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9.11平和を書こう「あさひ」4



タクシーで駆けつけた私を、日下部さんが出迎えた。
所内は既に消灯時刻を過ぎたのだろう、非常用の緑のマークだけが廊下を照らす。
事務室は煌々と明るい。
日下部さんは先日と同じ事務服姿で、仕事の途中だったのか、灰色の机の上には書類が散らかっていた。

あの隅におかれた机に、旭はじっとしていた。学校に出かけたときのままの服装で、制服の小さなネクタイが外されて旭の前にある。どうやら止めるためのホックが取れてしまったようだ。それを睨みつける横顔の口元には、赤い傷が見えた。
握り締める拳も、擦り傷なのか赤くなっている。
私を見ると目をそらした。

「!旭!どうしたんだ?顔、怪我してるじゃないか!」

日下部さんの話もそこそこに、私は彼の肩を揺らす。

「……」

黙ったまま顔を背け、旭は由香里に似た横顔しか見せようとしない。

「な、怒らないから、こっち見てくれ」

ついにはうつむいてしまった。

「あの、角田さん。旭くんは」
「言うなよ!」
ふいに旭が大きな声を出した。

驚いた私と比べて、日下部さんは慣れているのか、腰に手を当てて彼を睨んだ。

「二度としないって言うから、黙っていたの。約束を破ったから仕方ないでしょ」

日下部さんの言葉に、旭は机に体を投げ出して、臥してしまった。

「あの、二度とって、初めてじゃないんですか?」

私が立ち上がって日下部さんに問いかけると、ため息を派手について彼女は自分の席に座った。手振りで私に旭の正面に座るよう示す。
私が腰掛けると、ちょうどイスごと振り向いている日下部さんと並んでいるようになる。

「始めは、二週間くらい前でした。夜十一時くらいに警察から電話があって。小学生が補導されて、連絡先はここだからというんです。迎えに行ってみれば旭くんでした」
「……黙れよ」
小さくうなるように旭が言うので、私は腕にうずめたままの頭をなでた。

「とにかく、ここにつれて帰って、角田さんにご連絡差し上げようとしたんです。そうしたら、絶対に知られたくないって。角田さんはお仕事で遅いから知らないんだと言い張るので、二度としないように言い含めて帰したんです」

気付けなかった。
日下部さんの話では、これが三回目なのだという。

「今回は、喧嘩したらしくて、こんな顔で歩いていたのを補導されまして。もう、隠せないからと説得したんです」
「申し訳ありません」
私が立ち上がって深く頭を下げると、日下部さんも立ち上がった。

「いいえ、あの、決してあなたのことが嫌いと言うわけではないんです。あなたの前ではいい子でいたいと」

いい子で。
私の前でだけ?
それは、本心を偽ってそばにいるということなんだろうか。

「ご迷惑をおかけしました。旭、さ、帰ろう」

私が手を引くと、旭は素直についてきた。
うつむいたままで表情は見えない。
それがまた、胃の辺りを締め付けた。
私は、ずっと放っておいたのだ。
旭が大人しいのをいい事に、ないがしろにして、いい父親のつもりでいた。
握った手の平が弱く小さく感じられた。

そこに隠している本当の気持ちなど、到底私には分からないのかも知れない。
理解したつもりで高をくくっていた自分に苛立った。

「痛い」
握る手に力が入っていたことに気付いて、慌てて手を放した。

「あ、ああ、ごめん」

手に残る旭の手の湿気にもう一度空になった拳を握り締めた。


タクシーを降りて、マンションに入ると、旭は何も言わずに自分の部屋に入っていった。

「旭」

部屋で、彼はベッドに座ってぼんやりしていた。

「まず、風呂に入って来いよ。それから、薬つけてやるから」
「うん」

返事はするものの、一向に動こうとしない。

「な、おい、旭?聞いてるのか?」

顔を覗き込むと、膝に雫が一つ落ちた。

「泣くことないだろ。私は怒ってないよ」
「本当に?追い出さない?」

涙声に私の肩の力は抜けた。確かに、私の口調に棘が混じっていたのかもしれない。
繊細なのだ、しっかりと旭は感じ取っている。
私の苛立ちは彼に対してではない。
迂闊だった自分に対してだ。
何にしろ、私に責任がある。やはり私は彼の父親なのだ。

「な、旭。びっくりしたけど、怒ってないんだ。お前を放っておいた私も悪かったんだし、考えてみれば、学校と家だけの往復なんてつまらないもんな。大人だって皆やってることだ。ま、少し、時間が遅くなりすぎたのと、喧嘩はよくなかったけどな」

頭をなでてやる。
まだまだ、この子のことは分かっていない。

私に対して気を使っているのだろう。彼の性格なのか、私がそうさせてしまっているのか。
分かりはしないが。
もう少し、そう、近づくべきだと私は考えた。

「風呂、入るか?一緒に」

その一言は、旭の表情を変えた。

「え?」

「ほら、いいから。一緒に入ろう!男同士だからな、背中流し合うくらいしたっていいだろ」
半ば強引に風呂場に連れて行く。

それは後悔することになった。
いや、返ってよかったのかもしれない。知るべきだったのだ。

旭の背やわき腹、腿には、いくつもの傷があった。
古いものだったが、一瞬目のやり場に困った私に、申し訳なさそうに旭が話した。

「くそババアが、やったんだ。お母さんが仕事で出かけている間に、こっそりやるんだ」

「そうか」
それしか言えなかった。

虐待があったとは聞いていた。それが原因で、悩んだ由香里が心を壊したことも。
義母には思うところがあったが、それをまざまざと見せ付けられて胃に熱いものが落ちたように感じた。

「僕は我慢できるし、ババアにはそのうち力で勝てるようになるから、平気だって言ったんだけど。お母さんは心配しちゃってさ。ババアがいなくなればいいんだ」
吐き捨てるように言った後、浴槽に半分顔を隠すようにして、体を洗う私の顔をじっと見上げた。
様子を伺っているようだ。
私が指先についた泡のボールをふわりと顔に向かって弾いてやると、避けようとして慌てて潜る。潜るという選択肢が子供らしくて笑えた。
そうやっていつも、風呂で遊んでいるのだろう。

「ぷは、聡さん、ひどい!」
「あははは。そんな顔しているからだ」
面白い。

「怒らないの?」
「ん?お祖母さんのことか。お前がそう思ったんだ、仕方ないだろ。そう思われるだけのことをお祖母さんはして来たんだ」
大人気ないのかもしれないが、私自身、怒りを覚えていた。

「皆、言うんだ。誰かを憎んじゃダメだって。痛い思いしたら、相手の痛みが分かるはずだって」

浴槽の白い縁に乗せた指先が、何度も落ち着きなくかじる。その指先をじっと見つめる瞳には何も映っていないかのようで、私は背に寒いものを感じた。
旭が心に傷を追っているのは確かだ。

「でもね。嘘ばっかりなんだ。テレビで言ってたんだ。ババアは自分が小さい頃に殴られたから今も小さい子供を殴るんだって。そういう病気なんだってさ。そういう人も被害者なんだって」

「病気だろうが、なんだろうが。殴られる方はたまったもんじゃないだろ?」

私はこの時ほど、不用意なテレビ報道に怒りを感じたことはなかった。旭の言うそれは確かによく言われることだ。だがそれは同時に、嫌な思いをした旭がいずれ同じ過ちを犯す因子を抱えていると認めることになる。
そんなことは、認めない。

過去に被虐の経験があったからといって、これからのこの子の人生を決め付けるような陳腐な説は私が一掃してやる。

「聡さんはお父さんみたいだ。僕、お父さんが生きていたら、きっと僕の味方だと思ってた」
思わず抱きしめそうになった。

嬉しそうな遠慮がちな笑み。
由香里に似ている。
由香里は優しすぎたのだ。だから、心を病んでしまった。


風呂から上がって二人で冷たいものを飲んだ。
ベランダの夜風は生ぬるかったが、それでも星空に向かって旭は楽しそうに手を伸ばした。
既に午前二時。近隣は既に寝静まっている。

これほど、この街で星が見えることは気付けなかった。
考えてみれば夜空を眺めるなど、ここしばらくしていない。うつむいていたのかもしれないな。

飲み干したジュースのグラスを、両手でトンと手すりに置く旭。
その硬く静かな音に傍らを見る。
見上げる顔がある。
部屋から漏れる明かりに旭が笑っているのが分かった。

私を見上げたまま視線を移して、同じ高さに星を観ている。
子供はそうやって上を見ていく。大人になるとこうやって見下ろしてばかりいるのかもしれない。下ばかり見ている。

裸足の足が揺れる。
旭が手すりによじ昇ろうと、グラスを持った手をかけ身を乗り出していた。

地に足の付いた大人、空を見上げて高みを目指す子供。
ふと、そんなことが脳裏をよぎる。

「ほら、危ないぞ」
そういいつつも、私は旭を抱き上げて、手すりに座らせてやった。
けたけた笑いながら足をぶらぶらさせる。腰に当てた手を私が離そうとすると「やだよ」と、冷たい手のひらで握り締めた。

支えが、必要なのだ。
この子には。


二人で約束した。

私は出来るだけ、一緒にこういう時間を過ごしたい、そのための努力をすると。
旭は、黙って出かけない、喧嘩はしない。夜八時までにはちゃんと家に帰る、と。

どうして八時なのかと聞いたら、母親の病院に午後七時まではいられるから、その後帰って来るとその時間なのだという。
旭は私の知らない間に、週に二、三回由香里に会いに行っていた。今日も、病院に行き、その帰りに少し商店街を歩いていたのだと言う。
今の由香里に旭の顔を理解できるかどうかも怪しいのに。

由香里はいい子を育てた。

気に病んで、心を痛めることなどなかったのに。いや、彼女はだからこそ、満足いく環境においてやれない自分を責めたのだろうか。それなら、罪は私のほうが重い。

いずれ、旭と二人で由香里に会いに行こう。



⇒5へ続く
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