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『La croisade de l'ange 4:Paris』⑪

La croisade de l'ange Chapter 4 『Paris:天使の聖戦』

11

ロイが久しぶりに見る母親は、想像した以上に小さい女性に思えた。
それは、ロイを見るなり駆け寄り、柔らかで甘い抱擁をする。
これをシャルルが望んだのだ。香水らしき甘さにシャルルの顔を思い出しながら、ロイは静かに深く息を吸う。
ブランシュの背後を護るベルトランシェ。他には誰もいない。シャルルが毎晩薪をくべ、灰を片付けて整えている暖炉。その前に近衛騎士は真っ直ぐ立っていた。

「無事で何よりだわ、フィル」
ブランシュはしっかりと抱きしめたわが子に頬ずりする。
ロイはただ、立っていた。ロイは抱きしめ返すわけでも、涙を流すわけでもない。
その白磁を思わせる頬はブランシュのやわらかい手に包まれても、冷たいままだった。

「お久しぶりです、母上。私の記憶には、五歳の誕生日にお会いしたあの時のお姿しかありませんが。相変わらずお美しいように思います」
「お前は、立派になったわ。そんなにきちんとした言葉で、そう、少しイングランド訛りがあるようだけれど」
「ええ、ここ数年は向こうですから」
そこでブランシュは少し黙った。
ロイの意図を、計りかねている。
「警戒なさらずとも大丈夫ですよ、母上。私はもともと、人懐こい性格ではありませんし、シャルルのように泣き虫でもありませんから。あなたを傷つけたいと思ってきているわけではありません。ただ、理由を知りたいと思ったのです。だから、パリに出てきました。本来ならひっそりと、誰に迷惑をかけることもなく生きているはずでした」
「……ロイ」
「今更、子供のように甘えるつもりもありません」
表情を強張らせたブランシュから、そっとロイは離れた。再会を喜ぶことも、甘えることも、出来なくなるような対応を示したのは、宮廷側だ。
女中すらつけず、誰一人、位の高いものはロイに近づかなかった。歓迎されていないのは想定の範囲だけれど、歓迎していないくせに再会を喜べと。そんな態度を示すとは思わなかった。
ロイは口元には穏やかな、いつもの笑みを浮かべ。穏やかならぬ波を立てる心中を自らなだめる。
悲しげに、それこそ芝居の役のようにブランシュが息をつき、
「そうね、貴方にはいつも、寂しい思いをさせていたから、それも仕方ないのかもしれません」と低くつぶやいた。
「お聞かせください、どうぞこちらへ。ベル、少し寒いから薪を足してくれないかな」
黙って一礼し、ベルトランシェが傍らにあった薪の山から数本、暖炉にくべる。
その動作を見つめながら、ロイはシャルルが普段眠るのに使っているソファーに母親を座らせた。その隣に腰を掛け、改めてブランシュを見つめた。身長の伸びた今は、見下ろしていると言っていいくらいだ。

「教えていただけますか。私が、ルイ八世の長子であるフィリップが。なぜ、死んだことになっているのかを」
冷静な口調で突き付けられたそれに、ブランシュのほうが動揺を隠せない。再会の嬉しさを飾った表情も今はない。
「わ、私は反対したのです。貴方は生まれながらに余命いくばくもないと言われ、常に病気がちでした。この王家を守るには、少し」
ブランシュはそこで、ロイの顔を見つめた。
「少し、弱すぎたのです。本当にすぐに、死んでしまうかと」
「ところが、私は想像以上に長く生きた。聖職者の道を選ぶにしろ、騎士の叙任を受けるにしろ、本来ならば五歳くらいから修練を積む。十歳にはそれなりの形を成していなければならない。王の子であれば、将来国王になるのであればなおさら」
そうでしょう、問いかける静かな口調に、ブランシュは何度も口を開きかけ、また閉ざした。まるで口にするのを恐れるように。
ロイが返事のない母親に、あきらめたのか続きを語る。
「けれど私にはそれができなかった。それでフィリップ王子は十歳を迎えることを許されなかった」
「わ、私には、どうしようもなかったのです、陛下とクリア・レギスで決められたこと、私にはなんの力もありません。どの子も、私の子供です。ルイもあなたも。他の兄弟たちも。皆を愛しています。王家を守るには諸侯を抑えるだけの力がなくてはならない、国王は強くなければならない」
「私は権力など望んだ覚えはありません。ひっそりと田舎で暮らすことで、たまにお手紙をいただくだけで十分満足していました。幸せでした。あなたたちはそれでも気に入らなかったのですね」
「それは誤解だわ、ロイ。陛下も苦渋の決断でした。仕方なかったのです。どうか、そんな冷たい目で見ないでちょうだい。私は、こんなことしかできないけれど、貴方の母親です。愛しているのよ」
抱きしめようとするブランシュを、ロイは避けようとした。反射的につかんだブランシュの手首。背後でベルトランシェがわずかに身じろぎする気配。
「ベル、何も乱暴なんかしない、大丈夫だよ。お母様の手が、こんなに細く小さいなんて思わなかった」
ロイはしばらく、ブランシュの両手首をつかんだまま見下ろしていたが。
小さなため息とともに手を放した。
「貴女はいつも、仕方ない、仕方ないとおっしゃった。本当はこうしたくない、そういいながら結局は父上やルイの言うなりです。本心から、私を大切に思い救いたいと願ったなら、どうして行動を成されないのですか。曖昧な態度で自分を正当化し、罪の意識から逃れようとでも?」
涙をこぼしていたブランシュの眼から、何かが消えた。
「罪、などと。確かにあなたにしてみれば私は罪を犯したかもしれない。けれど、お前も。期待にそえない、未熟な子として生まれたお前にも罪はあるでしょう!愛されないのもお前に原因があるわ!お前はいつも、そう。いつも可愛げがなかったわ。シャルルのように泣いてすがれば可愛いものを、拗ねて愛情などいらないかのような顔をする。それでいて、飢えた犬の子の様に私を見る。まだ、尾を振る犬の方が可愛いわ」
私とて人間です、すがって愛情を求め笑いかける子のほうが数倍可愛い。

ベルトランシェは美しい口から紡がれる針に似た言葉に、視線をそらした。上手く解けないために余計に絡まってしまった母子の気持ちが息苦しくさせる。ここにシャルルでもいれば二人の間に入っただろう。
幼いうちに引き離され病と闘ってきたロイに、それでも迷惑をかけまいと、甘えてはいけないと我慢してきたロイに。器用な愛情表現など求める方が無理だ。
そっと覗い見た少年は、口元に笑みをうかべた。
「私の心のうちには、貴方を慕う情があるかもしれません。けれど貴女の胸の中には、そのような気持ちがあるのですね。残念です」

ブランシュは頬を赤くした。ソファーに座り込んだまま、両手でショールの端を握り締めていた。
ロイは構わず、ベッドのわきにある棚から荷物の袋を取り出した。
側に寝転んでいた白イタチが、体を起こして人間たちの様子を見つめる。
ロイは荷物から丸められた書状を取り出し、二人の前に膝をついた。
あわてたベルトランシェが同じ高さにと拍車の音を立て床に膝をつく。ロイは首を横に振った。
「言いませんでしたか。私は、もともと、王権など必要としていません。すでに、フィリップ王子は亡くなっております」
ブランシュの瞳が、数回。また涙を含んで瞬いた。
「フィル……」
「今からは、私はノルフェノ。ヘンリー三世陛下の伝令として、摂政ブランシュ様に申し上げる」
ベルトランシェが職業柄の習慣で、姿勢を正した。
ロイの声は凛とし。夜風をも静まらせるような、迫力に満ちていた。

「ヘンリー三世陛下はノルマンディーに対して力をお持ちです。ルーアンを含む北部地域をイングランドに返還するならば、ルイ九世陛下に協力し、ともにブルターニュを討つと。書状にて提案されております。これは、国王陛下からの正式な書状です」
掲げた書状の封印は、イングランド王家の紋。
ブランシュは目を丸くした。
「そ、そのような……」
「どうか、クリア・レギスにて、お諮りいただきたい。私はヘンリー三世陛下の命を受け、ここまで来ました。期限はあと三日。お返事がなければ、イングランドは何もせず、ノルマンディーとブルターニュが共謀しパリに侵攻するのを静観します」

ロイは挑戦しようとしていた。
自らの、運命に。
これまで抗いようのなかったすべてに、今初めて爪を突き立て、歯をむき出して。
その姿はどこか人の心を震わせた。ロイは確実に、かつてベルトランシェが知っていた大人しい王子ではなくなっていた。
ほう、と。
ベルトランシェは穏やかなロイの表情に目を細め、獲物を眺める猫のように見詰めた。自然、指先が腰にある鞭を撫でている。
ロイは改めて言い直した。
「ブランシュ様、どうか、摂政としてのご判断を」
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『La croisade de l'ange 4:Paris』⑫

La croisade de l'ange Chapter 4 『Paris:天使の聖戦』

12

クリア・レギス。
かつてはフランク王国の建国に尽力した諸侯の集まりであった。諸侯は更なる権力を求め互いに牽制しあうようになった。それが国王に疎まれ、今はより国王に近い存在、宮廷に勤める側近や主要な王領を任されるバイイ、大司教座を収める司教らなどで構成される。
世界の中心をパリとして、彼らは王国の繁栄のため、知恵を絞る。

王宮の奥の間。
ベルトランシェの先導に従って、ロイは白い狐の毛皮を肩にかけ扉の前に立った。
重い木製の扉には、鈍く光る鉄鋲が打ち込まれている。両側を守る衛兵は国王付の近衛兵。白い羽根飾りを胸元につけた二人の近衛兵が槍を構える。
ベルトランシェは「後悔、なさっておられませんか」と、小さく囁いた。
ロイはその顔をじっと見つめ。それからいつもの笑みを浮かべた。
「言いたいことを、はっきり言うのは気持ちがいいですね。シャルルがいつも元気な理由が分かりました」
そうですか。ベルトランシェがまた、面白げに目を細める。美しい近衛騎士団長は傍らの少年に断崖に立つ子羊を思った。震えながらも、しっかりとそこにある。
衛兵がわずかに開いた扉の隙間から、顔をのぞかせたのはジャン・ド・ジョワンヴィルだった。
「ジャン」
ベルトランシェのつぶやきと同時に、ロイも小さく口を開いた。
ジャンは「少々お待ちください」と頭を下げ、いったん扉を閉じさせた。
「ジャンはシャンパーニュの伝令ではありませんでしたか?クリア・レギスの会場にいるとは?」
ロイの声にベルトランシェはため息とともに振り返る。
「セジュールが気に入って、陛下のお側に付けたのでございます。陛下もご友人として扱うようにと、近いところに置かれております。ブランシュ様も承認されておりますから、いずれ正式に陛下の側近となられるでしょう」
そう、と。ロイが応え。ベルトランシェは扉の音に姿勢を正した。
「こちらに、どうぞ」
立派な丈の長い衣装を身に着けたジャンは、小さくなったセジュールのようでベルトランシェはかすかに肩をすくめた。陛下の側近となれば、摂政の近衛騎士団長であるベルトランシェと同等。陛下も面倒なことをする、と。席上のルイの背後に控えるセジュールに視線を送った。

細長い机を囲み、一番奥の正面にルイ九世。その左右を五人ずつ位の高い順に並んでいる。ブランシュはルイの隣に腰かけていた。
一斉に見つめる議場の面々に、ロイはゆっくりと膝をついてみせた。
それを見て目をそらすもの、じっと睨むように見下ろすもの。様々だ。ベルトランシェも同様に膝をついて挨拶しながら、傍らの少年に課せられた重圧を思っていた。
凪いだ湖を思わせる瞳、優雅な仕草。存在感のある佇まいはそうそう身につくものではない。王家の人間としての威風がロイの華奢な体を大きく見せていた。

見定めるように、ルイ九世は黙ってロイを見つめる。
少し、長い沈黙。
じっと頭を垂れたままのロイ。
ベルトランシェが、まだだろうかと。わずかに視線を国王に向けたとき。
「ノルフェノと、申したな。ヘンリー三世よりの書状、確かに受け取った。顔をあげなさい」
ルイの左隣に席を置く、ランス大司教だった。
ロイはゆっくりと顔を上げる。
気の毒そうに見つめるランス大司教の姿にわずかに目を留め。それからまた、ロイは遠い正面の弟を見つめた。ルイは明るい金髪を短くし、赤い上衣に狐の毛皮をかけている。腰の剣が重そうに揺れた。十二歳のルイには少し。大仰とも思える服装だ。大人が強引に着せるはずもないから、自らそれが、王の威厳を顕すと好んだのだろう。
決して快活で明るいというわけではないが、穏やかな中に負けず嫌いの内面がのぞく。
ロイに新しい毛皮が用意されれば、ルイはそれよりさらに希少な珍しい衣装を望んだ。自分が狩ったのだと、鹿皮のベストを自慢することもあった。
決して、ロイには真似のできないことだった。
「ノルフェノ、ヘンリー三世がノルマンディーを扇動している、ということと受け取った。それは明らかに宣戦布告であるうえ、お前は我らフランク王国を裏切った。恥を知れと言っても無理かもしれないが」
ルイ九世の言葉に大司教があわてて立ち上がりかける。
すぐ隣に座るセネシャルが、代弁するように口を開いた。
「恐れながら、陛下。この書状からそこまでは」
幾人かが深くうなずいた。
「いや、いつぞやのシャンパーニュと同じ。協力してほしければ所領をよこせ、そういうことだろう?そして我らは今シャンパーニュと手を結んだ。それも最高の形で。ノルフェノは、知らないだろけれど」
昨日のことだ。ロイが知るはずはなかった。
「シャンパーニュ、が」
それは素直に驚きの声だった。
幾人かの憐みに満ちた視線が注がれる。
「遅かったのだよ、ヘンリー三世は。我らはシャンパーニュの助けを得て、ブルターニュなどいくらでも蹴散らすことができる。もちろんヘンリー三世が操るノルマンディー軍もね」
ゆっくり見回すルイ九世に全員が口を閉ざした。議場の皆の視線を受けてブランシュが口を開いた。
「陛下、確かに今ヘンリー三世の申し出を受ける必要はありません。けれど、宣戦布告と受けるのは過剰な反応というものです。ロイに対しても裏切ったなどと。ロイは仕方なく協力したのだと、私は思います」
「母上、そのものはロイではありません。忘れたのですか?ここで、このクリア・レギスの席上で報告を受け、全会で承認した。兄上は九歳で亡くなった。あるいはそこにいるのが亡霊というのなら。死者がいるべき場所に戻ってもらう」
議場の全員が凍りついたように、剣の鞘をなでるルイを見つめた。
ブランシュはただうつむいて唇をかんでいた。
「いや、そうだ。お前はヘンリー三世の伝令。我がフランク王国にいやらしくも触手を伸ばす輩。無事に帰す必要はない。そうだろう、ジャン。今や、シャンパーニュは我らの側にある。フランドルもだ。ロトロア伯の機転で背後の憂いはない。ヘンリー三世への返答として、伝令の生首を届けるというのも古風でいいではないか」
覚悟の上とはいえ。
ロイが牙を向ける相手は国王という毛皮を着込み、権力を牙として持つ獣。静かに山野に溶け込み隠れていた雪上の白い野兎には対抗手段などない。
「陛下、それこそイングランドを敵に回すことになります。あまりにも残酷でございます」
その場の全員を代弁したのは、ランス大司教だった。
「ロイ様、どうかお考え直しください!貴方様がこれまで通りこの王宮で静かに暮らしてくださるなら平穏に済まされましょう。イングランドに踊らされ、王族同士がいがみ合うなど、ヘンリー三世公の思う壺です」
ロイはゆっくり立ち上がった。
「それは違います。私が自ら志願したのです。ヘンリー三世陛下は私の命を助け家族として受け入れてくれた。側に置き役目を与えてくださった。それはこの国にはないものです。私はヘンリー三世陛下のもとに帰ります」

ルイが「捕えよ」と。言葉に出して命じても、衛兵はすぐには動けない。がちゃがちゃと重い金属音を響かせルイは高さのある椅子を降りた。剣を、歩きながらゆっくりと抜き放つ。
ふう、と息を吐き。立ち上がったベルトランシェがロイの肩に手を置き、「どうか、お許しを」と囁きその両手を封じた。
ロイを抑える騎士、そこに黄金の剣を突き付ける、若い王。昼に差し掛かる明るい陽射しが窓から斜めに差しこみ、教会の宗教画のようだ。どこか現実味を失い、皆の思考は麻痺しているかのように静まる。
ロイは表情を変えなかった。
ただ、じっと。自分より少し背の高いルイを見つめていた。
「どうか、国王陛下!」
響く声は、ジャンだった。ジャンは議場の面々に体ごと振り返り、声を張り上げる。
「ヘンリー三世公とノルマンディーを敵に回すのでしたら、ロイ様を人質として残す方が得策ではないでしょうか!単なる伝令ではないのです。ヘンリー三世公はロイ様のために陛下の戴冠式に来られました。ロイ様のために黒馬車を貸しています。どのように役立つかは分かりませんが、殺すのはいつでも出来ます。しばらく生かしておく方が、賢明かと思います」
止められない内に、諌められない間にとジャンは言葉を続けた。
「陛下。人も物も、ただ排除するのでは意味がありません。どう捨てるのかが意味を持ちます。今ひとつ再考をお願い申し上げます」
ふむ、と。ルイは首をかしげる。ジャンは、今最もルイが素直に耳を傾ける相手。それは議場の誰もが知っていた。
「そうだな、お前はいつもよくものを考えているな。みすぼらしく牢獄につなぐのも、いいかもしれない」
小さく呟くと、ルイ九世は子供らしい笑みを浮かべた。
「分かった。ジャン。ヘンリー三世の軍はどちらにしてもパリに向かっているのだろう。今はそちらに目を向けるべきだな。ベル、それは地下にでも。いいか、間違っても天蓋付のベッドなど与えてはダメだよ。甲斐甲斐しく付き添う女性もだ。シャルルは、そうだね。私の世話をさせる。面白いし」
ぐ、とロイの肩に力がこもるのをベルトランシェは押さえつけた。
その様子がますますルイを喜ばせる。それが分かるから、口をつぐんだままロイは無理矢理静かに息を吐き出した。

『La croisade de l'ange 4:Paris』⑬

La croisade de l'ange Chapter 4 『Paris:天使の聖戦』

13

こんな格好でロイには会えないよ、こんな女みたいな。
あれは、いつの記憶だろう。初めてのスカートが気持ち悪くて、修道院を飛び出した。ロイが、水車小屋に。
シャルルは目を開けた。
聞きなれた少年の声に、かつてのロイを重ねた。
違うと心のどこかで分かっているけれど、気持ちが弾むのは仕方がない。
はうと息を一つ吐き捨てて、シャルルは目を開けた。
目の前には。
分かっていた。ジャンがこちらをのぞき込んでいた。
くるりと賢そうな瞳で、笑う。

「おはようございます、シャルル」
返事の代わりにシャルルは口を尖らせた。
「いくら元気な君でも、さすがに応えたみたいですね。もしかして、ロイ様の前でずっと我慢していたんですか」
何をだ。眉間のしわまで追加したところで、シャルルはぐんと起き上がった。
「あれ、大丈夫ですか。体調が悪いことを誰かに訴えるとか、相談するとかそういう思考がないんですね、君は。だからいつも目いっぱい我慢して倒れるんです」
首をかしげ、でも真剣にこちらを見つめる少年。その瞳が何かもの言いたげなのを感じて、シャルルはじろりとそれを睨み返した。それでもジャンは困ったように笑う。なにか後ろめたいことがあるのだ。
瞬時にそう感じ取り、シャルルは髪をかきあげてさらに睨みつけた。
「ジャン、僕らは親友だよな」
シャルルの一撃にジャンはあっさり降参する。
「すみません。僕、あの」
「ジャンはルイ九世のお気に入りで、この戦争が終われば正式にセネシャルの見習いとして陛下の側に置かれるそうだ」
代わりに説明したのはロトロアだ。はい、と弟分ジャンは兄貴分ロトロアに呼応して見せる。
「で、それじゃないだろ。何か僕に言わなきゃならないことがある、だろ」
シャルルが腕を組んで睨めば、ジャンは縮こまって溜息を吐く。
「そこは自分で言えよ。俺はその場にはいなかったしな」と、ロトロアが突き放し。
「あの。ええとロイ様はクリア・レギスで、ヘンリー三世陛下の伝令を果たして、今。その、地下牢に」
ジャンは結果だけをとにかく口にした。
「ち、地下牢だって!?」
シャルルは弾けるように立ち上がる。その伸ばした手の先はイタチ剣で。寸前でロトロアが腕をつかんだ。
「まて、どうするつもりだ、お前。理由も聞かず走っても意味はないぞ」
シャルルは全身で振り切り左手で剣をつかむと、怒鳴った。
「理由なんか要らない!地下牢がどんなところか、僕は知ってる!ロイが、そんなところにロイがいるなんてダメだよ!死んじゃう!」
助け出す!
ロトロアのわき腹にくるりと回し蹴りを放ち、慌ててよけるのを尻目に、シャルルは剣を抱えて飛び出した。
服装はあのドレスのまま。

廊下を走り抜けるシャルル。
後ろにロトロアとジャンがついてくる。
「待て、シャルル、馬鹿が!」
「あ、待ってください!!ロトロア様」
ジャンが懸命に追う。ロトロアはもちろん速いが、それに追いつかせないシャルルもすごい。ドレスの裾をまくったまま走るシャルルの後ろ姿は、時折目をそらしたくなるほどジャンの心をくすぐった。一人遅れ気味のジャンが二人に追いついたときには、シャルルは道を間違えたのか食糧庫の前の行き止まりで立ち往生。
「落ちつけ、シャルル」
獅子の子を追い詰めたロトロアは、なだめすかすように両手をあげた。
「地下牢はどこだよ!ロイは、病気なんだぞ」
咳き込む姿を思い浮かべ、シャルルは何度も瞬きする。
「教えて欲しければまず、部屋にもどれ」
「嫌だ!いやだよ!」
切なげなシャルルの声に、ジャンはぎゅ、と拳を握り締めた。シャルルは剣を抜いている。
あのパリの警備線で見た、寄り添うシャルルとロイ。ジャンの中に、二人は愛し合っているのだと印象付けた。

「なあ、シャルル、お前俺に剣を向けるのか?」
「なんで、ロイを護ってくれなかったんだよ!ヘンリー三世陛下に頼まれただろ!」
ロトロアは肩をすくめた。
「ヘンリー三世が俺にくれたのは馬車一つだ。ルイはランをくれたぜ」
そういう問題なのか。あきれて開いた口から言葉が浮かばないシャルル。その間を補うように。鈍い音と供にロトロアが倒れた。
「ジャン!?」
その向こうに鞘ごと剣を振り下ろしたジャンが。強張った表情で立っていた。
「お前、なんで!?」
「し、シャルル、いいからロイ様と一緒に逃げてください。陛下はロイを殺すつもりです。ずっと前から、ロイを憎んでいて」
シャルルの表情が引き締まった。
「知ってるよ。ジャン、ロイはルイに毒殺されかかったんだ。お前がくれた薬草をすり替えて」
「ええ!?」
「だから、だから。ロイのそばを離れたくないんだ!地下牢の場所を教えろ!」
「この先の突当たりを右に行くと階段があって、下りれば北西を担う塔の足元です。その下に地下牢があります。宮廷内の警備は厳しくないけど、代わりに城の周囲で軍隊を編制しています。ノルマンディー軍がパリ郊外の警備線に到着して国王軍とにらみ合っているという話です」
そこで少年は、いったん言葉を区切った。
ふと、小さく息を吐いて、「シャルル、お別れです。ここから先、僕は何もしてあげられません。だから、どうか、無事で」
「ジャンは。どうするんだ。逃がしたのがばれたら困らないか?」
シャルルに殴られたことにしますし、とジャンは笑った。
「僕はルイ九世陛下にお仕えします」
しばらく、間があった。シャルルが、今のジャンに言える言葉は少ない。
「わがままで、残酷だ」
「ええ。でも、お側にいて国が動くさまを見てしまったんです。一声ですべてが動き出す。国を治めるという意味を感じてしまったんです。それは、なんていうか。感動なんです。僕はルイ様のお側にいて、政に力を貸したいんです。もっといい国に、もっと皆が豊かになれるように」
「ルイの暴走を、止めるとか?」
「まあ、そういうことも。あるかもしれません」
ジャンはくりくりと目を輝かせていた。
いつか立派なセネシャルにと、頑張ってきたジャン。シャルルとは選ぶ道が、見ている視点が違うのだ。シャルルには目の前の一人が大切だけれど、ジャンは将来の国が大事なのだ。わずかに、別れも合わせて寂しさが生まれる。

親友は僕とは違う道を行く。

「じゃあ、だとしたらさ。ジャン、お前はこの国に必要な人間だな。僕はごめんだからさ。国なんかどうでもいいんだ。ロイを助ける」
「ええ。君らしいです。気をつけて」
「ああ。なんていうかさ。ジャン。お前に出会えて、よかったよ。いずれお前が活躍する噂が聞けるのを、楽しみにしてる」
ジャンのくるりとした大きな目が二度、瞬きした。穏やかな笑顔で、大人のふりをし続けて、いつかジャンは本物の大人になるんだろう。
「さようなら、シャルル」
シャルルはふわりと駆け出し、ジャンの脇をすり抜けた。その風、ランプに透けた金の髪、獅子の子のような身軽な姿。
ジャンは、廊下の先の階段に消えるシャルルを見送った。
そのすぐ後を追うように、白い獣が走っていくのを見つけ。ジャンは「頼むよ、クウ・クル」とつぶやいた。



地下。
じめじめする、あの独特な湿った空気。嫌なことを思い出しながら、シャルルは階段をゆっくり降りていった。削ったままの岩肌が残る壁、足元はかろうじて調えたと分かる程度の石段になっている。
それも、ところどころ壁から染み出る地下水でぬれていた。
セーヌ川が近いから、それかもしれない。シャルルはそんなことを考えながら、剣を腰に結わえ、ケープの下に隠した。牢の入り口には、きっと衛兵が立っている。

想像通り、二人の衛兵が長槍を片手にじっとしていた。扉は鉄格子になっている。その奥にまだ通路が続いているようで、ロイの姿を見つけることは出来ない。
壁にともされた松明の油の匂いが、かすかに届く。

衛兵二人はすでにシャルルの存在に気付いているようだが、なぜか槍を構えることもせず、じっと見ている。
なんだろう。
また一歩階段を降りようと無意識に歩を進め。シャルルは見事にドレスの裾を踏み付けた。
「わ!?」
すてん、と転ぶ。
さっきから気をつけながら下りてきたのに、衛兵が気になって失敗した。
「ああ、もう」
石段を二つほど滑り落ちた尻が、鈍く痛んだ。
足元をからかうようにぐるりと回るイタチを睨む。
「おい、大丈夫か、お前」
座り込んだまま見上げれば、衛兵の一人が笑いながらシャルルに手を差し出していた。

「何か用事か?女中がこんなところまで降りてくるなんて怖かっただろう」
優しげに笑う髭の男は、シャルルを助け起した。
ああ、そうか。この格好だから警戒されてない。
「す、すみません。ありがとうございます。あの、お気の毒です。こんなに優しい方たちなのに」
「え?」
髭の男は驚いて首をかしげた。
「よくない流行り病が宮廷内で見つかったんです。原因が今ここにいる囚人らしいというので。清めるために大聖堂から司祭様たちが来られます。お二人は多分病にかかっていると思いますので、そのまま大聖堂の中の施療院に引き取られるということで」
「お、俺たちが!?」
シャルルは神妙に頷いて見せた。
「身分の高い方々は、近寄れませんので私がお伝えに参りました。ここで私が司祭様たちをお出迎えします。あなた方は出来るだけ早く、大聖堂へ。途中誰かに声をかけられても、近づいてはダメですよ、あなた方のせいで誰かが死んでしまうかもしれないのだから。死に至る病ですが、あなた方も急げば間に合うかもしれません」
「ま、間に合うって、おい?間に合わなかったら、なんだよ」
シャルルはケープの裾に顔をうずめてみせる。
「それはそれは、ひどい亡くなり方だそうです。とても、私の口からは」
「そういえば、あの囚人、咳ばっかりしてなかったか」
「そうだ、してたぜ。おい、行くぞ!大聖堂で薬を貰うんだ」
お前、これが扉の鍵だ。
そういって髭の衛兵が、鍵束を投げてよこした。
二人は慌てふためいて階段を昇っていく。

「ばーか」
小さく呟いて、シャルルは扉を開ける。
ドレスも役に立つ。大体、男は女には気を抜く習性があるんだな。女をいつも馬鹿にしているからだ。
ふとアンの姿を浮かべた。施療院で病人の世話をするのは、シャルルたち孤児と身分の低い僧侶だけだ。結局、どんな教えを説いたとしても司祭たちだって死ぬのが怖いんだ。
なんだか腹立たしくなって、シャルルは手にした鍵束をジャラジャラと振り回しながら進んだ。低い天井、それに押しつぶされたみたいな空気。
「ロイ」
壁にあった松明を器ごと手に取るとランプ代わりにさらに進む。
足元を白い何かが走って、思わず声を上げかけた。
「なんだ、クウ・クルか。おいで、お前臭くなっちゃうぞ」
差し出された手に、イタチは飛び掛るようにしてよじ登る。
ケープの襟元に入り込んで落ち着くと、シャルルは耳元に温もりを感じながらさらに歩いていく。左右に鉄格子のはまった場所が並んでいるのに、人の気配はない。
と、耳元でクル・クルがもぞもぞと身じろぎした。
「え?」
襟から顔を出して、一点を見つめる。
その先にある牢に、シャルルは駆け寄った。
冷たい鉄格子。小さく咳き込む気配。暗がりに何も見えないから、松明を掲げてみる。
「ロイ?」
そっと囁く。何となく小声なのは。間違ったら、暗がりから恐ろしいものが飛び出してきそうな気がしたから。
咳の気配が途絶え、それから歩く靴音。暗がりの牢から近づいて、シャルルの照らした明かりの輪の中に、靴が、服が、そして。ロイが青い顔をして目の前に立った。
「どうして、ここに」
はあ、と。大げさにため息をつきながらシャルルは鍵からそれらしいのを探して、扉を開ける。
「いつも、どうして、から始まるよね。たまには有難うから始まんないかな」
「え、あ」
シャルルの言葉に、ロイは珍しく頬を赤くした。
「ほら、出て。一緒に逃げよう」
開いた扉から先に、シャルルは手を差し伸べる。一瞬延びたロイの手は、つなぐ寸前で躊躇した。
「何してるんだよ。行くよ!」
強引にそれを掴むと、ぐんと引っ張った。
「ま、待って、シャルル。君はもう私とは関係ないんだ、こんなところに来ちゃいけない」
「そういうの、まだ言うのか」
「ずっと側にはいられないって、言ったはずだよ」
「そうかもしれないけど、それは今じゃないよ」
「今だよ」
「どうして!助けに来たんだ!このままじゃ、殺されちゃうぞ」
「分かってる」
「じゃあ、来いよ!」
今のシャルルに遠慮なんかない。このまま逃げれば、きっとロトロアもジャンも、ブランシュ様も裏切ることになる。それでも助けたい。
「だめだよ。いいんだよ、ここで死んでも。ヘンリー三世陛下のお役に立てて、死ねるなら。意味があったと思える」
そういってまた、咳き込む。
掴んだ手がひどく冷たい。シャルルは強引に引っ張り出そうとするけれど、ロイは頑固に動こうとしない。
「僕は!そのヘンリー三世陛下にロイを護るように頼まれてるんだ!だから、一緒に逃げよう」
「ここでいい。私がここで死ねば、ヘンリー三世陛下は開戦の大義名分を得られる」
「だから!そんな犠牲、欲しくないってば!」
「シャルルには分からないよ!いいんだ、もう。だから。君は、ロトロアの側にいればいい。きっと、あの男なら君を幸せに出来る」

「馬鹿!僕は、ロイの側にいたいって言ってるんだ!ロイだって、僕がロンロンと一緒にいるのは嫌だって言っただろ!拗ねてないで、出て来いってば!」
シャルルは牢の中に入り込み、ロイの背中を押して外に出そうとした。
嫌がるロイと押し合いになって、足を滑らせバランスを崩す。
「わ」
ロイがよろめいて鉄格子に肩をぶつけた。そのまま、座り込んだ。石を並べただけの足元は、予想していたよりは乾燥していた。ざらざらとした感触にロイは手を二回叩いて汚れらしきを払った。
「わ、ごめん!大丈夫?痛くない?」
覗き込むシャルル。ロイは顔をそらそうとした。扉の前に置いた松明の明かりで、ロイの頬が白く光った。
「ロイ、泣いてるの?」
鉄格子に背中を預けたまま、ロイは座り込んだ。シャルルは抱きしめるように側にいる。
背けた頬、煤で少し汚れているから、余計に涙の跡が分かる。
「見ないで、ほしいよ。シャルル」
「ロイ」
「どこかで、期待していた自分がいた。お母様に、会えたら。無理だと分かっていても、もしかしたら。私の人生が。おかしくなってしまった人生が、元に戻るのかもしれないと。でも」
ロイはうつむいて、唇をかみ締めていた。シャルルもその側に膝をついた。
「もう、戻れるはずはないのに。素直になれない自分が嫌いだったり、お母様の言うとおり卑屈な性格でなかったら愛されていたかもしれないと後悔したり。真っ直ぐな君が羨ましい。私は、情けない人間だ」
「ロイ」
シャルルは目の前のうなだれる頭をギュと抱きしめた。
「ブランシュ様と、会ったんだ?」
こくんと、腕の中でロイが頷いた。
「優しく、してくれなかった?」
そんなことはない、と。首を横に振る。
「ちゃんと、理由を話してくれた?」
肯定を表すロイを、シャルルはさらにぎゅっと抱きしめなおした。
「でも、変えられなかった?」
ロイの返事は抱きしめ返す腕に込められる。
「お母様が、小さく見えたんだ。だから、助けて欲しいなんて言えなかった。あの人は最初から、何の力もない。何とか出来るなら、二年前シャンパーニュ伯に頼んで誘拐などさせない。ううん。最初から父上やクリア・レギスの決定を許さなかった。もし、彼女に力があったなら」
シャルルは黙って聞いていた。
「だから。縁を、切ろうと思った」
「それで、素直じゃないことを言った?」
こくんと頷くから。シャルルはその髪をくしゃとかき混ぜた。
「どうして、お母様は。私を救えないと分かっているのに、あんなふうに笑いかけて、愛しているって言えるのだろう」
「ロイは、言わなかったのか?」
「言ってはいけないと思う」
言ったら。ロイがブランシュに甘えて、お母さん何とかして、と。愛してると言ってしまったら。どうなったんだろう。
シャルルは泣いているブランシュを思い出した。
そう、きっと。ただ泣くだけなんだ。自分の無力をひたすら責めて。ロイの現実は何も変わらない。それが分かるから、ロイは自分からノルフェノで通そうとした。
「ロイは、優しいね。ほんとはお母さんのこと、大好きなんだろ」
ロイの肩が震えた。
シャルルの声も、いつの間にか涙声だ。
「ブランシュ様は、きっと。いつでも愛しているって、言うよ。だってさ、お母さんだから。ロイが、お母さんのこと大好きなように、あの人もロイのこと好きなんだ」
「それでも。側にいられない」
「うん。だから、ロイ。一緒にヘンリー三世のところに、行こう。そうだ、僕がロイの家族になってあげる!僕、家族って欲しかったんだ」
「シャルル、それは」
「なんだよ、おかしいかな?」
「結婚、して欲しいってこと?」
「え!?」

しばらく見詰め合った。
「ち、違う、けどっ、その、その」
「私には、ヘンリー三世陛下がお世話してくださった、婚約者がいるよ。それに。分かっていると思うけれど。多分、あまり長くは生きられない」
婚約者。その言葉はぎゅ、とシャルルの胸を押しつぶそうとする。でも。
「それでも!側にいたい、って。ダメかな。ねえ、ロイ」
だめかな。
うつむいたシャルルはぽたりと落ちる涙が、その瞬間だけ明かりに煌くのを見つめていた。涙でぼやける視界をぬぐった。
分かってる、身分が違う。結婚なんかできない。それでも、僕は。
「いいんだ、ロイが幸せならさ。僕を近衛騎士にしてくれよ!そうして、ずっと護ってやるんだ。ロイ、お願いだよ」
「それでシャルルは、幸せなの?それでいいのかい?」
「いいよ!自分が何のために生まれたかは、僕もよくわかんないけどさ。何のために生きるのかはよく知ってる。僕は、ロイのために生きたい」
「君がつらかったり傷ついたりするのは嫌なんだ。君が」
好きだから、と。ロイの小さな声が聞こえた。その時にはもう、ぎゅ、と抱きしめられていた。
「僕も大好きだよ、ずっと」
冷え切っていると思っていたロイの体が、こんなに温かい。
「ロイは温かいね」
「君がだよ」
顔を上げれば、目の前にロイの瞳。睫にはまだ涙が残っている。
「シャルル、本当にいいの?何もかもを、私以外のなにもかもを失うかもしれない」
シャルルはこくんと頷いた。

もともと、僕は何も持っていない。
ロイを探して、ロイを守って。生きていく、その目的以外には。

頬を包まれて、見上げたまま。シャルルはそれと気付いて眼を閉じる。
ロイの唇が、そっとシャルルに触れた。
キスは、これまでのどれとも違っていた。こんなにも胸が躍っているのに。頬が熱いのに。どの瞬間も逃さないように気持ちのすべてがロイに集中する。
髪を撫でられると心地よくて、シャルルはくふ、と喉の奥で鳴き声を上げる。
始まりと同じ優しさでそっと離れるとロイは静かに息をする。
「なんだか契約みたいだ」
シャルルがそう呟くと、ロイの瞳が細くなって、笑った。
「シャルル、君に会えてよかった」
「うん。側にいる、ロイを護る。クウが証人だよ」
「ありがとう」
後は。
そう、逃げるだけだ。

『La croisade de l'ange 4:Paris』⑭

La croisade de l'ange Chapter 4 『Paris:天使の聖戦』

14

ふわりと頬に触れる温かい風に、リシャールは眉をしかめた。
昼を一時間ほど過ぎたところで空には灰色の形もわからないような雲が広がっていた。
風向きが変わったから、天候が崩れる。
ロトロアは何もなければ、新たな領地ランに向かう。リシャールはそのために一人馬の準備をしていた。
ルイ九世は軍隊を中庭に集め、出陣の式典を行っている。
おかげで厩はがらんとし、馬番の姿もなかった。
国王の依頼があれば、今のロトロアには断ることは出来ない。ベルトランシェの様子からも、ノルマンディーの動向を知らせ、地形にも敵にも詳しいと期待されているのが分かった。
鞍を据えていたブロンノが、ふん、と鼻を鳴らしリシャールのわき腹に擦り付けた。
「大丈夫ですか、お前の主人は」
リシャールは時折脇腹を押さえるロトロアが気に懸かっていた。
尋ねても笑ってごまかす。いつもの軽口で。
せめて、戦闘に駆り出されない内にここを出ようと、リシャールは作業に集中する。


と、ふと視界を横切った影に気付き、顔を上げた。
二人の女中が、礼拝にでも向かうのか白いベールを頭からかぶり、厩の入り口付近に止まっていた馬車に近づいた。
「女中?いや、大聖堂の下働きか?」
リシャールはそのうちの一人がちらりと美しい横顔を見せたので、習慣でつい見つめている。
また、こちらをちらり。女は慌てて顔をうつむかせる。
照れているのか、と。そう、リシャールの思考はそうなる。

「ご婦人方」
声をかけようと、一歩踏み出したとき。
二人の足元を白い獣が走って戯れた。
見覚えのある白イタチ。

「シャルル!?」

リシャールが目に留めた女性を背後から守るように立つ女。
その背格好は覚えがある。
「シャルルではありませんか、こんなところで何をしているんです。体調はもういいのですか?ロトロア様が心配していらしたんですよ、ちゃんとお礼をしたでしょうね?」

シャルルだと、決めたそれがリシャールの正面に立った。
勢いよく白いベールを取ると、「リシャール!いつもそればっかりだな!ロンロンにはちゃんと言ってきたよ」
何をだ、と内心自分に問いながら、シャルルは背後で黒馬車に乗り込むロイを確認する。
馬車は目立つが、食料や水のことも、ロイの体調のことも考えれば馬車がほしい。

「どうしたんです、その恰好は?さすがの貴女も改心したのですか」
「改心って程じゃないけどさ。女中の支度部屋にいったら、いろいろあってさ。ちょっと面白かったから、借りてみたんだ。お礼にこの人の護衛について、ちょっとランスまで行ってくるんだ」
「ランス?」
「そう、僕ランスには詳しいからさ。ここからなら日が暮れる前に着くよ」
「向こうに泊まってくるんですか」
「うん。お使いだからさ、明日には帰るよ。リシャールは?何してるの」
「いつでもランに旅立てるように、準備ですよ。ここには従者も下男もいませんから。自分でやるしかありませんし」
ちらりとシャルルを見つめるから、「そ、じゃあ。頑張ってね!ロンロンには自由にしていていいって言われてるし。僕は僕のことやるんだ」
と、妙な用事を言い渡されない内に自分の作業に戻る。
御者台に登る前に、馬車の中を覗き込んだ。
ロイがこちらを心配そうに見つめているから、シャルルはにっこりと手を振って見せた。
さあ、出発、と。振り返ると目の前にリシャール。
シャルルと同じように馬車をのぞいていた。
「わ!?なんだよ、びっくりした!」
「いえ、そのご婦人」
「なんだよ」
リシャールは無遠慮にじろじろと見つめる。
「いやらしい目で見るな!」と慌ててシャルルは引き離そうとする。
「熱い視線といってほしいですね。美しい方ですね、あとで紹介してくださいね」
「あ、そう」
そうか、リシャールは今のロイと面会したことがないんだった。
あきれたふりをして安堵をごまかしつつ。シャルルは御者台に登った。
馬を歩かせれば、リシャールが無邪気に馬車の貴婦人、ロイに手を振った。


中庭は封鎖されている。
シャルルは城壁に沿った道をぐるぐると大きく回って城門の前までたどり着く。
城門は正面には三つ。中央が最も大きく広く、その左右は比較的小さい。軍隊のために中央の門の周辺には見送りの兵が詰めかけている。
並ぶ兵たちの背中を見ながら、シャルルは通用口のようになっている小さいほうの門に向かった。
門の前では商人らしいロバに荷を積んだ男が、ちょうど今、門番の質問に答え通してもらったところだった。
シャルルは胸を張って、ゆっくりと門番が止まれと言うまで馬車を進めた。
「お使いか」
シャルルの服装が宮廷内の女中と同じだからどうしてもそう思うらしい。
期待に応えて「はい、ブランシュ様のお使いで、ランスへ参ります」と。猫なで声で答えてみせる。
ふうん、と。門番はじろじろとシャルルを見つめ、それから槍を持ち上げる。
思わず反射的に受け止めたそれは。どうやら胸元を狙ったいたずらのようで、男は「なんだお高いな」と下卑た笑いをもらした。
「お前、名は?戻ったら兵舎に来いよ」
「シャルルです。もう、通ってよろしいですか?」
「シャルル、な。生意気な名前だな。楽しみにしてるぜ」
くそー。
すねた顔を隠せずに、シャルルはとにかく門をくぐる。


城門の向こうはちょうど大聖堂。工事中だけど大勢が参拝に来る。創りかけの圧倒的な大きさの塔をシャルルは見上げる。空全体を覆う雲の天井は、少し低くなったようで、出来上がった塔がそれを突き破る姿を想像した。
まあ、あと百年はかかるだろう。
気の長い話だ。
僕らは今、この瞬間で精一杯なのに。そんな遠い未来を思う人間がいるなんて不思議だ。
感慨を少し尖らせた口に表し、シャルルは大聖堂と宮殿の間の道をミルブレー橋に向かう。
ロンフォルトがふんと鼻を鳴らしたのと。
ちょうど街道の脇を二人の男が走り抜けるのとすれ違う。
「わ」
あの牢番の二人だ。
二人は青い顔をして、宮殿へと走っていく。
ばれるのは時間の問題だ。
馬車は目立つ、急がないと。
「ごめん、ロンフォルト」
シャルルは馬に鞭を入れた。


中庭を見下ろすバルコニーで、ルイ九世がちょうど姿を現した。
すでに集まった兵たちはぎっしりと物々しい姿でその場を埋め尽くしている。どよめく低い声は港町で聞く海鳴りのようでもあり、そう思うと兵たちの兜一つ一つが波のように揺れている気がしてきた。見ているうちに気分が悪くなりジャンは、青ざめた顔で一歩下がる。
「どうした」
ルイに問われ、ジャンは「いえ、高いところが苦手です。少し、目が回りました」と笑った。ふ、とルイが大人びた笑みを浮かべ、「ワインでも飲め」と冗談とも嘲笑ともつかないことを言って少し笑った。
その低く抑えた口調はすでに、ルイが戦場にいるかのような迫力を見せ。ジャンは心のどこかで怯えた。シャルルたちが逃げたことを隠している罪悪感も入り混じって、ジャンは一人、内心の緊張を押し隠していた。
「すみません。あ」
ふと、視界の中の兵たちの海に、違う流れが通り抜けた。
その視線を追ってルイもそれを見下ろした。
「あれは?衛兵が二人、走ってきますね。馬鹿ですね、軍の隊列を横切ろうとしている」
側にいたベルトランシェが目を細め。片手を上げる。背後に控えていた一人の近衛兵が姿勢をただし、すぐに駆け出して行った。
何事が起ったのかを、ルイもベルトランシェも。ほどなく知ることとなる。


作業を終えたリシャールは中庭のうっとうしい軍隊のざわめきに、意識的に耳をふさぎながらロトロアの部屋へと向かった。歩きながら、考える。もちろん、女性についてだ。シャルルがドレスを着るなど、まあ。ロイの効果だとしても、ロトロア様にとって悪いことではないだろう。いつの間にか青年の口元は緩む。
ロイは捕らわれていると聞くし、あくまでもシャルルはロトロアの側近。臣従礼を結び側にいるからにはあれはロトロア様のものだ。性格はあれだが、女であることに代わりはない。ロトロア様ならお好きになさるだろう。
それにしても、あの一緒にいた女性は美しかった。
ちらと見ただけだが、淡い青の瞳に白い肌。少し茶色の勝った金の髪。細身で小柄だが凛とした様子からいずれ身分の高いお方に違いない。まだ十代、これからが楽しみだ。
素晴らしい発見をした嬉しさにリシャールはいつも以上に華やかな笑みを浮かべ、すれ違う女中たちを振り向かせていた。
部屋の扉が開いたままなのを気にも留めず、リシャールは軽やかな足取り。
「ロトロア様、準備が整いましたよ」と。心なしか声も高い。

が。その笑みは一変する。
近衛兵二人がこちらに背を向けて立っている。その腰には剣。
物々しい彼らが相対しているロトロアは、頭に包帯を巻いている。
「!?ロトロア様。これは」
リシャールはまっすぐ衛兵の脇を過ぎ、主君に駆け寄る。
ロトロアは剣を腰に括る。手足には軽微な皮の籠手や膝当て。戦闘の支度だ。
「ああ、リシャール。シャルルがやってくれたぜ。ロイを牢から連れ出して逃走中だ」
「シャルル、が!?」
ではあの、貴婦人は……。
そういえばロイは子どもの頃、女装してランスから逃げ出したと聞いた。未だ手口の成長していないことに飽きれる前に、同じ手口に引っかかった自分を思えば。見聞きした事実を口に出すのははばかられた。
何しろ、リシャールは女装のロイに対して様々な想像を楽しんでいたのだ、つい先ほどまで!
「我がセネシャルの裏切りなのでな。俺たちにその処分を命じられた。ま、ルイ九世陛下のご心情もよくわかる。でな、リシャール。すぐに出発だぜ」
「あ、はい、馬の準備はできております」
リシャールは顔を赤くしたり青くしたり。それを宥めるようにロトロアは穏やかに笑い、リシャールの肩をたたいた。
「リシャール、これが終わればランに。帰れるぜ」
ランに、帰る。
ランに。それを強調したロトロアの気持ちが、リシャールにも伝わる。
そう、ランは今やロトロアの領地。ロトロアの両親が亡くなった時からずっと願っていた。真の故郷に帰ることができる。
まともな思考に戻ると同時に、リシャールの中の怒りは深く静かに熱を帯びた。シャルルは裏切ったのだ。かねてから言い渡してある。ロトロアを裏切れば、死だ。
「では、失敗できませんね。シャルルの件で国王陛下に借りを作っては、今後の憂いとなりましょう。この際、ロトロア様。シャルルには痛い目を見てもらいます、場合によっては命を奪うことになるかもしれませんが。かまいませんか」
「ああ。あいつも覚悟の上だろうぜ。ハムのように刻む、のが得意なのはあいつか」
「はい」
二人の会話を複雑な顔で見守っていた近衛兵が口を開いた。
「陛下は歩兵なり騎士なり、好きなものを使えとおっしゃっております。ご希望の隊を編成いたします」
「ああ、わかった。あいつらが向かう先は分かっている。今すぐ早馬を出して、前線に連絡を。街道を封鎖し、見つけたら捕獲しろとな」
シャルルたちの目的はル・アーブル。ひいては海の向こうの、イングランドだ。


***


「よくも、まあ」と。あきれた声を出したのは、ロトロアだ。
シャルルを追うのに五騎の騎士が必要だとロトロアが申し出て、選別をベルトランシェに任せたところ。まさか当の本人がくっついてくるとは思っていなかったからだ。
脚の速い馬を手配し、従者もつけない。身軽に動けることを最優先に装備を軽くした。この戦時に隊列を割く余裕はない。
しかし、だからと言って。
「近衛騎士団長自らがお出ましというのも、まあ、シャルルは喜ばないだろうが」
ロトロアのはっきりした口調に、美しい騎士団長は風に髪をなびかせ、笑う。
「戦時ほど、近衛騎士団が不用となることもないのですよ。何しろ、我らがいなくとも陛下の周囲には多くの兵がいることになる。それに、ロイ様のことは。下々の者には伏せてあります。近衛騎士団の精鋭を率いるのですよ、光栄に思いなさい」
「まあ、華やかなことは申し分ないが」
ロトロアは近衛騎士団のマントについている白い羽飾り、肩を飾る金の飾り紐なんかを順に眺めた。
もちろん、ベルトランシェの容姿自体、華やかだ。
「光栄に思いなさいといっているでしょう?シャルルがシャルルなら、お前もお前ですね、ロトロア。陛下はこの件で失敗したなら、お前の特権のいくつかを剥奪なさいますよ」
「雇われ代官はつらい立場ですな。雇われ騎士と同様に」
それは近衛騎士団のことを言っているのですか、とベルトランシェが睨みつけ。
二人の牽制は、徐々に程度を下げていく。

リシャールと二人の近衛騎士がかわるがわる先頭に並ぶ二人を見つめ。ふと視線が合うと、困ったように肩をすくめる。
リシャールのすぐ隣に馬を駆る黒髪の日に焼けた青年が「貴方も大変ですね。気概のありすぎる主君というのは」と白い歯を見せた。リシャールは「ええ、まあ。飽きることはありませんよ、貴方もそうでしょう?」と応える。
「はい。機嫌の悪い時には、手がつけられませんが。それでいて後で妙に大人しくなって、あれでも反省なさるんだと、まあ。悪戯ボウズみたいなものです」
ベルトランシェよりは、年上だろう。近衛騎士団長を悪戯ボウズとは。
リシャールの表情を読み取ったのか、黒髪の青年は魅力的な笑みを浮かべて笑った。
「隊長が、実は一番年下なんですよ、近衛騎士団の中で。それで、まあ。尊敬申し上げつつ、皆可愛くて仕方ないというか」
我慢できずリシャールは噴出す。
「様々、忠誠の仕方はありますから。それを思えば我がロトロア様は、気さくな様子でいて実はかなり怖い方ですから。我らセネシャルはどこか畏怖を禁じえない」
「なるほど、切れ者と噂されるのはそういうところにありますか。私はスタラスです。こっちはユーリー。短い作戦ですが、宜しく」
リシャールはこの青年に好感を持った。さすが、近衛騎士団ともなると礼儀も正しく見識も高い。その上、面白みがある。
「私は」
「リシャール様、でしょう。お噂は聞いておりますよ」
「様は、いりませんよ。こちらこそ、宜しく」
率いる二人が犬猿の仲らしき事を除けば。まさしく精鋭、といった五人だ。
パリを真っ直ぐ北に、ノルマンディーに向かっていた。
ロイのためかシャルルは馬車で逃げた。馬車が走れる道というのは街道の他にはない。馬であれば山野に潜む方法もあるだろうが。
その推理の通り。シャルルたちは正直に、街道を真っ直ぐ北に向かっていた。

『La croisade de l'ange 4:Paris』⑮

La croisade de l'ange Chapter 4 『Paris:天使の聖戦』

15

追われる二人は普段の服装に着替え、黒塗りの馬車を駆っていた。晴れていたはずの空はいつの間にか薄い雲が張り巡らされ、すくってもすくっても濁りの消えない泥水に似ていた。この地域では雨でも降ったのか、道はぬかるんで古い轍に乗り上げてはすべる馬車が、普段とは違う揺れをしている。
ロンフォルトともう一頭の馬は心地良い風情で規則的な蹄の音を響かせていた。
シャルルは騎士見習いらしい皮のブーツに短めの上着、胸当てと膝宛、篭手は皮製で腰にはイタチ剣。いつでも手に取れるようにと、軽い小さめの楯が御者台の脇に置いてある。白イタチは楯に登っては内側から顔をのぞかせたり、尻尾だけを振り振りして見せたり。
遊んで欲しいらしいが、シャルルはかまう余裕はない。
飽きたイタチが今度は座席のロイのほうへ。ロイは顔をのぞかせたクウ・クルを手にとって、抱きしめる。絹の上着、その上に毛織物の暖かいコートを羽織る。ロイのそういった服装はクウ・クルのお気に入りだ。シャルルの冷たい皮の胸当てなんか楽しくないのだ。上着とコートの間にもぐりこんで探検する。ぐるりと体の回りを這われて、ロイはくすぐったくて笑う。
首元を回ってロイの腹の前に落ち着くと、膝の上でごろんとくつろぐ。
お前は、と笑っているうちに、咳き込むから、白イタチは不思議そうに体を起こした。
「ごめん、クウ。少し横になるよ」
そう呟いて、ロイはひどく揺れる座席に身体を横たえた。
それでもこの馬車が一番まともな乗り心地なのだ。贅沢などいえない。
護られるばかりで、何も出来ない。
ロイが出来ることはただ、息苦しさと密かに戦うことだけだ。
シャルルのほうに戻ろうとするイタチを捕まえて、「ここにいなさい。邪魔したらいけないよ」と。柔らかな獣を抱きしめる。ふと。横になった視界に、足元に転がるビンが見えた。パリに戻る前、例の毒らしきものだ。シャルルが取り落として、そのままになっていた。馬車が曲がるに合わせて転がりロイの足先にコツンと当たる。
しばらくそれをつま先で玩んでいたが、ロイは起き上がり、拾った。
クウ・クルは匂いが嫌いなのか不機嫌に飛び出すと、シャルルのほうへと戻っていく。
ロイはじっと液体を見つめていた。


三つ目のセーヌ川を横切る橋に着いた時、シャルルは馬に水を飲ませようと馬車を止めた。
パリを出てから二時間ほど。そろそろ、遠くパリの警備線が見えてくる頃だ。シャルルはロイが眠っていたので、その間に馬たちの面倒をみる。
リシャールのくれた地図を広げた。そこには、パリはないからシャルルは拾った木の枝で印をつけた。途中にある村で小船でも借りられたら、川沿いに逃げた方がいいかもしれない。
警備線の手前に、宿を取ったあの村があるはず。
ノルマンディー領に入れば、ルーアンにまで辿り着ければ安心だ。ロイの話では、ヘンリー三世との盟約があるらしい。保護してもらえるんだ。
そう、ついこの間は逆だったけれど。
ふと、ロトロアの顔がよぎる。あの時、僕を庇って怪我をしたんだよな。あいつ。
ふん。
勢いよく息を吐き出し、地図を丸めた。
軍隊にしろ、追っ手にしろ。遭遇したら終わり。本当ならば目立たない道を行きたいところだ。けれど土地勘のないシャルルが一人で馬車を操って進むことができる道となると一つしかない。来た道、ル・アーブルからパリに向かったあの道を逆にたどるしかなかった。
リシャールの言っていた「地理と気候の知識の重要性」とやらが身に染みる。ない知識を今更嘆いても、どうしようもない。
大丈夫、とにかくノルマンディーの軍に合流できれば、守ってもらえる。それはパリの警備線まで来ているはずなんだ。
と、河原に腰掛けた足元に、不意に白い生き物が顔をのぞかせた。
「クウ!」
口に虫をくわえ、自慢げに顎を上げてみせる。
「お前はどこでも、楽しそうだな!」
それに尻尾で応えると、白イタチはくるりとシャルルの周りを一周して、傍らで食事を始めた。
「私たちも何か食べないとね」
目が覚めたのか、ロイが馬車から降りてきた。

シャルルの切るハムを見かねて、ロイが「私が」と、手を差し出す。
「いいよ、ロイのすることじゃないよ、僕が切る。ハムを切るのは下手くそだけど、ほら、いくつかはまともだし」
言いながら、背後の視線を感じながら。シャルルは憐れなハムにナイフを突き立てる。
「!」
シャルルは振り返る。
「い、今。笑っただろ!」
ロイは口元を手で覆って、苦しそうにしていた。
「ぷ、だって。ハムが、可哀想だよ」
「か、可哀想って!どうせ食べるんだから!」
「ほら、こうして、力を抜いて」
ナイフを持つ手にロイの手が添えられる。
温かい、白い手に余計に緊張するというものだ。
「だって、ロイが見てるから!!だから、変になるんだ」
真っ赤になるシャルルの手元、すと、と。ハムが綺麗な切り口を見せる。
「ほら、出来た。何度も弾いたり押したりしたらだめだよ。真っ直ぐ、ナイフに重みをかける感じで」
ロイの声は耳元に温かい。
羨ましげにハムの様子を見つめるクウ・クルと目があった。
「シャルル、あれ?」
まな板代わりの樽のふたに、ハムの切れがいくつか並んだところでロイの手が離れ、シャルルは慌てて目を擦る。
「どうしたの、何か入った?」
にっこりと綺麗に笑うロイ、その手が暖かいのは熱があるからで。
なのに僕はまともにハムも切れない。
助けるって言っておいてさ、ハムも切れない。
「シャルル」
ぎゅ、と。抱きしめられた。
座り込んだ草地はしっとりと膝に触れる。
すん、と鼻をすすれば、情けなさも倍になる。
「大丈夫だよ、一緒に行くって決めたんだろう?」
「うん、分かってる、ごめん、ごめん。僕」
「シャルルがこんなに泣き虫で、可愛いって知らなかった」
「な、泣き虫じゃないぞ、ちょっとゴミがさ」
「うん」
ロイは背中から抱きしめたまま、だまった。
すん。
シャルルの鼻をすする音だけ。
二回目のそれにシャルルは耐えられずに、「あの、あのさ」と。声を出す。
「いいから、もう少し。誰かと、触れているのは安心できる。嬉しいことや、幸せだなと思うことがあるとね、つい、考えてしまうんだ。後、何回こういう想いができるんだろう。あと何日、こんな幸せな気分で眠ることが出来るんだろうって」
「馬鹿だよ、ロイ。数え切れないよ。ずっと、側にいるんだから」
「うん。最期まで、側にいてくれるかな」
「当たり前のこというな。なんか、腹が立ってきたぞ、ロイ」
そこでくす、とロイの笑みが背中に伝わった。
「私が元気がないと、君は元気になるね」
「ロイが元気な方がもっと元気だ。お腹すいたよ、ほら、…あ」
シャルルが改めて手元のハムを見ると、白い獣がしっかり食い散らかして。
綺麗に切れた意味などなくなっていた。
「クウ!!!」

ラン伯との戦場となった場所を、横目に見ながら時間を逆算。この速度ならあと一時間くらいだ。
いったん横切ったセーヌ川がまたいつの間にか街道のそばにある。その陽射しをきらめかせる川面が木立の間越しに見えるようになった頃、シャルルは前方に馬の影を見つけた。
誰か乗っていた。
ひらりと、風に髪がなびいた。
背中には、弓ではない何か。

その人物はふと馬を止めた。
シャルルも、速度を緩める。
互いに十メートルの距離を保ったところで止まった。

「シャルルちゃんだねぇ!」
「サール!」

吟遊詩人は満面の笑みを浮かべながら、近づいてきて、シャルルの脇に馬を寄せ、向きを変えた。
ゆっくりと並んで進みながらサールは「奇遇だねぇ!どうしたんだい?この馬車、確かヘンリー三世公のだったよねぇ」と、にこにこと笑う。
「そうなんだ、そういえば!サール、あの時僕らのこと、だましたのか?」
思い出したシャルルに青年はあっけらかんと笑って見せた。
「まあねぇ、だってロトロア様がいたもんね。あの人、嫌いなんだよぅ」
「……」
「あれ?あ、ねぇ、これ、まさかロトロア様が乗ってるとか?」
シャルルは反射的にぶんぶんと首を横に振った。
へぇ、とサールは馬を止め。馬車を覗き込んで、それからまた馬を走らせてシャルルに追いつく。
「あれ、あの子だれだい?もしかして!」
「そう、ロイなんだ」
「見つけたんだぁ!すごいじゃないか!王子様なんだよね?二人でどこに行くんだい?パリから、離れるのかい?」
「あの、あのさ。僕ら、ヘンリー三世陛下のところまで帰るんだ。あの」
言いよどんだシャルルに、吟遊詩人は首を大げさに傾けてみせる。
「でもさぁ、シャルルちゃん。この先が封鎖されててさ、ほら、警備線のとこね。通れなくて僕も戻ってきたとこなんだよねぇ」
「え?」
「ルイ九世陛下の軍隊だよね、赤い上衣だったしさ。百合紋だったし」
シャルルは馬車を止めた。
あれれ、と声を上げながら、数歩行き過ぎたサールがまたシャルルの脇に戻ってきた。
「ねえ、サール。僕ら、ルイ九世から逃げてるんだ。パリにいたらロイは殺されちゃう!だから、助けたくて!」
ふうん。
サールののんびりした口調と穏やかな笑み。シャルルは張りつめていた気持ちが緩んで思わず瞳に涙が揺れた。
サールはふと表情を厳しくした。
「逃げて、どうするんだい?」
「ロイとイングランドに、行くんだ。その、僕もずっとそばに、いていいって言ってくれたし」
頬を赤くする少女に、サールは目を細めた。
「好きな子だったもんね、大事なんだねぇ」
また、涙が溢れそうになる。いちいち、サールは心の琴線に触れるようなことを言う。様々な世界、様々な人を見てきたからなのか、シャルルにはわからないけれど。サールの手がいつの間にか伸び、シャルルの髪を撫でた。
「分かるよ、シャルルちゃん。気持ちはさぁ。身分が違ってもさ、結ばれなくてもさぁ。お側に、いたいよねぇ」
シャルルはサールの声がわずかに鼻声のような気がして、顔を上げた。
「サール、も?」
青年は肩をすくめた。「大切な人がね、シャンパーニュにいるんだ。会いたくて会いたくてさ。仕事が終わったらすぐにでも会いに行くんだ。でもまた、意地悪なくらい、あそこに行けだの、そっちの様子を見てこいだの。意地悪、なんだよ。多分」
「寂しいね」
また涙をあふれさせるシャルルの肩を、とんとんと優しくたたいて「お前さんはほんとに、優しい子だね。いい子だ。やっぱり、嫌いじゃないなぁ」と歌うように話した。

あ、と。
シャルルとサール、二人同時に背後の気配に気づいた。
遠く、木立をすり抜ける影。騎馬だ。

ぞわりと、全身が震えた。
「あれは」サールの声も低い。
「逃げなきゃ、いけない!」
叶わない、僕一人では。
それは分かっている。

サールと同時にシャルルも馬に鞭を入れた。
「ロンフォルト、走って!とにかく速く」
不意に走り出した馬車に、ロイが様子を見ようと窓に近づく。サールの姿を見つけ、ロイは目を丸くした。
サールはにっこりと、この状況下で笑った。
「ロイ様、いや、フィリップ王子様。初めまして!私はサルバトーレ・ルエンデス。旅の詩人ですぅ」
全力で走らせる馬の上で、自己紹介されても。
ロイは目を丸くしたまま、シャルルの様子をうかがう。
「追っ手がねぇ、来ていて、ああ、そうか!」
サールは何か思い出したように馬に拍車をかけ、前方のシャルルの方へと近づいた。
「シャルルちゃん!駄目だよ!この先は封鎖されてる!どこか街道からそれなきゃまずいよ」
「で、でも!」
「馬車はあきらめた方がいいよ、無理だよ」
「でもっ!」
「大人の言うことは聞くもんだ!いいから、今ならまだ、間に合う、止まれ!」
サールの言うとおり。封鎖されているのだろう。
緩やかなのぼりになっていた街道の先、空との境に見えるあたりには、何やら動くたくさんの姿。
兵たちと、街道で足止めを喰らっている人々だ。
その先は煙があちこちで流れ。
そう、ちょうど小高い丘の切れ目で、そこが警備線。

シャルルは馬を止めた。
「どう、どうしよ、サール!どうしよう!」
「馬で逃げるのがいい、ほら、ロンフォルトなら二人乗れる。シャルルは馬を」
言って、サールは馬車に駆け寄ると、中からロイを引っ張り出した。
「王子様、ほら急いで。逃げなきゃいけないよ」


「おや、お前。サールじゃないか」
覚えのある、声。
シャルルはちょうどロイをロンフォルトにまたがらせたところ。
サールも、馬上で背後を振り返った。

「ロンロン」
シャルルがつぶやいて睨み付ける。背後には枯草を踏んで二頭の騎馬が回り込む。近衛騎士団の姿をしている。
馬車のそばを離れる前に、すっかり五人に囲まれていた。
ロトロアは、黒髪を風になびかせいつもの笑みを浮かべている。その少し後ろにリシャール。そして、ロトロアを挟むようにして、近衛騎士団長。二人の美しい青年が、まるで戦いの神のように左右にある。
シャルルは彼らをじっと睨んだ。

「シャルル、鬼ごっこはおしまいだ。怪我をさせたくないだろ、ロイ様をこちらに」
「ロイ様も、どうか無謀なことはおやめください。陛下には私からご説明いたします。地下牢に入れるなどしませんから」と、穏やかに言ったのはベルだ。
背後の近衛騎士の馬が、小さく鼻を鳴らし。嘘だ、と思ったシャルルの気持ちに重なった。
サールはああ、と。困ったような声を出して、身動きしない騎馬たちの中で一人、馬を数歩、廻らせた。
「あのぅ、なんでそんな怖い感じなんですかねぇ。ロイ様でしょう?大切な方でしょう?子供二人に、大の大人が五人もですか。いやぁ、宮廷も必死というか、なんていうか」
「黙れ」
「サール、貴方は無関係でしょう、離れていた方がいいですよ」
ロトロアが睨み付ける脇で、リシャールが静かに問いかけた。「サール、わが親友。貴方に余計な危害を加えたくはありません。わかるでしょう?この子らはもう逃げられない。結果は分かっています。貴方が余計なことをしなければ、二人は大した怪我もしなくて済みますよ」
うーん、と唸って、サールは首をかしげた。その仕草がどうにも芝居がかっているようで、ロトロアはさらに苛立ちを強くする。
「邪魔するなら貴様も殺す。ティボー四世伯が黙っているのをいいことに庭に咲く花を盗もうとする。目障りだ」
サールの表情が変わった。
馬が背後の主人の様子を感じ取るように、耳をぴくぴくとひるがえす。
シャルルはまだ、ロンフォルトに乗れずに。腰の剣にそっと手を伸ばしているものの。一人だけ、地に立つ状態。
見上げるロトロアは、シャルルが知っている男と少し、違う気がした。
殺す。
ああ、そうだ。
かつてランスに来たロトロアは、目的のためには手段を択ばない、怖い男だった。それは、勘違いでもなんでもない。敵に回せば、いつでも。こうなるのは分かっていたはずだ。
「だから、嫌いなんだよ、貴方は。人の心のわからない、お人だ」
サールはまだ、腰の剣を抜いてはいなかった。
「ふん、色恋などに惑わされないだけだ。そこの馬鹿のようにな」
馬鹿は、僕のことか。
シャルルはその眼をまっすぐ見つめ返した。ロトロア。その顔は、笑い顔のほうが記憶が多い。いつもにやにやして笑う。そうして、僕を側に置くと、言ったこともある。
リシャールが言うように、僕に気があるんだと思ったこともある。
でも本人が言うとおり、愛情なんか、例えあったとしても。目的のために無視できる奴だ。
「僕は、あんたと違う。世話になったけど。あんたとの契約は終わりだ」
「シャルル、本気なのですか」
今更、問いかけるのはリシャール。わずかに、眉をひそめる。
「僕が、ロトロアと契約したのはロイのためだ。ロイを探すために側にいたんだ。そいつだってわかってる。最初から、お互いを利用しようとしたんだろ。だとしたら、契約はここで終わるのが自然の成り行きだよ。ロイを、殺させはしない。絶対に」
シャルルはゆっくり、かみ締めるように言葉をつなげる。

「まあ、ロトロア様がよろしいなら、私は構いません。よろしいんですか、ロトロア様」
ロトロアは目を細めた。
「獅子の子、よく言ったものだ。そういうお前でなくてはつまらん」
「そういうのが、キライなんだ!あんたの!」
シャルルが剣を抜いた。
「スタラス、ロイ様を」ベルトランシェの声に、ロイの背後の騎馬が動いた。
振り返れば、ロイの乗るロンフォルトを近衛騎士が抑えようと馬を近づける。
「ロイ!逃げろ」
シャルルは手にした剣の柄で思い切りロンフォルトの尻を殴りつけた。
甲高い馬の鳴き声。一瞬落ちかけたものの、ロイは手綱にしがみつき、ロンフォルトは二頭の騎馬の間を走り出した。すぐに二騎の近衛騎士が後を追う。
「サール、ロイをお願い、頼むよ!」叫んでシャルルはロトロアとリシャール、そしてベルトランシェの前に両手をあげて立ちはだかった。
いや、一人地に立つシャルルが、馬に乗る三人を抑えられるはずもないが。
ベルトランシェは部下に任せるつもりなのか、ただシャルルを見下ろしている。
サールは黙ってロイの後を追った、ようだ。
背後の様子は、今のシャルルには分からない。
正面の三人をじっとにらみつけた。

「ふん、馬に蹴られてみるか?」
ロトロアが威嚇のつもりか馬を進め。シャルルはその瞬間にロトロアの馬に切りつけた。
悲鳴に似た鳴き声。「お前!」馬上の男が叫ぶ。シャルルは駆け抜けざまにリシャールの馬にも切りつけた。
ぐんと右足に重心を移し振り返る。瞬間、風を切る気配。
シャルルは剣にしなやかな鞭が絡む寸前、真下に座り込んだ。
ベルトランシェの鞭は剣先の細いところをかすめ、わずかに感触を残して、また男の手元に戻る。
と、ぎらりと夕日に何か光る。リシャールの髪、その剣。感じるままにシャルルは飛び避けた。リシャールは馬から降りていた。
痛がって転がった騎馬が背後にもがく。

ち、と。舌打ちと同時にリシャールの隣にロトロアの姿も加わった。
シャルルに切られた脚を引きずるもう一頭も役には立たない。
シャルルは剣に滴る血を振り払った。
頬にかかる赤はシャルルの金髪を彩る。菫の瞳もあわせ極彩色の少女は、不適に笑った。

「リシャールが、教えてくれたんだろ。自分に馬がなければ、相手の馬を狙えってさ」
「そうでしたね。余計なことばかり、覚えているものです」
風になびく髪。いつも、稽古したリシャール。
これは、実戦だ。
シャルルは不意にリシャールの懐に体当たりした。
剣を持つ手に集中していたリシャールは一瞬遅れ。
近すぎる間合いに肘で庇う。シャルルはその下、胴衣の腹の部分に思い切り蹴りを繰り出す。離れようとした動きで威力は半減したものの、リシャールはぐ、と苦しげに身をかがめ膝をつく。
剣を持っているけれどシャルルが使う武器は主に拳や蹴り。そこが、リシャールが苦手とするところ。ここぞとばかりにシャルルが剣を振りかざす。

と、リシャールは顔を上げた。シャルルを正面から見つめ、剣を持つ手を下に下ろす。
斬りかかったシャルルはそれに気付いて留まり、飛びのいた。

「馬鹿ですね。お前は私を斬れない。もちろん、ロトロア様のことも。だとしたら、シャルル。お前がどれだけ体術に優れていても、意味は成しませんよ。我らはお前を殺すことが出来る」
「そん、そんなことない!僕は殺せる!平気だ!」
高鳴る心臓の鼓動が耳を塞ぐ、それでもリシャールの言いたいことはわかった。
僕に、勇気がないのだと言っているんだ!
シャルルは拳に力をこめるともう一度、斬りかかった。
と、脇からの影に気付いてそちらへと構えなおす。ロトロア、だ。
認識した時には、ずるりと足元が滑った。
え?
足首に巻きついた、鞭。それに引っ張られ、シャルルは地に転がった。剣の柄で土を掻いて這い上がろうとする時には。ずしりとした重みが身体を押さえつけた。
ロトロアが背中を踏んでいる。「こ、このっ!」
剣を振り回そうとしたけれど、剣はリシャールに踏まれていた。「シャルル、覚悟しなさい」言葉と同時に、右手に熱い痛み。踏みつけられて、シャルルは剣を放した。
「生け捕り、という感じか」ロトロアの声は楽しんでいる。
悔しくなって、シャルルは叫んだ。
「馬鹿、馬鹿!!放せ、放せよ!」
後ろにひねり上げられた手は縛られた。
強引に引き起こされた時には、もう、身動きできない。
それでもロトロアの腹に頭突きをし。「おいおい」と、笑われた。
蹴りを、と思っても、絡んだ鞭はそのままで。勢いで転がりかかってまた、抱きとめられた。
そのまま、芋虫のように担ぎ上げられる。
「放せ!ばかー!!」
「さて、この雑魚はともかく、近衛騎士団長どの?貴方の部下はきっちりと獲物を捕らえてくれていますかな」
「ばかー!」
シャルルを馬車に押し込んで、ロトロアは振り返る。
ベルトランシェは自分の馬にまたがった。
「あのサールとやらがどの程度かは知らないが、敵ではないでしょう。で、お二人はどうされますか。馬を失っては、そこで仲良く待っていてもらうしかありませんね」
馬鹿にしたように肩をすくめ、「様子を見てきます」と馬を走らせる。
リシャールと顔を見合わせ、ロトロアは「ま、お手並み拝見、でいいんじゃないか」と笑った。
「そうですね。もうすぐ日が暮れますし。ここで野営になりそうですね。準備します」
リシャールは馬車に積まれた荷物を引っ張り出す。
そこに詰まれた食糧やら水をみて、リシャールが口笛を吹くと、ロトロアが「ヘンリー三世陛下の奢りだ、ありがたくいただこう」と笑った。
二人の会話と気配を感じながらシャルルは一人じっと、馬車の中に転がっていた。


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