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『La croisade de l'ange 4:Paris』③

La croisade de l'ange Chapter 4 『Paris:天使の聖戦』


ジャンは目の前に出されたレモンの入った水を、手に取った。
先ほど聞かされた、手紙の内容で。どうにも、どこか納得がいかない気分なのだ。
本当だろうか。
今ベルトランシェは警護の勤めに戻り、目の前にはベルトランシェよりは話の通じそうなセジュールがいる。
ふと、視線が合う。
珍しく、セジュールの黒い瞳が笑った。
「お前も、意図せず難しい役を担ったものですね。同情します」
ジャンは、答えが見つからずに黙った。セジュールは手紙の内容を反芻する。
「カペー家が望むならばシャンパーニュは国王側に着く、とは。元々、シャンパーニュは我らに協力的でした。先の十字軍遠征までは。ですが、遠征先でルイ八世陛下と仲違いし、シャンパーニュ伯は戦線離脱。直後の陛下の病死。そのために疎遠となった。本意ではなかったかもしれませんが、その関係を修復するのに戦争を利用しようとは」
ジャンは、いたたまれない気持ちで何度も瞬きする。
先ほどから手にしたものの、水は口に運ばれずに揺れる。
遠征先での仲違いはともかく、毒殺説のために戴冠式にすら招待しなかったのは宮廷側。突っぱねられた形のシャンパーニュ伯が頭を下げるような真似は難しい。だから、これを機会にということだろう。宮廷から和平を持ち出すなら、応じようという。けれどそれは、宮廷側からしたら高慢な行動に思えるのだ。

「表現を選ばなければ子供っぽい行動です。剣を突きつけておいて仲直りしようというのは、如何にも見下していませんか」
そうつぶやくセジュールの気持ちもよくわかった。
「ええと。ティボー四世様は常々、領民を大切にされております。商業や工業の発展が、民を助け領地の繁栄になると。ですから、もともと戦争はお嫌いです。今回もブルターニュ伯の脅迫に折れた形だと聞きました。ティボー四世様も国王陛下を敵にするのは領民のためによくないとお考えでは、ないかと……」
そう、思いたい。
「だとしたら、始めから我らに味方すればよかったのです。忠義に厚いのですね、ジャンは。お前のようなものが、陛下のお側にいれば」
ジャンはやっと口につけた杯をまた止めた。
セジュールは穏やかに笑っていた。
「ジャン・ド・ジョワンヴィル。ルイ陛下に、お会いしてみないか」
「え?」
「様子が想像できるであろう?陛下と、ブランシュ様。お二人ともご聡明であられるが、互いに親と子となれば、些細な対立も多い。ブランシュ様がお前やシャルルをいい子だと褒めれば、陛下は子供らしい嫉妬をなさる。逆にルイ陛下がご立派に初陣をと意気込んでも、ブランシュ様はまだ早いとたしなめられる。我らも、困っているのです」
「幸い、お前はブランシュ様に信頼されている。そのお前がお二人の間にあれば」
それは、今回の手紙以上に、重圧のかかる仕事に思えるが。
ジャンはにっこりと笑った。
「光栄に存じます。お目通り願えるならば、喜んで」
自分から上手く話ができれば、シャンパーニュとルイとの戦争は防げるかもしれない。なにしろ、ティボー四世様は仲直りしたいのだ。それがはっきりしているなら、ジャンは自分が今やるべきことを、「関係の修復」と定め、そのためにはルイにあって直接話ができるのはいいことだと即断した。
そう、シャンパーニュと宮廷を影でつなぐ。そんな役割にジャンは胸躍らせる。

ジャンをセジュールが紹介し、一通りの挨拶を済ませた後も若い王は顔をあげようとしなかった。居室に置かれた長椅子にだらしなく寝転び、東方の鳥の尾羽で出来た飾りをひらひらと揺らしている。
不機嫌なのは、誰が見ても明らかだった。
「お話し相手?セジュール、冗談はよせ。そんな気分ではないよ。敵はオルレアンに近づいているというのに、私にはそこにいることすら許されないのか」
「畏れながら、摂政であるブランシュ様とクリア・レギスでの決議でございます。ノルマンディーよりの援軍を待つべきだと。陛下が承服なされないお気持ちも十分存じ上げますが、私に何かできるものではありません。ここにつれてきましたジャン・ド・ジョワンヴィルは陛下より三つほど年下でございますが、シャンパーニュ伯に重用される伝令にございます」
シャンパーニュ伯、その言葉にルイが顔を上げた。
ジャンを眺め、ふうん、と一言。
「そういえば、コルベニーで見かけたね。シャルルと一緒だった」
ジャンは頷き「はい、彼女とは友達になりました」
堂々と言ったそれに、ルイは目を見開き、それから立ち上がる。
「シャルルのこと、聞かせて欲しいな。今、どんなところに住んでいるのか、あの孤児がどうして騎士見習いなんかになったのか。セジュールは飲み物を」
言いながら、ルイはジャンの手を取ると立ち上がらせる。部屋の隣、明るい日差しの射すバルコニーへと連れて行く。

セジュールを振り返れば、力強く頷くから、ジャンは腹を決めた。
隠すこともない。前回ブランシュ様に会ったとき、ロイの話をしているのだ。シャルルが体験したことを語っても、問題はない。

ジャンはシャルルから聞いた話を、残らず話した。
ランスで育てられた孤児だということ、二年前にシャンパーニュの軍勢に追われたロイを庇おうとしたこと。ロイが行方不明になって、責任を感じていること。
「ランスでブランシュ様にお会いして、ロイを探すお手伝いをさせていただくことになりました」
そこまで話すと、ルイは飲めといわんばかりに温かいミルクを差し出した。
そういうものはひどく久しぶりに飲むことになる。ジャンには子供の飲み物、という印象だ。
ルイは自身のカップにたっぷりと無花果のジャムを落とした。
見つめていると、「お前も入れるか」と、ジャムのツボを差し出す。何となく受け取って、ジャンも同じようにしてみる。
そんな贅沢な飲み方は、したことがなかった。
「これをね、寝る前に飲むとぐっすり眠れるのだ。それでも眠れないと、母上がワインを入れてくれる。それも美味しい」
ワイン入りは想像ができなかったが、ジャンは口に含んだそれが自然と頬を緩ませるのを感じて、にっこり笑った。
「美味しいです」
「そうだろう?」得意そうな笑みでルイが返す。
「高価だとか、贅沢だとか言われるけどね。ロイが飲む薬湯の方が余程贅沢なのだ。あれは食べられないものがたくさんあって、鶏肉も上手い脚しか食べないし、野菜も苦いのはダメ。それでも許されるのだから、病人は恵まれているのだ」
そこでロイの名が出ることが、少し不思議だったがジャンはそうですか、と二口目を口に運ぶ。
「そうか、お前はロイに会ったことがないな」
「はい」
「私とは少し、違う顔立ちだ。髪も茶色味が強く、真っ直ぐだ。色が白くて、まあ、それは寝てばかりだからだが、女のようなのだ。私は五歳から父上について乗馬や狩にも参加していたし、たくさんの訓練を受けてきた。そういうことをロイは何一つしなくて良いのだ。幼い頃には、羨ましく思っていた」
まだ、十二歳のルイに幼い頃と言われても、通常はぴんと来ないが。ジャンなら分かった。
「私も五歳でお母様や乳母のいない暮らしになりました。長男でしたし、何でも出来なくてはならないと、厳しくしつけられて」
「そう、お前も分かるか?世に言わせれば贅沢だの我侭だのというが、我らほど厳しく育てられた子供はいない。農民など、何も学ばなくてもいいのだぞ。文字すら書かずに一生を終えるのだ。贅沢に生きるための努力をしているよ、私たちは」
ルイの言い方は、少し変な気もしたがジャンは頷いた。
「そういう考え方があるとは気付きませんでした。旅をして、貧しい人を見かけると、裕福な自分が恥かしいような、そんな気分になっていました。でも、違うんですね」
「そう。我らには我らの苦しみがある。代わりに得るものもある。神は人を平等に創られる。働かないものが食べられないのは当たり前だろう?同じことなのだ。我らが負う重責は、我らに豊かな生活を与える。馬は賢く脚が早いがため人に飼われる。獅子のような牙はないから、獅子に出会えば馬は食われる。だがその獅子は、人に疎まれ狩られる運命にある。それぞれ持って生まれた性分を変えることは出来ない。同じことなのだ」
なるほど、と。ジャンが感心していると、ルイは嬉しくなったのか、にっこり笑うと残っていたミルクを一気に飲み干した。

「ジャン、私は母上を疑っているのだ」
ミルクにワインでも入っていたのかと、ジャンは首をかしげた。
ルイはジャンのすぐそばに座り、肩を寄せた。
ひそひそと耳元で甘い香り。
「ロイがシャンパーニュに追われたと言うけれど。それは、母上が考えたことだと思っている。実はね、父上はロイを亡き者にしようとしていたのだ」
「亡くなったことに?」
「違うよ。もともと本当に殺すつもりが遅くなっただけだ」
ジャンは、ぞくりと背中に震えが走るのを感じた。
ルイは、目の前のルイは笑いながら話しているのだ。
「あ、あの」
「一月もしたらロイの生活を支えていた従者たちは引き上げる予定だった。年老いた乳母一人残してね。従者たちはロイに情が移っていたから。なのに、直前であの事件だ。すぐに捜索すればいいものを、母上はベルトランシェと共謀して放って置いた。シャンパーニュのティボー四世伯にロイを委ねようとしたのだ。お前も知ってのとおり、シャルルのおかげでそれはなくなったけれどね。大体、ティボー四世伯の元に王位継承権のあるロイが匿われては、今後の王国の治世に余計な火種を遺すことになるだろう。シャルルの活躍は私としては感謝しているよ。母上は私に黙ってロイを探そうとしているけどね。どうせ、もう死んでしまっているよ。あの身体だもの」
ジャンはいつの間にか自分の右手をぎゅっと握り締めていた。
この、歳若い国王は何を言っているのか分かっているのだろうか。
「あれ。どうしたかな」
「あ、いえ、驚いて」
「これは、お前と私だけの秘密だ。父上と私だけが知っていた。父上が亡くなって、私は誰にもこれを話さずにいた。今お前に話すのは、お前が信頼できる人間だからだ。大人ではだめだ。この世には単純な理屈や常識では解決できないことがあるのだ。ロイは王家の人間として生まれるべきではなかった。力のない人間に、王の椅子は用意されない」
ジャンは何度も瞬きする。どうしたらいいのだろう。
とても、恐ろしいことをこの王は言っている。やはり国王ともなると普通の人とは違うのか。理解できないのが当たり前で、それでもなぜか打ち明けられてしまったからには、黙って頷くしかないのか。
シャルルが、聞いたら。
胸がどくどくと音を立てた。
「どうか、陛下。それは、ここ以外では二度と、口にされませんよう」
ジャンはそう言葉を紡いだ。
脳裏に想像するシャルルは憤り、すでに剣を抜いている。
そう、こんなことは許されない。
「分かっているよ。どちらにしろ、ロイはいなくなったのだ。ことは済んでいるよ。ジャン、顔色が悪いぞ。ワインが多かったかな」
「え?」
見上げれば、ルイは悪戯な顔で片目をつぶった。
「ジャムにはもともとワインが入っているのだ。美味しかっただろう?」と。
ジャンは手元のカップを嗅いでみたがよく分からない。
ルイの言った「ことは済んでいる」と言う言葉がなぜかジャンをホッとさせた。そうだ、ルイ八世はすでに亡くなっているし、ロイは結局暗殺の手を逃れたのだ。ルイ九世が語ることもあくまで予定だっただけで実行されたわけじゃない。
「陛下は、その。ロイを、嫌っておられたのですか」
「あれは。父上の子ではないと言う。だとしたら、汚らわしい子供。それなのに長子というだけで常に私の前に立つ。この宮廷から田舎に移されたとき、私はホッとした。父上も同じだった。邪魔だったのだ」
ロイも、こんな環境より。親しい従者と田舎暮らしのほうがましだっただろう。
もしや、真実に他の男の子であれば、生まれた時点で殺された可能性もあった。それでも産み育てようとした、ブランシュ様はロイを愛していたのだ。
ひやりと胸の中に冷たいものが落ちたようで、ジャンは悲しい気持ちで一杯だった。ルイはブランシュ様に特別に扱われていたロイに嫉妬していたのだ。母親の乳を奪い合う子犬のように。他にルイがロイを恨む理由などない。王としての資質はすべてルイの方が勝っていたはずだ。
淋しいのかも、知れない。
ふと、そう想いが巡るとジャンは改めてルイを見つめた。
ルイ九世はいつの間にか水を汲んだ杯を、ジャンの前に持ってきた。
「ワイン、多すぎたかな。大丈夫か」
そう、ごく普通に心配そうな顔を浮かべている。
「ありがとうございます。陛下に、そのような」
「ならば、ありがたく飲め。ほら。悪かった。お前、ワインはだめか」
「あまり」
「なあ、ジャン」

「ロイは、生きているだろうか」
口にした水を吐き出しそうになる。
むせるジャンの背中を、ルイはさすった。
「お前は母上の命令でベルの配下につき、シャルルと供に探すのだと聞いた。皆、私に黙って物事を進めるのだ。知らなくていいことだとか、陛下が自らなさることではないとか。そういって都合のいい時だけ私を王様扱いする。私には、何の力もない」
寂しげに目を伏せるルイ。
子ども扱いされるつらさはジャンにはよくわかる。国王ともなれば周囲にいるのは真に大人ばかりだろうし、要求されることは限りないだろう。それに応えようと努力しても、何かが自由になるわけではない。結局は大人が物事を決めていく。敵わないのだ。
ルイが身近に感じられるからこそ、ジャンはその気持ちを推測する。想像する。そうなると、同情せずにはいられない性格だ。
「あの、今はル・アーブルに手掛かりがあるかもしれないという程度で。まだ、何もわかっていません」
「ふうん」

それ以上、ルイは言葉を続けなかった。
見つけたならどうしろとか。ジャンがロイを探すことをどう思うのかも。
遠く、視線を景色の向こうにある何かに向けている。
「陛下。お疲れみたいです。お昼寝しましょう。きっと気持ち良いですよ」
「お前、私を子ども扱いしたな!」
「今、眠そうなお顔をされました。分かります」
「……母上みたいだ。お前。お前が側にいるなら、昼寝する。どうだ」
どこかで見たような甘え方。
ああ、と。ジャンは思い出す。
ティボー四世は、ロトロア様にいつも甘える。それに似ている。だとしたら、陛下にとって僕はロトロア様なのだ。それは少し、誇らしい。
この世に悪い人などいない。
陛下も、心に深い痛みを持っているのだ、だからそのはけ口をロイに持っていったのだ。
ジャンは立ち上がり、ルイと供に室内に戻った。明るさに慣れた目に、日蔭は闇のように映る。見るべきものすら、見えなくなる。
今のジャンのように。
「では、ご一緒にお昼寝ですね」
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『La croisade de l'ange 4:Paris』④

La croisade de l'ange Chapter 4 『Paris:天使の聖戦』




その日から、ジャンはルイ九世の側にいるようになった。ジャンを気に入っている様子のルイに、ブランシュは始め驚いたものの、「お友達ができるのはいいことです」と、ジャンにシャルルと同じペンダントを与えた。
それを見ても、ルイは兄弟みたいだと喜び。ジャンは誇らしい気持ちもあるがどこか複雑だった。ルイは真の兄弟については誰一人として認めていなかったから。
ジャンも同様に兄弟を持つ。それを話すと、ルイはジャンの兄弟ならば聡明で楽しいだろうと、自らの弟妹の無能ぶりをいくつか挙げて非難した。彼らはただ、護られるだけの存在だ。無害だけれど有益でもない、と。
国を背負う身としては、そういう見方になるのかもしれない。ジャンも家名を継ぐ意義は理解していたが、目的が家族を養うためであるジャンに比べ、家=国家であるルイが兄弟を足手まといだと感じているのも、単純に悪いことだとは決められずにいた。
ルイが自室の近くにジャンの部屋を用意させ、朝となく昼となく側にいるようになると、ジャンはルイの様々な部分が見えてきた。幼い頃から騎士の訓練をしていると言うのに、犬が苦手なことや。ワインや魚の酢漬けのような大人が好むようなものは平気で口にする。いくつかの国の言葉を話し、宗教の教えについては詳しかった。それなのに、気に入らない虫や動物と言った生き物には嫌悪に近い反応を示し、虫と同じくらい軽蔑する大人たちにその処理を任せる。
それらを当たり前のように行うのが、育ちの違いを思わせてジャンは憧れた。そうできたらいいのにと思うところを、ルイはいつでもはっきりと大人相手に口に出し、時には論争に勝利した。その筋の通った物言いと堂々とした態度が、王である証かのように思えた。
ルイの周囲には、ジャンがシャンパーニュでは得られなかった別世界が感じられた。やはりパリが国の中心で、ルイ九世がこの世界の頂点にいるのだ。
父の跡を継ぎセネシャルとしての出世を望んでいたジャンが、より大きなものを相手にする生き方を目の前にして、憧れないはずはなかった。
そうして一週間ほど、ルイのそばで過ごした後。ジャンは、オルレアン開戦の報せを受けたルイを励まし、ノルマンディーの援軍を迎えるべく北に発つ軍隊に同行することになった。
シャルルがルーアンを出た日のことだ。
ルイ九世を含む国王軍は壮麗な隊列を北に向けた。半日進んだ先。パリ郊外に街を護るために布陣している警備隊へ、合流する。
その日、早朝からシャルルが感じた心地よい日差しとまだ肌寒い風は、同じようにシルベルトに乗るジャンにも感じられた。
ルイの馬車の脇で、葦毛のシルベルトを操りながら、ジャンも空気の冴えた良い天気だと、そう感じていた。


ヘンリー三世の一行と別れ、シャルルたちが南に下ること半日。日差しの見え隠れする明るい林の中で昼の休憩をとる。
荷物から干し肉や燻製、ハムなんかを嬉々として取り出すシャルルに、ロトロアが「悲惨な斬り方するなよ」なんて嫌味を言うから、シャルルは余計に緊張して予定よりずっとたくさんの切れ端を作り上げた。その大半はロトロアに。見た目の良いいくらかがロイの前に置かれ。
ロイは首をかしげてシャルルを見上げた。腰に手を当て、にっこり笑う少女は「足りなかったらもっと切るよ」と、意味もなく得意げに肩に乗るイタチと同じ。
憮然としたものの、量には満足なのかロトロアは黙ったまま切れ端の数枚をパンに挟んだ。
「相変わらず、豪快なんだね」
ロイはくすくすと笑い出した。
「それが美味しいんだって。ほら、ぼうっとしてるとクウにとられちゃうよ」
いつの間にかロイの座る横に近寄り、白イタチがロイの前に置かれた皿を覗き込む。ロイはああ、といいながら、一切れちぎる。イタチはそれを受け取ると嬉しそうにシャルルの側に駆け寄って背に隠れた。
「クウ、礼ぐらい言えよ」
言えるはずもないが。
「何だかんだ言って、ヘンリー三世陛下はいい人だよね。だってさ、パンもハムも、ワインも、ほら、酢漬けとか干し肉とか。まるでパリが大陸の果てにあっても大丈夫なくらい、たくさんの食糧が積まれていたんだ」
「お前のためじゃないさ」
シャルルがロトロアをじろりと睨むと、男は肩をすくめながらワインを口に運んだ。
「なんだよ」
「ヘンリー三世陛下は、それだけノルフェノのことを大事に思っているってわけだ。パリへ行って、ル・アーブルまで戻れるだけの食料を用意してあるんだ。調子に乗って食い尽くすなよ」
「ル・アーブルに、戻るのか?」
「さて。それはノルフェノ次第。いや、ルイ九世次第というところか」
ロトロアの視線を受け、ロイは口に入れかけたハムをとめた。
「ロトロア、パリに行った後どうするかは私が決める。シャルル、君は側にいてくれれば良いよ」
側に。
シャルルは二度、大げさに頷いて、パンを口にする。
顔が赤いぞお前、とロトロアがからかうのも許せる。
「僕がちゃんと、側にいるから」
言ってから照れる。でも、ロイは「嬉しいよ」と応えてくれる。
胸がいっぱいだと言うのは、このことをいうのだ。シャルルは手にしたパンとハム一切れを胃に収めるまで異様に時間をかけ、その間ずっとノルフェノを見つめていた。目が合えば相手はにこりとし。それで慌てて目をそらすがまた、つい。目で追っている。

「シャルル、食べ終わったら少し、歩こうか」
「うん、うん!」
ロイの誘いにシャルルは慌てて、口にパンを突っ込む。
むせるシャルルの背中をロトロアがあきれて叩き。ロイは水を差し出した。
むせて苦しい以上に目の前のロイの優しさに、涙が出てしまいそうになる。


「少し、ほら。肩の力を抜いたほうがいいよ」
歩き出してすぐ。ロイはシャルルの肩に手を廻す。
それがまた、余計にシャルルを緊張させるのに、まるでそれを分かっていてやっているかのように。真っ赤になるシャルルをロイは目を細めて笑う。
ついでにその視界には、二人を見送る騎士が一人。
わずかにロトロアに視線を流し、それからロイは再びシャルルを見つめ歩き出す。

背丈の差は以前よりもっと開いていた。
「なんかさ、こんな、その。大きくなってさ、大人みたいになって」
「変かな」
「き、緊張する」
「私も緊張しているよ」
「そんな風に見えないよ」
「シャルルも変わったよ。この辺とか、こんなに色が白かったカナとか」
この辺、ってのがどこなのか。シャルルは見つめるロイにきょろきょろとし、どうやらそれが襟元らしいと分かって慌ててストールを巻きなおした。
「どうして隠すの?」
「え、何となく」
「服装が男の子だから、かえって目立つね。襟元とか、ほら、胸とか」
む、と。シャルルは慌ててストールの端でいろいろ押さえてみる。
「男っぽくしているのに結局君は可愛らしいから。以前もキスしたら泣いてしまったね」
「あ、ああああ。それ、言う?」
「共通の思い出はたくさんはないから」
そこでシャルルは真顔になった。
そう、たくさんはない。それが少しさびしい。
「今思えばほんの、少しの時間だったよね。水車小屋で出会ってから」
「そうだね。私に出会わなかったらシャルルは今頃、あの人と結婚して子供がいて」
「そ、それはないってば!」
「普通にランスで生活していた。幸せにね」
「今も幸せだからさ。ほら、言ったじゃないか、幸せそうだったって」
「うん、そうだね」
「ジャンと友達になったんだ。年下のくせに、落ち着いていて、頼れるやつなんだ。でも立場は僕のほうが上なんだよ。一回勝ってるから」
「勝っている?」
「そう、喧嘩に」
言ってから、シャルルは慌てて咳払いする。
「そのっ、そんなに乱暴なことじゃないんだよ。だって、あいつが悪いから」
「そう。シャルルはいつも本当に幸せそうだ」
ふう、と。シャルルは息を吐き出した。
ずっと、思っていたことを口にしたい。
今がそのときだと思う。
「あの。ロ、あっと。ノルフェノは幸せじゃないのか?ランスから、あの後何があったんだ。僕はノルフェノがヘンリー三世陛下に可愛がられているのは嬉しかった。よかったなって。でも、それだけじゃ、幸せじゃないんだよね?なんか、そういう顔している」
ちょうど、小さな小川がきらきらとした水面を見せている。その前で二人は立ち止まった。さわさわと風が草をなでる。鈴のような水の音。枯れた金色の草の中に頭を出す岩に、ロイはトン、と昇った。
目の前がロイの胸元。シャルルは眩しさに手をかざし、見上げた。
丁度背にある太陽で、ロイの表情は見えなかった。
「幸せなんて。考えたことがない。君のように何にでも感謝するなんて芸当は、私には出来ない。神がもし、人に平等に命を与えたなら。人生がそれぞれ平等だと言うならば、私はこれまでの代償に何か大きなものを得なくては納得できないな」
シャルルは眉をひそめ、ヘンリー三世の言っていた「いつも悲しそう」の意味が分かった気がした。
「大きなものって、なに?」
「さあ。まだ分からない。シャルル、君とランスで別れた後、私はあのドレス姿で北に向かったよ。子供が一人で生きていくためには、代償が必要なのだと、つくづく思った。ランスを封じる兵には女装することで捕まらずにすんだけれど、逆に危険な目に遭うことも多かった。北のル・アーブルに辿り着いたのは、誘拐されたからだよ。とても、自分の意志で北に向かえる状態ではなかったからね。残念ながら私を男と知ったそいつが、何とか高く売り払おうとル・アーブルまで連れてきた。君も持っているあのペンダントはね。男の子の服と、乾いたパン一つとに替えてもらった。そうしなければ、死んでしまう気がしたから。そうして。私は自分から、王家の一員である証を失ったのだ」
ロイの口調は穏やかで。シャルルは余計に胸が苦しい。
ふと、額に落ちる髪をロイがなで上げた。
「泣かないで。ペンダントを買い受けたのがヌーヴェルだった。おかげでヘンリー三世陛下と出会えたよ。私は私自身で選択した。名を失ってでも生きることをね。だって、そうだろう?なぜ生きているのか、なぜ生まれてきたのか。意味を知らないうちに死ぬなんて、あまりにもひどいから」
シャルルは目の前の身体を抱きしめた。
笑う振動が胸に響いて、次にはもっとしっかり頭をなでられる。
「僕、のせい、だよ」
シャルルの言葉にロイの手が止まった。
「僕が一緒に逃げようなんて、しなければ。きっと、ロイはシャンパーニュで大切にされていたんだ。僕、全然そんなこと知らなくて」
「シャルル。私は、知っていたのだよ。あの時ロトロアに告げられ、自分の立場を知った。同時に状況も理解した。けれど、それを受け入れる器がなかった」
再びロイの手が、優しくシャルルの前髪をなでた。
「認めたくなかった。家族が、両親が。自分を捨てたなんて信じたくなかった。だから君と逃げることを選択した。罪があるなら、私に。君は何も悪くないよ。君に知らせなかったのも、私の判断。言っただろう。知らないほうがいいことが、世の中にはあるんだって」
思い出していた。ランスで。ロイは、最後まで自分の正体を飽かさなかった。

「それは、僕のために黙ってたんだろ」
「多くを知っている人ほど、多くの責任を抱える。道をたくさん知っていれば、知らない人より近道を選べるかもしれない。けれど、選択肢が多いことは、間違える確率も多くなる。選んだ先で何があるかはやっぱりその人の責任。物事を知るということは、そういうことなんだよ」
「それでも人は智を求める。足があるから歩くように」
振り返ればロトロアがマントを手にして立っていた。
「そろそろ行くぞ。シャルル、馬の準備はできているのか」
「わっ!そうだ、僕の仕事!」
ロンフォルトー!と叫びながらかけていくシャルルが、木立の中姿を消すまで、二人は黙って見送っていた。

『La croisade de l'ange 4:Paris』⑤

La croisade de l'ange Chapter 4 『Paris:天使の聖戦』



シャルルが再び空腹を覚える頃、街道の先に封鎖する土嚢と柵を見つけた。
馬車の上から見回せば、ずっと続いているのだとわかる。草原だけじゃない、民家のある村の森も、さらにずっと西の方まで。崖を崩したものに木製の柵を巡らせていたり、岩混じりの土砂を積んだもので代用していたりする。草むらに木の柵の先だけが見えるだけのところもある。それらはどれも、確かに境界線のようにシャルルたちのいる場所と、そこから先とを隔てていた。
境界の先には軍隊が騎馬や石弓を並べていた。
これまでのノルマンディーの橋の封鎖とは、規模が違う。

秋の草が風に揺らめくように見えるそれは、歩兵たちの兜の飾り羽だった。
まだ向こうからもシャルルたちの様子は分からないだろう。

「あれは?」
御者席の隣に座っていたロトロアがふん、と笑った。
「パリの警備線だ。かつてノルマンディーはイングランド領であったし、もっと昔からもな。ノルマン人とフランク人は小競り合いを続けてきた。その時の名残だ。あそこから先をパリと呼んでも差し支えない。まあ、王都らしい様子が見られるのはまだ、ずっと先だがな」
「ふうん。たくさん、兵がいるね」
「そりゃそうさ。戦争だぜ」
「でも、さ」
「怖いか」
いつも、そうだ。
「平気だってば!からかってばっかり!僕はブランシュ様の味方なんだ、あれはパリの軍隊だろ。だから、味方だし」
「ああ、そうだ。近隣の街やパリから借り出された民兵だ。あと二日後にはノルマンディーの軍隊と遭遇し、この場所が戦場となる。国王陛下の旗があるな。俺が話をしてくるからお前は馬車の中で待っていろよ」
口を尖らせたものの、ロイと二人きり馬車の中って言うのも悪くない。
しょうがないな、と呟きながらシャルルは馬車の中へと移動した。
中ではロイが少し眠そうに目を擦っていた。
「もうすぐ、パリらしいんだ。警備線で国王軍が展開しているみたいなんだ。だから僕がノルフェノの側にいるよ」
黙って頷いたロイの隣にちゃっかり座る。
間にいたクウ・クルはシャルルの膝に移された。
「眠いのか?」
「少しね。薬湯を飲むといつもこうなるよ」
「横になったら?」
シャルルが場所を開け、隅にあったクッションを枕にと差し出す。ロイはゆっくりと横たわり、少しだけ咳をした。
再び馬車が走り出し、その振動で眠れないのではないかと心配になる。
それでもぐったりと眼を閉じたロイは、少し蒼い顔でじっとしていた。
神が平等だと言うなら。
ロイはそんな風に言った。
生まれつき体が弱い、というのがどういうことなのか。そのために身分も家族も失うと言うのがどういうことなのか。シャルルには想像もつかない。
ただ、何とかしてあげられたら。そんなふうに思うしかない。
神が護ってくれないなら僕がロイを護る。
長い睫が白い頬に煌くのを見ていると、切なくなってシャルルはまた目を擦った。

夕刻前の斜めの日差しで、車内が温まってきていた。
不意に馬車が停まった。
扉の方でもぞもぞしていたクウ・クルは、シャルルに駆け寄ってきた。何か警戒しているのか、後ろに積んである荷物の袋に入り込んだ。
ぎ、と。
不意に扉が開かれ、夕日らしいオレンジの日差しにシャルルは目を細めた。
誰か、覗き込んだ影。
それが、「シャルル!」と。
聞き覚えのある少年の声で叫んだ。

「ジャン!」
一杯まで開かれた扉、そこにはジャンと、その後ろにロトロア。
とん、と飛び下りればその向こうには、ベルトランシェの派手な金髪が風に揺れていた。
「久しぶりっ!」
ジャンと互いに抱きしめあい、握手する。
ジャンは少し背が高くなった気がする。
「ずるいな、お前また背が伸びてるぞ!」
「シャルルはますます女の子らしいです」
「嘘つくな」
「本当ですよ、分かります」笑いながら自分の胸元に丸い形を作るから、シャルルが「ばか!」と殴りかかり、ジャンはあわてて逃げる。
じゃれあう二人のすぐ脇。ベルトランシェが不意に地面に膝をついた。
「!」
ジャンはそれを見て、動きを止め、近衛騎士団長の視線の先を見つめた。
シャルルも視線を追って振り返る。

馬車から、ゆっくりと。眩しそうに目を細めロイが顔を出す。
シャルルはするりと獣のように、今馬車から降り立ったロイの脇に駆け寄った。その肩に白イタチがトンと乗る。

「お久しぶりでございます、ロイ様」
ベルトランシェの声は、どこか強い力を持っていた。ジャンもベルトランシェの背後で、同じように膝をついた。
そこは林の中の開けた場所で、周囲より少しだけ高い。冷たい風が頬をなでる。
石を積んだ竃(かまど)、土嚢と木材の柵に囲まれている。立派な甲冑をそろえた騎士たち数十人がベルトランシェの背後に並ぶ。
顔を上げている騎士は一人もいなかった。近衛騎士団、なのだろう。全員が地に膝をつき、その甲冑に夕日が鈍く光っている。
赤い上衣、金色の百合の紋の刺繍、白い羽飾り。並ぶそれらを、ゆっくり見つめてから。ロイは口を開いた。
「久しぶりだね、ベル。やっと、パリに帰ってきたよ。近衛騎士団の皆も顔を上げて欲しい。覚えている顔があると嬉しいから」
ベルトランシェが顔を上げた。近衛騎士たちも顔を上げ、それが皆一様に嬉しそうなのを知って、シャルルもホッとした。
ロイは、紛れもなく国王の子だった。それを近衛騎士は分かっていたんだ。
今も変わらない。

並ぶ近衛騎士団の真ん中を、一頭の白馬が進んできた。騎乗している黄金の兜を脇に抱えた少年がそれを近くの兵に持たせ。手伝おうかとする従者を無視してひらりと身軽に降り立った。甲冑の重さを考えれば、相当慣れているのだ。

ルイ九世。
一度顔をあげた騎士たちがまた、頭を下げる中、金髪を短くした少年は真っ直ぐ歩み寄る。
「冗談かと、思ったのに」
歳若い王が口にしたのはその言葉だった。

ロイは襟元に赤いマントを揺らめかすルイに、微笑みかけた。
「立派な、国王陛下だね。ルー」
憮然とした様子で視線をそらしたルイと、正面から微笑んで見つめるロイ、いやフィリップ。
兄弟は対照的な表情でしばらく互いの距離を保っていた。


陣営の真ん中には、古くからの砦らしいものがあった。岩山を掘って作ったらしいものに切り出した石で防壁と屋根のある天井の高い建物が出来上がっていた。
中にはただ、大きな柱がたくさん並び、その間に布を張り巡らせて仕切っている。
だから、夜風が時折寒そうな音をたててシャルルの足元やロイのケープを揺らした。
シャルルは自分の付けていたストールをロイの首に巻きつける。
「ありがとう。君も寒いだろう?」
「平気。だいたいさ、こんな暖炉もないような場所に置きっぱなしにしてさ。夕食は立派でたくさんでよかったけどさ。こんなことなら、焚き火ができた昨日のほうがましだったよ」
「そうだね。ランプもこんな松明一つきりで、消えてしまいそうだし。消えちゃったら怖いね」
「うん。真っ暗だよ」
二人とも同じことを想像したのか、黙り込んだ。
わずかに身をよせたシャルルの手を、ロイがぎゅっと握りしめた。
「大丈夫、だよ。ほら、すぐ外に近衛騎士がいる」
そう言われ自分も護る側の人間だと思い出してシャルルは恥かしい気分になる。僕が大丈夫ですよって、ロイを安心させなきゃならないのに。
「ロンロンは何してるんだろう。あいつもノルフェノの護衛なのにさ」
シャルルが馬車を降りたときに見かけたきり、何の用事なのか姿を見せなかった。
「彼がいれば、安心かな」
「そういう訳じゃないけどさ。ロンロンは何か企んでるんだよ、きっと」
「そう、ヘンリー三世陛下にも言われたよ。皆がそれぞれの思惑で動いている。だから、気をつけなさいってね。でも大丈夫。私にはシャルルがいてくれる」
シャルルは腰にあるイタチ剣をぎゅと握り締めた。
「うん。任せて」
つないだ手に力がこもる。冷え切った室内でそこだけが温かい。
ふわりと、風が強く吹いてランプの明かりが大きく揺れた。
気配にシャルルは顔を上げる。
彼らのいる場所を仕切っている薄い羅紗が揺れて、ジャンが顔を出した。
二人を見るなり、少し照れくさそうに笑いロイとシャルルの前に膝をついた。
「陛下からのご伝言です。明日、お二人は護衛と供にパリに向かいます。フィリップ様、ブランシュ様にすぐに面会できるよう、私はこれから先触れのために発ちます。シャルル、ゆっくり話せなかったけど、パリでまた会いましょう。きっと、ブランシュ様もお喜びになりますよ!」
にっこりと笑い、手に持っていた布袋を差し出した。
「フィリップ様、お体はいかがですか。これ、お役に立てたら幸いです。咳によく効く薬草です」
ロイは立ち上がり、ジャンの前にしゃがむと、手を伸ばした。
同じ高さで見詰め合うと、ふとロイが目を細めた。「ランスで貰ったものもよく効いたよ。ありがとう」
差し出した両手は、袋ごとジャンの手を握り締めた。
「気をつけて」
「ありがとうございます。フィリップ様のご無事をお祈りしております。シャルル、ルイ様に、気をつけて。ほら、ランスでの件もあるから」
ジャンはシャルルにウインクして見せる。ランスでルイ九世がシャルルに興味を示した、あのことを言っているのだろう。すぐにまじめな顔に戻って一礼し、出て行った。
この夜更けにパリに向かう。暗がりの馬の旅が決して楽ではないことをシャルルも知っている。
月明かりがあることが救いだと、シャルルは窓から空を見つめた。

翌日、シャルルは早朝からロンフォルトとブロンノの世話をしていた。今日、パリに発つのだ。またしばらく頑張ってもらわなければならない。
馬たちは大人しくシャルルにすり寄り、鼻を鳴らしていた。
不意にブロンノが顔を上げる。耳はぴくと西をむいた。
風に乗って何か、シャルルにも聞こえていた。

「なんだろう」
蹄を洗うブラシを手に、シャルルは西の空を見つめた。
そこから見えるのは近くにある小高い丘、その向こうにわずかに山並みが朝の蒼い影をまとって空に浮かんでいるように見える。そちらから聞こえる気がした。
しばらく見つめていても何も変わらない。朝日が眩しく足元の桶の水を照らしたから、再び作業を続けた。
どこかで炊き出しが始まったらしい。
香ばしい匂いに、一仕事終えたすがすがしい気分で兵たちが集まり始めた方向へと歩いていく。皆、手には空の器とスプーンを持っているから、朝食なんだろう。
匂いに惹かれつつも、自分はロイの元へ行かなきゃと踵を返しかけたところ。脇に立っていた兵がシャルルの腕をつかんだ。
「お前さんもほら、並びなよ。のんびりしていたら食べ損なうぞ」
金色の髭に、わずかに白髪の混じった男が陽にやけた赤い鼻で笑った。
「あ、大丈夫、僕は向こうで」
「ああ?あ、そうか、貴族様だったのかい。すまんね、わしはまだ10日目なんでね、勝手が分かってなくてねぇ」
頭をかく男に、シャルルは胸を張って応える。
「お勤め、ご苦労様です。僕はまだ騎士見習いで、貴族様じゃないんだよ。まだお仕えしているお方のお食事が済んでいないから。それが終わってから朝食はいただくんだ」
「若いのに偉いねぇ」
「あの、さっき、西のほうで何か音がしたんだけど。ほら、なんていうか、わんわんって言う感じの。木霊みたいな」
「さあ、西にはオルレアンの軍隊が行っているからねぇ。それかねぇ」
オルレアン。
シャルルは男に手を上げてさよならを告げると、歩きながら地図を思い出していた。
確か、ええと。
パリの西で、ブルターニュと対面することになる、ロレーヌ川のほとりで。
あちらはもう、戦争が始まっているのか。
そう思えば耳にした音が、馬上槍試合のときの歓声のようで。いや、あれよりもっと低く、恐ろしげだった気もしてくる。
西を護るオルレアン、そこからぐるりとパリを遠巻きにして北へ巡るこの警備線。
小高くなっている陣営の建物の前から周囲を見渡せば、数え切れない兵たちがそれぞれの仕事をこなしている。
武具をつくろうもの、剣を鍛えなおしている鍛冶屋。炊き出しをしている女たちやそこに集まる民兵。不器用に槍を構え、並ぶ徴募兵たち。
ふわと吹いた風に草むらが揺れ、シャルルはそこに戦場を思い浮かべた。
槍試合のような一騎打ちではない、数人での戦いを同時に行う競技があったことを思い出した。それを見たとき、ひどく背筋がざわざわした。馬から落とされ、呻いている男。互いに血に染まりながら剣を切り結ぶ男たち。折れた槍を振りまわす大男。
それをこの千人はいるだろう人間、全員でやるとしたら。
再び遠くの戦いの声が聞こえる気がして、シャルルは西を見つめた。

「シャルル、早く戻りなさい。ロイ様が待っていますよ」
声をかけてきたのはベルトランシェだった。
「あ、はい」
それでも西が気になるシャルルに、ベルトランシェは美しい笑みを向けた。
「この後、この地の軍のうち三分の一が西のオルレアンに向かいます。援軍が必要ですからね。残ったものは、ここでノルマンディーを待ちます」
ノルマンディー。
その軍は。
シャルルがベルトランシェを見上げると、近衛騎士団長は髪をかき上げ同じ西を見つめていた。
「ロトロア・ド・ルジエの報告で分かりました。ノルマンディーにパリへの道を空けてはならないと。貴重な情報をこの場で受けられたのは幸いですよ。そうでなければ、この地域をノルマンディー軍に任せ、我らは西に全軍を移動する予定でした。ここもいずれ戦場となります。戦力を分散するのは危険が伴いますから、ルイ九世陛下には一度パリへお戻りいただきます。ちょうどシャルル。ロイ様をパリへお送りしなければならないですしね」
一緒に行く、と言うのだろう。それはそれで心強いからシャルルはすなおに頷いた。
「大変だな、あっちもこっちも。パリをぐるっと一周して護れるくらい、たくさんの軍勢がいたらいいのに」
歩き出した二人はいつの間にか並んでいる。傍らのベルトランシェは前を向いたまま、ふと笑みをこぼした。
「さて。私は近衛騎士団ですからね。陛下のお側にいるだけ。戦場で軍を指揮する将軍たちは大変でしょうね。お前の言うとおり、本来ならばパリだけを守ればいいのかもしれません。小さい輪でパリを囲み護るのなら、城壁もあるから容易いでしょうね。けれどそれでは、王国である意味がない。周辺の街や都市を外敵から護ってこそ、国であり王であることを認めさせることが出来る」
「ふうん」
シャルルはたいして真剣に考えたこともない、王国と言う存在を思った。いつか、ジャンが言っていた。
最も大きなものを生み出す、国王は偉いのだと。農民やお母さんより。
「国を護るのは、大事なんだ」
「当たり前でしょう?」
「そのためには、弱い王様じゃダメなのか」
だから、ロイはあんなふうに扱われたのか。親にも会えず、死んだことにされて。放っておかれたんだ。
ベルトランシェが黙り、立ち止まる。
見上げれば、シャルルのほうを見下ろしていた。その表情こそが、聖母像のようだと。シャルルはいつも聖母像に例えていたリシャールを二番手に追いやった。
「シャルル。人には、それぞれの分と言うものがありますよ。生まれながらに持つものもあれば、成長するにつれ得るものもある。王様でいることと、羊飼いでいること。どちらもそれぞれに幸せであれば、私はそれが正解だと思う。違いますか」
「それは、そうだよ。僕はもともと、王様や貴族より、麦を育ててパンを作れる農民の方が偉いと思っているしさ」
「ああ、なるほど。それでお前は面白いんですね。媚びもせず、まともな敬語も使えない」
「それ、悪口?」
「さて。シャルル。我らは陛下とブランシュ様の駒でしかありません。我らの正義は陛下の下にある。お前の正義は違う場所にある。対立すれば戦うことにもなるでしょう。その時には、手加減はありません。お前は、後悔のない道を行きなさい」
シャルルは目を見開いた。
「それ、ベルは後悔してるってこと?近衛騎士団にいるのが嫌ってこと?」
青年はふ、と笑うと、
「馬鹿ですね。大人が子供に、今の自分のありようを後悔して見せるなど、情けないと思いませんか。誇り高き騎士にくだらないことを尋ねるものではありませんよ」
その笑みが、あまりに完璧で美しいから。
シャルルは口を尖らすにとどめた。
大人は時に、分かりにくい話をする。嫌ならいやでやめればいい。後悔のない道を、僕なら選ぶ。

居室にもどれば、ロイは嬉しそうに「遅かったね」と立ち上がり迎える。自然と肩に置かれる手。その温かさを思えば、シャルルも胸が熱くなる。
「これだよ、やっぱり」
シャルルの呟きにロイが小さく首をかしげた。
「あ、なんでもないよ。お腹すいたよね、今朝食を運んでくるね」
これだと、思う。
僕の選ぶ道は、ロイのそばにある。後悔なんかしない。助けるって、護るって決めた。それに。やっぱり、好きだから。


出発のときになって初めて、シャルルはロトロアが姿を見せないことに気付いた。
ベルトランシェに尋ねれば、忙しいのか「彼はジャンと一緒に昨夜発ちましたよ。怪我の様子も気になりますから、早くパリに行ったほうがいいということですよ。聞いていなかったのですか」と。先ほどとは変わって、冷たくあしらわれた。
聞いていなかった。
昨夜は、そう。ここに到着してからは、一度もロトロアの姿を見ていなかった。
別に、いいけど。
大きな馬車に、ロイ一人を乗せ、シャルルは孤独に御者台に座る。
何となく面白くない。
話す相手もいないし、クウ・クルも強くなってきた風を嫌ってか、車内に入ったきり。
「パリへ向かうから護衛をしろって。いったのはあいつだぞ。まったく、何にも言わないで、薄情な主人だよな、ブロンノ」
馬は振り返りもしない。
馬車の前には十数騎の騎士団が二列で進んでいく。振り返れば後ろにベルトランシェが併走する立派な馬車。それにルイが乗っているんだろう。
その後にはルイの馬が二頭、荷物を積んだ馬車が三台。そこから後ろは見えない。

丘を越えると、突然平原が広がった。枯れた草が白い実をつけ揺れる。風が吹き飛ばしたそれが、羽虫の群れのように空を横切る。セーヌ川が右手に遠く見える。それを目で追えば、その先がパリ。
先ほど昼の鐘が聞こえたから、そろそろ休憩だ。
シャルルが予想したとおり、背後から伝令らしい騎士が馬車を抜き去り、先頭の騎士に何か告げる。それを合図に隊列は街道をそれ、脇の草原に円を作ってとまった。
枯れ草が掻き分けられると、その足元には小さな黄色い花が無数に咲いていた。
綺麗なそれにシャルルは嬉しくなって、馬車を止めると背後の窓を振り返る。
「ノルフェノ、見てみて、ほら……」
カーテンをめくったとたん、白い獣が飛び出してシャルルは落ちそうになる。
「なんだよクウ!ばか、ビックリしただろ!せっかくロイに」
苦しげな咳が聞こえ。シャルルは慌てて覗き込んだ。
座席でうずくまっている、ロイは小さく見えた。

「ロイ!」
車内に駆け込み、背中をさする。
何度も咳を繰り返す。息が、出来ないのではないかと思うくらい。顔を赤くして。やっと咳が収まると、苦しげに肩を上下させ振るえている。再び咳込んでそのうち、口元を抑えた手元から赤い糸が伝う。
「わっ!?」
思わず、顔を上げ、シャルルはあわてて首元にまいていたストールをあてがう。
それは、二度ほど深い咳をしただけで、唐突に終わった。ロイはただ息を整えるのを待つようにじっとしたまま。強張った手を口元から引き離すとシャルルはそこに溜まった血をふき取った。
黙ってそれを丸め、改めて荷物から清潔な布を取り出して水にぬらして絞ると、ロイの口元と手をきれいにする。
それから水をロイの口元に差し出した。
「ごめん」
小さく、かすれた声のロイは小さく見えた。うつむいて、青い顔をして。
シャルルは「ほら、口の中、気持ち悪いだろ。水。それから、薬は?あるなら飲んだほうがいいよ。ジャンにもらった咳止めの薬、あっただろ」
ロイは恐ろしいものを見つめるようにそっとシャルルの顔を見上げた。
「びっくり、させたね、シャルル」
その上目づかいが、まつ毛に光る涙の跡が切なくて、シャルルは精一杯笑いかけた。
「平気だよ。そりゃ、ちょっと驚いたけど。僕、修道院にいたんだよ?孤児でも同じようになった子がいたし、施療院に行って病人の世話をしたこともあるんだ。気にすることじゃないよ。それより、ロイ。ロイのほうが、きっと怖かったね」
シャルルはぎゅ、とロイを抱きしめた。
「しゃ、シャルル……」
「病気になった子がいるとさ、みんなで世話するんだ。修道院ではね。どうしても怖い時には、下働きのアンがこうして抱きしめて寝かせてくれる。アンはアンで大変な仕事をしているのに、疲れているのに嫌な顔しない。だから、アンはみんなに好かれていたよ。僕はさ、修道士とか、修道女や。司祭様とかね、そういう偉い人は確かに偉いんだろうけどアンのほうがよほど立派だと思うんだ。王様なんかいなくても平気だけど、アンにはいてほしいんだ。そういうの、ジャンは笑うけど」
「私も、わかる気がする」
「だよ、だからさ。僕はロイの味方なんだ。僕が、ロイにとってのアンになってあげる」
シャルルは荷物からジャンが渡してくれた薬を取り出した。
「これ、煎じ薬だよね」
中には液体の入った小瓶と、乾燥した薬草が入っていた。
飲ませようと便のコルクを抜いた。
と、その手からコルクを奪うと、ロイは栓を詰め直した。
「え?」
ロイは黙って首を横に振った。
「え?何、ダメ?」
「それ、飲め、ない」
「何言ってるんだよ、苦いから?」
また、咳き込むから、背中をさすって力ない身体を支えた。
「ロイ、熱があるよ、やっぱり。誰か呼んで来るよ、たぶんベルならちゃんと治療の方法とか知ってるよ」
「いらない、シャルル」
「何言ってるんだよ」
ぎゅうと、のしかかるように抱きしめられて、シャルルは手にしたビンを取り落とした。
「あわっ、薬が」
「聞いて。シャルル。今朝、この薬草を女中に渡して、煎じてもらった、だけど。それは変な味がする。少しなめてみて、気持ちが悪くなった。以前ジャンに貰ったのと違う。薬草は同じだけど、その液体は、違う」
シャルルは手に残っていた液体の匂いを、嗅いでみた。
酸っぱい匂い。シャルルもいつか、ジャンの風邪薬を飲んだことがあったけれど、こんな匂いはしなかった。

「これ、もしかして」
「毒なのかも、しれない」
ロイの顔は青ざめていた。足元に転がるビン、少し泡立った黄色っぽい液体は急に邪悪なものに思えてくる。シャルルもそれを睨みつけた。
「今、私の具合が悪いと知られれば。無理にもそれを、飲まされるかもしれない。シャルル、覚えているかな。私の父上、ルイ八世が、どうして亡くなったのか」
低くかすれたロイの声。シャルルは「ルイ八世陛下は……」
十字軍の進軍途中で毒殺された。
かつて、ロトロアが話してくれたのを思い出していた。
その疑惑のために、シャンパーニュは宮廷の敵になった。体が震えた。
「どういう、こと。これ」
ロイの顔を見つめた時。
不意に馬車の扉が開かれた。
眩しい日差しの向こうで金色の髪の少年、ルイ九世が笑っていた。
「あれ、どうかしたかな。フィル、ああ、今はノルフェノって言ってたよね。具合でも悪いの?」
「あ、やだなぁ、邪魔しないで欲しいな」
とっさにロイの胸元に寄りかかって、シャルルが笑った。
ロイもシャルルの頭を抱きしめる。
誤魔化せたのだろうか、ルイ九世は恐ろしいほど顔をゆがめた。
「下らないな、お前たちは。昼食がいらないなら、ずっとそうしているがいい」
若い王は踵を返し。その背後に控えていた近衛兵二人も後を追う。その腰の剣がカチャと嫌な音を立てているのを見送り。はあ、とため息をついた。

「どうしよう、ロイ。僕、とんでもないことを、想像した」
抱きしめあったまま、シャルルが呟く。ふう、とロイが切なげに息を一つ吐いた。少し汗ばんだ額をシャルルの肩にあてる。
「私も、考えたくはないけれど。ジャンも、ロトロアも。上手く引き離されてしまった気がする。今、私たちの二人きりだよ。近衛騎士団は全員ルイの味方だ」
そういえばベルトランシェは言っていた、我らは陛下の駒に過ぎない、だからシャルルの敵に回ることもある、と。
「ルイは、怖いところがあるよ。ランスで会った時もそう思った。もしかして、ルイ八世陛下も……」
ロイの手に力がこもった。
「父上のことは分からない。ルイは、父上と仲が良かったから。ただ、ルーが私を疎ましく思っているのは確かだ。気を抜いてはいけない」
シャルルは頷いた。
「とにかくパリに行って、ブランシュ様に会えれば大丈夫だよ。ヘンリー三世陛下の下さったものなら安全だから、荷物にある食糧を食べよう。今ハムを出すから」
言ったシャルルの腹が、ぎゅうと鳴って。
思わず無言で見詰め合ってから。ロイがくすりと笑った。
「シャルル、君って逞しいね。私はいらないよ、食欲がないんだ」
「そ、そんなに笑うことないだろ!緊張したからだよ!ロイだって何か食べなきゃダメだよ!」
可愛い、と。笑って咳き込みながら、今度は本当に抱きしめる。
シャルルは恥かしいのと、思ったよりロイの肩幅が広く感じられたのとで胸が躍る。こんな状況なのに、嬉しい。自分の図々しさに呆れつつ。ロイも同じくらい幸せを感じてくれたらいいのにと、シャルルは整った青年の顔を見つめた。
淡い水色の瞳と視線が合って、穏やかにいつもどおりに微笑むから。
一喜一憂しているのは僕だけかもしれない、なんて。ちくりと胸が痛んだ。

『La croisade de l'ange 4:Paris』⑥

La croisade de l'ange Chapter 4 『Paris:天使の聖戦』



三台の馬車で大きな円を作り、その内側で陣を構える。国王を守護する五十人くらいの近衛騎士団と、それぞれの従者、下働きをするためだけに同行している異国の奴隷。全体で百人くらいなのだろうか。シャルルは食欲がないと訴えるロイを説得して、二人で御者台に座った。パンを頬張りながら周囲を眺めた。
炊き出しをしている風下の一角では、煙が白い渦を作って、いつもより強い西風をさらに強調していた。周囲は開けた草原で、今も吹きぬけた一際強い風が白茶けた大地の毛皮をなでていく。まばらにある木は、すぐ先で林を作り、さらにその向こうは森になる。シャルルの感覚で言えば、向こうが透けて見えるのが林。木立が生い茂って見通せないのが森。そんな判断だ。
その基準で言えば、街道のある南北は見通しが利くが、東西は両側に森がある。遠く西にはオルレアンだという。
自然、シャルルはそちらを熱心に見つめる。
「どうかしたのかい?シャルル」
シャルルの視線を気にして、ロイが尋ねる。ロイは先ほどから、水と干した無花果をかじっている。あれから発作らしきは治まって、かえってその前よりは気分がよくなったと。少し無理した感じで笑う。
シャルルは寒さに少し背を丸くする青年に、改めて肩のストールを巻きなおしながら、笑いかえした。
「あっちにね、オルレアンがあるって聞いたんだ。戦争はそこから始まっているって。不思議な気がしてさ。きっとすごく遠い、例えばローマ帝国から見たら、僕らも戦争している仲間に入るんだろうけど、実際今、僕らはのんびり朝食をとっている」
「ああ、実感がわかないのだね」
「うん、それ」
ハムを食いちぎる。パンからはみ出たそれを、側にいたクウ・クルが素早くくわえ引っ張り出す。
「こら、クウ」
シャルルがパンを持つ手を高く上げたときには、そこに挟んでおいた肉はちょうどよく全部白イタチのものとなる。
「ああ!」
笑いながら、またロイが咳き込むから、シャルルは隠れて肉に噛り付くイタチにかまう余裕がなくなった。文句を言いながらも、ロイの背中をさすった。
「にぎやかですね、リオン」
そう呼ぶ人はここでは一人。
ベルトランシェが朝から派手な笑顔で馬車の脇に立っていた。
「こちらに来ませんか、ロイ様も是非。焚き火に近いほうが温かいですよ。ブランシュ様は、心より貴方様のお帰りを望んでおられました。あなた様が北に向かわれたこと、耳にはしていたのですが。とかくあの界隈は、我らには近寄りがたいので」
「それで、シャルルをよこしたと言うのは、先ほどシャルルから聞いたよ。ベル、私は今ヘンリー三世陛下にお世話になっています。これを機に、カペー家とプランタジネット家との親交が深まれば良いと思っています。そういうことも含めて、私は母上や、ルイ。そしてクリア・レギスの皆に会いたいと考えています」
ベルトランシェの表情が少し強張った。
静かに語るロイの口調が、やっぱり僕とは違うんだなとシャルルはロイの横顔に見とれていた。
会話が途切れたことに気付いて、ベルトランシェとロイとを見比べる。
ロイはただ、穏やかな笑みを口元に浮かべている。
ベルトランシェは、黙ってその場に膝をついた。
「ロイ様。貴方様の、想いが、神に届きますよう願っております」
かみ締めるような、一つ一つ選んだような言葉だった。
シャルルには意味が分からない。
けれどそれを問いただすような雰囲気ではなく、誘いに来たはずのベルトランシェが一礼して近衛騎士たちの輪に戻っていくのを見送った。

「ベルの言っている意味が、わかんなかった」
「ああ。私がクリア・レギスに同席することが、叶えばいいですねと。逆に言えば、困難だと言うことだよ。彼らしい、押さえた言葉だけれど。穏やかに警告してくれたのだね。私が権利や提案を主張するのは、そしてそこにヘンリー三世陛下の後ろ盾を見せるのは、危険だと教えてくれている」
「大丈夫なのか?」
ロイは柔らかな風のように笑った。
「シャルル、君は君の自由にすればいいのだよ。君が私の護衛をする理由もない」
「ばか!」
シャルルの勢いに、ロイ葉目を丸くした。
「二度とそういうの、言うなよ!僕はいつだって自由にしてる。僕の考えで、僕のしたいようにしているんだ!誰かに言われたからとか頼まれたからとかじゃない。嫌になったらここにいないし、好きだから側にいるんだ。それをさ!」
一気に話して、シャルルは息継ぎ。
「そんな風に言うなよ!ランスで会った時だってそうだっただろ!助けがいるなら助けてほしいって言えばいい。僕を利用すればいい!僕はいつだってロイの味方なんだ」
きゅうと、抱きしめられる。
う、と。
シャルルはそこであふれかけた涙に気付いた。
「シャルル」
「側に、いたい」
シャルルは涙をぬぐった。勢いで言ってしまった「好き」にも気付いていたけれど、本当なんだ、何が悪い、と開き直る。

「ごめん」
ロイは、囁くように言った。
「ごめんね、シャルル」
とくとくと、心臓が泣いた。
「それは。どういう、ごめんなんだよ。突き放すようなこと言ったから?泣かせたから?抱きしめているから?それとも」
「ずっとは、側にいられない」

言葉が続かなかった。
「君を、きっと、傷つける」
思わず声が漏れる。ロイの肩の向こうでこちらを見ている騎士たち。それが一瞬で涙の向こうに消える。泣くまいとか、そんなこと。
ただロイにしがみつく。

嫌だ、側に。
我儘な、勝手な気持ちだってわかっていても。
抑えきれずに、シャルルは泣いた。
ロイはじっと、抱きしめてくれていた。

誰だろうか、大丈夫ですかとロイに問いかけロイは答える。
「大丈夫だから、任せてほしい。私が泣かせてしまったのだから」
耳元に響くロイの声がわずかに涙を含んでいるようで、シャルルは顔を上げた。
ロイの瞳も、泣いているように見えた。
それはすぐに優しい笑みに隠される。

しばらくそのまま見つめ。シャルルが言葉を発した。
「いつまで、なら?」
「いつまでなら、側にいていいんだ?僕はロイを守るって、決めた。ずっと、ずっとそう思ってた。あの夜、一緒にランスを出るって決めた時から」
もう一度、ぎゅっと抱きしめられる。
返事は耳元に。
やっと慣れたロイの声が、深く耳に染み入った。
「パリまで」
そんなの、あと二日もない。
また涙があふれてきて、シャルルはうつむいた。
「嫌なら、今すぐに。私から離れてもらう」
「ひどい、こと言う」
またひとしきり泣いた。

「分かった、よ」
いつまで泣いても、時が止まるわけでもなく。ロイの気持ちが変わるわけでもないことをもう一度自分に言い聞かせた。
大体、僕に。もともと身分の違う僕に、ロイのそばにいる権利なんかない。
「僕が、ブランシュ様に会わせたいって、思った。だから、ロイを無事にパリに届けるのは僕の責任だ」
「ありがとう」
シャルルは、自分から離れた。
そのまま何度も目をこすり。頬を二回、ぺんぺんと叩いて立ち上がった。
遠くから眺めていた騎士たちが、目をそらしたり肩を竦めたり。その中に、ベルトランシェの姿を見つけ、シャルルはそこに向かって駆け出した。
獅子の子に狙いをつけられた青年は困ったような顔をしたが、シャルルの意図を知れば目を細めた。
「ベル!僕と剣の相手してくれ!」
何もかもを吹き飛ばすように、シャルルは怒鳴った。
見つめる近衛騎士たちの中、ベルトランシェは立ち上がった。
「お前ごときにそう呼ばれる筋合いはありませんよ。リオン、覚悟しなさい」
言いながらも。青年はまぶしいほどの笑みを向けていた。
どこまで聞かれていたのか、わからない。
けれど、今のシャルルの気持ちを察してくれている気がして、シャルルは遠慮なくイタチ剣を抜き放った。


シャルルの素早さに、時折騎士たちの歓声が上がる。
「なかなか、鍛えられていますね」
そう口にして、ベルトランシェは終わりにしようと手を挙げた。
シャルルほどではないにしろ、そこそこ息を弾ませていた。
「団長相手に、見られる試合をするとは、お前すごいな」
名は知らないが、近衛騎士団の中でもひときわ大柄な日に焼けた男が笑った。
褒められたシャルルは、走り回ったために熱くなり、ストールを引きはがす。
と、動きを止め耳を澄ませた。

「どうかしたか」
先ほどの騎士がシャルルの見つめる方角を振り返る。
東。
地平線の近くに影のような煙が漂う。
騎士たちの動きが一斉に止まり、ベルトランシェが「陛下を!」と。
叫ぶと同時に立ち上がる。
シャルルがロイのほうへ、と駆け出したときには、すでに馬を駆る三騎の騎士が音のする方角に向けて兵を移動させ始める。

ロイは御者台に立ち上がり、遠く、東を見つめている。
「シャルル、何かあったのか」
「なんか、軍勢が」
声を遮り、ラッパの音が甲高く響いた。
まるでそれに応えるように、東に見えた林の向こうからもラッパの音。
おおお、と。それはオルレアンを思った時と同じ。最初に森を抜けて姿を現したのは黒い騎馬。その横に二騎目、三騎目。その時には森のもっと東のほうからも、西のほうからも。
まるですくった掌の隙間から砂がこぼれるように森の中から軍勢が姿を現した。
と思えば、弓の音が空を切る。
シャルルはロイを馬車のなかにかくまい。自分はその前に立っていた。ロンフォルトを馬車から離すわけにはいかなかった。いざとなったら、ロイだけでも馬車で逃げられるようにしなければいけない。

とん、と一本の矢がシャルルから数歩先の地面に突き立った。
構えた盾にがつ、と感触がある。敵軍から離れていては、ただ守る一方。それでもここを、ロイのそばを絶対に動かない。
今一つの矢を剣で薙ぎ払い、シャルルはなぜもっと弓の訓練をしなかったかをわずかに後悔した。


現れた軍勢が、どうやら本当に戦争なのだと意識させるほど東の地を埋めたとき。敵陣にひらめく旗が目に留まった。それが、見たことのある旗だということも。
「あれは!」
シャルルは中央で指揮をしているベルトランシェのそばに駆け寄った。
「あれは、ラン伯!?」
「どうやら、そのようですね。シャンパーニュ伯の申し出が、これで嘘だったとわかりました。ジャンは無駄足に終わりました。かわいそうに。リオン、ロイ様を陛下の馬車に。守りきるなら一つにしたほうがいい。お前も騎馬がほしいでしょう」
「はい!」
一瞬、ルイと一緒に、というあたりに懸念を感じたが。そんなことを言っている場合ではない。
まだ火矢でないだけましだった。
すでに防衛線として前に出ている騎士たちの守りは崩れを見せ。その隙から数騎の敵がこちらへと駆け寄ろうとする。ちょうど、先ほどシャルルをほめた大柄な騎士がそれを横から槍でとどめ。二騎は戦闘に入る。
シャルルはとにかくロイのもとへと走り。途中、馬から落ちた敵兵を一人やっつけて、黒い馬車に駆け込んだ。
「ロイ、ルイの馬車に移るんだ!一緒のほうが安全だ、早……」
左足に痛みが走る。
「シャルル!」
ロイが駆け寄り、うずくまりそうなシャルルの肩を支えた。
見れば、左太ももの外側を、矢でえぐられていた。
「大丈夫!かすり傷だ!行こう、僕の背後から離れないで」
「駄目だよ、おいで、ここで止血しないと」
「そんなことしてる場合じゃない!早く!」
いう間に、シャルルは視界の隅に火矢が突き立つのを認める。
早くロイを移動して、馬たちを解放してあげなくては。
ロイは自分の荷物から剣を取り出した。
行こう、そう目で合図し、二人は矢が降り注ぐ中を走り始めた。
流れる視界の中で馬や騎士が入り乱れ、怒号や叫び声が耳をついた。
夢中でルイの馬車に、守っていた近衛兵の助けを借りてロイを押し込む。
ルイ九世は「私も出るぞ」と怒鳴ったが、近衛兵が「今しばらく、お待ちください!不意を狙われた状態では、われらの不利。すでに半数が命を落としております!せめて、陛下のお命だけは、救わせていただきます!」
悲壮感に満ちた叫びに、ルイは黙った。
多勢に無勢。
シャルルは振り返ったロイに、大丈夫、と笑った。
「行ってくる。約束は守るから」

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