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「音の向こうの空」第十三話 ②

第十三話:夜に浸る空



オリビエはまだ少し痛む足を引きずりながら音楽堂へ戻ると、一人きりのその場所でゆったりとした時間を過ごしていた。
いつもより時間をかけて調律をし、鍵盤一つ一つをなで、音を確かめた。窓を少し開け風が入ると、昼下がりのそれは室内の湿気を拭い去るようだ。
泥と雨と血にまみれた昨夜。たった数時間前のことだ。今も、リトーの歌が耳に残る。悲しい生き方を、選んでしまったのだ。
男爵に拾われ、マリアの声を真似て生きてきた。それだけがリトーの拠り所だった。否定し罵倒した男爵に憎しみが生まれるのも理解できた。オリビエも音楽だけが拠り所だ。これを、それまで聞き入ってくれていた侯爵にあんなふうに否定されたら生きていけないだろう。
……そこまで無心で奏でていたオリビエは、ふと、手を止めた。
いや、それは違うか。
リトーは男爵を愛していた。
僕はそういうわけじゃない。だから、侯爵が、もし。僕の音楽を不用とみなし。

……。
再びオリビエの手が止まった。


「続けなさい」
ふと気付けば、音楽堂にはこの屋敷の主がいつものようにワインのグラスを片手に立っていた。旅の装束から解放され、柔らかな布地に包まれる侯爵は穏やかな表情でオリビエを見ていた。
オリビエが珍しく逡巡し、鍵盤の上で一度拳を握り締める。
侯爵は室内のいつもの場所、肘掛のある一人用の椅子に深く腰を下ろし、ギシと背もたれに身体を任せた。
「聞きたいのだ、お前の音が」

いくらか先ほどの嫌な回想と想像の余韻を残しながら、オリビエは指を走らせた。ほんの半日、楽器から引き離されていただけなのに、どうやらそれはオリビエの指先に新鮮さを感じさせる。指先一つ一つが奏でる音。感触、響き。蒼い空は相変わらずオリビエの前に広がり雲を抱え込んでそこにいる。
かすかな日向の匂いをさせる風が室内に入り込み、昨夜の雨はすっかり乾いたのだとオリビエは思う。あの暗闇の雨。耳元を塞ぐかのような雨だれの音、何もかもを泥に鎮める。再びリトーの顔を、声を歌を思い出し。
それは母マリアに対して一途であった男爵と同様。どこか悲しく、空しい。
あれほどまでに悲しい聖歌を聴いたことはなかった。
あの歌は、リトーでなくては歌えないものだ。
彼女の生き方。僕に似ている、そう思ったとき似た魂を感じた。僕が音楽に愛情を注ぐようにリトーは男爵に。そう、僕は音楽に愛情を感じているんだ。
先ほどから、似ているリトーの生き方のどこが自分と違うのかを無意識に探り続けていたオリビエは溜飲を下げた心地をえた。

こうして、奏でることが。僕の生きていく目的であり方法である。
チクリとキシュとズレンを思い出す。
恋も、友情も。どちらも手にしているのかいないのかよく分からない。確かに自分の中に芽生え今もある。侯爵に対する思い、アンナ夫人に対する思い。どれも、目に見える形にするのは困難で、ましてや誰かに語り、理解してもらうことなど出来ない。けれど。
だから、僕は奏でる。
音楽を愛している。


かすかな音だった。

侯爵が手にしていたワイングラスを静かにテーブルに置く。その気遣いのある小さな音。そこでオリビエは聴衆の存在を思い出した。
ふと、息を吐いて演奏を終えた。
「…もう止めるのか」
改めて足を組みなおす侯爵に、オリビエはリクエストを尋ねる。
穏やかに微笑む青年に、侯爵は「いや、いい。お前の曲が聞きたいのだ。お前が自由に奏でるそれを。語りつくしたのなら、もういい」
そうして、侯爵はオリビエのために用意させた昼食を運び込ませた。
また、飼い犬のように目の前で食べるのか。

ふと、そんなことを考え、オリビエは料理を置いてその場を去ろうとしたメイドを呼び止めた。
侯爵は小さく瞬きをした。
「あの、侯爵様の分も、こちらに」
困ったように侯爵の顔色を伺ったメイドに、侯爵は小さな溜息で応えた。「では、お持ちします」透き通る声で頭を下げると、女性は出て行く。
「ふん、どうした?」
怒るでもなく、笑うでもない。
侯爵にオリビエは一つ深く息を吐き、それから笑いかけた。
「よろしければ、ご一緒に。その方が、美味しいです」
侯爵は返事こそしなかったが、腕を組んで青年を見つめ、オリビエはこの思いつきに予想以上に侯爵が満足そうだと長年の経験で理解した。

「私はアンナよりお前を選ばねばならんのか?」
それは、夫人との会食を取りやめなければならないのかと、そういうことだ。
「あ、…そうですね。すみません」
く、と。
侯爵の表情が歪んだ。
料理を運んできたメイドがいぶかしげにテーブルに並べ、からの盆を持って立ち去る間。ずっと、侯爵はうつむいたまま低く笑っていた。

互いにファリでのことも、このエスファンテで起きたことも語らず、この日にふさわしいのかは分からないが。たわいもない会話がなぜか楽しかった。
侯爵の髭に肉のソースがついていると気付くと、オリビエは笑って教える。ふんと眉を小さく寄せただけの鈍い反応ながら、侯爵はナプキンでそれをぬぐう。
その日、オリビエは侯爵がジャガイモを嫌いなのだと初めて知った。

ひとしきり腹を満たした後、オリビエは昨夜の寝不足をけだるさと共に思い出した。
苦い食後のコーヒーで気分を奮い立たせる。
侯爵は「疲れているのなら休みなさい。話はズレンに聞いている。ああ、それからオリビエ。三日後、私はこの地を去る。共に来なさい」と穏やかに。さらりと話した。

この地を、去る?

意味が分からないオリビエに、「よいな」と有無を言わせない力強さで肩をつかみ、軽く叩いて音楽堂を出て行こうとする。
「あ、あの!それは、どういう……」
振り返った。侯爵の表情にオリビエは言葉を失った。

蓄えた髭に口元は曖昧にしているが、確かにその眉は険しく寄せられている。それは、悲しみ。初めて見るそれに、オリビエはここ数日の悲しい出来事全てを一瞬にして思い出した。
「お前は。私と一緒に来るのだ」
口調こそ命令。しかし表情からはそれが、願いであると思えた。
「はい」


釈然としないまま、与えられた部屋にこもった。昨夜の騒ぎで眠いのだとメイドに言い訳し、夕食も起こさなくていいと言い渡すとベッドに横たわった。やはり疲れているのか、どこかがけだるい。あの、侯爵の言った「この地を去る」という言葉。
それの意味より、あの時の侯爵の様子のほうが気になった。あれ程感情を露にしたことはないように思えた。ファリで抜け出したオリビエに向かった時よりも、アネリアのことで拒絶されたときよりも。これまで見てきたどの時よりも、侯爵の気持ちが知れた気がした。一緒に食事をした後だからそんな風に思うのかもしれない。

僕が変に気にしすぎなのかもしれない。
だけど。

確実に、侯爵の様子はオリビエの心を乱した。

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