると、思った。
ロイはつまらなそうにふうんと、小さく呟く。そっとシャルルを押しのけて、膝を抱えた。

「あの、気に入らない?駄目かな?ヘンリー三世陛下もいいって言ってくださったんだよ」
「そう」
「ロンロン、あ。ロトロアが護衛に着くって。僕も、今は騎士見習いだから、ちゃんとロイのこと護るよ。前みたいに弱くないんだ。自分の剣だって持ってるんだ。今ここにはないけど。イタチの形でちょっと、弱そうだけど」
両手でこのくらいの長さで、と。シャルルが説明する。イタチの言葉に反応したのか、どこかに行っていた本物の白イタチも肩を乗り越え、ベッドに飛び降りた。
「あ」
ロイの興味は、剣よりそちら。クウ・クル。そう声をかけると、獣は一度立ち上がり匂いを嗅ぎ、おいでの声に合わせてロイのそばに駆け寄った。
襟もとにもぐりこもうとするから、ロイはくすぐったそうに笑った。
その声すら、もう、大人みたいで。あの時とは、違う。
ずっと、思い描いていたロイは、少年のままだった。優しげな顔立ちはそのままだけれど、声の違いが圧倒的な勢いで記憶の面影をかき消していく。

ロイに処女を捧げたかったのか、と。不意にロトロアの言葉が思い出され、シャルルは唇をかんだ。勝手に、僕が好きになってるだけなんだ。分かってる。
白イタチをからかって笑うロイ。
いや、今はもう、ロイじゃない。王の子供って呼ばれることは、一生ない。
なんて、呼ぼう。
そんなことをぐるぐると考えていると、ふとロイがこちらを見つめていることに気づいた。

「シャルル、もう、泣かないで。分かったよ、私も一度お母様と話しておきたい。一緒にパリに行くよ。ただ、ねえ。ロイって呼ぶのはやめてほしいな。私はもう、フィリップでもない。今は、ノルフェノっていう名前なんだよ」
笑いながら、でもなぜか大きな目がきらりと光ったように見えてシャルルは滲んでいた涙を拭った。
「うん、そうだね。ノルフェノって言うんだ。変わった名前だね」
「うん。イングランド訛りのフランク語だからね」
「…ふうん」
少し違うけれど、孤児、という言葉の発音に似ていた。一人で、生きて行くという覚悟なのか、ヘンリー三世がそんな風に呼んだのか。どちらにしろ、シャルルには淋しく響く言葉だった。

「君は相変わらずシャルルでいいの?男名なのに」
「騎士見習いにはぴったりだよ。みんな好きなように呼ぶんだ。ベルトランシュはリオンって呼ぶし、ブランシュ様やヘンリー三世様はリオネット。好きにすればいいと思ってさ。どうせ本当の名前なんか誰も知らないんだから」
「あ、そうか。やっぱりまだ分からないんだね?シャルル、ほら、フランドル伯の子供かもしれないって」
「あ、ああ、あれ。あれは、違ったんだ。だから相変わらず、どこの誰とも知らないんだ」
笑って話せた。
それでも、まあ、僕は僕だしと。
ロトロアの言葉を思い出す。それがお前の弱さだと。
大丈夫。弱くなんかない、僕は強くなる。

思い出せばロトロアとのあの夜、僕は自分の素性が分からないからって、酔っ払って八つ当たりしていたみたいなものだった。拗ねていたんだ。だからあんな目にあったんだ。
フランドル伯の子供でなきゃ価値がない。僕がいる意味がないって。馬鹿だった。
ロトロアは僕が女であることくらいしか興味がないみたいだし、実際、だからなんだって。そうだよ。

「シャルル、綺麗になったね」
ふと顔をあげると、目の前にロイの瞳がある。とくりと心臓が鳴いた。綺麗に整えられた前髪が少しだけくせを持って左に流れる。明かりに透けると金色の柔らかな茶色の髪。その下のくるりと大きな薄い青の瞳は以前と何も変わっていなかった。返って睫の落とす陰が濃くなったように見えて、波紋に揺れる空を映した湖を思った。
湖面が瞬いたから、シャルルは笑った。
「ロイも、大きくなったね」
「大きく、って。別に小さかったわけじゃないよ」ロイも笑った。
「シャルル、一緒に寝ようか?あの時みたいに」
ロイが悪戯っぽく片目をつぶって見せるから、急に心臓の音が気になりだす。のばされた手、細く白い、絹の袖に包まれたそれ。
あの時みたいに。でもきっと、同じじゃない。ロイはもう15歳で、僕もその意味が分かる。耳慣れないロイの声を耳元に聞いたら、どんな気持ちになるんだろう。

「わ!?」
シャルルと同時にロイも声をあげ、シャルルはとっさに一歩飛び退いていた。
二人の間に白イタチ。
じゃれているつもりなのか、ロイの胸元にかぶりつく。
「クウ!」
邪魔するなってば!

「あはは、なんだよ、一緒に寝たいの?お前」
シャルルのもののはずだったロイの手は、白イタチを抱き上げた。
「じゃあ、シャルル。クウを一晩借りるよ。いいね」
「え?」
「お休み」
言いながら小さく咳き込んで白イタチを抱きしめると、ロイは横たわった。
「な、なんだよ」
小さく呟いたつもりなのに、ロイがこちらを見た。
「お、お休みっ!」
シャルルは慌てて扉に駆け寄る。

何を期待してるんだ、僕はっ。

女に目覚めたか。
またもロトロアの言葉が思い出され、シャルルは扉を堅く閉じるとぐるぐると首を横に振った。話したいことは山ほどあった。ぶつけたい感情も胸の中でくすぶっている。
ああ、でも!
これから一緒なんだ。傍にいられる。
シャルルは振り返り、立ち止まり。

「あの、一緒にパリに行けるの、すごく嬉しいよ!あの時僕、誓ったよね。助けるって!今でも同じだから、ろ、ノルフェノのこと助けるから!」
大好きだから。
自分の心の声に顔を真っ赤にしたまま、シャルルはロイの表情を確かめることもせず部屋を飛び出した。


扉を二つ隔て、緊張が溶ければ嬉しさが沸き上がってきた。緩む口もと。綺麗になったね、だってさっ!!
それが嬉しいんだから、やっぱり僕も女ってことなのかな。黙って聞くイタチはいないけれど、独り言は続く。
シャルルは廊下の窓に映る自分に気付き、髪を適当になでつけ、しばらく見つめた。
それからロンロンに自慢してやろうと部屋へ向かった。

***

朝靄がセーヌ川を白く覆い隠すように流れている。川の上流は左右を高い崖に囲まれ、朝日が差し込まないそこは深い森を思わせた。わずかに風が額の前髪を叩いた。
シャルルが御者台から振り返れば、ロトロアが乗り込んだところだ。その後にロイが続く。目が会えば、ロイは微笑んでくれ、シャルルもにっこり笑い返す。
馬車を引く馬はロンフォルトとブロンノ。それと黒馬が二頭。四頭立ての立派な馬車は、以前ランスで見たものと同じだった。
隣に座る御者が「行きますよ」と小さく声をかけ、鞭の音と供に馬車が進み出した。シャルルは頬をなでる風に肩をすくめ、毛皮のケープの襟を寄せた。
せめてクウ・クルが側にいれば温かいのに、昨夜のまま、浮気な白イタチは今もロイの側にいる。


この日の早朝、シャルルはヘンリー三世の従者に起こされ馬の準備をするようにと指示された。
案内された厩舎では、騎士見習いらしい少年たちが数名、すでに作業を始めていた。シャルルが挨拶すると、彼らはヘンリー三世付きの近衛騎士たちの従者だと自己紹介した。「綺麗な手をしてるけど、大丈夫かい」と年上の少年にからかわれるから、「平気さ」とシャルルも本来の騎士見習いのお仕事を少年たちに混じってこなした。ロンフォルトも、ロトロアのブロンノも元気な様子でよく水を飲んだ。
近衛騎士の指示に従って、ヘンリー三世の馬車二台の内、一台にロンフォルトとブロンノをつないだ。四頭立てだから後二頭はヘンリー三世の黒い馬。並べられた二頭は僅かに緊張しながらシャルルの方を振り返る。
「ロンフォルト、今日は馬車を引くんだよ。ちょっと重そうだけど、四頭いるし。きっと大丈夫だよ。ブロンノ、恨めしそうに見ても駄目だよ。お前のご主人が動けないから馬車になったんだからさ」
少しばかりプライドの高い性格の白馬は、鼻を鳴らしそっぽを向いた。
ロンフォルトはシャルルに鼻面を擦りつけ甘えている。
「いい、僕も四頭立ての馬車は初めてなんだ、ちゃんと言うこと聞いてくれよ」
人参をロンフォルトにあげながらなでてやる。それに気づいたのかブロンノもこちらに顔を寄せた。
「ブロンノも、いい?」
分かっているかどうか、白馬は嬉しそうに人参に大きな歯でパクリとかじりついた。

その二頭も、今のところ順調に駆けていた。
御者が「いい馬だねぇ」と褒めたからかもしれない。
「大丈夫かい?風が冷たいからねぇ、自分で馬を駆るよりずっと寒いだろ」
御者が笑って自分の襟巻きを示して見せた。
「あ、うん。確かに、馬に乗ってる方が温かいけど。でもあれは疲れるしさ」
「うん、そうだな。ほれ、坊主、これでも巻いておきな」
痩せた御者はシャルルの肩を叩いて、先ほどの襟巻きを取るとシャルルの手に押し付けた。
「ありがとう」
シャルルは、「寒いけど、いい天気だね」両手をぐんと空に伸ばした。


朝食の世話にロトロアの元に戻った時には、ヘンリー三世が部屋を訪ねて来ていた。
ヘンリー三世はヌーヴェルを黙らせ、ルーアン大司教を説得してロトロアとシャルルを買い受けたらしい。捕虜としてイングランドへ連れて行く、という設定なのだ。
途中、街道の分かれ道でロトロアとシャルルを乗せた馬車は一団から抜け出しパリに向かう。ヘンリー三世は捕虜に逃げられた間抜けな王様を演じてくれるらしい。

それでシャルルは慣れてはいないが御者を務めることになった。途中まではヘンリー三世の御者が教えてくれるというから、背後のロトロアやロイが気になるものの、一人御者台で我慢している。


男二人は、馬車の中で並んで座っていた。
ロイが咳き込めば、膝の上で寝転んでいたクウ・クルが身体をもたげる。ピクリと振り返ると隣でロトロアが痛みをかみ殺して身体を少し動かした。
「いて、しかし。フィリップ様。あの時、どうやって我らの包囲を抜け、ランスから逃れたのか。未だにそこが、腑に落ちない」
ロイはじっとロトロアを見つめた。
「あの晩、私は逃げる途中、貴方の騎士団に出会ったよ。丁重に送り出してくれた。なんと言ったかな、大柄な髭の騎士」
「キギ、ですか」
「ああ、そんな風に呼ばれていたかな。隣村の修道院に向かうと偽る僕に、とても親切にしてくれたよ」
ロトロアは首をかしげた。
あの時、ロイを捕えるようにと命じていたはず。キギは街道を封鎖する軍を指揮させていた。
「彼らは私を少女だと勘違いしていたよ」
「え?」
「ロトロア、貴方も知らなかっただろうね。あの晩、私はシャルルの花嫁衣裳を借りて、少女に成りすましていた。ひどい雨で髪は濡れていたし、小さなランタンだけの暗がりで私だと気付くものは誰もいなかった」
シャルルの案なのだけど、あれには感謝しているよ。
そう、ロイは目を細め静かに笑った。
「ああ、そうか。あいつ。賢いんだか、馬鹿なんだか」
「優しいのだよ」
ロイの言葉にロトロアは苦いものを飲み込んだような顔をして黙った。
「あなたや私とは違う。優しい子だ」
私とは違う。青年の言葉をロトロアは反芻する。
誰もが優しげなと形容するロイ。自らは優しくはないと、いいたいのだろうか。
あるいは、美しい容姿や落ち着いた佇まいからは測り知れない「優しくない部分」を、隠し持っているのかもしれない。
ロトロアはじっとその顔を見つめた。
視線の先でまた、ロイが咳き込む。
「相変わらず、咳が止まらない様子だな」
「そういう貴方も、随分痛そうだね」
言いながらロイの声はかすれ、また咳き込む。
ロトロアがその背をさすろうと近寄ると、何を思ったか白イタチが飛び掛る。

「ち、お前、騎士気取りか」
クウ・クルは威嚇してみせる。上機嫌なのだ、胸を張って尻尾をふんふんと揺らしていた。
「お前が守るべき女は外だろうが」
文句を言われてもクウ・クルは気にしない生き物だ。調子に乗ってロトロアの腕に噛みつく。くわえた袖をぶんぶんと振り回そうとする。
「こいつ、調子に乗りやがって!」
捕まえようとし、するりと逃げられロトロアは痛そうに顔を強張らせた。
「おいで、シャルルが淋しがっているよ」
獣とロトロアのやり取りに笑いながら、ロイは白イタチを抱えあげ、御者席のカーテンを開いた。
「シャルル、この子を頼むよ」
眩しい日差しの下、振り返ったシャルルは差し出されたイタチを受け取る。
「ロンロン、ノルフェノを苛めたらだめだからね」
ちらりとロトロアを睨む。
「お前もか、騎士気取りが。怪我人をなんだと思ってるんだ」
ぶつぶつロトロアの文句は閉じられるカーテンに遮られる。諦めたのか、痛むのか、ロトロアも黙って眼を閉じた。
「ロトロア。貴方も、お母様と何か契約をしたのかな」
ロイの静かな声にロトロアは目を開けた。
「いや。俺が契約するなら、ルイの方だろうよ。女と契約してなんになる。女とする契約は婚礼だと、叔父上なら笑う」
「でもシャルルと契約をしたのだね」
「臣従礼は側に置くには手っ取り早い方法だろう。それなりに悪くない女だ」
ロトロアの口調にロイは黙った。
「気に入らないかな、女呼ばわりは」
「いいえ、別に。まるで、ロトロア。貴方のもののような言い方だったから」
「契約していれば俺のものさ。この馬車と引きかえに、今はヘンリー三世のものだ」
「馬車と?」
「悪いかな?貴方がおまけについてきたが」
「まるで私が余分だとでも言いたいようだね」
肩をすくめてロトロアは答えた。
「まさか貴方が、パリに向かうことを承諾するとは思わなかった」
「それは……」
言葉を詰まらせたロイに、ロトロアは続けた。
「あの時、真実を知らされた貴方はランスから北に向かったと聞いた。パリには戻れないと、そう決断したんだろう。それがシャルルの子供じみた発想に付き合うとは」
「……私も人の子です。母親を慕う気持ちくらい、あります」
「そうか、それならいいが」


シャルルが次に訪れる町は、フランク王国首都パリ。
話に聞いただけのパリ。眼前に広がる景色を眺めながら、わくわくしているシャルル。
同様に馬車の中の二人も、それぞれの風景を思い浮かべている。
それぞれの、行く末も。



『ル・アーブル :港に詩う』了

『La croisade de l'ange 4:Paris』①

さて。最終章です。
楽しんでいただけると嬉しいなぁ~♪


La croisade de l'ange Chapter 4 『Paris:パリ~天使の聖戦』




車輪は軋みながら、昨夜の雨でぬかるんだ道に新たな轍を刻みつける。
少し高くなってきた日差しに温まりながら馬車に揺られている。耳元のハエを一匹追い払い、サールは身体を起した。
「これが薔薇の花ならお前も近づきはしないものを」
どこかの台詞のように呟き、乱れた前髪をかきむしった。
「何が、薔薇の花だってぇ?」鼻の穴を小指でつつきながら、御者台の農夫の男が振り返った。
「いいや、なんでもないですよ。すみませんね、ゆっくり寝かせてもらいました」
「まあ、いいけどね。夜通し走って、本当に明日の朝までにシャロン=アン=シャンパーニュに辿り着いたら、金貨がもらえるんですよねぇ?」
男がひねっている首をさらにひねって、にんまりとする。

シャルルがロイとロトロアと供にパリに旅立った同じ朝。サールはルーアンから東、ボーベ、クレルモンを過ぎ、ランスの手前ソアソン村に到着していた。ソアソンからは進路を南に向ける。
「昼前にランスに着きますから、そこで馬を休ませていいですかい?」
「それで間に合うならねぇ」
「大丈夫ですよ、ランスからシャンパーニュまではすぐだ。午後にランスを出れば明日の朝までには十分着けますよ。休ませなきゃ、馬が死んじまう」
「それならいいけどねぇ。ランス、かぁ」
吟遊詩人には縁のない街。
教会の教え厳しい市街では、街頭で歌うことも許されない。
今のうちにとサールが小さなハープを取り出し歌い始めた時。男が馬車をとめた。
「どうした」
「あの、あれは」
農夫は街道の先の空を指差した。黒煙が朝の美しい空を塗りつぶしていく。朝靄だと勘違いしていたものが、昼近い今は地平線をかすませる白い煙だと気付く。
「昼食の準備にしちゃ、派手な煙だねぇ」
歌うように言いながら、サールも笑ってはいない。
「どうします、何かよくないことなら、避けて通ったほうが」
「ここまで来て戻るんじゃあ、遅くなっちゃうよ。いいよ、行ってみよう」
男は手綱を握り締めたままじっと前方を見つめていた。
「ねえ、行こう」
「いや、だめです、行けません。あっしは、見たことがある。あれは家を焼く煙だ。この辺は王領だから街同士で争うこともない、となれば国王側でないどこかの兵隊が村を襲っているんだ。近寄ったら殺される」
「行かないなら、ここで殺しちゃうよ?だったら、行ってみてもいいんじゃないかな」
農夫が振り返れば、サールは短剣を手元でくるくると玩んでいた。


静かだったソアソン村の住民が、何事かと通りに姿を現し始める。あれは何だと煙に手をかざし、僅かに漂うきな臭い匂いに慌てて家の中に飛び込む者もいる。
父親が庭の牛に荷車を取り付け、小さい子供を背負った母親が布にくるんだ荷物や麻袋を積み込む。
それを見た隣の老夫婦が痩せた馬を引っ張り出した。
サールの乗る荷馬車とは反対の方向に小走りに去っていく家族、馬を引く男。そんなすれ違う姿はずんずん増え、サールの目の前で震える農夫はますます身体を強張らせた。
「もうやめましょう、逃げましょうや。ほら、声が聞こえる」
「大丈夫。それよりランスの方角、ほら、あちらに早く逃れてしまえば安心ですよ。ほら急いで」
男の手の上からサールは強引に鞭を振る。馬はすでに疲労が激しいのか、反応も鈍く、首を余計に右左に振っただけでこれまで通り速足で進む。

右に見えていた麦畑も、小さな橋を渡れば荒れ地となる。さわさわと流れる水面に空がやけに明るく映り込み農夫は瞬きして背を震わせた。

音が近づいていた。
いや、こちらから近づいて行っているのだ。

左手の丘とその脇に並ぶ林を避けるように右に湾曲する道。左右を林に囲まれた日陰にはまだ水たまりが渇かずに残る。ぬかるみで凹んだそこを尻に伝わる振動で感じながら、サールは前方の集落を見つめた。
畑、林、小さい水車。その先には街道に沿って三軒、街道から少し離れて五軒ほど視界に入る。右側奥の三軒から煙と炎。悲鳴が上がり左に視線を戻せば街道に走り出た男が今、馬上の騎士の槍に倒れた。
「ひでぇえや」
小さく呟いた農夫の声が聞こえたかのように、騎士は槍を抜き、こちらを見上げた。
その背後に、今、燃え盛る家から穀物を入れた袋を盗み出してきた歩兵が三人駆けよってきた。さらにその向こうには全体を満足そうに見渡す騎士の姿。それは獲物を探す猛獣の群れと同じ。風に低く流れる黒煙の向こう、涎を垂らした獣たちがサールたちを見つけた。

サールはふいに大声をあげた。
「これはこれは、ラン伯ではありませんか!」

目の前に駆け寄ろうとした歩兵が、足を止め振り返った。手前の騎士が手振りで兵をとどめ、サールの言葉に応えた。
「お前は何者だ!親しげにラン伯に声をかけるなど!」

そこでサールは荷馬車を止めた。
「私はシャンパーニュ伯ティボー四世様の配下、サルバトーレ・ルエンデスと申します。訳あってのこの姿、どうかご確認を」
「ふん、ローマ人か。ついて来い」
騎士はふんぞり返って、手綱を引き締めた。その脇にかかる赤い血が、ぬらぬらと朝日を弾き、農夫はごくりと唾を飲み込んだ。
騎士の後について、先ほどからじっとこちらを見ているラン伯のそばまで荷馬車が進み。サールはふわりと地に降りた。
農夫はサールを心細そうに見つめたものの、下手に動けば何が起こるかと、緊張気味の馬をなだめる。

「シャンパーニュのサールではないか。また、おかしなところで出会うものだな」
「恐れ入ります。ティボー四世様の御用で北に向かっておりました。ラン伯マルコ様も相変わらずの勇猛さですね。お噂を聞いたのはお若い時期のことですが、全く衰えを感じさせませんね」
吟遊詩人の青年の柔らかな口調と饒舌な世辞にラン伯は気持ちよさそうに髭を撫でた。
「急ぎでなければ、どうだ。我が陣によっていかんか。お前の歌に皆が喜ぶだろう」
「そうですね、この先ランスで休むつもりでしたが、あそこは水が合いません。是非、ご活躍をお聞かせください。勇猛果敢な武勲は歌い語り継ぐにふさわしいでしょう」
ますます機嫌をよくしたラン伯マルコは傍にいたセネシャルにサールを案内させた。


荷馬車と共にサールがたどり着いたのは、古い僧院だった。農夫を僧院の庭に残しサールは礼拝堂へと進む。今でも村の礼拝堂として使われている様子で、祭壇には燃えさしの蝋燭が残り、祈りの席も綺麗に拭かれていた。聖職者の姿がないのは予想がついたが、血生臭い理由については考えないようにする。いかに聖職者とはいえ、小さな村の僧院となればその出自は孤児や浮浪者。あのラン伯が敬意を払うとは思えなかった。

祭壇の前に地図が広げられ、そのそばに一人、長い金髪を背に垂らした青年がくつろいだ様子で椅子にもたれていた。他には誰もいなかった。
「リシャール!」
振り返った青年は、サールの姿をそれと認めると再び同じ姿勢に戻る。
「これは、吟遊詩人どの。また、奇遇な場所で」
言いかけたリシャールの肩にサールは腕を回し抱きついた。
「何を連れない言い草か。リシャール、我が親友!最後に会ったのは二つ前の十字軍遠征だったかな?久しぶりだ、元気そうでなによりだねぇ」
リシャールはため息で返事を返した。
「お前が元気なのはどうも、嫌な予感ですよ。サール」
「失礼だなぁ、いつもいつも物騒な話を持って歩いているわけじゃないよぅ。何をそんなにふてくされているんだい?ああ、そうか、ここにいるのが不本意なんだね。何しろ、騎士のくせに戦争嫌いだもんねぇ。ロトロア様の配下でなければただの意気地無しで終わってしまうよねぇ。ラン伯様は相変わらずの粗暴さだしね、この村も随分荒れちゃったね」
どうやらサールの口は回りすぎた。
リシャールは同年の吟遊詩人を手のひらで押しのける。
「その通りロトロア様ならばこのような戦いはなさらない。どきなさい、暑苦しい」
「ひどいなぁ。じゃあこんなところにいないで、ロトロア様を迎えにでも行けばいいのさ。今頃ルーアンで唸ってるよ」
「ルーアン?唸っているとはなんですか」
「リシャールは知ってるよね、シャルルちゃんのシャンパーニュ行きの話。ロトロア様は欲張りでね、お前もシャルルちゃんも手放さないってさ。ティボー四世様に逆らうって平気で言うしさ。だからルーアンで足止めしてきた。俺はどうもあの方が苦手なんだよねぇ、シャルルちゃんは可愛いのになあ」
話し続けるサールをリシャールはじっと見つめた。
「聞いてくれよ、ノルマンディーの様子を覗うついでにシャルルちゃんを連れて行こうと思っていたのにさ、ロトロア様がいるから手が出せないんだよね。その上ロトロア様はティボー四世様に「甘えるのもいい加減にしろ」って伝えろなんていうんだ。ひどいと思わないかい?一体なんて報告すればいいんだい、俺はさぁ」
サールは友人の悪戯を母親に訴える子供のように止まらない。結局のところ、身分の高い人間が苦手なのだ。シャルルの前では人のよい吟遊詩人を演じ、ロトロアの前では腹の内を明かさぬよう寡黙になり。その仮面はリシャールの前では不要らしい。

「ロトロア様に害をなしたのでは、ないでしょうね?」
「なんだい、お前が凄まなくてもさぁ。やだなぁ。ヌーヴェルとルーアン大司教様に預けてきたんだよ。少し怪我したみたいだけど、大したことじゃないよ。それよりリシャール、わが友よ。お前こそ、どうしてこんなところにいるんだい?ラン伯、好きじゃないよね、俺と同じでさ」
まあ、俺は会えて嬉しいけどさぁ、とこぼれんばかりの笑みのサールが荷物から取り出した水袋。リシャールは両手で受け止める。目の前の椅子に座った吟遊詩人は足を組みなおして話を聞く体勢だ。
リシャールはしばし躊躇したものの、水だと思った革袋の中身がワインだと気づき、一口含んだ。
リシャールはラン伯と契約するに至った経緯をかいつまんで話した。契約があるがため、呼び出されたことも。リシャールは情勢を知りたくてブリュージュを出てきたのだった。サールは目も口も大きく開いてしばらく黙りこんだ。
「分かっているんです、ロトロア様もそのようなことを望んでおられないと、ただ、私はラン伯に有利に事が運ぶのが許せなくて」
ここでリシャールの声が低くなる。
ラン伯の陣営内。あからさまには、語れない話だ。
「あの方にとってシャルルは特別です。手元に残す決断をなさるのなら、それで結構。予想できたことです」
「シャルルちゃん、可愛いからねぇ。惚れちゃったかなぁ」
「……それならば、私はこちらに。私のためにロトロア様が悲しまれることはない」
サールは両手でうつむくリシャールの肩をとんと叩いた。
「卑屈だなぁ。いっそのこと契約を破棄しちゃえば?」
卑屈、という言葉にリシャールはわずかに顔を赤くした。
「それではラン伯の思うつぼです」
「いや、そっちじゃなくてさぁ。お前がロトロア様にお仕えしなきゃならない理由なんかないし。リシャール、お前の能力ならどこでも誰でも、それこそ王家だって喜んで契約するよぅ。第一、ロトロア様はシャルルちゃんを選んだんだよ?お前は裏切られているよ、きっと」
「そんなことは……」
自分の思い付きが面白いのか、サールはリシャールの言葉を遮るようにさらに続ける。
「そうだ。両方の契約をやめてさぁ。リシャールは自由になればいいよ。俺も別にティボー四世様と契約しているわけじゃないんだよ、一緒に旅しようよ!楽しいよ」
この暢気な性格の詩人は、リシャールの思いつかなかったようなことをさらりと言ってのける。しかもいつも楽しそうに。それがなぜかリシャールには憎めなかった。
美しい睫に彩られた瞳で笑みを作り、リシャールは逆に友人を案じる。
「サール、戦場にはどこまでも似合わない男ですね。お前が斥候気取りで危ない橋を渡るのはどうかと、いつも思っていますよ。お前が本当に自由な旅が出来るなら、それに勝ることはありません。アニェス様から離れられるなら」
サールは途端にしゅんと座り込んだ。
「ひどいこと言うなぁ。あの美しいお方から離れられるわけないよぅ。地上におられるのが不思議なほど純粋で美しい心、それを妖精の水鏡に映したならこうだろうというお姿。ああ、ティボー四世様のご夫人でなければなぁ。あの方の歌声は美しいんだよ。お前に聞かせたいよ」
サールはティボー四世伯に詩や楽器を教えていたが、その目的は報酬ではなかった。ティボー四世の夫人に憧れていたのだ。自由を愛するローマ人が危険な目に遭いながらも斥候を続けるのもそのためだ。
「自由な旅より大切なものがあるのは、お前も私も同じですよ。早く会いに行きなさい。こんなところで留まってないでシャンパーニュに行けばいいでしょう」
「言われなくても明日にはね。たださ、ちょっと様子を見ておこうかと。このラン伯の行動は、シャンパーニュの命令じゃないよね。俺が戻らない限りシャンパーニュ軍は動かない。それに、ティボー四世様も許さないよ、こんな略奪や殺戮は。前回の十字軍でルイ八世と喧嘩したのもそれなんだ」
「ティボー四世様に、報告するのですか」
サールは黙って頷いた。
「俺がル・アーブルまで出かけた意味がないよね。これで予定より早くパリに気づかれたら、ノルマンディーを利用した陽動作戦も失敗だよ」
「陽動作戦?」
「うん。ノルマンディーがルイを裏切るのは予想通りだった。だから、いずれパリとノルマンディーとの警備線辺りで小競り合いが始まるよ。さらにオルレアンで開戦となれば国王は両方に軍を割くよね。その隙に、手薄になったパリに迫ろうって言うのが、ティボー四世様のお考えなんだよ」
「ティボー四世様はそんなことをお考えですか。しかしラン伯にそんな説明が通ると思いますか?シャンパーニュから軍隊編成の知らせが届いてすぐに動き出したようですよ。戦争とは町や村を襲って強奪するものだと勘違いなさっておられる」
二人はそこで見つめ合い、黙った。
作戦のために情報を届けるサール、シャンパーニュ領の流通や産業を維持すると決めていたリシャール。互いに無益な戦乱は避けるべき立場でもある。
しかし、二人ともにラン伯をとどめる力がない。

「無力だねぇ……」
「……ロトロア様のお考えが分からない限り、私もしばらくは動けませんね」
「あの人、良く分かんないからさ。苦手だしさ。ま、俺は俺の考える正しいことをするだけだよ。急いでティボー四世様にお会いして、ルーアンの様子をお知らせする。もうあちらは動きだしたし、数日中にパリの国王軍は西北に向かう。そうしたらシャンパーニュの出番だからさぁ」
サールがリシャールから受け取ったワインを口に含んだところで、礼拝堂にどやどやと騎士が入ってきた。血と汗の匂いにリシャールは眉をひそめた。
先頭にはラン伯。
「さて、今宵は祝宴だぞ、リシャール。戦場ではたっぷり楽しんできた。夜はお前とサールの詩で我らを楽しませてくれ」
白髪の髭は赤く染まり。
何を楽しんだのか、とリシャールは密かに拳を握りしめた。かつて、ランを治めていたロトロアの父親は騎士の鏡と歌われた。決して、無駄な血を流しはしなかった。この暴挙に加担するよう強要されるのは、リシャールには屈辱だった。それでも。
臣従礼を楯にされれば無視することもできない。
サールと軽く視線を交わし。溜め息をかみ殺しながら、リシャールは広げていた地図を丸めた。

『La croisade de l'ange 4:Paris』②

La croisade de l'ange Chapter 4 『Paris:天使の聖戦』



ジャンがしばらくぶりに訪れたパリは、相変わらずごたごたとした町並みの中さらにどこか慌しい空気が漂っていた。街道のあちらこちらに武装した若者がいる。代わりに女性や子供の姿が少ないのだ。いつもなら声を張り上げ野菜を売る少年や、水瓶を引く商人がいるはずなのに。
セーヌ川沿いは両岸とも家が増え、国王の住む町に来たのだと思わせる。シテ島へのミルブレー橋を渡るためには、検問を通らなければならない。
そこは、子供のジャンは有利だ。シテ島内にあるノートルダム大聖堂の工事現場へ、村の司祭からお届けものだ、なんていう単純な理由でいい。馬を引いた少年を衛兵はにこやかに送り出す。
渡って右には建築中の大聖堂が、木々の間から体躯を表す獣のように見える。礼拝堂は解放されているから、出入りする人々も多い。
左側には、城壁がめぐらされていた。ここが、国王の宮殿。かつてノルマン人が攻め入った時には城壁はなかったというが、同時にノルマン人側にも、川の対岸から届くような弓はなかった。
今は投石機や石弓が発明された。同時に城壁はより高く、より強固にと増築を繰り返される。進歩していく武器製造や造船技術。それと一緒に築城技術も向上していく。こちらが伸びればあちらも伸びる。背比べみたいだ、とジャンはふと思い、自然つま先立ちして背伸び。
城壁の門の前には、二人の衛兵が槍を構えて立っていた。
いつもなら閉じている門も、今は開かれたままで、その中では馬具や武器を整える男たちの姿が見えた。馬の鳴き声も聞こえるから、中庭か厩舎では馬が用意されているのだ。
堂々と馬を引いて入っていくジャンに、門番はにらみを利かせただけで、動こうとしなかった。
それもそうだ。
内部では周辺の町からの徴募兵らしい男たちが、慣れない手つきで武器を用意している。彼らの世話をしようというのか、下層の兵らしき若者が大きな声で「剣は腰の左側につけるように」と怒鳴っていた。
子供ではあるが、見習いとしてすでに腰に剣のあるジャンは、少しばかり誇らしげな気分で素人くさい徴募兵の塊をすり抜けていく。

国王の本来の軍隊、騎兵隊や弓兵隊は中庭なのだろう。
少年には規律正しく並ぶ騎兵隊などはやはり格好良く見えるから、その姿を想像して胸を高鳴らせる。馬を厩舎に預けると、庭の東側を回って中庭にたどり着く。回廊を渡っていた近衛騎士を見つけると、駆け寄った。
事情を話すと、快くベルトランシェの居場所を教えてくれた。


麗しい近衛騎士団長は、中庭を一望できる二階の部屋でジャンを迎えた。
バルコニーに立つ彼は眼下に居並ぶ兵たちを背景にして、穏やかに笑った。
「おや、ジャン。ノルマンディーに向かったのではないのですか?」
忙しいのだろう、わずかにやつれた様子だが、その眼はギラリと怪しく光り、ジャンは胃の奥で警戒を強める。
言葉より先にジャンはベルトランシェの前で膝をついた。
「ブランシュ様よりのお手紙は拝読いたしました。シャルルはすでにノルマンディーのル・アーブルに向かっていると思います。私はその前にまず、ティボー四世様よりのご命令でまいりました」
なんだ、と。小さく舌打ちが聞こえた。
顔を上げずに、ジャンは続けた。
「お手紙を預かっておりますので、どうか、ブランシュ様に」お会いしたい、と続けようかと一瞬迷う。国王の摂政であるブランシュは今や国の実権を握っている尊い方。一介の騎士見習いが会いたい、などと言ってしまっていいのか。
シャルルなら会いたいと、言うんだろうけれど。
ふと視線を上げると、目の前に手が差し出されていた。
ティボー四世の手紙を、渡せというのだ。
「恐れながら。私は手紙の中身を存じませんが、ブランシュ様に直接お渡しするようにと、命じられております」
「直接渡したことにすればいいでしょう?渡しなさい。いいですか。私は国王陛下とブランシュ様の安全を維持する役目。この戦時下にあり、敵とみなされるシャンパーニュ伯の手紙を、中身を知らずにブランシュ様にお渡しできるはずはないでしょう。私には、責任があります。子供のお前にはわからないかもしれないけれど」
細める視線に凶暴な笑みを感じて、ジャンは唇をかんだ。
子ども扱いは、悔しいから嫌い。けれど、まるでジャンの反応を見るかのように視線に、ぐっと黙って耐える。急に心臓が音を立て始めたように思う。
「ジャン。そもそも、シャンパーニュ伯の使者をすんなりここに招き入れた。我らの意図も考えずに、お前は今そこにいるのです。自分の状況を理解できていますか。なるほど、諸侯の正式な使者を手にかけたとあれば騎士道にもとるでしょう。けれど、ジャン。お前がここにたどり着かなかったとしたら。だれもお前がここにいることを知らないとしたら。健気なお前をひどい目に合わせることも、平気で私はするかもしれませんよ」
ベルトランシェが手にした鞭を左の掌でぺちぺちと音をさせている。
威嚇なのだと、思う。思うが、ジャンは足元が緊張に固まってしまっている。自分がどういう状態なのかと、ぐるぐる考えると余計に不安が増した。
それは、残念ながら顔に出る。
ベルトランシェは不意に笑顔を見せた。意地悪なほどそれは美しく。ジャンは思わず目をそらし何度も瞬いた。
「冗談ですよ、ジャン。恐怖に震えるお前は美しいですね。もっと虐めたいところですが、ブランシュ様のお気に入りのお前に下手なことをしたなら、私が叱られます。捕えたりはしませんから安心しなさい。ただ、手紙は渡しなさい」
そこで素直に手紙を出してしまうのは、もしかしたらうまく乗せられたのかもしれない。
それでも今のジャンに、ベルトランシェに反抗する勇気はない。

受け取ったベルトランシェはそれを開かず、ジャンに部屋を用意するよう部屋の外に立つ衛兵に指示して出て行ってしまった。
「こちらです」気の毒そうに少年を見下ろす衛兵に、ジャンはただうなずいた。


こんなことなら、手紙の内容を聞いておけばよかった。ジャンは一人与えられた部屋で悶々としていた。内容によって、宮廷の自分に対する態度が変わるのだとしたら、場合によっては二度と、そう。生きて帰れないかもしれない。ベルトランシェが言った「ブランシュ様のお気に入り」という支えだけがジャンの命を保証しているように思えた。
小さな窓から見下ろすと、中庭で隊列を組んだ兵たちが何やら歓声を上げた。目の前に伸びる柱が邪魔で彼らが何を見上げているのか知ることはできないが。どうやら国王陛下や将軍といった、彼らを鼓舞する存在がいるのだと思う。
一斉に勇ましい声を上げる兵たち。
常ならば、かっこいいと思うのに、今はなぜか怖いように思った。
戦争。ジャンも、見たことはない。
こういう大勢の騎士が、いっぺんに向かってくる。
ぶつかり合えば、もちろん各々の戦いになる。いつかロトロア様が話していた。戦争などというものは、直接兵を戦わせることなく終わらせるのが賢いのだと。結局、人対人で殺しあっても、その向こうにある敵軍の城を落とし、敵の大将を殺すか捕らえるかしなければ終わらない。チェスならばポーンやビショップにも意味はあるが、現実には歩兵の死も勝利も大きな戦争では意味はないのだ。だとしたら、大軍を率いていたずらに町や村を巻き沿いにするなど愚行だ。
よく訓練した五人の騎士が、こっそり敵城内に入り込み、敵大将を殺せばそれで済む。
だからロトロア様は街道の閉鎖や包囲に最低限必要な兵しか使わないという。
彼の持論では一人の命令で正確な行動ができるのは最大で二十騎まで。五人のセネシャルに指示をし、その五人が二十人を操る。全部で百人の兵士。それで事が足りるのだと。また、足りるようにしなければならない。足りないならば、戦争など最初からしないことだ。

「いいか、ジャン。戦場で指揮をするということは、多くの命を預かることだ。その責任を果たすことができる者か、あるいは責任を感じないバカ者でなければ、勤まらん」
ジャンはできれば前者になりたいと、答えた。ロトロアは「きっとお前ならなれる」と頭を撫でてくれた。
普段はそんな子ども扱いは嫌なのに、ロトロア様なら許せてしまう。
自分の頭を撫でながら、ジャンはいつの間にか気持ちが落ち着いて、もう一度室内を見渡した。今何ができるか。
何をすべきか。
それは常に考えなければならないのだとジャンは知っている。

会いに行こう。ブランシュ様に。
ジャンはそっと扉の外をうかがった。



石積みの城は深部に向かうほどひやりと空気が静まっている。
衛兵が出発する軍隊を見送ろうと窓から身を乗り出したすきに、背後を駆け抜けたジャンは、あとは悠然と歩く。いかにも騎士見習いの貴族の子供は、衛兵が呼び止める存在ではない。近衛騎士にさえ合わなければジャンは城内を自由に歩けた。
人気がない回廊を進んでいくうちに、人声に気付く。
曲がり角で立ち止まると、どうやら突き当たった廊下は明るい南の中庭からつながっているらしい。日差しの明るさが、向こうから歩いてくる数人の足音とともにジャンの立つ暗がりの足元を横切っている。
声の主は子供。それに、女性。足音とともに拍車と鞘鳴りが聞こえるから、そばに無言の騎士がいる。とすれば。

身分の高い人。
ここでそういう人物とはつまり。
女性の声が再び聞こえた。
それは近づいてくる。
「ルイ、まだあなたが出る時ではないのよ。初陣となるのですから、もっと状況が落ち着いてからでも遅くはありません」
「嫌です。王としてこんな*小島に潜んでいるのは、卑怯に思える。情けないよ」
「ベル、あなたからも言ってちょうだい。物事には時期があります。忍耐を学ばなければ、良き王にはなれません」

(*小島=シテ島:パリの国王の宮殿はセーヌ川の中洲であるシテ島にあった)

ジャンは壁に張り付いたまま、じっと息を殺す。
近づいてくるのは間違いない。ブランシュ様と、ルイ九世陛下。それにベルトランシェがそばにいる。
どうしよう。

迷う間に、声は近づいてくる。
ジャンは、三人の前に飛び出した。

「恐れながら、ブランシュ様!」

ちょうど、廊下の向こうが大きな窓。その明りで彼らの顔はほとんど見えなかったけれど、逆にブランシュの目に陽に照らされるジャンはすぐにそれと分かったらしい。
「ジャンではありませんか!」
ブランシュとルイ九世の前に素早く立ちふさがったベルトランシェは、すでに鞭を手にしていたが、それが放たれる前に「ダメですよ、ベル」と。ブランシュの声がとどめた。
膝をついた姿勢のまま、ジャンは安どのため息をつく。
「申し訳ございません。お部屋をご用意いただいたのですが、外の様子が気になってしまって。様子を見ようと出たのはいいのですが、迷ってしまいました。ですが、ブランシュ様のお声に、お顔を拝見せずにはいられなくて、その」
そこで、上目づかいで顔を上げる。
想像通り、ブランシュはにっこりと笑っていた。
「いいのよ、お立ちなさい。ベルトランシェ、ジャンには直接シャンパーニュの様子を聞くわ」
「ブランシュ様、この後将軍たちとの会合があります。どうか、その後ということで」
「そうね、仕方ないわ。ジャン、おとなしく部屋で待っていてちょうだい」
言い残し、三人は歩き出す。
ジャンが見送っていると、廊下の先の部屋にブランシュとルイは入っていく。一礼して見送ったベルトランシェがジャンを振り返った。
目があったと思ったとたん、ものすごい勢いで走ってくる。
「わぁ!?」
思わず逃げ出そうとしたけれど、走り出すはずの足は床に張り付いたみたいになり、転ぶ。
体を起こすと、足首に鞭が巻き付いていたのだと気付く。
当然、目の前にはその主が。
「ジャン。来なさい」
息が乱れる青年は、ジャンの襟首を後ろからつかみ、引きずるように歩き出した。

「いいですか」耳元に囁く近衛騎士団長は、ジャンの予想もしなかったことを口にした。
「手紙はルイ陛下にお渡ししました。ブランシュ様に届けることは出来なかったのです。陛下はそのことをブランシュ様には知らせずに置くようにと命じられました。手紙の存在すら、陛下は抹消するようにとおっしゃる。お前も知らないことにして欲しいのです」

ジャンがよろよろ歩きながら顔を上げると、ベルトランシェは子供にするように顔をしかめて見せた。美しく恐ろしい近衛騎士なのに、まるで母親のように。
思わずジャンは口元を緩めた。
「おかしくないですよ、ジャン。陛下はシャンパーニュを嫌っておられる。お母上が噂のあるティボー四世と通じるのは我慢がならない様子です。ブランシュ様はお美しい方。想いを寄せるものは大勢いる。陛下のお気持ちが分からないわけではないのです」
「…では、その。ティボー四世様から、陛下への手紙ということに」
「聞き分けのいい子供は好きです」
そこでいつの間にか肩に廻された腕でぐんと抱き寄せられ。ジャンは思わず身を堅くする。
「ベル。子供相手に何を絡んでいるのですか」
その声と同時に、ベルトランシェはするりとジャンから離れた。
覚えのある姿が、書物を片手にこちらを見ていた。側にいた従者が立ち止まった青年にぶつかりそうになり慌てて留まる。
「セジュール様!お久しぶりでございます」
ジャンが駆け寄れば、セジュールは髪をかき上げジャンを見下ろした。
「ジャン・ド・ジョワンヴィル。貴方がここにいる。騎士団の報告にはありませんでしたね、ベル」
「別に隠そうとしたのではありませんよ、セジュール。何しろ、つい先ほど。式典の直前に私の元に来たのですから」
そんな風に言いながら、ベルトランシェはすでにセジュールの肩に手を廻していた。
「話を聞かせてもらいます。こちらに」
セジュールはニコリともせず、歩き出す。

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