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「音の向こうの空」第十八話 ⑤

第十八話:スープに沈む静かなる愛



オリビエは静かに部屋を出ると、食堂で夕食の準備をしていたテッヘに声をかけた。ビクトールとアンナ夫人はまだ帰っていないという。オリビエはテッヘに医師を呼ぶように頼んだ。ルードラーをつれてメイドのシェイルが戻ってきた時にはまだ、夕焼けが空をかすかな赤に染め始めた時刻だった。
「ここでいい」と侯爵がピアノの居間から動こうとしないので、医師は「ピアノのそばを離れたがらない誰かさんと同じですね」と笑った。そういわれたオリビエはしっかりピアノの前で鍵盤に手を置いていたから、え、と顔を紅くしながら。それでも静かな曲を二人のために奏で始める。
「どこか痛い所はありますか」
「お食事はいつ取られました」
静かにルードラーが問い、ソファーに横になった侯爵は低い声で何か答えている。

「疲労でしょう。まずはしっかりと休養を取ることですよ、侯爵様。時には子どものように甘えることも必要です。いいですか、熱が下がるまでは屋敷でじっとしていてください。オリビエ、頼んだよ。熱が下がったら、温かい湯で身体を清潔にして。薬は今夜と明日の分を置いていくから。明日の晩また来ます。それまで侯爵様はゆっくり休むように、お願いしますよ」
青年医師は穏やかないつもの笑みを残し帰っていった。


オリビエはテッヘに夕食を運んでもらい、リビングで侯爵と二人で食べた。柔らかく煮直したリゾットには骨付きの鶏肉が添えられている。きのこのかすかな香り、チーズとコショウ。絞ったオレンジを冷たく冷やした飲み物。侯爵はゆっくりと、案外力強く食べ、食べ終わると再びソファーに横たわり眼を閉じた。
肘掛にオリビエが手を乗せ覗き込めば、ちらりと片目を開いて「オルガンを許すのだ、今日はつきあえ」と呟く。
「ええ。僕もここで寝るのは好きですから」と。指で奏でる仕草をし、笑ってみせる。ふ、とかすかに侯爵が笑い、オリビエは冷えてきた室内に毛布を直す。
初秋とはいえ夜半は冷え込む。暖炉に火をもらおうと台所で片づけをしているテッヘのところへと向かった。


「まるで、親子みたいですね、オリビエ様」
「そうかな」そういえば、いつかルードラーにも同じことを言われた。
テッヘは穏やかに笑う。「オリビエ様はお優しいですねぇ。私はもう、何人かお仕えしてきましたけど。貴方のような方にもう少し早くお会いしたかった」
「どうして?」オリビエが首をかしげる。
「あら、いやだ。私だってね、一昔前はシェイルなんかよりずっといい女だったんですよ?」
ぶ、と噴出しかけて、手鍋に移しかけた火種を落としそうになる。

「失礼ですね、オリビエ様。私と奥様もそう、ちがいませんとも」
「そこでなんで奥様と比較するんだい?」
「あ、それは」頬を紅くし、メイドは視線をそらす。アンナ夫人がオリビエに近づこうとしている場面を、何度か見かけたのかもしれない。苦笑しながらの助け舟はオリビエだ。
「そういえば。奥様とビクトールはまだ帰っていないのか」
二つ目の炭を鍋に移したところでオリビエは立ち上がる。振り向けば、テッヘは奇妙な顔をしていた。
テッヘは思いつめた様子で、手にしたポットをそっとかまどの上に戻した。

「あの、オリビエ様。今朝、私は見てしまったんです。本当は恐くて仕方ないのです」
「何が?恐いって?」
ふくよかで体格のいいメイドに恐いもの、という言葉が似合わない。オリビエはくすくす笑いながらメイドの言葉を待つ。

「随分なお荷物を持っていらっしゃって。奥様と、ビクトールさん。まるで。どこか遠い国にでも旅行に行くようなお姿でした」



翌日。
こういうの初めてだ、と。ヨウ・フラは頬を緩ませた。
目の前のチョコレートは湯気を少年の睫に絡ませながらゆらりとしている。
昼の時間、印刷工場の休憩に合わせてオリビエは少年を呼び出した。このホテルの一階にあるカフェは、以前ビクトールと買い物に出たときに良く立ち寄った。町に詳しくないオリビエもいくつかの場所は「行きつけ」なのだ。

「でもさぁ、びっくりしたよ。オリビエが工場に来るなんてさ。あのインキ臭いのが服につくよ?侯爵様にばれたらまずいんじゃないの?」
猫舌なのだろうか、ヨウはふうふうと息を吐きかけるだけで、カップを口に運ぼうとしない。
「冷めるよ?」オリビエは自分の分を半分ほど、腹に収めていた。それでも何か落ち着かないのは、今日これから少年に打ち明けることのためだろう。
ビクトールと立ち寄った時の満ち足りた気分が、いかに無邪気だったのかと今は思う。

少年は「まだ、熱いし。ていうか、なんかもったいなくてさ」と口を尖らせる。
「だいたいさ、こんな高級なものいつも飲んでてさ。贅沢だよ」
「いいから。今日は僕が働いたお金で払うんだ。初めてなんだよ、誰かに何か買ってあげるってさ」
ぶ、と飲みかけた少年が味わうまもなく吐き出しかける。

「あんた、バカじゃないか!?こんな貴族趣味のために自分の大切なお金を使うなんてさ!」
「侯爵様のお金で誰かに振舞うなんて出来ないよ。僕がヨウに飲んでもらいたいんだよ」
「あ、なんか。嫌な予感がしてきた。飲まないぞ、なんか頼むつもりだ。ろくでもないこと頼むんだ。そうだろ?大体変だと思ったんだ、オリビエがわざわざ自分で出かけてきて僕にチョコレートを奢るためだとは思えないもんな。理由を聞かなきゃ絶対飲めない!」

カップを抱えたまま睨みつける少年。オリビエは見透かされた気分で視線をそらす。
溜息を一つ吐いて。相談したいことがあるんだ、と切り出した。

昨日、侯爵にオルガニストの件が知られ、閉じ込められそうになったこと。反論し、結果的には許可をもらったことを話した。

「やった!それ、すごい進歩じゃないか!侯爵様、どんな顔してた?すっきりしただろ?やったね!そのお祝いなら、大歓迎だよ」とヨウ・フラがそこでカップを口にしたのでオリビエは少しホッとした。すっきりというほど格好のいいものでもなかったことは黙っている。オリビエは情けなく絶望的な気分で泣き崩れていたし、侯爵様が何故許してくれたのかもよく分からない。
「美味しい!!!」
「だろ?」
冷めかけたカップで小さく乾杯をする。その満面の笑みを。曇らせるだろうことが、少しばかり気が引けるが。

「それから。ビクトールなんだけど」
少年はカップの向こうでうん、と唸る。
「アンナ様と昨日出かけたまま、戻っていないんだ」
「え?」
「どう、思う?」
かすかな温もりを残すカップを惜しむように手のひらで包んだまま、オリビエは見つめている。
「エスファンテにいた頃にも奥様が友達の屋敷に遊びに言ったまま帰らない日もあったけど。この町にそんな仲のいい友達がいると思えないし。それに。テッヘさんがさ。二人が大きな荷物を抱えて出て行ったって、言うんだ」もしやそれが。もし、帰ってこなかったら。
僕はどうしたらいいだろう。
何も知らず、眠っている侯爵様になんと伝えたらいいだろう。いや、まだ。そうと決まったわけじゃない。
「いや、もしかしたら、もう帰っているかもしれないけど」でも。
「調べられるよ。オリビエ。明日あたり辻馬車の事務所に聞いてみるよ。遠距離ならきっと記録されてる」

見上げると、少年は真っ直ぐオリビエを見つめていた。
「大丈夫、僕はそういうの役に立つから」笑うヨウ・フラ。まだ十四、オリビエが両親をなくした頃と同じ少年なのにヨウは力強い眼差しをオリビエに向けた。真剣な表情はオリビエの恐れていることを察している。
「だからさ、そういう顔するなって。僕はあの二人や侯爵様ともたいして親しくないから。平気だよ。ほんと、世話が焼けるよねオリビエは。ズレンの気持ちが分かるよ」
「?ズレン?なんで?」久しぶりに聞いた名前。懐かしく、かすかに苦い。
オリビエは残っていたチョコレートを飲み干した。

ヨウは眉をきりりとさせ。それはあの青年衛兵の物まねだと分かる。前髪をかきあげる仕草。懐かしくてオリビエは目を細めた。
「…オリビエは鳥が好きで空ばかり見上げている。足元が見えていないから転ぶんだ。お前はヴィエンヌまで行くのだろう?頼むな。なんてね、かっこつけてさ、頼まれたから」
かちゃと自分の立てたカップの音が、サーベルの鞘の軋みに聞こえてしまう。
彼は。最後まで冷たい態度だったのに。

「ほら、灯が暮れる前に戻らなきゃいけないだろ。時間がないからさ。オリビエ、僕だっていつも付き合えるわけじゃないんだ。起こったことを嘆いても仕方ないし、あんたがしっかりしないとさ」
過剰な感傷がそうさせるのだ。ヨウ・フラが肩を叩く仕草までズレン・ダンヤを思い出させた。
「オリビエ。あんたがしたいように手伝うから。別に世話になったからって、侯爵様のために自分を犠牲にする必要はないんだからさ。分かってるよね?」
ヨウ・フラは「侯爵がオリビエを養えなくなったとしたら、オリビエはオルガニストか皇室宮廷室内楽団か、マクシミリアン候の音楽教師、という選択肢があるんだから」と笑った。

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