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「音の向こうの空」第十九話 ②

第十九話:約束、契約、罠



マクシミリアン候の屋敷はヴィエンヌの東部、オリビエの住む界隈から馬車でしばらく走ったところにあった。外門から石畳の馬車道が続き、使用人の住む建物や馬屋、作りこまれた庭園を走りすぎるとその先にロマネスク時代の建物が見える。
以前、ファリで立ち寄ったロスレアン公の別邸にも似ていた。
侍従に恭しく迎えられ、オリビエはかつての侯爵家を思い、すぐにそれを振り払った。

今は違う、だけど。あの頃よりずっと、オリビエは侯爵を身近に感じていたし、楽しかった。権力も資産も、地位も。失ったからと言って、必ずしも不幸になるわけじゃない。


「久しぶりですね」
相変わらず丁寧な口調のマクシミリアン候。リツァルト侯爵と握手を交わす間に、とととと、小さな足音が近づいてくる。
「オリビエー!」と。小さな桜色が抱きついてきた。
「アマーリア様」
マクシミリアン候の三女はすでに五歳。叫ぶ声もしがみつくその身長もすっかり変わっている。淡い色のドレスに髪にも同じリボン、肩にかかるレースが羽のようになびいた。
「会いたかったわ!相変わらず素敵ね、ね、お父様、オリビエをお借りしてよろしいかしら!私、新しい曲に挑戦中なのだけど、うまく行かないところがあるの」
早口で一気にしゃべる少女に、マクシミリアン候は「きちんと挨拶できないのかな」と軽く睨む。
「あ」と慌てて、少女はドレスの裾を両手で持ってちょんと膝を曲げて見せた。
「お久しぶりでございます、侯爵様、オリビエさま」
「アマーリア、私達は奥で話がある。オリビエ、すみませんが相手してやってもらえますか。貴方に会いたいがために、母親もいないこの地に一人で付いてきたのですよ。リツァルト侯爵、貴方もその方が都合がよろしいでしょう?」
オリビエは二人の話に興味があったが同席させてはくれないようだ。侯爵にとって都合が悪いとはどういう意味なのか。少しばかり複雑な表情の侯爵を残して、オリビエは少女に引かれるまま、中庭に面した居間へと向かった。



さて。と、マクシミリアンは見送った青年が少女と供に向こうの扉に消えるのを待ってつぶやく。侯爵に、ついて来いといわんばかりに視線を合わせた。
リツァルト侯爵より二十は若いマクシミリアンは階段を昇る足先すらどこか威厳を匂わせる。この季節にしては薄い上着の裾をひらと揺らしながら二階へと先を歩く。
ついていく形になる侯爵は、若獅子を思わせる男が見かけ以上に鋭い牙を隠していることを感づいている。
精緻な模様を描く窓からの明かり、リツァルト侯爵はかつて自分が暮らしていたエスファンテの屋敷を思い出す。今は失ってしまったその場所は、誰が歩み、誰が光を浴びているのか。

「教会のオルガニストにしたかと思えば、相変わらず【出し惜しみ】は続いているようですね。侯爵、兄から聞きましたよ。オリビエのコンクール出場について、いろいろと手を廻しているようじゃないですか」
二階の客間はごく小さな部屋だが、厚い絨毯、東方の模様を描いた螺鈿のテーブル。落ち着いた黒い漆塗りの家具で統一されている。
その中、一人白い毛皮のついた上着を従者に渡すマクシミリアンは草原の夜闇に立つ獣のようだ。
侯爵に椅子を勧めるでもなく、そのまま窓の外を眺める男は、振り返るとにやと笑った。

「オリビエには、我が屋敷でオペラを書いてもらいますよ」
「それはどういった目的でか、お教え願いたい。あれは、私が後見を勤めている。我が侯爵家の楽士として育てた。あれの作る音楽は私に権利がある」
ちらと侯爵を睨み、マクシミリアンは再び窓の外、昼下がりの中庭を眺める。
後ろに組んだ手が、癖なのかもじもじと自らの手のひらをなでる。
「オリビエは二十歳でしたか?もう、成人していますよね」
「……雇い主としての権利は変わらん」
マクシミリアンは振り向きもせず手を上げた。
それは侯爵の言葉を制し、そのまま人差し指を突き出して左右に振られた。
「ちがいますよ、侯爵。成人する、ということは。一人前の兵士として、戦場に送られてもおかしくないと、言いたいのです」

リツァルトはぴくりと肩を震わせた。
「オリビエも、そう。確か、亡命貴族の端くれ、ですよね。今、彼の仲間が大勢、クランフ王国へと進軍している。私もいずれ、このアウスタリアの軍に属するつもりでしてね。将軍とも親しいのですが。オリビエにも徴兵の報せが」

凍りついた空間を崩すように、マクシミリアンが声音を深く、低くした。
「いつ届いてもおかしくない」

亡命貴族を強制的に戦場に送るなど、やめさせたいと願った。
そのために、走り回り、アウスタリアの将軍とも面会した。
だが。
亡命貴族たちは、自ら好んで召集に応じたという。
だからリツァルト侯爵は、愛国心の薄い彼らの行動に呆れ、亡命貴族を護るために奔走することを諦めていた。徴兵の令が下ることを見逃した。
まさかそれが。こんな刃となって隠されていようとは。

「オリビエを戦場に向かわせるのは忍びないと思いませんか?あれは、そう、まともに剣も握れそうにないですね」

剣どころか。馬にも乗れない。

「しかし徴兵を断るにはそれ相当の理由が必要というものです。将軍にそれを認めてもらうために、彼の前でオリビエの実力を、音楽家としての才能を認めてもらうしかないのですよ。出し惜しみなどしている場合ではないでしょう」

マクシミリアンの言いたいことは分かる。
目論見どおり、何があってもオリビエをコンクールに出すつもりだ。

「あのミュニックでオリビエの演奏した音楽は素晴らしかった。アマーリアも懐いています。それに対する、私なりの感謝の印です。誰もがコンクールに出られるわけではないのですよ。ツヴァイブリュッケンの名を背に負うのです。むしろ、名誉なはず。その上、オリビエを徴兵から護ろうというのですから、まさか。反対などなさいませんよね?リツァルト侯爵」

マクシミリアン候は、優れた戦術家だという。
人を操り、戦況を把握し。若き大公は好んで争いの中に身をおく。そして常に戦果を収めているのだ。いつのまにかリツァルト侯爵は背水の陣。足元に沁み込む冷たい流れに、背筋が寒くなる。マクシミリアンは勝利を告げた。
「オリビエには、我が家に留まり作曲に励んでもらいますよ」
リツァルト侯爵は静かに拳を握り締めていた。



同じ昼下がりの日差しを受ける階下では、平和な時間が流れている。
少女は始めこそ自分の演奏を見てもらっていたが、その内オリビエに弾いて欲しいとねだり、膝の上に座って贅沢な連弾を試みていた。
メイドがお茶を運んでくる。中に顔を覚えているメイドもいた。オリビエが何か話そうとすれば、アマーリアはだめ、こっち、と邪魔をする。
メイドが来ては親しげに少女に声をかけるものだから、終いには「もう、邪魔しないで!オリビエは私のものなんだから!」と怒鳴って、来るたびに人数を増していたメイドたちを追い払い、部屋の扉を閉めた。
もう、と腰に手を当てて口を尖らせると、「これでやっと二人きりだもの」と嬉しそうにオリビエの膝にのぼろうとする。

コンコン、とノックの後。む、と少女は身構えた。またもや、邪魔者が現れたとオリビエにしっかりしがみつくからくすぐったさもあってオリビエは笑う。

「アマーリア」
マクシミリアン候が入ってくると、「もう!もう!もう!!!」と少女は癇癪を起しかける。
「さ、もう向こうへ行っていなさい」
マクシミリアン候が少女を軽々と抱き上げる。
「お父様、もっとピアノ弾くの、邪魔しないで」
少女は脚をばたばたとして暴れ半分泣き出していたが、マクシミリアン候は穏やかに笑ったまま、少女を部屋の外へと連れて行った。
メイドに預けられたのか、廊下で騒ぐ声が聞こえている。
「さて、すみませんでしたね、お守をさせてしまって」
微笑みながら平然と扉を閉める。
はあ、とオリビエは頷くしかない。少女の勢いにも圧倒されるが、それをものともしない候にも恐れ入る。父親というのはそういうものなのだろうか。
自分の父親を思い浮かべても、少し違う気がした。

オリビエはピアノの前で座ったままマクシミリアン候の隣に現れるべき姿を待ったが、扉は閉じられたまま。
「あの、侯爵様はどちらに?」とオリビエが尋ねれば、「先ほどお帰りになられた」と。
マクシミリアン候は笑った。

「え?」
帰ったって…一人で?僕を置いて?
急に心細くなる。

「貴方はまだ、まともに曲も出来ていないとのことですね。コンクールまで日がない。今日からコンクールまで、ここで暮らすのです。明日にはレイナドと歌劇団が到着します。オリビエ、よもや約束をなかったことにしようなどと考えていたわけではないでしょうね」
じわりと背に緊張が走る。ここで暮らすって、どういうことだ?
「あの夜、約束したでしょう。貴方の初めてのオペラは私が貰い受けると」とマクシミリアン候が語りながらオリビエの肩に腕を廻す。オリビエは慌てて立ち上がろうとする。
が。肩に置かれた腕は重く、呪縛のように身動きを封じた。
「あ、あの」
「嫌なのかな?」
どうしたものかと膝に拳を握り締めれば、耳元に候の息遣いを感じる。思わずびくりとし、その様子にマクシミリアンが笑った。
からかっているのか、脅しているのか。
「オリビエ。このコンクールは我がツヴァイブリュッケン家の名誉を担っています。失敗は許しません。そうですね。もし入賞しなければ、貴方は我が一族の音楽家として一生仕えなさい。リツァルト侯爵は貴方が決めることだと、おっしゃっていましたよ」
「そ、そんな、あの。僕は曲を提供するのはお約束しました、ですが。コンクールの出場や、ましてや入賞のお約束をした覚えはありません!」
訴えてみるものの、相手に動じる様子はない。背後にいる候の表情は見えない。かすかにピアノに映る暗がりの顔が歪んで笑っているように見えた。
「台本を貸し与え、我が芸術監督に直々に運ばせました。レイナドは貴方がコンクールに出ると約束したと報告しましたが?では、あれが嘘をついているというのかな?だとしたら罰してやらねばなりませんね」
!そんな。
「いえ、いえ…その」
「我が一族の音楽家となるのは悪い条件ではないと思いますよ。先日、わざわざ頼みに来た若者もいるほどです。亡命貴族に仕えるよりよほど貴方にとってよいことだと思いますが。何ゆえ、リツァルト侯爵にこだわるのですか」
「お世話になったのです。……僕は、十三歳の時に、両親を亡くしました」
「ふむ」
話し始めるとマクシミリアン候が腕を解いたので、オリビエはホッと息を吐き、続けた。話すしかない。
それで何がどうなるかなど、分からないが。
オリビエは侯爵に引き取られたときのこと、それ以降ずっと侯爵家に仕えて来たことを話した。今は一人きりになった侯爵に仕えたいのだと。
「ふん、ではなぜ。リツァルト侯爵は貴方にこだわるのですか?」
それだけは。オリビエにも分かりはしない。
首を横に振る。見つめた自分の足元に、マクシミリアンの靴が見える。いつの間にか正面に回っている。顔を上げると目の前に猛禽類を思わせる鋭い視線があった。
「分かりません」
オリビエは見つめ返す。なぜ、こんなことになっているんだろう。

「ふむ、まあいい。要はお前がリツァルトにとって大切であればいいのだ」
オリビエは眉をひそめる。どういう意味なのか。

「いずれ。侯爵の大切なものはすべて取り上げてやる」
「!」
にやりと笑う表情は壮絶な怒りを含んでいる。
「いいですか、オリビエ。私の前でリツァルト侯爵を褒めることは許しません。あの男は若い頃私の父と同じ戦場に立った。敵としてです」

リツァルト侯爵はプロイセンの貴族の血を引く。若い頃はプロイセンに住んでいたらしい。アウスタリアとプロイセンが争ったのなら1760年代の七年戦争だろうか。
アウスタリア皇帝の継承をめぐってプロイセンとアウスタリア帝国・クランフ王国同盟軍との争いがあったと聞く。

「分かりますか?かの七年戦争で、私の父は命を落とした。同じ戦場であの男もサーベルを振り回し戦っていた」
「それは、……侯爵様がお父上を、ということですか?」だから、そんな風に憎んでいるのか。
「そうに違いありません」
違いない?オリビエは目を丸くした。
「違うのですか?」
「いいえ、きっとそうに違いないのです。たとえ、あの男が直接父上を殺めたのではないとしても。あの男は父上を殺した軍兵の一人。憎まれて当然ですよ。プロイセンの皇帝の代替わりを機にクランフ王国へ逃げ出しておいて。今は、そこからも追われる身。まともに祖国も持たない情けない男です」

戦争。それは、誰の責任でもないだろうに。マクシミリアン候には憎む対象が必要なのかもしれない。たまたまそこに、侯爵が当てはまってしまった。
リツァルト侯爵はクランフ王国の社交界でも重鎮として扱われ、亡命した今もアウスタリア帝国政府に重用されている。その事実がマクシミリアン候には気に入らなかったのかもしれない。
このまま僕がここにいては、何か侯爵様によくないことになるのかもしれない。

オリビエは立ち上がった。
捕まえようとするマクシミリアンの手を逃れ、壁際にかけてあったコートを手に取る。
「あの、僕は帰ります。台本にそって書いた楽譜が侯爵家にありますし。僕は今、パールス教会でオルガニストとして勤めています。ですから、こちらにお世話になるわけには」
「ここから通えばいいでしょう。楽譜も明日、我が衛兵と供にとりに戻ればいい」
マクシミリアン候はテーブルにあった呼び鈴を鳴らす。
誰か、人を呼ぶのだ。
オリビエは慌てた。ロントーニ男爵との件を思い出す。誰かに拘束されるのはたくさんだ。
「いいえ!僕は帰ります。明日、またお伺いします。レイナドさんともお話しなければなりませんし、ですから。今日は」
「馬車など出しませんよ?侯爵はお前を置いて帰りました。五里の道のりを一人きりで歩いて帰るつもりですか」
広い居間をオリビエは早足で扉まで向かう。あせっているせいか、自分の足音が耳に響く。
「それは……それでも。帰ります」
五里…歩けば三、四時間だろうか…。道も分からない。
それでも、ここにいるのは嫌だ。
オリビエが扉を開こうと手を伸ばすと、向こうからそれは引かれた。
「!」
「大公様。お呼びですか」と、大柄な衛兵が帽子を取る。腰にはサーベル。オリビエの視線は男の胸ほどしか届いていない。オリビエは小山のような男の脇を抜けようとし、足を止める。何を察したか、男はオリビエの行く手をふさいだ。眼前の手袋をした手、男の腰の剣から背後を振り返れば。マクシミリアン候がこちらに歩み寄る。猛獣の笑みをたたえて。
オリビエは一歩下がろうとし、背後の衛兵は背に突き当たる壁となる。

「お願いです、僕は約束を守ります。初めてのオペラは貴方に差し上げます」
拳を握り締めていた。
「コンクールには出るのだな?そこで、お前は必ず賞を取るというのだな?」
唇をかみ締める。
衛兵が目を細める。それはオリビエに対する哀れみなのか、嘲笑なのか。

「はい。……ですから、僕を侯爵家に、帰して下さい。お願いします」
「その男が証人だ。よいな?」
オリビエの目の前の衛兵は「はい、確かに」と。
「確かに、オリビエ様は大公様とお約束なさいました。オペラコンクールで賞を取ると」
「そうだ、それが出来なければ一生私に仕える。我が一族の音楽家として、一生面倒を見てやろうというのだ。公証人たる私が約束する。これは契約だ。オリビエ。明日、必ず来るのだ。その時には正式な証文を用意しておく」

これは、なんなのだ。どうして、こんなことになるんだ。
これではあのミュニックでの夜と同じじゃないか。
よく分からない理屈で僕を思うとおりにしようとする。

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