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「音の向こうの空」第十六話 ②

第十六話:聖なる夜、羊たちの告解



その夜は夫人が友人を招いて夕食会を開き、オリビエもそれに音楽の花を添えた。貴婦人たちの格好のからかい相手にされて、幾分ワインも飲まされてはいたが。貴婦人たちが帰途に着き、オリビエに誘いをしっかり断られたアンナ夫人がつまらなそうに寝室に入ってしまってからも、オリビエは侯爵の帰りを待っていた。

日付が変わる頃、屋敷に戻った侯爵にオリビエはクリスマスのプレゼントのお礼にと早速演奏を披露した。寝静まった公園の息遣いさえ聞こえてきそうな夜。かすかに強まった冬の風が窓辺にひゅうと口づけをしていく。

「クリスマスに間に合ったな。サルツブルクの大司教に勧められたのだ、シュタインのフォルテピアノの音は良いと。想像以上だったな」と侯爵はいつもの自分の肘掛け椅子に身体を沈め、ワインのグラスを片手に眼を閉じた。
「空を描く画家はいないが」と侯爵がつぶやけば、オリビエは「空はいつでも眺めることが出来ますから」と笑った。
「そうか、近頃は昼間ビクトールの手伝いをしてくれているのだな」
「はい。ヴィエンヌの街は活気があって面白いです。ご存知ですか、チョコレートという飲み物がとても美味しいのです」
く、と侯爵は笑った。
「甘いものが好きだそうだな。ビクトールが呆れていたぞ」
「でも、侯爵様。本当に美味しいですよ、カフェ・オ・レとも違ってもっとこう、コクのある深い味わいなんです。体が温まりますし、心からしゃんとする気がするんです」
「いつもぼんやりしているお前らしいな。私はこうして眠りに誘う飲み物がいい」
ワインを軽く目の前で揺らし、侯爵は目を細めた。その顔にしわが増えたとオリビエが思い言葉が途切れると「お前の曲も眠りを誘う。心地よい眠りをな。さぁ、聞かせてくれ」
そう、少しばかり疲れた様子で侯爵は眼を閉じる。

いくつか静かな曲を奏でているうちに、侯爵は眠ってしまったようだ。
オリビエは燃え尽きてきた暖炉の薪を足し、侯爵の身体に毛布をかける。飲み残したワインを灰の中に捨てた。
こうして二人きりになることが多い。これをアンナ夫人は気に入らないようだ。先ほどしつこく誘ったのも、欲望を満たしたいというよりオリビエが侯爵とこの時間を持つのを邪魔したかったのだ。
嫉妬されていることは分かっていた。彼女も淋しいのだ。分かっているが、オリビエにどうすることが出来るわけでもない。彼女が必要としているのは侯爵の愛情。

そのリツァルト侯爵はリヒテンシュタイン侯爵がダニューヴ川の脇に作ったビール工場を任されている。それとあわせて帝国政府の依頼を受け、クランフ王国からの亡命貴族を取りまとめるような仕事を任されているのだと聞いた。人と人の間に入る仕事は大変なのだろう、仕事から戻るたび疲れた顔を見せるようになっていた。

オペラを観たい、演奏会に行きたい、など言い出せるはずもない。
侯爵を見ているとそう思うのだが、昼間街を歩けばやはり、歌劇場の前で足が止まる。

ふと、オリビエは演奏の手を止めた。
気配を感じる。

「どうぞ」
声をかければ扉が開き、真っ白な夜着のアンナ夫人が口をへの字にしたまま顔をのぞかせた。
「どうされました?」
「…なんでも、ないのよ」
夫人はきょろきょろと室内を見回し、侯爵を見つけると一瞬顔をこわばらせ、それからそっと入ってくる。子どものような仕草が面白く、オリビエは微笑んだ。侯爵を探しに来たのか。
「お目覚めにならないですよ、大抵、そう、後数時間は」
「いつもそうなの?」
「ええ、夜こちらに来られる日はほとんど途中からお休みになられています」
声を潜ませにっこりと笑う青年。かけた毛布を直そうとする仕草は手馴れている。
「それならそれで、どうしてビクトールに言わないの!寝室に運んでもらえばいいじゃない!」夫人が侯爵の傍らに経って声を荒げるので、オリビエは口元に人差し指を立てた。いくらなんでも起してしまうだろう。放っておいてもあと少し休めば目を覚まし、いつもどおり上階にある部屋へと戻る。
「お疲れのようですから、もう少しそっとしておいて差し上げようかと」

それが癪に障ったようだ。
「いいのよ、お疲れなのにこんなところで眠っていてはいけないわ。オリビエ、お起して」
「奥様」
自分ではなく、僕にそれをさせるのか。侯爵は穏やかな寝顔。夫人が遊び歩いている間もずっと忙しく働いていたはずなのだ。
夫人の気まぐれで侯爵の癒しの時間が邪魔されてしまう。
「早く!」
「いいえ。ここは私が起きております。どうか、そのままに」
オリビエは侯爵の乱れた襟元をそっと直す。
「お前がしないなら…」
オリビエの人差し指は夫人の唇を軽く塞ぐ。この口から発せられた多くで惑わされ、傷つけられてきた。パンドラの箱。必要な鍵は誰が持つのか。
夫人は赤い口元をにやりとさせる。伸ばした腕がオリビエの首に回された。
「塞いで」
と。囁く口元をオリビエに近づける。
音もなく、白い手を掴んで引き離す。
パンドラの箱を閉じるため、以前は自らも求めに応じた。キスを交わせば夫人は大人しくなる。甘えた猫のように「しょうがないわね」とでも言わんばかりの笑みを浮かべた。
今は違う。
傍らで眠る侯爵の前で何を誘うのか。侯爵の様子が気がかりだったのではないのか。
オリビエはかすかな怒りすら感じながら、夫人を押しのける。
「!お前」
オリビエが首を横に振れば、夫人は乱暴に手を振り払った。
「あなた!起きてちょうだい!オリビエが無礼を!」
「え?」
夫人は止まらない。きいきいと甲高い声でわめきたてた。
「触らないで!汚らわしい!あなた、起きて」
「アンナ様!?なにを…」
オリビエが夫人を黙らせようとその肩を掴んだ時、背後で毛布が床に落ちた。
「オリビエ」
低い声に、オリビエは振り返る。
侯爵は立ち上がっていた。
夫人が開け放ったままの扉から、かすかな冷気が流れ込みランプを揺らした。薪が小さく音を立てて崩れる。パンドラの箱からは、やはり。

「アンナから離れなさい」

勝ち誇った夫人と表情のない侯爵を見比べながら、オリビエは一歩下がる。
「僕は、なにも」
「あなた!」如何にも恐ろしかったといわんばかりに抱きつくと、アンナ夫人は侯爵の背後に回った。その背からのぞく悪戯な視線にオリビエは呆然としていた。

「オリビエ」
さび付いた剣を突きつけられたような声。オリビエは侯爵を見上げた。
がつっ。


衝撃によろけて、足元の椅子に躓いた。床の固い大理石に肘をぶつけ、殴られたのだと実感する。侯爵に殴られたのだ。
痛みより怒りが勝る。下らない夫人の嘘を真に受けるとは。
「ちがいます!僕はっ……」
立ち上がろうとして、突き飛ばされた。

僕はただ。侯爵様をゆっくり寝かせてあげたかった。しばらく眠って起きた時に、「心地よい演奏だった」といつもの言葉を聞く。そうしてお休みなさいと送り出す。
ただ、そうしたかっただけだった。

座り込み、見上げるとまた、目の前に侯爵の顔がある。喉元に伸びた手が締め付け、視界がぼやける。「侯爵さま…僕は何もしていません…」
必死で絞り出すそれは声になっただろうか。重厚な椅子を背に追い詰められ、オリビエはめまいに似た苦しさにもがいた。

不意に解放され、がつと頭を殴られた。
椅子の脚にすがりオリビエは荒い息をついた。

「お前がいけないのよ!」婦人の声と侯爵の足音が遠ざかる。しがみついたまま、床を見つめオリビエはじっとしていた。
拳で椅子の座面を叩いた。悔しさに握り締めた拳の下には少しだけ、侯爵の体温が残っていた。
廊下からビクトールの声がし、侯爵が「寝室に閉じ込めておけ」と命じていた。

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