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『La croisade de l'ange 4:Paris』⑯

La croisade de l'ange Chapter 4 『Paris:天使の聖戦』

16

ロイはどうなったんだろう。
不安がよぎる。あのランスでのすれ違い。二度と、会えなくなるような。
ロイ。
涙がこぼれかかって、シャルルは首を振った。座席に擦り付けた頬が少し痛んだ。
泣いてる場合じゃない。二度と会えなかったとしても、ロイが無事にイングランドに渡れたらいいんだ、だとしたら。
開かれたままの馬車の扉。横たわる自分の足の向こうに、作業を進める二人が見える。
シャルルは体を起こした。火を起そうとしているリシャールがこちらに背を向け、作業に没頭していた。その背中、無防備なそれに蹴りでも、と思い立つ。
と、目の前を影がふさいだ。
「なんだ、起きたのか」
ロトロアだった。
シャルルの顎に手を伸ばし、強引に掴んだ。
「は、離せ!」
「しゃべると舌をかむぜ、お前」
何かが突き出され。口元に押し付けられた。
「なに?」言いかければ強引に押し込まれる。
「ぬぐっ!?」
暴れても、突っ込もうとする手は止まない。
「ハムだ、美味いだろ?どうだ、餌をもらう気分は?」
ぐ、と。口中をハムだらけにしてシャルルは睨んだ。
こいつ。
睨みつつ。もぐもぐと食んで飲み込む。空腹は、空腹だ。
それが面白いのかロトロアは声を上げて笑った。
くそ、心中で毒づきながら肉塊を飲み下したシャルルに、ロトロアは水を差し出した。
「飲めよ」
「なんのつもりだよ」
「餌」
シャルルが口を尖らせ睨みつけると、「あ?ワインがよかったか?あるぜ」とからかって目の前で飲んで見せる。
「なんだよ!そんなことより、ロイを」
強引に塞がれた口、ワインの匂い。
暴れても、芋虫状態のシャルルにはどうしようもない。
口移しに何度も飲まされ、むせたりこぼしたりと散々な状態で、胸元をワインの赤に染めてシャルルはぐったりと力を失った。「酔っ払ったのか?このくらいで」
ロトロアは笑って、シャルルを座席に転がした。
「食ったら寝ろ」
ばか、ばかぁ。
小さく恨み言を呟くシャルルを背に、笑い声をあげながら男は離れていく。

ろくでも、ないぞ、ロンロンのやつ。
くそぅ、絶対楽しんでる、あいつ。
こっちは、必死なのに。
悔しくて涙がこぼれた。
それのせいなのか日が暮れてきたのか。視界は暗がりに沈んでいく。

縛られた手が今更のようにじわじわと痛んだ。
暗がりの中、シャルルは目を閉じる。
お前に我らは殺せない、そういったリシャールを思い出していた。その通り、あの時。躊躇した。剣を構えてくれたならまだ、やりようはあった。
戦意のないことを示されては、騎士としても、人としても。まして、弟子としてなら尚更、リシャールに刃を突き立てることはできなかった。

剣はリシャールに習った。乗馬も、槍も。馬鹿ですねお前は、それが口ぐせだった。
本人以上にシャルルの容姿を気にかけ、この色が似合うと服を選び、髪もいつも切ってくれた。風邪を引けば毒づきながらも面倒を見てくれた。毎日、世話を焼いてくれた。
港町ブリュージュに、時々尋ねてくるロトロアはいつも笑って冗談を言った。狩では見事な弓さばきで兎や鹿を獲った。森での野営、焚き火、肉の焼き方。生き物に対する姿勢や人としての在り方、政治、流通、町の発展。様々なことを話してくれた。世の中を教えてくれたのは、ロトロアだ。時に強引で腹立たしかったけど、間違ったことは言っていないように思えた。
ランでの槍試合。勝って嬉しかった。キギが、あの時言ったんだ。
それでこそ、ロトロア様のセネシャルに相応しいと。それが誇らしかった自分を思い出せば、胸が痛んだ。
殺したくなんかない。恩を忘れているわけじゃない。
確かに、確かに僕はあいつの側近だったし。
あいつらの仲間だったんだ。

分かってるけど。
ロイを失うことは出来ない。
涙が溢れた。
閉じたまぶたを押しのけるようにこぼれていく、だからシャルルは濡れた目を座席に押し付けた。どれくらい泣いていたのか。そのまま眠ってしまったような気もする。
すん、と鼻をすすり、痛む肩を何とかしようと身体を動かす。柔らかな敷物らしきに当たって、濡れた目をごしごしと擦った。
「シャルル、起きたの?」

ロイの声、だった。
驚いて顔を上げた。
とたんに、縛られている無理な体勢にトンとまた伏せて。それから、今度は足をちゃんとつけて、勢いよく上半身を起した。
暗がり、だけど。
「ロイ?」
そこにいる。
「シャルル、すまない。私も捕まってしまった」
「そうか。大丈夫?」
「君のほうが平気ではなさそうだよ。泣いていた?声が」
「ん、大丈夫。ロイがここにいるし」
もぞもぞとロイも縛られているのだろう、擦り寄ってくる。
「ロイ」
「こちらにおいで」
肩に寄りかかろうとして、それは当てが外れた。
ぽてんとロイの膝らしきに倒れ掛かる。
「あわわ」
「いいよ、そのままで」
そういわれると、甘えたくなる。ロイの膝は温かかった。側に、白イタチの気配もあった。
「サールは?」
「シャルル、いいけどその。すりすりするのは止めて欲しいよ、くすぐったい」
「それはクウ・クルだよ、僕じゃないってば。あの、サールは?あの吟遊詩人」
「あ、彼も掴まって外にいる。ロトロアたちと知り合いみたいだね」
「うん。シャンパーニュの斥候なんだって。あれで。僕とは友達なんだけど、でも味方してくれるかは。よく分からない。大人は嘘をつくから」
「助けようとしてくれたよ。彼に言われた。君を大事にしろ、とね。そばに置いて決して離すなと。身分が高いとはそのまま力なのだから、その力は愛するもののために使えと」
「ふうん。なんだろ、サール」応援してくれるのかな。
「彼も、大切な人がいるんだと言っていた」
「し、誰か来るよ」
石を踏む靴音。近づく松明。
扉が開かれた。
ベルトランシェだった。

「大人しくしてくださいね。ロイ様も。これから砦に向かいます」
「警備線の砦?」シャルルが問えば、青年は美しい顔をゆがめた。
「ええ、仕方ありません。誰かが馬を殺したので、狼が集まってきています。ここで一晩明かすのは難しいですし、パリより砦のほうが近いですから。まったく、面倒な子ですね、シャルル」
「僕は殺してない」
「同じです。動けない馬はロトロアが絶命させました。罰にお前を馬の屍骸と一緒に置き去りにすると言う案もあったのですが。お前の主人はそれを許しません。まったく」
馬の屍骸と狼の群れに置き去り、どういう神経だ。
シャルルは顔をしかめる。
「馬鹿な真似は許しませんよ、シャルル」
そういって、乱暴に扉を閉めた。
逃げないようにと外から扉を紐でくくる音がした。

二人は馬車の窓ににじり寄って、じっと外を見つめた。暗がりの中、焚き火の明かりで作業をする近衛騎士やリシャールの姿が見えた。サールはやっぱり縛られて、馬に乗せられたところだ。
そのうち、馬車が動き出し、シャルルたちはパリの警備線の砦へと進み始めた。
揺れる馬車の中、二人は互いに寄り添った。
「シャルル、ワインの匂いが」
「うん、ロンロンに飲まされた。あいつ、馬鹿だから。僕を飼い犬みたいに扱って喜んでるんだ。おかしいよ」
こつんと、ロイの額がシャルルのこめかみに当たる。
「ロイ?」
「何か、された?」
不覚にもつい、体がぴくりと反応する。
「シャルル?」
「ええと、その。キス、された」
それ以前の、は。言えるはずもない。
シャルルは胸の奥が変に熱いのを、ワインのせいだと思い込む。平静を保とうと、必死だ。
「その」
ふわりとロイの前髪が頬に当たった。
「すまない、私は何も、護れない」
優しいキスだった。
頬にある涙の跡をいたわるように。何度も。シャルルが目を閉じて、ロイの優しさに気持ちが落ち着きかけたとき。ぐらりと揺れた馬車のせいで、ロイはコロンとシャルルの膝の上に。
そのまま、シャルルの足元に座り込んだ。
「だ、大丈夫?ロイ」
後ろ手に縛られている状態で、揺れる狭い馬車。起き上がるのも大変だ。
「大丈夫」
言いながら、それでも座席に戻ってこない。
シャルルは心配になって、たぶんそのあたり、という座席の下に近寄ろうとする。
咳が聞こえた。
「ロイ、苦しいのか?」
「大丈夫、大丈夫だから」そんな声も、咳で途切れる。動けなくなってロイはシャルルの足元に横たわっていた。
シャルルは、御者席に向かって大声を張り上げた。
「リシャール!リシャールだろ!お願いだから、馬車を止めて!ロイが、ロイが」
間を仕切る布が開かれ、ふわりと冷たい風が入り込む。
「シャルル、どうかしましたか」
「ロイが!水とか、薬とか!!とにかく、縄を解いてくれよ!ロイは剣だって使えないんだ、縛ることないんだ!」
リシャールがどんな顔をしていたのか、月影でよくわからないけれど、「では、お前と私が交代しましょう。そこに三人は無理です。よろしいですか、ロトロア様」と。隣にいたロトロアに声をかける。
「ああ、好きにしろ」
あくび交じりの返事と同時に、馬車が止まった。
「ロイ、リシャールが診てくれるよ、大丈夫、リシャールなら毒なんか盛らないし、ちゃんと知識もある。冷たい奴だけど、悪い奴じゃない」
咳を繰り返すロイに、シャルルは話しかける。
「でも、シャルル、君が」
言いかけてまた咳込む。
「大丈夫、僕は絶対にロイのそばを離れないから。安心しろよ」
「いつの間にやら、そういう関係なんですね。ほら、シャルルお前は向こうに」
冷たい口調の割に、リシャールの言葉はどこか安心できた。
ロトロアよりはずっと生真面目で真摯な性格なのだ。シャルルはリシャールに場所を譲り、礼を言った。止まった馬車に追いついて、ベルトランシェの部下らしい騎士が声をかける。
「何かあったのか、リシャール」
「ロイ様の具合がよくないので。走りながらで大丈夫ですよ。スタラス、ベルトランシェ様に報告だけお願いします」
「了解、ユーリー。ここを頼むぞ」
スタラスという騎士は、もう一人の同僚にその場を任せ、先を行くベルトランシェたちに向かって馬を走らせていく。
シャルルはそれを見送りながら、御者席へ上った。というか、ロトロアに引きずり上げられた感もある。
「世話が焼けるな、お前は」そう笑うから「だったら、縄を解けばいいだろ」と睨み付ける。こいつがいるとロイが心配するんだ。まったく。
なるべく距離を置いて座ろうとするのに、「転がり落ちるぜ、こっちにこい」と引き寄せようとする。
「いやだ」と、意地を張ってそっぽを向いてみたものの、馬車が動き出す瞬間ぐらりと倒れそうになって、座席に半分寝転ぶ状態で耐えている。ロトロアは面白がって「そうやってろ」とシャルルの尻を軽く叩いた。
足をバタバタさせればまた落ちそうになるし。
結局、ロトロアに肩を抱かれる感じで座るしか、ない。



「お前、酒臭いな」
自分がやったくせに勝手なことを言いながら、ロトロアは馬車を走らせる。ロンフォルトと黒馬がつながれていた。
「ロイを、逃がしてくれないのか」
しばらく月をにらんでいたシャルルが、言ってみた。
もしかしたら。そんな思いがある。
甘いのかもしれないけれど。
しばらく沈黙した後、ロトロアが口を開いた。
「なんでベルトランシェが来たんだと思う。目的の半分は俺たちの見張りだ。ルイ九世も馬鹿じゃないさ。俺たちはルイの領地を任されるバイイになった。いつかお前が言っていただろう。国王と契約を結ぶってな。それと同じ状態だ。逆らったら契約はなくなる。わかるな」
予想以上に穏やかな返事が、返ってきた。
以前、そう。戦争が始まる前にルジエに向かった、あの頃のロトロアを思い出した。穏やかに語る口調。悪意はない。
「目的の半分?残りは?」
「ロイの捕獲あるいは。殺害」
「さっ!?」
口をふさがれた。
「静かにしろ馬鹿。予測だが、真実に近いぜ。ルイが考えそうなことだろう。パリに連れ帰って地下牢で殺すのも、ここで戦争に紛れて殺すのも同じだ。どうせなら、人目につかない方がいい」
「狼に置き去りにされなかったのは、どうして?」
「ベルたちは俺たちにも目的を隠しているからさ」
「あんたは、僕らを助けてくれるのか」
「さあ」
「あのさ、そういうのはっきりしてくれないとさ、僕は困る」
「敵だと思ったなら、殺せ。ま、今のお前は虫一匹殺せないって顔をしているが」
「そんなことない」
内心、ぎくりとする。あの時確かに、リシャールを斬ることはできなかった。今も、ロトロアを敵だとは思えないでいる。
「つまらんな。お前。張りつめた獣みたいなお前がよかったのに。普通の女の顔になった。ロイがいるからだな。女には、騎士なんか勤まらんぜ」
恋をしているから。そう言われているようでシャルルは頬が熱くなる。
「悪かったな、女でさ。今ならドレスでもなんでも着てやるぞ」
「それならそれで、面白い」
「歓迎するな、そこで」
ロトロアは肩をすくめた。
「お前に、騎士の叙任は、もう必要ないな」
風にため息が混じった気がした。
ロトロアはそのまま、まっすぐ前を見ている。
わずかに寂しげだと感じたのは気のせい、だ。きっと。
シャルルは首を振って、頬にかかった髪を振り払った。
「ロイ、大丈夫かな」
「名医がついてる、大丈夫だろ。あの病は、あの手の発作を繰り返す。死ぬ時になったら歩くこともできないし、話すこともできない。まだ死にはしない、大丈夫さ。シャルル、人間ってのはそう簡単には死なないものだ。剣でグサッとやるのが一番早いんだからな」
「それ、ちっとも慰めになってないよ」
「なんだ、慰めてほしいのか?」
「違う」
何もかもを、自分の中で消化した話しぶり。だから、いつもかなわないところがある気がするし、何を考えているのかわからないんだ。
シャルルは口をとがらすと、背後の車内を振りかえる。
咳は聞こえない。
ロトロアがカーテンを開いてくれた。
「リシャール、どうだ?」
月明かりが、座席に横たわるロイと、その枕に膝を貸しているリシャールを照らした。
ロイは眠っているようだった。
「発作は治まりましたよ。地下牢や馬車の移動でお疲れなんでしょう。睡眠と栄養が必要なので。障らない程度にワインを飲んでいただきました。シャルル、薬はこれでいいのですか」
リシャールが示したのは、小瓶。その覚えのあるビンにシャルルは首を横に振った。
「それ、違う!それは絶対に飲ませちゃダメなんだ!貸して、なんでリシャールが持ってるんだよ、そんなの!」
「貸してってシャルル。手が使えないでしょう。私が預かります。なんですか、これは」
「毒だよ」
傍らでロトロアも振り返った。
「ルイの女中が、ロイのためにと煎じてくれたらしいけど、どうもおかしいから。匂いとか違うし。リシャールなら、知ってるかな。子供のころに森で絶対に食べてはいけないと言われた草に匂いが似てる」
リシャールは恐る恐るコルクを緩ませ、軽く匂いを嗅いだ。

それから、すぐにコルクをきつくしめなおす。

「ええ。これは、ドクニンジンのようです。乾燥させたものであれば薬草として使えないこともありませんが、これは生の葉を使っているようですね。これ一本を飲み干せば、息が止まるでしょう」

不意に白い手が、そのビンをつかんだ。
「私が、持っている」
「ロイ様」
いつの間にか目を覚ましたロイが、横たわったままそれを手にした。手首のロープの跡が生々しく赤く腫れていた。
「自分で持っているのが、一番、安心できるから」
そうだろう?と。穏やかにリシャールを見つめる。リシャールも冷たい聖母の微笑みを浮かべた。
「まあ、そうですね。誰かに使われないで済みますから」
「世話をかけたね、もう大丈夫。シャルル、こちらに」
ロイの視線が、シャルルを探してこちらを見上げる。「うん、そっちに」言いかけたシャルルの目の前でロトロアがカーテンを閉める。
「なんだよ」
「お前がいたら眠れないだろ、リシャールに任せておけ。大体お前、自分の立場を忘れるなよ。お前をパリに連れ帰ったらどうしてやるべきか、俺がさんざん悩んでいるってのに」
「どうって」
「ルイ九世は、お怒りだぜ?お前を差し出せと言われるだろう。で、お前は奴の慰みものか、地下牢で干からびるか」
「逃げるよ。絶対に」
「俺に宣言してどうする」
「言っておく。僕はロイを守る。だから絶対に逃げるし、ロイをイングランドに送る。ヘンリー三世のもとで安全に暮らせるように」
力説するシャルルに、ロトロアは目を細めただけで。黙ってまた、前方を見つめた。
「何か言わないのか」
シャルルは怒られるか馬鹿にされるかどちらかだと思っていた。
無視されて少々苛立つ。こちらとしてはロイの命を懸けた、真剣勝負なのに。
「不満か?シャルル」
「その。僕はあんたの敵になるんだ。あんたが見逃してくれるとか、少し協力してくれればさ、ロイと逃げられる。殺し合う必要もないし」
「馬鹿だな。……そうだなぁ。取引なら応じるぜ。お前が俺のもとに残るならロイを逃がす。どうだ?」
「なんだよ、それ。それは嫌だ」
「じゃあ、そんなこと言いだすな。言っただろう?俺はお前をあいつに譲る気もないし。生き物を可愛がるときには、それの死を見届ける覚悟をしている。失うくらいならお前を殺す」
殺すって!
「僕はあんたのペットじゃないぞ!」
飼い主としてもそれはどうかと思う。
睨み付けても、ロトロアは真面目な顔で静かに言った。
「違うのか?俺が養い、育てた。可愛がってきた。手放したくないと思うのは、お前がイタチを思うのと同じだぜ」
「なんか、違う。また変な理屈でごまかそうって言うんだろ」
「は、分からんか。じゃあ、リシャールらしい言い方で。俺の側にいてほしいと言ったとしてだ。お前は頷くのか」
ごくりと、思わずつばを飲み込んでしまった。
それは、その意味するところは。
「俺はお前のように泣いたり喚いたりはしない。誰かの気持ちや行動が自分に都合のいいように変化してくれることを望むなど。そんな無駄なことはしない。代わりに自ら行動する。だからお前を渡さないし、逃がしもしない。お前が側にいるなら、いくらでも護ってやる。それこそ、命を懸けてでもな」
馬鹿だと思うなら、笑え。
笑いながら、ロトロアは言った。

それは、その意味は。
シャルルは、視界が暖かいもので流されていくのを感じながら唇をかみしめる。涙があふれて止まらない。
それに気づいてロトロアはまた、さらに笑った。
肩を抱く腕が、温かいように感じるのが。余計にシャルルを苦しくさせた。
「ごめん、ごめん」
僕は確かに護られた。側に置かれて、大切にされた。
その気持ちを僕は裏切るんだ。
「ごめん」
「よしよし、いいぞ。その調子でロイをあきらめろ」
ロトロアはぎゅうと抱きしめる。
それが、冗談なのか本気なのか、わけは分からない。ただ、シャルルは泣いた。いずれ、迎えなければならない別れがくる。

ロイは、静かにあおむけに横たわっていた。
わずかに風に交じって、ロトロアの言葉が入り込む。
リシャールは前方に耳を澄ましていたものの、時折ロイの表情を盗み見る。
「シャルルは」
車輪の音に消えそうなほど、静かに口を開いたのはロイだった。
「シャルルはロトロアを、どう思っているのだろう」
リシャールはじっとロイを見下ろし、それからふと笑った。
美しい声は「気になられますか、ロイ様。シャルルの気持ちが」とからかうように、歌うように。ロイは目をそらす代わりに数回、瞬きした。
「私の側にと。願うのは、シャルルのためにならない」
「では、ロトロア様にどうか、お譲りください」
「それは、悔しい」
「女性などいくらでもおりますよ」
「ロトロアにも同じことを、言うのか」
リシャールは黙った。
「サールが言うのだ。愛しているなら離してはいけないと」
「サールは悲しいほど一途ですから。シャルルにどこか似ていて馬鹿者ですが、憎めません」
「シャルルがロトロアを慕っているなら。ここで、私か彼かを選ぶしかないなら。その苦しい選択をあの子にさせてしまうのが心苦しい」
そういってロイは両手で顔を隠した。
「私がシャルルに出会ったころ」
リシャールが話し始めた。
「二年前、いえ、もう三年になりますね。シャルルが私のいるブリュージュに預けられた時、今のような様子ではありませんでした。表情のない元気のない子供でした。毎日、海を眺めてはため息をついているような。そのシャルルも、ロトロア様が訪ねてくると一変しました。喜んでいるわけではなく、「会いたくないのに、なんでくるんだ」とか、怒鳴ったり反抗したり。ロトロア様を憎んでいるかのようでした。まあ、きっかけがきっかけですから当然ですが。それでも、日々の寂しそうなあの子を見ているよりは、それが怒りでも憎しみでもロトロア様に向かっている姿のほうがよほど人間らしく、私はよくロトロア様にお願いしたものです。シャルルが待っていますから、ぜひお立ち寄りくださいと。ロトロア様は優しい方です。噛みつこうとする獅子の子を面白がってからかったり、棒切れを持たせて喧嘩してみたり。その年の春に仔馬を与えたのです。今のロンフォルトですね。その世話をさせ、騎士になりたいと豪語するあれの希望に沿う形で、乗馬や剣術を教えました。その頃から、だんだんと笑うようになりましたよ。相変わらず、ロトロア様には不遜な態度のままでしたが。それでも、人は側にいれば理解し歩み寄るものです。野生の生き物が人になつくように、シャルルは我らの仲間になりました」

「ですから。ロイ様。どうか、シャルルをあきらめてください。それが、あの子のためにもなります」
リシャールはそう語り終え、じっとしたままのロイを見つめた。
ロイは表情を隠したまま、静かに横向きになった。
かすかに肩が震えるのを、リシャールは静かに微笑みながら見つめていた。
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『La croisade de l'ange 4:Paris』⑰

La croisade de l'ange Chapter 4 『Paris:天使の聖戦』

17

警備線の砦は何かの焼けた匂いと酒、祝祭日の後の様な臭気に満ちていた。
ベルトランシェを案内しながら、砦を守る将軍がノルマンディー軍とすでに一戦交えたと報告していた。
土嚢や木柵はところどころ壊れていた。暗がりに兵の死体でも横たわっている気がして、シャルルは自然と目をこらす。
高台になるそこから、遠く敵陣営の松明が闇の中にちらちらと並んで見えた。シャルルはそれを、建物に連れて行かれる途中眺め、「ブリュージュで見た、海に浮かぶ船団みたいだ」と感想を言った。
「ああ、実際の船団も来るかもしれん。セーヌ川はちょうどこの地で大きく湾曲しているからな、それが自然の城壁ともなる。将軍は橋に軍を配備しているだろうぜ」
ほら、あちらだ。と。ロトロアが指差す遠い夜の空。月明かりの下で空と地である堺に向かって、川面らしきものが光る道を描く。
それは北を向くシャルルの前方からぐんと右に曲がり、またすぐに左にと曲線を描く。それがこの警備線の少し手前を横切っている。そういえばルーアンからこの砦に来たときに、いくつか続けて橋を渡ったのを思い出した。
「あれが、セーヌ川?」
「そうだ、地上は城壁でも木柵でも塞ぎようはあるが、川を堰き止めるわけにはいかん。橋の上は寝ずの番だろう」
言われる場所を、目を凝らしてみれば。暗がりの林の向こう、橋らしい場所には一際目立つ松明が密集していた。
「ふうん」
そこでくしゃんとくしゃみをし。ロトロアはシャルルの肩に上着をかけた。
そういう一つ一つが。重みとなってシャルルの気持ちを悲しくさせた。


岩山を削った、城。その山肌の階段を昇り、中腹から獣の口のように開いた穴にシャルルたちは入っていった。
中は広く、そこから山肌を舐めるように回廊が続き、それぞれの部屋につながっている。
風が吹き上がる夜中には、粗く削った柱の間をすり抜けて、ひいひいと叫ぶような音をさせた。
シャルルを自分の部屋にと考えたロトロアたちに、ベルトランシェが反対し。ロイを連れて行こうとしたベルトランシェにロトロアが反論し。
結局彼らの二つの部屋の間にある、小さな物置のような場所にシャルルとロイは押し込められた。久しぶりに腕の縄を解かれたシャルルは、しびれた手で出された食事も上手くつかめず、ロイに手伝ってもらった。互いに寄り添い、部屋の隅に座っていた。
このかすかに土の匂いのする寒い砦は、どうしても好きになれなかった。

「寒いですか、ロイ様」
食器を下げにきた近衛騎士のスタラスがロイの様子を見つめて尋ねた。
ロトロアより多分少し年上の騎士は、少したれ目で柔らかそうな髭を蓄えていた。その口元はいつも笑っているように見えた。
「毛布が欲しいよ、それとランプ。暗いの怖いし」
シャルルがそう訴えると、騎士はわずかに眉をひそめもう一度ロイのほうをむいた。
「ロイ様」
「毛布を、ランプがあればありがたい」
「分かりました」
同じことを言ったのに。シャルルは離れて行くそいつを睨んだ。その腰に、見覚えのある剣。イタチ剣だ。むぅ、と。シャルルは考える。
あいつから剣を取り戻す。
それで、ここから逃げ出す。
入り口からここまでの道は覚えている。
馬車が止められている場所も、以前来たときと同じだろうから分かる。
あいつは毛布とランプを持ってここに来る。

スタラスは大柄な男だった。
腰に三本の剣を差し、片手に毛布、片手にランプ。重いはずの鎖帷子も、脚の拍車も。篭手も。まるで生まれたときから身につけているような滑らかな身のこなしで重みを感じさせなかった。
リシャールはもっと華奢だからそういう装備はいらない時には必ず外していた。ロトロアも、くつろぎたい時には軽装になる。再び戻ってきたスタラスに、シャルルは言った。
「近衛騎士団って大変だね。こんな時にもその正装でいるのか?」
「当然だ」
憮然とした様子で、ランプを受け取ろうとするシャルルの手に毛布だけを押し付けると、スタラスはランプを高く掲げた。
「なんだよ、ランプくれよ」
伸ばす手を無視し、男は二人が届かない高さの壁に、ランプをかけようとした。
「意地悪だな!」
「火をお前たちに与えるはずはないだろう?」
「いいよ、そこなら届くし」
「ふん」鼻で笑い、スタラスはもう一度壁にかけたランプを取り、さらに高い位置に引っ掛けようと思い切り背伸びした。
不意に足元を何かがくるりと駆け抜けた。
「おおっ!?」
避けようとした一歩。それは、毛布が巻きついて引っかかる。
どん、と腹に衝撃を感じスタラスは床に転がった。ランプの光に金色の髪が揺れ「ほら、拍車なんかつけてるから毛布に絡まれるんだよ」
笑いながらシャルルは鞘ごと剣を振り上げた。
スタラスは腰にあった剣を盗られたと気づいたが、振り下ろされるそれを防ぐのが精一杯。ガシャン、と篭手に当たる衝撃。ロイが駆け抜ける気配に、慌ててそちらに手を伸ばす。
その手は、続いて駆け出したシャルルに踏みつけられ。
ぐあっと、叫んで起き上がったときには、二人の姿はなかった。
「しまった!誰か!おい、ユーリー!!」

シャルルとロイは、必死に走る。狭い階段を、二人手をつないで。
岩肌を登る風に髪を巻き上げながら、シャルルは城の外へと向かっていた。
三メートルほどの階段を駆け下りると、すぐに馬のあるほうへと向かう。夜は松明のある場所にいる兵くらいしか見当たらない。
他にもどこかにいるのかもしれないが、シャルルたちの場所からは軍隊の姿も遠く、男たちのざわめきや酒の匂いとしてしか感じられなかった。

背後にリシャールの声が聞こえた気がした。
暗がりに立ち止まり、シャルルは見回した。
馬車のある場所は階段を降りた広場から西。山からの小さな川が流れる側だ。確か、陣営はその先の一段低い位置の草原にテントを張る。
以前の記憶をたどりながら、逃げ道を探る。
暗い足元に何度も躓きそうになる。ロイを支え、自分も転び。二人で起き上がってまた、走り出す。冷えてきた夜風に胸が刺されるように沁みた。

ロンフォルトはすぐに見つかった。狼除けの松明の明かりの中、白いイタチが馬の背で飛び跳ねていたからだ。馬車からシャルルの荷物と水だけをロンフォルトに括りつける。
「クウ、行くぞ」とイタチも呼んで、シャルルはロイと供に馬にまたがった。
イタチも嬉しげに二人の間で温まる。
シャルルがロンフォルトの手綱を手元に巻き付け握ったのと、頭上から声がしたのと同時だった。
「あそこだ!逃がすな!敵だぞ!」
スタラスの声が響いた。
「急ごう!」
スタラスは大声で援軍を呼ぶ。ノルマンディーの捕虜が逃げる、と。
前を向き直ったシャルルの前に。銀の髪をなびかせる騎士が立っていた。
「ベル!」
近衛騎士団長は、手に、鞭を。
それは風を切るような武器で。馬上の二人には避けようも、防ぎようもない存在。
それで馬を傷つけられたら、終わり。
シャルルの予想に反し、ベルトランシェは静かに語った。
「ロイ様。ルイ九世陛下の命令により、貴方を連れ帰らなければなりません。同時に。ブランシュ様の命令により、貴方を救わなければなりません」
「ベル」
「なんだ、それ」
シャルルは男の言う意味が分からず、ロンフォルトも足踏みをする。
「今、事故が起こりました。あなた方がノルマンディーに通じるものだと、兵たちに知られました。昼間の戦闘で傷を負ったもの、怒りを募らせたもの。彼らを止めることは、私には出来ない。連れ帰りたくとも、助けたくとも無事にはすまない。これは事故です。ここをあなた方が切り抜け、逃げ出せたなら。私はそれ以上、追う事はしません。私は部下を守る立場であり、相反する二つの命令に従わねばならない立場でもある。これ以上のことは、できません」
ベルトランシェはその場に、膝をついた。
「どうか、ロイ様。生きてください」
見逃してくれる、というのだ。
「ありがとう、行こう、シャルル!」
背後のロイにぎゅ、と腰を抱きしめられて、シャルルは我に返る。
意味はよく分からないが、逃げるしかないのは同じ。
「行くぞ!」
今度は思い切り、ロンフォルトに鞭を入れる。
駆け出しながら、背後を振り返っているロイを感じて、シャルルは問いかけた。
「よくわかんないけど!ベルは味方なのか?」
「彼は、近衛騎士団に入る前、幼い頃の私の警護をしてくれていたよ。大切にしてくれた。何度か私を救ってくれ、それをお母様が認めて近衛騎士に抜擢した。彼はなぜか私のそばを離れたがらなかったけれど。折角の昇進だから。淋しかったけれど、私はパリに行くことを勧めたんだ」
「ベルって、変だよね。まあ、助かったからいいけどさ」
「シャルルには、分からないかな。優しい人だよ。なんていうか」
「ベルは男の子好きなんだ。僕には分かんない。ロイ、舌をかむよ。ちょっと我慢して」
ロンフォルトは暗がりの中、今小さな小川を飛び越えた。
わずかに下っていく草原。左方から追いすがろうという騎馬たち。見れば右からも、併走しようとする姿がある。
左の兵とは違い、右は立派なマントが風になびいて、身分の高い人たちだと分かる。
この軍を率いている、騎士たちの一団だ。
「なんだよ、全員で来なくたってさぁ!」
思わず叫んで、シャルルは前方の林を見据えた。
誤ってぶつかれば終わり。
ロンフォルトの勘に任せよう。
走る馬の首にそっと触れる。「ロンフォルト、頼む。橋まで、橋まで一気に行きたい」
念じるようなシャルルの声も、馬の耳は届くのかもしれない。
右に細い木がすり抜け。足元に低木の塊。一つを飛び越え。
その時には左にも右にも、黒い影になった木が流れていく。
月明かりがせめてもの救い。それが川面に反射して、こちらだよと言っている。木々の向こうで揺れている。
ざっ!

林を見事な速さで走りぬけ、不意を突かれた橋の番人が背後を振り返る時には、その脇を一頭の馬が駆け抜けた。
松明の明かりが一瞬、シャルルたちの視界を過ぎ去っていく。
夢中で走らせるシャルル。側にいるロイも、クウ・クルも。まるで一つの風になったみたいに。同じ呼吸、同じ目線、同じ思い。
それは、永遠にも、一瞬にも感じる。

橋から先は街道を。開けた畑、月明かり。広がる視界はそのまま、シャルルたちの自由を暗示しているかのよう。
「シャルル」ロイの囁き。
追いすがる、何頭かの騎馬の気配。
ロイが振り返り、
「シャルル、二、三。五騎、きている」
逃げ切れない。子供とはいえ二人を乗せたロンフォルトは、重装備の騎士よりは重いだろう。
シャルルは街道から麦畑に入り込み、その先の糸杉の側でロンフォルトをとめた。
「ロイ、先に行ってくれ。絶対に、追いつく」
とん、と身軽に飛び降りたシャルル。
ロイは躊躇し、それでも飛び降りた。
「ロイ!行けってば!!」
「私も、戦う」
「じゃあ、僕がどうしようもなくなったらだよ!馬に乗ってて!邪魔だよ!」
「邪魔って」
シャルルはすでに剣を抜き、追いすがる騎士たちを迎えるため、麦畑に走り出した。
騎士たちのうち二頭が、槍を構えたまま近づく。ロイは仕方なく馬にまたがり、その様子をじっと見つめていた。
シャルルが強いのは知っていた。ランスでの戦いも、この間のラン伯の襲撃も。そして、近衛騎士を出し抜く、身のこなしと機転の早さ。ロトロアが「騎士にならないのか」とため息をついた気持ちはロイにも理解できた。
鋭い馬の鳴き声に、ロイは目を凝らす。月明かりの下、シャルルはあの時ロトロアたちにしたように、素早く馬の脚を切りつけたらしい。
暴れる馬から落ちた騎兵を、今一人。絶命させたようだ。
剣で何かの命を奪う、そんな経験をしたことのないロイは、知らず知らず懐にあったあの毒薬のビンを握り締めていた。
それと気付き、改めてしまいこむ。
リシャールに言われ、諦めた方がシャルルのためかと考えもした。一人でこっそり死を迎えるのも、病死が早まったと考えればたいしたことはないと思った。けれど。

当然のように助けてくれるシャルル。ベルトランシェ。無事に帰りなさいといってくれたヘンリー三世。そして、助けて欲しいと願った、母。
彼らを思えば。自分が勝手に絶っていい命でないことくらい、ロイには分かっていた。
名を捨ててでも生きることを選択した。あのときを思い出す。
死なない限りは、生きているんだ。何をしてでも。
ロイは馬に括られていたシャルルの荷物から、短剣を引っ張り出した。青い短剣。ロンダという青年を思い出し、ロイはぎゅっと握り締めた。

夜風はシャルルに味方しているようだった。
縁取られた雲が灰色の衣で月にまとわり着く。シャルルの足元で揺れる草、足元の踏みならされた麦畑、こぼれた落穂が季節外れの芽を吹いている。それは風に揺れるのがわかるほど、大地を覆っていた。そこにわずかにかかっていた影が消えるのを、視界の隅で感じ取る。今、ちょうど砦を背にした彼らの姿は、シャルルにはシルエットとしてみることが出来る。向こうからは。
月明かりが消えれば、見失う。
タイミングを計ろうとするシャルルより早く、馬を失った一人の騎士が甲冑の音を響かせ、飛び掛る。その大ぶりの剣は夜露に湿った草を薙ぎ払うに終わる。
シャルルは身軽に飛び越え、男の脇。続けざまに横に振り払う剣も空を切り。
男が背後を振り返る時には鳩尾にシャルルの渾身の一撃。それは剣の柄であろうが、深く男の内臓を打ち、次の瞬間膝を落とした。
残り、三騎。と。その一つに狙いを定める。駆け出した一頭、それが自分めがけて足を振り上げる瞬間には。イタチ剣の刃がそれを斬る。薄い手ごたえ。馬はバランスを崩し、けたたましく鳴いてよろめく。
音が交錯し、何か。と体制を低くしたまま剣を構えなおした時。
すでに地に下りていた男がシャルルのすぐそばに。
甲冑の音がしない、それは軍隊の騎士ではない。
軽い皮の防具、背の高い、黒髪。
「ロ」
それを知った瞬間、シャルルは弾かれるように飛び離れた。
寸前までいたその場所を、男の腕が振りぬいた。
続けて捕まえようというのか、繰り出す長い腕にもう二歩。下がる。と、左脇にもう一人。
「諦めなさい、シャルル」
声の主は見覚えのある構えと気配。
リシャールだ。
右にかけた重心をぐんと膝でためて低く構える。
その二人は。

どうして、分かってくれないのか。殺したくない、戦いたくない。
訴える余裕もなく、シャルルは掴みかかるロトロアの脇を、ぎりぎりで避けた。
言葉を発することも出来ず、ただ詰められる間合いを広げ、また詰められ。
その繰り返しに意味もない剣は余計な荷物になっている。
剣を使おうとしないのは、向こうも同じ。だから余計に、疲労が増す。
避けてるだけじゃ、埒が明かない。

体がまだ動くうちに。
シャルルはロトロアが二歩、ぐんと近寄った瞬間を迎え撃つ。
手首を掴み懐に。相手の腰にこちらの腰を当て、一気に体勢を沈める。
と、それは普通ならば、投げとなるはず。ロトロアは瞬時にシャルルのわき腹を抱えるように腕を回した。
男が体勢を崩すのと一緒に、シャルルも巻き込まれ、宙に舞う。
ごろごろと投げ出されて草の中を数回。
勢いのまま起き上がろうとする、目の前に剣が光った。

また、月が顔を出し。こちらを見下ろすリシャールの背後で輝いている。リシャールは最初から剣を抜いていた。そこが、ロトロアと違う。
「大人しくしなさい、大丈夫ですか、ロトロア様」
「ああ、相変わらず素早いな」
ロトロアは身体についた草を払い、立ち上がる。その動作に、シャルルはわずかに違和感を認める。
「リシャール、ダメだよ」
もう一人いただろうか。
シャルルが見上げると、その声の主はリシャールの背後に剣を突きつけていた。
編んだ髪、よく通る声。
「サール。お前は、まだそんなことをするのですか!」
シャルルに剣を突きつけたまま、リシャールが背後の男に声を荒げた。
「だから、殺すか捕らえるかしろと言ったんだぜ、リシャール」
ロトロアの声は呆れているかのように聞こえる。
ロトロアはこちらに近づきながら、剣を抜いた。
「ダメですよ、ロトロア様。それ以上近寄ればリシャールがどうなるか。停まってください。シャルル、今のうちに」
我に返ってシャルルは跳ね起きた。
同時にリシャールは肘を繰り出し。避けたサールと、剣を斬り結んだ。
「ロトロア様、私の失態です。彼の処分は、私が」
言いながら、口調とは裏腹の激しさでサールに向かって剣を振り下ろす。
かろうじて受け止めたサールは、「どうして分かってくれない、リシャール!」
その声は張り詰めていた。
実力は、リシャールの方が上だろう。シャルルの印象では優しげな吟遊詩人が不利。当然ながら、その援護にと踏み出した。
瞬間、背後に感じたそれに、慌てて振り返る。
ロトロアの剣が、わずかにシャルルの肩に傷をつけた。

殺す、と。
その目は物語る。
二つ目をイタチ剣で受け止めたものの、その重さに尻餅をつく。
容赦ない拳が、シャルルの頬を殴りつけた。
ぐらりと意識が途切れるなか、身体に染み付いた受身を取りながら、シャルルは転がって体制を整えた。剣を構える余裕はない。掴みあげられた胸倉に腰が宙に浮いた。瞬間、思い切りわき腹につま先を蹴りこんだ。
ぐう、と唸って、ロトロアの動きが止まる。
脇腹を押さえ膝をつくそれに、シャルルはすかさず、腕を蹴り付けた。
「お前!」
剣を取り落としたロトロアは、それでも立ち上がれず。苦しげに睨み付けた。わき腹の傷は結局、皮肉にもシャルルを助ける。
シャルルもいつの間にか息が切れている。
どうしようもない感情は、解決策を探すことも出来ず、ただ目の前の危険から身を護るだけで精一杯。思考は必要最小限、獣のように。それが分かるのに、それじゃいけないと分かるのに、どうしようもない状況を変えられない自分。怒りも悲しみも、畏れも。何も沸いて来ない。
今は、ただ自分の荒い息を聞きながら、大きな瞳を凝らして闇を見つめる。剣を構え、地に座り込むロトロアに突きつけていた。


サールは鋭いリシャールの突きに、短めの剣を振り上げた。
くるりと優雅ともいえる動きでリシャールが詰め寄る。
慌てて距離をとる。
その繰り返し。
「サール、なぜ、それほどシャルルに入れ込むのですか!お前には無関係でしょう!」
先ほどから、その問いを繰り返すリシャールに、吟遊詩人は口を失ったようにただ、剣を振り回すだけ。
その頑なな様子に、ますますリシャールは心を重くした。
「ここで、サール。お前を殺すことになるとして、私はその理由すら知らないままお前と別れるのですか」
「シャルルちゃんを、どうして助けてくれないんだよ」
その声が。サールの口から出た声があまりに、悲しげで。リシャールは動きを止めた。
サールは、もうかなわないと見たのかその場に座り込んだ。
「はあ、だめだよ、やっぱり。俺じゃ、何も救えないんだ」
泣き声と言ってもよかった。
「サール?」
「俺は、俺は。誰も救えない」
「サール?何か、あったのですか」
まだ、二人の間には先ほどと同じ距離が保たれていたが。親友という記憶を取り戻したのか、リシャールの口調はあまりにもいつもどおりに穏やかになる。それがまた、サールを悲しくさせた。
「吟遊詩人が剣を持っても、いいことはありません。鍛えている我らとは違うのです」
「それでもさあ、それでも。シャルルちゃんの想いを、遂げさせてやりたいんだ」
「なぜですか?お前は、自分の立場を忘れたのですか」
「辞めたんだ、もう。シャンパーニュに頭なんか下げない。アニェス様が、ご病気なんだよ。それなのに、また北に行けと都合よく追い払う。お側に、いたいんだ、いつ、会えなくなってしまうか分からないのに!俺は、あの方に何もしてやれない」
「ご病気ですか。ティボー四世伯は、なにも」
「平気なんだよ、あの人は。だから、アニェス様は一人で苦しんでる、それを歌で慰めるのも許されなんだ、ひどいと思わないか!俺の気持ちも分かっていて、それを利用していて、それでも時折お会いできると思えばこそ、黙って従ってきたんだ!なのに、この大事な時に」
「それが、なぜ我らの邪魔をするのですか」
「同じだよ、シャルルちゃんは。身分が違う、決して結ばれない、だけど。側にいたいんだ、役に立ちたい、護ってあげたい。シャルルちゃんがロイ様のことを話したとき、放っておけないと思ったんだ。シャルルちゃんの目的を遂げさせてあげたかった。それを、味方だと思ったのに、ロトロア様は裏切るんだ!領地のため、自分のために、国王陛下に媚びて、シャルルちゃんを苦しめるんだ!そんなの許せないだろ!あんなに、真っ直ぐな、天使みたいな子の願いを、どうして裏切れるんだ!」
「サール」
「殺したければ、殺せ!どうせ、すぐ、あの世でアニェス様と会える。その方が幸せってもんだよ!」
剣を降ろしているリシャールに、サールは立ちはだかった。
「シャルルちゃんとロイ様を、引き離すのは許さないよ」
はあ、と。リシャールの溜息が風に溶ける。
「では、覚悟なさい。私は私の想いを遂げる。お前がアニェス様を護りたいのと同様に、私はロトロア様を護ります」
「なんでだよ!そんなに契約が大事かい?」
「お前は、知らなくていいことです」リシャールの表情が、ふと静まる。感情の起伏を感じさせない、彫像のような冷たい目。
サールはごくりと、唾を飲み込んだ。


「殺さないのか」
ロトロアの声は、痛みのためかわずかにかすれる。
それでも揶揄を含んだ口調が、シャルルが押さえつけている感情を揺さぶろうとする。殺せない、そんなの、分かってる。
「俺なら殺すぜ?」
「死にたいの?」
「やっと、口を利いたな」
む、とシャルルは口をぎゅっと結んだ。
代わりに瞳には余計な涙が湧いてくる。笑いかける、ロトロアの顔はいつも通り。仔馬をくれたときも、冗談を言ってからかった時も。獅子紋の剣を預けた、あの時も。いつも。シャルルに笑いかけた。
今も。
「今からでも遅くないぜ、あきらめろ」
「状況が、分かってないのか」
シャルルは噛みしめるように、ゆっくり話す。押さえたい感情を、見せまいとする。
「あんたは剣を取り落として、怪我をしてる。僕は、そのあんたに剣を突きつけているんだ」
「イングランドに行っても、ヘンリー三世に利用されるだけだぜ。ロイも承知している。それでもお前はロイを連れて行くのか。お前はまた、間違いを犯そうとしているんじゃないのか。俺だけじゃない、ランスも、フランドルも、生まれ育ったこの国をすべて、裏切ることになるんだぜ」
すべてを。
「お前は、俺たちの仲間だろ」
何度も、あふれそうになる涙をこらえる。
「仲間なら、僕を、大切にしてくれるなら。一つくらい、僕の希望を聞いてくれてもいじゃないか。ロイを助けてほしいって、それだけでいいのに!」
「ロイを見逃すことはできるさ。お前が、俺のもとに残るなら、な」
「だけど!そばに、いたいんだ!ずっと、側で守りたいんだ!」
ロトロアは目を細めた。
「泣くなよ」
「僕は、ロイに生きてほしいんだ。一番大切な人を、そのたった一人を救えなくて、じゃあ、僕は何のために生きるんだ。何もかも裏切ったって、すべての罪を背負ったって、僕はロイを護る。そのために戦う!間違っていたって、いいんだ!」

ぐ、と不意にロトロアが苦しげに腹を押さえた。
ロンロン、そう、口にしかけ。足元に手が伸びるのに気付いた。
「ずるいっ!」足首にはしっかり、ロトロアの手が。
剣を振り下ろそうとしても、引っ張られる足にバランスを崩し。シャルルはそのまますてんと草地に転がる。
ガツ、と剣を持つ腕を蹴り上げられた。声を上げることもできない衝撃と痛み。
んぐ、と。唇をかみ締めるその腹に、重い足が蹴り落とされた。
こみ上げる痛みにシャルルは転がり。
ふ、う、うう。
獣のように息をするだけで、精一杯だ。
右腕がひじのすぐ下あたりが、ぐんぐん腫れあがっていく。動かない。
折られた。
そう思う。
思うだけで、また。腹を蹴られ、ぐう、と身体を震わせる。

殺せる、だろう。
ロトロアは。
可愛がったそれが、死を迎えるのを。見届けるといった。
失うくらいなら殺すと、言った。
気が遠くなりそうな痛みに、空の月が一瞬だけ見えた気がした。
「止めろ!」
その声が、ロイのだと。
分かる。
自分の上に覆いかぶさっていた、男が立ち上がった。
ダメだ、ロイ。
「逃げて」
左手で草を握りしめ叫んだそれが、声になったかどうか。
こみ上げるものを吐き出せば、血の味がした。
うあ、と。どさりと草地に身を投げ出した、ロイの様子が耳に届く。
ロイ、ロイじゃかなわない。
殺されちゃう。
シャルルは月明かりにむくりと。操り人形のような不自然さで、体を起こした。
這うように、左手だけを地に着いて、剣を捜す。
手元の暗がりは、空しく草が絡みつくばかり。
また、向こうでロイの声が、聞こえた。

「ダメだよ、ロイを」殺さないで。
お願いだから、ロイを。
涙が、視界を遮る。それを拭った時、草の中にキラリと光る。
シャルルはそれに手を伸ばした。


「シャルルを、殺させは、しな」
最後までロイは言うこともできず。短剣を握る手を、ロトロアが片手でぐんと捕まえた。
払おうとしても、力が違いすぎる。
蹴ろうとすれば、とたんに視界がぐるりと一回転した。
「可哀想な方だ。ロイ様。大人しく俺に従えば何も起こらなかった。ランスでも、パリでも」

ロイが頬をつめたい草に押し付けられ、腹の上に男が馬乗りになっていると分かった時には、息が出来なくなっていた。
喉元を締め上げる手。視界が定まらなくなってくる。
もがく足が宙をかいた。
「貴方がどう生きるなど、知ったことではない。ただ、シャルルは渡さない」
「止めろ!僕が、僕があんたの元に戻ればいいんだろ!ロイを諦めれば、それで」
ロイに注がれていた殺気が、消えた。
離れた手に、ロイはぜえぜえと空気を吸い込んだ。
「僕があんたの側にいれば、いいんだろ!」
ゆっくりと振り返るロトロア。その視線の先を、ロイも見つめ。
「シャルル」
二人同時に叫んだ。

月明かりに、金色の髪が、揺れる。かろうじて立っている足元が、崩れ、シャルルは地に膝をつく。泣いている目ばかりがきらきらと輝いた。
「ロイを、殺さないで」
地に横たわったままのロイ、その上に乗るロトロア。二歩の距離をあけ、シャルルは対峙する。ロイに、ロトロアに。そしてこれから犯そうとする罪に。
「お前、何をするつもりだ」
ロトロアが呟く合間に、小さなコルクを歯で引き抜いた。
風にミモザの髪がなびき、手にしたビンが月明かりにきらりと光る。それは、人の命を奪う、液体。
音が止み。
シャルルはゆっくり、それを口に近づける。
「僕が、あんたの側にいるから、だから」
「おい、待て!ばか!」
ロトロアがシャルル方へと踏み出した。
「止めろ!飲むな!馬鹿」
小さなビンの中身は一瞬早く、シャルルの口に吸い込まれる。
ロトロアは座り込んだシャルルに駆け寄り、白い頬を両手で包んだ。
「ばか、吐き出せ!シャルル!」
シャルルはふわりと顔を上げた。男の背に左手を巻き付け。
その唇に、口づけた。
「!?」
月を映すシャルルの瞳が美しく深い色をたたえ、ロトロアの心に沁みる。
唇に触れた瞬間、するりと入り込む液体。シャルルの涙の温度を唇に感じたようで。
ロトロアは思わず喉を鳴らし、それを飲み込んだ。
毒薬を。
「ぐ、お前。それは」
ロトロアはシャルルを突き飛ばし、咳き込んで草原に座り込む。ロトロアは唸りながら、吐き出そうと口に指を突っ込んだ。
同じように咳き込むシャルルはむせながら、口に残る焼け付く苦味を唾と一緒に吐き捨てた。
「シャルル!」
駆け寄るロイが。その肩を抱いた。
「シャルル、なんてことを!」
「大、丈夫。僕は、飲んでない。あいつは、わかんない、けど」

見つめる中、ロトロアは苦しげに胸をかきむしる。草地に身を横たえ、呻きながら吐き出そうと、もがいていた。
その姿が涙に流されていく。
結局、あんただって。僕を殺せなかったんじゃないか。
シャルルは、ロイの胸にすがって泣いた。
「僕は、僕は」
ロトロアを、殺したんだ。
「大丈夫、シャルル。罪は私が負う、私が」

「ロトロア様!」
向こうから駆けてくるリシャールの声。サールの血に染まったリシャールも同じ罪を背負っているように見えた。
シャルルとロイはゆっくり立ちあがった。
よろけかかるのは、ロイが支えた。
「行こう、シャルル」
二人はロンフォルトにまたがり、ノルマンディーへ。遠く海を、目指す。
走り出せばすり抜ける冷たい風が、口元に張り付いた血と頬の涙を乾かしていく。

「ロイ、側にいるから。ずっと」
シャルルのかすれる声に、ロイは強く抱き締めて応えた。
遠く、リシャールの声だけが、風に乗る。



ここまで読んでくださってありがとう!
追記にあとがきです♪

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クルセイド・ルアンジェ イメージ♪

『ギャラリー:風の足あと』
このページは小説『クルセイド・ルアンジェ』のイメージ集♪
らんららの尊敬する美麗文章を描く藤宮風輝さんのイラストページ♪
素敵なキャラぬいぐるみとイラストを集めてみました!

物語の完結記念♪
切ないイラスト、いただきました!!
ロンロンもこれで本望!?
クリックで拡大して、堪能してください♪
NEW!!
CADB2S64.jpg
CAHX0DCF.jpg

第三章完結記念にいただいたイラスト♪
91_ATRPK5B1J5.jpg
タイトルロゴ入り♪
シャルルの伸ばす先の手は、誰っ!?誰っ!?
藤宮さんはロイ派ですから~やっぱりシャルルが微笑む先はロイ君だったり?
いろいろと想像させるイラストです♪

93_CRV8KZFIE9.jpg
らぶシーンでしょ?これはもう。
眼を閉じて少しくたりとしたロイ君、病弱な彼を「抱きしめてあげたいっ!」という
シャルルちゃんの願望です(笑
私だって抱きしめてあげたいですよ、許されるなら(爆

藤宮さん、感謝です~♪
妄想を胸に、更なる執筆に励みます!

クリックで拡大します♪

第二章完結記念にいただいたイラスト。
少し大人目のシャルル&ロイっ!!
83_KM4XHSUJMH.jpg

そして~♪藤宮さんの中で固まりつつあるクウ・クルのイメージ!
ちょこんとした前足と少しピンクの鼻が好き♪
84_CKJK1IKQA3.jpg

■ジャン・ド・ジョワンヴィル(11)■
hujimiyajan.jpg
ああ、可憐だわ!!
シャルルよりずっと可愛らしい~♪そうそう。
口を開けば生意気な少年だけど、十一歳で育ちのいいお坊ちゃまだもの~。
黙ってにっこりすれば、きっとこんな感じ♪
ありがとうございます!

■クウ・クル■
クウ・クルその1
クウ・クルその2
クウ・クルその3
ぎゅーと抱きしめたくなる、クウ・クル♪


■シャルル■

シャルル
ああ~いいわ♪凛々しく可愛い♪

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らんらら

Author:らんらら
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