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「音の向こうの空」第十六話 ⑤

第十六話:聖なる夜、羊たちの告解


オリビエの傷の抜糸が済んだ年明け。
午後の風が凍るように冷たくなる時刻に、侯爵家を一人の男性が訪れた。
その名を聞くと、オリビエはまだ少し不自由な手で譜面に音符を書き込んでいたのを放り出してエントランスへと迎えに走った。
息を切らした青年に、笑顔と挨拶を告げたのはルードラー医師だった。
「あれ?」
「あれ、とは。また」
くく、といつものように笑うルードラーの背後から、黒いコートの男がひょこと顔をのぞかせた。オリビエの待ち望んだ相手。
「お久しぶりです。クリスマスの晩餐会にはお会いできませんでした」
そう言ってアーティア・ミューゼは帽子を取って、くしゃとした黒髪をなでて笑った。
「あ、そうか。あの時のピアノの演奏は君だったんだ」
「ええ、なにやら体調を崩されたとかで。心配していましたよ」
オリビエは肩をすくめた。あの時、罰を受け閉じ込められていたなどといえるはずもない。ヨウ・フラですら知らないことだ。
オリビエの手が不自由なので、フォルテピアノの調律を彼に頼んでもらったのだ。抜糸が終わりやっと演奏できるという時になって、しばらく誰の手にも触れられなかった楽器は随分音がおかしくなっていた。自分で調律することを医師に禁じられ、オリビエは悔しい思いをしていた。

「こんなだからね。ピアノ、随分音がおかしくなっているんだ。早く頼むよ」とアーティアの手を取って、オリビエは早くと促す。「それから、敬語はいいよ、僕の方が年下だ」
「オリビエ様、調律より先に消毒ですよ?」
「それもいいけど、でも」
落ち着かない様子のオリビエに医師はまた、笑った。
オリビエの肩に手を回し、さ、貴方は寝室。と階段の方へと連れて行こうとする。よく笑う年上の医師は、このごろはまるで兄のように親しい。穏やかで機知に富み、オリビエの気持ちをよく分かってくれる彼はオリビエにとって大切な友人になっていた。

「今日は、あの。ピアノのそばで!」
「貴方は音楽のことになると子供みたいですね」苦笑いのルードラーは、「ではついでに演奏も聞かせていただきましょうか」とオリビエの喜ぶ一言を忘れない。
「オリビエは先生の前だとほんと、子どもみたいだよね」
と三人に茶を運んだヨウ・フラが呆れても、すでにピアノに夢中なオリビエはアーティアの作業に見入っている。
一音ずつ確かめながら、丁寧に調節されるそれを時折眼を閉じて聞いていた。
そんな青年の様子に、ヨウ・フラは肩をすくめルードラー医師と目が会うと互いに笑った。

「今日は、印刷所はお休みなのかい?」
「はい、ここしばらくは新聞が休みなんです。だから、ちょうどオリビエの身の回りの世話に雇ってもらえているんだけど」
「そうか、君はしっかりしているからね、オリビエと合わせると丁度いいね」
「あの、僕。オリビエより九つほど年下なんですけど」
「だから、丁度つりあうだろう?」そう笑ってウインクする医師に、オリビエは気付いていない。嬉しそうにピアノのそばに近寄ってはアーティアに何か話しかけていた。
「あ、まあ、分かります。知ってます?オリビエって鳥が好きなんです。以前、この街に来る前、藁布団のベッドを鳥の巣みたいだって喜んだんです」
ぶ、と医師が噴出し、ヨウ・フラは眉を真剣にひそめてみせる。
「こう、手触りを確かめて、満足そうにうっとりしているんです。これで一応、貴族だって言うんだから」
あははは。
少年のものまねに医師は笑い出した。
「いや、彼は幸せだね」
「それも、自分で言ってますよ。僕は幸せだって」ヨウ・フラは胸の前で手を交差させ、首をかしげてうっとり感を表現する。
「何話してるんだよ?」
「あ、ああ、オリビエの鳥の話」
「あれ?鳥の巣の話?」
「そ」
「ヨウ・フラに話したことがあったかな?クリスマス前にね、暖炉の煙突にかかっていた巣を取ったんだけど、一冬預かって、またもとの煙突に戻したんだよ。そうしたら、ちゃんと春には鳥が戻ってきたんだ」
嬉しそうに話すオリビエに、二人は腹を抱えて笑っていた。
「すごいと思わないかい?」
「すごいよ、オリビエ!」
「だろう?感動したんだ、あれは」
またうっとりするので、ヨウ・フラが真似る。
医師は苦しそうに笑い、調律を終えたアーティアも席に座ると楽しげな話を聞きたがる。ヨウ・フラが嬉々として繰り返し、彼らの笑いの意味が分かったオリビエは一人複雑な顔をしながらも、「だってさ、鳥って、いいだろ?」とさらに三人を笑わせた。

ひとしきり笑い、休憩した後。
オリビエは早速ピアノに触れてみる。
アーティアが見舞いにと持ってきた楽譜を手に取ると、オリビエはもうじっとしてはいられない。

「今から二十年以上前だけど、ヴォルフガング卿がヨハネ・クリスティアン氏のソナタを編曲したものなんだ。チェンバロのための協奏曲だからオリビエにも弾きやすいんじゃないかな」
アーティアが言い終わる前にオリビエの指は奏で始めている。ヨハネ・クリスティアン・バッハ。オリビエには馴染みのある曲で走り出した指先はまるで彼が生まれたときから知っているかのように旋律を操った。
懐かしい、「そう、これ、父さんがね好きだったんだ。大切にしている楽譜でね。触らせてくれなかったのをこっそり持ち出して、一人でベッドの中で覚えたんだよ。それをね、見つけられたときに「僕は弾けるんだ」と強がりを言ってね。父さんが腹立ち紛れにやれるものならと言ったのをいいことに僕は記憶にある彼の曲全てを、思い切り弾き殴った。十歳だったかな、ああ、楽譜を見ればこれほど繊細に作りこまれているのに僕は、あの時は旋律の素晴らしさに心奪われるばかりで。心地いい曲だよね。…聞いてる?アーティア?」
「オリビエこそ、自分の演奏を聞けよ」
短く低い青年の声にオリビエはふと手を止めた。口調もすっかり変わっている。
「止めるなって」
「え、ああ」弾き始めれば、また。アーティアは食い入るようにオリビエの手を見ている。
「お前はお父さんに習ったって言っていたな」
「そうだよ。僕は父さんの息子だからね。特にこういうのが好きで。ほら、複雑ででも規則正しく降る雪みたいに美しい」
オリビエがそのまま弾き出したそれはフーガ。幾重にも重なり静かにそして盛り上がる。複雑な構成でありながらバランスの取れた音の波。繰り返し引き続けるオリビエの少年時代の思い出の曲は、ヨハネ・クリスティアン・バッハがフーガを研究し尽くしてその美しいパターンを作り出したもの。それを幼い頃に脳裏に焼きつけ、規則や理論など関係なくオリビエの感覚でさらに柔らかく芳しく。変容していく音の景色にアーティアは言葉がない。
「初めてフォルテピアノを弾いた時、一つ一つが冒険のようで楽しくてね。ほら、こんな音も、こんな音も出るんだって。わくわくしたよ、牧場を駆ける子馬みたいな気分だった。この清んだ高音。この楽器、すばらしいね。チェンバロとは違う強い低音の躍動感、ああ、いいなぁ!」
夢中になるオリビエの演奏に終わりはない。
ヨウ・フラもルードラー医師も。じっと聞き入っている。

すっかり日が暮れた居間に気付いたビクトールが、「そろそろお食事ですよ」とランプを灯しながら呼びに来るまでに、さほど広くない広間にはオリビエとフォルテピアノを中心とした円が出来上がっていた。
いつの間にか円の一つになっていたアンナ夫人に気づき、ヨウ・フラが目を丸くした。ここ最近、自室にこもってばかりという夫人は痩せて、オリビエを食い入るように見つめていた。
気付いたオリビエは、演奏の手を止めた。
「あ、ああ。すみません。夢中になってしまって。夕食にしましょう。アンナ様、ご一緒にいかがですか」
慌てて立ち上がるオリビエを避けるように、夫人は一歩下がる。

「今はいらないわ」
そうつぶやくように言うと、身を翻す。
その後を追おうとするが、ビクトールが手で制した。
「私が」
「……ああ。頼むよ」

ひやりと吹き抜ける風のように、アンナ夫人はみなの興奮や笑みを吸い取ってこの場を立ち去った。
見送る医師に、オリビエは溜息混じりに話した。
「あの夜以来、ずっとなんです。侯爵様とお話されているとは思うのだけど。僕には、どうすることもできない」
「医学ではどうしようもないですよ。あの方に必要なのは薬ではありませんから」
そう頷くルードラーにオリビエは悲しげに笑った。

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