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「音の向こうの空」第十八話 ⑥

第十八話:スープに沈む静かなる愛



まだ仕事のあるヨウ・フラと別れ、オリビエは一人侯爵家に戻った。
門の前で馬車から降り立つと、可愛らしい声に呼び止められた。
「オリビエさん!どうかしちゃったのかと思ったわ!」
と。両手を胸の前で組む少女はエリーゼだ。服を引かれ下を見ればいつの間にかアナレシアも貼り付いていた。

「お部屋にカーテンがかかっていて、入れなかったからビックリしたの」
「あ、ああ。今はね、侯爵様があの部屋で休まれているから。今日は窓を開けて演奏は出来ないんだよ」
「ふうん。お父様がオリビエさんはお休みだって言っていたけど、それでなのね」
「お見舞いしよう!」
叫んだアナンは手にしたアネモネの小さな花束をオリビエに見せる。赤いそれは最近よく見かける。中庭で風に揺れていた。

「あ、それ!侯爵様の中庭のお花じゃない!?」エリーゼも気付いた。
「うん、そうだよ。綺麗だったから」
にっこりと、小さな花盗人は微笑むと「侯爵様にあげる」と無邪気だ。エリーゼは真っ赤になって、「すみません、この子、ちっともわかっていなくて」と頭を下げる。
「気にしなくていいよ。侯爵様もきっと喜ばれる。こんなに可愛らしいお客様なんだから」
少しでも気持ちが和めばとオリビエは少女たちを連れて屋敷の門をくぐった。


すっかり顔なじみになっているテッヘは、エリーゼにお茶を運ぶ手伝いを頼み、少女も嫌な顔一つせず引き受ける。盆に乗った香ばしいお菓子にうっとりと鼻を近づけたところでオリビエと目が会い、顔を真っ赤にする。

かすかな音に、オリビエは部屋の扉を開いた。
ピアノの前。侯爵が立ったままぽろぽろと確かめるように音を鳴らしていた。
「侯爵様、起きたりして大丈夫ですか」
オリビエが駆け寄れば、侯爵はいつもの表情で「聞かせてくれんか」というだけだ。
顔色は昨夜よりはいい。
「もしよろしければ、先に風呂でもいかがですか。体が温まりますよ。ルードラー先生もおっしゃっていましたし」
「ビクトールがいないのだろう」
オリビエは一瞬言葉につまる。そういう仕事はビクトールがやっていた。
「あの、僕が……」
侯爵は黙り込んだ。

「あの、僕が湯を用意しますから。エスファンテでは全部自分でしていました。少々お待ちください」オリビエは逃げるように部屋を後にした。
「お風呂って?」とアナンがオリビエの後を追おうとし、エリーゼがだめよ、ととどめる。「貴族様のお屋敷にはお湯をためて浴びるところがあるのよ。それは気持ちいいんですって」
「お風呂!すごい!」
「寒い季節にはきっと天国ね」と笑いながら二人は侯爵のために茶を用意した。
「侯爵様、これ、お花です」

無邪気なアナンは花束を侯爵の前に持っていく。エリーゼは何か馬鹿なことをしでかさないかと妹を見つめていたが、侯爵が赤い花束を受け取り、アナンの頭をなでるのを見て安心する。

リツァルト侯爵はエリーゼたちにとって会話などしたことのない、身分の違う存在。それでも、教会に暮らす少女二人は大勢の人たちに囲まれて育っている。貧しい親子や病に侵された老人などを見てきていた。自然と侯爵の様子から感じ取るのだろう。
アナンは甘えるように侯爵と手をつなぎ、一緒になってピアノの鍵盤を指で叩く。強く叩けば大きな音、そっと叩けば柔らかく、そんな当たり前のことにも少女は楽しそうに笑い。それを侯爵も目を細めて眺めていた。
二人には決して恐い大人ではないのだった。

「侯爵様、どうぞ。お体が良くなりましたら、是非、教会にいらしてください。オリビエさんのオルガンはとても素敵です。教会に来る人の大半が音楽を聞きに来るんです。普段は聖歌やミサ曲ですけど、ときどきミサが終わった後にご自分の曲を弾いてくださるの。それがとても好きなんです。大人の男の人でも泣いちゃったりするんですよ」

エリーゼは侯爵の【出し惜しみ】を知らない。この場にオリビエがいたら少女の口を慌てて塞いでいただろう。
「そうなの、オリビエさんはすごいの。音楽の才能があるから、ロスじいもにこにこして褒めるのよ。楽譜も学校もいらないって」アナンも負けじと懸命に話す。
エリーゼは首をかしげた侯爵に紅茶を差し出しながら笑った。

「アナン、それを言うならこうよ。オリビエさんにとって音楽は学ぶものじゃなくて、表現するものだって。だから、芸術院で教えるような技術や理論は必要ないのですって。楽譜だって、オリビエさんと同じように演奏できる人がいないから、楽譜に残しても意味がないんだって。すごい褒め言葉だと思うの」
キシと。侯爵は自分専用の肘掛け椅子に座った。ぐんともたれると、天井を見上げる。
「エリーゼ。そのロスじいさんは。どういった人物なのかな」

「ロスノさんはロスティアーノ・エッフェルバッハさんといって、国立芸術院の院長さんなんです。皇室音楽監督でもあるんです。ちょっと変わったおじいさんだから、そんな風に見えないけど、偉い人なんですよ。あの人がずっと気に入っていたパールス教会のパイプオルガンを、オリビエさんに弾かせるだけでもすごいことだと思うんです。だって、腰を痛めていたのに、納得のいく弾き手がいないからって、自分でずっとオルガニストを続けていたくらいで」

エリーゼはいかにオリビエの演奏を皆が待ち望んでいるかを語った。
侯爵は紅茶を口に含みながら黙って聞いていた。


夕食の時刻、丁度いいタイミングでルードラー医師が尋ねてきた。その頃には湯を浴び顔色も戻った侯爵はアナンにもらったアネモネがテーブルに飾られているのを満足そうに眺めた。すでに少女たちは帰途につき、赤い可愛らしい花束が男三人の静かな食卓に色を添える。

オリビエは黙り込んでいた。
侯爵は夫人がいないことも、ビクトールが戻らないことも何も言わない。もしかしたら知っているのか。それを確認することも出来ずに迷いはスープを運ぶ手元にも及ぶ。

「パンが必要かな?」
と。声に顔を上げれば小さなパンの欠片が手元のスープにぽた、と落ち。オリビエは欠片と侯爵、そして目を丸くしているルードラー医師とを見比べる。
「あ、いえ、すみません」

なんだか餌をもらう犬みたいだな、そんな変な事を考え。キシュを思い出す。コンソメの清んだ底にパンはしっとりと沈んでいる。

「慣れない仕事をさせたな、オリビエ。疲れたのだろう。今日は早く休みなさい」
侯爵は微笑んでいた。あまり見たことのない表情が多く見られる。なぜだろう。
この人はこんなに穏やかな人だったろうか。体調を崩して気が弱くなっているのかもしれない。
昨日締め上げられたときには、やはり怖い人だと感じたのだが。

「そういえば、ビクトールの姿が見えないね」
医師の何気ない言葉だった。
オリビエは口に運ぼうとしていたパンの欠片を思わず皿に落とした。
スープを吸ったそれは予想以上に音を立て、跳ねたスープが顔にかかった。慌ててナプキンで拭き取るが、不思議そうなルードラーには隠しようもない。

「どうかしたのかい?オリビエ」
「あ、ええと」
そのままナプキンで顔を隠してしまいたいくらいだ。
オリビエは侯爵の顔を見られずに視線をまた、スープに落とす。
ふ、と溜息が一つ。
「情けないことだがね。ルードラー。妻とビクトールは二人で逃げ出したのだよ」
そう語るリツァルト侯爵は穏やかに笑っていた。

「オリビエ、明日には誰か世話をしてくれるものを手配しよう。お前が家のことをするのは禁じる。大事な手に何かあってはいけないからな。……まあ。たまに背中を流してもらうのは、悪くないが」

侯爵様は知っていたのだ。だから、昨日。
反抗したオリビエに言った。「お前はここにいてくれるのか」と。
それに頷いた時、侯爵はオリビエを許したのだ。

侯爵が僕に向けた怒りは同時に、夫人とビクトールに向けたものだったのかもしれない。二人はここを去った。あの日二人が寄り添うところを僕が見てしまったから二人は慌てたのかもしれない。僕が侯爵様に訴えるのではないかと恐れ、この屋敷を出た。
だとしたら。
薄氷と化した夫婦の間を踏んで歩いたのは僕。ひび割れた氷の上で主人の周りを駆け回る飼い犬のように。
黙って忙しい日々をすごしていた侯爵。すべては夫人や僕を養うため。家族を失い一人きりになる寂しさは、僕にもよく分かる。

「オリビエ」
声に気付いた時、自分がスープに映っていることに気付く。
「お前はわしのそばにいるといってくれた。それでよいのだな」
そういった侯爵の表情は、亡命について来いと命じた、あの日と同じだった。悲しげな表情が気になっていた。ずっと。
それが笑みに変わるなら。僕の音楽を愛してくれるなら。僕は侯爵様のおそばに仕えるべきだろう。十三歳の秋、独りきりになった僕を侯爵様が救ってくれたように。
ああ、結局僕もリトーに似ているのかもしれない。

「はい」頷いたオリビエに侯爵は笑みを見せた。

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