08
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
   

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「音の向こうの空」第十七話 ①

第十七話:飛びたてるのか

さらりと鍵盤をなでた。
これは、僕に与えられたチャンスだ。

「あの時は、まだ慣れないピアノでしたが。この楽器はとても手に馴染んでいるのです」
そう話し、オリビエは丁度先ほどアーティアがもたらした新しい楽曲から奏で出す。知っている曲なのだろう、レイナドはそばにあるソファーに座りながら小さく頷いた。

だが、その穏やかな笑みはすぐに消えた。

オリビエが奏でるのはいつの間にか、レイナドの知っている定番の曲ではなくオリビエの色に染まっている。同じステンドグラスでも染める夕日で色が変わるように、不可思議に輝くように。そこからのぞく空の色と流れる雲。風すら色をまとったようにあでやかな音が周囲の公園と一体となる。
いつもの聴衆が集りだし、森の木々と同じ影の色を景色に足す。
彼らは静かな鳥の声とともにオリビエのピアノをじっと聞き入っているのだ。

メイドのテッヘが持ち込んだ午後のお茶には菓子が添えられている。ミラベルの入ったロレーヌ風タルト、アーモンドの練りこまれたマスパン。オリビエの故郷の菓子を彼女は焼いてくれる。一人で住んでいたあのエスファンテの家を思い出す。
シューレン夫人はどうしただろう。あの人の本心は分からないが、料理は美味しかった。あの腕前のおかげでキシュに出会えたようなものだ。
オレンジのリキュール入りのジャムの香りが紅茶に混じる。それだけで頬を染めるキシュ。強くしなやかな野良猫の癖に。華奢な手足を膝に巻きつけ小さく丸くなって座り、うっとりと酔う仕草は今想えば心をくすぐる。あの時は気付けなかった、いや僕の気持ちが変わっているからか。たわいない会話や記憶が切ないのと同じだ。
会いたい。

かちゃ、と小さな音に我に返る。
メイドがテーブルに全てを並べ終えたところで演奏を終わる。

「美味しそうだ、テッヘさん。ありがとう」
と。メイドの笑顔に笑い返したところで、客人のために演奏していたことを思い出した。

「あ、……。すみません。ちょっと休憩にしましょうか。丁度、美味しいお茶が入ったようですし」
チャンスだと思いながら、一体僕は何をしているのか。自分に呆れながらオリビエは軽い溜息で野良猫の面影を追い払おうとする。

「え、ああ」
レイナドも思い出したように目の前のカップに手を伸ばした。
「恐いほど、でしょう?」小声でアーティアがささやき、レイナドは小さく瞬きする。
「オリビエは音楽家の父親に教わって、古典的なフーガの技法をそれとも知らずにすべて身につけているんですよ。彼の演奏を何度か聴いた僕が思うには、幼い頃から耳で覚えた楽式と、クランフ王国特有の和声音楽、そして、自覚もないままに表現する素直な音がピアノの特性である音の強弱でさらに助長されている。溜息のような淡い音色など、気味が悪いほど繊細です」
「……なんというか」甘美なリズムの揺れが、ピアノに触れて間もないとは思えない音色に華を添え。レイナドは胸に溜まったそれを紅茶で飲み込んだ。普段必ず入れる砂糖を忘れるほどだ。

その様子をオリビエはちらちらと見つめる。何を表現したと問われれば「甘いお菓子と野良猫」ということになる。聞かれたらどうしよう。

「先ほどの曲は……」
「あ、どうぞ、紅茶が冷めますよ」
レイナドの質問を避けオリビエは小皿に菓子を分ける。

自分の演奏に対する誰かの評価を気にしたことはなく、緊張感が足りないんだと自分自身に苦笑する。宮廷音楽家とか、そういう人はいつももっと張り詰めた感じなのだろうか。それは、つらいだろうな。オリビエは意地悪なガウソンを脳裏に浮かべた。
主人の気に入らなければ職を失い、つまり音楽を取り上げられる。生活すら危うくなる。
コンクールなどといえば、もっと重圧がかかるのだろうか。
ぞっとする想像は映像でなく音で胸を叩く。振り払うようにポットに残っていた紅茶を自分のカップに注ぎなおした。

アーティアは青ざめて見えるオリビエを眺め、話し出した。
「素晴らしい才能なんですが。ただ。彼は今のような即興の演奏でもっとも魅力を発揮する。だが演奏をほとんど記憶していないので。二度と同じ演奏が出来ない。それが、弱点なんですよ」
オリビエがつまもうとした菓子は思わず力の入った指先でほろと崩れ落ちる。
「こ、これでも努力はしているんだけど。つい、夢中になるとそんなこと忘れちゃうんだ」
「だから、言っただろ、それじゃオーケストラは勤まらないってさ」
ここで、今言わなくても。と。オリビエはちらちらとレイナドを気にする。アーティアは意地悪だ。
「分かってるよ」
「与えられた楽譜を一度でも、まともに楽譜どおり弾いたことがあるのかい?目で追って一通り音を思い浮かべるともう自分の世界に入り込んでるんだから」
聖歌くらいはまともに弾けるが、アーティアの持ち込む楽曲は楽譜に示された小さな記号や作曲者の思いをすっかり無視してしまうことが多い。
「分かってるって、まだまだ、勉強不足なんだ。ガウソンさんだって、共演を嫌がったんだ。僕がまともに弾けないってわかったからだ。だいたい、十三からずっと、誰にも教わらずに自分の曲ばかり弾いていたんだから」
もうだめかも。
オリビエはかすかに肩を落とした。やっぱり、僕にはオペラを書くなんて無理なんだ。オリビエは内心アーティアを呪いながら、甘い菓子を薫り高い茶とともに腹に満たすと息をつく。確かに耳を塞いで生きてきたが、代わりに好きなだけ演奏してきた。自分の思いを奏で続けてきた。それは決して不幸せではなかった。
だから。

オリビエは先ほどまでのあせる気持ちをあっさり手放す。
僕は幸せだ。


「なぜ、誰にも?」
黙って二人のやり取りを聞いていたレイナドはそこで質問した。
小さな溜息を吐き出したのはなぜかアーティア。
「両親をなくしたオリビエの後見人、リツァルト侯爵が禁じたのですよ。音楽を奏でることを強要し、学ぶことは禁止した」
「…そうですか」
二人が苦い表情で黙り込むので、オリビエは半分かじったマスパンを皿に戻すと慌てて二杯目の紅茶を飲み干した。違う、禁止されたけれど。僕は決して不幸じゃなかった。
そう、二人に伝えるために。
「まあ、いいでしょう」
と。レイナドは微笑んだ。
まあ、いい?
オリビエはぽかんと男を見つめていた。
「どんな曲が出来上がるのか、マクシミリアン候は楽しみにされています。九月にはヴィエンヌに移られるというお話ですので、その時には私もまた、お目にかかれますよ」
「あ、ええと。約束は……」
「約束ですから。もちろん、貴方に作曲してもらいますし、当然演奏もね。九月の終わりまでにお願いしたい。期待していますよ」

初老の芸術監督はカップに残った茶を堪能し、帰っていく。
「僕ももう、帰るよ」とアーティアは慌てて持ってきた荷物をまとめると、レイナドの後姿を追っていった。
オリビエは一人空のカップを抱えたまま、立ち尽くしていた。
僕がオペラを書いて、それでオペラコンクールに出る。
夢みたいだ。

次へ♪
関連記事
スポンサーサイト

Secret

プロフィール

らんらら

Author:らんらら
のんびり小説を書いています
日記ブログはこちら♪

ランキング参加中です♪

クリック よろしく~♪

FC2Blog Ranking

最近の記事+コメント

FC2カウンター

リンク♪

小説ブログの皆様

カテゴリー

ブログ内検索

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。