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「音の向こうの空」第二十九話①

第二十九話:空に羽ばたく



リエンコとの会談から三日。オリビエの裁判を明日に控えた夕刻。
「気持ち悪いほど生温かいな」
ズレンは職場であるテュイルリー宮殿を出ると新鮮な空気を吸い込もうと息を深くした。この季節にしては珍しく温かい夜は空気まで湿り気を帯び、上着の袖すら重く感じられた。
夕日に照らされ、影が移ろう青年の頬には疲れが残っている。それでも瞳にはぎらぎらとした力を宿す。ズレン・ダンヤがそういう表情をしている時には、何かしら成功を手にしつつあるのだ。この数日の行動が実を結ぼうとしていた。

「軽く飲んで帰るか」
ひとり呟く。
侯爵が捕らえられファリに到着してからズレンの酒量は随分増えた。それを心配するものなどこの町にはいない。革命以来、国のあちこちから人を寄せ集めるファリは人口が増加し続けていた。人が集まれば物資は不足し物価は高騰。皆自分のことで精一杯だった。
ズレンにとって異臭を放つこの街はエスファンテに比べればゴミの中で暮らしているようなものに思えた。かつて川向こうのメジエール工兵学校にいた頃は、まだ町並みも今の半分だった。人間も建物も街も、いつの間にかテーブルクロスにこぼれたワインのように広がっていた。
マルセイユ義勇軍に参加し、いくつかの死線を超えこの年の八月にはファリ市内の暴動を目の当たりにした。エスファンテで自分が護ったようには、この国の宮殿は護られなかった。唯一命を賭して国王一家を護ろうとしたのはスイス人衛兵だけだった。金で雇われた外国人が最も信頼の置ける部下だとは、情けないことだった。国民衛兵は市民と国王、どちらについていいものか躊躇し、混乱した。
国王一家は「革命」の敵だったかもしれない、だが国民の敵であるかどうかは誰もわからなかったからだ。
市民も衛兵たちも、国民公会の法律と彼ら政治家が発行する新聞や噂に惑わされ、見失っている。政治家たちに国民を幸せに出来るとは思えない。
「幸せ、か」
何を求め生きるのか。「幸せそうに見えない」とリエンコに言われた言葉が浮かんだ。テーブルに置いたグラスを眺め、余計なお世話だと目を細める。
「何が一番、か。あいつみたいに単純で分かりやすい人生なら、幸せを掴むことも簡単だろうが」
亡くなった両親の遺志を継ぎ、上を目指してきたズレンのそれは、革命ですべてひっくり返った。弁護士や文士が政治家となって国を動かし、その背中を昨日までパンを焼いていた男が剣を持ち護る。それが国だというのだ。どれもが偽物に見える。

ふわりと、店内の空気が変わった。
顔を上げる。
いつかエリーがこの『エスカル』に入ってきたときと同じ、皆が視線を吸いつけられるような人間がこの空間に足を踏み入れた。
その気配にズレンは思考を止め、そちらを見やった。
エリーではなかった。
「……フラン夫人」
「いつもここに、と聞いたのよ」
フラン夫人の白い手が、席につくなりズレンのワインのグラスを奪う。赤い液体が赤い唇に上塗りされ、言いようのない嫌悪感でズレンは視線を落とした。
小柄で小さな犬を思わせる夫人は笑うと首をかしげる癖がある。そのたびに遮っていた向こうのテーブルのランプが覗き、ズレンは眩しく感じて眉をひそめる。
「なあに、相変わらず不機嫌な顔ね」と夫人は自分の眉間を指差す。それは貴方のせいでしょうと、ズレンはまた顔をしかめた。
「オリビエとは、友達なのね」
「……ええ」
オリビエの名を出すのだ、夫人の意図がなんなのか確かめてみる必要がある。低く囁く夫人にズレンは一瞬躊躇したものの頷いた。

「助けたいんでしょう?私のサロンにいらっしゃい。心配しなくてもいいわ、私一人だから」
年上のフラン夫人は華奢な手に華奢な顎を預けて首をかしげる。無邪気な仕草とは裏腹の提案にズレンはいくつか心の警鐘を聞いていたが。
「いいでしょう」と、婦人の手からするりとグラスを奪い返し飲み干した。
かすかに触れた夫人の手は、想像以上に冷たかった。

フラン夫人の言ったとおり、その夜夫人の家のサロンには他に誰も来ていなかった。
普段なら大勢がくつろぎ、議論を交わすだろうソファーには誰かの存在を形だけ残すクッションが二三個転がっていた。
かすかに花の香りがするのはこの場所の主が女性なのだと改めてズレンに思い出させる。
「さ、好きなところに座ってくださいな。今紅茶を入れるわ」
資料や新聞の積まれたテーブルの端を黙って眺め、ズレンは紅茶を温かいうちに飲み干した。

「ねぇ、ズレン・ダンヤ。あなた、あの亡命貴族を助けようとしている。でしょう」
それにはズレンは肩をすくめただけだ。不用意に口にしていい問題ではない。亡命貴族に味方する、それは共和政府に反抗するのと同等。
夫人はズレンのカップに二杯目を注ぎながら、笑った。
「司法大臣の下で働くのに、いいのかしら。信用されているんでしょう」
「……私の上司は司法大臣ではなく、ファリ司法長官、ジョスパー氏です」
く、と。小さく笑われた。
「誰もが知っているじゃない。あのジョスパーのナイフの振りをして、本当は司法大臣の表に出来ない仕事を手伝っている。ジョスパーがあれ程貴方を嫌っているのに、首に出来ないのは大臣の命令で貴方を雇っているからだわ」
ズレンは静かに息をつく。
肯定も否定もしない。
「随分な覚悟じゃない。亡命貴族を助けようなんて。出世を諦めるつもり?」
「まさか。ダンタン氏はジロンド派にも理解ある方です。私はこの国に彼は必要だと考えている、それだけです。もともと、私自身は派閥とは縁が無い」
「田舎から昇ってきたマルセイユ義勇軍、だからとでも?」
「ええ、それもありますね。何しろ私がここに来た時、革命はすでに釜に入れられたパンのようなものでした。私はただ、焼き具合を眺めているしかない」
「革命の仕上がりは貴方が決めると、そういうことかしら」
「たとえ話ですよ。それに。中身はあなた方がすでに作り上げている。後から何が出来るわけでもない」
ふふ、と我慢できなくなったようにフラン夫人は笑い出した。ちょうど、メイドの運んできたクッキーが香ばしい香りをさせ彼らの目の前に置かれた。
革命がどうなるのか。そんなもの、食べてみなければ分からない。
ズレンは夫人の止まらない笑い声を無視し、クッキーの一つに手を伸ばした。
それは想像以上に柔らかく、指先でほろほろと崩れた。砂で出来た脆弱な革命政府のごとく。
手にカスだけを残したそれを、拾い上げることもせずズレンは隣の一つをつまんだ。今度はそっと。

「私は貴方を買ってる。いいえ、私だけではないわ。ジロンド派が、よ。貴方のような人間が水面下で我慢している、惜しい話だわ」
「……なんのお話ですか」
「とぼけないでいいわ。ねぇ、私たちにつかない?貴方が大臣に命じられた表に出来ない仕事、随分お金が動いているそうじゃない。それを公表されれば大臣も危ういわよ」
「確証の無い噂で政敵を追い落とす、などという幼稚な発想を実行に移すには、あなた方の手も汚れすぎていると思いますが」
「オリビエを助けてあげる、といったら?」
女性にしては物怖じせず発言する。それが政治家としての彼女を築いた。腹を探り合う騙しあいは得意ではないのだ、夫人は我慢できずにカードを切った。
「私なら、助けてあげられるわ」
「あれは司法に委ねられている。今更なにをすると言うのですか」
お手上げですといわんばかりに肩をすくめ、穏やかな笑みすら浮かべるズレンには、言葉とは違う目論見がある様子。ズレンのカードを読みきれない以上、この交渉はフラン夫人に不利となる。
「貴方が我らに忠誠を誓い、司法大臣の素顔を語ってくれるなら。私が新たな司法大臣に就任し、政府のために忠誠を誓う音楽家に恩赦を与えてもいい」
ズレンは肩をすくめた。
「司法大臣が変わらずとも、オリビエは恩赦に値する。すでに約束は取り付けてあります」

―――司法大臣は苦い顔をした。丁度今のフラン夫人のように。
深夜、いつも密かに訪れる小さな酒場の隅で。司法大臣のダンタンはカエルに似た顔の大きな口をへの字に結んだ。
「私は君を信頼していた。残念だよ、君は私の行動に賛成してくれているものと思っていた」と、ズレンを責めた。
「いいえ。正しいことだと思いますが、費やした公費と理念をすべての人が正義だと認めるはずが無いことは、貴方ご自身も理解されておられるでしょう」
「それを公表すると脅しているのだぞ。君はその意味が分かっているのか」
抑えた声音にも大臣の焦りが見え隠れする。
「オリビエは真にかの歌の作曲者です。才能あふれ功績のある音楽家を、亡命貴族の養子になったというだけで死刑にすることの意味も、知っていただきたい」
「……その、音楽家とやらの恩赦も同じだろう。市民に理解されなければできない」
「オリビエの恩赦は誰よりも市民が求めることになるでしょう。その場でもし、市民の支援を得られないようなら私も諦めます。多くの人間がオリビエの生を望むのなら、大臣閣下には恩赦を。そのために議員の皆さんも同席願いたい」
―――同じ顔をしている。
ズレンは冷め始めた紅茶にあの夜の記憶を浮かべ、目を細めた。
「嫌な人ね」
フラン婦人の白い手が隙を見つけたのかズレンの頬に伸ばされる。
触れる寸前。青年が目を合わせ、夫人は一瞬の躊躇をみせた。ズレンの涼しげな黒い瞳は鋭く、年下のただの若者では無いものに変わる。夫人の中で、青年に伸ばしかけた手も、躊躇した行動も、いや、この夜この男をここに呼んだことすらも後悔に変わる。
「これでも飲み込まれないよう、必死なのですよ。地方出身の若造としては」
ズレン・ダンヤの声は耳元で聞こえ、後悔がすでに遅かったことを夫人は悟る。
青年の手は巧みに女を呼び覚まし、かなわないと認める頃には腕の中だ。
「私にはまだ、どの海で泳ぐべきなのかが見極められない。潜っては深みを恐れ、水面に上れば大波にさらわれる。漂うだけではいけないと分かってはいるのです」
この言葉にはズレン・ダンヤという青年の真実があるように、夫人は感じた。

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