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「音の向こうの空」第十七話 ⑦

第十七話:飛びたてるのか



ピアノの前に座ったまま見送るオリビエに、紅茶を下げに来たメイドのシェイルが声をかけた。
「久しぶりにオリビエ様の曲を聞かせていただきました。練習とはいえ、アーティア様のお持ちになる曲は難しいですし、すぐに怖い先生に中断されてしまいますから」
まだそばかすの残るメイドはかすかにウインクしてみせる。テッヘの姪で、メイドの経験はなかったが田舎からヴィエンヌに出てくる丁度いい口実だったとかで、外国人の世話も買って出たのだ。少しばかり乱雑なところがあるが、元気のいい娘だ。

「あ、うん。そうだね。本当は誰の作った曲でも、僕らしく演奏できなきゃいけないんだ。まだまだ、未熟なんだ」
「ですけど、オリビエ様」
くすとそこでシェイルは笑った。トレーに片付けるティーポットがちりと音を立てた。
「なんだい?」
「オリビエ様の曲の時には、奥様もお部屋の窓を開けて、そっと耳を傾けておいでですよ」
ふ、とオリビエはアンナ夫人の姿を想像し微笑んだ。

「嬉しいよ。奥様は相変わらず、なんだろ?」
「はい。ビクトール様とお出かけになってお買い物などなさると少しは心が華やぐようですが、お部屋に戻られるとじっとして。にこりともなさいません。以前の少しやかましいくらいの口調が懐かしいです」
何度か注意された作法を思い出すのだろう、肩をすくめる。
「……侯爵様は、おそばにいるのかな」
シェイルは黙って首を横に振る。「私は夕食の片づけをすれば帰りますので。存じません。ビクトール様ならよくご存知でしょうけど」
知っているだろうけれど。
アンナ夫人のそばにずっとついているビクトールとは、夫人がオリビエを避けているからだろう、顔を合わせることもあまりない。オリビエが一階と寝室のある四階とを階段で行き来しているが、アンナ夫人の寝室は二階、わざわざ立ち寄ることもしていない。
それでも。オリビエの音楽を楽しんでくれているらしい。


だとしたら、この演奏も届くといい。そんなことを願いながら、その夜もオリビエは侯爵との唯一の時間を過ごしていた。
開け放った窓はかすかな夜風をリビングに招きいれ、虫の涼やかな声とピアノが月夜に流れる。
「月夜には、虫たちも喜ぶんですね」ぽつりとそんなことを呟いて、オリビエは静かな小夜曲を奏でる。夜の風には木々の溜息がこもっている。しっとりとした風に少しばかりピアノの弦が鈍い。慈しむように鍵盤を叩く。
月が雲に隠れればオリビエの曲は変調し、より緩やかな密やかに。小さな音を操るそれはアーティアには嫌われた。けれど、目の前の侯爵のために奏でるなら、かすかなピアノの息遣いをも逃さず伝えられる。他の楽器に負けないように演奏する必要もない。

このためらうような静かな音色を奏でるのが好きだ。そしてきっと、ヨウ・フラも好きだといってくれる。目の前の侯爵も。アンナ夫人は聞いていてくれるだろうか。そばにいなくても、侯爵様と夫人が同じ曲を聞き同じ気持ちになるのなら、それは幸せなのだけれど。

侯爵は目を細め、その内呼吸がゆっくりになった。眠くなったのだろう。リツァルト侯爵はいつものように少しだけ身体を傾け、左の肘掛にもたれかかる。

おやすみなさい、侯爵様。
ひっそりと眠る侯爵を眺めているうちにオリビエはいくつか、歌曲に出来そうなものを思い浮かべた。


翌日。それを必死に思い出しながら、アーティアの前で演奏して見せた。
アーティアは難しい顔をしていたが、それってさ、といいながら、五線譜に音符を書き込んでいく。
「あれ?」
「なんだ」
覗き込んで目を丸くするオリビエを、アーティアは上目遣いで見上げた。
「それは?」
「今、お前が弾いた曲。こうじゃないか?」
アーティアが示した楽譜を見てみれば、何となくオリビエが先ほど奏でたそれ。
「すごい!アーティア、聞いただけで譜面に……」
「ばか、お前も出来るだろ?」
そういえばそうだった。

キシュは聞いたものを歌う。キシュが歌ったものをオリビエが聞いて、譜面にする。
聞いたものを譜面に出来る人間がオリビエの他にもう一人いれば、キシュの役割はなくていいのだ。オリビエが奏で、アーティアが譜面に残す。
「それ、いい!アーティア、お願いがあるんだ。もう、いくつか、ほら、レイナドさんが置いていった台本で曲を考えたんだ。でも、演奏するたびに夢中になるから上手く譜面に出来なくてさ」
「だから、それを直せって言っているだろ」
「でも、アーティアが書いてくれればいいじゃないか!ね、お願いだ!」

しぶしぶ頷くアーティアに、オリビエは五線譜の束を渡すと、そそくさとピアノの前に座った。
「いいかな。まずは序曲から。夜が明けるシーンだ」
オリビエはほう、と息を吐いた。思い切り、そう。物語に浸りきって演奏できる。それだけでオリビエはわくわくしてくる。
そっと鍵盤に指を触れる。
と、それは唐突な鳥の声。密かな草の下で煩そうに応える虫たちの声。かすかに、柔らかく、そして朝日が差し。徐々に日差しの色が地に這う蒼い影を奪い去る。波が引くように、かすかな跡を残しながら。

「と、どう?」
ともすれば聞き入ってしまいそうになるのを奮い立たせ、アーティアは書き上げた楽譜をオリビエに見せた。
「すごい!嬉しいなぁ、このあたりはね、ピッコロの可愛らしい音にしたいんだ。ほら、この間聞かせてもらった、皇室室内楽団の少し太った人。あの人の音色がすごく綺麗で好きなんだ。じゃあ、第一幕。導入部に、流れるようにつなげてアリアだ」
自分の曲を奏でるときは夢中。子どものように目を輝かせ、第一幕の八曲を演奏すると、続けて第二幕。
アーティアがじっと我慢して書き続けるところに、ヨウ・フラが顔を出した。
夢中になっているオリビエは気付かない。アーティアもちらと睨んだものの「口出すな」と言わんばかり。眉間にしわまで寄せて手元に集中しているらしい。二人の様子を読み取ってヨウ・フラはそっとソファーに座った。
昨日言いかけた、「アーティアに教わる必要なんかない」という言葉を飲み込んだまま。

第二幕を九曲。そして終幕に二曲。フィナーレのバラードは切なく、終わりを告げた恋を奏でる。


オリビエが鍵盤から手を離した。
「す、すごい!」
叫んだのは、ヨウ・フラ。短い作品とはいえ、オペラの台本一本分をすべて演奏すれば二時間を超える。台本の内容を知らなくても、シーンごとに変化していく楽曲に劇中の情感を感じ取り少年は瞳を輝かせる。一方、裏方に徹していたアーティアは疲れきった様子で、「一気に全曲弾く奴があるかよ!バカ!」とペンを持つ右手を何度もさすった。

「ごめん、頭の中で開演しちゃうと止まらなくて」
何度も読み返した台本の台詞はほとんど頭の中に入っている。オリビエはアーティアがテーブルに積み上げた楽譜の束をぱらぱらとめくって眺め。満足そうに笑う。

「まだインクが乾いてないぞ、触るなよ。俺の苦労をなんだと思ってる」とアーティアに窘められた。
「ありがとう!アーティア、すごいよ!複雑なところもあったのに」
「一応、音楽家だし。多少抜けてるところもあるし、書き込みきれなかったのもあるけど。皇室室内楽団の名に恥じない働きだっただろ?」
オリビエはにんまり笑う青年に抱きついた。
「ありがとう!アーティア、君は最高だ!」
「……こっちはお前が女なら最高だけど」
「無茶言ってる。僕、母さんの代わりに女になれって言われたことがあるよ」
「なんだそれ」
「女装したの?オリビエ!」ヨウも目を真ん丸くしていた。
「違うって。そばにいろってさ」どう話したらいいのか、嬉しさのあまり話題にしてしまったそれは、ロントーニ男爵を知らない人には説明しにくい。
「じゃあ、男色家だ!オリビエも?もしかして?」と叫んだヨウ・フラが一歩下がる。同時に両手を万歳させ、アーティアも離れた。

「違うよ、違うって!変な誤解するなって。母さんの代わりにそばにいろって、そういうことだよ」
当時オリビエも理解不能だったが、多分、意味はあっている。

「それ、侯爵様?」眉を寄せて恐そうな顔をしたのはヨウ・フラ。そうか、といわんばかりにアーティアは手を打った。
「違う…」
「それでなんだ!侯爵様、オリビエのことすごい大事にしているし。今も、毎晩一緒にここで寝てるんだろ?」
ヨウの声は響き渡るし、その表現は誤解を生む。
「違うって。そんなこと……」

耳のいいオリビエは気付いた。
「アンナ様!」とビクトールの声が廊下に響き。走り去る。
アーティアも気付いて表情を引き締めた。が、すぐににやりと意地悪な顔になる。
「え?」ヨウ・フラは二人の様子に首をかしげる。
「どうかした?」
「アンナ夫人に、聞かれたんだろ、今の。で、走り去ったのをビクトールが追いかけた」
アーティアが説明する。
「つまり。夫人はオリビエと侯爵がそういう仲だと誤解した。なんだかなぁ、女ってのはこれだから」とアーティアが呆れる間にオリビエもリビングを飛び出していた。
ただでさえ、侯爵の愛情が得られずに臥せっている夫人に、そんな誤解をさせてはあまりにも可哀想だ。

確かにオリビエのところに毎晩来る。音楽を聞いてそのまま眠ってしまう。その時間をアンナ夫人と過ごしてくれればすべては解決できるのかもしれない。だが、オリビエが口を挟めるものでもない。まして、自分がアンナ夫人と関係があったと告白した後だ。そんな自分に、侯爵にアンナ夫人のそばにいて欲しいなど言えるはずもなかった。

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