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『La croisade de l'ange 4:Paris』⑤

La croisade de l'ange Chapter 4 『Paris:天使の聖戦』



シャルルが再び空腹を覚える頃、街道の先に封鎖する土嚢と柵を見つけた。
馬車の上から見回せば、ずっと続いているのだとわかる。草原だけじゃない、民家のある村の森も、さらにずっと西の方まで。崖を崩したものに木製の柵を巡らせていたり、岩混じりの土砂を積んだもので代用していたりする。草むらに木の柵の先だけが見えるだけのところもある。それらはどれも、確かに境界線のようにシャルルたちのいる場所と、そこから先とを隔てていた。
境界の先には軍隊が騎馬や石弓を並べていた。
これまでのノルマンディーの橋の封鎖とは、規模が違う。

秋の草が風に揺らめくように見えるそれは、歩兵たちの兜の飾り羽だった。
まだ向こうからもシャルルたちの様子は分からないだろう。

「あれは?」
御者席の隣に座っていたロトロアがふん、と笑った。
「パリの警備線だ。かつてノルマンディーはイングランド領であったし、もっと昔からもな。ノルマン人とフランク人は小競り合いを続けてきた。その時の名残だ。あそこから先をパリと呼んでも差し支えない。まあ、王都らしい様子が見られるのはまだ、ずっと先だがな」
「ふうん。たくさん、兵がいるね」
「そりゃそうさ。戦争だぜ」
「でも、さ」
「怖いか」
いつも、そうだ。
「平気だってば!からかってばっかり!僕はブランシュ様の味方なんだ、あれはパリの軍隊だろ。だから、味方だし」
「ああ、そうだ。近隣の街やパリから借り出された民兵だ。あと二日後にはノルマンディーの軍隊と遭遇し、この場所が戦場となる。国王陛下の旗があるな。俺が話をしてくるからお前は馬車の中で待っていろよ」
口を尖らせたものの、ロイと二人きり馬車の中って言うのも悪くない。
しょうがないな、と呟きながらシャルルは馬車の中へと移動した。
中ではロイが少し眠そうに目を擦っていた。
「もうすぐ、パリらしいんだ。警備線で国王軍が展開しているみたいなんだ。だから僕がノルフェノの側にいるよ」
黙って頷いたロイの隣にちゃっかり座る。
間にいたクウ・クルはシャルルの膝に移された。
「眠いのか?」
「少しね。薬湯を飲むといつもこうなるよ」
「横になったら?」
シャルルが場所を開け、隅にあったクッションを枕にと差し出す。ロイはゆっくりと横たわり、少しだけ咳をした。
再び馬車が走り出し、その振動で眠れないのではないかと心配になる。
それでもぐったりと眼を閉じたロイは、少し蒼い顔でじっとしていた。
神が平等だと言うなら。
ロイはそんな風に言った。
生まれつき体が弱い、というのがどういうことなのか。そのために身分も家族も失うと言うのがどういうことなのか。シャルルには想像もつかない。
ただ、何とかしてあげられたら。そんなふうに思うしかない。
神が護ってくれないなら僕がロイを護る。
長い睫が白い頬に煌くのを見ていると、切なくなってシャルルはまた目を擦った。

夕刻前の斜めの日差しで、車内が温まってきていた。
不意に馬車が停まった。
扉の方でもぞもぞしていたクウ・クルは、シャルルに駆け寄ってきた。何か警戒しているのか、後ろに積んである荷物の袋に入り込んだ。
ぎ、と。
不意に扉が開かれ、夕日らしいオレンジの日差しにシャルルは目を細めた。
誰か、覗き込んだ影。
それが、「シャルル!」と。
聞き覚えのある少年の声で叫んだ。

「ジャン!」
一杯まで開かれた扉、そこにはジャンと、その後ろにロトロア。
とん、と飛び下りればその向こうには、ベルトランシェの派手な金髪が風に揺れていた。
「久しぶりっ!」
ジャンと互いに抱きしめあい、握手する。
ジャンは少し背が高くなった気がする。
「ずるいな、お前また背が伸びてるぞ!」
「シャルルはますます女の子らしいです」
「嘘つくな」
「本当ですよ、分かります」笑いながら自分の胸元に丸い形を作るから、シャルルが「ばか!」と殴りかかり、ジャンはあわてて逃げる。
じゃれあう二人のすぐ脇。ベルトランシェが不意に地面に膝をついた。
「!」
ジャンはそれを見て、動きを止め、近衛騎士団長の視線の先を見つめた。
シャルルも視線を追って振り返る。

馬車から、ゆっくりと。眩しそうに目を細めロイが顔を出す。
シャルルはするりと獣のように、今馬車から降り立ったロイの脇に駆け寄った。その肩に白イタチがトンと乗る。

「お久しぶりでございます、ロイ様」
ベルトランシェの声は、どこか強い力を持っていた。ジャンもベルトランシェの背後で、同じように膝をついた。
そこは林の中の開けた場所で、周囲より少しだけ高い。冷たい風が頬をなでる。
石を積んだ竃(かまど)、土嚢と木材の柵に囲まれている。立派な甲冑をそろえた騎士たち数十人がベルトランシェの背後に並ぶ。
顔を上げている騎士は一人もいなかった。近衛騎士団、なのだろう。全員が地に膝をつき、その甲冑に夕日が鈍く光っている。
赤い上衣、金色の百合の紋の刺繍、白い羽飾り。並ぶそれらを、ゆっくり見つめてから。ロイは口を開いた。
「久しぶりだね、ベル。やっと、パリに帰ってきたよ。近衛騎士団の皆も顔を上げて欲しい。覚えている顔があると嬉しいから」
ベルトランシェが顔を上げた。近衛騎士たちも顔を上げ、それが皆一様に嬉しそうなのを知って、シャルルもホッとした。
ロイは、紛れもなく国王の子だった。それを近衛騎士は分かっていたんだ。
今も変わらない。

並ぶ近衛騎士団の真ん中を、一頭の白馬が進んできた。騎乗している黄金の兜を脇に抱えた少年がそれを近くの兵に持たせ。手伝おうかとする従者を無視してひらりと身軽に降り立った。甲冑の重さを考えれば、相当慣れているのだ。

ルイ九世。
一度顔をあげた騎士たちがまた、頭を下げる中、金髪を短くした少年は真っ直ぐ歩み寄る。
「冗談かと、思ったのに」
歳若い王が口にしたのはその言葉だった。

ロイは襟元に赤いマントを揺らめかすルイに、微笑みかけた。
「立派な、国王陛下だね。ルー」
憮然とした様子で視線をそらしたルイと、正面から微笑んで見つめるロイ、いやフィリップ。
兄弟は対照的な表情でしばらく互いの距離を保っていた。


陣営の真ん中には、古くからの砦らしいものがあった。岩山を掘って作ったらしいものに切り出した石で防壁と屋根のある天井の高い建物が出来上がっていた。
中にはただ、大きな柱がたくさん並び、その間に布を張り巡らせて仕切っている。
だから、夜風が時折寒そうな音をたててシャルルの足元やロイのケープを揺らした。
シャルルは自分の付けていたストールをロイの首に巻きつける。
「ありがとう。君も寒いだろう?」
「平気。だいたいさ、こんな暖炉もないような場所に置きっぱなしにしてさ。夕食は立派でたくさんでよかったけどさ。こんなことなら、焚き火ができた昨日のほうがましだったよ」
「そうだね。ランプもこんな松明一つきりで、消えてしまいそうだし。消えちゃったら怖いね」
「うん。真っ暗だよ」
二人とも同じことを想像したのか、黙り込んだ。
わずかに身をよせたシャルルの手を、ロイがぎゅっと握りしめた。
「大丈夫、だよ。ほら、すぐ外に近衛騎士がいる」
そう言われ自分も護る側の人間だと思い出してシャルルは恥かしい気分になる。僕が大丈夫ですよって、ロイを安心させなきゃならないのに。
「ロンロンは何してるんだろう。あいつもノルフェノの護衛なのにさ」
シャルルが馬車を降りたときに見かけたきり、何の用事なのか姿を見せなかった。
「彼がいれば、安心かな」
「そういう訳じゃないけどさ。ロンロンは何か企んでるんだよ、きっと」
「そう、ヘンリー三世陛下にも言われたよ。皆がそれぞれの思惑で動いている。だから、気をつけなさいってね。でも大丈夫。私にはシャルルがいてくれる」
シャルルは腰にあるイタチ剣をぎゅと握り締めた。
「うん。任せて」
つないだ手に力がこもる。冷え切った室内でそこだけが温かい。
ふわりと、風が強く吹いてランプの明かりが大きく揺れた。
気配にシャルルは顔を上げる。
彼らのいる場所を仕切っている薄い羅紗が揺れて、ジャンが顔を出した。
二人を見るなり、少し照れくさそうに笑いロイとシャルルの前に膝をついた。
「陛下からのご伝言です。明日、お二人は護衛と供にパリに向かいます。フィリップ様、ブランシュ様にすぐに面会できるよう、私はこれから先触れのために発ちます。シャルル、ゆっくり話せなかったけど、パリでまた会いましょう。きっと、ブランシュ様もお喜びになりますよ!」
にっこりと笑い、手に持っていた布袋を差し出した。
「フィリップ様、お体はいかがですか。これ、お役に立てたら幸いです。咳によく効く薬草です」
ロイは立ち上がり、ジャンの前にしゃがむと、手を伸ばした。
同じ高さで見詰め合うと、ふとロイが目を細めた。「ランスで貰ったものもよく効いたよ。ありがとう」
差し出した両手は、袋ごとジャンの手を握り締めた。
「気をつけて」
「ありがとうございます。フィリップ様のご無事をお祈りしております。シャルル、ルイ様に、気をつけて。ほら、ランスでの件もあるから」
ジャンはシャルルにウインクして見せる。ランスでルイ九世がシャルルに興味を示した、あのことを言っているのだろう。すぐにまじめな顔に戻って一礼し、出て行った。
この夜更けにパリに向かう。暗がりの馬の旅が決して楽ではないことをシャルルも知っている。
月明かりがあることが救いだと、シャルルは窓から空を見つめた。

翌日、シャルルは早朝からロンフォルトとブロンノの世話をしていた。今日、パリに発つのだ。またしばらく頑張ってもらわなければならない。
馬たちは大人しくシャルルにすり寄り、鼻を鳴らしていた。
不意にブロンノが顔を上げる。耳はぴくと西をむいた。
風に乗って何か、シャルルにも聞こえていた。

「なんだろう」
蹄を洗うブラシを手に、シャルルは西の空を見つめた。
そこから見えるのは近くにある小高い丘、その向こうにわずかに山並みが朝の蒼い影をまとって空に浮かんでいるように見える。そちらから聞こえる気がした。
しばらく見つめていても何も変わらない。朝日が眩しく足元の桶の水を照らしたから、再び作業を続けた。
どこかで炊き出しが始まったらしい。
香ばしい匂いに、一仕事終えたすがすがしい気分で兵たちが集まり始めた方向へと歩いていく。皆、手には空の器とスプーンを持っているから、朝食なんだろう。
匂いに惹かれつつも、自分はロイの元へ行かなきゃと踵を返しかけたところ。脇に立っていた兵がシャルルの腕をつかんだ。
「お前さんもほら、並びなよ。のんびりしていたら食べ損なうぞ」
金色の髭に、わずかに白髪の混じった男が陽にやけた赤い鼻で笑った。
「あ、大丈夫、僕は向こうで」
「ああ?あ、そうか、貴族様だったのかい。すまんね、わしはまだ10日目なんでね、勝手が分かってなくてねぇ」
頭をかく男に、シャルルは胸を張って応える。
「お勤め、ご苦労様です。僕はまだ騎士見習いで、貴族様じゃないんだよ。まだお仕えしているお方のお食事が済んでいないから。それが終わってから朝食はいただくんだ」
「若いのに偉いねぇ」
「あの、さっき、西のほうで何か音がしたんだけど。ほら、なんていうか、わんわんって言う感じの。木霊みたいな」
「さあ、西にはオルレアンの軍隊が行っているからねぇ。それかねぇ」
オルレアン。
シャルルは男に手を上げてさよならを告げると、歩きながら地図を思い出していた。
確か、ええと。
パリの西で、ブルターニュと対面することになる、ロレーヌ川のほとりで。
あちらはもう、戦争が始まっているのか。
そう思えば耳にした音が、馬上槍試合のときの歓声のようで。いや、あれよりもっと低く、恐ろしげだった気もしてくる。
西を護るオルレアン、そこからぐるりとパリを遠巻きにして北へ巡るこの警備線。
小高くなっている陣営の建物の前から周囲を見渡せば、数え切れない兵たちがそれぞれの仕事をこなしている。
武具をつくろうもの、剣を鍛えなおしている鍛冶屋。炊き出しをしている女たちやそこに集まる民兵。不器用に槍を構え、並ぶ徴募兵たち。
ふわと吹いた風に草むらが揺れ、シャルルはそこに戦場を思い浮かべた。
槍試合のような一騎打ちではない、数人での戦いを同時に行う競技があったことを思い出した。それを見たとき、ひどく背筋がざわざわした。馬から落とされ、呻いている男。互いに血に染まりながら剣を切り結ぶ男たち。折れた槍を振りまわす大男。
それをこの千人はいるだろう人間、全員でやるとしたら。
再び遠くの戦いの声が聞こえる気がして、シャルルは西を見つめた。

「シャルル、早く戻りなさい。ロイ様が待っていますよ」
声をかけてきたのはベルトランシェだった。
「あ、はい」
それでも西が気になるシャルルに、ベルトランシェは美しい笑みを向けた。
「この後、この地の軍のうち三分の一が西のオルレアンに向かいます。援軍が必要ですからね。残ったものは、ここでノルマンディーを待ちます」
ノルマンディー。
その軍は。
シャルルがベルトランシェを見上げると、近衛騎士団長は髪をかき上げ同じ西を見つめていた。
「ロトロア・ド・ルジエの報告で分かりました。ノルマンディーにパリへの道を空けてはならないと。貴重な情報をこの場で受けられたのは幸いですよ。そうでなければ、この地域をノルマンディー軍に任せ、我らは西に全軍を移動する予定でした。ここもいずれ戦場となります。戦力を分散するのは危険が伴いますから、ルイ九世陛下には一度パリへお戻りいただきます。ちょうどシャルル。ロイ様をパリへお送りしなければならないですしね」
一緒に行く、と言うのだろう。それはそれで心強いからシャルルはすなおに頷いた。
「大変だな、あっちもこっちも。パリをぐるっと一周して護れるくらい、たくさんの軍勢がいたらいいのに」
歩き出した二人はいつの間にか並んでいる。傍らのベルトランシェは前を向いたまま、ふと笑みをこぼした。
「さて。私は近衛騎士団ですからね。陛下のお側にいるだけ。戦場で軍を指揮する将軍たちは大変でしょうね。お前の言うとおり、本来ならばパリだけを守ればいいのかもしれません。小さい輪でパリを囲み護るのなら、城壁もあるから容易いでしょうね。けれどそれでは、王国である意味がない。周辺の街や都市を外敵から護ってこそ、国であり王であることを認めさせることが出来る」
「ふうん」
シャルルはたいして真剣に考えたこともない、王国と言う存在を思った。いつか、ジャンが言っていた。
最も大きなものを生み出す、国王は偉いのだと。農民やお母さんより。
「国を護るのは、大事なんだ」
「当たり前でしょう?」
「そのためには、弱い王様じゃダメなのか」
だから、ロイはあんなふうに扱われたのか。親にも会えず、死んだことにされて。放っておかれたんだ。
ベルトランシェが黙り、立ち止まる。
見上げれば、シャルルのほうを見下ろしていた。その表情こそが、聖母像のようだと。シャルルはいつも聖母像に例えていたリシャールを二番手に追いやった。
「シャルル。人には、それぞれの分と言うものがありますよ。生まれながらに持つものもあれば、成長するにつれ得るものもある。王様でいることと、羊飼いでいること。どちらもそれぞれに幸せであれば、私はそれが正解だと思う。違いますか」
「それは、そうだよ。僕はもともと、王様や貴族より、麦を育ててパンを作れる農民の方が偉いと思っているしさ」
「ああ、なるほど。それでお前は面白いんですね。媚びもせず、まともな敬語も使えない」
「それ、悪口?」
「さて。シャルル。我らは陛下とブランシュ様の駒でしかありません。我らの正義は陛下の下にある。お前の正義は違う場所にある。対立すれば戦うことにもなるでしょう。その時には、手加減はありません。お前は、後悔のない道を行きなさい」
シャルルは目を見開いた。
「それ、ベルは後悔してるってこと?近衛騎士団にいるのが嫌ってこと?」
青年はふ、と笑うと、
「馬鹿ですね。大人が子供に、今の自分のありようを後悔して見せるなど、情けないと思いませんか。誇り高き騎士にくだらないことを尋ねるものではありませんよ」
その笑みが、あまりに完璧で美しいから。
シャルルは口を尖らすにとどめた。
大人は時に、分かりにくい話をする。嫌ならいやでやめればいい。後悔のない道を、僕なら選ぶ。

居室にもどれば、ロイは嬉しそうに「遅かったね」と立ち上がり迎える。自然と肩に置かれる手。その温かさを思えば、シャルルも胸が熱くなる。
「これだよ、やっぱり」
シャルルの呟きにロイが小さく首をかしげた。
「あ、なんでもないよ。お腹すいたよね、今朝食を運んでくるね」
これだと、思う。
僕の選ぶ道は、ロイのそばにある。後悔なんかしない。助けるって、護るって決めた。それに。やっぱり、好きだから。


出発のときになって初めて、シャルルはロトロアが姿を見せないことに気付いた。
ベルトランシェに尋ねれば、忙しいのか「彼はジャンと一緒に昨夜発ちましたよ。怪我の様子も気になりますから、早くパリに行ったほうがいいということですよ。聞いていなかったのですか」と。先ほどとは変わって、冷たくあしらわれた。
聞いていなかった。
昨夜は、そう。ここに到着してからは、一度もロトロアの姿を見ていなかった。
別に、いいけど。
大きな馬車に、ロイ一人を乗せ、シャルルは孤独に御者台に座る。
何となく面白くない。
話す相手もいないし、クウ・クルも強くなってきた風を嫌ってか、車内に入ったきり。
「パリへ向かうから護衛をしろって。いったのはあいつだぞ。まったく、何にも言わないで、薄情な主人だよな、ブロンノ」
馬は振り返りもしない。
馬車の前には十数騎の騎士団が二列で進んでいく。振り返れば後ろにベルトランシェが併走する立派な馬車。それにルイが乗っているんだろう。
その後にはルイの馬が二頭、荷物を積んだ馬車が三台。そこから後ろは見えない。

丘を越えると、突然平原が広がった。枯れた草が白い実をつけ揺れる。風が吹き飛ばしたそれが、羽虫の群れのように空を横切る。セーヌ川が右手に遠く見える。それを目で追えば、その先がパリ。
先ほど昼の鐘が聞こえたから、そろそろ休憩だ。
シャルルが予想したとおり、背後から伝令らしい騎士が馬車を抜き去り、先頭の騎士に何か告げる。それを合図に隊列は街道をそれ、脇の草原に円を作ってとまった。
枯れ草が掻き分けられると、その足元には小さな黄色い花が無数に咲いていた。
綺麗なそれにシャルルは嬉しくなって、馬車を止めると背後の窓を振り返る。
「ノルフェノ、見てみて、ほら……」
カーテンをめくったとたん、白い獣が飛び出してシャルルは落ちそうになる。
「なんだよクウ!ばか、ビックリしただろ!せっかくロイに」
苦しげな咳が聞こえ。シャルルは慌てて覗き込んだ。
座席でうずくまっている、ロイは小さく見えた。

「ロイ!」
車内に駆け込み、背中をさする。
何度も咳を繰り返す。息が、出来ないのではないかと思うくらい。顔を赤くして。やっと咳が収まると、苦しげに肩を上下させ振るえている。再び咳込んでそのうち、口元を抑えた手元から赤い糸が伝う。
「わっ!?」
思わず、顔を上げ、シャルルはあわてて首元にまいていたストールをあてがう。
それは、二度ほど深い咳をしただけで、唐突に終わった。ロイはただ息を整えるのを待つようにじっとしたまま。強張った手を口元から引き離すとシャルルはそこに溜まった血をふき取った。
黙ってそれを丸め、改めて荷物から清潔な布を取り出して水にぬらして絞ると、ロイの口元と手をきれいにする。
それから水をロイの口元に差し出した。
「ごめん」
小さく、かすれた声のロイは小さく見えた。うつむいて、青い顔をして。
シャルルは「ほら、口の中、気持ち悪いだろ。水。それから、薬は?あるなら飲んだほうがいいよ。ジャンにもらった咳止めの薬、あっただろ」
ロイは恐ろしいものを見つめるようにそっとシャルルの顔を見上げた。
「びっくり、させたね、シャルル」
その上目づかいが、まつ毛に光る涙の跡が切なくて、シャルルは精一杯笑いかけた。
「平気だよ。そりゃ、ちょっと驚いたけど。僕、修道院にいたんだよ?孤児でも同じようになった子がいたし、施療院に行って病人の世話をしたこともあるんだ。気にすることじゃないよ。それより、ロイ。ロイのほうが、きっと怖かったね」
シャルルはぎゅ、とロイを抱きしめた。
「しゃ、シャルル……」
「病気になった子がいるとさ、みんなで世話するんだ。修道院ではね。どうしても怖い時には、下働きのアンがこうして抱きしめて寝かせてくれる。アンはアンで大変な仕事をしているのに、疲れているのに嫌な顔しない。だから、アンはみんなに好かれていたよ。僕はさ、修道士とか、修道女や。司祭様とかね、そういう偉い人は確かに偉いんだろうけどアンのほうがよほど立派だと思うんだ。王様なんかいなくても平気だけど、アンにはいてほしいんだ。そういうの、ジャンは笑うけど」
「私も、わかる気がする」
「だよ、だからさ。僕はロイの味方なんだ。僕が、ロイにとってのアンになってあげる」
シャルルは荷物からジャンが渡してくれた薬を取り出した。
「これ、煎じ薬だよね」
中には液体の入った小瓶と、乾燥した薬草が入っていた。
飲ませようと便のコルクを抜いた。
と、その手からコルクを奪うと、ロイは栓を詰め直した。
「え?」
ロイは黙って首を横に振った。
「え?何、ダメ?」
「それ、飲め、ない」
「何言ってるんだよ、苦いから?」
また、咳き込むから、背中をさすって力ない身体を支えた。
「ロイ、熱があるよ、やっぱり。誰か呼んで来るよ、たぶんベルならちゃんと治療の方法とか知ってるよ」
「いらない、シャルル」
「何言ってるんだよ」
ぎゅうと、のしかかるように抱きしめられて、シャルルは手にしたビンを取り落とした。
「あわっ、薬が」
「聞いて。シャルル。今朝、この薬草を女中に渡して、煎じてもらった、だけど。それは変な味がする。少しなめてみて、気持ちが悪くなった。以前ジャンに貰ったのと違う。薬草は同じだけど、その液体は、違う」
シャルルは手に残っていた液体の匂いを、嗅いでみた。
酸っぱい匂い。シャルルもいつか、ジャンの風邪薬を飲んだことがあったけれど、こんな匂いはしなかった。

「これ、もしかして」
「毒なのかも、しれない」
ロイの顔は青ざめていた。足元に転がるビン、少し泡立った黄色っぽい液体は急に邪悪なものに思えてくる。シャルルもそれを睨みつけた。
「今、私の具合が悪いと知られれば。無理にもそれを、飲まされるかもしれない。シャルル、覚えているかな。私の父上、ルイ八世が、どうして亡くなったのか」
低くかすれたロイの声。シャルルは「ルイ八世陛下は……」
十字軍の進軍途中で毒殺された。
かつて、ロトロアが話してくれたのを思い出していた。
その疑惑のために、シャンパーニュは宮廷の敵になった。体が震えた。
「どういう、こと。これ」
ロイの顔を見つめた時。
不意に馬車の扉が開かれた。
眩しい日差しの向こうで金色の髪の少年、ルイ九世が笑っていた。
「あれ、どうかしたかな。フィル、ああ、今はノルフェノって言ってたよね。具合でも悪いの?」
「あ、やだなぁ、邪魔しないで欲しいな」
とっさにロイの胸元に寄りかかって、シャルルが笑った。
ロイもシャルルの頭を抱きしめる。
誤魔化せたのだろうか、ルイ九世は恐ろしいほど顔をゆがめた。
「下らないな、お前たちは。昼食がいらないなら、ずっとそうしているがいい」
若い王は踵を返し。その背後に控えていた近衛兵二人も後を追う。その腰の剣がカチャと嫌な音を立てているのを見送り。はあ、とため息をついた。

「どうしよう、ロイ。僕、とんでもないことを、想像した」
抱きしめあったまま、シャルルが呟く。ふう、とロイが切なげに息を一つ吐いた。少し汗ばんだ額をシャルルの肩にあてる。
「私も、考えたくはないけれど。ジャンも、ロトロアも。上手く引き離されてしまった気がする。今、私たちの二人きりだよ。近衛騎士団は全員ルイの味方だ」
そういえばベルトランシェは言っていた、我らは陛下の駒に過ぎない、だからシャルルの敵に回ることもある、と。
「ルイは、怖いところがあるよ。ランスで会った時もそう思った。もしかして、ルイ八世陛下も……」
ロイの手に力がこもった。
「父上のことは分からない。ルイは、父上と仲が良かったから。ただ、ルーが私を疎ましく思っているのは確かだ。気を抜いてはいけない」
シャルルは頷いた。
「とにかくパリに行って、ブランシュ様に会えれば大丈夫だよ。ヘンリー三世陛下の下さったものなら安全だから、荷物にある食糧を食べよう。今ハムを出すから」
言ったシャルルの腹が、ぎゅうと鳴って。
思わず無言で見詰め合ってから。ロイがくすりと笑った。
「シャルル、君って逞しいね。私はいらないよ、食欲がないんだ」
「そ、そんなに笑うことないだろ!緊張したからだよ!ロイだって何か食べなきゃダメだよ!」
可愛い、と。笑って咳き込みながら、今度は本当に抱きしめる。
シャルルは恥かしいのと、思ったよりロイの肩幅が広く感じられたのとで胸が躍る。こんな状況なのに、嬉しい。自分の図々しさに呆れつつ。ロイも同じくらい幸せを感じてくれたらいいのにと、シャルルは整った青年の顔を見つめた。
淡い水色の瞳と視線が合って、穏やかにいつもどおりに微笑むから。
一喜一憂しているのは僕だけかもしれない、なんて。ちくりと胸が痛んだ。
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藤宮さん♪

うふふ。
思いもかけずあっさり、ルイと再会、ってことになったけれど。
そう、再会してからが問題なのです~。

ロンロン、ここにきて自分勝手です(笑
いえ、もともと、自分のためにしか行動してない人ですけど~(^^)

シャルルたち、これからが試練。
じっくり、追いかけてやってください♪

危険です!

かなり危険な状況のような気がします。

毒ですか。ルイの様子を思うと、冗談ではすまされないのでしょうね。
ジャンもいない、頼みのロトロアも不在の状況で、シャルルちゃんたちは切り抜けられるのか……。

でも少し、距離は縮まっている気はしますー。まあ、それどころではないのも事実ですが。

こんな状態で、無事、パリにたどり着けるのか気になりますが。

まだまだじっくり、追いかけていきます!
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らんらら

Author:らんらら
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