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「音の向こうの空」第十六話 ①

第十六話:聖なる夜、羊たちの告解




カフェのカウンターにはまだ人はまばらで、ヴィエンヌ一の美味しいケーキを出すというこのホテルの一階もいつもより静かだった。低い声の給仕が温かいチョコレートをオリビエの前に置くと、青年の頬は嬉しそうに緩んだ。
「今日はことさら冷えましたね」向かいでビクトールが風で乱れた髪をまだ気にしている。帽子を取るとどうしようもなくあちこちに向いてしまっている髪を太い指先で撫で付けようとするビクトールをオリビエは呆れつつ眺めている。
このヴィエンヌの町に住み始めて程なく短い秋が終わりを告げたのだ。初めて迎えるこの地での冬に備えて、オリビエはビクトールとともに買い物に出ていた。あのエスファンテにいた頃には一切関わることのできなかったことも今は違う。
ビクトールの雑用を手伝いながら、昼間の茶会があれば夫人に同伴したり、こうして日用品や食糧の買出しにも付き合ったりするようになっていた。
亡命してからの侯爵家は、ビクトールと通いのメイドが二人、あとは医師も画家も馬車も、必要な時に呼ぶようになっていた。全てを敷地内に住まわせていたあの暮らしとは違う。屋敷を少し離れればすぐに川沿いのレンガ造りの建物が並び、馬車や人が行き交う。水売りや魚売りの呼び声もあちこちから聞こえてきた。ダニューヴ川の水運を利用して運ばれてくる食糧はヴィエンヌの市場へと荷車で運び込まれる。
活気に満ちた街は時折冬の冷たい風に吹かれながら、灰色の空の下でもにぎやかだった。

「これ、美味しいよ」窓から視線を離し、オリビエが自分の分は頼もうとしないビクトールに一口飲んだだけの温かいホットチョコレートを差し出した。とろりと揺れるそれにビクトールの心も揺れたようだが、小さく首を横に振るいつもの仕草でやんわり断られ、オリビエは再びそれを一人抱え込む。
「ビクトールも頼めばいいのに」
顔の半分をカップに隠しながら言うオリビエ。ビクトールは目を細めた。その甘い飲み物がどれほど高価なものなのか、今ひとつオリビエには分かっていないらしい。侍従のビクトールに許された買い物ではない。オリビエが欲しいといい、オリビエが飲むのであれば誰も文句はないのだ。最近、やっとパンとワインの値段が分かるようになってきた青年をビクトールは不思議な気分で眺めている。
当の本人は、すっかりこの国の貨幣になれたと思っている。時代時代で作られた金貨や銀貨は同じ値でも大きさや形はまちまち。一番小さい銅貨でパンが三日分ほど買える事を理解した。それ以下の小銭の扱いがよく分からず、だからオリビエは銅貨までしか使おうとせず、買い物をすると小銭ばかりが増えた。オリビエが一番気に入っているのは一番小さい銀貨。それで買い物をすればつり銭には銅貨が入るし、オリビエが市場や商店を眺めて欲しいと感じるものはその銀貨でたいてい何でも買うことができた。
「あ」
不意にオリビエが顔を上げた。
少しばかり火照った鼻が赤くなっていてビクトールは笑う。
「あのさ、時間があったらオペラを」
「だめです」
「でもほら、聞こえる?呼び込みが声を張り上げてる。この広場の向こうの歌劇場でちょうど上演されてるよ」
「オリビエ様」
睨まれて、オリビエはため息をつく。
「この国に来て、一度もオペラを見ていないのは僕くらいなものだよ。きっと。侯爵様は昨夜、リヒテンシュタイン侯爵と宮廷歌劇場にお出かけだったし、アンナ夫人だって奥様方と遊び歩いているし。あのヨウ・フラですら、新聞の取材の手伝いとかで歌劇場に入ったって自慢したんだ。僕だけだよ、ね、ビクトールだって興味あるだろう?」
「いいえ。オリビエ様、帰りますよ。今夜は奥様がお友達をお連れです。せっかくのチーズがかちんこちんになる前に帰りますよ」
オリビエは窓から通りを眺める。今も着飾ったご夫人が馬車で到着したところだ。赤いコートに白い毛皮。赤いコート。
クリスマスが近い。
ふと、少女の声を思い出す。
赤いコート、着てくれているだろうか。それとも、パンに変わったかな。
ビクトールに急かされてオリビエは重い腰を上げた。
「早いね…もう、クリスマスなんだ」
カフェの外に出れば鼻を突く寒さ。小さく首をすくませて、オリビエはコートの襟を立てた。亜麻色の髪が頬にかかる。夕暮れが近い。オレンジと紺青の空を背景に輝くオリビエの透けるような肌の白さがすれ違うものの印象に残る。

白馬の引く二頭立ての馬車で屋敷に戻ると、見慣れない男たちが屋敷に出入りしていた。
腰に手を当て彼らを眺めているアンナ夫人に、「何かあったのですか」とオリビエが声をかければ、嬉しそうに腕にすがりついて、「侯爵様からの贈り物よ、ほら、オリビエに」
強引に引き、それがいつも小さなオルガンを奏でている中庭に面した一部屋だと気付く。そこに運び込まれ、数人で組み立てられたそれは漆で黒く塗られた楽器。細くすんなりした四本の脚に支えられ、重厚なチェンバロとは違い華奢で軽量な印象を与える。鍵盤は一段、五オクターブほどだろうか。その先に緩やかな曲線を描く三角形の反響版。
技師らしき男が反響版を開き、神妙な表情でオリビエに手で指し示す。

「さあ、弾いてみて下さい」

抱えていた荷物をビクトールが受け取り、「侯爵様から、クリスマスのプレゼントよ」と夫人が微笑む。二人のそばを離れ、オリビエはその真新しい鍵盤に触れる。
「まだ、調律は済んでませんが、一応工房で確認はされてますんでね」

黒い鍵盤を一つ。
オリビエはまだ何か説明しようとする男に、人差し指を口元に当て静かにするように見つめると、そのまま楽器に向かった。


長い夕焼けと沈まぬ夕日のかすかな赤が居間に森の影を落とす頃。ビクトールがランプを灯し、「オリビエ様、そろそろ夕食ですよ」と声をかけるまでオリビエは夢中になって弾き続けていた。
「え、ああ」
我に返り、すでに馴染んだ様子の鍵盤を愛しげにそっとなでた。
「素晴らしいね、調律も完ぺきだ」
オリビエが見上げると、立ち尽くしていた技師の男が何か唸ってオリビエの手を取った。いまだ彼らがそこにいることを失念していたオリビエは驚いた。
「え?」
「あ、いえ、あの。貴方はどなたですか」
首をかしげたオリビエに、技師はかぶっていた帽子を取った。乱れた黒い前髪の下はまだ青年と言っていい。オリビエより少しだけ年上のようだ。
「すみません、私はアーティア・ミューゼといいます。皇室宮廷室内楽団に所属しながら、シュタインさんの楽器作りのお手伝いをしています。あなたの演奏はヨハネ・クリスティアン・バッハを思わせる。それでいて、また違う印象も。かの一族に連なる血筋の方ですか?」
オリビエは笑った。
「いえ、父が彼の演奏が好きだったので、きっと影響を受けているんでしょう。僕は父の手ほどきで楽器を覚えましたから」
ヨハネ・クリスティアン・バッハ。有名な音楽家だ。けれど、もう随分前の時代の音楽家。彼に似ているといわれると、やはり最近の音楽を知らないのだとオリビエは自嘲気味に思う。
父親が好きだった、大切にしていた楽譜を幼い頃盗み見て懸命に覚えた。それが今も残るのだろう。

アーティアと名乗った青年は「是非、僕の演奏会に来てください」とにこやかに握手をし、帰っていった。皇室宮廷室内楽団の演奏会。侯爵が許さない限り、いけない。
見送ったオリビエの肩をビクトールが叩く。
「分かってるよ」

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