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「音の向こうの空」第十六話 ④

第十六話:聖なる夜、羊たちの告解



夢を見ていた。教会のオルガンの音色、ときおりパチと薪が囁く。雪の日。クリスマスだ。赤いコートのキシュが窓の下に見える。こちらを見上げている、手を振った。
少女は赤い髪、赤いコート。真っ白な雪の中、花のようにくるりと回り。赤は沁みのように白に広がって。
「う…」
痛い。

「オリビエ!」
覗き込む顔は少年。あれ、キシュじゃない。
「心配させるなよ、もう。ビクトールさんを呼んでくるよ」
オリビエは少年を呼び止めようとして、腕が動かせないことに気付く。「あ?」
「今、消毒をしたところです。動かさないでください」
白衣の男性がしっかりと抑えていた。
かすかなアルコールの匂い。
つ、と沁みてオリビエはびくりとした。
「三箇所、二十針ほど縫いました。そろそろ、痛み止めが切れる頃です。我慢できないようでしたら注射しますから。おっしゃってください」
医師、確かルードラーという名だった。医師が丁寧に包帯を巻くのを視界の隅に眺め、オリビエはじっとしていた。
なにか、聞かなければいけないことがあったような。
ふと目があって、医師は目を細めた。眼鏡の奥の目が穏やかで、ああ、と不思議な安心感を得る。
「大丈夫。傷は大きいが神経を痛めたりしていません。楽器が弾けなくなると心配しているのでしょう?今はまだ動かせませんが。年が変わる頃には包帯も取れますし、軽くなら演奏してもかまいませんよ」
「あの、どうしてそれを?」心を読み取った?
「え、ああ。侯爵様が何度も何度も確認されましたから。貴方も。教会のオルガンの音がすると、眠ったまま指が奏でようとする。無意識でしょうが、不思議なものですね音楽家というのは。幾人か知り合いがいましてね。聞いてみたんです。眠っている間に無意識に演奏するのかと。笑われましたよ。例えそうだとしてもその音が聞こえるのは本人だけだとね」
ルードラー医師はにっこりと笑い問いかけた。
「で、オリビエ。どんな音色が聞こえていたんです?」

「あ、ええと」オリビエはベッドから起き上がり、左手で視界を変に横切る髪を撫で付けた。一体、どれくらい眠っていたのだろう。ぼんやりしたまま「……夢のような、音楽でした」とオリビエはつぶやく。
くす、と医師は噴出し、丁度そこにヨウ・フラが駆け込んできた。背後にビクトールを従えている。
「ほら、起きたんだ。オリビエ、ずっと寝てたから心配したんだぞ」
「ここしばらく食事を取られていなかったからでしょう、お疲れだったのですよ」と医師がオリビエの代わりに応える。手水鉢で洗った手をタオルで拭くのをオリビエがじっと見ているのでルードラーは首をかしげた。手のひらをオリビエに見せる。
「あ、いえ、貴方の手も不思議な手ですね。特別なんだ」
「医師はどちらかと言えば経験と知識。それから笑顔。片手でも医者は出来ます。まあ、裁縫は得意ですけどね」と縫う真似をしてみせる。
笑いあっている医師とオリビエを見比べて、顔をしかめながら少年は腰に手を当てた。
背後のビクトールは神妙な表情で、オリビエの笑みは消える。
「…ビクトール。あの、侯爵様は?僕は、どうなるんだろう」
「なにも、変わりませんよ。これまでどおりで。侯爵様はお出かけです。無理をしない程度に自由にさせていいと侯爵様から伺っています」
許された、ということだろうか。
「じゃあ、オリビエ、この間の続きを教えてくれよ!」
ヨウ・フラが持ってきていた荷物から教科書代わりにしている聖書を引っ張り出す。医師がほどほどにと念を押して帰っていく。
医師を見送るために出て行くビクトール。
扉の向こうに消えるまで、ビクトールの表情は一度も緩まなかった。
これまでどおり、という割には浮かない顔。何かあったのかもしれない。オリビエはヨウ・フラに重い聖書を膝の上に乗せられるまで、じっと扉を見つめていた。



「奥様、オリビエ様がお目覚めですよ」
医師を見送った後、ビクトールが暗がりで寝込む夫人に声をかける。
香水をぶちまけたような甘ったるい空気にビクトールは顔をしかめた。
手に持つランプがかすかに夫人の白い手を映し出した。昼間だというのに鎧戸を締め切った寝室。広い部屋にこれでもかと広げられた衣装や本。せめて窓だけでも開けようと、窓辺に近づいた時には足元に花瓶が転がっていることに気付く。
小さく溜息を吐き、ビクトールはしゃがんで足元のそれを拾った。花瓶かと思ったものは香水のビンだ。真っ白な磁器で花をあしらった美しい貴婦人の姿、手に持つ傘の柄が香水を取り出す口になっている。かのマイセンの作だろう。
いつか、夫人の誕生日に侯爵が手に入れたものだ。

中身はすっかり空になってそれがこの部屋を小箱に詰め込んだ花畑のようにしてしまっていた。
「奥様。どうか、元気を出してください。オリビエ様は大丈夫ですし、侯爵様のお怒りも解けましょう」
「…わね」
くぐもった声は、泣きはらしたことを物語る。
「奥様。良い天気ですよ。お買い物なり、お食事なり、お好きなことにお供いたしますから、どうか元気を出してください」
「煩いわ!もう、そんなことどうでもいいの!」
私は、私は、とまた毛布に顔をうずめ、夫人はたくさんのクッションと衣装の中でもぞもぞと身を隠そうとする。かすかに浮かぶ脚の白さにビクトールは目をそらした。
「奥様。どうでもいいことではありませんよ。奥様が笑ってくださるのは私にとって大切なことです」
「どうして、ねぇ、ビクトール、どうしてあの人は、侯爵様はオリビエを庇うの?あの子より私を叱るの?おかしいでしょ!いつも、いつも!私の待つここには戻られずに、一晩中あの子のそばにいるのよ!あの子の音楽を聴いて眠るの、ねえ、それでは私はどうすればいいの?」
ベッドに座り込み顔を覆う夫人はまるで少女のように見えた。華奢な肩を震わせ、乱れた髪がしどけない胸元に触れる。
甘い香りは昼下がりの日差しの熱を吸い取り、かすかに蒸し暑さすら感じる室内。暗がりにビクトールは真っ白な美しい生き物を見ていた。
時折すする鼻声すら、愛しい。
「なんて、惨めなの。ね、私は侯爵様に見捨てられたのよ、あの夜から一度も私の顔をご覧にならない、同じテーブルで食事すらしない。それは、私も悪かったわ、酔っていたし、オリビエが生意気だった。でもあれは事故なのに、私をひどく叱った」
あの晩。散々なクリスマスとなったのはアンナ夫人も同じだった。


オリビエが弾みで怪我をし、慌てて人を呼びに階下に下りたアンナ夫人の様相に侯爵は顔を青ざめさせ階段を駆け上った。アンナ夫人の説明など耳に入らないようだった。
その後は、怒鳴る侯爵と走り回るビクトール、何事が起こったのかと興味津々の客たちは夫人の話をまるで面白い物語のように聞きたがる。
ソファーに座り込み、オリビエにもしものことがあったらと震えるアンナ夫人が、肩を叩くビクトールの笑顔に気付いた時には、客は帰り屋敷は静まり返っていた。
様子を見ようとオリビエの部屋に行ったものの、医師にオリビエの手の具合を真剣に尋ねる侯爵を扉越しに見つめ、何もいえずにまた一人居間のソファーに座り込んだ。
医師のルードラーを見送りながら降りてきた侯爵は夫人と目を合わせたのもつかの間、何も言わず。医師が気を利かせて「奥様も、どうかお気を落とされずに。事故は神の悪戯のようなものです。才能ある若者に困難は付き物なのですよ」と慰めた。侯爵は咳払いをし医師を急かした。


ビクトールより先に一人戻ってきた侯爵は、アンナ夫人に一言だけ。
「お前の方から近づくとは」
そういって、再び階段を昇り始める。
「あの、侯爵様……」
「失うまで分からないのなら、いっそ何もかも捨ててしまえばよいのだ」

何を。
アンナはクッションを抱く腕に力を込めた。
失う、捨てる。
地位を?財産を?愛情を。どれもとっくに失っているのだとさめざめとアンナは泣いた。
失っているからこそ求めるのだと。どうして、侯爵様は分かってくださらないのか。
そうして背を向ける冷たい態度が、どれほど夫人を傷つけてきたか。
思い出しまた、アンナは零れ落ちる涙を白い頬とともにクッションに押し付けた。

「奥様、侯爵様はお怒りになどなっておりませんよ」
傍らに侍従のビクトールがいることを思い出す。
「お前は、お前はそばにいてくれるわよね?私を一人にしないわよね?」
捨て猫のように哀れな瞳。暗がりになれたビクトールの目にその濡れた輝きは妖しげなほど美しい。白い手がビクトールの腕に触れた。
「ねえ、私はどうしたらいいの」
「アンナ様はそのままでいいのですよ」

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