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「音の向こうの空」第十三話 ③

第十三話:夜に浸る空



オリビエが侯爵と向かい合っていた頃。アンナ夫人の目の前、侯爵の席は空いたままだった。溜息混じりにアンナ夫人はフォークを皿に置いた。
まだ魚のグリルは湯気が立っていた。香ばしいオイルとハーブ、レモンの爽やかな香りすら感じられる。しかし、夫人はそれ以上手をつけようとしなかった。
「もう、いいわ」
デザートをとメイドが困った顔をしたが、「食べたくないの、結構よ」と席を立つ。
部屋を出ようとすればいつの間にか傍らにビクトールが控えている。「侯爵様は?」まだにぎやかに食事を続ける貴族や親戚たちに聞こえないよう、夫人は尋ねる。
「あの、オリビエ様と、ごいっしょで」

こちらも低い声で答える。アンナ夫人はかすかに表情を堅くして、「いいわ。あの子には少し、そうね」と独り言を呟きながら歩き出す。
「あの、奥様、どちらへ」
「ビクトール、ついてきなさい」
振り向きもせず命じる夫人に侍従長は恭しく頭を下げ、慌ててその後を追う。
「あの、奥様」
「革命軍は捕らわれているのでしたね。あの娘。オリビエが夢中になっているとズレンが言っていたあの娘。会いに行くわ」
何のために、とまでは尋ねる雰囲気ではない。ビクトールが黙って背後に従う。「好きにしていい、と。ズレンは言ったわね?」アンナ夫人の口元にはかすかな笑みが浮かぶ。
嫌な予感をかみ殺しながらビクトールはどう夫人をなだめるか、思考を繰り返していた。

離れの倉庫、その内の空いた一棟が監禁場所となっていた。罪を犯した使用人を罰する地下牢では狭すぎ、牢以外で外から鍵のかかる場所は倉庫と馬屋だけだからだ。レンガを積んだ質素なつくりのそこには、厚い木の扉。
見張りの衛兵に命じてあけさせると、夫人は恐れもなく踏み込む。
中には革命軍とやらが捕らわれているのだ。
「アンナ様!危険です、私が」
ビクトールは小さな小部屋の並ぶそこを夫人を庇おうとすぐ脇に立つ。湿った空気。静まり返っている。収容したという革命軍は五十名ほどいたというが。ビクトールは前方を案内する衛兵の視線に合わせてきょろきょろする。
「ここです」衛兵は一番奥の部屋の前で停まった。
革命軍の男たちは息を潜めているようだ。時折、けが人のうめき声が低く扉の向こうで響いた。アンナ夫人は他の扉には目もくれず、示されたそこの前に立つと、四角いのぞき穴から声をかけた。
「キーシュ。そこにいるのでしょう?」
しばし沈黙。
「返事をなさい。口が利けないの?言葉の意味が分からないのかしら?」
「そんなはずないでしょ」
少女が返事をすると、あちこちから囁く声がする。やめておけ、大人しくしておけ、関わらない方がいいぞ、と彼らは風に揺れる木々のざわめきのように牢内に声を響かせた。
「いいの、平気よ。何か用?」
少女の声は張り詰めた空気に良く通った。
明り取りの窓からは昼の日差しが、雲間からのぞく来光のように神々しく少女の赤毛を照らす。小柄なキシュは真っ直ぐ、大きな瞳を夫人に向けていた。
ぞくりとビクトールは背筋を寒くした。かつてこの国を救ったとされる救世主ジャンヌを思わせた。
「お前、メイドとして雇われる気はないかしら」
夫人の表情は笑っているものの、その真意が何処にあるのかビクトールにも分からない。
「あの、奥様…それは」
「家の管理は私が任されているわ。お前を雇ってあげるって言っているの。私たちについてこの国を出るのよ。オリビエも一緒。どう?悪くないでしょう?」
「奥様!」
ビクトールは慌てた。侯爵と革命軍の間で取引されるべき事柄に触れていないか。この国を出る。それの意味するところを彼らに伝えてしまっていいものかどうか。
「黙っていなさい、ビクトール。ねえ、キーシュ・ロマリエ。どうかしら」
猫なで声の夫人を睨みつける。キシュは思い出していた。ジャガイモをむいたあの夜。メイドたちが面白そうに噂していた。
「あたし、知ってるんだ。アネリアって子も追い出されたんだって。オリビエから取り上げるために、あんたが追い出した。だから、あたしのこともそうするつもりなんだ。オリビエちゃんに餌みたいに与えておいて取り上げて、自分がご主人様なんだって教え込む。そんなこと繰り返すから、だからオリビエちゃんは自由の意味もわかんなくなっちゃうんじゃない!それが人間のすること?」
「何を、バカな」確かに夫人の口調がうわずった。キシュの予想は当たっているのかもしれない。ビクトールは苦い気持ちでいくつかのことを思い出す。オリビエが侯爵家に来たのは十三歳の秋。まだ少年だった。そのオリビエの作法も言葉も、何もかもアンナ夫人が母親のように指導した。おかげでオリビエはいくつかの国の言葉を覚え、貴族として恥じるところのない青年となった。同時に夫人はあらゆる面でオリビエを支配していた。

「バカなことだよ、そんなことするの。親子くらい年の違うオリビエちゃんを誘惑して、弄んで。あの人はただ、音楽を続けたいだけなのに!権力や財産がなくなったらオリビエちゃんはあんたのことなんか見向きもしないんだから!あんたなんかにオリビエちゃんの音楽を聴く資格はないよ」
キシュの声は透き通り、倉庫内に響き渡る。
アンナ夫人の顔は青ざめ。ビクトールの知る限りこれほど怒りを顕にしたことはない。怒鳴りつける声を想像したが、夫人は黙ったままだ。
護るようにビクトールが口を開いた。
「お前はあの晩ズレンと何をしていた?オリビエ様のお気持ちを弄んだだろう。資格がないのはお前の方だ。奥様、行きましょう。こんな輩と話すことなどありません」ビクトールは強引にアンナ夫人の手を取った。白い手は柔らかく。かすかに震えていた。

「放さないわ、オリビエは」
「奥様、大丈夫ですか」
「民のために多くを失っても、あれだけは手放さない、自由になど、してあげない」夫人はうわごとのように繰り返す。どこか遠い目をしたままビクトールに引かれる夫人は頼りなく、倉庫の外に出たところで倒れ掛かる。慌てるビクトールにすがるようにしがみつく。
「オリビエは、きっと侯爵様が放しはしない、そうよね?亡命してもきっと、きっと」
うつむく夫人の長いまつげ、美しい唇。紅く深くビクトールの心に跡を残す。




柔らかな布団の感触にキシュを思い出し、その謳う姿を夢に見た。そのうちそれは、悲しいリトーの姿に重なり、血にまみれ恐ろしい暗闇の雨を思い出させ、うなされてオリビエは目が覚める。
寝ぼけた視界に室内は夕闇に沈み、爽やかな白色の大理石の床に窓からのかすかな夕日が光を添えていた。
階下へと降りれば、すれ違うものが皆一様に暗い表情をしていた。侯爵の言っていた言葉の意味を夕食の時間にでも知らされたのだろう。広間へと続く廊下で、ルグラン市長は顔を赤くして、オリビエに言っても仕方ないのだろうに侯爵の決断を批判した。
「そうだろう?この町はこれまでも侯爵様が治めてこられたのに、今回も見事護りきったのだ。それなのに、今更亡命だと!」
「……」
「この町も、国も、すべて捨てて逃げるということなのだ!分かるか?侯爵様がいらっしゃらなければ我らはどうなることか!」
すれ違っただけのはずが、引き止められ廊下の壁に追い詰められる形になってオリビエは困惑する。
「あ、あの。僕は詳しい事情が分からないので」
「ファンテル卿、貴方はどうなされるのか!それこそ教会のオルガン弾きにでもならなければ生きていかれないのですぞ」
オリビエは侯爵について来いといわれていた。ルグラン市長は違うのだ。
「あの。侯爵様がいらっしゃらないとなると、この町は誰が?」
そこで、ルグラン市長は鼻息を荒く吐き出した。
それこそもっとも腹立たしいとでも言いたげだ。
「市民に委ねるという。市民を護るために、エスファンテ衛兵はこの町に残すそうだ。つまり、革命軍が要求したとおり、このエスファンテの全てを市民に与えるというのだ」
「……結局。それでは、革命軍の革命が」
「そう、成功したようなものだ」
不安はある。しかし、オリビエには市民が全権を握ることがそれほど恐ろしいことでも腹立たしいことでもなかった。侯爵は身を引くことで混乱を防ごうとしているのかもしれない。
「あ!革命軍はどうなりました!?」
キシュは!あの子は。
「解放された」
オリビエはルグラン市長が「明日には正式に会談の席を設けるという」という言葉は背中で聞いた。走り出していた。


脳裏には昨夜のズレンの言葉がやけに響く。女は強引な男を。いや、そうじゃなくて。軽く浮かんだキシュの裸体を脳裏から振り払い、とにかく今は。会いたい。

目に入ったのはエントランスを警護する衛兵二人。オリビエは二人に駆け寄ると、革命軍のその後を尋ねる。
二人は顔を見合わせて、そして、オリビエに告げた。
「今はそれぞれの家庭に帰っていると思いますよ。解放されたのですから。明日、侯爵様が正式に革命軍の代表と話しをするということですから、もしかしたら今頃は明日に備えて集っているかもしれませんが」
「……そこを」
「残念ですが、オリビエ様。もう、日も暮れました。庭に出られることはお控えください」
衛兵の腰のサーベルがカチャと鳴る。
「あの、じゃあ、ズレンはどこに?ズレンに会いたい」
「連隊長は兵舎に戻られました。お疲れですし。貴方様も、明日の会談が無事終われば市内どこでも自由に歩けるようになりますから。今晩はどうか辛抱してください」


革命軍、いや、市民の代表との会談。そのとき、キシュは来るだろうか。
会えるだろうか。

僕が、侯爵と共に行けば。二度と会えないかもしれない。

オリビエは侯爵にいつもどおり従順に返事をした自分の行動を思い返す。
なぜ、あの時拒絶できなかったのだろう。
侯爵の言葉の意味を考えもせず。

だけど。僕は、侯爵様のいないこの街に残って音楽を続けられるのだろうか。あの教会で、皆に聞かせた。あれと同じことが出来るのなら、毎日できるのならそれは幸せだ。
衛兵が言った。会談が終われば、市内どこでも自由に歩ける。自由に、なる。

どん、と何かがぶつかった。
「あ、失礼……」
物思いにふけりながら屋敷の中庭の見える回廊を歩いていた。自然と足は音楽堂に向いていたが、その途中で夫人に遭遇した。
赤いドレス、いつもの華やかな髪をしてオリビエにしがみつくようにしている。
夜風にふわりとワインが香る。酔っているのかもしれない。
「あの、アンナ様?」

「お前も行くの?ねぇ、お前も、外国に行くのでしょうね?」
震えているようだ。
「あの」丁度今、迷い悩んでいたところだ。
アンナ夫人はオリビエの袖を掴んでぐいぐいと引いた。見上げる顔にはランプの明かりに濃い影が乗る。不安なのだろう。
「侯爵様には、共に、と命じられました」
とぎれとぎれに応えたオリビエに、アンナ夫人は再びしがみつき顔をうずめる。
「あの……」
「良かった、良かったわ。従者の一人もつれずに行くというのよ?恐ろしくて淋しくて、私どうしていいのか分からないわ」言いながら密かに夫人の口元は笑みを形作る。触れる青年の身体を確かめるように、白い手が這う。所有権を主張しようとするそれに気付かず、オリビエは夫人を哀れに思っていた。
「亡命を、止めるわけにはいかないのですか」ふと、それが一番いいではないかと脳裏によぎった。それを言葉にした。
せっかくズレンが護りきったこの街、結局のところ侯爵の力がなくては市民は生きていけないのではないかと思わせた。革命軍は武装し、最後には市民を敵に回した。彼らに街と人民を預けるのは危険に思える。
ルグラン市長はあれで侯爵をはじめとする貴族たちと、市民たちとの上手いパイプ役だった気もする。彼の言うとおり、今までどおり、が一番良いのではないか。
そうすれば、アンナ夫人も不安がらずに済む。

オリビエが言葉にしたそれは、そこにはかすかにこの街に残りたいという願いももちろんあったのだが、想像したほどアンナ夫人を沸き立たせなかった。
目を丸くして夫人が顔を上げた。

「なにを言っているの。侯爵様のお考えはご立派です。それはお前には理解できないでしょうけど」
ふわと離れて立つと、夫人は笑った。

「お前や私などでは分からない、多くのことをお考えになった末のご判断よ」
夫人は、そう。結局、侯爵を愛しているのだ。彼に絶大な信頼を寄せている。散々人を振り回すくせに、自分の機軸をしっかり保っているのだ、この人は。

オリビエは心に浮かぶキシュやあの教会の記憶を、胃の辺りにとどめたまま吐き出せずにいた。この街に残りたい、あの少女のそばにいたい。教会で、大勢に音楽を聴いてもらいたい。渦巻くそれは温かく切ない。
それでいて目の前の夫人には「では、ついて行くしかないではないですか。従者は向こうで雇えばいいのですよ。アンナ様が不安な顔をされていると侯爵様が心配なさいます」
となだめる。
自分の勇気のないことには、もう、何度も憤り諦めてきたが。
結局ここでも。
自分を縛る鳥かごは、自らが作り出しているのだと痛感せざるを得ない。

「あら。オリビエ、私、侯爵様の前でこんなはしたない姿を見せはしないのよ」
と。夫人は笑って見せた。
女性というものはよく分からない。オリビエに甘えてみたかったというだけなのだろうか。それを、人は『気を引く』などと不名誉な呼び方をするのだとも思う。


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