10
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
   

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「音の向こうの空」第十七話③

第十七話:飛びたてるのか



「お前さ、そんなでオペラをかけると思ってるのか」

オリビエはふと手を止めた。
「ほら、せっかく有名どころを持ってきてやったんだから、ちゃんと楽譜どおりに弾けよ。普通なら手に入らないんだ」アーティア先生は厳しい口調で置かれた譜面をつんつんと叩いてみせる。オペラ『魔の笛』の第一幕。発表されたばかりの新しいものだ。アーティアは楽団の仲間とヴィエンヌ郊外で上演されているのを観て来たと言う。その楽譜と台本を手に入れて、オリビエの参考にと持ってきてくれたのだ。

「ここ、なんで記号無視するんだよ。ここは劇中でタミーノとパミーナとの出会いなんだぞ。チェンバロのアリア、静かにかつロマンチックに。楽譜の読み方分かってるんだろう?」
厳しい口調の青年に、オリビエはうなだれるしかない。台本を見せてもらったが、物語の舞台となるエジプトは想像できる国ではない。夜の女王をつい、アンナ夫人に見立ててしまう。
「う…分かってるけど」
「けど、なんだよ?」
「……キシュと出あったときのことを思い出すとどうしても犬が出てきて」
ランドンがわふんと、鳴く。キシュは赤毛を一つに縛って真っ直ぐ背筋を伸ばし、窓の下から生意気な口を利いた。

「ほらまた、勝手に弾いてる!犬は出てこないし!王子様と夜の王女の娘との出会いだぞ?」
「…ごめん」オリビエは鍵盤の上で拳を握り締める。
ともすれば感情のまま、また奏でてしまいそうで。

侯爵のためにいくつもの曲を作曲した。それはどれもチェンバロの独奏曲だったし、それほど長いものではなかった。物語を題材にしたこともある。だから、書こうと思えば書けると考えていた。しかしオペラの歌曲はオーケストラ。歌も入れなくてはいけない。
まともにオペラを見たことがないオリビエには、どうしようもなく想像しがたいものだった。楽譜だけ見て聞いたことのない楽器の音を想像しろという方が無謀なのだ。第一、オーケストラ用の楽譜自体、普段の五線譜とは違うからそれだけで圧倒される。

「自由に弾いてきたんだろ、たまには窮屈でも我慢しろよ。せっかく練習に付き合ってるのに意味がないだろ」
アーティアに肩を叩かれオリビエはうなだれた。
「アーティア、そう怒るなよ。感謝してる。僕一人じゃ、すぐに音に飲まれちゃうから」夢中になってしまう。そしていつの間にか自分の気持ちを指が勝手に表現しているのだ。
「ほんと、そこだけは才能あるよな。現実逃避してるんじゃないか?」
オリビエは手を止めた。
「現実、逃避?」

そんなことは初めて言われた。思うままの演奏をひどく誤解された気分になる。楽しくても悲しくても、オリビエは思いを音に変えた。それが、逃避だというのは流石に抵抗がある。
楽譜を読む、音を聞き分ける、奏でる技術は不足していない。ただ、理論や知識が不足し、作曲家の気持ちになりきれないだけだと思うのに。

アーティアは伸びをし、一人ソファーに座った。投げ出した足は少々行儀が悪い。そういうところは、アーティアが商人の息子だという片鱗をうかがわせた。
オリビエと二人きりになるとアーティアは少しばかり口調も態度も粗野な感じになる。

「違う、と思うけど。現実逃避じゃないよ」
「俺はさ、育ちのせいもあるけど、思ったことは包み隠さず言うぜ?皆がちやほやしていても俺は本当のことをお前に言ってやる。それがお前には腹立たしいことでもな。それが友達って奴だろ」
アーティアに手招きされ、オリビエは口をへの字にしたまま青年の隣に座った。
脚を組んでいる青年の隣で、両膝を揃えて座るオリビエは自分自身が小さく見える。実際少しオリビエのほうが小さかった。

「いいか。今のままじゃ、お前はまともな音楽家になんかなれないぞ。十三から誰にも習っていないんだろう?その歳じゃまだ楽器を覚えた程度だ。そこから新しい楽曲や歌や弦楽器、オーケストラ、いろいろなものに触れ、挑戦して成長するんだ。もちろん、教えてくれる先人がいる。音楽の世界は広いんだぞ。このオペラの作曲をしたヴォルフガング卿が何のために広い世界を旅していたと思う。彼は幼い頃から旅先で新しい曲を書いていたんだぞ。閉じ込められて、自分の曲以外は一切耳を塞がれていたお前は。……いつまでも、十三歳のちょっとばかり魅力的な演奏のできる奴ってだけだ。音楽家などと呼ばれるのもおかしい」

オリビエは唇をかみ締めた。
侯爵家に楽士として迎えられれば音楽家なのか、といわれれば、違うかもしれない。実際に【出し惜しみ】されてきたオリビエの実力や演奏を知るものはあまりいない。侯爵家とその友人たち、わずかな人々が楽しんでくれただけのことだった。

「お前はそれをよく分かっているんだ。分かっているから、だから余計に現実から目をそらしているんだ。侯爵様が、侯爵様がってさ。命令なんだから仕方ないって。侯爵様のせいにしているんだろ?自分に勇気がないのを」
「そ、……そんな、こと」
オリビエは何度も瞬きする。

「だいたい昼間は自由なくせに、忠実な犬みたいにこの屋敷を守って動かない。オペラを本気で学びたいなら自分で観に行けばいい。それすらしないで安心なこの家の中で自分の殻に閉じこもっているだけなんだ。お前が自分から出ようとしない限り、俺はお前を連れ出してやらない。オペラでも教会でも演奏会でも。俺は自分で聞きたいからパンを減らしてでも聞きに行くんだ。ここでぬくぬくしているお前とは違う。いいか。お前が自分で決めるんだ。侯爵様と対決するかどうかはお前が決めることなんだ。俺のせいにされるのはごめんだからな。自分の意思で、自分のために行動してみろよ」

教会のオルガンが静かに響いていた。
「だ、だけど」
「侯爵様は。お前の音楽の才能をつぶしているんだ」
オリビエは目をつぶる。
それは、それを言われては。
「僕は、侯爵様に拾っていただいたから、だから音楽を続けられたんだ!両親を亡くして僕を引き取ってくれた、だから!」
「侯爵様はお前を楽士として引き取っておきながら、飼い殺しにした」
殺しという響きが何か黒いものを心にしみこませる気がして、オリビエは「アーティア!!」と声を大きくしていた。
「お前は、それを認めたくないから、他の楽曲から目をそらしているんだ!真剣に向き合って演奏できてないじゃないか!それを現実逃避だって言っているんだ!ホンモノの音楽家になるなら、ここを乗り越えなきゃだめだぞ!お前、だめになるぞ」

オリビエは頭を抱えていた。頬にかかる髪が視界を遮る。
「僕は、侯爵様に感謝してる……僕は…」侯爵様に奏でた最初のレクイエムがどこかで響く。あの時、侯爵様が笑ってくださったから、僕は泣くことができたんだ。必要とされたから、悲しみから立ち直ることが出来たんだ。
「もういいよ、もうお前の世話なんかしてやらない」
アーティアは立ち上がって扉の方に歩き始める。
「ま、待って!」
黙って振り返る表情は険しい。癖のある黒髪が炎のようにゆらりと揺れた。

「……あの」
その強い瞳を見つめ返すことが出来ない。
僕は、本当は。

空に憧れていた。
ずっと、あの空を眺めていた。今、目の前に自由があるかもしれないのに。
自由になりたくてそればかり考えていた。アネリアのこと、キシュのこと。
失った恋も自由も。僕自身のせいだ。
革命の最中あがいて、ズレンに迷惑をかけた。結局侯爵家の庇護の下でなくては生きられないのだと思い知った。

いつかモスが言った。
鳥はいつも必死に空を飛んでいる。飛べなくては生きていけないから。
僕にその覚悟が、ない。

ばたん、と。床の大理石の模様に扉の閉まる音が重なった。
顔を上げればリビングに一人きり、立ち尽くしている。


かすかにオルガンの音。
オリビエは窓辺に近寄り庭を眺めた。
美しい庭、公園の森。憧れていながら、そばに行こうとしなかった。

分かっているんだ。空ばかり眺めるようになったときから、僕は。このままじゃダメだ、このまま侯爵様の元にずっといたら、きっと。歌を忘れた鳥のように、なってしまう。飛べない鳥は歌えなくなる。
分かっていたけど。籠の中は、安全で……。


一つ息を吸い込んだ。

そろそろ傾きはじめる日差しに森は影を濃くしていく。
オリビエはいつもヨウ・フラがしているように、庭に降り立った。
リビングを出ればとたんに、オルガンの音と風が木々を揺らす音に包まれた。こんなに日差しは眩しかっただろうか。風にはかすかな花の香り。髪をすり抜け肌を震わす初秋の冷気。気付けば自分を抱きしめていた。

しばらくじっとしていたが。

オリビエはふらふらと庭を横切り、柵を不器用に乗り越えた。公園、教会。そして荘厳な音を響かせるパイプオルガン。惹き付けられるように教会の中へと入っていく。


「今日はお早いお帰りですね」そうメイドのテッヘが淋しそうに送り出す。
屋敷の前でアーティアは馬車に乗り込もうとしていた。
背の低いメイドの向こうにふらふらと歩く青年の姿。風に亜麻色の髪が揺れた。
「……」
「あの、どうかなさいました?」
荷物を手渡すメイドにアーティアはオリビエの前で見せるのとは違う、上品な笑みを浮かべた。「いいえ、何でもありません。また来ます」
「はい、オリビエ様お一人でお淋しいようですから。是非、いらしてください」
初老のメイドはリンゴ色の頬を緩ませ笑った。


次へ♪
関連記事
スポンサーサイト

Secret

プロフィール

らんらら

Author:らんらら
のんびり小説を書いています
日記ブログはこちら♪

ランキング参加中です♪

クリック よろしく~♪

FC2Blog Ranking

最近の記事+コメント

FC2カウンター

リンク♪

小説ブログの皆様

カテゴリー

ブログ内検索

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。