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『La croisade de l'ange 3:Le havre』 ⑯

La croisade de l'ange Chapter 3 『Le havre:ル・アーブル、港に詩う』

16

かた、とトレーの上の皿が傾いた。
シャルルは慌ててそれを支え直し、テーブルまで運ぶと振り返る。
「そ、それは、あのっ」

何やら約束事を交わした様子の二人、ロトロアは僕を。いやでも。シャルルは首を横に数回振る。今、ヘンリー三世は言ったよね、ロイに会わせてくれるって。

「あれ、その様子ではイングランド行きのことも聞いたんだね。リオネット。お前はこの私がもらいうけ、ロイと共にイングランドに連れ帰る。いい話だろう?そんな男のような格好をする必要もないよ。あの戴冠式の時のように美しい姿でいればいいのだ」
ロトロアは、と見ればもぞもぞと無造作にベッドに横になった。
まるで無視して、こちらを見もしない。

いいよ、それならさ。
シャルルはヘンリー三世のいい話とやらはさておき、
「陛下。あの、ロイに会いたいです!ずっと探していたんです。僕、ずっと。会えたら一緒にパリに行くんだ」
ヘンリー三世が首をかしげた。
「あの子はパリになど行かないよ」
「そんなことないよ、あの。その、僕はロイをブランシュ様に会わせたいんだ。お母さんに」
室内の温度が下がった気がした。ヘンリー三世は口を閉じ、何を考えているのか分からない顔に変わった。それでもシャルルは続けた。

「約束したんだ、ロイを連れ帰ったら、ちゃんと母親らしく大切にしてくれるって!ロイもそのほうが嬉しいはずなんだ、だって、本当のお母さんなんだから。きっと会いたいよ。僕ロイに会って、その話をしたいんだ」
「お前、そんな目的か」
薄暗い室内の片隅で小さく呟く怪我人は無視して、シャルルはヘンリー三世の前に膝をついた。
金の髪がゆらゆらと明かりを弾いて揺れた。それが影を落とす肩、襟元。視線を流し、ヘンリー三世は目を細めた。傅かれるのは、嫌いではない。

「お願いです、ロイがここにいるなら一緒にパリに行かせて下さい!お願いです。僕、ロイを助けるって約束して、それ以来ずっと探していたんです。ずっと、僕の」
…僕のせいで、ロイは行方不明になって。シャンパーニュにも、パリにも戻らなかったロイ。それは僕のせいだ。
別れた雨の夜を思い出せば胸が苦しかった。あの日、なすすべもなく馬に揺られて濡れそぼった自分、視界は雨と涙で溺れそうになっていた。
シャルルが瞳を擦ると、ふと目の前に大きな手があった。
見上げればヘンリー三世が笑っていた。

「乙女を泣かせるのは趣味ではないよ。あの子が自分で行きたいというなら、ロトロアに護衛をさせてパリまで送ろう」
「俺が?」遠く、ベッドの中からロトロアが顔だけをこちらに向けた。迷惑そうに眉をしかめている。
「ノルフェノを連れて行くならば馬車を出す。我が馬車を貸そうというのだぞ、その身体ならば馬車の価値は絶大かと思うが」
シャルルの手を引いて立ち上がらせながら、ヘンリー三世は高らかに笑った。
「シャルル、お前にあの子を託そう。その代わり、命を賭けて守って欲しい。縁あって出あった子だ。あの子が自分の意志でそのままパリに残るのならそれも仕方のないことだろう。シャルル。私はどうもあの子を救いたくてね。親に会うというのも、一つの手かもしれない」

救う?

シャルルは穏やかな聖母のように笑うヘンリー三世を見上げていた。
大きな手がいつの間にかシャルルの頭をなでていた。
「救うって、あの。体が悪いんですか」
「十分養生するようにはしているんだよ。ただね、いつも悲しそうでね。そんな境遇に育ってしまったあの子が不憫なのだ。君なら、分かってくれるかな」
シャルルは頷いた。ロイは淋しそうだった。一緒に眠ったあの晩、とても嬉しそうだった。
「ただ。シャルル。あの子がパリに行きたがらないなら、この話はなかったことになるよ。いいね」
「はい。僕を、ロイに会わせてください」
シャルルはそそくさと、ロトロアの横たわるベッドの脇に食事のトレーを置き換えると、水差しからコップに並々と水を注いだ。

「はい、ちゃんと食べて大人しくしてなよ。僕、ロイに会ってくるから」
ふわりと立ち上がったシャルル。
ロトロアはコップの揺れる水を睨んだまま、黙ってシャルルを送り出した。


ヘンリー三世の後について、聖堂の中を小走りで駆けていく。
途中の渡り廊下で、暗がりを横切る白い影を呼び止めた。
「クウ・クル!」
抱き上げ、「ロイに会えるんだぞ、一緒に行こう!」と頬ずりする。くすぐったそうに身をよじるイタチを、ヘンリー三世はモノ欲しそうに見つめながら再び歩き出した。
部屋を出たときからついて来る衛兵二人を従え、シャルルたちは最も風通しの良い広い客間へと辿り着いた。
ヘンリー三世は無造作に扉を開けさせた。
シャルルは心の準備も何もないまま、扉の向こうの暖かい空気を額に感じ、はあ、と息を吸い込んだ。

広い室内は暖炉に火が入り、小走りでついてきていたシャルルには少し汗ばむくらい温かい。室内には誰もいなかった。
石壁には幾枚もの壁掛けが垂れ下がり、獅子と槍、百合と魚、薔薇と十字。様々な装飾の刺繍が静かにそこに収まっている。室内三箇所に置かれたランプ、一つはベッドの脇に、一つはふみ机の脇に。後一つは隣の部屋に続く扉の脇に。

「え、こっち?普通は手前が従者の部屋じゃ?」
「フィリップは従者ではないよ。リオネット。遠い血縁に当たる、今は私に協力してくれる同胞なのだよ。兄弟、と言ってもいいかもしれないね」

シャルルは、つと立ち止まり。改めて深々とヘンリー三世に頭を下げた。
「なんだい、リオネット」
「ありがとうございます。僕、ロイをずっと心配していて。一人ぼっちでひどい目に遭ってないかとか、また熱を出したりしてないかとか。その、……もしかして、生きていないかもしれないとか」
最後の言葉には自分で言ったのに胸が詰まって、ついでに鼻まで詰まって変な声だ。
シャルルはすん、と鼻をすすってもう一度、ヘンリー三世を真っ直ぐ見上げた。
「嬉しいんです!こんなふうにロイが大切にされていて。僕、僕」
「いいから」声が大きくなるシャルルを手で制して、ヘンリー三世は隣の部屋に続く扉を叩いた。
「入るよ、ノルフェノ」

中から、何か返事があったらしい。
シャルルからは聞こえなかったが、ヘンリー三世は扉を開いた。
乾燥させたラベンダーの香りがふわりとシャルルの前に届いた。
いい匂い、そう。初めてロイに会ったときに嗅いだいい匂いだ。それが、ラベンダーであることは最近知った。
教えてくれたのがロトロアだというところが、なんとも似合わないが。
一瞬、脳裏に甦った青年が、なぜかシャルルを落ち着かせた。

ロイに、会う。改めて腹に力を込め、シャルルは手招きするヘンリー三世の側に駆けつけた。
そこは先ほどの部屋とはまた違う色合いだった。

白い清潔そうな綿のシーツがかかったベッド。天蓋は手縫いのレースで、ランプの明かりに怪しいほど美しく揺れていた。
その向こうのベッドに、起き上がっている、姿。
よく見えなくてシャルルは目を擦った。

「ノルフェノ、話し相手を連れてきたよ。懐かしいだろう。私は大司教に話があるからね、先に休むならそうしなさい」

「はい、陛下」

その声は、シャルルの記憶とは違っていた。
違和感と同時に心細くなる。
その時にはもう、背後の扉は締められていた。

二人きり。
シャルルは、レース越しのロイと向かい合ったまま、息を潜める獣のようにじっとしていた。
「どうして、ここに。もし陛下に無理矢理連れてこられたなら、帰って良いんだよ」
きゅ、と。唇を噛んで、シャルルは突進する。
白いそんな、綺麗な繭に包まれて、なんだか高貴な人みたいな口調で突放そうとする。
あの時のロイとやっぱり同じ。あの時も、なんで来たんだと突き放した。

「わぁ!?」
驚くロイは無視。シャルルはレースをまくったその先、ベッドの上に飛び乗るとすとんと座り込んだ。
正面には、枕をなぜか盾のように抱えた少年。

淡い茶色の髪は柔らかそうに額に落ち、唇の辺りでさらりと揺れる。淡いブルーの瞳、透き通るような白い肌。優しげな顔立ち。少し会わなかっただけなのに、随分身長が伸びていた。

「あ、会いたかった!」
シャルルはそのまま、ロイの膝にかかる毛布に抱きついた。
ロイ自身に抱きつけないのは、わずかな恥じらい。目の前にあるロイの足も邪魔だった。
それでも抑えきれない涙を何かで抑えなくてはと、シャルルは不器用に毛布を抱きしめていた。
「あの、シャルル」
「声が違う」
そういうシャルルの声もすっかり涙声なのだ。
ふと、ロイは口元を緩めた。

「こっちに」
顔を上げれば、ロイが両手を伸ばしている。
足元の毛布ごとずるずると近づけば、そっと抱きしめられた。
甘い香り。
「あのさ、ずっと、会いたかったよ僕、あの。あの夜から。約束、守れなくて」
「それは私も同じだからね」
「行方不明で、どうしちゃったかってずっと」
「うん、そうだね」
そうだね、だけで済まそうというのか。ロイに何があったのか、シャルルは少し待っても続きがないから顔を上げた。
「僕はね、僕は。聖堂でロトロアに捕まってさ。それで、今、ロトロアの従者になってるんだ」だからロイには、なにがあったの。
そう問いたいのに。

「知ってるよ。ランスで見かけたよ。ジャンと一緒だったね。幸せそうだった」
幸せそう、に胸が詰まる。
あのランスで。久しぶりに訪れたあの地で。僕は、自分の罪に向き合って。
いや、そんなことをロイに言っても意味はない。
シャルルは涙と一緒に記憶を拭い去る。

「ランスにいたなら言ってくれればよかったのに。僕、ずっと探していたんだ」
「それは、ヌーヴェルに聞いたよ。リオン、とか。リオネットとかいうんだね。あだ名がたくさんあって」
「それは、そうリオネットはね。ブランシュ様がつけてくれたんだ!」
シャルルはロイに語るべきことを思い出して、過去を胸に押し込んだ。そう、これまでのことより、これからのことだ。

「あの、フィリップさまが、その……。いないことになっているって、聞いた」
肩に置かれたロイの手に力がこもった。
ロイが聞きたくないことを、口にしている。
だけど。
「ほら。これ見て。ロイもあるだろ。ブランシュ様に頼まれたんだ。ロイを探して欲しいって。それで、僕は約束してもらったんだ。探してきたら、ロイをちゃんと、子供として迎えてくれるって。お母さんとしてちゃんと抱きしめてくれるって」
シャルルは胸元のペンダントを引っ張り出した。

「だから、一緒にパリに行こう!ヘンリー三世陛下も賛成してくれたんだ。ロイ、言ってたじゃないか。両親にも、兄弟にも会えないって。でも、もうそんなことないんだ。死んだことにされた理由だって、ちゃんと説明してもらえる」
わずかにロイの声が低くなった。
「本当に?」

「うん、そうだよ。パリでブランシュ様にも会えるし、ルイ九世にも合えるよ。ルーとは仲良しだったんだしさ、でもあいつ、なんか変態少年王になってたけどさ」
笑ってくれると、思った。
ロイはつまらなそうにふうんと、小さく呟く。そっとシャルルを押しのけて、膝を抱えた。

「あの、気に入らない?駄目かな?ヘンリー三世陛下もいいって言ってくださったんだよ」
「そう」
「ロンロン、あ。ロトロアが護衛に着くって。僕も、今は騎士見習いだから、ちゃんとロイのこと護るよ。前みたいに弱くないんだ。自分の剣だって持ってるんだ。今ここにはないけど。イタチの形でちょっと、弱そうだけど」
両手でこのくらいの長さで、と。シャルルが説明する。イタチの言葉に反応したのか、どこかに行っていた本物の白イタチも肩を乗り越え、ベッドに飛び降りた。
「あ」
ロイの興味は、剣よりそちら。クウ・クル。そう声をかけると、獣は一度立ち上がり匂いを嗅ぎ、おいでの声に合わせてロイのそばに駆け寄った。
襟もとにもぐりこもうとするから、ロイはくすぐったそうに笑った。
その声すら、もう、大人みたいで。あの時とは、違う。
ずっと、思い描いていたロイは、少年のままだった。優しげな顔立ちはそのままだけれど、声の違いが圧倒的な勢いで記憶の面影をかき消していく。

ロイに処女を捧げたかったのか、と。不意にロトロアの言葉が思い出され、シャルルは唇をかんだ。勝手に、僕が好きになってるだけなんだ。分かってる。
白イタチをからかって笑うロイ。
いや、今はもう、ロイじゃない。王の子供って呼ばれることは、一生ない。
なんて、呼ぼう。
そんなことをぐるぐると考えていると、ふとロイがこちらを見つめていることに気づいた。

「シャルル、もう、泣かないで。分かったよ、私も一度お母様と話しておきたい。一緒にパリに行くよ。ただ、ねえ。ロイって呼ぶのはやめてほしいな。私はもう、フィリップでもない。今は、ノルフェノっていう名前なんだよ」
笑いながら、でもなぜか大きな目がきらりと光ったように見えてシャルルは滲んでいた涙を拭った。
「うん、そうだね。ノルフェノって言うんだ。変わった名前だね」
「うん。イングランド訛りのフランク語だからね」
「…ふうん」
少し違うけれど、孤児、という言葉の発音に似ていた。一人で、生きて行くという覚悟なのか、ヘンリー三世がそんな風に呼んだのか。どちらにしろ、シャルルには淋しく響く言葉だった。

「君は相変わらずシャルルでいいの?男名なのに」
「騎士見習いにはぴったりだよ。みんな好きなように呼ぶんだ。ベルトランシュはリオンって呼ぶし、ブランシュ様やヘンリー三世様はリオネット。好きにすればいいと思ってさ。どうせ本当の名前なんか誰も知らないんだから」
「あ、そうか。やっぱりまだ分からないんだね?シャルル、ほら、フランドル伯の子供かもしれないって」
「あ、ああ、あれ。あれは、違ったんだ。だから相変わらず、どこの誰とも知らないんだ」
笑って話せた。
それでも、まあ、僕は僕だしと。
ロトロアの言葉を思い出す。それがお前の弱さだと。
大丈夫。弱くなんかない、僕は強くなる。

思い出せばロトロアとのあの夜、僕は自分の素性が分からないからって、酔っ払って八つ当たりしていたみたいなものだった。拗ねていたんだ。だからあんな目にあったんだ。
フランドル伯の子供でなきゃ価値がない。僕がいる意味がないって。馬鹿だった。
ロトロアは僕が女であることくらいしか興味がないみたいだし、実際、だからなんだって。そうだよ。

「シャルル、綺麗になったね」
ふと顔をあげると、目の前にロイの瞳がある。とくりと心臓が鳴いた。綺麗に整えられた前髪が少しだけくせを持って左に流れる。明かりに透けると金色の柔らかな茶色の髪。その下のくるりと大きな薄い青の瞳は以前と何も変わっていなかった。返って睫の落とす陰が濃くなったように見えて、波紋に揺れる空を映した湖を思った。
湖面が瞬いたから、シャルルは笑った。
「ロイも、大きくなったね」
「大きく、って。別に小さかったわけじゃないよ」ロイも笑った。
「シャルル、一緒に寝ようか?あの時みたいに」
ロイが悪戯っぽく片目をつぶって見せるから、急に心臓の音が気になりだす。のばされた手、細く白い、絹の袖に包まれたそれ。
あの時みたいに。でもきっと、同じじゃない。ロイはもう15歳で、僕もその意味が分かる。耳慣れないロイの声を耳元に聞いたら、どんな気持ちになるんだろう。

「わ!?」
シャルルと同時にロイも声をあげ、シャルルはとっさに一歩飛び退いていた。
二人の間に白イタチ。
じゃれているつもりなのか、ロイの胸元にかぶりつく。
「クウ!」
邪魔するなってば!

「あはは、なんだよ、一緒に寝たいの?お前」
シャルルのもののはずだったロイの手は、白イタチを抱き上げた。
「じゃあ、シャルル。クウを一晩借りるよ。いいね」
「え?」
「お休み」
言いながら小さく咳き込んで白イタチを抱きしめると、ロイは横たわった。
「な、なんだよ」
小さく呟いたつもりなのに、ロイがこちらを見た。
「お、お休みっ!」
シャルルは慌てて扉に駆け寄る。

何を期待してるんだ、僕はっ。

女に目覚めたか。
またもロトロアの言葉が思い出され、シャルルは扉を堅く閉じるとぐるぐると首を横に振った。話したいことは山ほどあった。ぶつけたい感情も胸の中でくすぶっている。
ああ、でも!
これから一緒なんだ。傍にいられる。
シャルルは振り返り、立ち止まり。

「あの、一緒にパリに行けるの、すごく嬉しいよ!あの時僕、誓ったよね。助けるって!今でも同じだから、ろ、ノルフェノのこと助けるから!」
大好きだから。
自分の心の声に顔を真っ赤にしたまま、シャルルはロイの表情を確かめることもせず部屋を飛び出した。


扉を二つ隔て、緊張が溶ければ嬉しさが沸き上がってきた。緩む口もと。綺麗になったね、だってさっ!!
それが嬉しいんだから、やっぱり僕も女ってことなのかな。黙って聞くイタチはいないけれど、独り言は続く。
シャルルは廊下の窓に映る自分に気付き、髪を適当になでつけ、しばらく見つめた。
それからロンロンに自慢してやろうと部屋へ向かった。

***

朝靄がセーヌ川を白く覆い隠すように流れている。川の上流は左右を高い崖に囲まれ、朝日が差し込まないそこは深い森を思わせた。わずかに風が額の前髪を叩いた。
シャルルが御者台から振り返れば、ロトロアが乗り込んだところだ。その後にロイが続く。目が会えば、ロイは微笑んでくれ、シャルルもにっこり笑い返す。
馬車を引く馬はロンフォルトとブロンノ。それと黒馬が二頭。四頭立ての立派な馬車は、以前ランスで見たものと同じだった。
隣に座る御者が「行きますよ」と小さく声をかけ、鞭の音と供に馬車が進み出した。シャルルは頬をなでる風に肩をすくめ、毛皮のケープの襟を寄せた。
せめてクウ・クルが側にいれば温かいのに、昨夜のまま、浮気な白イタチは今もロイの側にいる。


この日の早朝、シャルルはヘンリー三世の従者に起こされ馬の準備をするようにと指示された。
案内された厩舎では、騎士見習いらしい少年たちが数名、すでに作業を始めていた。シャルルが挨拶すると、彼らはヘンリー三世付きの近衛騎士たちの従者だと自己紹介した。「綺麗な手をしてるけど、大丈夫かい」と年上の少年にからかわれるから、「平気さ」とシャルルも本来の騎士見習いのお仕事を少年たちに混じってこなした。ロンフォルトも、ロトロアのブロンノも元気な様子でよく水を飲んだ。
近衛騎士の指示に従って、ヘンリー三世の馬車二台の内、一台にロンフォルトとブロンノをつないだ。四頭立てだから後二頭はヘンリー三世の黒い馬。並べられた二頭は僅かに緊張しながらシャルルの方を振り返る。
「ロンフォルト、今日は馬車を引くんだよ。ちょっと重そうだけど、四頭いるし。きっと大丈夫だよ。ブロンノ、恨めしそうに見ても駄目だよ。お前のご主人が動けないから馬車になったんだからさ」
少しばかりプライドの高い性格の白馬は、鼻を鳴らしそっぽを向いた。
ロンフォルトはシャルルに鼻面を擦りつけ甘えている。
「いい、僕も四頭立ての馬車は初めてなんだ、ちゃんと言うこと聞いてくれよ」
人参をロンフォルトにあげながらなでてやる。それに気づいたのかブロンノもこちらに顔を寄せた。
「ブロンノも、いい?」
分かっているかどうか、白馬は嬉しそうに人参に大きな歯でパクリとかじりついた。

その二頭も、今のところ順調に駆けていた。
御者が「いい馬だねぇ」と褒めたからかもしれない。
「大丈夫かい?風が冷たいからねぇ、自分で馬を駆るよりずっと寒いだろ」
御者が笑って自分の襟巻きを示して見せた。
「あ、うん。確かに、馬に乗ってる方が温かいけど。でもあれは疲れるしさ」
「うん、そうだな。ほれ、坊主、これでも巻いておきな」
痩せた御者はシャルルの肩を叩いて、先ほどの襟巻きを取るとシャルルの手に押し付けた。
「ありがとう」
シャルルは、「寒いけど、いい天気だね」両手をぐんと空に伸ばした。


朝食の世話にロトロアの元に戻った時には、ヘンリー三世が部屋を訪ねて来ていた。
ヘンリー三世はヌーヴェルを黙らせ、ルーアン大司教を説得してロトロアとシャルルを買い受けたらしい。捕虜としてイングランドへ連れて行く、という設定なのだ。
途中、街道の分かれ道でロトロアとシャルルを乗せた馬車は一団から抜け出しパリに向かう。ヘンリー三世は捕虜に逃げられた間抜けな王様を演じてくれるらしい。

それでシャルルは慣れてはいないが御者を務めることになった。途中まではヘンリー三世の御者が教えてくれるというから、背後のロトロアやロイが気になるものの、一人御者台で我慢している。


男二人は、馬車の中で並んで座っていた。
ロイが咳き込めば、膝の上で寝転んでいたクウ・クルが身体をもたげる。ピクリと振り返ると隣でロトロアが痛みをかみ殺して身体を少し動かした。
「いて、しかし。フィリップ様。あの時、どうやって我らの包囲を抜け、ランスから逃れたのか。未だにそこが、腑に落ちない」
ロイはじっとロトロアを見つめた。
「あの晩、私は逃げる途中、貴方の騎士団に出会ったよ。丁重に送り出してくれた。なんと言ったかな、大柄な髭の騎士」
「キギ、ですか」
「ああ、そんな風に呼ばれていたかな。隣村の修道院に向かうと偽る僕に、とても親切にしてくれたよ」
ロトロアは首をかしげた。
あの時、ロイを捕えるようにと命じていたはず。キギは街道を封鎖する軍を指揮させていた。
「彼らは私を少女だと勘違いしていたよ」
「え?」
「ロトロア、貴方も知らなかっただろうね。あの晩、私はシャルルの花嫁衣裳を借りて、少女に成りすましていた。ひどい雨で髪は濡れていたし、小さなランタンだけの暗がりで私だと気付くものは誰もいなかった」
シャルルの案なのだけど、あれには感謝しているよ。
そう、ロイは目を細め静かに笑った。
「ああ、そうか。あいつ。賢いんだか、馬鹿なんだか」
「優しいのだよ」
ロイの言葉にロトロアは苦いものを飲み込んだような顔をして黙った。
「あなたや私とは違う。優しい子だ」
私とは違う。青年の言葉をロトロアは反芻する。
誰もが優しげなと形容するロイ。自らは優しくはないと、いいたいのだろうか。
あるいは、美しい容姿や落ち着いた佇まいからは測り知れない「優しくない部分」を、隠し持っているのかもしれない。
ロトロアはじっとその顔を見つめた。
視線の先でまた、ロイが咳き込む。
「相変わらず、咳が止まらない様子だな」
「そういう貴方も、随分痛そうだね」
言いながらロイの声はかすれ、また咳き込む。
ロトロアがその背をさすろうと近寄ると、何を思ったか白イタチが飛び掛る。

「ち、お前、騎士気取りか」
クウ・クルは威嚇してみせる。上機嫌なのだ、胸を張って尻尾をふんふんと揺らしていた。
「お前が守るべき女は外だろうが」
文句を言われてもクウ・クルは気にしない生き物だ。調子に乗ってロトロアの腕に噛みつく。くわえた袖をぶんぶんと振り回そうとする。
「こいつ、調子に乗りやがって!」
捕まえようとし、するりと逃げられロトロアは痛そうに顔を強張らせた。
「おいで、シャルルが淋しがっているよ」
獣とロトロアのやり取りに笑いながら、ロイは白イタチを抱えあげ、御者席のカーテンを開いた。
「シャルル、この子を頼むよ」
眩しい日差しの下、振り返ったシャルルは差し出されたイタチを受け取る。
「ロンロン、ノルフェノを苛めたらだめだからね」
ちらりとロトロアを睨む。
「お前もか、騎士気取りが。怪我人をなんだと思ってるんだ」
ぶつぶつロトロアの文句は閉じられるカーテンに遮られる。諦めたのか、痛むのか、ロトロアも黙って眼を閉じた。
「ロトロア。貴方も、お母様と何か契約をしたのかな」
ロイの静かな声にロトロアは目を開けた。
「いや。俺が契約するなら、ルイの方だろうよ。女と契約してなんになる。女とする契約は婚礼だと、叔父上なら笑う」
「でもシャルルと契約をしたのだね」
「臣従礼は側に置くには手っ取り早い方法だろう。それなりに悪くない女だ」
ロトロアの口調にロイは黙った。
「気に入らないかな、女呼ばわりは」
「いいえ、別に。まるで、ロトロア。貴方のもののような言い方だったから」
「契約していれば俺のものさ。この馬車と引きかえに、今はヘンリー三世のものだ」
「馬車と?」
「悪いかな?貴方がおまけについてきたが」
「まるで私が余分だとでも言いたいようだね」
肩をすくめてロトロアは答えた。
「まさか貴方が、パリに向かうことを承諾するとは思わなかった」
「それは……」
言葉を詰まらせたロイに、ロトロアは続けた。
「あの時、真実を知らされた貴方はランスから北に向かったと聞いた。パリには戻れないと、そう決断したんだろう。それがシャルルの子供じみた発想に付き合うとは」
「……私も人の子です。母親を慕う気持ちくらい、あります」
「そうか、それならいいが」


シャルルが次に訪れる町は、フランク王国首都パリ。
話に聞いただけのパリ。眼前に広がる景色を眺めながら、わくわくしているシャルル。
同様に馬車の中の二人も、それぞれの風景を思い浮かべている。
それぞれの、行く末も。



『ル・アーブル :港に詩う』了
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chachaさん♪

んま!
お肌に悪うございますよ!!

って、ありがとうございます♪

ロイとの再会、ロトロアとの関係。
ついに、シャルル。食べられちゃいました~。
あのシーン、たぶん、小説でそういうシーンを描くのは初めてでした。
いやぁ、書きながら自分ていったい、と、思いつつ。
でも、やめられなかったのです~。

さすがに、楓さんの期待する濃い表現は無理でした(笑

これから、最終章。
ほんと、最後に誰のそばにいるのか。
笑っていられるのか。

んん~♪chachaさんがどんな感想を持ってくれるのか、
今からとっても楽しみです!

こんばんわ^^

あ~結局第三章読み切っちゃいました(笑)
もう、ですね。手が止まらないのですよ~!眠いけれど、続きが気になって気になって!!
このコメント書き終えたら、寝ます!(笑)

まずは。
シャルル、少女から女性へと成長しちゃいましたね!
もう、あの夜のシーンはドキドキしっぱなしで!><
深くねっとりと描かれていない分、想像が膨らんで大変でした(単なる変態。笑
ああ~でもでも、その後すぐにロイとの再会!惜しいっ!初めての体験は、ロイに捧げて欲しかったような…><
でもね。一番大切な人であって、一番大好きな人であるロイ。シャルルにとってはそういった、関係を持つことが重要なんじゃなくって。
純粋に、ただ傍に居られたら。それだけで。ってなるのかなぁとか^^

ロトロア、何かを企んでいますよね、ずっと…
それが何なのか、気になって気になって仕方がないです!
いよいよ最終章ですし、どうなるのか今から期待と不安で胸いっぱいです♪

ロイも成長してたなぁ。声が変わることって、一番変化を感じる部分だし。
髭とか生やし出したら、イヤだなぁ(笑)
シャルルがとっても可愛くって。綺麗になったね、だって!!のシーンがとっても印象的です。微笑ましくって笑っちゃいました^^

ともかく!
最終的にシャルルは誰の傍で笑っているのか。そこを楽しみに。
引き続き読みに参ります♪
おやすみなさい~!^^

楓さん♪

心意気?ふん、(と鼻で笑うロトロア…)
この時期、一番策略めぐらせるロトロアです…(苦笑

その狙いはいずれ明らかになりますが~♪

シャルルとの再会、二人の気持ちの温度差が、どうなるのか。
ロイが過ごしてきた時間は、シャルルほど暖かくなかったのかとか。
それぞれの立場が交錯していきます。
いよいよ、正念場です!!最終章♪
うう~ん、楽しんでいただけるかなぁ!!??

ロトロアとロイ。正反対の性格だから、会話させるととても緊迫感が…。ロトロアもシャルルにするような軽口は言いませんしね~♪
女性を巡っての鞘当て、鍔迫り合い。
楓さんはどちら派なんだろう~?と思いつつ。

次の感想を、ドキドキしながら待っています♪

ついに!

再会しましたね。
でも、どこかもどかしい。
微妙にまだ、二人の間には距離があるように感じます。クウが入り込めちゃうだけの距離が。

そして舞台は最後の地へ、ですね。
ロイが登場した途端、僕の中でロトロアの影が薄くなってしまいそうなのですが、言ったよなロトロア、「正式に奪ってみせる」って。その心気見せてもらうよ(誰?w

咳、止まらないですね。
心配。
ロイとロトロアの会話、なぜかニヤニヤしちゃいます。

最終章、読ませていtだきますね♪

藤宮さん♪

ありがとうございます♪

こういう展開なのです(笑

再会=らぶ甘とはならない…
そういう劇的なのも憧れますが、それには少し状況が厳しすぎたかも(^^;)
ロイが選んできた道、シャルルが過ごしてきた時間。
隔たり感が出せたならよかったです♪
その壁を、シャルルがどう乗り越えるのか。
恋愛は体力も必要です♪

さて。もうすぐパリ。
いろいろと振りまいてきた種を回収しつつ、最終章に突入です♪
まったり楽しんでいただけるといいなぁ~♪

やっとの再会……

これはためて読まねばー、と思って読んだら、こういう展開ですか!

待ちに待ったロイとの再会。シャルルちゃんじゃありませんが、どきどきしながら読み進めていました。

会いたくて仕方がなかったのに、会えたらうまく言葉にならない。
もどかしさとか、ちょっとのすれ違いとかが甘い感じで、シャルルちゃんも大人になったのかなーと思ったり。

色々ありましたが、念願の再会が叶って新たな動きがありそうですね。
様々な人が集うパリ……そこでシャルルちゃんを待っているものは何なのか。

色々想像しながら、次の章の始まりをお待ちしています!
Secret

プロフィール

らんらら

Author:らんらら
のんびり小説を書いています
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